徒然草(岡山・東京・山崎かずみ)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    カッコイイ生き方。

    おはようございます。 この週末もおかげさまで予約満杯で、日常の業務がしづらくなってきております。 これもひとえに素敵なお客様のおかげであり、感謝の気持ちで一杯です。 私は素敵なお客様にお越しいただいて、その笑顔の素晴らしさに感動を頂いております。

    その素敵なお客様の笑顔の中に、人は何の為に生きるのかと言う答えが隠れていると思うのです。 ただし、人の人生と言うか寿命においての時間は無限ではなく有限で、限られているからこそゆっくりとしている暇はありません。

    人である以上は歳を取るのは当たり前で、人類としてのDNAを持っているのなら仕方の無いことです。 しかし、同じ歳を取るのであれば、気持ちの良い歳の取り方をしたいと思うのです。

    ちょっと周りを見渡してみて、50~60歳くらいの人を探してください。 そしてその人の歳の取り方を見て、「嫌だなぁ~。」と思ったり「素敵だなぁ~。」と思ったり、人には感じ方の違いに加えて気付くかどうかの違いもあります。

    「人は歳を取る」と言う当たり前のことに気付かないでいると、ひとりで人生を終えることになるのですが、お金で友情など人間関係は買えないのです。 お金は万能じゃないのに、お金さえあれば幸せになれると思うのが不幸を招いてしまうのです。

    これは年配の人に多いのですが、「金で買えないものはない」とか「カネを出せば何をしてもイイ」の二つを、いやらしい考えだと思わないのが恥を知らない証拠です。 お金は良いように使えば無限の可能性を秘めている素晴らしいものですが、自分の私利私欲に使うようではいやらしさと汚さが見えてしまうのです。

    ただし、今の50代から上の人が日本経済を支えてきたのは認めるところだし、戦後の日本を立て直してきたのも凄いと思います。

    しかし、お金だけが目的で生きてきた結果が今の日本だから、「最近の若い人は…。」なんて言うのはお門違いもはなはだしいです。 そうは言っても御年配の中にも「素敵だなぁ。」と思える人もいるのですが、何故そう思うのかを考えてみると自分がどう歳を取るべきかがわかると思うのです。

    結局のところ、良い歳の取り方をしているように見えるのは「美しい」からだと思うのです。 ただし、ここで言う美しいは見た目のことではなく、美意識(感覚)のことを言います。

    美意識とは道徳観があるだけではダメで、更に他人を思いやる力が根底に備わっていないと無理なのです。 こんなことをしてはいけないという道徳観+こんなことをしたらカッコ悪いと言う美学、それらを複合して頭の中で想像できる力があって、初めて美意識が完成して良い歳が取れるのです。

    分かりやすく言えば「子供達のマナーが悪い」と言う前に、「大人達のマナーが悪い」と言うことを認識しないと始まらないのです。

    少し補足の説明としてタバコを吸うなと言うのであれば、タバコを吸っている人が注意するのは変です。 道に唾を吐くような大人達が子供達に「ゴミを捨てるな!」なんて怒っても、自分がしていることを棚に上げて注意する恥を知らない大人になってしまいます。

    こう言う大人達がクラブなどへ飲みに行くと説教を始めて、「こんなところで働いてちゃダメだ。」なんてウンチクをたれ始めるのです。 しかし、そう言っている自分は「こんなところに飲みに来ている」ということが、すっかり頭から抜け落ちている情けなさです。

    教育~教育と言うけれど、本当に教育が必要なのは大人達です。

    子供は大人達の姿を見て学ぶのだから、ほっといても大丈夫です。 周りにいる大人達が「カッコイイ姿」で礼儀正しいことをしていれば、自然と真似をするようになります。 TVドラマの中だけじゃなく世間的にも、カッコイイ中高年の周りにはカッコイイ若者が多いはずです。

    公共の場所では静かにするとか~行列には割り込まずにきちんと順番を守るなど、子供から見てもズルイと思われないことが大人としての第一歩なんですが、年を取るほど余り出来てない人が多いように見えてしまうのは気のせいでしょうか?

    人が生きている間に学ぶ気になればいくらもでも学べるのですが、学ぶ気の無い人が吸収できることは少ないです。

    しかし、子供たちはこれから学ぶべき位置にいるので、良いことも悪いこともドンドン吸収してしまうので、綺麗なまま大人になるようにカッコイイ生き方を示すようになるのが理想だと思うのです。

    幸いなことに人の運命は良いと悪いが交互に来るのと同じで、光と闇は好対照でどちらかしかありえません。 人生は良い時と悪い時の両方があるので、それを経験として蓄積した後に活かせるからこそ財産になるのです。

    私も人間ですから30~40~50歳と年を重ねるのは仕方が無いのですが、私が50歳になった時に「山崎はカッコイイ生き方をしている。」と思われるようになっていたいです。

    そこまでいけなかったとしても、後進となるべき方々のお手本になれるような努力は続けていって、その努力の部分を次世代の人がカッコイイと思ってくれるだけのことはしたいと思います。

    あなたはカッコイイ年齢を、重ねることが出来ますか?

    ヴイ♪ ( ̄m ̄*)V



    お知らせ:業務多忙の為、ブログの更新は2日(月)から再開します。 予約の受付はしておりますので、遠慮なくお気軽にお申し付けくださいね。 いつもご予約いただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    出会いとは。

    おはようございます。 恋をしている女性はキレイだと言いますが、それは見掛けが変化するだけではありません。 内面から滲み出るようなオーラと言うか、雰囲気や立ち振る舞いなども入っています。

    そういうことが集積&蓄積されて、初めてキレイに見えるのだと思います。 恋は人を素敵にするのは嘘ではないから、ときめくような恋をすればするほど人間が磨かれていくのも事実です。

    その恋愛に「必要不可欠なことは?」と聞かれたら、どう答えるかは人それぞれだと思います。 お金が重要と言う人もいれば性格と言う人もいますし、更には身長とかイケメンなどと答える人がいるのも当然で、100人いれば100通りの求める内容があります。

    しかし、それらはあくまで自分の好みの範囲であり、必要不可欠と言うほどではありません。 必要不可欠と言えるのは何かを考えると、そこにある答えがあなたの恋を阻んでいるのかもしれません。 あなたが恋愛をするのに一番大切なこと、その一番大切で必要不可欠なこととは「出会い」です。

    これを聞いて「なぁ~んだ、当たり前じゃん。」と思うかもしれませんが、出会いと言うのはそれが全てを決めてしまうほど重要で、「良い出会いと悪い出会い」は恋愛に雲泥の差をつけてしまうのです。

    人が恋で悩むのは愛情で悩むのか~それとも人情で悩むのか、その違いに気付かずに悩んでいるといつまで経っても答えは出ないのです。

    分かりやすく例えると、性格の悪い人を好きになってしまい~その人の性格に振り回されて身も心もボロボロで、それでも別れられずに毎日を過ごすような出会いがあります。 そうかと思えば、性格が良くて何をするにも癒されるかのような毎日で、幸せを感じながら結婚して家族を築いていく出会いもあります。

    これは最初の出会いが重要という部分なのですが、合コンに行って出会う男性とボランティアに行って出会う男性、どちらの出会いが良いかが出会いの差を決めるのです。 これはボランティアをしている男性が偉いと言っているわけではなく、そういう場所で出会う男性の方が出会いの場としては良いと言う意味です。

    出会い~出会いと言うけれど、その出会い方に出会いの本質が隠されていると言っても過言ではありません。 ネットの出会い系で出会う人が全て悪いわけじゃないけれど、犯罪の温床になっているのも事実です。 合コンで出会う男性が全て悪いわけじゃないけれど、お持ち帰りしか考えていない男性が多いのも事実です。

    出会うキッカケさえ良ければ、「出会いの中身が悪いことは余りない」と言っていいと思います。 この出会いのキッカケこそが、あなたの恋を左右することになるのです。 つまり、出会いの場と言うかキッカケ作りに全力を注げば、それから後は必然的にレベルの高い男性に繋がるのです。

    その最適の出会いの例として、独身のエグゼクティブ(企業の上級管理職や経営幹部など)と出会う為には、「東京都内の高級スーパーへ夜11時~12時頃に行って、買い物籠をぶら下げている高級スーツに身を包んだ男性に声を掛ける」という必殺技もあります。 これは余りにも現実的なワザですが、東京出張で受けるネタのひとつです。 (苦笑)

    まぁ、これは誰にでもできる技ではありませんから、もうひとつ「良い出会い」を掴む技を書いて見たいと思います。 その技とは「あなたが素敵だと思う男性に、独身男性を紹介してもらう」で、これはモノスゴク効き目があります。

    まず、あなたが素敵だと思う男性を見つけます。 これは独身でも既婚でもどちらでも構わないので、とりあえず「この男性は素敵!」という人を見つけます。 仮にAさんとして、そのAさんに「Aさんの知り合いかお友だちの独身男性を、私に紹介してもらえませんか?」と持ちかけて出会いのキッカケとするのです。

    これは「男性の習性」を利用した凄く深~い必殺技ですが、地位や人間性が上の男性は女性に誰かを紹介する時に、「自分と同じか~もしくは上の男性を優先して紹介したがる」という習性があるからです。

    つまり、紹介を頼まれたら自分のプライドを保つ為にも、女性から「すご~い!」と思われたい気持ちが働きます。 男性心理としては自分の人脈の中でも「自分と同等か上」の男性を紹介して、「さすがAさんですね!」と言われたいのです。

    注:ただし、素敵じゃない男性に頼むと自分より下を紹介して、「俺の方が凄い」と自分を凄く見せる為のことしかしないので、「あくまで素敵な男性」という部分を忘れないようにしてくださいね。

    私だって同じことで、もしも万が一にお客様より「誰か男性を紹介してください。」と言われたら、「N市のIさん~寄付の神様~Mさん」のような私より凄い男性を優先して紹介することになります。 (ただし、残念なことにN市のIさんは既婚者ですし、寄付の神様やMさんは独身ですが東京です。)

    天地がひっくり返ったとしても岡山県北の男性や、工場時代&建設現場時代の男性などは危なくて紹介できません。 !!(゚ロ゚屮)屮

    あなたは出会いの重要性を、どれだけ認識していますか?

    v(Θ_Θ)ゞガチャピン?

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    気合と根性。

    おはようございます。 毎日ブログを更新するのは楽しくて、素敵なお客様が読んでくださるのはとても嬉しいです。 ただし、最近は出張で更新ができませんし、土日も忙しくて更新できない時が増えてきました。 実は平日もお昼休憩以外は予約が一杯の時が多く、申し訳ありませんが平日もブログ更新が出来ない時が来るかもしれません。 m(__)m

    出来れば気合と根性で乗り切りたいところですが、「気合と根性」と言う言葉は古いかもしれません。 しかし、人生で成功しようと思うのであれば、人と同じことをしていては無理です。 歯を食いしばってでもやり遂げるという、自分の存在意義を証明するような炎となる情熱が無ければ、残念ながら普通で終わることも仕方ありません。

    私は基本的に男性鑑定を好んでしているわけではなく、紹介があれば断れないと言う理由で受けている程度です。

    私のところへ男性が来る場合は「女性の紹介がある+男性料金」という、二つのフィルターを潜り抜けて辿り着いた男性ばかりです。 (何故、私が男性鑑定をしなくなったのかは、毎年定期的に書いているので又の機会に…。)

    ただ、人の縁とは不思議なものですが、N市のIさんは男性鑑定をしていた頃に私を発見された縁ですし、寄付の神様は友人繋がりの紹介でお越しになったのですが、9月28日のブログに書いたMさんは少し違います。

    Mさんは私のことをHPで知ったのですが、男性は紹介が必要だからMさんは身近な女性に、「山崎へ行ってもらって、僕を紹介してもらえませんか?」と相談しました。 普通は恥ずかしいとか照れくさいなど頼めないのですが、Mさんは身近な女性に頼み込んで紹介してもらえる道を自ら作り出しました。

    そして私のところへお越しになったのですが、この辺からすでに普通の男性とは違っていました。 (これは偶然かもしれませんが、私のところへ定期的にくる男性は誰が見ても凄いし、素晴らしい人間性や能力がある男性だと断言できます。)

    Mさんは私のところへお越しになる度に世の為人の為に役立ちたいという思いを吐露していましたが、残念ながら一社員として売り場にいる状態では権限が無いから、いくら良いアイディアを持っていても社内で意見が通るわけではありません。

    そこで自分が担当する売り場では色々な工夫を凝らして、売り上げを積み重ねるという実績作りをしていました。 そして実績を積みつつ社内の昇進試験を受けていたのですが、これだけでは西日本のどこかの店舗で売り場主任とかの段階を踏んだ出世だったと思います。

    社内の昇進試験を受けて合格発表までの間に私のところへお越しになったMさんでしたが、その時にMさんがいる店舗(売り場)に役付きと言うか重役というか、ようはトップの面々の視察があるという話があり、Mさんは「チャンスがあったら話しかけようと思います。」と言われました。

    そこで私は「Mさん、話しかけるのはリスクが高いから、自分の考えをレポートにまとめておいて、それを資料として提出してみたらどうですか? 飛行機の中の暇つぶしでいいから読んで下さいと言ってみたらいいと思います。」と言う話をしました。

    そして運命の9月某日、お偉いさん方が大名行列のごとく視察に来ました。 順番に各売り場を見て、やがてMさんのいる売り場に来ました。 その時に社員は出迎えの為に整列していたり~脇に避けるのが当然ですが、Mさんは気合と根性で一歩前に出ました。

    「お疲れ様です。 僕は○○所属の○○と言いますが、是非これを読んで下さい。」と、視察の行列に飛び込んだのです。 「なんだぁ~、おまえは~!」と周りにいるお付きの人がMさんの前に来ましたが、Mさんは「ファイト一発!」とCMじゃないけれど勇気を出して自分のレポートを提出したのです。

    するとそれを受け取ったお付きの人が軽く目を通して「ん!? おい、次のも出してみろ。」と、更にMさんのレポートを見たいと思ったようです。 そしてMさんのレポートを見たお付きの人は、「じゃあ、渡しとくから。」と言ってその場は収まったようです。

    Mさんの勤める企業は、連結で73,653人~単独でも14,790人(2008年現在)の社員数を誇る大企業ですが、果たしてMさんと同じ行動が出来る男性社員はどれだけいるのか、それを考えると一歩踏み出す勇気は賞賛に値します。

    それから2~3日して人事異動があったのですがMさんは西日本所属の為、通常であれば西日本内の店舗にて順番に昇進していくはずでした。 しかし、レポート提出後の人事で何があったのかは分かりませんが、その辞令は東京方面への赴任と経営戦略の某事業部への栄転と言う結末となりました。

    Mさんが提出したレポートの出来が良かったとか、売り上げ低下で核となる人材が必要など追い風が吹いていたのもありますが、気合と根性がなければ運命は変わらないままだったかもしれません。

    たまたまではあるけれど、Mさんのところへお偉いさんが視察に来るというチャンスがあったのも、日頃の行いがモノを言ったのかもしれません。 ただし、後日談としてMさん曰く、「あの時(視察の行列)は胸がドキドキして、勇気が要りましたよ~。」とのことでした。

    あなたは気合と根性を、古い考えだと思いますか?

    ☆~ヽ(▽⌒*) ヨロシクッ!

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    ミシュランガイド。

    おはようございます。 東京より無事に帰って鑑定を再開しておりますが、今朝は千葉県沖に台風20号がいるので昨日の午前中に帰ってきているから大正解です。 私が乗る飛行機は台風で飛ばないことはありえないので、ラッキーでついてることに感謝しています。

    今回の東京出張では初日の夜は寄付の神様、二日目の夜はMさんと食事に行きました。 私が夜に食事すると言えば普段はコンビニ弁当かラーメン屋さんなどですが、このような時は普通に外食します。

    こういう時のお店はマスコミがヤラセで宣伝しているようなお店ではなく、本当に良いお店だなぁと思える場所に行きます。 第一条件が静かであると言う点、次に重要視するのはキレイで目が覚めるような夜景です。

    ミシュランガイド京都&大阪と言う本が先週発売されましたが、ミシュランガイド東京も出ています。 このような本は宣伝広告の為にある本なので、広告代の有無や編集者の好き嫌いにより決まります。 (地方ではタウン情報などが、宣伝広告の為にある雑誌と言えます。)

    ミシュランで代表的なものはレストランの評価を星の数で現すことで知られる「レストランガイド」で、これは装丁が赤色だからレッド・ミシュランとも呼ばれて~緑色を基調としたグリーン・ミシュランは旅行ガイドです。

    ミシュランの始まりはパリ万博が行われた1900年に自動車運転者向けのガイドブックとしてフランスで発行されたのですが、最初は郵便局や電話の位置を示した市街地図に都市別のガソリンスタンドやホテルの一覧~更に自動車の整備方法などでした。

    これはミシュラン社がタイヤの売れ行き向上を狙って自動車旅行活性化の為に、35,000部が無料で配布されていました。 毎年~毎年、戦時中を除いて無料で配布を続けていたのですが、それも終わりを告げる時がきました。

    無料配布が終わるキッカケですが、ミシュラン社の社長がある修理工場を訪れた際に作業台の足代わりにミシュランガイドが使われているのを見て、「あぁ~、人はお金を払って買った物しか大切にしないんだなぁ~!」と嘆いたのです。

    そして現在の格付けは1930年代からで、レストランを星で格付けする方式が開始されてミシュラン社員が匿名で施設の調査を行うようになりました。 星の数は当初は1つ星からスタートして、やがて2つ星から現在の3つ星方式になりました。

    1956年に初めてフランス国外版として「北イタリア」版ガイドが創刊されて、それからはベネルクス版~スペイン版と続いて、2005年には初めてヨーロッパ以外を対象とした「ニューヨーク・シティ版」が登場しましたが、3つ星レストランがわずか3軒で~しかも全てフランス人シェフの店だったから騒動になりました。

    さて、2007年には初のミシュラン東京版が出版され、発売日から4日間で初版12万部をほぼ完売という驚異的な売れ行きでした。 発売初日に9万部も売れたのはミシュランガイド史上初めてと言う快挙で、これによりミシュラン社が日本市場で儲けようと東京版の毎年発行に加えて京都&大阪版へと続くのです。

    なお、簡単に評価と格付けに付いての解説ですが、星1つは~その分野で特に美味しい料理で、星2つは~極めて美味であり遠回りをしてでも訪れる価値がある料理で、星3つは~それを味わう為に旅行する価値がある卓越した料理ということらしいです。

    肝心のミシュランガイド東京(京都&大阪)ですが、ミシュラン信仰がある人や好きな人は買っても損は無いと思います。 東京版については発売に関して、ミシュランガイドの総責任者の方が「東京は世界一の美食の町」と言ったとの噂です。

    ただし、このミシュランガイドには相当な上下幅があり、格付け結果には異論もあるようです。 東京に住んでいる人からは「平凡な店に星が与えられている」とか、「星の大盤振る舞いはお店の広告や宣伝だ」とも言われています。

    料理評論家や各種の雑誌編集者たちはこぞって発売を歓迎していましたが、実際に発売されて中身を確認すると酷評に転じたので、いかにマスコミがアテにならないかを露呈する一幕もありました。

    実は星3つでも掲示板などでは5点満点中で平均3点とか、東京版と言う割には東京23区のうち8区(2009年版は13区)の店舗しか取り上げられていないとか、焼き肉や焼き鳥店の掲載が皆無など料理の分野に偏りがあるなど、次から次へと批判が噴出しています。

    7月に寄付の神様がミシュランガイドに出ている星3つのところへ連れて行ってくれたのですが、ガイドに書いてあるような予約半年待ちではなくいつでも予約は取れるし、行った時に余りお客様がいなかったという事実を見てしまいました。

    「本物はマスコミには出ない」と言われますが、よく考えれば占い師さんだってヒマだから宣伝するだけで、私も正直に言うとヒマな時に雑誌広告を一度だけ出しました。 出版社側も不況を乗り切るには広告収入を得る戦略として、ananやタウン情報おかやまなどの12月号や1月号に占い特集を組んで、それにより広告収入を得るのは仕方がないのです。

    ただし、ヤラセでも何でも三方が上手く行けばイイと思うのですが、①=出版社は広告収入で儲かり~②=占い師さんはお客様が増えて助かり~③=お客様は心が元気になって未来が明るくなる、これなら三方が丸く収まるから素敵だと思うのです。 (なお、私は真剣勝負が好きなので、雑誌のヤラセ取材は丁重にお断りしています。)

    あなたは何が本物なのか、見極めることが出来ますか?

    ヽ(▽⌒*)ホシミッツデスゥ~☆☆☆!

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    難関。

    おはようございます。 今日の倉敷は凄く良い天気で眩しいばかりですが、これを読んでいる素敵なお客様の未来のように輝いているのだと思います。 この眩い光はあなたの夢が叶うと言う暗示だから、難関だと思わずにチャレンジするのは大切だと思うのです。

    難関と言う言葉を辞書で引けば、通過するのが難しい関所とか~切り抜けるのが難しい場面~打開するのが困難な事態などと書いてあります。 人は誰でも困った自体に遭遇すると難関と感じたり、とても出来ないと意気消沈してしまうことがあります。

    しかし、難関と言うのは実は自分が作り出しているだけであり、難関と言うモノ自体がこの世には存在していません。

    難関と言うのはあくまで自分が作り出した幻想であり、冷静に見ると本人の主観の問題だけなんです。 ようは難関だと思っている自分がいるだけであり、取り掛かれば済むモノを面倒だから手を付けないだけなのに、それを難関と呼んでいるだけなのかもしれません。

    ひとつの例として大学受験がありますが、大学受験を難関と言う人は難関の意味を取り違えています。

    ある調査で現在大学生の人に「努力が報われるは本当か?」と言う問いをしたところ、半数以上の54%が「報われない」とか「努力しても無駄」などと答えが返ってきました。 これは贅沢極まりない回答であり、難関や努力と言う言葉を全く理解できていない証拠です。

    大学受験と言うのは受けるところまでが難関だと言うことに気が付いていないのは、日本が豊かで平和な証拠です。 大学受験が難関なのではなく、大学を受験することが出来る状況までが本当の難関です。

    世界へ目を向けると小学校に通うことが出来ない子供もいるし、ストリートチルドレンとして万引きや窃盗をして生き延びるしかない子供もいます。 日本だって色々な事情で大学へ行くことができない人が大勢いるのに、大学受験するチャンスを貰った上に大学へ通うことが出来ると言う奇跡に感謝も無いのが今の日本です。

    努力が報われないどころか、きちんと勉強していれば大学に合格できたと言う奇跡の時間を過ごしているのに、それじゃあ「今までの人生は努力無しで生きてきたのか?」と言うことになってしまうのです。

    小中高と進んでちゃんと勉強して大学受験をしたと言うのは、奇跡+努力の上に成り立っているのに、目先の就職先がない~それも自分が思う通りの就職先が無いと言うだけで、「努力が報われない」と感じるのは贅沢な証拠です。

    私は難関と言う言葉を使わないと言うか使えないのは、素敵なお客様の努力をずっと視てきているからです。

    ある女性は両手の指が根元から第二関節まで、つまり手のひら(掌)部分しかありませんが子供4人のお母さんです。 指がなければオシメを換えるのも料理をするのも大変ですが、いつも笑顔で不平不満を言わずに苦労を笑い飛ばしています。

    また、ある御夫婦はご主人も奥様も共に目が見えないのですがお子さんが二人いて、そのお子さんも二人とも目が見えません。 それでも不平不満どころか笑いの絶えない家族で、毎日を活き活きと過ごしています。

    普通の人ならば4人とも目が見えないことを不幸に感じるでしょうが、この御家族は「最初から見えないのだから、今更どうってことは無い。」と言いきる姿に、私は見えない自信と感動を感じたのです。

    私は自分が五体満足で生きているのに何もしなかった過去が恥ずかしくなるのはこう言う時で、お客様の方が強い生き方をしているのに弱い生き方の私が何を言えばいいのか自己嫌悪に陥ってしまうのです。

    もしも私が同じ状況だったら耐えられるのか、それを考えると頭が下がる思いです。 目が見える今ですら不平不満が心に生まれて自ら難関を作り出しているのに、こんなことでは本当の難関が立ちふさがった時にどうするのかと自責の念に駆られてしまうのです。

    星空を見上げてキレイだと思えるのは、目が見えているからだけではありません。 悩み事もなくキレイだと感じられるだけの状態を維持しているからそう思えるだけであり、目が見えていても苦しいことや辛いことで頭が一杯ならば、キレイだと言う余裕が生まれることはありません。

    難関だと思う前に考えなければならないのは、本当に自分が出来るだけのことをしたのかどうかであり、難関だと思い込んで立ち向かうことを止めてしまって夢が叶わないと言っているのかも知れないと、難関に対する認識を改めない限りは夢が叶うことはありえないのです。

    あなたが進む未来は難関が多いように感じるかもしれませんが、それは難関に見えるだけで本当は夢の扉なのかもしれません。 夢の扉を発見した時に表向きは汚れているかもしれないけれど、それは色々な人が開けようと努力した分だけ汚れているのです。

    あなたは目に見えない難関を、自分で作り出していませんか?

    ありがと~☆ヽ(∇⌒ヽ)(ノ⌒∇)ノ☆



    お知らせ:出張と業務多忙の為、ブログの更新は27日(火)から再開します。 出張中でも予約は受付しておりますので、遠慮なくお気軽にお申し付けくださいね。 いつもご予約いただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    肝心。

    おはようございます。 どうも日本の未来は危うくなりそうですが、税収が足りずに赤字国債を発行しないといけないのに高速道路をタダにして、良い思いをさせておいて後から大増税が待っています。 政治家は分かりづらくごまかして話すのが得意ですが、霊視カウンセラーとして今の日本を分かりやすく家庭に当てはめて解説です。

    あるところに日本さんと言う家庭があり、そこには総理パパと官房ママが今は仲良く暮らしていて、長男で意志の弱い戦略ちゃんと次男でワガママな暴れん坊の金融ちゃん、更に計算の苦手な財務ちゃんや直ぐに問題から逃げる厚生ちゃん、責任感ゼロで間違いを認めない国土ちゃんなど大家族で暮らしています。

    総理パパの収入は毎月40万円なのに家族全員が節約もせず、銘々がお金を使いまくるので支出は毎月90万円です。 そして長年のデタラメ生活により1億2千万円の借金があるのに、今も毎月50万円ずつ赤字(借金)が増えています。 今の日本の現実はこうですが、これを難しく言ってごまかしているのです。

    さて、肝心要と言う言葉があるようにポイントを抑えなければ無駄になることが、世間には往々にしてあります。 政治家や官僚は机上の空論が中心で実体験が無いから、税金の無駄使いが多いし企業支援にならない政策や法案を作り出してしまうのです。

    今も政府が企業支援対策としてモラトリアムを打ち出しましたが、政界と金融界で物議を醸し出して火付け役となったのが金融担当大臣です。 モラトリアム制度導入に金融担当大臣は意欲をのぞかせていますが、これにより波乱が起きそうなモラトリアム制度の導入です。

    このモラトリアムとは法令により金銭債務の支払いを一定期間猶予することで、暴動や天災という非常時に信用制度の崩壊を招かないように、当局が法令により返済猶予に踏み切ることを言います。

    しかし、どうしてモラトリアム制度が必要なのか、実現した場合はどのような効果が期待できるのか、下手すると「借りたものは返す」という信用秩序を歪めて、返さなくても良いと言う意識が蔓延します。

    まぁ、元を正せば金融機関の自己都合主義がローン破綻の原因ですから、自分の儲けばかり考えて損しなけりゃいいとばかりに、住宅ローン難民を生み出しているから自業自得です。 ただし、一定期間返済を猶予するのも長期間にわたると、貸し手である金融機関にとって収益が悪化するから経済への影響も少なくありません。

    2009年現在、日本の民間銀行およびノンバンクを含めた個人向け住宅ローン残高は約100兆円あり、金融機関の儲けがそのうちの1%だとするとモラトリアム制度で銀行が損するのは年間で約1兆円になります。 (逆に言えば働かずに寝ていても、銀行には約1兆円が黙って入ってくるわけです。)

    また、金融となれば貸し剥がしや貸し渋りの説明も欠かせないのですが、金融機関が経営に問題がない企業に対しても貸し出しに慎重になって新たな融資を断ることを「貸し渋り」と言い、既存の融資を理由無く引きあげたりすることを「貸し剥がし」と言います。

    突然に全額一括返済を求めたり、定期的に融資を繰り返してきたのを一方的に停止するのだから、運転資金などを頼っていた企業やお店は一気に倒産に追い込まれました。 それにより全国各地で訴訟が起こりましたが、継続融資は口約束でなされていたことも多く決定的証拠に欠けた上に、契約書があっても銀行有利な契約だから敗訴が続きました。

    ただし、銀行に融資を申し込んで断られるとすぐに貸し渋りだという企業経営者も多いようですが、財務内容が悪かったり過去に会社を倒産させて保証協会が求償権を持っていたりするような場合、融資ができないのは当たり前だから貸し渋りにはなりません。

    貸し渋りとはあくまで健全で財務内容に問題のない企業に対して、金融機関の都合で融資を行わない身勝手な状況を指して言うものです。

    現政権を見ていると人気取り&前政権の全否定という感想ですが、木を見て森を見ていないからモラトリアムや貸し渋りや貸し剥がしを防ごうなんて政策になるのです。 このモラトリアム法案により政府が返済保証人になるから、もしも中小企業が返せなければ「私たちの税金」で「銀行に返済」することになります。

    つまり、中小企業はお金を返さずに計画倒産すれば、返済義務無しに大儲けできます。 困っている企業やお店にお金を出すのは最低最悪の政策で、私たちの大切な税金を垂れ流しの無駄使いは止めていただきたいと思います。

    中小企業やお店が困っているのは資金繰りが問題なのではなく、ヒトコトで言うなら「仕事がない+経営者の無駄使い」と言うのが本当の部分です。 お金を出してあげるよりも仕事を生み出してから無駄使いを省くことを教えると、資金繰りの改善が出来て自力で再建できるのです。

    中小企業に対してするべきことは資金の提供ではなく、企業の財務体質改善と経営戦略や経営方針を根底からやり直すことです。 お金を借りなければ経営していけないような会社やお店は、最初からどこか経営のやり方が間違っているのです。

    私の経営方針(起業方針)は無借金経営が絶対だから、過去に一度でもお金を借りたことがある経営者は、いくらデカイことを言ったところで「負け組経営者」です。

    あなたは肝心な部分に、目が向いていますか?

    (*^0゚)v ィエーイ☆彡

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    会うことで変わる。

    おはようございます。 今日の倉敷はいい天気でまぶしいくらいですが、素敵なあなたの一日もまばゆい光に包まれるくらい素晴らしい日になると信じています。

    私は素敵なお客様とお会いできること自体が奇跡の始まりだと考えているので、お客様にお会いできることが感謝と感動であるのは永久に変わらない事実です。 考え方にもよるし生き方にもよると思うのですが、お客様とお会いできることが嬉しくてしょうがないから、霊視カウンセラーは私にとって素晴らしい天職だと言えます。

    素敵なお客様とお会い出来る幸せは、何物にも変えがたい感動の種を花開かせることだと毎日~毎日が感謝の日々です。

    あなたが生きている意味と言うのは誰かを喜ばせるとか誰かの役に立つなど、「誰かの為」と言うのが生きる意味だと言っても大げさではなく真実です。 移り行く空の下に生きていながら人生は千差万別で、同じ瞬間に違う人生が同じ時間を過ごしているのです。

    私はお客様とお会いできて、そのお客様が勇気や元気を胸に抱いてお帰りになるのであれば、それだけで胸が一杯になり「よかったぁ」と言う感動が心に生まれているのです。

    これは理解できる人もいれば理解できない人もいますが、どれが正しいとか正解などと言うわけじゃありません。 私にとってはお客様の心が優しさに溢れているからこそ前向きになれるので、その勇気や元気が出るお手伝いが出来たなら至福の瞬間でナニモノにも変えがたいのです。

    私も人間ですからお金が欲しくないわけじゃありませんが、私がお金を必要とするのは寄付する為です。 お金はとても大切なものですが必要以上にあっても仕方がないものでもあり、お金は素晴らしいものですが使い方を誤ると汚く見えてしまいます。

    しかし、使い方を誤らなければ誠に便利で役に立つもので、盲導犬の育成やアフリカの子供たちに綺麗な水を使ってもらいたいと思えば、その実現の為にはお金はいくらあってもいいと思うのです。

    例えとしてお金のことを書いてはいるけれど、全ては「誰かの喜ぶ笑顔」の為に通じることが原点です。 誰かに勇気付けてもらうことで活き活きできて、今度は自分が誰かを助ける側に回ると言う好循環に入ったなら、次々と幸せな人が増えていくので争いなども減ると思うのです。

    私は人と会うことで変化するのは、比較できないくらい素晴らしい変化があると思うのです。 日本のことわざにも「男子三日あわざれば刮目せよ」と言う言葉があるくらい、人の変化と言うのは意識変革により変わるのです。

    私の師匠と呼べるのは素敵なお客様が全てであり、素敵なお客様がお越しになることで学ばせていただいております。

    人とお会いできると言うのは誠に貴重な体験なのですが、N市のIさんや寄付の神様などボランティアに対する考えについて影響を与えて頂いている人もいれば、マナーや礼儀を教えて頂いている人もいれば、お客様の過去を視ることで恋愛経験などをバーチャルで蓄積させた頂いたりと、私の師匠と呼べるのは他ならぬ素敵なお客様です。

    人と出会うことで何が経験できるかと言うのは、自分自身の受け止め方によるものが大きいと思います。

    会ったところで何も感じない人も居れば、会った瞬間に「凄い!」とか「すばらしい!」と思う人もいます。 それは相手から得るものや学ぶものがないから何も感じないのか、それとも自分が凄さを理解できるレベルに達していないから感じないのか、感じない内容によっても大きな違いがでます。

    人と会うことは全ての基本じゃないかと思えるくらい、人と会うことが勉強になっています。 ある程度の知識や技術を身につけたら「やりたくなる」のと同じで、誰かと話すことは自分の可能性を広げてくれることでもあると思います。

    そして誘われた時に迷ったら「先約優先」と言うことだけ守れば、運命はあなたに無碍な態度は取らないと思います。 最初に食事や遊びに誘われたら約束は守り、後から誘われた人によって優先順位を変えるようなことはしてはいけないと思います。

    今年も偶然から出会った素敵なお客様ばかりですが、素敵なお客様にお会いできたことが大変勉強になっています。 そこにあるのは自分をストイックに律していく姿であり、怠けてはいけないとか手抜きをしてはいけないことなどを、再認識させられて見習うべき部分が多いです。

    人と人との出会いと言うのは無駄ではなく縁があるからで、その縁を大事にしていけば心の目が次々と開いていくと思います。 別に教師としてだけではなく反面教師と言う場合だってあるかも知れず、その出会いから自分が何を学ぶべきかと言うのが大切です。

    私も自分が次々と心が洗われたり気付かされたりするのは人と出会うからこそで、その中でも素敵なお客様にお会いできて魂が磨かれることがほとんどです。 あなたの素晴らしい人生に、私は日々学ばせていただいております。

    あなたは出会う縁を、どのように捉えていますか?

    フレー "ヾ(^O^ )ノ..( シ^O^)ノ" フレー

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    愛される。

    人は生まれてきた時にはすでに家族構成が決まっていて、選べるわけじゃありません。 父や母に加えて~兄や姉や弟や妹など、生まれてきた時には様々な人間模様がすでに出来上がっています。 コレに関しては選ぶことが出来ないので、生まれてきた条件から自分がどう成長していくのかが選択肢です。

    しかし、その生まれてきた条件をどう思うのかは人により違います。

    親がいるとか姉妹がいるなど家族が多いのをうらやましいと思う人もいれば、ひとりの方が良いと思う人もいるので一概には言えません。 兄弟が少ないから可愛がられたという人もいれば、兄弟が多いから寂しくなかったと言う人もいます。

    良い大学を出たとか良い会社に就職できたなど、人はツイツイ誰かと自分を比べてしまいます。 しかし、自分が比べなくても自動的に比較される状態があるのですが、それを血筋や家柄など家族という良い時も悪い時もある関係を言います。 本来の家族とは仲良くあるべきなのですが、ナカナカそうも行かないのが人間社会です。

    「お姉ちゃんは優秀なのに、あんたはどうして勉強が出来ないの?」とか、「○○は結婚して子供もいるのに、何であんたはいまだに独身なのかね~?」など、家族だからこそ比べられる悲劇も存在します。

    本当は親子や姉妹などは心が寂しい時には抱きしめて精神的に癒してあげる、それが本来のあるべき姿なのに余計なヒトコトばかり言うようになるのが、血が繋がっていると言う安心感や気軽さなんです。

    もしも、良い家庭を築きたいと願うのであれば優しさと言う点を第一に考えて、自分がされて嫌なことは人にもしないと思えば理解できると思います。

    東京出張より帰って事務所の掃除や事務整理が済んで休憩している時に、予約無しでお越しになったSさんのお悩みは自分の出生についてのことでした。 人は誰しも親を選んで生まれてくることは出来ませんが、Sさんもご多分に漏れず兄弟や従姉妹が多くて大家族の中で過ごす苦労についてでした。

    Sさんの家は代々続く家柄の為、大家族の構成の見本みたいに伯父さんや叔母さんも多く~兄弟は5人に加え従姉妹だけでも8人もいるなど、いつも比べられて辛い思いをしたそうです。

    それでも兄弟や従姉妹の仲は良かったので、それに関しては辛いどころか助けてもらっていたそうです。 進学や就職の時でも親や先生の意見よりも、兄弟や従姉妹の意見を優先したほどです。

    では、なぜSさんが御相談に来たのかと言えば、お祖母ちゃんのことでした。 コレは大家族にありがちですが、お祖母ちゃんが家を取り仕切るかのように権限を持っていたのです。 お祖母ちゃんは何を決めるにしても自分の意見が絶対でしたし、家を守り立ててきた自負もあり誰も逆らえなかったようです。

    Sさんは他の兄弟や従姉妹に比べて可愛がられていなかったので、お祖母ちゃんの側によることも出来ずに遠くから見ることも多かったようです。 他の兄弟や従姉妹はお祖母ちゃんに甘えることが出来ても、Sさんは厳格で厳しいお祖母ちゃんに甘えるなんてとても出来なかったのです。

    そのお祖母ちゃんが先日亡くなったのでお葬式に出た時に家族や親戚と話をしていると、お祖母ちゃんはSさんのことをとても気に掛けていたと言う話を聞かされたそうです。 Sさんは幼い頃からのお祖母ちゃんの態度からしても、その話はとても信じられません。 それでも何故かSさんはその話が耳に残り、どうにも気になってお祖母ちゃんのことを聞きに来られたのです。

    私が視たところ、その話は嘘ではないようです。 どうやらSさんのことが可愛い余りに厳しくして、しっかりして欲しかったようです。

    その為に甘やかすことはせずにSさんを厳格に育てたいと思って、ワザと他の兄弟や従姉妹よりも厳しくしていたようです。 孫に厳しく応対しても怖いとか厳しいとしか感じられないと思いますが、それもひとつの愛情だったのかもしれません。

    しかし、メッセージを伝えてもSさんは「信じられない。」と言われるのですが、それも無理はないと思いました。 そこで私はSさんに、「お祖母ちゃんの遺品である、お茶やお花の道具とか箪笥の中など、普段は人に見せないモノをスミからスミまで探したらわかるかもしれません。」というしかありませんでした。

    Sさんは実家に帰った時にお祖母ちゃんの遺品を探してみると、生前に使っていた仕覆の中にSさんの写真を入れてあったそうです。 お祖母ちゃんはひとりで心を落ち着ける時にお茶をたてていたのですが、その時にSさんの写真を大切に見ていたようです。 しかも他の兄弟や従姉妹の写真はなく、Sさんの写真だけがあったそうです。

    その写真を見ているお祖母ちゃんを思い浮かべた時に、Sさんは自分が本当は愛されていたこと~もっと仲良くして置けばよかったこと~愛情を信じられなかった自分の情けなさなど、今までの思い出が次々とよみがえってきたそうです。

    あなたは愛されていることを、ちゃんと信じることが出来ますか?

    (T◇T) ソウヤネ~!

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    みっともない。

    おはようございます。 今日は日曜日ですが良い天気が続いていて、素敵なあなたが素晴らしい笑顔の一日になると信じています。 私はお越しいただいたお客様が笑顔になっていただけることが、心の張りとなって「よしっ、頑張ろう!」という清々しい気持ちになってきます。

    その為にも恥じない生き方でみっともない行いをしないように、自分の行き方を厳しく律していかなければと思います。 このみっともないと言うのは自分では意外と気付かないのですが、人のフリ見て我がフリ直せというように目の前で起こる現象は、常に何かの暗示があるのだと思うようにしています。

    みっともないとは自分の行いの中で、見た目に悪い~体裁が悪いと言う場合に使います。 なお、いじめるのはみっともないとか~弱いものいじめは見ていて悲しいなど、他人のしている行いを指摘する時は、みっともないではなく「見苦しい」がより適切らしいです。

    人間関係と言うのはホンの些細なことで壊れてしまうものですが、その些細なことが直せる範囲であれば自分の努力でどうにでもなるのです。

    自分で気付かないことでも人に言ってもらえないことが多いのですが、お見合いの席とかだけではなく日常的に目に付くもので男性が気付かないのは、箸の持ち方が悪いと言うのがあります。 これは正しい箸の持ち方をキチンと見ていればいいのですが、親が間違っていると子供は間違えたままになってしまいます。

    私は自分で箸の持ち方を変だとは思わなかったのですが、それは生まれてきてから工場や建設現場など全てで違和感がない為、全く恥ずかしいとは思いませんでした。

    しかし、霊視カウンセラーになって素敵なお客様を霊視しているうちに「これは変だぞ?」と思い始めて、それから自分の間違いに気付いて箸の持ち方が直ったのです。 以前のように周りが全てそうならば、違和感がないのだから恥ずかしくないので直す必要がなかったのです。

    みっともないと言うのは自分のことだから、自分で気付いて自分で修正しないと直らないのです。 ただし、残念ながら人は自分の悪いところはわかっていても直せないことが多いので、タバコを吸っている人が禁煙できないのと同じです。

    身体に悪いことが分かっているのに吸ってしまう、これはタバコに限らず飲んだら身体に悪いと分かっていても飲酒する~借金が嵩むと分かっているのにパチンコが止められないなど、人は禁止されると逆にやりたくなってしまう習性があるのです。

    私は目の前で起こる出来事は自分への警告や修正の為のヒントだと考えるようにしているのですが、誰かに罵倒されて不愉快であれば「人のことを悪く言わないようにしよう。」と考えます。 物事がうまくいかないと考えるのではなく、物事が何かを教えてくれていると考えれば自分の為になります。

    もしも「あなたが建設会社の社長だった」として、車を運転中に大勢の中学生が自転車に乗っていたとします。 そして中学生がいるから車がスムーズに進めない時に、普通の人であればクラクションを鳴らして端へ避けさせて通りやすくすると思います。

    これ自体は道交法に違反しているわけでもなく、危険防止の為にはクラクションで警告するのは珍しくありません。 しかし、私はそういう場合でもクラクションを鳴らすことはありません。

    人力である自転車だから車より大変なのは分かっていることだし、中学生たちも徐々に端へ寄っているのだから少しの時間を待っても罰は当たりません。 クラクションを鳴らさずに少し待つことで、お互いが気持ちよくスレ違えたら幸せだと思うのです。

    更に考えるのは、「この子たちが将来大人になった時に、自分の会社へ新築を依頼してくれるかもしれない。」と考えるようにすれば、未来のお客様に対して失礼なことはできないと思うのです。

    この話を「気の長い話だ。」と思う人もいるでしょうから、それはそれで特に否定はしません。 私個人の考え方として未来へ思いを馳せて考えてみると、いつドコでどう繋がるかわからないからイライラしないようにと思うだけです。

    おまけにイイ歳した大人が中学生に向かってクラクションを鳴らす姿は、どう見てもカッコイイとは思えません。 逆に周りから見苦しいと思われるのが関の山で、どう考えてもみっともないと思えてきます。

    建設業界だけではなく占い業界でも同じですが、占い師さんやスピリチュアルカウンセラーの先生方が、クチコミで大評判と言いながら雑誌に広告を出したり~大人気と言うワリには事務所も持てずに自宅や喫茶店で鑑定するなど、言っていることと実際の行いが違う人が多いのは悲しい見栄です。

    また、占い師さんがよく使う手なのですが、新幹線で移動中に事故などで止まったとします。 すると占い師さんは念じたりお札を書いたりして、それからしばらくして動き始めたら「私の力で動き始めた!」と言い始めます。

    これは本当に見苦しいのですが、新幹線が止まること自体が自己矛盾だと気付いていないのです。 本当に力のある占い師さんなら運命が味方するから、「何も起こらないから止まらない」とか「目に見えない不思議な力で間に合う」と言うのが普通です。

    ただ、私自身はどうかと言えば、「私が乗る飛行機や新幹線は止まらない。」と断言しているけれど、実は「止まったらどうしよう?」なんてヒヤヒヤしているので、未熟者な自分には精進が足りないと反省しております。

    あなたはみっともない行いを、どのように思いますか?

    ヽ(*^。^*)ノ ワ~イ

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    特別扱い。

    おはようございます。 今日は素晴らしい青空な土曜日ですが、今週は出張もなく事務所で普通に鑑定しています。 おかげさまでたくさんのお客様にお越しいただいておりますので、今日も朝から夕方までてんてこ舞いで嬉しい悲鳴です。 

    私はいつも思うことのひとつが、今は不況ではあるけれど不景気ではありません。

    商売上の戦略として間違ってはいないけれど、人として正しいかどうかは分からないような思いを抱かせるのは、そのお店や会社のしていることが間違っている可能性が大です。 本当に必要とされているのであれば、その会社やお店には存続する意義があるから潰れるわけがありません。

    流行るお店に理由はないけれど、流行らないお店には理由があります。 流行る理由が無いと言うのは適当やマグレと言う意味ではなく、自然と流行る状態に出来るだけのことを日常的にしている、その自然体こそが流行る理由だと思うのです。

    自分以外の人を見た時にうらやましいという気持ちになるのは仕方が無いのですが、それは事実にだけ目を向けて真実に目が向いていないからです。

    派手に宣伝や広告をしているお店を見たら「あぁ、流行っているんだなぁ~?」と思うかもしれませんが、それは目先の派手さに真実を見失っているだけです。 本当に流行っているお店であれば広告や宣伝をする必要が無いと言う真実に気付かず、派手に宣伝をしていると言う事実にだけ目を向けているのです。

    世の中は一筋縄ではいかないのですが、他人の懐具合は見ただけでは分からないのに「あそこは儲かっている」とか「あの人はお金があるから」など、自分の考えていることを真実だと思うのは早計です。

    儲かっているように見える会社やお店は派手に見えるけれど、銀行の融資などでお金が回転しているだけの自転車操業かもしれません。 お金があるように見えるのはローンを組みまくっているだけで、その裏では返済に必死かもしれません。

    それにもうひとつの見方として、頑張っている部分を見落としているのですが、裏では必死の努力をしたり~寝る時間も削って働いたことによりお金を得ているのかもしれません。

    人には不思議な感覚と言うか能力が備わっているので、普通にしていると嘘か本当かの認識は間違いなくできます。 ただし、認識は出来るのですが、判断を間違ってしまうのです。

    よくある戦略ですが、広告するにあたり有名人や芸能人が訪れるお店と言うのを売りにして、「うちのお店には有名人が来るからすごいだろ!」とやるのですが、不思議なことに一時的には流行るのですがすぐに閑古鳥が鳴いてしまいます。

    お客様を馬鹿にしてはいけないのですが、広告宣伝で有名人に来てもらっているのは「本物じゃない」という、浅はかな部分を払拭できていないのに背伸びをするから続かないのです。 逆に考えると芸能人だからと言って特別扱いするお店が本当に良いお店とは限らず、一般のお客様に対しては態度もでかい嫌なお店が多いです。

    あるイタリアンのお店は東京で芸能人御用達のお店として紹介されて、超一流とTVでは紹介されていますが中身は全然違います。

    その芸能人の方を仮にSさんとしますが、Sさんはオリーブオイルやチーズが苦手なので必然的にイタリアンは苦手となります。 シェフはSさんに出す料理を決めるのに、Sさんの経営するお店に行ってSさんの好きな物を調べて、Sさん専用スペシャル料理をTVで披露して、イタリアンが苦手なSさんに「さすがや!」と言わせていました。

    これはこれでヤラセ(ショー)として見れば面白いのですが、これはあくまで芸能人のSさんに出す料理だからオーナーシェフは一生懸命にしただけで、一般の人にここまでするわけがありません。

    それにオリーブオイルをサラダオイル~チーズをパン粉に置き換えて、それでイタリアンと言えるのかと聞かれた時にシェフが「そんな固定観念は必要ない」と答えていました。 残念ながらこれこそが実力の無い証拠で、東京にはオリーブオイルを感じさせず~チーズを感じさせず、使っていること自体を感じさせない凄腕のシェフがゴロゴロいます。

    「使わないのではなく、使うけれど感じさせない。」 これこそが超一流の証であり、TVのヤラセ(ショー)では出来ない部分なのです。

    特別扱いするのは個人の勝手だからいいけれど、お金も払わずタダ飯食っている芸能人と~きちんとお金を支払ってくださる一般の方々と、どちらを大切にしなければならないのか、その辺の見極めが信念となってお店の雰囲気を作り上げると思うのです。

    私は「天海祐希さんやタカラジェンヌがお客様」とか、「大塚愛さんや歌手がよくきている」など、そんなことをHP上に書いたり言ったりするつもりはありません。

    これから先もそんなことを自慢して売りにするつもりはありませんし、誰が来ているかなんて言うのは守秘義務に違反する行為なので、私のところへ誰がお客様として来ているなんて要請がない限り公言することはありません。

    そういうことを売りにしている占い師さんに、「芸能人を鑑定している占い師さんは偉いけれど、一般の人を鑑定している占い師さんはダメだ!」とでも言いたいのかと、私は問いたいです。

    「誰が来ても普通に極上のサービスをする」のが本物であり、相手によって態度を変えるのは人間として心が貧しい証拠です。

    あなたは芸能人だけ特別扱いするお店、それをどのように感じますか?

    (*⌒∇⌒*)テヘ♪

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