
おはようございます。 今日も素敵なお客様の笑顔が人類を救う、それくらいの意気込みでもいいし~世界の幸せは自分の笑顔から始まるでもいい、世の中の役に立っている自分を感じて頂き、これからも自分が生きていることで誰かの役に立つ人生を喜びとして頂ければと思います。
誰かの役に立つ、これは人のDNAに刻み込まれているのか、それとも生まれながらにして魂に刻み込まれているのか、人の役に立つことをしてありがとうと言われた時、よほどの変人でない限りは「嬉しい気持ち」が湧き起こります。
東日本大震災の時にボランティアは世界中から来てくれたし、日本国内でも普段は寄付やボランティアに関わるはずが無い人でも、心理的変化なのか何かは分からないけれど協力する、そういう人が増えた時でもあったと思います。
震災から一年が経ちましたが、素敵なお客様より「3月11日に何かするんですか?」と、ちらほらお問い合わせがあるのですが、答えとしては「何も予定はありません」となります。
確かに東日本大震災が起きた直後の2011年3月14日のブログで、義捐金を呼び掛けて多くの素敵なお客様に賛同して頂きましたし、2011年3月29日のブログで寄付先と合計金額を発表しています。
しかし、この1周年と言う時に「何故、予定が無いのか?」と言う問いに対する答えとしては、「東日本大震災からの復興とは一時的なお祭りでは無いから」が答えです。
復興への道は継続して行かなければならないから、1周年だから何かをすると言うのではなく継続すること、それも一度にたくさんではなく少しずつを末長くでないと、単なるお祭り騒ぎで終わらす訳にはいかないのです。
阪神大震災に比べると復興が進まない理由はいくつかありますが、その中の半分くらいを占めるのは東北の被災者の方々が、「○○○○を付けないこと~そして○○が無いこと」が復興の進まない最大の原因で、これを言っても当事者は聞く耳を持たないし~気付かないと思います。
○の中に「どんな文字が当てはまるのか」は、素敵なお客様に考えて頂ければと思いますが、今のままでは復興は「長い話+難しい話」になりそうです。
義捐金ひとつにしても、日本国内のみならず世界中から集まった義捐金がどう使われるか分からない、不安に思う気持ちは充分に分かるのですがしないよりはする方がマシです。 そしてTVなどマスコミは偏った意見ばかりではなく、「もうひとつ、突っ込んだ部分」を取材して報道するべきです。
例えば、義捐金が被災者に渡った時、その義捐金を被災者の方々はどのように使っているのか、そして被災者の方々は本当に仕事が無いのか~それとも働く気が無いのか、その辺のところも取材して伝えるのも報道の義務と責任ではないかと思います。
義捐金でパチンコへ行き~自分に向いた仕事が無いと言い訳ばかりで働かない、夫婦で義捐金を奪いあって離婚が増えているなど、「そんなことは無い」と否定するなら追跡取材して報道することが義務と責任、そうでないと義捐金を出した善意ある人々の気持ちを踏み躙ることになると思います。
これ以上、被災地で起きている真実について言及しませんが、「お金と善意が無尽蔵にある訳ではない」ことを理解して、本当に復興へ向けて歩きだして欲しいと願います。
最後に2011年3月下旬の東京で被災者の方々や御家族を鑑定した時、天災&震災と言う誰の責任でもないことへ対して、「何を話したのか?」を書いてみたいと思います。 本来であれば僧侶や神主の仕事だと思うのですが、震災の時は僧侶や神主も自分のことで手一杯、だから運命が私に指示したのかもしれません。
この時の東京出張では東日本大震災で家も親も姉妹も失い一人ぼっちになった、そんな最悪の状況の渦中にいた女性がお越しになられました。
御相談は一つだけと言うより震災のことしかないのですが、その女性より「私は何も悪いことはしていないし、誰かに迷惑を掛けたことも無い。 寄付やボランティアもしてきたのに、どうして私がこんな目に遭わなければならないんですか!」と、涙を流しながら訴え掛けられました。
未熟な私は問いに対して何も答えることもできず、私を責めて気が済むならと思い黙って聞いていました。 ひとしきり話された後で少し落ち着いた時に、私がお話しした内容は次のようなことでした。
「あなたが、家、親、姉妹、全て失ったのは事実で、その悲しみを理解するなんて気軽なことは言えません。 それでも神や仏や運命を呪っても仕方が無いし、自分の行いは正しいのにどうしてこんな目にと考えて過去を生きるよりも、あなたが生きていると言う現実をどのように受け止めるか。 今のあなたは生き残っている、生きている以上は三十三回忌まで生き抜いて、亡くなった方々のご冥福を願うのが生きている者の務めではないでしょうか。 あなたは、これからも生き抜いて、亡くなった方々の想いを受け継ぐことが人生の役目ではないでしょうか。」
これが私なりの回答の全文で、こう答えるしかなかったのかもしれません。
占いで人が救えるのかと聞かれたなら、救えないと答えるしかない。
霊視で心を癒せるのかと聞かれたなら、癒せないと答えるしかない。
「それじゃあ、おまえは何もできないのか」と聞かれたら、「何もできない」と答えるしかない状況を、昨年の3月11日から経験し続けてきて今年の3月11日を迎えました。
天変地異と言うべき巨大な災害の前には人は無力、救えるのは個人個人の持つ思いだけ、それも目の前の人を救いたいと言う無償の愛、それが少しずつでも集まることや継続することで東北の復興は見えてきます。
あなたは3月11日、この日に何を想いますか?
(○ ̄ ~  ̄○;)ウーン・・・
誰かの役に立つ、これは人のDNAに刻み込まれているのか、それとも生まれながらにして魂に刻み込まれているのか、人の役に立つことをしてありがとうと言われた時、よほどの変人でない限りは「嬉しい気持ち」が湧き起こります。
東日本大震災の時にボランティアは世界中から来てくれたし、日本国内でも普段は寄付やボランティアに関わるはずが無い人でも、心理的変化なのか何かは分からないけれど協力する、そういう人が増えた時でもあったと思います。
震災から一年が経ちましたが、素敵なお客様より「3月11日に何かするんですか?」と、ちらほらお問い合わせがあるのですが、答えとしては「何も予定はありません」となります。
確かに東日本大震災が起きた直後の2011年3月14日のブログで、義捐金を呼び掛けて多くの素敵なお客様に賛同して頂きましたし、2011年3月29日のブログで寄付先と合計金額を発表しています。
しかし、この1周年と言う時に「何故、予定が無いのか?」と言う問いに対する答えとしては、「東日本大震災からの復興とは一時的なお祭りでは無いから」が答えです。
復興への道は継続して行かなければならないから、1周年だから何かをすると言うのではなく継続すること、それも一度にたくさんではなく少しずつを末長くでないと、単なるお祭り騒ぎで終わらす訳にはいかないのです。
阪神大震災に比べると復興が進まない理由はいくつかありますが、その中の半分くらいを占めるのは東北の被災者の方々が、「○○○○を付けないこと~そして○○が無いこと」が復興の進まない最大の原因で、これを言っても当事者は聞く耳を持たないし~気付かないと思います。
○の中に「どんな文字が当てはまるのか」は、素敵なお客様に考えて頂ければと思いますが、今のままでは復興は「長い話+難しい話」になりそうです。
義捐金ひとつにしても、日本国内のみならず世界中から集まった義捐金がどう使われるか分からない、不安に思う気持ちは充分に分かるのですがしないよりはする方がマシです。 そしてTVなどマスコミは偏った意見ばかりではなく、「もうひとつ、突っ込んだ部分」を取材して報道するべきです。
例えば、義捐金が被災者に渡った時、その義捐金を被災者の方々はどのように使っているのか、そして被災者の方々は本当に仕事が無いのか~それとも働く気が無いのか、その辺のところも取材して伝えるのも報道の義務と責任ではないかと思います。
義捐金でパチンコへ行き~自分に向いた仕事が無いと言い訳ばかりで働かない、夫婦で義捐金を奪いあって離婚が増えているなど、「そんなことは無い」と否定するなら追跡取材して報道することが義務と責任、そうでないと義捐金を出した善意ある人々の気持ちを踏み躙ることになると思います。
これ以上、被災地で起きている真実について言及しませんが、「お金と善意が無尽蔵にある訳ではない」ことを理解して、本当に復興へ向けて歩きだして欲しいと願います。
最後に2011年3月下旬の東京で被災者の方々や御家族を鑑定した時、天災&震災と言う誰の責任でもないことへ対して、「何を話したのか?」を書いてみたいと思います。 本来であれば僧侶や神主の仕事だと思うのですが、震災の時は僧侶や神主も自分のことで手一杯、だから運命が私に指示したのかもしれません。
この時の東京出張では東日本大震災で家も親も姉妹も失い一人ぼっちになった、そんな最悪の状況の渦中にいた女性がお越しになられました。
御相談は一つだけと言うより震災のことしかないのですが、その女性より「私は何も悪いことはしていないし、誰かに迷惑を掛けたことも無い。 寄付やボランティアもしてきたのに、どうして私がこんな目に遭わなければならないんですか!」と、涙を流しながら訴え掛けられました。
未熟な私は問いに対して何も答えることもできず、私を責めて気が済むならと思い黙って聞いていました。 ひとしきり話された後で少し落ち着いた時に、私がお話しした内容は次のようなことでした。
「あなたが、家、親、姉妹、全て失ったのは事実で、その悲しみを理解するなんて気軽なことは言えません。 それでも神や仏や運命を呪っても仕方が無いし、自分の行いは正しいのにどうしてこんな目にと考えて過去を生きるよりも、あなたが生きていると言う現実をどのように受け止めるか。 今のあなたは生き残っている、生きている以上は三十三回忌まで生き抜いて、亡くなった方々のご冥福を願うのが生きている者の務めではないでしょうか。 あなたは、これからも生き抜いて、亡くなった方々の想いを受け継ぐことが人生の役目ではないでしょうか。」
これが私なりの回答の全文で、こう答えるしかなかったのかもしれません。
占いで人が救えるのかと聞かれたなら、救えないと答えるしかない。
霊視で心を癒せるのかと聞かれたなら、癒せないと答えるしかない。
「それじゃあ、おまえは何もできないのか」と聞かれたら、「何もできない」と答えるしかない状況を、昨年の3月11日から経験し続けてきて今年の3月11日を迎えました。
天変地異と言うべき巨大な災害の前には人は無力、救えるのは個人個人の持つ思いだけ、それも目の前の人を救いたいと言う無償の愛、それが少しずつでも集まることや継続することで東北の復興は見えてきます。
あなたは3月11日、この日に何を想いますか?
(○ ̄ ~  ̄○;)ウーン・・・

