
おはようございます。 昨日も無事に東京より帰ってきましたが、これもひとえに素敵なお客様のおかげだと感謝の気持ちで、今後も益々努力と精進を持って自分に厳しくありたいです。 今は昔と違いご飯が普通に食べられる状態で凄く幸せ、昔は貧乏で食べることができなかったのが嘘みたいです。
だからと言って今が贅沢と言う訳でもなく、普通に食べられたらそれで良いから、外食に行こうと言う気もなく淡々と過ごす日常です。
ところが世の中には食通と言われる方々が大勢いて、それは料理の味や知識について詳しい食通(グルメ)と言われる人たちで、自分の主観だけでブログに延々と批判を繰り返したり、自己満足をしてい悦にいっている方々のことでもあります。
この食通とは美味な物を飽く無き探究心で追求して、時に芸術として賞味したり~その追求に情熱を傾けたりします。 食通は味覚が人より際立ち、料理人により良い料理を追求する意欲を掻き立たせる、そういう指摘が出来るとも言われていますが、実際は蘊蓄を言うだけで塩と砂糖の違いも分からない人が多いです。
食通の活動は個人的なことが多いのですが、原稿を書いたりテレビ出演などで有名人気取りで品評したり、食通の好みにより一般に知られていなかった珍味が広く知られることもあり、食通たちによるメリットもあるけれど本当はデメリットの方が多いです。
また、社会が裕福になるとレストラン巡りなど美食を追求するグルメブームが起き、グルメ雑誌やグルメ番組や料理番組等が増加して、フードライターや食評論家といったそれを専門とする職業も増えています。
ただし、成金趣味のいやらしさなのか、食通や美食家と言われる人は高級な食材だけが偉くて、質素な料理やB級グルメなどの値段が安い物はダメと判断、「美食の価値を値段や希少性にしか見い出せない人」がほとんどで、特に芸能人は高いお店=良いお店と考えます。
それに海外の料理の方が上と言うのも的外れですが、東京が「世界で一番グルメな都市」として選ばれているので、今は海外から続々と美食の街TOKIOへ食べる為だけに来ている人も多いのです。
なお、食通と美食家には棲み分けがあるのですが、美食家は「美味しい物を食べたい&食べ続けたい」の欲求に忠実な人、食通は食に含まれる情報として「材料の産地や調理法」を重視する傾向が強いと言われていて、分かりもしないのに「このマグロが大間産だな」などと薀蓄を語ります。
また、グルメとは原語において「食の情報を重視する人」とあり、ワイン等の関連情報に詳しいワイン通も「Gourmet」と表現されるので、美食家=「Gourmand」ですが日本ではグルマンと言って大食漢&大食いの意味が多いようです。
食道楽は食べる行為を道楽&趣味とするから美食家よりも大衆的で、旅行先で地元のラーメンを食べ歩いたり、ガイドブックを片手に有名店をハシゴする行為が含まれます。
今の時代ですから、これら食通のすることを否定はしませんが肯定もできません。 世界では貧困と飢餓に喘いでいるのに、「マグロは大間産でなきゃ!」とか「小豆は北海道産が一番!」なんて贅沢なことを言って、それ以外の食材を馬鹿にして食べずに捨てるなんて問題外です。
美味を探求する為に最上の素材の最上な部分だけを消費して、それ以外を廃棄するなんて人道的にも倫理的にも問題です。 食べることも出来ない量を頼んで残して廃棄、それは法律的には問題が無くても人道的に問題です。
舌による味覚や痛覚の脳への伝達は個人差が大きく、食通と呼ばれる者の評価が必ずしも世間の大勢を占めている訳ではないのに、著名な食通によって不可となされたものの価値が著しく落ちることもしばしばありますが、本当にダメかどうかは個人的見解で決めることが真実ではありません。
私個人としては食べることができれば何でもよかった県北時代があるので、「美味しい・ウマイ」など品評するのがイマイチ分かりません。 上手かろうと不味かろうと食べられるだけで幸せ、「この店は不味い・あそこに比べると落ちる」なんて、舌は好みが影響するのに何を基準にするのか分かりません。
東京出張では自炊が出来ないので外食が増えますが、寄付の神様が赤羽橋在住なので一緒に食事へ行く回数が多く、その時に味の良し悪しについて面白い見解を聞きました。
「高級なお店に行き付けている人が評価する場合と、行き付けていない人がたまに高級なお店に行って評価する場合では、おのずと評価の中身が違ってくる。」と言うのは、医学的にも人間としても深い話だなぁと思いました。
例えば、子牛のほほ肉の赤ワイン煮込みを食べた時、居酒屋やコンビニの味に慣れている人なら「肉が小さくて崩れるし味が酸っぱい」と評価しますが、食べ慣れている人には蕩ける肉の柔らかさと味の濃淡や酸味に満足する筈で、その場その場で味の切り替えも出来ない馬鹿舌の人が、食材や味を上から目線で語るのは無理があります。
料理に置いて万人が納得する味は無理なのに、せっかく連れて行って貰ったお店を悪く言うなんてダメです。 連れて行ってもらったお店の評価をアレコレしたら、相手が気を悪くして2度と誘ってくれなくなります。
味覚の違いは普段の食生活や雰囲気に対する場慣れにも左右されますし、味の差別化や食材の特性などへ対応も出来ず自分の感覚だけで悪く言うのは間違いで、そういうグルメ気取りは薄濃(はくだみ)のことすら知らない筈です。 薄濃とは織田信長は生首を魚に酒を飲んだ話で、そういう時代でもありましたが味覚とはそういう坦懐なものでもあります。
最後に料理評論家やグルメブロガーの真実を言うと、「タダ飯を食って先生と持ち上げられて特別扱いされたら良い記事を書く」で、グルメブロガーに連絡して特別扱いすれば味や料理に関係なく良いブログを書いて貰えるので、お店に取って味の分からない評論家やブロガーは「利用できる宣伝の道具」です。
本物を知らない人に過大評価されているグルメ本のミシュランも、料理評論家よりお店のリストを貰って掲載してあるだけ、星の数は裏事情により決まるもので料理とは無関係、あれを信じているとニセモノの不味いお店しかいけなくなります。
私は自分が良いと感じたお店を紹介しているだけで、ミシュラン掲載店のように提灯記事で宣伝するお店や、料理評論家と手を組んで有名になった銀座の各寿司店より、地道にこつこつと真面目にやるお寿司屋さんなど自力でやるお店の方が好みです。
あなたは食通の自慢しいを、まともだと思いますか?
(=∩ω∩=ゞエヘヘ♪
予約専用電話:090-4690-4618
予約受付日時:火・水・木の夜8~10時
鑑定は年中無休で、365日鑑定しています。
霊視カウンセリング 山崎かずみ
倉敷事務所:岡山県倉敷市川西町1-9
東京事務所:東京都港区赤坂9-1-7
だからと言って今が贅沢と言う訳でもなく、普通に食べられたらそれで良いから、外食に行こうと言う気もなく淡々と過ごす日常です。
ところが世の中には食通と言われる方々が大勢いて、それは料理の味や知識について詳しい食通(グルメ)と言われる人たちで、自分の主観だけでブログに延々と批判を繰り返したり、自己満足をしてい悦にいっている方々のことでもあります。
この食通とは美味な物を飽く無き探究心で追求して、時に芸術として賞味したり~その追求に情熱を傾けたりします。 食通は味覚が人より際立ち、料理人により良い料理を追求する意欲を掻き立たせる、そういう指摘が出来るとも言われていますが、実際は蘊蓄を言うだけで塩と砂糖の違いも分からない人が多いです。
食通の活動は個人的なことが多いのですが、原稿を書いたりテレビ出演などで有名人気取りで品評したり、食通の好みにより一般に知られていなかった珍味が広く知られることもあり、食通たちによるメリットもあるけれど本当はデメリットの方が多いです。
また、社会が裕福になるとレストラン巡りなど美食を追求するグルメブームが起き、グルメ雑誌やグルメ番組や料理番組等が増加して、フードライターや食評論家といったそれを専門とする職業も増えています。
ただし、成金趣味のいやらしさなのか、食通や美食家と言われる人は高級な食材だけが偉くて、質素な料理やB級グルメなどの値段が安い物はダメと判断、「美食の価値を値段や希少性にしか見い出せない人」がほとんどで、特に芸能人は高いお店=良いお店と考えます。
それに海外の料理の方が上と言うのも的外れですが、東京が「世界で一番グルメな都市」として選ばれているので、今は海外から続々と美食の街TOKIOへ食べる為だけに来ている人も多いのです。
なお、食通と美食家には棲み分けがあるのですが、美食家は「美味しい物を食べたい&食べ続けたい」の欲求に忠実な人、食通は食に含まれる情報として「材料の産地や調理法」を重視する傾向が強いと言われていて、分かりもしないのに「このマグロが大間産だな」などと薀蓄を語ります。
また、グルメとは原語において「食の情報を重視する人」とあり、ワイン等の関連情報に詳しいワイン通も「Gourmet」と表現されるので、美食家=「Gourmand」ですが日本ではグルマンと言って大食漢&大食いの意味が多いようです。
食道楽は食べる行為を道楽&趣味とするから美食家よりも大衆的で、旅行先で地元のラーメンを食べ歩いたり、ガイドブックを片手に有名店をハシゴする行為が含まれます。
今の時代ですから、これら食通のすることを否定はしませんが肯定もできません。 世界では貧困と飢餓に喘いでいるのに、「マグロは大間産でなきゃ!」とか「小豆は北海道産が一番!」なんて贅沢なことを言って、それ以外の食材を馬鹿にして食べずに捨てるなんて問題外です。
美味を探求する為に最上の素材の最上な部分だけを消費して、それ以外を廃棄するなんて人道的にも倫理的にも問題です。 食べることも出来ない量を頼んで残して廃棄、それは法律的には問題が無くても人道的に問題です。
舌による味覚や痛覚の脳への伝達は個人差が大きく、食通と呼ばれる者の評価が必ずしも世間の大勢を占めている訳ではないのに、著名な食通によって不可となされたものの価値が著しく落ちることもしばしばありますが、本当にダメかどうかは個人的見解で決めることが真実ではありません。
私個人としては食べることができれば何でもよかった県北時代があるので、「美味しい・ウマイ」など品評するのがイマイチ分かりません。 上手かろうと不味かろうと食べられるだけで幸せ、「この店は不味い・あそこに比べると落ちる」なんて、舌は好みが影響するのに何を基準にするのか分かりません。
東京出張では自炊が出来ないので外食が増えますが、寄付の神様が赤羽橋在住なので一緒に食事へ行く回数が多く、その時に味の良し悪しについて面白い見解を聞きました。
「高級なお店に行き付けている人が評価する場合と、行き付けていない人がたまに高級なお店に行って評価する場合では、おのずと評価の中身が違ってくる。」と言うのは、医学的にも人間としても深い話だなぁと思いました。
例えば、子牛のほほ肉の赤ワイン煮込みを食べた時、居酒屋やコンビニの味に慣れている人なら「肉が小さくて崩れるし味が酸っぱい」と評価しますが、食べ慣れている人には蕩ける肉の柔らかさと味の濃淡や酸味に満足する筈で、その場その場で味の切り替えも出来ない馬鹿舌の人が、食材や味を上から目線で語るのは無理があります。
料理に置いて万人が納得する味は無理なのに、せっかく連れて行って貰ったお店を悪く言うなんてダメです。 連れて行ってもらったお店の評価をアレコレしたら、相手が気を悪くして2度と誘ってくれなくなります。
味覚の違いは普段の食生活や雰囲気に対する場慣れにも左右されますし、味の差別化や食材の特性などへ対応も出来ず自分の感覚だけで悪く言うのは間違いで、そういうグルメ気取りは薄濃(はくだみ)のことすら知らない筈です。 薄濃とは織田信長は生首を魚に酒を飲んだ話で、そういう時代でもありましたが味覚とはそういう坦懐なものでもあります。
最後に料理評論家やグルメブロガーの真実を言うと、「タダ飯を食って先生と持ち上げられて特別扱いされたら良い記事を書く」で、グルメブロガーに連絡して特別扱いすれば味や料理に関係なく良いブログを書いて貰えるので、お店に取って味の分からない評論家やブロガーは「利用できる宣伝の道具」です。
本物を知らない人に過大評価されているグルメ本のミシュランも、料理評論家よりお店のリストを貰って掲載してあるだけ、星の数は裏事情により決まるもので料理とは無関係、あれを信じているとニセモノの不味いお店しかいけなくなります。
私は自分が良いと感じたお店を紹介しているだけで、ミシュラン掲載店のように提灯記事で宣伝するお店や、料理評論家と手を組んで有名になった銀座の各寿司店より、地道にこつこつと真面目にやるお寿司屋さんなど自力でやるお店の方が好みです。
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霊視カウンセリング 山崎かずみ
倉敷事務所:岡山県倉敷市川西町1-9
東京事務所:東京都港区赤坂9-1-7
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