
おはようございます。 昨日も無事に東京より帰ってきましたが、今回の東京では珍しく土曜日は寄付の神様~日曜日はN市のIさんと食事へ行きました。 ブログに出ているから度々会っている印象があるかもしれませんが、お二人とも忙しい身なので滅多に会うことはありません。
久しぶりに色々な話ができて勉強になりましたが、人生には色々あるけれど目の前のことを乗り越えて行くしかない、人生には乗り越えられない壁は目の前に立つことはないのです。
なお、ここのところ横浜や東京で放射性物質が局所的に発見されていますが、その侵入経路は二つあって一つ目は車に付着したのをそのままにしていたことで、ボランティアも含めて相当数が福島入りしていた分を洗車したり粉塵などが徐々に溜まってきています。
二つ目は鳥などに付着していた分で、放射性物質が付着した木の実などを食べた鳥のフンは防ぎようがありません。 だから放射線量が高いのは川~橋~側溝~公園が多いはずで、今後も鳥は暖かさを求めて南下していく可能性があるので対策は早く講じるべきです。
さて、今回のデジカメの小部屋には商店街の風景が出ていると思いますが、ここはJR日暮里駅から歩いて行ける谷中銀座商店街で、長さで言うと100Mほどで幅も広いところで3~4Mと言う感じの小さな商店街です。
しかし、画像を見れば分かるように人の波で溢れ返っていますが、この小さな商店街は駅からは遠いし駐車場も無い、それなのに人が多すぎて歩くのも大変と言う有様です。 行ったのは日曜日と言うこともあるのかもしれませんが、それでも人の数の違いは一目瞭然だから、やり方次第で人を寄せることは出来ると言う証明です。
ここは谷中銀座と言って下町情緒あふれる商店街ですが、戦前は今よりも狭い単なる路地だった谷中銀座も、戦後は道幅が広がり道の両側には鍋や鎌や衣類などがところ狭しと並べられて売られていました。 昭和20年頃に復員した兵隊さん達が生きて行く為に、商売を始めて自然発生的にできた商店街と言う歴史があります。
過去には何度も危機があったので決して平坦な道を歩んできた訳ではないのですが、10年ごとに三度の大きな転機がありました。 まずは昭和43年に千代田線千駄木駅の開通で人の流れが変わり通行量が激変した時で、次は近隣へ大きな食品スーパーが開店した時で、三度目は商圏内にコンビニが続々と開店と商店街も浮き沈みがありました。
これらの危機を傍観ではなくバネにして対抗策を仕掛けて乗り越えてきたからで、次々と企画を考えて戦ったからこそ今があります。
今でも人気が根強い「一割引特売、ビックリ市」などは30年余のロングヒットで、スーパー対策で始めた活性化の最大の貢献者であるスタンプ事業も24年を超えました。 この商店街は一度始めたことは少々赤字になろうともお客様の為に継続して、リピーターの確保など無駄のない効果的なイベント実績を残しています。
次にハード面でも1999年より商店街の整備を行い、「人に優しく・来てみて楽しい・ちょっとレトロな!」と言うコンセプトで、高齢化社会を睨んだ歩きやすいアスファルトとカラー平板の併用を採用し、各商店には共通の庇と各店の個性を表現したデザインのぬくもりのある手彫りの木製看板、更に郷愁を誘うレトロ風な軒先灯を儲けて店の壁面には谷中の史跡40景を掲示しました。
こうすることでお揃いの軒先灯と看板照明が商店街と店頭を照らしだして調和が起こり、組合員にも光の重要性を再認識してもらい営業時間の延長と夜型の現代社会に対応する、その素地ができる様な環境作りを進めた成果が出てきています。
画像を見れば分かるように人の波が溢れているにも拘らず、谷中銀座は元気のある商店街として走り続けられるようにソフト面&ハード面を充実させて、どうしたら一番重要なリピーターの関心が呼べるかと言うことを常に考えて、各地の商店街でも共通の難問に対する仕掛けや工夫がなされています。
「お金が無ければ知恵を出せ!」と言うように、谷中銀座もお金が無いから時代遅れと言われても、「後がない、待ったなし!」の商店街の現状ではカード事業への変更など、そこへ力を注ぐ余力がどこのお店もありません。
今は何処でもポイントカードとなっているので、その長所は充分に知り尽くしているし研究も怠らないと言う姿勢はあるけれど、全国のポイントカードの余りにも多い失敗例を参考にして、体力のない商店街としては無理に背伸びをせず焦らず、当面はスタンプで行くとしたこともレトロ感で受けています。
そして商店街はどこも抱えていると思いますが商店街は個人商店が多いこともあり、多くのお店は日曜休業をしていますが、「売れないから休み、休むから売れない」と言う悪循環が、大型店を有利にして商店街を蝕んでいることに気付いていないのです。
商店街も規模の大小に関わらず経営者であると言うことの自覚を持ち、交替で休むことなどの工夫があれば活性化は難しくないと思うのです。 この谷中銀座は約3割のお店が休業していますが、他の店舗(特に行列の人気店)は年中無休か月曜休みなどにして営業しているので、商店街自体の集客力が落ちずに済んでいるのです。
時代の流れを無視して日曜日は休むモノとか、夕方は5時までしか店を開けないと言うことではなく、生活様式や時代の変化に合わせてゆくのが商店街の生き残る道だと感じました。
なんでもかんでも大手企業が勝つと言う訳じゃないし、あの広島天満屋ですら閉店して撤退~後にはヤマダ電機ができるようなので、未来を見据えたアイディアと実行力があれば生き残れるはずです。
あなたは谷中銀座商店街へ、行ってみたいですか?
ヾ(´▽`*)ゝあーい♪
久しぶりに色々な話ができて勉強になりましたが、人生には色々あるけれど目の前のことを乗り越えて行くしかない、人生には乗り越えられない壁は目の前に立つことはないのです。
なお、ここのところ横浜や東京で放射性物質が局所的に発見されていますが、その侵入経路は二つあって一つ目は車に付着したのをそのままにしていたことで、ボランティアも含めて相当数が福島入りしていた分を洗車したり粉塵などが徐々に溜まってきています。
二つ目は鳥などに付着していた分で、放射性物質が付着した木の実などを食べた鳥のフンは防ぎようがありません。 だから放射線量が高いのは川~橋~側溝~公園が多いはずで、今後も鳥は暖かさを求めて南下していく可能性があるので対策は早く講じるべきです。
さて、今回のデジカメの小部屋には商店街の風景が出ていると思いますが、ここはJR日暮里駅から歩いて行ける谷中銀座商店街で、長さで言うと100Mほどで幅も広いところで3~4Mと言う感じの小さな商店街です。
しかし、画像を見れば分かるように人の波で溢れ返っていますが、この小さな商店街は駅からは遠いし駐車場も無い、それなのに人が多すぎて歩くのも大変と言う有様です。 行ったのは日曜日と言うこともあるのかもしれませんが、それでも人の数の違いは一目瞭然だから、やり方次第で人を寄せることは出来ると言う証明です。
ここは谷中銀座と言って下町情緒あふれる商店街ですが、戦前は今よりも狭い単なる路地だった谷中銀座も、戦後は道幅が広がり道の両側には鍋や鎌や衣類などがところ狭しと並べられて売られていました。 昭和20年頃に復員した兵隊さん達が生きて行く為に、商売を始めて自然発生的にできた商店街と言う歴史があります。
過去には何度も危機があったので決して平坦な道を歩んできた訳ではないのですが、10年ごとに三度の大きな転機がありました。 まずは昭和43年に千代田線千駄木駅の開通で人の流れが変わり通行量が激変した時で、次は近隣へ大きな食品スーパーが開店した時で、三度目は商圏内にコンビニが続々と開店と商店街も浮き沈みがありました。
これらの危機を傍観ではなくバネにして対抗策を仕掛けて乗り越えてきたからで、次々と企画を考えて戦ったからこそ今があります。
今でも人気が根強い「一割引特売、ビックリ市」などは30年余のロングヒットで、スーパー対策で始めた活性化の最大の貢献者であるスタンプ事業も24年を超えました。 この商店街は一度始めたことは少々赤字になろうともお客様の為に継続して、リピーターの確保など無駄のない効果的なイベント実績を残しています。
次にハード面でも1999年より商店街の整備を行い、「人に優しく・来てみて楽しい・ちょっとレトロな!」と言うコンセプトで、高齢化社会を睨んだ歩きやすいアスファルトとカラー平板の併用を採用し、各商店には共通の庇と各店の個性を表現したデザインのぬくもりのある手彫りの木製看板、更に郷愁を誘うレトロ風な軒先灯を儲けて店の壁面には谷中の史跡40景を掲示しました。
こうすることでお揃いの軒先灯と看板照明が商店街と店頭を照らしだして調和が起こり、組合員にも光の重要性を再認識してもらい営業時間の延長と夜型の現代社会に対応する、その素地ができる様な環境作りを進めた成果が出てきています。
画像を見れば分かるように人の波が溢れているにも拘らず、谷中銀座は元気のある商店街として走り続けられるようにソフト面&ハード面を充実させて、どうしたら一番重要なリピーターの関心が呼べるかと言うことを常に考えて、各地の商店街でも共通の難問に対する仕掛けや工夫がなされています。
「お金が無ければ知恵を出せ!」と言うように、谷中銀座もお金が無いから時代遅れと言われても、「後がない、待ったなし!」の商店街の現状ではカード事業への変更など、そこへ力を注ぐ余力がどこのお店もありません。
今は何処でもポイントカードとなっているので、その長所は充分に知り尽くしているし研究も怠らないと言う姿勢はあるけれど、全国のポイントカードの余りにも多い失敗例を参考にして、体力のない商店街としては無理に背伸びをせず焦らず、当面はスタンプで行くとしたこともレトロ感で受けています。
そして商店街はどこも抱えていると思いますが商店街は個人商店が多いこともあり、多くのお店は日曜休業をしていますが、「売れないから休み、休むから売れない」と言う悪循環が、大型店を有利にして商店街を蝕んでいることに気付いていないのです。
商店街も規模の大小に関わらず経営者であると言うことの自覚を持ち、交替で休むことなどの工夫があれば活性化は難しくないと思うのです。 この谷中銀座は約3割のお店が休業していますが、他の店舗(特に行列の人気店)は年中無休か月曜休みなどにして営業しているので、商店街自体の集客力が落ちずに済んでいるのです。
時代の流れを無視して日曜日は休むモノとか、夕方は5時までしか店を開けないと言うことではなく、生活様式や時代の変化に合わせてゆくのが商店街の生き残る道だと感じました。
なんでもかんでも大手企業が勝つと言う訳じゃないし、あの広島天満屋ですら閉店して撤退~後にはヤマダ電機ができるようなので、未来を見据えたアイディアと実行力があれば生き残れるはずです。
あなたは谷中銀座商店街へ、行ってみたいですか?
ヾ(´▽`*)ゝあーい♪
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