徒然草(岡山・東京・山崎かずみ)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    ネオ屋台村。

    おはようございます。 無事に倉敷へ帰ってきて、鑑定を再開しております。 今日からブログも再開となりますので、よろしくお願い申し上げます。 また、予約の方も遠慮なくお気軽にお申し付けくださいね。

    私は御相談を承る中で商売を立て直す(上手く行かない&流行らない)と言うことだけではなく、新たに始める会社やお店についても御相談を受けます。 新たに始めると言うことは、その時代の流れを無視できない要素が絡んでくるのですが、建て直しも新規も成功していただきたいと言う願いに変わりはありません。

    御相談にお越しになる方とは基本的に、今の現状を何とかしたいと言う前向きな人だと考えています。 実は後ろ向きな人は相談自体に来ないので、これからどうすればいいのかと御相談にお越しになるのは前向きだからこそです。

    不況と言えば自動車販売を例に出すと分かりやすいのですが、昨今の自動車不況の中でも全然苦にしないディーラーもあれば、全く自動車が売れずに四苦八苦しているディーラーもあります。

    私は昨年の東京出張より某ディーラーの方が度々お越しいただいて、いくつか案も採用していただけたようですが、この会社の凄いところはド素人である私の意見をちゃんと議題に載せて、会社内で案を練り直して使えるようにしたところです。

    以前にも書いたのですが、4WDならばワンちゃんなどペット愛好家を狙うように言ったところ、このディーラーは土日にワンニャンショー的なことをしてペット愛好家などを引き寄せるようにしました。

    その次にお越しになった時に購入した後での満足感とセールス活動の為に、購入者の写真を撮ってパネルにして記念品贈呈の式典をしてくださいと提案しました。 これは納車の時に自己所有の満足感の増加に加えて、パネルにしてしまうと居間や玄関など人に見せるところに飾るようになります。

    パネルを人に見せるのであれば自動的に宣伝になるので、黙っていても自分のところの車とサービス内容を宣伝してもらえます。 このディーラーは東京都内のH系なんですが、私のところへお越しいただいた成果は上がっているようなので嬉しい限りです。

    ここ最近の東京出張で聞かれたらこうすればと思うアイディアがあるのですが、聞かれる時と思いつく時が必ずしも一致しているわけではありません。 ご相談がない以上は発揮しようがないので、もしも私が飲食店をするのであれば「何をするか?」と言うのを書いてみたいと思います。

    儲け度外視で行くのであれば、私はカフェ若しくはBARを出してみたいです。 BARを出すのであれば銀座に出してみたいし、カフェを出すのであれば神田川沿いに出してみたいのです。 (私はお酒を飲まないからこそ、お酒についてのことがよく見えると言う側面もあります。)

    しかし、儲けもきちんとあって生活もして行けると言う条件であれば、丸の内で屋台をすると思います。

    ここで言う屋台とはネオ屋台村のことで、東京国際フォーラムなど丸の内界隈のオフィス街では平日のランチタイムに、ネオ屋台村と言う軽トラを改造した個性的な料理とリーズナブルなプライスで丸の内のOLさんたちに大人気の屋台のことです。 昔ながらの赤提灯と言うのではなく、短時間で一気にすると言う作戦でやれます。

    ただし、各種パスタ~インド料理~ベトナム料理など、誰かが考え付くことは誰かに任せておけばいいと思います。

    私がするのであれば、その名も「ネコまんま亭」と看板を出してランチ戦争に切り込んでいくと思います。 ここで「ネコまんま?」と馬鹿にするなかれ、これが結構勝負になると思います。 これを読んでやろうと思う人がいたなら、遠慮なく参考にしていただきたいと思います。

    まず用意するのは5つの基本メニューで、肉系の豚汁と魚系の粗汁に加えて健康重視のなめこ汁、更には田舎風のけんちん汁に身体の温まる粕汁などです。 後はお好みに応じて削り節や彩りモノを丼にお付けして、最後にタクアンやキムチや奈良漬などのお漬物を用意しておきます。

    これはご飯を盛って汁を掛けるだけなので、人手が少なくて時間も掛かりません。 おまけに材料代も掛からないし、ランチにネコまんまなんて発想を普通はしないから競争相手もいません。 価格の方も、小=180円(女性向け)~中=280円(一般向け)~大=380円(量が欲しい人)など、金額も単純明快で利益率も高いと思います。

    丸の内のランチ戦争に参戦するのは、機会があればやって見たいことのひとつです。

    あなたはネコまんまを、馬鹿馬鹿しいと思いますか?

    (≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!

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    あなたの使命。

    人には生きる力が備わっているのですが、何故生きる力が備わっているのを考えてみると自分の状況において、不平不満は出てこなくなるかもしれません。 あなたが生まれてきたのは何かの意味があるのかもしれないし~意味はないのかもしれない、これは意味と言うことに重きを置くから小難しい話になってしまうのです。

    「ありがとう」と言う言葉が心地よく聞こえるのは、その言霊に感謝の力があるからです。 ありがとうの言葉を言われて嫌な気持ちになる人は余りいませんが、それが分かっているのにありがとうと言う言葉を使わないのは勿体無いと思うのです。

    ありがとうと言う言葉を美しく話そうとするのは、いくらでも素敵な声で奏でることが出来ます。 しかし、「バカヤロー!」とか「あほんだら!」など悪口や罵詈雑言を、美しく奏でることはプロの声楽家でもない限り難しいと思います。

    言葉には力があると言うのは、相手を傷つけることも励ますことも両方出来るから、諸刃の剣とも呼ばれるのです。

    あなたに生まれてきた役割があるとするのであれば、それは冷たい雪ではなく温かな光となる方が喜ばれると思うのです。 北風と太陽じゃないけれど、必要とされるとか喜んでもらえると言うのは、あなた自身が生まれてきた満足感を刺激すると思うのです。

    難しく考えなくてもいいからあなたの周りにいる人を、ホンの少しでいいから喜ばせてあげてください。 あなたの澄んだ瞳が優しく見つめるだけで、あなたの心優しい笑顔が向けられるだけで、あなたの思いやりのある行動が誰かを喜ばせることに繋がるのです。

    生きてきた環境と言うのは、その時点での生き方や考えに大きく左右します。

    職場でもドコでも同じですが、尊敬できる人が周りにいると心に張りができてきます。 どうして心に張りができてやる気が起こるかと言えば努力している人を見た時に、人は助けずにはいられないDNAが太古の昔より備わっているからです。

    花は誰に見られると意識しているわけでもないのに、与えられた環境で必死に芽を出して根を伸ばして、美しく咲き誇ろうと努力しています。 花は努力していると言う思いすらないのかもしれないけれど、生きる力はコンクリートすら打ち破って芽を出すのです。

    あなたが内に秘めている生きる力は、使わないままだと心が空しくなってきます。 あなたがあなたじゃないままでいるのに、生活が出来ていると言う理由だけで何も変えようとしないのであれば、それは心に何かが足りない気持ちがしてくるのは当たり前です。

    あなたの先にある光の中から何かが見えそうなのに、まぶしくて見えないのは自分が陰の方にいるからです。

    あなたの思う未来とは、今が良ければいいのかと言う自問自答の中に答えはあります。 音を立てて崩れてしまいそうな気持ちを必死でつなぎとめようとしても、心の中にあるあなたの可能性は嘘を吐くことを決して見逃そうとはしないのです。

    いくら目を背けようとしても気になって見てしまう、それはあなたが自分の可能性を押し留めることが出来なくなった証拠です。 やれるのにやらないのは、チャンスをくれた運命に対する大きな裏切りなのかもしれません。

    最初は誰でも一歩踏み出す勇気が出ないと思いますが、もしもそれが出来ないとしても勇気を持つことはできます。

    あなたの周りに夢を語る人がいれば否定せずに大いに応援してあげることで、夢を支援すると言う素晴らしいあなたが存在します。 夢を語る人を前にして否定するのは、自分にはできないと思っているから否定するのです。

    夢を語る人を大いに褒めてあげることで、あなたはひとつの徳を積んだことになります。 それは小さな一歩かもしれませんが、大きな可能性の扉をノックしたのと同じことなのです。 あなたが否定せずに応援してあげることで、あきらめかけた夢が再燃して勇気や元気を与えることだって可能です。

    遠すぎて見えない夢かもしれないけれど、捜し続けている人にとってのオアシスになってあげることはできます。 その一息入れることで充電したエネルギーは、あなたがいるからこそ充電できたことになるのです。

    人は生まれながらに生きる力を与えられているから、誰であろうとも自分で自分の寿命を決めることは出来ません。 自分で決められないのであれば、いつ果てるかも分からないのだから精一杯生きるのは、あなたの人生においてしなければならない最低限の使命です。

    あなたが生きる力とは、あなたを未来で待っている人がいることにも繋がるのです。

    あなたは自分の使命を、どのように考えていますか?

    ありがとさん (*^ - ^*)ゞ ポリポリ



    お知らせ:出張の為、ブログの更新は6月30日(火)より再開します。 いつもブログをお読みいただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    積み重ね。

    人は夢が叶うと嬉しいものですが、何もせずに叶うほど緩いものはありません。 誰かが成功すると「いいなぁ~。」と思うまではOKですが、それを妬んだり羨んだりする必要はありません。 それはあくまでその人の人生であり、自分の人生ではありません。

    自分の人生は自分が主人公なのですから、その筋書きは自分が書かないと始まりません。 その筋書きに嫌なことは書く必要はなく、良いことばかり書けば素敵な未来になると思うのです。

    誰かが成功した姿を見て思うことの前に、その人が成功するまでに積み重ねてきたものを見るようにする人が次の成功者となると思うのです。

    スポーツ選手がトレーニングもせずに成績が残せないと言ったら、「それは当たり前!」と突っ込みが入ると思います。 それじゃあ、練習すれば良いのにと思うかもしれませんが、その練習をすることこそが一番の苦労する部分なんです。

    メジャーリーガーのイチロー選手がヒットを打つと簡単に見えて、「あいつが出来るなら俺だって。」と思い海を渡った日本のプロ野球選手が、どれだけメジャーで苦労しているかを見れば一目瞭然です。

    普通の選手は間違いなく見落としているのですが、TVやスポーツニュースではイチロー選手の豪勢な自宅や生活環境、それに加えて年棒がどうのこうのと言うハード面ばかりを映し出します。 しかし、肝心のソフト面である練習量や試合に出る為の準備部分を見ていないのです。

    仰木監督が生きていた頃にイチロー選手について聞かれた時に答えていたことで、ナカナカ興味深いヒトコトがあります。

    仰木監督曰く、「彼くらい練習していたら、アレだけの成績を残すことも可能だろう。」と言っていて、才能がどうのとはひとつも言っていません。 仰木監督は二軍時代からイチロー選手の練習量を評価していて、世間のように才能の部分を評価していたわけではありません。

    だからこそ、こうも言っています。 「もっとも、彼くらい練習することができないだろうけどね。」 つまり、才能も必要かもしれないけれど、それよりも日頃の積み重ねである練習が大切だと仰木監督は言っているのです。

    そして日本のプロ野球選手とイチロー選手の違いはもうひとつあって、それは用具を大切にすることです。

    日本のプロ野球選手は用具をタダで提供してもらった上に、CMスポンサー料まで貰っているので用具を大切にしません。 自分では手入れもせずに傷んだら新しいのに交換すると言う繰り返しで、グローブやバットに対する愛着や感謝なんて一欠けらもありません。

    だからプロ野球中継を見ていても、ベンチに戻った選手がグローブを投げたりバットを地面に叩きつけたり、D球団の某投手なんかベンチを殴って手を骨折して一年間休んだこともあります。 (その選手は年末の年棒交渉で弁護士同伴で年棒を下げないように徹底抗戦して、休んでいたのに結果として現状維持を勝ち取りました。)

    ところがイチロー選手は用具の手入れは全部自分でして他人に任せるなんてしませんし、グローブもバットも使えなくなるまで大切に使用します。 なんとオリックス時代のベルトをいまだに使用しているのですから、物持ちと言う点でも他の選手とは比較すること自体が失礼に当たります。

    誰もが最初は初心者なのですから、そんなに上手く行くわけがありません。 小さなことから積み上げていく気持ちの強さこそが、どんなことがあっても気持ちの張りを失わないでいることが、やがて大きなことを成し遂げることになるのです。

    確かに色々とやっても成果が出なかったり、評価されなくて悔しい思いをしたり、どうしてこうなんだろうと悩むこともあると思います。 しかし、トップクラスだって最初からトップクラスと言うわけでもなく、コツコツと目の前にあることをクリアしたからこそ今があるのです。

    技術と言うのは練習量がモノを言うのですが、その練習も普通に練習するだけではなく実戦における場数も大切です。 10回練習するよりも1回の実戦と言うくらい、本番で得るものは大きいものです。 (本番に臨んで調子が悪くなるなんてありえなく、得るモノの方が大きいのです。)

    WBCに出たから調子が悪いと言い訳して、開幕3ヶ月で早くも休みに入った年棒総額60億円の投手もいますが、WBCに出ていてもイチロー選手やダルビッシュ選手などは絶好調なので、いかに自分に対する厳しさや自己管理の差が出ているのか推して知るべしです。

    どうなるだろうかと言う不安な気持ちは理解できますが、やらなければ何も始まらないのです。 実戦を不安に思うのは当たり前ですが、その不安を払拭する為には積み重ねしかありません。

    あなたは積み重ねる力の凄さを、自分で確認したいと思いませんか?

    "ヾ(^O^ )ノ..( シ^O^)ノ" フレーフレー

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    心意気。

    心意気と言う言葉がありますが、人は心に感動を受けた時に大きく成長できます。 尊敬する人や目標とする人から言葉を掛けられて、その内容が励ましだったらどんなに嬉しいことかと思います。 何歳であろうとも~どんな立場であろうとも余程のひねくれた人で無い限りは、励ましや賞賛の言葉を掛けられて怒るなんて人はいません。

    厳密に言うと「励ましなんかいらない、それより仕事と金の方が大事で、見せ掛けの言葉なんか要らない。」と言う某経営者みたいな人もいますが、心が荒んでいる人には何を言っても逆手に取るので無駄なのです。

    こう言う人は相手にしなくてもいいので、心が元気になる言葉や前向きになれるヒトコトは、相手を喜ばすのだから悪いことじゃないと思うのです。 言葉と言うのは取り消せないし、空中に留めて置けるものでもないので難しい面もあれば容易い面もあります。 簡単に発することが出来るが故に使い方を誤れば凶器にもなるし、その逆に励ましなどの勇気の元ともなりうるのです。

    私は損得勘定で動くことは良しとしないのですが、人はツイツイ損得勘定で動くことがあります。 社会生活である以上は生きていかないといけないから損得勘定は仕方が無いけれど、余分に儲ける必要も無いと思うのです。

    先日の新型インフルエンザが良い例で、マスクが必要で足りない状況が分かっているのに値段を吊り上げている人がかなり多かったと思います。

    不足気味だから値段が上がると見込んでネットオークションにも出品したりして、ここぞとばかりに儲けようとするのは商業的には正解かもしれません。 私にはとてもそんなあくどいことはできませんが、心意気を失っている人には悪いと言う感覚すらないのです。

    しかし、目の前の人が困っているのに儲けようとするのは、人として心意気を感じられないと思うのです。

    苦しくて困っている人に定価よりも高く売りつけようとする人に、自分がされたらどう思うのかを聞いてみたい気もします。 何故なら、足りなくて困っている時にマスクを高値で売ろうとする人は、自分が困っている時には相手を非難すると言う自分勝手な面を持っているからです。

    心意気とは古い言葉かもしれませんが、気だてが良いとかさっぱりしているなど清々しい面を言います。 そして物事に積極的に取り組もうとする気構えや意気込みなどの気概を表す言葉でもあり、真実な気持ちが根底にあることを心意気と言います。

    日本はどうこう言っても良い国だし、諸外国に比べて災害や経済危機は格段に少ないです。 それは争わずに穏便に済ませる行いが、運命から見て清々しい行いに見えるからだと思います。 諸外国は自分の要求を通して相手の言い分は聞かないと言う国が多いので、日本はまだまだ捨てたもんじゃないと思うのです。

    心意気がある商人は儲けることと社会貢献は両輪であり、どちらもするからこそ心意気を感じる魅力ある人物になれるのです。 今の三越では見る影もありませんが、昔の三越は心意気を感じさせるエピソードが山のようにあります。

    日本橋にある三越はお客様に対する扱いにおいて、日本一と言っていいくらい凄いものがありますが、それはお金持ちに対してだけではなく来店するお客様の全てにしていたからこそ伝説が生まれるのです。

    ある時のこと、三越で金時計を買った人が周りの人に「偽者だ」と言われて疑心暗鬼になって、三越に文句を言いに来ました。 紛れも無く本物の金時計なのですが、金を見たことが無い人からするとメッキか金かの見分けがつかなかったのです。

    そこで三越の店員さんは、その時計をノコで半分に切断して中身まで金であることを証明した上で、それと同じ金時計をクレームを付けたお客様にお渡ししたことがあります。

    今ではとても出来ない応対ですが昔の日本橋三越には器量の大きな店員さんと、それを良しとする太っ腹の経営陣がいたからこその話です。 こう言う誠の部分、それをキチンと貫ける精神は心意気として素晴らしいと思います。

    私は7月(5/6)に札幌へ出張しますが、今の北海道は元気がないので少しでも元気になっていただければと思います。 私ひとりが行ってどうなるものでもありませんが、何もしないより少しでも何かをした方が未来は変わると思うのです。 (次回の札幌は、9月を予定しています。)

    私が行くことで心が救われる人がいて必要とされているのなら、赤字になるとか経費が出ないなどセコイこと言わずに相手が喜ぶことをしてもいいと思うのです。 素敵な霊視カウンセラーを目指す私としては、他の人が出来ないのであれば自分がやると言う心意気は常に持っていたいと思います。

    札幌も駅前にある札幌西武が閉店してしまうから、働く場所が無くなって困る人が大勢出てきます。 ここで「よし、ウチが出店して雇用を守ろう!」と言う心意気のあるデパートがあれば、「団塊の世代もナカナカ、捨てたもんじゃない。」と思えるようになります。

    出店の権限があるのは50代以上の男性役員でしょうが、細かい損得勘定ばかりせずに心意気を示してもいいんじゃないかと思うのです。 景気が良い時に出店できるのは当たり前のことであり、不況の今だからこそ出店するのが「男じゃないか?」と思うのです。

    あなたは心意気を、どのように感じますか?

    ( ^ー゜)b やるじゃん!

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    相手の都合。

    仕方がないことですが自分にとって都合の悪いことが起こると凹んでしまうのですが、理想はいつもニコニコしていることです。 凹まないようにはしていても、それが自分中心に考えているから凹むだけだと気付けない間は、そう簡単に元気で前向きとは行かないようです。

    何かが起こる時にはプラスとマイナスが引き合っているのだから、プラスの出来事があればマイナスの出来事も待っています。

    プラスの出来事が10回起こるならば、マイナスの出来事が10回起こっても仕方がありません。 自分にとって都合の良い出来事は大歓迎で、都合の悪いことはお断りなんて言うのは自分勝手な思いになります。

    私は経営者に厳しい意見を言うことが多いのですが、経営者たるもの周りをよく見る必要があるから厳しい意見も取り入れないといけないのです。 自分のお店だけが流行ればいいとか、自分のところだけ儲かればいいなんていうのはさもしい考えです。 しかし、このさもしい考えでいる経営者に多いから、いざ不況となった時には何の手も打てないのです。

    お店が繁盛すると言うのは自分の利益だけ考えてはいけないのですが、何故自分のお店なのに自分の利益だけを考えてはいけないのか、それが理解できていない経営者が多いのには驚きます。

    美容室を例にとって説明すると、倉敷市に10軒の美容室があったとします。 そして倉敷市の人口が100人だったとしたら「100人÷10軒=10人」なので、1軒当たりのお客様は10人と言う計算になります。

    それで今までは均衡が保たれていたのに、そこへ新規のお店が1軒増えたとします。 すると「100人÷11軒=約9人(9.09人)」となり、今まで毎月10人のお客様が来ていたのに、新規のお店が出来たばかりに9人となりました。 そうなると今までよりも売り上げが減るので、当然のことながら利益も減ることになります。

    つまり、新規に出来たお店は今までの既存店の利益を奪うことによって、経営が成り立っていることになります。 新規のお店が利益を奪わなければ、既存店には毎月10人分の売り上げがあったのに、新規のお店が1人分の売り上げを取っていったことになります。

    このことから分かるのは、新規の美容室が経営が成り立つのは「周りの利益を奪う」ことにより成り立っていると言うことです。

    カット技術が良いとか~親切丁寧だとか~お店の雰囲気が良いなど、経営努力をしているからお客様に来てもらえると言うのは確かにあると思います。

    しかし、既存店の売り上げを奪っているから自分のお店が繁盛していることを頭に入れて、利益は自分だけのものじゃないから社会へ還元しようと言うのが、「富めるものは利益を分配せよ」という言葉の本当の意味なんです。

    いくら自分が努力していると言っても、「誰かが損をするから誰かが得をする」と言う経済の原理原則は覆せないのです。

    「自分の都合で物事を考えてはいけない。」 相手から見たら意見が違うという本質に気付いて、相手の都合に気が回るようになったら頭にくるとか~腹が立つということは無くなります。 怒ることは身体的にも精神的にも百害あって一理無しで、誰も良いことにはならないのです。

    お店を経営している人は何度も経験していると思いますが、予約のキャンセルなんかは相手の都合を考えるのに一番良い経験となります。 予約をしている人が遅刻したりキャンセルしたりするのは、お店側にとっては迷惑で痛手かもしれません。

    それは私も重々承知していますが、相手の立場に立ってみると気持ちが和らぐと思うのです。 もしかして家を出る時に子供が熱を出してしまったのかも…、もしかしてお店に向かう途中に事故に遭って病院かも…、もしかして家族の介護疲れで予約を忘れてしまったのかも…。

    自分からすると「ドタキャンされた!」とか「何で来ないの?」と思うかもしれないけれど、来れない事情が発生したのかもしれないと思いやれる気持ちは大切だと思うのです。

    私はキャンセル料は貰わないし、ドタキャンの連絡もしたい人はどうぞと言うスタンスです。 霊視ならキャンセルの有無は事前に分かるので、キャンセル料の徴収などは不要のはずです。 私がキャンセルについて思うのは「縁がなかった」と言うこと、それに加えて自分の魅力不足の反省をして仕方が無いと思うだけです。

    「正しいことがしたければ偉くなれ。」とは良い言葉ですが、今の私では予約が簡単に取れるレベルの占い師だからキャンセルされるだけだと思います。 もしも私の予約が3000人待ちとか4~5年待ちならば、キャンセルする人は減るかもしれません。 (取り敢えずの目標として、1200人待ち&1年待ちくらいにはなりたい…、かな?)

    仮に私が福山雅治さんとか天海祐希さんだったなら、会うことをキャンセルされることはありません。 つまり、私には会うだけの魅力が備わっていないだけで、予約をキャンセルされるのは私自身の魅力不足だと思うのです。

    このように相手の都合で物事を考えたなら、怒ることは格段に少なくなります。

    あなたは相手の都合、それを考えたことがありますか?

    (ミ ̄ー ̄ミ)ウフッ!

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    許せない過去

    私はお客様のお悩みに対してお答えすることはできるけれど、過去の想いに対してどうこうできるわけではありません。 人には歴史があり、そして人には想い出がさまざまにあふれ出しているのです。 周りから見ればどうでもないようなことが、本人にとってはものすごくトラウマとして残っていることだってあります。

    東京会場にお越しになったEさんはこれから新しい人生を迎えることになるのですが、結婚生活が上手く行くかどうか不安で未来のことを聞きに来られたのです。 Eさんもご主人となるDさんもとても仲が良くて、未来で離婚していることも無く大丈夫でした。 しかし、Eさんには幼い時のトラウマがあり、結婚生活自体に不安があったのです。

    Eさんと言うお客様はとても素敵な女性ですが、一緒に暮らしている母親は実の母親ではありません。 実の母親であるTさんはEさんと父親を捨てて、働いていた事務所の男性と駆け落ちしてしまったのです。

    Eさんはその時のことを今でも明確に覚えているそうですが、母親のTさんが駆け落ちした日はEさんの誕生日だったのです。 小学校から帰って母親が誕生日用のケーキとプレゼントを用意してくれているはずだったのに、幼い時の記念日が一瞬にして悪夢に代わったのです。

    小学生だったEさんはお母さんを必死で探したそうですが見つからず、大きくなって事情が分かり始めると「お母さんは私より、男を選んだんだ…。」と、Eさんは心に深いダメージを追いました。

    そして父親はFさんと言う女性と再婚したのですが、育ての親となるFさんは素晴らしい女性でした。 Eさんは何故か実の母親よりも育ての親であるFさんに、不思議と心を許して実の親子以上に仲良く通じ合えたのです。

    そして中学~高校~大学と進むうちに、実の母親よりも育ての母親であるFさんとの歴史の方が積み重ねられていました。 Fさんは後妻と言うことを感じさせない人で、いつもニコニコ笑顔でいる、とても素敵なお母さんでした。 Eさんは「私のお母さんは、この人だけ。」と、心に堅く決めていたのです。

    やがて大学を卒業して働き始めたEさんでしたが、会社の上司に勧められてお見合いをした相手はDさんと言う素敵な男性でした。 最初はどんな人かな~と人付き合いが苦手なEさんは躊躇していましたが、Dさんの優しくて温かい人柄に惹かれて恋に落ちて、お付き合いが始まり2年間付き合った後で結婚へと話しが決まりました。

    幸せな気持ちで一杯なEさんは結婚の準備を始めたのですが、その打ち合わせの時に父親がポツリとつぶやいたのです。

    「なぁ、あいつも呼んでやっていいか?」 Eさんは顔色が変わり、「お父さん、何でそんなこと言うの。 あの人は私たちを捨てて出て行ったのに、何でいまさら呼ばなきゃいけないの。 お父さんだって許せるの? 私は絶対に許せないから!」とものすごい剣幕でした。

    実はEさんには内緒で父親がFさんやDさんと話し合った結果、産みの母親であるTさんも式に呼んだ方がいいと言う結論になったそうです。 しかし、Eさんは幼い時の誕生日に起こった出来事を、忘れたかに見えても忘れられずに実の母親を憎んでいたのです。

    打ち合わせは一旦中止となりEさんが冷静になるのを待ってDさんが話したのは、実の母であるTさんが今はどういう生活をしているのかと言うことです。 実はDさんはEさんに内緒で、実の母親であるTさんに会いに行ったそうです。

    DさんがEさんに話したのは、駆け落ちした男性に捨てられて今はひとりで暮らしていることや、父親やFさんに許しを得て下着や服などをコッソリと贈っていたことなど、Tさんが申し訳ない気持ちで人生を生きていることを話しました。

    しかし、Eさんが急に許せるはずも無く、それからしばらくして父親に住所を聞いてEさんは母親のTさんに会いにいったそうです。 Eさんは文句を言ってやろうと戸を開けた時に見たTさんの姿は、とても細くて弱々しくなっていました。 その姿を見たEさんは、泣きながら思いの丈を言って飛び出したそうです。

    そして式の当日、Eさんは母を許したわけではありませんが、勝手にくるのは構わないとだけFさんに伝えていたのです。 FさんはTさんに会場へ入ってもらおうとしたのですが、Tさんは会場の片隅で良いと席に付くことは辞退されたのです。

    私は霊視で視えたことを伝えはしたけれど、それが実際に起こるまでは誰も現実感を得ることは出来ません。 しかし、Eさんが御相談に来られた時に、「過去との決別が、結婚生活が上手く行くかどうかの別れ道です。」とお伝えしていたのです。

    私はその場にいたわけではありませんが、式場の影からそっと見ていたTさんは娘であるEさんの晴れ姿を見ながら、それでやっと過去の自分と決別できたと思うのです。

    母親であるTさんが過去と決別できたのであれば、後は時間がEさんの気持ちも溶かしてくれるはずです。 Eさんは完全に許したわけではありませんが、いつかEさんが母親になった時に子供に対する愛情の深さが何も言わない道を選ばせたことに気が付くと思います。

    世の中には尊敬できる親もいれば、尊敬できない親もいます。 生まれてくることは自分の意思では選べませんし、生まれてくる親や環境も自分では選べません。 しかし、選べはしないけれど与えられた環境で精一杯生きていくことこそが、魂の修行になるのかもしれません。

    あなたは愛情の深さを、どう想っていますか?

    。。。ρ(-ω- ) イジイジ

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    染まらない。

    昔のことわざでも同じような人が集まることを、類は類を呼ぶとか友は友を呼ぶなどと表現します。 コレは今の自分がどういう状態にあるのかを知るのに一番手っ取り早い方法で、今の自分の周りにいる人が今の自分の立場を示していることが多いです。

    運の悪い人が多い時は、今の自分は運が悪いと考えます。
    運の良い人が多い時は、今の自分は運が良いと考えます。

    自分が生きている人生は如何様にでも努力次第で変えられるのですが、それは今の状態に甘んじるかどうかの差でもあります。 暗い方へ行けば暗くなるし、明るい方へ行けば明るくなる、これは簡単な原理ですが単純ゆえに行うのは難しいです。

    ただし、人は働かないと生きて行けないから仕事場でも絶対にそうかと言われると一概には言えないかもしれませんが、それでも大筋としては当たっていると思います。 会社自体は同じでやっていることもさほど違わないのに、天国に思えていた職場が部署移動するだけで地獄の様に感じるのが良い例です。

    人が本当に幸せを感じるのは物や環境や状況が主なのですが、最後にモノを言うのは心が一番重要だと思います。 今を自分が幸せだと思えたなら幸せですし、今を不幸だと思うのであれば不幸です。

    幸せと言うのは自分が作り出すものであり、それは意識がどう認識するかと言うことでもあります。 幸せ~幸せと言うけれど本当に幸せなのは平々凡々と日常が過ぎていくことであり、何も起こらないのは幸せなことです。

    もしも目が見えなければ「一目でいいから」とか「1分でいいから」などと、目が見えることがものすごく幸せになります。 普段は見えているからありがたみを感じないけれど、見えなくなったら見えることだけでありがたみを感じます。

    ある状態では不幸せに感じるけれど、ない状態では幸せに感じるのが真理なのかもしれません。

    私は今のような状況の置かれると、周りに良い人しか集まらなくなるので嫌だと思うこと自体が減ってきます。 神様じゃないからいつも平常心とまでは行きませんが、少なくとも以前居た場所よりも今の場所の方がかなり幸せです。 この事務所に嫌な人は来ないと断言してもいいくらいで、お越しいただく人は全て素晴らしい人だと信じています。

    これは全ての人に厳守していただきたいと思うのですが、少々の家賃の値引きに引かれてルームシェアリングするのは止めておいた方が無難です。 いくら家賃が安くても同じ場所を使用している人の運気に影響されたら、大いなる人生の無駄になると断言できます。

    今の事務所にお越しになるお客様や東京など出張先でお会いするお客様より、以前に比べて平和で温厚な雰囲気が出ているとよく言われます。

    つまり、世の為人の為に役に立ちたいと願って霊視カウンセラーをしている私でも、やはりイライラしたり自分だけ助かればと言うような人が側にいたら影響を受けてしまいます。 朱に交われば赤くなると言うことわざのように、いくら自分が白でいようとしても周りの人が黒色ならばドス黒い心に染まってしまうのです。

    私自身も気付かないうちに影響を受けていたように、自分の周りにいる人の考え方や生き方が影響して運気だけではなく精神状態にまで色々なことが作用すると思います。

    もしも自分の運気を向上させたいのであれば、運の良い人とお付き合いすることが一番の早道です。 占いなどで色々と運を良くする方法が書いてありますが、それをするよりも運の良い人と同じ行動をしたり同じ場所にいたりする方が、余程効果があって結果が早いと思います。

    例えば、流行らないお店よりも流行っているお店の方が運気を上げやすいし、ついてない人と遊ぶよりもついている人と遊ぶ方が、自分の未来を良い方へ変えるきっかけになります。 類は類を呼ぶと言うのであれば、それを逆手にとって運の良い人といることで自分も強制的に運の良い同類になってしまうのです。

    周りに染まらないと言うのは強い意志がいるかもしれませんが、それをくぐり抜けたなら未来はきっと幸せです。

    昔の話ですが、私が通った小学校は図書室に鍵を掛けて入室は許可制でした。 それは本を読むような子供はろくな大人にならないから、休み時間は外で遊べと言う規則があったからです。 その結果として私の同級生には漢字が苦手な人が結構いて、「岡山金陵ゴルフクラブ」を「おか・やま・きん…、なんとかゴルフクラブ!」と読んだりします。

    私の同級生で原付免許を25回落ちた人がいますが、それは問題に漢字が多かったのが原因です。 (これは本当に笑い事じゃなく、一歩間違えれば私も同じだったかもしれません。)

    もしも私が読書もせず周りに染まっていたら、漢字が苦手でブログを書くことすら難しかったと思います。

    あなたは周りに染まらず、自分を貫き通せていますか?

    (-O-;)タイヘンネ~?

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    八つ当たり。

    勘違いから起こる状況を運の悪さに混同してしまうのは、運命に対する八つ当たりでしかないのですが、人は自分のことしか考えられない時には八つ当たりしてしまうものなのです。 運命に八つ当たりしていたら、余り人生が良くなることはありません。

    しかし、残念ながら周りが見えていない時には八つ当たりして、ますます運を悪くしてしまう負のスパイラルにはまり込んでしまうのです。

    分かりやすく例えるにはお金の有る無しが一番早いのですが、お金が無くて将来が不安と言うのは、どうして不安なのかが大切な部分です。 働いていないからお金が無いのか、それとも収入以上に使うからお金が無いのか、お金がないと言う根底の原因を取り除かない限りは、お金が無いと言う不安は付きまといます。

    お金が無いと言う御相談を受けた時に年齢が上になるほど、「お金が無い&将来が不安」と言う人が増えるのは当たり前のように思いますが、本当は年齢を重ねるごとに幸せになっていくのは人の本来あるべき姿です。

    一概に絶対とは言えませんが、50歳以上でお金がないと言うのは生き方が間違っています。 これは本当に考え直さないといけないのですが、真面目に生きていたなら50歳以上になってお金に不自由するはずがありません。

    仮に20歳で社会に出たとして50歳まで働いたら、30年働いた計算になります。 そして毎月3万円貯めていたとしたら、36万円×30年=1080万円は貯まります。 しかし、実際にはボーナスもありますし~年齢と共にある程度は収入も上がっていくので、1500万円近くは貯金できます。

    少なく見積もっての金額ですから、真面目に働いていたら50歳以上の人が「お金が無い」なんて言うのは、少しおかしい話だと気付かないといけないのです。

    ここで言い訳をする人は色々言うのですが、家を建てたからお金が無いと言うなら「家と言う財産が残った」ことに感謝が足りないと思うのです。 子供を育てるのにお金が掛かったと言うのなら、「子供と言う素晴らしい愛」が大きく成長したのだから愛情が一杯貯金できているはずです。

    このようにお金が無いのは何かを得ているから、その分のお金が無いと言うのが正常な姿で、よくわからないけれどお金が無いと言うのは人生そのものが間違っている証拠です。

    私が御相談を受ける中でも返事に困るのが、「主人が働くのを嫌がるからお金が無くて将来が不安なので、働かずにお金を得る方法を教えて欲しい。」と言う御相談です。 これは冗談ではなく本気なので、私では答えようが無く気まずい思いだけが残ります。

    人生の歩み方は人それぞれだから、誰かが誰かに指図することは出来ません。 また、誰かの人生に助言するのはいいけれど、強制することも良くありません。

    今の自分と言うのは過去の自分の行いなどの蓄積が作り上げているのだから、未来だって今の自分がしていることの積み重ねで作られるのです。 不平不満を言っていたら、それが土台となって未来が作られるから、土台が不平不満で出来ていたら良い未来になるのは難しいです。

    しかし、明るい言葉や前向きな行動で未来の土台を作っていたら、自然とその上には明るい状態しか起こりません。 悲しいことや辛いことがあっても、基本は明るい土台なのですから一時的なことで済みます。

    人生を前向きに良いことばかり言っていたら、言霊が良いことを連れてきてくれると思うのです。 言霊と言うのは馬鹿にできないのですが、前向きなことを言う人には前向きな現象を起こしてくれます。

    暗い話や愚痴ばかり言う人は、それに伴う現象ばかり運命は起こすようになります。

    病気でもないのに病気になる話ばかりしていたら、元々は健康なのに病気になる未来を望んでいるのだと運命が勘違いしてしまいます。 親が健康でピンピンしているのに「介護が必要になったら、誰が面倒見るんだろう?」と介護の心配ばかりしているなら、元気なはずの親に介護が必要な状況になって欲しいと願っているようなものです。

    私のところにお越しになるお客様には、お帰りの時には元気な笑顔でお帰りになって欲しいと願っています。 せっかく大切なお時間とお金を使ってお越しいただくのですから、ああ言えばこう言うのを繰り返しているのは勿体無いと思うのです。

    あなたは運命に勘違い、もしくは八つ当たりをしていませんか?

    ヾ(^ o ^)ρ アハッ!

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    主とは。

    「主(あるじ)」とは辞書で引くと一家の長とか主人のことを言い、集団を統括する人のことを指し示します。 その主人とは一家の長とか一家の主のことを言うので、簡単に言うと一番偉い立場とも言えます。 (自称、偉いと言う主も多いようですが…。)

    特にマザコン系の男性に多いのですが、自分が料理も洗濯も何もしないで寝転んでいるだけと言うのも珍しくありません。 いかにも自分が「主」のような顔をして座っているのですが、これは日本が男尊女卑とか男子厨房に入らずなんて明治時代のような言葉が残っているせいもあります。

    しかし、この「主」と言う意味を誤解している男性が多いようで、自分で自分のことを「俺はこの家の主人だぞ!」とか「わしゃ~、この家の主だから大切にしろ!」なんて言うのは、馬鹿馬鹿しいにも程があるコントみたいなものです。

    私は色々なお客様の御相談を承っていると、結婚生活と言うのは難しいとも言えるし簡単とも言える、その状況変化は猫の目のようにくるくる変わる不確かなものだと思えてきます。 嫌いな者同士なら仕方がないけれど、結婚と言うのは本来は好き同士で結婚するのだから喧嘩になるはずが無いのです。

    少し思い出していただきたいのですが、初めてデートした日のドキドキした空や一緒に暮らし始めた時の嬉しさ、こういう恋の想い出をどこかに置き忘れているから感謝が足りなくなるのです。 感謝が足りないから有るものではなく無いものに目が行ってしまい、ついつい愚痴が出てしまうという悪循環になってしまいます。

    本当の結婚生活とは紆余曲折があるにせよ、瞳を閉じた時に悲しくて涙が出るようでは「主」失格であり、瞳を閉じてもまぶたに姿が浮かぶようでないと「主」が奥様を幸せに出来ることはありえないのです。

    私は「主」と言う言葉が余り好きではありませんが、それは口だけは達者と言うか立派なことを言うのですが何も出来ない人が多いから、日本の夫婦はおかしいと思えることが多々あります。

    今の日本では共働きは珍しくありませんが、共働きと言うのは呼んで字のごとく「共に働いている」と言うことです。 共に働いているのであれば、家事や育児など生活に関することも分担すればいいと思うのですが、何故か日本の夫婦は奥様ひとりがすることが多いので不思議です。

    私は嫁と言う言葉が好きじゃありませんが、「嫁に貰う」なんて言うのは人身売買じゃあるまいし、何時代のことを言っているのかと思います。 何かあれば「嫁にさせとけ。」とか「嫁だから仕方が無い。」など、嫁と言うのはそんなに四六時中倒れるまで外と内で動かなければならないのかと思います。

    「主」と言うのは誠に楽なのですが、仕事から帰っても風呂に入って出てきたら食事が用意されている、こんな贅沢で幸せなことを感謝もせずに「飯がまずい」とか「良いもの食わせろ」など、次から次へと贅沢なことばかり言うのは筋違いもはなはだしいです。

    休みの日だって釣りやゴルフやパチンコなど自分が好きなことに夢中で、仕事に行く時はぎりぎりまで寝ているくせに遊びとなると早起きするなんて、こんなことでは奥様や子供に尊敬してもらうのは無理に等しいです。

    おまけに夕方頃帰ってきて、「おい、俺は釣りに行って疲れてるんだから、早く飯にしてくれよ!」なんて得手勝手なことを言いますが、私に言わせればバカなことも休み休み言えとか~寝言は寝てから言えと説教したいくらいです。

    私は「主」に聞きたいのですが、釣りに行って疲れているとか~ゴルフで早く休みたいなど色々と言っているけれど、「誰が釣りに行けと言ったんですか?」とか「誰がゴルフに行けと命令しましたか?」などと聞きたいです。

    そう聞かれても答えようが無いと思いますが、「あなたが好きでしていることでしょう。」と言うのが私の見解です。 自分が好きで釣りやゴルフなどの遊びに行っておきながら、奥様や子供に感謝もせずに命令するのはトンチンカンなのもいい加減にしないとバカ丸出しです。

    釣りやゴルフなど自分の遊びに行くのであれば、「せっかくの休みに家族サービスもせずに申し訳ありません。」と謝ってから、自分の好きなことをするのが「主」足る者の筋の通し方です。

    休みの日に体を休めることが出来るのも奥様が家事全般をしてくれているからこそであり、奥様も普段は働いているのに嫌な顔ひとつせずに家のことをしてくれているのです。 そんなことも理解せずにブツブツ言うとか怒鳴ったりするのは、「主」と言うのは全く持って尊敬できない対象として置物に丁度いいかもしれません。

    「主」が食事も作れないし~ドコに何があるかも分からない、こんなことでは「主」と言うのも憚られると思うのですが、恥を知らない「主」では仕方がありません。

    あなたは主と言う存在に、何を期待できますか?

    "マッテェー、、、(ノ'')ノ "

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    目の付け所。

    目の付け所と言う言葉がありますが、会社やお店を繁盛させたり次々とアイディアを生み出せる人は、この目の付け所が違う場合が多いです。 しかし、目の付け所が違うと言っても見えないものが見えるのは特殊能力ではありません。 あくまで考え方や記憶による思考が違うだけで、何も特別なものではありません。

    最近はエコ~エコと言いますが、その流れのひとつが電気自動車です。 電気自動車の時代が来るのが分かっていながら、何も手を打たなかったのがGMやクライスラーなど連続で破綻して行っているメーカーです。

    電気自動車で排ガスも出さずに化石燃料であるガソリンを使わずに、これから主流になるのは目に見えています。 これは誰でも流れにより気が付いているので、別に目の付け所が違うとまでは言いません。

    ここでEVの元となる電池に目が行くのが、目の付け所になるのではないかと思います。

    私は今後の製造業では、携帯電話の電池を作っているメーカーが台風の目になると思いました。 携帯電話の電池を作っている各メーカーは、小さくて長時間使えると言うのを日夜研究しています。 昔の携帯電話はショルダーバッグくらいの大きさでしたが、これは電池の容量が大きく関係しています。

    通話は電力を食うので、どうしても大容量の電池が必要になります。 しかし、昔の技術では容量が大きくなるのは、自動的に質量の増加を意味するので大きくならざるを得ません。

    それを各メーカーは研究開発を進めてきて、いつの間にかあの大きさにまでしたのです。 昔はショルダーバッグだった電池の大きさが、今では名刺の半分くらいのサイズにまでなっているのです。 この技術を電気自動車に応用すれば、価格は下がるし~車体は軽くなるし~燃費も向上すると、良いこと尽くめで未来へ可能性がドンドンと広がります。

    そして、更には電池のメーカーが業績向上と言うことが誰に利益をもたらすかと言えば、メッキの下請工場が潤うようになります。

    電池のケースが液漏れしないように金型で継ぎ目のないケースを作る必要があるのですが、それにはメッキが丈夫ではげないことも条件のひとつです。 金型の絞り技術は色々な下請工場が出来るのですが、メッキの技術は出来るところと出来ないところの差が有ります。

    常日頃から目にしている携帯電話から電気自動車へ話が繋がるかどうか、そこから電池やメッキへ話が繋がるかどうかが目の付け所だと思うのです。

    目の付け所とは些細なことに注意できるかどうかであり、その為には興味を持てるかどうかだと思うのです。 興味を持てば自然と目が行くし、さらにどうしてそうなるのかと勉強する気にもなるのです。

    ここで男性に聞いてみたいのですが、「バウムクーヘン(バームクーヘン)」と言う焼き菓子の製法を聞いてみたら「知らない」と言う人がほとんどだと思います。 しかし、知らないと言うヒトコトで済ませる人と、そこから製法を調べて知識として得る人では大きな差が出ます。

    私はバウムクーヘンの年輪状の模様がどうして出来るのかが不思議でしたが、その製法を知ってからはなるほどと納得できました。 これは手作りの場合と自動で作る場合では製法が少し違うのですが、大量生産の方はパサパサして少し硬いけれど手作りの方はしっとりとして柔らかいと表現できます。

    何故違いが生まれるのかが手作りと自動の作り方の差で、本当に美味しいバウムクーヘンは口の中で蕩ける様な感じです。

    その作り方を知ったら「なるほど!」と思いますが、それを思いついた人が一番凄いと思います。 本当はバウムクーヘンだけのお店が出来るほど種類があるのですが、それも知らない人がSC事業部で企画を考えているようでは未来が暗いと思います。 私がこの秋にテナントを呼んでくるとしたら、名古屋か東京のバウムクーヘン専門店を呼んでくると思います。

    それ以外でも女性の髪形の違いにも面白い傾向があるのですが、関東と関西では女性の髪形の傾向が違うのに果たして何人の男性が気付いているのかと思います。

    私はデパートの売り場などを歩いている時に店員さんの髪型の傾向が明らかに違うことが不思議だったのですが、東京(東日本)の方では「縦長」の髪型が多く~大阪(西日本)では「横広」の髪型が多いと思います。

    つまり、東京(東日本)では髪の毛を上に盛ったり~肩幅以内に収めるようにしています。 しかし、大阪(西日本)の方では髪を円形に広げたり~肩幅以上に流したりしています。 この説明で分かりづらければ関東と関西のモデルさんや、小悪魔アゲハを比べて見れば一目瞭然で違いが判別できると思います。

    あなたは普段から、何のドコを見ていますか?

    ♪ヽ( ⌒o⌒)人(⌒-⌒ )v ♪

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