徒然草(岡山・東京・山崎かずみ)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    やらない善とやる偽善。

    おはようございます。 急な話ですが広島出張が決まり、10月3日(日)の午後より、広島市中区にて出張鑑定をします。 広島での鑑定は久しぶりなので、素敵なお客様とお会いできることをワクワクドキドキしながらお待ちいたしております。 (広島出張は、予約の受付中です。)

    人は生きていると辛いことも嬉しいこともありますが、それが自分を励ます要素になることも多いです。 人からの励ましは力になるけれど一時的なことが多く、それに引き換え自分が成し遂げたことに関してはパワーが持続します。

    必ず笑える日が来ると今日を信じていればあきらめずに済みますが、そう信じる為には自分の中に一本の筋が通った何かかが必要となります。

    一人で見る夢は単なる夢にすぎませんが、誰かと見る夢は現実となります。 誰かと喜びを分かち合う時には自分だけの時よりも価値が上がり、誰かと一緒にいるからこそ思い出させてくれることが願いが叶う為に必要な勇気となります。

    人は誰しも自分の行動や考えを批判されると落ち込んでしまうものですが、それは100人中99人が褒めてくれても1人が貶してくると、その1人が言った言葉の方が胸に突き刺さります。 本当は100人中99人が支持してくれていると言う事実があるのに、たった1人が貶すことで全てを覆すほどの大ごとに感じてしまうのは心の弱さなのです。

    私も寄付をしていることを公表しているが故に、「本当の寄付とは、人知れずやるものだ」とか「寄付を自分から言うなんて厚かましい偽善者」など、色々な言葉を投げかけてくる人が昔はいたので今日は偽善と言うことについて書いてみたいと思います。

    偽善とは「善であると偽ること」を言い、これを行う者が偽善者と呼ばれます。 表面的には善い行為に見えるのですが、それが本心や良心からではなく虚栄心や利己心などから行われることを主に言います。

    世間的には偽善と同義語として腹黒いとかゴマすりとか食わせ物などと言われることもあり、偽善者と偽君子(ぎくんし)& 似非君子(えせくんし)を混同して使われている場合など、偽善者の定義はその時の感情などにもよるのでいちいち相手にしてはいられない言葉でもあります。

    この偽善と言う言葉の語源はギリシャ語の「舞台の見せかけの役」から来ている言葉で、英語のhypocriteは「見せかけの役を演じる役者」との意味で、心の底からやりたい役ではないことから「偽善者」と言う意味になったようです。

    偽善とは人それぞれの取り方でもあるのですが、自分偽善者だと考える人は表面的には善に見せかけていても内面は悪であると思い、自己の善性に対する疑惑から偽善を生み出す場合もあります。

    そして自分ではなく他人を「偽善者」と非難する人が意外と多いのですが、表面的には善と見せかけているけれど内面は悪だと見抜いているなどと思いこんでいる人と、善行に対する思慮の浅さを指摘する評論家的な場合と二つの非難があります。

    非難する時に「あいつの本質は悪だ!」と言う感じで決めつけるのであれば、「その人の内面をどうやって外から分かるのか?」と言う部分が抜け落ちていると思うのです。 その人の内面も理解せずに非難しているだけでは、その人の心の中を邪推するだけでひがんでいるだけと言うことになりかねません。

    また、善行をしたのは良いけれど余り良い結果にならなかったという場合、それを次へ繋げる財産や経験とするのであればいいけれど、他人の手柄を僻んで貶すのは褒められた行為ではありません。

    以上は人間的な偽善についてあれこれ解説しましたが、運命的に偽善と判断されることは隠しても隠しきれません。 ようは目立つところでは善いこと言ったり行ったりしていても、一皮むけば目立たないところで悪事を働いてプラスよりもマイナスが大きい害悪レベルになると天罰は下ります。

    こうした表面上の善こそが「きれいごと」で、実は社会的に善行として評価されているのはこちらの場合が多いです。 分かりやすいのは企業やお店によるボランティア活動や寄付ですが、本当に世の為人の為になるのであれば潰れるはずがありません。

    いくら多額の寄付をしている企業でも社員を泣かせているようでは本末転倒であり、ボランティア活動をしていてもTVカメラの前だけの宣伝行為では潰れても仕方がありません。 岡山県庁へTVカメラを呼んで宣伝になるなら寄付をする、そんな企業やお店では何かが違うと思うのです。

    私がHPで寄付している先を書いているのは「偽善」だと以前はよく非難されていましたが、寄付している先を明記することで「私も寄付を始めよう!」と寄付やボランティアに興味を持ってくださる方が多いので、HPへ寄付やボランティアのことを書いているのは決して無駄ではありません。

    私は「やらない善よりやる偽善」と言う考え方なので、アフリカの子供たちやお越しくださる素敵なお客様方が評価してくださる、そのことが私にとって何十倍も感動と勇気と力を与えてくださるのです。

    あなたはやらない善とやる偽善、どちらが好みですか?

    ヽ( ̄ ̄∇ ̄ ̄)ノ ランラン♪
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