
おはようございます。 今月は私の誕生日があったのですが、何故か御存知の方が多いので不思議です。 私は誕生日を祝ってもらうことは今まで生きてきてゼロでしたが、霊視カウンセラーとなってからはお声掛け頂くことが増えてきたので本当にありがとうございます。
このように幸せだと感じることが増えてきたから、今は不運と感じることは激減しました。 不運と言うのは占いの好き嫌いに関わらず感じることがありますが、この不運と言うのは何を規準に言うかによって変わることも多いです。
私は五体満足であるのは凄く幸せだと思いますが、それが当たり前に思う人は幸せでも何でもありません。 誰かと誰かを比べた時に発生する差を、幸せや不幸せとして考えるのは自分で作り上げる格差です。
しかし、そうは言っても当たり前にできていることができなくなれば、やはり不幸せに感じてしまうのは人の感情としては正しいです。 電車に乗り遅れたとか、会社で同じミスをしたのに自分だけ怒られたなど、何かで不運を感じてしまうのは悪いことではありません。
小さなことでも重なれば大きく感じ始めるように、小さな不運でも毎回~毎回起こったなら、嫌気が差してくるかも知れません。
運を良くする為には運の良い人に近づこうと言う基本はあるけれど、いつもいつも運の良い人にばかり出会えるわけではないから、車で言うガソリンスタンドに当たる「幸運スポット」を見つけだしておくのもひとつの手です。
私は不運を感じた時だけではなく、いつも事務所にいる変化のなさによるモチベーション低下を防ぐ為に、出張や出張に伴う人との出会いなどの変化を自ら作り出しています。 そうすることで単なるお店が幸運スポットに早変わりするかも知れず、幸運スポットとは自分で見つけるものなんです。
神社ひとつとっても、「○○神社が良い」とか「□□神社が良い」など、人により合う合わないの相性の問題もあります。 合わない神社へ行ったところで、自分の運気に変化がないどころか悪くしてしまうことすらあります。 神社仏閣などは一度行った後で悪いことが立て続けに起きたら、それは合わないから止めておきなさいと言う暗示なんです。
それなのに雑誌やTVに出ていると、つい後光効果により良いように見えてしまうのです。 雑誌やTVに出ているからと言って大挙して押しかけると、神様も言い感じはしないと思います。 霊験あらたかで神聖なる場所なのに、ドヤドヤガヤガヤしているようでは落ち着きません。 神様だってプライベート空間を邪魔されるばかりだと、気持ち良いはずがありません。
「幸運スポット」とは、人が集まる場所~輝いて見える場所~居るだけで楽しくなる場所など、何故かはわからないけれど「運が良くなった感じがする」と言うのが大切です。 そんな幸運スポットを日頃から探しておいて、いざと言う時だけではなく立ち寄れる回数を増やしておくと、運気の低下を軽減~もしくは避けることができるのです。
特に会社やお店を経営している人は、運気の上昇や下降に敏感でなくては成功が望めません。 それと言うのも会社やお店の場合は不特定多数の人が出入りするし、自分の感情だけで来店や来社の人を制限できるわけでもないので、いきなり危険な状態になることがあります。 (俗に言う、運の悪い人とか不運な人と言います。)
これは一般的にも言えるのですが、「不運を撒き散らす人」と言うのは防御できません。 いくら運の良い人でも「不運を撒き散らす人」と同じ空間で同じ時間を過ごすと、運が悪いのが伝染してしまうことがあります。
私も年に何回かあるのですが、不運を撒き散らす人と同じ空間に一定時間いた時はガクッと運が下がることがあります。 例えとして、急に体調が悪くなったり予約ゼロが1週間以上続いたり、何をどうしてもダメな時があります。
回避方法として運の良い人に会うのがいいのですが、私で言えば寄付の神様やN市のIさんに会ったりして、運が好転するのを待つしかない場合もあります。 特に東京出張など気分転換しやすい時なら立ち直りも早いのですが、そうでない時はひたすら時間の経過と共に不運が通り過ぎるのを待つしかない場合もあります。
お越しくださるお客様に失礼の無いように、倉敷事務所内は快適な状態を保つようにしては居ますが、仮に手も足も出ないくらい不運な人がきた時は掃除や浄化で必死だったりします。
不運を撒き散らす人と同じ空間に居ると、何故か分からないけれどミスが増えたり上手く行かない場合が多くなります。 しかし、会社やお店では避けることができない場合もあるので、「ダメージを受けたら回復させる」と言うのが基本です。
あなたの笑顔で喜ぶ人が大勢いるのに、そのあなたが沈んだ顔でいたなら大切なモノを喪失してしまうかもしれません。 未来は明るいからこそ、期待感が大いに膨れ上がるのです。
あなたは不運を防御して、良い運命を辿るようにしていますか?
Σ(ノ°▽°)ノハウッ!
このように幸せだと感じることが増えてきたから、今は不運と感じることは激減しました。 不運と言うのは占いの好き嫌いに関わらず感じることがありますが、この不運と言うのは何を規準に言うかによって変わることも多いです。
私は五体満足であるのは凄く幸せだと思いますが、それが当たり前に思う人は幸せでも何でもありません。 誰かと誰かを比べた時に発生する差を、幸せや不幸せとして考えるのは自分で作り上げる格差です。
しかし、そうは言っても当たり前にできていることができなくなれば、やはり不幸せに感じてしまうのは人の感情としては正しいです。 電車に乗り遅れたとか、会社で同じミスをしたのに自分だけ怒られたなど、何かで不運を感じてしまうのは悪いことではありません。
小さなことでも重なれば大きく感じ始めるように、小さな不運でも毎回~毎回起こったなら、嫌気が差してくるかも知れません。
運を良くする為には運の良い人に近づこうと言う基本はあるけれど、いつもいつも運の良い人にばかり出会えるわけではないから、車で言うガソリンスタンドに当たる「幸運スポット」を見つけだしておくのもひとつの手です。
私は不運を感じた時だけではなく、いつも事務所にいる変化のなさによるモチベーション低下を防ぐ為に、出張や出張に伴う人との出会いなどの変化を自ら作り出しています。 そうすることで単なるお店が幸運スポットに早変わりするかも知れず、幸運スポットとは自分で見つけるものなんです。
神社ひとつとっても、「○○神社が良い」とか「□□神社が良い」など、人により合う合わないの相性の問題もあります。 合わない神社へ行ったところで、自分の運気に変化がないどころか悪くしてしまうことすらあります。 神社仏閣などは一度行った後で悪いことが立て続けに起きたら、それは合わないから止めておきなさいと言う暗示なんです。
それなのに雑誌やTVに出ていると、つい後光効果により良いように見えてしまうのです。 雑誌やTVに出ているからと言って大挙して押しかけると、神様も言い感じはしないと思います。 霊験あらたかで神聖なる場所なのに、ドヤドヤガヤガヤしているようでは落ち着きません。 神様だってプライベート空間を邪魔されるばかりだと、気持ち良いはずがありません。
「幸運スポット」とは、人が集まる場所~輝いて見える場所~居るだけで楽しくなる場所など、何故かはわからないけれど「運が良くなった感じがする」と言うのが大切です。 そんな幸運スポットを日頃から探しておいて、いざと言う時だけではなく立ち寄れる回数を増やしておくと、運気の低下を軽減~もしくは避けることができるのです。
特に会社やお店を経営している人は、運気の上昇や下降に敏感でなくては成功が望めません。 それと言うのも会社やお店の場合は不特定多数の人が出入りするし、自分の感情だけで来店や来社の人を制限できるわけでもないので、いきなり危険な状態になることがあります。 (俗に言う、運の悪い人とか不運な人と言います。)
これは一般的にも言えるのですが、「不運を撒き散らす人」と言うのは防御できません。 いくら運の良い人でも「不運を撒き散らす人」と同じ空間で同じ時間を過ごすと、運が悪いのが伝染してしまうことがあります。
私も年に何回かあるのですが、不運を撒き散らす人と同じ空間に一定時間いた時はガクッと運が下がることがあります。 例えとして、急に体調が悪くなったり予約ゼロが1週間以上続いたり、何をどうしてもダメな時があります。
回避方法として運の良い人に会うのがいいのですが、私で言えば寄付の神様やN市のIさんに会ったりして、運が好転するのを待つしかない場合もあります。 特に東京出張など気分転換しやすい時なら立ち直りも早いのですが、そうでない時はひたすら時間の経過と共に不運が通り過ぎるのを待つしかない場合もあります。
お越しくださるお客様に失礼の無いように、倉敷事務所内は快適な状態を保つようにしては居ますが、仮に手も足も出ないくらい不運な人がきた時は掃除や浄化で必死だったりします。
不運を撒き散らす人と同じ空間に居ると、何故か分からないけれどミスが増えたり上手く行かない場合が多くなります。 しかし、会社やお店では避けることができない場合もあるので、「ダメージを受けたら回復させる」と言うのが基本です。
あなたの笑顔で喜ぶ人が大勢いるのに、そのあなたが沈んだ顔でいたなら大切なモノを喪失してしまうかもしれません。 未来は明るいからこそ、期待感が大いに膨れ上がるのです。
あなたは不運を防御して、良い運命を辿るようにしていますか?
Σ(ノ°▽°)ノハウッ!

