徒然草(岡山・東京・山崎かずみ)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    やらない善とやる偽善。

    おはようございます。 急な話ですが広島出張が決まり、10月3日(日)の午後より、広島市中区にて出張鑑定をします。 広島での鑑定は久しぶりなので、素敵なお客様とお会いできることをワクワクドキドキしながらお待ちいたしております。 (広島出張は、予約の受付中です。)

    人は生きていると辛いことも嬉しいこともありますが、それが自分を励ます要素になることも多いです。 人からの励ましは力になるけれど一時的なことが多く、それに引き換え自分が成し遂げたことに関してはパワーが持続します。

    必ず笑える日が来ると今日を信じていればあきらめずに済みますが、そう信じる為には自分の中に一本の筋が通った何かかが必要となります。

    一人で見る夢は単なる夢にすぎませんが、誰かと見る夢は現実となります。 誰かと喜びを分かち合う時には自分だけの時よりも価値が上がり、誰かと一緒にいるからこそ思い出させてくれることが願いが叶う為に必要な勇気となります。

    人は誰しも自分の行動や考えを批判されると落ち込んでしまうものですが、それは100人中99人が褒めてくれても1人が貶してくると、その1人が言った言葉の方が胸に突き刺さります。 本当は100人中99人が支持してくれていると言う事実があるのに、たった1人が貶すことで全てを覆すほどの大ごとに感じてしまうのは心の弱さなのです。

    私も寄付をしていることを公表しているが故に、「本当の寄付とは、人知れずやるものだ」とか「寄付を自分から言うなんて厚かましい偽善者」など、色々な言葉を投げかけてくる人が昔はいたので今日は偽善と言うことについて書いてみたいと思います。

    偽善とは「善であると偽ること」を言い、これを行う者が偽善者と呼ばれます。 表面的には善い行為に見えるのですが、それが本心や良心からではなく虚栄心や利己心などから行われることを主に言います。

    世間的には偽善と同義語として腹黒いとかゴマすりとか食わせ物などと言われることもあり、偽善者と偽君子(ぎくんし)& 似非君子(えせくんし)を混同して使われている場合など、偽善者の定義はその時の感情などにもよるのでいちいち相手にしてはいられない言葉でもあります。

    この偽善と言う言葉の語源はギリシャ語の「舞台の見せかけの役」から来ている言葉で、英語のhypocriteは「見せかけの役を演じる役者」との意味で、心の底からやりたい役ではないことから「偽善者」と言う意味になったようです。

    偽善とは人それぞれの取り方でもあるのですが、自分偽善者だと考える人は表面的には善に見せかけていても内面は悪であると思い、自己の善性に対する疑惑から偽善を生み出す場合もあります。

    そして自分ではなく他人を「偽善者」と非難する人が意外と多いのですが、表面的には善と見せかけているけれど内面は悪だと見抜いているなどと思いこんでいる人と、善行に対する思慮の浅さを指摘する評論家的な場合と二つの非難があります。

    非難する時に「あいつの本質は悪だ!」と言う感じで決めつけるのであれば、「その人の内面をどうやって外から分かるのか?」と言う部分が抜け落ちていると思うのです。 その人の内面も理解せずに非難しているだけでは、その人の心の中を邪推するだけでひがんでいるだけと言うことになりかねません。

    また、善行をしたのは良いけれど余り良い結果にならなかったという場合、それを次へ繋げる財産や経験とするのであればいいけれど、他人の手柄を僻んで貶すのは褒められた行為ではありません。

    以上は人間的な偽善についてあれこれ解説しましたが、運命的に偽善と判断されることは隠しても隠しきれません。 ようは目立つところでは善いこと言ったり行ったりしていても、一皮むけば目立たないところで悪事を働いてプラスよりもマイナスが大きい害悪レベルになると天罰は下ります。

    こうした表面上の善こそが「きれいごと」で、実は社会的に善行として評価されているのはこちらの場合が多いです。 分かりやすいのは企業やお店によるボランティア活動や寄付ですが、本当に世の為人の為になるのであれば潰れるはずがありません。

    いくら多額の寄付をしている企業でも社員を泣かせているようでは本末転倒であり、ボランティア活動をしていてもTVカメラの前だけの宣伝行為では潰れても仕方がありません。 岡山県庁へTVカメラを呼んで宣伝になるなら寄付をする、そんな企業やお店では何かが違うと思うのです。

    私がHPで寄付している先を書いているのは「偽善」だと以前はよく非難されていましたが、寄付している先を明記することで「私も寄付を始めよう!」と寄付やボランティアに興味を持ってくださる方が多いので、HPへ寄付やボランティアのことを書いているのは決して無駄ではありません。

    私は「やらない善よりやる偽善」と言う考え方なので、アフリカの子供たちやお越しくださる素敵なお客様方が評価してくださる、そのことが私にとって何十倍も感動と勇気と力を与えてくださるのです。

    あなたはやらない善とやる偽善、どちらが好みですか?

    ヽ( ̄ ̄∇ ̄ ̄)ノ ランラン♪

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    ハリーウィンストン。

    おはようございます。 「幸運を招くお手犬」の抽選は終了しましたので、当選した方へは近日中に届くと思います。 なお、外れた方へも絵葉書でお返事を書いておりますが、今回は住所と氏名が抜け落ちている人が多かったので、届かない方は住所氏名が抜け落ちていることを御了承くださいね。

    今回のようにたくさんのお手紙を頂いて読んでいると、大袈裟でも何でもなく素敵なお客様の御支援と御愛顧の賜物が、今の私を作り上げてくださっていると思います。 あなたと言う素晴らしい方がお客様でいてくださるからこそ、私は日々を無事に過ごすことが出来るのだと感謝の気持ちで一杯です。

    さて、私は東京へ行った時の充電スポットとして中央区や港区が多いのですが、その中でも銀座と言う街はエネルギーが充満している街で、日本と言うよりも世界の人々やお金など色々なモノが集まってくる場所でもあります。

    ブランドショップも戦艦店が軒並みで無いモノは無いと言うくらいですし、ジュエリーなどは本来は美術館に展示されていてもおかしくないクラスが売買されているので、見ているだけでも目の保養になるほどです。 現座のジュエリーショップで言うと好みもあるのですが、ダイヤモンドの凄さで言えばハリー・ウィンストンが一番だと思います。

    少し説明するとハリー・ウィンストンは、1920年に創立したアメリカのジュエリーブランドです。 創立者のハリー・ウィンストンは1896年にアメリカのニューヨークに生まれ、父のヤコブが宝石商だったのでハリー・ウィンストンは幼い頃より、質屋のガラクタから800ドルのエメラルドを見つけ出すほど宝石の価値を見出す才能を持っていたと天才です。

    そして1920年にニューヨーク五番街525番地に「The Premier Diamond Company」を設立して、1932年に自己の名を冠した会社をニューヨーク五番街に設立しました。 それ以後は一代で世界的に有名なダイヤモンド帝国を築き上げて、「キング・オブ・ダイヤモンド」とも称されます。

    その手法としては宝石そのものの価値を追求した結果、大粒で極上の宝石を最大限に活かす工夫から宝石を留める貴金属部分がほとんど見えず、宝石が直接肌に透けてありとあらゆる角度から光を反射して輝く、ワイヤーセッティング方式の「ウィンストニアン・スタイル」を確立しました。

    また、1958年にはルイ14世やマリー・アントワネット等の有名人が所有して、所有者を不吉な運命に導いたという世界最大(45.52カラット)の「ホープダイヤ」を手に入れて、アメリカ国民の為にとスミソニアン博物館に寄贈したのは有名な話です。

    その後もハリー・ウィンストン社は1963年に八角形の「ポルチュギーズ・ダイヤモンド」(127.01カラット)を、1964年に世界最大級(253.7カラット)の無傷に近いダイヤモンド原石の完璧な結晶体「オッペンハイマー」を同博物館に寄贈するという精神性を持ち合わせています。

    なお、ハリー・ウィンストン本人は、「自分よりも宝石を見てほしい」と言う理由で顔写真をマスコミに公開しなかったのですが、死後に一枚だけ写真が公開されました。

    パワースポットが大流行の昨今ですが、このハリ-・ウィンストンもパワースポットとして凄いスポットです。 ここへ来ると宝石たちの輝きが素晴らしく、まるで博物館や美術館にいるのかと思えるくらいです。

    普通のジュエリーショップはショーウィンドウの中を、スポットライトで照らしてジュエリーが輝くように見せているのですが、ハリー・ウィンストンは天井に小さな明かりがある程度で、ショーウィンドウの中にスポットライトはなく間接照明があるだけです。

    日中は太陽など自然光で光るだけだし、暗くなっても天井の灯りや間接照明しかないのに輝きが違います。 ダイヤのカットなどを見ようとしても輝きすぎてよく分からないから、手を翳して暗くしないとダイヤの形状が分からないこともしばしばです。

    私は一度もハリー・ウィンストンで買い物をしたことはありませんが、寄付の神様に連れて行ってもらったから入ることはできます。 入口にSPが居て住所氏名と購入予定の品物などを書くか、店員さんと知り合いでないと2階の店舗部分に通してもらえません。 接客も一人に付き一人のマンツーマンなのでかなり緊張しますが、信じられないくらい丁寧で素晴らしい接客です。

    私はここへ行った後は何故か予約の電話がよく鳴るのですが、ある意味で神社へ行くよりも凄いパワースポットです。

    運が良ければTVでしか見ることがないセレブの方々に会うことも珍しくないのですが、私が知っている範囲内で言うと「キアヌ・リーブス~トム・クルーズ~レオナルド・ディカプリオ、マドンナ~ベッカム夫妻」などが来ていました。 (ただし、お付きの人が多すぎて近寄れません。)

    ここの難点を一つ上げるなら、敷居が高すぎて気軽にふらりと立ち寄れる場所では無いことです。 もしもハリー・ウィンストン銀座へ行ってみたい方がいたなら、私でよければ予約の取り方など少しは説明できます。 ここは一念発起して彼氏や御主人に奮発してもらい、リング(婚約&結婚)とかネックレスなどを買ってもらうのも開運には良いかもしれません。

    あなたはハリー・ウィンストン銀座へ、行ってみたいと思いいますか?

    (; ̄Д ̄)なんじゃこりゃ~?

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    幸運を招くお手犬。

    おはようございます。 いつも拙い未熟者な霊視カウンセラーの私に予約を入れてくださり、わざわざ倉敷事務所や東京会場まで足を運んでくださるのは、この上ない奇跡の連続で本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

    私は素敵なお客様へどのように御恩返しして良いのか分からないくらい、多大なるご支援とご愛顧を過去から現在まで毎日与えて頂いております。 これからも努力と精進を持って真摯に前向きに歩んでいき、素敵なお客様の思いをキチンと受け止めるようになりたいと思います。

    素敵なお客様の思いを受け止めると言うのは説明するのが難しいのですが、強いて言うのであれば「素敵なお客様の辛い思いは半分にして~喜びは倍増する」と言う気持ちで、想いの中にある感動を呼び覚ますことが一番だと思います。

    私は大したことがない霊視カウンセラーですが、今後も素敵なお客様の為にできることを考えながら、自分の人生はお客様の為にあると言うことを実践していきたいと思います。

    私は素敵なお客様の笑顔こそが私にとっての大いなる喜びであり、素敵なお客様の為に何ができるか~何をしたら喜んでもらえるか、それは私にとって永遠のテーマであると共にやらなければならないことでもあります。

    だからこそ来年も絶対にすると決めているのですが、倉敷事務所にて2011年1月1日にお守りプレゼント~東京で2011年1月9日に新年会は必ず開催しますが、それとは別に日頃のご愛顧にお応えする為に今日は特別なプレゼントをしたいと思います。

    それは何かと言えば4月のTBSドラマ「新参者」に出てきた「幸運を招くお手犬」で、このドラマを見ていた人は御存じかも知れませんが、ドラマの中ではストーリーの関係で「安産のお守り」として登場していました。

    しかし、この「幸運を招くお手犬」の本当の実力とは頭を撫で撫でしてお願いごとをすると、撫でた人のお願いごとを聞いてくれると言う不思議なお手犬です。

    この「幸運を招くお手犬」は新参者に登場してから広く知れ渡り、品薄状態が続いて簡単には手に入らなくなりました。 ネット上では堂々と偽物が売られていますが、本物はある女性がひとつずつ手作りしているので量産はできないし、販売も人形町の「日本橋ゆうま」と言うお店でしか売っていません。

    もしもお店に行ってみるのであればおかみさんに、「岡山県の霊視カウンセリング山崎のHPを見た」と言えば話がはずむかもしれません。 (不思議なことに私は東京の商店街とは相性が良く、どこでも親切にして頂けるので商店街復活のお力になれればと思います。)

    この「幸運を招くお手犬」はドラマに出てきた当初から、日頃からお世話になっている素敵なお客様へプレゼントしようと決めていたので密かに注文していました。 それが今回の東京出張でようやく出来上がりますので、この非常に入手しにくい「幸運を招くお手犬(本物)」を、いつもお越し頂いている素敵なお客様にプレゼントしたいと思います。

    本当は応募した全員にプレゼントと言いたいところですが、品薄の超人気商品と言うことなので3個だけようやく手に入れることができました。 その為、心苦しいのですが「欲しい!」と言う方が「3名を超えた場合は抽選」となります。

    では、そのプレゼントの応募方法ですが、次の内容をよくお読みの上で御応募してくださいね。 (A~Dの記入漏れがある場合は、無効として抽選より除外します。)

    A,希望する理由:例=「難病を克服したい!」など。
    B,プレゼントの送付先:自宅や会社など確実に受け取れる住所をお願いします。
    C,念の為に連絡先:「090―○○○―○○○○」など。
    D,霊視に来た回数:「今年は6回」とか、「今までに23回」など

    宛先は「〒710-0821 岡山県倉敷市川西町1-9 霊視カウンセリング山崎」で、封筒やハガキの端の方に「幸運を招くお手犬希望」と書いてくださいね。 素敵なあなたの御応募を、ワクワクドキドキしながらお待ちいたしております。

    なお、今回の応募総数は160通~180通くらいになると予想されますが、「どうせ当たらない…。」と思うか「もしかして!」と思うか、それが決断の差になると思います。 ただし、おひとり様に付き1通で、一人の方が家族の名前などで複数の応募はおやめくださいね。

    応募の〆切についてですが、「9月27日(月)の消印有効」で、それより後の分につきましては全て無効となりますので、御容赦のほどよろしくお願い申し上げます。

    私は素敵なお客様が笑顔でいられる、そう考えるとプレゼント企画は占い師としてやるのが当たり前で、寄付もしないしお客様プレゼントもしない占い師は問題外で、自分が儲けることばかり考えるようでは占い師以前に人として失格です。

    奇跡と言うのは努力したからこそ訪れるので、何もしない人には失敗が無い代わりに成功もありえません。 「幸運を招くお手犬」は奇跡を起こせる人の元へ、頭を撫で撫でされる為に行くことになると思います。

    あなたは幸運を招くお手犬を、手に入れたいと思いますか?

    ( v^-゚)Thanks♪



    お知らせ:出張の為、ブログの更新は29日(水)から再開します。 出張中でも予約の受付はしておりますので、遠慮なくお気軽にお申し付けくださいね。 いつもご予約いただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    不思議な縁。

    おはようございます。 毎日素敵なお客様にお会いできることは、私の人生に取って不思議な縁だと思います。 縁があるから人と人は出会えるのですが、人と出会うことで人生は変わる可能性が大きいです。

    一人が一人と出会うことだけではなく一人が複数と出会うことでも良いけれど、誰かと誰かが出会うのは何かの縁や意味があるからだと考えれば、未来における人間関係の構築にも役立ちます。

    私は毎日色々な人と人との出会いを視ていると気付くことも多いのですが、人と人が出会うのは面白い偶然があると言えばあります。 どうして「あると言えばある」と言うような表現になるのかと言えば、それは出会いを「偶然だから以上!」と言う感じで終わらせてしまえば身も蓋も無いからです。

    そんな杓子定規ではなくよくよく考えてみれば、人には不思議な縁と言うのが意外とあります。

    それらを紐解いて行くと後になってから分かることも多いのですが、そういうことを紐解く楽しみは人間関係が多ければ多いほど増えるので、その多くの関係の中で楽しむことは未来を輝かせるヒントになる時もあります。

    理屈を付けずに素直に楽しんでいれば偶然が偶然を呼んで、「あぁ~、そうだったんだ!」と言うようなところにまで辿り着くこともあります。 私は単なる偶然の面白さに時々微笑ましくなるのですが、これは私だけではなく誰しも偶然の産物を楽しもうと思えば楽しめるのです。

    私は霊視カウンセリングを始めたばかりの時に最初に来てくださったのはIさんと言う女性なんですが、その方は今でも常連としてお越し頂いております。 そして男性で一番最初にお越し頂いたのがN市のIさんですが、ここまで読んで「アレッ?」と思った人は鋭いです。

    私が霊視カウンセリングを始めた時に最初にお越し頂いた素敵なお客様のイニシャルが「I」で、次に男性として最初にお越し頂いたのも「I」だから最初は男女ともにイニシャル「I」です。

    そして2010年1月の新年会は汐留の41Fロビーに集合だったのですが、その時に私はお越し頂いた方へ順番に挨拶をしていました。 新年会には先ほどの女性Iさんも参加していたので挨拶をしていると、その次に来られたのがN市のIさんでした。

    偶然とはスゴイなぁと感じたのですが、倉敷で最初にお越し頂いた女性のIさんと男性で最初にお越し頂いたIさん、お二人はお互いに全く面識がないのですがお越し頂いた順番が前後と連続になり、お二人はすぐに挨拶してしばらく話しこんでいました。

    イニシャル「I」と言うお二人が最初に来たお客様の男性の1番目と女性の1番目で、しかも新年会へ来た順番が前後連続していて、そのことを知らないはずなのに何故かお二人は開始時間前まで話しこんでいた、こういう偶然を紐解いて追いかけると運命の偶然や不思議を追いかけることが出来ます。

    女性のIさんは岡山県(現東京)で~N市のIさんは愛知県なのに、その二人が東京で順番が前後と言う偶然により出会い、話が弾んでいたと言うのも考えれば不思議な話です。 そして、女性のIさんと男性のIさんが話しこんでいるところへ来た素敵なお客様、その素敵なお客様のイニシャルも「I」でした。

    つまり、「I」と言うイニシャルで括れば3人連続で「I」と言うイニシャルになり、その3人目の「I」さんは最初のIさん二人の住居を直線で結んだ間に住んでいるのですから、運命の不思議な偶然と言うのは紐解いていけばいくほど面白いのです。

    未来と言うのは歩み方により変わるから面白いのですが、過去と言うのは起きたことだから変えられないので起きたことの検証しかできません。 その検証したことを反省材料や未来へ生かす経験と出来るのが人間で、人間として未来へ希望を持たなければ運命の見方や後押しは意味が無くなってしまうのです。

    未来の話なので今と言うことではなく仮の話ですが、私のところへお越し頂いている女性のお客様と男性のお客様が、別々に事務所や東京会場などへ来たにも関わらず二人は出会ってしまい恋に落ちた、それにより恋愛から結婚へ進んだなんてことがあるかもしれません。

    仮の話を続けるならば寄付の神様も私と縁のある素敵なお客様と結婚するかもしれないし、N市のIさんも仲人の依頼が全然関係ないところからあるかもしれません。 しかし、それらは運命の巡り合わせであり、余計なことをしなくても「出会う時は出会う」のです。

    あなたは出会いの不思議、それを感じたことがありますか?

    うふ♪(* ̄ー ̄)v

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    未来を見据える。

    おはようございます。 良い御天気の時は気分が晴れ晴れするし、雨が降ったりすると憂鬱になることもあるかもしれません。 人は目の前のことで気分が良くなったり、悪くなったり様々に変化します。 しかし、目の前のことだけに捉われていると、いきなり足元を掬われてしまうことになるのです。

    これは未来を見据えることが重要なんですが、別に霊視とか占いでなくとも戦略的に考えると明白に見えてきます。 それが分からないのは実戦と言うか現実の対応を経験していないことが、目の前の景色しか見えなくしてしまうのです。

    例えば、トヨタ自動車は活動拠点を移すことを考え始めているのですが、その拠点となるのは第一候補が中国~第二候補が米国で、そこで税金を納めるようにすればバッシングが減ると考え始めています。

    政治家がだらしないからかもしれませんが、トヨタ自動車は日本の未来ではなく自社の未来を考えています。 自分たちの利益が優先だから日本がどうなろうと関係ない、そういう考えでいるから最近のトヨタはやることなすこと空回りして、運命はトヨタ自動車に少しずつ警告と暗示を与えています。

    トヨタ自動車は研究開発部門など本社機能の移転は、世論の動向などを考えて徐々に移転して行く計画で、最終的には工場も国外へ持ち出して海外生産100%が目標です。

    そうなると30年後の愛知県はどうなるかと言えば廃墟の山で、建物はあるけど人がいないことになりかねません。 普通は土地が空けば新しい工場などが入るのですが、トヨタ規模の後釜となればそう簡単には見つかりません。

    今のところはトヨタ自動車も水面下で計画を立てて模索しているだけですが、これが実行へ移されると愛知県は大変な打撃となります。

    これは根拠も無しに言っているわけではなく、それが証拠に何かあればすぐに会長とかトヨタOBの経団連メンバーは、「うるさく言うと広告を出すのを止める。」など不利益なことには敏感なのに、リニアモーターカーの路線と停車駅問題~更に愛知県内の空港問題など、愛知県内の発展に関わることに興味が無いかの如く沈黙しています。

    まるで愛知県内の交通機関が衰退して経済が打撃を受けても関係ないかのように無関心で、これはリニアや空港の打撃が出てくる30年後の愛知県はトヨタ自動車にとってさほど重要ではないのかなと、そういう思惑がちらほらと見えてきます。

    それに今の政権では見通しが利かないこと甚だしいのですが、政治家や官僚はどこを見据えて日本を運営しているのか、足元をすくわれるのが目に見えているから今のままでは60年後に日本は消滅しています。 中国~ロシア~アメリカなどの大国に吸収されているか~統治されているか、どちらにしても日本と言う国も歴史も地球上から消えています。

    沖縄方面の尖閣諸島を今は騒いでいますが、あれは自民党政権が倒れて公式に約束していたことを全て反故にしたからです。 今まで尖閣諸島の近辺は米軍が潜水艦や潜航艇や偵察ヘリで密かに守っていてくれたから、周りの国々から脅迫や恫喝が無かっただけです。

    今の政権が基地問題を反故にしたことにより、米軍が領海や領空の見回りを止めた途端に中国など周りの国々がちょっかいを出し始めたのです。 これは逆に言うと基地問題が落ち着いて、米軍が今までのように監視活動を始めると周りの国々は手出しできなくなります。

    ただし、ここまでは本日のテーマ「未来を見据える」の本題ではなく前ふりで、本当はもっと深刻な問題が密かに進んでいるのに、今の政権は何の手も打てないから悲しい話です。 政治家や官僚はどこを見ているのか、余りの危機感の無さに呆れてしまいます。

    実は周りの国々から本当に狙われているのは北海道なんですが、北海道の国有地以外の山林~土地~施設~ビル~住宅などが、次々と外資マネーに買われています。 主に中国が買っているのですが、このままだと10年後には北海道の7~8%が中国の所有になると思います。

    その理由は地球温暖化で降雪が減るから過ごしやすくなるのが建前で、本音としては北海道を活動拠点にすれば日本の上空を自国機が飛ぶ理由が出来るし、日本海も堂々と船や戦艦が往来できるようになります。 (千歳にある空軍基地は常に臨戦態勢で、緊張の度合いは沖縄よりはるかに上です。)

    それに地球温暖化で氷が解けているので、ベーリング海峡からシベリア海へ抜けるルートの確保もできて、そうなると今度は北極海の資源も狙えます。 つまり、北海道を活かすことは無限大の活用があり、日本の50年後を考えるなら沖縄より北海道を開発するべきなのです。

    政治家や官僚は未来を見据えていないから周りの国々にコテンパンにやられているのですが、このままでは50歩100歩でろくなことをしないけれど自民党の方がマシだったとなりかねません。

    今の政権になってから景気は悪くなり周りの国々から挑発や脅迫をされ、更に税金は上がるし外国人受け入れにより治安は悪くなっています。 政治家と言うのは「これから勉強していきます」なんて素人ではなく、最初からプロとして渡り合えないと政治家をしてはいけないのです。

    あなたは未来を見据えて、行動していますか?

    (o・ω・o)?ホエ?

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    ジョッキとジャック。

    おはようございます。 三連休も終わり今日から仕事の人も多いと思いますが、素敵なあなたには良いことがあるはずです。 無いと感じるのは気付かないだけで、朝起きて仕事へ行き~ご飯を食べてお風呂へ入り眠りにつく、書いてしまうと簡単な一日だけれど自由に動ける自分は奇跡の日々なのです。

    素敵なあなたは毎日ちゃんと仕事へ行っているのですが、それは辛い時や虚しい時もあるけれど、何がどうしてと言う原因も無く急に嫌になることもあるはずです。

    嫌な時もあるから嬉しいことが起こると楽しくなる、人は落ち込むことがあるから上り調子になることもある、そういうコインの裏表のように目まぐるしく移り変わるものなのです。 その変わりゆく狭間の中で自分を見つけた時、それは結婚とか独立などの未来が見えているはずです。

    私も昔は悩みまくっていたからよく分かるのですが、生きて行く上での環境と言うのは選択する方が行動しないと変わらないのです。 現状に甘んじると言う言葉があるように、今の状況で良いと思うかどうかだけではなく変えようと行動できるかどうかです。

    私は今の人生を幸せだと言いきれるのですが、それは理解してもらえない環境から理解して頂ける環境への変化、これは180度の違いだから私はまるで目の前の世界が変わったようです。

    生活リズムの変化だけでもそうですが、工場時代は交替制だったし建設現場では夜通し働いて、更に翌日の朝もすぐに働くと言う24時間勤務や36時間勤務もありました。

    その工場時代の私は二交替制をしていたので昼勤と夜勤と1週間ごとに替っていましたが、夜勤の時は昼勤とは違い人数も少ないから自由が利いたので、休み時間には小説や経済に関する本など色々と読んでいました。

    ただし、読書に適した環境ではなかったのですが、工場の人たちは全員がタバコを吸うので煙が休憩所に充満していました。 そしてタバコを吸わない私が少しでも嫌な顔をすると、工場の人たちは「煙たけりゃオメェがよそへ行け!」とすぐに殴る蹴るの暴行を始めるので我慢するしかありません。

    さて、ある夜勤の時に私が本を読んでいると左斜め前にいたH班長が「おい、オメェは本ばかり読むけど、他に楽しみはねえんか。 飲みに行くとか~○を○○に行くとか、オメェはつまらん人生じゃのぉ。」と話しかけてきました。

    いつもの嫌味だから私は何の気なしに「Hさんは本を読まないんですか。 子どもの頃に童話とか読みませんでしたか?」と聞いたら、「オメェは馬鹿にしとるんか。 ワシだって本くらい読むし、童話だっていっぱい読んどるわ!」と言いました。

    私も未熟者だからカチンと来たので「じゃあ、読んだ童話のタイトルは何ですか?」と言うと、「ふん! そりゃあ、オメェ、え~と、え~と…。 あっ、ジョッキと枝豆じゃ!」と言ったので私は唖然としました。

    反論したらいじめられるから黙っていましたが、私は「そりゃ、ジャックと豆の木だろ!」と心で叫んでいました。 ジョッキと枝豆なんて工場の人たちは大好物かもしれませんが、こんな回答を子どもにしているのであれば県北の子どもたちの行く末が心配です。

    また、別な日の夜勤の時ですがプレス機のセッティングが分からなかったので、休憩室にいるO先輩に聞きに行くと、「うるせぇなぁ、わしゃ~今、ニュースペーパーを読んどるから忙しい。」と言うので、「Oさん。 新聞て言うけど、◎とか○とか△とか印が付いてるじゃないですか。 それに馬三郎と書いてあるから、もしかして競馬新聞ですよね?」と聞きました。

    そう言われた瞬間にO先輩は血相を変えて怒り始めたのですが、「オイ、コラ。 オメェは先輩に対して、その口の聞き方はなんなら! 殺すぞ、コラ!」と胸ぐらを掴んできました。

    激怒したO先輩が言うには、「わしゃぁのぉ、これからの時代はエコじゃと思うとる。 地球温暖化もあるし、将来はエコでないとおえんのんじゃ。 そうなると排気ガスを出さん馬がこれからの主流になるから、その為にもワシは嫌々ながら馬の勉強をしとるんじゃ。 よう、覚えとけ、知恵遅れのクソボケが!」と怒鳴りました。

    この話はN市のIさんや寄付の神様に言わせると、「そんなところで働いていた山崎さんの方が悪い!」と言われるのですが、確かに勇気を出して外へ飛び出せば県南のような天国があり、天女のような素敵なお客様にお会いできる日々へと変わりました。

    県北時代は働くところがないから仕方がないのですが、働く環境と言うのは人間性にまで影響を及ぼすから、ダメな環境で我慢するよりも飛び出す方が幸せになれるのです。

    あなたはジョッキとジャック、どちらを読みましたか?

    (━_━)ゝウーム

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    言わなくてもいいことと。

    おはようございます。 今日は祝日でお休みの方もいれば、お仕事を頑張っている方もいると思います。 日々の生き方とは充実しているかどうかが心の中を決めてしまうので、その心にある何かのスイッチを入れることができるのは夢です。

    夢を笑う人は夢が無い証拠で、夢がある人は充実感を日々味わっています。 何かをする時にやるのが面倒くさいと思うのは、それは楽しめていないからやる気が起こらないのです。

    人は占いに何を求めるのかと言えば様々ですが、未来を視た時にワクワクできることがある未来があれば、占いへ行った甲斐があると思えるくらい心がワクワクします。 私のところへお越しになる素敵なお客様が、心にワクワクを持ってお帰りになるのであれば、こんなに嬉しいことはありません。

    私は良いことしか言わないと言うのが基本ですが、それは良いことしか言わないと決めていても悪いことを言ってしまうのが人間だからです。 愚痴だらけの人でも自分では前向きなことを言っている、そう思えてしまうから隣の芝生は青く見えるのです。

    私も良いことしか言わないと決めているけれど、実際には悪いこともかなり言っていると思います。 悪いことはなるべく言わないようにしたいけれど、話の流れや内容によっては言わざるを得ないこともあります。

    占い業界の大先生方は自分が正しいと思ってしゃべるから、自信満々に間違ったことでも言い放つけれど私には無理です。

    本当に考えていると分からなくなることが多いのですが、言わなくていいこととはどこまでが許されるのかが分かりません。 霊視カウンセラーの私が分からないと言うのも変ですが、本当にどこまでなら言っても良いとか悪いとかは難しくて分からなくなる時があります。

    例えば、TVや雑誌のヤラセは誰もが知っている暗黙の了解だから、裏側を書いたところで誰も困る人はいないと思っています。

    先日も某心霊番組でAKB48のメンバーが出ていたのですが、お約束の除霊の最中に我慢できずに噴き出してしまい番組が台無しになりましたが、TVの除霊を誰も真実だと思っている人はいません。 (AKB48のメンバーも仕事としてヤラセとは言わないだけで、TV局の占い番組はヤラセだからあんなものです。)

    しかし、そういうお約束は別としてリアルタイムで対面鑑定をしている私としては、目の前の現実に対して良いか悪いかの判断が必要になってくるのです。

    最近も言っていいか悪いかの判断が難しくて、結局言えなかったことがあります。 これはお越しになる素敵なお客様のことではなく、私の日常生活の中であったことなので気にせず読んでくださいね。

    ある晴れた日に郵便局へ行こうと事務所を出たら、男性がバイクの掃除などをしていました。 たまたま偶然に見かけただけで知り合いでも何でもないのですが、その時に視えたことは余り気持ちの良いモノではありませんでした。

    以前にも書いたと思いますが初対面よりも2回目~3回目と、会う回数が増えれば増えるほど細かく見ることが出来ます。 N市のIさんや寄付の神様などは電話をした時に、「なんと良いタイミングで…。」と言う場合もあります。

    では、その時に何が視えたかと言うと、90%くらいの確率で事故の予感です。 未来は変わるから普段であれば確定までは行きませんが、時間の経過などから考えても確実に起こる未来だと予感しました。

    ここで考えなければならないのは「あの、気をつけないと事故しますよ。」と、その男性へ言った方が「良いのか?悪いのか?」です。

    顔は何度も見たことがあるけれど今まで一度も話をしたことが無いのに、いきなり「事故しますよ。」と言われたら誰でも気分が悪いと思います。 もしかして「それは嫌がらせか!」とケンカになるかもしれませんし、未来と言うのは起こらない限りは「無いこと(嘘)」と言われても仕方がありません。

    また、それを言うことで運転に気を付けるようになり事故を免れたとしたら、今度は「事故なんか起きないじゃねえか!」と、逆に嘘吐き呼ばわりされることになります。 ネズミ捕りや事故などの霊視は簡単ですが、起きなければ嘘吐き呼ばわりされるから私は言わないのです。

    言って良いことと悪いこと、その区別は常に判断が難しく、素敵なお客様より「言ってほしい」と許可が出た時以外は、基本的に悪いことは言うべきではないと考えています。

    その他にも判断で迷っていたのはTVの占い番組のことで、余りにもTVの霊視の真偽について聞かれるから10月15日のブログで、「TVでやっている霊視が本当に目の前で可能かどうか?」を書きます。

    あなたは悪いことだとしても、真実を聞きたいですか?

    (。・w・。 ) ウ~ン?

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    幸せの感じ方。

    おはようございます。 今朝はアメリカ在住の素敵なお客様と電話カウンセリングだったので、いつもとは勝手が違ってドキドキと緊張しました。 人の心にはワクワクやドキドキが必要なんですが、いつも素敵なあなたには週末にもドキドキする瞬間が訪れるかもしれません。 幸せはあなたの目の前にあるけれど、見えているのに気付かないのは勿体無いと思うのです。

    私は生まれてきて幸せかと聞かれたら「今は幸せ」だと言えますが、昔はとても幸せとは思えませんでした。 田舎に生まれてから閉鎖的な中で飛び出す勇気もなく、いじめられながら日常を過ごしてきて楽しいわけがありません。 家は貧乏で借金取りが押しかける日々の中で、毎日が嫌で嫌で仕方がありませんでした。

    それが今は毎日が幸せで充実していると思えるようになれたのも、全ては素敵なお客様にお会いできるからこそ生きているのが楽しくて仕方がありません。 

    人の幸せと言うのは明暗が分かれると言う言葉通りに、暗い部分があるから明るい部分が目立つのです。 幸せに感じるのは心が100%であり、それ以外の部分が幸せを感じることはありません。

    お金がいくらあっても心が満たされないと苦しいばかりだし、豪邸に住んでいても誰も訪ねてこないようでは寂しいです。 良い車に乗っていてもひとりで山の中にいて、誰にも見向きもされなかったら所有欲は満たされません。

    数学じゃないから「こうだ!」と言うような絶対的な意味は幸せには無くて、何が幸せかは感じる人の心が決めるものなのです。 人は人~自分は自分と言うのは正解ではありますが、それを実践できる人はいません。

    何故なら、人は常に誰かと自分を比べて生きているからです。

    この世の中から比較を取ってしまったら、発展も進化もありえません。 何かと何かを比べるからこそ、次々と文明は目覚しい進歩を遂げてきたのです。 東京~大阪間を移動する場合でも飛行機と新幹線で顧客獲得の為にしのぎを削っていますし、近未来ではリニアモーターカーまで参戦してきます。

    移動するだけでも次から次へと目覚しい発展があるのですから、人が生きている間には数限りなく比べることが出てきて当たり前なのです。

    私は昔はいじめられないことが幸せに感じていましたが、いじめられなければお金が無いことに不満を持って「どうしてお金が無いんだろう?」と悩んでいました。 お金が無いのは親といるからで、地元から出たらいじめられなくなったのと同じように、親と離れたらお金に困ることは一切なくなりました。

    比べないようにしたところで、最後の最後には「できる自分とできない自分」を比べてしまい、「やっぱり、無理だろうなぁ~?」とできない自分に軍配を上げてしまうのが夢を阻む自分と言う心の弱さなのです。 出来る自分を夢見てはいるけれど~出来ない自分を卑下してしまうのが、人の心に潜んでいる明暗の暗の部分なのです。

    人は面白いことに「やりたいと思っても出来ないこと」に興味を抱いて、出来るようになろうと努力するものなのです。

    いつも勝てるゲームはしても面白くないし、1+1=2と言う算数を「凄い!」と褒められても嬉しくないと思います。 人は出来て当たり前の状態になると、その対象が急に面白くなくなることを「飽きる」と言います。

    例えば、英語がしゃべれたら楽しいだろうと思っても普通に話せるようになれば当たり前になりますし、仕事の役にたつだろうと思って勉強し始めても使わなければ勉強を続ける意欲が失せてきます。

    英語がしゃべれるのをモノスゴク偉いように言う人がいますが、海外の発展途上国の人々は「日本語がしゃべれるようになりたい!」と切望している現実を知らないだけです。 英語圏と言うのは普通に生活するのが難しい地域も多いのですが、日本語圏で普通に生活するが難しい地域と言うのは存在しません。

    ここでも比べる対象により幸せ度が違ってくることの証明になるのですが、英語がしゃべれて友人がいない人生よりも、日本語しかしゃべれないけれど友人がいる人生の方が楽しいと思います。 (これは極端な例であり、人により幸せの感じ方が違うのであくまで例え話です。)

    私は生まれてきてからのことを振り返ると意味があったと思えるのは、今が幸せだからこそだと思うのです。 目が見える~手足が動く~毎日水と食料がある、こうやって幸せのポイントを探していけば、今と言う日常生活でも幸せを感じることは充分に可能だと思うのです。

    自分が幸せを感じたいのであれば、なにが幸せかを自分で決めることが幸せの第一歩なのかもしれません。

    あなたは幸せの感じ方を、どうやって作り上げて行きたいと思いますか?

    ヽ(´∞`)ノ アレ~?



    お知らせ:業務多忙の為、ブログの更新は20日(月)から再開します。 予約の受付はしておりますので、遠慮なくお気軽にお申し付けくださいね。 いつもご予約いただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    同じ人生。

    おはようございます。 いつも素敵なお客様にお会いできることで私は気持が晴れ晴れするのですが、素敵なお客様とお会いできることで私は人として大切な生き方ができると心に元気が出てきます。 素敵なお客様のおかげで私は生きている意味を、心に刻み込むことができるので本当にありがとうございます。

    県北時代のことを書いていると涙が出てきますが、あの時は人間ではなく邪悪な生物として環境や生態系を破壊していただけです。 誰かを喜ばすことが自分の喜びなんて考えは全くなく、自分だけが助かればいいと言う恥ずかしい考えで情けなくなります。

    人は生きていることを実感する時がいつかは必ず来るのですが、それを感じた時に何も思わずに今までと同じことを繰り返すのか、それとも違う生き方を模索して今までの生き方を反省するのか、それにより未来は大きく変わってきます。

    私は自分の生き方が変わってきたことを実感しているからこそ、悩んだり苦しんだりしている人は明るい未来へ希望を失わずに前向きに生きて欲しいと願うのです。

    自堕落的に生きていても~品行方正に生きていても、どちらの生き方をしていても24時間は24時間です。 時間だけではなく日数でも同じことで、自堕落的に生きていたら1年が300日で、品行方正なら1年が400日と言うわけでもありません。

    私は生きている時間が進めば進むほど自分の残り時間を考えてしまうのですが、生きると言うことは死ぬと言うことでもあります。 人は生まれてきた以上は必ず亡くなるのですが、その亡くなると言うことにおいて人生の証が二つあります。

    まずは寿命と言う部分において長生きが良くて短命が悪いと言うことではなく、「やりきった」と言う充実感がなければ人生の最後において、わびしさや哀しさを感じてしまい人生の無意味を知ってしまいます。

    もうひとつは亡くなる時にどういう亡くなり方をするかですが、簡単に言えば日本で昔から言われる「畳の上で死ねるかどうか」に尽きるのです。 畳の上に布団を敷いて安らかに眠りにつけるのならいいけれど、苦しんで苦しんで嘆き悲しみながら死を迎えるのは断末魔の叫びとなってしまうのです。

    だからこそ死ぬ時に生きた証を残したいとか、安らかに眠りにつきたいと思うのであれば、自分のことではなく相手のことを優先して「誰かの為に生きる」と言うのを実践しないといけないのです。

    全国ニュースだったから知っている人も多いのですが、岡山県でピザ注文強盗がありました。 岡山県など地方での凶悪事件は人口比率から言うと意外に多く、岡山県の10万人当たりの凶悪犯罪件数は全国ベスト5に毎年入っています。

    このピザ注文強盗と言うのは人気の少ない場所へ宅配ピザを注文しておいて、配達する人が来たら鉄パイプで襲撃してボコボコにして動けなくなったところでお金を奪い取ると言う手口です。 岡山県内のピザ屋さんはこの事件の後から自己防衛として、お店にもよりますが防具付きベストやスタンガンなどを配備しています。

    この事件の犯人は逮捕されましたが賠償なんかとても無理なので、被害者は泣き寝入りするしかありません。 こういうことを繰り返して生きていくのも人生だし、誰かが喜ぶように尽力を尽くして徳を積みながら生きていくのも同じ人生です。

    また、相手の為になることをすると言うのはお仕着せやありがた迷惑ではなく、本当に相手が心から喜ぶことが大切なのです。 県北ではよくある出来事を実際に見ているから、県南で霊視カウンセラーとなっても人から頂くと言うことが怖かった時期がありました。

    その例ですが、工場時代にH班長が私より2歳先輩になる○○さんに対して、「おい、○○。 おまえは痩せてひょろひょろしているけれど、しっかりと飯を食っているのか? ワシが米を持って行ってやろうか?」と、○○さんに話をしていました。 (H班長は兼業農家なので、お米など色々と作っています。)

    ○○さんも「持って行ってやろうか?」と言うくらいだからプレゼントだと思ったらしく、「H班長、ありがとうございます。」と答えていました。 それから次の休みにH班長が○○さんのところへ、トラックで「米を50俵」持って行きました。

    世間の考え方としては「持って行ってやろうか?」と言うのはプレゼントですが、県北の場合は「売る」と言う意味です。 当時はお米一俵が約1万5千円だから、「50俵×1万5千円=75万円」の請求書が○○さんに手渡されたのです。

    ○○さんは「えっ?」と目が点になりましたが、同じ会社の上司と言うこともあり泣く泣く支払いました。 その当時は基本給+夜勤+残業40時間=手取り11万円前後だったので、「75万円」を請求された○○さんはしばらくは凄く落ち込んでいました。

    岡山県北で育っていると善意が善意に感じられない時があり、N市のIさんより「コーヒーを送る」とか、寄付の神様より「ミネラルウォーターを送る」などと言われた時、トラウマから疑心暗鬼になって「結構です」と言ったことも過去にはあります。 (苦笑)

    あなたは同じ人生を送るなら、どういう生き方が良いですか?

    w( ̄△ ̄;)wおおっ!

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    未来の子どもたち。

    おはようございます。 素敵なあなたの今日と言う日は、掛け替えの無い日であると同時に素晴らしい可能性を秘めています。 その可能性と言うのは目を向けるポイントさえ間違えなければ、きっと未来は開けてくるのです。

    私は未来を視ると言うことが一つのポイントですが、それは早すぎると理解してもらえないことにも繋がります。 いくら良いことを言ってもやっても時代が早かった、そういうこともあるのです。

    私は霊視以外でもアイディアに関して色々なことをアドバイスするのですが、理解して頂けない時には理解して頂けないです。 説明すると言うのは相手が聞く姿勢と言うか、納得してからでないと話にならないことも多いのです。

    最近でシミジミと感じたことですが、私は地方の農業を再生したいと思っています。 てまひまかけてお百姓さんが一生懸命に作ったお米や野菜や果物を出来るだけ高値で売れるようにすれば、農家の方々も楽になるし後継者もできるし良いことだと思っていました。

    そこである農家の方に未来を見据えて提案したことをいくつか書いてみたいと思うのですが、これからの農業と言うのは最低でも二つ考えないといけないことがあります。

    一つ目は「割が合う」と言うことで、作れば作るほど赤字になるようではダメです。 きちんと利益を叩き出して儲ける、ここでいう儲けるとは低品質のモノを高値で売れと言う悪いことではなく、「良いモノは良い」と言う正当な価格で生活していける道筋を作ることが大切だと思うのです。

    今の日本の農業は政治家や官僚が寄ってたかって保護しているのですが、その保護の仕方が間違っているから生産意欲が湧かないのです。

    不作になればなるほど補助金が出る仕組みにしてしまい、更には今後は税金で最低年収の保証まですることになるので、働かなくてもいい状態にドンドンとなっていくのです。 これでは後継者も作らないし、今だけ良ければ後はどうなってもいいとなりかねません。

    例えるなら、食料が無いところへ魚を届けるのではなく魚の釣り方を教えて、自活できるようにすると言うのが本当です。 今のままでは後継者どころか、日本の農業は潰されてしまいます。

    米を作りすぎて米価が下がるからと田んぼを潰して行く前に、外国へ輸出して日本のコメの美味しさを伝えるのが仕事なのに、どうして目先のことばかり考えて未来のことを視ないのか、大学を出て勉強もできる偉い官僚や政治家は何を視て仕事をしているのか分かりません。

    キチンとした労働対価が手に入るようにする為に、「岡山県産のお米」とか「岡山県産の桃」と言う、ブランド作りを怠ってきてツケが出ているから農業が成り立たないのです。 私は岡山県内の農家の方々を「割が合う状態」に持って行きたいので、売る場所についての考えが私にはあります。

    お米が高く売れるように、桃が高く売れるように、販売ルートを確立してしまえば単価が上がるので、生活が楽になると思うのです。 ところが肝心の農家の方々が「そこまでせんでも…。」と言われるので、それはそれでチャレンジしない決断は尊重するしかありません。

    そして二つ目は「緯度について」なんですが、私は農家の方々に農産物の変化についてお話しすることが多いです。 岡山県で言うと桃やマスカットだと思っているでしょうが、今後の地球で考えると緯度の変化を見なければならないのです。

    地球温暖化は進むことはあっても戻ることは無いので、緯度が同じと考えてはいけないのです。 緯度が34度だった場所の最高気温が今までは30℃だったとしても、これからは緯度が31度の場所と同じ最高気温の40℃が当たり前になるのです。

    そうなることを見越し考え方を変えて、「気温が高い場所と同じ農産物」を作ればいいのです。

    岡山県の場合だと今後10年先を見据えた場合は、マンゴーや日向夏などに狙いを付けると良いのです。 宮崎産マンゴーが高値で取引されているのですから、これからはマスカットや桃よりもマンゴーを作る方が稼げるので農業の運営が楽になります。

    何も「桃やマスカットを作るな」と言っているのではなく、並行してマンゴーなど熱帯地方のモノも作りましょうと言っているのです。 (頭が固い人は、今日のブログを認めないと思います。)

    農家と言うのは機械の購入も必要ですし、少しは農薬を使わないと人件費も大変です。 それを下支えする為にも単価が良いモノを作り、それにより赤字の補てんをすることで先祖代々の土地を守ることだって可能です。

    あれはダメとか~あんなことは出来ないなど、未来の可能性を潰すようなことばかりではなく生きて行く未来の選択が必要なのです。 税金で補填してもらって働かずに生きて行こうなんて、未来の子供たちに対して恥ずかしくないのかと思うのです。

    政治家や官僚も無策でろくなことをしないけれど、農家の方々も未来を見据えて本腰を入れる時でもあるのです。 高速無料や子ども手当やフェリーやバスの補助~更には農家の年収保証など、以前よりもばらまきが増えて税金で賄う為には消費税が100%になっても文句は言えません。

    政権交代してから一年が過ぎましたが、今の日本は税金のバラマキで借金大国になり~周りの国から何をされても遺憾の意を表明と言うだけでやられっぱなし、50歩100歩でお互い様だけど自民党の方がマシだったと言うことになりかねない1年でした。

    あなたは未来の子どもたちに、借金を押し付けたいですか?

    ウーン (Θ_Θ;)

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