徒然草(占い・岡山・東京・霊視)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    生きるとは~前編。

    おはようございます。 5月1日はメーデーでもあり働くことに付いて書きましたが、あの内容により私が占い師を辞めてどこかへ消えてしまう、そうお考えになった方々より色々なご意見を頂きましたが、すぐに辞めるわけではないけれど消えた方がいいのかと思ったのかも。

    生きることに付いて回顧録のように「もしも、県北の工場を辞めずにいたら。」や、「もしも、建設現場のままだったら。」~「もしも、霊視カウンセリングをしなければ。」など、今のままでいいのか~このままでいいのかなど、過去の瞬間に何も変えず「あのままだったら」と考えてしまうこともあります。

    生きるって大変なこと、でも、死ぬほどの勇気は無い、そんな状態で自分の存在意義に悩んでいるのは確かで、占い師はどれだけ多くの人生に影響を与えるのか、そのことにプレッシャーを感じて空恐ろしくもあります。

    人の命には必ず魂があり、その魂は一度壊れてしまったら修復できない、だから簡単に死んではいけないと知識としては分かっています。

    しかし、真面目に生きているのに不幸~適当に生きているのに幸福、そういう矛盾を解き明かすことができない時、割り切れない現実を目の前にすると自分の無力さに耐えられなくなり、私は霊視カウンセリングをする責任の重さに耐えられなくなります。

    例を出すなら、生活保護の不正受給者がのうのうと生きているのに真面目に働いている人たちが困窮、生活保護が次々と子供を作るのに真面目な夫婦が不妊、そういう矛盾に「それは試練なのよ!」とアホなことを平然と言える、占い師やスピリチュアルカウンセラーは凄いです。

    私は間違ってもこんなアホなことは言えないし、パワーストーンのブレスレットやお札や仏像など、物品売買やお祓いをすればするほど徳が積めるなんてインチキもできないけれど、他の占い師さんは平然と嘘を吐いて心が痛まない点は真似ができません。

    地球上に存在するほとんどの魂は漏れなく「誰かに愛されている」ので、一人に思えても一人じゃないから大切で尊い人生になりうる、だからこそ生きる価値があるので絶対に自殺してはいけない、苦しくても与えられた人生の寿命は全うしなければならない、そういう部分から自分に言い聞かせる意味も含めて今日は生きることに付いてです。

    人はある程度の年齢になると必ず一度は、「生きる意味・生きる価値・何の為に生きる」などを考え、特に真面目に生きている人ほど真面目に人生を考えてしまいます。

    哲学では存在が存在することについて意味はないと考え、存在が存在する根拠Aを問えば、その根拠Aが生じる根拠Bが必要となり、根拠Bの根拠Cが必要となる、これを無限後退と呼び「無から生じた・神から生じた」としない限り終わらない議論です。

    そして別の見方(言い方)をすれば「意味があるのも、無いのも間違い」とも言え、ヴィトゲンシュタインの言葉では「何も語れない、沈黙するしかない」となります。

    しかし、その一方で人間は意味を作り出す存在でもあり、その意味は個々の人間がそれぞれの人生の中で、具体的に創り出すものです。

    この「人に存在理由は無いが、この理由がないから人は逆に自由」と述べたのは、フランスの哲学者サルトルで、理由や拘束が無いから誰かに責任を転嫁できず自分の人生に絶対的な責任を負うと考え、人が意味を創り出す意味はあるようでない、ないようであるとも言えます。

    例えば、花を「美しい」と感じたり大切な人を「愛する」が一番感じやすい意味であり、あなた自身が自分の心の中に憎しみや絶望が渦巻いていれば、世の中が楽しく&美しく見えることは少ないと思います。

    世の中において人生が「楽しい・幸せ・美しい」などと感じるのは、あなた自身が自分の人生に意味を創ったからこそであり、先ほどの例を解説すると花は最初から美しいわけではなく、人も最初から愛の対象となっているわけではありません。

    この世界に存在する美しさとは客観的なものではなく、自分自身で感じて自ら創り出していくもので、自分が美しいと感じられる意味を作り出したからこそ美しいであり最初から美しいわけではありません。 (この辺りは、かなり哲学的言い回しとなります。)

    人工物は人間が目的に合う様に作られた「意味を持つ」存在ですが、人間は最初から意味を持っておらず目的や意味などの束縛がないからこそ、逆に自由に意味や価値を創り出すことが出来ると考えられます。

    鉛筆は「書く・記録する・伝える」などの目的がありますし、車だと「移動手段・運搬手段」などの意味を持って、人間が作り出したもので使われ方に最初から限定的な存在するものです。

    そういう意味で客観的な存在理由は無いけれど、各々の人生の中で自ら意味を創り出して生きているのが、現在の哲学の通説となっています。

    このように考えていくと生きるとは「意味の形成」や「価値の創造」と言えるかもしれず、人間は最初から目的があって生まれてきたのではないと言うことになるので、スピリチュアルの世界で言う「子が親を選んで産まれてきた」は作り話と解明できます。

    なぜなら、もしも、仮に全ての人生には目的があって生まれたと言うのであれば、この世に存在する全ての生命体は、それに向かって生きるしかなく自由と言う翼を失ってしまうことになります。

    人間は生まれながらに自由である証拠に、タバコを吸ったりパチンコをしたり暴力や犯罪行為をする、これらは社会において役に立ちそうもないのにできるのは自由だからこそできるのであり、本当に産まれてきた時から何かの意味を持っているのであれば、これらの役に立たないことはできる筈もありません。

    生きるに付いて書くと長くなるだろうと思いましたが、やはり長くなってきたので明日の後編へ続きます。

    m(__)m

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