徒然草(岡山・東京・山崎かずみ)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    失敗。

    おはようございます。 今朝の倉敷は凄く良いお天気で、清々しい日曜日となっています。 これはあなたの未来を暗示しているかのように、素敵な未来へと太陽が光り輝いているのだと思ってくださいね。 日が沈むからこそ日は昇るのですから、失敗があれば成功はすぐそこです。

    過去を振り返るまでもなく私は失敗することが多く、失敗だらけの人生で嫌になるほどでした。 どうして上手く行かないんだろうと、自分のことは棚に上げて考えるのが常でした。

    これは誰しも感じることですが頭の中で考えることと実際にやるのは、相当な隔たりが出来ることがあります。 失敗は成功の母と言うように、失敗体験から成功へ通じる道を探すのが一番早いのですが、人の心理としては失敗したく無いと言うのが本音です。

    私はお客様より御相談を伺って、それにお答えするというのが普通です。 ただ、その答えの中にはヒントや企画が埋まっているというか、お客様が何かの参考になればと言う思いでお越しになることも多いのです。

    会社経営をしている人や企業の企画部の人などは「何か良いヒントは?」という思いでお越しになるのですが、言うこと全てが当たる企画やヒントをお話できるわけではありません。

    期待外れのことや無理な企画をお話することもあるし、「おぉ、それはいいアイディアだぁ!」となることもあります。

    しかし、当たり外れを恐れずに、次々と企画を出していかなければ、ヒットする企画が出てこないのも事実です。 もしも私が人事担当者だったら、失敗した経験がある人を重宝すると思います。 何故なら一度失敗して痛い目に遭っているのなら、次は失敗しないようにと注意深くやるからです。

    私はHP上で時々お客様サービスの企画をしていますが、これも外れが結構多いです。 意図するところが伝わらなかったり、お客様に御迷惑をお掛けすることだってあります。 そうなると企画したのは良いけれど、一度やったきりで終わることになります。

    HPをずっと見続けている人ならば過去にやった企画を覚えているかもしれませんが、一番目にやったのはキリ番プレゼントです。 最初は1万カウンターずつでしたが、あの当時は1ヶ月に3000カウンター行くか行かないかと言う状態でしたから、なかなかキリ番に達しない時代でした。

    以前の大家さんは人にモノをあげると言うのが大嫌いだったので、キリ番プレゼントは「やっちもねぇもんでえぇんじゃ!」と言って、ボールペンなど「安い物しかプレゼントするな!」と厳命されていました。 仕方なくお客様に簡単なものをプレゼントしていたのですが、これは人として恥ずべき行動であり大失敗だったと思います。

    以前の大家さんは溜め込む人だったから返礼をすると機嫌が悪くなるので、お客様から頂くお土産などへお礼すらできない時代で本当に心苦しかったです。 今から思い返しても恥ずかしくなる時代で、あの当時は本当に申し訳ありません。 ごめんなさい。 m(__)m

    私は人にプレゼントするのなら「自分が欲しいと思うモノ」が最低条件で、自分がいらない物を人にあげるのは廃品処理だと思うのです。 自分が持っていて嬉しい物や自分が欲しい物をプレゼントするからこそ意味があるので、捨てるような物やいらない物を相手に送るのは失礼だと感じています。

    だからこそ自由にプレゼントができる今は、キリ番プレゼントならパワーストーンのブレスレット、プレゼント企画ならパワーストーンのストラップや著書など、お客様が受け取って喜ぶかなぁと笑顔が想像できるものをプレゼントしたいのです。

    このように過去の失敗が心にあるからこそ「次はこうしよう!」と、次回は成功へ導けるようなことを考える糧になるのです。 まさしく「失敗は成功の母」であり、失敗体験を生かすことで成功を増やせるのです。

    ただ、私もまだまだ未熟者なので失敗は尽きないのですが、最近で一番の大失敗の企画は2009年12月2日のブログに書いた年末ジャンボです。 常日頃からお越し頂いている素敵なお客様へ御恩返しのつもりでしたが、私の考え方が甘かったせいもあり凄いことになってしまいました。

    本当にネタかと思うくらい色々なことが起きて、てんやわんやでブログの更新を休まなければ事務処理できないほど忙しかったです。 本来の業務が出来なくなると言うのは、大失敗で反省しております。 m(__)m

    「失敗は成功の母」

    この言葉は深いと思うのですが、失敗を重ねることで成功へ近づくので途中投げが一番の失敗だと思うのです。 私が企画を失敗したからと言ってお客様への恩返し企画を止めてしまえばそれまでで、続けていくからこそお客様の喜ぶ笑顔に出会えるのだと思います。

    あなたは失敗を経験することで、更に高まることが出来ますか?

    ( ̄ω ̄;)エートォ...

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    社員旅行。

    おはようございます。 いつも素敵なあなたには使命があるのですが、それはひとりひとりに備わっていることでもあるけれど人類共通でもあります。 それは誰かの役に立つ人生と言うか、誰かに必要とされる人生と呼んでもいいと思うのです。

    この世に生まれてきたからには、何かを成し遂げてから人生を終える方が充実感があります。 その充実感と言うのは自分ひとりではなく、何かの為に~誰かの為にと言うのは大切な部分で、そこを間違えると人生はつまらなくなってしまいます。

    人が生まれてきた意味は何のためにと考え始めるとキリがないのですが、今と言う時間の中で日本に生まれてきたこと自体がチャンスで幸せなことです。 今の地球上には66億人以上いますが、その中で日常生活に不自由ない上にPCや携帯が使えるのは、わずか6%でしかないのです。

    その6%の中に日本は入っているから、そこに生まれたと言うのはチャンスだらけとも言えるのです。 今の日本の中では信じられないかもしれませんが、お客様から「本当に、そんなことがあるんですか?」と質問があった嘘のような実話です。

    ここから先は女性の方は読まない方がいいかもしれませんが、彼や御主人がいる人だけではなく、これから結婚相手を見つける人にも考えて頂きたい内容だと思うのです。

    私は県北の工場時代に嫌いだった行事のひとつに社員旅行があり、これは工場全体とライン単位と年に2回ありました。 工場は99%が男性社員なので社員旅行と言えば、「○鹿野島」に行くから嫌で参加しなかったのです。

    この読みは「○たかのじま」で○○県○○市にあり、リアス式海岸のひとつ的矢湾の奥に位置します。 島の西部は的矢湾深部の外海から隔てられて波が穏やかな海面だから、古くより荒天時の避難場所や風待港として使われていました。

    古くは伊雑宮の神領であったとも言われて、江戸時代には江戸と大坂を連絡する菱垣廻船&樽廻船が避難や風待をする港としての重要性が高まりました。 それに伴い「把針兼(はしりがね)」と言われた水上遊女なども集まり、遊郭街としても大いに栄えて女護ヶ島と言った別名を持つ島となりました。

    2000年に行われた国勢調査では島の人口の92%が第三次産業に従事していて、若年女性人口の比率は際だって高いようです。 この島の至る所に風俗関連(主に○春)の斡○所がありますが、その為に警察関係者や報道関係者に対する警戒心が強く、入島者に対する情報網が張られているのは勿論ですが、うかつに写真を撮ることも許されない雰囲気です。

    さすがに今は昔ほどでありませんので、○○県としても島に着いた評判をナントカしようと、遊戯施設やパールビーチなどの整備をして家族連れでも観光できる島へと改善が始まりました。

    しかし、今でも島には借金のカタに働かされている女性や、貧困に喘いでいる国から少女が連れてこられています。 (海岸から7キロ離れた島なので、船がなければ逃げられないのです。)

    自分の娘をお金の為に売るなんて信じられないのですが、貧困に喘いでいると目先のお金に目が眩むのは仕方がないのかもしれません。 学校にも行けず島へ連れてこられて、こんな生活の中で大人になる少女達の未来はどうなるのか、欲望だけの男性は人として最低です。

    私は島へ行ったことが無いので工場の人達から聞いただけですが、工場の人達は島の旅館で宴会中にとても人とは思えないようなことをしたようです。 これはブログに書ける内容ではありませんが、それでも少女達は生きて行く為にはお金が必要だから、母国で待っている家族の為に我慢するしかありません。

    また、余りにも私が島へ行くのを拒否していたから、「山崎はゲ○&ホ○」と言われていじめられましたが、鬼畜の仲間入りをするよりもいじめられた方がマシです。

    工場のラインごとの社員旅行は毎年2月に行われるのですが、島から帰った上司や先輩などに「年端も行かない少女や自分の娘みたいな女性を、かわいそうだと思わないんですか?」と私が言ったら、「えぇカッコさらすな、ボケ!」と殴られたり蹴られたり~またまたいじめられました。

    私は毎年2月になると工場時代の社員旅行と言うか、工場や県北の男性が行くあの島のことを思い出します。 こんな人達に言っても無駄かもしれませんが、人として「してはいけないこと」があると思うのです。

    この島のことを知っているお客様もいるかもしれませんが、大部分のお客様はブログを読むまで知らなかったと思います。

    あなたは平和や幸せを、ちゃんと噛み締めていますか?

    (○ ̄ ~  ̄○;)ウーン…?

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    身銭を切る。

    おはようございます。 素敵なお客様が日々、努力されている姿は美しいと思います。 あなたが輝いているのは、素敵な未来が待っている御褒美だと思います。 あなたが過ごしている中で心にこみ上げてくるのは、あなたが毎日頑張っている証拠で本当に素晴らしいです。

    私は常々思っていることですが、男性中心の世界を変えることが出来れば世界は激変します。

    一番に変わるのは戦争に関することで、女性がトップに立てば戦争は激減します。 話せば分かると言った首相も居ますが、男性同士で話せば分かるなんて人は少ないです。 男性の場合は話し合いではなく、争いと言う勝ち負けになってくるので話し合いにならないのです。

    交際費の使い方にしても男性の場合はマトモに使うことは少ないのですが、女性はキチンと使って収支報告もできる場合が多いです。

    本当に男性に任せているとろくでもないことばかりに使うのですが、議員などの視察旅行が良い例です。 視察旅行ではなく単なる観光旅行で何の視察にもなっていないし、視察旅行に言った後で「何かを得る」と言う人はゼロです。

    勉強と言うのは意識の持ち方で変わるから、普段街を歩いていても得ることが多いのにわざわざ視察なんて言うのは本末転倒です。 見る力の無い議員や役員が視察旅行をしても、新たな知識を得たり~新たな発見も無いのだから視察旅行は廃止するべきです。

    もうひとつ例を出すと事業仕分けじゃないけれど即刻廃止にするべきなのは消防団で、皆さんは消防団の実体を知らないと思います。 私は県北で生まれ育ったから消防署ではなく消防団の方へ馴染みがあるのですが、これがまた税金の無駄使いもいいところで最悪です。

    消防団と言っても年功序列で役員が決まるし、一度役員になると延々と続けて辞めません。 どうして辞めないかと言えば田舎では一種の権力であり、消防団に入っていると色々と顔が効きます。

    私が生まれ育った地域では消防団に入って上の言うことを聞いていれば、就職も色々と世話してくれます。 また、家を建ててはいけない調整区域や畑なども何のその、申請すれば裏に手を回してすぐに許可が下ります。

    また、消防団では年に2回ほど旅行へ行くのですが、何の為に旅行に行くかは恥知らずもいいところですが本題ではないので除外します。 私から消防団に言うとすれば「それでも人間か、男なら恥を知れ!」ですが、工場時代に「公共の税金を使って、そんなことしていいんですか?」と言って、消防団に入っている上司に無茶苦茶いじめられました。

    災害の時に人手が必要と言うけれど、消防団の人は1回出動すれば1万円以上のお金が出るから、仕事を有給で休んで消防団に出る人も多いです。 つまり、会社からも税金からもお金を貰うので、現場にいるだけでお金になる二重取りはズルイ考えです。

    私は「身銭を切る」と言うのは大切だと思うのですが、人のお金を使うのはいいけれど自分のお金は使いたくないと言うのは、人として間違っていると思うのです。

    会社の交際費なら高級料亭だけど自分のお金なら居酒屋で済ませるとか、会社の出張はグリーン車に乗るけど自分のお金なら自由席に乗るなど、自分自身のお金で勉強すると言うことができない人はいつまで経っても成長できません。

    身銭を切ると言うことは勉強になると言う点に加えて、更に運を上げることにもつながります。 例えば、タクシーに乗って900円のところを1000円出して「お釣りは、いいですよ」と言ったら、運転手さんにもよるけど感じの良い運転手さんなら素直に喜んでくれます。

    こういう少しの施しと言うか善徳を繰り返しているうちに不思議なことですが、その人のスケールが全然違ってきます。 本当に不思議なんですが、相手に対しての対価以上のことを続けていると、ホンの少しだけど蓄積されていくうちに自信になってきます。

    寄付にしても同じで最初は500円で充分ですが、それを続けていくうちに「今年は1000円にしようかな?」と思い始めると、その時には金額以上の人間性やオーラを身に纏っています。

    先ほどのタクシーの話ですが、100円のチップだとしても貰った運転手さんの方は、「自分が親切にしたことが、お客さんにわかってもらえた。」と思うかもしれません。 そうすると運転手さんも非常に気分が良いから、その次に凄く嫌なお客さんが乗ってきたとしても
    我慢できる心の余裕ができます。

    そうなると運転の仕方も違うし愛想も違ってくるので、あなたがした100円のチップが知らない間に次々と善なる行いを連鎖反応で起こして行きます。

    このように身銭を切ることができる人は、知らないうちに世の中に対して大きな意味で経済活動や心の余裕を作り出す素晴らしい行いをしています。 身銭が切れない人はセコイから、会社のお金で支払っておきながらお釣りは自分の財布に入れるのが関の山です。

    あなたの周りには、身銭が切れる人がどれだけいますか?

    ヾ( ̄o ̄;)オイオイ

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    カルマの法則。

    おはようございます。 素敵なあなたの笑顔の先には、当然ですが素敵なことが待っています。 それは根拠や理屈でアレコレ言うものではなく、人が呼吸をするのと同じくらい自然なことです。 これを宇宙の法則と大きく言う場合もありますが、一般的には「カルマの法則」と言われます。

    この「カルマ(KARMA)」とは仏典などの漢訳では「業」と訳されていますが、サンスクリット語から直訳すると「行為」とか、その行為の結果として蓄積される「宿命」と訳する場合もあります。

    つまり、カルマの法則とは「過去(世)においてした行為が、良い行為でも~悪い行為でも、いずれ必ず自分に返ってくる」と言う「因果応報の法則」となります。 これは当事者になればすぐに理解できるのですが、実体験がないと分かりづらいと思います。

    例えば、年収1億円の人が1年間で100万円を寄付する場合と、年収が100万円の人が1年間で10万円を寄付する場合では、「どちらが尊い行いになるのか」と言うのが考える余地の部分です。

    これは単純に金額によって行いの尊さを言うのであれば、当然ですが100万円の寄付ですが、収入の中からと言うパーセンテージで言えば10万円の方になります。 年収1億円の人にとって100万円はお小遣い程度ですが、年収100万円の人にとって10万円は必死の思いで出す金額になります。

    こんな風にあらゆる視点や価値観で物事を評価することを、物質主義的価値観とも言います。 寄付行為が相手に与えた恩恵と言う面であれば100万円の寄付ですが、搾り出すようにして出すと言う気持ちも含めた行いなら、10万円の方が尊いものになるのかもしれません。

    つまり、物質的ではなく宇宙的(霊的)な視点で見るならば、両者にとって釣り合いの取れた方法と形で恩恵(カルマ)が跳ね返ります。 年収1億円の人が収入半減になったとしても生きていくことに困るほどではありませんが、年収100万円の人が収入半減したなら生きていくことも困難な状況に陥ります。

    このことからも物質的な意味ではなく精神的(霊的)価値観において行われる跳ね返りになると言うことが、「その行いの結果に対する報いの質」において同等となります。

    カルマが他人から見て同等に見えないのは、その罪を犯した人間の耐性に応じた形と方法で報いを受けるのが基本だから、金額の大小とか被害の大小ではなく「その行為(原因)が与えた影響(結果)」と同じくらいと言う観点での報いを受けることになるからです。

    「たった、それだけのことで?」と感じるか、「こんなに、ひどいことなのに?」と感じるか、このように考え方とは自分の耐性を基準に物質主義的に判断することになります。 あくまでも自分中心の考え方は禁物ですが、あなたがしたことで「思いもよらない程の結果が生じている」かもしれないのです。

    カルマを簡単に言えば「原因と結果の法則」であり、霊的価値観に基づく完璧なバランスの法則とも言えます。 自分が過去に犯した罪の深さ以上の報いを受けることはありませんし、現世で報いが無ければ来世においてカルマが成就することになります。

    カルマの法則について語ると長くなりますが、具体的な例をひとつ挙げてみます。 ここ最近は自動車の生産がようやく回復基調ですが、何故か好調だったトヨタがリコール問題で打撃を受けています。

    自動車部品と言うのは新車の初代生産車の部品を受注できれば、モデルチェンジを繰り返しながら生産中止になるまで部品供給の恩恵に与ることになります。 仮にヒットしたなら受注は増えるし、未来の生産計画も明るくなりモデルチェンジの度に儲かります。

    私が工場に勤めていた時の話はブログに度々書きますが、実はトヨタ車の部品のいくつかは私が勤めていた工場で生産しています。 この工場と取引を開始すると何かが起こるのですが、最初の取引先だったマツダは経営不振、次の取引先の三菱はリコール隠しの発覚、そしてトヨタもリコール問題が起きています。

    これらは単なる偶然だとは思うのですが、何故か県北の工場と取引を始めた会社は不調になります。 これをカルマの法則として考えれば、過去のブログに書いているような数々の非人道的な行いをする工場の部品を使うから、マツダ~三菱~トヨタと次々に問題が発生しているのかもしれません。

    以上のことは単なる偶然であり、科学的には証明できません。 それを判定するのは私ではなく~工場の人達でもなく、カルマの法則がキチンと示してくれるのかもしれません。

    あなたはカルマの法則、それを信じますか?

    ( ̄ ̄∇ ̄ ̄; アリャ?

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    44.1%の減。

    おはようございます。 私はどちらかと言えば転職を勧めるタイプで、独立などもドンドンと前向きに勧めるタイプです。 それにはちゃんと理由があるのですが、同じ人生であるならば冒険しないと人生の最後で後悔するからです。

    年配の方の御相談をお伺いしていると、「あの時、決断していれば」とか「若い時にやっておけば」など、平穏無事な人生を選んだ人の多くは後悔を口にされます。

    ところが冒険を選んだ人の方は、「大変だったけれど、あの時があるから今がある」など、前向きな発言が多いのが人生の不思議なところです。

    転職するのもいいことだし~起業するのもいいことだから、自分がやりたいことにチャレンジする方が人生の最後を充実して向かえることが出来ます。

    ただし、楽な道を行けば行くほど苦労が増えて、険しい道を行けば行くほど楽しいことが増えるのが、運命の不思議と言うか宇宙の法則みたいなものです。

    独立してお店を出す場合を例に取ると、宣伝や広告をしているお店はそこそこ繁盛するかもしれませんが、クチコミのお店はズバ抜けたオンリーワンとして君臨することになります。

    「広告を出すよりも真摯な態度で経営する」と言うのが本物で、広告に使うお金があるなら大事な社員の方々や大切なお客様方へ還元する方が先です。

    例えば、ここ最近はどこの地域でも地元の情報誌は、軒並み発行部数と広告が激減しています。 岡山県も同じで2006年1月号236ページにある広告インデックス、その広告掲載希望の会社やお店を数えると「129社」です。

    しかし、2010年1月号267ページにある広告インデックスを見ると「72社」ですから、4年も経たない間に広告掲載希望の会社やお店が「44.1%」もダウンしています。

    ここまでスポンサーが減ると本が薄くなるので、それをごまかす為に飲食店や占い師などの特集記事を組んで写真でページを増やすようにしていますが、それでも広告効果が無いから「44.1%」もスポンサーが減ったと言う事実があります。

    1月号と言えば12月25日前後に発行だから、お正月を迎える御祝儀で広告は増えるはずです。 しかし、今は情報誌の影響で消費が動くことも無く、ネットで情報を手に入れることも多いです。

    このような情報誌は無料配布も多いのですが、飲食店や銀行など公共の場所や会社などは申し込めば無料で送ってくることもあります。 お金を出して購入している人は怒るでしょうが、広告収入で運営していると発行部数を上げる為に無料で配布する必要があります。

    岡山県内の情報誌が会社やお店などに対して広告の説明をする時に、広告効果があるように見える資料を作らなければなりません。 その資料に「2万部発行で、県民の200人に1人が見ています。」とするよりも、「20万部発行で、県民の2人に1人が見ています!」の方が見栄えが良いです。

    この「県民の2人に1人が見ている」と言うのは本当で、県内の人口は現在のところ約195万人です。 それから割り出すと飲食店や銀行やコンビニなどで見ることを含めて、約20万部発行すれば1冊を複数の人が見ることになるので、県民の2人に1人が見ているというのは嘘じゃありません。

    ただし、それはコンビニで表紙を目にしただけの人数も入れているので、「読んでいる」ではなく「見ている」と言う表現になります。 また、同じ人が複数回見てもカウントするので、情報誌に広告を出しても効果が期待できないのは必然です。

    広告を受注するには読者が見るかどうかよりも、発行部数が多いかどうかが重要です。 これは雑誌だけではなく他の媒体(新聞など)もそうですが、発行部数が多い=広告効果があると言う目安になるからです。

    実は発行部数が多くても目にするかどうかは別ですが、それでもお店や会社からすれば広告をしないよりはマシだと感じて、効果があるかどうか分からないけれど大金を払ってしまうのです。

    広告の難しいところは一般に見てもらえるかどうかで、次は自分のお店や会社の広告に目を通してもらえるかどうかで、目に触れても記憶に残らなければ意味がありません。

    そして肝心なのは広告を見た人がお店に来てくれるなどの費用対効果ですが、この費用対効果の面で割が合わないから「44.1%」もスポンサーが減るのです。

    経営者の方でお金を有効に使いたいのであれば情報誌へ広告を出すよりも、まずは「相手を喜ばせること」を考える方が運を呼びます。

    最初は「大丈夫かなぁ?」と心配だと思いますが、運命が助けてくれることを理解できたら、相手を喜ばせれば喜ばすほどお店が流行ることが実感できます。

    無駄な広告へお金を使ってしまう方が、死んだお金として負の道を進むことになります。

    あなたは大切なお金を、無駄な広告に使うことができますか?

    (・Θ・ゞ)ラジャ⌒☆

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    銀座。

    おはようございます。 昨日も東京より飛行機で帰ってきたのですが、支援決定後のJALは部品調達遅延や整備士不足により、機体整備が追いつかないので機材変更が多発しています。 それに伴い機内清掃も不備が多くシートや窓の汚れが目立ちますが、その汚い雰囲気が引き寄せるのか、シートに土足で足を乗せる男性が増えたので座るのに躊躇します。

    さて、人は誰しもテリトリーと言うべきか、なんとなく行きつけの場所が出来てしまいます。 私も出張の度に色々な場所へ行くようにしていますが、ツイツイ足が向いてしまうのが「銀座~汐留~六本木~赤坂~麻布」です。

    ただし、鑑定終了後にひとりでぶらぶらする時には、気分や時間にもよりますが一番多いのは交通の便などからも銀座です。

    銀座は東京都中央区にある日本を代表する繁華街のひとつで、高級商店街として日本のみならず世界的に知られている場所です。 この銀座の名前は一種のブランドにもなっており、全国各地の商店街には、「○○銀座」と呼ばれる所がそこかしこに見られます。

    地名の由来は江戸時代の貨幣鋳造および銀地金の売買を行った銀座役所でしたが、役所が1800年に蛎殻町に移転したので旧名の新両替町に代わり、銀座として親しまれるようになりました。 商業としては松屋銀座店がある周辺は東京の中心的な商業地の一つで、有楽町エリアを合わせた2002年の年間商品販売額は4088億2100万円という新宿駅東口地域に次ぐ規模です。

    明治時代に舶来品などが並んだ銀座は高級商店街として発展して、昭和初期のデパート進出などにより銀座は東京随一の盛り場としての地位を確実なものにしていくのですが、業態は少しずつ変化していきました。

    1990年代のバブル崩壊以後はカラオケ店や量販店などのチェーン店の進出が進んだ一方で、海外の有名ブランドが続々と旗艦店を銀座に構えました。 銀座は百貨店の集積地でもあり、松屋~松坂屋~三越~プランタン銀座の他にも隣接する有楽町の西武百貨店~阪急百貨店などが立ち並んでいます。

    銀座は明治時代に煉瓦街建設や横浜と新橋を結ぶ鉄道の開業、築地鉄砲洲に外国人居留地があったことから舶来品の往来が盛んとなり、銀座はそれらの商品を扱う商店が軒を連ねることとなって西洋文化の発信地となりました。

    食文化においても銀座は西洋の味覚を紹介する場となり、1871年に「文英堂(現:木村屋總本店)」が尾張町に創業してパンの販売を始めました。 また、1895年には洋食屋の「煉瓦亭」が開業して、調剤薬局を営んでいた資生堂は1902年に店舗内へ「ソーダ・ファウンテン(現・資生堂パーラー)」を併設し、他にも1897年に開業した「銀座千疋屋」は輸入果物の販売や日本初のフルーツパーラーを開業しました。

    1911年にはパリのカフェを模した「カフェー・プランタン」が開店し、その後も「カフェーパウリスタ」や「カフェーライオン」などが続々と開店し、学生なども出入するようになって文壇の議論が盛んに行われました。 (カフェではなく、カフェーと延ばすのが昔の言い方です。)

    戦後になると銀座は高級料理店や高級クラブなどが立地する街として認知されるようになり、1980年代頃からは世界の一流レストランが多く進出する一方で外食フランチャイズの進出も盛んになりました。

    1971年にマクドナルドやダンキンドーナツの1号店が銀座に開店して、1990年代にはスターバックスコーヒーやタリーズコーヒーが相次いで進出して、更にはサンマルクカフェやル・カフェ・ドトールの1号店の開店が相次ぎ、銀座はカフェの激戦地となってカフェブームを全国へと広げる舞台になりました。

    文化施設も多い土地柄で、明治後半から大正時代にかけて歌舞伎座や東京宝塚劇場など、銀座~有楽町周辺には多くの劇場が開場しました。 特徴的なのはヤマハホールや王子ホールなど企業の文化支援活動の一つとして開いているものが多い点で、画廊に関しては全国の4分の1が銀座に集約していると言われています。

    銀座の町を歩くと常に新しい発見があるのですが、銀座にはカップルを祝福する粋なポイントがあります。

    実は銀座4-3-9にある銀座天賞堂には愛の天使がいて、この天使の前で待ち合わせたならこっそり愛の矢で射抜かれます。 この矢で射られたカップルは「幸福」になれると言われていて、他にも願い事をそっと唱えてみると天使の矢がお願いを天に運んでくれるとも言われています。 (ビルの角で覗いているので、見つけてくださいね。)

    銀座は路地裏などに小粋な店が多いので、探せば探すほど味わい深いお店に出会えます。 芥川龍之介氏が通っていたカフェ、池波正太郎氏が通っていた鰻屋さん、数々のお店がひっそりと歴史を眺めています。

    あなたは銀座に、どんなイメージがありますか?

    ♪⌒ヽ(*゚O゚)ノ スゴイッ!!!

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    大変なこと。

    おはようございます。 人は生きていると絶望したり悲しかったりするけれど、それは人生の中で一番大変なのかと問いかけて頂きたいのです。 人生で一番大変だと思うであれば、残りの人生において大変なことは「もう、無い!」となります。

    「人生には大変なことが三度ある」と言うけれど、その三度の意味を勘違いしている人が大勢います。 三度~三度と言うけれど、生まれてくる時に産道を通るのに息が詰まるような、その生死の境目を体験するのが一度目です。

    そして人である以上は誰でも死を迎えるのですが、死ぬ瞬間と言うのは誰しも同じわけではありません。 苦しんで苦しんで七転八倒で死ぬ人もいれば、穏やかに安らかに逝く人もいます。

    生まれてくる時の大変さは誰しも同じで苦しいのは避けられませんが、死ぬ時の大変なことは生きてきた行いで改善と言うかソフトに亡くなることは可能です。 死ぬ時に安らかとか平穏という状態でいたければ、「業の部分」を減らすことが大切です。

    家柄とか血筋みたいなことを言うのは間違いですが、人は生まれによって尊いとか賤しいとかを決めるものではなく、その人の行為によって尊くも賤しくもなるものです。

    ココまでで気付いたかもしれませんが、人は生まれながらに「生と死」と言う大変なことを自動的に二度経験します。 と言うことは…、生まれてから死ぬまでの生きている間に、残りは一度しか大変な思いをすることはありません。

    私も過去を振り返ってみると閉鎖的な田舎の貧乏な家に生まれたことから始まった人生ですが、そんなに大変なことはなかったような気がします。 難病で苦しんだとか~飢餓に苦しんだなど生命の危険と言うこともなく、いじめに遭ったけれど死んだわけじゃないし、今から思うと大変と言うほどではなかったと思えてきます。

    貧乏で借金取りが来ていたことも嫌な思い出ではありますが、それは父親が借金をするからです。 この借金の取り立ての時には大変だったけれど、これも過ぎてしまえば大変じゃなかったと思います。

    この借金の取り立てが凄かった時代は、N市のIさんや寄付の神様などと次々と知り合いになって、さらにはお客様もボチボチですが来て頂けるようになっていました。 そのおかげで、私の質素な生活では困らない程度の下地ができつつありました。 つまり、この借金取りが来ていた時代も、それほど大変な時期ではなかったと思えます。

    そして今の事務所に場所が決まるまで紆余曲折はありましたが、それも私が事務所の場所を安易に決めていたから痛い目に遭っただけで、自分の意志でキチンと決めていれば問題はありませんでした。

    今の事務所(川西町)の大家さんは優しい温厚な方ですが、以前の大家さんはイライラして口うるさく難癖を付けるタイプだったから、そのおかげで「早く出よう!」となって東京へ目を向けることができました。 そう考えると自分のスキルアップになったので、口うるさい大家さんには感謝の気持ちが一杯なので、これも大変なことではありません。

    ここまでを冷静に振り返ると私は今のところ、大変なことは「一度も経験していない」のではないかと言う思いになってきました。

    私が大変だと思っていたことも時間が過ぎてしまえば大変ではなく経験であり、その経験があるからこそ今の私があるのだと思えてきました。 モノは考えようと言いますが、大変だと思うから大変なだけで、大変だと思わなければ大丈夫なんじゃないかと思います。

    ただし、この境地に至るまでには私も苦しんだり悩んだりしましたが、今は「なるようになる」と思えば気が楽です。

    例えば、世界経済を心配したところで私ひとりでは動くわけが無いし、地震の心配をしても止められるわけではありません。 毎日ご飯が食べられて~水が飲めて~電気が使えて~温かい布団で寝られて、こうやって幸せな部分を探していくといくらでも見つけることができます。

    その中でも特に幸せなのが、素敵なお客様にお会いできることです。

    毎日~毎日、天女のように素敵なお客様にお会いしていると、私は日本の未来は大丈夫とか明るいとしか言えません。 私と縁がある人は強運と言いますが、私の周りには夢や希望が満ち溢れているから、私と縁がある人には「明るい未来」しかありえないのです。

    こう考えると「人生には大変なことが三度ある」と言いますが、私の人生には生まれる時と死ぬ時の二度しかないんじゃないかと思います。 大変なことが二度しかない人生であれば、私は幸せな人生と言うことが確定だと考えることができます。

    私も昔に比べると楽天的と言うべきか、それともノーテンキと言うべきか、「良い方へ考える」ことができるようになったと思います。

    あなたの人生には、大変なことが何度ありますか?

    柱| ̄m ̄) ウフッ!



    お知らせ:出張の為、ブログの更新は23日(火)から再開します。 出張中でも予約の受付はしておりますので、遠慮なくお気軽にお申し付けくださいね。 いつもご予約いただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    男性へのヒトコト。

    おはようございます。 女性が恋に悩んでいる時には、実はモテモテオーラが出ていることが多いのですが、それは対象とする相手ではなく関係ない人にほど効き目があるのが難点です。

    恋は人を成長させるけれど悲しみに突き落とすこともあり、その不思議な恋に人は惑わされてしまうのです。 そんな時にイイ女と言われたりモテル女と言わたりする場合のモテオーラって、一体何だろうと考えることがあるかもしれません。

    これは美人とかスタイルが良いとかは関係なくて、程よく男性への受け入れ態勢ができている雰囲気があることが一番です。 ギラギラしているわけじゃなく~冷めてもいるわけでもなく、どことなくスキを与えてくれるような女性がイイ女オーラを出していることになるのです。

    男性は「口説けばどうにかなるかも?」と期待を持たせてくれる女性から口説き始めるのですが、男性はプライドがあるので口説いてもすぐに振られそうな女性は最初から度外視するし、積極的過ぎる女性にも危険を感じるので近寄らないのです。 この辺はサジ加減次第ですが、ナントカなりそうで~ナントモならないのが一番理想的です。

    そして男性をその気にさせるヒトコトがあるのですが、これは日常生活で使うようにしていれば慣れてきます。 普段の生活の中で使っていれば、イザと言う時にも自然と使えるから気になる彼には「使うべし!」です。

    まずは「彼女、いるんでしょ?」と言うヒトコトですが、「彼女がいる男=魅力的な男」として見られていると勝手に思うので、男性は急に相手を意識し始めます。 このヒトコトで好きでもない相手に惚れてしまうコトはよくあるので、「えぇ~、彼女なんていないよ。」と言いながらニヤけていたら作戦成功です。

    次に「話していたらすごく安心する」ですが、男性は女性から「安心する」と言われたら無茶苦茶嬉しいのです。 これは「一緒にいると安心する」とか、色々なバリエーションで使えるので、最初に何か言った後に安心するを締めのセリフにするのです。

    後は「〇〇君のそういうところって、尊敬出来る。」とプライドを擽るようなセリフや、可愛く「メールちょうだいね…。」とあなたからのメールが欲しいと印象付ければ「俺からの連絡を待っているんだな!」と男性のテンションはあがるのです。 そして両刃の剣ですが効果的なのは「あだ名をつける」ことで、名前ではなく愛称で呼ぶのは心理的距離をぐっと近づけるのでOKです。

    そしてデートに進めたなら、男性の期待感を高めるふるまいが必要になります。 男性は妄想好きな生き物なんで、彼の妄想する頭を刺激してハートをガッチリ掴むのがポイントです。

    では、ボディーブローのように利いてくる仕掛けですが、「早目に待ち合わせに来たのに、女の子はもう既に待っていた」と言うのは男性のテンションが一気に跳ね上がり、「えぇ~、俺と会えるの楽しみにしてたんだぁ!」と男性の方が勝手に思います。

    次に「デートコースに大ハシャギしてくれる」で、男性が選んだお店や行き先に大ハシャギしてくれると「よしっ、誘ったかいがあったぜ~。」と男性は自己陶酔してくれるので「楽しい~!」を連発するべきです。 (笑)

    最後に「自分から帰ろうと言わない」ですが、これは帰り際のタイミングを女性が全く切り出さないと「俺ともっといたいんだな?」と勝手に男性は妄想します。 ただし、ここでズルズルと遅くなるのではなく、電話が鳴ったフリなどを利用して「ごめんなさい、家から電話があったから帰るね。」など、仕方なく帰ると言うのを演出するのです。

    そうしないと男性は妄想する動物なので、すぐに「○○○に行こう!」とか「今夜は一緒にいよう!」などと勘違いが始まるので要注意です。

    そして男性は高価なプレゼントを女性にしたがる癖があるのですが、その女性を手放したくないと思っている時ほど高価なプレゼントをします。 (ただし、高価と言っても自分が出せるぎりぎりと言う意味なので、世間から見て高価かどうかは別です。)

    高価なプレゼントは当然お金が掛かっていますが、お金を掛けたことに対しては執着して対価を求めるのが人の心理です。 当然ですが高価なプレゼントを渡したということは、それなりの見返りを求めているのです。 それは○○○することとか~付き合うことなどで、プレゼントが高価であればあるほどプレゼントを渡した女性を大事にします。

    と言うことなので、好きな男性からの高価なプレゼントは遠慮なく貰いましょう。 断ることより遠慮なく受け取って喜ぶ方が、とても大事にされる確率が上がります。

    最後になりますが、彼と楽しい時間を共有すると仲良くなれるのは当たり前ですが、それよりも仲良くなれる方法があります。 それは苦しいことを共有することで、人間は楽しいことはすぐに忘れるけれど苦しいことはいつまでも覚えているのです。

    それに人間には苦しい時に支えてくれたり助けてくれた人間のことは忘れない習性があるので、一緒に苦しさを乗り越えてくれたら強い信頼関係が生まれます。 彼が苦しんでいる時にこそ、彼を支え助けることによってあなたへの信頼感が生まれると言うのは大事なことだから、これは最大限に利用してくださいね。

    あなたは彼を引き付ける魅力を、どのように考えますか?

    \(o⌒∇⌒o)/よっしゃぁ~!

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    宇高国道フェリー。

    おはようございます。 日本は狭い~狭いといいつつ、地域特性などが明確になれば意外性もあるので日本は広いなぁと感じてきます。 例えば、東京や札幌で「天満屋」と言っても、岡山出身の人にしか通用しません。

    それと同じく岡山および近県でしか分からない話題ですが、四国フェリーと国道フェリーの2社が行き交う「宇高国道フェリー」と言う、香川と岡山を100年に渡り繋いできた航路が3月26日を持って廃止となります。

    注:3月11日に両フェリー会社共に存続の発表をしましたが、今後はどうなるかは不明です。 前言撤回のドタバタ劇ですが、周り見て物事を変えるのはいかがなものかと思います。

    瀬戸大橋ができた時も打撃でしたが、高速千円にはなす術もなかったようです。 この航路は名前の通り国道30号の海上区間を担っているので、四国側では乗り場がそのまま国道30号の四国側起点となっています。

    なお、厳密に言うと国道30号の本州側の終点は宇野駅前交差点で、宇高国道フェリーの乗り場は約300m手前の築港交差点で右折して、そこから約500mの場所にあります。 JRの各駅からは宇野港&高松港ともに大きく離れていて、宇野の乗り場には両備バスの路線が接続しています。

    両社共に88年の瀬戸大橋開通後も黒字でしたが、08年9月の高速料金割引の開始以降は急速に収支が悪化しました。 さらに09年3月からは高速休日千円の影響により大幅な赤字拡大となり、前年度比で旅客が約3割~車両が約4割減です。

    国道フェリーの山下社長は「政府が高速無料化を公約とする中、経営改善の見込みがない」、四国フェリーの堀川専務は「公共交通とは言え慈善事業ではない、利用客には感謝しているが撤退はやむを得ない」と語りました。

    高速千円が始まってから本州⇔四国にある航路の廃止は3つ目で、香川県と岡山県の両知事は共に遺憾の意を表明しましたが国からの支援もなく撤退となりました。

    宇高国道フェリー株式会社は瀬戸内海に航路を持つフェリー会社で、加藤汽船の傘下にあります。 岡山県玉野市にある宇野港と香川県高松市にある高松港を結ぶ宇高航路を、24時間営業で日中は45~60分間隔、夜間は80分間隔で毎日22往復しています。 同航路の四国フェリーとは対抗関係の為、高松港で派手なネオンサインを競っています。

    瀬戸大橋への対抗上の戦略として、乗用車運賃は往復割引~回数券~コンビニエンスストアでの割引乗船券発売などがなされています。 従来は長さが5m以上の乗用車は対象外でしたが現在は6m未満までに拡大され、競合する四国フェリーの航路同様に車両運賃には運転手の運賃が含まれて、更には同乗者も無料です。

    高松側乗り場から琴電瓦町駅方面へ延びる高松市道には、本航路に由来する「フェリー通り」の通称があって、この通りは古馬場町などの歓楽街を通っています。 なお、廃止された国鉄(JR)宇高連絡船の読みは「うこう」連絡船でしたが、宇高国道フェリーの読みは「うたか」国道フェリーが正解です。

    今回の廃止前に同航路で対抗していた四国フェリーと国道フェリーが合併する話し合いも行われていたのですが、交渉決裂したので廃止もやむをえない状況です。 これにより1910年の宇高連絡船開設からほぼ100年、この歴史は続くことなく宇野~高松間の航路は全廃となります。

    瀬戸大橋線は気象条件により運転規制がよくかかるのですが、列車運転見合わせの時は宇高国道フェリーが代替輸送を行っていました。

    1980年代にはフェリー初のエスカレーターや噴水などを装備した、豪華仕様の「こうらく丸」等がありました。 90年代半ばまでTVCMで使われたのですが今は売却されて、クロアチア第二の都市SplitとHvar島間の連絡船として活躍中です。

    1983年11月にはテレビ朝日系で放送されていた「西部警察PARTⅢ」の岡山&香川ロケが行われて、このロケでは国道フェリーも宇野港&高松港の乗り場や船内での撮影を始めとして、ロケ用の貸切便で岡山から香川へのロケ隊の移動も行なわれ、翌1984年2月に放送されました。

    2007年11月6日よりETCを使った乗船システムの実験運用を開始したり、2008年4月1日より深夜から朝にかけて減便が実施されたりと、国の無政策による打撃へ対抗する手段を行っていたのですが力尽きました。

    私は宇高国道フェリーで潮風を感じながら高松へ行くのは情緒あふれるから好きでしたが、建設現場時代に乗ったのが最後となりました。 もう、あの海の上を渡ることはないのかと思えば寂しい感じがします。

    高速千円でこれだけ悪影響が出ているのだから無料化したらどれだけ悪影響があるのか、おまけに車や高速に乗らない人の税金で足りない税金を賄う不公平税制の先には、地方における過疎化や自殺や貧困が待ち構えています。

    日本各地で公共交通機関が次々と廃止になって、目立たないけれど過疎地域で運転の出来ない高齢者の自殺が高速千円以後は急増しています。 風が吹けば桶屋が儲かると言うように、何がどう作用するかの見極めが未来を変えて行きます。

    今回はフェリーが打撃を受けて~地方の公共交通機関が打撃を受けて、こういう目に見えない打撃がいつ自分達へふりかかるか、私は困っている人を自殺へ追いやる政策は問題だと思うのです。

    あなたは一部だけ助ける政策を、どのように感じますか?

    うーん・・(〃 ̄ω ̄〃ゞ

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    後悔する。

    おはようございます。 今日と言う一日を過ごすのは、今日と言う日を生きているからです。 これを当たり前に思う人は幸せの本質が分かっていませんが、何も起こらず生きていけるのは本当は幸せなことです。

    御相談に来られる素敵なお客様を視ていると、その人生の素晴らしさに感動を頂いております。

    何かをすれば何かが変わるし、何もしなければ何も換わらない。 物事はプラスとマイナス、押せば引く~引けば押すと言うごく当たり前の道理があり、それは誰しも分かっているけれどすぐには踏み出せない勇気の一歩です。

    多くの人を拝見させて頂いていると思うことのひとつ、やれる時にはやっておく、する時にはする、思ったことには取り掛かる、これは同じことを言い方を変えただけですが、やりたいことはやるべきです。

    年配の方を拝見した時にはほとんど感じるのですが、「後悔していること」が多すぎます。

    その後悔の中身も90%が同じことですが、「やらなければ良かった…。」と言うことよりも「やっておけば良かった…。」と言う方が、圧倒的に多いのが人生です。 色々な人生をお伺いする度に思うのは、後悔することが人生において一番駄目と言うか、時間を元には戻せないことを実感する時なのです。

    20代の時には20代の、30代の時には30代の、「やっておけば良かった…。」が出てくるものなのです。

    お店を出したい夢があるならば、お店を出す為の努力と言うよりも行動をしないといけないのです。 努力は大事ですが、ゴールを決めずに走るマラソンは倒れてしまいます。 それと同じでゴールを決めずに行う夢は、叶う前に疲れて倒れてしまうのです。

    大学受験とか資格試験を受けたことがある人は、合格と不合格の差が頭の良さや努力だと思っているのであれば、それは不合格への道を辿っていくことになります。

    岡大の法学部へ入りたいのであれば、まずは「岡山大学法学部へ入る」と言う思いを持つことが重要なのです。 頭の中で岡大のキャンパスを歩いているとか、教室で講義を受けているなど、ワクワクしてくることを想像できるかどうかが一番の決め手です。

    本番に強いと言う言葉がありますが、これはまさにイメージがはっきりしている人が強い証拠です。

    自分がどこで仕事をして、どのような業務内容をして、誰とどんな風に話しているなど、細かいことが次々と浮かんでくるようであれば、それは夢が叶ったも同然のこととなります。 思い描けないことと言うのは、叶わないから思い描けないだけなのです。

    オリンピックの100Mスプリントを見て、「9秒台で走るなんて凄いなぁ~!」とは思います。 しかし、「悔しい! 私なら絶対に8秒台で走るのに!」なんて思いません。

    目の前の出来事や仕事内容を見て悔しいとか、もっと改善できるからこうすればいいなどと思うのは、それは才能が隠れているからに他なりません。 興味のないことに一生懸命にはなれませんが、内に秘めたる才能が隠れているからこそ興味を持てるのです。

    90歳になった時に「あの時、もっと冒険しておけばなぁ」と思うのであれば、その時に30代の自分を思い返して後悔しないだけの、チャレンジや行動が人生を作り上げるのです。

    20代や30代と言うのはいくらでも挑戦できる時間があるし、40代や50代でも早くはないし時間に余裕があるわけでもないけどまだ間に合います。 動かずに時間が流れていくままに身を任せて、「どうしてこうなんだろう?」と思うのが一番後悔します。

    周りの人を見た時に自分と比較して、「どうして上手く行かないんだろう?」と思う気持ちは分からないこともありませんが、それは相手の見えない部分の努力や苦悩を知らないだけなのです。

    私は資格を27個持ってはいるけれど、今後の人生において使うことはありません。 それでも努力したと言う結果と自信が今の自分を励ましてくれるし、「使わないから取らない」ではなく「使わないけれど取っておこう」と考え方が、いざという時の引き出しを増やせるはずです。

    やらずに後悔するよりも、やって後悔する。

    時間の配分は誰しも一日24時間ですが、ボォーとして過ごす24時間と一生懸命に生きる24時間では、その差が如実に現れても仕方がないのです。

    あなたは過去を振り返った時に、後悔する生き方をしたいですか?

    (゚∇^d) グッ!!

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