
おはようございます。 今日も朝から気持ちが良い、そう思えるだけで幸せ、目が見えて手足が動いて、それらはとんでもない奇跡で幸せなこと、それを忘れないように自分を戒めて、今後も精進して参りたいと思います。
私は未熟者のアホタレなんで、すぐに頭に来るなど平常心が保てないのがダメな所で、悪口を言う人やマナー違反の人を見てカチントとくることの愚かさを学ばなければならないのに、その劣悪でダメな人を真似るなんて本当にアホタレな私です。
そんな自分に纏わり付く怒りを垣間見ると、そんなことに時間を使わなければならない程なのかと反省しきり、怒りに憑りつかれた人間の愚かさが見えるから、簡単に怒り心頭になってはいけないと自戒の念を省みて反省です。
鑑定をしていて学べるのは、悪いことや嫌なことは吸引力が強く引き込まれやすい、良いことや素敵なことは吸引力が弱く見逃しやすい、これは誰であろうと同じことで、人は悪いことに惹かれていくものです。
ただ、悪い方へ行けば行くほど良い方からは遠ざかるのが自然の摂理、良いと悪いのどちらへ引き寄せられたいかは自分が選べるからこそ、自分を戒めなければと思うのですが、なかなかできていないのが恥ずかしい限りです。
これを占い的に考えると、運の悪い人は自分こそ絶対(知識や技術など)と思い相手を認めない、運の良い人は自分などまだまだと相手を認めて学ぶ姿勢でいる、これだけの差が未来で大きく違ってくるのですから、10年後の自分が惨めな姿になっているのはどちらかは決まりです。
諺にもありますが、うまい話に騙される愚者はいても、うまい話を人に教える愚者はいないと言いますから、騙される人の典型は自分こそ絶対が大半です。 自分だけ儲けようと言う心に原因があるけれど、大抵は綺麗事を言って自分を正当化しますが、早く早くと焦る気持ちが余計にミスを誘発します。
例えば、借金で苦しんでいる人がお金は汚いなどと貶しますが、お金が汚いなんてとんでもない話です。 お金の使い方が汚い人はいるけれどお金は汚くない、借金を背負うのは自分の使い方の問題で、お金自体には何の問題もありません。
お金持ちになって傲慢になる人はいるけれど、それはお金とは無関係でお金が無くても良い人は良いし悪い人は悪い、お金で変わるのではなく人間性で変わるだけです。
人間関係も好き嫌いでしか決まっていないのが現実で、悪口は好きな人ではなく嫌いな人のことを言う筈です。 それも嫌いは嫌いで集まるから、寄ってたかって自分より上にいるのが気に食わないと恨みや妬みになり、邪魔して引きずりおろそうと企む暇人とも言えます。
しかし、運の良い人は受け流して相手にしない道を選ぶことが多く、それは忙しいだけではなく幸せな人は誰かの悪口を言わないからです。 未来が明るくて多くの人に好かれる人、そして温かで穏やかな道を歩む人は、そういう愚かな人たちを相手にする必要がありません。
凄い人は自分が言わなくても人が凄いと言ってくれる、凄くない人は自分が言わないと誰も言ってくれない、それにより人が認めないと怒ると言う悪循環の繰り返しですから、結局は怒る時点で自分は凄くないと証明してしまいます。
そして良し悪しもやり過ぎはだめですが、自分を犠牲にして相手を幸せになんて不幸です。 自分が苦労して相手を楽にしても、それは犯罪行為を助けているようなもの、まずは自分が幸せになることで誰かを助ける余裕が生まれます。
昔の私は「そんなんで生きていて、何が楽しいの?」と言われましたが、これを聞かれて楽しいと答えられる人は何不自由のない生活ができています。 何より悪口や嫌がらせとは無縁の生活だからで、人を貶す人が生きていて楽しいなんて強がりでしか言えません。
幸せな人は人の悪口を言わない、私が悪口だらけだったのは自分が不幸だったからで、今から思えば寂しかったんだと思いますが、悪口を言う人は周りに相手にして欲しくて寂しい人とも言えます。
普通は30代→40代→50代と友人は減っていくから、友人は常に作り続けなければ自然と減ります。 だからと言って無理な友人関係を作り続けると息苦しくなるから、友人ではなく顔見知り程度で止めておくと自分も救われます。
友人に重きを置きすぎると息苦しくなって友人関係が逆に重くなる、だから顔見知り程度に薄くしておけば楽、その楽な輪の中で自由に移動して深く交わらない、そうすると人生は楽になります。
良し悪しは時代とともに変わるので、良し悪しは本当に見方や捉え方によっても違うので、100人いれば100通りと言っても過言ではありません。
人に寄り良し悪しが変わる好例として、山岳救助隊は善意で行方不明の捜索をしているのに、発見できない&救助できないと叩かれますが、あくまでも善意でしていることを叩くと、今度は捜索&救助をお願いしても断られます。
発見&救助できないことを叩く前に、山に登ったのは自分の勝手で誰も登れと頼んでいないし命令もしていない、あくまでも自分の意思で登ったのに救助できなければ叩くなんて、余りにも山岳救助隊の皆様が気の毒です。
私も倉敷や北海道やカナダや千葉は早く発見できればと善意で視ましたが、昨年のある件に関しては他の行方不明者を放り出してでもやれとか、予約を優先するなんて人として最低など、何を言っているのか分からない意見が多かったのも、類は友を呼ぶから訳の分からない人たちには関わるなと言う暗示だったと思います。
良し悪しは表面だけでは本質を見抜けない、そうなると間違った正義を振りかざしたり、被害者のふりをした加害者になるので、その辺を改めると人生は変わります。
あなたは良いと悪い、どう見分けていますか?
(*^-°)v オッケェー♪
予約専用電話:090-4690-4618
予約受付日時:火・水・木の夜8~10時
鑑定は年中無休で、365日鑑定しています。
霊視カウンセリング 山崎かずみ
倉敷事務所:岡山県倉敷市川西町1-9
東京事務所:東京都港区赤坂9-1-7
私は未熟者のアホタレなんで、すぐに頭に来るなど平常心が保てないのがダメな所で、悪口を言う人やマナー違反の人を見てカチントとくることの愚かさを学ばなければならないのに、その劣悪でダメな人を真似るなんて本当にアホタレな私です。
そんな自分に纏わり付く怒りを垣間見ると、そんなことに時間を使わなければならない程なのかと反省しきり、怒りに憑りつかれた人間の愚かさが見えるから、簡単に怒り心頭になってはいけないと自戒の念を省みて反省です。
鑑定をしていて学べるのは、悪いことや嫌なことは吸引力が強く引き込まれやすい、良いことや素敵なことは吸引力が弱く見逃しやすい、これは誰であろうと同じことで、人は悪いことに惹かれていくものです。
ただ、悪い方へ行けば行くほど良い方からは遠ざかるのが自然の摂理、良いと悪いのどちらへ引き寄せられたいかは自分が選べるからこそ、自分を戒めなければと思うのですが、なかなかできていないのが恥ずかしい限りです。
これを占い的に考えると、運の悪い人は自分こそ絶対(知識や技術など)と思い相手を認めない、運の良い人は自分などまだまだと相手を認めて学ぶ姿勢でいる、これだけの差が未来で大きく違ってくるのですから、10年後の自分が惨めな姿になっているのはどちらかは決まりです。
諺にもありますが、うまい話に騙される愚者はいても、うまい話を人に教える愚者はいないと言いますから、騙される人の典型は自分こそ絶対が大半です。 自分だけ儲けようと言う心に原因があるけれど、大抵は綺麗事を言って自分を正当化しますが、早く早くと焦る気持ちが余計にミスを誘発します。
例えば、借金で苦しんでいる人がお金は汚いなどと貶しますが、お金が汚いなんてとんでもない話です。 お金の使い方が汚い人はいるけれどお金は汚くない、借金を背負うのは自分の使い方の問題で、お金自体には何の問題もありません。
お金持ちになって傲慢になる人はいるけれど、それはお金とは無関係でお金が無くても良い人は良いし悪い人は悪い、お金で変わるのではなく人間性で変わるだけです。
人間関係も好き嫌いでしか決まっていないのが現実で、悪口は好きな人ではなく嫌いな人のことを言う筈です。 それも嫌いは嫌いで集まるから、寄ってたかって自分より上にいるのが気に食わないと恨みや妬みになり、邪魔して引きずりおろそうと企む暇人とも言えます。
しかし、運の良い人は受け流して相手にしない道を選ぶことが多く、それは忙しいだけではなく幸せな人は誰かの悪口を言わないからです。 未来が明るくて多くの人に好かれる人、そして温かで穏やかな道を歩む人は、そういう愚かな人たちを相手にする必要がありません。
凄い人は自分が言わなくても人が凄いと言ってくれる、凄くない人は自分が言わないと誰も言ってくれない、それにより人が認めないと怒ると言う悪循環の繰り返しですから、結局は怒る時点で自分は凄くないと証明してしまいます。
そして良し悪しもやり過ぎはだめですが、自分を犠牲にして相手を幸せになんて不幸です。 自分が苦労して相手を楽にしても、それは犯罪行為を助けているようなもの、まずは自分が幸せになることで誰かを助ける余裕が生まれます。
昔の私は「そんなんで生きていて、何が楽しいの?」と言われましたが、これを聞かれて楽しいと答えられる人は何不自由のない生活ができています。 何より悪口や嫌がらせとは無縁の生活だからで、人を貶す人が生きていて楽しいなんて強がりでしか言えません。
幸せな人は人の悪口を言わない、私が悪口だらけだったのは自分が不幸だったからで、今から思えば寂しかったんだと思いますが、悪口を言う人は周りに相手にして欲しくて寂しい人とも言えます。
普通は30代→40代→50代と友人は減っていくから、友人は常に作り続けなければ自然と減ります。 だからと言って無理な友人関係を作り続けると息苦しくなるから、友人ではなく顔見知り程度で止めておくと自分も救われます。
友人に重きを置きすぎると息苦しくなって友人関係が逆に重くなる、だから顔見知り程度に薄くしておけば楽、その楽な輪の中で自由に移動して深く交わらない、そうすると人生は楽になります。
良し悪しは時代とともに変わるので、良し悪しは本当に見方や捉え方によっても違うので、100人いれば100通りと言っても過言ではありません。
人に寄り良し悪しが変わる好例として、山岳救助隊は善意で行方不明の捜索をしているのに、発見できない&救助できないと叩かれますが、あくまでも善意でしていることを叩くと、今度は捜索&救助をお願いしても断られます。
発見&救助できないことを叩く前に、山に登ったのは自分の勝手で誰も登れと頼んでいないし命令もしていない、あくまでも自分の意思で登ったのに救助できなければ叩くなんて、余りにも山岳救助隊の皆様が気の毒です。
私も倉敷や北海道やカナダや千葉は早く発見できればと善意で視ましたが、昨年のある件に関しては他の行方不明者を放り出してでもやれとか、予約を優先するなんて人として最低など、何を言っているのか分からない意見が多かったのも、類は友を呼ぶから訳の分からない人たちには関わるなと言う暗示だったと思います。
良し悪しは表面だけでは本質を見抜けない、そうなると間違った正義を振りかざしたり、被害者のふりをした加害者になるので、その辺を改めると人生は変わります。
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霊視カウンセリング 山崎かずみ
倉敷事務所:岡山県倉敷市川西町1-9
東京事務所:東京都港区赤坂9-1-7

