徒然草(占い・岡山・東京・霊視)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    制御。

    おはようございます。 御朱印帳の応募は締め切りましたが、何故か今回は連絡先を書いていない人が非常に多く電話も住所も分からない人が約35%程度、内容不備になっていますので今後はもう一度見直してから御応募して下さいね。 m(__)m

    このような縁とは何かがあるからこそですが、その縁とは異なモノ不思議なモノで誰にも制御できません。 1人+1人=2人だからすんなりと2人になるかと言えばそうではなく、3人や4人になることもあるし人と人が出会うのは意思があることで、感情のぶつかり合いが吉と出るか凶と出るかは誰にも制御できません。

    素敵なお客様より何度も何度も聞かれることの一つ、「未来が視えるなら人と人の出会いを上手く行かせるなんて簡単でしょう?」と言う質問、これは至極ごもっともな質問ですが答えは「NO」です。

    人間が出会いを制御できるなんてことはあり得ない、人と人の出会いをコントロールできたとしたら、それは神の所業とも言うべき奇跡で出会いの制御は不可能です。 昔はできると自信過剰で図に乗っていましたが、人の欲望の前には霊視なんて全くの無力で、何の役にも立たないと痛感しています。

    ブログを書く時に少し説明として実話の場合は本人了承、それ以外は例え話なので内容が似通っていても偶然です。 今日の内容もA・B・C・Dの表記はいずれも架空であり、その架空のAさんとBさんと言う二人がどちらも私のところへ来たことがある設定です。

    このような場合はAさんの未来にBさんが視えて、Bさんの未来にAさんが視えるから、両方へ「出会いの場所と出会いの瞬間」を話せばいい、そう思うかもしれませんが運命は楽をして出会うと良いことにはならない、ずるい生き方をしてはいけないと身に染みています。

    いくらAさんとBさんが未来で出会う運命だったとしても、それを私が視ているからと言って当人同士が分かっていないのに、その誘導をすると本来ならば経験してから出会う部分を省略することになり、その省略した不都合な部分は後で歪として必ず出てきます。

    運命を操作して出会わせると必ずお釣りが来るのですが、そのお釣りを受け取れるほど余裕も無いので、当人同士が気付くまで放置しておくのが正解だと、私も痛い目に遭ってから気付いたのは本当に間抜けだと反省しています。

    では、その逆に何もせずに見続けた結果として、「出会うべき二人がチャンスを逃したことはあるのか?」と言うケース、これはあると言えばあるのですが~無いと言えば無いと言う答えになります。

    何故、こういう答えになるかと言えば、運命は機が熟すのを待っていると言う考え方もできるから、余りにもお互いが気付かない時には出会いのきっかけを増やしてくれる、そうやって引き付けあうように何度かチャンスが訪れるようになっています。

    ただし、5回も6回も待ってくれる訳ではないので、ある程度で気付かないと縁は流れてしまいますが、そうなるまでにはちゃんと何回かは出会うようにしてくれるから、それでも気付けないのは自己責任に近いと感じることもしばしばです。

    ここで再び例え話ですが、CさんとDさんの二人が両方共に来たことがあると仮定して、 CさんとDさんが知り合う運命で何度か顔を合わせているにも拘らず、全く接点を持たずにすれ違いでいる、それを視ている方としては口出ししたくなったりしますが、ここで我慢して見守っていると運命はチャンスをくれます。

    このケースはCさんに霊感と言うほどじゃないけれど、ある種の第六感が備わっていたことがポイントで、CさんはDさんの存在と自分の役割に気付いているから途切れずに続いています。

    残念ながらDさんはCさんの挨拶や笑顔の意味に気付かず放置、この状態が約2年半ほど続いています。 Cさんは私に「Dさんに~」と自分の役割を話してきたので、やはり運命はCさんとDさんを出会わせようとしていると確信、CさんとDさんの出会いに関しては今後も見守ろうと決めたのが2012年8月現在です。

    ここまで読んだ方は、「分かっているなら、その二人を引き合わせれば良いのに?」と思うかもしれませんが、そんな運命を操作する出会いをしたら破綻あるのみ、霊視カウンセラーになって運命を操作して良かったことは一度も無く、誰であろうとも運命には逆らえないのです。

    私もアホだから懲りずに2012年2月12日に運命の先取りをして失敗、もう今後は如何なる事情があっても運命の操作は無理だと思いました。 未来で起きていることを先取りして、そのままのことを実践すると言う楽をしてはならないのです。 (苦笑)

    話は戻りますがCさんとDさんは現在も良い形で進行中、その理由はCさんに第六感があり自分の役割を把握していること、Dさんは人助け系の仕事に就いていること、CさんもDさんも定期的に鑑定へ足を運んでいる常連さんと言う共通点など、お二人の素晴らしい人間性を運命も後押ししているようです。

    やはり、AさんとBさんのケースのように楽して出会った場合は、何か問題が起きても「上手く行かないのは人のせい」となるので、人助けが逆恨みとなることもあるなどの経験により、運命の操作は不可能と実感~無視したら痛い竹箆返しがある、痛い目に遭って学んだからこそ分かります。

    最後になりますが、9月は出張が多くブログの更新が少ないから倉敷へ居る時は極力更新の予定で、明日も更新しますのでよろしければアクセスしてくださいね。 m(__)m

    あなたは人間関係を、制御できると思いますか?

    OK!!( ̄▽ ̄)δ⌒☆

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    自らの分。

    おはようございます。 今年の北海道での鑑定は9月2~4日のみ、次は来年なので御希望の方はお急ぎくださいね。 おかげさまで北海道出張も残り2枠となり、今回もどんな素敵な方々とお会いできるのか、ワクワクドキドキしています。

    今朝も素晴らしい朝を迎え、軽い足取りで出勤、そんな素敵な一日の始まりです。 きっと良いことがある、きっと嬉しいことがある、きっと良い出会いがある、人間は不公平でも運命は公平だから、きっとあなたの未来は明るいはずだと信じています。

    さて、人は公平を望むけれど本当に公平が良いことなのかどうかは分からない、何故なら競争があるから価格が下がる、競争があるから品質が良くなる、競争があるからサービスがよくなる、会社やお店を例に取ると競争が無い独占ならば、あっと言う間に全てが低レベルになってしまいます。

    しかし、人は自分が不遇な時は「どうしてなんだ?」と利益分配を求め、自分が良い思いをしていると「何で分け与える必要があるの?」と利益分配を拒みます。

    マクドナルド、言わずと知れた有名ハンバーガーチェーンですが、このようなファーストフード店へ行くとお店側はサービス提供を簡素化して利益を上げるようにしています。 お客様の方がレジへ行き注文して品物を受け取り、店内で食べる場合は自分で席を選び食した後は、ゴミをゴミ箱へ捨ててトレーなどは所定の位置へ戻す、ほとんどの人が自然と行っていることです。

    ところが、そこで食べた後片付けをせずに変える人を見たら、不愉快な思いをする~感じ悪いと思う~マナー違反だと思う、このように決められたルールを守らないことに対して何か思うことが出てきます。

    では、ここで片づけをしないで帰ろうとする人に注意したらどうなるか、間違いなく言いあいになるか~ケンカになるか~無視して店外へ出て行くか、どれになったとしても「片付けない人が注意を聞いて片付ける」と言う選択を選ばないことを、誰もが暗黙の内に感じ取っているはずです。

    何故そう感じ取るか、人には完全なる予知能力は無いけれど、何となく「この人は、こんな人」と言う予感は感じるモノ、その予感と言うのは大概にして良い方は当たらないけれど、「悪い方の予感はほぼ当たる」と言う性質を持っています。

    つまり、この人に言っても聞かないだろうなと言う悪い予感、この人に注意したら逆切れされて子どもが危険、そういう予感は間違いなく当たるから自分の身を呈してまで、自分の家でもない場所に置いて迂闊に注意出来ないのです。

    ここまで来たらふと気付くかもしれませんが、自分の家でもない場所を汚されたからと言って不快になることは無い、所詮はマクドナルドの店内で店員さんが掃除をするだろうし、自分の服が汚された訳でもないのだから無視して置いても問題は無いはず、それなのに何故かカチンとくる人の方が圧倒的に多いはずです。

    その謎解きですが、人には自分と言うモノがあるからです。 自分とは「自と分」だから自らの分と言う漢字に分けることができますが、自らの分とは「自分の領域」に他ならないのです。

    この自分の領域と言うのは「自分の半径60センチ」などと言う、対人的(物質的)な距離感を指し示すだけではなく、自分が感じているマナーやルールに反する行いをしている人を見たら、それは「自分をわきまえない行為」だと感じて許せなくなるのです。

    マクドナルドはいちいちルールとして明文化した物を、店内に大きく掲げている訳ではありませんが、自分がレジへ近づき~注文して出来上がった品物を自分で運び~食べた後は後片付けをして帰る、この一連の流れを無視している~自分がしているのに何であんたはしないの、こういう自分をわきまえない行為に人は頭に来るモノなのです。

    マクドナルドが提供している「価格・品質・サービス」と言うのは、来店したお客様が自分で行うからこそ提供できることです。

    席に付いたままオーダーを取って貰い~上げ膳据え膳で食べるがしたいなら、「それだけの料金を払い、そういうお店に行く」と言う、誰もが守るべきルールを破る行為が「ルールを守る自分」と「ルールを守らない相手」に分かれ、「守るべきことを守らない=自らの分をわきまえない」ことにより、知らず知らず人間の尊厳を傷付けられたと感じるのです。

    この行為においては地位や収入や学歴は関係なく、ファーストフードでは自分が食べた物は自分で片付ける、そういうルールを守らないのは当然ながら不正になります。

    自分の家でも部屋でもないけれど誰もが守るべきルールを守らない不正は許せない、ルールを守っている自分は損益を被っている、この正義感が度を越して行き過ぎると脳の中で逆転現象が起き、この世に起きることは全て相手が悪いと認識する脳になり、悪いのは全て日本~良いことは全て自国と言い張る近隣諸国のようになります。

    ただし、幸か不幸か日本人は謙虚な人が多いので、モヤモヤ(イライラ)はするけれど我慢する人が多いので、脅迫~恫喝~暴力を平気で行う国民性になっていくことはありません。

    国全体が自らの分を弁えない国民ばかりになると世界中から嫌われるのですが、バブルの頃の日本はまさに自らの分を弁えずに嫌われ者でした。 経済好調な国は恫喝や脅迫など自己主張ばかりですが、その勢いが衰えた時にはバブル後の日本のようになって真価を問われます。

    あなたは自分の行為を、自らの分だと思いますか?

    ナンデヤネン!(。-ω-)_θ☆(ノ・⊿・)ノ

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    いじめ。

    おはようございます。 いつも素敵なお客様は幸せな人生を送れるはず、その幸せとは何も起こらないことが大原則、病気も事故も何も起こらずに普通に過ごせることが幸せで、何かが起これば自分の不幸を嘆き悲しむことになります。

    人は赤ちゃんから徐々に大きくなり学生から社会人となって、やがては親となり子供を持つ人生を選択する人もいると思いますが、子どもを持つ人生を選択するなら「子どもを教育する」ことと「子どもを守ること」は親の役目、それに早く気付くのも親の役目の一つです。

    正直言って書くつもりが無かったので7月18日のブログで軽く触れた程度でしたが、もうすぐ新学期で夏休み明けはいじめが横行するし、親の立場で悩まれる素敵なお客様もいるので、子どもを守る為にもいじめについて書いてみたいと思います。

    昨年10月に滋賀県大津市の中学2年生が、いじめを苦にしてマンションから飛び降り自殺しました。 ニュースで大きく報じられているから御存じの方も多いと思いますが、この事件は闇に葬られるはずが親の努力とネット社会だから表に出た事件です。

    今も昔もいじめはあるので「昔は今ほど陰湿じゃなかった」と、言い訳して逃げる大人が多いのは残念です。 昔も今も陰湿と言う点では変わり無く、逆に今の方が隠し通せず表に出るだけマシ、そう感じるほど県北のいじめは酷かったです。

    基本的に子供を授かり親となったなら子どもの行いには全責任を持つのが当たり前で、幼児が火に近づいたら理屈無しに厳しく叱ることで危険性を学びます。 子供に物心がついたら真っ先に善悪の区別を教える、それができていないから「いじめてどこが悪い」と言う子どもになります。

    日本のいじめの直接的な原因は親が躾と教育の義務を忘れ、いじめ&犯罪予備軍を学校に通わせて、なんでもかんでも学校に任せるのが当然だとする風潮があることで、子供の非行の全責任が親権者にある事は何処の国でも常識ですが、何故か日本では教育と躾は学校がするモノで親に責任は無いことになっています。

    褒めるところは褒め~罰するところは罰する、その勧善懲悪と信賞必罰は伝統や文化により違いはあるけれど万国共通の倫理観で、それに気付かない&わきまえない親が増えれば増えるほど「いじめ」が増えるのです。

    日本のマスコミはいい加減で適当だから勧善懲悪や信賞必罰を時代遅れと言いますが、人間が生きていく上で勧善懲悪と信賞必罰は」扱いする「勧善懲悪」は決して時代遅れではありません。

    日本の評論家とマスコミはいじめが起きると「親権者の責任を問わず」で、なんでもかんでも学校の所為にする風潮も戦後日本の特徴と言うより問題の一つで、更に言うなら日本でいじめ事件が起こると被害者のことより「加害者の人権保護」ばかりする、これでは勧善懲悪や信賞必罰が成り立つ筈がありません。

    では、どうして日本では加害者の人権がアホみたいに擁護されるのか、それは子供をネタにして稼ごうと売名に忙しい、「教育専門家(評論家)」がしゃしゃり出てきて、それをマスコミがネタにして稼ごうとするからです。

    そろそろ「いじめとはなんぞや?」と言う定義をはっきりさせるべきですが、いじめられた立場から言わして頂ければ、「いじめとは犯罪である」が答えです。 いじめは子供の社会だけではなくおとなにも存在するので根絶は不可能で、戦争や殺人を失くすのと同じくらい難しいです。

    学校でいじめがあるのは否定できないけれど、社会へ出ると同じようにいじめが待っているので、いじめをする人は社会へ出ていじめられて、初めて自分の人生を振り返ることになり、同じくいじめられる子供はいじめをバネにして、社会性や処世術を学んだりします。

    しかし、それはあくまでも一時的な仲間外れとか、喧嘩しても翌日には自然治癒する範疇、そして先生と言う名の審判が公平に両方を罰する、そういうことが確立されている場合のことで、自殺に追い込む~窃盗させる~集団リンチするなど、ここまでくるといじめではなく犯罪と言います。

    私はことあるごとに「子どもの教育は都会でするべき」と言うのは、人数が少ない村社会で大きくなるといじめも犯罪も当たり前と言う大人が増えて、「それの何が悪いの?」となるからです。

    基本的に教師はコネ社会に加えて社会に出たことがない為、社会常識が著しく欠如しているし、おまけに教師同士の身内結婚も多く田舎みたいな血縁社会です。 そんな教師が当てにできない以上は同級生が救いですが、田舎ではひとりがいじめを始めるとすぐにいじめ仲間ができて集中攻撃、田舎に正義は無く利害関係と力関係があるだけです。

    しかし、都会になればなるほど対抗勢力ができてくるので、いじめられていても「1=クラスが多くクラス替えで助かる」や、「2=生徒数が多いといじめられる人を庇う生徒が必ず出てくる」など、田舎に比べると都会のいじめはかなり少ないので地方のいじめが目立つのです。

    TVなどマスコミに出るいじめはホンの一部で氷山の一角、それが証拠に私の話を知るまで、これほどのいじめが岡山県に存在したのかと驚くと言うことは、非人道的な最凶最悪の恐ろしさを知らなかったからです。

    御存じの方もいると思いますが昨日も県北で殺人事件があり、夫が妻の背中を15ヶ所ほどメッタ刺しにしたようです。 前々からお話しているように、このような事件は普通のこと、何をどう言ったところで事件が頻発しているのは事実、世間では危ないと思われている東京の方が安全に決まっています。

    今でも東京へ行くと「先生の生まれ育った国は~」とか、「それは日本の話ですか?」などと聞かれますが、生まれも育ちもれっきとした岡山で、年収3千万以上の生保芸人も県北、そういう地域特性なのかもしれません。

    あなたはいじめを、見て見ぬふりしますか?

    o(゚◇゚o)ホエ?

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    ダーウィンの悪夢。

    おはようございます。 日本に生まれて日本で育つ、それは世界から見ればすごく幸せなことで、人は知らないから幸せに生きることができる証明でもあります。 日本は不公平と言う人が結構いますが、日本から出れば日本の良さを再認識するだけのこと、移住しても今さら戻れないと後悔している人も結構います。

    治安だけが危険な訳じゃなく口へ入れるモノに細工をされたら何が原因で病気になるか、その恐ろしさを考えたら危険な国へ旅行した人が病気になるのは当たり前、日本人と見れば食べ物へ色々なモノを混ぜるクオリティ、○○ブームと言う嘘に騙されないよう、行かない~買わない~食べないが自分を守ることになります。

    さて、本題に入りますが2004年に公開された、「ダーウィンの悪夢」と言うドキュメンタリー映画があり、これはタンザニア共和国にあるビクトリア湖畔の物語で、ここはダーウィンの箱庭と呼ばれる生態系が豊かな湖でした。

    ここに植民者にナイルパーチと言うスズキ科の淡水魚を放流、ナイルパーチは獰猛な魚で次々とビクトリア湖の魚を食べつくして、今は生態系を破壊して無残な姿になりました。

    しかし、湖畔で暮らす貧しい漁民たちは今度はナイルパーチ漁で生計を立てるようになり、漁で得たナイルパーチは近代的な加工工場へ運ばれて、加工した後は冷凍保存されるシステムとなりました。

    そして湖畔には何故か古びた飛行場があり、ここへは国籍不明な貨物飛行機が飛来するようになり、冷凍保存されたナイルパーチの切り身は貨物飛行機に載せられて、ヨーロッパや日本へ飛んでいくと言われています。

    そして漁民たちは自分たちが決して食べることの無いナイルパーチを取り続け、加工工場から出てきたナイルパーチの残骸を集めて乾かし、それを油で揚げて食べると言う生活をしています。

    ナイルパーチを乾かす作業をしている女性は腐敗した魚から出るアンモニアにより失明、そして子どもたちは日々の苦しみを忘れる為に捨てられた発泡スチロールの残骸を集め、それを火であぶり出てくる有毒ガスを麻薬代わりにして現実逃避、そういう現実が今もあるのです。

    漁民の生活は貧しくて苦しいけれど、農民だったらいいかと言われれば他も似たようなもので、戦争を期待する人もいるほどです。 何故なら戦争になれば兵士となって現金収入が得られるし、武器輸送のパイロットや兵士を相手に売春で稼ぐこともできる、そういう現実が世界では今も起きているのに、日本は不公平と嘆くのは知らないから言える言葉です。

    ここまでなっても欧州やアフリカの議会に動きが無いのは、「飛行機で欧州からアフリカへ武器を輸出して、飛行機が欧州へ帰る時はナイルパーチの加工品を積み込んでいる。」と、パイロットが証言したことにより欧州とアフリカの経済関係が明らかになったからです。

    武器輸出への嫌疑や生態系の破壊、外国に食材を輸出しながら残骸を非衛生的な状態で食べる人たち、その中で育つ子供たち~売春やエイズなどさまざまな側面から描き出され、世界では今も貧困と言う言葉が消えていない現実を知らず、日本はダメな国と批判だけして自分は親の脛齧りで温々とニート生活、そんな矛盾だらけの人生では意味がありません。

    このブログを読む素敵なお客様の人間性だと慈愛溢れているが故に、映画ダーウィンの悪夢を見たら~ダーウィンの悪夢の現実を知ったなら、心が痛むはずだし~良心の呵責があるはずです。

    では、このナイルパーチはどこでどうなっているのか、海外ではファーストフードの原材料となり、日本では業務用スーパーなどで見ることができますから、分からないだけで日本の外食産業はナイルパーチを使っているお店も多いはずです。

    知らず知らずの内に食べているかもしれないナイルパーチ、知らなければ平気で食べることのできた魚ですが、今日のブログを読んだ後でナイルパーチを食べることができるのか、もしかしてタンザニアの人々のことを考えて食欲を失う人がいるかもしれません。

    だからと言ってナイルパーチを食べることが悪いのかと言われればそうではなく、もしも正義を振りかざして食べなくなれば需要が無くなることに繋がり、魚が売れない漁民たちはますます貧困な生活へとなって行きます。

    貧困国より怪しげな飛行機で運ばれたナイルパーチですが、日本に運ばれるまでには先進国の商社や卸業者など複雑な流通ルートにより、どこでどうなっているのかを知らずに食べることかできます。

    どこかの芸人たちやどこかの国の人たちみたいに生保不正受給などをした訳じゃなく、きちんと自分が働いて得たお金で買ってナイルパーチを食べている以上は、何ら引け目や負い目を感じることは無く、貧困地域における生態系の破壊や劣悪労働環境などは綺麗にロンダリングされているから、魚を買って食べることに問題は無いと心の呵責が減るはずです。

    なお、参考までに日本国内ではナイルパーチがどのように流通しているか、それに対する正確な情報はどこの会社も秘密で明らかにすることはありません。

    何となくヒントみたいなものとして言えば、白身魚のフライ~スズキの代用品と言うことから、安売りの白身魚に関する加工品や白い切り身はそうかもしれません。 詳しいことは流通経路を明らかにしない限り分からないし、人の舌は真偽を確認できるほど敏感ではないので、グルメリポーターや食通の解説は当てになりません。

    グルメや食通は当てにならない証拠となる食材のひとつに「ししゃも」がありますが、世間で食べているししゃもの99%はカペリンと言う魚で、本物のししゃもは築地や札幌などごく一部の市場でしか取引されない超高級魚なのに、TVに出ている美食家やグルメリポーターは、ししゃもとカペリンの違いすら分からず解説しています。

    あなたはダーウィンの悪夢、その現実を知っていますか?

    Σ( ̄Д ̄;)がーんっ!

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    御朱印帳。

    おはようございます。 今日も素敵なお客様には良いことがある、それは今日のブログを読んでいる時点で確定、少し大袈裟でも思い込みの力と言うのは大切だから、「良いことが起こる」と信じ込むのも必要です。

    例えば、先日の東京で素敵なお客様が鑑定場所への通路で小栗旬さんと遭遇、「実物の方がカッコイイ! もう、運を使い果たしたかもしれない!」と喜んでおられましたが、そう言っていた3日後に某踏切内で電車を止めると言う大事件、「運を使い果たした」なんて冗談でも言ってはいけないのです。 (←あくまでも例え話です。)

    さて、今日のタイトルは「御朱印帳」としていますが、まず単なる「朱印」とは朱色の印肉(朱肉)を用いて押印した印章のことで、大まかに言えばハンコとも言えます。

    つまり、広義的には朱肉により押された印章全般を言いますが、その中でも特に日本の戦国時代から江戸時代にかけて書類に用いられた物、もしくは現代日本での神社仏閣において参拝者向けに押される物は敬称として「御朱印(ごしゅいん)」と言います。

    そして複数の朱印の印影を集めることを「集印(しゅういん)」と言いまして、朱印を押印し集印するための専用の帳面を「御朱印帳(ごしゅいんちょう)」と言います。 御朱印超は屏風折にして両側が固い表紙と言う形式が多く、寺社や文房具店などで色々なタイプが販売されています。

    この御朱印は「記念スタンプ」とは違いまして、その寺社の職員や僧侶や神職など、それなりの立場の人が押印をします。 そして単に印を押すだけでなく、墨書で寺社名や参拝日などが書かれて、その墨書も含めて「朱印」と呼ばれています。

    起源には諸説あるので一概にこうだとは言えませんが、元々は寺社に写経を納めた際の受付印であったとする説が有力で、それにより朱印を「納経印」と呼ぶこともあります。 現在でも納経をしないと朱印がもらえない寺院が存在していますが、多くの寺社では少額の金銭(初穂料・御布施)を納めることで朱印がもらえます。

    金額は300円~500円の間が多いのですが、それ以上の額が提示されることもあるし、厳島神社のように「お気持ちをお納め下さい」と金額を明示しない場合もあります。

    そして御朱印は印に寺社名が入っていることから、寺社で授与されるお札などと同等とされていて粗末に扱うべきではなく、朱印帳を普段は神棚や仏壇に上げている人もいます。

    簡単に言うと各寺社の御朱印が押された御朱印帳が一つあれば、その寺社全てのお札を飾ったのと同じくらいになります。 だからこそスタンプ帳やメモ用紙などへの朱印を拒絶している寺社もあり、神様仏様の恩恵があるのに失礼なことをしてはいけないのです。

    なお、ここでひとつだけ注意点として、一般的に浄土真宗の寺院では参拝者に朱印を押印しません。 迂闊に話しかけると不機嫌になるので、嫌な思いをしたくなければご注意くださいね。

    ここで少し横道へそれますが「公的な書類への印象が朱色」なのは、織田信長や徳川家康が重要な文書は朱印、私信や雑務的な文書には黒印を用いて使い分けていた名残で、朱印の始まりは遡ること遠田信長です。

    ただし、朱印が用いることが可能だったのは武士などの支配階級のみで、農民や町人は黒印のみしか用いることができませんでした。 明治元年(1868年)9月以降に農民や町人の朱印使用が認められるようになり、そこから次第に朱印が広く用いられるようになりました。

    今年は1月からお守りプレゼントや新年会と言う毎年恒例のイベントに加え、子宝祈願のお守りプレゼント~護摩祈願、そしてキリ番も定期的にするなど素敵なお客様に喜んで頂けることを毎月行うようにして、今年はできるだけ企画を開催していきたいと考えています。

    そして今回は「御朱印帳」のプレゼントで御朱印が入った御朱印帳を、過去にお越し頂いた素敵なお客様に無料でプレゼントします。 東京都内のパワースポットの御朱印を集めていますが、夏は暑くてとても回れないし再度やろうと思えば時間とお金も掛かるので、次にやるかどうかは未定の企画です。

    この御朱印帳を「欲しい!」と思う方は、応募についての内容を御覧の上で、葉書か封書にてお申込み頂ければと思います。 デジカメの小部屋に御朱印帳と御朱印をアップしておりますので、よく御覧頂いて欲しいかどうかの御確認をして頂ければと思います。

    1:氏名と連絡先
    2:欲しい理由
    3:最後に来た時期 (2008年1月頃など)
    4:ブログの感想
    5:取りに来る場所 (倉敷or東京)

    応募の締め切りは8月28日(火)の消印有効、自宅をパワースポットに変えると言われ、御神体(御本尊)の御加護があるとも言われる御朱印、この機会に手に入れるのも良いと思います。

    これは東京のパワースポットを巡った御朱印帳で、世界にたった一つしかありません。 だからこそ素敵なお客様のお手元へと思うのですが、一つしかないので応募が1通以上であれば抽選となりまが、今回は激戦となる感じです。

    なお、当選者にはお電話にて連絡いたしますが「手渡しのみ」です。 今回郵送しない理由は、お渡しする時に御朱印帳について少し説明があるからで、御朱印帳を最後に完成させるのは当選者自身です。

    この御朱印帳のプレゼントは毎年やろうと思っていましたが、これだけの手間暇とお金が掛かるとは思いもせずに始めましたが、実際にやってみると大変だったので気が向いたらするとしか言えません。

    あなたは御朱印帳を、欲しいと思いますか?

    (^人^)感謝♪



    お知らせ:おかげさまで週末は業務多忙の為、ブログの更新は28日(火)より再開いたします。 予約は受け付けておりますので、遠慮なくお気軽にお申し付けくださいね。 いつも御予約頂き、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    子どもの成長。

    おはようございます。 昨日も無事に東京より帰ってきましたが、夏休みと言うこともあり羽田空港は大混雑でした。 子どもに取って夏休みの思い出は成長の為に必要なモノ、休みの間にどれだけ達成感と成功体験を身に付けるか、これは学校の勉強では身につかない冒険が決め手です。

    その為には親が子どもに、「危ないからやっちゃダメ」~「やめておきなさい」~「いけません」など、否定言葉で冒険させない&やらせないと言うのが一番よろしくないです。

    幼い頃より否定言葉ばかりを言われたら、何かに挑戦することがいけないと子どもは考えるようになります。 過保護で至れり尽くせりで育てた子どもに、学校を卒業したからと言って「はい、今から自分の足で歩いて行け」なんて無理な話です。

    社会へ出ると「人生とは冒険である」と分かるのですが、親が助けることはできない時になってから自立を求めるのは筋違い、幼い時から子どもの冒険心をくすぐることが将来の成功に繋がります。

    例えば、幼い時に自然に触れ合うのも大切なことのひとつで、山や高原は行くだけで心に元気がみなぎることも多く、森林に入るとマイナスイオンあふれる大自然が広がっています。

    足元には名も知らぬ草花や植物、空には鳥が羽ばたき~木々にはカブトムシやクワガタといった昆虫を見る、そうした体験を通じて子どもが「これ何?」と聞いてきたら、それが昆虫や花の名前を教えるチャンスで、自然における辛さと達成感を親子で共有することは子どもにとっては大切です。

    最後までやり遂げた成功体験がひとつでもあれば、子どもは自分から積極的に行動して頑張れます。 その頑張りが次へ繋がり、それにより苦しいことから逃げなくなり、放っておいても自分から学ぶ子どもになります。

    体験の魅力は何と言っても終わった時の達成感にあり、初めてのことに取り組む時は大人でも尻込みしますが、初めての場所で覚える事~やらなければならないこと、やってはいけないこともたくさんあるからです。

    特に動物と関わる体験は疑似体験と言えど、命にかかわる以上は責任が伴います。 子どもたちにとっては辛く途中で投げ出したくなるかもしれませんが、そうした困難を乗り越えた時に子どもは大きく成長します。

    農作業(牧場など含む)は決してひとりではできないし、共同作業の楽しさを自分で感じられたら、家に帰ってからも家事を積極的に手伝うようになります。 共同作業の楽しさと苦しさを体験すると、相手を思いやる&助けあうができる子どもになります。

    そして自然と言えば逆なのが都会で「旅=海や山」と言う自然へ行くこと、あるいは有名な観光地や温泉地へ行くイメージがあるかもしれません。 ところが東京へ行くことは子どもたちにとっては「良い体験」に加えて「夢」にもなります。

    東京は間違いなく日本の政治、経済、文化、観光の中心地、流行の先端の情報発信地です。 地方と違い観光で無くとも有名な場所や話題のスポットを巡るだけで、様々な刺激を受けて自分のイメージを描くきっかけにもなります。

    スマホやネットではなく「地図や掲示板」を使って、網の目のように張り巡らされている地下鉄を乗り継ぎ、銀座や浅草を巡るのも良いし、家族でオシャレして美術館に赴き親子一緒に名作を観賞するのも良いことです。 ホテルや美術館やレストランで過ごすことは、大人の世界を垣間見る絶好の機会で、良い場所で覚えたマナーは一生の財産です。

    そして動物介在教育と言うのも重要で、学校やクラスで小動物などを飼育すると、子どもたちの社会性や協調性、優しさや思いやりなどの感性を豊かにして、生命教育にも繋がります。

    動物園や水族館などで動物や生物に触れることは温もりや命に触れる貴重な体験で、直接でなくとも動物園で動物たちのかわいいしぐさや表情を見たりするだけでも癒され、水族館で回遊する魚のスピードに驚いたり、不思議な色や形の生物を直に見たりすることで子どもは生き物への興味や関心を高め、自然界や人以外の命の存在や重みを感じられるようになります。

    現代社会では日常の中で動物体験をすること自体が難しくなっているので、だからこそあえて動物たちと遭遇することで、人として思いやりと優しさを見つけさせるのが大切な心の学びです。

    また、どこの航空会社も「お子様だけの一人旅」などを行っていますが、これは職員(GH・CA)により目的地まで王様扱い、到着後は親や祖父母のところまで案内するシステムで、飛行機の座席へ一人で座った実績を親も祖父母も褒めちぎる、これでは子どもが「一人旅(冒険)」の意味を勘違いします。

    職員へ我が儘を言い放題で、到着後も迎えに来た親や祖父母に向かって一目散で走り、転んだら烈火の如く職員を怒鳴り上げる親や祖父母、こんな様子では親子の我が儘体験に過ぎません。

    一人旅(冒険)と言うのはバスや電車を乗り継いで、自分で時間や路線を調べ~分からなければ周りの人に尋ねる、そうやって目的地へ辿り着くのが本当の冒険で、そこで辿りつけたなら楽しくて嬉しくて一生の思い出になります。

    1986年公開のアメリカ映画で「スタンド・バイ・ミー(Stand by Me)」と言うのがあり、4人の少年たちが好奇心から線路を歩いて旅に出る、そんなひと夏の冒険を描いている映画ですが、これこそが子どもの冒険と言う見本ではないかと思います。

    あなたは子どもの成長に、良い体験をさせたいですか?

    o(^O^*=*^O^)o ワクワク

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    激安の裏~下。

    おはようございます。 激安の裏についても最終回となりますが、本当は30回連載でも良いくらい書きたいことがあります。 それでは読む方が大変なので分かりやすくと考え、身近なスマホやファーストフードを取り上げましたが、今日は激安弁当や激安居酒屋についてです。

    つい6~7年前までは「ワンコイン弁当発売」と、コンビニ弁当が500円で食べられると驚きの時代でしたが、今や激安弁当の時代で「398円⇒298円⇒198円」と下がる一方です。 お勤めの方~特に男性は自分で弁当を作らないので、これで昼食を済ませて夜は付き合いと言う世迷い事を盾に激安居酒屋で一杯となります。

    さて、ここで「激安弁当は家計の支え」~「激安居酒屋は小遣いが減っているから助かる」と、マスコミは肯定的な意見ばかり取り上げていますが、ホントに助かっているのかどうか、それについてよく考えないと「非人道的行為」を更に積み重ねることになります。

    まずは一つ目の問題ですが、激安弁当や激安居酒屋が実現できるには、仕入れる食材をどうするかと言うのが真っ先に上がります。 当然ですが冷凍食品を使うようになり、それは中国など東南アジアの安い労働力が支えているのです。

    世界では「労働搾取工場(sweat shop)」と呼ばれ、長時間&低賃金と言う最悪の工場ですが、日本も無関係ではなく「毒入りギョーザ事件」は記憶に新しいはずで、中に何が入っているのか~どういう製造工程なのか、それが不明なモノを安いからと食べているのです。

    そして二つ目の問題とは人件費の削減で、今の飲食店業界は店長が正社員で残りはアルバイトと言う、非正規労働者のおかげで成り立っています。

    それなのに激安を実現させる為に人件費を削るばかりしていると、それにより労働市場の不安定化が進み失業率の増加、そしてアルバイトにより家計を助けていたのがクビになり収入が減ることになります。

    つまり、激安を求めれば求めるほど自分の首を絞めている、相手に安さを求めるならば自分の給料が下がることを容認しなければならない、その社会構造の仕組みも分からずに激安を求めるのであれば、それはいつまで経っても悪循環のままです。

    激安弁当も激安居酒屋も一見すると弱者の味方に見えますが、本当は弱い立場にある人を泣かせた上で成り立っている商売です。 激安を求めるサラリーマンの生活だって苦しいのは分かりますが、自分より弱い立場の人を更に苦しめた上で成り立っている商売を支援するのは、いつかは自分に跳ね返ってくることを分かった上でする覚悟が必要です。

    では、昨日の最後に書いた何故「ファーストフードの話を?」ですが、それは今日の激安弁当と激安居酒屋も同じことで、日本は飽食すぎるのが問題です。

    日本の激安は一年に3180万トンの食材を輸入しているからこそ実現できるのですが、1日で言うと8万7千トンと言う数字、この数字に隠れたもう一つの意味は「ペットフード」も外国産の食材により成り立っていると言うことです。

    例えば、キャットフードの原材料は海外の貧困国の人が捕まえた魚により作られますが、日本ではネコちゃんが食べる高級魚を現地の人は口にすることができないと言う事実、それを人としてどう考えるのか、結局は悪くは無いけど良くも無いに落ち着くと思うのです。

    少しでも安いモノと言う気持ちは分かるのですが、相手の身になれば少しでも高く買ってあげることも必要ではと思うし、もっと本質的部分を言うならば「食材を無駄にしない」と言う人間として当たり前のことをしなければならないのです。

    日本は残飯の多い国で食べ残しや廃棄処分により捨てられる量、それは2千万トンにも上り、分かりやすく言うと東京ドーム51杯分の食材が食べられるのに廃棄、その現実を考えると食べ残しなどしてはいけないと気付けるはずです。

    日本から食べ放題と激安系店舗(居酒屋や弁当)とコンビニが無くなれば、そこまで食材を無駄にせず済むのですが、スーパーは見切り品として値下げしてかなり有効に使いますが、コンビニは見切り品にするくらいなら捨てろと指令が出ているから、大手コンビニの社長がTVに出て偉そうなことを言っても説得力はありません。

    つまり、日本人は激安を求めるのもいいけれど、もう少し食べ物を大切にして~適正価格を大切にすると言うのも、人としてボランティアをしていることになるのです。

    死亡する原因と言うのも「貧困国では飢えに苦しみ食べ物が無くて死んでいく」のに、富裕国では「栄養がありすぎて成人病などにより死んでいく」と言う、同じ死と言うモノの迎え方が全然違う意味合いです。

    最後に児童の労働についてですが、貧困国では児童が労働することで家族の生活が成り立つから悪いかどうかは分かりません。 それでも幼い子供が大人に殴られ~脅され、更に危険な仕事や危険な農薬など薬を浴びている現状が良いかどうか、普通に考えれば善悪の判断は付くはずで、児童ポルノなんて論外だし社員旅行で渡○○の島へ行く男たちなんて最低な鬼畜です。 (彼や旦那様は、渡○○の島へ行ったことがありますか?)

    また、コーヒーを飲む人は多いと思いますが、そのコーヒー豆は生産者⇒ブローカー⇒商社⇒加工業者⇒販売業者と、幾人もの手を通過するから道徳的ロンダリングができて心が痛まないだけ、本当は幼い子どもが苦しみながら作ったコーヒー豆により激安コーヒーができているのです。

    そしてサッカーボールについても一言、日本で使われているサッカーボールの大部分は海外生産品であり、そのボールには幼い子供の「血と汗と涙がこびり付いている」のに、生産者から販売店までのルートで道徳的ロンダリング完了、知らないから平気でボールを使えるのか~知っていて平気で使えるのか、人として生きたいなら知っておくべき問題です。

    ただし、だからと言って貧困国や弱小国から物を買わないと、ますます貧困に陥り困るので買うことは悪ではない、正規労働者の賃金を搾取する企業やブローカーの方がよほど悪です。

    あなたは激安の裏を、どのように考えますか?

    (ノ゚⊿゚)ノびっくり!!

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    激安の裏~中。

    おはようございます。 倉敷事務所へ来た方は既に御存じですが、今週からお願いトトロが鎮座しているので、「お願い事⇒柏手」としたらお願い事を叶えてくれるかもしれません。 お願い事をした後でトトロが何かをするので、それにより色々と意味が変わるので少しでも楽しんで頂ければと思います。

    さて、昨日の続きですが人は誰しも自分なりの正義を持っていて、ちゃんと正しいことをしようと言う気はあります。 ただ、その正しいことが自分の欲望を満たすと言うこと、それを正しいと思いひたすら快楽追求と言うのが、正義を間違える瞬間です。

    NIMBY(Not in my back yardの略でニンビー)と言う言葉があり、産廃処理施設やごみ焼却場や葬儀場など、「必要だけど家の裏には来て欲しくない」と言う意味で使われる言葉です。

    誰しも嫌なモノは受け入れたくない、その為に自治体も地元も解決にはお金がいると言うことになり、お金で物事を片付けていたひずみが今になって出てきた、お金が欲しいと言うさもしい人間は一時的には黙るけれど、すぐに慣れてきて金額を上げろと言い始めるからNIMBYは各地で起きるのです。

    今回「激安の裏」と言うタイトルを付けたのは、果たして人間の欲望と言うのは本当にさもしいのか、快楽を追求することは悪いことなのか、激安は本当に弱者の味方なのか、そういう部分を掘り下げて解説する為に付けたのです。

    このブログを読む人は慈愛溢れる人のはずで、そういう人は「欲求はあるけれど快楽追求は、本当に良いのだろうか?」とモヤモヤ、そのモヤモヤを取り除く為に解説している側面もあります。

    さて、私は県北の生まれで成人するまでコンビニへ入ったことがありませんが、もちろん「ケンタッキー・マクドナルド」などのファーストフードもありません。 ケンタッキーへ初めて入ったのは2008年2月の東京出張で、こんなに美味しい食べ物があるのかと感動しました。

    このファーストフードはランチや小腹が空いた時は重宝しますが、それは時間が計算できるし味も均一化してあるから便利、休日ともなれば親子連れで満員~親子の笑顔が飛び交うのは素敵なことで、子供向けセットにはおもちゃも付いてきて~レジ横には募金箱もあり、お釣りを募金する姿は日本人も捨てたもんじゃないと思えるシーンです。

    では、ここでいくつか思い付く疑問を発展途上国(貧困国や弱小国)の人々に代わり、豊かな国で暮らしている人たちへお伺いしたいと思います。

    A:安い牛肉を生産する為に南米の熱帯雨林を切り開いて牧場を作り、それにより二酸化炭素の吸収ができなくなり、地球温暖化が進む要因の一つとなっていること、一度破壊した自然は元へは戻らないのに、何の責任も感じず牧場を広げ続けている現実があります。

    B:牛を安く育てるには貧困国より安い穀物を輸入して牛に与えるから、牛は1キロ大きくするのに10キロの穀物が必要で、牛肉を使うことが多くなればなるほど貧困国や弱小国の穀物が減る、安い牛肉を食べる為に多くの穀物を奪っていると言うこと、お金にモノを言わせて強者が弱者から穀物を買っている現実があります。

    C:セットについてくるおもちゃは、貧困国や弱小国に住む「子ども」が生産したもので、この子どもたちはファーストフードなんて食べたことは無いし、セットについてくるおもちゃで遊んだこともありません。 その子どもたちは低賃金で強制労働、当然のことながら学校へも行けず、大人になることも叶わず死んでいく子どもたちがいる現実があります。

    素敵なお客様ならA~B~Cを読めば意図とすることに気付いて頂けるはずですが、ファーストフード店で安くて美味しいモノが食べられるのは「地球環境を破壊」して、「途上国の子どもたちや多くの人を苦しめて泣かした上で成り立つ」と言うことです。

    親の立場の人ならば余計に分かるはずですが、自分の子どもが鞭で打たれながら食べ物もロクに与えられずに働かされて、一日働いた賃金も日本円で20円になるかどうか、その犠牲の上でファーストフードが成り立っていると言う現実を知った上で、「美味しいor不味い」や「まだまだ高い」などの台詞を吐いている男たち、そういう似非グルメをどう思うのか問いたいのです。

    差し詰め、レジ横に募金箱があるのは良心の呵責を少しでも減らす為、お店の赤字を募金箱により少しでも埋める為、うがった見方をするなら~厳しい視点から見るならば、こう考えることもできるのです。

    ただし、ここで間違えて欲しくないのはファーストフード店が悪いと言いたい訳ではなく、ファーストフード店があるからこそ「雇用⇒収入⇒生活」と言う流れがあるのも、現代社会では否定できません。

    毎日汗水流して一生懸命に働いて、たまの休日に子どもとファーストフードを食べに言って、親子仲良く美味しいモノを食べる幸せと言うのも間違いではなく素敵なこと、あちこちで笑顔が飛び交う姿を否定できる人は誰もいないと思います。

    では、何故「ファーストフードの話を?」と思うかもしれませんが、それについては明日のブログで書くので、もう少し激安の裏についてお付き合い頂ければと思います。

    またまた長くなるので、明日へ続く~です。 m(__)m

    ヾ(・ω・o) ォィォィ

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    激安の裏~上。

    おはようございます。 今日は激安の裏と言うタイトルにしていますが、別に激安の流通経路を暴いたりする訳ではなく激安と言う言葉の意味の深さ、世の中は損する人がいるから得をする人がいる、繁盛するお店は他店の利益を奪うことで繁盛できる、そういう真実が意味するモノを考えたいと思います。

    私は旧式のガラケーでスマホではないし、PCも事務所にあるだけで家にはありません。 物質的な時代遅れと言う意味では相当な時代遅れ人間で、自宅にはTVや冷蔵庫があるだけで、ほぼビジネスホテルみたいな部屋です。

    それでは世間の話題についていけないのか、こう聞かれたら「はい、ついていけません」と素直に答えます。 それを恥ずかしい奴と言われても文化や教養の話について行けない方が恥だと思うし、そういう価値基準の違いに不便や恥を感じることはありません。

    PCについて分からなければ分からない時に調べれば不便は無いと思っているし、スマホを持っていなくて仲間外れになるような人間関係も無いし、物質的な面で今も未来も不自由を感じることは無い人生だと思います。

    今は何かを手に入れるとすぐに陳腐化してしまう、一つ手に入れるとしばらくして性能が格段に向上した新製品が出てくる、そうなると買い換えると言う永遠の物質的欲求を満たす為に生きていることになります。

    例えば、スマホを持っている男性に聞いてみたいのは「機能の全てを使っていますか?」で、更に突っ込むなら「通話・メール・ネット閲覧・ゲーム・カメラ機能」の5つを除いて、「何に使っていますか?」と聞きたいのですが、この5つはスマホじゃなくてもできます。

    私は飛行機の中で着陸の時によく拾うモノ~昨年1年間だけでも7回ほど拾いましたが、何を拾うのかと言えば「ipad(スマホ含む)などモバイル端末」で、膝や椅子の上に置いただけの人が多く、着陸の衝撃で床に落ちて滑り前方へ飛んできます。

    スマホやモバイル端末を買ってさっそうと持ち歩く姿はカッコイイと思いますが、飛行機の着陸の衝撃すら予想できず前方へ飛ばしてしまう人の多さに、人類の知能は衰えていく一方ではないのかと感じずにはいられません。 それに機内でスマホなどを拾って渡してもありがとうを言われたことはなく、そういう面でも退化しているのではないかと思われます。

    そして道に迷いスマホやモバイル端末を見て立ち往生している姿をよく見ますが、それも道のど真ん中や細い通路の中心で立ち往生、これがどれだけ歩行の邪魔になるかも分からずスマホやモバイル端末にしがみつく姿を見ていると、人としての「勘所やマナー」の衰退は著しいとしか思えず機械に使われる人間社会の縮図です。

    現代社会は豊かになっているにも拘らず、人の欲求は留まるところを知らないほど「もっと! もっと!」と、更に次を求めて永遠の欲求は続いて行きます。

    「未来で子どもたちに恥じない生き方」と言うのはよくブログに書きますが、1000年後に地球と人類が存在していたなら、間違いなく歴史の教科書には1910年~2010年の100年間は、人類の歴史上もっとも贅沢を尽くして快楽を求め、更に天然資源を使いまくり枯渇させた最悪の時代と言う恥ずかしい記述になります。

    歴史に詳しい人なら分かるはずですが、人類の歴史で言うなら昔から色々な戦争や虐殺がありましたが、人類史上で最も人が人を殺しているのは「1910年~2010年」の100年間であると言うこと、昔は虐殺が多いように感じますが現代の方が圧倒的に人が人を殺している時代です。 (2012年8月時点の話で、今後も□□や○○による殺戮は増える一方です。)

    今は戦争でも化学兵器も含めて大量殺戮ができる武器と兵器があること、銃の乱射など一般人でも大量殺戮ができる犯罪多発の時代であること、そして○○の自治区弾圧など静粛と言う名の大量殺戮が平気で行われていること、今ほど人が人を殺している時代は人類史上ないと言うことを知って頂きたいのです。

    現代の快楽追求と言うのは誰かの犠牲の上に成り立つだけのこと、昨年の東日本大震災があるまで原発の危険性を認識せずに原発は儲かる、そういう認識の人が大勢いたから原発のある地域は潤沢な資金があって、働く場所と高収入が確保されていたのは事実です。

    ところが事故が起きるや途端に原発廃止と言うけれど、生活レベルは落としたくないし電気も使いたい、代替えエネルギーがあっても電気代の値上げ反対、そして原発反対のデモの参加者を集う為にツイッターなどで一日中電気を使いまくり、これでは電気が不足するのは当たり前で、自分では何もしない人ほど電気を使っている現実があります。

    結論から言うと原発の廃止とエネルギー不足の解消は余裕で出来るのですが、TVの放映を朝6時から夜11時までにして後は放送しない+スマホやモバイル端末を使わない、この2つだけで日本の原発を全て廃止しても電力不足に陥ることはありません。

    例えば、駅で迷ったら備え付けの構内図を見る~行き先は備え付けの路線図を見る、それでも分からなければ駅員さんに聞く、これを全てスマホで済ませるから電気を使うだけのこと、自分でやれば電気を使わなくても済むことばかりです。

    日本人も自分の欲の為だけに生きることをそろそろやめよう、そう思わせるほど震災前と震災後では意識が変わりつつあるのを見ると、震災は悲しくて辛くて大変な出来事だったけれど、ひとりひとりの心へ考えさせる点ではプラスだったかもしれない、そうやって辛い思いを乗り越えるのも一つの考え方ではないのかと思うのです。

    今回の激安の裏側は上中下の3回に分けて更新しますが、彼や御主人に読ませて心に感じるモノがあるなら、その男性とお付き合い&結婚したことは幸せに繋がるはずです。 何故なら、思いやりがあり相手の気持ちになって物事を考える男性で無いと、理解できない話だからです。

    長くなりそうなので、明日へ続くです。 m(__)m

    (-_-)ウ~ン?

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    男の本音~④。

    おはようございます。 ここまで読んでいるなら男の本音に対して、今までとは違う感覚が芽生えているかもしれませんが、その感覚を大切にしていけば男女間にできた溝が浅くなり、やがては平らになる時が来るかもしれません。

    では、最後に男の本音の中でも「嫌い」に関することで、男の本音では「どのような女性が嫌いなのか?」についてですが、その中身を「そりゃ、あんただけ」と思うのも当然で、好き嫌いは個人の好みなので強制できないし、個人の思想や自由は守られるべきだから良いと思います。

    しかし、男の本音を勉強して恋を上手く行かせたい、男の本音を理解して結婚生活を潤滑に行かせたい、このように思うのであれば内容が耳に痛くても勝手な言い分だと感じても、男の本音だから男の操縦法として身に付けておけば恋だけではなく、結婚生活でも仕事でも応用できると思います。

    では、男が本命にしたくないと感じる条件の中でも「嫌いになる」と言う最悪、これを避けるには簡単なことに注意して気を付ければ、誰でも直せるし上手くできるようになるが答えです。

    では、出会いからデートと言う流れの中で一番嫌なことで一番目に来るのは「優柔不断」で、女性から見てもなかなか決められない男を見たらいらいらしたり不安に感じたりと、好きな気持ちが萎えてしまうこともあるはずです。

    それと同じく男の本音としては「度を超えた優柔不断」は嫌いの元で、この「度を超えた」と言う部分が曲者です。 何が食べたいと聞かれて「何でも」と答える、どこへ行きたいと聞かれて「どこでも」と答える、何が観たいと聞かれて「どれでも」と答える、これは男としては困る答えばかりで「もう会わない」となります。

    男は自分が優柔不断で決められないからこそ、少しの問い掛けですぐに答えてくれる女性を好きになるので、すぐに決められると言う反応の良さは日頃の訓練の賜です。 見た目はおっとり~イザと言う時はテキパキ、このギャップに男はメロメロになるのです。

    しかし、男の本音として嫌いと感じる最大にして最強なのは、何と言っても「女心は分からない」に集約されるのですが、男が女性といて一番不安に思うのは「彼女は何を考えているんだろう?」です。

    もう、これに勝る不安(嫌い)は無いと断言できるほどですが、男の本音として女心の解明とも言うべき「本心を知りたい(本音が知りたい)」と言うのは、自分が理解できない行動をされた時には如実に現れます。

    そして意外なことに自分では気付かずに男を不安にさせる女性がいる、それに自分が当てはまると結婚どころか恋ができないとなります。

    例えば、「それ、何か意味あるの?」~「それで、得するの?」~「だから、どうしたの?」など、常に相手の話にマイナスの突っ込みを入れてしまう、しかも悪気なく普通に問い掛けているつもりだから、男としては良い気持ちで話しているのに腰を折られたり、ケンカの原因として非常に大きな要因となるのが怖いのです。

    このマイナス言葉の怖いところは「何を考えているのか、分からない」と、男の警戒心を強めてしまうことで、こうなると一定の線を引いてしまい容易には近付けなくなります。

    このマイナス言葉を知らない間に使ってしまう女性の特徴として、デート中にメールを頻繁に見る、電話が掛かってきたら楽しそうに延々と話をする、一度話したことをもう一度話して念押しする、これをやってしまう女性は自然とマイナス言葉が出ているはずです。

    男の本音として「確証(確定する何か)」が無ければ告白しないもので、「この子は俺のこと好き」~「俺、気に入られてるよな」など、少しでも確信を持とうとしているのにマイナス言葉やマイナス態度が出てしまうと、それは恋をする以前の問題になってしまいます。

    男の本音としては「振られて傷付くのは嫌!」であり、「何を考えているか分からない女性との距離を縮めて告白する」のは、相当な勇気が必要だと知って欲しいのです。 極端な話、この地球上には「分かりにくい女性と臆病な男性」しかいない、そう考えていないとダメなのです。

    男は好きな女性に取る態度、それはデートや食事には誘うけれど告白しないを3ヶ月~半年ほど続ける、ワン切りや出れない時間を狙って着信履歴を残して反応を探る、こうやって女性の胸の内(女心)を探ろうとするのですが、これをやられた女性のほとんどは「何考えてるのよ」と、男のする読めない行動にイライラするはずです。

    そのイライラが何を思わせるかと言えば「女々しい、煮え切らない」で、男の方は一生懸命に口説こうとしているのに、女性の方は脈なしか脈ありか分からないから諦めようとなります。

    では、ここで男の心をズバッと付いて脈ありかどうかを確かめる質問をひとつ、「ねぇ、もしもね、私が彼女だったら、考えていることが分からなくて不安?」と聞いてみるのです。

    それに対する答が好きなどうかの本音になることが多く、「いや、そんなこと無いよ、一緒に居て楽しいから。」~「キミといると緊張する。(好きだから緊張)」などの答えは大いに脈ありで、あなたのことが好きで告白したいけれどできない状態です。

    逆に「そうだね、息が詰まるよ。」~「なんか信用できないよね。」~「俺、騙されてんのかと思う。」など、乗り気しない答えでは脈なしだと思ってくださいね。

    そして最後に男の本音として、遊びの相手には仕事の話をしたがらないし、したとしても仕事の愚痴だけ話して憂さ晴らし、仕事内容や転職相談などシリアスな話は本命の彼女にしかしないのが本音です。

    それに男の場合は「連絡が無い=脈無し」とも言えないのですが、本当に好きな女の子には嫌われたくないから連絡しないことがあり、電話したいけれどできない~声が聞きたいけれど嫌われたくないから電話しない、そういうことも多いのです。 (その辺の男性心理は、鑑定の時にお聞きくださいね。)

    あなたは男の本音、どれだけ理解できますか?

    (○゚ε^○)v ィェィ♪



    お知らせ:おかげさまで週末は業務多忙の為、ブログの更新は14日(火)から再開します。 いつもご予約いただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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