
おはようございます。 今日も素敵なお客様には良いことがあるから、人を羨んだり妬んだりなどは精神レベルの低いオコチャマに任せておいて、どんどんと運を向上させていくべきです。
しかし、世の中には人を恨んだり妬んだりの感情が渦巻いているもので、それが昔から行われている呪術の一つである「丑の刻参り・丑の時参り(うしのこくまいり・うしのときまいり)」です。
これは丑の刻(午前1時~午前3時)に神社の御神木へ、憎い相手に見立てた藁人形を釘で打ち込む日本古来の呪術です。 通常は白装束で頭に蝋燭を取り付けて行いますが、七日目で満願となり呪う相手が藁人形に釘を打ちつけた部分から発病して死ぬと言われ、そして行っているところを他人に見られると効力が失せる言われます。
ただし、石燕や北斎の版画には呪術する女性のかたわらに黒牛が描かれ、七日目の参詣が終わると黒牛が寝そべっているのに遭遇するので、それをまたぐと呪いが成就するとの説明もあり、この黒牛に恐れをなしたりすると呪詛の効力が失われるとされます。
また、丑の刻参りを他人に見られると参っていた人物に呪いが跳ね返って来るとも言われ、目撃者も殺してしまわないとならないと伝えられます。
なお、「丑の刻」とは昼と同じ場所でありながら「草木も眠る」と形容されるように、その様相の違いから常世へ繋がる時刻と考えられ、平安時代には呪術としての「丑の刻参り」が行われる時間でした。
この丑の刻参りの原型の一つがが「宇治の橋姫伝説」で、橋姫は妬む相手を取殺す為に鬼神となることを願い、その達成の方法として「37日間宇治川に漬かれ」との啓示を受けたのが「京都の貴船神社」です。
橋姫は鬼となり妬む相手の縁者を男女とわず殺して生き続け、後世の渡辺綱に名刀髭切で返り討ちに二の腕を切り落とされて安倍晴明に封印されました。 その彼女が宇治川に漬かって行った鬼がわりの儀式が原型で、現在の形で丑の刻参りが行われるようになったのは、陰陽道の人形祈祷と丑の刻参りが結びついたことによるものです。
なお、映画などで陰陽師が使役する「式神」がありますが、人の善悪を監視する役目を持っていたとされ、様々な不思議な力を発揮したと言われます。 丑の刻参りも陰陽師の儀式と結び付いてから現代の形になったようですが、常夜(夜だけの神の国)から禍をもたらす邪神(魔や妖怪)を呼び出し、恨む相手を祟るが陰陽師の呪術と考えられていました。
ちなみに法律上は呪いなど何の罪にも問われませんが、丑の刻参りをしていると相手に告知した場合は脅迫罪が成立するのでご注意下さい。
牛の刻参りは都会ではなく田舎でこそ行われるものですが、それは田舎の人間関係~狭い地域での噂話やいじめなどにより発展したもので、この呪いの藁人形が本場で有名な県と言えばなんと言っても晴れの国が建前の「岡山県」です。 (注:気象庁の晴れの日ランキングで岡山は16位、だから本当は晴れの国ではありません。)
「えっ?」と思われた岡山県民が多いと思いますが岡山県は呪いの藁人形の本場、いじめられた仕返しに呪いを掛ける気持ちは分からないでもありませんが、「人を呪わば穴二つ」で人を呪えば自分にも跳ね返ってきます。
では、現在でも実際に行われているところをご紹介しますが、全部を紹介していたら県北の品格を貶めるので一つだけ、かなりの数の地域や儀式があるので全部は紹介できません。
その由来ですが、鎌倉から室町への変わる時に斉藤尾張守影宗が治める城があり、敵との戦いで劣勢になると城から一族を退避させましたが敵の追撃は激しく、斉藤の娘は猫と共に敵兵に追われて、斉藤の娘を守ろうとした猫と共に斉藤の娘は死んでしまいます。
娘の死を知った斉藤は娘と猫の為の祠を作り、その祠の前で怒りのままに敵兵を呪うと敵兵は次々と怪死、姫を守る為に死んだ猫が呪いの形で姫の家族を守ろうとした話で、この話から丑の刻参りの本場として知られているのが県北の「□□神社」です。
この□□神社へ行くなら周辺の道路は道幅も狭いので注意、□□神社の駐車場があるのでそこへ車を止めます。 そこから歩きで奥の院の入り口になる鳥居へ行くと、欝蒼と茂る森で枯れ葉などが積もる傾斜の山道です。
途中に休憩所的なモノもありますがとてもゆっくり出来る雰囲気ではなく、しかも途中には石で出来た猫の置物(番人?)もあり、それを横目に奥の院に辿り着くと猫地蔵や小さな祠の招き猫など色々とあります。
ここへ観光気分で行くならお清めの塩でも持っていく方が良いと思いますが、普通の人なら到着すると分かるのは独特な雰囲気です。 私をいじめていた県北の人たちは自分達も同類だから、この神をも恐れぬ所業の独特な雰囲気に見事に同化しています。
話は戻り、こちらは680年の歴史を持つ由緒ある神社で、現在も呪いの儀式を夜中にする人は多く、それも女性が多いのですが、県北の女性がされている内容を知ったら「そりゃ、呪いたくなるわ・・・。」となります。
ただし、本来の□□神社は呪った人も呪われた人も救う呪い払いの神社で、ここでは人々の悲しみを癒し浄化させる為の祈祷が行われています。
今日のブログを読むまで岡山県が呪いの藁人形の本場で今も行われている、それを知らない人が多いのは県南が平和だからです。 岡山の倉敷市や岡山市など県南に生まれた女性は、それだけで幸せであることを理解して下さいね。
興味のある人は夜中に行けば今でも儀式を見れますが、目撃者は殺さないと呪いが自分へ跳ね返ると言われるので、見つかったらものすごい勢いで追いかけてくるので、見物に行く時は走って逃げられる状態で行って下さいね。 できれば100Mを10秒台くらいで逃げないと、あの儀式をしていると何故か信じられないスピードで走れる人が多く、呪いの儀式中はボルトやガトリンに勝てます。
「そんなの、見に行かね~よ・・・。」と聞こえてきそうですが、私が小さい時に白装束の女性が近所の大人たちに取り抑えられていたのは、「こういうことだったのか!」と今になって分かります。
当時は「おかしくなった」と大人たちは言いましたが、「そこまで追い込んだのはあなたたち」とも言えます。 なお、私は□□神社の周りで生まれ育った訳ではなく、このような儀式や風習は県北に限らず田舎ならどこでもあります。
ブログを読むまで呪いの藁人形が岡山県こそ本場だと知らなかったなら、それは生まれてから今まで平和で恙無く過ごしていた証、TVなどのヤラセも含めて他県でやっているのは岡山県のパクリ、晴れの国と言う建前に隠れた呪いの国と言う本質は今も健在です。
あなたは岡山県が本場だと、知っていましたか?
(((=ω=)))ブルブル
予約専用電話:090-4690-4618
予約受付日時:火・水・木の夜8~10時
鑑定は年中無休で、365日鑑定しています。
霊視カウンセリング 山崎かずみ
倉敷事務所:岡山県倉敷市川西町1-9
東京事務所:東京都港区赤坂9-1-7
しかし、世の中には人を恨んだり妬んだりの感情が渦巻いているもので、それが昔から行われている呪術の一つである「丑の刻参り・丑の時参り(うしのこくまいり・うしのときまいり)」です。
これは丑の刻(午前1時~午前3時)に神社の御神木へ、憎い相手に見立てた藁人形を釘で打ち込む日本古来の呪術です。 通常は白装束で頭に蝋燭を取り付けて行いますが、七日目で満願となり呪う相手が藁人形に釘を打ちつけた部分から発病して死ぬと言われ、そして行っているところを他人に見られると効力が失せる言われます。
ただし、石燕や北斎の版画には呪術する女性のかたわらに黒牛が描かれ、七日目の参詣が終わると黒牛が寝そべっているのに遭遇するので、それをまたぐと呪いが成就するとの説明もあり、この黒牛に恐れをなしたりすると呪詛の効力が失われるとされます。
また、丑の刻参りを他人に見られると参っていた人物に呪いが跳ね返って来るとも言われ、目撃者も殺してしまわないとならないと伝えられます。
なお、「丑の刻」とは昼と同じ場所でありながら「草木も眠る」と形容されるように、その様相の違いから常世へ繋がる時刻と考えられ、平安時代には呪術としての「丑の刻参り」が行われる時間でした。
この丑の刻参りの原型の一つがが「宇治の橋姫伝説」で、橋姫は妬む相手を取殺す為に鬼神となることを願い、その達成の方法として「37日間宇治川に漬かれ」との啓示を受けたのが「京都の貴船神社」です。
橋姫は鬼となり妬む相手の縁者を男女とわず殺して生き続け、後世の渡辺綱に名刀髭切で返り討ちに二の腕を切り落とされて安倍晴明に封印されました。 その彼女が宇治川に漬かって行った鬼がわりの儀式が原型で、現在の形で丑の刻参りが行われるようになったのは、陰陽道の人形祈祷と丑の刻参りが結びついたことによるものです。
なお、映画などで陰陽師が使役する「式神」がありますが、人の善悪を監視する役目を持っていたとされ、様々な不思議な力を発揮したと言われます。 丑の刻参りも陰陽師の儀式と結び付いてから現代の形になったようですが、常夜(夜だけの神の国)から禍をもたらす邪神(魔や妖怪)を呼び出し、恨む相手を祟るが陰陽師の呪術と考えられていました。
ちなみに法律上は呪いなど何の罪にも問われませんが、丑の刻参りをしていると相手に告知した場合は脅迫罪が成立するのでご注意下さい。
牛の刻参りは都会ではなく田舎でこそ行われるものですが、それは田舎の人間関係~狭い地域での噂話やいじめなどにより発展したもので、この呪いの藁人形が本場で有名な県と言えばなんと言っても晴れの国が建前の「岡山県」です。 (注:気象庁の晴れの日ランキングで岡山は16位、だから本当は晴れの国ではありません。)
「えっ?」と思われた岡山県民が多いと思いますが岡山県は呪いの藁人形の本場、いじめられた仕返しに呪いを掛ける気持ちは分からないでもありませんが、「人を呪わば穴二つ」で人を呪えば自分にも跳ね返ってきます。
では、現在でも実際に行われているところをご紹介しますが、全部を紹介していたら県北の品格を貶めるので一つだけ、かなりの数の地域や儀式があるので全部は紹介できません。
その由来ですが、鎌倉から室町への変わる時に斉藤尾張守影宗が治める城があり、敵との戦いで劣勢になると城から一族を退避させましたが敵の追撃は激しく、斉藤の娘は猫と共に敵兵に追われて、斉藤の娘を守ろうとした猫と共に斉藤の娘は死んでしまいます。
娘の死を知った斉藤は娘と猫の為の祠を作り、その祠の前で怒りのままに敵兵を呪うと敵兵は次々と怪死、姫を守る為に死んだ猫が呪いの形で姫の家族を守ろうとした話で、この話から丑の刻参りの本場として知られているのが県北の「□□神社」です。
この□□神社へ行くなら周辺の道路は道幅も狭いので注意、□□神社の駐車場があるのでそこへ車を止めます。 そこから歩きで奥の院の入り口になる鳥居へ行くと、欝蒼と茂る森で枯れ葉などが積もる傾斜の山道です。
途中に休憩所的なモノもありますがとてもゆっくり出来る雰囲気ではなく、しかも途中には石で出来た猫の置物(番人?)もあり、それを横目に奥の院に辿り着くと猫地蔵や小さな祠の招き猫など色々とあります。
ここへ観光気分で行くならお清めの塩でも持っていく方が良いと思いますが、普通の人なら到着すると分かるのは独特な雰囲気です。 私をいじめていた県北の人たちは自分達も同類だから、この神をも恐れぬ所業の独特な雰囲気に見事に同化しています。
話は戻り、こちらは680年の歴史を持つ由緒ある神社で、現在も呪いの儀式を夜中にする人は多く、それも女性が多いのですが、県北の女性がされている内容を知ったら「そりゃ、呪いたくなるわ・・・。」となります。
ただし、本来の□□神社は呪った人も呪われた人も救う呪い払いの神社で、ここでは人々の悲しみを癒し浄化させる為の祈祷が行われています。
今日のブログを読むまで岡山県が呪いの藁人形の本場で今も行われている、それを知らない人が多いのは県南が平和だからです。 岡山の倉敷市や岡山市など県南に生まれた女性は、それだけで幸せであることを理解して下さいね。
興味のある人は夜中に行けば今でも儀式を見れますが、目撃者は殺さないと呪いが自分へ跳ね返ると言われるので、見つかったらものすごい勢いで追いかけてくるので、見物に行く時は走って逃げられる状態で行って下さいね。 できれば100Mを10秒台くらいで逃げないと、あの儀式をしていると何故か信じられないスピードで走れる人が多く、呪いの儀式中はボルトやガトリンに勝てます。
「そんなの、見に行かね~よ・・・。」と聞こえてきそうですが、私が小さい時に白装束の女性が近所の大人たちに取り抑えられていたのは、「こういうことだったのか!」と今になって分かります。
当時は「おかしくなった」と大人たちは言いましたが、「そこまで追い込んだのはあなたたち」とも言えます。 なお、私は□□神社の周りで生まれ育った訳ではなく、このような儀式や風習は県北に限らず田舎ならどこでもあります。
ブログを読むまで呪いの藁人形が岡山県こそ本場だと知らなかったなら、それは生まれてから今まで平和で恙無く過ごしていた証、TVなどのヤラセも含めて他県でやっているのは岡山県のパクリ、晴れの国と言う建前に隠れた呪いの国と言う本質は今も健在です。
あなたは岡山県が本場だと、知っていましたか?
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霊視カウンセリング 山崎かずみ
倉敷事務所:岡山県倉敷市川西町1-9
東京事務所:東京都港区赤坂9-1-7

