徒然草(岡山・東京・山崎かずみ)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    蘆屋道満。

    おはようございます。 今日もワクワクする一日、そう思ったら次は何が起きるかなと楽しめますが、その楽しめることが人生を有意義に出来ます。 毎日が暗かったら人生が辛くて仕方がない、人生は明るいからこそ楽しみが待っています。

    さて、人生を楽しくの為の相談所としての役割が占い師でもありますが、昔は陰陽師が占いもしていたから昔の偉い人たちは占いを有効活用していたようです。

    そして陰陽師と言えば安倍晴明が有名ですが、そのライバルとなる蘆屋道満(あしやどうまん)のことは意外と知られていません。 映画の中でも重要な役割なのに印象が薄い、実力は相当なものだし言うこともイチイチ正論ですから、憎めないキャラクターで映画の中でも割りと好きです。

    安倍清明は有名過ぎて誰でも知っているでしょうから、今日は蘆屋道満にスポットを当てて解説してみたいと思います。

    今から1000年ほど昔の話ですが、平安の都に安倍晴明と言い、幼い時から賀茂保憲の弟子となり、陰陽道を究めた晴明は実力と人気が突出していて、その逸話は今でも小説や映画などに語り継がれています。

    しかし、実際には陰陽師もたくさんいて、晴明の影に隠れていて余り表に名が出てこなかっただけで他にも陰陽師はいて、その1人が道摩法師(どうまほうし)と言いまして、それが蘆屋道満です。

    この人はどのような人物だったのかが今日のブログですが、安倍晴明が宮中に取り立てられて、陰陽寮・主計寮と言うような官僚を歴任したのに対して、蘆屋道満は非官人ですから簡単に言うとフリーランスの陰陽師でした。

    ただし、そうは言っても晴明は朝廷に仕えたとけれど、実際は請われて職を受けたとも言われていて、朝廷派でも民間信仰派でもなく中立的な立場の陰陽師だったそうです。 晴明が陰陽寮に所属するようになったのは40歳頃と言われ、出世などに興味がなかった為と言われています。

    そして道満も晴明に劣らないほどの呪術力を持つとされ、安倍晴明が藤原道長お抱えの陰陽師だったのに対して、道満は藤原顕光お抱えの陰陽師でしたが、それも仕事の一つで晴明との絡み以外はその人物像が分かりません。

    蘆屋道満の出自ですが、磨国岸村(現兵庫県加古川市西神吉町岸)の出身とされ、道満に代表される播磨陰陽師は播磨国広峰辺りを本拠として、先祖は大陸からの渡来人と考えられ朝廷陰陽師への対抗心があったようです。

    そんな中でも道満は播磨を代表する陰陽師として名が知られていて、播磨は隣の備前と並んで陰陽師の本場で、播磨では僧侶でも陰陽師の格好をしなければ話もできない、そう言われていた伝承もある程に、朝廷の陰陽寮にも優秀な人材を輩出してきた土地でした。

    ただし、ここからは現実の話で小説や映画とは違うのですが、道満は天徳二年(958)生まれ、晴明は延喜二十一年(921)生まれ、これは道満が晴明より37歳も若くて、フィクションで描かれる同年代のライバルとか、道満が年上とかの描写は間違いです。

    道満は播磨の出身で信用度も高いけれど、その他の民間陰陽師が簡単に稼げる時代でもなくて、詐欺まがいの陰陽師まで現われて商家を相手に占いを行わず、悪霊払いのような仕事しかせず、「家の周りには妖気が蠢いて、すぐにお祓いをしなければ!」などと脅して金を得ていました。

    今昔物語にも民間陰陽師の話があり、陰陽師を名乗る男が商家に行って間もなく鬼がやってくると祈祷を始めました。 その夜に門から入ってくる男を見て陰陽師が、あの男は人間の姿をした鬼だと言った瞬間に、その家の息子が男を矢で射ぬいたので、いきなり矢を射ぬかれた男は逃げましたが、何よりも陰陽師が唖然としていました。

    つまり、男と陰陽師が共犯者だったのかどうか、たまたま偶然に男がやってきたのか、どちらにしてもこのような話がまかり通っていた時代でしたが、そんな仲でも非官人の陰陽師として名を上げた道満の力は本物でした。

    そして蘆屋道満と安倍清明の対決の話はいくつもありまして、有名なのは上京した道満が内裏で術を競い負けた方が相手の弟子になるとの勝負を持ちかけ、帝はみかんを15個入れた長持を占術当事者である両名には見せずに運ばせて、中に何が入っているかを占えとのお題を与えました。

    道満はすぐにみかんが15個と答えましたが、晴明は冷静に鼠が15匹と答えました。

    余りにおかしな答えに大臣も公卿も落胆しながら長持を開けてみると、晴明が式神を駆使してみかんを鼠に変えてしまっていて、中からは鼠が15匹出てきました。 この後は約束通りに道満は晴明の弟子となったと言われ、若い道満が血気盛んに清明に挑みましたが、老獪な清明が一本取ったと言う話です。

    また、一番有名な話は藤原顕光に呪詛を依頼された蘆谷道満が、それを安倍晴明に見破られた為に播磨に流されたとの話で、一説によると播磨から京へ向かう途中で道満は己の使鬼を井戸に封じてから京に入ったので、清明との呪術合戦に敗れたとも言われています。

    この陰陽師と言う職が宮中から消えた後も、その術や教えは民間信仰となって現在まで残っていて、清明が術の際に用いたとされる五芒星と道満の六芒星があり、その五芒星と縦4列横5列の格子状の印はセーマンドーマンと呼ばれ、よくお守りとされています。

    この格子状の印は陰陽道では九字を切る術の手の動きを表していて、セーマンは安倍晴明から、ドーマンは蘆屋道満の名から由来するとも言われています。 この稀代の陰陽術師である安倍清明のライバル、蘆谷道満は1000年後の現代でも足跡を残していましたが、これを知った上で映画やTVを見て頂ければと思います。

    最後に「九字を切る術~」は私も使うので、興味のある方は鑑定の時に申し出て下さいませ。

    あなたは蘆屋道満、ご存知でしたか?

    (^-^)o ぐー

    予約専用電話:090-4690-4618
    予約受付日時:火・水・木の夜8~10時

    東日本の方は東京事務所へ、
    西日本の方は倉敷事務所へ、
    予約をお入れ下さいませ。

    鑑定は年中無休で、365日鑑定しています。

    霊視カウンセリング 山崎かずみ
    倉敷事務所:岡山県倉敷市川西町1-9
    東京事務所:東京都港区赤坂9-1-7
    関連記事

    PageTop