徒然草(占い・岡山・東京・霊視)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    地名の由来。

    おはようございます。 私は一昨年末のブログで倉敷ルブランの閉鎖を明言していましたが、昨年末も岡山でヤバい企業があることを書いていました。 残念ながら当たらなくてもイイことはよく当たるのですが、林原が「事業再生ADR」を受理されて負債総額は約1400億円です。

    あの林原でさえも事実上の倒産ですが実は県内の某販売大手も危なく、社長&役員は「何をのんびりしているのか!」と思います。 この企業と私は関わっていないから何もできませんが、私と縁がある会社はドンドンと発展して笑顔が増えるお手伝いができればと思います。

    今日も素敵なお客様の笑顔には幸せが隠れていて、辛くても悲しくても前向きに生きていける、そういう天からの助けがきっと入るはずです。 風がそよぎ~雨が降りそそぎ~そして晴れ渡るのが青空で、紆余曲折色々あるからこそ晴れ渡る青空が快適なのです。

    その青空を見つめるには大地がしっかりしていないといけないのですが、今日は大地と言うことで地に関すること~地名について考察していきたいと思います。 土地の由来と言うべき地名は、それなりの理由があって付けられています。 知らなくても良いけれど知っていれば面白いので、知識として思っておけばさらなる広がりを見せるかもしれません。

    昨年のNHK大河ドラマ「坂本竜馬」にも関係のある東京都の「立会川」と言う地名は、罪人が処刑される前に川を挟んで最後の別れをした場所、家族や恋人などと今生の別れとして最後に立ちあった場所、それが川を挟んでいたことから「立会川」と呼ばれるようになったのです。

    中央区「八重洲」は徳川家康の外交顧問だったヤン・ヨーステンの屋敷に由来して八重洲ですし、中央区「佃」は家康が摂津佃島の漁民に土地を与えて独占的漁業権を許可していたことから佃です。

    千代田区「有楽町」は織田信長の弟の茶人有楽斎の屋敷が有ったから有楽町ですし、千代田区「紀尾井町」は紀州藩上屋敷(赤坂プリンス)~尾張藩下屋敷(上智大学)~井伊藩中屋敷(ニューオータニ)などの屋敷があったので頭文字を取り「紀尾井町」です。

    港区「浜松町」は浜松出身の権兵衛が名主になったから浜松町ですし、港区「麻布十番」は延宝3年に古川の改修工事の第十工区だったからで、港区「北&南青山」は関東総奉行青山忠成の屋敷に由来します。

    新宿区「箪笥町」は幕府の武器弾薬を扱う具足奉行や弓矢鑓奉行の同心組が拝領したからで、新宿区「市谷鷹匠町」は鷹の飼育や訓練を行った御鷹匠組頭の屋敷があったからです。

    新宿区「納戸町」は将軍家の衣服調度や出納管理の役職の屋敷があったからで、新宿区「細工町」は朝廷への献上品や殿中での調度品の管理を行う御細工方同心の屋敷があったからです。

    目黒区「洗足」は日蓮上人が洗足池で足を洗ったことから始まり、台東区「蔵前」は幕府ご用蔵の前だったからで、台東区「上野」は伊賀上野の領主藤堂高虎が地形が伊賀上野に似ていることから付けました。

    中央区の日本橋にかかる「一石橋」は対岸に屋敷を構えていた金座の後藤家と呉服商人の後藤家が、五斗と五斗を足して一石となることから洒落で一石橋と名付けられました。 皇居の中にある「二重橋」は堀が深いので橋桁を二重にしていたことから呼ばれるようになり、今はもう現存していませんが「数寄屋橋」は御数寄屋衆の拝領屋敷があったからです。

    JRの駅名として残る中にも由来は数々あり、JR「御徒町」駅は御徒組屋敷が有ったからですが、幕府の役職名の御徒で「御」の文字が地名として残っていることは珍しいようです。

    次にJR「御茶ノ水」駅ですが、こちらは高林寺境内の名水を御茶用に将軍家へ献上したことから御茶ノ水で、先ほどの御徒町もそうですが御茶ノ水にもある「御」の字は将軍と言う意味です。

    そしてJR「秋葉原」駅は秋葉原一帯が神田佐久間町と言われた火除け地で、火除けの秋葉神社が祀られていたことによるものです。 最後に地下鉄の「半蔵門」駅ですが、ここは単純明快に服部半蔵の忍者団が門を警護していたことから、服部半蔵が護衛していた門だから半蔵門です。

    地名の由来と言うのはなかなかに奥が深いのですが、これは気にするかどうかで奥の深さが変わります。 気にならない人は面白くないことですし、「へぇ~」となる人には面白い話です。

    なお、倉敷と言う地名の由来は「商業で栄えたから蔵屋敷が立ち並んだので、蔵屋敷が転じて倉敷となった」と云われていますが、実は蔵屋敷が立ち並ぶ江戸時代より前から倉敷は存在していました。

    倉敷村が誕生したのは戦国時代から安土桃山時代の間(1565年~1585年)で、「蔵敷」とか「倉輔」などとも書かれ、倉とは船蔵屋敷や水夫屋敷のことを指すとする説が歴史家の間では有力です。

    他にも1940年に児島郡の宇野町と日比町が合併して玉野市が出来たのですが、玉野の由来は日比町の人口と経済の中心地となっていた地区名の「玉」と、宇野町の「野」を組み合わせて玉野と命名されました。

    あなたは地名の由来を、面白いと思いますか?

    ヾ(@^▽^@)ノわはは
    関連記事

    PageTop