徒然草(岡山・東京・山崎かずみ)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    動ける時。

    おはようございます。 昨日も無事に東京より帰ってきましたが、いつも感じるのは素敵なお客様の御加護です。 必ず予定通りに行動できると言い切っても交通機関などに何も起きない、それは素敵なお客様に守られているからだと感謝の気持ちが自然とわき上がります。

    人が人と出会うのは何かの縁であり、素敵なお客様が予約を入れてくださるのも何かの縁、予約や鑑定以外でも色々な企画に参加されるかどうかは御自身の選択で、それも縁があるかどうかに繋がります。

    出会いと言うのは縁ですが、人と人が出会うのは偶然でも出会う場所へ行くのは本人の努力、本人が出会う為の場所へ行ったら後は縁が縁を呼ぶのですが、この縁と言うのは偶然だからこそ怖い部分があります。

    何故なら、出会う人と言うのは自分自身の写し鏡と言う側面もあるので、嫌な人に出会う時は自分自身に嫌なところがあるのを学ぶ、良い人に出会う時は自分の行いが正しい状態であることの確認、そうやって自分の運勢レベルや人間的レベルの確認をすることで、出会いの縁は更に磨かれたり燻ったりするモノです。

    霊視カウンセラーになるまでは建設現場で働き、建設現場で働く前は工場で働き、その都度その都度で出会う人は学びの為には必要だったと思うけれども、それは動かなかったから「早く動け」と言う運命の後押しだったのではないかとも思えます。

    県北で生まれ育ったとは言うものの、高校に関しては地元ではなく他所へ行ったからいじめが余り無かった、自分が相手に嫌なことをしていじめられるのはあったけれど、小学校や中学校でのいじめレベルに比べると天国みたいな高校生活でした。

    ところが就職となれば家から通えるところを選んでしまったのが運の尽き、ここで県南へ出て行く勇気がなかったのは私自身のダメなところです。

    昔の私であれば言い訳として「田舎には働く場所がない」と言うはずで、世間を見渡すと働く場所は一杯あるので、自分が言い訳せずに動いていれば苦しい思いをしなくてもよかった、そのことは本当に私がバカだったし勇気も無かったと思います。

    工場を辞めた時に建設現場で一日3000円の日当制だったので、1ヶ月フルに働いても9万円の月収で、あの当時は給料が安くても田舎では普通だと思い込んでいました。 今から思えば吉本の芸人(現時点で2名)みたいにマンション購入⇒40万円のローンが払える、それでも生活保護を受給すると言う考え方、年収3000万円以上でも生活保護が貰える日本は天国です。

    この件で岡山市と県の評判がかなり悪くなっているけれど、一人は県北出身で途中から県南へ在住~もう一人は岡山県出身ではないから、岡山に観光は止めようと言わず後楽園や美観地区へお気軽にお越しくださいね。 岡山市と県庁は悪評の払拭にすぐ動かないと、秋の行楽シーズンから観光客数がガタ落ちになります。

    さて、話は戻りますが建設現場時代の仕事で一般の人に馴染みがある場所は、山陽自動車道の倉敷~岡山間のトンネル内の電気の保守管理、瀬戸大橋のボルトやナットの緩み検査、山頂にある鉄塔の配線や保守管理、岡山天満屋の配線工事や保守管理、ダム建設やビル建設、こんなところだとイメージしやすいと思います。

    岡山天満屋へ工事に行った時は天満屋の担当者が何かあればすぐに怒鳴りつけるし、1Fの化粧品売り場のところを作業着にヘルメット、更にスキンヘッドに眉毛無しで工事用具を持っていたので、大勢の女性店員さんからの視線が痛くて思い出したら情けなくなります。 (苦笑)

    あの時は建設現場で働かなくても県南に出ていれば、コンビニがたくさんあるのだから時給700円で8時間働くと一日5600円、それを1ヶ月フルで働くと16.8万円だから危険な職場で9万円より良かったことを、N市のIさんに指摘されてから気付いたのが私の間抜けなところです。

    人と人との出会いとは縁ですが、その縁を結ぶ為にはホンの少しの勇気も必要、県北時代の私には勇気も知恵も行動力もなかった、それが悔やまれる所ですが悔やんでも時間は戻らない、だからこそ今はやりたいことが思い浮かんだらすぐにやる、素敵なお客様に喜んでもらえるなら必ず取りかかる、行動して後悔より行動しない後悔の方が痛いと考えています。

    東京出張を定期的に始めたのが2008年で途中から月に2回の東京出張、更に飛行機の便があった時には札幌出張など、成功とか失敗とか言う前にやってから考えようと、行動しない自分を方が恥ずかしいと思い行動するのが優先です。

    後になってから「あの時、やっておけばなぁ~。」と言うのは嫌なのでたった一度の人生、それも五体満足で日本に生まれると言うチャンスを頂いたのに、何もしないのは本当に情けなく感じてしまった過去の自分、あの時の自分に会えるなら「勇気を出して動け」と言いたいのです。

    だからコンサートにしても県北時代は行ったことが無い、その後悔は今だから余計に気付けるので東京出張の時は都合が付けば行く、特に東京ドームや武道館や横アリなど大会場は出来るだけ行くようにして、今までの分を取り返したいと後悔先に立たずを地で行くような状態です。

    やらないと後悔する、だからこそチャンスがあれば動くようにする、そうしないと後であれこれ考えてもどうにもならないからです。

    なお、デジカメの小部屋を今日か明日には更新しますが、今回の画像は6月1日(金)のブログにて説明します。 それまでの間に画像を隅から隅までよく見て、その写っているモノの説明も兼ねていますので、しばらくお待ちくださいね。

    あなたは動ける時に動かず、後悔したことはありますか?

    うふ♪(* ̄ー ̄)v
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