
おはようございます。 素敵な青空は今日も日本中へ広がっていますが、この青空を未来の子供たちへ残すのは大人たちの役目です。 大人たちが美しい日本を破壊して子どもたちへ尻拭いさせる、そんな未来を後世へ残すのは今の大人たちが未来で非難されても仕方がありません。
人は自分の価値観を押し付けてしまうモノですが、それは間違いの元となることが多いので気をつけたい部分です。 価値観と言うのは個人個人の差があるので、それを人へ押し付けてはいけないのに、人はついつい押し付けてしまうことがあります。
押し付ける例えで言うなら、世間で意外と多いのが「鍋奉行」と言うやつで、この鍋奉行とは鍋料理においては兎角一家言ある人のことを言います。
例えば、出汁の量や具材を入れる順序や位置に火加減など、非常に細かく指定して仕切る人が鍋料理では見受けられます。 このような人物を「鍋奉行」と称するのですが、時代劇でとかく権力を振るう役回りの「奉行(町奉行や勘定奉行など)」をもじって、周りにはた迷惑な存在であると言う意味を含んだ呼称です。
鍋料理は地域の差や個人差によりやり方の違いがあるはずなのに、これが正しいとばかりに自分の頭の中にある考えしか認めない、自分の価値観を押し付けて満足している幼稚な考えは大人げないと言います。
なお、鍋奉行と言う言葉以外に「鍋将軍(なべしょうぐん)」と言うのもありますが、これは奉行よりも厳しいと言う意味で使われますが、鍋料理の場で少しでも自分のやり方に反する行為があったり、自分のやり方に意見されると激怒する人のことを言います。
奉行より権力があり逆らうことができないと言う意味から「将軍」をもじっているのですが、ここまで来ると人に嫌われても仕方が無いレベルです。
ちなみに「アク代官(あくだいかん)」とは、鍋料理において上に浮く灰汁をすくい取る作業を担当する人のことで、「待ち奉行(まちぶぎょう)」や「待ち娘(まちむすめ)」と言うのは「鍋奉行」とは逆にほとんど手を出さず、ひたすら食べられる時が来るのを待ち、おいしくできた鍋を楽しむだけの人のことを言います。
主に男性を「待ち奉行」で~女性を「待ち娘」と呼び、それぞれ「町奉行」「町娘」のもじりですが、以上のことが自分の価値観を押し付けると言う行為を如実に表している例えです。
人の脳は体験しないことは思い付かないのですが、脳は甚大なる容量を持った記憶回路なので、何も無いところから生み出す創造力は少ないです。 それなのに色々なことが発見されたり思いついたりされるのは、それは体験や経験などの積み重ねの中から色々なことを組み合わせて、「はっ!」と思い付くのがアイディアです。
これはやってみれば分かるのですが、全く知らない人と対面して相手の情報が何も無い状態で、30分と言う時間を話し続けることができるかどうかやってみると、普通はまず無理で人間の脳は経験したことを基にしたこと以外の話はできません。
霊視カウンセリングで難しいと思うのは、視えている説明はできるけれど体験したことが無い、そのバーチャルな部分と現実の部分で判断に迷うことがあります。 視えているから自信を持って説明できる訳ではなく、体験していない分はマイナスとして怖々説明することになります。
その良い例が合コンへ行ったことが無いけれど、合コンにおける男性心理はまぁまぁ近いはずで、それはN市のIさんから「あれは正解」とお墨付きを貰っているからで、そうなると事実であると言う体験が積み重なりバーチャルだけど真実と言うことになります。
また、新年会へ一度も参加したことが無いけれど自分で主催、それにより1回1回と体験ができて視えている部分とのすり合わせが少しずつできます。 それでも色々な場所で色々なケースで行うことが更に勉強となるので、新年会は全く違う場所で全く違う状況で開催することが体験となります。
それから視え方も精神状態で少し違ってくるのですが、TVなどで福島第一原発の内部がロボットで撮影されて公開され始めていますが、あれをブログ(2011年3月11日以降)と照らし合わせれば、ほぼ被害状況や内部状態が一致していることが分かって頂けると思います。
これは危機感により研ぎ澄まされて手に取るように分かる感覚と言うか、視ようと集中すれば福島第一原発内部が手に取るように視えたと言うか、今から思えば県北でいじめられたり襲われたりする時の危機を察知して逃げる時の精神状態と同じ感覚でした。
県南で生活していると平和で安全だから精神的に落ち着いて、平和ボケしていたのを震災により叩き直されたのかもしれません。
人の価値観と言うのは体験してきたことが積み重なり出来上がってしまうと、それ以外は認められなくなり正しいはずだと信じているけれど一抹の不安がよぎる、そんな価値観を大切にしすぎて人間関係にヒビを入れてしまうようだと、それは人生を不幸にしてしまうのかもしれません。
あなたは価値観の差を、どうやって埋めて行きますか?
ヽ(  ̄д ̄;)ノ ハラヒレホロヒレハレーー
人は自分の価値観を押し付けてしまうモノですが、それは間違いの元となることが多いので気をつけたい部分です。 価値観と言うのは個人個人の差があるので、それを人へ押し付けてはいけないのに、人はついつい押し付けてしまうことがあります。
押し付ける例えで言うなら、世間で意外と多いのが「鍋奉行」と言うやつで、この鍋奉行とは鍋料理においては兎角一家言ある人のことを言います。
例えば、出汁の量や具材を入れる順序や位置に火加減など、非常に細かく指定して仕切る人が鍋料理では見受けられます。 このような人物を「鍋奉行」と称するのですが、時代劇でとかく権力を振るう役回りの「奉行(町奉行や勘定奉行など)」をもじって、周りにはた迷惑な存在であると言う意味を含んだ呼称です。
鍋料理は地域の差や個人差によりやり方の違いがあるはずなのに、これが正しいとばかりに自分の頭の中にある考えしか認めない、自分の価値観を押し付けて満足している幼稚な考えは大人げないと言います。
なお、鍋奉行と言う言葉以外に「鍋将軍(なべしょうぐん)」と言うのもありますが、これは奉行よりも厳しいと言う意味で使われますが、鍋料理の場で少しでも自分のやり方に反する行為があったり、自分のやり方に意見されると激怒する人のことを言います。
奉行より権力があり逆らうことができないと言う意味から「将軍」をもじっているのですが、ここまで来ると人に嫌われても仕方が無いレベルです。
ちなみに「アク代官(あくだいかん)」とは、鍋料理において上に浮く灰汁をすくい取る作業を担当する人のことで、「待ち奉行(まちぶぎょう)」や「待ち娘(まちむすめ)」と言うのは「鍋奉行」とは逆にほとんど手を出さず、ひたすら食べられる時が来るのを待ち、おいしくできた鍋を楽しむだけの人のことを言います。
主に男性を「待ち奉行」で~女性を「待ち娘」と呼び、それぞれ「町奉行」「町娘」のもじりですが、以上のことが自分の価値観を押し付けると言う行為を如実に表している例えです。
人の脳は体験しないことは思い付かないのですが、脳は甚大なる容量を持った記憶回路なので、何も無いところから生み出す創造力は少ないです。 それなのに色々なことが発見されたり思いついたりされるのは、それは体験や経験などの積み重ねの中から色々なことを組み合わせて、「はっ!」と思い付くのがアイディアです。
これはやってみれば分かるのですが、全く知らない人と対面して相手の情報が何も無い状態で、30分と言う時間を話し続けることができるかどうかやってみると、普通はまず無理で人間の脳は経験したことを基にしたこと以外の話はできません。
霊視カウンセリングで難しいと思うのは、視えている説明はできるけれど体験したことが無い、そのバーチャルな部分と現実の部分で判断に迷うことがあります。 視えているから自信を持って説明できる訳ではなく、体験していない分はマイナスとして怖々説明することになります。
その良い例が合コンへ行ったことが無いけれど、合コンにおける男性心理はまぁまぁ近いはずで、それはN市のIさんから「あれは正解」とお墨付きを貰っているからで、そうなると事実であると言う体験が積み重なりバーチャルだけど真実と言うことになります。
また、新年会へ一度も参加したことが無いけれど自分で主催、それにより1回1回と体験ができて視えている部分とのすり合わせが少しずつできます。 それでも色々な場所で色々なケースで行うことが更に勉強となるので、新年会は全く違う場所で全く違う状況で開催することが体験となります。
それから視え方も精神状態で少し違ってくるのですが、TVなどで福島第一原発の内部がロボットで撮影されて公開され始めていますが、あれをブログ(2011年3月11日以降)と照らし合わせれば、ほぼ被害状況や内部状態が一致していることが分かって頂けると思います。
これは危機感により研ぎ澄まされて手に取るように分かる感覚と言うか、視ようと集中すれば福島第一原発内部が手に取るように視えたと言うか、今から思えば県北でいじめられたり襲われたりする時の危機を察知して逃げる時の精神状態と同じ感覚でした。
県南で生活していると平和で安全だから精神的に落ち着いて、平和ボケしていたのを震災により叩き直されたのかもしれません。
人の価値観と言うのは体験してきたことが積み重なり出来上がってしまうと、それ以外は認められなくなり正しいはずだと信じているけれど一抹の不安がよぎる、そんな価値観を大切にしすぎて人間関係にヒビを入れてしまうようだと、それは人生を不幸にしてしまうのかもしれません。
あなたは価値観の差を、どうやって埋めて行きますか?
ヽ(  ̄д ̄;)ノ ハラヒレホロヒレハレーー
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