徒然草(占い・岡山・東京・霊視)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    高嶺譲吉。

    おはようございます。 今日も素晴らしい一日の始まりとなりますが、素敵なお客様の未来は素晴らしいことが次々と起こる、そんな毎日となることをワクワクドキドキと楽しんでくださいね。

    さて、男性と付き合う時には男の真価の見極めが重要で、やはり最後にモノを言うのは人間性です。 私も男性鑑定をしてきた中で、信用して裏切られて後悔の繰り返し、H社長にも寄付の神様にも注意された内容は大正解でした。

    いくら庇っても恩を仇で返し自分のことしか考えない、まさに売れない時代を支えてくれた奥様を裏切って再婚する芸能人と同じ、いくら親身になっても喉元過ぎれば熱さ忘れるで、相手を裏切り迷惑を掛けても平気で恩義も義理も感じない男は本当にダメです。

    だからこそ素敵なお客様には男を見る目を養って欲しいと願うので、人物紹介のカテゴリーを作って男とはこうあるべき、もしくは人とはこうあるべきと、人間として生きる上での参考となる人物を御紹介しております。

    今日の御紹介したい人物は「高峰譲吉(たかみね じょうきち)」で、日本の科学者~実業家~工学博士~薬学博士です。

    1854年に現在の富山県高岡市の漢方医高峰精一の長男として生まれ、加賀国金沢城下の梅本町(石川県金沢市梅本町)へ移住、幼い頃から外国語と科学への才能を見せて、加賀藩の御典医であった父も才能の片鱗を見抜いていました。

    母は造り酒屋(鶴来屋)津田家(塩屋弥右衛門)の娘で、その縁から後年の清酒醸造の麹の改良にも繋がっています。

    1865年(慶応元年)に12歳で加賀藩から選ばれて長崎に留学、海外の科学に触れたのをきっかけに京都の兵学塾や大阪の緒方塾(適塾)へ入学、16歳の時に大阪医学校~大阪舎密学校に学び首席で卒業、1880年から英国グラスゴー大学への3年間の留学を経て農商務省に入省、1887年にキャロライン・ヒッチと結婚してしばらく後にアメリカへ永住します。

    高峰譲吉の簡単な経歴はここまで、次に研究とビジネスに付いてですが才覚が色々とあったようで、1886年に東京人造肥料会社(現:日産化学)を設立して会社が軌道に乗り始めた頃、米国で特許出願中の高峰式元麹改良法を採用したいとアメリカの酒造会社より連絡があります。 (注:ウイスキーの醸造に日本の麹を使用、従来の麦芽モルトより強力なでんぷんの分解力。)

    そして渡米後は木造の研究所を作り高峰式元麹改良法の研究を続けますが、麹を利用した醸造法が採用されたことでモルト職人が儲からなくなり怒りを買いますが、新しい醸造工場にモルト職人を従来より高い賃金で雇うことで和解しました。

    ところがモルト工場に巨額の資金提供をしていた投資家達や所有者達が、新しい醸造法を止めようと夜間に高峰譲吉&キャロライン夫妻の家に武装して侵入して暗殺を試みたのですが、譲吉は隠れていたので見つからず生き延びました。

    そこで武装した所有者達は今度は研究所に侵入して、研究所に火を放って研究所を全焼させました。

    この当時から日本人は海外で素晴らしいアイディアと才能を発揮して、やっかみや妬みなどが渦巻いて嫌がらせも海外で相当受けましたが、いつまでも根に持つようなことはせずにアメリカ人の雇用も積極的にしました。

    そして1894年にデンプンを分解する酵素(アミラーゼの一種、ジアスターゼ)を、植物から抽出し「タカジアスターゼ」を発明、タカジアスターゼは消化薬として非常に有名になりました。

    高峰譲吉が最初に居住したシカゴは有数の肉製品の産地で多数の食肉処理場が存在、この廃棄される家畜の内臓物を用いてアドレナリンの抽出研究を始め、1900年に結晶抽出に成功して世界初のホルモン抽出例です。 このアドレナリンは止血剤としてあらゆる手術に用いられ医学の発展に大きく貢献、1912年には帝国学士院賞を受賞しました。

    1913年には日本における「タカジアスターゼ」の独占販売権を持つ、現在の第一三共の初代社長に就任、更には1922年にアメリカの会社のアルミニウム製造技術と原料を使い、黒部川の電源開発による電気を利用したアルミニウム製造事業の推進に取り組みました。

    高峰譲吉は生涯に亘り科学者&企業人として数々の国際的業績をあげ、その生涯を全うして1922年没、そして死後に正四位勲三等瑞宝章を授与、ニューヨークタイムズも光輝ある故高峰博士と題した社説を掲載、それまでの高峰譲吉の業績を大きく称えました。

    1950年に高峰譲吉博士顕彰会が金沢市に結成~1952年には高峰賞を制定、在米高峰家拠出の奨学金で10年間、その後も更に10年間は在米マイルス製薬会社の高峰研究所取締役L.A.アンダーコフラー博士に引き継がれ、現在は顕彰会の事業費ともに三共からの交付金と金沢市の補助金をもって賄っています。

    高峰賞は地元の優れた学生の勉学を助成、2006年度(第56回)までの受賞者は742名で各界で活躍しています。

    なお、紛れも無くアドレナリンは1900年に高峰譲吉と助手の上中啓三が、牛の副腎から世界で初めて結晶化しましたが、エピネフリン抽出をした米国研究者が高峰譲吉が研究上の盗作を行ったと事実誤認の非難をしました。

    それに加えて高峰譲吉は醸造学者で薬学の業績が少なかった経緯もあり、ヨーロッパではアドレナリンと呼ばれる薬が、日本と米国では副腎髄質ホルモン「エピネフリン」と呼ばれてきた。

    しかし、日本は発見者高峰譲吉の母国で「エピネフリン」に代わり、正式に「アドレナリン」として欲しいとの厚生労働省への要望が実り、2006年4月に107年目の名誉回復として、日本国内でも晴れて「アドレナリン」と呼ばれることになりましたが、アメリカの悪いところは自分達が世界の警察だと正義を翳しすぎるところです。

    しかし、それも過ぎた話でワシントンD.C.のポトマック川にある美しい桜並木は、1912年に東京市が寄贈したものですが高峰譲吉が寄贈の計画発案当初から参画、尾崎行雄東京市長らと実現に大きな役割を果たし、毎年全米で桜祭りが行われるのは寄贈したことを記念したからです。

    また、高峰譲吉は後に自らの土地を高岡市に寄付、同市では生家跡を現在高峰公園として整備して、毎年同日時 生誕祭が行われているようです。

    男たるもの、生まれてきた以上は誰かの役に立ち、惜しまれて死んで生きたいもので、私自身も努力と精進を積み重ね、人前に顔も出せない恥ずかしい男ではなく、惜しまれて死んでいく男になりたいです。

    あなたは高嶺譲吉を、ご存知でしたか?

    ホゥホゥ(o-∀-))

    お知らせ:東京出張の為、ブログの更新は16日(木)より再開します。 素敵なお客様に御支援と御愛顧頂ける、そんな奇跡に感謝の気持ちで一杯です。 いつも御予約頂き、本当にありがとうございます。 m(__)m

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