徒然草(占い・岡山・東京・霊視)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    立ち上がる勇気。

    おはようございます。 今日も素敵なあなたには、笑顔がよく似合うと思います。 笑顔でいるあなたは、それだけで周りの人を豊かにしていると思います。 私は素敵なあなたが元気でいる様は、心がほのぼのしてくる未来で素晴らしいと思います。

    唐突ですが、あなたは何の為に生きようとしているのかと聞かれた時に、答えられる人もいれば答えられない人もいると思います。

    これは正解を探すのではなく「答えを持っている」と言うことが重要で、ちゃんと立ち上がる勇気を持っていないと自分の未来だけではなく、未来であなたに助けてもらうかも知れない命を無下にしてしまうかもしれません。

    「今」と言う時に必要なことは、今だからこそ必要なのです。 明日やろうと言っていたら間に合わないから「今」なんですが、人の痛みは自分に関係ないから他人事として片付けようとするのが団塊の世代が持っているいやらしさです。

    大人になったら会議やミーティングに出ることが増えますが、果たして本当に必要でしているのかと言えば、単なる無駄話で終わったり問題を先送りしたりするだけだったり、更には自分より良いアイディアを出したらメンツに関わるから潰そうとする上司なども多いはずです。

    そんな会議の中で話し合って決めようとか~みんなの意見を聞いてからなど、大人と言うのは本当に自分の意志で動こうとはしないものです。 大人になればなるほど立ち上がる勇気を持てなくなってくるのですが、それは正しい道なのかどうかを考えてみていただきたいのです。

    自分がお金や労力を出すのは嫌だけど、自分が困ったら助けて欲しいと言うのでは道理が通らないのです。 しかし、人は知らず知らずのうちに同じことをしているのですが、それは気付かずにしているというより、立ち上がる勇気を奮い立たせることができないからです。

    人は善なる心が内にはあるのですが、それが成長過程により破壊されてしまい悪しかなくなるのは勿体ないことです。 人は本来美しい心を持って生まれたから天使のような子供時代を過ごすのですが、それが大人になるに従ってどす黒くなってくるのをおかしいと思わないのです。

    立ち上がる勇気は出していけば次々と湧いてくるのですが、出さなければ変わらぬまま陽の目を見ることはありません。 立ち上がる勇気は大切にしていけば、きっと自分の未来を明るくしてくれると思うのです。

    あなたが電車に乗った時におばあちゃんが乗ってきたり、身体の不自由な人が乗ってきたりと色々なシーンに立ち合うことと思います。 そこで勇気を出して席を譲るということが出来たら、それはあなたにとってホンの少しですが心を晴れやかにしてくれます。

    しかし、見てみぬフリとか知らん顔をしていたら、知らない間に心がキズついてしまいます。 そのキズと言うのは席を譲らなかったと言う事実に加えて、本当は気が付いていたのに行動しなかったと言う後悔のキズ、この二つがあなたにとって小さなキズになってしまいます。

    誰かが譲るだろうと言うのは卑怯だと言うことに気が付かないでいると、いつまで経っても立ち上がる勇気は持てないと思います。

    立ち上がる勇気と言うのは最初の一歩が恥ずかしいと思いますが、これは慣れてくると自然に行動できるようになります。 会社内でいきなりやると人間関係が壊れて居づらくなるので無理しなくてもいいのですが、公共の場では恥ずかしいことじゃないので立ち上がる勇気を出す必要があります。

    人は立ち上がる勇気が備わっているのに、どうして立ち上がれないのかと言えば「心のキズ」にケジメがついていないからです。 人は大きくなるのに学校や会社で社会経験を次々と積んでくるのですが、その過程において立ち上がる勇気を殺がれる要因が数多く隠れています。

    思い返して欲しいのですが、会社の会議やミーティングで意見を求められてうまく答えられなかったとか、自分の意見を言ったのに周りからこともなげに却下されたなど、心の中にトラウマとしてあなたの立ち上がる勇気を殺ぐ要因になっています。

    更に思い返すと学生時代に意見を言ったばかりに冷やかされてしまったり馬鹿にされてしまったりと、恥ずかしい思いをして正しい行動にブレーキが掛かるのです。 こう言う感覚が小さい時から「今」に繋がって、立ち上がる勇気を発揮できなくなっているのです。

    私自身にも言えるのですが、立ち上がる勇気を持っていれば恥ずかしいと思う前に、目の前の人を「今」助けたいと言う気持ちになれると思うのです。 だから、立ち上がる勇気はいくらでも発揮して、ドンドンと使ってもいいと思うのです。

    あなたが立ち上がろうとする気持ちに嘘をつかずに、その勇気を大切にして誇りを持てる生き方をしたら幸福を感じると思います。 あなたが立ち上がることで多くの人が助けられる未来があり、あなた自身も立ち上がったことにより生まれてくる何かに助けてもらう時がくると思います。

    あなたは立ち上がる勇気を、ちゃんと発揮できていますか?

    o(*^▽^*)o ありがとう~!



    お知らせ:出張の為、ブログの更新は6月3日(水)より再開します。 いつもブログをお読みいただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    やりつくした。

    「やりつくした」と言うのはどこまでを言うのかと考えることがあるのですが、これは自分の頭の中にあるレベルをどうするかで変わります。

    自分が頂上だと思ったところでも、他から見ればまだまだ低い位置かもしれません。 自分がやりつくしたと思っていても、他から見ればやるべきことがたくさん残っていたと言うことだってあるかもしれません。

    やりつくしたと言うのは周りの環境が大いに影響するかもしれないのですが、私は自分が自堕落的だったと思うのは昔と今では恥ずかしいくらい考え方が違うからです。 恥ずかしい言い訳になるのですが、いじめられていたのも影響していたかもしれません。

    今でこそ年中無休365日営業で休まずに朝から晩までと言う考えですが、工場時代は早く家に帰ってゴロゴロしていたと言うのが本当のところです。 私が最初は地元の工場に勤めていたのはブログで書きましたが、この時も地元なら早く家に帰れるからと言う安易な考えもありました。

    別に早く帰って何かをすると言う訳じゃなく、家に帰ってから本を読んだりTVを見たりとだらだらと過ごすだけで何もしていませんでした。 その当時は基本給6万円+夜勤&交替手当+残業&休日出勤手当=手取りが9~11万円で、生活できていればイイと未来のことなんか何も考えていませんでした。

    それに相当田舎なので、飲みに行かないとすることがありません。 猟銃屋さんはありましたが、私は猟をしないので用がありません。 だから必然的に休みの時は、本を読むかTVを見るかしかありません。 それも小さい本屋さんなので立ち読みは出来ないし、買うと言っても余り本の種類はありませんでした。

    こう言う狭い範囲の場所で生活していると、やりつくしたと言う気持ちが意外とでてきます。 それは比較対象がないから今の自分が一番不幸だと思ってしまうことも多いし、その逆に自分が一番偉いと思ってしまうこともあります。

    私が生まれ育った地域のような狭い世界で生きていると、「やりつくした」と言う言葉が飛び交うワリに薄っぺらに感じてしまいます。 今までは町の洋食屋さんが一番美味しいと思っていたのに、フランス料理のフルコースを味わい覚えてしまうと、なんか物足りなくなるのと同じです。

    ここで重要なのは「やりつくした」と言うのは本人の認識の問題であり、成果が出ても出なくても「やりつくした」と自己満足する場合があります。 こうなると「これだけしたんだから…。」と言う気持ちで、運が悪かったとか仕方が無いなどで済ませるようになります。 しかし、これでは運を良くすることも未来を良くすることも出来なくて、何もしないから何も変わらないと言う堂々巡りの中にはまり込んでしまいます。

    私は素敵なお客様にお話を伺う度に自分の生き方を恥ずかしいと思うのですが、自分は努力も足りないし~何も行動していないし、なんて最低な考え方と生き方をしてきたんだろうと反省することも多いです。

    今から考えると昔の私が自分から一生懸命にやることと言えば、親の借金をどうすればいいかと言う時だけかもしれません。 親の借金が増えて返済が遅れ始めると取り立て屋が家に来るので、そうなると家でゴロゴロもしていられません。

    少しでも借金返済の為に、会社や地元の人にバレナイように簡単に出来るアルバイトとしてポスティングをしていたこともあるのですが、倉敷市や岡山市を相当ポスティングして歩きました。 あの当時は恥も外聞も無いので1日に300枚とか~1000枚など、作業服やジャージのままで配っていました。

    その時の話ですが、住宅街を配っていると幅2メートルくらいの小川がありました。 その先の橋まで行くのも面倒だったので助走を付けてジャンプしたら、思ったより川幅が広くて飛び越えることは出来たのですが着地に失敗して地面に転んでしまいました。

    午前10時頃だったので洗濯している奥様方が家の2階などから見ていた様で、クスクス笑い声が聞こえてきて恥ずかしかったです。

    このポスティングにしても「今やれ!」と言われてもできませんが、あの当時は必死だったからやれたと思うのです。 今の私では無理でも~あの当時の私にはやれた、コレがひとつの認識の差だと思うのです。 私と言う人間に変わりは無いけれど、精神状態や考え方でやれる自分がいました。

    このやりつくしたと言う認識は、果たして本当に限界なのか~それとも面倒だからなのか、これにより結果が大きく違ってくると思うのです。

    素敵なあなたならば素晴らしい行動が今すぐにできるはずですが、それはそれだけの実力と運があなたには備わっているからだと私は信じています。

    あなたは認識の差を、どのように考えますか?

    ( ̄~ ̄;)ウ~ン・・・?

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    揺らぐ時。

    人の心は強い時もあれば弱い時もあるのですが、自分がやりたいことが本当は何なのかと心が揺らぐことがあります。 長く続けようとしても、「このまま続けて大丈夫なのだろうか?」と思い始めると、ネガティブな妄想が次々と起こり始めます。

    人の心の弱いところですが、ダメだと思い始めると修正が聞きづらくなるのです。 今やっていることは、そもそも始めなければよかったのではないかと考え出すと、成功どころか後悔ばかりが頭をよぎります。

    真面目な会社とか誠実で真摯なお店と言う条件付きですが、こう言うお店にお客様からクレームがあると結構凹んでしまいます。 特にクレーム処理の部署に配属されると、毎日~毎日クレームの処理ばかりで気が滅入ってきます。 冷静に考えるとお店ではクレームがあっても当たり前で、それ以上に感謝や感動を起こしているからお店として成り立っているのです。

    仮に1000人のお客様が来て、そのうち拒否や否定が2人あったとします。

    そうなると500人に1人が嫌だと言っていることになりますが、逆に言えば500人中499人はイイと言ってくれているのです。 コレは圧倒的にイイと言う人が多い、つまり支持してくれている人の方が大多数と言うことになるのです。

    しかし、残念ながら人の心は「賞賛には強い」のですが、「否定や拒否には弱い」のです。

    褒められた言葉は嬉しいけれど、すぐに忘れてしまったり~慣れてしまうのです。 ところが否定や拒否の言葉は、いつまでも心にトラウマとして残ってしまうほど、強烈に残像思念のごとく焼き付いてしまうのです。

    例えば、私は出張などPCが使えない状況を除いて毎日ブログを更新していますが、ブログをやめようと思ったこともあります。 過去の話ですが「くだらないことばかり書いて、このフロアの品位を落とすから迷惑している。」と、同じフロアの人よりクレームが度々ついていた時期があります。

    毎日アクセスしてくださる方は覚えているかもしれませんが、余りにも「山崎のブログは下品でくだらない」と罵倒されるので「ブログをやめるかもしれません。」と書いた時があります。 すると翌日から「ブログをやめないで。」と言うお手紙やお電話を頂いて、「心の励まし」としてモノスゴク感動しました。 (今でも頂いたお手紙は大切に保管してありますし、お電話を頂いた方も内容も覚えています。)

    ここが分かれ目だったのですが、たった1人に非難されただけでブログをやめていたら今の私は無かったと思います。 いくら非難されてもくじけずに続けていたからこそ、素敵なお客様に毎日お会いできているのだと思います。

    あなたが何かを続けていくことに疑問や疲れを感じたり、「やめてしまおうか?」と思ったのであれば自分の心に聞いてみて欲しいことがあります。

    自分が決めてやり始めたことや「やっていてよかったぁ~!」と思える夢や希望などの何か、それをあなたは「自分の人生から捨ててしまえるのかどうか?」と言うことを、もう一度自分の心に再確認してからでもやめるのは遅くはないと問いかけて欲しいのです。

    漫画家を目指していても売れなくて書いているだけの時期が続くかもしれないし、女優を目指していてもオーデションに落ち続けて女優を辞めたくなるかもしれません。 お店や会社を経営している人は赤字~赤字で、「もう、閉めてしまおうか…?」と投げやりになるかもしれません。

    しかし、やめることが出来る人は、「やめても大丈夫な人」だと思うのです。

    夢を追い続けることが出来る人は努力を努力と思わず、当たり前のことを当たり前にしているだけと思う人が多いです。 それと同じように夢をあきらめてしまえるのは、その夢が叶わなくても忘れることが出来るからあきらめられるのです。

    人であれば心が揺らぐ時もあるだろうし、やめてしまいたくなる時だってあります。 やめても生きていけるのであれば、やめたところで人生に影響はありません。 でも、やめたら後悔することがわかっているのにやめるのは、人生において後悔だけが残る人生を歩む道を選択したことになるのです。

    あなたの気持ちが折れそうになったのであれば、心が揺らぐことを止めたいのであれば、自分の心に問いかけて「やめたら後悔する」と言うのを再認識していただきたいと思うのです。

    夢と言うのはやめたら「失敗」と言う名前に変わるのですが、やめない限りは「希望」と言う名前であなたを励まし続けてくれるのです。

    あなたはやめようと思った時に、踏みとどまれる気持ちがありますか?

    ~゛(ノ><)ノ ヤルゾー!

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    男のプライド。

    おはようございます。 今日は月曜日なので仕事始めの方も多いと思いますが、素敵なあなたの笑顔が輝き始める素晴らしい週の始まりだと信じています。 あなたの未来は信じるに値する素晴らしい時間ですから、その時間の流れを無駄にしないように全力を尽くせたら素晴らしいですね。

    さて、私は男性心理と言うか男性の手口のアレコレはいくらでも分かるのですが、残念ながら女性にそれを面と向かって言うのは憚られるのです。 いくら「教えてください!」と言われた所で真実を聞いてしまい、全ての男性がそうなのかと思われても困るのです。

    男性との会話の中から自然と好意を持っているのかどうかを感じ取っていただければいいのですが、男性心理がわからないとなかなか難しいかも知れません。 ただし、真摯な男性と言うべきか~見抜き方と言うべきか、一番簡単なのはボランティアや寄付などを一生懸命に自分からしている男性ならば、好みは別として外れはありません。

    それはさておき、やはり会話で二人の気持ちの距離を縮めるのが、恋人同士にとっては一番大切なことだと思います。 しかし、会話の仕方によっては男性の気持ちが冷めてしまうこともあり、男性の気持ちが冷めてしまう会話とは一体どういうものかを理解していないと、いいところまで行ったのに付き合えなかったとなります。

    合コンなんかでは最初に目が行くのは一番好みじゃない女性で、最後に自分がターゲットとする女性に視線を送るのが男性のやり方です。 つまり、男性は会話しながら自分の理想に当てはめていく為に、あなたの表情を観察しているのです。

    その時に余り笑顔にならなかったり~表情が乏しかったり、それ以外でも無表情な感じだと自分の条件から除外していくのです。 これは基本中の基本ですが、あなたの前に何を言っても無表情な男性が座っていたら同じように除外していくと思うので、男性が話をしている時にはできるだけ笑顔で表情豊かに聞くのが秘訣です。

    また、二人で会話している時に自分のプライベートなことを全く話さない、男性から質問をされると堅く口を閉ざしてしまう女性もかなり損をしています。 これでは男性から見ると心を開いてくれていないと思われるので、個人情報まで言わなくていいのである程度のことは話すようでないとキッカケが無くなります。

    例えば、「どこに住んでいるの?」と聞かれた場合に住所は言わなくていいので、「岡山市だけど玉野より。」とか「新橋だけど有楽町に近い方。」などが理想です。 それを「…。」と無視したり、「岡山県」~「アジア」~「地球」なんて答え方は減点です。

    もしも恋愛を目指しているのであれば、ちょっとはプライベートな話もしていかないと男性は興味を失います。 心を開いてくれないと感じた女性には男性も心を開きませんから、結果として男性の気持ちが冷めてしまうことになります。

    男性に誘われたデート時に、全くの受身では男性の気持ちは冷めてしまいます。 付き合ってもいいかなと思うのであれば、多少の努力はしないといけないのです。

    これは難しいことではなく、男性の話を聞いてあげる~男性の喜ぶリアクションをするなどです。 じっと聞いているだけで何もしないでいると、男性も反応が無いので口説く気持ちがなくなって、次のデートには誘われなくなります。

    あなたが好印象を残したいのであれば会話中の笑顔や態度を積極的にして、男性を喜ばせるデートにしてください。 最初のデートと言うのはどの男性も意外と細かいところまで観察して、あなたの細かい態度やしぐさから自分と会うかどうかを全力で見ています。

    ここで注意点ですが、男性心理を傷つける言葉だけはNGです。 これは悪口ではないので女性側としては傷つけていなくても、男性側は傷ついている場合があります。 男女の心理には物事のとらえ方に違いがあって、「男のプライド」を傷つけると付き合うどころか別れ話にもなりかねないので、男性を傷つける言葉を理解していく必要があります。

    これは難しいものではなく「男のプライド」が絡んでいるものが全てで、男のプライドを理解していないと考えずに傷つける言葉を言ってしまいます。 ただし、男のプライドは女性にはない部分なので傷つけていることに気が付きませんから、ここがカップルのケンカにもなる肝心なところです。

    男のプライドをヒトコトで説明すると、「自分のことを偉い」とか「俺はすごいだろう!」など「俺の意見は正しい!」と思っている部分のことを言います。 自分が一番正しい判断をしているとか~他人より俺の方が偉いと思っているなど、これを「否定する=男のプライドを傷つける」と考えていれば正解です。

    簡単に言えば、「男の意見を肯定する=男を立てる」と言い、逆に「男の意見を否定する=男を傷つける」と言う意識の違いが理解できればOKです。

    「大げさ」に例えるならば、男性とドライブしていて道を間違えた時に「道、間違えてるよ。」と教えてあげたら男心は傷ついて次のドライブは無くなります。 また、彼とデートをしている時に「ここって、前に来たことある。」なんて言うと、男心は大変傷ついて機嫌が悪くなります。

    「うわぁ~、めんどくさぁ~!」と言う無かれ、男心と言うのは女性が思っている以上に繊細なので傷つきやすく、自分が上位に立てないとなれば途端に本性剥き出しにして「オンナのくせに!」と頭に血が上るのです。

    分かりやすくする為に大げさに書きましたが、男のプライドを傷つける言葉がどういう言葉か理解していただけたら幸いです。 女性にとってはなんでもないことが、男性にとっては凄く傷ついたというのはよくあることです。 面倒くさいと思わずに、これらができたら意中の彼を落とすのは目前です。 (笑)

    最後に参考意見として、男のプライドに拘らず相手のことを素直に認めることができる男性は素晴らしいです。 相手を認めることができる人は、実力と自信に加えて人望もあって信念を貫ける人です。 「そんなの、いない!」と言われるかもしれませんが、時々ブログに登場するN市のIさんや寄付の神様やE県のMさんなどが一例です。

    あなたは男のプライドを理解して、恋に発展させることができますか?

    (○゜ε^○)フフッ!

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    建設現場。

    おはようございます。 今日は日曜日ですが、素敵な笑顔でいるあなたには楽しくて素晴らしい日になると思います。 自分には似合わないとかやれないとか思わずにやってみると、意外に適応できたり好きになるかもしれません。

    北大路欣也さんだってイメージからすると似合わないのに、ソフトバンクのお父さん犬の声にチャレンジしているのですから、人は何歳になっても挑戦する姿勢は必要だと思うのです。

    さて、今日は建設現場時代のお話ですが、私は余り褒められた人生ではありません。 だからこそ、普通であることが幸せに感じられるので今がとても充実しています。 つまり、最初の状態が余りにも酷すぎたので、その嵐が過ぎ去ってしまえば少々の風は無風と同じ程度にしか感じません。

    私は高校卒業後に工場で2交替制&3交替制をしていたのですが、建設現場に比べればタイムカードを押して時間通りにしていればよかった上に、危険度も建設現場に比べると格段に安全な方でした。

    しかし、工場に勤めている時には不平不満の塊で、おまけに地元の工場に就職したので再びいじめられる毎日の為、辞めたくて辞めたくて仕方が無かったのです。 ところが勤めている時にはわからなかったと言うか、世間の風の冷たさを知らなかったと言うべきか、イザ辞めてしまうと田舎では働くところがないので建設関係で働くしかなかったのです。

    しかも建設現場はビル建設~学校建設~工場建設~ショッピングモール建設~ダム建設など、大型建設が中心だったので家から離れて通えない場所へ泊り込みの現場もありました。 家から通えない時には飯場と言って現場内に建てられるプレハブで寝泊りするのですが、コレは個室ではなく60畳~80畳の大きな部屋に60~70人が集団で雑魚寝するのです。

    それに工場時代は暑いとか寒いなどと言っても、やはり屋根と壁がある屋内なので自然条件とは違います。

    本当に人と言うのは屋内で生活する生き物だと思ったのですが、山の頂上にある鉄塔の上で、しかも吹雪の中で作業するのはとても厳しかったです。 そして夏の直射日光の中でビルのスラブ(床面)となる、銀板の反射の中で鉄筋を組んでいるのは倒れそうでした。

    気が荒い方々ばかりの中で、気の弱い私は後悔の連続でした。 「どうして、工場を辞めたんだろう。 辞めなきゃよかった…。」 もう、毎日~毎日~毎日後悔の連続で、私の人生はこのまま一生抜け出せないんだと暗い未来しか見えない時期でした。

    私は幸か?不幸か?資格マニアなので、27個の資格を持っています。 その為、田舎の建設会社では重宝されて、今日は電気関係で~明日は水道関係で~明後日はクレーン~その次の日はユンボで土方など、毎日色々なことをさせられていました。 岡山県内の人なら分かると思いますが、倉敷インター周辺の山陽自動車道トンネル照明の掃除や蛍光管の取り付け&補修などもしていました。

    そして三重県伊賀市にある新聞を印刷する輪転機の組み付けもしたし、山口県防府市にあるダンボール製造工場のライン設置にも行きました。 明石大橋のテッペンは見晴らしがよかったし、愛知県清須市の麒麟ビール工場内のタンク取り付けもしました。

    しかし、何と言っても強烈なのはビル建設とダム建設です。

    型枠や鉄筋などに関わると言うことは、どれだけキツイのかは普通の人では想像できません。 これだけは経験した人でないと意味が分からないと思いますが、ビル建設やダム建設に関わる人たちと言うのは、日本全国から集められます。 特にドヤ街と言われるような場所から集められるのですが、ムショ帰りとか戸籍が無いとか表現が難しいような方々です。

    流れとしては元請けから下請けに仕事が流れて、それから孫請けや地元の工務店などへ行き、更には人夫と言って作業員を一日いくらで連れてくる人もいます。 この辺の話を井上さんとすると、とても共感してくれるので話が合います。

    ココで少しN市のIさんについて触れたいのですが、Iさんは大学を出ているので現場監督と言って、職人さんを手配したり墨を打ったり段取りを付ける元請(管理施工)の方です。 私は現場で働く職人の方でしたが、Iさんと建設現場の話をするとよく合うのです。 ただし、色々な意味で建設現場での真実は、ココではとても書けません。 (*^m^*)

    私の建設現場時代を知っている人は、「目が死んでいる」とか「今とは全然違う」などの意見が多いです。 ちなみに昔のIさんも今とは相当違うのですが、最初にIさんと会った時は今で言うルーキーズかドロップみたいで怖かったです。

    まぁ、建設現場でよかったことと言えば余りいじめられなかったことや気合と根性と言う精神力の強さ、後は世の中には色々な人がいると言う人生経験が一番だったと思います。

    物事には全て意味があるとか必要な時に必要なことが起きるなどと言いますが、建設現場時代は現実の厳しさや生きていく強さと言う点ではとてもいい経験でした。 この建設現場時代にやれたことを学生の時や工場の時に出来ていたら、いじめられなかったし霊視カウンセラーになっていなかったと思います。

    あなたは建設現場など、想像できない世界があるのを知っていますか?

    (;;゜ o゜;;)ウヒャ~?

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    占い師のタイプ。

    占い師の裏話と言えば占い業界内の話が一番面白いのではないかと思いますが、今年は何故か占い師さんやスピリチュアルカウンセラーやヒーラーなどの先生方がよくお越しになられて、業務縮小や他業種への転職のお話しが多いです。

    明日は我が身と言う言葉があるように、人のフリ見て我がフリ直せなので私も人のことをアレコレ言える立場ではありません。 その為、未熟者の私としてはヒヤヒヤしながら、恐る恐る御相談を伺っている次第です。

    さて、占い師さんと言っても千差万別であり、まずは「会社タイプ」と「自営タイプ」に分かれます。 この「会社タイプ」と言うのは占い会社に所属して、鑑定場所や雑誌の連載やイベントなどをプロモートしてもらうなど普通の会社員の方と同じです。

    占い会社のオーナーの指示に従い動くので、一見すると雑誌にでたりイベントに出たりして派手に見えるけれど自分の事務所を持っていないことが多いのが特徴です。 そして会社に内緒で占いをする時には喫茶店などを使い経費を掛けずに鑑定料を受け取ると言う、どちらかと言えば生活する為に占いをしている人です。

    この「会社タイプ」の占い師さんは会社が売り出してくれるので取材を受けることも多いのですが、取材を受けている割りにネット検索で名前が出てこないとか普段は何をしているのか分からないのが特長です。 (会社から依頼がない時は、アルバイトをしていることが多いタイプです。)

    一応は会社に所属している為、自分が勝手に占いをするのは契約違反となるので内緒で鑑定をするようになります。 内緒でする為には事務所を持つのは都合が悪く、喫茶店や出張鑑定を中心に活動を始めます。 ただし、この会社タイプは自分で事務所を持てない理由が2つあります。

    まずそのひとつは収入面ですが、会社から受け取るのは鑑定料の40~50%が自分の取り分となります。 その為、会社がお客様を集めてくれる時は5000円でしているけれど、自分が内緒でする時は3000円と言う感じで極端に安くしてしまうのも「会社タイプ」の特徴です。 しかし、いくら鑑定しても50~60%を持っていかれるので生活するのが精一杯となり、事務所を出すことができないのです。

    そして二つ目の理由ですが、会社に所属しているから知名度があると言う点です。 実は会社に所属すると、女性雑誌の取材の手続きをしてくれたりネットの広告やイベントに出して売り出しをしてくれます。 そうやって「○○会社所属の○○!」と言う感じで売り出していくので、所属会社を辞めるとタダの人になってしまうのです。

    実力で取材を受けているわけではないので、会社と縁が切れると女性雑誌も載せてくれなくなります。 雑誌に出ている占い師さんは99%の人が雑誌取材ではなく広告で、会社の依頼で掲載されるから必ず「会社名+個人名」になっているのです。

    そして「自営タイプ」の場合でも「兼業タイプ」と「専業タイプ」に分かれて、割合で言うと兼業タイプの方が多いです。

    この「兼業タイプ」と言うのは鑑定だけではやれないので、物品販売(パワーストーンや印鑑や仏像など)をしたり、祈願~祈祷~お祓い~御札など自分の念パワーで願いを叶えると言う怪しげなタイプ~占い教室を開いて鑑定士免状を発行して弟子を増やしていくタイプ~普段はアルバイトしながら休みの時だけ占い師になるなど、色々なタイプの占い師さんがいます。

    注:印鑑を作れ~パワーストーンの販売~お祓いが必要など、こんな話を私がお客様にすることは21世紀中にはありえないと思います。 (苦笑)

    しかし、そうは言っても生活の為には、鑑定だけでやっていくのは至難の技です。 占い師さんと言うのは認定資格があるわけじゃなく、個人が勝手に占い師を名乗っているのが実情だからです。 広告や宣伝をしたからと言ってお客様が増える世界でもなく、何がどう転んでやっていけるのかはどの占い師さん自身もよく分からないと思います。

    私自身も鏡リュウジさんや銀座の母などに比べて知名度が無いし、雑誌に広告を出しているわけでもないので何故やっていけるのか本当はよく分かりません。 ただ、素敵なお客様の御厚意により営業していけている~素敵なお客様の御支援においてやっていけていると言う、お客様と共に歩んでいく2点はキチンと心に刻み込んで行きたいと思います。

    最後に「専業タイプ」ですが、江原さんや鏡リュウジさん~細木先生や銀座の母などがいます。 このタイプは占いに関する基本的なこと(鑑定や執筆や講演など)のみなので、鑑定を受けに行っても占いの経験として損は無いと思います。

    毎日~毎日、いつ事務所に行っても鑑定していて~予約の方も毎日入り続けていて、物品販売やお祓いなど余計なことはするヒマがない、これはもう日本国内でも数少ない部類の一流となります。 こうなると日本全国どこへ行っても通用するので、出張鑑定などはたちまち予約が埋まります。

    最初は近所で鑑定していたのにいつの間にか知名度が上がって、東京へ事務所を構えたりして同じ場所にとどまらないのが「専業タイプ」です。

    あなたは占い師のタイプを、認識できていましたか?

    三三三4( ̄_ ̄ ) ウーン?

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    情熱の炎。

    人は無意識のうちにビジョンを持っているのですが、知らない間に忘れているのが玉にキズです。 勿体ないことこの上ないのですが、素敵なビジョンであれば現実化しなければ誠に勿体ない話です。

    最初のキッカケは何でもいいのですが、「こんなことができたらいいな」とか「こんなものがあればいいな」など、人は頭の中に素晴らしいビジョンをしまいこんでいます。

    ただ、残念なことに具体化できずにいつの間にか失っていくのが惜しいのですが、子供の頃でも社会に出た時でも~引いて言うなら今現在でも、素晴らしいビジョンはあなたの中に眠っています。

    それを今こそ実現させて、本当に自分を見据えるべきなんです。

    やりたくない仕事を頑張ってやり、正当な評価をされないままやり続ける。 コレはこれでひとつの生き方かもしれませんが、少なくとも正解とは言えないのです。 人がどう思おうとも、自分が生きている実感が味わいたいのであれば現状を変えるべきです。

    あなたの中には成功する為に必要な成功の技術や知識や情熱などが、マグマのごときエネルギーとして今か今と爆発を待ち望んでいるのです。

    大人になると言うのは本当につまらない話ですが、「もう少し、大人になれ。」と注意されたり蔑まれたりすることが社会生活ではよくあります。 しかし、大人になるとはどう言うことかと聞かれたら、大抵の人は「迎合する」ことを指し示します。

    早い話が「言うことを聞きなさい」であり、言われたことだけしていればイイと言うのが本音です。 人は自分で考えることができる生命体であり、常に命令を待っているだけでは生きがいなんか感じられないのです。

    夢に対して行動している人がきらめいて見えるのは何故かと言われたら、それは内に秘めた「情熱や決意」が人並みはずれているからです。

    自分がやりたいことなのに、途中で軸がブレるようでは何にもなりません。

    ビジョンとはアイディアと言い替えてもいいのですが、夢を持つということは今はない状態のものを頭の中に創造するということです。 今目の前にあるようでは夢とは言わないのですが、目に前に存在しないものを追いかける為には自分の中にあるものを信じないと始まらないのです。

    情熱や決意を持ち続けることができる人と言うのは、基本的にはあきらめの悪い人です。 世間一般ではあきらめが悪いとは余りイイ意味にはとられませんが、実際にはあきらめの悪い人がコツコツと続けることで世の中は成り立っているのです。

    電球ひとつとっても3千種類以上の材質を試すほど、エジソンのあきらめが悪いから世界中に灯りが存在しているのです。

    100人の人があなたの目の前にいて、その100人全員にあなたのビジョンを話したとします。 その時に100人全員に反対されるかと言えば、必ずしもそうではありません。 あなたのビジョンを素晴らしいとか面白いなど、興味を示すとか賛成する人も必ずいます。

    最初からたくさんの人に賛同してもらわなくても、ひとりでいいから理解してくれる人がいれば充分です。

    人を巻き込むことができるのは最後の最後には内なる情熱であり、情熱もなく淡々と語るような人には人も天も味方することはありません。 自分に酔うと言う言葉がありますが、それは自分自身を信用することにも繋がります。 いつでもどこでも自分に酔っていたら話になりませんが、ここぞと言う時には自分の言葉に酔えるくらいの情熱が必要なんです。

    人は自分が思い描いたことをできない時に、何かの言い訳を見つけて納得させてしまうことがあります。 知識が足りない~技術が足りない~お金が足りない、こうやって次々と足りないもの探しを始めて自分の心を納得させてしまうのです。

    しかし、本当に足りないのは「情熱」で、燃える炎のような情熱が夢を叶えるのです。

    エベレストに登りたいと常日頃思っている人は、富士山は楽勝で登ります。
    60階のビルを階段で屋上まで上がる人は、10階のビルの屋上は楽勝です。

    常日頃から情熱の塊のような気持ちで居る人は、何があろうとあきらめないから最後には叶えてしまうとかやり遂げてしまうことになるのです。 遊んでいて夢が叶うことはないけれど、情熱を失わなければ夢が叶うことはいくらでもあります。

    あなたは情熱の炎が、胸の中でどれくらい燃えていますか?

    \(^_^=^_^)/ ヨロシク♪

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    世界の風習。

    世界の国々には色々な風習や考え方があるので、同じ人間でもところ変われば色々あるなぁ~と思うようなことが一杯あります。 人は同じ場所で仕事をしている人同士でも意志の疎通が難しいのだから、住んでいる地域や国が違えば異なるルールになるのは当たり前だと思いました。

    私は海外旅行をしたことはありませんが、お正月やGWやお盆には海外からお越しになるお客様がおられます。 倉敷事務所へお越しになる方もいるし、東京会場へお越しになる方もいるので、海外へ行かなくとも吸収できることは一杯あります。

    しかし、色々な人の話を聞いたり霊視で海外の風景を見る度に、「日本は良いなぁ。」と思うこともシバシバです。

    結婚ひとつ取っても、国が違えば結婚の様式自体も違います。 実は結婚に関して言うと「離婚が限りなくゼロに近い国」があるのですが、この国には結婚の為のルールが厳守されているからです。 日本でこのルールを厳守することは人権問題など色々と言う人がいるので無理ですが、実行したら割りと良いのではないかと思います。

    昔と違い今は海外へ行くのは当たり前の時代になってきているので、国際結婚すら普通の感覚で行われています。

    しかし、そうなると風習や習わしと言った先祖代々伝わるなんて話しが当然出てくるので、コレはどこの国もそう変わりありません。 ただし、国によって考え方の違いと言うのは相当あるので、これは自分で乗り越えないと国際結婚なんかできません。

    倉敷事務所にお越しになったお客様だけでも、相当国際結婚しているんだなぁと気付かされたのですが、ニューヨーク在住で美容室を経営しているご夫婦~アラブ在住で一夫多妻の中の第2夫人~ハワイ在住で家事の合間に英語を教えている奥様、こうやって書いているときりがないくらいです。

    人と人だから住めば都とは言いますが、果たして本当に都かどうかは本人の適応能力によると思うのです。 いくらひどい環境でも慣れてしまえば平気ですし、余りたいしたことが無くても慣れないと辛く感じるのと同じです。

    これから紹介するのはあくまで例え話であり、実話じゃないと読み流していただければ幸いです。 国と国との違いよりも家系や考え方の差の方が大きく、一概に○○人だからと決め付けられないし、どこの国でも良い人もいれば悪い人もいます。

    ポル○ガルに嫁いで行ったAさんは自分の話を聞いてもらえないのに、家族からよく話しかけられることが苦痛でした。

    夕食のおかずにしても準備する前に聞かれたところで希望のものが出るわけじゃなく、「Aさん、今夜はカレーがいい?」と聞かれて「はい、カレーでいいです。」と答えたら、食卓に豚の丸焼きが出て家族で大バーベキュー大会になったり、「明日は海に行こう。」と言われて準備したら、町へ買い物に行って帰ると畑仕事と言う具合です。

    しかし、Aさんはある時から「あぁ、そう。 どうせ私の話しなんか聞かないのね。」と割り切ったから、心が平穏に過ごせるようになりました。 何故なら、「今夜の食事は何が良い?」と聞かれたら「蛇の姿焼き」とか「白熊の雑炊」など、適当に答えて楽しむようにしたのです。 (Aさんは、凄いと思います。)

    コレは国際結婚したお客様のお話ですが、普通に海外で生活するのも似たようなものです。

    ブ○ジルで生活しているBさんがカフェでランチを食べていると、ホームレスの人が近づいてきました。 Bさんは「何だろう?」とドキドキしていたのですが、「飯、食い物が欲しい~。」と言ったように聞こえました。

    心優しいBさんは「それじゃあ、このサンドイッチを半分どうぞ。」と言うと、「何だよ、ケチ。 サンドイッチくらい全部くれよ。」と言われてしまいました。 (Bさんは「なに言うとんねん?」と、驚いたそうです。)

    イ○ドで生活しているCさんが出勤していると、道がものすごく渋滞していました。 Cさんが道の前方を見ると車が故障して、道の真ん中で立ち往生していました。 「あぁ、大変だなぁ。」と思い、Cさんは会社へ出勤しました。

    そして仕事も終わり帰宅していると、朝の車がまだ止まったままです。 Cさんが車を見ると、窓に「ノープロブレム(心配ない)」と書いた紙を張って運転手は寝ていたそうです。 (Cさんは、さすがイ○ドと思ったそうです。)

    オ○ンダで生活しているDさんは生活を始めた当初、道を歩いている人に「すみません、チューリップ(花の公園)を見たいのですが、どう行けばいいですか?」と尋ねたら、その人は親切に「こっちだよ。」と道案内をしてくれました。 そして着いた場所は、「花屋さん」でした。 (Dさんは、シャレなのか本気なのか悩んだそうです。)

    日本と海外の違いは多種多様ですが、国の中でも人により多種多様です。

    あなたは世界の風習、その違いを知っていますか?

    アハッ>(◇⌒ ))Ξ(( `◇)<オホッ

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    盲導犬訓練士。

    仕事の御相談と言うのは悩みの中でも多い部類に入るのですが、仕事と言ってもありがとうと言われる仕事の充実感はお金には変えられないものがあります。 時々お問い合わせいただくのですが、意外系の職業で言うと盲導犬を育成する訓練士はやりがいと充実感が一体となった素敵なお仕事だと思います。

    残念ながら年齢制限がありますが20代の人であれば受験できるので、今の仕事にやりがいを感じないのであれば~人の役に立つ仕事をしたいのであれば、盲導犬訓練士はあなたに希望を与えてくれると思います。 (男女は問いません。)

    では、どうやれば盲導犬の訓練士になれるのかですが、ひとつめの方法としては全国にある各盲導犬協会に研修生として入ることから始まります。 最初の3年(高校卒は5年)ほどは先輩の仕事を見たり手伝ったりしながら、犬の体の構造や健康管理など犬に関する知識と訓練の仕方についての技術を学びます。

    そして各協会の認定委員会によって一定の技術水準に達したことが認められれば、盲導犬訓練士の肩書きが与えられて犬の訓練全体を任されるようになります。 ただし、コレはあくまでワンちゃんのことで、実はコレだけでは盲導犬の育成は出来ないのです。

    ここから更に2年間程度かけて、視覚障害者の方に盲導犬の扱い方を教えることができるようにならないといけません。 (ワンちゃんと人と両方に指導できるようになって、始めて一人前となります。)

    その後は認定委員会が訓練技術~専門知識~経験などが水準に達したと認められれば、今度は盲導犬歩行指導員の肩書きが取得できます。 コレでとりあえず肩書きは揃うので、アトは自分で一人前になる為の努力、コレは経験を積んでいくしかありません。

    ふたつめの方法としては、2004年度より日本盲導犬協会が主催する盲導犬訓練士学校が開校したので必要な知識を習得したいのであれば、まずはこちらに入校して学ぶのもひとつの方法です。

    盲導犬訓練士の養成学校のカリキュラムなら実習も教育も、全て統一されているので体系的に学ぶことが出来るメリットがあります。 学習内容は、理論~犬行動学~犬病学~栄養学~視覚障害リハビリテーション論~障害福祉論など、必要な事を幅広く学ぶことが出来ます。

    養成学校の募集人員は平成21年度は10名で、高校卒業以上から試験を受けることが出来て、年齢は30歳程度までとなっています。

    参考までに盲導犬訓練士の採用試験についてですが、作文と面接だけの協会もあれば書類選考から始まって面接~筆記~実技試験と体験実習まで行う協会まで、場所により違いがあるので目的の協会に問い合わせる必要があります。

    盲導犬訓練士の資格試験は毎年11月から12月に行われ、高校卒業程度の学力を有する者で年は30歳程度までと言う条件があります。 1次試験は筆記&書類審査で、2次試験は小論文&適性検査&集団面接があります。

    もしも、盲導犬訓練士になりたいのであれば、以上の要項を満たした上でチャレンジしていただければ、あなたが育てたワンちゃんがすばらしい盲導犬となって視覚障害者を助けてくれる、そんな素晴らしい感動体験がいつも出来るようになります。

    最初にお金に変えられない充実感と書いたのは、盲導犬の訓練士は福祉の仕事になるからです。

    盲導犬の訓練士は当然ながら犬の訓練をする事が主な仕事ですが、それと同時に盲導犬を必要とする方、特に視覚障害のある方とのコミュニケーション術も重要な仕事なのです。 犬の訓練だけではなく人の方にも盲導犬との歩き方や一緒に暮らす上での注意点などを、分かりやすく説明して相談に乗ってあげなければなりません。

    そうしたことを理解した上で就くことが出来たなら、「人の役に立ちたい」という気持ちのある方にとっては、きっとやりがいのある仕事になります。

    今後は視覚障害者の高齢化や障害の重度&重複化が進みますし、ニーズの多様化の為に指導員の業務はより高度なモノが求められるようになってきているので、それに対応できるのは、このブログを読んでいる素敵なあなたのような素晴らしい人材です。

    盲導犬クイールと言う映画がありますが、あのような感動をあなたの手で作り出すことが出来るのは、自分の人生においてとても重要なことだと思います。 (あなたが主人公となって、感動を生み出すチャンスが存在しています。)

    あなたは盲導犬訓練士について、少し興味が出てきましたか?

    (≧∇≦)ソウカァ~!

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    悲しい時。

    おはようございます。 GWも過ぎ去って早くも下旬に入りそうですが、日常生活で心がウキウキする時もあれば沈み込む時もあると思います。 私も予約が入らない時やヒマな時は凹む時もありますが、そこで自分を卑下しすぎると更に凹んでしまいます。

    素敵なあなたが仕事や生活の中で上手く行かない時には落ち込んでしまうかもしれませんが、それでも今と言う時間の中でうまくいかない時よりも「うまくいく方」が圧倒的に多いはずです。 私もヒマな時がありますが年中無休でしていれば、ヒマな時がある方が自然です。 (なお、倉敷の予約は今のところ普通に取れますし、東京の予約も6月分はまだ空きがあります。)

    人間には必ず感情があり、それが楽しいことや悲しいことを引き起こします。 人は感情に左右されがちですが、なんでもかんでも杓子定規に決めないからこそ人情と言う言葉があるのです。

    確かに人である以上は、悲しい時や嬉しい時など様々な感情が心の中を渦巻いていて、それがトラブルを起こすこともあります。 しかし、上手く使えば心に取ってビタミン剤になるものですし、ホンのヒトコトにより心が救われることだってあるのです。

    人が人である為には感情のコントロールが必要なんですが、人はひとりでは生きられません。 ひとりでは生きられないからこそ心のよりどころとなるものを必要とするのですが、何かに包み込まれて癒されることも大切だと思うのです。

    あなたが笑顔でいる時には寂しいことなんか無いのですが、笑顔じゃなくなる時には笑おうとしても笑えない悲しみが心を占めていると思うのです。

    「良いことと悪いこと」 どちらかと言えば悪いことの方が強烈に心に残るのですが、それは良いことよりも悪いことの方に心が負けてしまうからです。 だからこそ悪夢と言うように寝ている時も夢の中まで追いかけてきて、あなたの心にダメージを与えようとしてしまいます。

    私はそんなお客様の辛い時が人一倍分かるだけに、あなたの心がまるでフカフカの絨毯の上を歩いているかのような、そんな良い気持ちでお帰りいただけるように努力していきたいと思うのです。

    落ち込んだ時には黄色の絨毯の上を活き活きと歩いて、恋をしている時はピンクの絨毯の上を彼と一緒に嬉しそうに歩いている。 あなたの心にある絨毯の色は、あなたの気持ちと共に変化していくのですから、あなた色に染まる素敵な絨毯の上をいつも歩いていて欲しいと思うのです。

    地球上には66億人以上の人が居るし、日本だけでも1億3千万人以上の人が居ます。 しかし、その人たちが見上げる空はひとつでも、見上げた空の色はその人の心に思う数だけあるのです。 活き活きしたブルーに見える人もいれば、その青さが憎らしいと感じる人も居ます。

    同じように白い雲を見あげた時に美しいと感じる人もいれば、鬱陶しいと感じる人も居ます。

    人の心は無数に変化するのですが、傷付いた心は時間の流れと共に癒えるのを待つか、それとも誰かの優しさや思いやりに触れて治るのか、そのどちらかでしか傷は治癒しないのです。

    あなたが傷付いた時には地球上の人が同じようにどこかで傷付いていて、同じような痛みを感じています。

    あなたが辛くて苦しい時には、同じような思いをしている人がたくさんいます。 あなたはひとりじゃなく、同じ思いを共有できる人が世界のどこかに必ずいます。 この地球上のどこかで誰かが同じような思いから、立ち直ろうとしていることに気付く時が必ず来ます。

    その時こそ世界中があなたを包み込んで優しさを共有できて、辛い時や悲しい時のあなた~嬉しい時や楽しい時のあなた、どんな時であろうとありのままでいるあなたを認めてくれると思うのです。

    笑うカドには福来たると言うけれど、あなたが悲しい時こそ笑わなければ胸の中にいる、もうひとりの素敵な自分を悲しませてしまうかもしれません。

    あなたが道行く時に花を見かけて何も感じない時は、心が疲れている証拠です。 もしも元気であれば道を行く時であろうと花屋さんの前であろうと、心に花の美しさや彩が目に止まるはずです。

    確かに花を見て美しさに息が止まる時があるかもしれませんが、それはホンの一瞬のことであり、いつまでも続くことではありません。

    花はどんな条件であろうとも一生懸命に咲き誇ろうとして、日陰であろうと寒かろうと精一杯、自分に出来ることをしようとします。 それができなくても花は何も言わずにもくもくと、できる範囲で成長を続けていくのです。

    あなたが心に辛いことが起きるのは、あなたの未来にきっと良いことが起こる証拠です。 あなたには素敵な未来があるからこそ、その前にホンの少しスパイスを効かせてくれているのです。

    あなたは辛い時にこそ、前向きになれますか?

    d(-_-) ダイジョウブ!

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    運命の繋がり。

    私はいつもお客様の人生には感動を頂いているのですが、それは生きているモノには全て命があり心に想いが残る生命の大切はかけがえのないモノです。 生きているからこそ愛情を感じることができるのだから、生きているのがチャンスのひとつなんです。 出張鑑定の時にお越しになったになった、T県にお住まいのAさんと子犬の話です。

    Aさんはつつましいながらも両親と暮らしていて、就職が決まって家族で食事に行く約束をしていた夜、母親とレストランで待っているのに父親がきませんでした。 Aさんはいつも無愛想な父親が苦手だったのですが、就職祝いだから家族で食事と言うのをOKしたに「何で来ないの、遅いなぁ~。」と内心イライラしながら待っていました。

    しかし、5分~10分と時間が経つに連れて「いくらなんでも遅すぎる…。」と心配していると母親の携帯へ病院から連絡があり、Aさんの父親は車に跳ねられて意識不明の重体でした。 Aさんは母親と一緒にすぐ病院へ駆けつけたところ、医師の説明では命に別状はないのですが意識が戻らないので気長に待つしかないと言われました。

    警察の説明によると父親は車がいるにも拘らず車道へ飛び出したので、運転手さんも避ける暇がなかったそうです。 どうして車が来ているのに飛び出したのか、母親もAさんも疑問を残したまま、どうしていいかわからず途方にくれていました。

    確かにAさんは父親のことが苦手でしたが、こんなことになるとは思っても見なかったので、イザ父親がいなくなるかもしれないと言う現実が突きつけられると、不安が頭の中を駆け巡りました。

    せっかく就職できたのに、その幸せもつかの間で目を閉じる度に父親のことが浮かぶようになりました。 いつも無愛想で何を考えているのかわからない、たまに口を利くと怒ってばかりだったはずなのに、Aさんはどうして心が痛むのか分かりませんでした。

    そんなある日の会社帰りに、いつも近道して通り抜ける公園の滑り台の下に、一匹の子犬が震えていました。 

    Aさんは雨の中で震えている子犬の姿を見て、何か胸騒ぎがして助けてやりたい気持ちが急激に沸き起こってきました。 それはまるで孤独の向こう側にいる自分を見ているかのように、雨の中で濡れている子犬を助けずにはいられなかったのです。

    服が汚れるのも構わず家に連れて帰ると母親が、「あっ、犬なんか拾ってきて。 お母さんは面倒見ないよ。」 家に入るなりの先制口撃でしたが、「うん、私が面倒を見るからいいよ。」 何故かAさんは子犬に引っかかるモノがあったのです。

    身体を洗ってやりミルクを与えると、子犬は安心したのかスヤスヤと眠り始めました。 その姿を見てAさんは少し心が和んだのか、落ち込んだ気持ちが少し回復してきました。 しかし、相変わらず父親の意識は戻らず、Aさんは暗い雰囲気のまま過ごしていました。

    ところが元気になった子犬はAさんを見ると、飛びついたりして甘えました。 そのなついていた感じはAさんの心を癒すのにはもってこいで、いつの間にか子犬がいる生活はAさんと母親に笑顔を取り戻してくれました。

    実はAさんが出勤した後、家にひとりでいる母親は悲しみにくれて過去のことばかり思い出していたのです。 Aさんは家を出て会社へ行けば気が紛れる時もあるのですが、母親の方は家にこもっているので気を紛らわす場所がなかったのです。

    ご主人との出会った頃から今までのことが走馬灯のようによみがえってきて、「どうして、優しくできなかったの。」 こう思い返すことが多かったのに、突然現れた子犬のおかげで少しづつ笑顔が戻ってきたのです。 そうして子犬が家族の一員となり始めたのは、事故が遭ってから3ヶ月が過ぎようとしていた頃でした。

    そして、それと同じ頃に父親の意識が戻り、Aさんと母親は「よかった…。」と家族の絆を深めたようでした。

    父親の身体も元気になり、退院することになりました。 しかし、どうして車道へ飛び出したのか、父親はAさんに何も話しませんでした。 Aさんはいつも無愛想な父親が話したくないのだからと、今は元気になってくれた嬉しさから特に聞こうともしませんでした。

    家について扉を開けると子犬が出迎えてくれたのですが、Aさんではなく父親に飛びついていきました。 父親は子犬を抱きかかえて頭を撫でているし、子犬も父親の顔をなめまくっています。

    Aさんも母親もワケがわからず、「お父さん、この子犬のこと知っていたの?」と聞いてみると、父親が「あぁ、俺が飛び出したのは、この犬を助けようとして、つい…。」 照れくさそうに話す父親の姿にAさんは、今までの誤解が全て解けていきました。

    「お父さんは、本当は大切にしてくれていたんだ…。」

    自分の身を挺しても子犬を助けようとする父の気持ち、それが無愛想でも子供に対する愛情とダブって見えたのです。 この子犬のおかげでAさんは父親と話をすることが自然とできるようになり、Aさんは愛情の深さを今までよりも感じることができるようになりました。

    子犬と父親と言う全く関係ないことが、実は繋がっていたと言う不思議な縁です。

    あなたは運命の繋がりの深さを、どのように感じることがありますか?

    (#+_+)\(^_^;;)ナデナデ

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    生活環境の差。

    おはようございます。 今日は日曜日で朝から雨ですが、お休みの人は素敵な休日になり、お仕事の人は充実した一日になると信じています。 充実した一日になるのは生活環境も大事なのですが、生活していく上での環境の大切さについて書いてみたいと思います。

    生まれてきた時点での環境は自分の意思ではない為、変えられないことが多いです。 しかし、成長過程で変える方向へ持って行くことはできるので、自分の自由意志で同じ場所に居続けるのか、それとも行動を起こして未来を変えようとするのか、それによって未来は大きく変わります。

    毎日の時間の中で「今日も明日も変らないままだろうなぁ~?」と落ち込んでしまうかもしれませんが、今の環境があっていない時には何かを変えないと変わりようがありません。

    私は生活環境が心などの精神状態に与える影響が大きいと思うのは、環境が良ければ人は自然と良い人になれるからです。 これはN市のIさんから聞いた話ですが、N市のIさんは動物の保護もボランティア活動の一環でしています。

    N市のIさんは心優しいので捨てられている猫ちゃんを、知らん顔してほっとくことは出来ません。 貰ってくれる人を探して奔走したり、見つからない時は自分で飼って面倒を見たりしています。

    N市のIさん曰く、捨てられていた猫ちゃんは全部が全部素直なわけではなく、人間にいじめられたりして敵対心丸出しでキバを剥く猫ちゃんもいます。 しかし、最初はそういう危険な状態であっても、優しい環境で生活していると優しい目付きになってキバも剥かなくなるそうです。

    いじめられたり危害を加えられる環境では心が荒んでくるのですが、落ち着いた環境で愛情を持って面倒を見ると変わってくるのです。 自分の身が危険な状態で日々を過ごしているから人間を信じられない猫ちゃんになるだけで、愛情を持って接していれば落ち着いた猫ちゃんになるのです。

    コレは人にも同じことが言えるのですが、認められない環境で阻害されていると仕事が楽しいはずがありません。 いくら真面目にしていたところで、同じ考えの人がゼロの環境では何かをどうしようと言うのは無理です。

    私はいつもお越しいただくお客様の人間としての素晴らしさをブログに書きますが、それは大げさに言っているわけでもなく~お世辞で言っているわけでもありません。 本当に素晴らしい女性ばかりだと心に感銘を受けているから言えるだけであり、私の人生においてこんなに素晴らしい人にばかりお会いできるのは、感謝と感動の毎日だと自信を持って言えるのです。

    誰に聞かれても「奇跡の毎日」だと胸を張って言えるくらい、今の生活環境は素晴らしい方々との出会いの連続です。

    私がいじめられたのは自分にも責任があるのは重々承知していますが、やはり環境も大きく左右していたと少しは思います。 理解できるとか認められると言うのは人の精神状態に多大な影響があるのですが、正しいことをしているのに非難されるのは辛い日々でしかありません。

    しかし、その環境に染まっていたはずなのに抜け出せたのは、本当にラッキーだったとしか言えないのです。 霊視カウンセラーになってからお会いするお客様は素晴らしい方々ばかりで、一片の曇りもない素敵な生き方ばかりだと私はお客様の人生を尊敬しています。

    だからこそ思うのですが、もしも私が今のような素敵なお客様に「もっと早く出会えていたら…?」と思うと涙が出そうです。 思いやりとか相手の為に何かできると言うことの素晴らしさを、お越しくださるお客様より日々教えて頂いているのですから勉強の毎日なのです。

    ひどい環境で楽になる為には周りに染まってしまえば楽になれますが、その先にあるのは人として間違った生き方でしかありません。 染まらない生き方は辛いけれど、抜け出せた時には後悔せずに人として正しい道が歩けるようになります。

    これから紹介するお話は私が工場に勤めていた時の実話で、時間の経過は金→土→日の順番です。

    ある金曜日の夜に工場のH先輩がいつものように飲酒運転をしていると、飲酒検問をしていました。 H先輩は「ヤバイ!」と思って、警察官に車で体当たりしました。 そしてダメ押しに車をバックさせて倒れている警察官を、再度轢いて放置したまま家に帰りました。 (私の地元は県北の田舎ですが、タマタマ通りかかった車に発見されて全治6ヶ月でした。)

    そしてH先輩は土日が社員旅行だったので、土曜日に工場の駐車場まで轢き逃げした車で来ました。 それから観光バスに乗って夕方からは宴会になり、再び飲酒してドンチャン騒ぎを楽しんだのです。

    その後は観光をして日曜日の夕方に工場へ帰ってくると、敷地内は警察官だらけでバスはパトカーで取り囲まれて、H先輩はバスから降りると逮捕されたのです。 (本当に凄い数の警察官の人が来ていて、昔なら西部警察~今ならシバトラか24…?)

    「酒が飲めん奴は一人前じゃねぇ。」と飲酒運転が日常茶飯事だった工場内では、H先輩を擁護する人が多かったので刑期を終えてから工場で働いています。 普通の人なら轢き逃げをした翌日の社員旅行には、とても参加できないと思います。 それに普通の会社なら轢き逃げの時点でクビですが、H先輩は「まんが悪かっただけ」と言う声が多勢を占めていたのです。

    ひどい生活環境にいると考え方自体がダメになるので、可能な限り早く抜け出すのが未来を明るくする為には必要なのです。 私はこの環境に染まっていた時期もあるから人として恥ずかしい限りで、過去の行いの償いがまだまだ出来ていないと反省の毎日です。

    あなたは正しい生活環境の在り方を、どのように思いますか?

    * ・・ ・・(o_ _)o  ドテッ

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    物事の本質。

    おはようございます。 今日の倉敷はどんよりした天気ですが、素敵なあなたの笑顔が素晴らしい一日に変えてくれると思います。 あなたの輝きにより救われる人が大勢いるのだから、今日のあなたの一日はきっと誰かと繋がっているはずです。

    物事と言うのはツイツイ片面だけから見てしまい、起きたことの中身である物事の本質に触れられない時があります。 ありがた迷惑と言う言葉もあるように親切や好意があっても、それを受ける人にとっては逆に迷惑となることもあります。

    自分に起きたことを不運だと捉えれば、それは不幸なことになります。
    自分に起きたことを幸運だと思えば、それはチャンスとなります。

    不平不満を言っていると幸運が逃げると言う意味の本質は、起きた出来事で無駄なことはなく全部が勉強や経験となりうるのです。 しかし、目先のことばかりに捉われていると、自分のことや目の前のことにしか気が回らなくなるのです。

    例えば、仕事が激減してしまい、「どうして仕事がないんだろう?」と考えていたとします。 しかし、真面目にするべきことをしていれば、そんなに急激に仕事が無くなることはありません。 自分がすることは全部したのに何故と思うのは、残念ながら周りが見えていない証拠です。 周りが見えていないから、それ以上の「するべきことを発見できない」だけなんです。

    それと同じように周りが見えていないと、自分の行動が誰に取っても良くない状態を作り出してしまいます。

    人として情があれば仕事がなくて困っている人を見たら、なんとかして助けようと考えるのは自然だと思います。 ところが、周りが見えていない人を助けると言うのは、物事の本質として余り良いことではありません。 中途半端に周りが見えていない状態で助けてしまうと、その人は実力があると勘違いして反省も感謝もなく今までの状態を続けてしまうからです。

    これは私の失敗談として良い経験でもあるお恥ずかしい話ですが、少しでも参考になればと思います。

    ある語学系会社のお仕事が減っていたので、寄付の神様にお願いして内緒で関連会社よりお仕事を回してもらったことがあります。 そうすれば取引先が増えて、経営者の方が喜ぶと思いました。 ところが運命は私の浅はかな考えにお仕置きをしたのですが、お仕事が増えたのに全然喜ばなかったのです。

    取引先が増えたのになんで喜ばないかと言えば、仕事量が少ないとか単価が安いなど今までしてきた仕事と比べて「一流の私がこんな仕事は…。」と言い始めたのです。

    しかし、寄付の神様からすると最初は試しに簡単な仕事をしてもらって、徐々に取引量を多くしていくと言う考えでした。 この時点で私~寄付の神様~某経営者と、三者三様でお互いの思いや考えがあります。

    その後どうなったかと言えば、不平不満で文句タラタラの内容が良いはずもなく、寄付の神様より「山崎さん、あの仕事内容では次から発注できないし、他で全部やり直したから。」と言う結末でした。

    私は寄付の神様に悪いことをしたと言う罪悪感、寄付の神様は仕事を発注して文句を言われ~更には他で全部やり直し、某経営者は仕事をしてやったのに次の仕事がないと言う不満。 これでは「何もしない方が良かった」と言う、本当にお恥ずかしい失敗談です。

    この件は物事の本質が見えていれば、三人とも嫌な思いをせずに済んでいました。 ただし、この中で一番悪いのは、こうなることを視ていない私です。 そして安易な考えで、寄付の神様に頼めば仕事が出るから~仕事があれば某経営者の人が喜ぶ、こんな単純思考の私が一番の未熟者です。

    本来であれば仕事が来たなら単価が安かろうと仕事量が少なかろうと、取引先が増えるのはチャンスだと考える方が幸せです。 それをあぁだこぅだと言って文句をつけるのは、結局は求められるレベルじゃないのにお金を貰っている、そう取られても仕方がないのです。

    自分が何もしていない~もしくは全然関連がないのに良いことがある時には、そこに「隠れた何かがある」と言う物事の本質に気付くことができたら、感謝の気持ちが起きてきて更なる幸運を招くと思います。 慢心や自惚れを戒めるような内容のことわざは昔から色々あるし、言い伝えにもたくさん残っています。

    人は物事の見極めが難しいとよく言われるのですが、それは感情が絡み合って色々と作用すると言う人ならではの行動です。

    もしも野生なら、本能の赴くまま自然の法則に従うだけです。 しかし、人間はそういうわけではなく思いやりや助け合いと言う精神があるので、困っている人をほっては置けないと言う優しさがあります。 ただ、それに付け込んで悪用する人や、せっかくの好意や善意を理解できない人がいると言うのも事実です。

    あなたは物事の本質を、どのように捉えることができますか?

    どうもです (' - ' *)ゞカキカキ

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    やりたいこと。

    やりたいことをやらなければ心に穴が開いたように感じる時が訪れますが、誰しも自分の心に何か物足りないものを感じる時があります。 何かこのままではいけないのではないかと思う時は、それは自分の心が正しい判断をしたがっている時なのかもしれません。

    どこかの誰かが何かを言っていたとしても、それはその人が思うことの範囲内で言うことです。

    現実に目の前にある仕事が本当は一番は大切なことで、それを着実にこなすことができるのであれば次のステップへ向かうことも楽勝なんです。 ただ、自分が思うままにやった場合にどうなるのかと言う、未来への不安が明日への活力を削いでしまう結果になるのです。

    頭では分かっているのだけれど、それでも動けないのは周りを見て比べてしまうからです。 比べちゃいけないのは分かっているけれど、周りが動かなくても幸せそうにしているのを見てしまうと、夢を心の奥底に仕舞い込んでしまうのです。

    その夢とまた逢える日まで忘れなければいいのですが、普通は仕舞い込んだまま夢を忘れてしまうのです。 誰しも忘れちゃいけないとは思いながらも、自分を信じて一歩進む勇気がなくて一生に一度の宝物のはずなのに、手放してしまうことがあきらめると言うことなんです。

    何事もやりきる人には充実感とか達成感と言う素晴らしい心への御褒美が訪れるのですが、それを人は「何、燃えてんの?」とか「何、カッコつけてんの?」など、熱い想いを茶化してしまいます。

    そんな人が言う台詞のひとつに、「俺は仕事だけの人生なんかごめんだ、そんな風に思って死ぬよりも人生を楽しみたい。」なんて言うのですが、夢がたくさんある人からすれば単なる負け惜しみにしか聞こえないのです。

    人には色々な生き方があるから100人いれば100通りで、仕事だけが人生じゃないと言うのは間違った意見(考え方)ではありません。 それ自体は悪くはないのですが、だからと言って熱く生きている人を馬鹿にしたり茶化したりするのは止めてほしいのです。

    世の中には真面目に仕事をして、それにより「あぁ、今日も仕事したなぁ~。」と充実感一杯で生きている人だっているのです。

    仕事は確かに大変なことも多いのですが、やり遂げた充実感や達成感は一生懸命にした人しか手に入れることは出来ません。 適当に要領よくやっている人は確かに楽が出来るかもしれませんが、それだけのことで何かを成し遂げたと言う称号を手に入れることは一生ありえないのです。

    世間一般の常識で言うのであれば、良い学校を出て~良い大学に入って~高級官僚や一流企業、このルートがエリートコースなどと呼ばれます。

    しかし、このルートで行く人と言うのは、地位や収入が幸せの価値基準になっている人達なので、それについて負けることはプライドを大きく傷つけられるのです。 世間の常識で考えると良い大学を出たエリートは凄いはずなのに、高校を出て自分で会社を起業した人に地位や収入で負けてしまうのが運命の不思議なところです。

    コレは冷静に考えればよくわかることなんですが、多数決と言うのは多数の人が支持すると言うことです。 多数の人が支持すると言うのは、誰もが思いつくことと言う裏返しでもあります。 誰もが思いつくと言うのは、もはやアイディアとしては意味を成しません。

    そうなると自分も他の人と同じ位置に立つしかできなくなり、一歩抜きん出るのは少数派の方だったりします。

    発想の転換と言う意味での事例を、ひとつ紹介したいと思います。 東京出張の時にあるゴルフ場の方がレストランのリニューアルについてお越しになったのですが、どうやれば社員の士気が上がってお客様が満足するだろうかと言う御相談がありました。

    内装や料理に関しては私が口を出す必要がないくらいでしたが、社員の士気を高めてお客様が喜ぶようにするのに私なりのアイディアを少々提案させていただきました。 それはとても簡単なことですが、メニュー表示を社員の名前にすると言うことです。

    分かりやすく言うと、「トロピカル裕子(フルーツパフェ)」とか「バレンタイン真由美(チョコパフェ)」など、メニューをそっくりそのまま「社員名+料理内容にしてください」と提案したのです。 こうするとお客様が社員のネームを見た時に「このメニューの裕子って書いてあるのは、ひょっとしてあなたのこと?」とお客様とのコミニュケーションが取れます。

    さらには社員の方も自分の名前がメニューだから「はい、私がお勧めできる自信のフルーツパフェです。」と、お客様に誇りを持って仕事できる上に自信が付いてサービスも向上します。

    このアイディアを馬鹿馬鹿しいと思うのか~面白いと思うのか、それは感じる人のセンスによると思います。

    あなたは本当にやりたいことを、常識に捉われて見失っていませんか?

    ф~ \(ε ̄\)~~~~~

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    フィランソロピー。

    おはようございます。 日中は暑い日が増えてきましたが、季節の変わり目は体調管理が大変だと思うので健康維持には気をつけてくださいね。 まずは自分が健康で幸せでないと、周りに目を配る余裕が生まれないのはある程度仕方がないのです。

    人は自分が大切なのは当たり前ですが、衣食住なども含めて自分に余裕が出来ると周りを見渡すことができます。 そうなると今度は道が分かれてくるのですが、ある人はもっとお金やモノが欲しいとなりますし、またある人は誰かの役に立ちたいと心の面で変わり始めます。

    人は自分の為だけではなく誰かの為に生きていると、いつのまにか見えたり感じたりする瞬間があります。

    そうなると自然に慈善活動や慈善行為を始めたくなるものですが、それをフィランソロピーとも言います。 意味としてはチャリティーに近いのですが、従来の日本語では「慈善活動~博愛~人類愛」などとも呼んでいます。

    基本的な意味としてのフィランソロピーとは、良いモノを広めたり人生の質を高めたりすることを目的とした奉仕的な活動全般を示します。 この語源は「phílos(愛)」と「ánthropos(人間)」から取られたようですが、同じくフィランソロピーを実践している人たちのことをフィランソロピストと言います。

    昔の日本では篤志家と呼んでいた人もいますが、主だったフィランソロピストの中にはアメリカのロックフェラー家やカーネギー家、ビル・ゲイツ氏など大富豪の方も多いです。 しかし、フィランソロピーの実践に富の大小は関係なく、日本では個人による支援の側面よりも企業の社会的貢献を指して使われることで言葉が広まったようです。

    政府もフィランソロピーを金銭的&制度的に支援することがありますが、多くの国ではチャリティー活動に寄付した場合は税金が控除されます。 しかし、いくつかの国では非政府組織(NGO)などが選挙結果を左右したり、権威主義的政府や独裁政権への対抗勢力となったりしうることを危惧して、政府がフィランソロピーに懐疑的になる場合もあります。

    また、企業体としてフィランソロピーを行おうとすれば、批判の的になることもありえます。 例えば、Eと言う企業が南アフリカ共和国で活動することで、政府のアパルトヘイトを支えているという非難が起こった場合に、株主が批判を恐れてE社の株を手放したとします。

    そうなると企業にとっては株価が下がり業績にも影響が出て、南アフリカでの活動を取り止めたとします。 そうなると今度は現地の従業員が職を失い、南アフリカは経済の担い手を失います。 こうなれば子供でも分かるように飢餓と貧困が発生するので、批判する人がしたことが結果的に現地の人たちを苦しめることとなります。

    哲学的には思想の上でフィランソロピーは必ずしも善として見られているわけではなく、単なる強奪行為とフィランソロピーとを結びつけて哲学的観点から反対しているようです。 残念なことに、こうした考えは福祉活動に反対する立場の人々や福祉活動を嫌悪する人々にとって、利用しやすい言葉となってしまうことです。

    しかし、社会的や哲学的など難しい理屈はどうであれ、「困っている人を見て、知らん顔できるのか?」と言うのが私の考えです。

    私は自分に出来ることは少しの力でしかないけれど、その少しの力でひとりづつが支援の力を広めてくれたなら、もっと大きな力となって助かる人が大勢いると思うのです。 実際問題として寄付やボランティア活動は、知ってもらわなければ~気付いてもらわなければ始まらないのです。

    心の中に寄付やボランティアをしたいと思う人は大勢いますが、忙しさの余り忘れていたり、どうすればイイのかやり方がわからなかったりもします。 また、やりたいけれど恥ずかしいとか~周りにどう思われるかなど、ホンの一歩が踏み出せない時もあります。

    そんな時に知っている人や身近な人が寄付やボランティアをしていれば、取っ掛かりと言うか~始めるきっかけ作りにはなるかも知れません。 N市のIさんや寄付の神様やE県のMさんなど、自らが堂々と寄付やボランティアをしている姿を見て「私もやってみようかな?」と思う人がいるかもしれません。

    私のHPを見て「山崎はドコに寄付しているのかな? えぇ~と、ユニセフに~フォスタープランに~。」と、私が寄付している先を明記することで「じゃあ、ここに連絡してみようかな?」と思う人が出てくるかもしれません。 そうすればひとりひとりの力は少しでも、その少しの力が重なることで助かる命や助かる人の数が増えると思うのです。

    寄付やボランティアを批判する人たちが言うことは決まっているのですが、「本当の寄付は黙ってするもんだ!」とか「ボランティアだから手を抜いている!」などです。 面白いことに「やらない人」ほど批判をする暇があり、「やっている人」ほど批判している暇がないと言う現実があります。

    寄付やボランティアをしていると必ず遭遇することのひとつが、バカにされたり~非難されたりすることです。

    人には色々な考え方があるので寄付やボランティアをしろと、強制は出来ませんし~そんなことをしてはいけないと思います。 ただし、それと同じようにボランティアや寄付も自らの意思でしているのだから、やらない人に非難される筋合いも道理も無いと思うのです。

    「やらない善より、やる偽善」は、言いえて妙な言葉だと思います。 売名行為でも何でも現実として、アフリカの子供が学校に通えて水汲みや畑仕事などから開放されるのであれば、更に病気や飢餓を防げるのであれば「やらない善」よりもマシだと思います。

    あなたは慈善活動を、どのようにとらえていますか?

    ==((( (/* ^^)/ ハロ~~

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    宝塚歌劇団。

    おはようございます。 3月31日のブログにタカラヅカの「○○の25箇条」について書きましたが、そもそも「タカラヅカ」とは何なのかと言うのを書いていませんでした。 宝塚歌劇団は未婚の女性のみからなる日本の歌劇団で、阪急電鉄株式会社の直轄組織で同社の社内部署「創遊事業本部歌劇事業部」が事業運営を行っています。 (劇団員は同社の社員扱いとなっています。)

    創設の当初から「老若男女誰もが楽しめる国民劇」を目指して一躍有名になり、現在も演目は健全かつ~どの世代の人が見ても楽しめるようになっています。

    また、宝塚歌劇団は退団後の再入団は認められていないのと、外部の俳優が本公演に出演することはなく純正メンバーでのみ公演は行われます。 女性だけの劇団なので男性役も女性が演じ、女性の役を「娘役」~男性の役を「男役」と言います。

    タカラヅカはテレビ放送が普及した頃に観客動員が低迷して、一部のマスコミからも酷評を受けたことがあったのですが起死回生の為、1974年に池田理代子原作の漫画「ベルサイユのばら」の舞台化を企画しました。

    この舞台版「ベルばら」が大成功を収め「タカラヅカ」は再び脚光を浴びて、多くの女性が宝塚歌劇に憧れるようになったのです。 コレを境に養成機関である宝塚音楽学校の倍率が跳ね上がり、それまでは4倍前後だったのが「ベルばら」以後は20倍前後になりました。

    団員は全員付属の「宝塚音楽学校」で予科と本科、あわせて2年間の教育を受けることになっています。 音楽学校卒業後も研究科の「生徒」と呼ばれるのですが、これは宝塚歌劇が発足当初に、世間から「劇団員は芸者や舞妓のようなもの」と揶揄されたことに小林一三氏が怒り、「宝塚歌劇は良家の子女に高等なる音楽教育を施した『生徒』によってなされるものである」と言ったことに由来するのです。

    生徒は5つの組「花、月、雪、星、宙」と「専科」に分けられており、各組がそれぞれ公演を行い必要に応じて専科に所属する生徒がこれに参加するようになっています。 そして各組には組長&副組長がいて、組長は組を統括&管理して公私にわたって組子の面倒を見ています。 副組長は組長を助けて組を統括&管理して、組長に事故がある時は任務を代行します。

    なお、専科は宝塚歌劇団の一組織であり、組と並んで表記されることが多いのですが組ではありません。 イメージカラーは黒&グレーで、特定の組に所属しない一芸に秀でた生徒の集団です。 元々は舞踊専科~演劇専科~声楽専科~ダンス専科~映画専科などに分かれていたが、最近は振り分けがされていません。 専科生は各組の公演には「特別出演」と言う形で出演することになりますが、たまに専科生だけの公演もあります。

    では、組別の説明ですが「花組」は1921年に公演数と生徒の増加によって、月組と2つに分かれて誕生しました。 その際に一班を「花組」で二班を「月組」としたことから、花組が「宝塚で最も歴史の古い組」とされるようになりました。 組名称は「雪月花」にちなんで名づけられ、生徒自身も「伝統ある花組」と呼んで誇りにしています。

    「ダンスの花組」と呼ばれ、数多くのダンサー型スターが在籍しました。 歴代の主演男役&娘役ともにダンサー型スターの就任が多い傾向にあり、男役の宝庫とも呼ばれて数多くのスターを輩出しました。 (主な出身者は、真矢みきさんや姿月あさとさんなど)

    「月組」は前述の通り二班が月組となり、主演男役&娘役に芸達者の脇役が多い傾向があり、舞台のすみずみまで楽しめる器用さと華麗さがあります。 また専科で活動中の月組出身者や、退団後女優として活動する出身者が多いことも特徴の一つとなっています。 (主な出身者は、天海祐希さんや黒木瞳さんなど)

    「雪組」は1924年に新設され、日本舞踊及び「所作の美しさ~歌唱力~演技力」に定評があります。 これは歴代の男役&娘役のトップスターや組長&副組長に、それらに秀でた者が多かったことによります。 (主な出身者は、一路万輝さんや紺野まひるさんなど。)

    「星組」は1933年に創設されたのですが1939年に時局悪化の為に一旦廃止されて、終戦後の1948年に労働基準法に対応する為に復活して現在に至ります。 他の4組に比べて「熱い」とか「濃い」などと評されることが多く、コスチュームプレイを得意とします。 男役にはダンスと演技面における包容力、それにロマン性の表現に定評がある者が多い組です。 (主な出身者は、湖月わたるさんや大夏しづきさんなど。)

    「宙組」は東京宝塚劇場を老朽化の為に建て替えて、東京でも通年公演を実施することになり、それに対応する為に組の増設が必要になり作られました。 既存の4組からメンバーを選抜して、同時にかなりの組替えを行って1998年1月1日に新設されたのです。 平均身長の高さは劇団随一で、コーラス&ダンスの強いパワフルな組との定評があるります。 (主な出身者は、和央ようかさんや月船さららさんなど。)

    タカラヅカファンでなくとも男役トップスターに目の前で会ったら、女性が見ても惚れてしまうかもしれません。 娘役のトップは別ですが、男役のトップスターには文武両道のスーパースターしか辿り着けないのです。

    歴代の男役トップスターは全員が素敵な方々ばかりで、裏表がなく人間的にも素晴らしいのは「真矢みきさん~天海祐希さん~湖月わたるさん」だと個人的には思います。 (注:他のトップスターの方々も会えば即ファンになってしまう程の、圧倒的な魅力で素晴らしい方々ばかりです。)

    3人が人間的にも素晴らしいのは他人の悪口を絶対に言わないので、娘役の○○○さん~○○○さん~○○○○さんとは全然違います。 3月31日のブログで「90%のタカラジェンヌが好印象」と書いているのは、娘役トップスターに関しては色々あるからです。

    最後にファンについてですが、宝塚歌劇団のファンはほとんどが女性です。 男性ファンでよく知られているのは手塚治虫氏で、「リボンの騎士」はタカラヅカがモデルです。

    あなたはタカラヅカに、興味がありますか?

    ヽ(*^。^*)ノ ワ~イ

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    判断基準。

    大げさに言うのであれば世の中は運だと言っても過言ではないのですが、運の良し悪しが人生に多大な影響を与えてしまうのは現実としてあります。 運が良いのと悪いのでは、やはり運は良い方が人生を楽しく過ごせます。

    しかし、運が良いはずなのに自分で運を悪くしてしまう人がいるのですが、それは本当に勿体ないと思うのです。

    スポーツ選手でも芸能人でも本人の実力はもちろん必要ですが、それ以上のこととなれば残念ながらと言うべきなのか、それとも幸いにしてと言うべきなのか、運が良いか悪いかでその後が決定してしまうことが多くあります。

    社長として社会的に成功している人だって、一時的に成功していると言うのが正解であり、継続して成功し続ける難しさは並大抵のものではありません。 一時的には時代の寵児のようにもてはやされても、落ち目になったら潮が引くように周りに誰もいなくなったと言うことだってあるのです。

    そうは言ってもよく見てみると社会的に成功して、なおかつそれを維持し続けている社長がちゃんといます。

    マイクロソフトのビル・ゲイツ氏やソフトバンクの孫正義氏、アップルのスティーブ・ジョブス氏に楽天の三木谷社長、何をどうしてもひっくり返ることの方が難しいレベルにいる人たちが健全なる社長として君臨しているのです。 (まぁ、世の中に絶対は無いのでひっくり返るかもしれませんが、その時にはトヨタや日産の方が先に倒産しています。)

    今不況だと言うのは事実ですが、不況と言うワリには物の売れ行きは落ちていないし、新車登録台数だって無駄な買い替えをしないだけで、新車自体はソコソコ売れているのです。 今まで2年で買い換えていた人が3年にして買い替えサイクルが変化しただけで、決して自動車が売れなくなったわけではないのです。

    今までは売る努力をしなくても、お客様の方から必要性に迫られて買いに来ていたとか、余裕があるから買い換えなくても良いのに買い換えていたと言うだけなんです。 今までと同じやり方では通用しなくなっただけで、コレに対する対処法が見つかれば再び自動車産業が経済の中心に入るようになります。

    「実力」と言う言葉がいかに空しいかと言うのは、トヨタ自動車や三菱自動車からの発注が減って、それにより会社の業績が落ちたと言う社長が多いことが証明になります。 親会社が仕事を出してくれていたから業績が良くてデカイ態度が出来ていたなんて、今まで企業に依存してきただけで実力がなかったと言うことを自分で露呈しているようなものです。

    社長と言うのは誠に多いから中には本当に実力で会社を創業して、そして発展させて大きく育てて維持し続けている人がいるかもしれませんが、そういう人は全体の5%程度です。 社長全体の95%くらいは運の良し悪しで業績が変化しているだけで、実力だなんてのは驕りでしかありえません。

    不景気になると経営コンサルタントが出てきて会社のテコ入れなんてことになりますが、経営コンサルタントがやることなんて「支出を抑える」とか「無駄な経費削減」くらいであり、どうやれば業績が伸びるかなんて言うわけがありません。

    何故、言わないのかと言う理由は「どうすれば業績が回復するか?」とは、そんなに簡単にわかるものでも~出来ることでもないからです。

    「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」と言う言葉がありますが、業績が良い状態や売り上げがドンドン伸びていると言うのを解説しようとしても、それは全て後付けの理由でしかないから、同じことをしても再び上向くかどうかは分からないのです。

    しかし、業績が落ちた理由と言うのは今の時点で売り上げが悪いわけだから、アレヤコレヤと悪い部分を突くことが出来ます。 だからこそ、経営コンサルタントは悪い部分の指摘はするけれど、良いところを伸ばす手法は余り取らないのです。 言い換えるならば、伸ばす手法は難しいからできないと言っても、あながち外れじゃありません。

    経営コンサルタントやコーチングの講師が、もっともらしく言う話がいくつかあります。 これは「なるほど!」と思わせる為にやるのですが、そういう話に感心しているようでは簡単に騙されてしまいます。

    例えば、コンサルタントの人が「私は取引先の人とラーメンを食べに行った時に、食べる前にコショウを入れるような人とは取引しない。 その理由として、まだ一口も食べていなくて味も分からないのに、コショウを入れるような人は信用できない。」と言う話をされると、「なるほど~!」と感心してしまうのです。

    しかし、日本一忙しい霊視カウンセラーを目指している私ならどうするかと言えば、「ラーメンを食べる前」にコショウを入れます。 それは何故かと聞かれたら、「食べる前にスープの色や素材を見て、すぐに味を判断できないようでは認知~判断~機転のどれもが駄目だからです。」と答えます。

    昔はどうか知りませんが今は食べてから味が分かるような社長ではなく、「ラーメンを見て瞬時に味を判断できる」ような社長が求められているのです。

    私は経営コンサルタントの方が御相談に来られたらこのようなお話をしているのですが、どのコンサルタントの方々も「この話、使っていいですか?」とネタとしてお持ち帰りになります。 (苦笑)

    あなたは昔と今の判断基準の違いを、ちゃんと認識していますか?

    ヽ(´∞`)ノ アウアウ?

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    届かなかった声。

    おはようございます。 今日は月曜日なので仕事始めの人も多いと思いますが、素敵なあなたには笑顔の素晴らしい日々がよく似合います。 あなたがいるからこそ作られる毎日を、素敵に感じ取ってくださいね。 素敵な彼が目の前に突然、現れることがあるかもしれません。

    さて、男性は恋に直球勝負で焦りすぎるから失敗することが多いのですが、焦ると言うことは相手のことではなく自分のことを中心に考えてしまうから恋の歯車を狂わせてしまうのです。

    東京出張の時に常連の方に付き添われてきたNさんと言う男性は、勘違いから引き起こした典型的な恋の失敗例でした。 悪い人ではないのですが、女性に対する気遣いに少々難ありと言うか、真面目だけに結果を求めすぎる感じがあるようです。

    私は男性鑑定を余りしたくは無いけれど、紹介があれば別なのでNさんの鑑定に入りました。 Nさんの相談内容は恋愛に関することで、責めてしまって連絡が取れなくなった彼女(Rさん)が、今どういう気持ちでいるのかを聞きたいと言うことでお越しになられたのです。

    Nさんは営業マンですが、Nさんが出入りしているビルでトキドキ廊下ですれ違う女性(Rさん)が気になっていましたが、同じビルでも会社が違うのでノコノコと彼女のいるフロアへ近づくわけにもいきません。

    Rさんは廊下ですれ違う時に笑顔で会釈をしてくれるのですが、話すチャンスまではつかめません。 Nさん曰く、「彼女は無口で微笑みかけてはくれるけれど、どことなく寂しげな雰囲気で話しかけづらい…。」と言う印象だったそうです。

    そこでNさんは彼女とすれ違う時に、挨拶と同時に手紙を渡したのです。 そして中にはケイタイのメルアドを書いて、「よかったら友達になってくれませんか?」と言うようなことを書いておいたそうです。

    しかし、当然のことですが相手にされるわけも無く撃沈したそうですが、返事が無いから逆にNさんは燃えたそうです。 私は話を聞きながら「一歩間違えればストーカーだなぁ~?」と思ったのですが、Nさんはあきらめずにすれ違う度に明るく好印象な感じで手紙を渡し続けたそうです。

    渡し始めて7回目くらいの時に彼女から初めて返事を渡されたそうで、「私はあなたのことをよく知らないし、あなたも私のことを知らないはず。 本当の私を知ったらがっかりするから、メールだったら…。」と言う感じでメルアドが書いてあったそうです。 喜んだNさんはすぐにメールして、それからNさんとRさんはメル友のような関係になったそうです。

    Nさんはその後も自分のことなど色々なことをメールして、Rさんの信頼を得ようと頑張ったそうです。 Rさんも最初はタマに返事をくれるくらいでしたが、しばらくするとかなり返事をくれるくらいにまでになったそうです。

    おはようとかおやすみなど、まるで恋人関係のようなメールまでやり取りし始めたある時、NさんはRさんに一通のメールを送りました。 「僕は一目見た時からキミのことが好きでした。 付き合って欲しい。 メールだけじゃなく、いつもキミと居たい。」と、Nさんはついに一歩踏み出したのです。

    ところがRさんの返事は、「ごめんなさい。 私はあなたが好きになるような女じゃないの。」との返事でした。 そして、このメールを境に返信が来なくなりました。 普通なら「ふられたぁ~。」とあきらめるのですが、Nさんはコレであきらめるような男性じゃありません。

    いつものように廊下でRさんに会った時にすれ違えないように足止めして、「今週の日曜日の12時に、渋谷駅のハチ公前で待っているから。 来るまでずっと待っているから。」と言って、彼女の返事も聞かずに行ってしまったのです。 Nさんはハチ公前で待ち続けましたがRさんはいくら待っても来ず、Nさんは待ちぼうけのままで休日を終えたのです。

    月曜日にNさんはRさんを見つけると、「どうして昨日、来てくれなかったんだ!」と、問い詰めてしまいました。 Rさんは悲しそうな顔をしたままで何も言わず、Nさんの問いかけにも黙ったままでした。 Nさんは「また、そうやって何も言わずに黙ったままなのか? 僕のことなんか本当はどうでもいいんだろう!」と、Rさんを散々責めてしまったそうです。

    それを最後に廊下でもRさんはNさんを避けるようになり、それからのNさんはRさんに顔向けできない想いやどうして責めてしまったのかと言う反省など、色々と思うところはあるけれど自分では動けずに私のところへお越しになったようです。 私は男性には結構厳しいので、NさんにはっきりとRさんの事情や状況も踏まえて言いました。

    「あなたは勘違いしていますね、Rさんがどうしてメールだけでもしてくれたことに感謝しないのかと思います。 Rさんは待ち合わせ場所に来なかったのではなく、来れなかったと考えないのがあなたの悪いところです。 あなたはRさんの耳が聞こえないことを、気付かなかったのですか?」 私の言葉を聞いてNさんはようやくRさんが挨拶をする時に、声を出すタイミングが合っていなかったことに気が付いたようです。

    Nさんから話しかけられた時に、Rさんは内心嬉しかったけれど自分の運命を呪い、「どうしてこんなことになるの?」と心の中で嘆いていたのです。

    Rさんは生まれた時から難聴で耳が聞こえづらく、会話が余り出来ないからこそメールでのやり取りを希望していたのです。 RさんもNさんのことを見かける度に気になっていたからこそ、Nさんからの誘いに手紙で返事をして、「メル友なら…。」と言うのが彼女の精一杯の勇気と表現方法だったのです。

    「彼に本当のことを知られたら、嫌われてしまう。」と、Rさんは嫌われることが怖くて本当のことを言えなかったのです。 それなのにNさんは自分の思いだけで突っ走ってしまい、自分の思う通りにならなかったことでRさんを責めてしまったのです。

    その後のNさんとRさんですが、残念ながら復活することはありませんでした。 もう少しNさんが相手のことを気にかけていたら~もう少し彼女のことを知ろうとしていたら、結果は違ったかもしれないし~同じだったかもしれません。

    あなたは自分の声が、ちゃんと相手に届いていますか?

    (ノ_・。)クスン…。

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    手抜きをしない。

    おはようございます。 GWも明けて仕事が始まりましたが、私は年中無休なので相変わらずの状態で事務所に出ております。 このGWもおかげさまで次々とご予約いただいておりますので、これもひとえに素敵なお客様のご支援とご愛顧のおかげで本当にありがとうございます。 来週の月曜日からは少し落ち着くので、素敵なお客様の御予約をお待ちいたしております。 m(__)m

    話は変わりまして、柱とは材木を垂直に立てて建築物の支えとする物のことを言い、材料は木材~石材~竹材などが使われていて、近世以降は鋼材やコンクリートや鉄筋製なども現れました。 柱は建築物の構成要素となるものですが、それ以外にも電柱や御柱など、それ自身が構築物として見せる場合もあります。 やだし、内部空間がないものについては建築物とは呼びません。

    また、柱は用途や場所や役割によって呼び名が異なるのですが、床の間に使う装飾的な柱を床柱と言い、門を支えるものは門柱と言います。 そして塀を支える柱は控柱で、大壁を真壁に見せかける為の付け柱など、それぞれの名称は異なります。

    中でも家の中心となるような、太い柱のことを大黒柱と呼びます。 何で大黒柱と言うのか、その由来として昔の日本家屋の多くは地震対策の為に台所付近に太い柱を立てていました。 その為、厨房の神様である大黒天になぞらえて、家を支える柱=大黒柱となったのです。

    以上のことから日本では、社会や組織において人の行動における成果や状態を建築物になぞらえて、柱と同じ役割を果たすかのようなモノの例えが多いのです。

    コレを人生に当てはめると、自分の人生には大きな大黒柱を立てておかなければ、夢や希望を支えきることは難しいのです。 費とは夢や希望を持つことはできても、それを持ち続けることができないから、叶う人と叶わない人の差が出てきます。

    コレは見えるところと見えないところの差を、手を抜くかどうかの差でもあるのです。

    人はツイ見えないところは手を抜いてしまうのですが、天才と呼ばれる人は見えないところでも決して手は抜かないのです。 天才とは才能だけを示すのではなく、努力をいとわない人のことを言うと思うのです。

    映画界で監督と言えば今は北野武監督が世界のキタノと言われたりもしますが、その昔で言うと世界のクロサワこと黒沢明監督がいます。 黒沢監督は決して手を抜かずに映画を作り上げる人でしたが、そのこだわりと言うのはトコトン追求し続けた結果として作品に残るのです。

    あるシーンで箪笥の前で撮影しようとした時に、黒沢監督が「こんなことじゃダメだ。」とスタッフに言いました。 タンスは昔で言う薬を入れる為の薬箪笥だったのですが、引き出しの中に薬が入っていないと言う理由で黒沢監督はダメ出しをしたのです。 中は見えないからイイと思ったスタッフと、見えなくてもきちんとするという黒沢監督の考え方の違いが、映画の出来を大きく左右しているのです。

    そして、こう言うキチンとしたこだわりが、世界に通用する映像を生み出していたのです。

    その他で言うと複写機もゼロックスとかキヤノンなど色々な会社がありますが、シェア№1なのはリコーと言う会社です。 知名度においてはゼロックスやキヤノンなどの方が知られていますが、実際に企業で使われているシェアではリコーがトップです。

    これはリコーが美しいビジネスをしているのが、その要因だと思うのです。

    企業と言うのは大きくなればなるほど汚く儲けようとして、産地偽装や工事の談合など楽して利益を上げようとします。 機械などの製品でも見える場所はきれいにして、見えないところは品質を落として手を抜く。 こう言うことをするから、美しいビジネスモデルがいつまで経ってもできないのです。

    リコーの複写機は見えるところだけではなく、見えない内部においても美しいというこだわりがあります。

    「見えない部分にお金を掛ける必要はない」というのが、普通の日本企業のやり方です。 しかし、リコーは他のメーカーとは比べ物にならないくらい、目に見えない部分にお金を掛けて仕上げているのが、セールスマンなど働いている人の誇りにもなるのです。 自分のところの製品に誇りがあるのなら、競っても負けるはずがないと言う自信につながるのです。

    本当はいけないとわかっているのに、人は見かけで物事を判断してしまいがちです。

    それをうわべだけ真似して、「よし、できた!」とやっていたから競争力がなくて駄目になっていくのです。 見えないところに掛ける情熱やお金と言うのは、知らない間に見える部分に影響されていくのです。 そして、手抜きをした分だけ一時的な実入りは大きくても、後になればなるほど貧乏くじを引くことになるのです。

    物事を追求し続けていれば、おのずと手抜きは出来なくなります。

    自分が楽をした分だけ、夢は遠のくと考えてもいいのです。 そして、その夢は遠のいた分だけ輝きを失い、いつの間にか忘れ去られてしまうことになります。

    あなたは手抜きをしないことで、得るモノの大切さに気が付いていますか?

    ( ☆o☆)ホェ~☆



    お知らせ:おかげさまで業務多忙の為、ブログの更新はお休みします。 更新は11日(月)より再開となりますので、御迷惑をお掛けいたしますがよろしくお願い申し上げます。 つたないブログですが、いつもお読みいただき本当にありがとうございます。 m(__)m

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    トイレの話。

    おはようございます。 今日から仕事始めの方も多いと思いますが、あなたの未来は明るいのだから素晴らしい一日となるはずです。 私は素敵なお客様の笑顔を見るだけで、毎日が感謝の日々で活力の基となります。

    さて、今日は薀蓄系の話になりますが、私は県北の田舎で生まれ育ったので倉敷や岡山が都会に見えるとブログにもよく書きます。

    コレは実話なんですが、私が小学校3年生の時に道の舗装道路化が始まったので、それまでは雨上がりに水溜りが数多くできるような道でした。 自転車もスピードが出せる道ではないし、歩くのが一番無難な感じでした。 学校も親が車で送ってこなければ通えない生徒もいましたが、この感覚は普通の人は想像できないと思います。

    そして各道路を舗装にする時に町で唯一のバイパス建設も始まり、今までの民家と民家の間を車が通り抜けていたのを、一気に通れるように変更したのです。 そして町の出入り口に当たる場所のバス停を、コレを読んでいる人なら普通に思う程度には綺麗にしました。 それまでは道のそばに停留所を示す看板があっただけで、バス停と呼べる程でもありませんでした。

    その時に町で初めての公衆トイレがバス停の後ろ側に出来たのですが、この公衆トイレは開設後3ヶ月で閉鎖されました。 (何故?開設後3ヶ月で閉鎖されたのかは、後半までお読みくださいね。)

    今日は後半に繋がるように公衆トイレについての説明ですが、公衆トイレとは使用者を特定せずに広く一般に開放されている共用トイレのことを言います。 主に地方公共団体が街頭や公園などに設置&管理する場合が多いのですが、国の外郭団体が設置する国立公園内の公衆トイレや商店会など民間が設置管理する場所もあります。

    公衆トイレは公共の場所でもある為に個人宅のトイレとは違い、個室~手洗い&化粧直しの為の洗面台が必ず分割されています。 そして個室に備えられた便器の形状は和式&洋式の両方があり、以前は和式が主流でしたが一般家庭での洋式の普及により洋式が多いか~もしくは洋式のみと言うことも多くなりました。

    一般家庭では楽な姿勢から洋式が好まれるのですが、公衆トイレにおいては不特定多数の人間の肌が便座に直接触れることから和式を好む人が多いようです。 (その為、使い捨て便座シートや消毒液などが設置されているトイレもあります。)

    また、駅や観光地では個室内に幼児を座らせておく椅子や、ベッドを備え付けたりおむつを替える為のベビースペースを設けている所も多く利便性が格段に向上しています。 そして手洗いの水の出しっぱなしを防ぐ意味で自動水栓を備えることも増えてきていますし、観光地では観光名所にあわせてデザインされている場合も多いです。

    基本的に公衆の為に無料で開放されているのが公衆トイレですが、衛生面を考えると管理運営には経費が掛かります。 これを税金だけで管理をすることが困難になって来ているので、有料化が試行されるようになりました。 主にチップトイレと言われるもので、使用者が任意の料金を支払うというシステムになっています。

    当然のことながら採算に見合うには多くの使用者が見込まれる場所であることが望ましいので、大型のターミナル駅に設置されていることが多いです。 東京だとJR新宿駅東口にあるのですが、欧米の公衆トイレはこの方式が一般的です。

    世界最古の有料公衆便所は西暦74年にローマ帝国で設置されたもので、これはウェスパシアヌスが内乱後に財政立て直しの為にしたものです。 コレは政治的なライバルたちの嘲笑を買ったのですが、それに対する反論として「Pecunia non olet(金は臭わない)」と言ったのは有名な話です。

    さて、なんで私が生まれ育った地域で初めて設置された公衆トイレが「開設後3ヶ月で閉鎖」されたのか、その謎解きですがいくつかの条件が重なったということがあります。

    まず、この公衆トイレはバスに乗る人だけが利用するのではなく、この公衆トイレの周りに家のある人たちが次々と使ったのです。 つまり、自分の家のトイレを使わずに、用を足す時には雨が降ろうが風が吹こうが、必ずこのトイレに来ていたのです。

    では、なんで自宅のトイレを使わずに公衆トイレを使うのかと言えば、私の生まれ育った地域は汲み取り式だから汲み取り時に町役場へ手数料を払う必要があります。 自宅のトイレを使うと汲み取り費用は自分で払うのですが、公衆トイレならば汲み取りは町役場がするので「無料(タダ)」で使えます。

    だから、朝や夕方などは公衆トイレの前に必ず行列が出来ていたのですが、それは近所の人が入れ替わり立ち代り公衆トイレで用を足していたからです。 少し離れた家の人でも自動車や自転車で用を足しに来ていたので、コレだけでもかなりの人が公衆トイレを使用していました。

    更に町の出入り口に当たる場所だったので、学校や会社から家に帰る前に公衆トイレで用を足しておけば1回分節約できます。 祖父母に両親に子供1人で暮らしている計算で行くと、会社や学校の帰りに1回使用するだけで一家族に付き毎日最低5回は節約できます。 (つまり、公衆トイレならば汲み取り手数料がタダだから、自分のお金を使わなくていいと言う考え方です。)

    ここまで読んでわかったと思いますが、この公衆トイレは使用される頻度が尋常ではありませんでした。 単純に考えても「バスの利用者~近所の人々~通勤通学の人々」と使いまくっていたから、早ければ4~5日で公衆トイレのタンクが一杯になっていたのです。

    公衆トイレは10石くらいの容量で余裕を持って作ることが多いのですが、町役場もいくら公衆トイレとは言えコレだけ使われたらたまらないので3ヶ月で閉鎖したのです。 たまたま土日祝など休みに重なると役場が休みで汲み取りをしない為、内容物がタンクから溢れて町道へ流れ出していたこともあります。

    なお、1石は約180リットルなのでタンクの容量は1800Lになりますから、町の人々が毎日~毎日どれだけ使っていたのか御想像通りです。 いくら田舎でも毎日200人以上が使っていたら、そりゃあ~トイレのタンクも心情的にはたまらないけれど、容量的には溜まると思います。

    あなたは公共施設の大切さを、どのように考えますか?

    Σ( ̄ロ ̄lll) ナンジャコリャア~!

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    東京タワー。

    おはようございます。 無事に倉敷へ帰ってきて、霊視カウンセリングを再開しております。 先日も山陽新幹線が新神戸付近で異音発生によりストップしましたが、私は飛行機に変えているので影響も無くてよかったと思います。

    更に帰りの飛行機の中で私は後部通路側の席だったのですが、CAの方が「よかったらこちらへどうぞ」と言って前部5列目窓側に席替えして頂きました。 おかげで帰りは富士山がよく見える席で、コーヒーを飲みながら「幸せだなぁ~!」と感謝の時間でした。

    では、今日から再び通常のブログに戻りますので、よろしくお願い申し上げます。 今日は東京タワーについて書いてみたいと思うのですが、山手線で移動している時に内回りだとビルの谷間からその雄姿がよく見えます。

    地方から出てきた人が見る東京タワー、失恋した時に見る東京タワー、嬉しい時も悲しい時も見る度に違う表情の東京タワー、人は東京タワーを見ると感傷に浸ってしまうことが多々あります。

    東京タワーとは東京都港区芝公園四丁目にある、東京地区の集約電波塔のことを言います。 1958年(昭和33年)10月14日に完成してから、いつも人々の思い出を見つめ続けているのですが、一般的に東京のシンボルとして扱われたり~観光名所としても知られています。

    東京タワーは放送事業の将来性に着目した、前田久吉氏と鹿内信隆氏により計画されたタワーです。 この当時に相次いで開局する各放送局の電波塔を一本化しようという構想で、元々は上野公園付近への建設を検討されていたのですが、地下にある東京礫層地盤に基礎を打ち込む必要がある為に、より浅い所にこの地盤がある現地域に決定した経緯があります。

    東京タワーの名称は完成直前に開かれた審査会で決まりましたが、事前に名称を公募していたので最終的には86,260通の応募が寄せられました。 名称の順位で言うと一番は「昭和塔」で、2番目に「日本塔&平和塔」でした。 その他の候補としては「宇宙塔」や、皇太子明仁親王の成婚が近いということで「プリンス塔」も候補でした。

    しかし、名称の審査会に参加していた徳川夢声氏が「ピタリと表しているのは東京タワーを置いて他にありませんな」と推挙したので、その結果「東京タワー」に決定したのです。 なお、「東京タワー」と言う名前での応募は223通(全体の0.26%)でしかありませんでしたが、鶴の一声で決まったのです。

    この東京タワーが今ピンチを迎えているのですが、デジタル放送が始まる為にテレビ局などが東京タワーから放送施設の殆どを撤去する可能性が出てきたのです。

    東京タワーの施設が古くなってきたせいもあり、デジタル放送の為の設備投資や環境作りが出来なくなってきています。 その為、新東京タワーとも言うべき「東京スカイツリー」構想ができて建設も確定しています。

    それに伴い、東京タワーは放送施設としての主な役目は終わってしまうのです。 観光施設として残す場合は老朽化や耐震問題を考慮して、補強や構成材の交換なども継続していかなければならない問題点があります。 管理運営する日本電波塔社も「放送局の電波料収入が途絶えたら、観光収入だけでは経営は難しいので取り壊しを検討する」と発言しています。

    パリのエッフェル塔のように観光施設として財政的援助を受けた場合は存続する可能性がありますが、東京都は助ける可能性が薄いので、今のままだと2011年以降は取り壊しに入ることになります。 生き残り策としては京都タワーのように、下層部分にホテル施設を新設するなどの案もあるにはありますが資金をどうするかの問題が出てきます。

    観光施設としての東京タワーですが、東京近辺を目的地とする修学旅行などにおける定番の行き先として定着していますが、そういうことでもなければ行く気のしない場所と言う意見もあります。

    展望台地上120mより上に2層の大展望台~さらには地上約223mには特別展望台があり、都心を始め都内の街並みを一望できます。 そして天候が良ければ神奈川~埼玉~千葉の各県の街並みや、富士山などの山々も見ることができます。 (特別展望台は、天候その他の理由により営業を中止することがあります。)

    東京タワーの下には5階建ての観光&娯楽施設の東京タワービル(フットタウン)が建っています。 上部より大展望台への入退場口が設けられている他に、東京タワー水族館や蝋人形館など色々なテナントが入居しています。 3階には実際に塔の上部で使われているアンテナが展示されていて、4階には実際に放送しているテレビの画質がどう乱れるかを実験する装置が設置されています。

    そして存続の為にさまざまな企画を催しているのですが、今はライトアップが主流です。

    照明デザイナーの石井幹子の企画で、日没から深夜0時まで美しくライトアップされます。 照明は全部で176基あり、1日あたりの電気料金は2万4000~5000円程です。 季節に合わせライトの色も変化させて、春~秋~冬は暖光色の高圧ナトリウムランプのライトアップで、夏は涼しげな白色のメタルハライドランプの照明になります。

    また、イベントなどでは違う色にライトアップする場合もあり、過去に「乳がん撲滅キャンペーンで桃色、映画「マトリックス・リローデッド」のプロモーションで緑色、地上デジタル放送のプロモーションで青色のライトアップになったこともあります。

    2000年(平成12年)から年末年始に大展望台の窓ガラスの外側に西暦の数字を装飾していますが、最近はクリスマスにハートの絵文字が装飾されるようにもなりました。

    東京タワーを見ると人は感情が揺さぶられる、そんな何かがある場所が東京タワーです。

    あなたは東京タワーを見た時に、何を思うのでしょうか?

    (×_×;) シュ~ン…。

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