徒然草(岡山・東京・山崎かずみ)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    高い場所。

    おはようございます。 今日もあなたには素敵に輝くオーラがあり、あなたの未来は明るいと私は信じています。 あなたのような素晴らしい人が幸運にならなければ、誰が幸運になるのかと言うくらい自分を信じてもいいと思うのです。

    あなたは決してひとりで生きているわけではなく、あなたがいるからこそ助かる人が大勢言います。 人はひとりで生きているのではなく、大勢の人と関わりながら生きているのだから、自分が助けた人の数だけて助けてもらう人がいると考えればいいと思うのです。

    私は素敵なお客様の未来が素晴らしいと信じて霊視カウンセリングをしていますが、悪いことを考えれば悪いこと~良いことを考えれば良いことが起こるのが運命の原則です。

    悪いことを言う占い師さんはお越しくださるお客様に、悪いことが起こるようにと念じていることになります。 それは「悪いことが起こる=自分の占いが当たる」と自分の占いの正確さを証明する為に、悪いことが起こることを望んでいることに繋がるのです。

    私は良いことを言うように心がけているのですが、私が霊視で良いことを言うのは「良いことが起こるのを念じる&思う」ことになるので、お越し頂いたお客様の幸せしか思わなくなるのです。

    足を引っ張るという言葉があるように、悪いことばかり言っていると高い場所へ昇ろうとしても、自分の足に悪口がまとわりつくから昇ることが難しくなります。

    しかし、良いことばかり言っていると、周りが自然と押し上げてくれるから高い場所へ登るのも簡単になります。

    登山に例えるならば、高い場所へ登るのは苦しいけれど登りきった時の見渡す限りの景色の素晴らしさがあるからこそ、苦しくても登山を止めない人が多いと思うのです。

    人は生きているだけならとても簡単ですが、健康でやりがいを持って長生きするのは難しいです。 それは自分にまとわりつく欲を振り払うことが、年々難しくなるから頭が固くて執着心が自分だけ問う気持ちを変えようとしなくなるのです。

    私は立ち上がろうとするお客様や挑戦し続けるお客様、そんな素敵なお客様より生きていくことの素晴らしさを日々教えていただいております。

    何も考えずに何もかも取り掛かることが出来ると言うのは幸せなことで、五体満足と言うのは当たり前のことを当たり前にできる幸運をもたらしているのです。

    これからすることを考えて計画を立てて順番にしないと何も出来ない、人の手を借りないと自分の意志だけでは動くこともできないと言うのでは、人生において辛さや悲しみの方が大きくなってしまうと思うのです。

    与えられた現状に満足せずに、今の自分にやれることをやれるうちにしなければ、それは高いレベルの場所へ行きつくことはできないと思うのです。

    私は自分の現状を情けなく思うことがしばしばあるのですが、「なにやってんだろう…?」と考え込んでしまう時すらあります。 1年と言う時間は短くて、1年の間に何も出来ずに終わってしまうとか、まだココまでしか出来ないのかと日々反省してしまうのです。

    私が地域でそこそこでいいと現状に満足する占い師であれば、たまにタウン情報へ広告をお願いして占い師特集に載せてもらい、安易に集客する手法で過ごして行く人生で終わると思います。

    しかし、全国レベルという高い場所を目指すのであれば、そんな見栄やごまかしなどの嘘で塗り固めたレベルでは通用しません。

    私は全国で通用するのか~それとも一部地域でお茶を濁す程度なのか、自分の立っている場所を確認しなければ不安でしょうがない毎日でもあります。

    人口密度の関係もあるから地方では無理かもしれないのですが、東京では1年待ちでないと本物じゃ無いと言う生存競争の厳しさがあるから、私は今くらいで満足してはいけないし高い場所へ辿り着くのはまだまだ先の話です。

    今の私は予約が1年待ちどころか、空いていればすぐに予約が取れる状況なので、高い場所を目指すなんて書くのはお恥ずかしい限りです。 それでも現状に満足せず全国レベルを目指さなければ、いつの間にか埋もれてしまうレベルで終わってしまいます。

    あなたにとって高い場所とは、どの辺のことを言いますか?

    ヨロシクね♪ヽ(*⌒o⌒)人(⌒-⌒*)v こちらこそっ♪

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    必要。

    おはようございます。 いつも素敵なお客様にお会いできることは私にとって感激の日々ですが、こういう日々が永遠に続けばいいなぁと思うほどの素敵で幸せな毎日です。 私が幸せに感じるのは素敵なお客様が笑顔でお帰りになる時で、それが明日へ繋がる勇気や元気の源となります。

    私は素敵なお客様に「ありがとうございます!」と、何度言っても言い足りないくらいの御恩を受けています。 私には普通の占い師さんでは絶対に味わえない奇跡がよく起こりますが、これについては説明が難しくもあり簡単でもあります。

    人の人生にはありとあらゆることが降りかかるけれど、それをネガティブに捉えるか~ポジティブに捉えるか、運の良し悪しは意外とこんなことからスタートするのかもしれません。

    コップの中に水があるとして「もう、半分しかない…。」と考えるか、「まだ、半分もある!」と考えるか、これが前向きか後ろ向きかの差となって未来を作り上げると思うのです。

    人生には乗り越えられない困難は降りかからないと言われますが、それはある意味で当たっています。 借金を例にとっても「100円貸して!」と言われたことはあるかもしれないけれど、「1億円の保証人になって!」と言われることは珍しいと思います。

    借金を例に取ってお話をすると「お金」を借りる為には信用が必要ですが、貸してくれると言っても信用の範囲内でしか貸してくれません。 同じように保証人になろうとしても、信用の限度額を超えると保証人にはなれません。

    つまり、自分が乗り越えられる範囲内でしか借金はできないのですが、この信用と言う部分を運に置き換えると理解しやすいと思います。

    信用が大きければ大きいほど借金を簡単に出来るし、その借金の金額もでかくなるのです。 信用があると言うことは返せる見込みがあると言うことで、運に例えるなら乗り越えられると判断されたからこそ、「どうして?」と言うようなことが降りかかるのだと思います。

    最初は「どうして自分だけ!」と思うかもしれませんが、長い目で見ると不幸なことや辛いことは早めにある方が後で楽になります。 若いうちに降りかかる不幸と言うのは跳ね返せるけれど、年を取って体力も気力もない状態で降りかかると人生に絶望してしまうのです。


    しかし、運命は公平だと言われること、それは乗り越えられない困難は降りかからないと言うマイナスだけではなく、必要な時に必要なものが与えられる(手に入る)と言うプラスもちゃんと起こりうるのです。

    ただし、これは努力しているとかあきらめないなど日頃の行動がモノを言うので、怠けている人やズルイことをしている人にも恩恵があるわけではありません。 それに道を間違えている人にも運命は味方をしないのですが、正しい道を歩んでいると必要な時には助けが入るようになっています。

    私は県北ではマイナス思考でしたが、県南で霊視カウンセラーとなってからはプラス思考がほとんどです。 県北では根拠が有る無しを思考に取り入れていましたが、県南では「なるようになる」と言う部分で自分の未来を信じています。

    私が明らかに歩む道を間違えていたのは、県北の工場や建設現場で働いていた時~商店街やデパートへ事務所を出そうとしていた時、こういう間違った道を歩いていた時は苦労ばかりでした。

    しかし、「なるようになる」と自然体で進み始めると、何故か誰も借りずに空いたままになっていた今の場所へ辿り着き、しかも大家さんは「占いでもいいよ」と気持ちよく貸してくれると言う風にトントン拍子で決まり、この場所に事務所を構えてからは全く問題が起こりません。

    必要な時には必要なことが起こると言うのを私は度々実感するのですが、最初に書いたように普通の占い師さんでは絶対にありえないことが私にはよく起きます。

    例えば、移動においても私が乗る新幹線や飛行機が止まるなんてことは絶対にないのですが、普通の占い師さんは飛行機や新幹線が止まってイベントや出張を中止するなんてことはよくあります。

    それに私は必要なモノが自然と手に入ることが多いのですが、これは奇跡の連続だと言えます。 コーヒーが足りなくなればN市のIさんがコーヒーを、水が足りなくなれば寄付の神様がミネラルウォーターを、更には素敵なお客様よりクッキーやお饅頭などお茶菓子もたくさん頂くから、栄養満点で見かけはトトロやプーさんのようになっています。 (笑)

    そうして節約できたお金は寄付に回せるから、アフリカの子ども達へ水や食料やワクチン~盲導犬の育成による障害者支援へと循環するので、これもひとえに素敵なお客様のおかげで本当にありがとうございます。

    あなたは必要なことが、必要な時に起きていますか?

    ('-'*)アリガト♪

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    公用語。

    おはようございます。 人は生きている以上は毎日が勉強なんですが、その勉強とは学校だけを指して言うわけではなく、人間関係や商売など常日頃から目にするもの全てが勉強です。 学校の勉強は悪くはありませんが、社会で生き抜く為の勉強とは一味違う苦さや甘さがあるのです。

    始まりは日産自動車ですが最近はユニクロや楽天が、社内の公用語を英語にすると発表しましたが、これは英語が喋れたら偉いわけじゃ無いと言う部分を混同せずに行わないと意味がないと思います。

    こういう話題の時に必ず出てくるのがシンガポールですが、公用語を英語にしたい国は多民族&多言語国家であるから、全国どこでも通じる公用語が必要だからです。 日本の場合は公用語が英語にならないのは単一民族&単一言語だから、今までもこれからも英語が喋れなくても生きていけるし就職もできます。

    屁理屈言わずに常識的に考えれば、日本人と言えば昔から日本に暮らしてきた民族だと考えられます。 (ここではアイヌや琉球、果ては邪馬台国などと言うのは論外です。)

    基本的に日本人ならば日本語を話して日常生活を送るので方言の違いはありますが、日本全国どこへ行っても誰にあっても日本語が通じないということはまずありません。 だから日本の場合は公用語=日本語でいいし、逆に英語にする必要性がありません。

    例外として会社によっては海外との取引があるから日本語が通じないから、公用語として英語に限らず相手国の言葉が必要にはなります。 では、海外と取引があるとは言え日産自動車を始めとしてユニクロや楽天が社内の公用語を英語にするのは何故かと言えば、名と実の両方でしかたがないのかなぁとも思います。

    例えば、ユニクロの場合は数年後に社員採用の75%を外国人にすると発表しましたが、ユニクロは売り上げに対しての純利益率の低さから、おそらくはアジア~インド~アフリカなど人件費が掛からない国の優秀な人材を雇用して、人件費削減による純利益率を上げる狙いがあると思われます。

    また、ユニクロの人件費削減と言う狙い以外では、日産や楽天が通訳&翻訳に支払う外注費も莫大なので、その分を削減できればかなりの節約になります。

    ここで通訳と翻訳についての説明ですが、通訳を一日8時間頼むと一人に付き約5~7万円前後掛かるし、翻訳の方も契約書ともなれば3日間で50万円ほどになります。 契約内容にもよるので一概には言えませんが、通訳と翻訳を自社ですればかなりの節約になります。

    また、企業が通訳と翻訳を外注にしたくないもうひとつの理由は、社内情報がライバルに漏れることを防ぎたいからです。 通訳や翻訳を外注に出しているとライバル社とも取引をしている場合は、契約書の内容をライバル社に売り渡すような通訳&翻訳の会社があるからです。

    例え話ですが、ある翻訳&通訳の会社は値下げ要求の時や儲けが少ない時には、他社へ契約書のコピーを売って儲けの穴埋めをしていました。 車関係だと70~100万円位になるそうですが、こういう守秘義務を守れない会社は仕事が徐々に減るのは当たり前です。

    このように社外へ漏れることを防ぐ為にも英語を公用語にするのは自己防衛も含まれているので、良いことも悪いことも両方あるのである意味では致し方ないと思います。

    ただし、冷静に考えればよく分かるのですが、日本の会社で日本人同士が英語で喋るのは滑稽な姿になるかもしれません。 特に日本語は微妙なニュアンスを伝えようとするワビサビの部分があるので、伝わらないと誤解を生んだり打ち合わせを日本語でやり直すことになるから時間の無駄です。

    語学力と言うのは本人のやる気と必要性であり、規則で決めてやるものではありません。 当たり前のことですが本当に大切なのは語学ではなく、きちんとした考え方を自分自身の考えとして持っているかどうかです。

    日本語で日本人を納得させられないのに英語が喋れても内容は同じで、それよりもきちんとした考え方で筋道を通せば相手はあなたの英語力よりも考えに興味が出るはずです。 つまり、英語などの語学力よりも大切なのは、自分の仕事に対して一流になるかどうかの方です。

    例えば、野球選手は野球~医師は診察や治療ができれば、英語は通訳に任せた方が確実です。 それに語学を上達させたければ必要に迫られることで相手の言葉が聞き取れるようになりますが、必要じゃない時に必要とするのは仮想現実で終わる可能性が大きいです。

    あなたは社内の公用語について、どのように思いますか?

    ★⌒(@^-゜@)v ヨロシクネ♪

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    王様のレストラン。

    おはようございます。 無事に東京から帰ることができましたが、いつもいつも滞りなく無事に帰ることができるのは奇跡そのものです。 当り前ではなく奇跡だと思うから感謝が沸き起こるのであり、人生と言うのは料理みたいに皿の上で起こることは人生でも起こります。

    私が好きなドラマに「王様のレストラン」と言って、フジテレビで放映された連続テレビドラマがあります。 私が中学生の頃にあったドラマですが、正式にちゃんと見れたのは霊視カウンセラーとなってからです。

    内容は伝説のシェフだったオーナーが亡くなり、従業員の質が下がって客足が遠のいてしまったフレンチレストラン「ベル・エキップ」に、新しいオーナーになった未熟な青年と彼の願いで復帰した伝説のギャルソンが店を立て直す姿を、コメディータッチで描いたドラマです。

    「警部補 古畑任三郎」の後に放映されたようですが、「警部補 古畑任三郎」が成功したことで三谷幸喜さんの発言権が増えて、「王様のレストラン」のキャスティングは三谷幸喜さんの希望が通ったようです。

    その為に豪華キャストが勢ぞろいで、松本幸四郎さん~筒井道隆さん~山口智子さん~鈴木京香さんなどです。 音楽は服部隆之さんが担当して、ほとんどがレストランの中に限定された舞台設定は放映当時のドラマとしては珍しかったようです。

    また、重厚なストーリーを醸し出す為にナレーションを取り入れたのですが、そのナレーションは暖かいほのぼのした語り口の森本レオさんが担当しました。 ちなみにドラマ主題歌「Precious Junk」は、その当時まだ無名だった平井堅さんのデビュー曲です。

    ドラマに出てくる料理監修は服部幸應さんで、店のスペシャリティとして登場する「オマール海老のびっくりムース」は、実際に料理を担当していたシェフがオーナーの「シャンドマルス(現在は閉店)」で実際に味わう事ができました。

    私はドラマを見ている時に「このドラマには接客業としてのエッセンスが詰まっている」と感じて、その当時はビデオがあったので録画して家に帰ると見ていました。 今はビデオが壊れたままになっているし、DVDも持っていないので見ることができないのは残念です。

    この「王様のレストラン」の舞台となった場所へ、いつの日か行ってみたいと思うまでになりましたが、霊視カウンセラーとなってから東京出張を始めたことにより、いつの日か実現するのではないかと夢見ていました。

    「王様のレストラン」に出てくるのは、各国の大使館や最先端のブティックが集まるおしゃれな街「東京の代官山」にある、「マダム・トキ」と言う1978年に開業したフレンチレストランがロケ地です。

    オレンジの外観がひときわ目立つ優雅な一軒家で、内装の壁はマホガニーを使い柱も床もイタリアの大理石で作られている欧州の古き良き雰囲気を醸し出しています。

    この「マダム・トキ」の門がTV画面でアップされたところからドラマが始まるのですが、門をくぐると花に飾られたテラスがあり~ここを背景に出演者紹介の映像が流れたのです。 ドラマに出てくる店内はスタジオに組んだセットですが、調理室の小さな丸い窓やバーコーナーは「マダム・トキ」の内装を再現しています。

    その当時の製作会社の人たちが色々と見て回って、ドラマの店の格式はビルの一室のレストランではなく一軒家だからこそ表現できたと、スタッフやキャストの方も言っておられるようです。

    この「マダム・トキ」にいつか行きたいと言う願いなんですが、7月の東京出張でとうとう叶いました。

    代官山には初めて足を踏み入れましたが、オシャレな街でどんな小さな路地にもお店が存在していることに驚きました。 普通の感覚で言えば路地にお店があってもやって行くのは無理ですが、それがちゃんと経営していけると言うのは路地が路地ではない町の作りにもあると思うのです。

    「マダム・トキ」へ足を踏み入れた時に、「あぁ、ここが王様のレストランかぁ!」と感慨深いものがありましたが、実はさらに驚いたのは接客の態勢です。 こんなに丁寧にしてくれるのかと言うくらい親切丁寧で、私は自分自身の接客態度が恥ずかしくなりました。

    お越し頂ける素敵なお客さまに対して、もっと丁寧で親切なことができるのではないかと反省させられました。 2011年1月の新年会の会場候補の一つに、「マダム・トキ」は入れたいと思いました。 (新年会をどこでするかは、これから徐々に絞り込んでいきます。)

    あなたは王様のレストランに、行ってみたいですか?

    (=⌒▽⌒=) アハハ~!

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    トトロの秘密。

    おはようございます。 今夜はジブリ最新作の番宣を兼ねて「となりのトトロ」が放映されますが、新作よりも20年以上前に作られたトトロの方が面白いと言うのが今のジブリのジレンマです。 (現実問題としてもTV視聴率は、ジブリ初期作品の方が圧倒的に高いようです。)

    実は「ハウルの動く城」の辺りからヒットするけれど、ドンドンと過去の遺産を食い潰している状態です。 色々な原因はあるのでしょうが、今のジブリは過去の遺産でしか食えない状況に陥っています。

    スポンサーやTV局の以降もあるから仕方がないけれど、声優に本職を使わず知名度のあるタレントを起用することが、ジブリ作品失速の一因となっていることに気付かないのは不思議です。 (これはジブリの○○さんの方針なので、2012年7月公開予定の○○も芸能人を起用します。)

    声のイメージが強すぎてキャラクターよりも芸能人そのものを思い浮かべてしまうから、これがストーリーに入り込めない心理を作り上げています。 こうなると思い入れがないから面白かったと言うだけで終わるから、ナウシカやトトロや魔女の宅急便に負けてしまうのです。

    では、今夜放映される「となりのトトロ」について、トリビア的と言うか小ネタ的なことを書いて見たいと思います。

    トトロの舞台のモデルとなったのは埼玉県所沢市の狭山丘陵で、これはトトロ好きなら基本なのですが、実は大分県の宇目に「ととろの里」と呼ばれる場所があります。 ここのバス停ではトトロのパネルも飾られているのですが、これは大分県宇目町南田原の轟(ととろ)地区にあるバス停です。

    轟地区は「ととろ」という読みに加えて自然環境なども「となりのトトロ」の舞台に似ているので、密かにトトロファンの間で知られるようになった場所です。 屋根の付いた木造の小さなバス停に、「大分バス/ととろ/のりば」と言う停留所の正式表示が書かれているだけでしたが、1997年9月に「ネコバス」を描いた看板が出現しました。

    高さ2メートル以上の大きな看板ですが、誰が描いて誰が置いたのかは一切不明です。 これがきっかけとなり、休日などにはファンがバスを連ねて押し寄せる騒ぎになったのです。

    さらに翌年の1998年1月には等身大トトロの看板が出現して、傘をさしたトトロ(高さ約1.5メートル)がバス停の待合室に置かれました。 こちらもネコバス同様に誰が描いて誰が置いたのかは一切不明です。

    騒ぎの起こった当初は記念撮影など大勢の観光客に地元住民は困惑気味だったのですが、観光収入が入るようになってからは話が変わりました。 宇目町では轟地区を「ととろの里」として積極的に観光アピールして、人気スポットになっているようです。

    ちなみに騒ぎの発端になったネコバスの大看板は「風雨にさらされないように」と、バス停から5キロほど離れた樹齢千年と言われる大イチョウの近くに移されました。

    さて、聞かれたら答えられないけれど「なるほど~!」と思える質問のひとつに、「トトロは何歳ですか?」と言う質問があります。 映画を見ていると気にならないけれど、聞かれたら気になる質問だと思います。

    トトロには「大・中・小」と3人のトトロが出てきますが、それぞれ年齢と名前が違います。 映画を見ながら気にすることではありませんが、知っている上で見るのは違った見方もできるかもしれません。

    「そんなの、答えがあるの?」と思うかも知れませんが、宮崎駿監督のイメージボードには答えが書いてあります。 まずは呼び名(名前)ですが、大トトロは「おおとうさん」で中トトロは「とうさん」なので、こうくるなら小トトロの名前は「ことうさん!」と答える人が多いと思いますが、その答えは最後に書いてあります。

    それぞれの年齢ですが、大トトロ「おおとうさんは1302歳」で、中トトロ「とうさんは679歳」で、小トトロは「109歳」とされています。 このイメージボードの設定を脚色&映像化したのが、アニメ映画版の「となりのトトロ」になります。

    宮崎駿監督は公開前に周りから「となりのトトロ」を貶されたので、公開するのも2本立てになるくらい全く期待していなかったのですが、今では「トトロに食わしてもらっている」と発言するくらいジブリに貢献しています。

    さて、今夜放送のトトロの中で、トトロと出会ったメイが木のトンネルの入り口に落としたものがあります。 (答えは帽子ですが、この辺をクイズ形式に見ると面白いと思います。)

    また、サツキがお母さんに「今日、メイがトトロに出会いました」と手紙を書いているシーンの時にトトロは何をしていたかと聞かれたら、答えは「小トトロと中トトロを従えて、大クスノキのてっぺんで趣味のオカリナを吹いていた。」となります。

    後半部分でメイが迷子になった時、サツキはトトロになんと言って助けを求めたのかと言えば・・・?

    答えは「トトロ! メイが迷子になっちゃったの。 探したけど見つからないの。 お願い。 メイを探して。 今ごろきっとどこかで泣いてるわ。 どうしたらいいか分からないの。」と言ったら、トトロはサツキを握り締めてガバッと跳ね起きてネコバスを呼んでくれるのです。

    では、先ほどの答えですが、小トトロの名前は「ミン」と言います。 「えぇ~、なんで?」と突っ込まないでくださいね、ミンはまだ子供なのでミンちゃんです。

    あなたは懐かしさの中に、温かさを見つけることができますか?

    (*'ー'*)ふふっ♪



    お知らせ:出張の為、ブログの更新は28日(水)から再開します。 出張中でも予約の受付はしておりますので、遠慮なくお気軽にお申し付けくださいね。 いつもご予約いただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    合コン。

    おはようございます。 いつも素敵なあなたには出会いすらコントロールできるかもしれませんが、それは偶然と言う名の幸運が必要になってきます。 出会いには偶然も必然もありますが、お見合いや合コンも出会いのひとつではあります。

    私は県北の田舎で工場や建設現場などで働いていたこと、さらにいじめられていたと言うことも関係して、合コンの経験はゼロで全く持って知識だけです。 ただし、知識だけとは言っても霊視で視て得た知識だから、余り外れてはいないと言うか当たりそのものだと思います。

    N市のIさんや寄付の神様に言わせると、「山崎さんは合コンに行ったこともないのに、どうしてあそこまで分かるの?」と言われることも多いので、これから書くこともあながち外れではないと思います。

    では、合コン必勝法の始まりですが、まずは場所選びです。 この場所選びの絶対的な原則は「個室を選ぶ」と言うことで、個室を用意できないのであれば最初から期待しないことです。 それは個室でないと他の人が見えたり気になってしまい、合コンに集中しなくなる&できなくなるからです。

    また、個室ではない大衆系の居酒屋だったりすると周りの学生や社会人がうるさすぎて、声の小さい人だと声が聞こえない状態になることもあります。 うるさい場所だと話をするたびに「え?」と聞き直すことになるので、そうなると合コンどころではありません。

    結論として合コンは料金が高めかも知れないけれど個室を選ぶようにして、最低でも半個室を準備できることが成功への第一歩です。

    それから男性は合コンの時に狙っている女性が同じだと、「仲間を売る」と言う問題外の行為をよくします。 競争相手の悪口を言ってみたりして、自分の方が良いよと暗にアピールします。 しかし、こういう男性はアウトなのですが、仲間を売るようでは人間性に問題アリですし、その場の空気が乱れるのを平気なんて言うのはKYです。

    あくまでも合コンは楽しい場だから「彼にはこんな良いところがある!」と、周りに気遣いできる男性こそが当たりなのです。

    それから合コンの場合は席に着く前から始まっているのですが、合コンは座席が全てになる可能性が大です。 合コンだけではありませんが人は第一印象を決めるのは会ってから数十秒なので、好みの相手がいたら積極的に近くにいるようにしないと負けてしまいます。

    男性は遠くにいるよりも近くにいる女性を好きになる習性があるので、時間をおいて席替えしようとも第一印象で好感触の女性を男性は虎視眈々と狙うのです。 合コンで大切なのは第一印象で、その為には必ず良い位置を確保することが必要なのです。

    それでは男性が合コンで使うテクニックの御紹介ですが、多いのは「酔ったふり作戦」と言うのがあります。

    どういう場面で使うかと言えば、酔ったふりして「君のこと、好きになったみたい」とかなんとかさりげなく言うのですが、面と向かって言うけれど酔った勢いだと言い訳が付くようにして告白して相手の反応を見ます。

    そして合コンが終わってお酒が少し抜けた頃にさりげなく、「さっき言ったことは、酔った勢いじゃなくて本気だから。」と言って、女性がドキドキするように仕向けるのです。

    好きと言う言葉を2回も言われたら好きじゃなくても気になり始めるので、メルアドや電話番号を聞き出しやすいと男性は考えています。 そしてゲットしたアドレスに速攻で「今日は楽しかった。 今度は二人で会えたらいいね。」なんて、気があるそぶりを見せながら好きと言う言葉はメールに入れません。

    実はメールだと証拠が残るから「好き」と言うのは二人だけの時にだけ言って、証拠が残らないようにする計算なのです。 とくに遊びで付き合おうと考えている男性は、度々メールを送って気のある素振りは見せるけれど、愛とか好きなんて言葉は絶対に使わず逃げ道を残しておくのです。

    また、何度も書いていることですが合コンの時には、「好みの女の子」を最初は無視すると言うのが男性の基本です。 合コンを始めた時は自己紹介程度で、余り話さないようにして好みの子を無視しておきます。 (無視する方法は色々あるので、見極めも必要です。)

    そして女性に「あの人に嫌われているのかな?」と思わせておいて、合コンが終わった後で二人きりになったら「君のことが気になって話が出来なかった…、今度ゆっくり話をしてもらえませんか?」と言って、「あっ、ホントは私のこと好きだったんだ!」と勘違いさせるように仕向けるのです。

    私は今までの生活が生活だから合コンに行ったことは一度もないし、女性と付き合ったことも一度もありません。 だから全ては霊視と言うバーチャルな世界でのことを知識として得ていますが、N市のIさんや寄付の神様など男性から言わせると私に合コンや恋愛を語らせたらプロと言う評価を頂いています。 (苦笑)

    あなたは合コンで、成果が出ていますか?

    「(ーヘー;)え~と…?

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    喉元過ぎれば。

    おはようございます。 いつも素敵なあなたには幸運が訪れるのですが、いつもいつも同じように訪れていると小休止して、本当にありがたいと思える時まで何も起こらなくなる場合があります。

    人は贅沢にはすぐに慣れるのですが、苦しいことにはなかなか慣れません。 私も人のことは言えないのですが人は幸せな日々が続くとセンサーが鈍ってくるので、気を付けないと幸せが当たり前に変換する贅沢な感覚に陥ります。

    そのいい例が日本航空(以後はJALと表記)ですが、JALは親方日の丸的な経営をしてきたので、利益を上げると言うことをせずに給料や福利厚生を充実させていたから、当然のごとく経営破たんしました。

    正式には2010年1月19日にJALは東京地方裁判所へ会社更生法の適用を申請して即日受理され、同日中に企業再生支援機構が支援を発表しました。 その負債額は約2兆3221億円(2009年9月30日現在)で、戦後4番目の大型倒産と言う誠に不名誉なことを引き起こしました。

    会社やお店を経営している人は大小に関わらず、売り上げ向上に努力をして経費削減など血のにじむような努力をしているのに、JALは国が関与した企業&公共交通機関であると言う点で、過去の借金を全て棒引き(チャラ)にしてもらった上に税金を投入してもらいました。

    普通の会社やお店なら倒産すると言っても国は見殺しにして知らん顔ですが、JALは当たり前のように助けてもらいました。

    潰れるところを助けてもらえたのですから、経費削減などの努力で投入された税金は返すのが筋なんですが「貰ったら知らん顔」と返す気がゼロで、厚顔無恥と言う部分では政治家やお役人と同じです。

    おまけにJALは借金チャラ+税金投入により余裕ができたので、ANAに値引き合戦を仕掛けて顧客を取ろうとしていますが、国が後ろ盾だから公正取引委員会もJALを擁護してANAを見殺しにしようとしています。

    ANAは飲み物の無料サービスを有料に切り替えたりと涙ぐましい努力ですが、JALは借金チャラ+税金投入で予算があるから飲み物無料+お茶菓子を始めています。 そして肝心のチケット価格、これはもうJALが圧倒的に安く独壇場です。

    JALとANAを、「名古屋中部⇒沖縄那覇の8月28日(土)」で比べてみると、ANAで一般的な旅割運賃は片道「29600円」です。 しかし、JALは最安値だと片道「13300円」だから差額は片道「16300円」になります。

    JALは国の後ろ盾をいいことに、市場原理を無視した無茶苦茶な価格競争を仕掛けていますが、こんな企業が市場で生き残るのは不平等極まりないのです。 これは対岸の火事と言う他人事ではなく、国は不公平をあなたの会社に何時押し付けるか分からないのです。

    「岡山⇒東京の8月28日(土)」を見ても差額が凄いのですが、JALなら最安値「10900円」で東京へ行けますがANAは片道「16100円」になります。 その差額は片道「5200円」と大きいのですが、私はJALみたいに卑怯な企業を利用するのは正義に反するのでANAに乗ります。

    では、表に出ない内緒話ですがリストラやボーナス無しなど、JALは帳簿の上では2011年に黒字化の予定です。 しかし、それは建前としてボーナス無しになっているだけで、実は2011年3月頃に一人当たり150~200万円の、特別ボーナスを極秘に支給する計画があります。 そんな高額の特別ボーナスを出す余裕があるなら、その前に税金を国民に返還する方が先だと思うのです。

    JALはお金持ち優遇の企業だから、お客様の為よりも自分の為と言う社風が根強いです。 一般のお客様と有名人では扱いが極端に違うし、社長と平社員でも扱いが全然違います。

    実は2010年5月8日に帝国ホテルで、寄付の神様の知人(Aさん)が結婚式&披露宴をしたのですが、その結婚した相手がJALのCAさんです。 Aさんが成田発⇒ニューヨーク着へ搭乗していた時に何度も何度も席へ来て親切にしてもらい、更には名刺を渡されて「よろしければ現地でお食事に行きませんか?」と、逆ナンされたのが結婚のキッカケです。

    寄付の神様の知人(Aさん)は富裕層ですが、CAさんは顧客情報によりAさんを狙い撃ちしたらしいです。 JALは顧客情報を元に親切にするかどうかを決めているので、よく見ると機内でもCAさんがお金持ち(上客)にだけ挨拶していますが、これはもはや社風による体質だから変わることはないと思います。

    倒産するかもしれない時には一生懸命で、軌道に乗り始めたら途端に昔のことは忘れてしまうのが、人間の悲しい心理なのかもしれません。

    あなたは喉元過ぎれば、熱さを忘れますか?

    ( ̄◇ ̄) アキレタ~!

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    努力の方向。

    おはようございます。 今日は連休明けなので体がダルイ人もいると思いますが、素敵な一日となることを信じています。 私は朝の掃除からブログの更新まで、一連の動きは決まっています。 そして時間配分もほとんど同じで、倉敷事務所へいる時はほとんど変わりません。 東京出張の時もほとんど変わりなく、同じことを~同じように~同じ時間だけしています。

    人生とは永遠のルーティンワーク(ルーチンワーク)と言ってもいいのですが、寸分たがわず毎日続けるのは意外と難しいのです。

    私は365日休み無しでしていますが、人の日常は個人の意志の強さが関係しています。 朝起きるのが遅れることもあるでしょうが、それは前日に早く寝ないとか~疲れを溜めて無理していたなど、朝起きることが出来ない理由に隠れている部分を排除するのが難しいのです。

    私は受付~鑑定~予約などを全てひとりでしているから、毎日夜8時には予約を受ける体制を作っています。 これを簡単だと思う人はやってみればわかるのですが、8時から10時までの2時間に毎日予約を取ろうとすれば、それは普通の男性では根を上げるかもしれません。

    私は酒やタバコやギャンブルなどは一切しないから、事務所を出たら自宅へ一直線に帰って炊事や洗濯などを8時までに終わらせて、それから予約を受ける2時間に入ります。

    しかし、普通の男性は仕事が終われば、ちょっと一杯とか~パチンコへいくなど遊んだり、家にまっすぐに帰る人でも炊事や選択は奥さんや彼女任せで、自宅では何もしていない人も多いはずです。

    このように毎日の生活には誘惑も多く「ちょっとだけなら…。」と言うことを、如何に乗り越える精神力があるかと言うこと、それこそが自分の夢を叶える原動力や推進力にもなるのです。

    御相談の中でも時々あるのですが「仕事が辛くても頑張る」とか「苦しいけれど仕事だから」など、その前向きに頑張ろうとする姿勢はとても素晴らしいと思います。 社会と言うのは必ずしも自分がやりたいことだけがあるわけではありませんが、勇気を持って立ち向かうのは本当に素晴らしいと素敵なお客様より感銘を受けています。

    しかし、頑張ると言う行為は素晴らしいと思うのですが、努力していることが辛いとか苦しいと言うのは歩く道が間違っているから、「早く修正してください!」と言う暗示なのかもしれないのです。

    本来の仕事とは楽しくてウキウキしてくるものであり、辛いとか苦しいと思うのは自分が行くべき道を行っていないからであり、本当に自分がやりたいことをしていたら辛いとか苦しいなどと思うことはありません。

    もしも、やっている努力の中身が間違っているのであれば、それは成果が出にくいとか~叶わないと言うこともよくあります。 努力したら願いが必ず叶うわけではないけれど、成功した人や夢を掴んだ人はひとりの例外もなく努力をしています。

    見て見ぬフリをしたところで、今の自分を見た時に虚しさやどうしようもない思いが心の片隅に引っかかるのは、自分が何もしていないことに気が付いているからだと思うのです。

    「私には何かができるはずなのに、何もしていないのはダメなんじゃ…?」と言う気持ちは、あなたが真面目に自分の人生を考えている証拠だから、そういう気持ちは素晴らしいから大切だと思います。

    本当にダメな人は何も考えないし、今の自分をダメなんて考える発想がありません。 反省しようとか~努力しようという気持ちは、あなたが自分を変えたいとか努力したいと言う、前向きに動きたい気持ちが心にあるからこそ思えるのです。

    人は何不自由ない生活をしていたところで、それだけでは心の方が満足できません。

    お金があっても友達がいなければ寂しいだけだし、お金があって友達がいても病気で寝たきりだと楽しさは半減してしまいます。 人は欲で動いている時にはわからないけれど、大切な何かを失って始めて分かることもあるのです。

    努力は大切ですが、努力の方向性はもっと大切です。

    これを勉強に例えるなら、国語の成績を上げようと数学の勉強をしているのは、勉強をしていること自体は正しいです。 しかし、その努力を数学の本ではなく国語の本を読む方へ向けないと、いくら勉強しても国語の成績は上がりません。

    ダイエットに例えるなら「これを食べたら始めよう。」となりますし、お金を貯めるのであれば「旅行へ行ってから貯金しよう」となります。 まず自分が欲しいものを手に入れて、それから始めようとするのは出来ないことが前提と言うか~何も始めないのと同じです。

    あなたは努力の方向を、間違えていませんか?

    ★⌒(@^-゜@)v ヨロシクネ♪

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    修行する。

    おはようございます。 私は生きているだけで嬉しいと、些細なことに喜べるのは今までの人生が不幸だったからです。 人は苦しいことにはナカナカ慣れないけれど、楽なことにはすぐに順応してしまうものです。

    私は県北で棺桶か刑務所だった人生を、今のように誰かの役に立つ人生へと進めるのは凄く幸せで、それも全てお越し頂く素敵なお客様のおかげで感謝の気持ちが絶えません。

    ただし、私自身は当たり前だと思ってすることがほとんどで、特別な意識を持って修行しているなどと思ったことはありません。 4畳半一間で生活しているのも飯場に寝泊りする&橋の下で寝ることを思えば贅沢だし、TVを自由に見ることが出来るのだからDVDやビデオがなくても幸せです。

    私は夕食におかず一品だけあれば充分なので、ほうれん草だけとかウインナーだけとか素うどんのみで充分に幸せだと言えば驚かれるのですが、いくら贅沢したところで人間の胃袋に入る量は決まっています。

    N市のIさんや寄付の神様は私のことをストイックと言いますが、私が普通に感じることを周りがストイックと言うだけです。 それに何かあれば修行~修行と口にする人がいるけれど、「修行とは何を持って修行とするのか」の本質を分かっていないから、気軽に修行と言えるだけです。

    少し説明すると「修行」とは仏教における精神の鍛錬に関する用語の一つで、財産~名誉~性欲~食欲と言う人間的な欲望から解放されて、生きていること自体に満足感を得られる状態を追求することが、本当の意味で修行とされているのです。

    この仏教用語を元に古代インド宗教における同じような行為や、他の宗教における精神鍛錬においても、それに当てはまる適当な用語が無い時には「修行」と言う言葉がよく用いられます。

    また、修験道における山岳修行中の山伏仏典の中では、特に修行と呼ぶことは少なくて「行」と呼ぶことが多いようです。  特に厳しくて苦しいと思われる修行は「苦行」と呼ばれて、特別重要で中心的な修行を指して「正行」と呼ばれ、補助的な修行を「助行」と呼ぶように区分分けされています。

    修行を行う僧を日本では「行者」とか「修行僧」と呼んで、同じような「修験者」も行者と呼ぶようです。

    一応ですが修行においては人間的な欲望以外にも、「怒り~怨み~妬み~憎悪」と言うような否定的感情も破棄しなければならないとされているので、自分にやり遂げたと言う感情を持たせる為にも滝に打たれたり~燃える炭上を歩いたり、意味はないけど自分を鍛えたような気にさせる内容が多いです。

    日本語では修行を「修業」と表記して意味が混同される場合も多いのですが、修行は「宗教的な行」であり、本質的に「仏の悟りを求めて実践すること」を指しているのに対して、修業は世間的な学問や技芸などを習い修めることや職業的な生業を習得することを言うので明確に違います。

    ざっと簡単にですが修行について一通りの説明をしましたが、何事も修行と言う言葉を使って誤魔化すことが多いのが残念です。

    「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず」と福沢諭吉さんが言いましたが、実は福沢諭吉さんが引用しただけで本当は別な人が言った言葉です。 今日の本題は修行なので詳しい解説はしませんが、人に上下の区別はないので修行と簡単に口にする人は修行の本質がわかっていません。

    本当の修行とは生きていること自体に満足感を得られる状態を追求することなので、贅沢せずに自然の味覚を味わうことや木々の木漏れ日を楽しんだり川のせせらぎに耳を傾けたり、目が見えて手足が動いて自由自在に動けることに感謝したりすること、それら全てが修行となっていることに気付いていない人が、「山に籠もり滝に打たれる」なんてアホなことを言い始めるのです。

    もしもあなたが神様ならば「山に籠もって滝に打たれている人とカンボジアで地雷撤去している人」のどちらに手を差し伸べるのか、「座禅を組んで自分の為に瞑想している人とボランティア活動を実行している人」のどちらに幸運を与えるのか、当たり前に気付かないのは修行と言う言葉の響きに惑わされた心の弱さです。

    山に籠もって修行するのは贅沢をしているから修行になるのであり、普段から質素倹約していれば毎日が修行になります。 煩悩がどうのこうのと言うのは欲まみれで自分のことだけ考えている人だからで、誰かの役に立つ人生を送っていると余計なことを考える暇はないので、山に籠もって滝に打たれたり座禅を組んで瞑想する暇もありません。

    大袈裟に修行と言って山に籠もり滝に打たれるのは個人の自由ですが、それをすることで世の為人の為になるのかどうかを考えたら、山に籠って滝に打たれるよりもキチンと働いて収入を得て、その余力で寄付する方がよほど修行になると思うのです。

    なお、東京には約6千円を払えば5分間滝に打たれることができるお寺があり、占い師さんや僧侶など色々な方々が滝に打たれるシーンをビデオに撮っていますが、これが「滝に打たれて修行した!」と言う種明かしです。 (苦笑)

    あなたは修行することを、どのように考えますか?

    (*'ω'*)......ん?

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    諸事情。

    おはようございます。 お知らせからですが次のキリ番は「415415」で、ゲットした方はHPのキリ番をお読みの上で御応募してくださいね。 また、東京出張の7月26日の月曜日と24日の土曜日に少し空きが出ましたので、東京での霊視を御希望の方は遠慮なくお申し付けくださいね。 m(__)m

    さて、占い師さんにも色々な先生方がいるし、スピリチュアルカウンセラーの先生方にも色々なタイプの方がいます。 その色々なタイプの先生方を経験することで、本物を見抜く目ができてくると思うので、色々な先生方に会うことは決して無駄ではありません。

    最近はお医者さんだってセカンドオピニオンと言って、ひとりだけではなく他の医師の意見も聞くと言うことが日常化してきています。 色々な占い師さんへ行くのも、それはそれで楽しいのではないかと思います。

    私が東京出張をするようになったのは、最初は東京のお客様よりのリクエストでした。 最初はどこで鑑定しようかなぁと思って色々な場所を検討したのですが、初期の頃は東京の占い会社が所有するブースにてやろうとしてお願いへ行ったこともあります。

    その会社は東京でも老舗の会社で有名な先生方が所属している会社だったのですが、その時は場所代を「1日5万円払え」と言われたので断念しました。

    そして第一回目の東京出張はファミレスで行いましたが、この時はよくお客様が来て頂けたと驚きです。 2回目の時から今の場所になったのですが、その当時は日帰りと言う強行日程でした。 (第一回目に来て頂いたお客様は、今もお越し頂いております。)

    しかし、回を重ねるごとにお客様が少しずつ増えてきて、今では月に2回行けるようになったので、これもひとえに素敵なお客様のおかげだと感謝しています。

    東京で霊視カウンセリングをするようになってから気付いたことですが、TVや雑誌に出ている有名な先生方が予約で一杯なのは、実は「実働日数と実働時間が少ない」と言うのも大きな要因です。

    例えば、TVや雑誌で大活躍している、有名な○○の母で検証してみたいと思います。 ○○の母はTVなどで度々紹介されているように、デパートの角の空きスペースにて街頭鑑定をしています。

    TVや雑誌で見る限りはお客様の為に、毎日街頭でお客様の為に鑑定しているように見えますが、残念ながらあれはTVの中だけで本当は違います。 ○○の母が街頭鑑定をしているのは、毎週土日の午前7時20分~午後1時までだから実働は5時間40分です。 そして街頭鑑定の場合は1日で、10分=5000円×25~35人を鑑定することになります。

    10分ではすぐに終わるから事務所での鑑定を勧められますが、○○の母は立派な事務所を構えています。 事務所での鑑定は毎週水曜日の午前9時から~午後4時までだから、休憩を除いて実働6時間で、事務所での鑑定は1日で30分2万円×8~12人となります。

    ここまで読んだ方はお気付きだと思いますが、○○の母は毎週「水~土日」の3日間だけの鑑定で実働時間は6時間以内です。 それでも鑑定料を計算してみると相当な収入になるので、どの先生方も有名になると鑑定料を値上げして鑑定人数を減らすと言う楽を始めます。

    週2~3日しか鑑定しないから予約が取れないのは当たり前で、有名になると「楽して儲ける」と進むのが悲しい現実です。 (あの有名なスピリチュアルカウンセラーの江原さんですら個人鑑定をしていませんが、ご存知のように芸能人などは個人鑑定を受けられます。)

    また、意外に思われるかもしれませんがTV局や雑誌などの関係者も、取材では有名な先生方のところへ行くけれどプライベートでは行きません。 それはTV番組内で行っている霊視&占いを、目の前で実際に行うのは無理だと分かっているからです。

    例えば、「○○○○」で話題騒然の○○先生は番組内では脅威の的中率ですが、実際の鑑定は普通に占いをするだけなので一般のお客様は困惑されています。 ○○先生は「○○○○」への出演を止めてしまいましたが、台本通りにしただけなのにインチキだと叩かれるのは非常にお気の毒です。

    資本主義社会はアイディア次第で良くも悪くもなるのですが、TV番組は視聴率が命なので演出があるのは仕方がないと思うのです。 面白くする為にはキチンと打ち合わせをして、台本に従ってやるから成り立つのです。 もしも本当に「○○○○」のような霊視&占いが実際にできたら、日本中の占い師さんがお客様ゼロで占い師廃業になってしまいます。 (苦笑)

    映画やドラマには台本があるのに誰もヤラセだと言わないように、TVの霊視&占いだって筋書きがあるのは当たり前です。 私はTV番組についてはヤラセだと言い切れますが、TVの霊視&占いは演出や仕込みがなければ鑑定はできません。

    あなたは諸事情を、色々とご存知でしたか?

    (〃 ´ ▽ ` )ノ" アハッ!

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