徒然草(占い・岡山・東京・霊視)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    西野神社。

    おはようございます。 無事に札幌より帰ってきましたが、「寒かったぁ~!」ではなく「暑かったぁ~!」です。 町を歩く男性などはトレーナーなど薄着の人が多く、私も薄着で行って正解でした。 寒かったのは夜10時頃から明け方くらいで、日中は観光客の方もコートを脱いでいた人が多かったです。

    次回は来年ですがお客様より「12月~2月の北海道の雪は半端じゃないから、止めといた方が良いと思います。」と聞いていたのと、仮に出張しても私は行けるけれどもお客様が札幌会場へ来れない場合もあります。

    2010年は3月14日&15日の2日間から始めますが、北海道の自然をなめてはいけないと実感することが雨でも雪でも多いです。 (苦笑)

    さて、今回は鑑定以外では西野神社と言うところへ行ってみたのですが、ココは縁結びや商売繁盛などで有名な?神社らしいです。 二日目の朝に鑑定までの時間を利用して行ってきたのですが、行きはJRとバスを利用して、帰りはバスと地下鉄を利用して行って来ました。

    JR琴似駅を利用して行った場合はバスの本数も少ないので、発寒南駅前から出る便が最も多いのでコチラの方がお勧めです。 私は知らずに琴似駅から行ったので、最初は40分くらい待つこととなりました。 帰りは発寒南駅までバスで行ったので、札幌駅前まで地下鉄利用であっという間でした。

    なお、札幌の地下鉄は日本全国の地下鉄の中で一番車幅が広いのですが、車体のふくらみもあって相当広く感じます。

    では、西野神社の説明に戻りますが、ここは北海道札幌市西区に鎮座する神社です。 札幌市西区の西野&平和&福井の3地区を氏子区域として、豊玉姫命と鵜草葺不合命と譽田別命の三柱を御祭神としてお祀りしてあり、特に主祭神である豊玉姫命は縁結び~安産~育児の神様として有名で北海道区域内外からも広く信仰を集めています。

    ここで全国的にも有名なのは3月(ひな祭りの直後の日曜日)に執り行われる、人形供養祭(人形清祓・お焚き上げの神事)です。

    西野神社の由緒についてですが、西野地域の開拓は明治18年に故郷から産土神を抱いて渡道した五戸の入植者達によって開始されました。 この五戸の人々が開拓の守護神として三柱を奉斎する小祠を、当時の西野地域の中心とおぼしき所に建立したのが西野神社の始まりとされています。

    そして明治32年1月に右股(現在の平和地区)~左股(現在の福井地区)~広島(現在の西野地区)の各集落の小祠を合祀して、西野全域統合の神社として社号を西野神社としました。

    今の西野神社は昔と建物が違うのですが、大正5年に社殿が新築されてから50年もの年月が経って社殿の老朽化が著しく進んでいたことから、昭和42年に半世紀ぶりに社殿が建て替えられました。

    実は西野神社は出世魚のごとく姿を変え続けているのですが、昭和58年には幣殿の造営~拝殿の増築~神饌所の増築~社殿の屋根の銅板による葺き替え~回廊や欄干の増設、その後も社務所の新築~神札所~物置~渡り廊下の改築~ガレージの移設~手水舎改装等の工事なども行われました。

    これにより昔と今では境内地の様相が一新されたのですが、更に平成7年には授与所が新築されて、またまた平成17年には拝殿の向拝と境内の参道への御影石敷設が行われたのです。 ところがこれに留まらず、第三駐車場の開設や拝殿向拝への木彫取り付け、神輿殿の新築~各種樹木の植樹などが行われて、境内の風景は現在も変化を続けているのです。

    私が訪れた時も参道の右手にユンボやダンプが入って大掛かりな工事をしていたので、開発とリフォームが著しく行われる神社でもあります。

    なお、トリビアとしては平成18年に発刊された平和第二町内会創立40周年記念誌に掲載された「古老の談」によると、西野神社は奥地だからという理由で過去に一度だけ神社を移転しようという話が出たことがありました。

    その時に西野神社の御祭神から「移転はいやだ」という託宣が下されたので、移転の話は取り止めになったという話もまことしやかに言い伝えられているそうです。

    ちなみにココの神社は商売繁盛ではなく商売上手だとも言えるのですが、ココのお守りは「ケロロ軍曹」や「リラックマ」が御守りとしてあるのです。 神聖なる御守りにキャラクターを早々と使う辺りは商才発揮と言う感じで、ココの宮司さんや氏子さんたちは自由な発想で素晴らしいと思います。 (笑)

    あなたは西野神社に、行ってみたいと思いますか?

    ☆^(o≧▽゚)o ニコッ!
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