徒然草(占い・岡山・東京・霊視)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    見えないもの。

    おはようございます。 毎日~毎日生きていると飽きがくる瞬間、これは秋に引っかけているわけではありませんがモチベーションの低下が人である以上は来ます。 そんな時にこそ素敵なお客様は前向きにと言いたいところですが、ナンデモカンデモ人は前向きにとかポジティブになれるわけでもありません。

    人が生きているのは簡単に言ってしまえば死に向かってとなりますが、それだけで終わってしまえば身も蓋もありません。 同じ生きて行くのであれば「見る力を養う」ことで、更に面白いことに気付けるはずです。

    目の目で見ていることやモノは全く同じなのに思いつくことや仕上がりは全然違う、そんな経験が誰しもあるけれどアイディアと言うのはひとつの技術や才能です。 ただし、ここで言う才能とはアイディアを思い付くことではなく、「何故?」を見つけることが出来ることだから、それは意識の持って行き方で誰にでも可能なことです。

    私は仕事の御相談も受けるけれど商売の御相談も受けるので、商売を繁盛させる為にはどうすればいいか、それを日常的に考えているとふっと思い浮かぶ瞬間が有ります。

    最近の中で自分でもヒットだったと思うアイディア、それは某フードコートの奥にあるタイ焼き屋さんからの御相談で、私が4月に新参者の話からタイ焼きの話を書いていたので、その後にすぐ現状打破したいと言うことでお越しになりました。

    集合テナントのメリットと言うのは自分に集客力が無くても、核テナントが有ればお客様を寄せて貰えるからお零れにありつける、それはセコイようですが大きなメリットです。 それにイベントなどを自分がしなくても周りがしてくれる、そうなればとりあえず人が来ると言うのはクリアできます。

    そしてデメリットの方ですが、出店する位置によっては人から見えにくいとか、似たような多業種にお客様を取られるなどがあり、それに一番当てはまるのがフードコートです。

    食べると言うのは限界があり、アイスクリーム店が2店あればどちらか1店を選ぶことになるし、そうでなくても自分のところを選んでもらわないと食べる量は決まっています。 そうなるとカレー屋さんとラーメン屋さんが同時にお客様を取りあうように、フードコートにあるお店は仲間ではなく敵になってしまいます。

    東京出張の時にお越しになったお客様はテナントとして某店へ入っているのですが、フードコートの一番端で目立たない上に店の前に柱が有るので、通路側から見えにくいと言う不利が有るので売り上げが上がらないことに悩んでいました。

    このような集合テナントでは自分だけがチラシや呼び込みをすることはできないので、ひたすらお客様が来てくれるのを待つしかありません。 このお店のタイ焼きはチェーン店だから不味いわけでもなくそこそこで、フードコートのお店としては合格点です。

    このお店は御主人が脱サラして始めた家族全員の夢であり、このまま消えてゆくわけにはいかないのです。

    そこで私が考えたのはまず御主人が頭をスキンヘッドにして気合いを入れること、それが出来たら次は新メニューです。 新メニューと言ってもチェーン店は本部の命令が有るから余り好き勝手なことはできないけれど、地区マネージャーに「生活かかっとんや、どないするねん!」と御主人にスキンヘッドで言わせました。 (苦笑)

    そして了承させてから実行したのは「お店を知ってもらうこと」で、その為には姿が見えなくても通路からお店が有ることが分かるようにすることで、私は「じゃんけん」と言う新メニューを提案しました。

    このお店ではタイ焼きを1個120円で売っているのですが、この新メニュー「じゃんけんは150円」にしました。

    お店は通路の奥にあるから姿は見えないけれど「音や声がするのは聞こえる」から、通路を歩いている人に声や音でアピールすればお店を知ってもらえることになります。 ところがテナントは呼び込みができないから、大声を出してアピールすることはできません。

    私が考えた新メニュー「じゃんけん」と言うのは、お店の御主人とお客様がじゃんけんして、そのお客様が「買ったら2個で、負けとアイコは1個」としたのです。 こうすることでその場が盛り上がるし、自然と歓声が上がるので「何をしているんだろう?」と興味を引くことが出来ます。

    お店の人が大きな声を出せば「騒音」ですが、お客様が上げる声は「歓声」になります。 それに「じゃんけん」は少し値段を上げているので負けたところで損はないし、勝った人は気分が良いから次に来た時にまた寄ってくれます。

    ただし、これは応急処置なのでタイ焼きの味を追求したり、接客サービスと言うお店の本質は大切だと釘を刺しておきました。

    物事と言うのはお金をかけなくてもアイディア次第で何とでもなるので、出来ないとかやれないと言う前に「死んだ気になる」と言う必死さが求められるのです。 企業の人事部~広告代理店&スーパーの企画部などは、予算を使って無駄使いしているとしか思えないようなことばかりですが、それは自分の懐が痛まないから適当&無責任にやれるのです。

    私はサッカーに例えるなら「ボールがあった場所を視るのではなく、ボールが来る場所を視る」と、そういう責任感や想いを心に秘めて霊視カウンセリングをしています。

    あなたは他の人に見えないものが、ちゃんと見えていますか?

    ファイトーー!( ゚ロ゚)乂(゚ロ゚ )イッパーーツ!!



    お知らせ:出張の為、ブログの更新は9月1日(水)から再開します。 出張中でも予約の受付はしておりますので、遠慮なくお気軽にお申し付けくださいね。 いつもご予約いただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    判断ミス。

    おはようございます。 毎日元気よく生きていたいと思いますが、時には落ち込んだり凹んだりすることもあります。 どうしてこうなったのかとクヨクヨすることもあれば、今度は失敗しないようにと反省したりなど気持ちは色々と変化します。

    人は判断ミスをするものですが、私もよく判断ミスをしてしまいます。 人が判断ミスをするのは考えすぎることがほとんどですが、考えすぎて判断ミスにつながることをしてしまうのです。

    良くしようと考えてするはずなのに裏目に出てしまい泣くことになる、こういうことは人生では不思議なくらいあるのですが、目の前のことに執着しすぎて周りが見えないからなのかもしれません。

    人は誰かに迷惑をかけずに生きて行くと言うのが理想ですが、人は誰にも迷惑をかけずに生きて行くと言うことはあり得ません。 人生とは誰かに迷惑をかけながら生きて行くだけで、迷惑を掛けた分だけ自分の行いに対する罪滅ぼしは必要です。

    もっともらしい行為を偽善と言いますが、やらない善よりもやる偽善の方が助かる人は大勢います。

    芸能人や有名人が寄付をすると売名行為だと叩かれますが、売名行為でも寄付をされた側としては、水や食料やワクチンなどが貧困に喘いでいる人々を救うことになるから、売名行為を非難して寄付を一円もしない人よりもましだと思うのです。

    もしも偽善がどうのこうのと言うのであれば、日本の漁船に体当たりして妨害行為を繰り返している「シー・シェパード」を代表格とする、自分たちが正義だと他人を襲いまくる環境保護団体の方がよほど偽善です。

    例えば、シー・シェパードはグリーンピースで活動していた人が自分で立ち上げた団体なので、グリーンピースと似たような団体だけど更に過激で攻撃的なのがシー・シェパードです。

    このような海洋とか自然を守ると言う名目で色々な団体がありますが、その昔はアイスランドが標的でした。 アイスランドは漁業が出来なければ国民生活が出来なくなるほど打撃があるのですが、環境保護団体は自分たちが正義だと言っている割にはそうでもない面があります。

    電気や石油を使う時点で環境破壊をしているし、海洋生物を守るだけで牛さんや豚さんは食べても良いのかと言う点が不明瞭ですし、野菜だって命があるのに食べると言うのは自然破壊になっています。

    こういうことを言い始めるとキリがないから食べることはできないし、結局は自分たちの利益になるから行動していると言う部分に落ち着いてしまいます。

    何故なら環境保護団体のほとんどの人たちは、文明生活をしてTVやPCや携帯を使用する毎日だから、かなり良い暮らしをしている現実があります。 スポンサーを引きつける為には過激でTVに取り上げられるようなことをする必要もあり、それは自分たちの利益と言うことが中心なので環境保護とは無関係です。

    少なくとも私のように4畳半のアパートでDVDもビデオも無い生活をして、贅沢せずに生活を切り詰めて寄付をするなんてことはしていないと思います。 N市のIさんや寄付の神様曰く、「山崎さんより贅沢をしないのは難しい」とよく言われます。 (苦笑)

    なお、海洋生物や生き物を守るはずのシー・シェパードのメンバーは、肉も魚も食べないビーガン(菜食主義)だと言っていますが、それは船内や人前だけではないのかと言う点が霊視で視えます。 あれだけ肉や魚を食べるのは許せないと言いつつ、普段の生活では厳格なビーガンであることは求められていないと言うのは矛盾しています。

    今年起こった事件で日本船籍への侵入罪で身柄を拘束されたメンバーは日本で裁判を受けましたが、その間の食事を日本側から提供されて魚や肉の食事に抵抗感を示すことなく普通に食べていました。

    実はこれこそが最大の矛盾なのですが、本当に菜食主義を続けていると肉や魚を食べると気分が悪くなると言うか、胃が受け付けなくなっているので食べるどころか見ても嫌になるのです。 日本で拘束された時に肉や魚の食事を普通に取ることができたのは、普段から肉や魚を食べている証明になります。

    このような矛盾した行動に報道関係者が誰も突っ込みをれないのは、アナウンサーやキャスターと呼ばれる方々は原稿を読むだけで中身が理解できていないからです。

    正義だと思っていることが実は正義ではない、このように判断ミスと言うのは人の思い込みでも生まれてくるので、いつも判断ミスをしないように気を付けて行きたいものです。 ただし、私もまだまだ未熟者なので節約や精進が足りないと反省しております。

    あなたは判断ミスに、気を付けていますか?

    o(*^▽^*)oエヘヘ!

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    病気。

    おはようございます。 自分の未来を信じることは素晴らしいことだから、もっともっと自分のことを信じてみるのも可能性を引きだすことにつながります。 ただし、自分のことなら良いけれど他人が言うことを全面的に信用していると、間違った道へ進んでいることすら分からなくなります。

    世の中にはたくさんの方が病気で苦しんでいるのですが、いつの世もそれにつけ込む輩が出てきます。 お祓いで病気を治す~仏像を買えば治る~パワーストーンが病気を吸い取るなど、苦しんでいる人々を食い物にしているのは本当に残念です。

    その病気治療の一つであるホメオパシー、これは特定の思想に基づき病気の治癒を目的として行われる行為や思想を言います。

    ホメオパシーの考え方として、「健康な人に与えたら似た症状をひき起こすであろう物質を、ある症状を持つ患者に極く僅か与えることで体の抵抗力を引き出し症状を軽減する。」と言う理論および行為です。

    ホメオパシーは200年以上前にドイツ人医師が提案した思想を基にした理論で、スピリチュアルが浸透しているイギリスを中心として複数の国に浸透していますが、スピリチュアルと同じく科学的な効果は全くありません。

    学者や医師などが根拠に基づいた医療(EBM)手法を用いた調査で、ホメオパシーはプラセボ(プラシーボ)以上の効果を持たないと完全に否定されています。

    実は日本国内でも、与えるべきビタミンKシロップを与えず新生児を死に至らしめた事件があるのですが、近年ではホメオパシーの危険性や反社会性を指摘する声は高まりつつあります。

    イギリスやインドや中南米各国など民間医療として普及している国は多いのですが、自然科学の研究者の間ではホメオパシーが疑似科学であることは間違いないとされており、日本でも日本学術会議が2010年8月24日に「ホメオパシーは荒唐無稽である」と公式見解を発表、その効果を全面否定して医療従事者が治療法に用いないよう求める会長談話を発表しました。

    このホメオパシーの歴史についてですが、ドイツ人医師により創始されました。 きっかけはマラリア治療薬キニーネを飲んだらマラリアそっくりの症状が出たことで、類似したものは類似したものを治すと言う「類似の法則」を発見して、ある物質を健康な人に投与した時に起こる症状を治す薬として、その物質そのものが有効であると考えられました。

    言葉の意味ですが、ギリシア語の「同じ」と「苦しむ」を合成して、「ホメオパシー」と言う言葉になりました。

    ハーネマンの理論を踏襲した現代のホメオパシーは、簡単に言うと水により極めて高度に希釈したものを砂糖に染み込ませた、いわゆるレメディーと呼ばれるモノを使用します。 これは科学的に分析してみるとただの砂糖ですが、信じている人には薬となります。

    このレメディーの元となる薬効成分は多くの場合極めて高度に希釈されているので、その元となる物質は1分子も含まれていないのですが、いわゆる効き目のある成分の「オーラ」や「波動」などが染みこんでいて、それにより体の抵抗力を引き出すことで自己治癒力などが高まると言われています。

    なお、このレメディーは効能や効果を持つ医薬品と謳われた場合や、医薬品のように効能や効果があると誤認を招く表現で販売された場合は、薬事法や消費者保護法令に抵触する可能性が高いと言われています。

    では、ここから真面目に物理的(科学的)な話になりますが、効果がある根拠として物質の記憶が残ると言う主張があります。

    しかし、液体状の水分子は流動的で熱運動によって常に情報が失われる方向へと構造が変化している為、例えばの話として一時的に水分子が造る構造に情報が記憶されたと仮定しても、次の瞬間(ピコ秒オーダー)には情報が失われていると物理的にも化学的にも立証されています。 (PCじゃないので、成分のコピーなんて無理です。)

    余りにも荒唐無稽になってきたので日本学術会議は、2010年8月24日にホメオパシーに関する会長談話を発表しました。 簡単にまとめると「科学的根拠は明確に否定されており、医療関係者が治療に用いることは厳に慎むべき行為であり、多くの方に是非御理解頂きたい。」とのことです。

    また、同会議の副会長も「非科学性や無効果である点を十分理解した上で個人的に使うことは自由だが、科学的に全否定されているものを医療従事者が使うことは、通常医療を遠ざけることにつながり危険。日本学術会議としてホメオパシーは効かないと言うメッセージを伝えることが重要と考えた。」と説明されました。

    私は今回の件については否定も肯定もしませんが、それは病気と言うモノに対して「効き目があれば何でもあり」だと思うのです。 病気で苦しんでいる人を目の前にして、「それは効き目がない」なんて言うのは余計なお世話です。

    病気を目の前にして藁にもすがる思いで信じてしまう人がいるのは仕方がないことで、本当の問題と言うのは「人の弱みにつけ込んで金儲けをする。」と言う人がいる点です。

    効果が無いと言うことが立証されているなら、厚生労働省及び長妻厚生労働大臣は怪しい人たちをきちんと取り締まるべきです。

    あなたは病気に対して、どのような考えがありますか?

    (゚∇^*) テヘ♪

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    ホテル業界。

    おはようございます。 今日も暑い一日になりそうなので、体調管理にはくれぐれも気を付けてくださいね。 しかし、暑くなると言っても人生が熱くなるのは熱気溢れる未来を意味するから、もっともっと燃え上がる未来は楽しい限りです。

    昨日のニュースで大きく取り上げられましたが、岡山国際ホテルが民事再生法を申請しました。 負債額は14億3900万円で、この法律は簡単に言うと経営不振の企業が破綻する前に裁判所に再建手続きを申し出ると、取りあえずは潰れずに経営を維持できる法律です。

    この岡山国際ホテルは昭和48年に地元有力企業が共同出資して設立され、いわば岡山の迎賓館的存在でもあります。

    しかし、市街地から離れた立地から近年では駅周辺に続々と進出したホテルと比べて不利な状況になったので、有力ホテルチェーンである「オークラ」との提携関係を緊密化することで営業力を強化しようとしました。 2007年10月1日には名称を岡山国際ホテルからホテルオークラ岡山に変更しましたが、これはオークラの名前を使うだけで実際の経営は岡山国際ホテルのままでした。

    このホテルは歴史と由緒があり国体などイベントの際に天皇を始めとする皇族が宿泊されたり、阪神タイガースが倉敷マスカットスタジアムで秋季キャンプを行う時の定宿として有名です。

    近隣は岡山の高級住宅街でもあるし、2009年5月13日には全国の政令指定都市の市長(副市長)が集まり、大都市の諸問題について議論や意見交換する為の「指定都市市長会議 in 岡山」も開催されました。

    1990年代前半から集客力が低下していたのですが、この辺りを境としてホテルの稼働率が約40%となることも多くなりました。

    2010年3月期には債務超過に陥り苦しい経営状況が続いていたので、2010年8月23日に岡山国際ホテルが岡山地方裁判所へ民事再生法の適用を申請して、同日には保全処分命令及び監督命令を受けたのです。

    これで取りあえずは一息つけたことになるので、今後は社員の雇用を継続しながら営業を続けて行き、スポンサーや営業譲渡先を広く募って行くことになります。

    ここまでが一連の流れなんですが、ホテルの空室率が上がると言うのは一見何でもないように思えますが、これを一般の企業やお店に当てはめると大変なことになります。

    何故ならホテルの空室と言うのは在庫に当たるのですが、他の業種と違い一日経過するとそれは過剰在庫や不良在庫と同じことになるのです。 製品なら過剰在庫が出来ても在庫として取っておけば、いつかは売れて捌けるから損することはありません。

    しかし、ホテルの空室と言う名の在庫は取り返せないのです。 その日に空いていたのであれば、時間が過ぎればもう利用することはできません。 残念ながら時間を保存することはできないから、時間の在庫は無理なのです。

    そうなれば一泊が5000円で100室あるホテルの場合、平均稼働率が70%だと良く思えるけれど逆に言うと30%は空室です。 つまり、「5000円×30室=15万円」の在庫が毎日発生していることになるので、1ヶ月だと「15万円×30日=450万円」の在庫を抱えることになります。

    こうやってきちんと計算して行った数字を見た時、毎月450万円の損失が発生すると言うのは恐ろしいです。

    これが車の販売ならば8月は売れなかったけれど、9月は売れたから8月の分を取り戻せたと言うこともあります。 しかし、ホテルの場合は100室が全部埋まったとしても、それは当日の損失が出なかっただけであり、100部屋以上を埋めて先月の損失を取り返すと言うことはできないのです。

    それに工場などではラインを止めて生産調整をすればいいのですが、ホテルの場合は色々な法律(消防法など)により最低人員と言う、客室(部屋数)に対して決められた人数が必要です。

    100室に対して5人が必要となれば、空室が多くても少なくても5人が必要です。 そうなれば空室が多く赤字が出ていても人数の確保は必要で、空室で赤字が出る上に人件費も赤字と言うダブルパンチでKOとなりかねないのです。

    普段はホテルへ泊まるだけで経営に関わることは少ないと思いますが、これはホテルだけではなく旅館やペンションでも同じことです。 夢に燃えてペンションを出したけれど止めることもできず、赤字のままで苦しんでしまうのは読みが足りないからです。

    読みとは空室が多くて苦労しているホテルには理由があるのに、その理由がホテル側には読めないから更に苦境へ陥ると言う悪循環です。 空室が多いのは泊まりたくないからで、泊まりたいホテルにすれば自然と稼働率は上がるのです。 ホテルの稼働率が90%を切ると言うのは、経営努力も何もしていないに等しい証拠です。

    なお、私はホテルへ泊まる時になるべくゴミも出さずきれいに使うようにしてるのですが、それはホテルの苦しい内情を視ているとマナーの悪いことはできないからです。

    あなたはホテル業界の苦悩、それを御存知でしたか?

    ( ̄  ̄;) うーん

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    時。

    おはようございます。 人は過去の思い出には勝てないのですが、すれ違う度に好きになって行ったあの人、会いたいと思っているのに会えないから涙が溢れてきて止まらない、そういう過去の思い出は辛くなるのかどうかは今の自分が決めるのです。

    今の自分が幸せならば過去の思い出は辛いくても良い思い出になるし、今の自分が不幸せであれば過去の思い出が手枷足枷となって苦しむことになります。

    もう一度やり直したいと思っても、あの日に戻ることは誰にもできません。 戻ることが出来ないからこそ人としての優しさを失わない為にも、今の自分が幸せでいる努力は必要です。

    時間が経てば悪いことも良いことになるかもしれないし、時が経つことで記憶が薄れて気にならなくなるかもしれない、時間が薬と言う言葉は意外と嘘ではありません。 忘れられない記憶は時間とともに薄れて行き、いつの間にか忘れて自然に生きて行くのも人生です。

    それと同じく「時は裁判官」と言う言葉がありますが、それは時間がたてば黒も白になるとか悪に見えたことが善だったなど、時間が経過して立場や状況が変われば事実は事実だとしても結果に対する評価や認識が変わってきます。

    「時は裁判官」の良い例が各地の赤字空港問題ですが、日本には税金投入してまで守らなければならない空港はひとつもありません。 どの空港も赤字になったら廃港にして税金の無駄使いは止めればいいのに、「空港が無い県ではカッコつかない」と言う見栄の為に維持しているのが現状です。

    西日本で言えば近畿圏が悪い方の見本で、伊丹と関空と神戸の3つが隣接しています。 どの空港も赤字になっているのですが、伊丹空港だけの時代には赤字どころか黒字でした。 ところが伊丹空港だけの時代には「騒音がうるさい」など、黒字なのに邪魔者扱いで移転や廃止が叫ばれていました。

    しかし、いざ空港受難の時代になって廃止が取りざたされると、「伊丹は便利だから残すべき!」と言う、伊丹空港待望論が出て移転や廃止に大反対と言う以前とは全く逆の状態です。

    伊丹はまだしも関空は毎年100億円の赤字が出ているのを税金で補てんしているし、神戸も同じく赤字で各航空会社も撤退の兆しが出ています。 「うちの県には空港がある」と言う見栄の為だけに空港を維持するのはもう止めて、適切に考えて行かなければならない時代が来ています。

    これと似た状況なのが福岡に隣接する各空港なんですが、この辺も廃止にして福岡空港へ一本化しないと赤字の垂れ流しです。

    何故なら福岡空港と60分しか離れていない某空港では東京へ行くのに3万5千円かかりますが、福岡からは2万5千円で行けると言うように近距離なのに運賃が1万円違うから、当然のごとく某空港を利用する人は年々減り続けて最悪の状態になっています。

    更に空港を例に取るならば羽田と成田の関係も切り離せないのですが、成田空港が出来る時にどれだけ反対運動があって、バリケード突破など血が流れる暴動まであり大騒動でした。

    そこまで反対したのだから羽田空港をハブ化して成田から国際線を引き挙げて、将来的には成田空港を廃止する案に賛成するのが筋なんですが、そうは問屋が卸さないとばかりに逆転現象が起きています。

    現在の森田県知事は「羽田空港のハブ化に反対!」と声高に反対論をぶちあげて、「成田は外国への玄関口だ!」と成田空港の必要性を論じています。 ここでも不思議なんですが森田県知事は国会議員だった時に、「成田は潰して羽田をハブ化しよう!」とぶちあげて、羽田に国際線が乗り入れできるように働きかけて今の羽田国際線があります。

    その羽田空港のハブ化を推し進めていた張本人が、あっという間に方向転換して全く反対のことを言い始めたのですから、まさに「時は裁判官」です。

    人である以上、間違いは仕方ありません。 完璧な人間は存在しないから間違いや過ちは犯してしまうのですが、それでも間違いを認めて謝罪や反省をするからこそ過ちが許されるのです。

    時は裁判官と言う言葉は深いのですが、時間が経つにつれて状況が変化して悪いように見えたことが良いことだったと判明する、その時には素直に「あぁ、良かった。 今までごめんなさい。」と感謝して過去の過ちを詫びる、それが明るい未来へ進むことだと思います。

    あなたは時が経つことで、何がどう変わりますか?

    ヾ(=^▽^=)ノ

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    ヘーゲル。

    おはようございます。 いつも素敵なあなたには素晴らしい光が待っているはずで、その先にあるのは希望と言う名のゴールがあるはずです。 それは幸せな人に起こる現象ではありますが、幸せの定義により幸せはいつも目の前にあるものです。

    人は目の前に起きた現象により幸か不幸かを決めてしまいますが、それは長い人生の中で一部分を切り取っただけであり、本当に幸せかどうかと言うのは後で振り返ってみて初めて分かることです。

    私は県北時代のことをブログに書きますが、それは消化できているから書けるだけです。

    確かに嫌なことが多かった時代ではありますが、それは今から考えてみると自分のせいだと言う自業自得が分かってくるし、そういう風に考えてみると不幸ではなく勉強だったかもしれないのです。

    人は目の前に幸せがある時には気付かないものですが、それは逆に幸せすぎて気付かないだけなのかもしれません。

    五体満足で自由自在に動ける、健康で病気をしない、携帯やPCが使える、水や食料に何不自由しない、これが全部同時に行えるのは地球上に存在する約66億人の中で9%だと言われています。

    9%と言うのは約6億人だから、その中で日本の人口は約1億3千万人になるので、6億人中1億3千万人と言うのは凄い確率です。

    日本に生まれてきたことはひとつのチャンスですが、手続きがどうのとか上司が許可しないだのとか文句を言う前に規制が多くてもクリアできる方法を考える、それこそがチャンスを貰った者がすることです。

    人は甘い蜜を食べていると美味しくて食べすぎ、そうなるとメタボになって今度は成人病の心配をすると言う、幸せだからこそ起こる不安や不幸と言うのがあります。

    ドイツ観念論哲学のゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルが書いている著書の中に奴隷と主人と言うタイトルで幸せについて面白いことを書いています。

    ヘーゲルは奴隷と主人と言う関係を使って幸せについて書いているのですが、主人と言うのは財産を持って踏ん反り返って奴隷を支配しています。 何かを食べたいと思えば奴隷に命じて作らせればいいので、俗に言うアゴでこき使うと言う状態になります。

    その命令される可哀そうな奴隷は美味しい料理を作ることができるのですが、その料理は主人が食べてしまうので自分では食べることができません。

    ここまでで言うと奴隷は可哀そうと言う観念になるのですがヘーゲルはここで「見方を変えてみよう!」と提案していて、この提案を受け入れることができる人は頭が柔らかく思考能力が柔軟で幅広い領域になります。

    私がヘーゲルの言いたいことを咀嚼して霊視カウンセラー的に解説してみると、奴隷と主人では本当に奴隷は可哀そうなのかと言う点から思考を変える必要があります。

    奴隷は主人に命じられて毎日毎日食事を作らなければなりませんが、毎日食事を作ると言うことは材料を吟味して色々な料理を作ることになります。 基本的に主人と言うのはわがままだから、あれも食べたいこれも食べたいと言うはずです。

    その要求に答えていると自然に料理のレパートリーは増えるし、自然と料理の腕は一人前になって料理の腕前(技術)は自分の物になります。

    それに引き換え主人の方は命じて作らせて食べるだけなので奴隷がいなくなれば食事を食べることができなくなりますが、奴隷の方は別な主人に仕えることもできれば独立することもできます。

    こうなると奴隷がいるからこそ主人であり得ると言う逆転現象が起こるので、こう考えると主人の方こそ奴隷に隷属していることになりかねないのです。

    ヘーゲルの言いたいことは現代社会にも当てはまるのですが、権力や地位やお金を笠にきて偉そうにしていると自分一人では何もできないのだから、あとでみじめな思いをすることになると言う戒めだと思うのです。

    幸せとはこのように見方を変えることで次々と変化するので、目の前の現象が本当に不幸なのかどうかは、時間がたって思い返してみないと分からないものなのです。

    あなたはヘーゲルの考え方を、面白いと思いますか?

    (o゚◇゚)ノあぃ

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    夏の納涼。

    おはようございます。 今日も暑い日になりそうですが、昔は30℃を超えると猛暑と言われていました。 しかし、今後は40℃を超えるのは避けられそうにないので、暑さ対策が昔よりも重要になります。 皆様も体調など崩されないように、お身体の方にお気を付けくださいね。

    昔から日本では暑い時には納涼花火大会など納涼を楽しむ術を考えてきましたが、暑い夜にはお化けなど怪談や心霊などが付きものです。

    私は心霊相談も受けることがあるのですが、実は心霊写真も驚くようなことでもありません。 霊がいるかと言われたらそこらじゅうにゴロゴロいるけれど、見えないから気にならないだけの話です。

    病院なんかでも亡くなった方を祀る霊安室がお化けの出る場所になっていますが、実は霊視カウンセラーとして視ると全然違います。

    例えば、事務所の近くにある大病院の倉中でも、一番霊がウロウロしているのは正面玄関に向かって左側にある救急や夜間の出入り口から左手の受付、そして左へ進むとある夜間の待合や診察室などの辺が一番多いです。

    どうして多いかと言えば生前の記憶などと混乱している元患者様の霊が多く、そこからタクシー乗り場へ向かって歩いて行き、家に帰りたいけれど帰れないから戸惑っている姿が多いです。

    だから実際には霊安室には霊なんかいないのですが、どうしてもTVや雑誌などは面白く話を繋げて取り上げます。

    そして意外と心霊スポットとして気付かれないのが新幹線に乗っている時なんですが、東海道新幹線と山陽新幹線は工事中に亡くなった方や自殺した方など、昭和の時代には色々あったので浮かばれていないようです。

    まず、東海道新幹線の方は東京から大阪の間を開通した時代には土木技術なども今ほどではなかったので、トンネルの発破工事でかなりの犠牲者が出ています。 実は発破作業中の事故で亡くなった作業員の方がトンネル内部を通る新幹線の窓に映るので、霊感が有る無しに関わらず視えることが多いと思います。

    名古屋を過ぎてから坂野坂トンネルと言うところに入るのですが、このトンネルの出入り口の辺でよく出現するようです。

    これと同じく山陽新幹線でもあるのですが、さすがに近すぎるので名前は控えさせていただきます。 そのトンネルを新幹線が通る時に出現するのは車内販売の売り子さんなんですが、静かに通り過ぎるから霊とは思わない人もいると思います。

    その女性は窓には映るのですが実体がないと言う感じで、ヒントは新神戸~広島の間の辺のトンネルです。

    私は霊視カウンセラーの割には霊の話なんかほとんど書かないのですが、今日は久しぶりに霊の話を書いています。 霊の話もたまにはいいかなぁと思いますので、最後に納涼の意味で恐怖の話を書いてみたいと思います。

    ある女性が家族で心霊番組を見ていた時のこと、某スピリチュアルカウンセラーの人が「頭痛や肩凝りなどは、霊の仕業だetc…。」と説明していたので、その女性は「わたし、最近頭痛と肩こりがひどいから、今日は部屋に塩を盛って寝てみようかなぁ~。」と言いました。

    するとお婆ちゃんが「じゃあ、お風呂に入っている間に私が塩を盛っといてあげるよ。」と言ってくれたので、その女性はお風呂に入ってお婆ちゃんが盛ってくれた盛り塩に布団の四隅を囲まれて眠りにつきました。

    ところが夜中と言うか夜明けと言うか真っ暗な中、その女性の手足や顔や首筋にごそごそうごめくモノがいて、その女性は寝ているうすぼんやりとした意識がはっきりしだすと、「なに!」と体が凍りつきました。

    「何かが私の身体に触っている!」と思いましたが、体が動くので金縛りではありません。 その女性は「なに、なんなの~!」と恐怖でしたが、勇気を出して布団から飛び起き電気を付けました。

    すると、その正体は「無数の蟻」でした。 お婆ちゃんが間違えて塩ではなく砂糖を盛っていたので、その砂糖に釣られて蟻がたかっていたのです。

    「お化けの正体、これ見たり!」と言う言葉が有りますが、怖い怖いと思っているとナンデモカンデモ幽霊のせいにしてしまいがちですが、よく見ると柳が揺れているだけなんてことになりかねません。 心霊写真も90%は偽物や偶然の光なので、余りにも過度な心配は無用です。

    あなたは夏の納涼を、どのように取っていますか?

    ☆^(o≧▽゚)oニカッ!

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    歴史から学ぶ。

    おはようございます。 8月15日は終戦記念日でしたが、戦後65年間経って日本人の8割が戦争を知らない世代となりました。 あの悲惨な戦争を二度と繰り返さない為にも忘れてはいけないことで、目にしたくない風景や聞きたくない言葉であっても過去の反省の為には必要な時だってあります。

    地球上の物事には全てルールと言うモノがあるのですが、そのルールが公になると困る人がいるようでは公平なルールとは言えません。

    それにルールも時代遅れではなく現代で通用するルールが必要で、国単位ではなく地域や集団のような小さな状態でも昔ながらのルールは問題を引き起こす場合もあるのです。 ルールと言うのはお互いが生活して行く上で有利になる為ではなく摩擦が起きないようにするなど、本来は公平で誰にでも優しいのが基本です。

    しかし、日本では男尊女卑と言う言葉があるように男性有利なルールが多いので、その規制に対して女性の社会進出はひとつの楔を打ち込んだことになります。

    私は女性の社会進出は大いに認めるべきだと思うし、もっと上の方へ登用するべきだと思います。 男性同士の話し合いだと上手く行かないことでも女性同士であれば折り合いをつけることも可能で、過去に戦争が起きた国同士を見てみればわかるようにトップが男性の国ほど戦争を起こしています。

    アフリカの各国で内乱が起きなくなってきたのと女性の国会議員が増えてきたのが比例しているように、こういう事例から見てもルールと言うのは変わるべきでいつまでも頭の固いことを言ってはいけないと思うのです。

    悲劇を繰り返さない為にも人は過去の歴史に学ぶことが多いのですが、忘れてはいけないことと言うのは戦争以外にもたくさんあります。 岡山県北でも72年前にある事件が起こったのですが、それは地方独特のルール(風習)により引き起こされて今も脈々と生き続けています。

    この事件について分かりやすくする為に引用したいのが「八つ墓村」と言う横溝正史著による長編推理小説で、この本を原作とした映画やテレビドラマが多数作られています。 「どんな映画だったかなぁ?」と思う人でも、「八つ墓村の祟りじゃ~っ!」と言うセリフには聞きおぼえがあると思います。

    実は横溝正史さんは戦時中に岡山県真備町に疎開しており、「八つ墓村~獄門島~本陣殺人事件」の3つは「岡山編」の代表作で、岡山県内の風習や因習に加えて祟りなどの要素を含んだスタイルで後世のミステリー作品に多大な影響を与えました。

    この「八つ墓村」と言う作品に登場する「村人32人殺し」は岡山県北で72年前、実際に遭った「○○事件」がモデルです。 「○○事件(または○○30人殺し)」は1938年5月21日未明に県北で発生した大量殺人事件のことで、2時間足らずで30名が死亡~3名が重軽傷と言う日本の犯罪史上前代未聞の殺戮事件です。

    この事件のことを2010年現在で20代や30代の人は全く知らないと思いますし、県南の人は聞いたことすら無いと思います。 しかし、県北の人や70~80代の人は知っているにも関わらず、忌まわしい封印されるべき事件として誰も触れようとしません。

    この事件は県北の当時21歳の男性が頭に懐中電灯を鉢巻きでくくりつけて、夜中に日本刀で次々と村人を殺して行ったのです。 この事件は30人を2時間足らずで日本刀で切り殺すと言う大惨事でしたが、その動機となったのが地方の風習に起因するらしいです。

    この事件の捜査関係者や新聞記者など多くの方々が調べたところによると、県北の方々は強く否定しますが「夜○○」と言う風習が事件の引き金の一端とも言われています。 今でも県北には「村の娘と後家はetc…。」と言う、現代社会では信じられない考え方が残っています。

    戦後の日本は大きく様変わりしているのですが何でもかんでも変わりゆくままと言うモノではなく、戦争の悲惨な体験を忘れないのと同じように過去の歴史を忘れないことも抑制になると思うのです。

    私は悪霊よりも日本刀を持ったオッサンの方が危険と表現するのは、メルヘンの世界ではなく現実の世界を生きているから、霊がどうのこうのと言う前に歴史から真剣に学ぶことが多々あるからです。

    人には理性とか反省と言う行動や感情があるので、忌まわしい戦争が二度と起きないように努力するのと同じく、二度と悲惨な事件が起きないように努力するのも大切です。

    私は人間の善性と言うべき良心や正義感を信じたいと思いますし、何より悪が蔓延るよりも正義が勝つと言うことを信じているのです。

    あなたは過去の歴史から、何を学びますか?

    ∑( ̄Д ̄;)なぬぅっ!!

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    伝説。

    おはようございます。  昨日はJAL機の左エンジンが火を吹いて危うく106人の犠牲が出るところでしたが、私はANA機で帰ったので無事に岡山空港へ着きました。 15日(日曜)の夜はN市のIさんやMさん達と食事へ行きましたが、男性3人が揃うのは新年会以来で久しぶりです。

    3人とも相変わらず元気で後ろ向きなことは言わず、アントニオ猪木さんではありませんが「元気があれば、何でもできる!」と言うのは本当です。 うつむいて歩いていると暗くなるし、辛くても悲しくても前を向いて歩いているといつの間にか元気になってくるのが不思議なところです。

    人は生きているからこそ歴史が作られるのですが、その生き方がスゴイと男女問わず伝説として語り継がれたりします。 (注:都市伝説は除外します。)

    しかし、それは本人が伝説を作ろうとしているわけでもなく自分のやりたいことへ向かって一生懸命に、毎日毎日コツコツと歩んでいるうちに伝説を作り上げてしまったことがほとんどです。

    少し伝説について解説してみたいと思いますが、伝説とは様々な地方で語り伝えられた民話が本当の意味です。 その中でも特に語り手によって事実を伝えることを中心として語り継がれたのが伝説で、その内容が真実であるかどうかは問われないのも伝説です。

    口承文芸とは無文字時代から存在していて、一般で馴染みがあるものと言えば昔話~伝説~世間話などの民話から、新語作成~諺~民謡などに分類されるモノを言います。

    このうち昔話には発端句(昔々とむかしを含むものが多い)と、結句(どっとはらいなど)に代表される決まり文句があります。 それに固有名詞を示さずに描写も最小限度に留めて、話の信憑性に関する責任を回避した形で語られるものが多いです。

    また、時代や場所をはっきり示さずに登場人物の名前も「爺や婆」などあやふやにして、出生&身体の特徴をもとにした普通名詞的で濁すことが多いです。 (例えば、桃太郎は桃から生まれた長男の意味しかありません。)

    それに対して伝説は昔話と違って、同じ昔の話であっても一定の地名や年代など所在や時代背景が具体的に示されて、登場人物も歴史上の有名な人物や土地の何々と言う人物など、特定しやすいように好んで詳細に示そうとしています。

    このような点から伝説には伝記風の態度と要素があるが、昔話はフィクション(創作)として語られている内容が多いです。 一部の地域などでは「炭焼き長者」や「子育て幽霊」など特定の場所と地域を特定できるような昔話もあって、それが昔話から伝説化して定着している例もあります。

    ちなみに昔は世間話から来る民話も伝説と言っていたのですが、昔話~伝説~世間話の違いをあげてみると次の3つになりますが、一応の種類分けで確定した物ではありません。

    A:昔話は内容が不特定で事実かどうかわからないし、おそらく事実ではない。
    B:伝説は内容が特定できて少しは事実かもしれないので、少しは信じられそう。
    C:世間話は内容が特定できて事実が多く、信じてほしいから忠実に言おうとする。

    結論として伝説とは偉大な人物や物事を語る形容詞として存在して、現代においてもかなり近い人物を語る時にも、「伝説の○○」と表現して凄さを語ろうとすることが多いです。

    伝説になるような話とは歴史上の大人物から地域や学校や社内における伝説の人物まで、個人にとって思い出など自分だけの伝説もあるので様々です。 なお、伝説は良い方にも悪い方にも語り継がれるので、褒めているのか悪口なのか分からない場合も多いです。

    私が最近で伝説の部類だと思うのはココ一年のMさんで、実はブログにMさんの出世していく様子を書いているので同じ会社の複数の方より、「Mさんて○○さんのことですか? 部長(支社長)があんなことをするのは○○しかおらん、○○も今は○○事業部でetc…。」と、西日本の各店舗で伝説の男と言われていると教えて頂きました。

    ちょうど一年前のMさん(2009年の8月頃)は、西日本の某県某店舗の売り場で一社員として働き、上司やお客様に怒られつつ各店舗を転勤しながら定年を迎える未来でした。 その頃のMさんは「僕の未来は…。」と凹んでいましたが、今や東京の方で本社中枢部の一員としてバリバリだから運命は不思議です。

    Mさんは今の地位と立場では色々な芸能人や有名人と会うことも多いのですが、先日も手相芸人の島田秀平さんや特ダネコメンテーターの佐々木秀美さんとツーショット写真を取っていました。 その他にもマナカナに会ったり色々ご活躍されていますが伝説とはそういうことではなく、2009年9月に自分のアイディアをトップに直訴したと言う行動力こそが伝説となっているのです。

    これはMさんを例に取って説明しただけですが、本当は私と縁がある全ての素敵なお客様が伝説となれます。 恋愛ならば素敵な彼と出会う、結婚ならば幸せな結婚が出来る、仕事ならば大出世する、独立ならば大成功する。

    目の前にあるのは叶わぬ夢ではなく叶う現実として素敵なお客様なら実現するはずだと、私はあなたの才能と実力と運~それら全てが未来で輝いていることを信じているのです。。

    あなたは伝説となる自分、その姿を想像できていますか?

    (*^-^)ニコッ!

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    納得できる。

    おはようございます。 お盆に突入しましたが私は365日年中無休なので、今日も事務所にて鑑定をしております。 毎日毎日素敵なお客様にお越し頂けるのは本当に幸せで、今日もワクワクドキドキしております。 なお、お盆でも予約の受け付けはしておりますので、遠慮なくお気軽にお申し付けくださいね。

    人生で嬉しいとか楽しいことが起こるメカニズム、それは楽しいから笑うのではなく笑うから楽しいことが起こるのです。 ネクラでいれば悪いこと~ネアカでいれば良いこと、気付いているけど分かりづらい当たり前のことです。

    昔の私はネクラそのもので口を開けば愚痴や悪口が出てしまい、今から思えばよくあれだけ不平不満が言えたもんだと我ながら呆れます。 あの当時へ戻れるわけではないので反省するしかないけれど、未来へ向けて実りある反省でなければと思います。

    当たり前のことではあるけれど人は知らず知らずのうちに、「自分が行動するから何かが起こる」と言う行動の原則を忘れがちになってしまいます。

    今と言う時間の中で目の前に起きていることは自分がしたことの総決算と言うか、過去から現在へと繋がる道の中で紆余曲折あったことで、良いことも悪いことも認めるからこそ今と言う自分へ繋がった過去を振り返ることができるのです。

    人は色々なことで反対されたり行き詰って進めなくなったり、人生には山あり谷ありで進んだり戻ったりの繰り返しです。

    人は後悔して生きて行かなければならないのですが、「あの時、あぁしていれば…。」など少しの判断ミスにより今の苦境に陥ったと思いがちですが、本当はその時の判断ミスではなく前々からの判断ミスが今につながっているのです。

    今のあなたの目の前に見えている景色は、百年前は全然違う景色でした。 それは人間が開発や整備を繰り返して街作りが出来ているのですが、このまま時が止まったままでいるなんてありえないからです。

    永遠の時はないし~永遠に変わらないこともありえない、その移り変わりをキチンと感じているのであれば後悔しない為にも、自分自身が納得行く生き方をしなければ振り返るばかりの人生になってしまいます。

    私はあなたと言う素晴らしい人とお会いできることで、今までの過去を反省できると共に未来へ向かう勇気や元気が湧きあがり、もっともっと上昇して行かなければ後ろ向きのままで人生を終えることになると自戒しています。

    人は生きていると目標が揺らいだり、夢をあきらめようかと思ったりします。 それはそれで生き方の違いだと判断しても良いけれど、あきらめることができる夢とはあきらめてもいいだけの夢だったと言うことです。 人は本当に欲しいと思えば寝ても覚めても頭から離れないのですが、しばらく経てばあきらめがつくのは「終わってもいい夢」だからです。

    私はあきらめてもいい夢なんてありえないし、やらずにごまかして生きるなんて言うのも2度としたくありません。 今までの私は面倒なことは極力避けてずるい生き方だったと思うのですが、過去と同じ生き方をして恥の上塗りはしたくないと心に誓っているのです。

    人は誰しも嘘を吐かざるをえないので、正直に生きて行くのは大人になれば中々に難しいです。 大人の対応と言うべきごまかし、それは人間社会で摩擦を起こさない為には必要なモノですが、それはあくまで他人と自分との間に軋轢を生まない為の処世術です

    それを自分自身にしてしまうと自分はいつまで経ってもごまかしたままで、自分の中にある大切なモノは離れて行くことも分かれることもできません。

    自分が生きている限り永久に「あの時、怠けた。」とか「あの時、逃げた。」など、自分に嘘を吐いてしまうと自分を納得させることができないまま人生を終えることになります。 自分に嘘を吐いて平気な人もいるかもしれないけれどあなたと言う素晴らしい人は、何もしないで~何も変わらないで~何も残らなかったと言うような、そんな人生で終わることはあり得ないと信じているのです。

    あなたが生きているのは神様の思し召しとか運命の定めなど、何かが作用してこの世に誕生してきました。 生まれてきた意味を知りたがる人が大勢いるけれど、生まれてきた意味とは自分自身を納得させる生き方が出来ていれば、それが生まれてきた意味を作り上げることにつながると思うのです。

    大切なのは自分がもう一人目の前にいたとして、全く同じ自分の行動を見て恥じないかどうか、生きていることが誰かの役に立って「ありがとう!」と言われることができるのか~どれだけ人の為に涙を流すことができるのか、そういうことを考えて生きて行く人生なら納得できることが多いと思うのです。

    心の中にある熱いモノを失って平々凡々と冷たい人生を生きるよりも、何かが出来る自分を埋もれてしまわないようにして「前を向いて生きる」と言う恥じない生き方が、人として充実した人生になるはずです。

    キラキラした人生とは納得できる人生であり、あの時の自分を思い出して誇れる時が来ること、自分自身に自慢しても納得できるだけの人生でなければ、何の為に生まれてきたのかと言う意味を探す以前の話になってしまうのです。

    あなたは納得できる、そんな生き方をしていますか?

    ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪



    お知らせ:出張の為、ブログの更新は17日(火)から再開します。 出張中でも予約の受付はしておりますので、遠慮なくお気軽にお申し付けくださいね。 いつもご予約いただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    助ける判断。

    おはようございます。 いつも素敵に輝いているあなたには運命が味方するはずですが、時に運命は忠告してくれることもあります。 素敵なあなたが進むべき未来には、不公平があってはならないと思いますが、その中でも公平と言う名の不公平はあってはならないのです。

    公平と言う名の不公平とは、人が気付かないうちにしてしまう部分です。 よくあるのが働かない人と働いた人の時給が同じとか、怠けている人と真面目にしている人が連帯責任と言う名で同じ罰を受けるなど、日本にはよく分からない不公平な決まりが多すぎます。

    それに比べると運命は公平なんですが、良いことと悪いことは5:5で常にイーブンな状態にしてくれるから、人間界で公平だと思われる行いよりもかなりマシです。 巡り巡って~回り回って善なる行いにはお返しがあるので、運命の方がよほど公平で素敵だと思うのです。

    ただし、善なる行いだと思いながら実はそうでもなかったと言う場合があるのですが、世の中には助けてはいけない人がいます。 その助けてはいけない人を助けた時にお釣りを支払うのは、その助けられた本人ではなく助けた方に天罰と言うのは下されるのです。

    商売に例えてわかりやすく説明すると、100万円の負債があるお店のA社長にお金を貸してくれと頼まれて、知人のBさんが「人助けになるのだから」と貸してしまうと助けにならないことがあります。 (ここでは仮に、AさんとBさんに例えています。)

    それは何故かと言えば、100万円の負債の時に助けてA社長のお店が助かったとしても、そこで生き延びてしまったが故に更に借金が増えて1000万円になってしまうことがほとんどです。 お店が傾いた時に自力で立ち上がれないのを助けるのは助けではなく、一時的な延命に過ぎないので借金の枠を大きくしてしまうだけなのです。。

    そうなると助けなければA社長の負債は100万円で済んでいたところを、Bさんが助けたばっかりに1000万円まで負債が膨らんだとすれば、その差額の900万円の負債は助けたBさんのせいで出来た負債となります。

    そうなると不思議なもので、Bさんは良かれと思って助けたことなのに900万円分の痛い目に遭うことになるので、助けたことにより自分の運を悪くしてしまうと言う矛盾に突入してしまうのです。

    これはひとつの例として書きましたが、助けてはいけない人の定義は人それぞれの考えに寄るから難しいのですが、その定義とは永遠のテーマになるのかもしれません。

    ブログによく登場するN市のIさんは2009年12月末から2010年1月末にかけての流れがヒントとなり、「助けていい⇔助けてはいけない」の両極端を何となく肌で感じることができたと思います。

    N市のIさんはボランティアの神様なので、2009年12月末にホームレスの方にお金を配って回りました。 家も仕事もお金も無いと言う人たちを助ける為に、N市のIさんは善意の気持ちでお金を配って歩くと言う、まるでシークレットサンタみたいなことをしていました。

    ところが何故か良いことをしたはずなのにN市のIさんはピンチと言うのは大げさですが、ホームレスの人にお金を配って歩いてから些細なことではありますが何となくまんが悪いことが続きました。

    そしてN市のIさんは2010年1月末に今度は霊視カウンセリング山崎の新年会に参加したのですが、その時のメンバーの清らかさと言うか素敵な雰囲気に感動して新年会の開催費用を全部支払ってくれたのです。 この時のメンバー全員が天女のように素晴らしい人ばかりで、更に普通に生活できる人たちばかりで困っている人は一人もいません。

    それから2週間もしない間にN市のIさんは経営を始めて以来、初めてと言うようなお仕事を受注して物事がトントン拍子に進みました。

    普通に道徳的な考えで言えばホームレスの人たちへお金を配った方が正解で、新年会の方へお金を使うのはいけないことと思いがちなのは当然です。 困っている人を助けることが正解で、困っていない人に援助するのはおかしいと言うのは、物事の一面しか見ていないからです。

    余り知られていないことですが、ホームレスの人たちは仕事が無い訳ではなく働く気が無いだけで、時給が安いから働きたく無いと言う人が多いのです。 ボランティア団体の人が仕事を紹介しても行かなかったり~すぐに辞めてしまったり、給料を先払いで貰ったらそのままトンズラしていなくなったりと散々です。

    しかし、新年会へお越しになった方々は出さなくて良かった新年会の費用を、寄付したり~勉強に使ったりと生きたお金として使いました。 誰しも迷うことだと思うのですが、「そのお金を使うことで、お金が喜ぶのか?」と言う思考でいれば、そうそう間違えたようなお金の使い方にはならないと思います。

    「助けていいと助けなくていい」の判断は難しいとは思いますが、善なる行いに見えて善ではない時には運命が善悪の判断してくれます。

    あなたは助ける判断を、どのように決めていますか?

    ( ̄∇ ̄*)ゞエヘヘ

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    学校の怪談。

    おはようございます。 暑い日が続きますが体調など崩されぬように、元気な毎日を過ごしてくださいね。 素敵なあなたの笑顔があるからこそ未来を明るく感じられるのですから、素敵なあなたがいるからこそ素晴らしい日々が続くのです。

    こう暑くなると出てくるのが定番とも言える学校の怪談で、これは学校にまつわる怖い話のことを言います。 これは高度経済成長時代に学校建設が急務とされて、安価かつ購入容易な土地を探した結果から、「安い土地⇒人気が無い⇒墓地の側もしくはかつて墓地であった場所」というケースが日本全国で多発しました。

    この経緯から土地固有の怪奇的な噂話が生まれてきて、様々な怪談を生んだのが「学校の怪談」の始まりです。

    「学校の怪談」は一種の都市伝説で、地域性の高い学校固有の話題がクチコミやマスコミ等により流布されて他の学校に伝わり、その地域におけるアレンジを加えられた後で再度他地域に輸出されます。 インターネットの普及により「同時多発的流行」となった結果、元ネタが同じでも「あの学校でも噂になっているから本当の話だ」と信憑性を増す結果となるのです。

    よくある「理科室の標本や音楽室の肖像画が夜中に動く」に代表されるように、子供にとって驚異の対象になる物や高額な物、更に学校にしかない特異なアイテムなどが神秘性を感じさせた結果により怪談の素材になるケースが多いようです。

    また「同年代の子供が多数集まる」とか「集団行動により同一場所で同一体験をする」、そして「定期的に人数が同時多発的に入れ替わる」上に「夜は無人になる」と言う「学校ならではの環境(画一的同時性環境)」が噂の一因になってきます。

    これらを7つ集めたものが「学校の七不思議(学園七不思議)」で、7つ全てを知ってしまう(隠された8つ目を知る)と不幸が訪れるなどとされます。 こうした都市伝説的な根拠のない作り話から発生した、学校の怪談を取り上げるとかなりあります。

    「墓地の上の学校」の場合は墓地を埋め立てて造られた学校と言う設定で、夜中に校庭に人魂が浮かぶなどの怪現象が起こります。 「旧校舎」の場合は、夜中にどこからともなく現れる旧校舎で死人や妖怪が授業を受けているとか、「音楽室」なら誰もいない音楽室からピアノの音が聴こえると言うのが多いです。

    「夜の校庭」になると戦国時代の落武者の亡霊が現れるとか、子供が自分の首をボールのように使ってリフティングをしているなどがあります。 「体育館」なら誰も居ない体育館でボールが跳ねる音がするとか、死んだ生徒がボールをついているなどが多いです。

    「階段」の場合はいくら降りても1階に着かず行方不明になるとか、3階建ての校舎なのに何故か4階に続く階段があり行ってしまうと戻れなくなるなどがあります。 「廊下」なら誰も居ない廊下を歩いていると後で足音がするので振り返ると、足だけが廊下を歩いているなどがあります。

    特に学校の廊下は直線で長いから一人でいると昼間でも怖い感じがするし、全員が下校した夕方頃ともなれば大人でも気味悪い時があります。 (もしも夜中の2時頃に真っ暗な中で、学校の廊下を一人で歩けと言われたらできますか?)

    こうやって挙げていくと数え切れないくらいの怪談がありますが、それを信じ込んで「何かがいる!」とまで言い始めたら洒落になりません。 私は常々言うように「霊や物怪」よりも、「人間」の方が圧倒的に怖いです。

    スピリチュアルカウンセラーや霊能力者の先生は「悪霊がぁ~!」とデタラメを言うけれど、日本刀を持ったシャブ中のオッサンやナイフを持ったストーカーの方がよほど危険で怖いです。

    県北で実際にあったかどうかは想像にお任せしますが、本当の「学校の怪談」として「霊や物怪」と「人間」のどちらが怖いか判断して頂ければと思う話です。

    ある夜のことですが翌日にテストを控えた某生徒が、「明日のテスト、嫌だなぁ。」と思いました。 某生徒が勉強もせずに一生懸命に悩んだ末に、「学校が無くなればテストを受けなくて済む!」と思い付きました。

    そこで某生徒は夜中の2時に一人で学校へ行き校舎へ侵入して真っ暗な中で、学校の長い廊下を端から端まで自宅から持ってきた灯油を満遍なく撒きました。 某生徒はポリタンクに灯油を入れて持ってきたのですが、県北の田舎では灯油やガソリンを常備してある家が多いのです。

    そしてライターで火を点けたのですが灯油を撒いてあるから火の回りも速く、全焼して中学校は無くなりました。 某生徒は学校が無くなったのでテストを受けずに済んだのですが、翌日のテストだけではなく「それ以後の全てのテスト」も受けることはありませんでした。

    なお、ここまでお読み頂いた全ての方が勘違いしているかもしれませんが、夜中の2時に学校へ侵入して灯油を撒いて放火した某生徒とは「女子生徒」です。 先入観で「男子生徒」と思い込んでいるかも知れませんが、これは「女子生徒」が実行したことです。

    この話を「作り話だ」とか「嘘だ」と言うのは一向に構いませんが、岡山県北で地獄を見てきた私としては霊や物怪よりも人間の方が圧倒的に怖いです。

    あなたは学校の怪談を、信じていますか?

    ∑(=゚ω゚=;) マジ!?

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    生きていくスピード。

    おはようございます。 生きているからこそ空を見上げることが出来るのですが、それを自然で当たり前だと思えば感謝がなくなります。 感謝の気持ちは大切ですが「なんで感謝するのか?」が、運命を味方に出来るかどうかの別れ目だと思います。

    私は人生が全く変わってしまった部類ですが、県北にあのままいたら今頃どうなっていたかを考えると背筋が寒くなるほどの恐怖を覚えます。 今は女性ならば82歳~男性ならば79歳くらいが平均寿命ですが、人生とはカウントダウンの連続で、80歳が寿命とするなら0歳からカウントダウンが始まって80歳がエンドです。

    例えば、2010年で30歳の人が80歳まで生きるとすれば、あと50年しか時間はありません。 残りの50年をどう生きるかは見えないかもしれないけれど、死に至る自分がどうなっていたいかを見る努力は必要です。

    生きていく時間が過ぎるのは誰かと比べた時にはすごく実感できるのですが、そうでもないと意外に実感がわきません。。 「あぁ、そう。」と言う感じで、他人事のように感じてしまうのは自分に影響がない時で、自分に直接影響がある時は必死になって時間の流れを感じてしまいます。

    結婚に関しても何歳でするのが正解と言うのはありませんが、周りの結婚が早ければ焦ってしまうし、周りが独身だらけで今が楽しければ気にならない、これこそが周りと比較した自分の立場による焦りの正体です。

    正解は無いはずなのに周りと比べた時の時間で早いとか遅いとかを決めてしまうのは、自分の周りの平均値ではあるけれど正解ではありません。 そこのところを勘違いしてしまうと、焦りからとんでもない選択ミスをしてしまうのです。

    生き急ぐと言う言葉があるけれど目標が高ければ焦るのは仕方が無いのですが、焦ったところで到達して息切れして何も出来ないようでは、喜びは一瞬で終わってしまうのです。 いきなり高い山へ登ることが出来ないように、準備が整っていないのに高い場所へ行ってしまうと到達しただけで終わってしまうのです。

    私は自分の過去を考えると生き急いでしまうのですが、それは自分が時間を無駄にした実感がものすごくあるからです。 県北では暴行~窃盗~放火は当たり前でしたから、まさに「人を見たら泥棒と思え」でした。

    ところが県南で霊視カウンセラーとなってからは、天女みたいな素敵なお客様ばかりに出会うから私の中で衝撃が走りました。 「なんで、もっと、はやく、倉敷へ事務所を…。」と言う後悔があり、その分を取り戻そうとして焦りが消えないのです。

    私は自分が生きている証と言うほどではありませんが、誰かの役に立つと言う部分が喜びとなっています。 その感動の喜びの為には年中無休なんて当たり前で、素敵なお客様にお会い出来る上に寄付ができるのは幸せ以外の何物でもありません。

    だからこそ「もっと、もっと」と心が焦りと叫びを上げるのですが、私は自分の歩む速度の遅さにジレンマを感じています。 私はフリマ時代もあるし~誰一人来なかった時代もあるので、正式に今の場所に事務所を構えてからは2年8ヶ月弱になります。

    事務所を構えてから東京出張を毎月定期的に始めたのですが、岡山でも東京でも歩みが遅いと感じることもあれば~よくここまで辿り着けたと思う自分もいるから、焦る気持ちと満足する気持ちの両方が鬩ぎ合うのです。

    ただし、最後には焦りの気持ちが勝つのですが、今の私は「なんぼ強がったところでマイナーレベル」です。 江原啓之さんや鏡リュウジさんや細木先生や銀座の母など、トップクラスの知名度に追いつけていない自分を情けなく感じます。

    2010年に全国区になれていないのに、2011年に全国区になるなんて厚かましい話です。 私がグズグズしている間に他の先生方はもっと先へ到達してしまうのに、私は何でこんなに芽が出ないのかと歩みの遅さに恥ずかしくなります。

    その恥ずかしさを背負っていると、私自身も生きて行くスピードの差を感じて焦ってしまうので、未熟な私が素敵なお客様にどうこう言えた義理ではありません。 m(__)m

    ただし、迷った時には一休みと言うか考えを見直すのも悪くは無いのですが、少しでいいから立ち止まって自問自答するのは悪いことではありません。

    立ち止まることで子供から大人になるような瞬間が生まれてきて、ふと見た自分が意外に成長していることに気付けるかもしれません。

    「あぁ、今はここまで来たんだから、ここから先もきっと行けるだろう。」と思えたなら、また次のレベルへ行く準備が整ったことになります。

    あなたは生きていくスピードを、どれくらいに感じますか?

    ( ´ρ`)。o ○ ノンビリ~?

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    必要な時。

    おはようございます。 いつも素敵なあなたには笑顔が美しく似合うので、運命もあなたのところへ幸運を運ぶのが楽しみなはずです。 あなたが幸せになるお手伝いならば、幸運の女神はいそいそと後押ししてくれるはずです。

    私も素敵なお客様が笑顔でお帰り頂ける時には、霊視カウンセラー冥利に尽きる嬉しい幸せな気持ちに包まれます。 私は家が欲しいとか車に乗りたいなどと言う気持ちはなく、私の周りに幸せな人が増えることが私の幸せです。

    私と縁がある人はいつもニコニコと笑顔が輝いていて、その輝きで更に周りの人たちを幸せで豊かな気持ちにしていけば、それは幸せな縁のつながりとして好循環になると思うのです。

    私は毎日色々な方の御相談をお伺いしているとよく分かることのひとつ、聖書の引用じゃないけれど「人には乗り越えられない困難は降りかからない」と言うのは本当です。 苦しくても辛くても悲しくても、その目の前の困難や苦難は起きた人にだけ乗り越えられるレベルだと思うのです。

    私が東京出張を始めたばかりの頃ですが、電車で移動していると「五体不満足」を書かれた乙武洋匡さんを見かけました。 乙武洋匡さんは先天性四肢切断(生まれつき両腕両脚がない)と言う障害に負けず、「障害は不便ではあるけれど、不幸ではありません。」とさわやかに言い切った姿に、私は自分の生き様を反省させられる思いでした。

    その乙武洋匡さんを電車内で見かけた時に、私は話しかけられませんでした。 その時に私は「あっ!」と思ったけれど、興味本位で話しかけたと思われるのは嫌だとか色々と考えてしまい、最後まで話しかけられませんでした。

    私の精神は未熟で精進が足りないと思うのですが、どうして話しかけることができなかったのか、私自身が人を見て差別する気持ちとか色々あったからじゃないのか、そう自問自答して私は自分自身を戒める気持ちが連続するのです。

    私の未熟な精神力では乙武洋匡さんにはとても敵わない、私は五体満足でいる時でさえ不平不満を言っていたので、とても乙武洋匡さんには敵わないと思います。 本当に強くて優しいと言うのはスポーツや武道で身体を鍛えることではなく、心にある芯の部分が強いことを言うのだと思います。

    「人には乗り越えられない困難は降りかからない」と言うことを乙武洋匡さんは実践しているのですが、普通の人なら先天性四肢切断になった瞬間に絶望して生きていることに耐えられないと思います。

    ましてや普通に外を出歩くことも難しく、周りから好奇の目で見られることに耐えられないから外出もできません。 乙武洋匡さんだからこそ不平不満を言わずに明るく前向きに、色々なことにチャレンジし続けるのだと思います。

    また、「人には乗り越えられない困難は降りかからない」と同じように、その逆もまた真なりで「必要なものは必要な時に必要なだけ手に入る」と言うこともあります。

    これはお金や家や車などの物欲もそうですが、漫画家になりたい~女優になりたい~歌手になりたいなど、夢や目標においても「必要なものは必要な時に必要なだけ手に入る」と思うのです。

    その人に与えることで正しい道に進むのであれば、一時的には不足したところで必ず補充されるはずです。 しかし、与えることで間違った方向へ進むのであれば、一時的には隆盛を誇ったとしても必ず失っていくはずです。

    義手や義足を作っている会社、やけどや傷跡を直す人工皮膚の会社、障害者雇用に力を入れているチョーク製造会社やランドリー会社、これらの会社はどこも一時期は潰れるかも知れないと言う局面に遭遇しています。

    残念ながら世の為人の為に役立つ分野は開発が難しい上に、需要と供給のバランスが崩れやすいので利益が生み出しにくいのです。 それでも信念を曲げずに「誰かの役に立ちたい」と言う思いを捨てなかったからこそ、不景気なんて関係無い状態を作り出せたのだと思います。

    私も県北から県南へ出てきて霊視カウンセラーとなった話はブログに良く書きますが、順調に進んだわけではなく商店街やテナントを追い出されて嫌な思いもしているし、一週間以上お客様がゼロだったなど廃業の危機もありました。 それでもいつの間にか事務所を持つことが出来て、どうにかこうにか霊視カウンセラー人生を少しずつ歩いています。

    私は素敵なお客様の心が軽くなるお手伝いがしたい、アフリカの子供たちにワクチンや水や食料を~目の見えない人の為に盲導犬の育成を、こういう思いで目の前のことに全力で取り組んでいると、不思議な助けみたいなことは必ず起こります。

    最近の例で言うと、この8月の東京出張は現時点では予約がさっぱりですが、私が必要とされていれば出張前日までには必ず予約枠が全て埋まるはずです。 根拠があるわけでは無いけれど、必要なことは起こると信じています。

    あなたは必要な時に、必要なことが起こりますか?

    ミ★(*^▽゚)v Thanks!!★彡

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    暮らす。

    おはようございます。 いつも素敵なあなたには輝く光があるように、未来が明るく思えるのが普通です。 もしも明るく思えないのであれば、それは歩く道を間違えているだけで、運命が不幸をセッティングしてしているなんてことはありません。

    人の人生には乗り越えられない不幸や苦難は起こらないのですが、それをダメだと落ち込んでしまうか~何とかしようと踏ん張れるか、その差が未来でどうなるかの差でもあります。

    私は素敵なお客様のお悩みを伺っていると、「分かるなぁ」と共感できることがほとんどです。 それは辛くて悲しい思いを受け止めるだけの経験だけは過去に数えきれないくらいあるから、その当時は嫌で嫌でしかたがなかったけれど今は良い経験に思えます。

    私はいじめられた経験や認められない経験など、色々な実際の体験を積んでいるからこそ理解できる部分が、霊視カウンセラーとして役立っているのは否定できません。 もしも私がいじめもないし~知恵おくれと言われることもなければ、霊視カウンセラーになっていなかったと思いますし、相手の気持ちを考える思いやりもなかったと思います。

    私は出張など物理的に更新できない時を除いてほとんど毎日ブログを更新していますが、それは素敵なお客様の中にブログの内容をバカにするなんて人はほとんどいないから、本当にありがたいことだと感謝の気持ちで一杯です。

    だからこそ素敵なお客様には未来で余計な苦労をして欲しくないと思うのですが、現実的な問題として恋愛でお付き合いするのは良くても結婚してはいけない場合だってあります。

    私は基本的には良いことだけ言うようにと考えてはいますが、明らかに痛い目に遭いそうな時にはやんわりと「ダメかも?」と言うことがあります。 明らかに怪我をすることが分かっているのに止めないのは、それは占い以前に人として良心の呵責もあります。

    では、その「明らかにダメなこと」とは基準が難しいのですが、「生活環境の違い」と言うのは「明らかにダメなこと」に入れてもいいのではないかと思います。 生活環境の違いは考え方や心の中にも影を落とすことがあり、それが毎日ならイライラや不安など心の病にかかるほど深刻な場合もあります。

    生活環境の違いと言う点において我が身に降りかかる現実と言えば、結婚で居住区域が変わることで、それは生まれてきてからの習慣や風習が変わると言うことでもあります。

    誤解してほしくないのですが、ブログに書く内容は全ての県北に当てはまるわけではありません。 あくまで私が生まれ育った県北地域と周辺地域だけかもしれないので、これは一部地域によるものかもしれないし~全部がそうかもしれないのですが、地域における生活環境の差と言うのは必ずあります。

    実はここ最近重なった御相談なのですが、「結婚したら県北へ住むんですが、大丈夫でしょうか?」です。 何故か県北の男性と結婚する方の御相談が重なったので、これも何かの暗示なのかと思い今日のブログに県北のことを書いてみようと言う気になりました。

    例えば、ある素敵なお客様は私が以前のブログに書いた「自宅にお風呂を作らない地域」で同居されるようなので、日常生活のほとんどは県南と変わりないけれどお風呂に関しては壁の無い共同浴場へ入ることになります。

    また、ある素敵なお客様は私が以前のブログに書いた「ハチの炊き込みご飯やイナゴのつくだ煮などが出る地域」で同居されるようなので、毎日ではないけれど昆虫と関わりを持つことになります。

    ただし、何度も繰り返しますが全ての県北がこうだと言うわけではありません。 私は基本的に悪いことは言わないように努めていますが、県北に関する事柄は正直に申し上げて判断はお任せするしかありません。

    私が勤めていた県北の工場では結婚式直前の女性社員を祝福する為の、飲み会&送別会はある時期より一切禁止になりました。 それはある男性が2号棟AラインのCタイププレス機の裏で首吊り自殺をしたことと関係があるのですが、こういうことが起こる地域でわざわざ暮らすことはないと思うのです。 (詳しいことが知りたい方は、鑑定の時にお尋ねくださいね。)

    また、今のところ某地域へお嫁さんに行かれる御相談や御報告は受けていませんが、その某地域では結婚したら村長や町長など土地の有力者の家にお嫁さんが一人だけで一晩泊りに行く風習があります。

    この話をすると「それはどこかの部族の話ですか?」と聞かれるのですが、これはれっきとした日本国内の話で2010年8月現在でも行われています。

    あなたは暮らすと言う意味、それをどう思いますか?

    (○ ̄ ~  ̄○;)ウーン・・・

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    知らない怖さ。

    おはようございます。 変わらない日々を過ごせるのは幸せですが、それが少しでも変化すると人は不幸を感じます。 幸せの本質とは変わらない毎日のことであり、何も変化しないのは当たり前ではなく奇跡の日々だと思うのです。

    会社のことを嫌だと思っていてもローンを抱えたまま倒産するとなれば、今度は「潰れないでくれ!」と願うことがあるように、変わらないと言うのは本当に幸せな日々なのです。

    私は本当に幸せな毎日ですが、それは素敵なお客様にお会いできるからです。 昔の私から思えば嘘みたいな毎日だから、今を幸せと言わずに何時を幸せと言うのかと思えるくらいのラッキーな日々だと感じています。

    あなたと言う素晴らしい女性との出会いがあるからこそ明日が見えてくるので、私は素敵なお客様に対して感謝の気持ちが絶えないのです。 素敵なあなたがいなければ、私は今頃どうなっていたかを想像すると、それは刑務所か棺桶しかありえません。

    そんな悲惨な人生から助けてくださったのは今までお越し頂いた全てのお客様であり、素敵なお客様がお越し頂けるからこそ、私は霊視カウンセラーとしてやっていけるのです。 私は素敵なお客様に対して返しても返しきれないほどの御恩を頂いているので、これからも努力と精進を持って真摯に歩んでいかなければならないのです。

    私は県北で生まれ育ったからこそ環境の大切さが分かるのですが、良い環境にいれば良くなるし、悪い環境にいれば悪くなるのは自然の流れです。 私からすれば普通の出来事なのに周りから見れば変と言うこともありますが、それは慣れていると変なことでも当たり前になるのです。

    県北の工場での実話ですが、夜勤明けにラインの全員で県南の車屋さんへ行くことになり、その帰り道で、「マックに寄ろう」となりました。 今もあると思うのですが倉敷市の笹沖にあるマックのドライブスルーへよりました。 (夜勤明けに寝させないように、私も強制的に連れて行かれました。)

    私は後部座席に乗っていたのですが、先輩がマイクに向かって注文して前に進めた時のことです。 当然ですがマイクの先へ進むと窓口があって、そこへマックの人がいて応対をしてくれます。

    当たり前のことですがマニュアル通りに注文を繰り返して確認後、「少々、お待ち頂けますか?」と言われた瞬間、工場の先輩は「嫌じゃ」とゴネ始めたのです。 マックの人は「えっ?」と驚いたのですが、私も先輩がそんなアホなこと言うとは思わなかったので、恥ずかしくて車から姿を消してしまいたい気持ちでした。

    「わしゃ~、客じゃ。 なんで待たんといけんのんなら。 はようせぇ!」とゴネ始めて、マックの女性店員さんを泣かせてしまいました。 すぐに男性店員さんが飛んできて、先輩をなだめるように応対したのですが、工場のみんなはマックの店員さんに「おらっ、何しょんじゃ、ボケ!」など暴言を吐いてゴネまくりました。

    品物が出てくるまでの間、私は早くマックから立ち去りたい気持ちで一杯でした。 笹沖のマックの方々には大変申し訳ないと思うのですが、あの時にゴネまくって暴言を吐いて今にも暴れそうだったのは県北の工場の人達です。 (私は2度と笹沖のマックには、いけません。)

    そして建設現場時代に経験した実話ですが、ある現場で本格的なカレー屋さんがありました。 「よし、今日はここにするぞ!」と上司が言って、2人でお店に入りました。 その時の上司は社長の息子さんで、私は社長の息子さんとコンビを組むことが多かったのです。 (ここからは社長の息子さんを、仮にHさんと表記します。)

    お店に入るとインドの方がいて、私とHさんは奥のテーブルに座ってHさんが「チキンカレーを2つ」と言いました。

    すると、お店の人が「なんにしますか?」と聞いてきたので、Hさんは再び「チキンカレー2つ」と言いました。 お店の人は苦笑いして「なんにしますか?」とまたまた聞いてきたのですが、Hさんは「チキンカレー2つじゃ! さっきから言うとるじゃろぅが! 何回聞くんじゃあ!」とブチ切れて机を蹴り上げました。

    Hさんは「傷害事件=男の勲章」と考えるから、今度こそ間違いなく刑務所行きです。 私は慌てて止めに入ったのですが、Hさんは会話の中身が全く理解できていなかったのです。

    お店の人は「なんにしますか?」ではなく「ナンにしますか?」と聞いていたのですが、「ナン」とはイーストを使わずに野生酵母菌を自然発酵させた生地をへら型にのばして、タンドゥールと呼ばれる窯の内壁に貼り付けて焼いたパンみたいなものがナンです。

    インド料理店などでカレーを食べる際に提供されることが多いのですが、Hさんは「ナン」を知らなかったので「なんにしますか?」と、同じ質問をされているように感じたのです。

    あの時はHさんに代わり私がお店の人に謝罪して警察を呼ばれずに済んだのですが、知らないと言うのは怖いことでもあるし恥ずかしいことでもあります。

    あなたは知らない怖さを、どう思いますか?

    ヾ(゚0゚*)ノアレアレー?

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    難しい方を。

    おはようございます。 いつも素敵なあなたには、今日と言う日も輝いていると信じています。 この信じるという気持ちが好きな人への想いを充実させたり、奮い立たせたりするものです。

    そうやってときめいたり~心がしくしく痛んだりを繰り返しながら恋は成就するのですが、その恋を手に入れるには自分磨きが大切です。 恋は自分と誰かが必要で、ひとりではできないのが恋です。

    その恋が素晴らしいとか素敵に感じるのは、お金では手に入らないものだから尊く感じるのです。 しかし、恋は相手が必要ですが、物欲に関してはお金にモノを言わせて手に入れることも可能だから、それが成金や金の亡者などと揶揄されるゆえんです。

    残念ながら現代では欲しいものが一杯あるのですが、それは人により家だったり~お金だったり~車だったり、色々なモノが欲しくなるのは人である以上は仕方がありません。 人には三大欲があると言われるように、人は何かを手に入れたいなどの欲求が衰えることはありません。

    ただし、欲しいものがあると言っても全てが手に入るわけではないし、それが何かを失ってから手に入れるのであれば、手に入れたことで不幸になることもあります。

    子供が欲しい人が子供を手に入れることで奥様を失ったら、それは逆に不幸を感じてしまうと思います。 子供が欲しいと言うのはあくまでも母子共に健康であると言うのが理想であり、どちらかに異常があればすぐに心の違和感が叫び声を上げてしまいます。

    良い暮らしがしたいからと御主人が無理して働いて、その働きによりお金は手に入ったけれど、無理が祟って御主人の身体に異変が起きて亡くなってしまったのでは、お金は手に入るけれど心に穴が開くかもしれません。

    こういう風に人は手に入れたいという欲求にブレーキが掛かるのは、大切な何かを失って始めて目が覚めるのですが、その時には手遅れとか取り返しが付かないこともよくあります。

    毎度毎度で聞き飽きた方もいるかもしれませんが、団塊の世代は欲の塊だから例に出しやすいので今回も団塊の世代への提言ですが、私は年配の方を霊視していると底なしの欲望には呆れてしまうことがあります。

    時々どころかよくある御相談ですが、「ウチの嫁に孫が出来たら何もいらない」と言っている人は大嘘が視えてくるから、そこから何も話が出来なくなることもシバシバあります。 何故なら孫が出来れば何もいらないとか、孫さえ出来れば文句はないと言っている人に限って、その孫が出来たら次は「良い大学から良い職場」へとドンドン話が広がります。

    まぁ、それで終わればまだマシな方ですが、女の子ができたら「次は男の子が欲しい」とか「一人じゃかわいそうだから二人目を」なんて感じで、次から次へと欲望の連鎖が果てしなく続きます。

    人は欲しいものがあれば手に入れたいと思いますが、実は簡単に手に入るということは簡単に無くなる(失う)という意味でもあります。

    これは恋でも同じことですが、出会いが無いからと言ってネットの出会い系サイトで出会うのは、簡単な方を選んでいることになります。 簡単に出会えるとか~手軽に出会えるとか安易な方法では、その先にあるのは手軽に別れるコンビニタイプの恋に見せかけた遊びでしかないのです。

    同じ恋をするのであれば理想と言われるかもしれませんが、何かに打ち込んでいる時に支えあうとか~夢に向かって進んでいるのを応援するなど、恋じゃないけれど恋に感じてくる出会いは素敵な未来を開いてくれることが多いです。

    恋だけではありませんが手に入れる困難度が高ければ高いほど、手に入れた時の喜びはひとしおです。 欲しいとなったらすぐに手に入るのでは、面白みもありがたみもないからすぐに飽きてしまいます。

    安易に手に入れるということは、すぐに手放しても惜しくないことにも繋がるから、安易なことは中身がないからこそ安易だということに気が付いて頂きたいのです。

    親にお金を出してもらって金額の高い婚約指輪をプレゼントされるのと、そんなに高くはないけれど一生懸命に働いて貯めたお金でプレゼントされる婚約指輪、どちらを選ぶかの答えが運命や恋の神様によってあなたの人間性が試されているのです。

    あなたは難しい方を、あえて選ぶことが出来ますか?

    (o^∇^o)ノ カッコイィ~!

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    監視カメラ。

    おはようございます。 出張するようになってからホテルへ泊まることが増えたのですが、昔は飯場と言って建設現場の横に建てたプレハブで寝泊りしていたから今は天国です。 飯場は大勢の人と共同生活だから、プライバシーなんかないし喧嘩も日常茶飯事でした。

    ホテルだと個人の部屋だからプライバシーは守られるし、不審者の侵入などもなく安全性も高いので一安心です。 その安全性を確保する為にホテルなどへあるのが監視カメラで、これは様々な目的で監視を行うビデオカメラのことを言います。

    主要な場所(空港、駅、銀行、ホテルなど)、には防犯を主な目的として、天井などに仕掛けられているものがあり、最近は施設内だけでなく市街や盛り場の道路などに監視カメラが取り付けられ、それによる犯罪防止や検挙率UPなどに貢献しています。

    なお、この監視カメラはタイプ別に警備会社の警備システムと連動しているものとか、ホテルやパチンコ店などのように控え室にて映像を見ている場合、さらには予算の関係でカメラだけのダミーなど色々なタイプがあります。

    気付かない人は言われるまで気付かないのですが、成田空港と関西空港には顔認識システム付きの監視カメラが設置されているし、N700系新幹線の乗降口にも監視カメラがあるので全乗客の映像が記録されています。 (新幹線の乗降の時に、カメラがあることに気付いた人は凄いです。)

    防犯用以外にも監視カメラはあるのですが、工場の製造ライン監視や原子力発電所や火力発電所などの人が立ち入れない場所の異常監視に加えて、ダム~河川~火山などの状況の監視や記録に使用されています。 なお、広域をインターネットなどでリアルタイムに映しているのはライブカメラと呼ばれています。

    日本の各都道府県警は繁華街等の防犯対策の一環として、繁華街や街頭周辺などに監視カメラを設置していますが、実は鉄道会社にもテロ対策や各駅の状況の確認を目的に相当な数の監視カメラが設置されています。

    この設置場所にも色々あるのですが、防犯用に設置される監視カメラの場合は「監視している」ことによる抑止効果を求めるケースと、「犯罪が起きた時の証拠確保」を目的とする場合に分かれます。

    また、監視カメラの画像の保存についてですが、以前は磁気テープに保存されていたのですが今は技術の進歩によりHDやFMに保存されるようになりました。 もしも容量が足りなくなったら古い記録から削除して行く方式が一般的なので、記憶装置の容量は必要な保存期間を考慮して設置しているようです。

    なお、世界最大の監視カメラ大国はイギリスですが、イギリス全土に設置されている監視カメラの数が420万です。 この数字は比較しないと凄さがわからないのですが、西ヨーロッパ諸国は650万、アジア諸国は300万、オーストラリア+アフリカ+中東の合計数は200万、これで比較すると420万と言うのは突出しています。

    私は東京出張の時に空港やホテルや電車などの移動だけではなく、ホテルやデパートなどの監視カメラを見抜けないようでは霊視カウンセラー失格だと思っています。

    エレベーターを例に取るとエレベーターの押しボタンがある側の頭上近辺の天井、エレベーター前の天井や扉の上部にピンホールカメラや擬態カメラがあります。 空港でも保安検査場で顔を確認されているし、動く歩道の上部やトイレや荷物の受け取り場所などにもあります。

    監視カメラは人を守る為に設置されるのですが、これを悪用する人が出てくるので最後には良心で是非が決まってきます。 岡山県北のホテルで実際にあった事件ですが、ホテルに泊まるには当然のことながら宿泊カードを書きます。 このカードには個人情報が詰まっているのですが、これと監視カメラを悪用したホテル従業員がいました。

    その従業員は年齢が離れたカップルが泊まりに来ると、宿泊カードや二人の態度から「不倫かどうか?」の見当をつけていました。

    そして不倫だと思えるカップルを見つけたら二人で部屋へ入るところや大浴場へ行くところの監視カメラの画像をプリントアウトして、その画像を証拠として宿泊カードの住所へ「不倫をバラされたくなかったら金を払え!」と手紙を送り付けました。

    やはり後ろめたいからなのか、30万~80万円を支払った人が80人ほどいました。 約4000万円ほど荒稼ぎをしたのですが、悪事は続かずホテルの従業員は逮捕されました。 (注:この岡山県北の某ホテルは、現在では潰れてありません。)

    私はビル建築など大型建造物が中心だったので、どこにカメラが仕掛けてあるか手に取るように分かるので、うかつにホテルへ泊まるとあらゆる画像が撮られています。 特に○○ホテルなんかカメラだらけなので、よく利用できるなぁと感心します。 (苦笑)

    いくつか種明かしをしてみたいと思いますが、角部屋はカメラを仕掛けやすいし~リネン室やボイラー室の隣室も危険です。 ホテルはマジックミラーにしてある部屋も多いですし、世間の人が思うよりもホテルは危険な部屋が多いです。 (とくにベッド脇と浴室には、隠しカメラが多いです。)

    なお、マジックミラーの見抜き方ですが、ライターの火を近づける~つまようじの先を押し付ける~手で空間を作り覗き込むなど色々ありますが、素人では見抜くのは難しいと思います。

    あなたは監視カメラに、どこまで気が付いていますか?

    「(゚~゚o)ウゥーン

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    アウトレット。

    おはようございます。 いつも素敵なあなたには幸運の女神が付いているはずで、あなたの未来が明るいようにと足元を照らしてくれているはずです。 ただし、その暗示に気付かないままでいると、足元に気を取られて頭をぶつけてしまうことがあります。

    今はネット販売など販売業は転換期から混迷期なので、これからのデパートやスーパーにおける戦略の見直しが求められます。 県内で言うと天満屋やイオンモール倉敷には、かなり厳しい現実が2011年の冬頃から起こり始めます。

    その危険信号に早く気付いて何とかするのが企画力(腕の見せ所)なので、上層部はどのような手を打つのかと思っています。

    まず手始めに倉敷駅北口へ2011年冬頃に開業予定の三井アウトレットパーク、これは倉敷市と岡山市に現存するデパートやスーパーにとってかなりの強敵です。 高品質ブランドが半額なんてことをしているので、全国各地で三井ブランドが猛威を奮って潰れた小売業がごまんとあります。

    この三井アウトレットパーク(略称MOP)は、三井不動産が運営するアウトレットモールの総称で、2007年1月現在の実績としてチェルシージャパンに次いで業界第2位の売上高になっています。

    MOPはブランドクオリティを大切にしているので、アウトレット専用品を取り扱うことを禁止しています。 それに加えて施設はテーマパークのようにして、イベント~ライブなどが頻繁に出来る作りです。 大規模な駐車場を併設しながらも駅から徒歩圏と言う施設も多く、チェルシージャパンが行うプレミアムアウトレットの戦略とは少し異なります。

    当初は施設ごとに異なる名称を付けていたのですがブランド力を高める為に、2008年4月1日から「三井アウトレットパーク幕張」など、「三井アウトレットパーク+地域名称」に変更&統一されました。

    このアウトレットが様変わりしてきたのですが、それと言うのも大手不動産会社の三井不動産と三菱地所が顧客獲得で激しい火花を散らしているからです。 実は全国にあるアウトレット施設の約半分が両社の物で、人気のアウトレットをめぐる両社の競争はどちらも引けないのでヒートアップしています。

    国内には30以上のアウトレットがあり、その市場規模は5000億円超です。 5年後には8000億円規模にまで拡大する見方もあるので、三井不動産と三菱地所は火花を散らしながら市場の牽引役となっています。

    そして両社のアウトレット戦略の特徴ですが新規開拓に積極的なのは三井不動産で、三菱地所は原則的に大都市圏から車で90分程度の場所に設置して、正規店から離れることで顧客の奪い合いを避ける作戦です。 三井不動産と三菱地所がアウトレットで他社の追随を許さないのは、今までに都市再開発やオフィスビル&リゾート開発など、大型商業施設の開発と運営に長けているからです。

    さらに業態の多様化や淘汰の波が押し寄せているのですが、正規店と顧客の奪い合いを避ける為にアウトレットモールは郊外に出店する、そんな暗黙の了解を打ち破ったのが森ビルです。 2009年12月にお台場のヴィーナスフォート1&2階部分に正規店、3階部分にアウトレットを設置する都市型アウトレットで参入してきました。

    普通なら競合することを許さない正規店も最近の不況により背に腹は代えられないので、都心部のアウトレットでブランドが広く認知されれば正規店の集客にもつながる相乗効果を期待して渋々始めたのが真相です。

    そして止めておけばいいのに漁夫の利を狙ってと言うか2匹目のどじょうを狙ってと言うか、イオンもアウトレット市場に参入を検討しているので今後は小売がアウトレットと言う矛盾が始まります。 今はアウトレットが持て囃されているけれど市場が頭打ちになることは確実で、いずれ飽和状態になるから大手不動産会社が運営するアウトレット以外は淘汰されます。

    デパートやスーパーは早く対策を立てないと、洋服やバッグや靴などは壊滅的なダメージを受けることになります。 倉敷駅北口にできる三井アウトレットパークに戦々恐々としているようでは情けないので、社長や役員と呼ばれる人は「受けて立つ!」と気概のあるところを見せて欲しいと思います。

    そうしないとアウトレット施設は倉敷駅北口にだけできるわけではなく意外と近くにもう一つアウトレット施設ができるので、ダブルパンチでKOなんてことにならないようにして社員の方々の雇用を維持して頂きたいと思います。 売り上げダウンだからリストラでは、社長&役員として無策すぎるし~人として情が無さ過ぎます。

    絶対にあり得ない話ですがもしも万が一、天満屋やイオンからアウトレット施設に対抗する方法を聞かれたら対抗策はあります。 私は東京出張で大手に対抗出来る色々な方法や提案をしているので、県内へ大手が来たところでアウトレット対策も既にあります。 まぁ、安本丹の私では効果があるかどうかは不明ですが…。 (笑)

    あなたはアウトレットへ、行ってみたいと思いますか?

    ヨロシク(^○^)/

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    生きている時間。

    おはようございます。 相変わらず暑い日が続きますが、体調に気を付けて今日と言う素晴らしい日を明日へつなげていけば、きっと明るい未来があなたを待っているはずだと信じています。

    毎日毎日生きていると言うのは「あの時、あぁしていれば…。」とか「もしも、あの時!」など、毎日やり残したことに対して後悔しない生き方、それが明日へ向かう勇気や元気の源だと思うのです。

    何もなく生きていると失敗も無い代わりに成功も無いから平平凡凡と生きていると言うだけで、何かをやり遂げたと言うことが無いのが心に虚無感と言うか、ぽっかりと穴が開いたようになることを意味します。

    時間と言うのは掛け替えのないものであり、感じる五感を研ぎ澄ませば風や香りなど自然だけではなく人が行きかう中にも、変わらない日常を変化させようと頑張っている人が大勢いるのです。

    私は自分の未来が心配で心配でしょうがない時もあれば、何とも思わなくて平気平気と楽観的な時もあり、人間である以上は気分の浮き沈みもあります。

    しかし、心配で心配でしょうがない時と言うのは理由がはっきりとしていて、充実感や達成感が無い時に心配が顔を覗かせるのです。 不安を残したまま前に進もうとしている時や、完全にやりきっていないのにごまかして進もうとしている時、そんな時には心に嘘を吐いているから満足感があるはずがないのです。

    夕暮れの時には物悲しさを感じることが多いのですが、それは夕暮れイコール終わりを感じさせるからで、「明日はどうなるんだろう?」と言う気持ちが物悲しさを誘発してしまうのです。 ありふれた日々が悪いわけではなく、五体満足で健康でいることは奇跡の塊で大いなるチャンスです。

    実はこれこそが物悲しさや不安を誘発してしまうのが人の不思議なところですが、「何かができそうなのに、何もしないでいる。」と言うのは、使うべき能力を使わないでいることに対する心の不完全燃焼が、体の中を駆け巡るから起こってしまうのです。

    「やりたくてもできない」と言うのであれば、人は自分の不遇な部分を理解しているから希望を見失わず、あの手この手で何とかしようと頑張れます。 ところが「出来るはずなのにやらない」と言うのは、心が嘘を吐いているからこそずきずき痛んでくることになるのです。 

    夢を語ると言うのは楽しいことですが、やれない時には平気でもやらない時には心が辛くなります。 とくに語り合う相手が着実にステップアップしている時には、怠けている自分のことを認められずに言い訳を探し始めると、もう夢が叶うことは無くなってしまうのです。

    過去に戻ることは絶対にできないけれど、生きている以上は思い出と言うのは必要不可欠です。

    人生が0歳から始まって100歳で亡くなるとすれば、100歳と言うゴールに向かって走る続けるのが人生です。 その人生の中で自分の心に張りが出るのは思い出があるからで、今の自分を励ましてくれるのは過去の自分でしかあり得ないのです。

    あの時には苦しかったけれど乗り越えた、あの時はズルイことをせずに堂々としていた、こうやって正直な生き方や努力した生き方が思い出として残れば残るほど心が強くなり、運命の暗示に対して敏感に反応することができるようになるのです。

    人は自分の行動を全て記憶できるわけではないけれど、必要なことや大切なことは忘れているのではなく記憶の隙間にしまい込んでいるだけです。 それが何かの拍子にふと顔を覗けてくるから、「あの時は…?」と自分の今に対しての答えをくれたりもするのです。

    人生は長いようでとても短いのですが、人が生きている間に成し遂げることは少ないです。

    今日も一日が終わったなぁと思うのはいいけれど、毎日毎日何もせずに一日が終わったなぁと思っていると、あっという間に「私の人生はなにも良いことが無かった…。」と言うような、ドラマみたいなセリフを吐くことになってしまうのです。

    今日が終わると言う気持ちではなく人生が終わると言う気持ちでいると、時間と言うのは掛け替えのない大切なもので、何かを成し遂げないと自分が生きて居た証が無いことに凹んでしまう時が来ます。

    私は素敵なお客様に恵まれているから幸せだと言うのは紛れもない心の底からの本心ですが、それは素敵なお客様が笑顔になってお帰りになることで~心に響く霊視カウンセリングができることで、少しでも生きていたことが嘘ではないと自分自身の励みにもなるのです。

    お越し頂く素敵なお客様と関わる時間と言うのは掛け替えのない大切な時間であり、それは私の人生において感動となる素晴らしい時間です。 私にとって8月だから~夏だから暑いのではなく、素敵なお客様より感動と言う熱い気持ちを毎日頂いているので、これは何物にも代えがたい奇跡の毎日だと感謝しています。

    お越し頂く素敵なお客様の数だけ、私は感動の記憶を積み重ねることになるので、本当にありがとうございます。

    あなたは生きている時間を、大切にしていますか?

    ♪(⌒▽⌒) ノ☆ ありがとう~!

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    一期一会。

    おはようございます。 天気が良いとウキウキしてくるのですが、それはあなたが素敵に輝いているからこそで、その笑顔がもたらす幸せオーラは周りの人を癒して行きます。 ありきたりの日常だとしても、それは変わらぬ日々の中にある幸せをキチンと過ごしていける証拠です。

    変わらぬ日常に見えて本当は劇的に変わること、それに最適な「一期一会」と言う言葉がありますが、人は毎日が変わらないと言いつつ自らチャンスを逃しすぎです。

    少し解説すると一期一会の「一期」とは一生と言う意味で、「一会」とは一度の出会いと言う意味になります。 どんな状況や場所であろうとも人と人との出会いは一度限りの大切なもの、そういう意味合いで使われることが多い言葉が「一期一会」です。

    この一期一会と言う言葉は元々は茶の湯の教えを説いた言葉で、これから先に幾度かの茶会を開く機会があるとしても、この茶会と全く同じ茶会は二度と開くことが出来ない。

    だから茶会は常に人生で一度きりのものと心得て、相手に対して精一杯の誠意を尽くさなければならないと言うような意味で用いられた言葉だそうです。

    この一期一会を逃していることが、未来におけるチャンスを逃していることになります。

    人は人と出会うことで変わると言うのを「会うだけでは無駄だ」と思っている人がいますが、人が人と出会うことで得る経験値と言うのは出会うだけでも得ることができます。

    簡単に言うと話しかけるだけでいいのですが、それは相手が反応してくれなくても無視されてもOKで、ようは相手に話しかけると言う行為が会うことにプラスされるだけで、自分の経験値として体内に取り込めるのです。

    それは大袈裟に構えなくてもいいのですが、コンビニでお釣りを受け取る時に「ありがとう」と勇気を出して言ってみたり、レストランでお店の人に「ありがとう」と言うだけでも、対人関係における経験値として自分の中に蓄積されていくのです。

    ただし、一つだけ注意しなければならないのが、経験すると言っても「良い経験値」ではないと蓄積される経験値のレベルが違ってきて、います。

    言葉使いが悪い人ばかりを相手に経験値を取り込んだとしても、それは悪い経験値の方ばかりが蓄積されるので、いくら相手に話しかけるだけでOKと言ってもモノには限度と言うものがあります。

    私自身が良い例ですが、県北時代の私と今の私では全然違うと思いますし、霊視カウンセラーになった初期の頃よりも今の方がマトモな感じがするはずです。

    霊視カウンセラーとして活動を始めた初期の頃から私を見ている人ならば一目瞭然かもしれませんが、話し方や態度や目つきなどは全然違うと思います。 初期の頃は建設現場の雰囲気や言葉使いの悪さなども残っていたと思うし、カウンセリング能力も全然と言っていいくらい伝え方がまずかったと思います。

    それでも見捨てずに支えてくださったからこそ今があるのですが、その時からの御恩に報いる為にも自堕落的な生き方なんてできるはずがないのです。

    野生動物や捨てられたネコちゃんだって最初は刺々しく人を寄せ付けないけれど、温かい気持ちに包まれていると自然に温和になってくるのと同じく環境と言うのは大切です。 県北の地元における生活状況や工場時代や建設現場時代に出会った人々では、悪い方の経験知ばかりが上昇して、経験したのは良いけれど経験した内容が負の遺産となるのは悲しい話です。

    一期一会はチャンスを逃さないと言う意味でも、目の前に起きた出来事や出会いは全てものにするくらいの気持ちでなければ、今度こそと言うのは後の祭りでつながらないのです。

    人と人が出会うと言うのは日常的に起こることですが、その出会いを積み重ねていくからこそ素敵な出会いが連続することになるのです。 今と言う目の前の出会いを大切にしない人には、それ以上のチャンスとなる出会いは巡ってこないのです。

    私はこれまでも~これからも全ての出会う人とは何かの縁があると思っているので、出会う以上はそこから始まる何かを次へつなげていきたいと思うのです。

    縁があると言うのはレベルが同じでないと出会えないと言う原則があるので、違うレベルの人と出会いたければ自分もレベルを上げるしかありません。 良い人と出会いたければ自分が良い人でいる、スゴイ人と出会いたければ自分がスゴイ人になる、これは単純すぎるかもしれませんが言いえて妙なことでもあります。

    また、私は一期一会を大切にしたいと思っているので、初期の頃よりお越し頂いた全ての素敵なお客様の御恩を忘れることは絶対にありません。 「東京へ事務所を出したら倉敷からいなくなるんですか?」と最近はよく聞かれるのですが、来年東京へ事務所を構えても倉敷事務所は今のままです。

    東京で鑑定する日数が増えると事務所を構えた方が便利なので東京へ事務所を構えるけれど、倉敷事務所は今まで通り続けて行きます。 倉敷で霊視カウンセラーとなって多くの方々に支えて頂いた思い出は地球より重く、その感謝の気持ちを忘れることなく未熟で拙い私ではありますが今後ともよろしくお願い申し上げます。

    あなたは一期一会を、大切にしていますか?

    ヾ(@^▽^@)ノあは!

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    住む場所。

    おはようございます。 このブログを最初から読んでいる人ならば私の経歴は御存知だと思いますが、霊視カウンセラーになる前は県北で生まれ育ち県北の建設現場や工場で働いて、途中から県南へ出てきたのですが霊視カウンセラーになるまでは少しタイムラグがあります。

    あの当時、県南へ出てきてからもフリーター&ニートのような期間があり、生活費を稼ぐ為にフリマでうどんやクッキーを売ったり、同じくフリマで骨董品や雑貨を売ったりなど余りマトモじゃない生活をしていました。

    そして日銭を稼ぐ為にアルバイトとして目の見えない人のお世話をして、そこから自分の生き方を反省させられるような出来事が次々とあり今に至るのです。

    私が今住んでいるのは4畳半にユニットバスの超狭いアパートで、あの当時のバカタレな私に丁度良い安アパートです。 ただし家賃が安いと言うことは集まっている人も普通では考えられない人も多く、それに耐えられずに普通の人は約1~2年で引っ越していきます。

    3階建てなのですが大まかな区分けができていて、3階は独身の人や大学生で~2階は同棲カップルや独身の古くからいる人で、最後に1階は外国人や刑務所を出た人です。

    私が住んでいるのは2階で、私の部屋を中心として2010年8月現在の位置関係を書いて見ると、まず私の上の部屋は大学生でゲーム好きです。 毎日ゲームの音が深夜まで響き渡り、大勢の男子大学生が部屋にたむろして騒ぎまくっています。

    そして私の下の部屋はブラジルの方で男性2名と女性1名の3人が寝泊りしていて、どこかの会社の寮みたいな状態で出稼ぎに来ているようです。

    この方たちは昼間の仕事だから夜は早く寝て静かですが、毎朝5時になるとサンバのリズムが鳴り響きます。 何故か朝5時になると3人で、雄叫びを挙げながらダンスを始めるので自動的に目が覚めます。

    そして私の隣の部屋は同棲している方ですが、女性の方はある販売店の事務で働いていて、男性の方は岡山県内では有名な某デパートに勤務しています。

    引っ越しの挨拶に来られた時に、「あの~、隣に引っ越してきた者ですけど、これ賞味期限が切れてるけど、食べれたら食べてください~。」と、賞味期限切れのお菓子を持って挨拶に来られたのには驚きました。 (苦笑)

    隣の女性は最初こそ一人暮らしでしたが、すぐに彼氏と同棲を始めました。 その彼氏は車を持っているのですが、その車をどこに停めているのかと言えば、私の部屋の駐車場に無断で停めています。

    私が入居した時期の契約は駐車場込みの部屋代ですが、その時は大家さんも駐車場を遊ばせたくなかったようで、車を持っていないのに駐車場契約がありました。 駐車場が使われていないことを知った近所の人たちが無断で車を停め始めたのですが、私も使わないし害はないと思って見過ごしていました。

    ところが隣の部屋の彼氏も車を無断で停め始めたので、「近所の人たちVS隣の部屋の彼氏」と言う「無断駐車戦争」が始まりました。 お互いがお互いを停めさせないように工事用のコーンを置いたり、相手が道へ出られないように車の前に車を停めたりお互い嫌がらせを始めました。

    この駐車場は私の部屋の駐車場だから部屋代に料金が組み込まれているので、自動的に駐車場の料金も私が払うことになります。 お互い無断駐車なのに厚かましいなぁと思っていたのですが、私には関係ないことだし注意して部屋に火を点けられたり襲われてもアホらしいので無視していました。

    しかし、6月上旬の夜8時過ぎに予約を受け付けていると、「ピンポン! ピンポン!」とチャイムが鳴ってドアがドンドンと激しくノックされるので出てみると、「近所の人たちと隣の部屋の彼氏」がいました。 私は大勢の人たちが何事かと思ったのですが…?

    「ちょっと、あんた! 私らが前からあんたの駐車場に停めてるのに、この人が勝手に停めるから言うてやれ! ここは私らが停める場所じゃ!」と近所の人たちが口々に言いました。

    すると隣の部屋の彼氏も負けずに「うるせぇ! 俺はここに住んでるけどおまえらは関係なかろうが! ここに住んでる俺が停めるのが当たり前じゃ! ここは俺が停めるんじゃ!」と興奮しながら言いました。

    まぁ、住んでいる場所が場所だから色々な人がいるのは仕方がないけれど、「どちらも無断駐車&違法駐車」なんだから厚かましい話です。  どちらも無断で私の部屋の駐車場へ停めているのに、よくもまぁ勝手なことを言えるもんだと感心します。 私は予約を取らないといけないから、大家さんを呼んで事情を説明して後はお任せしました。

    この件についてはN市のIさんも寄付の神様も「早く引っ越したらどうですか?」と言われるのですが、4畳半の部屋でも贅沢な気がするし~寄付を減らすわけにはいかないので、引っ越し費用を貯めるには更なる節約生活が必要です。

    あなたは住む場所について、どう思いますか?

    ( ̄ω ̄;)ウゥ~ン…?

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