徒然草(岡山・東京・山崎かずみ)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    安倍晴明。

    おはようございます。 素敵なお客様方にお会いできる日常は素晴らしい、これ以上の幸せは無いし、もっと多くの人々を救える未来があるなら私は身命を賭したいと思います。

    さて、日本で一番有名な陰陽師は安倍晴明で、陰陽師が一般に知られるようになったのも晴明人気のおかげです。 晴明は平安の時代から数多くの物語や草子や絵巻などに登場していて、平安時代には大鏡や今昔物語集、鎌倉時代には宇治拾遺物語や平家物語、江戸時代には人形浄瑠璃や歌舞伎、古今東西の大スターとも言えます。

    物語の中の晴明は不思議な力を持ち合わせた超能力者、普通の人とは違う卓越した能力の持ち主として描かれています。

    母親はお稲荷さんの化身=信太森ノ社ノ老狐=キツネで、母と離れ離れになった晴明少年は大陰陽師の賀茂忠行の弟子となり修行に励む日々でした。 有名なシーンですが賀茂忠行の共をして出かけたところ百鬼夜行を目撃、忠行は晴明が自分と同じように鬼を見る力があることに驚き、自分の持てる技を伝授することになります。

    そして成人した晴明の力が世に示される事件、それは晴明が寛朝僧正を訪ねた際に数人の公達や僧侶たちに誹りを受けることになり、彼らの前で方術によってカエルを潰して能力を見せつけ、公達や僧侶は晴明の持つ神通力に恐れ慄き噂はあっという間に都中に広がったようで、伝説の中の晴明は陰陽界のヒーロー的存在です。

    実在の人物ではありますが、小説や映画と違う実際の姿を追いかけてみたいと思います。

    晴明が40歳の時に天文得業生になった時のこと、この時代の平均年齢は40歳に満たないので40歳とはかなり遅いです。 晴明の息子の吉平も同じ道ですが、彼は38歳の時に陰陽道を教える教官になっていますが晴明が教官になった年齢は58歳です。

    賀茂保憲が教官に昇進した年齢は26歳ですから晴明の58歳が特別に遅く、その後は66歳で天文博士となり各省を転々と異動したとされています。

    経歴だけを見ると晴明は出世が遅く弾き出された人に見えますが、陰陽寮を退職した後に特例として前天文博士と巧者に対する尊称を与えられ、天皇からの勅命で占いをしていることでも、占いに関しては天才的な才能を持っていたようです。

    40歳より前の晴明は鎌倉時代に編纂された続古事談の中で一部を見ることができ、それによると28歳の時に大舎人寮の大舎人になったとされ、その後は陰陽寮主催の祭りの雑用係である追儺舎人となり、鬼払いの儀式である追儺の儀で鬼を払う役人を演じたことで、陰陽道に興味を持ったようです。

    そして同じ省内にある陰陽寮の賀茂忠行&保憲親子を訪ね、様々な手ほどきを受けるに至ったとされ、大舎人寮から陰陽寮へ移ってからの晴明は占いの技術取得が中心で、役所の中での出世とは無縁な生活ですから、陰陽寮の中の役職としてはかなり低いです。

    この時代の陰陽師たちの社会的地位はかなり低く、身分としての官位は最低に近い従七位上クラスで然収入も十分ではなく、有力者をパトロンに持たない限り貴族としての人並みな暮らしは難しかったようです。

    やがて晴明は70歳前後で陰陽寮を途中で退職して天才的な占い技術により、一条天皇や藤原道長の信頼を得て異例の出世、75歳で主計権助になり、79歳で穀蔵院別当、82歳で大膳大夫、同年左京権大夫と名誉職を渡り歩き、最終的には従四位下に到達しました。

    晴明は伝説と違い身分も高くない可能性が高く、一芸を磨いてかなりの高齢になってから権力者に重宝される生き方は、一般的な出世競争には勝てずとも苦労して出世したが安倍晴明の姿のような気もします。

    晴明は当時の人たちの常識からすると驚く程の長命で生涯現役、85歳で没するまで地道に研究を続け多くの業績を残しています。

    特に陰陽道の日本独自の解釈を世に広めたことで、当時は全ての占いや学問の研究は中国から輸入された文献資料を手本にしていましたが、晴明は輸入された学問をなぞるだけでなく中国と日本環境の違いを考え、日本独自のオリジナルを作り上げたのは当時の社会では衝撃的で占いの新機軸?です。

    貴族たちは我先にと晴明の意見を取り入れ始め、逸話として関白が29日は道虚日なので外出してはいけない日かと下問したなら、陰陽寮内で調べた結果は道虚日でも晴明の意見は違ったので晴明の意見を取り入れたとあります。

    これから後は、国からの文献よりも晴明の占いが公式見解となり、晴明の新しい発想と占いの技術は当時の社会に革命を起こしたと言えます。

    そして晴明がスーパーヒーローに祭り上げられた背景ですが、さすがに小説のようにキツネの子とか式神を自在に操れたりは物語ですが、どうして人なのに神のごとくに崇拝されたのかが肝です。

    日本人は古来より占うことによって民の心を掌握してきた歴史もあり、邪馬台国の卑弥呼にしても魏志東夷伝倭人条に倭国の女王は鬼道を能くしの記述があり、この鬼道とは占いや神降ろしを意味していて、シャーマンが政治や社会などのシステムを支えていました。

    平安時代でも同じく社会システムは健在で、人々は見えざる何かに怯えて未知なる学識や技術に助けを求め、見えざる禍は鬼と解明して祟りから身を守る手段として陰陽道に期待が集まりました。

    前述のように晴明の信頼度は高くて広告塔として立たされ、陰陽師の地位は低かったので自らの地位向上を計るには世の中が鬼を恐れ、陰陽師を頼ってくれなくては地位向上が無理だから、後の陰陽師たちは何かあれば鬼と言って不安や恐怖をあおりました。

    その陰陽師たちにより晴明は京の街の平安を鬼から守る守護者として祭り上げられ、最後についた左京権大夫は京の警察権を統べる行政長官だったことからも伺えます。

    最後に、占い師には巫女の末裔とか陰陽師の親戚など経歴詐称が横行しておりますが、そういう占い師さんへ行く方も波長が合っているから、騙されたのではなく引きあったとも言えます。

    あなたは安倍晴明、ご存知でしたか?

    (^○^)

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