徒然草(占い・岡山・東京・霊視)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    ザカート。

    おはようございます。 今日も素敵なお客様にお会いできるのかと思うと、ウキウキワクワクしてきます。 多くの人の役に立つ人生を送る素敵なお客様にお会いできることは、私の人生に取って夕立が晴れて太陽が照らし始めた瞬間を何度も繰り返す、そういう感動の瞬間が永遠に続いているようなものです。

    その為にも自分のことより素敵なお客様の幸せ、私は県北で一度は人生が終了した人間なので、今の生活は信じられない奇跡と言えますが、県南で素敵なお客様に救われたことが大きく人生を変えたと言っても過言ではありません。

    だからこそ自分のことはそこそこに人が喜ぶことをしたいと言う気持ちがあるので、寄付だけではなく素敵なお客様へのご恩返しとして、いつまでやれるか分かりませんがイベントは続けて行き対と思います。 m(__)m

    さて、この寄付や相手の喜ぶことは「ザカート(Zakat)」と言い、イスラム教における対価を求めず帯貨を擲つことで、「その財も財を得た好機もまたアッラーの導きと恵みによるものであり、個人では何一つ成し得なかった。 (中略) その財の一部を授け、アッラーへの謝意と信者への慈愛を」とあります。

    ただし、「ニザーブ(最低財産以下)」は、ザカートの義務対象になりません。 このザカート以外で信者の為にするのは、自由意思で喜捨する行為を「サダカ(sadaqah)」と言います。

    ザカートはイスラム教の五行の一つで困窮者を助ける義務的な喜捨で、本来の意味は「浄め」です。 イスラム教では喜捨を指す語として「ザカートとサダカ」があり、現代においてはサダカを自由喜捨、ザカートを制度喜捨として区別しています。

    預言者ムハンマドは「サダカ」と言う名で神に仕える者の徳目として、自由な喜捨を推奨していたが義務ではなく、初代カリフたるアブー・バクル以降、現在につながる定義がウラマーらにより策定・法制化されました。

    ただし、元来がムハンマド自身によっても区別されていなかったこともあり、とくに初期の文献には二つの混用が見られ、それによりサダカの性格を明らかにする為にサダカ・アッタタッウー(自発的サダカ)と二重化した言い回しが用いられることもあります。

    シャリーア成文化の時代のウラマーたちは、サダカよりもザカートの方がクルアーンに出てくる回数が多いことから、義務としての喜捨をザカート~自発的喜捨をサダカと呼んだと推測されます。

    他にも税金が無い国と言われているサウジアラビアにはザカート税が存在して、憲法に相当する統治基本法にザカート税が明記されてザカート税法があり、所得税およびザカート税省が徴収を担っています。

    サウジアラビアでは失業率は20%を超えているので、使い道は多くの失業者の生活保護に当てられています。

    バハレーンでは失業保険の財源にする目的で、労働者の給与から1%を徴収する方式で2007年から導入され、これ以前にバハレーンは税金が存在していませんでしたが、石油枯渇と失業率の高さから導入せざるを得ない状況に追い込まれました。

    そしてサダカの解説ですが、戦争に行って死亡した男性がいたとして、その妻と子供は大黒柱を失います。 この時点で生活に困窮する可能性がありますが、公的な仕組みとしてザカートがあるけれど、これだけでは手が回らない可能性もあるので近所の人が声を掛け合い、金銭を集めて回り該当家族に直接渡すなどの行動がサダカです。

    日本などアジア圏では「喜捨(きしゃ)」と言うのが一般的な言葉ですが、元々は仏教用語で行為の形態や意味は各宗教により異なります。 喜捨は一つの典型的な宗教倫理行為と言う広義の意味に解され、未開宗教でも弱者や困窮者の相互扶助や有力者による保護は、血縁意識と宗教意識の混合した力に支えられ広く行われています。

    ヒンドゥー教ではバラモン僧や出家修行者への財宝の施しは功徳ある行為とされ、仏教の喜捨はヒンドゥー教の理念を受け継いだものと考えられ、財宝の施しは主に出家僧とその教団(サンガ、僧伽)に限られています。

    ユダヤ教~キリスト教~イスラム教では喜捨は貧者救済に向けられ、ユダヤ教では「旧約聖書」に喜捨の具体的な言及があり、神の義に適う行為の贖罪とみなされ、更に律法で詳細に規定されています。

    キリスト教では貧者への施しは、イエスの説いた愛の教えの端的な実践であると考えられ今も伝統は続いています。

    そして前述のイスラム教ではザカート(定めの喜捨)とサダカ(自由喜捨)があり、ザカートは救貧税として制度化され、サダカは個人の自由意志にゆだねられ、贖罪行為としても認められています。

    今日は長々と説明ばかりになりましたが、喜捨の心は自分のものを自分だけではなく分け与える、それにより自分の功徳を積むことにもなると言うのは間違いではなく、いつのことかは明言できないけれど、巡り巡っていつの間にか自分のところへ返ってくる、そういう縁の不思議さはあります。

    だからと言って期待して寄付しろと言うわけではありませんが、寄付したらいつの間にか運が良くなっていると言うことはあり、気付かない幸運とは人により違うのです。 (例:お金や健康など。)

    ここのところが解釈を難しくしていますが、寄付をしたからと言って良いことが起こるわけではない、寄付をしないからと言って成功できないわけではない、この矛盾があるから寄付の評価を損得でするのは難しいです。

    例えば、大げさに言うなら寄付をしている占い師のカテゴリーで日本一の可能性はありますが、お客様の数のカテゴリーでは最下位に近いので、寄付の恩恵はいつ返って来るのか分からないところに、寄付を継続する難しさもあります。

    あなたはザカート、どう思いますか?

    ヾ(≧▽≦)ノ゙ゥキャキャ☆

    東京出張:次回は「5月9日~5月12日」で、いつもご予約いただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

    予約専用電話:090-4690-4618
    予約受付日時:火・水・木の夜8~10時

    鑑定は年中無休で、365日鑑定しています。

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