徒然草(岡山・東京・山崎かずみ)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    余命。

    おはようございます。 いつも素敵なお客様が幸せな気持ちでいられること、素敵なお客様が自由に何でも行動できる健康は奇跡であり、五体満足でいられるのは本当にとても幸せなことです。

    季節の移り変わりを追いかけることができるのは五感で感じるからこそで、見る~聞く~香る~味わう~触れると言うことがなければ、今の人生はどれだけ不遇を感じることか分かりません。

    人である以上は不平や不満が出てくるのは当たり前ですが、その不平や不満に向き合ってみるのも時には良いことだと思うのです。 今の自分は不幸ではなく幸福ではないのかと言う気持ちが芽生えてくると、自然と感謝の気持ちが芽生えてキラメク思い出がよみがえることもあると思うのです。

    人には誰しも必ず寿命と言うモノがあり、100歳まで行きたくても寿命が80歳だと100歳まで生きることはできません。

    医師や看護師さん~他にも介護士さんや老人ホームで働く人など、仕事上で死と向き合うことが多い方は、亡くなって行く人を目の前にして「生きたい」と言う思いをどのように受け止めているのか、人は自分が死を目の前にした時に人間としての器量が問われるのです。

    私は今までの人生において岡山でも東京でも札幌でも、占いで鑑定して貰ったことがありませんし、霊能力者やスピリチュアルカウンセラーに視て貰ったこともありません。

    だから正直に申し上げると「分からない?」と言うのが本当のところなんですが、占い業界で生きている先生方は「死」と言うモノへ真面目に対峙しているのか、それともお金儲けなど不真面目に対峙しているのか、その辺のことが私には分からないのです。

    何かあればすぐに先祖の墓参りをしろとか~家の四隅に塩を盛れなど、判で押したように同じことを言う先生が多いような気がします。 そして水子が憑いているとか~自縛霊が憑いているなど悪いことを言って不安にさせて、お祓い等でお金を稼ごうとしているような感じも見え隠れします。

    そうでなくても霊感商法と言うような悪いことを言って不安を煽り、仏像やパワーストーンなどを売りつけることも横行しています。

    善良な占い師さんは「鑑定だけ」と言うのが目安ですが、普通に考えて鑑定で忙しければ物品販売など怪しげなことをする暇がありません。 また、占いを本業にできないのに、人の運命を見るのも少し違うような気もします。

    何故このような話をするのかと言えば、占い業界はお金儲けの為に嘘や適当がまかり通っていますが、それは本当に死と向き合える先生方が少ないから適当がまかり通るのかもしれません。

    私はお越し頂いている素敵なお客様の余命は嫌でも視えてしまうのですが、私は目の前にいる方々に残された命の時間も視ながら霊視カウンセリングをしています。 (ただし、占い師は絶対に相手の寿命を占ってはいけない、それは占いをする上で基本中の基本です。)

    人生と言うのは生まれてきた瞬間から死と向き合う作業の繰り返しなのですが、息をしないと死んでしまうし~ご飯を食べないと死んでしまう、毎日繰り返しているのは死なない為に必然だから、人は死に向き合うことが生きることへ繋がるのです。

    私は色々な御相談をお伺いしていますが、癌になった方が手術が成功するかどうかを聞きに来られたり、膠原病の方が激痛の中で自分の未来はどうなっているのかを聞きに来られたり、余命を病魔と闘いながら一生懸命に生きて行かなければならない、それを目の前で視ながら霊視カウンセリングをする、その辛さや悲しみは私の中で痛みや葛藤となります。

    人は色々な場面、卒業や進学~就職や転職~恋愛や結婚など別れは身近に隠れているのですが、死と言うのは別れの中でも最上級の辛さであり、愛する人が亡くなると言うのは信じられないほどの悲しみや苦しみなのです。

    私は余命に付いて気軽なことや適当なことは言えないのですが、善良なる占い師さんは人の死に付いて軽々しいことは言わないはずです。 今まさに目の前で亡くなって行く瞬間、人の命の灯が消えてゆく瞬間において、「それはあなたの学びです。」なんて私には言えません。

    私はお越し頂く素敵なお客様の寿命に付いてお話しすることはありませんが、人生の残り時間を考えると夢は追いかけて実現させなければ、あっと言う間に気が付いたら人生は終わります。

    人は輪廻転生で生まれ変われば再び人間として生きることは可能ですが、その時には前世の記憶はないから一から始める、人の魂と言うか人生は常に一から始める繰り返しなのです。

    だからこそ与えられた命を一生懸命に生きなければ勿体無いし、一から始めるではなく新たなことを経験できると考えれば、前世から生まれ変わって今を生きることそのものが挑戦し続けることになると思うのです。

    あなたの人生が輝く、あなたの夢が叶う、あなたの思いが伝わる、そういう悲喜交々な喜怒哀楽が人生の証でもあり、あなたの人生は今までも~これからもずっと輝き続けると、私はあなたの未来へ期待と可能性があることを信じているのです。

    あなたは余命について、考えたことがありますか?

    Σ( ̄ロ ̄lll) ガビーン



    お知らせ:出張の為、ブログの更新は6月2日(木)より再開いたします。 いつも御予約頂き、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    欲しい。

    おはようございます。 今日も素敵に輝く未来が待っているあなたには、運命も素晴らしい微笑みを向けてくれるはずです。 笑顔で輝いているあなたが生きている、その意味はとても重要な積み重ねになるのです。

    私は何かが欲しいかと聞かれたら健康とか素敵なお客様の笑顔など、形あるものではなく目に見えない内容が一番に来るので、いざ欲しいモノがあるかと聞かれたら特にありません。

    私は年中無休で365日、必ず事務所に出ています。 移動の時は仕方が無いけれど、それ以外は岡山か東京かは別として必ず霊視カウンセリングをしています。 素敵なお客様より大変ですねとか、お疲れになりませんかなどと優しい言葉をかけて頂けるのですが、実は全く疲れることがありません。

    事務所の大掃除やリフォームをしていて疲れることはあるのですが、霊視カウンセリングをしていて疲れることはありません。 正確に言うと一日が終われば疲れが出ることもありますが、次の日にはまた元気で素敵なお客様にお会いできるのです。

    私は霊視カウンセリングをしていて疲れると言うよりも、素敵なお客様にお会いできることで感動を頂いたり、生きるエネルギーを頂くことの方が多いのです。 仕事に向ける使命感や商売にかける情熱、そしてときめくような恋や悲しくて切ない恋など、色々な御相談をお伺いすることで人として感動を心に刻み込んでいます。

    人は誰にも相手にされないと言う無関心が一番辛いのですが、何事も相手にされないと言うのは心の傷となります。

    昔の私は人並みにお金や車などが欲しいと思ったし、人並みな欲求と言うのか欲望と言うのか、いわゆる欲しいと言う気持ちは大いにありました。 あの当時は今から思い返しても恥ずかしいことばかりですが、どうしてあんなに欲しい欲しいと欲しい病に掛かっていたのかと思います。

    欲しいと言うのはモノだけに留まらず、休みが欲しいとか給料がもっと欲しいなど不平不満だらけでした。

    仕事が面白くないと感じていたし、どうして自分だけ辛い目に遭うのかと悲観していたのですが、今から思えば被害妄想のケがあったのかもしれません。 県北の人とうまくやるには県北の人と同じことをしていれば何もなかったのに、余計な正義感を出したりせずに成すがままに流されていれば楽ができていました。

    ただし、そんな生活をしていたら霊視カウンセラーにはなっていないどころか、新聞紙上を賑わして刑務所行き確定だったので、どっちの生活が良いかは人の考え方にもよると思います。

    さて、話は戻りますが仕事をしていて辛いと感じる時と言うのは、その物事だけに集中して他に考えることが無い時に辛く感じたりします。

    分かりやすく例えるなら、仮に皿洗いをしているとします。 普通なら毎日毎日同じことばかりでつまらないとか、もっとやりがいの仕事があるのではないかと言う気持ちが起きるのは当たり前だと思います。

    昔の私なら皿洗いをしろと言われてもぶつぶつ言って、不平不満を言いながら面倒くさそうにやっていたと思います。 今の私ならどう思うかと言えば、「このお皿を使う人が幸せになれるように」と思いながら皿洗いをします。

    同じ仕事をするのであれば楽しくしたい、楽しくする為にはどうすればいいかと考えて、仕事を遊びに変える工夫をすると思います。 遊びと言ってもだらだらするわけではなく、仕事の中身を真面目に一生懸命にすることが自分を助けます。

    皿洗いが嫌だと言うのなら「何の仕事ならいいのか?」と言う矛盾に辿り着くし、なりたい仕事があっても今度は人間関係とか上司など、他に不平不満を見つけてしまうのではないかと思うのです。

    人は欲しいモノがあるのが欲の部分ですが、欲しいと言うのは何で欲しいのかを考えてみると、それを手に入れることが何になるのかと言う矛盾にたどり着くこともあります。

    欲しい欲しいと次から次へと欲を生み出していると、いつの間にか人間としての品格を落としめてしまうのです。 自分が欲しければ何をしてもいいと言うのであれば、それは人間としてではなく餓鬼の世界になってしまいます。

    幸いなことに日本はわびさびのある国だから、欲しければ何をしてもいいと言う国民性ではありません。 自分の中にある我欲と言うか、鍛えなければならない部分を人は自然と気付きます。

    もしも気付いたなら、その部分を解消することで次なるステップへ上がり、自分が生きていることを証明できるようになります。

    私は自分に対して欲しいモノはありませんが、素敵なお客様が「笑顔で輝ける時、素敵な恋ができる時、幸せな時間を過ごせる時」など、そういう時間が人生の大部分を占めるようになって人生の充実感を感じて頂けることが、私に取っての大切な願いです。

    あなたが欲しいと思うのは、何ですか?

    ☆^(o≧▽゚)oニャハッ

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    ブログ。

    おはようございます。 今日も素敵な一日の始まりですが、人は完璧じゃないから落ち込むこともあります。 人は批判に弱い生き物だから良いことをしていても、1000人中1人が批判すれば999人は褒めてくれているのに、たった1人が貶す方を気にするのです。

    私なんか気が弱い上にクヨクヨと気にするタイプなので、過去のことを忘れないのは不幸かもしれません。 知識を得ると言う点では記憶力はある方が良いのかもしれませんが、「あの時には、あんなことがあった」なんて過去の出来事を全て覚えているのは、いつまでも心に負った傷が癒されないことになります。

    それでも私は運命に助けて貰ったと言うか~どん底人生に一発逆転があったのは、素敵なお客様に出会えたからだと断言できます。 目の前にいる人は良い人、出会う人は善意のある素晴らしい人、今の私はお越し頂く全ての方を素敵なお客様だと信じているから、今日はどんな素敵な方に出会えるのかとワクワクドキドキしています。

    人は最低なところにいた時にはホンの少しのことが嬉しく感じるモノですが、お腹が一杯の時は高級レストランでも美味しくないけれど、山で遭難した時にはおにぎり一個がものすごく美味しい、だからこそ私は普通に食事ができる今を凄く幸せだと思います。

    私は自分に自信が無いから素敵なお客様にお会いできると、「あぁ、なんて素晴らしい方なんだ!」と感動してしまうのです。 毎日が感動の積み重ねであり、私はいつも素敵なお客様に勉強させて頂いているのです。

    その勉強を蓄積した積み重ねが日々の成長であり、私がブログを更新できるのも素敵なお客様から学ばせて頂いているからです。 私のブログをくだらないと感じる人がいても当然ですが、それが先ほど書いたように1000人中1人なら、楽しみにしている999人の方を優先するのでブログを止めることはありません。

    私は実名でブログをしているので、ここへ書いていることは全て私が書いたと誰もが分かります。 書いた内容に対して賛否両論あるとは思いますが、私の個人的意見に対して嫌だと感じる人は読まない~良いと感じる人は読む、どちらかに分かれるのが自然です。

    ブログと言うのは圧倒的に匿名の方が多いのですが、実名を公開すると人目を気にして書く内容に手加減が出る、そういう意見がほとんどだと思います。 特に批判的な意見を書く時(内部告発)や際どい内容の時は、実名で書いて特定されるのは誰しも嫌です。

    私が実名でしているのは自分の意見を正々堂々と隠れずに発信したいからで、何かについて意見を言う時や人を批判する時に匿名でコソコソ言うなんて、それでは自分自身の成長がないと考えているからです。

    また、実名でしていると自然と内容に責任を持って書くようになるし、余計なことは書かなくなります。 私のブログはマダマダ実行できていないけれど、グチより建設的な意見を書く方が気持ち良いし、誰かに見られている意識があればピシっと襟を正すことにもなります。

    それに実名でブログをすると読んでいる人が、私のことを自動的に選別してくれます。 私のブログは閲覧自由だから、内容に共感できれば近寄ってくる、内容が気に入らなければ遠ざかって行く、それが私の知らないところで自動的に行われます。

    昔から類は友を呼ぶと言われるように違う考えの人同士は、基本的に出会うことはありません。 それが出会ってしまうからケンカになるか~嫌な思いをするかで、どちらにしても良いことにはなりません。 それが実名を晒すことで自動的に選択されるので、同じ考えや方向性の人と知らないうちに関わりを持つことになります。

    「寄付、ボランティア、誰かの役に立つ、相手を幸せにする」など、このような思いを持っている人は私に共感するし、その逆なら私に興味を持つことはないと思うのです。

    私は日本の未来が非常に不安になって3月12日より、「震災~原発~政治」について真実や対策を書いてきました。 その内容について「いい加減なことを書くな」と、不快に感じた方がおられたかもしれません。

    しかし、5月23日のニュースでご覧になった方もいると思いますが、政府と東電は今頃になってメルトダウンを明らかにしましたが、私は3月12日のブログでメルトダウンを断言して、3月13日のブログでは今後の対策や現状も書いています。

    こうやって次々と真実が明らかになっているから、私が「震災~原発~政治」について書いた内容を、現在の状況と照らし合わせれば「いい加減ではない」ことが御理解頂けると思います。 (注:誤字脱字を除きます。)

    私は今後の福島県で非常に危惧すること、それは原発により「放射冷却現象」が強制的に起こるので、「暑いか? 寒いか?」の寒暖の差が昼夜で激しくなり、それが影響し始めると低体温症などが起きますが、政府や東電が全く対策する気配が無いのは残念です。

    震災からの復興への対策が緊急事態だと言うのに、何故か民主党政権は静岡県と愛知県の産業潰しに力を入れているので、このままなら日本の未来は問題が山積みになりすぎて雪崩が起きそうです。

    しかし、私は素敵なお客様がいる限り日本は持ちこたえられると信じているので、日本の未来へ希望はマダマダ残っていると思うのです。 私は今日も素敵なお客様とお会いできる、その奇跡に感謝して日々の精進を続けて行きたいと思います。

    あなたはブログを読んで、元気になっていますか?

    (-ω-ゞラジャ⌒☆

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    心。

    おはようございます。 いつも素敵なお客様には笑顔が溢れる出来事があるはずですが、それは運命からの御褒美が当たり前に見せかけた奇跡として、何不自由ない生活が本当は幸せだと気付かせてくれると思うのです。

    今から思い返せば昔の私は揚げ足取りばかりしていたのですが、それはいじめられていたから何かあれば自分を守ろうと言う気持ちで、自分へ責任が来ないように人のせいにばかりする気持ちで言い訳ばかりしていました。

    今も自分を守ろうと言う気持ちが湧き上がれば、「いや、これは自分がダメだから戒めがあるだけで、言われる自分が反省材料としなければ…。」と言う気持ちへ、変換するようにしています。

    運命は不思議なもので良いことと悪いことは半分半分だから、良い時ばかりも続かないし悪い時ばかりも続かない、私は素敵なお客様方のおかげで本当に幸せな日々を送らせて頂いております。

    しかし、逆に言えば自分自身が常に精進して行かないと、いつ運命から「調子に乗るな!」と奈落の底へ落とされてしまうか分からないので、図に乗らないように~態度がでかくならないように、相手に対して不快感を与えないように、私は毎日する反省が続いております。

    人は人と出会うことで人生が変わるのですが、そこには一つのコツと言うか~ステップアップの秘訣みたいなものがあり、それは誰もが何となくカンの部分で気付いていると思います。

    良い人と出会うことが運を良くすると言うのは誰しも気付いているけれど、良い人と出会う為にはどうすればいいのか、卵と鶏の関係になるけれど「自分のレベルを上げる」ことが最善の方法です。

    私はお越し頂く素敵なお客様に引き上げて頂いているだけで、私自身は大したことが無い未熟者の霊視カウンセラーです。 私の初期を知る人は私が暗い顔してぼそぼそと話をして、良いことではなく悪いことを言う方が多かった、そんな時代があったことを覚えていると思います。

    あの当時から比べると私もニコヤカに応対できるように心がけているし、明るくハキハキと喋ることができるようになったと思いますが、あくまでも昔に比べたらなのでマダマダ精進が足りないと思います。

    評価と言うのは人がするものだから私が自分の頭の中で思い描いたところで、お越し頂ける素敵なお客様に満足して頂けないのは全て私が悪いのです。 全ての方に御満足して頂けるようになりたいけれど、それは見果てぬ夢かもしれないので、死ぬまで努力を続けて行かなければならないと思っています。

    「自分から見た自分と、人から見た自分」は意外と差があるのですが、私はお越し頂く素敵なお客様に不快感を与えないよう、事務所は「常に綺麗~良い香りがする~室内は明るく~出迎えとお見送り~笑顔で話す」など、いくつもの点を常に気を付けているつもりです。

    しかし、これはあくまでも私が考えているだけの内容であり、お越し頂く素敵なお客様の側から見れば、どれも当てはまらないと言われるかもしれません。

    また、私を見て「暗い、威圧する」などの印象を持たれる方もいるし、「言い方がキツイ」と私の言葉に問題アリと言う方もいるし、肝心の霊視に関しても「当たらない、悪いことばかり言う」と言う方もいるし、全ての方に御満足して頂ける道は遥かなる道程です。

    自分で思い返してみても恥ずかしくなるのですが、初期の頃は的中率を重視して悪いことも平気で話し、当たることを悦にいって傲慢だったと思います。 あの当時にお越し頂いた方には不快な思いをさせたことも多かったはずで、本当に申し訳ないと顔から火が出る思いです。

    あの当時は占い師としてモノの言い方もなっていないし、アホで未熟な私のところへ来て下さった方々に申し訳ない気持ちが一杯で、あの当時を振り返ると恥ずかしい記憶しかないほどです。

    私はお越し頂く素敵なお客様より学びを与えて頂いているのですが、占いである以上は当たる当たらないも大切だけど、当たれば何を言ってもいいと言うのは間違いで、占いへお越しになる方の心が元気になるように、言葉が与える影響を考えるべきだと思うのです。

    以前の私は早く早くと焦ってばかりでしたが徳川家康公の言葉にも、「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。」とあり、今はゆっくりでいいから着実にと思うようになりました。

    私は日本最強の占い師(カウンセラー)とは、例えるなら「駄菓子屋のオバチャン(例えなので他業種もあり)」だと思うのですが、色々な体験をして~幾多の苦労を乗り越えて~含蓄ある言葉を優しく話してくれる、そこにあるのは占術ではなく「真剣な思いやり(真心)」だと思います。

    ちょっとお店に立ち寄って~駄菓子を買いながらオバチャンと話をすることで、駄菓子屋を出る時には心が軽くなっている、そこには未熟な私では到底叶わない最強の真心があると思うのです。

    私は「思いやりのある」~「真心が感じられる」~「心が軽くなる」など、いつの日にか素敵なお客様に感動して頂ける霊視カウンセラーになりたいです。

    あなたは心が軽くなる、そういう占いは好きですか?

    ゙☆⌒o(*^ー゚) アリガトウ~♪

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    人生の体力。

    おはようございます。 いつも素敵なお客様の実力は目覚めているのか~目覚めていないのか、それはこれから先の未来を作る時にハッキリとしてくるはずです。 人には欲があるけれど欲があることが悪いのではなく、欲の向かう先が自分だけか~周りも含めてかが、善と悪とを決めてしまうのです。

    人は不思議と誰しも現状より上を追い求めてしまい、最初は疑うことなく夢を追いかけて成功することだけ考えて、自分の力を信じて物事に励みます。 上手く行っている時ほど「もっと、もっと」と欲が出てきて、その気持ちが人を成長させる一面やエネルギーがあるのは否定できません。

    私も経験したからこそよく分かるのですが上手く行っている時こそ注意が必要で、先を急ぎすぎたり~焦りすぎたりして、下手を打つとせっかくの自分の未来を簡単に潰してしまうのです。

    人は自分の力だけでやっていると勘違いしてしまいがちですが、そうではなく周りの人々の温かい心があるからこそやっていける、その真実に気付くのは周りの人々が自分から離れて行った時と言うのは皮肉なモノで、後の祭りと言うのはいつでもどこでも同じなのです。

    人生とは他人との関わりから幸せを生み出して行くことであり、結局は他人の幸せが自分に降りかかってきます。

    建設現場で働いていたからよく分かるのですが、建物と言うのは土台が重要と言われるけれど、本当に大事なのは土台を乗せるべき基礎が最重要課題です。 その基礎工事をしてみるとよく分かるのが土地と言うか地盤で、地面の中にあるのが石ころなのか~石炭なのか~砂なのか、それにより強度が違ってきます。

    どんなに良い柱を組んだところで地面がぐらぐらしていると何にもならないし、どんなに高価な家を建てたところで基礎工事が手抜きじゃすぐに倒れてしまいます。 田んぼの上に立てるのと山を削って岩盤の上に立てるのでは、揺さぶられた時の耐久性は雲泥の差があります。

    これは人生の縮図と言っても良いくらいの例えだと思うのですが、田んぼの上に立つ人生と岩盤の上に立つ人生では、一見すると覆い隠されているから分からない部分が多いです。

    ところが「イザ!」と言う時に簡単に潰れてしまう人生と、どんなに強く揺れてびくともしない人生に分かれてしまい、見た目は同じようでも中身がまるで違っていると言うのが、基礎工事をしっかりした人とそうでない人の人生の違いになってきます。

    これは人生の原点から違っているとも言えるのですが、一歩一歩着実に足元を固めてから歩んできた人と、上ばかりを見て背伸びをしながら歩んできた人では、どうしても人生における経験や知識や努力の濃さが違うのです。

    その中身の濃さを薄めずに歩んでいける人ならば、夢を叶える為に強い人生を歩んで行けます。 夢を叶える為には何をしても良いと言う人は、夢を叶える為には大切な中身を薄めてもかまわない、そんなことではインチキ商売と同じで反則になってしまいます。

    本人にはそんなつもりはないのかもしれませんが、先を急ぎ過ぎると~先を焦りすぎると、確実に中身の濃さは保てなくなり薄めるしかなくなるのです。

    誰でも人生の成功者になればと夢見がちですが、ちやほやされたいとか~褒めてもらいたいなど、少しでも世の中に立派に見てもらいたいと言う欲が生まれます。 別に欲が悪いわけではないと思いますが、世間から見て立派かどうかは行いが決めることで自分が決めることではありません。

    ただし、私も未熟者だから人のことは言えませんが、それが人間だと言うのも一理あると思います。 焦ったり、浮かれたり、欲が巡ると冷静な判断ができなくなり、人生を生き急がせてしまうのです。

    人生に余計なハッタリは必要ないのですが、張れない見栄を張り続けると自分で自分の首を絞めることになり、上手く行っているならまだしも落ち始めると見栄やハッタリは通用しなくなり、そこで今まで培われた真の実力が出てくるのです。

    追い込まれてどうにもならなくなり化けの皮がボロボロと剥がれていく様は苦しくて、大切にして来なかった自分の人生に裏切られて、自分の運命を呪うけれど運命ではなく自分が悪いのです。

    惨めに落ち込んでいるのに攻め立てられている現状では、自分でやれることを一から積み上げてやり直すしかないのです。 自分でやれるだけの底力をどれだけ残しているのか、それで実力を試されてリスクを回避できて人生の体力が憑くことになります。

    あなたは人生の体力、どれだけ身に付けていますか?

    ヾ(´▽`*)ゝあーい♪

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    未来。

    おはようございます。 いつも素敵な笑顔でいられるあなたは素敵ですが、運命だけではなく未来で待っているあなたを必要とする人達は、もっともっとあなたの素敵な笑顔を待ち望んでいます。 自分の夢が叶うことは誰かを幸せにすること、その思いを捨てない限りは大丈夫です。

    私は素敵なお客様の悩みをお伺いしていると次から次へと反省してしまうのですが、私は完璧な人間ではないから悩みをお伺いしていると、素敵なお客様に比べて昔の私は恥ずかしくなり、こんな私では未来がどうなるのかと不安にもなります。

    素敵なお客様より「山崎さんでも未来を視て不安になるんですか?」と聞かれますが、自分の未来を視ることができる占い師さんは逆に考えすぎて不安になることもあります。 うまくやろうとすればするほど色々な未来を視てしまい、「あぁ~でもない、こぅ~でもない」と上手くやろうと考えすぎるのです。

    ナンデモカンデモ未来の真理が全て分かっているならいいけれど、未来を完全に掴んで流れを完璧に読みきるなんてことはありえません。 そんなことが出来れば神様と言うしかないのですが、そんな奇跡みたいなことはTV番組のヤラセでしか起こりません。

    今の私の状況を簡単に説明するならば、中央区や千代田区へ事務所を出すと言うのは実現可能な状況になるのかもしれませんが、「さぁ、やろう!」と言う気持ちになれない場合だってあります。

    「何言ってんの? 東京へ出張しているのに。」と言われるのはごもっともですが、どうしてやる気になれない場合があるのかと言えば心の問題で、やれる状況にあるのにやれないのは、できないのではなくやらないだけなのです。

    あれほど東京へ事務所を構えたいと言っているのに、いざ夢が実現する方へ進み始めると怖くなってきたと言うのか、マリッジブルーみたいな心境です。

    西日本のお客様には倉敷事務所へお越し頂いて、東京の鑑定場所へは東日本の方にお越し頂いてと、365日フル稼働でやれる未来がすぐそこのはずなのに、イザ叶い始めると「いいのかなぁ?」とか「大丈夫かなぁ?」などと思い始めるのが心の弱さなんです。

    結婚する直前になってマリッジ・ブルーと言う、結婚するのが怖くなったり嫌になったりすることがありますが、この夢が叶う前に躊躇するのは心理状態として普通のことです。

    誰しも夢を叶えるまでは一生懸命に「なりたい自分」を目指しているのですが、それが叶い始めると怖くなるのは「叶ってしまった後の自分」を想像できないからです。 誰もが陥るエアポケットみたいなものですが、夢と言うのは叶ってしまうと次はありません。

    新たな夢がある人は良いけれど、普通はひとつの夢を叶える為に全力投球だからすぐにすぐ次へと目を向けることは出来ません。 ハングリー精神があれば出来るとは言うけれど、ひとつの夢が叶った後にすぐ次へ行けるのは簡単ではありません。

    私も同じことですが、人はいくつも夢を持ち続けて同時進行で色々なことをしていないと、ひとつのことだけだと叶った瞬間に愚痴や不平不満が出てきます。

    例えば、なりたかった憧れの職業へ就けたけれど、イザ中へ入ってみると人間関係や職種における特異性など、内部の知らなかった現実に打ちのめされることだってあります。 なりたくない職業ならなおさらで、嫌な仕事を我慢できるはずがありません。

    だからこそ夢が叶った後に燃え尽きてしまわないようにする為にも、夢はいくつか持っておいて、同時進行で夢を見続ける工夫も必要になってきます。

    私は自分の未来を時々視るのですが、自分の未来を視たら怖くないと言えば嘘になります。 海外では占い師さんが「天国にいけない職業」と呼ばれていますが、それは占いが人の心を傷つけたり操ったりして神の領域を侵すからだと言われています。

    個人の自由だから寄付やボランティアをしない先生が居ても当たり前ですが、「未来が分からないのなぁ?」と思える時があります。 未来を視ているとよく分かるのですが、自分がしたことが自分に返ってくるから「何もしない」とお釣りが怖すぎます。

    未来でどんな痛い目に遭わされるかを思えば、正直に世の為の人の為に生きなければ占い師をして行くのはかなり危険だと感じます。

    だから有名占い師さんでも急激に落ちてバッシングされることがあり、それは行いに対するお釣りなのかもしれないので、考えようによっては有名な先生方が次々と没落していくのは意味があり、「人のふり見て我がふり直せ」は貴重な戒めになります。

    あなたは未来を見て、怖いと感じたことがありますか?

    ( ̄ω ̄;)エェ~ト?

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    現場。

    おはようございます。 人と人との関わりは不思議な縁だと思うのですが、私が県北だったら出会わない方々と関わっている現状は不思議です。 更に私が近所だけでやっていたら~地域だけでやっていたら、今回ほど心にダメージを受けることはなかったと思います。

    東京出張を始めてから地域と言う観点ではなく全国と言う観点で次々と縁ができ、その東京出張も倉敷へお越しくださる素敵なお客様のおかげで、最初は赤字でも耐え凌いで続けられました。 言うなれば倉敷へお越しになる素敵なお客様が、間接的に東北や関東を支えたことになります。

    話をしなくても関わりができることは多々あるのですが、元日のお守りプレゼントに並んでいた人の中には東北や関東に関わりのある人も大勢いたはずだし、新年会となれば更に福島~栃木~茨木など被害に遭われた地域の方と直接の関わりがあります。

    そういう縁を繋いでいけば私のところへ来ると言うことは、知らない間に知らない縁で東北の被災者の方々と縁ができていることになります。 だから私のところへお越しになる素敵なお客様は、知らない間に東北の方々を助けていることになります。

    そういう繋がりを休憩中に霊視して行くと、県北で寄付とか考えず野垂れ死にしている人生と、東北の未来を視るのは辛いけれど少しでもお役に立てる人生と、どちらが良かったのかをふと考える時があります。

    県北だったら自分の欲望だけで後は全て余計なことですが、霊視カウンセラーになって縁が増え続ける人生は楽しい反面、悲しいことを避けては通れないのです。 自分ではどうにもできない場面に対峙した時に、私は無力感で自分を喪失するような悲しい気持ちが止まらないのです。

    福島第一原発は私がブログに書いていることが全ての真実で、見えない人が適当な発言で世界中を惑わしている現状は非常に残念です。 ヒトコトで言うなら「言う方は楽だけど、やる方は大変」で、今の福島第一原発で作業しているのは下請けや孫請けで、肝心の東電社員は安全な場所で命令するだけです。

    図面を持って指示するのが東電社員で~工具を持って現場へ行くのが下請けで、指示するだけの東電社員は楽で安全だけれど、実際に現場へ行く作業員は大変な上に危険です。 給料が高い方が楽をして~給料が安い方が苦しい思いをする、それが福島第一原発だと言う事実は動かせません。

    TVのキャスターやコメンテーターや大学教授などは、現場のことも分からないのに無茶なことを言うなと思います。 「少しくらい放射線量が高くても、根性で作業すれば」なんて無責任な話で、あの現場の状況で「やれるもんなら、自分でやってみろ」です。

    原始炉の中で放射線量が高くなっているとどうなるか、放射線は人体に影響の無いレベルだと目に見えない上に何も感じません。 ところが体に影響の出るレベルになると目に見えないだけで、身体に感じる振動や衝撃みたいなものがあります。

    初期段階は皮膚がチクチクして、中期段階だと圧力を感じ始めて、それ以上だと火も無いのに焼け爛れるから、「もう、おまえは死んでいる」と北斗神拳みたいです。 防護服があれば影響は少ないけれど、細かい作業をするには防護服を薄くしなければならない、薄くすれば被爆して死んでしまうかもしれない、こんなジレンマを抱えながら現場は作業しています。

    例えるなら、手首にマッサージ機を当てて振動がある状態で針の穴に糸を通す、こんなことを繰り返しているから作業が進まないのです。 キツイ放射線を当てられると手が震えるし、おまけに筋肉が硬直して自由に動けず息すらできない時があります。

    自分では前に進もうとしているけれど足踏みしているだけで進めないから、根性とか言う問題ではなく見えない壁があるのです。 それに防護服無しで原子炉へ近づくのは、お焚きあげやキャンプファイヤーみたいに大きな焚火へ、Tシャツ姿で近付くのと同じくらい熱いです。

    何枚も重ね着した上に防護服を着てサウナ風呂より湿度と温度が高い場所へ入る、そんな状況で作業しているのに周りから無責任なことを言うなら自分でやるのが一番です。 私は現場で作業している方々の行いに感謝しているし、日本の命運をかけて戦っている姿に感謝の気持ちで一杯です。

    なお、政府が原子炉を布で囲うなんてアホなことを言っていますが、そんな囲いを作ったら圧力の反作用現象が起こり、いくら特殊金属の原子炉でも爆発確定です。 建設会社へ仕事を発注する利権がらみの案では、本当に原子炉を止める気があるとは思えません。

    圧力弁を壊して被害を拡大させておきながら自分の保身が第一、どこかの国の総理大臣が荒唐無稽な行動をする理由、それは出身地などの環境や先祖からのDNAが関係するのかもしれません。

    日本全国の人が勘違いしていると思いますが、どこかの国の総理大臣はY県ではなく○○県の県北出身で、奥様も同じく同郷の○○県出身です。 環境とDNAのルーツを辿れば全て県北へ繋がるので、日本を破滅させる負のパワーに憂いています。 (; ̄Д ̄) ナニー!

    最後に政府や東電の説明で大きな間違いの部分、そして東工大や東大の教授レベルじゃ理解していない部分があります。 それは放射線の10~30%は防護服を通り抜けるから、除染は常にしないといけないので、防護服があれば大丈夫と言うのは真っ赤な嘘です。

    まさに今の状況は、「立てば国難、座れば人災、歩く姿は風評被害、寝ている主人は裸の王様」と、言えるのが民主党政権なのかもしれません。

    あなたは現場で作業している方々を、応援したいと思いますか?

    オッケー☆⌒c( ̄▽ ̄)マカシトキィ!

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    隅田川。

    おはようございます。 いつも素敵なお客様にお会いできることは私の人生の大部分であり、毎日毎日素敵なお客様とお会いできることは極上の幸せです。 私に生きる糧を与えてくださる素敵なお客様に、私は感動と感銘を受けて日々の精進を怠らないように厳しく律して行きたいと思います。

    さて、私は東京出張へ行った時にはパワースポットへ行ってエネルギーの補充と言うか、自分自身の浄化を行い精神バランスの補充みたいなことをする時があります。

    パワースポットと言えばすぐに神社を思い浮かべる人が多いと思いますが、何も神社だけがパワースポットではないし、人が大勢行き始めると人の欲が充満してパワーが弱くなり、パワースポットではなくなることが多いです。

    その良い例が東京大神宮と清正の井戸で、あそこは人の欲は渦巻いているから逆に運を落としてしまう場所へ変貌しているので、パワースポットと言っても今は逆の意味でパワースポットです。

    パワースポットへ行くことは誰にでもできるけれど、行ってパワーを吸収できるかどうかは個人差があります。 パワースポットで良い気を吸収できなければ行ったところで、「何も起こらなかった…。」で終わります。

    私はパワースポットについて「どうして個人差が起きるのか?」を視ていたら、早い話がパワースポットに好かれるか嫌われるかで、パワースポットに「また、来て欲しい!」と思われたならドンドンと良いことが起こり、再び「行こう!」と言う状態にしてくれるようです。

    ここで日頃の行いや未来で何をするかが分かれ道になって行くのですが、日頃の行いが良い人は良い気を吸収しやすいようです。 パワースポットも善と悪では善へ力を与えることが多く、日頃から行いを正しくしておけば力を吸収しやすいようです。

    そして未来で何をするかについては、欲丸出しでも割とパワーを吸収できることがあります。 結婚したいと言う想いでも「結婚相手を幸せに出来る」と判断されたならOKですし、「お金が欲しい」でもお金を手に入れることで人の役に立つ未来があればOKのようです。

    だから、必ずしもパワースポットへ行く時に品行方正でないとダメな訳ではありませんが、パワースポットへ行く以上は清潔にしてから行くなどある程度は整えて行くのが礼儀です。

    では、私が個人的に行くパワースポットを定期的に御紹介して行きたいと思いますが、最初に御紹介するのは「隅田川(吾妻橋~東京湾)」で、この隅田川とは東京都北区の新岩淵水門で荒川から分岐して、神田川や日本橋川などの支流河川を合わせて東京湾に注いでいる、全長23.5kmの一級河川のことです。

    古くは835年(承和2年)の太政官符に「住田河」として記されていたり、「宮戸川」などとも呼称されていた時代もあったようで、江戸時代に入ると吾妻橋周辺より下流は大川(おおかわ)と呼ばれていたようで、今でも古典落語などでは大川と言う名称が出てきます。

    そして江戸時代は警備(防備)の観点から橋が制限されていたので、明治初期の頃までは渡し船により両岸が結ばれていました。

    しかし、交通量の増加に伴い次第に木橋などで橋が掛けられるようになり、関東大震災により被害を受けた後は木製から鉄製へと橋が架け替えられて、更に自動車時代の幕開けとともに橋の建設が増加して今のように多くの橋になりました。

    水上バスでクルーズする時に遭遇する橋は、吾妻橋~駒形橋~厩橋~蔵前橋~蔵前専用橋~総武線隅田川橋梁~両国橋~両国大橋~新大橋~清洲橋~隅田川大橋~永代橋~相生橋~中央大橋~佃大橋~勝鬨橋と、かなりの数の橋が掛かっています。

    それぞれが特徴のあるデザインとなっていて、近年では災害対策連絡橋を主とした橋や遊歩道的な歩行者専用橋なども架けられて、更にバリエーションが豊かな作りになっているので、水上をクルーズしていると凄く気持ちが良いです。

    デジカメの小部屋に隅田川クルーズの様子をアップしているので、日の出桟橋から吾妻橋までのクルーズの模様をご覧頂ければ嬉しいです。

    東京湾から隅田川をクルーズしていると気分がスカッとする感じがありますし、悩みなどが風や水の流れと共にどこかへ飛んで行くような気がします。 ここは江戸時代から物流や人の往来が盛んだったので、人を寄せる何かがある場所でもあります。

    ここをクルーズしている時に写した写真に、先日も掲載した謎の飛行物体が偶然撮れました。 位置的に言うと相生橋から永代橋へ向かう時に佃ビル群の写真を取ったら、ビルの間に謎の飛行物体が写っていました。 他にも黒い飛行物体など、この時は後から見直すと色々なモノが写っていました。

    なお、隅田川はフランスのセーヌ川と1989年に友好河川を提携して、中央大橋はフランスのデザイン会社が設計しました。

    その為、主塔および欄干部分に日本の兜を意識した特徴的な意匠が施され、上流側の中央橋脚部に当時のパリ市長ジャック・シラク氏より贈られた、「メッセンジャー」と言う彫像が鎮座しています。 (注:このお礼としてパリ市へ屋形船を寄贈しました。)

    あなたは隅田川へ、行ってみたいですか?

    ヾ(´▽`*)ゝあーい♪

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    末期症状。

    おはようございます。 素敵な一日の始まりは自分の心がきれいなことが条件で、心が汚れたままではあり得ないのです。 きれいな一日はきれいな自分から始まる、それを忘れなければ今日も明日も明るい一日になると思います。

    私も毎日が素敵なお客様のおかげで幸せでいられますが、昔は末期症状とも言うべき終わりに近い破滅的な人生そのものでした。 病気で末期症状と言うのは生き延びる処置ではなく安らかに死を迎える処置、人生の最期を迎える為に緩和して行くことが、病気における末期症状の時にするべきことです。

    しかし、人生における末期症状と言うのは死ぬわけではなく、生きている限り苦しみ続けることを言いますが、自殺でもしない限りは生き続けるから苦しみも続きます。

    運命と言うのは人間と違って公平そのものですが、運命は努力する人には努力の成果がキチンとあります。 それは夢は必ず叶うという類のものではなく、その道が叶わない時には違う道を準備してくれて夢を失わずに済むようにしてくれます。

    人生とは何度でもやり直しが利きますが、それは寝ていてもやり直しが利くわけではなく、夢を失わずにあきらめずに努力する人だけがやり直すことができるのです。

    人生の危機と言うのは仕事でも恋愛でも必ずやってくるのですが、何事もなく平穏無事で行くと言うのはあり得ないのです。 これさえあればとか~あの時に~もしも~だったらなど、何かがあれば状況を変えられると信じ込んでしまいます。

    しかし 何とかその場を凌いだところで一時的な運の良さや助け舟だと、人生の末期症状と言うのは次から次へと同じような内容のことが追いかけてきます。

    これは一時凌ぎを止めないでいると不思議なくらい同じことが、逃げても逃げても追いかけて来て最後には精神的に持ちこたえられなくなり、そして全てを投げ出してしまう羽目になるのです。

    夢を失い落ちぶれてしまうのは、このように精神的に耐えられなくなり逃げ出してしまい、末期症状を何とかしたい一心で卑怯なことをしてでもクリアしようとする、それでは問題解決にはならないし既に底が割れている状態です。

    こうなると友達だろうが親だろうが彼女だろうが、身近なところから騙してでも自分が楽になろうとするのですが、これはまともな人の行動ではないのに分からずやってしまうのです。

    末期症状の怖いところは判断できなくなるところで、これをやったら信用を失うと言うことが判断できなくなるのです。 それをやってしまうと二度と会うことすらできない、そういう対人関係においての信用すら分からなくなるのは悲しいことです。

    まともな判断ができていない上に、先の先などは考えられずに何も見えてはいないから今と言う時間の中で怯えてしまい、それから逃れる為に鬼畜同様に何でもしてしまうのは末期症状特有の行動です。

    こうなる前に何とかしないといけないのですが、追い込まれて自棄になってしまうと失うものが大きく、彼女や友達や家族など自分の周りにいた全ての人を失うことになります。

    そうなると自分の未来と言うべき先の人生までも自分自身で潰してしまうことになり、自分の力で何とかなることと~どうにもならないことがあることに気付きます。 そうなってからでは遅いのですが、人は守る気持ちが強すぎると今の生活を失う恐怖から、悪足掻きをしてしまうのです。

    人生の末期症状と言うのは死んでいないのに死んでいる、肉体的には生きているけれど運命的には死んでいるから、死んでるモノに説教をしようがお金を渡そうが息を吹き返すことはありません。

    あぁしておけばとか~こうしておけばよかったなど、後悔するくらいなら末期症状になる前に、どうして思い切った手を打っておかないのかと思うのです。

    自分では気付かなかったように思うかもしれませんが、本当はかなり前から自分はこのままではダメなんじゃないのかと運命からのSOSをキャッチしていたはずです。 それを無視して自分が思う通りにやってきたツケ、それを自業自得の結果だと受け止められない人が、末期症状から今度は死神のように多くの人を巻き込むのです。

    私は自分が末期症状だったからよく分かるのですが、ダメな時には何もせずに目の前のことを受け入れて、それからなるようになると考えて再出発する方が先なのです。

    下手な手を打つと無駄な延命をして逆に完治できなくなり、足掻いて足掻いて前に進めずに沈んでしまうのが、末期症状の怖いところなのです。

    あなたは運命の末期症状、それに気を付けていますか?

    ヾ(´ω`=´ω`)ノ オハヨォ

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    松下政経塾。

    おはようございます。 昨日よりは今日、今日よりは明日と、毎日がより良くなっていると信じて、素敵なお客様の明るい未来へ私はワクワクドキドキと期待しています。 その為には自分がするべきことと、自分がするべき本分を見極めることも大切です。

    簡単に言うと、農業を職業とする人は「良いお米を作る、良い野菜を作る」と言う農業本来のことが仕事で、漁師さんは海へ出て魚を取って新鮮なモノを市場へ下ろすことが仕事で、料理人は良い材料を選んで美味しい料理を作るなど、職業の本分に沿ったことをするのが当たり前です。

    これはお勤めの方でも商売など自営業者の方でも同じことで、自分がしている職業以外の余計なことをしてはいけないのです。 バブル期に不動産や株式投資が儲かるからと言って、本業そっちのけで金儲け第一主義へ走った会社も、バブル絶頂期は威勢が良かったけれど今は見る影も無く潰れてしまった会社も多いです。

    本屋さんで魚を売るのは間違っているし、建設会社で怪しげなサプリメントを売るのも間違っているし、肉屋さんで靴下を売るのも間違っています。 「売れればいいじゃないか?」とか色々な意見があると思いますが、本業以外の余計なことをすると言うのは本業に打ち込んでいない証拠です。

    人は余裕が出るとついつい余計なことに手を出したくなるのですが、何の為に余裕ができるのかと言えば「本業を更に向上させなさい」と言う暗示で、余計なことをしろと言う暗示ではないのです。

    今の日本は外国との交渉は負けるばかりだし~税金は増える~失業も増える、おまけに赤字もドンドン増え続けると言う体たらくになってしまったのですが、これは政治家が思想と精神を吐き違えているからです。

    民主党は期待外れだったと思う人が増えましたが、だからと言って「民主党がダメなら自民党」と言う考え方は危険です。 私は建設現場時代に視察に来た自民党の議員や秘書から、「おまえらみたいなゴミは、死んでもえぇんじゃ」と言われましたが、あんな議員たちがまともとは思えません。 (私はどの政党も政治家も、まともとは視ていません。)

    私は経営者としても人間的な考え方にしても、松下電器産業創業者の故松下幸之助氏は素晴らしいと思っていました。 その故松下幸之助氏が1979年に公益財団法人の松下政経塾と言う政治塾を設立しました。

    次代の国家指導者を育成すべく「70億円の私費」を投じて神奈川県茅ヶ崎市に設立されましたが、財界人の故松下幸之助氏の意向で設立されたことから、結果的に卒塾生の多くが新保守主義とか新自由主義志向となりました。

    この松下政経塾は言うことだけは立派でも中身は幼稚園レベルで、実際は単なる遊びの場だからダメ男君を増殖させる塾です。 給料は出るし寮生活で衣食住は保障されているし、卒業後の就職斡旋はしないと言いつつOBの口添えがあります。 すぐに松下政経塾卒業と名前を出して偉そうにするし、プライドだけは高く我儘で横柄な人を増やす為の塾です。

    人には誰しも生きているうちに使命に気付くと思いますが、自分が生きていく上での使命とは何かに打ち込んでいるとか、やっているうちにライフワークとなるなど、多少の困難があったとしてもぐんぐんと成長していける分野こそが使命となるはずです。

    故松下幸之助氏の思いは日本が豊かな社会になることで、誰でもが家電製品を使えて誰でもが笑顔で暮らせると言う社会を目指していました。

    若かりし故松下幸之助氏が街で見かけた風景、それは他人の家の蛇口で水を飲んでいるホームレスの人でしたが、その家の人は注意すること無く好きなだけ飲ませていました。 その瞬間に故松下幸之助氏は「あっ、水のように安くて大量にあれば人は寛大になる。」と閃き、多くの人を幸せにするには豊かな国作りだと仕事に邁進したのです。

    今はパナソニックになりましたが松下電器産業は日本を豊かにする原動力となり、日本の財界や物作りの基礎となったのは誰もが認める多大な功績だと思います。 ところが故松下幸之助氏が私費を投じて作り上げた松下政経塾、これは本業でも無ければ本分でもありません。

    商売が本分の人が政治をすればどうなるか、意外と知られていませんが「民主党は松下政経塾OBの政治家が大半」で、民主党政権は「松下政経塾の出身者」で構成されています。

    故松下幸之助氏が日本を豊かにした功績は誰しも認めるところですが、故松下幸之助氏がいなければ松下政経塾は存在しません。 そうなると民主党政権も存在しないから福島第一原発の人災も起きていないので、今となっては故松下幸之助氏に資産があったことは取り返しが付かない、最悪の事態を日本に引き起こしてしまいました。

    同じ資産をつぎ込むのでもヤマト運輸の故小倉昌男さんは、自分の資産40億円以上を投入してヤマト福祉財団を設立しました。 これは松下政経塾みたいなピンボケ団体ではなく、障害者が自立できる道筋を作ることを目的とした団体です。 スワンベーカリーと言えば分かる人も多いと思いますが、小倉昌男さんは障害者の自立支援に尽力していました。

    話は戻りますが、悪いことをしておいて天罰が当たらないことも余り無いので、パナソニックと京セラ~及び関連会社&子会社は、業績低迷や大リストラが起こり始めるかもしれません…。

    あなたは松下政経塾、その存在を知っていますか?

    ハァ━(-д-;)━ァ…ダメダコリャ?

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