徒然草(占い・岡山・東京・霊視)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    ネオ屋台村。

    おはようございます。 無事に倉敷へ帰ってきて、鑑定を再開しております。 今日からブログも再開となりますので、よろしくお願い申し上げます。 また、予約の方も遠慮なくお気軽にお申し付けくださいね。

    私は御相談を承る中で商売を立て直す(上手く行かない&流行らない)と言うことだけではなく、新たに始める会社やお店についても御相談を受けます。 新たに始めると言うことは、その時代の流れを無視できない要素が絡んでくるのですが、建て直しも新規も成功していただきたいと言う願いに変わりはありません。

    御相談にお越しになる方とは基本的に、今の現状を何とかしたいと言う前向きな人だと考えています。 実は後ろ向きな人は相談自体に来ないので、これからどうすればいいのかと御相談にお越しになるのは前向きだからこそです。

    不況と言えば自動車販売を例に出すと分かりやすいのですが、昨今の自動車不況の中でも全然苦にしないディーラーもあれば、全く自動車が売れずに四苦八苦しているディーラーもあります。

    私は昨年の東京出張より某ディーラーの方が度々お越しいただいて、いくつか案も採用していただけたようですが、この会社の凄いところはド素人である私の意見をちゃんと議題に載せて、会社内で案を練り直して使えるようにしたところです。

    以前にも書いたのですが、4WDならばワンちゃんなどペット愛好家を狙うように言ったところ、このディーラーは土日にワンニャンショー的なことをしてペット愛好家などを引き寄せるようにしました。

    その次にお越しになった時に購入した後での満足感とセールス活動の為に、購入者の写真を撮ってパネルにして記念品贈呈の式典をしてくださいと提案しました。 これは納車の時に自己所有の満足感の増加に加えて、パネルにしてしまうと居間や玄関など人に見せるところに飾るようになります。

    パネルを人に見せるのであれば自動的に宣伝になるので、黙っていても自分のところの車とサービス内容を宣伝してもらえます。 このディーラーは東京都内のH系なんですが、私のところへお越しいただいた成果は上がっているようなので嬉しい限りです。

    ここ最近の東京出張で聞かれたらこうすればと思うアイディアがあるのですが、聞かれる時と思いつく時が必ずしも一致しているわけではありません。 ご相談がない以上は発揮しようがないので、もしも私が飲食店をするのであれば「何をするか?」と言うのを書いてみたいと思います。

    儲け度外視で行くのであれば、私はカフェ若しくはBARを出してみたいです。 BARを出すのであれば銀座に出してみたいし、カフェを出すのであれば神田川沿いに出してみたいのです。 (私はお酒を飲まないからこそ、お酒についてのことがよく見えると言う側面もあります。)

    しかし、儲けもきちんとあって生活もして行けると言う条件であれば、丸の内で屋台をすると思います。

    ここで言う屋台とはネオ屋台村のことで、東京国際フォーラムなど丸の内界隈のオフィス街では平日のランチタイムに、ネオ屋台村と言う軽トラを改造した個性的な料理とリーズナブルなプライスで丸の内のOLさんたちに大人気の屋台のことです。 昔ながらの赤提灯と言うのではなく、短時間で一気にすると言う作戦でやれます。

    ただし、各種パスタ~インド料理~ベトナム料理など、誰かが考え付くことは誰かに任せておけばいいと思います。

    私がするのであれば、その名も「ネコまんま亭」と看板を出してランチ戦争に切り込んでいくと思います。 ここで「ネコまんま?」と馬鹿にするなかれ、これが結構勝負になると思います。 これを読んでやろうと思う人がいたなら、遠慮なく参考にしていただきたいと思います。

    まず用意するのは5つの基本メニューで、肉系の豚汁と魚系の粗汁に加えて健康重視のなめこ汁、更には田舎風のけんちん汁に身体の温まる粕汁などです。 後はお好みに応じて削り節や彩りモノを丼にお付けして、最後にタクアンやキムチや奈良漬などのお漬物を用意しておきます。

    これはご飯を盛って汁を掛けるだけなので、人手が少なくて時間も掛かりません。 おまけに材料代も掛からないし、ランチにネコまんまなんて発想を普通はしないから競争相手もいません。 価格の方も、小=180円(女性向け)~中=280円(一般向け)~大=380円(量が欲しい人)など、金額も単純明快で利益率も高いと思います。

    丸の内のランチ戦争に参戦するのは、機会があればやって見たいことのひとつです。

    あなたはネコまんまを、馬鹿馬鹿しいと思いますか?

    (≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!

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    あなたの使命。

    人には生きる力が備わっているのですが、何故生きる力が備わっているのを考えてみると自分の状況において、不平不満は出てこなくなるかもしれません。 あなたが生まれてきたのは何かの意味があるのかもしれないし~意味はないのかもしれない、これは意味と言うことに重きを置くから小難しい話になってしまうのです。

    「ありがとう」と言う言葉が心地よく聞こえるのは、その言霊に感謝の力があるからです。 ありがとうの言葉を言われて嫌な気持ちになる人は余りいませんが、それが分かっているのにありがとうと言う言葉を使わないのは勿体無いと思うのです。

    ありがとうと言う言葉を美しく話そうとするのは、いくらでも素敵な声で奏でることが出来ます。 しかし、「バカヤロー!」とか「あほんだら!」など悪口や罵詈雑言を、美しく奏でることはプロの声楽家でもない限り難しいと思います。

    言葉には力があると言うのは、相手を傷つけることも励ますことも両方出来るから、諸刃の剣とも呼ばれるのです。

    あなたに生まれてきた役割があるとするのであれば、それは冷たい雪ではなく温かな光となる方が喜ばれると思うのです。 北風と太陽じゃないけれど、必要とされるとか喜んでもらえると言うのは、あなた自身が生まれてきた満足感を刺激すると思うのです。

    難しく考えなくてもいいからあなたの周りにいる人を、ホンの少しでいいから喜ばせてあげてください。 あなたの澄んだ瞳が優しく見つめるだけで、あなたの心優しい笑顔が向けられるだけで、あなたの思いやりのある行動が誰かを喜ばせることに繋がるのです。

    生きてきた環境と言うのは、その時点での生き方や考えに大きく左右します。

    職場でもドコでも同じですが、尊敬できる人が周りにいると心に張りができてきます。 どうして心に張りができてやる気が起こるかと言えば努力している人を見た時に、人は助けずにはいられないDNAが太古の昔より備わっているからです。

    花は誰に見られると意識しているわけでもないのに、与えられた環境で必死に芽を出して根を伸ばして、美しく咲き誇ろうと努力しています。 花は努力していると言う思いすらないのかもしれないけれど、生きる力はコンクリートすら打ち破って芽を出すのです。

    あなたが内に秘めている生きる力は、使わないままだと心が空しくなってきます。 あなたがあなたじゃないままでいるのに、生活が出来ていると言う理由だけで何も変えようとしないのであれば、それは心に何かが足りない気持ちがしてくるのは当たり前です。

    あなたの先にある光の中から何かが見えそうなのに、まぶしくて見えないのは自分が陰の方にいるからです。

    あなたの思う未来とは、今が良ければいいのかと言う自問自答の中に答えはあります。 音を立てて崩れてしまいそうな気持ちを必死でつなぎとめようとしても、心の中にあるあなたの可能性は嘘を吐くことを決して見逃そうとはしないのです。

    いくら目を背けようとしても気になって見てしまう、それはあなたが自分の可能性を押し留めることが出来なくなった証拠です。 やれるのにやらないのは、チャンスをくれた運命に対する大きな裏切りなのかもしれません。

    最初は誰でも一歩踏み出す勇気が出ないと思いますが、もしもそれが出来ないとしても勇気を持つことはできます。

    あなたの周りに夢を語る人がいれば否定せずに大いに応援してあげることで、夢を支援すると言う素晴らしいあなたが存在します。 夢を語る人を前にして否定するのは、自分にはできないと思っているから否定するのです。

    夢を語る人を大いに褒めてあげることで、あなたはひとつの徳を積んだことになります。 それは小さな一歩かもしれませんが、大きな可能性の扉をノックしたのと同じことなのです。 あなたが否定せずに応援してあげることで、あきらめかけた夢が再燃して勇気や元気を与えることだって可能です。

    遠すぎて見えない夢かもしれないけれど、捜し続けている人にとってのオアシスになってあげることはできます。 その一息入れることで充電したエネルギーは、あなたがいるからこそ充電できたことになるのです。

    人は生まれながらに生きる力を与えられているから、誰であろうとも自分で自分の寿命を決めることは出来ません。 自分で決められないのであれば、いつ果てるかも分からないのだから精一杯生きるのは、あなたの人生においてしなければならない最低限の使命です。

    あなたが生きる力とは、あなたを未来で待っている人がいることにも繋がるのです。

    あなたは自分の使命を、どのように考えていますか?

    ありがとさん (*^ - ^*)ゞ ポリポリ



    お知らせ:出張の為、ブログの更新は6月30日(火)より再開します。 いつもブログをお読みいただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    積み重ね。

    人は夢が叶うと嬉しいものですが、何もせずに叶うほど緩いものはありません。 誰かが成功すると「いいなぁ~。」と思うまではOKですが、それを妬んだり羨んだりする必要はありません。 それはあくまでその人の人生であり、自分の人生ではありません。

    自分の人生は自分が主人公なのですから、その筋書きは自分が書かないと始まりません。 その筋書きに嫌なことは書く必要はなく、良いことばかり書けば素敵な未来になると思うのです。

    誰かが成功した姿を見て思うことの前に、その人が成功するまでに積み重ねてきたものを見るようにする人が次の成功者となると思うのです。

    スポーツ選手がトレーニングもせずに成績が残せないと言ったら、「それは当たり前!」と突っ込みが入ると思います。 それじゃあ、練習すれば良いのにと思うかもしれませんが、その練習をすることこそが一番の苦労する部分なんです。

    メジャーリーガーのイチロー選手がヒットを打つと簡単に見えて、「あいつが出来るなら俺だって。」と思い海を渡った日本のプロ野球選手が、どれだけメジャーで苦労しているかを見れば一目瞭然です。

    普通の選手は間違いなく見落としているのですが、TVやスポーツニュースではイチロー選手の豪勢な自宅や生活環境、それに加えて年棒がどうのこうのと言うハード面ばかりを映し出します。 しかし、肝心のソフト面である練習量や試合に出る為の準備部分を見ていないのです。

    仰木監督が生きていた頃にイチロー選手について聞かれた時に答えていたことで、ナカナカ興味深いヒトコトがあります。

    仰木監督曰く、「彼くらい練習していたら、アレだけの成績を残すことも可能だろう。」と言っていて、才能がどうのとはひとつも言っていません。 仰木監督は二軍時代からイチロー選手の練習量を評価していて、世間のように才能の部分を評価していたわけではありません。

    だからこそ、こうも言っています。 「もっとも、彼くらい練習することができないだろうけどね。」 つまり、才能も必要かもしれないけれど、それよりも日頃の積み重ねである練習が大切だと仰木監督は言っているのです。

    そして日本のプロ野球選手とイチロー選手の違いはもうひとつあって、それは用具を大切にすることです。

    日本のプロ野球選手は用具をタダで提供してもらった上に、CMスポンサー料まで貰っているので用具を大切にしません。 自分では手入れもせずに傷んだら新しいのに交換すると言う繰り返しで、グローブやバットに対する愛着や感謝なんて一欠けらもありません。

    だからプロ野球中継を見ていても、ベンチに戻った選手がグローブを投げたりバットを地面に叩きつけたり、D球団の某投手なんかベンチを殴って手を骨折して一年間休んだこともあります。 (その選手は年末の年棒交渉で弁護士同伴で年棒を下げないように徹底抗戦して、休んでいたのに結果として現状維持を勝ち取りました。)

    ところがイチロー選手は用具の手入れは全部自分でして他人に任せるなんてしませんし、グローブもバットも使えなくなるまで大切に使用します。 なんとオリックス時代のベルトをいまだに使用しているのですから、物持ちと言う点でも他の選手とは比較すること自体が失礼に当たります。

    誰もが最初は初心者なのですから、そんなに上手く行くわけがありません。 小さなことから積み上げていく気持ちの強さこそが、どんなことがあっても気持ちの張りを失わないでいることが、やがて大きなことを成し遂げることになるのです。

    確かに色々とやっても成果が出なかったり、評価されなくて悔しい思いをしたり、どうしてこうなんだろうと悩むこともあると思います。 しかし、トップクラスだって最初からトップクラスと言うわけでもなく、コツコツと目の前にあることをクリアしたからこそ今があるのです。

    技術と言うのは練習量がモノを言うのですが、その練習も普通に練習するだけではなく実戦における場数も大切です。 10回練習するよりも1回の実戦と言うくらい、本番で得るものは大きいものです。 (本番に臨んで調子が悪くなるなんてありえなく、得るモノの方が大きいのです。)

    WBCに出たから調子が悪いと言い訳して、開幕3ヶ月で早くも休みに入った年棒総額60億円の投手もいますが、WBCに出ていてもイチロー選手やダルビッシュ選手などは絶好調なので、いかに自分に対する厳しさや自己管理の差が出ているのか推して知るべしです。

    どうなるだろうかと言う不安な気持ちは理解できますが、やらなければ何も始まらないのです。 実戦を不安に思うのは当たり前ですが、その不安を払拭する為には積み重ねしかありません。

    あなたは積み重ねる力の凄さを、自分で確認したいと思いませんか?

    "ヾ(^O^ )ノ..( シ^O^)ノ" フレーフレー

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    心意気。

    心意気と言う言葉がありますが、人は心に感動を受けた時に大きく成長できます。 尊敬する人や目標とする人から言葉を掛けられて、その内容が励ましだったらどんなに嬉しいことかと思います。 何歳であろうとも~どんな立場であろうとも余程のひねくれた人で無い限りは、励ましや賞賛の言葉を掛けられて怒るなんて人はいません。

    厳密に言うと「励ましなんかいらない、それより仕事と金の方が大事で、見せ掛けの言葉なんか要らない。」と言う某経営者みたいな人もいますが、心が荒んでいる人には何を言っても逆手に取るので無駄なのです。

    こう言う人は相手にしなくてもいいので、心が元気になる言葉や前向きになれるヒトコトは、相手を喜ばすのだから悪いことじゃないと思うのです。 言葉と言うのは取り消せないし、空中に留めて置けるものでもないので難しい面もあれば容易い面もあります。 簡単に発することが出来るが故に使い方を誤れば凶器にもなるし、その逆に励ましなどの勇気の元ともなりうるのです。

    私は損得勘定で動くことは良しとしないのですが、人はツイツイ損得勘定で動くことがあります。 社会生活である以上は生きていかないといけないから損得勘定は仕方が無いけれど、余分に儲ける必要も無いと思うのです。

    先日の新型インフルエンザが良い例で、マスクが必要で足りない状況が分かっているのに値段を吊り上げている人がかなり多かったと思います。

    不足気味だから値段が上がると見込んでネットオークションにも出品したりして、ここぞとばかりに儲けようとするのは商業的には正解かもしれません。 私にはとてもそんなあくどいことはできませんが、心意気を失っている人には悪いと言う感覚すらないのです。

    しかし、目の前の人が困っているのに儲けようとするのは、人として心意気を感じられないと思うのです。

    苦しくて困っている人に定価よりも高く売りつけようとする人に、自分がされたらどう思うのかを聞いてみたい気もします。 何故なら、足りなくて困っている時にマスクを高値で売ろうとする人は、自分が困っている時には相手を非難すると言う自分勝手な面を持っているからです。

    心意気とは古い言葉かもしれませんが、気だてが良いとかさっぱりしているなど清々しい面を言います。 そして物事に積極的に取り組もうとする気構えや意気込みなどの気概を表す言葉でもあり、真実な気持ちが根底にあることを心意気と言います。

    日本はどうこう言っても良い国だし、諸外国に比べて災害や経済危機は格段に少ないです。 それは争わずに穏便に済ませる行いが、運命から見て清々しい行いに見えるからだと思います。 諸外国は自分の要求を通して相手の言い分は聞かないと言う国が多いので、日本はまだまだ捨てたもんじゃないと思うのです。

    心意気がある商人は儲けることと社会貢献は両輪であり、どちらもするからこそ心意気を感じる魅力ある人物になれるのです。 今の三越では見る影もありませんが、昔の三越は心意気を感じさせるエピソードが山のようにあります。

    日本橋にある三越はお客様に対する扱いにおいて、日本一と言っていいくらい凄いものがありますが、それはお金持ちに対してだけではなく来店するお客様の全てにしていたからこそ伝説が生まれるのです。

    ある時のこと、三越で金時計を買った人が周りの人に「偽者だ」と言われて疑心暗鬼になって、三越に文句を言いに来ました。 紛れも無く本物の金時計なのですが、金を見たことが無い人からするとメッキか金かの見分けがつかなかったのです。

    そこで三越の店員さんは、その時計をノコで半分に切断して中身まで金であることを証明した上で、それと同じ金時計をクレームを付けたお客様にお渡ししたことがあります。

    今ではとても出来ない応対ですが昔の日本橋三越には器量の大きな店員さんと、それを良しとする太っ腹の経営陣がいたからこその話です。 こう言う誠の部分、それをキチンと貫ける精神は心意気として素晴らしいと思います。

    私は7月(5/6)に札幌へ出張しますが、今の北海道は元気がないので少しでも元気になっていただければと思います。 私ひとりが行ってどうなるものでもありませんが、何もしないより少しでも何かをした方が未来は変わると思うのです。 (次回の札幌は、9月を予定しています。)

    私が行くことで心が救われる人がいて必要とされているのなら、赤字になるとか経費が出ないなどセコイこと言わずに相手が喜ぶことをしてもいいと思うのです。 素敵な霊視カウンセラーを目指す私としては、他の人が出来ないのであれば自分がやると言う心意気は常に持っていたいと思います。

    札幌も駅前にある札幌西武が閉店してしまうから、働く場所が無くなって困る人が大勢出てきます。 ここで「よし、ウチが出店して雇用を守ろう!」と言う心意気のあるデパートがあれば、「団塊の世代もナカナカ、捨てたもんじゃない。」と思えるようになります。

    出店の権限があるのは50代以上の男性役員でしょうが、細かい損得勘定ばかりせずに心意気を示してもいいんじゃないかと思うのです。 景気が良い時に出店できるのは当たり前のことであり、不況の今だからこそ出店するのが「男じゃないか?」と思うのです。

    あなたは心意気を、どのように感じますか?

    ( ^ー゜)b やるじゃん!

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    相手の都合。

    仕方がないことですが自分にとって都合の悪いことが起こると凹んでしまうのですが、理想はいつもニコニコしていることです。 凹まないようにはしていても、それが自分中心に考えているから凹むだけだと気付けない間は、そう簡単に元気で前向きとは行かないようです。

    何かが起こる時にはプラスとマイナスが引き合っているのだから、プラスの出来事があればマイナスの出来事も待っています。

    プラスの出来事が10回起こるならば、マイナスの出来事が10回起こっても仕方がありません。 自分にとって都合の良い出来事は大歓迎で、都合の悪いことはお断りなんて言うのは自分勝手な思いになります。

    私は経営者に厳しい意見を言うことが多いのですが、経営者たるもの周りをよく見る必要があるから厳しい意見も取り入れないといけないのです。 自分のお店だけが流行ればいいとか、自分のところだけ儲かればいいなんていうのはさもしい考えです。 しかし、このさもしい考えでいる経営者に多いから、いざ不況となった時には何の手も打てないのです。

    お店が繁盛すると言うのは自分の利益だけ考えてはいけないのですが、何故自分のお店なのに自分の利益だけを考えてはいけないのか、それが理解できていない経営者が多いのには驚きます。

    美容室を例にとって説明すると、倉敷市に10軒の美容室があったとします。 そして倉敷市の人口が100人だったとしたら「100人÷10軒=10人」なので、1軒当たりのお客様は10人と言う計算になります。

    それで今までは均衡が保たれていたのに、そこへ新規のお店が1軒増えたとします。 すると「100人÷11軒=約9人(9.09人)」となり、今まで毎月10人のお客様が来ていたのに、新規のお店が出来たばかりに9人となりました。 そうなると今までよりも売り上げが減るので、当然のことながら利益も減ることになります。

    つまり、新規に出来たお店は今までの既存店の利益を奪うことによって、経営が成り立っていることになります。 新規のお店が利益を奪わなければ、既存店には毎月10人分の売り上げがあったのに、新規のお店が1人分の売り上げを取っていったことになります。

    このことから分かるのは、新規の美容室が経営が成り立つのは「周りの利益を奪う」ことにより成り立っていると言うことです。

    カット技術が良いとか~親切丁寧だとか~お店の雰囲気が良いなど、経営努力をしているからお客様に来てもらえると言うのは確かにあると思います。

    しかし、既存店の売り上げを奪っているから自分のお店が繁盛していることを頭に入れて、利益は自分だけのものじゃないから社会へ還元しようと言うのが、「富めるものは利益を分配せよ」という言葉の本当の意味なんです。

    いくら自分が努力していると言っても、「誰かが損をするから誰かが得をする」と言う経済の原理原則は覆せないのです。

    「自分の都合で物事を考えてはいけない。」 相手から見たら意見が違うという本質に気付いて、相手の都合に気が回るようになったら頭にくるとか~腹が立つということは無くなります。 怒ることは身体的にも精神的にも百害あって一理無しで、誰も良いことにはならないのです。

    お店を経営している人は何度も経験していると思いますが、予約のキャンセルなんかは相手の都合を考えるのに一番良い経験となります。 予約をしている人が遅刻したりキャンセルしたりするのは、お店側にとっては迷惑で痛手かもしれません。

    それは私も重々承知していますが、相手の立場に立ってみると気持ちが和らぐと思うのです。 もしかして家を出る時に子供が熱を出してしまったのかも…、もしかしてお店に向かう途中に事故に遭って病院かも…、もしかして家族の介護疲れで予約を忘れてしまったのかも…。

    自分からすると「ドタキャンされた!」とか「何で来ないの?」と思うかもしれないけれど、来れない事情が発生したのかもしれないと思いやれる気持ちは大切だと思うのです。

    私はキャンセル料は貰わないし、ドタキャンの連絡もしたい人はどうぞと言うスタンスです。 霊視ならキャンセルの有無は事前に分かるので、キャンセル料の徴収などは不要のはずです。 私がキャンセルについて思うのは「縁がなかった」と言うこと、それに加えて自分の魅力不足の反省をして仕方が無いと思うだけです。

    「正しいことがしたければ偉くなれ。」とは良い言葉ですが、今の私では予約が簡単に取れるレベルの占い師だからキャンセルされるだけだと思います。 もしも私の予約が3000人待ちとか4~5年待ちならば、キャンセルする人は減るかもしれません。 (取り敢えずの目標として、1200人待ち&1年待ちくらいにはなりたい…、かな?)

    仮に私が福山雅治さんとか天海祐希さんだったなら、会うことをキャンセルされることはありません。 つまり、私には会うだけの魅力が備わっていないだけで、予約をキャンセルされるのは私自身の魅力不足だと思うのです。

    このように相手の都合で物事を考えたなら、怒ることは格段に少なくなります。

    あなたは相手の都合、それを考えたことがありますか?

    (ミ ̄ー ̄ミ)ウフッ!

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    許せない過去

    私はお客様のお悩みに対してお答えすることはできるけれど、過去の想いに対してどうこうできるわけではありません。 人には歴史があり、そして人には想い出がさまざまにあふれ出しているのです。 周りから見ればどうでもないようなことが、本人にとってはものすごくトラウマとして残っていることだってあります。

    東京会場にお越しになったEさんはこれから新しい人生を迎えることになるのですが、結婚生活が上手く行くかどうか不安で未来のことを聞きに来られたのです。 Eさんもご主人となるDさんもとても仲が良くて、未来で離婚していることも無く大丈夫でした。 しかし、Eさんには幼い時のトラウマがあり、結婚生活自体に不安があったのです。

    Eさんと言うお客様はとても素敵な女性ですが、一緒に暮らしている母親は実の母親ではありません。 実の母親であるTさんはEさんと父親を捨てて、働いていた事務所の男性と駆け落ちしてしまったのです。

    Eさんはその時のことを今でも明確に覚えているそうですが、母親のTさんが駆け落ちした日はEさんの誕生日だったのです。 小学校から帰って母親が誕生日用のケーキとプレゼントを用意してくれているはずだったのに、幼い時の記念日が一瞬にして悪夢に代わったのです。

    小学生だったEさんはお母さんを必死で探したそうですが見つからず、大きくなって事情が分かり始めると「お母さんは私より、男を選んだんだ…。」と、Eさんは心に深いダメージを追いました。

    そして父親はFさんと言う女性と再婚したのですが、育ての親となるFさんは素晴らしい女性でした。 Eさんは何故か実の母親よりも育ての親であるFさんに、不思議と心を許して実の親子以上に仲良く通じ合えたのです。

    そして中学~高校~大学と進むうちに、実の母親よりも育ての母親であるFさんとの歴史の方が積み重ねられていました。 Fさんは後妻と言うことを感じさせない人で、いつもニコニコ笑顔でいる、とても素敵なお母さんでした。 Eさんは「私のお母さんは、この人だけ。」と、心に堅く決めていたのです。

    やがて大学を卒業して働き始めたEさんでしたが、会社の上司に勧められてお見合いをした相手はDさんと言う素敵な男性でした。 最初はどんな人かな~と人付き合いが苦手なEさんは躊躇していましたが、Dさんの優しくて温かい人柄に惹かれて恋に落ちて、お付き合いが始まり2年間付き合った後で結婚へと話しが決まりました。

    幸せな気持ちで一杯なEさんは結婚の準備を始めたのですが、その打ち合わせの時に父親がポツリとつぶやいたのです。

    「なぁ、あいつも呼んでやっていいか?」 Eさんは顔色が変わり、「お父さん、何でそんなこと言うの。 あの人は私たちを捨てて出て行ったのに、何でいまさら呼ばなきゃいけないの。 お父さんだって許せるの? 私は絶対に許せないから!」とものすごい剣幕でした。

    実はEさんには内緒で父親がFさんやDさんと話し合った結果、産みの母親であるTさんも式に呼んだ方がいいと言う結論になったそうです。 しかし、Eさんは幼い時の誕生日に起こった出来事を、忘れたかに見えても忘れられずに実の母親を憎んでいたのです。

    打ち合わせは一旦中止となりEさんが冷静になるのを待ってDさんが話したのは、実の母であるTさんが今はどういう生活をしているのかと言うことです。 実はDさんはEさんに内緒で、実の母親であるTさんに会いに行ったそうです。

    DさんがEさんに話したのは、駆け落ちした男性に捨てられて今はひとりで暮らしていることや、父親やFさんに許しを得て下着や服などをコッソリと贈っていたことなど、Tさんが申し訳ない気持ちで人生を生きていることを話しました。

    しかし、Eさんが急に許せるはずも無く、それからしばらくして父親に住所を聞いてEさんは母親のTさんに会いにいったそうです。 Eさんは文句を言ってやろうと戸を開けた時に見たTさんの姿は、とても細くて弱々しくなっていました。 その姿を見たEさんは、泣きながら思いの丈を言って飛び出したそうです。

    そして式の当日、Eさんは母を許したわけではありませんが、勝手にくるのは構わないとだけFさんに伝えていたのです。 FさんはTさんに会場へ入ってもらおうとしたのですが、Tさんは会場の片隅で良いと席に付くことは辞退されたのです。

    私は霊視で視えたことを伝えはしたけれど、それが実際に起こるまでは誰も現実感を得ることは出来ません。 しかし、Eさんが御相談に来られた時に、「過去との決別が、結婚生活が上手く行くかどうかの別れ道です。」とお伝えしていたのです。

    私はその場にいたわけではありませんが、式場の影からそっと見ていたTさんは娘であるEさんの晴れ姿を見ながら、それでやっと過去の自分と決別できたと思うのです。

    母親であるTさんが過去と決別できたのであれば、後は時間がEさんの気持ちも溶かしてくれるはずです。 Eさんは完全に許したわけではありませんが、いつかEさんが母親になった時に子供に対する愛情の深さが何も言わない道を選ばせたことに気が付くと思います。

    世の中には尊敬できる親もいれば、尊敬できない親もいます。 生まれてくることは自分の意思では選べませんし、生まれてくる親や環境も自分では選べません。 しかし、選べはしないけれど与えられた環境で精一杯生きていくことこそが、魂の修行になるのかもしれません。

    あなたは愛情の深さを、どう想っていますか?

    。。。ρ(-ω- ) イジイジ

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    染まらない。

    昔のことわざでも同じような人が集まることを、類は類を呼ぶとか友は友を呼ぶなどと表現します。 コレは今の自分がどういう状態にあるのかを知るのに一番手っ取り早い方法で、今の自分の周りにいる人が今の自分の立場を示していることが多いです。

    運の悪い人が多い時は、今の自分は運が悪いと考えます。
    運の良い人が多い時は、今の自分は運が良いと考えます。

    自分が生きている人生は如何様にでも努力次第で変えられるのですが、それは今の状態に甘んじるかどうかの差でもあります。 暗い方へ行けば暗くなるし、明るい方へ行けば明るくなる、これは簡単な原理ですが単純ゆえに行うのは難しいです。

    ただし、人は働かないと生きて行けないから仕事場でも絶対にそうかと言われると一概には言えないかもしれませんが、それでも大筋としては当たっていると思います。 会社自体は同じでやっていることもさほど違わないのに、天国に思えていた職場が部署移動するだけで地獄の様に感じるのが良い例です。

    人が本当に幸せを感じるのは物や環境や状況が主なのですが、最後にモノを言うのは心が一番重要だと思います。 今を自分が幸せだと思えたなら幸せですし、今を不幸だと思うのであれば不幸です。

    幸せと言うのは自分が作り出すものであり、それは意識がどう認識するかと言うことでもあります。 幸せ~幸せと言うけれど本当に幸せなのは平々凡々と日常が過ぎていくことであり、何も起こらないのは幸せなことです。

    もしも目が見えなければ「一目でいいから」とか「1分でいいから」などと、目が見えることがものすごく幸せになります。 普段は見えているからありがたみを感じないけれど、見えなくなったら見えることだけでありがたみを感じます。

    ある状態では不幸せに感じるけれど、ない状態では幸せに感じるのが真理なのかもしれません。

    私は今のような状況の置かれると、周りに良い人しか集まらなくなるので嫌だと思うこと自体が減ってきます。 神様じゃないからいつも平常心とまでは行きませんが、少なくとも以前居た場所よりも今の場所の方がかなり幸せです。 この事務所に嫌な人は来ないと断言してもいいくらいで、お越しいただく人は全て素晴らしい人だと信じています。

    これは全ての人に厳守していただきたいと思うのですが、少々の家賃の値引きに引かれてルームシェアリングするのは止めておいた方が無難です。 いくら家賃が安くても同じ場所を使用している人の運気に影響されたら、大いなる人生の無駄になると断言できます。

    今の事務所にお越しになるお客様や東京など出張先でお会いするお客様より、以前に比べて平和で温厚な雰囲気が出ているとよく言われます。

    つまり、世の為人の為に役に立ちたいと願って霊視カウンセラーをしている私でも、やはりイライラしたり自分だけ助かればと言うような人が側にいたら影響を受けてしまいます。 朱に交われば赤くなると言うことわざのように、いくら自分が白でいようとしても周りの人が黒色ならばドス黒い心に染まってしまうのです。

    私自身も気付かないうちに影響を受けていたように、自分の周りにいる人の考え方や生き方が影響して運気だけではなく精神状態にまで色々なことが作用すると思います。

    もしも自分の運気を向上させたいのであれば、運の良い人とお付き合いすることが一番の早道です。 占いなどで色々と運を良くする方法が書いてありますが、それをするよりも運の良い人と同じ行動をしたり同じ場所にいたりする方が、余程効果があって結果が早いと思います。

    例えば、流行らないお店よりも流行っているお店の方が運気を上げやすいし、ついてない人と遊ぶよりもついている人と遊ぶ方が、自分の未来を良い方へ変えるきっかけになります。 類は類を呼ぶと言うのであれば、それを逆手にとって運の良い人といることで自分も強制的に運の良い同類になってしまうのです。

    周りに染まらないと言うのは強い意志がいるかもしれませんが、それをくぐり抜けたなら未来はきっと幸せです。

    昔の話ですが、私が通った小学校は図書室に鍵を掛けて入室は許可制でした。 それは本を読むような子供はろくな大人にならないから、休み時間は外で遊べと言う規則があったからです。 その結果として私の同級生には漢字が苦手な人が結構いて、「岡山金陵ゴルフクラブ」を「おか・やま・きん…、なんとかゴルフクラブ!」と読んだりします。

    私の同級生で原付免許を25回落ちた人がいますが、それは問題に漢字が多かったのが原因です。 (これは本当に笑い事じゃなく、一歩間違えれば私も同じだったかもしれません。)

    もしも私が読書もせず周りに染まっていたら、漢字が苦手でブログを書くことすら難しかったと思います。

    あなたは周りに染まらず、自分を貫き通せていますか?

    (-O-;)タイヘンネ~?

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    八つ当たり。

    勘違いから起こる状況を運の悪さに混同してしまうのは、運命に対する八つ当たりでしかないのですが、人は自分のことしか考えられない時には八つ当たりしてしまうものなのです。 運命に八つ当たりしていたら、余り人生が良くなることはありません。

    しかし、残念ながら周りが見えていない時には八つ当たりして、ますます運を悪くしてしまう負のスパイラルにはまり込んでしまうのです。

    分かりやすく例えるにはお金の有る無しが一番早いのですが、お金が無くて将来が不安と言うのは、どうして不安なのかが大切な部分です。 働いていないからお金が無いのか、それとも収入以上に使うからお金が無いのか、お金がないと言う根底の原因を取り除かない限りは、お金が無いと言う不安は付きまといます。

    お金が無いと言う御相談を受けた時に年齢が上になるほど、「お金が無い&将来が不安」と言う人が増えるのは当たり前のように思いますが、本当は年齢を重ねるごとに幸せになっていくのは人の本来あるべき姿です。

    一概に絶対とは言えませんが、50歳以上でお金がないと言うのは生き方が間違っています。 これは本当に考え直さないといけないのですが、真面目に生きていたなら50歳以上になってお金に不自由するはずがありません。

    仮に20歳で社会に出たとして50歳まで働いたら、30年働いた計算になります。 そして毎月3万円貯めていたとしたら、36万円×30年=1080万円は貯まります。 しかし、実際にはボーナスもありますし~年齢と共にある程度は収入も上がっていくので、1500万円近くは貯金できます。

    少なく見積もっての金額ですから、真面目に働いていたら50歳以上の人が「お金が無い」なんて言うのは、少しおかしい話だと気付かないといけないのです。

    ここで言い訳をする人は色々言うのですが、家を建てたからお金が無いと言うなら「家と言う財産が残った」ことに感謝が足りないと思うのです。 子供を育てるのにお金が掛かったと言うのなら、「子供と言う素晴らしい愛」が大きく成長したのだから愛情が一杯貯金できているはずです。

    このようにお金が無いのは何かを得ているから、その分のお金が無いと言うのが正常な姿で、よくわからないけれどお金が無いと言うのは人生そのものが間違っている証拠です。

    私が御相談を受ける中でも返事に困るのが、「主人が働くのを嫌がるからお金が無くて将来が不安なので、働かずにお金を得る方法を教えて欲しい。」と言う御相談です。 これは冗談ではなく本気なので、私では答えようが無く気まずい思いだけが残ります。

    人生の歩み方は人それぞれだから、誰かが誰かに指図することは出来ません。 また、誰かの人生に助言するのはいいけれど、強制することも良くありません。

    今の自分と言うのは過去の自分の行いなどの蓄積が作り上げているのだから、未来だって今の自分がしていることの積み重ねで作られるのです。 不平不満を言っていたら、それが土台となって未来が作られるから、土台が不平不満で出来ていたら良い未来になるのは難しいです。

    しかし、明るい言葉や前向きな行動で未来の土台を作っていたら、自然とその上には明るい状態しか起こりません。 悲しいことや辛いことがあっても、基本は明るい土台なのですから一時的なことで済みます。

    人生を前向きに良いことばかり言っていたら、言霊が良いことを連れてきてくれると思うのです。 言霊と言うのは馬鹿にできないのですが、前向きなことを言う人には前向きな現象を起こしてくれます。

    暗い話や愚痴ばかり言う人は、それに伴う現象ばかり運命は起こすようになります。

    病気でもないのに病気になる話ばかりしていたら、元々は健康なのに病気になる未来を望んでいるのだと運命が勘違いしてしまいます。 親が健康でピンピンしているのに「介護が必要になったら、誰が面倒見るんだろう?」と介護の心配ばかりしているなら、元気なはずの親に介護が必要な状況になって欲しいと願っているようなものです。

    私のところにお越しになるお客様には、お帰りの時には元気な笑顔でお帰りになって欲しいと願っています。 せっかく大切なお時間とお金を使ってお越しいただくのですから、ああ言えばこう言うのを繰り返しているのは勿体無いと思うのです。

    あなたは運命に勘違い、もしくは八つ当たりをしていませんか?

    ヾ(^ o ^)ρ アハッ!

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    主とは。

    「主(あるじ)」とは辞書で引くと一家の長とか主人のことを言い、集団を統括する人のことを指し示します。 その主人とは一家の長とか一家の主のことを言うので、簡単に言うと一番偉い立場とも言えます。 (自称、偉いと言う主も多いようですが…。)

    特にマザコン系の男性に多いのですが、自分が料理も洗濯も何もしないで寝転んでいるだけと言うのも珍しくありません。 いかにも自分が「主」のような顔をして座っているのですが、これは日本が男尊女卑とか男子厨房に入らずなんて明治時代のような言葉が残っているせいもあります。

    しかし、この「主」と言う意味を誤解している男性が多いようで、自分で自分のことを「俺はこの家の主人だぞ!」とか「わしゃ~、この家の主だから大切にしろ!」なんて言うのは、馬鹿馬鹿しいにも程があるコントみたいなものです。

    私は色々なお客様の御相談を承っていると、結婚生活と言うのは難しいとも言えるし簡単とも言える、その状況変化は猫の目のようにくるくる変わる不確かなものだと思えてきます。 嫌いな者同士なら仕方がないけれど、結婚と言うのは本来は好き同士で結婚するのだから喧嘩になるはずが無いのです。

    少し思い出していただきたいのですが、初めてデートした日のドキドキした空や一緒に暮らし始めた時の嬉しさ、こういう恋の想い出をどこかに置き忘れているから感謝が足りなくなるのです。 感謝が足りないから有るものではなく無いものに目が行ってしまい、ついつい愚痴が出てしまうという悪循環になってしまいます。

    本当の結婚生活とは紆余曲折があるにせよ、瞳を閉じた時に悲しくて涙が出るようでは「主」失格であり、瞳を閉じてもまぶたに姿が浮かぶようでないと「主」が奥様を幸せに出来ることはありえないのです。

    私は「主」と言う言葉が余り好きではありませんが、それは口だけは達者と言うか立派なことを言うのですが何も出来ない人が多いから、日本の夫婦はおかしいと思えることが多々あります。

    今の日本では共働きは珍しくありませんが、共働きと言うのは呼んで字のごとく「共に働いている」と言うことです。 共に働いているのであれば、家事や育児など生活に関することも分担すればいいと思うのですが、何故か日本の夫婦は奥様ひとりがすることが多いので不思議です。

    私は嫁と言う言葉が好きじゃありませんが、「嫁に貰う」なんて言うのは人身売買じゃあるまいし、何時代のことを言っているのかと思います。 何かあれば「嫁にさせとけ。」とか「嫁だから仕方が無い。」など、嫁と言うのはそんなに四六時中倒れるまで外と内で動かなければならないのかと思います。

    「主」と言うのは誠に楽なのですが、仕事から帰っても風呂に入って出てきたら食事が用意されている、こんな贅沢で幸せなことを感謝もせずに「飯がまずい」とか「良いもの食わせろ」など、次から次へと贅沢なことばかり言うのは筋違いもはなはだしいです。

    休みの日だって釣りやゴルフやパチンコなど自分が好きなことに夢中で、仕事に行く時はぎりぎりまで寝ているくせに遊びとなると早起きするなんて、こんなことでは奥様や子供に尊敬してもらうのは無理に等しいです。

    おまけに夕方頃帰ってきて、「おい、俺は釣りに行って疲れてるんだから、早く飯にしてくれよ!」なんて得手勝手なことを言いますが、私に言わせればバカなことも休み休み言えとか~寝言は寝てから言えと説教したいくらいです。

    私は「主」に聞きたいのですが、釣りに行って疲れているとか~ゴルフで早く休みたいなど色々と言っているけれど、「誰が釣りに行けと言ったんですか?」とか「誰がゴルフに行けと命令しましたか?」などと聞きたいです。

    そう聞かれても答えようが無いと思いますが、「あなたが好きでしていることでしょう。」と言うのが私の見解です。 自分が好きで釣りやゴルフなどの遊びに行っておきながら、奥様や子供に感謝もせずに命令するのはトンチンカンなのもいい加減にしないとバカ丸出しです。

    釣りやゴルフなど自分の遊びに行くのであれば、「せっかくの休みに家族サービスもせずに申し訳ありません。」と謝ってから、自分の好きなことをするのが「主」足る者の筋の通し方です。

    休みの日に体を休めることが出来るのも奥様が家事全般をしてくれているからこそであり、奥様も普段は働いているのに嫌な顔ひとつせずに家のことをしてくれているのです。 そんなことも理解せずにブツブツ言うとか怒鳴ったりするのは、「主」と言うのは全く持って尊敬できない対象として置物に丁度いいかもしれません。

    「主」が食事も作れないし~ドコに何があるかも分からない、こんなことでは「主」と言うのも憚られると思うのですが、恥を知らない「主」では仕方がありません。

    あなたは主と言う存在に、何を期待できますか?

    "マッテェー、、、(ノ'')ノ "

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    目の付け所。

    目の付け所と言う言葉がありますが、会社やお店を繁盛させたり次々とアイディアを生み出せる人は、この目の付け所が違う場合が多いです。 しかし、目の付け所が違うと言っても見えないものが見えるのは特殊能力ではありません。 あくまで考え方や記憶による思考が違うだけで、何も特別なものではありません。

    最近はエコ~エコと言いますが、その流れのひとつが電気自動車です。 電気自動車の時代が来るのが分かっていながら、何も手を打たなかったのがGMやクライスラーなど連続で破綻して行っているメーカーです。

    電気自動車で排ガスも出さずに化石燃料であるガソリンを使わずに、これから主流になるのは目に見えています。 これは誰でも流れにより気が付いているので、別に目の付け所が違うとまでは言いません。

    ここでEVの元となる電池に目が行くのが、目の付け所になるのではないかと思います。

    私は今後の製造業では、携帯電話の電池を作っているメーカーが台風の目になると思いました。 携帯電話の電池を作っている各メーカーは、小さくて長時間使えると言うのを日夜研究しています。 昔の携帯電話はショルダーバッグくらいの大きさでしたが、これは電池の容量が大きく関係しています。

    通話は電力を食うので、どうしても大容量の電池が必要になります。 しかし、昔の技術では容量が大きくなるのは、自動的に質量の増加を意味するので大きくならざるを得ません。

    それを各メーカーは研究開発を進めてきて、いつの間にかあの大きさにまでしたのです。 昔はショルダーバッグだった電池の大きさが、今では名刺の半分くらいのサイズにまでなっているのです。 この技術を電気自動車に応用すれば、価格は下がるし~車体は軽くなるし~燃費も向上すると、良いこと尽くめで未来へ可能性がドンドンと広がります。

    そして、更には電池のメーカーが業績向上と言うことが誰に利益をもたらすかと言えば、メッキの下請工場が潤うようになります。

    電池のケースが液漏れしないように金型で継ぎ目のないケースを作る必要があるのですが、それにはメッキが丈夫ではげないことも条件のひとつです。 金型の絞り技術は色々な下請工場が出来るのですが、メッキの技術は出来るところと出来ないところの差が有ります。

    常日頃から目にしている携帯電話から電気自動車へ話が繋がるかどうか、そこから電池やメッキへ話が繋がるかどうかが目の付け所だと思うのです。

    目の付け所とは些細なことに注意できるかどうかであり、その為には興味を持てるかどうかだと思うのです。 興味を持てば自然と目が行くし、さらにどうしてそうなるのかと勉強する気にもなるのです。

    ここで男性に聞いてみたいのですが、「バウムクーヘン(バームクーヘン)」と言う焼き菓子の製法を聞いてみたら「知らない」と言う人がほとんどだと思います。 しかし、知らないと言うヒトコトで済ませる人と、そこから製法を調べて知識として得る人では大きな差が出ます。

    私はバウムクーヘンの年輪状の模様がどうして出来るのかが不思議でしたが、その製法を知ってからはなるほどと納得できました。 これは手作りの場合と自動で作る場合では製法が少し違うのですが、大量生産の方はパサパサして少し硬いけれど手作りの方はしっとりとして柔らかいと表現できます。

    何故違いが生まれるのかが手作りと自動の作り方の差で、本当に美味しいバウムクーヘンは口の中で蕩ける様な感じです。

    その作り方を知ったら「なるほど!」と思いますが、それを思いついた人が一番凄いと思います。 本当はバウムクーヘンだけのお店が出来るほど種類があるのですが、それも知らない人がSC事業部で企画を考えているようでは未来が暗いと思います。 私がこの秋にテナントを呼んでくるとしたら、名古屋か東京のバウムクーヘン専門店を呼んでくると思います。

    それ以外でも女性の髪形の違いにも面白い傾向があるのですが、関東と関西では女性の髪形の傾向が違うのに果たして何人の男性が気付いているのかと思います。

    私はデパートの売り場などを歩いている時に店員さんの髪型の傾向が明らかに違うことが不思議だったのですが、東京(東日本)の方では「縦長」の髪型が多く~大阪(西日本)では「横広」の髪型が多いと思います。

    つまり、東京(東日本)では髪の毛を上に盛ったり~肩幅以内に収めるようにしています。 しかし、大阪(西日本)の方では髪を円形に広げたり~肩幅以上に流したりしています。 この説明で分かりづらければ関東と関西のモデルさんや、小悪魔アゲハを比べて見れば一目瞭然で違いが判別できると思います。

    あなたは普段から、何のドコを見ていますか?

    ♪ヽ( ⌒o⌒)人(⌒-⌒ )v ♪

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    愚痴。

    仕事をしていると仕方が無いことですが、周りの噂話や愚痴に付き合わざるを得ないことがあります。 社会人としては適当に話を合わせると言うのが賢いと思うのですが、この愚痴に突き合わされるのは嫌になると言う人も多いはずです。

    本当はその方が精神的に当たり前で、誰も人の悪口や嫌なことを聞きたくは無いのですが、上司や先輩などが言い始めると逆らうわけにも行きません。 もしも逆らったり参加しなければ、今度は自分が言われる立場になってしまいます。

    私もお勤めをしていたので、そういう気持ちはよく理解できるのです。 女の園とか男の世界&男の付き合いなどと言う言葉に代表されるように、同性同士が集まった時に派閥が形成されるのは人の世の常です。

    しかし、そこで同じような運勢レベルで立ち止まったままになるのか、それも巻き込まれずにドンドンと上昇していくのか、それは個人個人の判断や意志の強さにもよります。

    流されるままにしていると、いつの間にか自分が言ったことにされて濡れ衣を着せられてしまうなどの被害を被ることすらあるので、どちらにせよ愚痴は良いことなんかひとつもありません。

    「愚痴(ぐち)」は元々「愚癡」とも書くのですが、その本当の意味は「愚かなこと」と言うのが正解です。 世間的には愚痴は悪口や不平不満と同じような扱われ方ですが、その元となる原語はサンスクリット語の「モーハ(moha)」で、「莫迦(のちの馬鹿)」の語源とされているのです。

    仏教用語で愚痴とは、真理に疎くて無知なことを言います。 道理に暗くて適確な判断を下せずに、迷い悩んでいる心の働きのことを言います。 根本的煩悩である「貪欲(どんよく)」と「瞋恚(しんい)」に「愚痴」を加えた三つを、「三毒(さんどく)」と言って人々の心を悩ます根源と考えました。

    そして、時代は移り変わると共に言ってもしかたのないことを、俗に「愚痴をこぼす」などと言われるようになりました。

    仕事がうまく行かない時やお店が流行らない時には、辛くて愚痴のひとつも言いたくなるかもしれません。 しかし、そこで運の良い人と悪い人の違いも出てくるのですが、運の良い人は何かが起こっても「それは自分の為」としか考えないのです。

    自営業に例えるならば、お店がヒマな時は「何か他にすることがある」と考えて、お店が忙しい時には「しっかりと貢献しなさい」と考える。 そうするとヒマな時は焦っても仕方が無いから、今の自分にやれることは何もしないのもひとつの方法など、逆転の発想や新たな考えにもなれるのです。

    商売に限らず人生は自分が積み上げてきた成果が未来を作り上げるので、今と言う現状が未来を作り上げます。 その未来の土台を愚痴で作り上げたなら、その土台はいつ崩れてしまうのかわからないくらい不安定です。

    私は色々なお客様の御相談を伺っているうちに、成功する人は「成功する道を知らない間に整えている」と言うことに気が付きました。 人生は魔法じゃないので、今日したら明日叶うと言うものではありません。 日頃の積み重ねと言うのか~行いの正しさと言うのか、それとも正直に生きていることを指し示すのか、どれかは特定できませんがそこに何かがあると思います。

    これは不思議な縁のお話と言うのか、偶然の不思議さが私にひとつの道を教えてくださったのだと思うことがあります。 (あくまで、例え話です。)

    仮にAさんとBさんとしますが、この二人は全く同じ職業で年齢も学歴も、おまけに生活環境すら似ています。 その二人がひとつだけ違うのは、相手に対する考え方と言う点です。

    Aさんは鑑定にくる時もストップウォッチを持参して30分を測り、そして時間内に答えられない方が悪いんだから延長分は払わないと言う考え方です。 そしてBさんの方は少しでも延長したら、「じゃあ、30分の延長になるまで話を続けてください。」と言って、延長分を余計に支払おうとします。

    また、会話の中身も全然違うのですが、話の流れで「それじゃあ、今度番組に呼んでくださいね。」とネタで言った時のことです。

    Aさんは「…。」と言うことで、つまり無視と言うか話をスルーされて気まずい雰囲気になりました。 ところがBさんの方は「私が番組を持ったら、ぜひ出演してください。」と言ってくれたのですが、自分がされるならどちらの応対が気分良いかが考え方の差です。

    その後、二人は同じ時期に同じ状況で、同じ地域へチャレンジしました。 その結果はどうなったかと言うとAさんは「…。」の状態ですが、Bさんはいきなり帯でレギュラーを持つと言う幸運に恵まれ活躍されています。 私はBさんの未来がドコまで上昇するのかと、ワクワクしながら視ています。

    愚痴と言うのは考え方が愚痴状態になっていることもあるから、愚痴を言ってなくても「何で運が悪いんだろう?」とか「どうして自分だけがこんな目に?」などは愚痴を言っているのと同じです。

    あなたは愚痴を言わないように、明るく前向きですか?

    (≧∇≦)ъ ナイス!

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    気付き。

    おはようございます。 前回の東京出張では私が岡山に帰った翌日、羽田空港のシステムダウンにより全ての飛行機が飛びませんでした。 そして今週は国内線のストライキが予定されて飛ばない可能性があり、これらが全て避けられているのはラッキーです。 これもひとえに素敵なお客様のご支援やご愛顧が後押しとなり、順調に物事が進むのだと感謝の極みです。

    このように当たり前が当たり前ではなく、幸せだと気付ける瞬間は大切だと思います。

    幸せの気付き方は人それぞれだと思うのですが、不幸になった時に幸せだったことに気付くのが人の人たる所以です。 人の心が幸せを追い求める時は、実は意外と心が強い時が多いです。 心が弱っている時には現状が正常に戻れば幸せと感じるので、もっと~もっとと欲の二重奏は奏でないのです。

    動けない時は動けることが幸せですが、何不自由なく動ける時には当たり前だから他のことに不平不満が出てきます。 それは人の心の七変化だから分からないでもありませんが、自分だけのことを追い求める人は真の幸せは手に入らないと思います。

    私は寄付やボランティアをすれば戻りがあるとは言いませんが、見返りを求めずにしていれば少なくとも心が強くなると思います。

    簡単に言うと年収が2千万あって贅沢な生活をしているような人でも、年間2万円の寄付を嫌がるようでは情けない話しです。 しかし、年収が300万円でも毎月定期的に3千円の寄付をしている人は、目に見えない心の豊かさや人の輪の中にて過ごすから孤独な人生を終えることはまずありえません。

    人には色々な考え方があるから、人生には正解とか不正解はありません。 ただ、その人が歩んできた人生が今の状態を作り出しているだけで、それについて誰もとやかくは言えないのです。

    私は昔に比べると幸せすぎてと言えるほどですが、それはお越しくださるお客様が素晴らしい人ばかりだからです。 それに加えて今はご飯が食べられて~水が飲めて~親がする借金取りが来ない、これだけでとても幸せな毎日です。 それも健康で何不自由なく動ける状態での上に、この状況があるのだから何も言うことはありません。

    私は贅沢と言う意味では「毎日色々な素晴らしいお客様に会える」と言うのが、一番の贅沢だと思っています。

    人により幸せの規準があるので、これを幸せに感じるのは私だけかもしれません。 しかし、友達が一人もいなくて誰にも相手にされず知恵遅れで自閉症といじめられていた昔からすると、毎日~毎日ステキで素晴らしい人に会える今は天国のようです。

    幸せとは人により違うものだと言うのは、恋愛にしても同じことです。 イケメンが良いと言う人がいれば~お金持ちが良いと言う人もいれば~心優しい性格が良い人を好む人もいるし、これこそ千差万別で正解はひとつじゃない好例かもしれません。

    幸せについて語ったヒトコトの重みが、心の強さを作っていると先日感動を頂きました。

    私は基本的に男性は鑑定していないのですが、紹介がある時は鑑定しています。 ただし、ブログに時々出てくるN市のIさんや寄付の神様は、まだお客様が全然いなくて男性も鑑定しないとやっていけなかった時代のお客様です。

    それ以外の方はほとんどが彼女や奥様や同僚などのご紹介にて鑑定しているのですが、その中にE県のMさんと言う男性がいます。 このE県のMさんは毎月ちゃんと寄付をしているのに更に金額を増やそうとするので、「Mさん、余り無理しなくても継続する方が大事ですよ。」と言う感じのお話しをしました。

    するとMさんが、「山崎さんは酒もタバコもしないけれど~僕は酒もタバコもするから、それは元々しなくていいことです。 元々しなくてもいいことをしているのだから、酒やタバコをするのはとても贅沢なことです。 だから充分贅沢をしているので、それ以外は寄付してもいいんじゃないかと思うから無理じゃないです。」と言う感じの内容をお話されました。

    私は「あぁ、Mさんは出世するなぁ~。」と、感じずにはいられないヒトコトの重みです。 Mさんは当たり前の日常の中にホンの少しの幸せがあり、その幸せは自分が感じることでいくらでも作り出せると言うことに気が付いています。

    ここで寄付について少しお話したいと思いますが、私は下手したら棺桶か刑務所と言う人生だったのを運命が助けてくれて、人並みの生活が送れるように助けてくれたと感謝しています。 だからこそ、社会貢献しないと助けてくれた運命に申し訳ないから限界までしないと駄目だと思っているだけで、普通はここまでする必要はありません。

    素敵なあなたが寄付やボランティアをすると言う気持ちは素晴らしいからこそ、この気持ちを持ち続ける継続が大切なことで無理して生活が苦しくなっては元も子もありません。

    時々ですがN市のIさんや寄付の神様のようになりたいと言う御相談がありますが、お二人は寄付のレベルが「別格」だから、この二人の真似をしていたら破産してしまいます。 (笑)

    ステキなあなたがコツコツと少しづつでいいから、無理のない範囲で継続してくださる方が運命も喜ぶと思います。

    あなたは今が幸せだと言うことに、気が付いていますか?

    (〃∇〃) てれっ☆

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    コツコツ。

    おはようございます。 この間の高知出張にてあるものを買ってきたのですが、私はそれをとても気に入っています。 私は普段から必要以外のモノは何も買いたいと言う気は起こらないタイプですが、これは見た瞬間に「事務所に置きたい!」と思いました。 (このカワイイ○○○に、毎日お願いごとを聞いてもらっています。)

    私は霊視カウンセラーとして当然のことですが、自分を律する為にも霊視能力を維持する為にも酒やタバコなどは一切しません。 それによりよく分からないのですが、ビールを飲む人はどこでどんな風に買っているのかと言えば、スーパーで買う~お酒のディスカウント店で買う~昔ながらの酒屋さんで買う、このように人により様々だと思います。

    ただし、買う場所が色々と言うことは値段も色々と言うことであり、普通に考えればディスカウント店が一番安くて、その次がスーパーで最後に昔ながらの酒屋さんだと思います。

    今の世の中は値下げ傾向にあるので、価格破壊が目玉となって消費を牽引しているのだから、あながち低価格戦略は間違いではないように思えます。 しかし、モノの価格が安いと言うことは利益が減ると言うことにつながるので、それにより引き起こされたのが産地偽装や事故米などの「儲かればイイ」と言う勝手な思想です。

    ビールは工場で作るから一定の品質管理はできているし、メーカーもさすがに今は材料の質を落とせないから、結局泣くのは小売店と言うことになります。

    ディスカウント店は大量仕入れで大量に裁いて薄利多売で行くし、スーパーの場合は全体で儲かるようにしてビールの利益が少なくても補充できる仕組みだからやれるのです。 そして最後に残った昔ながらの酒屋さんはどうすればいいのかと言えば、仕方が無いからビールは定価で売るしかないけれど売れないまま店先に置いたままです。

    売れないから酒屋さんも料理店への卸など、売り掛けによる代金後回しで自転車操業をするようになります。 少々危険な取引先でも卸していかないと資金が回らないけれど、元々危険な相手だから支払いが鈍いので銀行に融資を頼むしかない状況になります。

    こうなると出てくるのは愚痴ばかりで、「昔は良かった…。」と言う回顧録の出来上がりです。

    量販店や大型スーパーがくると商店街などは途端に警戒して、「これからどうなるんだろう?」と戦々恐々になります。 今までは買い物に来てくれていた人たちが、スーパーが出来たら「来てくれなくなるんじゃないか?」と心配する気持ちは充分に理解できます。

    しかし、量販店やスーパーが存在しない時にはお店に来てくれていたけれど、量販店やスーパーができたら誰も来なくなったと言うのは、「他に買う場所がないから、仕方無しに買っていた。」と言うことです。 他に行くところがないからと言って、自分が好き放題に儲けていたら見放されるのは当たり前です。

    不況~不況と言うけれど、不況と言うのは個人には関係ないのです。 それが証拠に行列が出来るケーキ屋さんはいくらでもあるし、予約の取れないレストランだって数多く存在します。

    企業としては経常利益が赤字だとか損失がどうのとかあると思いますが、今働いている人は給料が多い少ないは別にして「タダで働いている人」は余りいないと思います。 給料が出ている以上は個人に不況は関係なくて、今まで欲しいものが5つあれば5つとも買っていたのを選択するようになって3つにしたと言うのが不況の正体です。

    選択されずに節約された2つのお店は不況だと言うけれど、選択されて買ってもらえる3つのお店は不況じゃないと言うことになります。

    商売と言うのは魔法じゃないので今までの自分の足跡が、現在の状況を作り出しているだけです。 お客様に対する言葉使いや応対~品質や技術など、コツコツと積み上げてきたものが今の自分を作り出しているだけだと思うのです。

    仮にお客様の為に知恵を尽くしてサービス満点で、愛想も良くて買い物をしていても気分が良い、こう言うお店ならば不況の最中でもお客様を失うことは無いと思います。

    お酒の話に戻りますが、「ビールを定価で売る」と言うのを実践している個人の酒屋さんが東京にあるのですが、なんと近所にお酒のディスカウント店があるのです。 ところがこのお店に関しては全く影響はゼロで、それどころかディスカウント店の方が苦戦しています。

    しかし、これはお店の御主人が魔法を使っているわけではなく、お客様への応対は真摯に丁寧にする~お酒の知識は半端じゃなく勉強する、当たり前のことをコツコツと積み重ねてお客様を喜ばせる方法を日夜考えているだけです。 だからこそ「このお店で買うビールだから美味い」と、お客様に言われるほどになっているのです。

    流行らないお店の共通点と言ってもいいのですが、他のお店が繁盛していれば「何かうまい方法があるんじゃないか?」とか「何かずるいことしているんじゃないか?」など、邪まな考えを持ってしまうお店はますますお店が傾くと思います。

    現状打破と言うのは過去の積み重ねが正しい人には必要ないことであり、現状打破しないといけない状況になるのは歩み方が間違っているから修正が必要だと思います。

    あなたはコツコツとする、その大切さに気付いていますか?

    。。。(((へ^^)へ トコトコ



    お知らせ:出張及び業務多忙の為、ブログの更新は6月16日(火)より再開します。 いつもブログをお読みいただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    ロマン。

    ロマンと言う言葉の響きをどう感じるかは、人の感性の差によるものだと思います。 ビジネスにロマンを持ち込むのはダメだと言う感覚の人は、一時的にはいいかもしれませんが後で追い落とされるとか堕落していくなど、深層部分においてはロマンの力は重要なカギになると思います。

    日本では老舗と言いますが、長く続いて歴史を築いているお店や会社は、新興勢力のお店や会社とどこが違うのかと言えば、歴史の中にあるロマンだと思います。

    ロマンをバカにするのは、自分の中に志がないからバカにできるのだと思います。 一生懸命にした先にあるのは自分の思い描く道であると言うことを、誰であろうともバカにする権利はないのです。

    売れないセールスマン~外すばかりの企画マン~流行らない料理店などなど、良い製品やセールストークはあるのに上手く行かない人は必ずハードウェアに目を向けます。

    つまり、もっと安ければ売れるのに~もっと予算があれば良い企画ができるのに~もっと良い材料なら美味しい料理が作れるのに、こうやって足りないもの探しをしている以上は無理なことばかりが存在します。

    しかし、コレは単なる言い訳であり、安ければ売れると言うのはタダなら貰ってくれると言っているのと同じですし、予算があれば良い企画が実行できると言うのは考える力がないと言うことで、良い材料があれば美味しいものが作れると言うのなら腕(技術)は必要ないと言うことになります。

    ロマンが無い人を判りやすく言えば、自分が売りたいモノに愛着がない~自分が欲しいモノを売っていない、それはまるで詐欺と同じです。 自分が欲しいと思うからこそ愛着が湧いてくるし、自分が使いたいとか欲しいと思うからこそ熱が入って一生懸命になれるのです。

    料理店を見れば良くわかりますが、流行っているお店は思ったほどメニューが無いはずです。

    本物のお店は色々とゴタゴタしたメニューを並べなくても、「コレ一点で勝負!」と言う自信作だけでやれるはずです。 自分が惚れ込んだ作品ならば、お客様にも満足していただけると言う気持ちが無いのであれば、それは言っているだけの有言不実行です。

    ロマンが無い人は残念ながらあきらめが早いので、魚屋さんでなくとも八百屋さんでも良いと言うようにこだわりが無いのです。

    四の五の言わなくても「儲かれば何でも良い。」と言う想いでしているお店と「コレでお客様に喜んで欲しい!」と考えるお店では、自然と集客に差がついてきてしまうのです。

    成功における本質とは表面だけの猿真似ではなく、その中にあるロマンを掘り起こす作業が無ければ意味は無いのです。

    例えば、「水は元々タダで飲めるのに…?」と言う考えが多勢の時に、「ミネラルウォーターが売れる!」と考えた人は素晴らしいと思います。 しかし、ここでも売れるかどうかの考え方の差が出てくるので、成功するかの境目がはっきりしてくるのです。

    ここでも普通の人は、ラベルやパッケージのデザインを工夫したり~味に工夫をしたりとハードウェアにばかり気を付けると思います。

    しかし、これでは水を飲まそうと言う考えなので、飲みたくも無いのに強制することになるのです。 人に強制すると言うのは自分がされて嫌なことを人にはすることなので、何をどう弁明しようとも成功の本質が見えているとは思えません。

    私はラベルやパッケージや味に力を注ぐようなことはせず、サウナ状態を作り出すとか~砂漠で販売するなど、「飲ませようとするのではなく、飲みたいと思わせる。」と言う発想をすると思います。

    後追い製品と言うのは、先行の製品を見てから作るのだから有利と言われていますが、実際には先行製品の方がよく売れる場合が多いです。 それは何故かと言うのは、スペックばかり重視して中身を見ないから消費者にそっぽを向かれるのです。

    便利と言うのは自分たちが使って便利なのか、それともお客様が使って便利で楽しいのかどうか、ここまで考えることができる人だけがロマンがあると言えるのです。

    あなたはロマンがある人生を、楽しみながら送れていますか?

    v(≧∇≦)v イェェ~イ

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    男尊女卑について。

    おはようございます。 梅雨入りしたら早速の雨模様ですが、あなたの笑顔は梅雨空を明るくしてくれる唯一の希望の光になり、素敵なあなたの一日は元気で素晴らしい日になると信じています。

    人類発祥より男性と女性がいるのは当然ですが、人間社会には大なり小なり男尊女卑と言う考えがあります。 日本では昔から女性は男性の奴隷や僕と言う考え方が強く、現代でも考え方が貧困な男性ほど「女のくせに!」と言う言葉をよく使います。

    いくら才能があっても認めずに男性の方が偉いと言う封建社会の考え方に、私はついていけないので地元を出て本当に良かったと思います。 残念ながら田舎の方ではまだまだ、嫁を取るとか嫁を貰うと言うような考え方が色濃く残っており、女性があるのは男性のおかげと言う思想は払拭しきれないのです。

    この男尊女卑とは男性の社会的地位が高く、女性の社会的地位が低い制度や思想を言います。

    日本では昔からと言っても、特に武家社会において女性は跡取りを産む為だけの存在とされていて、仮に夫に不妊原因があったとしても必ず女性の側に責任が押し付けられて、「石女(うまずめ)」と非難されました。 それに子供を産んだとしても跡取りとなる男子を産まないと、非難の対象となりボロカスに言われます。

    コレは今でもそうなのかもしれませんが、子供が出来ないと嫌味を言われたり~女の子を産んだら「次は男の子!」と言う感じで、次々と圧力をかけるのが封建社会のやり方です。 子供が出来たら男の子でも女の子でも、健康で無事に産まれてきてくれたらいいと言う考えになれないのは、団塊の世代の考え方や教育方針が明らかに間違っているからです。

    邪馬台国などのはるか昔の古代での女性の地位は比較的高かったのですが、平安時代後期に仏教思想を背景に女性を不浄と見る価値観が広がって、中世においては武士社会を中心に男尊女卑の風潮が広まりました。

    さらに江戸時代になると儒学が徳川将軍家の威光もあって隆盛を極めて、その教えをもととした身分制度が確立されたことで女性の地位の低下が決定的になりました。

    基本的に武家社会では女性が家督を継ぐことは認められず、家系図などにも女性の名前は大抵の場合が記されずに「女」とのみ記されている場合がほとんどです。

    その為、家系を調べるのにも皇族や将軍家など一部例外を除き、女性については遡って調べるのは容易ではなく名前すら判明しない者が多いのです。

    なお、武士社会の外にあった農村部では全員が重要な働き手の意味で農業も分担されており、東北地域の漁村など限られた地域にあっては男女にかかわらず優先的に相続権を持つと言う慣行も見られます。 しかし、コレは「自分の家系だけ守れればいい」と言う自己保身の考えによるものであり、女性の地位向上や人間の平等と言うものによるのではありません。

    ただし、農家と言えど男性の方が一般的に力があるので、やはり男子をたくさん産むことは重要でした。

    明治時代になると更に男尊女卑が強くなり、明治22年には皇位を男系男子に限定して女性皇族の即位を否定した旧皇室典範が制定されました。 そして大正時代以降になると工業化とサラリーマンの発生により、「男は仕事、女は家庭」と言う性別役割分担が生まれて、都市化の進んだ第二次世界大戦後は国民の多くに性別役割分担が受け入れられていくことになりました。

    ちなみに日本以外ではどうかと言えば、今でこそ欧米では選挙の候補者が女性と言う光景が珍しくないように見られがちですが、欧米でも女性参政権が一般的になったのは20世紀に入ってからです。

    ある意味で欧米の方が「男=社会で働き~女=支える存在」との観念が徹底していて、産業革命で社会の専業化が進んだ結果からもこうした傾向は更に強まりました。

    古代ギリシャの場合、財産は女性が受け継ぐ建前でしたが、実際は女性を引き取る男性が受け取るという形になっていました。

    この「男尊女卑」と言う言葉の語源ですが中国人の発明によるもので、中国の歴史で女性が政治の実権を握った場合もないことはありませんが、多くは男性の皇帝の名代と言う形式を取らざるを得なかったのです。

    1970年代以降、日本や欧米で女性の社会進出が進んだ背景としては、主に男性によって担われていた第二次産業が、男女ともに働きやすい第三次産業へと労働需要が変化したことがあげられます。

    ところが面白いことに海外から見ると、日本は男尊女卑がものすごく強い国と言うイメージが定着しています。 その為に日本独自の習慣~文化~伝統~決まりごとなど大部分を、男尊女卑によりできたものと解釈している場合が多いようです。

    あなたは男尊女卑を、どのくらい感じたことがありますか?

    。。。。。。。((( ・Θ・) ♪☆♪

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    落ち込まない。

    人は誰しも自分が落ち込んでいると人と会いたくなくなったり、出来るはずのことができなくなったりします。 出来ることが出来なくなったと言うのは自分の実力じゃないのですが、実力じゃない部分だからこそ人は悩んでしまいます。

    落ち込んだり悩んだりするのが続く人と、悩むけれど切り替えの上手い人の違いとは実力じゃないのであれば悩んでも仕方がないと言う割り切り、コレができるかどうかだと思います。

    適当なように思えますが悩んでも仕方がないと言うのは、ある意味で真理を突いています。 自分のことであれば自分が動くことにより解決の方法も出てくるのでしょうけれど、ソコに人が絡んでくると運を天に任せるのもひとつの方法です。

    運を天に任せると言うのは、人によっては適当に聞こえるかもしれません。 しかし、自分がするべきことをしていたら、後は運を天に任せるのも悪いことじゃないと思うのです。 それは未来を天に委ねることだから判断は自分ではなく天がすること、天がするのだから判断ミスがあればそれは天がミスしたということになります。

    良いことと悪いことの判断は、どちらか片方だけから見たらすぐに分かりますが、甲乙付けがたいこともあります。

    例えば、昔はなくて今はある事象のひとつに交通事故があります。 この交通事故と言うのは、車と車や車と人などあらゆるケースで事故が発生します。 しかし、同じような事故に見えても、この事故ひとつとっても運によって左右されるケースの方が多いのです。

    世の中のことは偶然であり必然ではないと言うのも、もしも必然ばかりなら交通事故は何故起きるのか、無くなった方は交通事故で亡くなる運命として必然なのか、そんなことは当事者になれば認めることはできないと思います。

    よく言われる事故原因のひとつに「スピードの出しすぎ」がありますが、本当はそれが理由とは言えないのです。

    事故地点をXとして、X地点を時速40キロで通り過ぎる人と時速80キロで通り過ぎる人がいて、どちらが安全かと言われれば普通であれば時速40キロと言われます。 ところが時速40キロの人はX地点で事故が起きる時に通過するようになり、時速80キロの人はX地点をすばやく通り過ぎているから事故が起きる時には通り過ぎていた。

    こうなると、事故が起きる瞬間と言うのは運転技術やマナーよりも、運の方が大きく作用しているのかもしれません。

    実際に飛行機に乗り遅れたから飛行機事故に巻き込まれずに済んだ、コレは飛行機に乗り遅れたことは悪い方の事象ですが、飛行機事故に遭わなかったから命が助かったのは良い方の事象です。

    悪いことが悪いままではなく、とんでもなく良いことに変わることだってあるのです。

    先ほどの交通事故にしても事故を起こす人は何度でもすると言われているし、交通違反にしても捕まる人は何度でも捕まります。 運が悪いと言ってしまえばそれまでですが、捕まった以上は運が悪いと言ってあきらめた方が前向きになれます。

    違反で捕まったのは残念ですが、それにより誰かに迷惑を掛けたわけじゃありません。 事故を起こしたよりはマシだと考えて、逆にラッキーだったとポジティブになるのも大切なことです。

    真面目で仕事をきちんとするけれど、落ち込んだ表情でいる人。
    余り仕事は出来ないけれど、愛想が良くて落ち込まない人。

    この対照的な二人のうち、どちらと仕事をしたいかと言えば落ち込まない方の人と仕事をしたい人が多いと思います。

    落ち込んだ時に時間が経過するのを待って立ち直るのか、それとも自分で無理やり元気なフリをして~それにより本当に元気になっていくのかは、人の心の内側にある信念により違ってくるのです。

    悪いことがあったなら、次は良いことの番だと思えるのがポジティブだと思います。 人には波があるので良い時もあれば悪い時もあるから、どれだけ自分で乗り越える意思があるかで変わってくるはずです。

    辛い時にはいくらでも泣いていいけれど、泣くのが終わったなら自分の足でしっかりと歩いていく必要があるのです。

    あなたが落ち込んだアトの幸せ、その訪れに気が付いていますか?

    ( ̄(●●) ̄)ラッキー!

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    知的満足。

    おはようございます。 日曜日の午前中にキリ番になったようで、「277777」をゲットした方はHPの「事務所内と鑑定中のお願い」をクリックして、「キリ番について」に書いてある応募要項をお読みの上でご応募してくださいね。 ゲットした方には精魂込めて、ブレスレットの製作をしたいと思います。

    土曜日の午後からは急遽決まった高知出張にて、高知の風を満喫してきました。 高知の場合は時間の都合で枠が少ない為、予約は一日で埋まるので明記する暇もないくらいです。 次回は秋に開催できたらいいなと思っているので、高知方面の方はよろしくお願い申し上げます。

    今月は東京出張も2回あるし来月は札幌(7月5日)も迫ってきているので、どんな素敵なお客様にお会いできるのかとワクワクしています。 このように色々な場所に行くのは地域の触れ合いと言うのか、その土地の文化や風習に触れることでもあり、旅行気分で行くだけではなく何かを学ぶことも大切だと思うのです。

    今回の高知では寄付の神様ご一行と待ち合わせをしていたので、三翠館と言う昭和天皇がお泊りになった旅館にて宿泊となりました。 庭にはチャペルやミニ錦帯橋もありましたし、何より山内藩主邸宅跡地に建てられているので由緒ある歴史を感じることとなりました。

    衣食住足りて礼節を知ると言う言葉のごとく今の日本は豊かになって、生きる為以外の何かを捜し求めることも出来るようになりました。 ご飯に困ることは無いし水も飲めるし、医療施設もあるし電気も使える。 日本の生活は世界レベルから見ると贅沢極まりない、本当に奇跡の連続が毎日毎日起こっています。

    しかし、残念ながら最近はある顕著な傾向が出てきているので、これが結婚できない男女を作り出している一因にもなっています。 それは思考と言うか傾向と言うか~文化レベルが違いすぎると、全く話が合わないので付き合うことが難しくなるからです。

    例えば、最近は歴女と言われる人が増えてきているのですが、歴女とは特に戦国時代の武将のファンだったりする女性のことを言います。 歴女の方々が城跡や古戦場などを巡ったりすることにより更に歴史や文化の造詣が深くなり、ますます不勉強な男性との差が開いてきます。

    こう言う人と歴史や文化について話をしようとすれば、男性の方もかなり詳しくないと会話自体が成り立ちません。 会話が成り立たない以上は恋に発展するのは難しく、お付き合いどころか出会っただけと言うことになりかねません。

    カップルや夫婦になろうとすれば趣味が同じでなくてもいいから、相手のすることを理解して認める作業が必要です。 そうしないと相手のしていることが分からないからイライラして、「くだらない」と言ってしまいがちになるので喧嘩の基となります。

    その象徴的な内容が、先週末の土日にあった二つの出来事です。 ひとつ目は東京の国立博物館で奈良の興福寺の貴重な文化財の中から、阿修羅像をはじめとする重要文化財などが展示されていることです。 この阿修羅像は天平6年(734)に光明皇后が母である橘三千代の1周忌供養の菩提を弔う為に造像して以来、戦乱や大火など幾つもの災難を乗り越えてきました貴重な文化です。

    気が遠くなるような年月である1300年の時を超えて、大切に守り伝えられた日本の文化が多くの人々の胸を熱くしているのです。

    先週末(6&7)は阿修羅像を見に行った女性が数多くいて、博物館は超満員で長蛇の列が出来ていました。 不況と言われる中でも自分自身のスキルアップに~造詣を深める為に、こうやって足を運んでいる女性は素晴らしい知的財産を手に入れて、ますます魅力アップしていると思います。

    ところが残念なことに、もうひとつの出来事はバカ騒ぎに終始しました。 本当に私は「日本の男性は、ここまでダメになったのか?」と、開いた口がふさがらない呆れてしまうバカ騒ぎでした。 TVで取り上げられたのでニュースを見た人も多いと思いますが、浅草ロック座にて元アイドルの女性がス○リップ出演と言う出来事がありました。

    この出来事を情けないと思うのは、仕事を休んでまで朝から並んでいた男性が多かったことや、元アイドルのス○リップを見て「俺は日本の伝統芸能に感激した。」とインタビューに答えていた男性が多かったことです。

    浅はかと言うのは仕方が無いものですが、どうして「日本の伝統芸能」と言う言葉を能や歌舞伎に使わずに、ここで使うのかと情けない気持ちです。 別に男性がス○リップを見に行くのが悪いとまでは言いませんが、会社をズル休みしてまでいく情熱を何故仕事に向けないのかと思います。

    それに本当に能や歌舞伎を見たことがある人は、ここで「伝統芸能」と言う言葉は使いません。 普段から伝統や文化をたしなんでいる知的溢れる男性ならば、会社をズル休みなんてしないと思います。

    ス○リップダンサーの方々は一生懸命に踊っているのだから、ダンサーの方々の陰の努力を知るのは最低条件です。 ぬけぬけと伝統芸能なんて言いきるのであれば、「何を見に行っているのか」と言うことを男性陣には考えていただきたいと思います。

    おまけに恥と言うことを知らない証拠が「ス○リップを見る為に会社を休んで来ている。」と言うのに、素顔を出して全国放送のインタビューに嬉々として答えていたのは社会人として恥ずかしいと思います。

    あなたは人生を豊かにする知的満足、それを何に求めますか?

    d(^0^)b グッ!

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    温かさを感じる時

    人は自分の人生や生き方に疑問を持つことがあるのですが、あなたの人生は間違いじゃないと思います。 間違いじゃないのかと悩むこと自体が正解だと言う証拠で、もしも間違っているのであれば気付かずにそのまま進んでしまいます。

    自分の生き方は間違っているんじゃないかと考えることは、キチンと考えるだけの知識や教養など必要なことが働いているからこそ考えるのです。

    人生には無駄なことはひとつも無いと言われるのも、無駄に感じるようなことがあるからこそ有効なことも分かってくるのです。 辛いものを食べるからこそ甘いものが欲しくなるように、美味しくないものを食べるからこそ美味しいものがわかってくるのです。

    落語やコントにしても何故笑えるのかと言えば、常識はずれと言うかまともじゃないことをするからこそ笑えるのです。 しかし、常識じゃないことをしようとするなら、まずは常識をキチンと身につけておかないと常識じゃないことが分からないのです。

    無駄なことを重ねていくうちに自分自身を磨き上げることになって、そのうち輝きがドンドンと増してくるのです。

    人に優しくと言うことだって同じことで、人に優しくしようとするのはとても良いことです。 (寄付やボランティアにしても悪く言う人は自分の人生を貶しているのだから、そういう人は相手にせずほっといても運命はあなたの味方をしてくれます。)

    自分に優しくすると言うことは、自分がしてもらって嬉しいことが判明することになります。

    ありがとうと言われて嬉しいとか~褒めてもらって気分が良くなったなど、あなたがしてもらって嬉しいことが次々と重なっていくからこそ、あなたが相手にするべきことも判明してくるのです。

    嬉しい体験が多くなればなるほど、相手に対する自愛の精神も湧き上がってくるのです。 この嬉しい体験と言うか~成功体験と言うのか、こればっかりはパソコン検索をしても出てこないし、本を読んでも感じ取る力が無ければ答えを見つけることすら出来ません。 

    人は生まれてきた以上は誰でも一度は人生を経験するのですが、その一度の人生を無駄にしているのは勿体ないことです。 誰にでも人生がある変わりに、誰もが人生を二度味わうことは出来ないことに気付かないと無駄に過ごしてしまうかもしれません。

    飲み物でも食事でもいい~人との触れ合いでもいい~お風呂につかっている時でもいい、あなたが温かさに心打たれて涙がこぼれる時には、人生に大いなる意味が生まれてきている時です。

    あなたが今感じていることに嘘はなく、その流している涙の中に真実が隠れているのです。

    誰しも人生を歩んでいると嘘を吐いたり、嫌なことをしなければならない時があります。 それは社会生活では必要悪とも言えるのですが、それをしないと付き合いが悪いとか自分勝手と言われたりもします。

    そういう汚れが身体や心に溜まっていくと、荒んだ自分が寒さを感じてきます。 しかし、寒さと言うのは限界を超えると何も感じなくなるもので、何も感じなくなったら人に対して温かさを失っている時なんです。

    そんな自分に気付いた時こそが、温かさを感じて涙がこぼれる時なんです。

    人は誰でも流されて生きていかなければ、社会生活がしづらくなります。 社長や上司と言う自分勝手な思い込みの命令しかしない人が出てきて、人としてやってはいけないことをやれと平気で言い始めて、その命令を嫌々ながらも聞かなくてはなりません。

    そんなことを繰り返す自分に嫌気が差したのであれば、その瞬間からあなたの未来は選択肢が発生します。 今のままでいいんだと言う道と今のままじゃダメだと言う道、どちらを選択するかで大きく様変わりするのがあなたの輝かしい未来なんです。

    人は汚れずに生きることは難しいけれど、汚れた身体と心を浄化してリセットすることはいくらでも出来ます。 同じ人生を歩むのであれば綺麗な自分で人生の最後を迎えたいと思うし、欲を言えば最後だけではなく今と言う瞬間から綺麗な自分で人生を歩んでいけたら幸せだと思うのです。

    あなたの人生はあなたが主人公で、たったひとつの輝きと言うのはあなたの為にあるのです。

    あなたは自分の人生を、どのように描いて行きたいですか?

    ☆~ヽ(#^ー゜#)v ありがとう~!



    お知らせ:出張の為、ブログの更新は6月8日(月)より再開します。 いつもブログをお読みいただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    次回作。

    おはようございます。 6月に入っても意外と朝晩は寒いので、体調管理にはお気を付けくださいね。 素敵なあなたには素晴らしい未来があるのだから、その為にも時間を無駄にしては勿体ないです。 あなたの価値と言うのは計り知れないほど可能性を秘めているのだから、眩いばかりに輝いていただきたいと思います。

    その未来における自分の価値と言うことを考えたことがあるならば、それはあなたが成功への道を歩いていることに他なりません。

    現状に満足してはいけないと言われますが、実際は一仕事済んだら休みたいと思うのは自然なことです。 別に働くことが全てじゃないと言う考えや、仕事を一生懸命にするのはアホらしいと言う考えの人もいるので、それは悪いことじゃなく至極当たり前かもしれません。

    しかし、努力していた人が成果を得て~怠けていた人が苦労すると言うのは、誰もおかしいとは考えないと思います。

    自分が苦労したと言う自己満足と、誰もが認めざるを得ないほど働いたと言う評価は別な話であり、自分がどれだけ苦労しても現状に満足しているだけでは未来が開けることは少ないです。

    運が悪いよりは運が良い、コレは誰しもが願うことですが、その下準備をするのが好きかどうかと言われたら、やりたくないとか~もしくはやろうと思っているなど、いずれはしようと思っていると言う返事が多いかもしれません。

    それでは成功確率は下がるのですが、未来と言うのは現在の自分が作るのだから、将来的にはしているとか~もう少し経ったらはじめると言うのでは、未来が来た時にスタートするのだから何もできていなくても仕方がないのです。

    「休みたいなら辞めろ」と言って物議を醸し出した経営者がいますが、コレは説明が足りないから誤解を受けるのです。 死ぬまで働けとか休んだらクビだとか極端な意味に取られるような言葉ではなく、キチンと会社の実情について説明しておけばいいだけの話です。

    もう少し気を使えば、そんな発言をしなくてもそういうシステム作りをしておけばいいと気付きます。 働いたら給料が上がるし働かなければ給料が下がる、コレをキチンと認識する会社(社長)ではないから自分のことしか考えない人ばかりになるのです。

    自分の会社や仕事に誇りを持っていたら、こんな考えには誰もなりません。

    私は明日の自分が最高でありたいと思いますし、常に過去の自分よりも成長していたいと考えています。 未来は現在の自分が作る以上、今と言う時間を怠けたり後退していたら未来が良くなっていることはありません。

    一発屋と言う言葉があるように、一回だけなら最高の物を提供できる人は意外と多いです。 一発勝負の資格試験などは、その時だけ良い点をとればいいから資格マニアがでてくるのです。

    プロと言うのはお金をキチンと稼ぐことも大事ですが、本当は継続して同じレベルを提供できると言うのもプロの条件です。 今日は良いようにできたけれど、明日は上手くできなかったと言うのではプロではありません。

    未来を良くしたいと思うのであれば心の中に留めておいて欲しいのは、「次回作が、自分にとっての最高!」と言う考え方です。

    一度の成功と言うのはマグレと言う評価に留まりますが、常に次回作が最高と言う気持ちでいると自然に手抜きは出来なくなります。 マグレと言われたところで何度も何度も成功していると、マグレと言っていた人たちが逆に賞賛し始めます。

    それこそ手のひらを返して擦り寄ってきますが、そんな人たちの評価を気にしていたのかと目からウロコが落ちるようになります。 一喜一憂するのは他人の評価を気にするからであり、自分の信念を評価の旗印にしていれば適当な評価は意に介さなくなります。

    ゴールの設定の差が成功するかどうかの差でもあり、落ち着きたいとか満足すると言う言葉が頭や心の中に芽生えてきたら、それは成長も成功も終わったと言うことを自分自身が認めたことになるのです。

    いつでも「次回作が最高」だから過去の評価は終わったこと、そう肝に銘じておかなければ停滞どころか後退してしまうのです。

    人は同じやり方を好むのですが、過去に成功したらいつも同じことの繰り返しをしてしまうのです。 しかし、過去の成功は思い切って忘れてしまい、常に最新の状態に切り替えておかなければ、自分が思うよりもはるかに低いところがゴールに落ち着いてしまうのです。

    あなたは自分のゴールを、実力以下に設定していませんか?

    (/-_-)/━━○☆(゜o°)ドガァ~ン!

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    足し算。

    おはようございます。 無事に帰ってきて倉敷での霊視を再開していますが、帰ってくる早々に三○自動車水○製作所の社員が狂言強盗事件にて逮捕のニュースです。 大部分の社員の方は真面目に働いているのに、ホンの一部が会社のイメージ低下を招いて迷惑を掛けています。 大人のたしなみとして自分がどう見られているか、それを考えて行動するのが社会生活をする上での責任として当たり前です。

    さて、私は東京にいる時にひそかな楽しみとして、ウインドウショッピングなど色々と見て歩くのが結構好きです。 デパートや商店街や並木通りなど色々な場所に行って、自分が見て感じるものを記憶していきます。 勉強と言うのは自分が見ることや得ることの中身にこそ本質があり、それは「何を見ているのか?」と言う部分が大事なのです。

    同じものを見ていても、ただ見ているだけの人となんでこうなんだろうと考える人では、同じものを見ているのに活かすことが出来る範囲がものすごく違ってきます。

    知識として得ることは大切なのですが、知恵として活かせなければ意味がありません。 何を見てどう感じるかと言うのが一番重要であり、見たものが凄ければそれで良いと言うワケでもないのです。

    人生がうまく行っている人と言うのは情報処理能力が高いと言ってもいいのですが、これはメモを取れというわけじゃありません。 私はメモを取る必要は余り無いと思っているのですが、それは記憶に残らないことは重要ではないと言う証拠だからです。

    人の能力は無限大とは言われますが、記憶に関して言えば個人差があるのが実情です。 その記憶には容量があるので、むやみやたらとメモリーを減らしていくことも無いのです。 重要なことだけメモリーに書き込んでおいて、不要なものは削除していく方がすばやく動けるようになります。

    私がお客様より御相談を受けた時に色々な発想と言うかアイディアを出す場合、記憶していることからアイディアを生み出していることがほとんどです。 だから「どうやって考えるんですか?」と言われても根拠は無く、記憶ベースの上に創造の足し算で考えていることが多いです。

    つまり、常日頃からデパートに限らずお店に置いてあるものやコンビニに置いてあるもの全てを記憶して、今はどのようなものを人は必要としているのかだけではなく「何で置いてあるのか?」を考えるのです。 必要だから置いてあるものだけを見るのではなく、必要じゃないのに置いてあるものにまで目が行くかどうかか重要なのです。

    そこに目が行かなくても単なる空想でもいいから、頭の中にお刺身が思い浮かんできて、それに続いておにぎりが思い浮かんできたら、そこから「握り寿司」が思い浮かぶようなものです。

    その他にも私が何か修理系の仕事をするのであれば、日中の稼働は捨てて掛かると思います。 これは何を意味するのかと言えば、車でも洋服でも直すと言う行為は「必要」だからです。 必要と言うのはいつ必要かと言えば、それは朝8時頃から夜8時頃~つまりほぼ日中に必要なのです。

    ならば、他との差別化を図る為にやることはひとつです。 車の整備工場なら夕方の6時開店にして、修理や車検は夜の間に終わらせて翌朝の7~8時頃に渡せるようにしておくのです。 洋服のお直し(すそ上げやボタン付け)などにしても、夕方預かり翌朝渡すような仕組みにしてしまうのです。

    寝ている間に全てしてくれる自動車整備工場や洋服のお直し屋さんがあれば、今の現代人の生活サイクル=夜型だから、持ち込みにしてもかなり増えると思います。 接客業の人などは夜8時や9時に仕事が終わる人も珍しくないので、夜9時以降に受け付けてくれて、翌日の午前8時以降には受け取れるなら無茶苦茶便利です。

    これらなどは頭の中で、夜9時以降のコンビニにいる人の多さ+デパートなど接客業で働く人+夜に閉まっているお店の種類+困っている人が多い、こうやって次々と記憶の足し算で創造していくと、アイディアと言うのはドンドンと湧き上がってくるのです。

    これも色々と見て歩いておいて、記憶しておかないと足し算が出来ないのです。

    私はデパートに行ったら店内の品物だけではなく、働いている人の服装やメイクや髪型を記憶しておきます。 その時に襟の汚れている人が多ければ洗濯が間に合っていない証拠ですし、汚れていなくてもよれよれのシャツやブラウスならばアイロンを掛ける時間がないと言うことです。

    ならば、そういう人たちのクリーニングを一手に引き受ければいいじゃないかと発想できるのです。

    このことから考えれば、クリーニング店なんかは大繁盛するはずです。 個人では大手には勝てないとか~安いところには勝てないなどと愚痴を言う暇があるならば、夜6~9時の間に各家庭を回って洗濯物を引き受けて、翌朝6~9時の間に配達していけば必ずお得意様ができてくると思います。 今はお客様が持ってきてくれるのを待つようでは、生き残れないと思うのです。

    頭の中にある目で現実を見るようにして、心の中にある目で未来を見るようにすれば、色々なことを吸収&応用できるようになるはずです。

    あなたは記憶の足し算が、どれくらいできますか?

    ♪~♪ d(⌒o⌒)b♪~♪ルンルン

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