
おはようございます。 毎日朝起きれるのは幸せなこと、目が見えて手足が動いてと自由自在なのは奇跡、それを当たり前に思う気持ちが傲慢や怠惰を生みますが、物事は全てに感謝、ありがとうの気持ちがあれば物事は全てを丁寧に扱えます。
さて、そうは言っても嫌がらせをしてくる人は後を絶ちませんから、人と人が仲良くできたらいいのに仲良くできずに恨みに思うこともしばしばあり、どうしても嫌な人を呪いたい気持ちもわかります。
呪うと言っても相手に直接ダメージを与えることを目的とした呪詛は、呪が祭祀を行う人が願い事を唱えている様子を表し、詛は祭壇に向かって誓いの言葉を読み上げることを言います。
ちなみに祝と呪は似ている漢字ですが、祝と呪に共通する兄は頭に冠を被った祭司を意味しますが、祝の祭司は神に向かって祈ること、呪の祭司は呪文を唱えることです。
つまり、幸福を神に祈り頂いた幸を喜んでお礼を言うのが祝、他人の不幸を願う場合は神に向かって祈願はせず、呪いの言葉を唱えると言う違いがあります。
呪詛では捧げ物をして取引の誓いをしますが、詛は祭壇に向かって誓いの言葉述べている様子を表しているので、他人を不幸にする神様へ捧げ物をして、願いを叶えてくれたら必ず〇〇しますと言う誓いの言葉を述べますから、呪詛は呪文と捧げ物と言う成功報酬タイプのお願いを悪魔とするようなものです。
このように漢字の語源から見ると呪詛に必要なのは呪文とお供物で、もしも願いを聞き届けてくれたら必ず〇〇すると言う成功報酬、これを約束することで邪悪な何かが願いを叶えてくれると言うのが呪詛と言えます。
注:日本で呪詛しても罪になりませんが、呪詛を依頼したとか不気味な物を送りつけて呪詛したと言えば脅迫罪になります。
昔の日本でも現代的な法律が整備される前は何度も呪詛禁止令が出ていたそうで、禁止しても呪詛を行う人が絶えなかったようです。 本来の呪詛はプロが報酬を得て悪魔に相手の不幸を願う方法ですが、日本では呪詛を実行するプロと言えば陰陽師や密教僧です。
小説や映画でもお馴染みの陰陽師や密教僧ですが、表立っては呪詛を受け付ける訳ではなく政治家やお金持ちからの依頼を秘密厳守で受けます。 表向きは人を正しく導く僧侶ですが、呪術を行う僧侶方は悪業を背負った人を悪業から断ち切る為、それには死んで輪廻転生して貰うのが一番と言う考え方です。
例えば、護摩焚きは依頼された相手に死をもたらす呪文を唱え、あの炎の中に念を込めて天界へ伝えると言えます。
一応、呪詛を行えるプロになるなら厳しい修行を積んで師匠から秘法を会得となりますが、現代では呪詛を行える陰陽師や僧侶はほぼいないけれど、その代わりに占い師や霊能者が台頭してきていますが、民間だけあって偽物と本物が入り混じっています。
しかし、呪いの需要が減った訳ではなく現代社会においてストレスは増加の一途、平安時代は陰陽師がいましたが江戸時代からは自分でする呪いの丑の時参り、これは俗に言う呪いの藁人形でプロの手を借りずに自分でやる呪いです。
素人がやる呪いをまじないと呼びプロが行うのを呪詛と呼びますが、素人でも出来る呪いは少しくらいなら効果はありますが、相手にお仕置きするレベルならプロがやる呪詛だけです。
今ならネット検索したら呪術代行業者が存在しますが、あれは100%偽物で何の効果もないからお金の無駄です。
詐欺師だから依頼を受けても何もしない、偶然に物事が好転して解決するのを呪術や魔法と言っているだけ、仮に上司を呪っても上司が風邪で寝込んだら呪詛が効いたと勝手に依頼者が思うだけです。
大抵は叶うまでに半年から1年と言いますが、半年から1年の間に全く不幸な出来事が無い人はいないから、大なり小なり何らかの不運な出来事は一度や二度はあるので、そういう偶然に起きたことを呪術や魔法のせいかとするインチキ業者がネットでは100%です。
1=口外したらダメ・2=効果は半年から一年かかる、この二つのうち一つでも当てはまる業者は偽物、私は術をするなら口外しても良いと言いますし成果は1か月ほど様子見と言いますが、1か月以内に何も起きなければ他の方法をしないと時間の無駄になります。
なお、もしかして呪詛されているかも?と気になるなら、本物の霊能者に処置して貰うべきですが私ならお祓いや九字切りで呪詛を跳ね返します。 私自身も自分で自分に九字切り(くじきり)をして、身に付いている不運や悪意を除去していますから、九字切りが使えない霊能者は呪いや悪意がたまる一方で人相が悪くなっていきます。
呪詛されている場合の初期症状は居眠りが起きる&気分が落ち込むで、いつも居眠りをしているのは呪詛の初期症状で、その人の生気を徐々に奪い取っていく現象が起きているから眠くなります。
それが続くと気力と体力が落ちて病気への抵抗力が減り、普段なら平気な風邪や胃炎が置き始めて体調不良が続き、酷い場合は集中力が無くなり車の事故に巻き込まれて死んでしまう、そういうこともあると思います。
人を呪わば穴二つ、これは嘘だと断言できますが、自分がやられたからやり返す場合は返りはなく、私が呪詛を引き受ける場合も事情をお伺いしてからですが、過去に返りがあったことは一度もありません。
また、呪詛は相手を憎む気持ちが反映されるので憎む度合いが100と30では100の方が効き目が強く、そこまでしなくてもと言う気持ちがあるなら効き目は弱いです。
なお、最高の呪詛は何もしなくても運命が天罰を与えることで、あなたに嫌がらせをした人には自動的に天罰が当たると言うのが最高の呪詛、徳を積んで天に味方して貰い自分が知らない間に相手に災難が降りかかるのが最高の呪詛です。
例を出すと先週のブログに書いた新年会を潰した人たちの場合、私が何もしなくても永遠に天罰が当たり続けると思います。
あなたは呪詛、やってみたいですか?
(°д°)
お知らせ:ブログの更新はお休み、再開は来週の予定、素敵なお客様に御支援と御愛顧頂ける、そんな奇跡に感謝の気持ちで一杯です。 いつも御予約頂き、本当にありがとうございます。 m(__)m
予約専用電話:090-4690-4618
予約受付日時:火・水・木の夜8~10時
東日本の方は東京事務所へ、
西日本の方は倉敷事務所へ、
予約をお入れ下さいませ。
鑑定は年中無休で、365日鑑定しています。
さて、そうは言っても嫌がらせをしてくる人は後を絶ちませんから、人と人が仲良くできたらいいのに仲良くできずに恨みに思うこともしばしばあり、どうしても嫌な人を呪いたい気持ちもわかります。
呪うと言っても相手に直接ダメージを与えることを目的とした呪詛は、呪が祭祀を行う人が願い事を唱えている様子を表し、詛は祭壇に向かって誓いの言葉を読み上げることを言います。
ちなみに祝と呪は似ている漢字ですが、祝と呪に共通する兄は頭に冠を被った祭司を意味しますが、祝の祭司は神に向かって祈ること、呪の祭司は呪文を唱えることです。
つまり、幸福を神に祈り頂いた幸を喜んでお礼を言うのが祝、他人の不幸を願う場合は神に向かって祈願はせず、呪いの言葉を唱えると言う違いがあります。
呪詛では捧げ物をして取引の誓いをしますが、詛は祭壇に向かって誓いの言葉述べている様子を表しているので、他人を不幸にする神様へ捧げ物をして、願いを叶えてくれたら必ず〇〇しますと言う誓いの言葉を述べますから、呪詛は呪文と捧げ物と言う成功報酬タイプのお願いを悪魔とするようなものです。
このように漢字の語源から見ると呪詛に必要なのは呪文とお供物で、もしも願いを聞き届けてくれたら必ず〇〇すると言う成功報酬、これを約束することで邪悪な何かが願いを叶えてくれると言うのが呪詛と言えます。
注:日本で呪詛しても罪になりませんが、呪詛を依頼したとか不気味な物を送りつけて呪詛したと言えば脅迫罪になります。
昔の日本でも現代的な法律が整備される前は何度も呪詛禁止令が出ていたそうで、禁止しても呪詛を行う人が絶えなかったようです。 本来の呪詛はプロが報酬を得て悪魔に相手の不幸を願う方法ですが、日本では呪詛を実行するプロと言えば陰陽師や密教僧です。
小説や映画でもお馴染みの陰陽師や密教僧ですが、表立っては呪詛を受け付ける訳ではなく政治家やお金持ちからの依頼を秘密厳守で受けます。 表向きは人を正しく導く僧侶ですが、呪術を行う僧侶方は悪業を背負った人を悪業から断ち切る為、それには死んで輪廻転生して貰うのが一番と言う考え方です。
例えば、護摩焚きは依頼された相手に死をもたらす呪文を唱え、あの炎の中に念を込めて天界へ伝えると言えます。
一応、呪詛を行えるプロになるなら厳しい修行を積んで師匠から秘法を会得となりますが、現代では呪詛を行える陰陽師や僧侶はほぼいないけれど、その代わりに占い師や霊能者が台頭してきていますが、民間だけあって偽物と本物が入り混じっています。
しかし、呪いの需要が減った訳ではなく現代社会においてストレスは増加の一途、平安時代は陰陽師がいましたが江戸時代からは自分でする呪いの丑の時参り、これは俗に言う呪いの藁人形でプロの手を借りずに自分でやる呪いです。
素人がやる呪いをまじないと呼びプロが行うのを呪詛と呼びますが、素人でも出来る呪いは少しくらいなら効果はありますが、相手にお仕置きするレベルならプロがやる呪詛だけです。
今ならネット検索したら呪術代行業者が存在しますが、あれは100%偽物で何の効果もないからお金の無駄です。
詐欺師だから依頼を受けても何もしない、偶然に物事が好転して解決するのを呪術や魔法と言っているだけ、仮に上司を呪っても上司が風邪で寝込んだら呪詛が効いたと勝手に依頼者が思うだけです。
大抵は叶うまでに半年から1年と言いますが、半年から1年の間に全く不幸な出来事が無い人はいないから、大なり小なり何らかの不運な出来事は一度や二度はあるので、そういう偶然に起きたことを呪術や魔法のせいかとするインチキ業者がネットでは100%です。
1=口外したらダメ・2=効果は半年から一年かかる、この二つのうち一つでも当てはまる業者は偽物、私は術をするなら口外しても良いと言いますし成果は1か月ほど様子見と言いますが、1か月以内に何も起きなければ他の方法をしないと時間の無駄になります。
なお、もしかして呪詛されているかも?と気になるなら、本物の霊能者に処置して貰うべきですが私ならお祓いや九字切りで呪詛を跳ね返します。 私自身も自分で自分に九字切り(くじきり)をして、身に付いている不運や悪意を除去していますから、九字切りが使えない霊能者は呪いや悪意がたまる一方で人相が悪くなっていきます。
呪詛されている場合の初期症状は居眠りが起きる&気分が落ち込むで、いつも居眠りをしているのは呪詛の初期症状で、その人の生気を徐々に奪い取っていく現象が起きているから眠くなります。
それが続くと気力と体力が落ちて病気への抵抗力が減り、普段なら平気な風邪や胃炎が置き始めて体調不良が続き、酷い場合は集中力が無くなり車の事故に巻き込まれて死んでしまう、そういうこともあると思います。
人を呪わば穴二つ、これは嘘だと断言できますが、自分がやられたからやり返す場合は返りはなく、私が呪詛を引き受ける場合も事情をお伺いしてからですが、過去に返りがあったことは一度もありません。
また、呪詛は相手を憎む気持ちが反映されるので憎む度合いが100と30では100の方が効き目が強く、そこまでしなくてもと言う気持ちがあるなら効き目は弱いです。
なお、最高の呪詛は何もしなくても運命が天罰を与えることで、あなたに嫌がらせをした人には自動的に天罰が当たると言うのが最高の呪詛、徳を積んで天に味方して貰い自分が知らない間に相手に災難が降りかかるのが最高の呪詛です。
例を出すと先週のブログに書いた新年会を潰した人たちの場合、私が何もしなくても永遠に天罰が当たり続けると思います。
あなたは呪詛、やってみたいですか?
(°д°)
お知らせ:ブログの更新はお休み、再開は来週の予定、素敵なお客様に御支援と御愛顧頂ける、そんな奇跡に感謝の気持ちで一杯です。 いつも御予約頂き、本当にありがとうございます。 m(__)m
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