
おはようございます。 週末になり休みの人もいれば仕事の人もいますが、どちらも今日と言う素晴らしい一日を元気で活き活きと過ごして頂ければと思います。 人は生きているだけで丸儲けと明石家さんまが言っていましたが、確かに生きていることはチャンスだと思います。
ただし、生きているだけならば時間が過ぎるだけになるので、生きているだけの人生と何かを成し遂げる人生では全く意味合いが違います。 どちらが良いかと言えば正解はなく、どちらも人により好みは別で分かれます。
ただし、生きている時間の過ごし方で未来が大きく違うのは当たり前で、真面目に生きてきた人とずるいことばかりしている人が同じでは、それこそ不公平ではないかと思います。
辞書で引くと「ずるい」とは、「自分の利益を得たりする為に要領よく振る舞うさま、そういう性質であるさま、悪賢い、こすい」と書いてあります。
ずるく立ち回って最後に何も残らない人生と、コツコツと真面目に人生を生きて最後に満足が残る人生、どちらを選ぶかと言えば人によるが答えですが、素敵なお客様なら言わずとも選ぶのは決まっていると思います。
適当で安易な毎日を送りながら「今のままでも、きっと明るい」と、何も無いのに自信をもとうとしても無理で、真面目のこつこつと成し遂げる努力があるからこそ、「一人の自分」を感じられます。
目の前のことから逃げた人は死ぬ時に「俺はしっかりと生きた」と感じることはなく、「俺の人生は良いことがなかった」と愚痴を言って死んで行くだけで、間違っても「あの時は、よくやったよな」と人生を振り返ることはありません。
ずるく立ち回って甘い汁を吸いながらも欲求不満、ずるい人は常に自己不確実感に悩まされ満足できませんが、その良い例が周りから見て恵まれている環境なのに、不幸そうな息方に見える人たちです。
歳を重ねて、経済的にも恵まれ、子供や孫にも恵まれ、時間的ゆとりもある、それでも生きている充実感が不自然で、イライラなど常に不満を抱えています。 そういう人を見ると分かる点があり、共通するのはずるい人である点です。
今までの人生を要領良くすり抜けてきたとも言えるのですが、うまく立ち回り嫌なことから逃げ回り、付き合うのは自分が得する人ばかり、自分は何も貢献していないのに、ものすごく色々な貢献をしているフリだけです。
自分の実力で生きてきたのではなく、ずるく立ち回って甘い汁を吸う生き方が身について、もはや自分がずるく立ち回っている自覚すらなくなっています。
その「ずるい」に対するツケは歳をとってからくることが多く、勢いのある時はずるいことをしても突き進んで平気なことが多く、本当のツケは歳を重ねて弱ってきてから次々と起こり始めます。
自分だけ得しようとずるく立ち回って生きていると、気付いた時には「自分の存在が不確か」になっていて、年齢と共に生きることに対する苦悩が起きます。 だんだんと生きるのが辛くなり、寂しい~悲しい~空しいなど不満や退屈、更には現在どころか過去の恨みまで気になり始めます。
難しく言うと「自己実現をせず長く生きてきた証」で、簡単に言うと自分の能力を全力で試して来なかった人生、その甘い汁を吸おうとして生きてきた結果が振り返ると何も無い人生⇒「空虚な今」です。
常に手抜きして楽ばかりで生きて来た人を、周りから見ると不思議なほど不満だらけですが、それは重荷を背負うことから逃げて生きてきたからこそで、外は満たされても内は満たされないのです。
嫌なことや面倒なことから逃げれば得したように見えますし、本人も「しめしめ、うまくいったぜ!」と思います。 ところが心の満足と言う視点から考えると損で、経済的~社会的に得した分だけ心に借金が生まれ、目に見えるところでは得でも目に見えないところで損をしています。
自信をもちたいなら、幸せになりたいなら、逃げてきたツケを少しずつ返していくしかありません。 社会的に成功しても自信の無い人が多いのですが、それは要領よく立ち回り幸運のみで成功した証で、そんな成功を手にしても人生の最後が恵まれている保障はありません。
面倒なことから逃げずに正面から向き合い、一つ一つ問題を解決した人は自信ができて心の落ち着きが得られます。
しかし、ずるい人は楽して金儲けに尽きるのですが、「お金・名誉・力」を求め、それで人からよく思われた~人から尊敬されたいと言うのは無理で、自分の力を誇示したところで心の底はおびえたままです。
ここのところ御紹介している不思議な宿も、きちんと場所や祠の参り方を聞いてから行った人と、勝手に行った人や又聞きで行った人では自ずと違ってきます。
何故なら、聞きに来ないまま行った人が聞いてから行った人と宿で会った時、話しかけられると気まずい、気まずいから逃げるようになる、逃げたり隠れたりしないといけない状態で開運は無理です。
ここへは素敵なお客様たちが続々と予約を入れていますが、宿泊した全員が感想を話に来てオーラや勢いが違っています。 あの宿はずるい人を開運してくれるような甘い宿ではなく、ずるい人が行くべき場所では無いことを行った人は痛感します。
現代社会では「正直者が馬鹿を見る」と言われますが、本当は「正直者が得をする世の中であって欲しい」と思うし、私は頑張っている人や真面目にコツコツとしている人が、開運して幸せになって欲しいと願っています。
あなたはずるい人を見た時、そのままで良いと思いますか?
m(。≧Д≦。)mスマーン!!
予約専用電話:090-4690-4618
予約受付日時:火・水・木の夜8~10時
鑑定は年中無休で、365日鑑定しています。
ただし、生きているだけならば時間が過ぎるだけになるので、生きているだけの人生と何かを成し遂げる人生では全く意味合いが違います。 どちらが良いかと言えば正解はなく、どちらも人により好みは別で分かれます。
ただし、生きている時間の過ごし方で未来が大きく違うのは当たり前で、真面目に生きてきた人とずるいことばかりしている人が同じでは、それこそ不公平ではないかと思います。
辞書で引くと「ずるい」とは、「自分の利益を得たりする為に要領よく振る舞うさま、そういう性質であるさま、悪賢い、こすい」と書いてあります。
ずるく立ち回って最後に何も残らない人生と、コツコツと真面目に人生を生きて最後に満足が残る人生、どちらを選ぶかと言えば人によるが答えですが、素敵なお客様なら言わずとも選ぶのは決まっていると思います。
適当で安易な毎日を送りながら「今のままでも、きっと明るい」と、何も無いのに自信をもとうとしても無理で、真面目のこつこつと成し遂げる努力があるからこそ、「一人の自分」を感じられます。
目の前のことから逃げた人は死ぬ時に「俺はしっかりと生きた」と感じることはなく、「俺の人生は良いことがなかった」と愚痴を言って死んで行くだけで、間違っても「あの時は、よくやったよな」と人生を振り返ることはありません。
ずるく立ち回って甘い汁を吸いながらも欲求不満、ずるい人は常に自己不確実感に悩まされ満足できませんが、その良い例が周りから見て恵まれている環境なのに、不幸そうな息方に見える人たちです。
歳を重ねて、経済的にも恵まれ、子供や孫にも恵まれ、時間的ゆとりもある、それでも生きている充実感が不自然で、イライラなど常に不満を抱えています。 そういう人を見ると分かる点があり、共通するのはずるい人である点です。
今までの人生を要領良くすり抜けてきたとも言えるのですが、うまく立ち回り嫌なことから逃げ回り、付き合うのは自分が得する人ばかり、自分は何も貢献していないのに、ものすごく色々な貢献をしているフリだけです。
自分の実力で生きてきたのではなく、ずるく立ち回って甘い汁を吸う生き方が身について、もはや自分がずるく立ち回っている自覚すらなくなっています。
その「ずるい」に対するツケは歳をとってからくることが多く、勢いのある時はずるいことをしても突き進んで平気なことが多く、本当のツケは歳を重ねて弱ってきてから次々と起こり始めます。
自分だけ得しようとずるく立ち回って生きていると、気付いた時には「自分の存在が不確か」になっていて、年齢と共に生きることに対する苦悩が起きます。 だんだんと生きるのが辛くなり、寂しい~悲しい~空しいなど不満や退屈、更には現在どころか過去の恨みまで気になり始めます。
難しく言うと「自己実現をせず長く生きてきた証」で、簡単に言うと自分の能力を全力で試して来なかった人生、その甘い汁を吸おうとして生きてきた結果が振り返ると何も無い人生⇒「空虚な今」です。
常に手抜きして楽ばかりで生きて来た人を、周りから見ると不思議なほど不満だらけですが、それは重荷を背負うことから逃げて生きてきたからこそで、外は満たされても内は満たされないのです。
嫌なことや面倒なことから逃げれば得したように見えますし、本人も「しめしめ、うまくいったぜ!」と思います。 ところが心の満足と言う視点から考えると損で、経済的~社会的に得した分だけ心に借金が生まれ、目に見えるところでは得でも目に見えないところで損をしています。
自信をもちたいなら、幸せになりたいなら、逃げてきたツケを少しずつ返していくしかありません。 社会的に成功しても自信の無い人が多いのですが、それは要領よく立ち回り幸運のみで成功した証で、そんな成功を手にしても人生の最後が恵まれている保障はありません。
面倒なことから逃げずに正面から向き合い、一つ一つ問題を解決した人は自信ができて心の落ち着きが得られます。
しかし、ずるい人は楽して金儲けに尽きるのですが、「お金・名誉・力」を求め、それで人からよく思われた~人から尊敬されたいと言うのは無理で、自分の力を誇示したところで心の底はおびえたままです。
ここのところ御紹介している不思議な宿も、きちんと場所や祠の参り方を聞いてから行った人と、勝手に行った人や又聞きで行った人では自ずと違ってきます。
何故なら、聞きに来ないまま行った人が聞いてから行った人と宿で会った時、話しかけられると気まずい、気まずいから逃げるようになる、逃げたり隠れたりしないといけない状態で開運は無理です。
ここへは素敵なお客様たちが続々と予約を入れていますが、宿泊した全員が感想を話に来てオーラや勢いが違っています。 あの宿はずるい人を開運してくれるような甘い宿ではなく、ずるい人が行くべき場所では無いことを行った人は痛感します。
現代社会では「正直者が馬鹿を見る」と言われますが、本当は「正直者が得をする世の中であって欲しい」と思うし、私は頑張っている人や真面目にコツコツとしている人が、開運して幸せになって欲しいと願っています。
あなたはずるい人を見た時、そのままで良いと思いますか?
m(。≧Д≦。)mスマーン!!
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鑑定は年中無休で、365日鑑定しています。

