徒然草(占い・岡山・東京・霊視)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    逃げない。

    逃げてしまいたい時に逃げずに踏み止まるのは勇気の必要なことですが、それが出来たら人間としての成長は素晴らしいと思います。 人は苦しいことよりも楽な方へ逃げてしまいたくなるのは仕方がないのですが、楽な方ばかりへ行っているとお釣りがきた時に苦しいことが一度に返ってくるかもしれません。

    人の心は善なるエネルギーを持っているのですが、それを発揮できたら心に清々しさと言うか、心地良い何かが生まれてくると思います。

    私は過去に恥ずべきことを数多くしているので、自分でも思い返せば情けない気持ちになります。 出来なかったことなどを思い出せば、どうしてできなかったのかと言う後悔の念がたくさんあります。

    建設現場で働いていた時代の話ですが、父親は相変わらず借金を重ねていたから現場の日当だけでは追いつきませんでした。 そこでお金を稼ぐ為に朝市やフリーマーケットで、うどん~ドーナツ~クッキーなどを販売して日銭を稼いでいたことがあります。

    今から思えば良い経験でしたが、人はやろうと思えば何でもできると思います。 あの当時は前日にうどんを手打ちで作っていたのですが、粉から手打ちもやろうと思えばできるものです。 それにドーナツやクッキーなども本を読んで作ったのですが、これもほぼ完売していたから人は努力すればたいていのことは出来るようになります。

    ある日曜日のことですが、いつものように朝市でうどんやお菓子の販売をしていました。 その時に隣のブースで知的障害者施設の方たちが、施設での製作品の販売に来ていたことがあります。 (その当時の私は建設現場で働いていた時代の話ですから、今のような心の余裕は全くなくて自分のことだけ考えていた時代です。)

    朝市の終了時間が迫ってきて、お客様も少なくなったから休憩していた時のことです。 知的障害者の方が近寄ってきて、「お兄さん、一緒に歌を歌おう。」と話しかけてきたのです。 しかし、その時の私はそれに対してどうしたかと言えば、「無視」してしまったのです。

    この時のことは度々思い出しますが、何故優しく返事をすることができなかったのか、私は本当に馬鹿だったと思います。 そしてその男性は私が無視していたのに、ニコッとして私の横で歌を歌い始めたのです。 それでも私は無視し続けてしまったのですが、その時の私の態度は心の痛みとして今でも残っています。

    知的障害者の方だから無視してしまったのか、それとも人前で大声を出されたから恥ずかしかったのか、今でもあの時のシーンが思い浮かんで心苦しくなります。 どちらにせよ、私はあの時に向き合わずに逃げてしまったと言う事実に変わりはなく、悲しい人間だったと心の狭さに凹んでしまいます。

    大声で歌を歌い始めたことに気が付いた施設の職員の方が、すぐに迎えに来て「ごめんなさいね。」と言われたのですが、謝るのはこちらの方だと思いました。 心が荒んでいた時代のはずなのに何故か心苦しかったのは、今から思えば何かの暗示だったのかもしれません。

    そのことがあってからアルバイトで目の見えない人のお世話(病院や買い物の付き添い)をした話へ繋がるのですが、私が運命の暗示に何も気付かないままでいたなら今はありません。

    この話はブログに何度も書いているから御存知だと思いますが、目の見えない人が「お兄ちゃん、これ少ないけど取っといて。」と握らせてくれた2千円、あの時の私は喉から手が出るほどお金が欲しかったけれど、規定のアルバイト料じゃない2千円を受け取ってしまうことは私にはできませんでした。

    私はいつも思うのですが人助けの本当の意味とは、人を助けることで自分を磨くことになって自分の心を救うことじゃないかと思うのです。 光へと続く道が輝いて見えるように誰かの心に優しい手を差し伸べるのは、自分の魂を救う行いになるんじゃないかと思うのです。

    良いことしたら気持ちが軽くなるのは、自分の魂が穢れている部分が洗われるからじゃないかと思います。 良いことをすればドンドンと魂が浄化されてきて、人間としてのレベルがドンドンと上に昇っていく。 これを繰り返していくことで、人は自分の生きるべき道を見つけることが出来るのではないかと思います。

    誰かの力になるという行いは親切とわかってはいるけれど、最初は恥ずかしいと思うかもしれないし~勇気が必要なことだと私も知っています。

    しかし、だからと言って見て見ぬフリをしていたら、大切な何かを失っていくのではないかと思います。 今日と言う日の中で~今と言う時間の中で、誰かがあなたの助けを必要としている現状があります。

    法案が成立してから~もう少し収入がアップしてから~宝くじで一億当たったら~マザーテレサが直筆で手紙をくれるなら寄付するなど、やらない理由ばかりまくし立てて目を背けて逃げている、そんな大人たちと一緒では情けないから私は勇気を出して行動したいと思います。

    あなたは目の前のことから、逃げないようにしていますか?

    (ToT )( ToT) ウルウル



    お知らせ:業務多忙の為、ブログの更新は8月4日(火)より再開します。 いつもブログをお読みいただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    チャンスを得る。

    私は常々思うのですが、人が開運するとか~運気上昇と言うのは、モノと会うからではなく人と出会うからだと思います。

    確かに風水などの開運法により、部屋の気の流れを良くして個人の運勢の立て直しを図る方法もありますが、これは元々の運気を立て直すだけで上昇させるのは難しいと思います。

    本来の運気が相当大きければ、それが目覚めることで運が良くなったと感じることもできますが、そうでない場合はクリスタルを身に付けても変らないと言う人もいると思います。 身に付けても変らないのはモノだけでは限りがあることの証明と言うか、ひとつの指針になると思います。

    私はチャンスを逃し続けてきた後悔があるのですが、その理由のひとつに人との出会いを拒否していたことが挙げられるかもしれません。

    私は普通の人がするであろうことの経験がゼロなので、お客様の体験を自分のこととして取り入れていることが多いのです。 小中高と修学旅行は一度も参加したことはありませんし、当然ですが同窓会にも出たことは一度もありません。

    社員旅行と忘年会も一度行っただけでアトは全て拒否していましたし、人と関わることがものすごく嫌で嫌で仕方が無かったのです。

    私がブログで恋に関することを書いているのも、お客様を霊視することで疑似体験が記憶に蓄積していくから、恋に関することがわかるようになっているだけなのかもしれません。 (私は過去に恋愛経験はゼロで、彼女いない暦と年齢が同じです。)

    だからこそ思うのですが誰かに何かを誘われたら余程のことが無い限り、それは何かのきっかけになるかも知れないのです。

    残念ながら当時は理解できていなかったのですが、その暗示を無視していたことが昔の私を作り上げていたのだと思います。 嫌な相手と仕事以外で付き合う必要は無いけれど、何かの縁で知り合った人との誘いを断るというのは、何か目に見えないものを損しているのかもしれません。

    例えば、誰かと食事に行くことにしても、本来はものすごいチャンスなのです。 普通に考えたなら食事に行くことをチャンスとは思えないかもしれませんが、食事に行く機会を失う場合と得る場合を計算してみると分かりやすいと思います。

    まず、一年はうるう年を除いて365日ですが、コレは誰であろうとも変りません。 つまり、誰かと夜に食事へ行く機会を得ようとしても、年間で365回しかチャンスはありません。

    仕事をしていると忙しい時や疲れている時は外へ出ることすら面倒ですし、通常はひとり~もしくは家族と食べる方が圧倒的に多いと思います。

    また、余程特殊な職業で無い限りは365日のうち、休みの前夜とか休日の夜が食事に行く機会が多いと思います。

    そうなると365日のうち100回行くようにすると、ものすごく忙しい状態だと思います。 毎週土日に誰かと夜ご飯を食べに行っていると、お金と時間がものすごく必要になります。

    更には食事に行くとしても普通は同じ人になることが多く、友人や知人が中心と言うことはメンバーが変わらないことを意味します。

    そう考えると年間365日のうち、夜の食事を知らない誰かと会話しながら食べる機会は、年に7~8回程度あるかどうかと言うレベルになります。 そうなると10年で、70~80回程度あるかどうかと言うレベルになるのです。

    チャンスと言うのは目の前にある時に掴まないと、それは逃げてしまってからでは遅いのです。

    私は寄付の神様と最初に出会った時に話の流れで何故か食事に行くことになり、当時の私が珍しく断らなかったのです。 それから寄付の神様との付き合いが始まったのですから、あの時の一回の食事がもたらしたチャンスは凄い財産となっています。

    こうやって次々と食事するだけでも色々な機会を作ったら、知らない世界が広がるかも知れません。

    それが難しいと思ったなら、同じ相手でも場所を変えていく努力はできます。 ところ変わればと言う言葉があるように、場所が変われば気分一新も出来たりします。

    あなたは365日のうち、どれだけチャンスを得ることができていますか?

    ~゛(ノ><)ノ イソゲ~!

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    何故の視点。

    おはようございます。 この度も滞りなく出張が終わり、何も起こらない普通の日々に感謝しております。 今回の東京出張でよく見かけたのですが、政治家の方々が自分の利益の為に街頭演説真っ盛りで、できもしない立派なことだけ言ってうるさい限りでした。 帰ってくる草々になんですが、ブログの後半は目先の選挙対策をしている政治家のやり方についてのお話です。

    人は生きている限りは一生勉強できると思うのですが、日常生活の中でもモノの見方を変えていけばいくらでも学べると思います。 学べるのは良いけれど得るものを見つけることが出来なければ財産として自分の中に蓄積できないので、見つけることと学ぶことに加えて自分流で蓄積して活かすことです。

    通勤途中でも町の景色の中に目をやれば、「アレは、どうして、こうなんだろう?」という風に疑問点が芽生えてくると思うのです。

    例えば、朝8時から11時など午前中に喫茶店に入っている中年男性が意外と多いことに気が付いたら、「どうして中年男性が平日の朝なのに、仕事もせず喫茶店に入っているんだろう?」と考えたなら、答え探しが脳の活性化や思考回路の道を増やすきっかけになります。

    答えが見つからなくても探すと言う行為が、あなたの人生を少し変えるチャンスにはなっています。 それは探すと言う行動を起こした分だけ、他のことにも目が行く上に一度経験したことから経験上のスキルが濃くなるからです。

    朝8時から11時など午前中に喫茶店に入っている男性が多いのは、営業の人とかモーニング狙いなど色々な理由を言われるかもしれません。 しかし、一番大きな理由は「時間待ち」と言うのが正解で、あの男性たちは時間待ちをしていることが多いのです。

    ただし、時間待ちの内容がそれぞれ異なるのですが、駅周辺で時間待ちをしているのは「ギャンブル」の為に時間待ちをしている男性ばかりです。 西日本の場合は朝9時にパチンコ屋さんが開店するので、9時前までモーニングを食べながらパチンコ屋さんの席取りの為に様子を伺っているのです。

    だから9時前になると急に席を立つ男性が目立つのは、開店前のパチンコ屋さんに並ぶ為に喫茶店を後にするのです。

    ところが、それでも喫茶店の中には中年男性が残っています。 その人たちは腰を上げずにゆっくりしていますが、この人たちは競艇場や競輪場へ向かう無料バスの時間待ちをしているのです。

    無料バスが発車する時間まで喫茶店でモーニングを食べながら、喫茶店のスポーツ新聞を見て予想している姿は未来を担う子供には見せられないと思います。 あの姿を見て「どこが悪い!」と言うようでは、人生を生きている意味の大切さに気が付いていない証拠です。 ただし、人には生き方や考え方があるので、そういう人生を否定するつもりはありません。

    こうやって見ると平日の朝に仕事もしないで、何で喫茶店に中年男性がいるのかと言う疑問が解決できたと思います。

    疑問を持つことは結構なことなので、世の中の色々なことに疑問を持つことはあなたの人生を豊かにしてくれます。 そして知性などスキルアップにも繋がるので、誰かと話をする時にもネタになるかもしれません。

    ギャンブルの話で言うと私が4月のブログに書いた、「定額給付金は無駄になる可能性が大」と言う内容の証明をしたいと思います。 定額給付金は4月から全国各地で続々と給付されましたが、これが景気刺激策には全く関係ないと私はブログに書きました。 それは有効に使う人ばかりじゃなく、お金を回すだけだから景気の刺激にはなりえないのです。

    分かりやすく説明するのに面白い例があるのですが、四国の香川県に丸亀競艇場と言うギャンブル場があります。 ここの売り上げの推移を見てみると、4月20日から5月20日までの1ヶ月間は1日平均で約4億3千万円ほどの売り上げでした。

    ところが6月20日から7月20日までの売り上げはどうかと言えば、1日平均で約1億2千万円ほどの売り上げに落ち込んでいます。 なんと4~5月頃の売り上げに比べて6~7月頃の売り上げは、1日平均で約3億円も下がっているのです。

    この売り上げを比べている期間を見て、「ピンッ!」と来る人はさすがです。 簡単に言うと定額給付金が給付されている期間中は売り上げが良かったけれど、給付が終了したら売り上げが落ち込んだと言うのが答えです。

    私は給付が始まったらパチンコなどギャンブルに使う人が多いだろうなぁと思っていましたが、ここまで顕著な結果が現れるとイイ歳した大人が雁首そろえて情けない話です。 日本中の公営ギャンブルは国が運営しているのだから、今回の定額給付金の大部分は国が回収しているから坊主丸儲けのいい例です。

    この定額給付金は簡単に言うと借金だから未来で大増税が必要になり、結局のところ最後に未来でツケを払うのは国民と言うことです。 これは丸亀だけではなく日本中のギャンブル場で起きていることだから、凄い金額が国の金庫に戻ったことになります。

    人間の脳と言うのはいくらでも活性化できるので、こうやって違う視点で見ると面白い発見になります。

    あなたは日常生活の中で、どういう視点で見ていますか?

    ( ̄O ̄;) ハァ?

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    あなたの声。

    言葉とは残酷なものでありプラスにもマイナスにも働きかける不思議な音、心がこもっていようがいまいが相手に届いた瞬間に元気にも出来るけれど傷付けてしまうこともあります。 しかし、残念ながら言葉の力は使う人によって凶器となる、それについて考えるまもなく発することから誤解が生まれてしまうのです。

    人は誰しも幼い時には無邪気なのですが、それゆえに心に残る傷跡は小さい時ほど一生残るくらいのトラウマになることがあります。 しかし、それにより自分の可能性を失ってしまうのは、非常に勿体無いことだと思うのです。

    東京出張にてお越しになったRさんは小さい時から歌を歌うのが大好きで、今は亡きおばあちゃんと一緒によく歌を歌っていました。 おばあちゃん子だったRさんは、いつも学校から帰るとおばあちゃん家で歌を歌って「上手だねぇ。」と言われるのが、とても嬉しかったそうです。

    おばあちゃんは御主人が亡くなってからはひとり暮らしで、Rさんが遊びにくるのを喜んでくれて、いつも「Rの歌を聞くと幸せになれるような気がする。」と言ってくれたのです。

    その生活も小学校4年生の時におばあちゃんが倒れたことにより終わりを告げて、いよいよ危ないと言う時に病室へ親族一同が集まったのですが、幼いRさんはワケも分からずおばあちゃんに元気になって欲しくて必死で歌ったそうですが、おばあちゃんは力尽きて旅立って行きました。

    Rさんは「おばあちゃんが死んだ…。」と言うショックに加えて、その時に伯父さんが「うるさい、お前がうるさいからおばあちゃんが死んだんだ!」と怒鳴られて、Rさんは「私のせいで、おばあちゃんが死んだ…?」と二重にショックを受けたのです。

    伯父さんもイライラしていたのでしょうが、その大人気ないヒトコトによりRさんは歌も歌わないどころか、無口で暗い感じがするようになっていったのです。 本当はおばあちゃんは病気で亡くなったのであり、Rさんが歌を歌ってうるさいから亡くなったわけじゃありません。

    それから中学~高校と進学していったRさんでしたが、無口で暗いと言われて友達も出来ず彼もできず、仕方が無いことですが学生時代に良い思い出が無かったそうです。 元々は陽気で明るかったRさんの心にあるトラウマ、「Rさんがうるさいからおばあちゃんが死んだ」と言う誤解、これは成長しても直らないままでした。

    高校卒業後に専門学校へ進んだRさんは介護士となって老人ホームで働き始めたのですが、ナカナカ人間関係に馴染めない上にお年寄りの方のお世話がうまく出来ないことで悩んでいました。

    しかし、ある日のことですが担当のおばあちゃんが何かブツブツ言っているのをよく聞いてみると、それは童謡を歌っていたのです。

    Rさんは「あっ、この歌は…?」と思ったその歌は、小さい時にRさんがおばあちゃんに歌っていた歌だったのです。 Rさんは懐かしさに思わず歌の封印を解いて一緒に歌ってしまったのですが、それをタマタマ聞いていた上司のMさんが「Rさん、歌上手いじゃない。 その調子で利用者さんたちの気持ちに答えてね。」と褒められたのです。

    Mさんは、真面目だけどイマイチ殻を突き破れないRさんを歯がゆく思っていたのですが、Rさんの持って生まれた声の良さには気付いていたのです。 それでもRさんは「私の歌なんか…。」と、どうしても小さい時のトラウマが邪魔をして素直になれなかったのです。

    Rさんが私に聞きたかったのは、「おばあちゃんは私の歌が嫌だったのか、孫だから仕方なく聞いていたのか?」と言うことでした。 私はRさんが今後どれだけの人の役に立つのかと素晴らしい未来に感動しましたが、おばあちゃんもRさんに伝えたかったのは感謝のメッセージ…。

    おばあちゃんは、「最後に伝えられなくてごめんね、Rにはお礼が言いたかった。 あの時はね、Rの歌声を聞きながら天国へ行けるんだと幸せな気持ちだった。 Rが歌を歌ってくれたから、怖がらずに天国へ行けるんだと本当に幸せだったよ。」とRさんへ感謝のメッセージだったのです。

    Rさんは感極まって言葉になりませんでしたが、きっと誰かの役に立つ人生になると私は確信できました。 それからRさんは月に一回、老人ホームでコーラス会のようなものを主催してお年寄りの方に楽しんでもらうようになったそうです。

    老人ホームには介護が必要な人もいるし、何が始まったのかわからない人もいるけれど、TVやCDなどで流れる声ではなく人対人と言う肉声の力には心があるのです。 目の前で一生懸命に歌うからこそ、お年寄りの心に何かが届くのだと思うのです。

    今のRさんには分かるはずですが、おばあちゃんが本当に伝えたかった言葉は「ありがとう。」と言う、心からの感謝のヒトコトだったと思うのです。

    あなたの素敵な声は、誰かの心に響いていますか?

    。・゜゜⌒(TOT)⌒゜゜・。 エェ~ン!



    お知らせ:出張の為、ブログの更新は7月29日(水)より再開します。 いつもブログをお読みいただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    他人のルール。

    自分に迷いが生じる時と言うのは、誰かに言われたりして違いに悩んだ時が往々にしてあります。 どうして悩んでしまうのかと言えば、他人のルールに縛られてしまうからです。 自分の人生なのに他人のルールに縛られていたら、それは苦しくても当たり前かもしれません。

    確かに世の中には様々なルールがありますが、それは公共のルールと個人のルールがあるのです。 遅刻せずに出勤するとか、物を買う時には対価としてお金を払うなど、公共的なルールは守らなければ社会人として生きていけません。

    自由がいいんだと言ったところで、他人に迷惑を掛けるようなのは自由とは言わず横暴&ワガママと言うのです。 もしも赤信号でも止まらずに信号無視すればどうなるか、キチンと信号を守るからこそ交通事故が起きないのです。 自分が行きたいからと言って信号無視していたら、それは社会の秩序を乱していることになります。

    しかし、個人のルールと言うのは意味が違います。 ルールを守る重要性と言うのは、公共的なルールを守るのは自分を守ってもらうことになるからです。

    例えば結婚相手に求める条件にしても、安定を求める人は公務員の方と結婚する方が安心ですし、夢を追い求めるなら自営業の方と結婚する方が活き活き出来ます。

    どちらが正しいわけでもなく、その人がどちらを好むのかと言うだけなのです。

    それを「大学を出てないとダメだ!」とか「名の知れた一流企業でないとダメだ!」など、結婚相手に条件を求めるのは個人の勝手なルールなので、それを守っていると付き合いが無くなると言うだけです。

    学歴重視とか職歴重視の場合は、それが優先と言うルールの中で生きているのであればいいのですが、それを人に強要するから諍いが起き始めるのです。 人は生きているうちにドンドンと頭が固くなってくるのですが、モノは考えようと言うか~自由な発想と言うのが悩みを減らすことに繋がるのです。

    そして今までの悩みが減ると同時に今までの付き合いが減ることもよくありますが、そうなるのは縁が無かっただけなんです。 それ以外の人との出会いの輪が広がるかもしれないと、新たな自分を前向きに捕らえることだって出来るのです。

    公共のルールと違って個人のルールは人生を豊かにするかどうかだけで、見かけでは良い悪いが判断しづらいのです。 いくらお金を稼いでも誰にも相手にされない裸の王様では、どれだけ辛いのかは歳を取るほどに骨身に沁みてきます。

    ここで妬みや嫉妬も関係してくるのですが、相手のことを羨んだり馬鹿にしたりしてはいけないと言うのは、その分が自分に跳ね返ってくるからです。

    よくあることですが、人は昔知り合いだった人を引き合いに出して自分の優位性を保とうとしますが、コレは悪い方の見本でしてはいけないことです。 立派になった人や更正した人を「昔はよく鼻を垂らしていた」とか「俺の方が凄かった」なんて言うのは、聞いている方も良い感じはしないものです。

    あくまで例え話ですが、大学時代にソフトバンクの孫正義氏と同級生だったとして、「私は美人でモテモテだから大学のアイドルで、孫さんなんか相手にしていなかった。」と自慢のつもりで引き合いに出しても、「それなのに今は相手にされていないんですか?」と言われたら恥ずかしいと思います。

    人は心のまぶたを開いて見ると、今まで見えなかったものが見えるようになります。 そして、心の声で聞いてみると今まで聞こえなかった言葉が、聞こえるようになります。

    他人が決めたルールに縛られながら生きているよりも、他人に迷惑を掛けずに「ありがとう!」と言われる未来の方が楽しいと思います。

    昔で言えば「フーテンの寅さん」で、今で言えば「釣りバカの浜ちゃん」と言えばわかりやすいと思いますが、出世しなくてもこの二人は幸せな人生だと思うのです。 自分が生きたいように生きて~やりたいようにやるのだから、本人は充分に幸せだと思うのです。

    世の中のルールで言えばハミ出しているかもしれないけれど、自分が生きている幸せは何かと言うのを掴んでいる以上は、他人にとやかく言われなくても幸せだと思うのです。

    年収がどうのとか~家を建てたとか~ブランド物を買ったなどとは無縁でも、本人は温かい人たちに囲まれて、わいわいがやがやとにぎやかに笑い声に包まれているのだから、お金があって孤独で居るよりも精神的に豊かでいられるはずです。

    あなたは他人のルールに縛られて、辛い思いをしていませんか?

    (*^▽^*) ニコニコ~!

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    恋する相手。

    恋の悩みは尽きないものですが、どうして尽きないかと言えば愛を感じられないからです。 ホンの少しの言葉でもいいし、ホンの少しの行動でもいいし、何か愛を感じられる行動があれば心が満足すると思うのです。

    何も特別なことじゃなくていいから、優しさを感じられると心が落ち着くのです。 それを男性は何かして欲しいのかと勘違いするのですが、そんなことでは相手の心を理解するのは難しいと言わざるを得ません。

    心がピンボケしていると空気が読めないと思われてしまうのやぶさかではありませんが、相手のことを思いやらない行動は何をしても愛情表現にはなりえないのです。

    ここで男性陣にはよく考えていただきたいのですが、奥様が風邪で寝込んでいる時に「俺は飯を済ませてきたから、ゆっくりしててイイよ」なんて言うのは愚の骨頂です。 世間の男性の多くはこれを愛情がある思いやりだと考えるのですが、愛情どころかおかしいと思わなければ行けない事例です。

    ここまで書いても分からない男性は分からないのですが、奥様が寝込んでいるから飯を済ませてきたと言うのは、自分だけが助かれば良いと言う考えに他ならないのです。

    奥様が風邪で寝込んでいると言うのであれば、その「奥様のご飯はどうするのか?」と言う部分が抜け落ちています。 奥様も寝込んでいるのだから体力も落ちているかもしれないし、そもそも寝込んでいるのだから看病しないといけないのです。

    薬を買っていくるとかご飯を用意するなど、動ける人ではなく動けない人のことを考えないといけないのです。

    奥様からいきなり離婚を切り出されて慌てている男性のほとんどが、こう言う思いやりの部分がないから説明をされてもピンと来ないのです。 「俺が何したって言うんだ。」とか「じゃあ、どうすればいいんだ。」など、相手の気持ちを考えないと言うか理解しようとしない発言を繰り返して、ドンドンと奥様との溝を広げて修復できなくなっていくのです。

    愛と言うのは形ではないから、何かにして渡せるわけではありません。

    何かにして渡せるわけではないからこそ、心に染み入るような部分を考える必要があるのです。 せっかく結婚したのですから、どうして相手との溝を広げるような行為しかできないのか、もう少しお互いの気持ちが噛み合うような相乗効果の生活を送るのが、本当の結婚生活だと私は考えるのです。

    結婚生活には信頼関係がなければ苦痛でしかないのですが、男性は小手先のテクニックで奥様が納得したと考えがちです。 浮気をごまかすテクニックなんか女性の勘はお見通しですが、男性の大部分はバレてないとか~大丈夫などと思い込んでいるのです。

    例えば、新婚の時や付き合い初めの時によく使う方法ですが、携帯電話を奥様や彼女の前に投げっぱなしにしておいて、トイレに入るとかお風呂に入るなど電話に出れない状況を作ります。

    その状態で携帯電話が鳴ったり~メールが来るように、同僚や友達に頼んでおいて時間などを打ち合わせておくのです。 要するに夜7時15分に電話やメールをしてもらうようにしておいて、その時にお風呂やトイレや髭剃りなど手が離せない状況にしておくと言うことです。

    そして携帯電話が鳴ったら奥様や彼女に、「携帯に出てくれる?」とか「誰のメールか読んでくれる?」など、ワザと奥様や彼女に携帯を見せてしまうのです。 そうすると電話でもメールでも相手が誰か分からないのに、自分に携帯電話を見せてくれたと言う信頼を得ることができます。

    男性の方としては打ち合わせどおりに電話やメールが鳴っているだけなので、お風呂でもトイレでも余裕で携帯電話を相手に見せることが出来ます。

    これをすると「あぁ、この人はここまで私のことを信用してくれているんだぁ。」とか、「誰からか分からないのに携帯電話を預けてくれるなんて、浮気はしてない証拠だわ。」というような小手先のテクニックで、信じ込ませることができたと勘違いする男性の多いことには驚きです。

    はっきり言って女性の直感と言うのは、こんなテクニックをはるかに凌駕しているのです。

    私は御相談を伺う度に驚愕するのですが、霊視する内容と調べてくる内容が一致していることの正確さには舌を巻いてしまうくらいです。 男性は色々と浮気がバレないようにしてはいますが、残念ながら見抜かれていることが多いです。

    恋の悩みは愛情不足から起こるといっても過言ではないのですが、愛情が深ければ恋の悩みは格段に減ると思います。

    あなたは恋する相手から、愛情をどれくらい受けていますか?

    ρ(。。、)ヾ(^-^;)ヨシヨシ

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    預金封鎖。

    おはようございます。 この連休は大雨の影響で各地の新幹線が止まりまくっていたから、旅行など移動していた方々は大変だったと思います。 私が乗った次の新幹線から止まったので鑑定にも間に合い、私個人は全く影響がなかったので本当に感謝です。

    さて、選挙も近くなってきたので政治の話を少し書こうと思うのですが、今日の話を覚えておけば政治家や官僚が未来で国民に何をしてくれるのかが理解しやすいと思います。 ドコが政権をとっても一緒ですが、著書の中で「2018年までに消費税を17%にする」と明記している政治家が政権を担いそうなので、この選挙を境に景気が悪くなるかもしれません。

    前フリの説明からですが、金運は誰でも欲しいと思いますが金運とはなんぞやと考えることがあります。 お金があっても健康じゃなければ意味はないし、死んであの世に持っていけるわけでもありません。 ただし、お金があれば御飯が食べられて、水を手に入れることも出来ます。 生活の為には、お金を稼ぐ為に労働すると言うのは不思議でもなんでもなく当たり前の行為です。

    私は貯金ゼロで家も車も持っていませんし、親は借金で夜逃げしています。 そして学歴があるわけじゃなく、世間的には認められない立場にいます。 本来ならば八方塞がりでどうにもならないはずなのに、そうならず何とかやっていけるのが運命の面白い所です。

    お客様より時々聞かれるのが、「全部寄付して貯金無しで生活するのは、怖くないですか?」と言う質問があります。 コレに対する答えは、「はい」とか「全然」とか、こういうしかありません。

    私は人生上でも運命上でも貯金なんかしようと思わないし、私のところに来たお金は全部誰かの役に立てばいいと思っています。 基本的に貯金通帳なんかいらないのですが、盲導犬などその他の場所へ寄付するのに、口座引き落としにする必要がある為に作っているだけです。 私も霊視カウンセラーになりたての頃は、貯金しようとしたこともあるのですが2つの理由により無駄なので止めました。 コレはどういうことかと言えば…?

    仮に私が10万円貯めたとしたら、間を置かずして父親の借金の借用書が10万円分回ってきます。 その結果として、「10万円-10万円=0」となります。 では、毎月家賃など経費を除外して余ったお金を全額寄付したら、どうなるかと言えば…?

    仮に私が10万円寄付したとしたら、寄付した先から10万円の領収書が届きます。 その結果として「10万円-10万円=0」となります。 つまり、私の手元にお金が残らないのは同じことであり、同じお金が残らないのなら誰かの役に立つ方がいいんです。

    不思議なのですが、寄付をしていると父親の「借金が回ってこない&回ってきても金額が少ない」ことが多いので、余分なお金は全部寄付する方が気が楽なのです。 もしも寄付せずに父親の借金が回ってきたり、病気になったりと災難が降りかかる方が嫌になります。

    コレは本当に不思議なのですが、自分に乗り越えられない災難は降りかからないのです。

    確かに貯金ゼロでやっていると事務所移転など、急に困るような出来事もあります。 しかし、支援してくれる人や応援してくれる人が出てくるので、同じことだと思っています。 それに結果として気持ちよく過ごせる事務所ができて「災い転じて福となす」状態なので、困ると言うのは一時的なことで永久に困ることなどありえないのです。

    余談ですが、この事務所では長居するお客様が多くなり、タイマーが鳴っても話が止まりません。 おまけに遅刻する人が激減して15~20分前に来て、待つ時間を楽しむ人も増えました。 誰も来ない&電話も鳴らない方がイイと言う経営者もいますが、私はどんな形でも人が来るのは嬉しいので本当にありがとうございます。

    私も最初に寄付した時は「あぁ、これだけのお金を持っていれば…。」と思ったことも正直ありました。 しかし、父親の借金を払うくらいならば世の為&人の為に使わないと、せっかく助けてくれた運命に申し訳ないのです。 寄付を継続して始めた頃は、「どうせ父の借金が回ってくるんだから、もうどうにでもなれ!」と言う自棄気味な気持ちもありました。

    家賃や生活費などの必要経費を除いて全部寄付するのは、本当のところ正直に言えば勇気が必要です。 「もしものことがあれば…。」と思わないわけじゃないのですが今は生活できているので、今後もナントカやれるんじゃないのかなとは思います。

    下手に貯金すると「父親がどれだけの借金を作って、押し付けてくるのか?」と、そちらの方が嫌です。 同じ使うのなら、父親の贅沢で無軌道な生活のツケを払うよりも、目の見えない人の為に盲導犬を育成したり、エチオピアの子供たちにキレイな水を飲ませてあげたいと思います。

    なお、貯金なんかしても無駄と言うもうひとつの理由は、国と言うのはいざとなれば「預金封鎖」と言う必殺技があるからです。

    もしも日本と言う国にお金が足りなくなれば、国民の貯金を勝手に国のものに出来る「預金封鎖」と言う法律&権限があります。 この預金封鎖には色々な手口がありますが、いくら真面目に貯金していようとも国に無条件で没収される、コレをやられると誰がどう言っても施行した瞬間から貯金ゼロになります。

    この話を工場時代にしてウソツキと言われましたが、日本の歴史を振り返れば「昭和21年に適用」されて、貯金の大部分を没収された日本国民は一気に生活苦に陥ったのですから、平成だっていつ預金封鎖を発動されるかわかりません。

    あなたは目の前にあるお金と喜んでいる人の笑顔、どちらがいいですか?

    (* ̄∇ ̄*)エヘヘ

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    あなたがいるから。

    おはようございます。 三連休に突入していますが仕事の方もお休みの方も、素敵な一日となるはずだと信じています。 あなたの素敵な笑顔が呼び込む運と言うのは、かけがえのない善として存在しているのです。 あなたがいるだけで心救われる人が未来でいるのだから、その為にもあなたが成すべきことは何なのかを知らないといけないのです。

    人は寂しいと言う気持ちが出てくると、ひとりでは生きられないと言うことを実感するのですが、自分だけが得すればいいと言う人はいくらお金やモノがあっても寂しいままで終わります。

    私は素敵なお客様が全て幸せになっていただきたいと思いますし、全員がお金やモノに不自由しない状態でいて、更にはその生み出される余裕の中からボランティアや寄付に目を向けていただければ良いと思うのです。

    自分だけが得すればいいと言う考え方でいると周りからドンドンと人がいなくなりますが、それは何か行動をしようとした時に共感してくれる人も同調してくれる人もいないからです。

    「楽しい時には楽しい話が出来て、悲しい時には悲しい状態を理解してくれる。」 これはひとりでいると誰にも相手にされないから不可能なことですが、周りに誰かがいてくれるのであれば充分に可能なことです。

    映画を見た時に、「あの映画は面白かったよね~。」と言える状態~旅行へ言った記憶を話す時に、「あそこの温泉はそうだよね~。」と同調できる状態。 更には「私も失恋した時は辛かった…。」とか「私も病気の時は大変だった。」など、苦しいことや悲しいことも共感してもらえたら悲しみが減ると思うのです。

    私は365日いつでも霊視カウンセリングをしていますが、それは必ず事務所にいることになります。 出張の時は仕方がないのですが、それでも出張以外ではお休みしませんから常にお客様をお待ちしている状態です。

    お客様がふと思いついた時~悲しい時や辛いことがあった時に吐き出す場所として、嬉しいことや楽しいことがあった時に話すことで祝福の言葉が飛び交うような状態が作り出せる場所として、私の事務所が位置づけられているのであればとても嬉しいです。

    私のところへは何も相談があるから来るお客様ばかりではなく、「何となく行って見よう。」とか「雑談するだけでも気が晴れる」など、世間話をしているうちに生きるヒントやアイディアが生まれることも珍しくありません。

    差し入れをしてくださるお客様も「よろしければクッキーをどうぞ。」とか「コーヒーはお好きですか?」など、人としての良心の部分は本当に感謝すべきありがたいことです。

    霊視カウンセリング山崎の事務所や出張場所は、いつでも人が集まる場所として大いに賑わっていて欲しいと願っています。 そして私自身も人が寄ってくる人間でありたいと、いつも努力を忘れてはいけないと自分を戒めています。

    人が人と出会い笑顔でいられると言うこと、人が笑顔でいられると言うことは少なくとも元気であると言うことです。 そうやって素敵なあなたが未来へ立ち向かう勇気や元気が出る、そんな霊視カウンセラーとして私は人生を歩んでいきたいと思うのです。

    人は広大な宇宙の中ではちっぽけな存在ですが、そのちっぽけな存在同士が集まることで広大な宇宙の中で地球と言う場所で暮らすことができるのです。 決して一人だけの力でナンデモカンデモできるわけではなく、小さな力が集まることで大きな力を生み出すキッカケになっているのです。

    昔の私はいじめられていたせいもあったけれど寂しい人生で、目の前には同級生がいるのに相手にされず虚無感と言うか悲壮感が漂っていました。 運動会や遠足の時は必ず一人でお弁当を食べていたし、常日頃から仲間外れで言葉を忘れそうなくらい誰とも話をしない毎日でした。

    家に帰っても親はお金の話ばかりで借金取りもよく来ていたし、知性や品格と言う言葉とは無縁の生活の中で友達は本だけと言う生活でした。 今から考えると周りに染まらずに毎日本を読んでいたことが、今の私の基礎になっているのだから運命は不思議なものです。

    人の最大の悲しみと言うか不幸なのは誰にも相手にされないと言う無関心で、マザーテレサさんも言っていましたが愛の反対は無関心です。 人が人である証明になるのは誰かに必要とされて、心からお互いがお互いのことを分かり合えることです。

    「占い師が上からモノを言うのはトンデモナイ」と私は度々ブログに書きますが、それが当たり前だと気付けないようでは占い師以前に人として問題ありです。 偉そうに言うのは勝手だけれど、御相談に来てくださるお客様がいなければ占い師なんて手も足も出ません。 お客様あっての占い師であり、偉そうに言う前に「こうべをたれる」べきなのです。

    私は素敵なお客様とお会いできる毎日は、あなたがいるからこそだと感謝の思いで一杯です。

    あなたと言うすばらしい人が存在しなければ私はあなたにお会いできなかったし、素敵なあなたがいるからこそ盲導犬やアフリカなど地球上の子供たちが大勢助かっています。 つまり、あなたと言うひとりの人間が地球上で救いの手を、色々なところへ差し伸べているのです。

    素敵なあなたがお越しになることは凄い人助けであり、あなたと言うひとりの人間は感動を呼ぶべきすばらしい存在です。

    あなたがいるから救われる、そんな未来に気付いていますか?

    アリガトウ~ (* '-^) ⌒☆



    お知らせ:出張等の為、ブログの更新は7月22日(水)より再開します。 いつもブログをお読みいただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    自分の都合。

    私は個人的な自分の都合でモノを言わないようにと、充分に気を付けてはいるのですが未熟な故に言ってしまいがちです。 人生には自分にとっては良いことでも、他人にとっては迷惑と言うことも多いです。

    自分さえ良ければと言うのではなく周りも良いと思える行いの方が、気持ちの良い人生を送れると思うのです。

    これは男性に多い傾向ですが、自分が作ったわけでもないのに肩入れしてこだわることがあります。 例を出すと、アップルは素晴らしいけどマイクロソフトは金儲けだけとか、ベンツはいいけどBMWはダメだとか、自分が好きだと言うだけで優位性を保とうとするのです。

    しかし、世の中にはアップルよりもマイクロソフト~ベンツよりもBMWと、好きは好きでも人により好みの差と言うものがあります。 それを自分の考えが絶対とばかりに押し付けてしまうから、それによる人間関係の損失はかなり大きくなります。

    自称一流と言う大人の中に精神的オコチャマが多いのですが、自分が言えばナントカなると思っているのは恥晒しもいいところです。

    例えば、男性立ち入り禁止の場所に平気で入れろと怒鳴ったり、格式あるバーに子供を連れて行って入店させないとまたまた怒鳴り始める。 自分が怒鳴れば何でも通ると思っているような精神的オコチャマの男性が多いのは情けない話です。

    男性立ち入り禁止の場所があるのは、女人禁制の場所があるのと同じく当たり前です。 入ってはならない場所を自分の興味本位で入れろというのは恥ずかしいことで、そういうことをする人に限って自分のテリトリーに誰かが勝手に入ってきたら激怒するはずです。

    実はこれが日本の不況の一因でもあるのですが、自分の考えだけが正しいと思い込んで相手のことを認めようとしないのは、人生において周りに迷惑を掛けているだけです。

    先ほどの例に出した格式あるバー、ここに子供連れでは入店できないという大人のルールがあるにもかかわらず、「チョットくらいイイだろう!」とゴリ押しするのはいけないことですが、それを売り上げ至上主義でお店の哲学を曲げてしまう店員さんも問題です。

    その時に一時的には入店してもらえるから売り上げは上がりますが、その行為を見ている良識ある大人は「あぁ、ここはそういう店なんだな。 次からくるのはやめよう。」という、見えない損失に気付いていないのです。 この格式あるバーは長い歴史にもかかわらず閉店に追い込まれましたが、それはお店の哲学を守りきれない心の弱さにあったと思います。

    ただし、人の心は目先のことに意外と弱いのですが、「今日は売り上げゼロでイイ。」とか「今週はお客様ゼロでもイイ。」とはいかないのです。 これは不思議なところですが「哲学を曲げてまで商売しない。」と言う確固たるものがあるお店は、逆にいつでも繁盛しているのだから面白いものです。

    色々な人生を視ていると感じるのですが、個人的な自分の都合でモノを言っていると最後には誰もいなくなる、これはどんな人でも確定と言っていいくらい孤独への道をまっしぐらです。 こだわりなんか持っていても邪魔になるだけの場合もあるので、意地を張るのはTPOを考えないといけないのです。

    私も人のことは言えないのですが、私が最近でこだわったばかりに失敗したお話です。 この事務所じゃない時に某経営者の方より、「私がよく行く品川のオイスターバーは一流で、こういうお店に行かないから山崎さんは出世しない。」と、耳にタコが出来るくらい言われてウツになりそうな時期がありました。

    5月の東京出張にて寄付の神様と品川で待ち合わせて食事をしたのですが、その時に品川プリンスのトップ・オブ・シナガワに行こうと言われました。 ところが、せっかくの好意をおバカな私は、「すみません、今回は品川のオイスターバーでお願いします。」とやってしまったのです。

    余計な記憶がこだわりとなって、そのオイスターバーが本当に一流と言うほど凄いのかを確認したかったのです。 しかし、いざ行ってみると下町の居酒屋そのもので、隣の席の男性は上半身シャツ一枚になり飲んで騒いでと言う陽気なお店でした。

    自分の都合でモノを言う人の言葉にこだわらず、素直に品プリで夜景を見ながら食事をしていれば、どれだけ貴重な時間だっただろうと反省しました。 これは私が意地を張ってこだわった、本当にお恥ずかしい失敗談です。 私はおバカなところが多いので、余計なこだわりを捨て去るのが今後の課題です。 m(__)m

    この失敗談からも分かるように、イチイチうるさく言う人ほどたいしたことがありません。 自分の都合でモノを言う人を相手にしていると、貴重な人生において大いなる損失です。

    あなたは相手の意見を真に受けて、人生で損失を出していませんか?

    ( -ω-)ノ-=≡≡≡☆-(>。<) アイタァ~!

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    儲けと幸せ。

    おはようございます。 私は毎日思うことなのですが、お越しくださる全てのお客様にとても感謝しています。 お越しくださるお客様に嫌な人はひとりもいないし、真面目に未来のことを考えているすばらしい方々ばかりです。 いつだって心に残って忘れることはない、そんな素敵なお客様にお会いできる私はものすごく幸せ者です。 何故なら、お客様がいなければ今の私は存在し得ないからです。

    このブログにしても読んでくださるお客様がいるから書けるだけであり、誰も読まないようでは心の張りが無くなってしまいます。

    人はひとりでは生きていけないのに、なぜか意地を張ったりミエを張ったり~プライドが邪魔をして、人間関係を壊してしまうことが多々あります。 私は自堕落的で最悪な状況から、素敵なお客様が助け出してくださったと感謝が尽きることはありません。

    私がブログに書いている内容は驚くような話もあれば、心温まる話もあるし~ホンマかいなぁ~と言うような話もあります。 しかし、ここに書いてあることは少し柔らかい表現で不快にならないようにはしてあるけれど、紛れもない実話ばかりです。

    ここに書いていることはひとつひとつは単なる点でしかありえないけれど、流れに沿って読んでいくと必ずひとつの線となってあなたの中に描いてくれるものがあるはずです。 根っこの部分や幹の部分~更には枝葉の部分から実となっていき、そしてそれがやがては更に大きな種となって可能性と言う名の実が変貌を遂げるかもしれないのです。

    人生の本質とはお金や物などに幸せを求めるのではなく、生きていてよかったと思えるような瞬間に、どれだけ立ちえあるかと言うことなのです。

    あなたの周りの人が喜ぶ顔を見て、あなたも自然と笑顔になれるのであれば「幸せ」です。 誰かが喜ぶ瞬間と言うのは自分に良いことがあったわけじゃないのに、自然と自分のことのように気分が高揚してくる。 これはまぎれもない幸せの瞬間であり、他人の幸せを自分の幸せとして同調できている瞬間なのです。

    目の前においしそうなケーキが並んでいるのをランチの帰りに発見して、「これを買って帰ったら、会社のみんなが三時の休憩の時に喜ぶかなぁ?」と言うのも、自分ではなく誰かを喜ばす幸せです。

    旅行の途中で市場を見学している時にズワイ蟹を見つけて、「これをステーキにしたら美味しいそうだから、プレゼントしたら喜ぶかな?」と思うのであればお世話になった人に送るのも、それは自分じゃなくて相手にした行いから沸き起こる自分の喜びです。

    食べ物を例にしましたが、別に食べ物じゃなくてもいいんです。 私はお客様が笑顔になって帰っていただけるのであれば、それはとても嬉しいことと心が元気になれるのです。 お客様が元気になっていただけるのは、それが私にとって一番の嬉しい出来事になります。

    私はモノが欲しいとか~イイ暮らしがしたいとか、何かが欲しい~何かがしたい、こう言う部分は他の方と比べてとても少ないと思います。 それは喜びの中に自己満足では得られない部分、「誰かが喜ぶと言うのが自分にとって幸せ」だと言うことが基本理念だからです。

    「儲け」と「幸せ」はとてもよく似ているのですが、商売と言うのは本当は景気に左右されるようなものではありません。 いくら不況だと言っても行列の出来るケーキ屋さんや予約の取りづらいレストランなどが本来の姿であり、不景気だと言っているのは努力していないと言うことと同義語でしかありえません。

    儲かると言うのは自分がしてきたことに対する証明であり、自分がしていることが正しかったと言う確認が儲けの正体です。 一時的に儲かるのはまぐれと言いますが、継続的に儲かるのは実力と言うのです。

    「儲かる為に犠牲を払い、儲かる為に成すべきことをする。」 これは簡単なように思えますが、人の心に潜んでいる怠け心は楽な方へ導いてくれるのです。 儲けと言うのは紛れもない実力であり、それを得る為に払った犠牲に比例すると言っても過言ではありません。

    儲けと言うのは誠に言い訳の聞かないシンプルなものであり、必要なことをきちんとしていれば必ず儲かるものなんです。 仕入れ値より売り値を高くすれば利益を確保でき、更にはお客様の数を増やせば売れる品数も違ってきます。 数が多く売れると言うことは儲けが増えると言うことであり、これは商売が誠に単純明快である証拠です。

    儲けだけではなく幸せも実は同じことであり、儲けの部分に幸せと言う言葉を当てはめて考えてみると、おのずと答えは弾き出されるのです。

    私は自分の実力査定が毎日行われていると思っているのですが、「予約が入らない」と言うのは「自分に何かが足り無い」と言うことです。 それは霊視能力かもしれないし、カウンセリング能力かもしれないし、接客態度や言葉使いかもしれないのです。

    このように自分に起きる出来事は、全て自分が過去にしてきたことの裏返しかもしれません。

    あなたは相手の幸せを、自分の幸せに感じることが出来ますか?

    (=´∇`=) ニャン♪

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    浮気のメカニズム。

    男の浮気は彼女や奥様にとって本当に嫌なモノだと思いますが、浮気が無くならないのはどうしてかを少し考えてみたいと思います。 浮気をしても平気な男性は星の数ほどいるのですが、彼女や奥様が浮気したら烈火のごとく怒るのも浮気男性の特徴です。

    「えっ、逆じゃないの?」と思うかもしれませんが、浮気をする男性は浮気されるのはとても嫌なんです。 簡単に言うと自分の浮気は認めて欲しいけれど、お前の浮気は許さないよと言うのが本音の男性、コレは信じられないほど願望として潜在しています。

    身勝手と思うかもしれませんが男性の意識としては、「自分はあくまで浮気」と言う感覚なんです。 つまり、彼女や奥様が浮気したら自分が蔑ろにされているようで、自分より相手のことを好きなんじゃないかといてもたってもいられなくなるのです。

    コレは悲しい男の「さが(性)」なんで、コントロールするのは難しいのです。 だからストーカーは男性の方が圧倒的に多いし、落ち込んで引きこもってしまうのも男性の方が圧倒的に多いのです。 男性は女性に別れを告げられると、凹む率はかなり高いのです。

    しかし、立ち直りが早いのも男性の特徴で、次の彼女ができたらあっさりと昔の彼女を頭から消去してしまいます。 ところが完全に消去しないのが男性のズルイところで、昔の彼女や奥様から連絡があると「おっ、もしかして?」と期待満々で会ってしまうのです。

    つまり、昔は浮気相手だった女性と結婚したとしても、しばらく暮らしていると昔の奥様や彼女と逆に浮気をしたくなるモノです。 だから再婚した男性の浮気相手の半分以上は昔の彼女や別れた奥様など、自分の行動範囲内のことが多いのです。

    そして男性の多くは勘違いから浮気を始めるのですが、コレは恋の始まりも一緒の原理なんです。 勘違いを上手く使えば恋を始めるのは簡単ですが、勘違いを増長させるとストーカーになるのが紙一重の難しさなんです。

    一番イイ例がキャバクラとかクラブなんですが、ココでは擬似恋愛と言うのが基本なんです。 ここにくる男性の99%は女性を口説くことが目的で通っているだけであり、付き合いとか仕事なんて言うのは真っ赤な嘘です。

    ただし、このような接客に慣れている女性を口説くのは並大抵ではなく、遊び慣れていたり口説き慣れている男性だけではなく、まともに女性と口も聞けない男性であっても均一なサービスを提供されているだけです。 つまり、本人は口説いているように思っているのかもしれませんがお店側からすると、通常の接客をしてお経を繰り返し聞いているようなものです。

    不思議なことに男性の多くは周りが口説いているのを見ると「俺も…。」と思い始めて、普段は女性と話すのが苦手な男性でも途端に口説き始めるのが勘違いの悲しい「さが」なんです。 「赤信号、みんなで渡れば怖くない。」と同じで、旅の恥はカキ捨て状態で何でもしてしまうのです。

    普通は口説く時に決意のようなものがないと出来ないのですが、この勘違いが発生すると急に口説きモードには入れるのです。 ココで間違えてはいけないのが、こう言う時の男性は「キレイやカワイイ」は一切関係無しに、勘違いを刺激された女性を口説きに入るのです。 簡単に言うと営業トークでお愛想を言うのですが、この営業トークが男性を大いに勘違いさせてしまうのです。

    「この子、俺に惚れてるんじゃないか?」とか「口説いたらOKしそう」など、自分に惚れていると勘違いし始めるのです。 当然のことですがキャバクラやクラブは擬似恋愛を楽しむ場なので、意識的に勘違いさせようとしている女性もいます。 しかし、そうじゃなく単なるお愛想だとしても、勘違いは度々と言うか絶対に発生します。

    コレが男性の浮気のメカニズムの全てなんですが、浮気の元と言うのは「俺に惚れてる!」と男性が勘違いするのが浮気原因のほとんどなんです。 男性が女性に惚れる要因の大きな部分は「相手が自分に好意がある」なので、そう思い込ませたら男性を口説くのなんて簡単なことです。

    男性もバカじゃないので、もしも勤務先や取引先の女性を片っ端から口説いたとしたら会社で立場が危うくなります。 けれど「自分に好意のある女性ならOKするだろうから、声をかけてみよう。」となってしまうのです。

    既婚男性であれば簡単に会社の女性を口説くわけにも行かないので、口説きが成功する場合しか行かないのです。 仮に失敗したら「ねぇねぇ、鈴木さんったら、奥さんいるのに私を口説いてくるのよ。 割り切った付き合いをしたいとか言って、本当にしょうがないよねぇ。」なんて言われてしまうのはとても怖いのです。

    男性の勘違いは上手く使えば有効なのですが、それを本当に勘違いさせてしまうとストーカーになってしまうのです。 「俺に惚れてるな?」とか「俺に惚れるなよ。」 こう思わせるのは、本命だけにしておかないと危険です。 (苦笑)

    あなたは男性が秘めている、浮気のメカニズムを知っていましたか?

    (#^.^#) アハッ

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    思いやり。

    思いやりと言うのはとても大切なのですが、それは自分を中心にしている生活の裏返しでもあります。 他人を思いやると言うのはとても簡単なことですが、それは今いるスペースの雰囲気を乱さないだけでも素晴らしい思いやりになることに気付かないといけないのです。

    思いやりとは何か親切にするとか~何かの形になることをするとか言うのではなく、自分が周りの人の生活を乱さないだけで運命はあなたに味方しようと思います。 難しいことじゃないのですが、悪いことを悪いと思わないのが一番悲しいことだと思うのです。

    私は今まで東京出張の時には新幹線を利用してきましたが、乗っている人のマナーやJRの駅員さんや車掌さんの応対が、JR東日本とJR西日本では余りにも違うので少々驚いています。 4月から移動を飛行機に変えたのも、こう言う部分の影響がないとは言えません。

    新幹線の切符を買う時でも東京ならばみどりの窓口で普通に買える上に、JR東日本の駅員さんは親切丁寧に説明してくれてお金を支払うのも気持ちが良いくらいです。

    しかし、JR西日本では厳しい応対の駅が多く、倉敷駅でみどりの窓口に並んでいると駅員さんが近寄ってきて、「お客さん、いちいち窓口に並ばず自動販売機で買ってください。」と度々言われます。 私からすると自動販売機へ誘導する駅員さんを2人も入口に配置するくらいなら、その人数分の窓口を2つ開ける方が接客業の基本的サービスだと思います。

    JR福知山線の脱線事故にて被害に遭われた方々がJR西日本の応対に怒っているのは、こう言う気持ちの部分を蔑ろにしているからだと思うのです。

    また、新大阪駅からツアーの集団が乗ってきて新大阪駅から東京まで、私を含めて5~6人以外は、新幹線の車内(約70~80名)が全て豹柄ファッション(50~60代)の方だったことがあります。

    もう新幹線の車内は大声でしゃべるしゃべる、新大阪から東京まで2時間ほどノンストップでしゃべりっぱなしでした。 家族構成から家庭の状況から悩みから、霊視を使わなくても全部わかるほどの話しっぷりです。

    私は2列ほど離れていてこれだから、もしも隣だったらけたたましくて大変だと思います。 元気なのは良いことだし、明るいのも結構だと思います。 しかし、新幹線と言う共有スペースにおいて周りに気を使えないと言うのは、もはや人としての思いやりと言うのが頭の片隅にさえ無い証拠です。

    今はケンミンSHOWと言う番組があるから、県民性の違いなども少しは知れ渡ってきています。 しかし、あくまで人がしているのを見るから笑えるだけであり、自分がされたらどう思うのかと言う点が抜けていると思いやりが欠けた状態になるのです。

    最近の若い人はキレやすいとか~礼儀がなっていないなどとよく言われますが、私は全然そうは思わないのです。 はっきり言って私のところへお越しになる20代や30代の人は素晴らしい人ばかりで、思いやりがないお客様なんていないから見たことが無いです。

    ちなみに世間一般の人々が勘違いしていることのひとつに、若い人はすぐに暴力を振るうとかキレやすいと言うのがあります。 しかし、ここ10年のJRにおける犯罪件数~特に駅員さんや乗客などへの暴行事件は50代がトップで、痴漢まで含めると50代がぶっちぎりのトップ独走だと言う情けない事実を団塊の世代はどう思っているのか聞きたいです。

    子供と言うのは生まれた時は純真無垢であり、それに親が色をつけて大きくしていくのです。 正しいことが出来る親ならいいのですが、キレやすい親が育てたならキレやすい子供になるのは当たり前です。 子供が親の色に染まらない精神力があればいいけれど、10人中5人は親色に染まってしまうものなのです。

    今の50代以上の男性に、「ゴルフ~釣り~ギャンブル~タバコ、それに飲酒や風俗など繁華街が無くなったら、あなたは毎日何を楽しみに生きていきますか?」と聞いてみたら、何も答えられないと思います。 更に「最近、読んだ本で感動したものを5つ挙げてください。」と聞いたら、雑誌やエロ本しか読んでいないからますます何も答えられません。

    日本にとって恐ろしいのは若い人のマナーではなく、こう言う50代以上の人が文化を発信する側にいて権限を握っていると言う点です。 このような美意識のかけらも無いような世代が上からモノを言って、20代や30代の成長の芽を摘んでいる現状が未来を暗くしているのです。

    中高年の男性は、もう少し「相手をもてなす思いやり」と言うのが必要だと感じます。

    最後になりますが5月29日の岡山発JAL1682便で客室乗務員の女性を、「バカヤロー、早くしろ!」と怒鳴りつけて泣かせていた50代男性は、売れ行き不振が続いている県内では有名企業の社員達です。

    お金を払えば何してもイイと言う下品な考え方じゃダメだし、会社のお金で乗っていると言う責任と自覚が全然足りていない心の貧しさが表れています。

    あなたは他人を思いやる気持ちを、どのように考えますか?

    ('ー ' *) ウフッ!

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    ワクワクする。

    おはようございます。 7月前半の東京出張も滞りなく終わり、無事に倉敷での鑑定も再開しております。 8月の東京出張(9日と29~30~31日)は予約の受付を開始しておりますので、素敵なお客様の御予約をドキドキしながらお待ちいたしております。

    私はお客様とお会いできるだけでワクワクしてきますが、誰しも素晴らしい可能性を開花させれば感動が心の中に生まれるはずです。

    人は気が付いた時には生まれてきていて、望むかどうかは別として様々な生活環境が与えられます。 そして人生を歩み始めるのですが、生きていると辛いことや悲しいこと~更には嬉しいことや楽しいことなどが色々あります。

    その時にひとりでいると悲しみは倍増するし嬉しさは半減してしまうからこそ、人は恋をするとワクワクドキドキしてくるのです。 この人とだったら幸せになれると言うのが、未来を素敵に感じられるヒトトキでもあるのです。

    辛い時には目に入るもの全てが嫌になったり、ヒドイ状態に見えてくるのは仕方がありません。 しかし、嬉しい時には何をやっても楽しくて、少々のことでも簡単に乗り越えられる自分がいるのです。

    疲れすぎた時などは逆に眠れないことがよくありますが、そういう時には次々と悪いことばかり想像してしまうことがあります。 どうして生きているのかな~どうしてこんな目に遭うのかな~何がしたいのか分からないなど、生きている目標すら見失って自分の価値を忘れてしまうのです。

    あなたには素晴らしい才能があり、素敵な未来があると私は信じています。

    才能~才能と言うけれど、それは特別なことだけを言うわけじゃありません。 お茶を入れるのが得意とかコピーを取るのが得意でもいいし、自分が今の現状でやれることは全て正しいとことだと思ってもいいんです。

    誰でも最初は初心者であり、最初からナンデモカンデモできる人はいません。 今のあなたにうるさく言う上司だって、新人の時にはあなたと同じようにうるさく言われていたはずです。 ただ、自分が同じ立場になると自分ができなかったころを忘れて、相手のミスを責めているだけです。

    人は日常の生活が刺激的でないと平凡に感じてしまい、「このままじゃいけないのでは?」と思い始めます。 ところが波乱万丈だと、「もういいから、平和がいい。」と平凡な毎日を望み始めます。

    つまり、人は今の自分に無い状態を求めるのだから、今の自分をそのまま認めてあげるだけで心が少しはやすらぐのです。 心と言うのは言葉に出来るようなものではありませんが、言葉に出来ないからこそ大切なものでもあります。

    あなたの部屋を見渡した時に積み上げてある雑誌や面白くないTV、買ってから一度も着ていない服などが目に付くようになったら、それは運命があなたに動き始めなさいと言う暗示をしてくれているのです。

    あなたの胸の中にはやる気も希望もちゃんとあるのですが、それをホンの少しだけ思い出してくれたなら、それは動き出す為のキッカケとして大きな意味を持つのです。

    募る想いを頬杖付いたまま~ため息混じりにあきらめるのは、歳を取ってから思い出話としてすればいいことです。 今のあなたがすることじゃなく、今のあなたがすることは手の中にある、まだ見ぬ才能を開かせる為の行動です。

    目を閉じた時に胸の奥にある何かを思い浮かべて見て、そして目を開いた時に一番に頭に思い浮かぶのは、あなたが本当にやりたいと心にしまっていたことなのかもしれません。

    あなたがいる場所を見渡してみると全然知らない人が笑っていたり、立ち尽くしてボォーとしている人もいます。 吹雪に凍えそうな人もいれば、灼熱に焼かれている人だっています。

    人が生まれてきてから死ぬまでの間には、色々な人が色々な事情で~色々な人生を生き抜いています。 その色々と言うのは、その人の生きてきた証しと同じだけの重さがあるから、雨に見えるか~太陽に見えるかは個人個人の差があるのです。

    でも、どんな場所であろうが~どんな状態であろうが、あなたの目に映る人は誰もが一生懸命に生きているのです。

    一生懸命に生きているのだけれど、それが生活の為に一生懸命なのか~それとも夢の実現の為に一生懸命なのか、人生を大きく分けているのはココなんです。 一生懸命かと聞かれたなら、誰もが一生懸命な人生を歩んでいるのです。

    その中でも特に一生懸命に人生を生き抜いている人だと断言できるのは、これを読んでいるあなただと私は信じています。 私はそういう素敵なあなたを尊敬できますし、あなたがいるからこの世は素晴らしいと思うのです。

    当たり前と言われたら当たり前なのですが、人は自分が不幸だと感じている時には幸せな人や明るい文章を遠ざけたくなります。 しかし、幸せだったり前向きに生きていると、幸せな人や明るい文章を自分に当てはめて、ウキウキワクワクしてくるのです。

    私はなるべく明るい文章を書くようにしていますから、このブログを読めると言うことはあなたが幸せになる権利もチャンスも持っている証拠です。

    あなたは自分の可能性に、どれだけ気付いていますか?

    ♪♪♪ d(⌒O⌒)b♪♪♪サンキュ

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    失敗とリスク。

    人生では学べることの多さが楽しさに比例するのですが、何かを勉強することで面白く感じるのが本当にするべき勉強です。 何をどうしても苦手なことに時間を割くよりも、楽しんでやれる方へ時間を割く方が素晴らしい結果を生むと思うのです。

    よく考えていただきたいのですが、毎日~毎日嫌なはずの仕事にキチンと行っている人は素晴らしいと思います。 嫌な上司に怒られながら~嫌な先輩にいじめられながら、それでも毎日お仕事に頑張っているのです。

    それじゃあ、もしも好きなことだったら「どれだけ頑張れるのか?」 こう思えたらワクワクしてくるはずです。

    世の中には失敗しないことが美徳のような風潮がありますが、失敗があるから成功もあると思います。 失敗しない為に最善の策は「何もしない」ことであり、何もしなければ何も起こらないから失敗はありえないのです。

    ところが失敗と言うのは学べることが多いので、次に自分が何をするべきかを簡単に示してくれます。

    受験勉強でも国語の成績が悪くて受験に失敗したのであれば、次の受験までに国語の成績を上げておけば合格します。 受験に失敗と言っても何が悪くてダメだったのかがわからないような、不明朗な状態こそが一番ダメになってしまうのです。

    失敗は成功へ向けての試金石であり、失敗をしているうちに見えてくるものだってあります。

    失敗はないけれど進歩もないと言うのでは、一体何の為に生きているのかと言うことがわからなくなります。 泣くと言うことひとつ取ってみても悲しいから泣く場合と嬉しいから泣く場合など、泣くということがイコール駄目なわけでもないのです。

    日本人の最大の長所でもあり短所でもあるのが、リスクを避けることです。

    コレは避けるというよりも徹底的に排除するほど嫌っているといっても過言ではなく、リスクを犯すのはバカモノだなんて空気すらあります。

    コレを端的に現しているのがスポーツの世界で、野球だろうとサッカーだろうとバスケだろうと、個人個人では通用する選手は存在します。 しかし、オールジャパンで世界へ行くと通用しなくなるのは、このリスクを嫌うことを幼い時から教育しすぎだからです。

    個人で海外へ挑戦する時はチームメイトが助けてくれたり、チームメイトの動きに合わせているうちに、自然とリスクへのチャレンジを学んで吸収することにより出来るようになります。

    残念ながらオールジャパンの場合は、周りもリスクを避けるし~監督やコーチなど上層部も失敗を許さないので、いきおい無難な戦略や失敗しない動きに徹してしまうのです。 つまり、上層部に気に入られる動きに終始してしまい、自分の意思でアタックする考え自体が失われていくのです。

    野球でもサッカーでも海外で立派に通用するのに日本だと芽が出ない選手、これは自分の考えを押し付ける監督やコーチが余計なことをしすぎるからです。 才能ある選手を監督やコーチがアレコレいじくり回した挙句、二軍生活や控えになってしまうことはよくあります。

    ところが自分の意思を持って監督やコーチの言うことを聞かずに「自分の意思や方法を貫き通した選手」はメジャーなど海外でトップクラスになってしまう、これこそがリスクを避けてはいけないし~失敗から学べることは多いという証でもあるのです。

    それでも無難な道の方がイイと言う人がいたなら、バスケやサッカーの試合をよく見ることがひとつのヒントになります。

    バスケやサッカーの試合で、ボールを回すばかりで一向にシュートしない試合と、お互いがボールを持ったらすぐにゴールへ向かい何度でもシュートする試合、見ていて面白いのはどちらの試合なのか、その答えがあなたの中にある隠しようのない真実です。

    パス回しばかりする「無難なプレーヤー」と、失敗はするけれど果敢に「シュートを狙う選手」では、どちらを見ていて心に熱いモノを感じるのか答えは明白だと思います。

    あなたがするべきことはリスクを回避することではなく、リスクへ向かって行き~失敗を重ねて行き~そして最後には成功者となることだと思います。 何もしていない人よりも、何かをしている人は輝いています。

    強くなれる生き方とは、強い生き方を重ねているからこそできるのです。

    あなたが右足を前に出したら、次は左足を前に出すのか~それとも右足を引っ込めてしまうのか、コレはリスクへ立ち向かえるかどうかの為には大きな一歩になると思います。

    あなたは失敗を楽しめる、そんな人生を歩んでいますか?

    (;-_-;) ウーン



    お知らせ:出張等の為、ブログの更新は7月14日(火)より再開します。 いつもブログをお読みいただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    札幌出張。

    おはようございます。 今月の5~6日は札幌出張に行ってきたのですが、今日は札幌出張記を書いてみたいと思います。 気候の方ですが、夜はエアコン無しで布団掛けて寝たくらいですが日中はさすがに暑かったです。

    まずは交通手段ですが、6月から9月までは期間限定で岡山~札幌の直通便が出ています。 搭乗すると客室乗務員の方が、行きは3人掛けの誰もいない窓側席へ~帰りは客室乗務員さんとお見合い状態になる足元が広い席へ移動してくれました。 行きは窓から舞鶴や佐渡島や青森など色々な場所を見ながらで、帰りは客室乗務員さんと少しお話することになりました。

    4月から出張は全て飛行機に切り替えたのですが、席を移動して頂けるのは今回で5回目です。 何故か客室乗務員の方が「席を移動されますか?」と話しかけてくるので、ありがたいことですが不思議です…?

    そして新千歳空港が近づいてきたら畑や牧場など色々と見えてきたので、「北海道へ来たなぁ。」と実感しましたし、北の大地と言うだけあって広大な景色は目の保養になりました。 しかし、新千歳空港は岡山空港とは違って広いから、飛行機を降りてから歩く距離が長くて、地下の電車乗り場まで相当歩いたような感じがします。

    札幌へ着いたら即鑑定なので電車のホームで売っているお弁当を買って、電車内で景色を見ながら食べようと思ったのですが、嫌な予感がしたので停車中に食べておきました。 他の観光客の方々は電車が出てから食べ始めたのですが、次の停車駅となる南千歳駅から大勢の人が乗ってきて、山陽本線か山手線かと言うくらいの混み具合になりました。

    これは利用時間の関係も有るのですが、もうひとつ理由がありました。 南千歳にはアウトレットモールが出来ていて、ここには145店舗も入っている巨大モールなのです。 ここからの人が流れてきて、私も機会があれば寄ってみようと思いますが歩くだけでも疲れそうです。

    そして流れる景色を眺めていると、ふと気が付いたのですが山が見えません。 行けども行けども山が見えないと言うか、本当に見渡す限りが平野だから石狩平野の広さを実感しました。 飛行機の進入角度が羽田や岡山に比べて緩やかだから敷地が広いとは思っていましたが、電車が走行中の間に山と言っても遠くの方に少し見えただけでした。

    そして札幌駅に到着後は急いで会場へ行きましたが、初めての会場なので戸惑うこともあるかもと気持ちが少し焦っていました。 それでもナントカ間に合って、会場の設営をしてから札幌での霊視カウンセリングを開始となりました。

    今回も素敵なお客様ばかりで、私自身の勉強となって次への活力となりました。 人の心は感動により成長できるのですが、私も日本全国どこへ行っても通用するようになりたいと更に思うこととなりました。 人の成長とは常日頃の積み重ねがモノを言うのですから、私も北海道から沖縄まで出張に行けるようにしたいと思います。

    そして鑑定終了後はホテルに荷物を置いてから、大通り公園の方へ散策してみました。 歩いていると札幌の時計台があり、多くの人が記念写真を撮っていました。 そこを通り過ぎると左手にテレビ塔があって、イルミネーションで輝いていました。 今回は展望台へは行きませんでしたが、次回は昇ってみたいと思いました。

    そして大通り公園内の噴水や売店などの雰囲気は「いいなぁ~!」と思えましたし、その先には花畑牧場の直営店がありました。 中へ入ると余りにも人が多いので順番待ちをしてまで買う気は起こらなかったので、店内を少し見てすぐに出ました。

    よくもあれだけ人を集めることが出来るもんだと感心しますが、店内はそんなに広くはありません。 1階と2階を合わせても40坪あるかどうかと言う程度なんですが、人~人~人で不況と言う言葉は関係ないくらいの人でした。

    色々と見て歩いた後は食事ですが、せっかくなので北海道のラーメンを食べようと思いました。 トウモロコシとかバターとか楽しみにしながらお店に入って注文しようとした時のことですが、ラーメン以外に「餃子をお願いします。」と言ったら「うちは餃子してないんです。」との返事でした。

    私はタマタマ置いてないお店だろうと、5日の夜はラーメンだけ食べました。

    そして翌日の鑑定終了後に空港行きの電車待ちの間に食事しようと思いましたが、なんかすっきりしなかったので再度ラーメンにしました。 今度は札幌駅前にあるラーメン共和国と言うラーメン店ばかり集めたフロアへ行き、注文の時に「餃子をお願いします。」と言ったら「うちは餃子おいてないよ!」と明るく返事が返ってきました。 ( ̄△ ̄;)エッ?

    これは北海道のラーメン屋さんには餃子が無いのが普通なのか、それともタマタマ入ったお店が連続して置いてないだけなのか、ケンミンSHOWに聞いてみたいです。 (笑)

    そんなこんなで札幌出張も無事に終了で、次回の札幌は9月に行くからワクワクしています。

    未熟者の私ですが、素敵な霊視カウンセラーを目指して今後の精進していきたいと思います。 私は生きていると言うより生かされているのは、自分が人の役に立たないと生きている価値はないと日々実感しています。 私がすることで少しでもお役に立てるのであれば、休まずに人生を走り続けたいと思います。

    私がしていることは、少しでもお客様のお役に立てているのでしょうか?

    (* ̄∇ ̄*) アハハ!

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    若返り。

    人は年齢と共に老化現象が起きるのは仕方がないのですが、そうは言っても歳は取りたくないのが人の本音かもしれません。 アンチエイジング~若返りの秘法など、真面目なものから怪しげなものまで、歳を取らないように各種編み出されています。

    自然現象は仕方がないとは思いますが、それでも少しでも歳は取りたくないと言う人には、参考になるかどうか分かりませんが、薬も器具も使わない方法を参考例として書いてみたいと思います。

    これは大げさなことも出なく誰にでも可能な方法と言うことで、スピリチュアルが好きな人はご存知かもしれませんが美輪明宏さんも行っているのが「チベット体操」です。

    このチベット体操とは、ここ最近で注目を集めはじめた体操のひとつだと思います。 元々はヒマラヤのチベット地方にて人里離れた山の中で修行をする僧侶が、日頃の鍛錬や修行の中から作り上げた修行のひとつだったと言われています。

    チベット体操の主な効果として、まさにアンチエイジングと言うか若返りがあります。 チベット密教の僧侶の中には、100歳を超えても 20代の体力と外見を持つ者も存在すると言われているくらいですから、騙されたと思ってしてみるのもいいかもしれません。

    これは個人差もあるのですが約1ヶ月くらい行えば体力や気力が充実してきて、今までとは何かが違うと言うように感じる人が多いようです。 正直言うと講師と言うか先生の教え方や技術にもかなり差があるので、チベット体操を行っている講師の方々を若く感じるようでなければ技術に問題ありです。

    若返りの体操なのに老けて見えるようでは効果が無いと言う証拠なので、こう言う教室はちょっと怪しいかもしれません。 腕のある講師ならば、教えている生徒さんの90%以上が効果を感じると言われるので、その習っている生徒さんを見ても判断できます。

    では、チベット体操はどのような体操かと言えば、拍子抜けするほど簡単です。 その形態はヨガの原型と称されるもので基本的に5種のポーズがあって、それぞれのポーズを3回ずつ順に行うと言うような感じです。

    さっさと手早くすれば時間にして5~6分程度で終わってしまいますが、何故こんな簡単な体操で顕著な効果があるのかと言えば、それは「体操のように見えて体操ではない」からです。 わかりやすく言うと筋力を鍛えたり柔軟性を上げたりするものではなく、体内エネルギーの活性化とでも言えば正解かもしれません。

    人間の体にはチャクラと呼ばれるエネルギーセンターが7つあり、それは下から順に1~7まであります。

    順に説明すると、第1チャクラ(生殖腺のあたり)~第2チャクラ(膵臓のあたり)~第3チャクラ(みぞおちのあたり)~第4チャクラ(胸のあたり)~第5チャクラ(のどのあたり)~第6チャクラ(おでこの第3の目のあたり)~第7チャクラ(頭頂のあたり)となります。

    それぞれのチャクラは健康ならば全てが早く回転して体の外側にまでエネルギーが放出されていますが、病人や老人の場合は一部が遅い回転になったりして体の外までエネルギーを出せなくなっています。 これを正常な状態に戻してゆくのがチベット体操で、正式に言うなら体操ではなく儀式と言います。

    5種類の儀式を3回ずつ行うのは最初はキツいと感じるかもしれませんが、その場合は無理をせずにできる範囲で続けることで、続けているうちに軽々とできるようになってきます。

    そして徐々に回数を増やしていくのですが、目安としては一週間ごとに2回ずつ増やして行くくらいですが、決して無理はせずに自分の体と相談してゆっくり回数を増やして行ってOKです。 順調に回数を増やすと最終的には10週間で21回に到達して、これを「完成」と言います。

    それ以後はずっと21回を続けるのですが、ここまで来ると肉体および精神はかなり若返っているのを感じることができます。 チベット体操は体だけではなく心も魂も、全てを本来の姿に戻してくれるのです。

    現代は過酷な状況の中で疲れている人が多いので、本来の自分が見えなくなってしまっていることも多いです。 日本ではチベット体操は普及しはじめたばかりでヨガ教室に比べると数が圧倒的に少ないのですが、教室を探して一度は経験してみるのもいいんじゃないかと思います。

    ただし、まだまだ行っている教室は少ないので、習う場所を探すのが大変かもしれません。 私が知っている範囲で言うと渋谷区恵比寿に、元タカラヅカの鳳蘭さんのダンス教室があります。 鳳蘭レビューアカデミーと言いますが、ここにチベット体操の教室があります。 (割安で体験も出来るようなので、興味のある人はどうぞ。)

    あなたは若返りの秘法、チベット体操を体験したいと思いますか?

    ヾ(´▽`;;)ゝ ヤロウカナ~?

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    徳について。

    おはようございます。 無事に札幌より帰ってきましたが、素敵なお客様との出会いや広大な大地に感動モノでした。 次回の札幌は9月6&7日で、札幌の予約は今日の夜8時より受付となります。 (札幌出張については木曜日頃には書けると思うので、御覧頂ければ幸いです。)

    私はまだまだ未熟者ですが微力ながらお客様のお役に立てるように努力したいと思い、そうなる為にも徳を積み上げて人として成長していけたらと思います。 その徳の積み方は色々あるのですが「徳とはそもそも何なのか」と言うのが、徳の理解しがたい部分でもあります。

    徳は一般的に言うと、それを所持する人がそのことによって表されるものであり、人間に備わることで善き特質となるべきことを言います。 また、徳の個々のものとして列挙するような場合には、個々の徳を「徳目」と称する場合もあります。

    中華文明における徳と言うのは甲骨文字で大きな目の上に装飾をかぶった形になり、司祭王の目による呪力で土地を抑えることを意味して、それがやがて統治者としての資質や自然万物を育成する力を表していく様を表していると考えられています。 簡単に言うと「俺様の言うことを聞け、お前らの言うことは聞かん。」と、このようにしか解読できない感じです。

    儒教的な徳としては人間の道徳的卓越性を表して、仁~義~礼~智~信の五徳や孝~悌~忠の実践として表されるようです。 そして徳は人間の道徳性から発展して統治原理とされて、治世者のすぐれた徳による教化によって秩序の安定がもたらされると考えられたのです。

    元々儒教は「儒教」とは呼ばれずに、もっぱら法家思想の法治や刑に対抗する意味で「徳教」と呼ばれていた時代もあります。 儒教思想において重要な規範的価値は家柄や生まれによってではなく、その人の「徳の量によって社会的地位が決まるべき」であると言われていました。

    徳教で言うなら今の政治家~お役人様などで該当する人はいないので、既得権益の方々は徳教の時代じゃないことに感謝しないといけません。 徳がある人が上に立つと言う時代なら、到底今の立場は守れない人々ばかりと言うことになるかもしれません。 (苦笑)

    なお、日本人には馴染みの深い謙遜と言う言葉ですが、古代ギリシア(ローマ)では謙遜と言う徳は知られておらず、新約聖書のエペソ書や聖典外典の十二使徒の教えなどに出てくる、「タペイノプロシューネー」なる言葉が最初でした。

    徳を積むと言うのは、口で言うのはたやすいけれど行うのは難しいです。 社会的地位の高い人でもやっていることは「目先の得」を徳と勘違いしているような人ばかりなので、どうやら徳ではなくお買い得と混同しているようです。

    徳を積む生き方というのは短期的に言うと損な生き方と言えるかもしれませんが、徳を積むと言うのは、人の見ていないところでも人の為に尽くすと言う報われない行動を重ねることを言います。 確かに短期的には報われませんが、人の為に良いことを積み重ねていると、その人の考え方や性格に良い影響をおよぼして普段の言動に滲み出てきます。

    それは見る人(徳のある人)が見れば分かるので、成功者の目に止まって重用される可能性を開いたりします。

    それに徳と言うのは森羅万象の世界でもあるので、誰にも見られていないと思っていても多くの場合は「バレテいない」と自分が思い込んでいる(気付いていない)だけです。 悪事がいつかはバレテしまうのと同じで、昔から日本では「お天道様が見ている」などとも言います。

    結論付けるならば徳の積み重ねは周囲の人に「空気」として感じられるので、長期的な信用を築くことになりますから、短期的には損であっても~長期的には人生の応援や後押しとしてものすごいエネルギーになります。

    電車で席を譲る~階段で荷物を持ってあげるとか、髪型を褒めてあげる~笑顔で挨拶するなど、ホンの少しのことで徳をコツコツと積み上げることは出来るのです。

    更にレベルアップできる徳積みの参考例ですが、ワザと流行らないお店に行くと言うのも高度な徳積みの好例です。 普通なら運の良いお店や繁盛しているお店に行って運を高めるのが基本ですが、私は霊視カウンセラーとして世の為人の為に役に立たないと存在する意味がありません。

    私は人を寄せることに掛けてはまぁまぁ自信?があるので、私が立ち寄ったコンビニやラーメン屋さんなどは私が滞在していると必ず人で一杯になります。 だからこそ流行らないお店に行って私が滞在している間に、そのお店がお客様で一杯になったなら売り上げに貢献できていることになります。

    全く関係もなく知らないお店ではあるけれど、閑古鳥が鳴いているお店の売り上げを一時的でも良くしているのですから、知らない間に人助けをしていることになります。

    人知れず徳を積むことを陰徳と言いますが、まさに人知れずお店の売り上げを上げているのですから流行らないお店にとっては大助かりです。 私は会社やお店を経営しているお客様より「時間があったらお店に寄ってください」とよく言われますが、私が立ち寄ったお店は一時的にせよ繁盛すると信じています…?

    これは美輪明宏さんも同じですが、新宿伊勢丹や日本橋高島屋の美容部員の方は美輪明宏さんが来店されたら誰が担当するかで担当の奪い合いになります。 それは何故かと言えば、美輪さんを担当した美容部員の方は1~2週間ほど売り上げが飛躍的に伸びるからです。

    まさにいるだけで周りを幸せにする理想系なので、私も美輪明宏さんと同じように立ち寄るお店が大繁盛するようにと心掛けているのです。

    あなたは徳の積み方を、どう思いますか?

    ドモ~♪ヽ(^-^ )

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    彼の気持ち。

    恋人同士でも夫婦でも、喧嘩したとか~分かってくれないなど行き違いはいくらでもあります。 その行き違いを埋めることが愛を確かめ合うことかもしれないし、お互いの気持ちを確かめ合うことかもしれません。 好き同士で付き合い始めて~好き同士で結婚したのであれば、喧嘩することも少ないはずだし~別れることなど本当はありえないはずなのです。

    東京出張の時にお越しいただいたKさんは、共働きで結婚生活も7年目に突入している仲が良いように見える御夫婦です。 仲が良いように見えると書いたのは、Kさんは御主人(Aさん)の気持ちが分からなくなってきたからです。 御主人のAさんは小さな喫茶店の2代目ですが、人当たりが良いからコーヒー一杯で粘るお客様でも、帰るまで店を閉めずに相手をするような優しい御主人です。

    Kさんの親は小さな喫茶店と言うことで生活は大丈夫なのかと反対していましたが、KさんはAさんの優しい人柄に惹かれていたのです。 実はKさんは休みの時に喫茶店にふらりと立ち寄っていた常連で、ひとりでいるよりもAさんと話している方が楽しいと粘って帰らないお客様のひとりだったのです。

    先ほど書いたように親には結婚を反対されていたので、押しかけ女房と言うか駆け落ちに近い形で、喫茶店の2階にあるAさんの自宅で結婚生活をスタートさせたのです。

    しかし、分かってはいたけれど生活は楽じゃなく、Kさんは共働きで生活を支えるのに少々疲れてきていたのです。 Kさんは未来のことを知りたいと言うよりも、誰にも言えない愚痴を吐き出してスッキリとしたかっただけかもしれません。 出張の場合は1枠が25分間なのでKさんはAさんに対する不満と言うか愚痴を吐き出して、「また、来ます。」と貯めていたものを吐き出す形で元気になってお帰りになりました。

    私は未来はいくらでも変わると思っているのですが、それは良いようにも変わるけれど悪いようにも変わるのです。 Kさんに注意と言うほどではないけれど、「私に愚痴を言ってスッキリするのはいいけれど御主人であるAさんに感謝して、愚痴を言うのはここだけにしてください。」と言う感じで最初の霊視は終わりました。

    愚痴を言うのはいいけれど感謝してくださいと言った理由ですが、実はAさんの未来が黒く見えたので明確には言えないけれど嫌な感じがしたのです。 未来が黒く見える時と言うのは、正直言って気持ちのいいものではありません。 それは未来が無いことを意味しているので、未来が無いと言うことは余り良いことじゃないので言えません。

    それから一年ほど経ったころ、Kさんが倉敷事務所へ予約を入れてきました。 「あの、2週間後には東京へ行きますけど…?」と言っても、大至急聞きたいことがあるとわざわざお越しになりました。

    Kさんが聞きたいこととは再びAさんのことだったのですが、一年前の霊視で愚痴を言ってスッキリしたKさんでしたが、あれから徐々にストレスが溜まって3週間前に大喧嘩になったそうです。 Kさんからすると親の反対を押し切ってまで結婚したのに、どうしてこんな目に遭うのかと思っていたそうです。

    しかし、2週間前の午後にKさんが勤める会社へ電話があり、「Aさんが倒れた!」と常連さんより電話がありました。 くも膜下出血で意識を失ったまま眠りについて、とうとうAさんと仲直りも出来ずに突然の別れとなったのです。

    Kさんが倉敷までわざわざ来たのは彼が言い残したことや伝えたいことは無かったのか、死に際にも会えず仲直りも出来ずやり残したことだらけのように感じていたのです。

    私は「Kさん、もう少し時間がたてば、私じゃなくてもメッセージをあなた自身が聞くことになるから、もう少し待っていた方がイイと思います。」とだけお伝えしたのです。 Kさんは「メッセージはないんですか?」と食い下がりましたが、メッセージはKさん自身が受け取るべきだと私は思っていたのです。

    それから2ヶ月ほどした東京出張の会議室、三度目の予約を入れたKさんの姿がありました。 倉敷での霊視からしばらく経って変化があったようで、Kさんが話す内容によると…?

    それは先月のこと、Aさんが生きていれば8回目となる結婚記念日に宅配便が届きました。 差出人はAさんで受取人はKさんにしてあり、日時指定で結婚記念日の夜に届くようにされていて、その中身はリングで手紙も添えてありました。

    手紙はAさんの手書きで「K、僕と結婚したことで迷惑をかけていたのかもしれないし、幸せにしてあげることが出来ないかもしれない。 ナカナカ言葉には出来ないけれど、KがいてくれることやKが励ましてくれることは僕にとっての支えでした。 Kと出会えて結婚できたことは、僕にとって人生で最大の幸せです。 Aより」

    指輪をはめてみるとサイズもぴったりで、Aさんの手紙を読んだKさんは涙が止まらなかったそうです。

    AさんはKさんのことが本当に大好きで、いつまでも一緒に過ごして行きたいと心底願っていたのです。 その気持ちを理解もせずに自分のことばかり考えていたKさんは、Aさんの最後のプレゼントにより本当の気持ちを知らされることとなったのです。

    Aさんの本当の気持ちを理解できたKさんは、「このリングをはめるにふさわしい女性となって、Aさんに見守られていても恥ずかしくない生き方をしたいと思います。」と、今後に向けて決意を新たにされました。

    一緒に暮らしていれば色々と辛いことや悲しい思い出などがありますが、その舞い散る記憶の中には嬉しいことや楽しい思い出もあるはずです。 風が舞い上がるように彼への思いが天に舞い上がることを願いながら、Kさんは今後の人生を過ごしていくと思います。

    冷静に考えてみると、夫婦や恋人なのに相手の気持ちが分からないと言うのは、相手もあなたの気持ちが分からない時なのかもしれません。

    あなたは相手の気持ちを、どのように理解していますか?

    .・゜゜・(/。\)・゜゜・. ソウダネ…。



    お知らせ:出張等の為、ブログの更新は7月7日(火)より再開します。 いつもブログをお読みいただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    札幌。

    いよいよ札幌出張が近づいてきましたが、行ったことがないからワクワクしています。 どんな場所なんだろうとか~どんな素敵なお客様に会えるのかとか、色々想像していると楽しみが膨らんできます。 今日は7月5日&6日に出張鑑定へ行く、北海道の札幌市について書いてみたいと思います。

    札幌市とは北海道にある市で、道庁所在地ならびに石狩支庁所在地でもあります。 岡山県で言うと岡山市に当たるのですが、人口密度や規模はかなり違うようです。 日本最北の政令指定都市であり、約190万人以上を有する日本では5番目?くらいに位置する北海道における、政治や経済の中心的都市です。

    江戸時代に遡ると松前藩によって開かれた石狩十三場所のうち五場所が集中していて、幕末頃までは「蝦夷(アイヌ)」との交易が行われる土地でした。 そして明治時代に入って設置された北海道開拓使によって、京都とかアメリカのタウンシップ制をモデルとした碁盤目状の計画都市として本格的に開発されました。

    更に1972年の札幌オリンピック開催を機に、観光都市としても世界的に知られるようになりました。 20代30代に限らず40代前半までの人は、札幌オリンピックと言ってもピンと来ないと思いますから、札幌でオリンピックがあったのは相当前になります。

    面積としては香港とほぼ同じであり、周辺に江別市~北広島市~恵庭市などのベッドタウンを擁して札幌都市圏を形成しています。 また、地方中枢都市には珍しいのですが、昼間人口と夜間人口があまり変動しないのが札幌の特徴です。 札幌市の中心部には地下街が発達して、札幌駅前や大通周辺のショッピングエリアには近郊の都市からも人が集まるほどです。

    政令指定都市とは言っても岡山とは規模が違うのですが、その経済圏人口はなんと340万人にも及ぶのです。 単なる地方都市が340万人も集めるのは、経済圏としては驚異的な数字です。

    さて、どうして札幌市と言う名前になったかですが、元々「サッポロ」は現在の豊平川にアイヌの人々がつけた名でした。 その「サッポロ」が流路一帯の地名にも転用され、使われるようになったと言われています。

    その名前の由来としてはアイヌ語の「サッとポロ」、つまりアイヌ語で「sat-poro(乾いた大きい)」と言う言葉から取られたとする説が有力です。 その意味するところは「かつての豊平川が乾季に極端に水量が少なくなる川だったから」とか、「一帯が乾燥した広大な土地であったから」など、意見が分かれるところです。

    もうひとつの説は「サリ・ポロ・ペッ」からきた説で、「sari-poro-pet(湿原が広い川)」で、低湿な豊平川下流部の様子を的確に表してはいますが、「サリ」とか「サル」で始まる表記で記録された書物や地図が見つからないのが難点です。

    さて、気候ですが夏と冬の気温差が大きく~昼夜の寒暖差が激しく、冬は積雪が多いけれど海からの偏西風に直接さらされないから小樽市や石狩市よりは少ないようです。 それでも北海道なので降雪量は凄まじくて、人口150万を超える大都市がこのような降雪地域に存在するのは世界的にも極めて異例です。

    夏は梅雨がないのですが山地に夏頃まで残る積雪が貯水の役割を果たす為、水資源は豊富で水不足にはならないのです。 なお、寒さが厳しいとのイメージがありますが、冬は同じ石狩支庁に属する他の地域と比べても気温が高めで、-10℃を下回る日が少なくて北海道としては比較的温暖な気候です。

    そして札幌の人口ですが現在は約189万人で、男女比は女性の10に対し男性は9となっています。 しかも10代までは男性が多く20代からは女性が多くなる状況なので、コレは世界的に珍しい土地となります。 何故ならDNAにおいて生命体は少し男性の方が多くなるように出来ているのに、女性の方が多くなることが普通はありえないのです。

    更に経済に関してですが、すすきのが北海道経済の中心となっています。 仙台市などと同じく支店経済の傾向が強くて地域企業の基盤は弱いのですが、第三次産業は十分に発達しています。 地元を基盤とした民間の大資本に乏しくて、三大都市圏にみられるような私鉄も存在しないので都市計画や開発は、札幌市や北海道開発庁など官によるところが大きい土地柄です。

    北海道は銀行の破綻もあったし~夕張も自治体としては緊急事態ですし、景気が良いかと言われると難しいです。

    しかし、経済基盤はしっかりしているので再生は充分に可能な土地で、他の国内主要都市に比べて労働力~賃料~原材料農産物が安いので、これらの特色を生かした産業が発展していけばまだまだこれからです。 おまけに豊かな自然を生かした観光業が盛んなので、年間に1400万人以上が訪れるのは凄いチャンスです。

    最近では日本ハムファイターズが札幌ドームで熱戦を繰り広げているし、花畑牧場も絶好調で一人勝ち状態です。 不況の中でも健闘できているのはファイターズや花畑牧場に何かがあるからで、その何かを羨むのではなく吸収するのが勉強だと思います。

    不景気な場所では商売ができないと言う弱い気持ちではなく、不景気な場所でも勝負できると言う強い気持ちで行きたいと思います。

    あなたは札幌に、行ってみたくなりましたか?

    ホエッ?(・◇・;;)

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    本気度。

    人は基本的には平穏無事な状態を好むのですが、不思議なことに良い状態が続いてくると違う一面が現れます。 それは変と言えば変かもしれませんし、不思議と言えば不思議なことかもしれません。

    平和な状態が良いと思える人の多くは、戦争などの悲惨な体験を持っていて平和が良いと強く願います。

    しかし、それが叶って毎日毎日平和な状態でいると、今度は波乱万丈な方を願うのは摩訶不思議です。

    人の本質は生まれながらの善であるというのが性善説ですが、人の遺伝子は平穏な状態が続きすぎると自分で危機的状況を作り出すことがあります。 例えるなら、回っている扇風機の羽根を見ていると、危険なことは分かっているのに触ってみたくなるのと同じです。

    人は明るい未来や楽な未来を良い未来と考えがちですが、本当に良い未来と言うのは心が充実している「満足感や達成感」があることを言います。

    危機的状況になると「火事場の馬鹿力」と言う言葉通りに、イザと言う時の潜在能力と言うのはものすごいモノがあります。 普段は自分の能力を押し留めているだけで、底力は凄いものがあるのです。 しかし、普段はしまいこんでいるから自分に自信が持てずに、このまま終わりと言う人生になるのです。

    人は生まれてきた以上は幸せになる権利と義務があり、誰もそれを妨げることはできません。 もしも妨げるものがるとするならば、それは自分自身のできないと言う気持ちです。

    人には素晴らしい潜在意識があるのですが、その潜在意識をできないと思う気持ちの方へ向けてしまうのです。 それをできると言う気持ちへ向けてワクワクする状態を作り出せるのであれば、もはや叶ったも同然で待っていれば自動的に運命は待ってくれるのです。

    何でもそうですが「物事を本気でする」と言うのはものすごいパワーであり、本気でしている人は周りのことなんか相手にしないと言うかできないのです。 楽しいことと言うのは一生懸命できるのは、余計なことを考える暇がないからです。 余計なことを考える暇がないくらいしていると、それは何かの成果を必ず生むのです。

    それが更に進化していくとやればやるほど奥が深いとか楽しいなどと、自分の夢を考えるだけでワクワクして眠る時間も惜しいくらいになるはずです。

    それこそが自分だけのオリジナルであり~ブランドと言ってもいいのですが、何にも変えがたいものを生み出して自分だけのオリジナルと言うのは、どれだけ心に響くものなのかは達成した人だけが味わえるのです。

    何の世界でも本気でやり続けていればブランド力と言うものが出来上がってくるのですが、コレは人の手を借りて作ったモノでは無理なんです。 自分が思い描いて真剣に作り上げた時にだけ得る称号であり、この単純明快な状態を作り上げるのに人は心血を注ぐのです。

    夢を持っているとは戦っていることにもなりますが、何と戦っているのかと言えば「怠けようとする自分」と戦っているのです。 人はツイツイ楽な方へと行くのですが、その楽と言うのはココまででイイと言う妥協した夢の結果なんです。

    夢が叶わないと嘆く人や夢なんかどうせ叶わないとあきらめている人は、そう思う前に自分の夢には大義名分があるのかどうかを考えて欲しいのです。 理由がある夢ならば、充分に困難に立ち向かえると思うのです。

    困っている人を助けたいとか失われていく命を救いたいなど、大義名分がある人を運命がほっとくはずがありません。

    恋と言うのは男性ひとりとか女性ひとりなど、片方だけで相手がいない状態では恋愛になりません。 男性と女性が出会って、その上でお互いが好意を持たないと始まらないのです。 片方だけが好きであれば片思いなどで成就しない可能性が高くなりますが、夢もコレと同じで片思いの夢では叶わないのです。

    自分だけが良いと思い込んで、本当は周りに迷惑を掛けているような夢ではダメなんです。

    「自分が良いと思い、相手も良いと思う。」

    そしてそれが利益を産むことで次の開発ができるとか~お客様サービスができるなど、次から次へと数珠繋ぎで良いことの連鎖を生むことができたなら、本気の度合いはますます向上して楽しくなるはずです。

    あなたは自分の本気度を、どれくらいだと思いますか?

    「(ーヘー;) え~と

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