徒然草(岡山・東京・山崎かずみ)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    志の大切さ。

    私は志の大切さを説くことが多いのですが、志が低ければ何をやっても中身が伴わないのです。 経営者が声高に「今は苦しい時だから、給料をあげるのは待ってくれ。」と言ったところで、自分は車を買い替えたり家をリフォームしたり海外旅行に行くようでは、何を言っても信じてもらえるはずがありません。

    残念ながら仕事ができる人が必ずしも良い人ではないのですが、いくら仕事ができたところで足を引っ張ったり、自分だけが上手く行けば他はどうでも良いなんて言うのは、いつか必ずツケが回ってくるのです。

    私は商店街や企業の偉い方々には到底及ばない若輩者ですが、「自分は良い思いをして人を泣かす」と言うことをしてこなかったのは人生において誇れると思います。 「そんなの分からないだろう?」と言われるかも知れませんが、歳を重ねるごとに自分が言ってきたことを「正しい」と支持してくれる人が増えていると言うのが証拠です。

    今までの私は認めてくれる人がいないから荒んだ生活だったけれど、今は素敵なお客様にお会いできる毎日だからとても幸せです。

    もしも私がお金を目指しているような霊視カウンセラーならば、運命はソコソコで手助けを止めていたと思います。 そして今度は足を引っ張るようなことをしていたかもしれないし、困った時に手を差し伸べるようなこともしなかったかもしれません。

    今までは順風満帆にきていた商店や企業などの偉い方々が、今はそうでもなくなってきたのはお金を目指してきたから後押しがなくなったのだと思います。

    お金自体は決して汚いモノではありませんし、大切に使えばこれほど役に立ってくれるものはありません。 お金が汚いのではなく、使う人の品格が汚いのです。 タマタマ儲かっただけなのに無駄使いをしてしまい、無くなっても「また、儲かるさ!」なんてことの繰り返しだから、お金を使う人の姿勢を見ていやらしく感じるのです。

    私はお金を稼ぐことは悪いとは思いませんが、お金を稼ぐと言っても「稼ぎ方と使い方」の2点は重要なポイントだと思います。

    いくら儲かるからと言って「ごまかして儲けている」と、産地偽装のように発覚したら言い逃れが出来なくなります。 自動車だって同じであり、欠陥が出たら素直に非を認めて改善するということが重要なのです。 それなのに偉くなればなるほど「頭が高く」なってしまい、自分が絶対で誰の言うことも聞かない「ワンマン&ワガママ社長」の出来上がりとなります。

    同じ生きていくのであれば誰かを喜ばせて、感謝したりされたりの関係を次々と作り上げていけば楽しさが増すと思うのです。

    「こんなことを実現させたい!」と言う高い志は、自分の為だけだと言うことが露呈した瞬間に色褪せてしまいます。 しかし、社会性や公共性の高い志であるなら、それに共感してくれる人が必ず出てくると思うのです。

    私は日本の経営者であるなら松下幸之助氏を尊敬していますが、それは人に対する人情味と厳しさの両面を上手くこなせていたからです。 今の日本に松下幸之助氏が生きていたら、安易なクビ切りはせずに生き残る道を模索していたと思います。

    松下幸之助氏が生きていた時によく言っていた言葉に、「松下は電気製品を作るところではなく、人を作るところである。」と言う名言があります。

    1990年代から松下電器は様変わりしてしまいましたが、松下幸之助の考え方は古いと言って次々と改革した結果、1990年代後半には黒字化して窮地を乗り越えたかに見えました。 しかし、その後はどうなったかと言えば2001年には1万3千人をリストラして、その後も毎年リストラをし続けて5年間で2万5千人もリストラしてしまいました。

    私が「安易なクビ切りをするな」と言っているのは、その人の向こうに見える「奥様や子供や年老いた親」など、その人の人生設計を根底から覆すようなひどいことをするなと言っているのです。

    「不況なら社員を減らして、会社を存続させることが常識だろう!」と偉い方々は言うかもしれませんが、儲けていた時代にしっかり給料を出していたわけでもなく、ソコソコ出して置けば満足するだろうと一部の特権階級の人だけが搾取していた分は、ドコへ消えてしまったのかと言いたいのです。

    「お金が無ければ知恵を出せ~知恵がなければ汗を出せ」と、誠に昔の人は良いこと言ったと思います。 今の日本で不況だと言って安易なリストラをする経営者は、この言葉をよくかみ締めるべきです。

    現在の不況は100年に一度と言われていますが、一万年に一度の氷河期よりは珍しくありません。 たかが100年程度のことで右往左往する方がみっともないから、もう少し常識だけではなくマナーも身に付けることです。

    マナーと言う響きの裏側には「センスが必要」と言う言葉が隠れているので、これからの時代はセンスがない人が社長になって舵取りをしてはいけないのです。

    あなたは志の高さを、どれくらい自分に課していますか?

    バタ ヾ(≧∇≦)〃ヾ(≧∇≦)〃バタ



    お知らせ:出張の為、ブログの更新は5月6日(水)より再開します。 いつもブログをお読みいただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    海外フライト。

    おはようございます。 今週末は東京出張ですが、今までは利便性を考えて全て新幹線利用でした。 車を持っていないので空港までのアクセスに時間が掛かるのと、待ち時間があるので新幹線にしていました。 しかし、今後を見据えた場合に4月からはJRと飛行機のどちらにしようかと悩んでいたら、その迷いに対しての暗示がありました。

    その暗示と言うのは3月にJR西(東海)のJ-WESTカードの申請をしたら、「発行できません。」と却下されました。 ところが却下された後にJAL(ANA)のカードを申請したら気持ち好く発行してくれたので、コレは飛行機に乗りなさいと言う暗示だと理解しています。

    車がある人なら余計に新幹線よりも、飛行機の方が東京へ行くのは便利です。 岡山空港の場合は駐車料金もタダで何日でも置けるので、コレも良い方へ作用すると思います。 寄付の神様など私の周りは飛行機の利用が多かったのですが、この結果により私も飛行機の利用となりました。

    また、タマタマだとは思うのですが私が乗る便は、飛ばない&遅れることはないと思います。 実際、前回の東京出張(4月10日)では東京行きの新幹線が名古屋を過ぎて、トラブル発生により止まったのですが私は飛行機なので関係ありませんでした。

    さて、私が利用するのは国内線の話ですが、海外旅行へ行く国際線の場合など~特にカップルで行く時には場合などは席の確保に気をつけないと、飛行機は新幹線と違い自由に歩き回るのは周りの迷惑にもなるし、席の取り方によっては長時間苦痛になるので注意が必要です。

    海外旅行で飛行機のチェックインをする時に聞かれることが多いのが、「Aisle or Window?」ですが、これは「通路側の席と窓側の席、どちらにしますか?。」と言うような意味合いです。

    日本人は外国人に比べるとあつかましくないので、遠慮してどちらでも良いと返事をする人が多いです。 しかし、海外旅行は長時間のフライトになるので、通路側の方が良いかもしれません。 (トイレに立つ時など隣に気を遣わなくて済みますし、CAの方に声もかけやすいと思います。)

    ただし、海外における外の景色、荘厳な朝焼けや美しい大地~きらめくような夜景が楽しめることを考えると窓側も捨てがたいと思います。 この辺は好みにもよるし、海外フライトに慣れているかどうかも左右すると思います。 この選択は人それぞれなので、体調やフライトの目的に合わせてくださいね。

    なお、一応参考までに「窓側のブロックの通路側をWindow Aisle」と言い、「中央のブロックの通路側をCenter Aisle」と言う会社や国が多いので、覚えておくと何かの役に立つかもしれません。

    さて、男性に希望者が多くTVドラマのシチュエーションにもなる、CAと向かい合わせのお見合い状態になれる席についてです。

    CAとお見合いの席に座りたいと言うリクエスト、あこがれのCAと話をするチャンスなんてヨコシマな願望が入っていると思いますが、理想と現実は全然違うので実際にCAの方達が席に座るのは離着陸の時だけだと思います。

    それ以外では余程気流が悪くて全員着席の指示が出ている時くらいで、TVドラマのように「お見合い」しながらじっくり会話なんてありえません。 しかも海外の航空会社では、このCAとお見合いになれる席に座った人は、飛行機に不測の事態が生じた時にCAをサポートする役割が義務づけられています。

    つまり、CAの要請を的確に理解できなければならないので、英語がわからなければいけないのです。 日本人がこの座席をリクエストすると、チェックイン時に簡単な英語のテストをされる場合もあるので誰でも座れるわけではありません。

    ただし、ヨコシマな考えや英会話は抜きにしても、このお見合い席にはCAの方と会える以外の利点があります。 この席はセンターブロックのスクリーン前の席と同様に、自分の前に席がないので足を投げ出せる席だから楽なんです。

    海外へのフライトは長時間になるので足が窮屈で疲れてきますが、お見合い席は自由度が高いのでありがたい席だと言えます。 (注:お見合い席でも窓側の席は緊急脱出用のシューターが格納されているので、この席だけは足を伸ばせません。)

    なお、カップルで旅行する時はできるだけ二人の世界を作れる席、いつもラブラブでいたいのなら後ろの席がお勧めです。 ジャンボや一部のエアバスに限られてはいますが、これらの機体後方は細く絞り込まれた形をしているので、当然機内も後ろの方が狭くなっています。

    その為、通常は3席ある両サイドが後ろから3~4列分のみ2席と言う構成になるので、ここを選べば楽しい二人だけの世界を満喫できます。 ただし、この席は人気なので争奪戦が激しい上にトイレに近い席なので、人通りが激しいことは割り切る必要があります。

    以上、簡単に説明してみましたが、国内線ではそんなに気を使うことも無いと思います。しかし、国際線では長時間乗ることになるので、少しでも参考になれば幸いです。

    あなたは海外フライトについて、どう思っていましたか?

    (@_@) パチクリ

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    選択。

    おはようございます。 最近は土日祝だけではなく連休なども、おかげさまで朝から忙しい毎日を過ごさせていただいております。 コレもひとえに素敵なお客様のご支援とご愛顧によるもので、本当にありがとうございます。 今後はブログの更新が難しい時も増えるかもしれませんが、できるだけ更新するようにしていきたいと思います。

    さて、今日は久しぶりに霊視関係のことを書いてみたいと思います。 私は霊視カウンセリングとは言っても霊視や占いに関することはほとんど書かず、人生や恋愛について書くことが多いので珍しいかもしれません。

    霊視で未来を視ると言っても、実はお客様により視える個人差がかなりあります。 当然ですが男性と女性でも違うし~20代と30代でも違います。 未来へ向かう道が1本なら簡単にお話できるのですが、普通は何本かの道があるが故に人は迷ってしまうし、どれが正解かは未来で実現した時に真実がわかることが多いです。

    例えるなら、彼が今現在は浮気していないのだけれど、結婚して2年経った時に浮気する未来があるとします。 こういう未来の時は一応お客様にお話はするけれど、それを止められるかと言えば「無理」なのですが、それは注意できるのは2年後に浮気してからになります。 今は何もしていないから何も注意できない、この部分が「ミソ」なのです。

    誰しも未来へ進む道は変えられるのですが、それはあくまで自分の意思が進行方向を決めるからこそなのです。 運命の後押しと言う言葉があるように、自分が何もせずにトントン拍子に言ったように感じることがありますが、実際には「起動部分」を自らの意思で動かしているからこそなのです。

    例えば、お店を出す未来だけがある人は、霊視で未来を語るのが意外と簡単です。 それは何故かと言えばオブラートに包まなくても、もうそのお店を出す未来についてのみ語るので、他に何も言わなくてもそれに集中してお互いが話をするからです。

    しかし、「お勤めをしても~独立しても、どちらを選んでも大丈夫。」 こういう未来の人は2本の成功への道があるから一瞬良いように思えるのですが、実際はどちらへ行けばいいかで迷ってしまうし、私も両方が成功してしまう故に「こっち」と断言できないのです。

    仕事を決める時でも同じで、営業をしても事務をしても両方とも適応能力がある、こういう場合はそんなに大差がないので本人の好みとしか言えない場合があります。 違いがあると言えば、通勤経路や働く場所、同僚や上司などの顔ぶれと言った所で、仕事内容における得手不得手の差はないのです。

    未来で進むべき道が多いから、断然有利とは限りません。
    未来で進むべき道が1本しかないから、不利とも限りません。

    未来は必然ではなく、あくまで自分の意思で決めるものです。 人の意志で決めて後悔を感じた人は多いけれど、自分の意思で決めた場合は後悔にはならないのです。 確かに失敗だったと思う時もあるかもしれませんが、それは後で経験や財産と言う名前に代わって自分の中に残るのだから、失敗や後悔にはなりえないのです。

    前世がどうのこうのなんてお話は、自分の原動力になるのなら大切だと思います。 しかし、生きている自分は「今だ」と言うのに気が付かないと、未来へ前進できるわけがないのです。 人の魂は何度も生まれ変わっているから、前世で人を殺したり~お姫様だったり~巫女様だったりしたかもしれません。

    しかし、それが現世に何らかの影響があるかと言えば、全然何の関係もないのです。

    前世と現世が関係ないと言ってしまうと、「身も蓋もないから面白くない」とか「それじゃ、話がつながらんから商売にならん」など、スピリチュアルな世界の先生方の言い分は色々あると思います。 残念ながら前世と遺伝子情報は別であり、それについて説明できない方が前世を語ってはいけないと思うのです。

    遺伝子と言うのは地球が誕生してから一度も途切れることなく、人類を構築してきたのです。 もしも遺伝子情報が一瞬でも途切れたなら、それは「絶滅」を意味するのです。 この辺は遺伝子学と物理学に関しての話になりますが、前世~前世と言うのなら遺伝子情報を取り除いてからでないと本当の前世にはならないのです。

    よくある話ですが、母親のお腹にいる時の記憶があると言っている人の記憶はコレなのです。

    例えるなら遺伝子情報Xと遺伝子情報Yがくっついて、遺伝子XYとなり脳が形成されてきます。 そして脳ができてくると、そのベース部分には親や先祖の遺伝子情報も記憶に書き込まれています。 この部分の記憶を呼びさましてきて、お腹の中にいる時に外のことを聞いたり見たりしていたと勘違いしているのです。

    結論として子宮の中における人体の形成という面で、母親の体内にいる時の記憶があると言うのはかなり無理があります。

    もしも「体内の時の記憶がある」と言う人が存在するのなら、その人のIQは200を軽く超えている超天才になります。 人体の形成と言うものは、妊娠7週目までは女性染色体XXと男性染色体XYの区別はなく、爬虫類と同じ両性具有状態です。

    XXが卵巣を形成して~XYが精巣を形成して、そこで始めて男女の区別ができてくるので記憶や思考に力を使っている場合じゃなく、人体形成の方に脳の力がいるので記憶はできないのです。 (今日のブログの内容が理解できていない占い師さんとスピリチュアルカウンセラーの先生方は、前世の説明をするのには少し無理があります。)

    話は戻りますが、未来への道はいくつもあるのだから夢をあきらめてはいけないのです。 あなたが願うことは叶うからこそ思い描くのであり、叶わないのは運命のせいではないんです。

    あなたは夢を叶える為に、どのような道を選択していますか?

    o(T△T=T△T)oジタバタ

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    リーダー像

    おはようございます。 今日から月曜日で仕事開始の人もいると思いますが、早いところはGWに入っていてすでにお休みです。 長い休みの方も目標を決めてダラダラ過ごさなければ、きっと素敵な人生が自分の未来に舞い降りてくると思います。

    そして未来で自分が活き活きとしている姿には、理想のリーダー像が隠れているかもしれないのです。 リーダーと言えば日本には元々武士道と言う、日本の武士階級により発達した道徳があります。

    その始まりとしては鎌倉時代から発達して行き、江戸時代になってから儒学思想と結合して完成したと言われています。 忠誠~勇敢~犠牲~信義~礼節~名誉~質素などを尊重したものを言いますから、現代における理想のリーダー像(経営者像)を表しているとも言えます。

    私は天職を勧めることが多いタイプですが、嫌なところに我慢しているのは精神衛生上よくないと思うからです。

    毎日仕事に行くのが辛いと感じるのは仕事が楽しくないからで、楽しくないのに我慢して行くのは勿体ないと思うのです。 リーダーとなるべき人が尊敬できる人ならば、自動的に仕事を好きになってしまいます。 嫌いな人であれば、いくら好きな仕事であったとしても嫌になってしまいます。

    リーダーと言うのは人類誕生の時よりあるのですが、人類が誕生した時には食わせると言うのが基本でした。

    10人中の1人が中心となって残りの9人を食わせること、つまり自分はひもじい思いをしても残りの9人は腹一杯にするのがリーダーです。 コレを現代風に言えば、自分は給料ゼロでも社員の生活は保障するのがリーダーたる者の役目です。

    ただし、ここに書いているのはあくまで日本的なことで、諸外国では全然違います。

    私は日本は捨てたもんじゃないと思うのですが、人はつい海外の方が桃源郷なのではないかと思ってしまいます。 しかし、飛び出してみれば日本の方がよかったと思う人も多いのは、日本と海外ではリーダー像の歴史が違いすぎるからです。

    リーダーと言うのはピラミッドの頂点にいて、下の者を引っ張ると言うのが諸外国のリーダー像です。 コレは頼りにはなるけれど、イザと言う時に弱者切捨てになる場合も多いです。 このタイプは成功したら英雄ですが、失敗したら非情だと言われることになります。

    日本においてリーダーとして理想なのは、やはり武士道が根底に出てくるのです。

    いくらトレンディドラマが視聴率を取っても、いくらハリウッド映画が興行成績を上げたとしても、日本の時代劇は無くならないし~勧善懲悪で終わることを心の中では欲しているのです。 だからこそ、必殺仕事人のようなドラマは無くならないのです。

    お金を持っていて~態度がデカクて~上から命令して~自分だけが一流と思っている、コレは理想のリーダー像とは全然違います。 このタイプは好況の時はいいけれど、不況の時には差がついてくるのです。 人には良心と言うものがあり、自分だけが良ければと言う考えは色々な想いが許さないのです。

    リーダーが自ら努力を示すことで、周りの人は影響を受けます。 社長が朝6時に出社していると、自然に遅刻をする人はいなくなります。 社長は昼ごろ出てくるのに社員には遅刻するな、こんなことではリーダーの資質自体がないと思います。

    今のままだと未来も同じだから、今と変えることで未来を変えていく。

    コレは当たり前の言葉ですが、コレが理解できている社長はいつまでも同じステージにはいません。 さっさと次のステージへ向かい~そこで活躍できたら更に次へ進むので、社員は自然と上のステージへ引き上げられていくのです。

    会社やお店と言うのは、続けているうちに自然と大きくなるのが普通です。

    しかし、普通に任せていると、いつの間にか成長は止まってしまうのです。 大きくなると言っても自然に大きくなるのと、自分が動いて色々な部分を共に大きくしていくのでは成長の度合いが違ってきます。

    ここでリーダーが思い違いをする部分として、社員を働かせる感覚でいる人はリーダーには向かないのです。 社員が必死で働いて会社を大きくするのならリーダーは寝ているだけで力も何も要らないから、そんなリーダーならいなくても一緒です。

    本当のリーダーと言うのは社員が楽していてもドンドン力を発揮させたり、残業が減るのに収入は上がるということが出来るのが本当のリーダーです。

    偽者のリーダーのヒトコトは手械足枷になるけれど、本当のリーダーならば後押しや応援になるのです。

    あなたは理想のリーダー像を、どのように思いますか?

    Σ( ̄ロ ̄lll) ナントッ!

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    チャレンジする。

    理想が高すぎると言われて意気消沈することがよくありますが、理想と言うのは高く持たないと途中で息切れしてしまうことがよくあります。

    例えば、毎日500メートル走っていると、いきなり400メートル走れと言われても心理的にも肉体的にも余裕です。 本来持っている力を磨き上げていれば、いつでもどこでも力を出せるのが人なんです。 人は誰もが自分の可能性や力を低く見すぎなのですが、頭の中にある自分を低くしていると出来ることも出来なくなります。

    成功とか出世とか幸せの形や思いは人それぞれですが、その根底にあるのは勇気ある一歩です。 自分が思い描く未来だから叶うだけであり、思わないし願わないと言うのであれば、その未来が存在することはありません。

    オリンピックの金メダル級のランナーでも「ゴールは決めてないけど、取り敢えず走れ!」なんてことだと記録も出ないし走り出すのは嫌だと思います。 いくら金メダル級でも、頭の中でゴールまでの道順やペース配分を思い描くから走れるだけで、ゴールを決めると言うのは大切なことなんです。

    理想を高く持つと言うことは、途中で止めたとしても高い位置に来ていると言う結果が残ります。

    近所にある山の中を歩くことを、ハイキングと言います。
    富士山など高い山に登ることを、登山と言います。
    それらを乗り越えたなら、エベレストと言う世界最高峰が待っています。

    あなたが思い描く夢と言うのはハイキングで終わるものなのか、その次の登山を目指していることなのか、それでも満足せずに世界最高峰へと進みたいのか、人は自分が思い描くからこそ高い位置へ辿り着けるのです。

    私は一年間と言う期間で区切って見ても、色々な夢や思いをお伺いしています。 それが叶うかどうかは、やるかやらないかの差だけだと思います。 そう言い切ってもイイと思えるのは輝く未来を手に入れた人が活き活きしている素晴らしい日常を、いつも拝見させていただいているからです。

    やればできると言う言葉の裏返しには、やらなければできないと言う真実が隠れているのです。

    俳優になりたいとか~歌手になりたいとか~漫画家デビューしたいなど、どうして自分ができることをやらずに「無理だ…。」とあきらめてしまうのかが分かりません。 なりたいとかやりたいと思うのは、自分の中に可能性があるから思えるのです。

    忘れられないと言うのは記憶に残ったまま離れないからですが、どうして離れられないかと言えば、「もしかして、自分もあぁなっていたかもしれない。」 やりつくさずに余力を残したままだと、いつまで経っても「もしかして…。」と言う思いが抜けきらないのです。

    楽な道を選ぶと、最初はいいけれど最後に悔いが残ります。
    辛い道を選ぶと、最初は大変だけど最後に充実感が残ります。

    輝きたいと言う気持ちは誰しもありますが、それは虚構や嘘の世界では鈍い光にしかなれません。 本当に輝いていると言うのは、自分を疑わずにやりつくす以外には無理です。 チャレンジするのは勇気がいるけれど、成功したなら手に入れるものは溢れんばかりとなります。 周りの意見を聞くのは大事だけれど、周りの意見を聞きすぎるとダメになることもよくあります。

    岡山など地方から東京へ出ると決めた時に、準備を整えて計画的に出る人と~思い立ったら取り敢えず出る人など、当然ながらタイプ別に色々なパターンでチャレンジされます。

    しかし、不思議なことに準備して出た人が成功するわけでもなく、いきなり出た人が失敗するわけでもありません。 これは元々持っている運の差もあるのかもしれませんが、運命が応援してくれる道を歩いている人は、失敗しない未来を自然と歩くことになるのだと思います。

    人はツイツイ楽な方の道を選びがちですが、自ら厳しい選択に身を投じた人はハイリスク・ハイリターンとなっている感じがします。

    私はチャレンジしたお客様の凄さを目の当たりにして感動を頂いているのですが、TVでTUBAKIやセブン銀行のCMで輝いている姿を見た時、雑誌のVERYやメトロポリターナなどで活き活きしている姿を見た時、このポジションは自ら動いてチャンスを勝ち取ったからこそだと感銘を受けています。

    1年前にはすぐそこにいたはずなのに~そんなに変わらなかったはずなのに、チャレンジした結果が1年前と今では大きく違った状態を生み出しているのです。

    あなたは未来の自分が、どこまで登っていると思いますか?

    ヾ(☆▽☆) アハハ!



    お知らせ:おかげさまで業務多忙の為、ブログの更新は27日(月)より再開いたします。 御迷惑をお掛けいたしますが、よろしくお願い申し上げます。 つたないブログですが、いつもお読みいただき本当にありがとうございます。 m(__)m

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    辛いこと。

    辛いことがあると嫌なのは人であれば当たり前ですが、辛いことの中身によっては必要なこともあります。 私自身が思い返して見ても、もしもいじめられなければ人の傷みが判らない人間になっていたかもしれないし、現在のようにボランティアや寄付をしていないかもしれません。

    辛いことがあるからこそ、相手に優しくなれると言うこともあります。

    良いことばかりが続くと当たり前となって感謝が無くなり、辛いことが解消されて楽になるとありがたみを感じます。 料理評論家が薀蓄を言うのはいいけれど、山で遭難した時にはチョコレート一枚が命の繋ぎとしてありがたく感じます。 そして助け出された時に「おにぎり」が目の前にあれば、普段の薀蓄はドコへやらと言う感じで食べ始めます。

    普段から贅沢に慣れていると当たり前に感じて感謝が無くなり、自分では何一つできないのに美味しいとかマズイと文句を言い始めたりします。

    野菜は無農薬でないとダメだと言うワリには野菜の作り方ひとつ知らないとか、コレは炒めすぎとか煮込みすぎなどと言うくせに料理をさせてみると卵焼きひとつ満足に作れないなど、文句を言う人ほど何もできないのが本当のところです。

    机上の空論を言う人が考えがちなのが、良いトコ取りの方法論です。

    例えば、お店や会社を経営する時に優秀な人を集めれば成功すると思いがちですが、料理評論家のような薀蓄だけの何も出来ない人の集団では、船長ばかりで誰が船を動かすのかと言う事態になりかねないのです。

    事務がいて~営業がいて~統括する人がいて、こうやって役割分担しているからこそ組織が機能するということも考えずに、「優秀な人材」だけ集めればいいと考えるのが失敗の元です。 (日本のプロ野球でも4番バッターばかり集めているのに、全然優勝できない球団があるくらいです。)

    これらを踏まえて考えると、仕事に行き詰まりを感じた時に脱出するのに手っ取り早い方法は、自分にとって嫌な人の意見を参考にすれば低迷状態を早く抜け出せるのです。

    励ましてくれたり応援してくれたりする人は友人や知人としては、掛け替えのない財産とも言うべき人間関係として素晴らしいです。 しかし、低迷している状態を早く抜け出したいのであれば、残念ながら嫌な人の意見の方が効き目があるのです。

    良薬は口に苦いと言う言葉があるように、どうしようもない時には嫌な人の意見を参考にした方が、揚げ足取りや嫌がらせなどワケのわからない状態を抜け出す目標ができるからです。

    不調な状態を抜け出せない原因のひとつに、「どうしたらいいのかわからない?」と言うのがありますが、嫌がらせをする人と言うのはあなたのことが嫌いだから揚げ足取りのごとく欠点を突くことは大得意です。 コレを逆に利用して自分のスランプ状態は何が原因かをはじき出して、低迷状態を抜け出す手掛かりにすればタダで目標が見つかります。

    ただし、コレは一時の脱出方法なので嫌な会社に長くいろとか、嫌な上司の下で我慢しろなどと言うつもりではありません。

    人には色々な才能があるのだから、開花させないと意味がありません。 しかし、その開花させる為に必要なものが何かと言えば、嫌なものが良いものに変るキッカケ作りに役立つ場合もあるのです。

    嫌なことがあると、それに対する対処方法を人は自然と取るので、あっという間に改善してしまうのも珍しくないのです。

    私がいじめに遭わなければ人間的に問題が多かったでしょうし、お金持ちの家に生まれていたら寄付なんてしなかったと思います。 そういう人間としておかしい生き方を当たり前と感じていたら、今の私は存在していなかったと思います。

    そう考えると昔の私が岡山の県北に生まれて差別やいじめに遭うことで、運命が私の人間性や考え方を正してくれた。 本当は感謝することだったんじゃないのかと、最近は少しですが考えられるようになってきました。

    誰でも苦しい時や悲しい時はあると思いますが、生きているからこそ明日は来るのです。 自分自身の今を受け止めきれずに潰れそうな時があるかもしれませんが、永久に続くわけではないので、楽しい時や嬉しい時を思い出して欲しいと思うのです。

    あなたの未来は明るいから、きっと素晴らしい人生を過ごすことができると思うのです。

    あなたは人生の荒波に負けないで、明るい未来へ希望を持てますか?

    ヾ(>▽<)ゞ ウレシイ♪

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    ひとめぼれ。

    おはようございます。 最近はおかげさまで出張も増えてきて、コレもひとえに素敵なお客様のおかげであり本当にありがとうございます。 ただし、それに伴いブログの更新もお休みすることも増えてきましたが、移動など時間的&物理的に更新が無理なので申し訳ありません。

    さて、今日は「ひとめぼれ」についてのですが、人が人を好きになる時にはひとめぼれが意外と多いのです。 何度も会う内に好きになったと言う人もいると思いますが、それは最初から気に入っていて自分が思う通りの人かどうかの整合性を確かめているだけです。

    辞書で引くと「一目惚れ(ひとめぼれ)」とは、名前の通り相手のことを一目見ただけで惚れ込んでしまうことを言います。 これは特定の相手に対して夢中になる体験や、その心理的状態も含まれます。

    日常的に使われている用語ですが、厳密な定義は難しい言葉だと思います。 基本的に一目惚れと言うのは双方ともに起こる場合もありますが、一方にのみ起こる時もあります。 一方にのみ起こる時を一般的に片想いと言うのですが、一目惚れと言うのは片想いの感情になる方が圧倒的に多いです。

    また、人により個人差はありますが、一目惚れに陥りやすい体質と陥りにくい体質があり、なぜか一目惚れに陥りやすい体質の人は周りの人に好かれる人気者の傾向があります。

    一目惚れのメカニズムついては、ある程度の仮説や解明ができていて、現代では2つの理由が挙げられます。

    まずひとつめは、耳~目~口~鼻の部分の形が両方ともにそっくり、もしくは配置が類似している場合に、一目惚れになりやすいという説があります。 これは何度も繰り返し見た顔や雰囲気や形状や記号等に対して親近感を持つ、そういう認知心理学や発達心理学からの知見に基づいたけんかいがあります。

    次に防衛遺伝子(細菌、ウイルスに対する抵抗遺伝子)の型がまったく違う状態であればなりやすく、これは生物学的なもので自由意志ではありません。 DNAが命令を出して種の保存をキープする目的で起こるもので、自然淘汰状況において遺伝子の分散がある方が生存に有利だと言う全ての生命体に起こりうる状態です。

    有性生殖の個体において子孫を残す場合に、遺伝子の分散があると色々な状況変化に対応できる為、子孫が生き残る確率が高くなることにより起こると考えられています。

    この2つの仮説は全く異なるプロセスで説明してありますが、実際にどういう状況で一目ぼれが起こるかについても、全く異なるシチュエーションを想定してあります。 簡単に言うと前者においては「似た者同士」が一目惚れに落ちるという仮説であるのに対して、後者においては「違う部分に魅かれる」という仮説がなりたつのです。

    こうした多様な仮説の存在は、人が人に対して魅力を感じるというプロセスが非常に複雑なものだと示しています。 感情に関する研究は不確定要素が大きく、一般的に生物学的な要因以外にも様々な変数が介入しやすいので、実証的な研究に進みにくい傾向があるとされています。

    例えば、米ノーステキサス大学にて行われた統計的な分析の中で、ある心理人間行動学者の人が研究した内容によると、「一目ぼれをしたカップル同士は普通のカップルよりも仲が良い」という結果が出ています。 しかし、それは単に「夫婦仲が良くて、お互いを認め合っているだけ」との現れでもあるので確定的なこととは言えません。

    ただし、基本的に一目惚れと言うのは圧倒的に男性に起こる現象で、女性が一目惚れをすることは全体の割合で言うと余り起こらないのです。

    実は一目惚れのメカニズムを研究している人が実験した結果において、「一目惚れとは男性にのみあるもので、女性にはない。」と言う結論がすでに出ているのです。 これはどうやって調べたのかと言えば、まず男女にそれぞれ覆面をして、日本で言う合コンみたいなことをしてもらいます。 その時は相手の顔が分からないので、相手の話す内容など性格重視で選ぶことになります。

    次に覆面の時の正体を明かさずに、しばらくたってから同じメンバーで同じ状況を作り合コンをするとどうなるか?

    その結果、女性は前回とほぼ同じ相手を選んだのに対して、なんと男性はほとんどの人が「かわいい&好み」と言う理由で覆面の時とは全然違う相手を選んでいます。 つまり、この実験結果により男性は「女性を一目見た瞬間」が好みかどうかの判断基準になり、性格などの中身は重視していない場合が多いことがわかります。

    実は人が惚れる為には3つの条件がそろわなければならないのですが、「①=近い」~「②=似ている」~「③=緊張感」と言う条件のうち、どれか1つが欠けても人は恋に落ちないのです。 そして一目惚れとは、この3つが瞬時に起こり直感的に相手を気に入ることをいいます。

    ただし、幼い考えの男性やマザコンの男性ほど一目惚れしやすいと言う実験結果も、同時に存在するので一目惚れとは男性中心に起こることなんです。

    あなたは一目惚れを、したことがありますか?

    (⌒∇⌒)ノフリフリ

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    始める前に。

    私は基本的に良いことだけ言おうと決めていますが、内容によってはどうしようもない場合も時としてあります。 そういう時は言いにくいし、言った所で変わらない未来に何を言えばいいのかわからないこともあります。

    ある日の午前中に掃除をしていると、妊婦さんらしき人が予約無しで事務所へ来ました。 明らかに顔色が悪いので事務所の椅子で休んでもらい、その間に掃除などの準備を済ませました。

    そして霊視カウンセリングに入ったのですが、そのAさんと言う女性は彼との結婚を親に反対されているとのことです。 彼の子供がお腹にいるし、どうしても彼と結婚したいから「ドコへ引っ越ししたら良いか?」と言う御相談でした。

    私は親の意見が全て正しいとは思わないタイプですが、今回の件は明らかに親の意見が正しいように視えます。 彼を霊視した感じでは無職に視えるしDVもあるように視えるのですが、Aさん自身が「そんなことはありません。 それよりもドコへ引っ越したら良いですか?」と聞かれるので、仕方なく無難な答えである「彼の実家」とお答えしました。

    その彼の実家と言うのが県北なんですが、家や畑があるので食べる分には困らないだろうから、子供が産まれても住居と食料は確保できるだろうと思ったのです。

    しかし、私の霊視はどうやら当たっていたようで、子供が産まれたと言うのに彼は実家で働きもせずにゴロゴロしてばかりです。 彼の親は「あんたが嫁としてしっかりせんから、うちの子が働かんのじゃ。」と、毎日~毎日Aさんを責め立てて子育てと言葉の暴力にAさんはノイローゼになりそうでした。

    そんな生活に耐え切れなかった大晦日の夜、Aさんは彼や義父&義母の度重なる言葉の暴力に耐え切れず家を飛び出してしまったのです。 しかし、親の反対を押し切った以上は実家に戻るわけにも行かず、携帯もお金も無い状態ではどうしようもなく途方にくれていました。

    「もう、死のう…。」

    Aさんは子供を抱いたまま真っ暗な国道180号線を歩いて死に場所を探していると、一台のタクシーが通りかかりました。 運転手さんが下りてきて、「あんた、どこ行くの? こんな夜中に子供が風邪引くから、乗って行きんさい。」 見ず知らずの運転手さんが、Aさんを強引にタクシーに乗せたのです。

    そして道中に運転手さんがAさんに、「人生はね、辛いことの方が多くて、ホンの少しだけ良いことがあるから、良いことが嬉しく感じられるんだよ。 あんたも辛いことがあるのかもしれないけれど、子供の為にも生きなくちゃダメだよ。 人間はね、生きていればいつか良いことがあるからね。」

    運転手さんはゆっくりと静かに、Aさんを諭すように話をしてくれたそうです。

    Aさんは辛くて悲しくて仕方が無かったのですが、その話を聞いているうちに救われたような気持ちになり、タクシーの中で子供を抱きしめたまま涙が止まらなかったそうです。 そしてAさんは実家の住所を言って運転手さんに連絡してもらい、生きる道を選んで岡山市の実家まで運転手さんに送ってもらったそうです。

    しかし、家族の反対を押し切って駆け落ち同然で家を飛び出したAさんは、いまさら父や母に助けを求めるなんてどうしたらいいのかと家の前で立ち尽くしていました。 運転手さんも「大丈夫だから、入りなさい。」と言ってくれるのですが、Aさんはナカナカ足が進みません。

    その時、いきなり玄関のドアが開いて怖い顔をした父親が、「早く中へ入りなさい、子供が風邪を引いたらどうするんだ!」 いつものように怒鳴りましたが、その怒鳴り声がAさんには何故か温かく聞こえたのです。

    「お父さん、ごめんなさい…。」

    Aさんは父親に謝りながら家に入れてもらい、すぐに母親が子供をお風呂に入れる準備を始めてくれて、Aさんは子供を母親に預けると張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、それとも落ち着ける場所へたどり着くことが出来た安心感からか気を失って倒れたのです。

    翌日の朝、気が付くと自分の部屋の布団の中にいました。 そしてAさんは頭がボーとする感じがしましたが、子供のことが気になって居間の方へ向かいました。 すると孫を可愛がる父と母の姿が飛び込んで来たので、Aさんは自分が迷惑を掛けてしまった後悔と反省で再び泣いてしまいした。

    「おい、もう泣くな。 ここはお前の家なんだから。 それにこの子はオマエにそっくりで、本当にかわいいなぁ~。」 父親が精一杯気を使って話す様子に、Aさんは感謝の気持ちで胸が一杯になったのです。

    その後のAさんは再婚して幸せをつかむ未来を歩いていますが、結婚する前に相手のことを見極めるのはとても大切です。 お付き合いの最中は良い人だけれど結婚したら悪い人と言うのでは、悔やんでも悔やみきれない結婚生活になるのです。

    あなたは結婚生活を始める前に、相手の真実を理解できていますか?

    (*ノ_<*)エーン

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    成功か失敗か。

    人生において成功か失敗かと言うのは大切だとは思いますが、その成功とは何かと聞かれたら人それぞれです。 お金がたくさんあれば満足の人もいるでしょうし、家を建てることが目標の人もいるでしょうし、やりがいのある仕事に付くのが夢だと言う人もいると思います。

    そうやって成功を夢見るのはとても素晴らしいことですが、その道中に何もないのであれば物語としては絵にならないのです。 成功へと駆け上るサクセスストーリーは、急激な落ち込みを暗示しているのです。

    簡単に言うと順風満帆に行くような人生はストーリにならず、どちらかと言えば苦労の末に手にするドラマを人は好みます。 何をやっても上手く行くようなゲームよりは、苦労しながらクリアしていくゲームの方がやりがいがあります。

    日本には判官贔屓(はんがんびいき)と言う言葉があり、この言葉の由来とは源義経が兄頼朝に滅ぼされたのに人々が同情したことから生まれた言葉です。 そのことから弱者や薄幸の者に対して、同情したり味方することを言います。

    成功を手にすると言うのは誰しも夢見るのですが、その成功の中身が自分の心を苦しめることもあるのです。

    仮にお金儲けをするのが夢だとして、1千万~1億円と儲けたところで貯金通帳の桁は上がるかもしれません。 しかし、誰にも相手にされずモノを買う時だけお店の人に相手にしてもらえる、そんな人生を素晴らしいとは言えないかもしれません。

    お金を儲けるのだって信頼のおける仲間や社員と一緒になって汗を流して、喜びを分かち合いながら苦労を共にすることで手に入れるお金なら、そこにある満足感はお金以上のモノとなるはずです。

    分かりやすく言うのなら、完璧なモノを追い求めると「味気なくなる」と言うことです。

    タイ焼きを例に出すと、タイ焼きを買った時に背びれのところにはみ出した部分が、「カリッ!」とした感触があるから美味しさが増すと思うのです。 何もハミ出していない完璧な形をしたタイ焼きを食べる時と、ちょっと形は崩れているかもしれないけれど背びれのところにハミ出した部分のあるタイ焼き。

    どちらのタイ焼きを美味しく感じるかは、あなたの心の中にある何かがスパイスとして決めるものなのです。

    最近は炊飯ジャーがあるので、釜で炊いたような焦げのあるご飯は出来ないようになっています。 お米を入れてセットしてスイッチを押せば、誰でも簡単にご飯が炊けます。 しかも、焦げのない綺麗なつやつやしたご飯が炊けるので、本当はコレで誰も文句はないはずです。

    しかし、実際には焦げの出来る卓上お釜炊きと言う製品があり、ご飯の底にお焦げができるような仕組みのモノがあり、それが20~30代を中心としてひそかに売れていると言うのが面白いところです。 (私も次回の東京出張で、コレを見に行こうと思っています。)

    結局のところ、いくら完璧を追い求めたところで「味わい」と言うものを、人は心の中に追い求めるようになってしまうのです。

    何事も程々が一番なのですが、絵がいくら上手いと言っても模写するだけなら写真には敵わないのです。 どこもかしこも一致するかのように完璧に写してしまうはずなのに、写真をプレゼントする人ばかりではなく、似顔絵をプレゼントする人が後を立たないのが現実です。

    そして普通の似顔絵ではなくカリカチュアのように、モチーフとなる人物の外見的特長はもちろん、内面に潜む個性までも捉えながらユーモアを交えてデフォルメするモノが大人気となったりもします。

    これらのことは何を意味するのかと言えば、成功か失敗かと言うのは「好きか嫌いか」に置き換えることが出来ると言うことなのです。

    綺麗なつやつやしたご飯が好きな人もいれば、少々お焦げのあるご飯が好きな人もいます。 タイ焼きだって同じように、綺麗な形が好きな人もいればハミ出したカリッとした部分が好きな人もいます。

    真の成功とは、自分が好きなことを毎日していられて~元気で健康で自由に動ける、コレこそが真の成功に繋がると言うのを、トップクラスは感じているからこそ自分のことだけ考えるなんてしないのです。

    お金やモノを追い求める人は、いくらカッコイイことを言ったところで詭弁であり、結局は自分のことしか考えてない部分をさらけ出してしまい、最後には人生そのものを見誤って崩れていくのです。

    あなたは好きなことをやって、自由に生きていますか?

    ( ̄□ ̄;)ガーン



    お知らせ:出張の為、ブログの更新は21日(火)より再開します。 いつもブログをお読みいただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    ぬるま湯。

    人は安らぎが続いて刺激が少ないとぬるま湯と感じてしまうものですが、ぬるま湯に浸かりすぎていると気持ちが萎えて来ます。 自然の道理として必然なのが、空気は入れ替えないと呼吸困難に陥りますし~水も入れ替えないと澱んできます。

    人も同じで今までと変らない状態が続いてくると、何もする気が起きないとか~何をやってもつまらないなど、未来で良いことが無いようにさえ思えてきます。

    私はお客様の御相談を伺った時に、どちらかと言えば独立開業を勧める方ですし、チャレンジするかどうかの時にはチャレンジする方を勧めます。 誰であろうとも運命は公平で、人には色々な未来があるから絶対に失敗するとも成功するとも言えません。

    しかし、成功する未来があるのにやらないのは勿体ないし、やらないでいると時間が経ったアトで後悔してきます。

    後悔するのはいいけれど、いくら後悔しても失った時間は取り戻せません。 夢は叶うけれど、叶う為には行動しないと無理です。 何もしなければ何も起きないから平穏無事と言えば平穏無事ですが、何も起こらないというのは変化がないことを意味します。

    人は何かを体験したならば、それは失敗でも成功でも何か得るものがありますが、何もせずに頭の中だけで想像するのは途中で疲れて想像を止めてしまうのです。 人の思いは思い続けること~考え続けること、それが意識改革や成長の速度を速めるのですが続けることが難しいのです。

    自分にはできないと思ってするよりも、出来るかどうかはやってみないとわからないけど~取り敢えずやってみようと言うのでは、その先にある結果はおのずと違ってきます。

    出来なくてもできると言ってから勉強や研究するのは無茶苦茶に思えますが、時間がいくらあっても出来ない時には出来ないし~出来る時は出来るのです。 何度も何度も繰り返して挑戦する気持ちになるには、脳細胞の活性化が必要です。

    脳細胞の活性化と言えば難しく感じるかもしれませんが、それは無我夢中ですることを意味します。 赤ちゃんがハイハイしている時や立ち上がろうと何度も転んでいる姿、これは誰が教えたわけでもないけれど無心で自分がしていることなんです。 無心で一生懸命にしている姿は、上手く行くかどうかを計算しているわけではないのです。

    そうは言っても運命が好転していないと感じている人はナカナカ切り替えが難しいと思いますが、難しく考えなくても人生が上手く行くかどうかは単純明快に明るいか暗いかと言ってもいいのです。 暗い人は暗い雰囲気や暗い人を周りに集めてしまい、明るい人は明るい雰囲気や明るい人を寄せ付けるのです。

    例えるなら、景気が悪いと言っている人は、本当に景気が悪いことを引き寄せようとしているだけです。 景気が悪くても流行っているお店や忙しい会社はあるから、自分もそうなるように努力しようとか、もしくは景気が悪くても自分には関係ないから上手く行くはずなど、根拠は無くてもいいからポジティブになることが簡単な開運法です。

    会社経営者とかが「銀行が助けてくれない」とか「行政が助けてくれない」など愚痴を言うのは聞き苦しいのですが、助けてくれないと言う前に「どうせゼロから始めたんだから、ゼロに戻るだけで損ではない。」と言うのが明るい考え方だと思います。

    何をやってもダメな時にはダメなんですから、下手な抵抗をするよりもやり直す方が早いのです。

    人には無限の可能性や能力があるのだから、何か行動していれば何かが変わります。 誰もが闇に見えていたとしても、自分だけは金色に輝いているかもしれないのです。 ぬるま湯に浸かり続けるのは、思い込みを捨て去ることが出来ないからと言うのも原因のひとつです。

    人は安住の地に辿り着くと、そこが無限に続くように感じて変化を拒みます。 昔やった方法が、今でも通用すると思い込んでダメにする。 コレがお店や会社をダメにする一番の要因ですが、老舗ですら毎日変化していて伝統と進歩の繰り返しです。

    変わらない毎日を変わらないと言うのは変らない自分に気付いていないだけで、毎日変化し続けている現実に気が付いて、その力をホンの少し違う方向へ向けてやると全然違う日常が待っているのです。

    守り続ける難しさと変わろうとする勇気、コレは相反することかもしれませんが、しなければ出来ないのです。 やらなければ変わらない毎日が待っているだけで、やれば変わる日々が待っているのです。

    あなたはぬるま湯に浸かりすぎず、立ち上がろうとしていますか?

    ヘ(^-^ヘ) ヤレヤレ?

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