徒然草(占い・岡山・東京・霊視)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    見えないもの。

    おはようございます。 毎日~毎日生きていると飽きがくる瞬間、これは秋に引っかけているわけではありませんがモチベーションの低下が人である以上は来ます。 そんな時にこそ素敵なお客様は前向きにと言いたいところですが、ナンデモカンデモ人は前向きにとかポジティブになれるわけでもありません。

    人が生きているのは簡単に言ってしまえば死に向かってとなりますが、それだけで終わってしまえば身も蓋もありません。 同じ生きて行くのであれば「見る力を養う」ことで、更に面白いことに気付けるはずです。

    目の目で見ていることやモノは全く同じなのに思いつくことや仕上がりは全然違う、そんな経験が誰しもあるけれどアイディアと言うのはひとつの技術や才能です。 ただし、ここで言う才能とはアイディアを思い付くことではなく、「何故?」を見つけることが出来ることだから、それは意識の持って行き方で誰にでも可能なことです。

    私は仕事の御相談も受けるけれど商売の御相談も受けるので、商売を繁盛させる為にはどうすればいいか、それを日常的に考えているとふっと思い浮かぶ瞬間が有ります。

    最近の中で自分でもヒットだったと思うアイディア、それは某フードコートの奥にあるタイ焼き屋さんからの御相談で、私が4月に新参者の話からタイ焼きの話を書いていたので、その後にすぐ現状打破したいと言うことでお越しになりました。

    集合テナントのメリットと言うのは自分に集客力が無くても、核テナントが有ればお客様を寄せて貰えるからお零れにありつける、それはセコイようですが大きなメリットです。 それにイベントなどを自分がしなくても周りがしてくれる、そうなればとりあえず人が来ると言うのはクリアできます。

    そしてデメリットの方ですが、出店する位置によっては人から見えにくいとか、似たような多業種にお客様を取られるなどがあり、それに一番当てはまるのがフードコートです。

    食べると言うのは限界があり、アイスクリーム店が2店あればどちらか1店を選ぶことになるし、そうでなくても自分のところを選んでもらわないと食べる量は決まっています。 そうなるとカレー屋さんとラーメン屋さんが同時にお客様を取りあうように、フードコートにあるお店は仲間ではなく敵になってしまいます。

    東京出張の時にお越しになったお客様はテナントとして某店へ入っているのですが、フードコートの一番端で目立たない上に店の前に柱が有るので、通路側から見えにくいと言う不利が有るので売り上げが上がらないことに悩んでいました。

    このような集合テナントでは自分だけがチラシや呼び込みをすることはできないので、ひたすらお客様が来てくれるのを待つしかありません。 このお店のタイ焼きはチェーン店だから不味いわけでもなくそこそこで、フードコートのお店としては合格点です。

    このお店は御主人が脱サラして始めた家族全員の夢であり、このまま消えてゆくわけにはいかないのです。

    そこで私が考えたのはまず御主人が頭をスキンヘッドにして気合いを入れること、それが出来たら次は新メニューです。 新メニューと言ってもチェーン店は本部の命令が有るから余り好き勝手なことはできないけれど、地区マネージャーに「生活かかっとんや、どないするねん!」と御主人にスキンヘッドで言わせました。 (苦笑)

    そして了承させてから実行したのは「お店を知ってもらうこと」で、その為には姿が見えなくても通路からお店が有ることが分かるようにすることで、私は「じゃんけん」と言う新メニューを提案しました。

    このお店ではタイ焼きを1個120円で売っているのですが、この新メニュー「じゃんけんは150円」にしました。

    お店は通路の奥にあるから姿は見えないけれど「音や声がするのは聞こえる」から、通路を歩いている人に声や音でアピールすればお店を知ってもらえることになります。 ところがテナントは呼び込みができないから、大声を出してアピールすることはできません。

    私が考えた新メニュー「じゃんけん」と言うのは、お店の御主人とお客様がじゃんけんして、そのお客様が「買ったら2個で、負けとアイコは1個」としたのです。 こうすることでその場が盛り上がるし、自然と歓声が上がるので「何をしているんだろう?」と興味を引くことが出来ます。

    お店の人が大きな声を出せば「騒音」ですが、お客様が上げる声は「歓声」になります。 それに「じゃんけん」は少し値段を上げているので負けたところで損はないし、勝った人は気分が良いから次に来た時にまた寄ってくれます。

    ただし、これは応急処置なのでタイ焼きの味を追求したり、接客サービスと言うお店の本質は大切だと釘を刺しておきました。

    物事と言うのはお金をかけなくてもアイディア次第で何とでもなるので、出来ないとかやれないと言う前に「死んだ気になる」と言う必死さが求められるのです。 企業の人事部~広告代理店&スーパーの企画部などは、予算を使って無駄使いしているとしか思えないようなことばかりですが、それは自分の懐が痛まないから適当&無責任にやれるのです。

    私はサッカーに例えるなら「ボールがあった場所を視るのではなく、ボールが来る場所を視る」と、そういう責任感や想いを心に秘めて霊視カウンセリングをしています。

    あなたは他の人に見えないものが、ちゃんと見えていますか?

    ファイトーー!( ゚ロ゚)乂(゚ロ゚ )イッパーーツ!!



    お知らせ:出張の為、ブログの更新は9月1日(水)から再開します。 出張中でも予約の受付はしておりますので、遠慮なくお気軽にお申し付けくださいね。 いつもご予約いただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    判断ミス。

    おはようございます。 毎日元気よく生きていたいと思いますが、時には落ち込んだり凹んだりすることもあります。 どうしてこうなったのかとクヨクヨすることもあれば、今度は失敗しないようにと反省したりなど気持ちは色々と変化します。

    人は判断ミスをするものですが、私もよく判断ミスをしてしまいます。 人が判断ミスをするのは考えすぎることがほとんどですが、考えすぎて判断ミスにつながることをしてしまうのです。

    良くしようと考えてするはずなのに裏目に出てしまい泣くことになる、こういうことは人生では不思議なくらいあるのですが、目の前のことに執着しすぎて周りが見えないからなのかもしれません。

    人は誰かに迷惑をかけずに生きて行くと言うのが理想ですが、人は誰にも迷惑をかけずに生きて行くと言うことはあり得ません。 人生とは誰かに迷惑をかけながら生きて行くだけで、迷惑を掛けた分だけ自分の行いに対する罪滅ぼしは必要です。

    もっともらしい行為を偽善と言いますが、やらない善よりもやる偽善の方が助かる人は大勢います。

    芸能人や有名人が寄付をすると売名行為だと叩かれますが、売名行為でも寄付をされた側としては、水や食料やワクチンなどが貧困に喘いでいる人々を救うことになるから、売名行為を非難して寄付を一円もしない人よりもましだと思うのです。

    もしも偽善がどうのこうのと言うのであれば、日本の漁船に体当たりして妨害行為を繰り返している「シー・シェパード」を代表格とする、自分たちが正義だと他人を襲いまくる環境保護団体の方がよほど偽善です。

    例えば、シー・シェパードはグリーンピースで活動していた人が自分で立ち上げた団体なので、グリーンピースと似たような団体だけど更に過激で攻撃的なのがシー・シェパードです。

    このような海洋とか自然を守ると言う名目で色々な団体がありますが、その昔はアイスランドが標的でした。 アイスランドは漁業が出来なければ国民生活が出来なくなるほど打撃があるのですが、環境保護団体は自分たちが正義だと言っている割にはそうでもない面があります。

    電気や石油を使う時点で環境破壊をしているし、海洋生物を守るだけで牛さんや豚さんは食べても良いのかと言う点が不明瞭ですし、野菜だって命があるのに食べると言うのは自然破壊になっています。

    こういうことを言い始めるとキリがないから食べることはできないし、結局は自分たちの利益になるから行動していると言う部分に落ち着いてしまいます。

    何故なら環境保護団体のほとんどの人たちは、文明生活をしてTVやPCや携帯を使用する毎日だから、かなり良い暮らしをしている現実があります。 スポンサーを引きつける為には過激でTVに取り上げられるようなことをする必要もあり、それは自分たちの利益と言うことが中心なので環境保護とは無関係です。

    少なくとも私のように4畳半のアパートでDVDもビデオも無い生活をして、贅沢せずに生活を切り詰めて寄付をするなんてことはしていないと思います。 N市のIさんや寄付の神様曰く、「山崎さんより贅沢をしないのは難しい」とよく言われます。 (苦笑)

    なお、海洋生物や生き物を守るはずのシー・シェパードのメンバーは、肉も魚も食べないビーガン(菜食主義)だと言っていますが、それは船内や人前だけではないのかと言う点が霊視で視えます。 あれだけ肉や魚を食べるのは許せないと言いつつ、普段の生活では厳格なビーガンであることは求められていないと言うのは矛盾しています。

    今年起こった事件で日本船籍への侵入罪で身柄を拘束されたメンバーは日本で裁判を受けましたが、その間の食事を日本側から提供されて魚や肉の食事に抵抗感を示すことなく普通に食べていました。

    実はこれこそが最大の矛盾なのですが、本当に菜食主義を続けていると肉や魚を食べると気分が悪くなると言うか、胃が受け付けなくなっているので食べるどころか見ても嫌になるのです。 日本で拘束された時に肉や魚の食事を普通に取ることができたのは、普段から肉や魚を食べている証明になります。

    このような矛盾した行動に報道関係者が誰も突っ込みをれないのは、アナウンサーやキャスターと呼ばれる方々は原稿を読むだけで中身が理解できていないからです。

    正義だと思っていることが実は正義ではない、このように判断ミスと言うのは人の思い込みでも生まれてくるので、いつも判断ミスをしないように気を付けて行きたいものです。 ただし、私もまだまだ未熟者なので節約や精進が足りないと反省しております。

    あなたは判断ミスに、気を付けていますか?

    o(*^▽^*)oエヘヘ!

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    病気。

    おはようございます。 自分の未来を信じることは素晴らしいことだから、もっともっと自分のことを信じてみるのも可能性を引きだすことにつながります。 ただし、自分のことなら良いけれど他人が言うことを全面的に信用していると、間違った道へ進んでいることすら分からなくなります。

    世の中にはたくさんの方が病気で苦しんでいるのですが、いつの世もそれにつけ込む輩が出てきます。 お祓いで病気を治す~仏像を買えば治る~パワーストーンが病気を吸い取るなど、苦しんでいる人々を食い物にしているのは本当に残念です。

    その病気治療の一つであるホメオパシー、これは特定の思想に基づき病気の治癒を目的として行われる行為や思想を言います。

    ホメオパシーの考え方として、「健康な人に与えたら似た症状をひき起こすであろう物質を、ある症状を持つ患者に極く僅か与えることで体の抵抗力を引き出し症状を軽減する。」と言う理論および行為です。

    ホメオパシーは200年以上前にドイツ人医師が提案した思想を基にした理論で、スピリチュアルが浸透しているイギリスを中心として複数の国に浸透していますが、スピリチュアルと同じく科学的な効果は全くありません。

    学者や医師などが根拠に基づいた医療(EBM)手法を用いた調査で、ホメオパシーはプラセボ(プラシーボ)以上の効果を持たないと完全に否定されています。

    実は日本国内でも、与えるべきビタミンKシロップを与えず新生児を死に至らしめた事件があるのですが、近年ではホメオパシーの危険性や反社会性を指摘する声は高まりつつあります。

    イギリスやインドや中南米各国など民間医療として普及している国は多いのですが、自然科学の研究者の間ではホメオパシーが疑似科学であることは間違いないとされており、日本でも日本学術会議が2010年8月24日に「ホメオパシーは荒唐無稽である」と公式見解を発表、その効果を全面否定して医療従事者が治療法に用いないよう求める会長談話を発表しました。

    このホメオパシーの歴史についてですが、ドイツ人医師により創始されました。 きっかけはマラリア治療薬キニーネを飲んだらマラリアそっくりの症状が出たことで、類似したものは類似したものを治すと言う「類似の法則」を発見して、ある物質を健康な人に投与した時に起こる症状を治す薬として、その物質そのものが有効であると考えられました。

    言葉の意味ですが、ギリシア語の「同じ」と「苦しむ」を合成して、「ホメオパシー」と言う言葉になりました。

    ハーネマンの理論を踏襲した現代のホメオパシーは、簡単に言うと水により極めて高度に希釈したものを砂糖に染み込ませた、いわゆるレメディーと呼ばれるモノを使用します。 これは科学的に分析してみるとただの砂糖ですが、信じている人には薬となります。

    このレメディーの元となる薬効成分は多くの場合極めて高度に希釈されているので、その元となる物質は1分子も含まれていないのですが、いわゆる効き目のある成分の「オーラ」や「波動」などが染みこんでいて、それにより体の抵抗力を引き出すことで自己治癒力などが高まると言われています。

    なお、このレメディーは効能や効果を持つ医薬品と謳われた場合や、医薬品のように効能や効果があると誤認を招く表現で販売された場合は、薬事法や消費者保護法令に抵触する可能性が高いと言われています。

    では、ここから真面目に物理的(科学的)な話になりますが、効果がある根拠として物質の記憶が残ると言う主張があります。

    しかし、液体状の水分子は流動的で熱運動によって常に情報が失われる方向へと構造が変化している為、例えばの話として一時的に水分子が造る構造に情報が記憶されたと仮定しても、次の瞬間(ピコ秒オーダー)には情報が失われていると物理的にも化学的にも立証されています。 (PCじゃないので、成分のコピーなんて無理です。)

    余りにも荒唐無稽になってきたので日本学術会議は、2010年8月24日にホメオパシーに関する会長談話を発表しました。 簡単にまとめると「科学的根拠は明確に否定されており、医療関係者が治療に用いることは厳に慎むべき行為であり、多くの方に是非御理解頂きたい。」とのことです。

    また、同会議の副会長も「非科学性や無効果である点を十分理解した上で個人的に使うことは自由だが、科学的に全否定されているものを医療従事者が使うことは、通常医療を遠ざけることにつながり危険。日本学術会議としてホメオパシーは効かないと言うメッセージを伝えることが重要と考えた。」と説明されました。

    私は今回の件については否定も肯定もしませんが、それは病気と言うモノに対して「効き目があれば何でもあり」だと思うのです。 病気で苦しんでいる人を目の前にして、「それは効き目がない」なんて言うのは余計なお世話です。

    病気を目の前にして藁にもすがる思いで信じてしまう人がいるのは仕方がないことで、本当の問題と言うのは「人の弱みにつけ込んで金儲けをする。」と言う人がいる点です。

    効果が無いと言うことが立証されているなら、厚生労働省及び長妻厚生労働大臣は怪しい人たちをきちんと取り締まるべきです。

    あなたは病気に対して、どのような考えがありますか?

    (゚∇^*) テヘ♪

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    ホテル業界。

    おはようございます。 今日も暑い一日になりそうなので、体調管理にはくれぐれも気を付けてくださいね。 しかし、暑くなると言っても人生が熱くなるのは熱気溢れる未来を意味するから、もっともっと燃え上がる未来は楽しい限りです。

    昨日のニュースで大きく取り上げられましたが、岡山国際ホテルが民事再生法を申請しました。 負債額は14億3900万円で、この法律は簡単に言うと経営不振の企業が破綻する前に裁判所に再建手続きを申し出ると、取りあえずは潰れずに経営を維持できる法律です。

    この岡山国際ホテルは昭和48年に地元有力企業が共同出資して設立され、いわば岡山の迎賓館的存在でもあります。

    しかし、市街地から離れた立地から近年では駅周辺に続々と進出したホテルと比べて不利な状況になったので、有力ホテルチェーンである「オークラ」との提携関係を緊密化することで営業力を強化しようとしました。 2007年10月1日には名称を岡山国際ホテルからホテルオークラ岡山に変更しましたが、これはオークラの名前を使うだけで実際の経営は岡山国際ホテルのままでした。

    このホテルは歴史と由緒があり国体などイベントの際に天皇を始めとする皇族が宿泊されたり、阪神タイガースが倉敷マスカットスタジアムで秋季キャンプを行う時の定宿として有名です。

    近隣は岡山の高級住宅街でもあるし、2009年5月13日には全国の政令指定都市の市長(副市長)が集まり、大都市の諸問題について議論や意見交換する為の「指定都市市長会議 in 岡山」も開催されました。

    1990年代前半から集客力が低下していたのですが、この辺りを境としてホテルの稼働率が約40%となることも多くなりました。

    2010年3月期には債務超過に陥り苦しい経営状況が続いていたので、2010年8月23日に岡山国際ホテルが岡山地方裁判所へ民事再生法の適用を申請して、同日には保全処分命令及び監督命令を受けたのです。

    これで取りあえずは一息つけたことになるので、今後は社員の雇用を継続しながら営業を続けて行き、スポンサーや営業譲渡先を広く募って行くことになります。

    ここまでが一連の流れなんですが、ホテルの空室率が上がると言うのは一見何でもないように思えますが、これを一般の企業やお店に当てはめると大変なことになります。

    何故ならホテルの空室と言うのは在庫に当たるのですが、他の業種と違い一日経過するとそれは過剰在庫や不良在庫と同じことになるのです。 製品なら過剰在庫が出来ても在庫として取っておけば、いつかは売れて捌けるから損することはありません。

    しかし、ホテルの空室と言う名の在庫は取り返せないのです。 その日に空いていたのであれば、時間が過ぎればもう利用することはできません。 残念ながら時間を保存することはできないから、時間の在庫は無理なのです。

    そうなれば一泊が5000円で100室あるホテルの場合、平均稼働率が70%だと良く思えるけれど逆に言うと30%は空室です。 つまり、「5000円×30室=15万円」の在庫が毎日発生していることになるので、1ヶ月だと「15万円×30日=450万円」の在庫を抱えることになります。

    こうやってきちんと計算して行った数字を見た時、毎月450万円の損失が発生すると言うのは恐ろしいです。

    これが車の販売ならば8月は売れなかったけれど、9月は売れたから8月の分を取り戻せたと言うこともあります。 しかし、ホテルの場合は100室が全部埋まったとしても、それは当日の損失が出なかっただけであり、100部屋以上を埋めて先月の損失を取り返すと言うことはできないのです。

    それに工場などではラインを止めて生産調整をすればいいのですが、ホテルの場合は色々な法律(消防法など)により最低人員と言う、客室(部屋数)に対して決められた人数が必要です。

    100室に対して5人が必要となれば、空室が多くても少なくても5人が必要です。 そうなれば空室が多く赤字が出ていても人数の確保は必要で、空室で赤字が出る上に人件費も赤字と言うダブルパンチでKOとなりかねないのです。

    普段はホテルへ泊まるだけで経営に関わることは少ないと思いますが、これはホテルだけではなく旅館やペンションでも同じことです。 夢に燃えてペンションを出したけれど止めることもできず、赤字のままで苦しんでしまうのは読みが足りないからです。

    読みとは空室が多くて苦労しているホテルには理由があるのに、その理由がホテル側には読めないから更に苦境へ陥ると言う悪循環です。 空室が多いのは泊まりたくないからで、泊まりたいホテルにすれば自然と稼働率は上がるのです。 ホテルの稼働率が90%を切ると言うのは、経営努力も何もしていないに等しい証拠です。

    なお、私はホテルへ泊まる時になるべくゴミも出さずきれいに使うようにしてるのですが、それはホテルの苦しい内情を視ているとマナーの悪いことはできないからです。

    あなたはホテル業界の苦悩、それを御存知でしたか?

    ( ̄  ̄;) うーん

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    時。

    おはようございます。 人は過去の思い出には勝てないのですが、すれ違う度に好きになって行ったあの人、会いたいと思っているのに会えないから涙が溢れてきて止まらない、そういう過去の思い出は辛くなるのかどうかは今の自分が決めるのです。

    今の自分が幸せならば過去の思い出は辛いくても良い思い出になるし、今の自分が不幸せであれば過去の思い出が手枷足枷となって苦しむことになります。

    もう一度やり直したいと思っても、あの日に戻ることは誰にもできません。 戻ることが出来ないからこそ人としての優しさを失わない為にも、今の自分が幸せでいる努力は必要です。

    時間が経てば悪いことも良いことになるかもしれないし、時が経つことで記憶が薄れて気にならなくなるかもしれない、時間が薬と言う言葉は意外と嘘ではありません。 忘れられない記憶は時間とともに薄れて行き、いつの間にか忘れて自然に生きて行くのも人生です。

    それと同じく「時は裁判官」と言う言葉がありますが、それは時間がたてば黒も白になるとか悪に見えたことが善だったなど、時間が経過して立場や状況が変われば事実は事実だとしても結果に対する評価や認識が変わってきます。

    「時は裁判官」の良い例が各地の赤字空港問題ですが、日本には税金投入してまで守らなければならない空港はひとつもありません。 どの空港も赤字になったら廃港にして税金の無駄使いは止めればいいのに、「空港が無い県ではカッコつかない」と言う見栄の為に維持しているのが現状です。

    西日本で言えば近畿圏が悪い方の見本で、伊丹と関空と神戸の3つが隣接しています。 どの空港も赤字になっているのですが、伊丹空港だけの時代には赤字どころか黒字でした。 ところが伊丹空港だけの時代には「騒音がうるさい」など、黒字なのに邪魔者扱いで移転や廃止が叫ばれていました。

    しかし、いざ空港受難の時代になって廃止が取りざたされると、「伊丹は便利だから残すべき!」と言う、伊丹空港待望論が出て移転や廃止に大反対と言う以前とは全く逆の状態です。

    伊丹はまだしも関空は毎年100億円の赤字が出ているのを税金で補てんしているし、神戸も同じく赤字で各航空会社も撤退の兆しが出ています。 「うちの県には空港がある」と言う見栄の為だけに空港を維持するのはもう止めて、適切に考えて行かなければならない時代が来ています。

    これと似た状況なのが福岡に隣接する各空港なんですが、この辺も廃止にして福岡空港へ一本化しないと赤字の垂れ流しです。

    何故なら福岡空港と60分しか離れていない某空港では東京へ行くのに3万5千円かかりますが、福岡からは2万5千円で行けると言うように近距離なのに運賃が1万円違うから、当然のごとく某空港を利用する人は年々減り続けて最悪の状態になっています。

    更に空港を例に取るならば羽田と成田の関係も切り離せないのですが、成田空港が出来る時にどれだけ反対運動があって、バリケード突破など血が流れる暴動まであり大騒動でした。

    そこまで反対したのだから羽田空港をハブ化して成田から国際線を引き挙げて、将来的には成田空港を廃止する案に賛成するのが筋なんですが、そうは問屋が卸さないとばかりに逆転現象が起きています。

    現在の森田県知事は「羽田空港のハブ化に反対!」と声高に反対論をぶちあげて、「成田は外国への玄関口だ!」と成田空港の必要性を論じています。 ここでも不思議なんですが森田県知事は国会議員だった時に、「成田は潰して羽田をハブ化しよう!」とぶちあげて、羽田に国際線が乗り入れできるように働きかけて今の羽田国際線があります。

    その羽田空港のハブ化を推し進めていた張本人が、あっという間に方向転換して全く反対のことを言い始めたのですから、まさに「時は裁判官」です。

    人である以上、間違いは仕方ありません。 完璧な人間は存在しないから間違いや過ちは犯してしまうのですが、それでも間違いを認めて謝罪や反省をするからこそ過ちが許されるのです。

    時は裁判官と言う言葉は深いのですが、時間が経つにつれて状況が変化して悪いように見えたことが良いことだったと判明する、その時には素直に「あぁ、良かった。 今までごめんなさい。」と感謝して過去の過ちを詫びる、それが明るい未来へ進むことだと思います。

    あなたは時が経つことで、何がどう変わりますか?

    ヾ(=^▽^=)ノ

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    ヘーゲル。

    おはようございます。 いつも素敵なあなたには素晴らしい光が待っているはずで、その先にあるのは希望と言う名のゴールがあるはずです。 それは幸せな人に起こる現象ではありますが、幸せの定義により幸せはいつも目の前にあるものです。

    人は目の前に起きた現象により幸か不幸かを決めてしまいますが、それは長い人生の中で一部分を切り取っただけであり、本当に幸せかどうかと言うのは後で振り返ってみて初めて分かることです。

    私は県北時代のことをブログに書きますが、それは消化できているから書けるだけです。

    確かに嫌なことが多かった時代ではありますが、それは今から考えてみると自分のせいだと言う自業自得が分かってくるし、そういう風に考えてみると不幸ではなく勉強だったかもしれないのです。

    人は目の前に幸せがある時には気付かないものですが、それは逆に幸せすぎて気付かないだけなのかもしれません。

    五体満足で自由自在に動ける、健康で病気をしない、携帯やPCが使える、水や食料に何不自由しない、これが全部同時に行えるのは地球上に存在する約66億人の中で9%だと言われています。

    9%と言うのは約6億人だから、その中で日本の人口は約1億3千万人になるので、6億人中1億3千万人と言うのは凄い確率です。

    日本に生まれてきたことはひとつのチャンスですが、手続きがどうのとか上司が許可しないだのとか文句を言う前に規制が多くてもクリアできる方法を考える、それこそがチャンスを貰った者がすることです。

    人は甘い蜜を食べていると美味しくて食べすぎ、そうなるとメタボになって今度は成人病の心配をすると言う、幸せだからこそ起こる不安や不幸と言うのがあります。

    ドイツ観念論哲学のゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルが書いている著書の中に奴隷と主人と言うタイトルで幸せについて面白いことを書いています。

    ヘーゲルは奴隷と主人と言う関係を使って幸せについて書いているのですが、主人と言うのは財産を持って踏ん反り返って奴隷を支配しています。 何かを食べたいと思えば奴隷に命じて作らせればいいので、俗に言うアゴでこき使うと言う状態になります。

    その命令される可哀そうな奴隷は美味しい料理を作ることができるのですが、その料理は主人が食べてしまうので自分では食べることができません。

    ここまでで言うと奴隷は可哀そうと言う観念になるのですがヘーゲルはここで「見方を変えてみよう!」と提案していて、この提案を受け入れることができる人は頭が柔らかく思考能力が柔軟で幅広い領域になります。

    私がヘーゲルの言いたいことを咀嚼して霊視カウンセラー的に解説してみると、奴隷と主人では本当に奴隷は可哀そうなのかと言う点から思考を変える必要があります。

    奴隷は主人に命じられて毎日毎日食事を作らなければなりませんが、毎日食事を作ると言うことは材料を吟味して色々な料理を作ることになります。 基本的に主人と言うのはわがままだから、あれも食べたいこれも食べたいと言うはずです。

    その要求に答えていると自然に料理のレパートリーは増えるし、自然と料理の腕は一人前になって料理の腕前(技術)は自分の物になります。

    それに引き換え主人の方は命じて作らせて食べるだけなので奴隷がいなくなれば食事を食べることができなくなりますが、奴隷の方は別な主人に仕えることもできれば独立することもできます。

    こうなると奴隷がいるからこそ主人であり得ると言う逆転現象が起こるので、こう考えると主人の方こそ奴隷に隷属していることになりかねないのです。

    ヘーゲルの言いたいことは現代社会にも当てはまるのですが、権力や地位やお金を笠にきて偉そうにしていると自分一人では何もできないのだから、あとでみじめな思いをすることになると言う戒めだと思うのです。

    幸せとはこのように見方を変えることで次々と変化するので、目の前の現象が本当に不幸なのかどうかは、時間がたって思い返してみないと分からないものなのです。

    あなたはヘーゲルの考え方を、面白いと思いますか?

    (o゚◇゚)ノあぃ

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    夏の納涼。

    おはようございます。 今日も暑い日になりそうですが、昔は30℃を超えると猛暑と言われていました。 しかし、今後は40℃を超えるのは避けられそうにないので、暑さ対策が昔よりも重要になります。 皆様も体調など崩されないように、お身体の方にお気を付けくださいね。

    昔から日本では暑い時には納涼花火大会など納涼を楽しむ術を考えてきましたが、暑い夜にはお化けなど怪談や心霊などが付きものです。

    私は心霊相談も受けることがあるのですが、実は心霊写真も驚くようなことでもありません。 霊がいるかと言われたらそこらじゅうにゴロゴロいるけれど、見えないから気にならないだけの話です。

    病院なんかでも亡くなった方を祀る霊安室がお化けの出る場所になっていますが、実は霊視カウンセラーとして視ると全然違います。

    例えば、事務所の近くにある大病院の倉中でも、一番霊がウロウロしているのは正面玄関に向かって左側にある救急や夜間の出入り口から左手の受付、そして左へ進むとある夜間の待合や診察室などの辺が一番多いです。

    どうして多いかと言えば生前の記憶などと混乱している元患者様の霊が多く、そこからタクシー乗り場へ向かって歩いて行き、家に帰りたいけれど帰れないから戸惑っている姿が多いです。

    だから実際には霊安室には霊なんかいないのですが、どうしてもTVや雑誌などは面白く話を繋げて取り上げます。

    そして意外と心霊スポットとして気付かれないのが新幹線に乗っている時なんですが、東海道新幹線と山陽新幹線は工事中に亡くなった方や自殺した方など、昭和の時代には色々あったので浮かばれていないようです。

    まず、東海道新幹線の方は東京から大阪の間を開通した時代には土木技術なども今ほどではなかったので、トンネルの発破工事でかなりの犠牲者が出ています。 実は発破作業中の事故で亡くなった作業員の方がトンネル内部を通る新幹線の窓に映るので、霊感が有る無しに関わらず視えることが多いと思います。

    名古屋を過ぎてから坂野坂トンネルと言うところに入るのですが、このトンネルの出入り口の辺でよく出現するようです。

    これと同じく山陽新幹線でもあるのですが、さすがに近すぎるので名前は控えさせていただきます。 そのトンネルを新幹線が通る時に出現するのは車内販売の売り子さんなんですが、静かに通り過ぎるから霊とは思わない人もいると思います。

    その女性は窓には映るのですが実体がないと言う感じで、ヒントは新神戸~広島の間の辺のトンネルです。

    私は霊視カウンセラーの割には霊の話なんかほとんど書かないのですが、今日は久しぶりに霊の話を書いています。 霊の話もたまにはいいかなぁと思いますので、最後に納涼の意味で恐怖の話を書いてみたいと思います。

    ある女性が家族で心霊番組を見ていた時のこと、某スピリチュアルカウンセラーの人が「頭痛や肩凝りなどは、霊の仕業だetc…。」と説明していたので、その女性は「わたし、最近頭痛と肩こりがひどいから、今日は部屋に塩を盛って寝てみようかなぁ~。」と言いました。

    するとお婆ちゃんが「じゃあ、お風呂に入っている間に私が塩を盛っといてあげるよ。」と言ってくれたので、その女性はお風呂に入ってお婆ちゃんが盛ってくれた盛り塩に布団の四隅を囲まれて眠りにつきました。

    ところが夜中と言うか夜明けと言うか真っ暗な中、その女性の手足や顔や首筋にごそごそうごめくモノがいて、その女性は寝ているうすぼんやりとした意識がはっきりしだすと、「なに!」と体が凍りつきました。

    「何かが私の身体に触っている!」と思いましたが、体が動くので金縛りではありません。 その女性は「なに、なんなの~!」と恐怖でしたが、勇気を出して布団から飛び起き電気を付けました。

    すると、その正体は「無数の蟻」でした。 お婆ちゃんが間違えて塩ではなく砂糖を盛っていたので、その砂糖に釣られて蟻がたかっていたのです。

    「お化けの正体、これ見たり!」と言う言葉が有りますが、怖い怖いと思っているとナンデモカンデモ幽霊のせいにしてしまいがちですが、よく見ると柳が揺れているだけなんてことになりかねません。 心霊写真も90%は偽物や偶然の光なので、余りにも過度な心配は無用です。

    あなたは夏の納涼を、どのように取っていますか?

    ☆^(o≧▽゚)oニカッ!

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    歴史から学ぶ。

    おはようございます。 8月15日は終戦記念日でしたが、戦後65年間経って日本人の8割が戦争を知らない世代となりました。 あの悲惨な戦争を二度と繰り返さない為にも忘れてはいけないことで、目にしたくない風景や聞きたくない言葉であっても過去の反省の為には必要な時だってあります。

    地球上の物事には全てルールと言うモノがあるのですが、そのルールが公になると困る人がいるようでは公平なルールとは言えません。

    それにルールも時代遅れではなく現代で通用するルールが必要で、国単位ではなく地域や集団のような小さな状態でも昔ながらのルールは問題を引き起こす場合もあるのです。 ルールと言うのはお互いが生活して行く上で有利になる為ではなく摩擦が起きないようにするなど、本来は公平で誰にでも優しいのが基本です。

    しかし、日本では男尊女卑と言う言葉があるように男性有利なルールが多いので、その規制に対して女性の社会進出はひとつの楔を打ち込んだことになります。

    私は女性の社会進出は大いに認めるべきだと思うし、もっと上の方へ登用するべきだと思います。 男性同士の話し合いだと上手く行かないことでも女性同士であれば折り合いをつけることも可能で、過去に戦争が起きた国同士を見てみればわかるようにトップが男性の国ほど戦争を起こしています。

    アフリカの各国で内乱が起きなくなってきたのと女性の国会議員が増えてきたのが比例しているように、こういう事例から見てもルールと言うのは変わるべきでいつまでも頭の固いことを言ってはいけないと思うのです。

    悲劇を繰り返さない為にも人は過去の歴史に学ぶことが多いのですが、忘れてはいけないことと言うのは戦争以外にもたくさんあります。 岡山県北でも72年前にある事件が起こったのですが、それは地方独特のルール(風習)により引き起こされて今も脈々と生き続けています。

    この事件について分かりやすくする為に引用したいのが「八つ墓村」と言う横溝正史著による長編推理小説で、この本を原作とした映画やテレビドラマが多数作られています。 「どんな映画だったかなぁ?」と思う人でも、「八つ墓村の祟りじゃ~っ!」と言うセリフには聞きおぼえがあると思います。

    実は横溝正史さんは戦時中に岡山県真備町に疎開しており、「八つ墓村~獄門島~本陣殺人事件」の3つは「岡山編」の代表作で、岡山県内の風習や因習に加えて祟りなどの要素を含んだスタイルで後世のミステリー作品に多大な影響を与えました。

    この「八つ墓村」と言う作品に登場する「村人32人殺し」は岡山県北で72年前、実際に遭った「○○事件」がモデルです。 「○○事件(または○○30人殺し)」は1938年5月21日未明に県北で発生した大量殺人事件のことで、2時間足らずで30名が死亡~3名が重軽傷と言う日本の犯罪史上前代未聞の殺戮事件です。

    この事件のことを2010年現在で20代や30代の人は全く知らないと思いますし、県南の人は聞いたことすら無いと思います。 しかし、県北の人や70~80代の人は知っているにも関わらず、忌まわしい封印されるべき事件として誰も触れようとしません。

    この事件は県北の当時21歳の男性が頭に懐中電灯を鉢巻きでくくりつけて、夜中に日本刀で次々と村人を殺して行ったのです。 この事件は30人を2時間足らずで日本刀で切り殺すと言う大惨事でしたが、その動機となったのが地方の風習に起因するらしいです。

    この事件の捜査関係者や新聞記者など多くの方々が調べたところによると、県北の方々は強く否定しますが「夜○○」と言う風習が事件の引き金の一端とも言われています。 今でも県北には「村の娘と後家はetc…。」と言う、現代社会では信じられない考え方が残っています。

    戦後の日本は大きく様変わりしているのですが何でもかんでも変わりゆくままと言うモノではなく、戦争の悲惨な体験を忘れないのと同じように過去の歴史を忘れないことも抑制になると思うのです。

    私は悪霊よりも日本刀を持ったオッサンの方が危険と表現するのは、メルヘンの世界ではなく現実の世界を生きているから、霊がどうのこうのと言う前に歴史から真剣に学ぶことが多々あるからです。

    人には理性とか反省と言う行動や感情があるので、忌まわしい戦争が二度と起きないように努力するのと同じく、二度と悲惨な事件が起きないように努力するのも大切です。

    私は人間の善性と言うべき良心や正義感を信じたいと思いますし、何より悪が蔓延るよりも正義が勝つと言うことを信じているのです。

    あなたは過去の歴史から、何を学びますか?

    ∑( ̄Д ̄;)なぬぅっ!!

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    伝説。

    おはようございます。  昨日はJAL機の左エンジンが火を吹いて危うく106人の犠牲が出るところでしたが、私はANA機で帰ったので無事に岡山空港へ着きました。 15日(日曜)の夜はN市のIさんやMさん達と食事へ行きましたが、男性3人が揃うのは新年会以来で久しぶりです。

    3人とも相変わらず元気で後ろ向きなことは言わず、アントニオ猪木さんではありませんが「元気があれば、何でもできる!」と言うのは本当です。 うつむいて歩いていると暗くなるし、辛くても悲しくても前を向いて歩いているといつの間にか元気になってくるのが不思議なところです。

    人は生きているからこそ歴史が作られるのですが、その生き方がスゴイと男女問わず伝説として語り継がれたりします。 (注:都市伝説は除外します。)

    しかし、それは本人が伝説を作ろうとしているわけでもなく自分のやりたいことへ向かって一生懸命に、毎日毎日コツコツと歩んでいるうちに伝説を作り上げてしまったことがほとんどです。

    少し伝説について解説してみたいと思いますが、伝説とは様々な地方で語り伝えられた民話が本当の意味です。 その中でも特に語り手によって事実を伝えることを中心として語り継がれたのが伝説で、その内容が真実であるかどうかは問われないのも伝説です。

    口承文芸とは無文字時代から存在していて、一般で馴染みがあるものと言えば昔話~伝説~世間話などの民話から、新語作成~諺~民謡などに分類されるモノを言います。

    このうち昔話には発端句(昔々とむかしを含むものが多い)と、結句(どっとはらいなど)に代表される決まり文句があります。 それに固有名詞を示さずに描写も最小限度に留めて、話の信憑性に関する責任を回避した形で語られるものが多いです。

    また、時代や場所をはっきり示さずに登場人物の名前も「爺や婆」などあやふやにして、出生&身体の特徴をもとにした普通名詞的で濁すことが多いです。 (例えば、桃太郎は桃から生まれた長男の意味しかありません。)

    それに対して伝説は昔話と違って、同じ昔の話であっても一定の地名や年代など所在や時代背景が具体的に示されて、登場人物も歴史上の有名な人物や土地の何々と言う人物など、特定しやすいように好んで詳細に示そうとしています。

    このような点から伝説には伝記風の態度と要素があるが、昔話はフィクション(創作)として語られている内容が多いです。 一部の地域などでは「炭焼き長者」や「子育て幽霊」など特定の場所と地域を特定できるような昔話もあって、それが昔話から伝説化して定着している例もあります。

    ちなみに昔は世間話から来る民話も伝説と言っていたのですが、昔話~伝説~世間話の違いをあげてみると次の3つになりますが、一応の種類分けで確定した物ではありません。

    A:昔話は内容が不特定で事実かどうかわからないし、おそらく事実ではない。
    B:伝説は内容が特定できて少しは事実かもしれないので、少しは信じられそう。
    C:世間話は内容が特定できて事実が多く、信じてほしいから忠実に言おうとする。

    結論として伝説とは偉大な人物や物事を語る形容詞として存在して、現代においてもかなり近い人物を語る時にも、「伝説の○○」と表現して凄さを語ろうとすることが多いです。

    伝説になるような話とは歴史上の大人物から地域や学校や社内における伝説の人物まで、個人にとって思い出など自分だけの伝説もあるので様々です。 なお、伝説は良い方にも悪い方にも語り継がれるので、褒めているのか悪口なのか分からない場合も多いです。

    私が最近で伝説の部類だと思うのはココ一年のMさんで、実はブログにMさんの出世していく様子を書いているので同じ会社の複数の方より、「Mさんて○○さんのことですか? 部長(支社長)があんなことをするのは○○しかおらん、○○も今は○○事業部でetc…。」と、西日本の各店舗で伝説の男と言われていると教えて頂きました。

    ちょうど一年前のMさん(2009年の8月頃)は、西日本の某県某店舗の売り場で一社員として働き、上司やお客様に怒られつつ各店舗を転勤しながら定年を迎える未来でした。 その頃のMさんは「僕の未来は…。」と凹んでいましたが、今や東京の方で本社中枢部の一員としてバリバリだから運命は不思議です。

    Mさんは今の地位と立場では色々な芸能人や有名人と会うことも多いのですが、先日も手相芸人の島田秀平さんや特ダネコメンテーターの佐々木秀美さんとツーショット写真を取っていました。 その他にもマナカナに会ったり色々ご活躍されていますが伝説とはそういうことではなく、2009年9月に自分のアイディアをトップに直訴したと言う行動力こそが伝説となっているのです。

    これはMさんを例に取って説明しただけですが、本当は私と縁がある全ての素敵なお客様が伝説となれます。 恋愛ならば素敵な彼と出会う、結婚ならば幸せな結婚が出来る、仕事ならば大出世する、独立ならば大成功する。

    目の前にあるのは叶わぬ夢ではなく叶う現実として素敵なお客様なら実現するはずだと、私はあなたの才能と実力と運~それら全てが未来で輝いていることを信じているのです。。

    あなたは伝説となる自分、その姿を想像できていますか?

    (*^-^)ニコッ!

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    納得できる。

    おはようございます。 お盆に突入しましたが私は365日年中無休なので、今日も事務所にて鑑定をしております。 毎日毎日素敵なお客様にお越し頂けるのは本当に幸せで、今日もワクワクドキドキしております。 なお、お盆でも予約の受け付けはしておりますので、遠慮なくお気軽にお申し付けくださいね。

    人生で嬉しいとか楽しいことが起こるメカニズム、それは楽しいから笑うのではなく笑うから楽しいことが起こるのです。 ネクラでいれば悪いこと~ネアカでいれば良いこと、気付いているけど分かりづらい当たり前のことです。

    昔の私はネクラそのもので口を開けば愚痴や悪口が出てしまい、今から思えばよくあれだけ不平不満が言えたもんだと我ながら呆れます。 あの当時へ戻れるわけではないので反省するしかないけれど、未来へ向けて実りある反省でなければと思います。

    当たり前のことではあるけれど人は知らず知らずのうちに、「自分が行動するから何かが起こる」と言う行動の原則を忘れがちになってしまいます。

    今と言う時間の中で目の前に起きていることは自分がしたことの総決算と言うか、過去から現在へと繋がる道の中で紆余曲折あったことで、良いことも悪いことも認めるからこそ今と言う自分へ繋がった過去を振り返ることができるのです。

    人は色々なことで反対されたり行き詰って進めなくなったり、人生には山あり谷ありで進んだり戻ったりの繰り返しです。

    人は後悔して生きて行かなければならないのですが、「あの時、あぁしていれば…。」など少しの判断ミスにより今の苦境に陥ったと思いがちですが、本当はその時の判断ミスではなく前々からの判断ミスが今につながっているのです。

    今のあなたの目の前に見えている景色は、百年前は全然違う景色でした。 それは人間が開発や整備を繰り返して街作りが出来ているのですが、このまま時が止まったままでいるなんてありえないからです。

    永遠の時はないし~永遠に変わらないこともありえない、その移り変わりをキチンと感じているのであれば後悔しない為にも、自分自身が納得行く生き方をしなければ振り返るばかりの人生になってしまいます。

    私はあなたと言う素晴らしい人とお会いできることで、今までの過去を反省できると共に未来へ向かう勇気や元気が湧きあがり、もっともっと上昇して行かなければ後ろ向きのままで人生を終えることになると自戒しています。

    人は生きていると目標が揺らいだり、夢をあきらめようかと思ったりします。 それはそれで生き方の違いだと判断しても良いけれど、あきらめることができる夢とはあきらめてもいいだけの夢だったと言うことです。 人は本当に欲しいと思えば寝ても覚めても頭から離れないのですが、しばらく経てばあきらめがつくのは「終わってもいい夢」だからです。

    私はあきらめてもいい夢なんてありえないし、やらずにごまかして生きるなんて言うのも2度としたくありません。 今までの私は面倒なことは極力避けてずるい生き方だったと思うのですが、過去と同じ生き方をして恥の上塗りはしたくないと心に誓っているのです。

    人は誰しも嘘を吐かざるをえないので、正直に生きて行くのは大人になれば中々に難しいです。 大人の対応と言うべきごまかし、それは人間社会で摩擦を起こさない為には必要なモノですが、それはあくまで他人と自分との間に軋轢を生まない為の処世術です

    それを自分自身にしてしまうと自分はいつまで経ってもごまかしたままで、自分の中にある大切なモノは離れて行くことも分かれることもできません。

    自分が生きている限り永久に「あの時、怠けた。」とか「あの時、逃げた。」など、自分に嘘を吐いてしまうと自分を納得させることができないまま人生を終えることになります。 自分に嘘を吐いて平気な人もいるかもしれないけれどあなたと言う素晴らしい人は、何もしないで~何も変わらないで~何も残らなかったと言うような、そんな人生で終わることはあり得ないと信じているのです。

    あなたが生きているのは神様の思し召しとか運命の定めなど、何かが作用してこの世に誕生してきました。 生まれてきた意味を知りたがる人が大勢いるけれど、生まれてきた意味とは自分自身を納得させる生き方が出来ていれば、それが生まれてきた意味を作り上げることにつながると思うのです。

    大切なのは自分がもう一人目の前にいたとして、全く同じ自分の行動を見て恥じないかどうか、生きていることが誰かの役に立って「ありがとう!」と言われることができるのか~どれだけ人の為に涙を流すことができるのか、そういうことを考えて生きて行く人生なら納得できることが多いと思うのです。

    心の中にある熱いモノを失って平々凡々と冷たい人生を生きるよりも、何かが出来る自分を埋もれてしまわないようにして「前を向いて生きる」と言う恥じない生き方が、人として充実した人生になるはずです。

    キラキラした人生とは納得できる人生であり、あの時の自分を思い出して誇れる時が来ること、自分自身に自慢しても納得できるだけの人生でなければ、何の為に生まれてきたのかと言う意味を探す以前の話になってしまうのです。

    あなたは納得できる、そんな生き方をしていますか?

    ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪



    お知らせ:出張の為、ブログの更新は17日(火)から再開します。 出張中でも予約の受付はしておりますので、遠慮なくお気軽にお申し付けくださいね。 いつもご予約いただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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