徒然草(占い・岡山・東京・霊視)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    西村勝三。

    おはようございます。 素敵なお客様がしている仕事は目の前のことのみならず、その向こう側には多くの人の役に立っていることがあります。 ついつい、目の前のことだけ考えがちですが、それでも人は人と関わることでしか生きていけないので、目の前の私利私欲で動くと失敗します。

    給料が多い少ないと言うのは誰もが考えることですが、給料が多いと言うのは仕事が大変(責任・知識・技術など)だから、給料が少ないと言うのは同じく大変じゃないから、そういう見方もあることを冷静に考えていくと給料の多い少ないも、少しは見方が変わるかもしれません。

    私は県北時代に工場で働いている時は基本給が約6万円、それに残業が70~80時間と夜勤手当や月2回の休日出勤がついて、手取りが10万円くらいでしたが県北では安定企業として地元に君臨しています。

    その後に転職して建設現場で働いていたのですが、その時は日給が3000円ですから30日フルに働いて約9万円、これが県北の給与水準で低くは無いので県北へお嫁に行くと、県南しか知らない人は大変に思うかもしれません。

    しかし、建設現場を辞めてから目の見えない人のお世話(病院と買い物)をアルバイトでした時、「山崎さん、こんなことしていてはダメ。 あなたには、もっと他にすることがある~。」と、こんな感じのことを言われてから今に至り人生が変わりました。

    このように人はお金だけを追い求めて転職すると間違いなく失敗しますが、使命や生きがいを求めて転職すると「仕事=喜び=やりがい」と言う感じになってきて、いつの間にか楽しいことをしている筈なのにお金が稼げるようになったと言うこともあります。

    それに関して日本人を便利にしつつファッションも兼ね備えた生活にした一人を、今日は御紹介したいと思います。 日本では明治初期の発明に急速な文明開化していく社会を感じさせる発明品が多くみられ、その一つが「洋靴(革靴やブーツなど)」で文明開化を表す一つです。

    洋靴の製造は明治3年3月旧佐倉藩士の「西村勝三(1836―1907)」が、築地に伊勢勝造靴場を開いたことが始まりです。 西村が洋靴の製造を始めたのは、兵部大輔(行政機関)の大村益次郎に命じられた為と言われます。

    明治初年に近代的軍隊の創出に取り組んでいた大村は軍隊用に洋靴を輸入、ところが日本人にはサイズが大きすぎて合わなかったので、西村に日本人の足に合う洋靴の製造を依頼しました。

    西村は築地の工場とともに佐倉(現・千葉県佐倉市)に、士族授産の靴工場「相済社」を開き、佐倉藩士を伝習生として靴の製造を行いました。 相済社は明治30年代に解散しますが伝習生の一人、大塚岩次郎は学んだ製造技術を生かして大塚製靴(現・大塚製靴株式会社)を興しました。

    一方で伊勢勝造靴場は明治17年に「佐倉」から名前をとって桜組製靴と改称し、明治35年に日本製靴株式会社(現・リーガル・コーポレーション)になり、軍靴の製造からスタートした洋靴も次第に種類が増えて、多様なタイプが販売されるようになりました。

    なお、「株式会社リーガルコーポレーション」とは、紳士や婦人など各種靴の製造と販売と修理を行う日本企業で、通称は自社のブランドでもあるリーガルの方が知名度もく、「日本製靴株式会社(にほんせいか)」の方は誰も知らなかったと思います。

    歴史をさかのぼりますと1870年(明治3年)に、日本発の製靴会社「伊勢勝造靴場」を設立した西村勝三が中心となり、1902年(明治35年)1月21日に現在の東京都中央区銀座に「日本製靴株式会社」を設立、これが創業とされています。

    そして内訳を見ると、大倉組皮革製造所(大倉喜八郎)、桜組(西村勝三)、藤田組皮革製作所(藤田伝三郎)、福島合名および東京製皮、それぞれの製靴部門を各社から切り離して統合した会社です。

    翌1903年(明治36年)2月には本店を現在の東京都足立区千住橋戸町に移転、同所に本社兼工場を新設して同年5月には軍靴の生産・販売を開始、帝国陸軍を顧客に下士官兵用の官給品たる編上靴や長靴を主に納めてました。

    この西村勝三の略歴ですが佐野藩で砲術助教を勤めたが脱藩して横浜で修業、そして江戸で伊勢勝商店を開業、戊辰戦争では大総督府御用達として武器売買で巨万の富を得て、伊勢勝造靴工場を設立して軍靴を製造、甲申事変で経営を軌道に乗せて近代的製革の先駆者になりました。

    元々は佐倉藩の士魂を磨いた「成徳書院」の武道場があったのですが、その武道場を改造して製靴の業を教えたのが西村茂樹と勝三の兄弟で、大塚岩次郎(大塚製靴創始者)も業を習った一人です。

    なお、勝三は断髪令に先立つこと2年も早くちょんまげではなく現代の髪型にしており、この決意に感動して高見順が「日本の靴」を著したほどで、当時はちょんまげを切るのはかなりの勇気がいった時代です。

    その後の勝三の躍進は目覚しく、皮革は「日本皮革株式会社」で靴は「日本製靴株式会社」として今のリーガルがあります。

    勝三は他にも正田利右衛門から製鉛法の研究を託されて、それが耐火煉瓦の研究となり明治8年「伊勢勝白煉瓦製造所」に結実、その後は「品川白煉瓦株式会社」となっています。

    つまり、日本人が今のように多種多様な靴を履けるようになった先駆者が西村勝三で、ガス~ガラス~靴下~洋服等の事業も手がけているので、当時も今も業界の先達と仰がれています。

    あなたは西村勝三を、ご存知ですか?

    (ΦωΦ+)ホホゥ….

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    霊視カウンセリング 山崎かずみ
    倉敷事務所:岡山県倉敷市川西町1-9
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