徒然草(占い・岡山・東京・霊視)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    真の天才。

    おはようございます。 今回も無事に東京より帰って参りましたが、今月は3週連続で東京鑑定の為、明後日の金曜日から再び東京、そして新年会でお手伝いをして頂いた方々の慰労会があるので、今週も余りヒマにしてはいられない感じです。

    さて、私は県北で知恵遅れと言われ、勉強はできないし運動はダメと典型的なアホでしたが、工場でも県北一の天才と称されたH班長と出会い、私の知恵遅れがますます目立つ状態でした。

    私が中学の時に県北の先生方がよく話していましたが、県南には超天才が数多く通う「倉敷青陵高校」があり、先生曰く「ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブスと、遜色ないか上回る天才ばかりの高校で、末は総理大臣など日本を動かす超天才が勢ぞろい、お前らみたいなアホじゃ無理。」と常々話していました。

    そして上級生の一人が「倉敷青陵高校」に合格の快挙を成し遂げたら、村中の人が集まって赤飯炊いて祝って大騒ぎ、先生たちも「まさか、俺らが生きている間に、倉敷青陵高校に合格する生徒が出てくるとは・・・。」と驚愕、校長や教頭や村議が出迎えて大歓声でした。

    この超天才の集まる驚異の倉敷青陵高校を無事に卒業した暁には県北へ戻って、「村長や町長をして地元を盛り上げてもらわねば!」と期待の星でした。

    この話、私が中学生の時に耳にタコができるほど聞かされましたが、県南で占い師を始めてから倉敷青陵高校を卒業した方々へ話すと、「やめてください。 そんなの言われたら恥ずかしい。」とのことで、県北と県南の認識は相当違うようでした。

    今日は天才についてですが、天才と言えばアントニ・ガウディ(スペイン語表記では、アントニオ・ガウディ)は、スペインのカタルーニャ出身の建築家、19~20世紀にかけてのモデルニスモ(アール・ヌーヴォー)期のバルセロナを中心に活動しました。

    誰もが一度は聞いたことのある、サグラダ・ファミリア(聖家族教会)・グエル公園・ミラ邸などを始めとして、その作品はアントニオ・ガウディの作品群として1984年ユネスコの世界遺産に登録されています。

    バルセロナ建築学校校長だった建築家のアリアス・ルジェンはガウディについて、「彼が狂人なのか天才なのかはわからない、時が明らかにするだろう。」と言ったと伝えられます。

    ガウディはパリ万国博覧会に出展するクメーリャ手袋店の為にショーケースをデザイン、この作品を通じてガウディの才能を見初めたのが富豪エウセビオ・グエルで、その後40年ほどパトロンとしてガウディを支援、グエル邸~コロニア・グエル教会地下聖堂~グエル公園などの設計を依頼、そして1883年にはサグラダ・ファミリアの専任建築家に推薦されました。

    ガウディは後半生を熱心なカトリック教徒として過し、1914年以降は宗教関連以外の依頼を断りサグラダ・ファミリアの建設に全力を注ぎました。

    しかし、親族や友人の相次ぐ死による仕事の停滞や、バルセロナ市が財政危機に見舞われたことによりサグラダ・ファミリアの建設は進まず、同時に進めていたコロニア・グエル教会堂の建設工事は未完のまま中止、更に1918年パトロンのエウゼビ・グエイが死去しました。

    この不幸の連続がガウディを変えたと言われ、取材や写真を嫌うようになりサグラダ・ファミリアの作業に集中、そして1926年6月7日、ガウディはミサに向かう途中に路面電車に轢かれ、浮浪者と間違われ手当てが遅れ事故の3日後に73歳で亡くなりました。 (遺体はサグラダ・ファミリアに埋葬、女性恐怖症の為、終生独身。)

    では、ここからが今日の本題ですが天は二物を与えず、天才の名を欲しいままにしたガウディにも弱点はあり、それは色彩感覚(色の気)がダメだったことです。

    この話をすると「何を言ってるんですか! ガウディは素晴らしい色彩感覚で、グエル公園などの砕けたタイルを散りばめて、それは溢れんばかりの色の乱舞です!」と、こう反論する人も多いのですが、そのガウディ建築の色彩感覚を生み出したのはガウディ本人ではありません。

    ガウディ作品の特徴には「自由で大胆な曲線・カラフルな色彩」などが挙げられますが、実は「カラフルな色彩」の装飾を担当していたのが、「もう一人のガウディ」と呼ばれた「ジュゼップ・マリア・ジュジョール」で、その色彩の担当をしていた本人です。

    この「ジュゼップ・マリア・ジュジョール」はスペインのカタルーニャの建築家、アントニ・ガウディの協力者として建築・家具デザイン・絵画などで、その色彩感覚や造形的な才能を発揮させました。

    ガウディと施主達とが揉めて建設工事がストップしたカサ・ミラを、完成させたのはジュジョールで彼はガウディの右腕として才能を発揮、「ガウディの象徴」と言われる「砕けたタイルを散りばめたオブジェ」など、カラフルなテキスタイルのような装飾はガウディではなくジュジョールが考案し手がけました。

    それも設計図は大まかなモノしかなく、ほとんど現場で食器やタイルを砕き貼り付けて作ったもの、グエル公園のベンチや広場の天井のオブジェやカサ・ミラの波打った黒い手すりなど、これら全てガウディではなくジュジョールの作品なのです。

    ただ、この時のガウディはパトロンにも恵まれて大きな仕事が回ってきて、地位も名声もある幸運な時代でしたが、ジュジョールはバルセロナ郊外の小さな建築の仕事しかなく、町の建築屋さんと言う位置付けでしかなったのは不運でした。

    しかし、ガウディは人間的にも優れていたので才能に嫉妬することなく、この才気溢れる自分よりも27才若い建築家を「私の弟」と人に紹介して可愛がっていました。

    ジュジョールもガウディの協力者として色々な作品に関わりましたが、世に出ている名前はガウディばかりでジュジョールのことはほとんど知られていません。 

    ジュジョールは晩年、カタルーニャ地方南部の町や村で教会や住宅の修復などを行なったので、残っている作品としては小規模なモノが多いのですが逆に言うと地域密着型、一人の天才建築家としてジュジョールの作品は今も行き続けています。

    人は表に出なくとも才能を発揮することが出来る、そして陰ながらでも努力していれば日の目を見ることはできる、そういう数々の教訓がガウディの陰に隠れたジュジョールに見て取れると思うのです。

    あなたは真の天才を、ご存知でしたか?

    (・0・。) ほほーっ

    予約専用電話:090-4690-4618
    予約受付日時:火・水・木の夜8~10時

    鑑定は年中無休で、365日鑑定しています。

    霊視カウンセリング 山崎かずみ
    倉敷事務所:岡山県倉敷市川西町1-9
    東京事務所:東京都港区赤坂9-1-7
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