徒然草(岡山・東京・山崎かずみ)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    仏の教え。

    おはようございます。 毎日が夢のように楽しい時間がある、それは元気で健康で無事に過ごせるなんて夢のよう、本当に素晴らしい毎日だと気付けば幸せも増えます。 戦争が起きたら平和のありがたみが分かるし、災害が起きれば何も起こらない幸せに気付ける、何も無いことこそ本当は幸せそのものです。

    そうは言っても生きていると色々なしがらみが発生して、そう簡単に物事が進まないこともしばしばですが、それでも前に進まないといけないのが人間が生きて行くと言うことです。

    人生は心の整理整頓が常にできていれば苦しまずに済むのですが、整理とは要不要なモノを分けることで、整頓とはその必要なモノを使いやすいように並べ直したりすることです。 世の中には部屋を汚くする人がいて、これが出来ないだけで本当は部屋は綺麗にできるものなのです。

    さて、今日は仏教から見た不倫や浮気についてですが、年末~4月~GWは飲み会が多いから、そこで社内の男性と浮気や不倫は多い時期です。 だから、そういうことをしていいかどうかを、日本における仏教的な見地から紐解いてみたいと思います。

    ただし、浮気や不倫をしている人にはその人なりの悲しみや苦しみがある、だから占い師としては中立でいないといけないから否定も肯定もできないのが現実です。

    さて、不倫は浮気と違って結婚している人が自分のパートナー以外と肉体関係に及ぶことで、昔は姦通とも言われ、これは昔からよくあることで不倫を迫られた女性の有名なエピソードもあります。

    ここから引用ですが、「平安時代の末期、遠藤盛遠が18才の春のこと。 摂州渡辺の橋供養で見かけた美しい女性に一目惚れ、身元を調べると名前は袈裟といい、すでに源渡の妻になっていました。 惚れ込んだ女性がすでに人妻とはとかなわぬ恋に苦しんだ盛遠は、耐え切れず袈裟の母親に会いに行きます。 無理は承知の上で妻に、お聞きいれ頂けないならみな殺し。 この非道な横恋慕に困った母親は、袈裟に打ち明けます。 驚き嘆く袈裟でしたが、お母さま、ご心配には及びません。 渡さまには申し訳ございませんが、私、盛遠さまの所へ参ります。 やがて盛遠を訪ね、結婚を控えた袈裟は、時々愁いを含んだ表情を見せます。 袈裟殿、どうかなされたか? はい、あなたから愛されるのは嬉しいのですが、 すでに夫がいることを思うと苦しくなります。 あの人さえいなければ。 そうかそうか、そんなことならわけはない。 私が解決して進ぜよう。 かくて袈裟と打ち合わせた盛遠は、源渡の寝室に忍び込み、寝首をかきました。 これで袈裟は晴れて私のものと、ほくそえんで月明かりで首を見てみると、なんと死ぬほど惚れた袈裟の首ではありませんか。

    ああ、何ということをしてしまったのかと深い後悔とともに出家、それが源頼朝の帰依を受けた真言宗の僧侶、文覚です。 やがて袈裟の手箱から、遺書が発見されました。 深い罪を持った私のために、多くの人が死ぬのなら、私一人が死にましょう。 ただ残されるお母さまが悲しまれることを思うと、傷ましく思います。 先立つことは悲しいことですが、仏になれば、必ずお母さまも渡さまも迎えに参ります。」

    以上のような逸話は昔からよくあり、武家の女性が不倫を迫られたら、このように振る舞うの妻の鑑とされたと記されています。 現在でも不倫は法律上でも違法行為で、慰謝料を請求されると何百万円も払わなければなりません。

    では、不倫について仏教ではどのように考えているのかです。 出家した僧侶の場合だと最初は戒律はなかったのに、お釈迦様が仏の悟りを開かれて13年目に男女問題が起こり、それによりできた戒律が出家の僧侶は男女の肉体関係を持ってはならないです。

    出家の僧侶は結婚しておらず男女関係は一切ダメ、この戒律は出家の人の二百五十戒の中で最も重いです。

    そして在家の人の場合はどうなるかですが、お釈迦様は在家の人の守る5つのルールである五戒の一つに不邪淫を教えられていて、この邪淫とは自分の結婚相手以外と肉体関係を持つことで、ようは不倫のこととされております。

    不倫をしたなら世の中でも不幸な報いを受け、死後の世界でも悪い報いを受けると教えられています。

    優婆塞戒経には不倫をした人は人を見ると疑いの心が起き嘘をつき、常に心が散り乱れて苦しみ悩んで善い行いができなくなり財産を失い、寿命は短くなり死ねば地獄に堕ちるとあります。

    仏教では他の過ちを見るなかれ、他のなさざるを責めるなかれ、己が何をいかになせしかを自らに問うべしとあります。

    私たちは他人の欠点はよく見えますが自分の欠点はなかなか分からない、ことわざにも他人のふり見て我がふり直せとありますが、自らを振り返ることが大切です。 そして仏教では口や身体で犯す罪より口や身体を動かしている心で犯す罪はもっと怖ろしい、仏教では心で思っただけでダメとあります。

    お釈迦様は、この世の人の姿をこのように教えられています。

    「常に淫猥なことばかり考え、愛欲の波は高く寄せかけ、寄せかけ、起つも坐るも、安らかでない。 女性の姿に眼を輝かせ、卑猥な行為を思いのままにしている。 我が妻をいとい憎んで、密かに他の女をうかがって煩悶している。」とあります。

    仏教を勉強すればするほどに今まで知らなかった自分の心が知らされてくる、仏教を勉強することで知らされる自分の心は法鏡と言われ、真実の自分の姿を映し出す鏡のようなものだとお釈迦様は語られています。

    鏡に近づけば近づくほど自分の姿がハッキリ見える、人は人のことばかりに目が行きますが、仏教を勉強すればするほどに自分の本当の姿に気付きます。

    お釈迦様は邪淫の罪について、このように教えられているようです。

    あなたは仏教的考え、どう思いますか?

    ☆ヽ(▽⌒*)よろしぅ♪

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