
おはようございます。 素晴らしい一日の始まりは何も無いこと、何も無いことが幸せと言うのは何かがあればすぐに分かるけれど、何も無いなら分からないのが贅沢になる元、何事もなく淡々と過ごせる毎日は本当に幸せです。
人は誰しも運が良い方を望みますが、運が悪くなるような行動をしているのが問題で、その運の悪い人には共通点があります。 それは常に自分の都合を優先することで、自分の好きな人が自分を好きになって欲しい、自分の出す企画は全て正しい、自分の考えは全て成功する、自分以外は全て○○、このような自己都合優先主義が共通点です。
人間の器とは色々な所で垣間見られますが、ピンチの時やお金を支払う時や部下や後輩に対する時など、そういう何気無い時に心の余裕が現れるものです。 自分が偉いとプライド(自尊心)が高い人は心に余裕がない証拠、だから人の悪口を言って自分を守らないと自らの気の弱さに耐えられません。
彼や旦那様や友人知人や同僚や上司、そういう社会生活における仲間が、冗談も洒落もわからず怒る人なら笑顔が飛びかうのは無理、笑える話は潤滑剤にもなるのに一々上げ足取りをするなら、面倒くさい相手と敬遠されてひとりぼっちも自業自得です。
昔の私は人の言葉に過剰反応して一々上げ足取りや反論や言い訳、そりゃ誰にも相手にされないと自分でも思いますが、そういう皮肉や当て擦りなど人が嫌がることが自分の喜び、そんな人たちは昔の私にそっくりなので良い反面教師ですが、視ていると哀れで気の毒になります。
しかし、そういう人たちも変われるかもしれないし、もしかしたら仲間になれるかもしれない、昔と違い今は来るもの拒まず、できることなら和気あいあいと過ごせる、そういう温かい心に触れて貰えたなら、もしかしてぎすぎすした心を改善できるかもしれない、そうすれば素晴らしい仲間になれるかもしれません。
昔とは考え方も変わってきましたが、仮に私のことを嫌いな人がいても未来からすれば過去の話、もしかしたら仲良くできる未来かもしれない、それなら今は捻くれていても未来では笑顔が飛び交う輪の中に入って頂けたら、それで全て水に流せば良いのではと思えるようになりました。
助けた人の数だけ助けられない人がいる法則、これに気付いてから肩の力が抜けたと言うか、どうにもならない人はどうにもならないと理解する、それによりできることとできないことを学べば、自分の人生について自己嫌悪にならずに済みます。
人は人と関わることで急に考え方が変わったり、急に今までとは違う才能が開花したりします。 人を傷付けるのも人生、人を助けるのも人生、どちらが良いかは人それぞれ、私は人を助ける方が気持ち良い、人に嫌がらせをするより人を誉める方が気持ち良いです。
わざわざ嫌いな人の言動や行動をチェックして、それを捻くれた受け取り方をして上げ足取りや悪口や嫌がらせ、更にアイツは酷い奴だと触れ回る、そういう人を相手にしてはダメなことが文章にすれば変な人だとわかる筈です。 あなたを傷付ける人はおかしい人だから、相手にするとおかしい変な人の仲間入りです。
卑屈な人生の人も変えられる、それなのに卑屈なままで良いと意地を張るのは勿体ない、他人の幸せを羨み妬み、そして嫌がらせをして更に誰にも相手にされない人生、そんな悲しいことの繰り返しでは昔の私にそっくり、卑屈な人生は気の毒過ぎて哀れで涙がでます。
昔の私みたいな人に人生はこんなに温かい人が多くて素晴らしい仲間がいて、自分も相手に勇気を与えられる、そしてありがとうと感謝して貰える、そんな生き方ができるとわかって頂けるお手伝いができたら、素敵な人が増えるから嬉しいです。
昔の私はおかしい変な人だったから人の上げ足取りや悪口ばかり、その時の心境は誰か話し相手になって欲しいです。 今だから分かるのは寂しい人ほど悪口や嫌がらせで注意を引こうとする、けれど悪口を言えば言うほど相手にされない、そして更に捻くれて心がやさぐれる人生、その惨めでどうにもならない哀れなのは私そのものだから過去で経験済みです。
人の良い話を聞いた時に喜べるか~カチンとくるか、その感じ方の差は好きか嫌いかと言うだけ、普段仲の良いふりをしているメッキがはがれるのも、相手の幸せを喜べるかどうかで判断できる、祝福できないのは嫌いと言う本音が心に潜んでいます。
人は生き方と同じく死に方も大事、歳を取ったら医療と関わらないも一つの正解ですけど、それは個人の考え方もあるので死に方もどれが正解はわからない、ただ、悔いなき人生なら悔いなき死に方かもしれません。
色々な苦労も時が過ぎれば笑い話になる、それが自分の血となり肉となり人間としての色気や魅力にもなる、私は虐められたことはネタとして皆様に笑って頂ければ嬉しい限り、自分を笑いのネタにできれば心の重荷を下ろすのと同じです。
相手にありがとうと言える人は強い人、奥様にありがとう、彼女にありがとう、気遣いにありがとう、レジでお釣りを受け取りありがとう、悪口を言う人は勇気も知性も無いから人に感謝もお礼も言えない、ありがとうが言える感謝の気持ちは素晴らしい人の特権です。
相手に対する思いやりとは気遣いの品質により決まるもの、自分だけが良いと思うのを押し付ける気遣いと、相手が良いと思うけれど自分は面倒くさいことをする気遣い、どちらが良いかは明白ですが、人は気付かぬうちに自分が良いと思う気遣いを正義とします。
気遣いとは難しい部分と簡単な部分があって、奥様の手料理に美味しいと言うのはすぐにできる簡単な気遣いや感謝、しかし、相手にプレゼントをする時に相手が好まないモノを渡すのはありがた迷惑、相手が嫌がるものを渡すくらいなら何も渡さないのが気遣いです。
これが難しいと簡単な違いですが、これを難しく考えるとどうしていいか分からなくなり、袋小路に入り込んでしまいます。
あなたは相手への気遣い、どう見ていますか?
ヨロシク(゚0゚)(。_。)ペコッ
お知らせ:東京出張の為、ブログの更新はお休みします。 再開は帰ってからの予定、素敵なお客様に御支援と御愛顧頂ける、そんな奇跡に感謝の気持ちで一杯です。 いつも御予約頂き、本当にありがとうございます。 m(__)m
予約専用電話:090-4690-4618
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鑑定は年中無休で、365日鑑定しています。
霊視カウンセリング 山崎かずみ
倉敷事務所:岡山県倉敷市川西町1-9
東京事務所:東京都港区赤坂9-1-7
人は誰しも運が良い方を望みますが、運が悪くなるような行動をしているのが問題で、その運の悪い人には共通点があります。 それは常に自分の都合を優先することで、自分の好きな人が自分を好きになって欲しい、自分の出す企画は全て正しい、自分の考えは全て成功する、自分以外は全て○○、このような自己都合優先主義が共通点です。
人間の器とは色々な所で垣間見られますが、ピンチの時やお金を支払う時や部下や後輩に対する時など、そういう何気無い時に心の余裕が現れるものです。 自分が偉いとプライド(自尊心)が高い人は心に余裕がない証拠、だから人の悪口を言って自分を守らないと自らの気の弱さに耐えられません。
彼や旦那様や友人知人や同僚や上司、そういう社会生活における仲間が、冗談も洒落もわからず怒る人なら笑顔が飛びかうのは無理、笑える話は潤滑剤にもなるのに一々上げ足取りをするなら、面倒くさい相手と敬遠されてひとりぼっちも自業自得です。
昔の私は人の言葉に過剰反応して一々上げ足取りや反論や言い訳、そりゃ誰にも相手にされないと自分でも思いますが、そういう皮肉や当て擦りなど人が嫌がることが自分の喜び、そんな人たちは昔の私にそっくりなので良い反面教師ですが、視ていると哀れで気の毒になります。
しかし、そういう人たちも変われるかもしれないし、もしかしたら仲間になれるかもしれない、昔と違い今は来るもの拒まず、できることなら和気あいあいと過ごせる、そういう温かい心に触れて貰えたなら、もしかしてぎすぎすした心を改善できるかもしれない、そうすれば素晴らしい仲間になれるかもしれません。
昔とは考え方も変わってきましたが、仮に私のことを嫌いな人がいても未来からすれば過去の話、もしかしたら仲良くできる未来かもしれない、それなら今は捻くれていても未来では笑顔が飛び交う輪の中に入って頂けたら、それで全て水に流せば良いのではと思えるようになりました。
助けた人の数だけ助けられない人がいる法則、これに気付いてから肩の力が抜けたと言うか、どうにもならない人はどうにもならないと理解する、それによりできることとできないことを学べば、自分の人生について自己嫌悪にならずに済みます。
人は人と関わることで急に考え方が変わったり、急に今までとは違う才能が開花したりします。 人を傷付けるのも人生、人を助けるのも人生、どちらが良いかは人それぞれ、私は人を助ける方が気持ち良い、人に嫌がらせをするより人を誉める方が気持ち良いです。
わざわざ嫌いな人の言動や行動をチェックして、それを捻くれた受け取り方をして上げ足取りや悪口や嫌がらせ、更にアイツは酷い奴だと触れ回る、そういう人を相手にしてはダメなことが文章にすれば変な人だとわかる筈です。 あなたを傷付ける人はおかしい人だから、相手にするとおかしい変な人の仲間入りです。
卑屈な人生の人も変えられる、それなのに卑屈なままで良いと意地を張るのは勿体ない、他人の幸せを羨み妬み、そして嫌がらせをして更に誰にも相手にされない人生、そんな悲しいことの繰り返しでは昔の私にそっくり、卑屈な人生は気の毒過ぎて哀れで涙がでます。
昔の私みたいな人に人生はこんなに温かい人が多くて素晴らしい仲間がいて、自分も相手に勇気を与えられる、そしてありがとうと感謝して貰える、そんな生き方ができるとわかって頂けるお手伝いができたら、素敵な人が増えるから嬉しいです。
昔の私はおかしい変な人だったから人の上げ足取りや悪口ばかり、その時の心境は誰か話し相手になって欲しいです。 今だから分かるのは寂しい人ほど悪口や嫌がらせで注意を引こうとする、けれど悪口を言えば言うほど相手にされない、そして更に捻くれて心がやさぐれる人生、その惨めでどうにもならない哀れなのは私そのものだから過去で経験済みです。
人の良い話を聞いた時に喜べるか~カチンとくるか、その感じ方の差は好きか嫌いかと言うだけ、普段仲の良いふりをしているメッキがはがれるのも、相手の幸せを喜べるかどうかで判断できる、祝福できないのは嫌いと言う本音が心に潜んでいます。
人は生き方と同じく死に方も大事、歳を取ったら医療と関わらないも一つの正解ですけど、それは個人の考え方もあるので死に方もどれが正解はわからない、ただ、悔いなき人生なら悔いなき死に方かもしれません。
色々な苦労も時が過ぎれば笑い話になる、それが自分の血となり肉となり人間としての色気や魅力にもなる、私は虐められたことはネタとして皆様に笑って頂ければ嬉しい限り、自分を笑いのネタにできれば心の重荷を下ろすのと同じです。
相手にありがとうと言える人は強い人、奥様にありがとう、彼女にありがとう、気遣いにありがとう、レジでお釣りを受け取りありがとう、悪口を言う人は勇気も知性も無いから人に感謝もお礼も言えない、ありがとうが言える感謝の気持ちは素晴らしい人の特権です。
相手に対する思いやりとは気遣いの品質により決まるもの、自分だけが良いと思うのを押し付ける気遣いと、相手が良いと思うけれど自分は面倒くさいことをする気遣い、どちらが良いかは明白ですが、人は気付かぬうちに自分が良いと思う気遣いを正義とします。
気遣いとは難しい部分と簡単な部分があって、奥様の手料理に美味しいと言うのはすぐにできる簡単な気遣いや感謝、しかし、相手にプレゼントをする時に相手が好まないモノを渡すのはありがた迷惑、相手が嫌がるものを渡すくらいなら何も渡さないのが気遣いです。
これが難しいと簡単な違いですが、これを難しく考えるとどうしていいか分からなくなり、袋小路に入り込んでしまいます。
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霊視カウンセリング 山崎かずみ
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