徒然草(岡山・東京・山崎かずみ)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    自分との約束。

    おはようございます。 いつも素敵なお客様は明日へ立ち向かう力があるからこそ、今と言う時を大切にしながら進んで行ける、自分自身で立ち上がるあなたの姿は周りの人々へ感動を与える力があると思うのです。

    人は辛いことや悲しいことが何度でも降りかかってくるけれど、昔から乗り越えられない不幸は降りかからないと言われています。

    確かに運命的に見ていると決断できなかった時や判断ミスなどから起きる、そういう自業自得と言う場合も多いようです。 人は迷うからこそ占いなど指針となることが必要になるのですが、それでもヒントや断材料にはなるけれど決断は自分ですることになります。

    仕事の悩みでも転職の為のヒントはネットで調べたり~友人や知人に訪ねてみたり、事前に調べて考えるところまでは普通に出来るのですが、そこから先の「転職するかどうか?」と言う部分については本人の決断でしかありません。

    恋の悩みでも同じことですが、好きな人とどうすればうまく行くかまでは占いでお話しできますが、そこから先の「実行する」と言う部分は誰も助けることはできないのです。

    好きな人ができたら告白する、告白できないなら相手に告白される努力をする、こういうことを地道に作り上げていくことで恋の可能性は飛躍的に上がるのですが、それを嫌がったり面倒に思う人は恋の勝利者にはなれないのです。

    人は誰かと約束をした時に守られなかったり、嘘を吐かれたりした時は心が傷付きます。

    それなのに自分が自分とした約束は守られなくても平気で「明日から・・・。」と言わずに、自分が自分とした約束を守ることが地道ではあるけれど大切なことだと思うのです。

    今年は資格試験に挑戦する~今年は3キロ痩せる~今年はお店を出すなど、人は色々な約束を自分とするのですが、それを守るには約束を守られなかった時に傷付く自分がいるかどうかで、自分との約束は「まぁ、いいかっ!」ではダメなのです。

    人が生きると言うことは切なさに打ちひしがれるのではなく、希望の光に自分の生き方を照らし合わせて輝ける、そうやって前に進んで行くことこそが自分に嘘を吐かないことではないかと思うのです。

    人と約束したことは守るけれど自分との約束は守らない、それでは自分を大切に出来ていないのではないかと思うのです。

    人は大人になるに従い夢や希望を失って行くのですが、それは自分自身との約束を破り続けて「約束を守れない自分」ではなく、「約束を守らない自分」として許し続けているからと思えるのです。

    少し自分の心に問いかけて頂きたいのですが、中学の時でも高校の時でも社会人の時でもいいから、空を見上げて何かを思った瞬間を忘れているのではないか、どんな時でも決してあきらめずにやろうと決めて、うつむかずに真っすぐ前を向いて自然と動けた、そういうことができた過去の自分を見失ってはいけないと思うのです。

    「素敵なあなたがいることで、笑顔になれる人が大勢いる」と、私はネタや冗談で言っている訳ではなく真実として本音で語るだけで、目に見えない絆が誰かと繋がっていて心と心がひとつになっていく、それが光となって行けばいつだって孤独に思えた心の暗闇を照らしてくれるはずです。

    自分との約束を守らないのは自分が弱いからであり、自分に負けない自分でいる為には辛い時や悲しい時に涙を勇気に変えていく内なる力が、あなたの夢や希望をあきらめずに探す原動力となるはずです。

    失敗は成功の母と言われるように新しい風を追いかけて行けば、必ず両手で未来をたぐり寄せることは出来るし、ダメだったとしても何度でもやり直せばいいだけです。

    人はいきなりと言うか突然に不幸が襲った時は右往左往するモノですが、目の前の世界がカラーから白黒へ変わるかの如く景色を変えた時には、今まで視えなかったことが見えるようになって、ホンの少しの小さな幸せがとてつもなく嬉しく感じてくるのです。

    人生とは長いようで短いし~短いようで長いから、いつまでも見果てぬ未来へ望みを託して行けないし、絶望した時などは心が乾いて何もできなくなるかもしれません。 そんな時には無理やりにでも悲しみに別れを告げて、魂が震えるほど両手に夢を握りしめて自分の心に問いかけると、本当にやりたいことが見えてくると思うのです。

    あなたが自分との約束を常に守れるようになった時、まばゆい光が優しい光となって進むべき道を照らしてくれる、それが人生に充実感を与えてくれると思うのです。

    あなたは自分との約束を、キチンと守れていますか?

    d(@^∇゚)/ファイトッ♪



    お知らせ:業務多忙の為、ブログの更新は3日(月)より再開します。 いつも御予約を頂きまして、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    本物。

    おはようございます。 今日も元気で明るく未来を見据えて、素敵なあなたが力強く進んで行く、それこそが日本の未来を作り上げるのです。 日本の未来は国民一人一人の力が結集して、それによる少しずつ復興して行くしかないのです。

    東日本大震災で衣食住が当たり前にあると言うのは幸せなこと、それを再認識できた部分も多いと思います。 日本は豊かだから大食い選手権のように胃に入れると言う食べ方があるだけで、本来の食事と言うのは食べ物へ感謝して敬って頂くのが本当です。

    食料が無い国に取って大食い選手権とは犯罪に近い番組で、楽しむ人がいる一方で悲しむ人もいる、ところ変わればTV番組一つでもおおいに見解の相違があります。

    グルメ番組も同じように日本では飽食の時代だから人気があるだけで、そこに付け込んで業績を伸ばそうとする飲食店側と紹介すれば広告料が入るTV局側、お互いの思惑が一致するからお店紹介の番組が横行するのです。

    御存じの方も多いと思いますが、日テレ「人生が変わる1分間の深イイ話」で全員一致の満点になり、島田紳助さんが大絶賛していた焼き肉屋さんで食中毒が発生して死者も出る大惨事となりましたが、こういう事件の時に「芸能人にも責任があるかどうか?」は微妙で難しい問題です。

    あのような番組でも視聴者は信用してしまいますが、TV番組でお店が紹介されるのは美味しいからではなく打ち合わせ済みだからです。 ちゃんと契約して企画と台本を作り、チャチャを入れるところ~褒めるところなど、打ち合わせ通りに進行して行く予定調和です。

    広告代理店などを通じて契約してから番組でお店を紹介してもらい、芸能人はギャラやリベートを貰いお店を紹介する、そこには信頼関係ではなくお金が介在する経済活動です。

    芸能人がTV~雑誌~ブログなどで紹介する店は利益が絡んでいるから、芸能人が紹介するお店=流行らないダメなお店とも言えます。 この番組で島田紳助さんが絶賛していた青山のお店も昨年閉店しましたが、TVに出てくるお店は真の実力に乏しいお店が多いような気がします。

    島田紳助さんが経営しているお寿司屋さんも関係者がご機嫌伺いで行くだけですが、それでも戦略的に大正解でお店が繁盛している事実があり、味覚が優れていなくてもお店は経営できる成功例だと思います。 (ただし、今はガラガラと言う噂ですが…?)

    食べ物には好みの差があるので絶対とは言いませんが、東京へ遊びに行く時の参考までに本物のお店を御紹介したいと思います。 御紹介するお店は私が実際に行ったことがあるお店ですが、私は普段ホテルでコンビニ弁当だから余り多くのお店は御紹介できません。

    「人形町 今半 本店(日本橋人形町2-9-12)」は、すき焼きがメインのお店で老舗と呼べる年数を経営しています。 昼と夜では少し違いますが、どちらでも美味しいお肉が食べられるはずです。

    なお、少し離れたところに今半が経営する御惣菜のお店があるのですが、散歩の途中にトンカツ~唐揚げ~海老フライなどを頼んで、ちょっと腰掛けて休みながら食べると非常に美味しいです。

    「日本橋 日山(日本橋人形町2-5-1)」は個室ですき焼きが食べられるお店で、ここは接客が丁寧過ぎて恐縮する時があります。 時間がある時は女将さんが全室を挨拶して回るし、お肉の方も抜群の美味しさで松阪牛だけが美味しい訳じゃないと痛感します。

    「洋食 小春軒(日本橋人形町1-7-9)」は来年で創業100年と言う洋食屋さんですが、今は3代目と4代目が二人で店を切り盛りしています。 ここは中が見えないから入りにくいけれど、ひとりでも気軽に食べられるお店なので慣れればOKです。

    「ビーフカツレツ そよいち(日本橋人形町1-9-6)」は何と言ってもビーフカツが凄いのですが、女性は迷わずハーフにしておかないと食べ切れないかもしれません。 こんな風に牛肉を揚げることができるのかと言うくらいで、ここは中が良く見えるしカウンターだけなのでひとりで利用しやすいです。

    「神楽坂 別亭 鳥茶屋(新宿区神楽坂3-6)」は主にランチで行くお店で、お昼にだけ出現する親子丼は絶品ですがお昼だけ出現する親子丼なので夜はありません。 昔の芸者道の途中にあるので、気を付けないとお店自体を発見できません。

    「月島 焼肉 凛 2号店(月島3-10-8)」はお店の中も余り綺麗とは言えないし、騒々しいからデートとかには使えませんが、少々のことが気にならないのであれば美味しいし牛タンも驚くほど厚いです。 (余計なお世話ですがTVによく出る、ここの本店へは行かない方が無難かも…。)

    「ディップ マハル 半蔵門(千代田区麹町1-3-7)」はカレー屋さんで、100種類のスパイスを配合してお値段もお得な感じで凄く良いのですが、このお店は気を付けないと量が半端無く多いです。 (インディアンフェスタディナーは、男性2人でも食べ切れない量かも…?)

    ちなみに店員さんは全てインド人ですが、オーダーを取る方は英語も日本語もOKです。

    これらは全て私が実際に行ったことがあるお店で、芸能人お断りと言うリアルなお店ばかりで、安心して行けるお店ではないかと思います。

    あなたは本物のお店へ、行ってみたいと思いますか?

    d(⌒ー⌒) グッ!!

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    神無月。

    おはようございます。 昨日も無事に帰って参りましたが早くも10月の声が聞こえてきて、あっと言う間に時間が経ってしまったかのようです。 新年に誓った「今年は!」と言う目標や夢にどれだけ近付けたのか、その決算まであと3ヶ月と言う時期でもあります。

    そろそろ新年会の会場候補を探し始めますが、私は月に2回東京へ行っているだけなので余り探すことができません。 9月下旬から探し始めても12月上旬までに7店前後しか行けないので、「今から探すの?」と思われても早くもない感じです。

    そして同じく倉敷事務所で開催する1月1日のお守りプレゼント、これも色々な神社を回って自分なりに良い神社を見つけて素敵なお客様に喜んで頂ければと、ワクワクドキドキしながら探しています。

    毎年同じで良いと思う人もいれば~毎年違う方が楽しいと思う人もいるのですが、色々な神社巡りをして神社のパワーと言うべき佇まいデザインなども考慮して、プレゼントするお守りを決めています。

    なお、お守りプレゼント(倉敷)は2012年1月1日で、新年会(東京)は2012年1月8日に開催します。 詳しいことは2011年12月1日&2日のブログにて発表しますので、大勢の素敵なお客様にお越し頂けるように努力したいと思います。

    さて、今日の本題は神無月についてですが、これから行楽シーズンでもあり何かと冬支度も始まって行く10月に突入ですが、この10月と言うのは神無月とも呼ばれる「神の月」です。

    この神無月の由来はご存知の方が多いと思いますが、日本全国の神様が出雲大社に集合して、人間より陳情された祈願(仕事や結婚など)に対するご縁や運命を決める会議をすると言われている大切な月です。 この神様たちの会議の場所である出雲大社がある出雲周辺では、逆に10月を「神在月」と言うのですが日本中の神様が集まる月だから良い得て妙の言葉です。

    ただし、ここで誤解をされている方が多いのですが、本来の神無月とは旧暦の10月のことです。

    旧暦の10月11日~17日までの間に出雲大社で神様たちの会議が開かれて、それから後に佐太神社で26日まで引き続き会議が行われるようです。 この旧暦10月と言うのは新暦で言うと11月5日前後になることが多いので、出雲大社では11月に神迎祭や神在祭が催されます。

    そして、その会議が始まる前に神様に伝えるものが祈願書とか言われるもので、正式な祈願書にはお礼と感謝を書き添えた上でお願い事を書くと良いようです。

    鑑定などの時に「来年のお願い事は10月の初めに神社へお願いに行きましょう。」と、お話しすると聞かれることのひとつに、「10月は神無月で神様がいないのに、どうして10月?」と言う答えがこれです。

    確かに新暦では10月が神無月と言われていますが、本来は旧暦の10月10日だから現在の新暦では11月に当たるので、10月上旬には来年のお願い事を神社へお願いしに行きましょうとなるのです。

    神様が集まり会議をする神無月~出雲については神在月ですが、それまでにお願いをするのが正しい祈願になるのです。 神様が出発する直前とかではなく余裕を持って行く少し前にお願いする、そういう礼儀の意味も込めて10月上旬にはお願いへ行くのが正しいと言われています。

    だから一年間のお願い事をするのであれば、神様の会議前の10月上旬に神社へお願いに行くか、年の初めに行って気持ちを新たにするか、一年分となればどちらかがふさわしいのかもしれません。

    10月が何故神無月なのか、神無月なのになぜ10月にお願いするのか、その辺の事情がお分かり頂けたなら嬉しいのですが、この説明では少しわかりにくいかもしれないので、その辺のことは御容赦願えたら嬉しいです。

    そして毎年10月には開催したいと思いつつできていなかったのですが、今年はやろうと決めていたので代理での祈願を御希望の方は、次の要綱をお読みの上で御応募頂ければ幸いです。

    10月の東京出張では私も神社へお願いに行くので、その時に一緒に素敵なお客様のお願い事も陳情して参りたいと思います。 御希望の方は「絵馬代理祈願希望」として封書か葉書にて「お願い事・住所・氏名」をお書き添えの上、「10月4日(火)必着」で倉敷事務所までお送り下さいね。

    時間の関係もあり応募者全員と言う訳には行きませんが、「10名様」のお願い事を一緒に陳情してきたいと思います。 もしも10名以上の応募があったなら、抽選となりますので悪しからずご了承くださいね。 m(__)m

    偶然に発見したのですが某神社には「お願い事が叶う木」が存在して、その木の根元にはお願い事を書いた絵馬がずらりと並んでいます。 社務所にて絵馬を受け取りお願い事を書き込んで、その木の根元へぶら下げるとお願い事が叶うと言われています。

    なお、デジカメの小部屋に「お願い事の叶う木」の画像がありますが、その木の周りにオーブが飛んでいるのが分かると思います。

    この神社へ行くと誰もいないのに声が聞こえたり、写真を写すとオーブがそこら中へ飛んでいたり、今回も閉門後は誰も入れない庭のところへ仁王立ちの黒いおじさんがいて、「あぁ、これは見てはいけない…。」と固まってしまい写す勇気はありませんでした。 (しばらくの間、神社名と所在地は内緒です。)

    あなたは神無月に、どんなお願い事をしたいですか?

    ( ̄人 ̄)オ・ネ・ガ・イ♪

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    考え方。

    おはようございます。 いつも素敵なお客様には多大なる御恩と言うか、清々しい気分にさせて頂いている、その清らかなオーラは癒しの元になるのではないかと思うのです。 私は年中無休でも全然疲れないのですが、それは素敵なお客様にお会いできるからです。

    普通は休みが欲しいとか~休めたら良いなぁと思う占い師さんが多いでしょうが、私は休むなんてことは勿体ないからできません。

    これは考え方にもよるのでしょうが、普通に考えれば毎日仕事をしていたら疲れると言う発想が私にはなく、素敵なお客様が落ち込んでいたり悩んでいる時に御相談にお越し頂ける、そしてお帰りの時には笑顔になって元気よくお帰り頂ける、その姿を見て良かったと思うことがエネルギーの元です。

    私が休みたいと思うことは運命に反することですが、別に脅迫観念でしている訳ではありません。 これは考え方の差になると言うか~生き方の差になるのかもしれませんが、私は霊視カウンセリングを職業として考えている訳ではありません。

    こういうと渋い顔をする占い師さんが日本全国にいるかもしれませんが、お金が目的で占いをするなら間違いなく人生の後半は哀れな末路で、年を取れば取るほど苦しい出来事が起こり始めます。

    除霊が10万円とか~パワーストーンが1万円とか~霊符が3万円とか、訳の分からない目に見えないことを怪しく語ってお金にする、そんなことを運命は許すはずがありませんが、勢いのある前半部分では運命も御仕置することはありません。

    人生の後半になって逆境や苦難を跳ね返す力が無くなってから、ダメージがあるので調子に乗ってはいけないのです。

    これも考え方によるので一概にダメとは言いませんが、除霊やお祓いで気分が良くなるのであれば、それはそれである意味間違いではなく良いことになります。

    ただ、除霊やお祓いの意味を間違えている関係者が多いのですが、除霊やお祓いは除した霊やお祓いした霊を、自らに取り憑かせるのが除霊やお祓いです。 除霊やお祓い=実行した占い師(霊能力者)者に取り憑く、それを知らずに除霊とお祓いを金儲けにする浅ましさが、占い師(霊能力者)の末路を哀れで惨めなモノにするのです。

    頭が固いと言う言葉がありますが、その本来の意味は分からず屋のことではなく考え方を変えない、当たり前に凝り固まると当たり前以外は考えないようになることが、本当に頭が固いと言うことになるのです。

    私は御相談を承る時に注意していること、それは先入観や思い込みや常識にとらわれないこと、そうしないと岡山県内ならまだしも日本全国となればレベル的に未熟で通用しないまま終わるのです。

    私は勇気を持って踏み出す人には幸運が起こる、一歩踏み出す勇気さえあれば運命は変えられる、そう言っていることは嘘ではないのだけれど踏み出した人にしか分からない、その部分は勇気の差だから霊視では変えられないのです。

    しかし、勇気を持って踏み出した人にはチャンスが来るから、そのチャンスに巡り合うことが勇気に対する御褒美で、後は努力が運を活かすことができるかどうか、そこから先は本人次第で運命は変わり続けるのです。

    私が傾きかけている某蔵元の奥様より御相談を受けて、社長(御主人)に提案して「馬鹿か!」と大反対されたアイディア、これもやっておけば今頃はどうなっていたかと思うのですが、やりたくない石頭な経営者へやらせる訳にはいかないのです。

    私も発展を願い提案したことではありますが、受け入れて貰えないのであれば日の目を見る方が良いので、その時のアイディアを公表するので面白いと思った蔵元さんは、是非やって見て頂ければワインに押されて傾いている日本酒を立て直せるはずです。

    簡単に説明すると日本酒を作る時に「ワインの酵母」を使って作る、そうすればワインの口当たりの日本酒ができてワイン通にも受けるはずです。 そうなればお寿司屋さんや和食の料亭へ納めるだけではなく、日本酒をフレンチレストランへ売り込めるようになります。

    私は日本のお米を使ったお餅やお酒は間違いなく世界でも通用すると思っていますし、そうなれば地場産業や国内生産が上昇して、「雇用や円高も何のその」と言う自力ある日本、体力ある日本に生まれ変われるはずです。

    日本酒だけではなく和菓子にしても同じことで外へ目を向けること、例えば和菓子の輸出と言ってもナマモノはコストが掛かるので難しいけれど、渇き物のお煎餅やおかきならやれるはずと言う発想、そうやって行かなければ伝統と革新は仲良くするモノで敵対するモノではありません。

    日本はまだまだ発展するし、地場産業も伝統も生き残れるチャンスはいくらでもある、そうやって考えられる自由な発想が大切です。 ここまで読んで心に情熱が灯る人や明日へのヒントが生まれる人など、色々な思いの方がいるはずだから日本の未来は捨てたもんじゃないと信じています。

    ただし、儲かるなら何をやっても良いと言う訳ではなく、「綺麗な商売をしましょう」と言うのが日本人の心意気として美しいのです。

    儲かるなら何をしても良いと言うのは人として心の在り方が間違っているから、いつどこで誰に見られても恥ずかしくない自分でいること、それを古き良き日本の気品として心に持ち続けたいと思うのです。

    食品を作るなら自分の子供に食べさせたいと思うモノを作る、家を建てるなら家族を住まわせたいと思う家を作る、起業をするなら社員やお客様が幸せになるような会社を作る、それこそが昔から続く美しい日本の在り方だと思うのです。

    あなたは考え方の常識に、とらわれすぎていませんか?

    (○゚ε^○)v ィェィ♪



    お知らせ:出張の為、ブログの更新は28日(水)より再開します。 いつも御予約頂き、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    言い分。

    おはようございます。 今日も元気に行きたいと言いつつ本当は元気じゃない、前向きに行きたいけれどそうでもない、まんの悪いことが続いて何となく気が乗らない、生きているとたまにはそういうこともあるのですが、それは自分が正しいと思いつつ納得いかない場合に多く起こります。

    中間管理職の立場になると多いのですが、上司と部下の間に挟まれてどちらへも良い顔をしなければならないとか、上からは叩かれて下からは突き上げられてどうしようもないなど、人は自分が納得できることばかりではありません。

    AさんにはAさんなりの言い分がありますし、BさんにはBさんなりの言い分があるので、お互いが自分の言い分を通そうとすればするほど、お互いが気まずくなり「何で分かってくれないの?」となってしまうのです。

    人は話し合えば分かりあえると昔の人は言いましたが、実は分かりあえるのはどちらかが引いた場合だけであり、実際に話し合いの内容だけで分かりあえるかと言えば無理なのです。

    例えば、恋人の感情のぶつかり合いは、話し合いではなく譲り合いから解決します。
    例えば、夫婦の生活におけるイライラは、要求ではなく受け入れから解決します。

    恋人がお互いに連絡が取れない時に思うこと、「どうして、連絡してくれないの?」と「なんで、仕事が忙しいのを分からないんだ?」で、お互いが自分のことだけ話しているといつまで経っても解決しません。

    夫婦の生活も同じように「私は家事で忙しいから、少しは手伝って!」となり、「俺は仕事をして疲れている!」となり、手伝って欲しいと何で手伝わなきゃいけないが争い始めると、すれ違い生活の始まりとなってしまうのです。

    人には言い分が色々あるので反論しても意味が無いと言うか、反論を聞き入れてくれるような相手であれば最初から有意義な話し合いができるので、もともと争い自体が起こらないという根本的な部分があります。

    私も人間ですからイライラすることや未来への不安は山のようにあるのですが、考えても仕方が無いことは考えないようにするのが心の平穏を招く、それが分かっているのにいつまでも愚痴愚痴と思い悩んでしまうことの方が多いのは私が未熟者だからです。

    私は毎日素敵なお客様にお会いできることで感動を頂いたり、明日へのエネルギーを補充して頂いたりしているのですが、本当にお越し頂く素敵なお客様方には私の方が勉強をさせて頂いております。

    私はまだまだ未熟者で至らない点が多い霊視カウンセラーですが、素敵なお客様のおかげで成長できている、素敵なお客様に人生の糧を与えて頂いていると感謝しています。

    人は目の前に起きていることや耳に入ってきた言葉が何かのメッセージ、そう捉えることで自分の成長に繋がると思うのですが、私も素敵なお客様のお言葉には大変感銘を受けることが多く、毎日の鑑定は私の方が学ばせて頂いていることが多いです。

    人には言い分があり、それはAから見ると間違いだとしてもBから見ると正解、私がいじめられたのも相手からすれば「根性を叩き直してやった」とか、「可愛がる愛情表現だった」との言い分になるはずです。

    他にも言い分の例として、私は毎年1月1日のお昼より無料でお守りプレゼントをしていますが、素敵なお客様の喜ぶ顔を元日から拝見できることは本当に素敵なことです。 (詳しくはHP内のお守りプレゼント参照で、2012年1月1日も必ずやります。)

    しかし、ひょっとしてお守りの効果が無いと、お怒りの方がおられるかもしれません。 その言い分を考えてみると、「山崎の配るお守りなら、きっと良いことがある!」と言う期待を裏切ってしまった、そう考えると私の不徳や力不足を反省できます。

    その他にも例をあげると、私はほぼ毎日ブログを更新していますが、「あなたのブログは冷たくて気分が悪いので、毎日読んでいると嫌になります。 毎日読む方の身になって、もう少しまともなことを書いて下さい。」と、そういう手紙がもしかして届くかもしれません。

    もしも、そんなことがあるなら私の文章力が誤解を招いたり、私の考え方に間違いがあったりと、自分のことを省みて反省しつつ相手の言い分を考えられると、自分の成長にも繋がると思うのです。

    このように物事を考えてみるならどのような状況でも一分の利が相手にもあり、いくら自分が正しいと思いつつも相手の言い分も聞いてみよう、そう考えたなら争いやトラブルは減ると思いますし、相手との間に決定的な亀裂が入るほどにはならないと思うのです。

    今の私は素敵なお客様に毎日お会いできるから凄く幸せで、未熟で至らない私ですが素敵なお客様の為に何ができるのか、心に勇気や元気が出るお手伝いができるのか、未熟者なりにヒヤヒヤドキドキしながら考えています。

    素敵なあなたにお会いできることは本当に感動の毎日で、そんな素晴らしい時間を与えて頂き本当にありがとうございます。 素敵なあなたにお会いできることは、人生における感動そのものです。 m(__)m

    あなたは相手の言い分について、考えたことがありますか?

    ☆⌒(*^-゚)v ありがとう!!

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    エネルギー。

    おはようございます。 いつも素敵なお客様の慈愛溢れる行動や精神は、本当に尊敬に値する素晴らしいことだと感動を頂いております。 素敵なあなたがいるから明日へ立ち向かうエネルギーが生まれてくる、そう言っても過言ではないほど素敵な感動を頂いております。

    エネルギーと言えば日本は資源が無いと言うのが固定観念や定説になっていますが、実は日本の技術力が日本を資源大国へと変貌させるかもしれないので、30~40年後と言う単位で言えば、資源が無い国と言う言葉が当てはまらなくなっているかもしれません。

    「メタンハイドレート」と言う名前は余り聞かれないかもしれませんが、これは低温+高圧と言う環境下でメタンと水が結晶化した物質で、天然ガスの主成分であるメタンガスが取れます。 石油や石炭に比べて二酸化炭素などの排出量が少ないため、クリーンなエネルギー資源として活かせる可能性があります。

    メタンハイドレートは見た目が氷に似ているので「燃える氷」とも呼ばれて、火をつけると氷が燃え上がり後には水が残ります。

    では、そのメタンハイドレートはどこにあるかと言えば、低温+高圧の環境なので主に深海の海底の下とか南極や北極近くの永久凍土層地帯の地層に存在します。 日本では駿河湾沖から鹿児島県沖までの太平洋側、そして福岡県沖から石川県沖までの日本海側と言う西日本側になるのですが、その辺りが宝となる資源の宝庫になっています。

    エネルギー資源の大部分を外国からの輸入に依存している日本にとって、自国で生産できる可能性のあるメタンハイドレートには 、エネルギーの安定供給の面から秘めたる可能性が眠っています。

    日本のメタンハイドレート開発は1990年代前半より始まって、2001年以降には静岡県沖~和歌山県沖の東部南海トラフと呼ばれる、500mより深い海域をモデル海域として本格的な調査&研究が行われるようになりました。

    余り役に立たない経済産業省ですが一応18年におよぶ開発計画があり、今のところは第2段階に突入しているので、世界初となるメタンハイドレートの海洋産出試験に向けて準備が進んでいるようです。

    そして日本以外の国のメタンハイドレート研究と言えば、自国で石油や天然ガスが豊富に生産できる国は、すぐに商業生産へと結び付かないメタンハイドレートに関する研究や調査は二の次で、余り手を付けていないと言うか進んでいないのが現状です。 強いて言えば韓国やインドがメタンハイドレートの調査研究を本格化させましたが、メタンハイドレートについては日本がトップを独走している感じです。

    メタンハイドレート実用化のカギを握るのが、メタンハイドレート層からメタンガスを取り出す技術で、固体で存在するメタンハイドレートは地層の中で水とメタンガスに分解して、それからメタンガスだけ取り出すのですが日本の減圧法が今のところは確実です。

    なお、メタンハイドレートの地層を発見する技術も日本がトップ独走中ですが、メタンハイドレートの地層を発見するには地震探知の技術が必要だから、地震に関しての技術は言うまでもなく日本の得意分野で技術も№1です。

    そしてメタンハイドレート開発に伴う環境への影響が無いのも特徴で、日本の技術は減圧法だから減圧することでメタンハイドレートを分解しています。 もし、生産機器や設備が壊れても海水が流れ込んで圧力が高い状態に戻るから、メタンハイドレートの分解が止まりメタンガスの発生もストップします。

    海外で海底油田を掘っていて油が海へ漏れだしたと言う環境への事故は、日本のメタンハイドレートに関しては起こらず、ここでもクリーンなエネルギーと言えるのです。 実用化は先の話になりそですが、次世代エネルギー資源としてのメタンハイドレートには大きな期待があります。

    ただし、ここまで読んで「そんなの、聞いてないよ~!」とか、「へぇ~、そんなのあったんだぁ~?」と、知らない人の方が多いのではないかと思いますが、余り知名度が上がらない理由がいくつかあります。

    例えば、「そんなの開発したら日本の産業空洞化が止まっちゃうじゃないか、せっかく復興を遅らせた上で円高にしているのに、日本が発展するなんてとんでもない」と、メタンハイドレートの開発予算を削減する人たちがいます。 ヾ( ̄o ̄;)オイオイ

    例えば、「メタンハイドレートなんか開発しちゃったら、石油とか原子力の利権が無くなって、俺たちのうまみが無くなっちゃうじゃん。」と、こんな人たちもいます。 オイオイ・・ (;´д`)ノ

    日本の技術はあらゆる分野でトップレベルですが、官僚と政治家と経営者は当てにできないから、国民が自分自身で道を切り開くしか日本の未来はあり得ないのです。

    これからは学歴や経歴で人を見る時代ではなく、「地頭」と言う自由な発想とあふれ出るアイディアを発揮できる人材、それを活かす道筋を付けずに学歴や経歴を重視していると生き残れない時代です。

    原子力発電もやり方によっては3年以内に半分以下へ減らすことは可能だし、円高を止める方法も権限の無い民間には知恵があり、権限のある官僚や政治家には知恵がないと言うのが日本の不幸で、私利私欲の頭では思いつかないのです。

    あなたはエネルギーについて、どれだけ知っていますか?

    (〃゚д゚;A アセアセ…。

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    社会的責任~後編。

    おはようございます。 昨日の続きですが、人は歳を取ると頭が固くなって考え方を変えることができなくなるので、今の日本の企業のトップで障害者雇用を真剣に考えているのは全体の3%程に過ぎません。

    頭の固い経営者に無理と言うのであれば、「じゃあ、どうやれば企業が社会的責任を果たせるようになるのか?」と言えば、20~30代など若い人たちが「思いやりと責任」について考えることです。 特に社会貢献をしたいと進路を迷っている学生がいたならば、最初にすることは夢や理想を語ることではなく、まずは会社でキチンと働くことが大切な一歩です。

    今の日本が間違っているから言いづらいのですが、もともと会社の始まりと言うのは存在自体が社会貢献しているのが当たり前で、お客様を喜ばせる、社員を喜ばせる、社員の家族を喜ばせる、これができていたら心に余裕が生まれないはずがありません。

    「会社とは何の為に存在するのか?」と言うのは学生だけに向けられた言葉ではなく、頭の固い日本企業のお偉いさん方(社長や役員など)にこそ聞いて欲しい言葉です。

    お金を儲ける為に存在するのか、自分が良い思いをする為に存在するのか、搾取制度を作る為に存在するのか、存在理由が誇れる会社でなければ社員が働いていて「うちの会社は凄いぜ!」と、家族や周りに胸を張って言える訳が無いのです。

    その根本的なところでお客様や取引先と信頼関係をどのように築いていくのか、目先の損得を追いかけているようではダメで、本当に豊かな社会と言うのはお金だけでも夢だけでも口先だけでもダメなのです。

    社会的責任と言う問いに対する答えとは、自らが覚悟を決めて志を社会に対して明確に示すことであり、達成できなければ腹を切ると言うくらいの覚悟で臨むのが企業のトップがあるべき姿です。

    円高になったら下請けを泣かせて利益確保をするとか~海外へ移転すれば儲かるなど、目先の損得ばかり考えて困難に立ち向かわずに楽な生き方ばかり、そんな姿を見て潔さや清々しさを感じる社員はいないから、日本の社長は殿様どころかバカ殿に思われてしまいます。

    ヤマト運輸の会長だった故小倉昌男さんの著書を全て読破して生き方を知った時、そして小倉昌男さんが残したヤマト運輸のしていることを知った時に、故松下幸之助氏の著書を全て読破した時間は大いなる無駄だったと、限られた時間をアホな読書に使ってしまったことは取り返しがつかないと後悔&反省しています。

    ヤマトホールディングスが今年の決算説明会で発表した被災地への支援策、これはアホなTV局は取り上げないから知らない人がほとんどだと思いますが、「宅急便1個につき10円の寄付」をすると発表しました。

    ヤマトの昨年度の取扱個数が約13億個なので現状維持であれば、約130億円を寄付することになりますが、2011年3月の予想純利益が340億だから純利益の約38%以上を寄付することになります。

    ヤマトが決算説明会(株主総会)で発表した内容を、そのまま掲載するのでお読み頂きたいのですが、これは小倉イズムがヤマトの社内へ浸透しているからこその内容です。

    「宅急便1個につき10円の寄付」は、生活基盤の復興や水産業や農業などの産業再生の為に実施していきます。 去年と同じ個数を扱えれば130億円を超える金額になります。 一企業として出せる限界ギリギリです。 年間の営業利益の2割、純利益の4割の金額ですから、株主の皆さまにも了解をいただいた上でやらないといけない。 それでも、我々はそれぐらいの努力をしなければならないと思います。 35年間も宅急便を育ててくれた地域、社会、産業がこれほどまでに被害に遭われている。まさに35年間の恩返しです。」

    これだけのことを実行できる社長が今の日本にどれくらいいるのかを考えた時に、志の低い下品な社長が多く思い浮かぶのは果たして私だけなのか、多くの人は自分だけ儲ける社長の顔が思い浮かぶのではないのかと考えてしまいます。

    なお、このヤマトホールディングスでの決算説明会でもうひとつ素晴らしいのは、株主の中から寄付に対する異論や異議など文句が全く出なかったことで、ヤマトの株主へも小倉イズムが根付いているのではないかと思えば、故小倉昌男さんの生き方が後世に残したものは大きかったと思うのです。

    私は宅配便を利用する時には何となくクロネコを利用することが多いのですが、それは社会貢献に繋がる企業を応援したいと言う気持ちから、自然とそう考えてしまうからなのかもしれません。

    故小倉昌男さんはヤマト運輸に社会的責任の在り方と言うべき志を、お客様の為にと言う志を会社へ残していたと思うのです。 そして個人資産はヤマト福祉財団へほぼ全額寄付して障害者雇用の道を切り開いて、自立支援の道を小倉昌男さんの遺志を継いだ社員の方々が推し進めています。

    ヤマト福祉財団は知らなくても、スワンベーカリーと言えば知っている人は多いと思います。 障害者雇用の推進と自立へ向けての取り組みはマダマダなので、私も故小倉昌男さんが切なる思いを込めて開店させた銀座スワン、そこへ時間がある時には立ち寄るようにしています。

    小倉昌男さんは「お客様の為に」と利益を度外視して、宅配便の日時指定やクール宅急便など次々と考え出して実行し、更には自分の個人資産を全て障害者支援に投げ打つなんてことは、人間としての志が高くなければ出来ないと思うのです。

    人として生きるなら自分の志を継いでくれる人がいる、自分の志を形にしてくれる人がいる、自分の志を後世で活かしてくれる人がいる、そうなった時に本当の社会貢献ができるのではないかと思うのです。

    「故松下幸之助氏~パナソニック~松下政経塾」のしてきたこととしていること、「故小倉昌男氏~ヤマト運輸~ヤマト福祉財団」のしてきたこととしていること、これを比べると社会的責任の果たし方が見えてくると思うのです。

    あなたは社会的責任、どう考えますか?

    キラッ ( = ̄+∇ ̄=)v イエーイ

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    社会的責任~前編。

    おはようございます。 今日も素敵なお客様の未来は明るい、素敵なお客様が未来を作り上げるのだから、失敗とか成功と言うのは未来で過去を振り返る時に初めて分かると思うのです。

    人は生きて行くと言うことは自由と共に責任が付きまとうのですが、この責任と言うのは個人と企業では少し意味合いは違います。

    個人ならば最初は自分だけで良いけれど結婚したら奥様の為にとか子どもの為になど、周りの人のことを考えて行動しなければ落ち着いた生活は出来なくなります。 ところが企業となれば社会的責任(道義的責任も含む)が存在してきますが、それが分からない経営者が多いから日本の未来を暗くしているのです。

    その中でも社会的責任が全く理解できていない経営者と言えば、昔は素晴らしいと言う評価で今は逆になりつつある故松下幸之助氏で、松下電器が日本経済を豊かにした功績はもはや貯金が無くなりました。

    それどころか松下幸之助氏が莫大な資産を元に、あの松下政経塾さえ作らなければ今頃福島第一原発も円高も止まっているはずで、社会的責任を考えない経営者が残した負の遺産は負のままです。

    私は松下幸之助氏の著書は素晴らしいと思い全て読破しましたが、松下政経塾出身者がロクでもないことばかりしている現状では、故松下幸之助氏の考え方は全てデタラメだったとしか思えない現実はショックです。

    一部上場企業の社長ですら私利私欲と言う現実、それを踏まえて私が思う企業の社会的責任についてですが、表向きの形式的な責任の果たし方なんかどうでもいいので、本当に役に立っている会社を知ることで社会的責任の果たし方を理解できます。

    例えば、表向きは良いことだけど悪用されることも多い障害者雇用率ですが、この障害者雇用率は企業に強制的に障害者を雇用させることで、社会的責任の一部を企業に負担してもらおうと言う制度で、現在のところ総社員数に対して1.8%以上は雇用して下さいとなっているようです。 (もしも、震災以後に数値の変更があったらごめんなさい。)

    この障害者雇用率に社会的責任の果たし方が見えるのですが、形式的な嫌々でやっているのか~自ら進んで社会に貢献したいとやっているのか、企業のデータを見るなら売り上げや利益ばかりではなく、このような目に見えない優しさの部分へも目を向けるべきなのです。

    その企業の体質自体が形式的か本質的かを見分けるのに分かりやすいのは、障害者の雇用水準が「1.8%近辺なのか?」~それとも「2.0%を超えるほどなのか?」を、過去数年に遡って見ると企業の社会的責任への取り組み方が見えてきます。

    この障害者雇用が「1.8%近辺の会社」は1.8%を超えれば良いと考えるだけの会社であり、法律を守って1.8%が達成されればOKと考えているから「形式的に嫌嫌」と言う企業です。

    ところが「2.0%を超える会社」は法律を守れば良いと言うだけではなく、「私たちはどうして障害者を雇用しているのか?」を考えて実践しているからこそ、基準を超えても雇用し続けると言う明確な答えが障害者雇用率には出ているのです。

    ここで揚げ足取りや屁理屈を言う男性ならば、「たまたま2.0%を超えただけ」と言うでしょうから、それを言わせない為に「過去数年を遡る」と書いているのです。

    そしてもう一つ肝心な部分が「何の為に働くのか?」を超えたところにある「必要とされるから働く!」であり、障害者雇用と言っても業務内容により「企業の吐いている嘘」を見抜くことができるのです。

    分かりやすく言うと主体となる業務なのか、それとも補助的な業務なのか、はたまたタイムカードを押しているだけなのか、障害者の方々に「どのような仕事を?」と言う部分も重要なのです。

    当然と考える経営者が多いからかどうなのか、一般的には補助的業務か~もしくはいるだけで良いと考えるのですが、どうして経営者がそのように考えるかと言えば「生産工程や業務内容に支障を与えないこと」を一番に考えるからです。

    それが何を示すかと言えば「クビになりやすい存在」と言うことで、簡単に言うと「不景気だから辞めてくれ」と言いやすい存在にして、場合によっては飼い殺し状態で表向きには1.8%の達成と言っているだけの企業もあります。

    特に目立つのは正社員として雇用していない場合で、臨時やアルバイトとしての雇用で1.8%を達成している企業はイザと言う時には、平気で「クビ」にする可能性が大です。

    本来の雇用と言うのは主体の仕事を任されることにより、障害者の方々がいなければ会社の生産が止まってしまう「彼らや彼女たちがいなければ会社が困る」、この状態を作り出している会社こそが本質的に社会責任を果たしている、そう言えるのではないかと私は考えるのです。

    すみません、ちょっと長くなりそうなので、明日へ続くです。

    拙いブログで申し訳ありませんが、明日もよろしくお願い申し上げます。

    m(__)m

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    日本を変える。

    おはようございます。 青空は澄み渡るからこそ青空であり、海は果てしなく広いからこそ海なのですが、一部分だけ切り取ると意外と見えなくなることがあります。 その最たるものは自分と言う存在についてですが、人は誰でも自分は何者なのかと言うことを知りたくなる時があります。

    地球上には早くも66億人も存在するので、10年後には90億人も間違いないと言う人口増加です。

    そうなると個人と言うのは埋もれてしまうのですが、実際には自分と言う人間は間違いなく存在しています。 66億人もいると存在が埋もれるはずが現実に自分は存在する、それはある意味で凄いことだと気付いて頂きたいのです。

    66億個のビーズの中でひとつだけとなれば膨大な量に嫌気が差す人も多いはずですが、人間だとそうでは無くなるのが個性と言うモノです。 人にはそれぞれ思想や趣向などがあるので、髪型や体など似てはいるけれど別だから違うと分かるのです。

    人はもっと自分の生き方を大切にするべきだと思うのですが、生まれてきた人生は一度きりで後戻りはできないのです。 やり直しはできるのですが、それは過去の反省を活かした上での行動があるとできるだけで、そうでない時には何回やっても同じことの繰り返しなのです。

    あなたと言う素晴らしい人が誕生した意味は誰かの役に立つこと、誰かを助ける為に生まれてきたと言うのが誕生の意味であり、それ以外で人が生きている意味を見出すことはかなり難しいのです。

    例えば、研究が好きだと言っても誰の役にも立たないことに対して、研究開発を続けることはモチベーションが続かないので難しいし、薬の開発でも人を殺す細菌兵器より難病の特効薬を開発する方が、人の心はやる気が出てくるはずです。

    また、仮にケーキ屋さんで働いているとしても美味しいと言ってくれる人が一人でもいたら、次も美味しいと言ってもらおうとして力が入ることが人の心に栄養が与えられたと言うことで、誰かの役に立つことは人の生きがいとしては充分過ぎることなのです。

    私は素敵なお客様が世界を変えると言ったなら、それは少しばかり大袈裟だと感じられても仕方が無いと思いますが、「素敵なあなたが日本を変える」と言うのは大袈裟でも何でもなく真実だと思います。

    素敵なあなたがしている一挙手一投足が全てを決める、素敵なあなたの想いが日本を変える、それは大袈裟でも何でもなく当たり前の素晴らしいことです。

    あなたが仕事をすることで会社が動き、あなたがお金を使うことで経済が動き、あなたの笑顔で周りの人々の心が動き、あなたが存在することで周りに与える影響が日本を動かしている、こういうことに人は意外と気付いていないのです。

    人は家から出る時にドアがあるとノブに手を掛けて開けることで外へ出られますが、そのドアが見慣れているドアなら開けることができるのに、その先がどうなっているのか分からないと開け方は分かっていても、そこから先へ行くことができなくなってしまうのです。

    私は未来を視た時に運を呼び込むとか開運と言うのは、一生懸命にやっている人や決断をする人の元へ降り注ぐと思います。

    動きたいけれど、やってみたいけれど、興味はあるけれど、こうやって思うだけで動かないのであればドンドンと後退して、その先へチャンスがあってもドアは閉じたままになってしまうのです。

    あなたは世界を変えることはできないかもしれないけれど、「日本を変える」ことはできます。 世界と言う単位では大きすぎてピンと来ないかもしれないけれど、日本を変えることは必ずできる実力はあります。

    その実力を隠したまま人生を過ごしてしまうのは勿体ない話で、それでは他の人と同じ道を歩いている安心感があるだけで変化の楽しみはありません。

    輝いている未来はあなただけのモノであり、自分の未来は楽しいと言う約束をして「約束を守る」と決めてしまえば、楽しくない未来は自分との約束を破ることになるから一生懸命になれるはずです。

    あなたが何かに取り組むのであれば、それは日本を変える意気込みでやるべきであり、何も変わらないと思っているようでは何も変わらないことが前提、そんな生き方をしていると充実感が無いのは仕方が無いのです。

    やるのであれば「今」、やらなければならないのは「今」、そしてあなたの大切な夢が叶うのも「今」なのです。

    あなたは日本を変える、その実力に気が付いていますか?

    (〃⌒ー⌒)/どもっ♪



    お知らせ:業務多忙の為、ブログの更新は19日(月)より再開します。 いつも御予約頂き、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    一期一会。

    おはようございます。 昨日も無事に東京より帰って鑑定を再開しておりますが、東京では民主党本部の近所のホテルが今の定宿なので、必然的に移動は千代田線の国会議事堂駅を利用します。

    その時に国会議事堂(車の出入り口)や首相官邸&公邸の側を歩くので、嫌でも黒塗りの高級車に乗った大臣や議員に遭遇してしまい、朝からゲンが悪いなぁと思うこともしばしばです。

    今回の出張でもホテルを出て国会議事堂の裏通りから首相公邸の方へ歩いていると、いつも見かけるガラの悪い国会議員の方々ではなく珍しい人がいるなぁと思っていたら、上島竜兵さんがSPに囲まれて移動しているのに遭遇しました。

    私は「ダチョウ倶楽部もSPが付くとは、芸能人ってすごいなぁ~!」と思っていたら、よく見ると上島竜平さんではなくミスター注視こと野田総理大臣で、私は県北で知恵遅れと言われていたアホだから見分けが付かず双子かと思いました。

    円高や福島第一原発の時には「聞いてないよ~!」と言い、竹島や尖閣諸島で攻め込まれたら「どうぞ! どうぞ!」と言う、「駅前留学はNOVA、駅前演説はNODA」とくだらないギャグを飛ばすのが日本の総理大臣です。

    さて、小噺みたいな実話はここまでにして、今回の東京出張では考えさせられることがいくつもありました。 別に大袈裟なことではありませんが、耳に入る言葉や目に入る行動は全て何かの暗示と取ることで、不要なトラブルを避けることができたり~必要なことに気付けたりします。

    人は幸せなことに気付かない、それは満足があるからこそ不満足が生まれるのに、足りない時には欲しい一念があっても足りている時には「もっと、もっと」となります。 欲だと言うことが分かっていても、それでも自分だけが不幸に感じたり~もっと良いことがあるんじゃないかと考えたり、今の現状が結構満ち足りていることになかなか気付けません。

    人は大切なモノがいくつもあるのですが、それが目の前にある時には全然分からず素通りしたり邪険に扱ったりします。

    本当に大切なモノに気付く時とは「失った瞬間」で、失って取り返しがつかない、もう2度と会うことができない、泣いても喚いても元へは戻れない、そんな時にこそ大切なモノが身に染みて分かるのです。

    昔と違い今は少し鑑定する人数が増えたので、何回もお越しくださる方もいれば一度きりで来なくなる人もいます。

    私の霊視カウンセリングが気に入らない&鑑定内容が不満、それで来なくなるのは良いことです。 私のことが気に入らないから来ない、私の霊視カウンセリングに不満があるから来ない、それは自分の意思で来ない訳だから良いことです。

    ところが「行きたいけれど行けない」と言う状況になってしまったのであれば、それは悲しいことでもあるし~私の力不足や無力を感じてしまうことにもなります。

    昔と違って鑑定する人数が増えれば増えるほど、悲しいことにも直面しなければならないことも増えましたが、7月に鑑定した素敵なお客様が8月に亡くなってしまった、この前まで元気だったのに天国へ旅立ってしまった、このような出来事の時には心の痛みとして永遠に記憶されます。

    防げるかと言えば運命的に防げないことも多いし、肉を食べすぎると死にますよと言っても暴飲暴食を止められないと終わる、そのように死と言うのは自分が招いてしまうこともあります。

    人は当たり前の数が増えすぎると「今を大切に生きる」と言うことを忘れるのですが、好きなら告白する、お店を出したいなら出す、転職したいなら転職する、夢を実現させたいなら努力する、今を大切にしていない人は何事も後回しにして今を楽に生きてしまうのです。

    今回の東京出張はホテルの部屋で寝ていると、壁の絵が揺れてがたがた音がすることが毎晩続き、某神社へお参りした時も周りへ誰もいないのに本堂の前で手を合わせていると、右斜め後ろから「や・ま・さ・き、#%$#%」と呼ばれたり奇妙な出来事がありました。

    いくら幽霊よりも県北の極悪鉄パイプ集団の方が怖いと言っても、さすがに今回のように3日連続で不思議な現象が続くと久々にぞっとしたと言うか、鑑定じゃないのに霊視して細かく視たのは東京では初めてです。

    それでようやくがたがたと絵が揺れる原因や話しかける声の正体に気付いたのですが、実はある素敵なお客様がお亡くなりになって合図されていたのに、私は「ま~た、幽霊か?」とうるさいから知らん顔して寝ていたのです。

    幽霊を無視して寝られるのは良いのか悪いのか、4日目にして気付いた時にはもう倉敷へ帰る直前でしたから、御友人の御予約の前まで気付かなかったのは私の力不足でした。 今後も鑑定でお会いするはずだったし来年の新年会を楽しみにされていたのに、2度とお会いできない喪失感は私の無力感を増幅させていきます。

    こういうことの無いように一期一会は大切にしなければと思うのですが、例えばお守りプレゼントへ並びたいけれど躊躇して止める、新年会へ行ってみたいけれど躊躇して止める、これでは一期一会のチャンスを逃しまくっていると思うのです。

    人との縁を増やすと言うことは悲しみも増えて行くと言うことで、そういう想いや覚悟が無ければ人との縁を増やすことは出来ないと思うのです。

    あなたは一期一会、その意味を理解していますか?

    。・゚゚ '゜(*/□\*) '゜゚゚・。

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