徒然草(占い・岡山・東京・霊視)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    特攻隊員の手紙。

    おはようございます。 今日も蒸し暑い日が続きますが、素敵なお客様は体調など崩されぬよう元気に夏を乗り切って、秋には開運の宿などへ泊まりに行って人生を謳歌して、もっと活き活きとして幸せな人生を歩める未来を楽しんで下さいね。

    日本は平和だからこそ毎日が楽しいと思えるのですが、明日戦争が起きたら何も無い生活がどれだけ幸せだったかを理解できる、人は幸せを失ってから初めて気付くものなのです。

    さて、「平和の大切さを世界に発信したい」と、ユネスコの記憶遺産候補に申請していた「知覧からの手紙 知覧特攻遺書(申請・鹿児島県南九州市)」が却下されました。 却下理由は「日本の視点のみ」とのことですが、本当は●国(■国)から横槍が入った為と言われています。

    チベットの無抵抗の民を次々と虐殺など周辺国へ武力行使を繰り返す軍隊を持つ国、ベトナムの女性を次々に暴行のライダイハン問題に謝罪しない徴兵制のある国、そんな恐ろしい国々よりも日本は格段に平和を愛する素晴らしい国だと思います。

    話は戻り、「知覧特攻遺書」とは「知覧特攻平和会館」に展示されていますが、第二次世界大戦末期の沖縄戦で特攻と言う人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした、陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示しています。

    日本人は特攻隊員や各地の戦場で戦死された多くの特攻隊員の、ご遺徳を静かに回顧しながら再び戦闘機に爆弾を装着し敵の艦船に体当たりをする、そんな命の尊さや尊厳を無視したことをしてはいけないとの思いがあります。

    また、このような悲劇を生み出す戦争も起こしてはならないと、貴重な遺品や資料をご遺族の方々のご理解ご協力と関係者の方々のご尽力で展示しています。 特攻隊員達が二度と帰ることのない出撃に臨んで念じたことは、再び日本に平和と繁栄が甦ることと思われます。

    この地が出撃基地の為、特攻戦死された隊員の当時の真の姿、遺品や記録を後世に残して恒久の平和を祈念することが基地住民の責務と信じて、ここに知覧特攻平和会館を建設したようです。

    この特攻隊員が書き残した遺書や手紙等は、「戦争の悲劇・愛する者への想い」が綴られた「平和への遺言」です。 これらの資料は「二度と戦争を起こしてはならない」と、人類にとって極めて貴重な記憶遺産だから、次世代に語り継いでいく為にも、2017年(平成29年)のユネスコ世界記憶遺産登録を目指すようです。

    では、人間爆弾として帰れぬ特攻隊として出撃して言った人々の最後の手紙を、原文そのままでご紹介するので最後までお読み頂ければ幸いです。 昔の仮名遣いや文章になるので、読みづらくても原文のままにしてあります。

    「特攻隊員の手紙」:特攻隊の教官だった年配者の一人は、教え子が続々と出撃していく中で「必ずオレも後に続く!」と約束を繰り返していました。 しかし、重要な職務を持ち妻と子二人の家族を持つ隊長には出撃命令は出されません。 何度嘆願書を出してもだめで、逆に妻は夫に死なないで欲しいと何度も説得を繰り返しました。

    しかし、夫の決意が余りにも固いことを悟った妻は、「私たちがいたのでは後顧の憂いになり、思う存分の活躍ができないでしょうから、一足お先に逝って待っています。」と、遺書を残し3才と1才の女の子を連れて入水自殺しました。

    妻子の遺体のそばで号泣した教官は、再度血書嘆願を出しやっと出撃を認められました。 その教官の遺書には「母とともに消え去った幼い命がいとおしい まもなく会いにいくからね お父さんの膝でだっこして寝んねしようね それまで泣かずにまっていてください」と書かれていました。

    「特攻隊員の妹さんへの遺書」:「なつかしい静ちゃん! お別れの時が来ました。兄ちゃんは、いよいよ出撃をします。この手紙が届くころには、沖縄の海に散っています。思いがけない父、母の死で、幼い静ちゃんを一人のこしていくのは、とても悲しいですが許して下さい。

    兄ちゃんの形見として静ちゃんの名で預けてある郵便通帳とハンコ、これは静ちゃんが 女学校に上がる時に使って下さい。時計と軍刀も送ります。これも木下のおじさんに頼んで、売ってお金に換えなさい。兄ちゃんの形見などより、これからの静ちゃんの人生の方が大事なのです。もうプロペラが回ってます。さあ、出撃です。では兄ちゃんは征きます。泣くなよ静ちゃん。 がんばれ!」

    「遺書を託された兵からの手紙」:大石静恵ちやん、突然、見知らぬ者からの手紙でおどろかれたことと思ひます わたしは大石伍長どのの飛行機がかりの兵隊です 伍長どのは今日、みごとに出げきされました そのとき、このお手紙を わたしにあづけて行かれました おとどけいたします 伍長どのは、静恵ちやんのつくつたにんぎやう(特攻人形)を大へん だいじにしてをられました

    いつも、その小さなにんぎやうを飛行服の背中につつてをられました ほかの飛行兵の人は、みんなこしや 落下さんのバクタイの胸にぶらさげてゐるのですが、伍長どのは、突入する時にんぎやうが怖がると可哀さうと言つておんぶでもするやうに背中につつてをられました 飛行機にのるため走つて行かれる時など、そのにんぎやうがゆらゆらとすがりつくやうにゆれて、うしろからでも一目で、あれが伍長どのとすぐにわかりました 伍長どのは、いつも静恵ちやんといつしよに居るつもりだつたのでせう 同行二人・・・・仏さまのことばで、さう言ひます 苦しいときも、さびしいときも、ひとりぽつちではない。

    いつも仏さまがそばにゐてはげましてくださる 伍長どのの仏さまは、きつと静恵ちやんだつたのでせう けれど、今日からは伍長どのが静恵ちやんの”仏さま”になつて、いつも見てゐてくださることゝ思ひます 伍長どのは勇かんに敵の空母に体当たりされました 静恵ちやんも、りつぱな兄さんに負けないやう、元気を出してべんきやうしてください さやうなら

    「母を慕いて」:母上様御元気ですか 永い間本当に有難うございました 我六歳の時より育て下されし母 継母とは言へ世の此の種の母にある如き不祥事は一度たりとてなく慈しみ育て下されし母 有難い母 尊い母 俺は幸福だった ついに最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺 幾度か思い切って呼ばんとしたが何と意志薄弱な俺だったらう 母上お許し下さい さぞ淋しかったでせう 今こそ大聲で呼ばして頂きます お母さん お母さん お母さんと

    他にもまだまだ展示されているようですが、日本ほど平和を望み維持している国は無い、他国は戦争や紛争ばかり起こして反省もせず同じことの繰り返しです。

    ここまで読んで興味の出た方は知覧特攻平和会館について、検索などして頂ければ平和の尊さとありがたさが勉強できると思います。 なお、住所は鹿児島県南九州市知覧町郡17881番地で、見学に行くなら岡山や東京からは少し遠いかもしれません。

    平和な日本に生まれたことは、それだけで幸運だと思えるのですが、本当に素敵な国だと感謝です。

    あなたは特攻隊員の手紙、どう感じましたか?

    m(__)m

    お知らせ:東京出張の為、ブログの更新は13日(水)より再開します。 素敵なお客様に御支援と御愛顧頂ける、そんな奇跡に感謝の気持ちで一杯です。 いつも御予約頂き、本当にありがとうございます。 m(__)m

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