徒然草(占い・岡山・東京・霊視)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    善と悪。

    おはようございます。 今日も朝起きて自分で準備して外へ出かけることができる、これがどれだけ素晴らしいことか、できないこと以外は全てできると何かの漫画でのセリフにありましたが、できることに感謝していればできることの幅が広がり、いつの間にかできることが増えている筈です。

    私も占い師になってから10年が過ぎて、0からのスタートで今は100のうち3くらいには進めたのかなと思うのですが、もしかしたらマイナスかもしれず、自分の生き方は自分では分からないままで、評価とは誰かの思いにより決まるから自分で自分のことは評価できないのです。

    この評価とは勝手な生き物で、同じことを言ったりしたりでも、相手の受け取り方で評価は全く違います。

    私は県北時代に盲導犬やマザーテレサのことを言っても、工場や建設現場では全く相手にされなかったのに、県南で占い師を始めると良い話ですねと言われる、まさに0か100かの状態で真逆です。 (県北の教師たちはマザーテレサのことを知らなかったのもあります)

    また、行方不明についてブログやTwitterで発信する時も以前はインチキとか、後から書き換えたとか、とにかく認めたくない人が多かったのに、昨年のある行方不明では予約を受けないなんて酷いと評価が変わりましたが、予約を受けないのが酷いと言うなら能力は本物と認めた証拠になるのに不思議です。

    倉敷も東京も予約はすぐに取れない状態で、しかも行方不明はTVで報道されている事件だけではなく、他の行方不明の関係者はきちんと予約を待っているのに、TVで報道された事件だけが重要と思い込む人が多いことに驚きで、報道されない事件はどうでもいいなんて恐ろしいと思いました。

    その時、東京~岡山の移動中(電車~飛行機~バス)の約4時間ほどの間にツイートしたら、更新する暇があるなら鑑定しろなど無茶を言う人もいました。 電車や飛行機の中で鑑定は無理と子どもでも分かるのに、働いた経験の無い人には分からないから仕方がありませんが、働いている人なら通勤でも出張でも移動中は無理だと分かります。

    このようなことはどうして起こるかと言えば「我こそは正義の味方」と、自分こそ正義で悪い奴をやっつけていると自分の正義に酔っているからで、これは虐めをしている加害者と同じ心理だと気付いていない、ほぼ犯罪者と同じ行動をしています。

    残念なことに無職で社会問題に興味のある意識の高い人は正義の味方と思いがち、能力はあるので良い方へ使えば素晴らしいのに悪い方へ使うのが問題で、正義の味方のつもりでいるから加害者になってしまいます。

    親鸞曰く、「善人なほもつて往生をとぐ。 いはんや悪人をや。 しかるを世のひとつねにいはく、悪人なほ往生す。 いかにいはんや善人をや。」で、ようは「善人でさえ浄土に往生することができるのです。 まして悪人はいうまでもありません。」と言っています。

    世間の人の常識では「悪人が往生するなら、善人は当たり前。」と言う解釈の筈で、善人が救われるなら悪人も救われて当然と言われたら逆だと思う筈です。

    実は親鸞は本当の善人などいないと考えていましたが、正直、占い師を始めてから言葉の意味が理解できましたが、どんなに努力したところで人間は生きている以上は人に迷惑をかけて、他人を傷付けて、動物を殺して肉を食べ、魚や野菜など他の生命を奪って生きています。

    全く誰にも迷惑をかけず、何も悪いことをしていない人なんて存在しないのに、自分は誰にも迷惑を掛けていないと言い切る人が多いのは傲慢とも言えます。

    本当に多くの人が自分を善人と考えていて、何一つ悪いことはしていないと言い切りますが、嘘を吐いたことの無い人などいないのと同じ、自分が正義である=自分に都合の言い分だけ認めると同じで、それを正義と勘違いしている人すらいます。

    つまり、親鸞の言う悪人とは自分のしている悪いことに気付いた人とも言え、その気付いたことに対して悪いと言う気持ちを持ち続ける人こそ悪人となる理屈です。 悪いと言う気持ちのある人が悪人で、悪いと言う気持ちすら無い人が善人ですから、悪人の方がましと言う話です。

    屁理屈を言う人は悪人を言葉そのままに受け取って、犯罪を犯してもいいんだなと解釈しますが、人の物を取ったり人を殺したりと悪いことを悪いと認識してする人を親鸞は悪人と言っていない、あくまでも悪いことをしていると気付いた人を悪人と説いてあります。

    話は戻りますが、こう考えてみると正義の味方は悪人より悪いとなりますが、親鸞の言う悪人になることが本当は正しい方向ではないのかなと思えてきます。

    虐めをしている人を見て虐められている人を助けるまではいいけれど、虐めている奴は悪い奴だから虐めてやれになると、今度は善意のつもりが悪意になる、正義の味方から加害者になると言う矛盾が発生します。

    痴漢に遭っている女性を助けるのはいいけれど、それが犯人と決めつけて押さえつけて息ができなくして昏倒に追い込む、そこまでしたら善意でもやりすぎで犯人じゃなかったらどうするのかとなります。

    これが日本人の良い所なので失って欲しくないとは思いますが、そして思いやりと優しさからの行動と認識してはいますが、TVで報道されたら優先で他はどうでもいいはやりすぎで、数多くの行方不明事件が起きているのに他は無視しろと詰め寄るのは、お店の行列に横入りする人と同じです。

    私は電話番号を公開しているの予約を取りたければ電話すればいいだけ、周りが勝手に騒ぐだけで当事者は占いなんて信じていないのに強制する、相手が嫌がることをしていることに気付かずやれやれと言うのは、自分が同じ立場ならどう思うかです。

    親鸞からすれば正義の味方とは、自分が他の人に迷惑を掛けていることに気付いてないだけの人、このように解釈できます。

    あなたは善と悪、どう思いますか?

    (≧ヘ≦) ムゥ

    予約専用電話:090-4690-4618
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    鑑定は年中無休で、365日鑑定しています。

    霊視カウンセリング 山崎かずみ
    倉敷事務所:岡山県倉敷市川西町1-9
    東京事務所:東京都港区赤坂9-1-7
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