
おはようございます。 いつも素敵なお客様がいるからこそ生きている実感があるのですが、私は本当に恵まれていると思うのは毎日素敵な方々にお会い出来ることです。 私は本来であれば素敵なお客様にお会いできる身分ではありませんが、運命に助けられたことから今に至っています。
占いが好きか嫌いかは別として、人は生きている間に一度は運命について考えると思うのですが、その時に運命を受け入れるように見せて諦める人と、何もかも良いように考えて諦めない人と、その差は都合良く考えるかどうかであり、物事はやってみなければ分からないと言うのが本当です。
人はお金があるだけでは満足できないけれど、お金が無ければ生きていけないのも事実です。 夢があると幸せな思いが続くから良いことですが、夢を見ているだけでは生きていけないのも事実です。
人は親を選んで生まれてきたと言うメルヘンは日本など先進国だから言えるだけで、ジンバブエやイランなどの紛争地帯に生まれてきて、地雷で足を失い~戦争で家族を失い~生きる希望を失い、そんな状況で「それはあなたの学びです。」なんて言われて納得できるはずがありません。
そういう時に出来るのは水や食べ物や住む場所など、生きていく上で必要最低限の状態を整えて、それから教育など生きていく術を身につけることの支援など、自立できる道を与えることが余力ある人や国がするべきことです。
「富を得るモノには責任がある」と言う言葉は深いのですが、富を得るにはそれだけの理由があるので、その得ている富を誰かに還元すると言うことを忘れると運命が御仕置して、頂点だと感じている場所から転げ落ちてしまうのです。
だからお金持ちは性格が悪いと言われる所以は富を自分の為だけに使うからで、それを繰り返していると病気や没落など何らかの天罰、それにより目が覚めるなら再び盛り返せるけれど、そうでないなら失墜したまま浮び上れなくなるのです。
お金持ちは性格が悪い、お金持ちは態度がデカイ、お金持ちは人をいじめて富を得ている、こういう世間の評判に対してNOと言える人は少ないと言うか、反論できる人はほぼゼロのはずです。
しかし、そうやってお金持ちの態度が悪い部分を見ているはずなのに、不思議なことに自分がお金を手に入れるとあれほど嫌いだったお金持ちと同じ行動をしてしまう、自分が富を得てしまうと頭が高くなり腰を低く出来なくなる、これではいつまで経っても堂々巡りで富が性格の悪い人の間を移動しているだけとなります。
人は心の持ちようで生き方を変えることは出来るのですが、心の持ちようは自分自身で変えるしか方法はなく、心の中身を誰かに変えて貰うことはできません。
人は憧れると言う心があるのですが、これは人にだけある行動です。 植物や動物に置いては主従関係があるだけで、憧れると言う気持ち自体が起こり得ない部分で、憧れる気持ちは何かの関係があろうとなかろうと心に留めておくだけで、前に進む原動力となるのです。
私はボランティアや寄付をしても見返りを求めてはいけないと言いますし、ボランティアや寄付をしたからと言って良いことがあるとは限りません。 ひょっとして良いことがあるかもしれないし、巡り巡って返ってくることがあるかもしれないとは思いますが、それによりすぐにすぐ何かが変わる訳ではありません。
残念ながら損得勘定で生きている人は私の話を「眠たいこと言うな」とか、「アホな話をするな、時間の無駄じゃ」と言うのですが、人は生きている間にプラスとマイナスが限りなく50対50に近付きます。
仮に生きている間に50対50に近付かない場合があるとすれば、それは来世において前世の分をお釣りとして貰うことになります。 それが良いお釣りなら来世では嬉しいはずですが、悪いお釣りなら「どうして?」と自分の運命を呪うはずです。
寄付やボランティアは損得勘定ではなく、「自分の心や生き方を強くする為」に行うことであり、何もしないで言うだけの人よりも何か行動を起こした人は心が強い、そして生きていく力をドンドンと身に付けて、生きていく力の何たるかを得ることが出来るはずです。
何かしたいと言う気持ちが湧きあがるのは、それはあなたと言う素晴らしい人が「この世に生まれてきた証」で、その心が突き動かされることが人としての魂でもあると思うのです。
魂~魂と馬鹿のひとつ覚えみたいに言う宗教家や僧侶や神主は寝言しか言いませんが、心が突き動かされるのは素敵なお客様の中にある本物の魂が作動している、それは目に見えるものではないけれど尊い何かで、人として生きる上で大切なモノだと思うのです。
あなたは湧き上がる気持ち、抑えることが出来ますか?
ヤッホー(ノ^∇^)ノ
お知らせ:出張の為、ブログの更新は11月3日(木)より再開いたします。 いつも御予約頂き、本当にありがとうございます。 m(__)m
占いが好きか嫌いかは別として、人は生きている間に一度は運命について考えると思うのですが、その時に運命を受け入れるように見せて諦める人と、何もかも良いように考えて諦めない人と、その差は都合良く考えるかどうかであり、物事はやってみなければ分からないと言うのが本当です。
人はお金があるだけでは満足できないけれど、お金が無ければ生きていけないのも事実です。 夢があると幸せな思いが続くから良いことですが、夢を見ているだけでは生きていけないのも事実です。
人は親を選んで生まれてきたと言うメルヘンは日本など先進国だから言えるだけで、ジンバブエやイランなどの紛争地帯に生まれてきて、地雷で足を失い~戦争で家族を失い~生きる希望を失い、そんな状況で「それはあなたの学びです。」なんて言われて納得できるはずがありません。
そういう時に出来るのは水や食べ物や住む場所など、生きていく上で必要最低限の状態を整えて、それから教育など生きていく術を身につけることの支援など、自立できる道を与えることが余力ある人や国がするべきことです。
「富を得るモノには責任がある」と言う言葉は深いのですが、富を得るにはそれだけの理由があるので、その得ている富を誰かに還元すると言うことを忘れると運命が御仕置して、頂点だと感じている場所から転げ落ちてしまうのです。
だからお金持ちは性格が悪いと言われる所以は富を自分の為だけに使うからで、それを繰り返していると病気や没落など何らかの天罰、それにより目が覚めるなら再び盛り返せるけれど、そうでないなら失墜したまま浮び上れなくなるのです。
お金持ちは性格が悪い、お金持ちは態度がデカイ、お金持ちは人をいじめて富を得ている、こういう世間の評判に対してNOと言える人は少ないと言うか、反論できる人はほぼゼロのはずです。
しかし、そうやってお金持ちの態度が悪い部分を見ているはずなのに、不思議なことに自分がお金を手に入れるとあれほど嫌いだったお金持ちと同じ行動をしてしまう、自分が富を得てしまうと頭が高くなり腰を低く出来なくなる、これではいつまで経っても堂々巡りで富が性格の悪い人の間を移動しているだけとなります。
人は心の持ちようで生き方を変えることは出来るのですが、心の持ちようは自分自身で変えるしか方法はなく、心の中身を誰かに変えて貰うことはできません。
人は憧れると言う心があるのですが、これは人にだけある行動です。 植物や動物に置いては主従関係があるだけで、憧れると言う気持ち自体が起こり得ない部分で、憧れる気持ちは何かの関係があろうとなかろうと心に留めておくだけで、前に進む原動力となるのです。
私はボランティアや寄付をしても見返りを求めてはいけないと言いますし、ボランティアや寄付をしたからと言って良いことがあるとは限りません。 ひょっとして良いことがあるかもしれないし、巡り巡って返ってくることがあるかもしれないとは思いますが、それによりすぐにすぐ何かが変わる訳ではありません。
残念ながら損得勘定で生きている人は私の話を「眠たいこと言うな」とか、「アホな話をするな、時間の無駄じゃ」と言うのですが、人は生きている間にプラスとマイナスが限りなく50対50に近付きます。
仮に生きている間に50対50に近付かない場合があるとすれば、それは来世において前世の分をお釣りとして貰うことになります。 それが良いお釣りなら来世では嬉しいはずですが、悪いお釣りなら「どうして?」と自分の運命を呪うはずです。
寄付やボランティアは損得勘定ではなく、「自分の心や生き方を強くする為」に行うことであり、何もしないで言うだけの人よりも何か行動を起こした人は心が強い、そして生きていく力をドンドンと身に付けて、生きていく力の何たるかを得ることが出来るはずです。
何かしたいと言う気持ちが湧きあがるのは、それはあなたと言う素晴らしい人が「この世に生まれてきた証」で、その心が突き動かされることが人としての魂でもあると思うのです。
魂~魂と馬鹿のひとつ覚えみたいに言う宗教家や僧侶や神主は寝言しか言いませんが、心が突き動かされるのは素敵なお客様の中にある本物の魂が作動している、それは目に見えるものではないけれど尊い何かで、人として生きる上で大切なモノだと思うのです。
あなたは湧き上がる気持ち、抑えることが出来ますか?
ヤッホー(ノ^∇^)ノ
お知らせ:出張の為、ブログの更新は11月3日(木)より再開いたします。 いつも御予約頂き、本当にありがとうございます。 m(__)m

