徒然草(岡山・東京・山崎かずみ)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    年末の御挨拶。

    おはようございます。 この年末年始は天気が大荒れになるかもしれないのですが、寒さ対策には気を付けて体調など崩されないようにお気を付けくださいね。 明日は大晦日ですが今年最後の一日をどのように過ごすのか、ワクワクしている人もいれば~ドキドキしている人もいるなど、100人いれば100通りの大晦日を迎えると思います。

    私は今年も一年がとても幸せでしたが、それは全て「素敵なお客様のおかげ」です。 私は素敵なお客様がいなければ生きていられなかった、そう断言してもいいくらいの人生でした。 小さい時から大晦日と言えば借金の取り立て屋が来ていましたし、父と母が資金繰りで夫婦喧嘩をして家の中が殺伐としていたのが年末恒例行事でした。

    そしていじめられていた私には友人はひとりもいないし、寂しい年越しで孤独を感じていました。 お正月休みもひとりで本を読んだりTVを見たりで、誰とも話をしない年末年始でした。 どうも昔の話をすると暗くなりますが、昔と今では全然違うという比較対象として書いています。 (苦笑)

    私の祖父や祖母はすでに亡くなっていますし、父や母は借金を残したまま夜逃げしているので消息不明です。 探す気になれば霊視で居場所は分かりますが、借金を押し付けられるので探すことはありません。

    このように今の私には家族と呼べる人はひとりもいませんが、それが不幸ではなく幸せに繋がっているのが運命の不思議なところです。 何よりも素敵なお客様とお会いできるのは、この世で一番幸せな人生だと思っています。

    霊視カウンセラーになる前の私は本当に八方ふさがりで、「死のう!」と思い踏み切りから線路に入ったけれど、特急やくも号のスピードに恐怖を感じて線路から出たこともあります。 県北に戻る気持ちは全然無いし地元が恋しいなんてあり得ないのですが、県南の素敵なお客様~日本中の素敵なお客様に囲まれて幸せな毎日に感謝しています。

    今迄の過去は過去として時は流れて生きているから今がありますが、県北で受けた数々のいじめは人格形成には良い経験だったから自殺しなくて本当に良かったと思います。 それは素敵なお客様にお会い出来る幸せが、私の心を癒してくれて生きる術を与えてくださったからです。

    あなたという素晴らしい人がいるからこそ、周りの人の生きる力になっていると言うのは大げさではありません。 素敵なお客様の真心は天女のように美しく、私が話す内容や生き方や行動を否定せずに支援してくださることに感謝の気持ちで一杯です。

    今年も一年を通じて大変お世話になりましたが、来年もよろしくお願い申し上げます。

    なお、予約は大晦日や元日など関係なく受け付けておりますし、年末年始も休みなく通常通りに鑑定しておりますので、お越しくださるお客様をワクワクドキドキしながらお待ちいたしております。

    また、今週の土曜日「2011年1月1日の正午12時34分56秒」より、倉敷事務所にて「感謝の気持ち~倉敷編(無料お守りプレゼント)」を開催します。 詳細については2010年12月1日(水)のブログに書いてありますので、年の初めに幸運が授かるようにゲン担ぎも含めてお越し頂ければ嬉しいです。

    「感謝の気持ち~倉敷編」に関しては素敵なお客様より、「朝9時頃から並べば大丈夫ですか?」とか「2時間前くらいから並べば大丈夫ですか?」などと聞かれます。 そうなれば嬉しいとは思いますが、今の私の知名度では5分前とか10分前で充分だと思われます。

    念の為に今朝の時点でどれくらいお越しになっているかを視てみると、入口から倉敷駅の方へ並んでいるのは17名ほど視えるだけです。 今日の段階ではお越しになった全ての方へプレゼントできると思いますが、ブログを読んだ方が「じゃあ、行ってみよう!」となれば未来が変わるかもしれません。 (?_?)

    ただし、もしも、万が一にも、大行列になって品切れの時は…、ごめんなさい。 m(__)m

    そして東京でも2011年1月9日(日)に新年会が控えておりますが、こちらの方もたくさんの方々へお会いできることをワクワクしながら楽しみにしております。 (第1回は4人~第2回は16人で、果たして第3回は何人の方にお越し頂けるかドキドキします。)

    倉敷と東京のどちらもささやかなイベントですが、今までお越し頂いたお客様への恩返しとして年の初めから喜んで頂ければ嬉しいです。

    明日は業務多忙の為にブログの更新はお休み致しますが、素敵なお客様方に今年も一年大変お世話になり本当にありがとうございました。 予約の方は引き続き受け付けておりますので、年末年始に関係なく遠慮なくお気軽にお申し付けくださいね。 (ブログの更新は、元旦より再開です。)

    いつもご予約いただき、本当に感謝の気持ちで一杯です。 m(__)m

    素敵なお客様の来年は「きっと、明るくて幸せ!」だと信じて、今年最後のブログを終えたいと思います。

    未熟で至らない私ではお客様に御迷惑をお掛けすることも多々あると思いますが、なにとぞ来年もよろしくお願い申し上げます。

    霊視カウンセリング 山崎かずみ

    ありがとうございました。

    m(__)m

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    男性鑑定。

    おはようございます。 今年も残りわずかとなりましたが、年内は大晦日まで~年始は元旦より鑑定です。 年末年始に関係なく予約も受けていますので、ドンドンと予約を入れてくださると嬉しいです。 私にとっての幸せとは素敵なお客様が笑顔になって頂けることで、毎日素敵なお客様にお会いできる感動は私の原動力となり、本当にありがとうございます。

    また、今週の土曜日(2011年1月1日)はいよいよ無料のお守りプレゼントを開催しますので、12月1日のブログに書いてある詳細をご覧の上でお越し頂ければ嬉しいです。 お友達やご家族や会社など周りの方々を御誘いの上で、年の初めのゲン担ぎや開運の行事として倉敷事務所までお越し頂ければ幸いです。

    さて、今年も解禁しなかった男性鑑定についてですが、私は初期の頃は今とは違う場所で男性鑑定を普通にしていましたが、男性鑑定を続けることができないような出来事がありました。

    初期の頃は机と椅子を置いただけで鑑定していたので、通路を歩いている人がすぐに近づけるような場所だったので、覗き見する男性が多くて困っていました。 注意と言うかお願いをして、「今は鑑定中なので覗かないようにお願いできますか?」と、鑑定を中断することもしばしばでした。

    しかし、ある時に覗いている男性へ同じようにお願いをしたところ、「なんじゃと、おりゃ! ワシを誰じゃと思うとんなら、ワシは三越を買える男じゃ、オメェみてえな奴は、ワシが一声かけりゃすぐに潰してやれるんじゃ!」と、キレて大暴れした男性がいました。

    その当時は空きテナントを借りていたのですが、壁を蹴るとか通路にあるものをヒックリ返すとか、周辺のお店にも大変な御迷惑をおかけしてしまいました。 警備員さんやフロア責任者など大勢の人が取り押さえてくれたのですが、今でも警備員さんに会った時には「山崎さん、あん時は大変だったなぁ~。」と言われます。

    この事件が遭ってしばらくは男性鑑定を一切シャットアウトしていたのですが、家賃など経費が払えず泣く泣く男性鑑定を再開することとなりました。 すると今度の男性は「おい、霊視なら俺が嫌がらせに来るくらい、霊視しとけ!」と、2時間ほど罵詈雑言を浴びせられる事件がありました。

    このように事件が度々起こるのでさすがに私も懲りたから、「男性は紹介がある人のみ」と言うルールになりました。 有名な占い師さんになればなるほど無条件の男性鑑定はしていないのですが、江原啓之さんや鏡リュウジさんも男性鑑定は紹介がある人でないとしていませんでした。

    しかし、運命と言うのは不思議なもので条件付きにもかかわらず、男性のお客様が年間で10~15人はお越しになるので、ハードルがあっても本当に来たいと思う男性は来る運命です。

    私のところへお越しになる男性と言えば、N市のIさんと寄付の神様が初期の頃よりのお付き合いです。 そしてかなり間が空くことになりますが、Y県のTさん~S県のNさん、そして当時はE県にいたMさんと言う5人が男性としては常連のお客様になります。

    N市のIさんはHPも持っていて時々ですが本名もブログに書いているし、新年会などでお会いした人も多いのでご存知の方もいると思いますが自営業をされています。

    そしてMさんは某企業にて勤務しているのですが、昔と今では業務内容に雲泥の差があります。 Mさんも企業に勤めている関係で詳細を書くのは憚られるので、どこの企業名とか所属部署などは内緒です。

    そして寄付の神様は麻布在住だから食事に行く回数で言えば一番多いのですが、寄付の神様からは自分の正体を明かすのは厳禁と明言されています。

    N市のIさんは「自由に書いて頂いて結構です。」と許可を頂いておりますが、寄付の神様など4人の男性からは許可を頂いておりません。 ただし、「寄付の神様って何者?」と思われる方もいるでしょうし、少しだけどういう人かを明かしたいと思います。

    N市のIさんやMさんなど一部の方は御存じなのですが、寄付の神様は小学5年生までヒューストンで生活していた帰国子女で職業は医師です。 東京都内でも聖路加国際病院や国立がんセンターなどに勤務経験があり、実家は病院で両親ともに医師です。

    実家が病院と言ってもお父さんはお父さんで一つの病院を経営していて、お母さんはお母さんで病院を一つ経営していて父母共に医師です。 そして兄弟は兄弟で病院を経営していて、親戚なども全て開業医で内科~外科~整形外科~産婦人科など全て科が違います。

    先祖代々医師の家系だから先祖を遡っても医師ばかりで、将来は実家を継ぐことになるけれど今は某病院にて勤務しています。 寄付の神様が2010年の新年会に来なかった理由は、新年会のメンバーに看護師さんなど医療関係者が多かったので、「ブログを読んでいる人ががっかりするので、恥ずかしくてとても行けない」とのことでした。 (笑)

    来年こそは男性を鑑定する為の条件を撤廃して解禁するかもしれませんが、それをさせない暗示があれば今後も男性鑑定は条件付きと言うのは続くと思います。

    あなたは男性鑑定の、無条件再開を希望されますか?

    ((ノ(_ _ ノ)ヨロシクオネガイシマス

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    イルミネーション。

    おはようございます。 今年も残りわずかとなりましたが、私は年中無休365日稼働しております。 予約の方も年末年始に関係なく受け付けていますので、遠慮なくお気軽にお申し付けくださいね。 明るく輝いている素敵なお客様が周りを照らしている姿は美しく、あなたの笑顔が作り出す柔らかな雰囲気は世界を楽しくさせる力があります。

    明るいと言えば冬になると必ず始まるのがイルミネーションで、これは電球や発光ダイオード~光ケーブルなどにより淡い光の光源を集めて、電飾で看板~風景~人物などを形作って、夜間における風景などを作り出す装飾のことを言い電飾とも呼ばれます。

    日本ではクリスマスツリーなどの形で広く見られる以外にも、観光名所としても大規模に展開されることが今ではほとんどです。 また、個人の民家においてもクリスマスシーズンに向けて、家の周りをきれいな電飾で飾ることが増えてきました。

    昔は光源には豆電球やムギ球が用いられてきましたが、やはり球切れが多いことや消費電力が多いこと、更には発熱が樹木に悪影響を及ぼすことなど、コストも含めて難点の方が多かった時代もあります。

    近年では高出力の発光ダイオードが安価になり、耐久性~発熱~ランニングコストが格段に改善されるようになったので、発光ダイオードを使用したものが増えている。 青色発光ダイオードや白色発光ダイオードの開発や、その圧倒的な表現力により青や白が多用される傾向のようです。

    また、イルミネーションが多い都市はイルミネーションシティ(イルミネーション都市)と呼ばれることもあり、個人で家を電飾で飾って楽しむ人をイルミネーターと言います。

    イルミネーションの起源は16世紀まで遡り、宗教改革で知られるドイツのマルティン・ルターが考えました。 彼は夜に森の中で煌く星を見て感動し、木の枝に多くのロウソクを飾ることで、彼が視た景色を再現しようとしました。

    日本においても歴史が意外と古く、明治時代に舶来品を扱う明治屋が銀座に進出したことで知られるようになり、1905年(明治38年)の新聞に「例年になくイルミネーションが花やか」と記事が出ました。

    さて、このイルミネーションにはいくつかの問題点があるのですが、その光は夜空に輝く本物の星明りを弱めてしまうことになります。 また、競い合って過剰なイルミネーションをすることで、エネルギーの浪費に繋がりエコとは程遠くなります。 そして夜なのに明るいと言うことは人間や動植物など、生態系に悪影響を与え得ることになり光害とも言われます。

    日本の各所におけるイルミネーションデザインには主に2種類存在して、ホームイルミネーションと商業イルミネーションがあります。

    ホームイルミネーションはオンラインショップやホームセンターなど、市販品のイルミネーションを使用して、個人の家屋やマンションのベランダなどにコーディネイトを行うことを言います。 市販品ゆえにオリジナリティを生み出すのは難しく、デザイン性ではなくボリュームや点滅の派手さでコーディネイトが行われることが主流です。

    かたや商業イルミネーションは商空間におけるイルミネーションで、クリスマスや年末商戦の一環として行われることが多いです。 そのためクリスマスセールの店内POPやキャンペーンなどと合わせて行い、施設全体での盛り上げる大規模なイベントになることもあります。

    商業である以上はライバル施設との差別化を図る為にも、オリジナルのデザインを取り入れることが基本です。 ディスプレイの延長でデコレータなどがデザインをすることもあり、その場合の特徴はデコレーションがメインになりアクセントしてイルミネーションが織りまぜられるデザインとなります。

    今や日本だけではなく世界でも冬の風物詩みたいなイルミネーションですが、これは各自が工夫を凝らして独自のデザインでやるからこそ、見る人の心に感動を与えると思うのです。

    例えば、「神戸ルミナリエ」は阪神淡路大震災犠牲者の鎮魂の意を込めて、都市の復興や再生への夢と希望を託し大震災の起こった1995年12月に初めて開催され、震災で打ちひしがれた神戸の街と市民に大きな感動と勇気が生まれました。

    ルミナリエは震災で亡くなった方々へのレクイエムなのに○○県の某自治体は、そっくりそのままパクッて「○○ナリエ」と命名して、ルミナリエに似せたイルミネーションを町中に飾っているので恥ずかしい話です。

    もしも、これを神戸の震災に遭われた方々が目にしたら、どのように思うのかと言う心の部分を忘れている行いです。

    私はイルミネーションの依頼が来たとしたら、街路樹に発光ダイオードを取り付けて点灯させるとか、点滅させて星のイメージを作るなど誰でも思いつくようなデザインは恥ずかしくてできません。 私は見に来る人が心に感動を抱いて、思わず「彼が彼女にプロポーズしたくなる」と言うような、そんなイルミネーションを企画すると思います。

    あなたはイルミネーションを、どんな思いで見つめていますか?

    (θωθ)おやすみ~☆

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    火の車。

    おはようございます。 今年も残りわずかとなりましたが、私の予定は年末が12月31日まで~年始は1月1日より鑑定です。 予約の方も年末年始に関係なく、毎日受け付けているので遠慮なくお気軽にお申し付けくださいね。 m(__)m

    今日は月曜日ですが仕事納めでお休みの人も多く、師走の賑わいが更に激しくなってきます。 しかし、昔と違い師走の賑わいと言ってもスーパーやデパートなどは年中無休だから、街の風景としては日常とあまり変わらないかもしれません。

    変わらない日常と言うのは平和で素敵なことですが、いつも笑顔でいることは怒りのエネルギーを除去してくれて、心落ちつく良い波長のエネルギーへ変えてくれると思います。 いらいらした波長はイライラを、穏やかな波長は穏やかな雰囲気を運んで来てくれます。

    師走の街の風景はあまり変わらなくても年の瀬が押し迫ってくると、お店の経営者など商売をしている人はイライラしてくる人が増えるのですが、そのイライラは誰のせいでもなく自分が引き起こしたことが一年の総決算として降りかかってくるだけです。

    だからこそ師走は一年の総決算として自分がしてきたことを振り返って見ることができるのですが、会社やお店なども年末に暇なのは一年を通じてお客様を喜ばせていなかった証拠です。

    自分の意識の上ではお客様の為にと言う言葉があるのかもしれませんが、その結果が暇と言うことになるのであれば、それは単なる自分の思い込みと言うか~本当はお客様が喜んでいなかったと言う結果を直視しなければならないのです。

    辛いことかもしれませんが来年へ向けて心機一転を図る為にも、今年は何ができなかったのか、そして何ができたのかを見直して来年を良い年にしていければ、新たな目標や夢ができると思うのです。

    そうは言っても現実として年末になると資金繰りが大変と言うことが多いのですが、それは自己資金以外のことを考えてするからです。 お金を借りることができることをお金が手に入ったと勘違いするのですが、それは借金しただけで人のお金なのに自己資金と思えてくるのは大間違いです。

    昔から借金だらけのことやお金が忙しくて休む暇もないことを「火の車」と言いますが、火の車は「今昔物語集」など数多くの古書にある日本の怪異のことです。

    元々は悪事を犯した人間が死を迎える時に、牛頭馬頭などの地獄の獄卒が燃えたぎる炎に包まれた車を引いて迎えに現れると言うもので、文献によっては死に際ではなく生きながらにして迎えが現れると言う事例もあります。

    「平仮名本 因果物語」に「生きながら、火車にとられし女の事」と題した話があり、河内国八尾(現・大阪府八尾市)にある庄屋の妻は強欲な性格でした。 召使いに食事を満足に与えず人に辛く当たっていたのですが、その庄屋の知人が街道を歩いていると向こうから松明のような光が飛ぶように近づいて来ました。

    光の中では身長8尺の武士のような大男2人が、庄屋の妻の両手を抱えて飛び去って行ったそうです。 彼は恐ろしくなり庄屋へ行くと庄屋の妻は病気で寝込んだ3日目に死んでしまったのですが、この妻は行いが良くなかったので生きながらにして地獄へ堕ちたと言われたのです。

    また、怪談集西播怪談実記にも、「竜野林田屋の下女火の車を追ふて手并着物を炙し事」と題して、享保年間の火の車の話があります。

    播磨国揖保郡竜野町(現・兵庫県たつの市)の林田屋と言う商家で、以前から店に老婆と娘が出入りしていたが、老婆が店に滞在中に風邪をひいて次第に症状が重くなりました。 手当ての甲斐もなく高熱が続いて錯乱状態となったのですが、娘は嘆き悲しんで側を片時も離れなかったのですが、ある夕暮れに「ああ、悲しい。 母を乗せて行ってしまうとは!」と慌てて外へ駆け出しました。

    商家の人々は娘が悲嘆の余り正気を失ったかと思い娘を引き止めると、たちまち娘が気絶したので口に水を注いで正気に戻しました。

    娘が盛んに熱がっていたので袖の下を見ると、なんと火で焼け焦げていました。 店へ戻ると老婆は既に死んでいて、娘は臨終の時に何故そばにいなかったのかと尋ねられると、「絵で見た鬼の姿のような者が燃え盛る火の車を引いて、母を火の中へ投げ込んで連れ去って行ったので、取り戻したい一心で追いかけたけれど車は空へ飛び去って後のことは覚えていない」と語ったのです。

    火の車の説明はこれくらいにして、家計や経済状況の苦しさを「火の車」と表現するのは、火車や先に書いた「火の車」から生まれた言葉です。 火の車に乗せられた者が苦痛を味わうことや、苦に満ちた世界(娑婆)を仏教語の「火宅(火事に遭った家の意)」と関連づけたことが由来です。

    特に御主人と言う一家の大黒柱が借金すると言うことは大罪ですが、この借金したお金が返せない苦しさは火の車に乗るほど辛いと言う戒めです。 残念ながら借金大好き人間にとっては火の車状態から抜け出すことはできませんが、最初から火の車に乗らないようにする意志の強さが必要です。

    私は経営者の人にも心を正して頂き、経営と言うのはお客様を幸せにするのはもちろんのこと、社員の方々も豊かで幸せにするのが経営者の本筋だと思うのです。 年末にボーナスを出したからと言ってデカイ態度をとるような経営者は失格で、年始にもきちんとお年玉を全社員に出すのが経営者のあるべき姿です。

    もっとお客様のことを考える、もっと働いている人のことを考える、そうやって周りの人々を幸せにすることが経営者がするべき社会への責任なのです。

    あなたは火の車に、乗らないようにしていますか?

    Σ(▼□▼メ) アチッ!

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    永ちゃん。

    おはようございます。 今年も残りわずかとなりましたが、霊視カウンセリング山崎は年末は12月31日まで~年始は1月1日より鑑定しています。 予約の方も年末年始に関係なく、毎日受け付けておりますので遠慮なくお気軽にお申し付けくださいね。

    今回の東京出張は19日に、矢沢永吉さんの日本武道館コンサートへ行きました。 ファンクラブへ入るとかしないとチケットが取りにくく、オークションを見ると4万円位で取引されていたので、チケットが取れたこと自体がラッキーでした。 (なお、今回は話の雰囲気を出す為に、愛称の『永ちゃん』にて表記させて頂きます。)

    永ちゃんは広島県出身ですが、永ちゃんの小さい時の話を読んでいると私は泣けています。 軽く御紹介すると、永ちゃんの実母が家出して実父は原爆後遺症で早逝した為、幼少期は親戚中をたらい回しにされます。

    その後は祖母に育てられて極貧の少年時代を過ごしたのですが、この頃に近所の裕福な家の子供に「お前の家は貧乏でケーキなんか買えないだろう!」とケーキを顔に投げつけられる屈辱を受けました。 このような経験が多々あるので「BIGになる」との思いが芽生えたと永ちゃん自身が語っていますが、この話は私の県北時代と変わらないから共感できて泣けてくるのです。

    私は永ちゃんのコンサートは初めてですが、カリスマ性やオーラなどワクワクして行きました。 話には聞いていましたが白いスーツに赤いタオル、そしてリーゼントや剃り込みを入れて気合が入りまくりの熱狂的な永ちゃんファンが、1万人以上で日本武道館は大渋滞と大混雑でした。

    私は久々に県北や建設現場の雰囲気を味わいましたが、これは女性が一人で来るのは無理だと思いました。 彼や御主人と来るにしても、これだけのヤンキ―や矢沢小永吉がたくさんいると、会場の雰囲気を異様に感じるかもしれません。

    今回の日本武道館コンサートはMCで永ちゃんも話していましたが、記念すべき111回目でWOWOWの中継もありました。 私は「行って良かったぁ!」と満足するコンサートでしたが、多分中継ではカットされるであろうシーンを御紹介したいと思います。

    開始して6曲目くらいにノリノリで永ちゃんがマイクスタンドを振り回してアクションをしていた時のことですが、かっこよくスタンドを頭の上に振り上げて受け取ろうとした時に手が滑り永ちゃんの頭を直撃しました。

    それはまるで剣道のように「め~ん、一本!」と言う感じでマイクスタンドが頭に入り、左肩へ落ちたところで永ちゃんがマイクスタンドを掴み、恥ずかしかったのかステージを左へダッシュして、更に右の方へもダッシュしてパフォーマンスを繰り広げました。

    そして13曲目の辺だったと思うのですが、水を飲んだ後でステージ中央へリズムを取りながら歩いていると、いきなりUターンして水を飲んだテーブルへダッシュしたのですが、どうやらマイクを置き忘れて取りに戻られたようです。

    その後のMCで「実はさっき忘れ物をしてメンバーもあれっと思ったはずだけど、今日はWOWOWの中継があります。 だから俺、緊張してるのかなぁ~?」とミスを笑いに変えていました。

    それから永ちゃんには関係ない話ですが私より6列前に、矢島美容室のストロベリーみたいなアフロヘアカップルがいました。 それにより5列前の人たちが永ちゃんを見ようと思っても、前方の視界を防いで全く永ちゃんが見えないようでした。 余りにも見えないせいか最後の方には5列目の男性が、「おい。 髪の毛、切ってやろうか!」とかなりお怒りでした。

    そしてコンサートが終わり階段を降りていると私の左側にいた矢沢小永吉さんが、グラサンをかけて永ちゃんのように両手を広げてステップ踏みながら降りていると、足を踏み外して階段を転げ落ちて女性を下敷きにしました。

    日本武道館の階段は角度が急で階段の足を乗せるステップの部分も狭く、歩く時は手摺を掴まないと結構危険です。 それにコンサート会場と言うのは暗いことが多いし、日本武道館は元々がコンサートをする場所ではないから余計に暗いです。 そんな場所でグラサンとステップで永ちゃんに成りきるのは分かるけれど、大変危険だし~なにより下敷きになった女性の方も大迷惑だと思うのです。

    そして外へ出ると白いスーツの興奮した方々が「永ちゃん! 永ちゃん!」と、握りこぶしを天へ突き上げながら踊っていましたが、一年に一度のお祭りだから楽しむのは良いことだと思うのです。 ただし、ルールが守れない人がいるので、永ちゃんもHP上などで注意しているのですが困っているようです。

    日本武道館周辺は歩きタバコとポイ捨て~武道館内は飲酒禁止ですが、全く守られないので今回も永ちゃんは注意されたらしいのですが、入口チェックをくぐり抜けてビールやウィスキーなどを持ち込んで、空き瓶などをトイレに放り込んで他のファンや日本武道館に迷惑をかけていたようです。

    永ちゃん自身に責任はないのですがファンが暴れたりマナーが悪いと言うことで、永ちゃんには会場を貸さないと言う場所もあるので、本当の永ちゃんファンなら永ちゃんに迷惑をかけてはいけないと思うのです。 それでもコンサート自体は「永ちゃん、カッコイイ!」と素晴らしかったので、2011年12月の武道館もチケットが取れたら行ってみようと思います。

    ただし、私にはお笑いの神様がついているのか、今回のように面白い人や出来事によく遭遇するのでネタになります。 (苦笑)

    あなたは永ちゃんのコンサート、行ってみたいと思いますか?

    (〃´・ω・`)ゞえへへっ♪



    お知らせ:業務多忙の為、ブログの更新は27日(月)から再開します。 予約の受付は毎日しておりますので、遠慮なくお気軽にお申し付けくださいね。 いつもご予約いただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    ワクワクする。

    おはようございます。 師走に入って翌年を迎える総決算の月なのですが、世の中は右を見ても左を見ても不景気とか倒産などろくな話をしていません。 運やツキと言うのは良い人の元へ集まるようになっているから、ろくでもないことしか言わない人や考えない人の元へは、運やツキはやってこないものなのです。

    私のところへお越し頂いたお客様は意気揚々と帰っていくことが多いのですが、残念ながら100%の方がウキウキワクワクしながらお帰りになるわけではありません。 しかし、少なくとも70%くらいの人は「よし、がんばるぞ~!」とか、「よかったぁ、心がスッキリ!」となっていると信じています。

    これは霊視と言うことはもちろんですが私は他の方々(上司や先生など)とは違い、夢や希望と言う未来を絶対に否定しないからです。 夢は叶いますとか~恋は上手く行くかもしれませんなど、できるだけ明るい未来の話をするから心がウキウキしてくるのです。

    私のところで聞いた内容をすぐにでも試したくなったり、「ひょっとしてやれるかも?」と思い始めるのは、内なる力が目覚めようとしている後押しを私がするからです。

    私のところへは他の占い師さんやスピリチュアルカウンセラーの先生へ行って、ボロカスに貶されたり~不安なことを言われたりして、「どうしよう?」と駆け込んでくる人がかなり多いです。 (特に雑誌の占い特集が出た後なんかは、雑誌で騙された方がかなりお越しになります。)

    私は自分が絶対とは思いませんので私のところだけに来るよりも、色々と他の先生方へ行って経験することも大切だと思います。 今は病院でもセカンド・オピニオンと言って他で診察を受けることも多いので、占いでも未来に関して他の意見を聞くと言うことも必要かもしれません。

    ただし、いくら色々なところへ行って見ましょうと言っても、不安になることを言うような怪しい占い師さんは偽者だから、最初から最後まで全て信用しなくても大丈夫です。

    人の未来を視る時に不安になることや悪いことを言うのは、「小さな親切、大きなお世話」と言う言葉がピッタリです。 誰も聞いていないのに「あなたはこのままでは後家になる」とか「水子が憑いている」など、よくもまぁこれだけデタラメなことを言えるものだと呆れてしまいます。

    占い師さんやスピリチュアルカウンセラーも同じ人間ですから、大げさに神の啓示のようなことを言うのはデタラメもいいところです。 実力で勝負できない占い師さんほど、見かけや雰囲気など実力以外で勝負しています。

    誰しも生を受けてから後の運命は決まっていないから、いくらでも変えられるので運命と言う言葉に騙されないようにしてくださいね。 占いで全部見通せると言うのは大袈裟に自慢しすぎで、TVに出ている先生方は未解決事件の犯人を捕まえることすらできていません。 (私は島根で起きた痛ましいあの事件の犯人、聞かれたら多分○○だとお答えしています。)

    また、一番肝心なことですが、「神様や守護霊は伝えることがあるなら本人に直接伝える」のが普通で、大事なことを人を介して言うなんてありえないのですが、これを巧みに利用したのが宗教団体のマインドコントロールです。

    これに嵌らない為にも霊視やスピリチュアルへ行く時には、絶対に自分の「名前や生年月日」を言ってはいけません。 相手に判断する材料や手掛かりを与えると、それらしきことを言ってひとつでも当たれば、「おぉ、すごい!」となってしまうのです。 (話すのは質問内容だけで、それ以上のことは霊視であれば話す必要がありません。)

    そうやって判断材料を与えずに霊視してもらうようにすれば、素敵な先生に当たる確率が上がるので、そうそう嫌な思いやネタになるような霊視には当たらなくなると思います。

    怪しい霊視やスピリチュアルは予約や受付など、あの手この手でお客様の情報を得ようとするので、名前や住所や生年月日など何一つ伝えてはいけません。 (どうしても聞こうと理屈や言い訳する先生方、その霊視は残念ながら…?なのかもしれません。)

    私はお越しになる方の夢や希望を増幅して、不安や心配は縮小できることが基本です。 心に開いた小さな穴のような不安はドンドンと増幅されるので、早め早めに修復しておかないと辛さに耐えられなくなってしまうのです。

    大好きな彼と付き合い始めた時には天にも昇るような気持ちで、結婚したら幸せしか感じないくらい嬉しいと思います。 ところが一緒に暮らし始めると次々に相手のことが見えてきて、お互いがお互いのことを思いやる気持ちが無くなってきます。

    そうなると相手と暮らすどころか顔を見るのも嫌となって、最愛の人だった過去から最悪の人と言う現在へ変わってしまうのです。 ただし、これは本性が出てきたのに気付いているだけで、変わったのではなく気付いたと言う表現かも知れません。

    同じ生きていくならワクワクする人生、そのワクワクがずっと続いていく人生、ワクワクする気持ちが続きまくって、死ぬまでワクワクできたら言うこと無い人生だと思うのです。

    あなたはワクワクする人生、それを素敵だと思いませんか?

    ( ̄▽ ̄)V いえーい!



    お知らせ:出張と業務多忙の為、ブログの更新は24日(金)から再開します。 予約の受付はしておりますので、遠慮なくお気軽にお申し付けくださいね。 いつもご予約いただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    通知表。

    おはようございます。 いつも素敵な笑顔でいるあなたには、運命からの御褒美が舞い降りてくると思います。 それは日頃の行いが積み重なり、それにより採点された結果が目の前に起こる出来事です。

    もうすぐ冬休みなので学生は通知表を貰う時期ですが、通知表は現時点での評価と言うか位置付けがされてしまいます。 その通知表と言うのは人間が付けるモノだから、公平かどうかは好き嫌いにもよるので分かりません。 しかし、通知表も運命が付ける場合は誠に公平だし、自分が付ける時は厳しいか甘いかのどちらかに偏ります。

    この通知表とは学校等が幼児~児童~生徒の成績や日常生活の記録などをまとめ、本人及び保護者へ通知する書類のことを言います。

    ほとんどの方が通知表はもらった経験があるのでよく御存じだとは思いますが、法定表簿である指導要録とは異なるので作成は学校の任意です。 その為、通知表には学校により5段階評価や10段階評価など様々で、中には通知表を発行しない学校も存在します。

    名称も各学校によって違うので通信表~通知簿~通信簿などと呼称したり、面白いところではのびゆく子~かがやき~のびゆくすがたなどのタイトルもあります。

    普通は1~6ページ程度のものが一般的ですが、熱心な学校では30ページにも及ぶ膨大なものもあります。 そして通知表を発行しない学校では、学期末に学級担任と保護者との面談によって通知表に代えています。

    記載内容ですが、小中高など初等~中等教育では一般に教科の成績や特別活動や総合的な学習の時間の記録、そして出欠の記録が記載されています。 大学などの高等教育では通知表はほとんど見られず、成績のみを記載した成績通知書が主な形になっています。

    なお、2010年12月現在で28歳前後の人は通知表混乱期だったはずですが、2002年度施行の学習指導要領において総合的な学習の時間の実施や教科における成績の評価方法が、それまでの相対評価から絶対評価に変更されるなど様々な改定が行われました。

    その変更の結果により何が起きたかと言えば、評価がまちまちとなり評価のインフレ状態が起こり、1が少なく5が多いなど評価と生徒の学力とが一致しない状況が発生するようになりました。

    簡単に言うと成績よりも授業中の態度などが評価されるようになり、教師の主観に左右されるようになったから、会社と同じく好かれる生徒は成績が悪くても評価が良くなると言う、学力とは無関係な部分で成績を決めると言う訳の分からない状況になってしまいました。

    それにより文部科学省の中央教育審議会でも見直し検討の必要性がで指摘されているのですが、ゆとり教育が失敗だったと認めた時のように通知表も学生は勉強が本分と言う原点に戻る必要があります。 そして通知表には他人に見せてはいけないと言う規則があり、それにより終業式後のホームルーム等で一人ずつに渡されるパターンが多いと思います。

    私も含めて大部分の人は社会へ出ると通知表を貰うことは無くなりますが、社会に出てしまうと自分で自分の評価を知りたくなります。 誰でも自分が生きている証が欲しくなりますが、それは認められると言う自分の証明だから何かが基準で通知表があった方が良いと思うのです。

    私は一年を通じてプレゼント企画などをすることが多いのですが、それで自分自身のしていることへ対する結果も出ます。 どれだけの人が「欲しい!」と思ってくださるのか、その数字は目の前にあるハガキの応募総数が評価そのものでごまかしは利きません。

    1月1日には倉敷事務所で無料のお守りプレゼントを開催しますが、これは単純明快に用意した数を上回るなら素敵なお客様の心に良い思い出を残せた証拠ですし、用意したお守りが余るようなら期待外れと思わせた証拠になります。 (お守りプレゼントの詳細は、12月1日のブログをご覧くださいね。)

    1月9日の新年会にしても参加人数が増えるようであればOKですが、減るようでは私自身の行動や姿勢に問題があると言う通知表になってしまいます。

    もっとも日本で一番通知表が必要なのは日本の総理大臣と日本政府で、今の政権になってからの日本は確実に落第点です。 この前も○○がレアアース輸出停止など次々と嫌がらせをして日本企業が困っているのに、そのレアアースの代替え品を「○○と共同で研究開発すること」を今の政権は決定しました。

    こういうのを「自宅のカギを泥棒と一緒に付け換えるようなもの」と言いますが、日本の技術力でレアアースの代替え品を開発したら、○○が「これは私たちが開発したものだ」と主張して特許(権利)など全てを自分たちのモノにして、今度は日本を脅迫してくるのは100%確定です。

    その証拠に○○は日本の新幹線の技術を持ち帰り、それを自分たちの技術だと言って世界各国へ売りこんでいます。 それに対して日本政府や総理大臣は○○に何も言えず黙ったままで、JR東海やJR西日本の開発した技術を今の政権は見殺しにしています。

    私のところへお越しになる方々は全員が天女の輝きと慈愛に溢れているので、どこかの国の総理大臣や政治家に、素敵なお客様の爪の垢を煎じて飲ませたいと思います。

    あなたは大人になった自分の、通知表を付けていますか?

    d(-_☆) グッ!!

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    運命を味方に。

    おはようございます。 素敵なあなたの笑顔があることで、心に安らぎが芽生える人がたくさん存在します。 あなたと言う素敵な人と出会えることで嬉しくなり、今日も一日元気で頑張ろうと言う気になれるのだから、あなたには天女のような神々しさがあるのです。

    私は毎日素敵なお客様にお会いできることに感動して、休んでなんかいられないから年中無休365日鑑定するのは当然です。 私の人生は県北で一度終わっていたはずなのに、何の偶然か分かりませんが運命が助けてくれた、そのことに感謝しなければ私の生きている意味が無くなります。

    私が素敵なお客様に県北での経験をお話しすると「はぁ?」となることが多く、N市のIさんには「まぁ、そうでしょうね。」と納得して頂けます。 それは普通の人には到底理解できないけれど、私にとっては日常茶飯事と言う体験が多いからだと思います。

    例えば、県北ではいたずらだけど世間では犯罪になることは多すぎて書ききれませんが、実際に経験した軽い方のいたずらとしては2階の窓から投げ落とされたことがあります。

    それは私が教室で本を読んでいる時のことですが、いきなり同級生のK君やN君など5人の男子が近寄ってきて「おい、コラ!」と取り囲み、私の胸ぐらを掴んで立たせると手や足や体を掴んで持ちあげられて、そのまま窓の方へ近づいて私を窓から放り投げました。

    この当時の私の体重は38キロほどでしたが、私は建設現場で働くまで体重が52キロを超えたことが無いくらいヒョロヒョロで、腕力も体力も無いからされるがままで抵抗もできません。 「やめてくれ!」と必死で叫んで窓枠を掴み落されないようにしましたが、クラスメートは笑うだけで助けてくれないし、お腹を殴られたり手を叩かれたりして落とされました。

    2階の窓から投げ落とされた私は本当にラッキーだったのですが、学校と言うのは校舎と校舎の間に渡り廊下があります。 運が良かったと言うのは窓から投げ落とされた時に、ちょうど窓の外へ渡り廊下があったから渡り廊下の屋根に落ちたのです。 (私はラッキーで生きているから、今もこうしてブログを更新できています。)

    当然ですが校舎と校舎の間の中庭側なので他の生徒たちや先生たちも見ていたのですが、「あぁ~、何で引っかかるんなぁ!」とか「落ちりゃよかったのに。」と言う言葉はあったけれど、窓から人を投げ落とすのを悪いと言う生徒や先生は一人もいません。

    その当時の私は何をされても黙って無抵抗だったし、仮に文句を言ったところで家に火を点けられるとか、帰り道で川や山に連れて行かれて暴行されるだけです。

    だから都市伝説としてトヨタとホンダがリコールの嵐になっているのを解説してみると、2社のリコールは県北の工場と取引しているからかもしれません。 もしも運命が判断するとしたら、余りよろしくない工場と取引する会社の業績を上げるとは思えないのです。

    企業間で価格競争と言うのは仕方がないと思いますし、コストパフォーマンスと言う意味でも、価格が安くて性能が良い部品を調達するのは当たり前です。 (県北の工場は人件費が安いので、コスト安にかけてはトップクラスです。)

    ただし、そのコストダウンばかり追いかけて「何をしても良い」と言う部分が出てくると、それは進むべき道が違うのではないかと思うのです。 日本の技術は素晴らしいのですが、技術と共に品格を上げることがおろそかだったと思うのです。

    私は経営者の人にはよく言うのですが、何をやってもうまく行かない時には今迄とは違う方法でしなければ、今迄と同じことが繰り返されるだけです。 歴史は繰り返されると言うように、同じことの繰り返しでは上手く行かなくても当たり前です。

    大手企業なんかは特にそうですが、下請けの人や取引先の人に値下げ要求ばかりするけれど、その値下げ要求した分をお客様へ利益還元するのかと言えば、その差額を自分たちの利益にしているのには呆れてしまいます。

    そんな不毛な欲だらけのことをするよりも、取引と言うのは行いで決めればいいのにと私は思うのです。

    例えば、ボランティアをしている社員の方が多い会社とか社長が毎月寄付をしているなど、コストダウンで決めるのではなく品格で取引先や納入業者を決めた方が、よっぽど運命を味方に付けることができると思うのです。

    男性経営者の方々は「そんなことあるか!」と言う前にモノは試しでいいから、相手がしている行いで物事を決めてみると意外とスムーズにコトが運びます。 誰がどう考えても寄付やボランティアをしているお店や会社が、潰れるとか酷い内容だったなんて余り無いと思うのです。

    誰しも人である以上は使命感が備わっているのですが、それを果たす為には運の後押しも必要だと思うのです。

    あなたは運命を味方に、つけたいと思いますか?

    ありがとさん♪v(*'-^*)^☆

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    見抜く目。

    おはようございます。 寒い季節になると人恋しくなりますが、それは気温が寒いからではなく心が寒いからかもしれません。 その寒さは感覚を狂わせてしまうのですが、恋のアンテナを錆びつかせると面倒なことになります。

    人のことは千里眼でも自分のことは盲目になる、それを人は恋と呼ぶ。 by 山崎かずみ

    これは私が霊視カウンセリングの時にお話しする言葉ですが、昔から恋は盲目と言う言葉通りに両目でしっかり見すぎると、恋をするどころか結婚が嫌になって生活にピリオドを打ってしまうことすらあるのです。

    私は素敵なお客様に幸せになって頂きたいし、その幸せとはあなたと彼が二人で作り上げる大きなお城のようなものです。 最初は入り口しか作れないけれど、二人で力を合わせて廊下を作り~リビングを作り、徐々に仕上げて行って完成させるのが結婚生活です。

    男性とお付き合いする時に見抜く目と言うモノがあれば簡単ですが、それは誰にでもあるものではないから、そういう見えない力に頼るのではなく現実的な行動から見抜く目を持つ必要があります。

    お越し頂いている素敵なお客様へ男性の見抜き方を伝授するのですが、それは甘口ではなくダメなモノはダメと辛口で行かないと、後で修正できることはお互いで支え合えるけれど、修正できないことはお互いで支え合うどころが自分が縁の下の力持ちになってしまうのです。

    これは両極端な例えだから許される訳ではありませんが、「浮気と借金」のどちらがダメで行けないことか、それは私的には答えがはっきりと出ています。 これは借金の方が大罪で借金する男は生涯ダメ男君決定で、治そうと思っても修正しようと思っても全く無理な話なのです。

    浮気の方は時期が来れば収まるとか~時期が来れば相手にされなくなるなど、浮気は悪いことではあるけれど借金よりも治る可能性があります。

    それに一番大事なことは「浮気は謝罪して相手と別れれば一段落する」のですが、借金の方は「謝罪して寝て起きてもそっくりそのまま残っている」ので、敢えてどちらが悪いと聞かれたら「借金」と即答できるのです。

    ただし、これは「浮気しても良い」と言っているわけではないので、これを読んでいる男性方は身に覚えがあるでしょうから、絶対に浮気は止めてくださいね。 愛する人を泣かせるようでは、目の前にいる人を泣かせるようでは、いくら立派なことを言っても話になりません。

    さて、本題に戻りますが紹介された男性とかお付き合いを始めようと思う男性、そういう男性が結婚して良い男性かどうか、それを完璧に見抜くのは不可能です。 しかし、ある程度は家事をするとか、マナーが良くて心根が優しいなど判別する方法はあります。

    私は素敵なお客様へ色々な方法を伝授するけれど、それを実践できるかどうかは本人次第です。 いくら説明してやってみようと思っても、実際にできないのであれば「絵にかいたモチ」になります。

    では、結婚しても家事を手伝ってくれるとか~子どもの面倒を見てくれるなど、相手の言い分を聞くことができて家事の手伝いもしてくれる男性、その見抜き方の始まりです。 (これは根拠があるわけではないけれど、心にある本質を見抜くことは出来ます。)

    まず、最初のデートは必ず和食をセッティングして、そしてコース料理を選択して次々と運ばれてくるようにしてください。

    最初に見る時はオーダーする時の店員さんへ対する態度で~その次は割り箸の割り方を見ると、この2つにより彼が周りの人のことを思いやれるかどうかが分かります。 男性ではよくあるのですが、自分に関わりのある人にだけ優しい男性は店員さんに横柄な態度をとるし、割り箸を割るのも周りの迷惑を考えない割り方をします。

    そして次に見るのは食事マナーで、どのように食べるかを細かく見ます。 これは別に正式に堅苦しく食べるのではなく、楽しくきれいに食べているかどうかです。 食事の時にブツブツと愚痴を言う男性は即アウトで、マナーと言っても相手に不快感を与えないように食べることができるかどうかです。 

    確かに銀座のカウンターでお寿司を注文する順番や箸の使い方、日本橋のおでん屋さんで具を注文する順番など正式な食べ方はあるけれど、そこまで細かく言っているのではなく楽しい食事になるかどうかです。

    そしてこれが一番肝心なところですが、「食事をした時に全額払う」と言うのは必須条件です。 あなたと言う素敵な女性と楽しく食事をした大切な時間、それに対してきちんと対価を支払えない男性は問題外です。

    これを守らないと痛い恋は確定で、こういう些細なことを許して付き合うと、あなたの人生は大切な時間をドンドンと失っていくのです。

    あなたは見抜く目、それを養っていますか?

    ・・・( ̄  ̄;) うーん

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    目に見えない力。

    おはようございます。 いつも素敵なあなたには幸運が訪れる、そうは言っても目の前に何かが起きたなら気付けるけれど、何も起きないのであれば運命を感じることはできないかもしれません。 幸運が訪れる時と不幸が訪れる時は不公平ではなく公平ですが、短期的に見た時は不幸が多いと感じることはあるかもしれません。

    しかし、不幸が多いと感じることはあっても長い目で見ると5:5の比率になってくるので、そこまで持ちこたえることが出来れば不幸なことなんて怖くありません。 山に登る時に頂上までは苦難の連続だけれど、一度登ってしまえば見渡す限りの景色が心に響きます。

    それと同じように不幸の連続に思える時はチャンスが迫っていることが多く、その連続に襲いかかる壁を乗り越えたら次々と幸運が訪れ始めます。 世の中には見えない力と言うのがあるのですが、これは体験してみないと納得するのは難しいかもしれません。

    人である以上は仕方のないことですが「やれば起こる」とか「明日には成果がある」など、効果が目に見えて起きなければ「失敗」とか「無駄」などと思いこんでしまう、それは心の強さも関係してくるので目に見えないことが左右しているのです。

    何か不幸なことやついていないと感じることがあった時に、「あれをしたから」とか「別な方を選んでいれば」など、先ほどしたことに対する結果だと思いがちですがそうではありません。

    目の前の現象と言うのは巡り巡ってきたからであり、今したことがすぐに反動として起こったと言うわけではありません。 選択ミスにより起きたと思う現象は、右を選んでも左を選んでも同じであり、乗り越えなければならない課題を飛ばすことはできません。

    人生が0歳から始まり100歳で終わるとしたら、100年間の間に色々なことが起こってトントンとなり終了、人生を簡単に言うとこれだけのことになってしまいます。 難しく考えなくても人生とは死に向かって歩んでいるだけで、死ぬまでに何を成し遂げるかを死ぬ間際に振り返ることが人生です。

    旅行を例に取ると分かりやすいのですが、旅行へ行く楽しみとは目的地へ着いてから楽しいわけではありません。 行くまでの道中で色々なことがある、その方が旅行の楽しみや思い出はずっと増えるはずです。

    世の中に起こることが必然だと思っているようでは人生を楽しめないので、世の中に起こることは偶然の産物が絡み合って色々と変化する、そういう気持ちで楽しんでいけば目に見えない不思議な偶然を、更に面白がって先へ進めると思うのです。

    1+1=2と言うのは数学的には楽しいのですが、1+1=2と言うように予測の範囲内ばかりだと人生は楽しめません。 1+1が3にも4にもなること、そうやって予期せぬ変化があることが人生を楽しくしてくれるのです。

    こういう運の良し悪しが5:5と言う話や目に見えない力の話を始めると避けて通れないのが、「悪いことをしているのに天罰が当たらないように見える人」の話になります。 私は昔いじめられていたからよく分かるのですが、どうしていじめる人たちに天罰が当たらないのか不思議でした。

    それも今になって分かるようになったのですが、あの時にいじめられたのは私の人格形成に役立っていると思いますし、だからこそ寄付やボランティアに対する気持ちが生まれたのでいじめられたのは正解でした。

    もしも、あの時にいじめられずに成長していたら私は傲慢で相手の気持ちを考えず、極悪非道で最低な恐ろしい人間になっていたと思います。 県北で人間不信になるまで無茶苦茶いじめられたからこそ、逆に相手の気持ちを考えることができるようになれたと思います。

    それに私をいじめた人たちの人生を視てみるといじめた分のお釣りは受け取っているし、これから過去の代償を死ぬまで払い続ける運命が待っています。

    私は運命にすごく感謝しているのですが、霊視カウンセラーとして生きる道は本当に幸せです。 その幸せは素敵なお客様にお会いできる日々が全てで、素敵なお客様を拝見させて頂けることは人生における感動となっています。 私が人生の中であなたと言う素晴らしい人と出会えるのは、奇跡だと思うので本当にありがとうございます。

    また、霊視カウンセラーになってからを振り返ってみても、私に協力的な人や好意的なお店はドンドンと発展しています。 それは私の周りにいる人だけに限らず、私と縁のある素敵なお客様には幸せが訪れると言う証明になるし、そうなることを私は信じています。

    それに人は「許す」と言うことが心の浄化にも繋がるのですが、私が県北のいじめられた時代のことを告白できるのは、過ぎ去った過去のことだからブログに書けるだけで、許せない気持ちがあれば淡々とブログに書くことはできません。

    倉敷事務所を出す時にも岡山市や倉敷市の商店街やデパートやスーパーなど、色々なところに入居を断られ続けて今の場所にたどり着きましたが、それも今から考えると断られて正解でした。 私が入居する場所は繁栄する運命だから、寂れて行く商店街やデパートと縁がないのは運命からの暗示だったと思います。

    昔から日本では「お天道様が見ている」と言われるのですが、天から見られて恥ずかしくないように生きていれば連続で不幸なことは起きません。

    あなたは目に見えない力、その存在を信じますか?

    (〃 ̄∇ ̄)ノ エヘッ!

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