
おはようございます。 いつも素敵なお客様にはきっと多くの幸せが降り注ぐ、それは全てのことがうまくいくと信じることから始まり、そのように想像することからポジティブなことが起きる要因ですから、今日も素敵な笑顔で幸運を引き寄せてみて下さいね。
さて、昨日に引き続きマグダラのマリアに付いてですが、どうしてマグダラのマリアの存在がキリストに取ってマズイのか、その辺が「ダ・ヴィンチ・コード」の原作者がバチカンの怒りを買ってしまい不穏な空気が流れるほどでしたが、もしかして○されるのではないかと言う緊張感になりました。
この原作者は「ダン・ブラウン」と言いまして、この本の主張としてあるのは「マグダラのマリアがイエスと結婚して子供をもうけた」と言う点や、カトリック団体「オプス・デイ」を殺人集団としている点で、信仰している人たちからすれば抗議があっても仕方が無いほどの過激な内容です。
私が宗教に絡んでいたら公平に自由な視点でのブログは更新できないし、占い師や占い会社と繋がっていたら、色々なことがブログで更新でき無いのと同じ理屈です。 普通の占い師は必ずどこか(誰か)と絡んでいるので、「小さいおじさんがいる」と師匠や会社が言えば右にならえです。
ですから、小さいおじさんがいるなんて言う占い師や霊能力者やスピリチュアルカウンセラーは、脳の視覚野に血腫などができて見えないものが見えているか、もしくは嘘吐き~虚言壁~妄想壁など、なんらかの異常が起きているので病院へ行った方がいいです。
こういうことを言うと各先生方に、「そんなこと言ったら金儲けにならん!」と怒られそうですが、妖精さんが願いを叶えてくれる、龍神があなたには憑いている、そういった方が喜ぶと言うけれど、そんな嘘でお金儲けをしてはいけません。
では、いよいよ話は核心に迫りたいと思いますが、名前の由来はガリラヤ湖沿いの町マグダラの出身だから、「マグダラのマリア」と呼ばれたのが通説です。
しかし、ルカによる福音書では「マグダレネと呼ばれるマリア(8:2)」とあるだけ、出身地には言及していないのです。 次にカトリック教会はベタニアに住むマリアと、同一人物と教えていたことがありました。
そしてバチカンは「NO!」と主張、ダン・ブラウンは「YES!」と主張、そして世界では様々な説が出ている核心に迫ります。 (イエスだけにYES?)
果たして「マグダラのマリアは、娼婦だったか?」ですが、ルカによる福音書が紹介する内容は次のものだけで、イエスに七つの悪霊を追い出してもらったマグダレネと呼ばれるマリアは、その他の多くの婦人たちと一緒に自分の持ち物を出し合い奉仕していました。
ただ、ガリラヤから付き従ってきたカトリック教会で一時期、ルカによる福音書に登場する「罪深い女=彼女だった」とされ、この女性がどのような罪を犯したのかは記載されていませんが、性的不品行と説明されてきたようで、それが娼婦とされていた原因といわれています。
また、マグダラのマリアは悔悛した娼婦の守護聖人でもあり、カトリック信仰の強い国々を中心に、この聖女の名が好んで娘が生まれると使われていて、必ずしも娼婦の出身と信じられていたわけでもなさそうです。
キリストを描いた映画の多くが物語として、彼女が娼婦であったと言う設定にしていることが多く、その方がストーリーが面白くなるとの理由も否めません。
そしてバチカンを激怒させたダン・ブラウンの主張の二つ目が「マグダラのマリアはイエスと結婚していた」で、最後の誘惑で十字架上のイエスがマグダラのマリアとの結婚生活を夢想しています。
1982年に英国で刊行された「Holy Blood, Holy Grail(日本語版:レンヌ=ル=シャトーの謎)」で、著者らはイエスとマグダラのマリアが結婚して子供をもうけたとの仮説を示しています。
同じくマーガレット・スターバードも追随して、1993年にマグダラのマリアと聖杯で、イエスとの間の娘をサラとしています。 「ダ・ヴィンチ・コード」ではストーリー中にも使われていますが、結婚していた証拠は至るところに暗喩や象徴の形で残っていると主張しています。
イエス・キリストの結婚を巡っては、さまざまな研究書や追跡書などが出ていて、世論の変化により第2バチカン公会議を受けて、1969年にカトリック教会がマグダラのマリアを「罪深い女」から区別するなど、その地位の見直しが始まりました。
そんな世論の中で娼婦を否定して妻とするのは「同じ見方の裏と表」だと、エレーヌ・ペイゲルスは指摘しました。 「男たちはマグダラのマリアが、イエスの弟子でもリーダーでもなく、性的な役割だけを与えようとして、このようなファンタジーを作っているのではないか。」とあります。
しかし、ここで難しくしているのが史実の対象となる古書の中に、「イエスが結婚をしていない」との具体的な表現もなく、重要な文書が削除されて教義が歪曲されたとも解釈できます。
太古の時代に地球上のあらゆる文化で、リーダーとしての女神崇拝があったことの名残とも言える、マグダラのマリアの存在に恐れを感じた組織(何か・誰か)が、「性的・ファンタジー」などの言葉によって、逆に貶めているとも考えられています。
人間の三大欲は「食欲、睡眠、性欲」と言いますから、純然たる人間が煩悩を解き放つとは言うけれど、これをある程度までは我慢できたかもしれないけれど、それ以上の神の領域へ入れたかどうかが怪しいからこそ、色々な説が出てくると同時にイエスに対する親しみも沸いてくるのではないかと思います。
あなたはマグダラのマリアが、実在したと思いますか?
(゚∇^d) グッ!!
予約専用電話:090-4690-4618
予約受付日時:火・水・木の夜8~10時
鑑定は年中無休で、365日鑑定しています。
さて、昨日に引き続きマグダラのマリアに付いてですが、どうしてマグダラのマリアの存在がキリストに取ってマズイのか、その辺が「ダ・ヴィンチ・コード」の原作者がバチカンの怒りを買ってしまい不穏な空気が流れるほどでしたが、もしかして○されるのではないかと言う緊張感になりました。
この原作者は「ダン・ブラウン」と言いまして、この本の主張としてあるのは「マグダラのマリアがイエスと結婚して子供をもうけた」と言う点や、カトリック団体「オプス・デイ」を殺人集団としている点で、信仰している人たちからすれば抗議があっても仕方が無いほどの過激な内容です。
私が宗教に絡んでいたら公平に自由な視点でのブログは更新できないし、占い師や占い会社と繋がっていたら、色々なことがブログで更新でき無いのと同じ理屈です。 普通の占い師は必ずどこか(誰か)と絡んでいるので、「小さいおじさんがいる」と師匠や会社が言えば右にならえです。
ですから、小さいおじさんがいるなんて言う占い師や霊能力者やスピリチュアルカウンセラーは、脳の視覚野に血腫などができて見えないものが見えているか、もしくは嘘吐き~虚言壁~妄想壁など、なんらかの異常が起きているので病院へ行った方がいいです。
こういうことを言うと各先生方に、「そんなこと言ったら金儲けにならん!」と怒られそうですが、妖精さんが願いを叶えてくれる、龍神があなたには憑いている、そういった方が喜ぶと言うけれど、そんな嘘でお金儲けをしてはいけません。
では、いよいよ話は核心に迫りたいと思いますが、名前の由来はガリラヤ湖沿いの町マグダラの出身だから、「マグダラのマリア」と呼ばれたのが通説です。
しかし、ルカによる福音書では「マグダレネと呼ばれるマリア(8:2)」とあるだけ、出身地には言及していないのです。 次にカトリック教会はベタニアに住むマリアと、同一人物と教えていたことがありました。
そしてバチカンは「NO!」と主張、ダン・ブラウンは「YES!」と主張、そして世界では様々な説が出ている核心に迫ります。 (イエスだけにYES?)
果たして「マグダラのマリアは、娼婦だったか?」ですが、ルカによる福音書が紹介する内容は次のものだけで、イエスに七つの悪霊を追い出してもらったマグダレネと呼ばれるマリアは、その他の多くの婦人たちと一緒に自分の持ち物を出し合い奉仕していました。
ただ、ガリラヤから付き従ってきたカトリック教会で一時期、ルカによる福音書に登場する「罪深い女=彼女だった」とされ、この女性がどのような罪を犯したのかは記載されていませんが、性的不品行と説明されてきたようで、それが娼婦とされていた原因といわれています。
また、マグダラのマリアは悔悛した娼婦の守護聖人でもあり、カトリック信仰の強い国々を中心に、この聖女の名が好んで娘が生まれると使われていて、必ずしも娼婦の出身と信じられていたわけでもなさそうです。
キリストを描いた映画の多くが物語として、彼女が娼婦であったと言う設定にしていることが多く、その方がストーリーが面白くなるとの理由も否めません。
そしてバチカンを激怒させたダン・ブラウンの主張の二つ目が「マグダラのマリアはイエスと結婚していた」で、最後の誘惑で十字架上のイエスがマグダラのマリアとの結婚生活を夢想しています。
1982年に英国で刊行された「Holy Blood, Holy Grail(日本語版:レンヌ=ル=シャトーの謎)」で、著者らはイエスとマグダラのマリアが結婚して子供をもうけたとの仮説を示しています。
同じくマーガレット・スターバードも追随して、1993年にマグダラのマリアと聖杯で、イエスとの間の娘をサラとしています。 「ダ・ヴィンチ・コード」ではストーリー中にも使われていますが、結婚していた証拠は至るところに暗喩や象徴の形で残っていると主張しています。
イエス・キリストの結婚を巡っては、さまざまな研究書や追跡書などが出ていて、世論の変化により第2バチカン公会議を受けて、1969年にカトリック教会がマグダラのマリアを「罪深い女」から区別するなど、その地位の見直しが始まりました。
そんな世論の中で娼婦を否定して妻とするのは「同じ見方の裏と表」だと、エレーヌ・ペイゲルスは指摘しました。 「男たちはマグダラのマリアが、イエスの弟子でもリーダーでもなく、性的な役割だけを与えようとして、このようなファンタジーを作っているのではないか。」とあります。
しかし、ここで難しくしているのが史実の対象となる古書の中に、「イエスが結婚をしていない」との具体的な表現もなく、重要な文書が削除されて教義が歪曲されたとも解釈できます。
太古の時代に地球上のあらゆる文化で、リーダーとしての女神崇拝があったことの名残とも言える、マグダラのマリアの存在に恐れを感じた組織(何か・誰か)が、「性的・ファンタジー」などの言葉によって、逆に貶めているとも考えられています。
人間の三大欲は「食欲、睡眠、性欲」と言いますから、純然たる人間が煩悩を解き放つとは言うけれど、これをある程度までは我慢できたかもしれないけれど、それ以上の神の領域へ入れたかどうかが怪しいからこそ、色々な説が出てくると同時にイエスに対する親しみも沸いてくるのではないかと思います。
あなたはマグダラのマリアが、実在したと思いますか?
(゚∇^d) グッ!!
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