徒然草(岡山・東京・山崎かずみ)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    会えない時間。

    霊視カウンセリングをしていると、どうしても恋愛相談が多くなります。 「彼が私のことをどう思っているのかな?」とか「彼は何を考えているのかな?」など、人は相手の心が見えないからこそ知りたい欲求が出てきます。

    相手の行動や考え方が見えない時には、見えない領域が多い時ほど知りたい領域も増えていきます。 しかし、その先にある真実と言うのは知ってイイ場合もあるし、知らない方がイイ場合もあります。 真実と言うのは時には残酷であり、時には思いがけない優しい顔を覗かせるのです。

    ある時にクリスマスもお正月もいきなり彼に予定をドタキャンされたCさんと言う女性が、彼が浮気をしているんじゃないかと言う御相談でお越しになりました。

    彼であるHさんとは付き合って5年になるのですが、いつも几帳面で約束を破ったこともないし予定変更もしたことが無いくらいキッチリとした男性なのですが、どうも最近は約束してもうわの空だったり予定変更することが多くなりました。

    今までそんなことは一度も無かったのに、Hさんの態度が急に変ったからCさんは他に女性ができたんじゃないのかと心配しているようです。

    私はいつものようにHさんがどうしているのかなと日常の風景を視てみると、確かに女性の影があります。 しかし、そのうちひとつはお母さんのような年齢の女性ですし、もうひとりの女性は妹さんみたいです。 アト視えるのは病院での看護師さんとの会話とか~会社で関わる同僚との会話など、別に怪しいと言うほどではありません。

    私はCさんに「別に疑うほどではないし、女性の影があると言えばありますが、病院とか会社内での業務上での付き合いのようですよ。」とお伝えしました。 するとCさんは、「それが、怪しいんです。 彼は健康そのもので、今まで風邪ひとつ引かないのに病院へ行くなんて、看護師さんと付き合っているんじゃないかと思うんです。」

    私は少し気に掛かる点はありましたが、それは今回の件とは関係ないので言わずに黙っていました。 それ以外の視えたことはCさんにお伝えしたのですが、黒じゃないけど白でもないと言うグレー状態のままでお帰りになりました。

    そのまま月日が流れて8ヶ月くらい経った頃でしょうか、再びCさんがやってきてHさんと半年も連絡が取れないと言う御相談でした。 あれからしばらくして彼と喧嘩になって、それ以降は全然連絡が無いと言うことでした。

    喧嘩の原因はHさんより電話で「俺も忙しいから、そんなに度々会えない。」と言ってきたので、取りあえず「会って話がしたい」と言って会ったそうです。

    そこで言い合いになってHさんより「そんなに言うなら、別の人と付き合ってもいいよ。 俺もオマエと長いから、そろそろ別の人と付き合ってもいいかなぁ~と思っていたんだ。」 この喧嘩を最後にCさんは彼と一切連絡が取れないし、Hさんはまもなく会社も辞めているので行方がわからないのです。

    Cさんは真面目で誠実なHさんが急に変わってしまったので、あの優しい彼はどこへ行ったのかと涙に暮れる日々だったようです。

    私はCさんに本当のことは言いづらかったのですが、お二人の間にある誤解は解く必要があると思いました。 私がCさんにお伝えしたのは、Hさんの家族にお付き合いしている事実を伝えてHさんの居場所を聞いた方がイイとお話しました。

    その為に多少演技が必要ですが、「私は彼と結婚の約束をしているんです。」と、嘘じゃないけど大げさにしてもらったのです。 そうすればHさんの家族はCさんに本当のことを教えるはず、そう言う確信が私にはありました。

    渋っていたCさんですが恐る恐る実行することで、ようやくCさんはHさんのいる場所に辿り着くことができたのです。 果たして、Hさんはどこへいたのか…?

    あの真面目で優しかったHさんがいたのは、とある海岸沿いのホスピスでした。

    半年振りに会う彼は痩せていて元気もなく、ベッドの上から静かに海を眺めていました。 実はHさんは癌が発見されて余命宣告をされてしまい、治療など手を尽くそうと思っても無理でした。 このまま死んでいくのかと絶望していたのですが、冷静になったHさんは治らない以上はCさんを悲しませないようにと考えたらしいのです。

    Hさんが急にCさんへ辛く当たり始めたり~デートのドタキャンや他に男を作れなど、ヒドイことを繰り返していたのはCさんの未来を考えての行動でした。

    自分の短い命のことよりもCさんの長い未来を考えて、自分のことを嫌いになるように仕向けていたのです。 HさんがしたことはCさんにとっても辛いことだけどHさん自身にとっても辛いことであり、本当の優しさと言うのは辛さの裏に隠れているのかもしれません。

    CさんはHさんに「何で黙っていたの…。 私があなたを嫌いになれるはず無い、あなたひとりで苦しまなくても…。」 Cさんは彼に会えた嬉しさと、彼の想いに気付かなかった自分のおろかさに涙がこぼれていました。 お互いの思いやりから生まれた誤解が解けたCさんは、残された時間を共に過ごそうと決めたようです。

    本当の恋と言うのは、会えない時間が多いほど~会いたい時間が増えていくものなのです。

    あなたは心が焼け付くような、会えない時間を過ごしたことがありますか?

    v(≧∇≦)v そうやね~?



    お知らせ:出張の為、ブログの更新は4日(水)より再開します。 いつもブログをお読みいただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    今すぐ。

    人生が上手く行くかどうかは日頃の行いに掛かっているのですが、日頃の行いと言っても大げさなことではありません。 人がされて嫌だと思うことをしないだけでも相当違うのですが、それがよくわからなければ自分がされて嫌なことはしないと誓うだけでも効果があります。

    人は知らない間に誰かに嫌がらせや意地悪をしていることがあるのですが、そのしていることを悪いと思わない感覚の鈍さが不運を招き寄せるのです。

    立派な理念を掲げていた会社が次々と赤字を計上していく様は、見ていて気持ちの良いものではありません。 製造や販売を例にとっても、工場ラインを止めてしまうとか出店計画の取りやめ、更にはリストラや閉店など明らかに下降気味の状態が目立ちます。

    本当に掲げていた理念どおりにしていたなら、運命が見放すわけがありません。

    何かが起こる人や会社、これは自分がしたことが自分に返ってきているだけで、不運な状態の説明はいとも簡単に付きます。 アレヤコレヤと言い訳するヒマがあるなら、まずは自分のしてきたことの重みを振り返ることも必要です。

    景気が悪いから給料を下げるとか物が売れないからリストラするなど、こんなことを言う経営者がいたなら今まで経営できていた方が不思議です。

    何故なら、以上のようなセリフは「お金を使ったら、お金が無くなった」と言っているのと同じだからです。 人生に起こることは全て自分が最初のきっかけを作っているのですが、それが最初は小さい波紋だから大きく広がった時には自分がしたことだとは気付かないのです。

    あなたがレストランに入って「カレーライスをください」とオーダーしたなら、あなたの目の前にはカレーライスが運ばれてきます。 そして食べることができるのですが、これはあなたが「カレーライス」とオーダーしたからであり、念じることで叶うとか~偶然に運ばれてきたわけではありません。

    このように自分が口に出して行動したら~目の前に実現したと言う流れを、人は人生において延々と繰り返しているのです。

    マイナスの言葉を口にする人は、マイナスのことばかりの人生になります。
    プラスの言葉を口にする人は、プラスのことばかりの人生になります。

    言葉と言うのは大切にしないといけないのですが、自分が良い思いをしていると言葉の使い方が乱雑になってきます。 自分が幸せな時に周りに目を配り自分の幸せをお裾分けしている人は、更なる幸せが知らない間に自分の元へ集まるようになります。

    人の運命や習慣や性格などは、変えようとする姿勢があればいくらでも変えることが出来ます。

    例えば、仕事が嫌だという人は、仕事以外でも嫌と言う言葉を使っていると思います。 ひとつのことにだけ嫌と言う言葉を使い、それ以外では嫌と言わないような切り替えは人には無理です。

    常日頃から言葉使いは丁寧にしておかないと、イザと言う時に丁寧な言葉が使えずに露呈してしまうことも多々あります。

    日頃の行いがモノを言うのは、自分が動いた時に周りの後押しとも言うべきラッキーな出来事が起こるかどうかなのです。 同じことをしてもなんとなくツイている人と何故か悪いことばかり起こる人では、同じことをしていても時間や労力などにおいて相当な違いができてきます。

    人が生きている時間は有限なので、自分が生きている証が欲しければ動くのは今です。

    何かを成し遂げる人と言うのは、物事を思いついたり~自分の夢が見えてきた時に、「よし、明日からするぞ~!」と思うことはありません。 残念ながら、「明日からするぞ~!」と言う人の成功確率はゼロとは言いませんが、かなり低いと言わざるを得ません。

    成功への道をひたすら歩ける人は、「今すぐにやるぞ~!」と言う人のことなんです。

    基本的に人が嫌だと思うことをせずに、今すぐに何でも思いついたらやる。 コレを繰り返していたら失敗しようとしても、失敗する方が難しいと思います。 今すぐにやる癖を身につけていると考えるヒマがないので、考えるよりも先に体が動き始めたら止まらなくなります。

    一生懸命やる人は、必ず周りに風を起こして感動を引き起こします。

    あなたは前向きな言葉と共に、今すぐ動くことができますか?

    ( ・・)//XXXXXC(°°;)/ びよ~ん

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    ホテルについて。

    おはようございます。 今日は雨ですが素敵なお客様の心は、晴れ晴れとした青空のように澄み渡っていると思います。

    今週は金曜日の午前中に事務所を出発するのですが、東京などの出張をするようになってホテルの利用が飛躍的に増えました。 建設現場時代は飯場に寝泊りしていたので、キレイさや便利さは比較にならないほどです。 (苦笑)

    このホテルとは主に短期滞在の旅行者やビジネス出張などの為の宿泊施設で、法的には旅館業法のホテル営業や旅館営業に当たります。 旅館業法のホテル営業とは客室の形式が洋式の宿泊施設でベッドを備えた洋室が基本となるのですが、名称制限がないので法律上は旅館営業や簡易宿所営業でもホテルと名乗ることができます。

    ホテルの始まりを歴史的に言うと、植民地に植民地ホテルが作られて寝泊りしていたのが始まりのようです。 そしてホテルの形態も現代では多様化していて、ビジネスやシティなどの分類に基準があるわけではなく概念はあいまいなものです。

    シティホテルとは都市の繁華街に立地する大型ホテルを言い、いわゆる有名一流ホテルと称するのはこれに入るのですがシティホテルは和製英語です。 投資コストは高いけれど集客力も高く、客室以外の宴会場やレストラン~プール~スポーツジムなどのテナントを入れて、結婚式やディナーショーや講演会などのイベントや法事にも対応できます。

    ビジネスホテルとは都市の繁華街に立地して、主に業務出張客の宿泊を想定した比較的小型で低料金のホテルです。 日本におけるビジネスホテルを最初に始めたのは、ホテル法華クラブチェーンで大正9年9月12日に創業しました。

    高級ビジネスホテルとは一泊料金は概ねシティホテルの価格より下で、大都市部に立地して築年数が経過していないホテルを言います。 東京など大都市圏ではビジネスホテルよりも7千円~1万円程度の高級ビジネスホテルが近年は増加しています。 なお、シティホテルとの違いはベルボーイやドアマンがいるかいないか、もしくは結婚式場やチャペルがあるかどうか程度の差になりつつあります。

    駆け足でモーテルですが、元々の意味はアメリカのような車や道路網が発達した広大な国を車で旅行をする人を想定して設置されたセルフサービスのホテルを言い、車を止めて短い距離で客室にアクセスできる構造になっているのが特徴です。

    観光ホテルやリゾートホテルは観光地や温泉などのリゾート地に立地する宿泊施設で、旅行者が主な宿泊客となります。 通常のホテルにも設置される施設以外にも、より観光客向けのプールやプライベートビーチやテニスコートやカジノなど多くの付帯施設があります。

    なお、カプセルホテルに関しては簡易ベッドが提供されている宿泊施設で、日本独自の形態のホテルです。

    さて、ホテルの経営は所有者などの組み合わせによっていくつかに区別され、直営とは自社でホテルの土地建物を所有して自ら経営&運営にあたる方式です。 リースとは土地建物のオーナーからホテル運営企業がホテルを借りて経営する方式で、オーナーが建物を骨組みだけの状態で貸す場合と内装や設備まで込みで貸す場合とに分かれます。

    委託とは土地建物を所有しホテルを経営するオーナーが、運営についてホテル運営企業と管理運営委託契約を締結して運営を委託する方式です。

    ホテル運営企業は総支配人などのホテル幹部の派遣、ブランド使用権や運営ノウハウの提供などチェーンブランドを利用した販売促進などを行い、それに対してオーナーは運営委託料を支払います。 (フランチャイズ系列はネズミ講やマルチみたいなので、ココでは省きます。)

    肝心の収益ですが、ホテルの収益構造はホテルの立地や形態によって大きく変わりますが、概ね分類すると次のようになります。 (主な収益部門は3つで、宿泊部門~レストラン部門~宴会部門となります。)

    宿泊部門はホテルの基本となる部門で、ホテルである以上は全てに存在します。 客室清掃やフロントなどの仕事はパートやアルバイトを利用することができますし、繁閑に合わせて人員数の調整やアメニティグッズの調達をすることができるので、運営だけなら経費を抑えることができます。

    その為、宿泊部門の利益率(一般企業で言う営業利益)は60%を上回ることも可能で、最近は清掃業務などのアウトソーシングも自前で会社を設立して儲けているホテルもあります。

    しかし、レストラン部門の利益率はかなり低くなり20%程度が多く、レストラン設置には面積は必要ありませんが、運営に関しては固定人件費や食材など経費は高くなるので、最近では外部のレストランをテナントとしていれる方が有利と言われています。 (宴会部門は予約が事前に確定するので受注に応じて対応できる為、レストラン部門より高い利益率が可能です。)

    近年の東京都内を例に取ると2008年度だけでも2915もの部屋が増えているので、お客様の取り合いは当分続きそうです。 しかもホテルに関して言うならば人気があるとか利用率が高いなど上位を独占しているのは外資系ホテルなので、ホテルに関して言うなら日本企業は太刀打ちできていません。

    最近の傾向で言うと、東京都内のシティホテルなどでは顧客獲得の為に値引率70%など、とにかく一度宿泊させようと言う作戦に出ています。

    あなたは超高級ホテルに、泊まってみたいと思いますか?

    (=´∇`=) ニャン♪

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    アーティスト。

    おはようございます。 1月は行く~2月は逃げると言われるように、早くも最終週となりました。 まもなく3月なので春の訪れも近いと思いますが、デパートなどは顧客獲得のテナント入れ替えに、どんなお店を呼んでくればいいのか頭を悩ませていると思います。

    もしも私がテナント事業部(SC事業部)にいたと仮定したら、この春には「スティックスイーツファクトリー」というお店を呼んでくると思います。 ケーキをスティック状にして出すカフェで、ユニークさもありカップルだけではなくファミリーにも受けると思います。

    さて、人は見せかけの損得勘定で大切なモノを失ってしまうことがあるのですが、それを見極めるにはきちんとした公平な目を持つことが重要です。 人の評判や人の評価を信用してしまい、自分の目で確かめると言う作業を怠ると周りの評価を鵜呑みにしてしまいがちです。

    人間である以上は猫の首に鈴を付けるようなことは嫌だと思いますが、リスク回避をしているようではハイリターンが望めないのも真実なんです。

    人は夢を持たないとお金だけでは生きていけないのですが、自分の心を大切にすると言うのは何を持って大切にするのかが、あなたの運命を左右するのです。 アレがやりたいとかコレをしてみたいなど、夢と言っても職業や環境など色々な立場の人が色々な状態で思い描いているのです。

    しかし、途中で止めてしまうことが一番の無駄になります。

    成功と言うのは失敗したままで終わらせずに続けていれば、少なくとも失敗ではなく途中経過と言うことになります。 続けると言うのは一種の執念とも言えるのですが、執念と呼ばれるほど夢と向き合っていれば、叶わないことなんてホンのごく僅かでしかありえないのです。

    運も実力のうちと言いますが、実力がなければ運が来ても活かせないから無駄のままで終わるのです。 よくあることですが、誰かがチャレンジする時には馬鹿にしたり貶したりするのに、成功したら擦り寄るどころか~悪く言い始めるなんて言うのは、心が不幸になっている証拠です。

    成功した人は目に見えない努力をしていたり~人が休んでいる時に行動しているなど、同じ時間を過ごす中でもあきらめずにやり続けている事実があるのです。

    未来と言うのは実現するまでは容易なことではありませんが、実現した時の「何か」は掛け替えのないくらいあなたの五感を刺激するのです。 そして何より、自分の心の中にある「何か」が思い通りになって永遠に成果として残るようであれば、その満足感や達成感は想像できないくらい素晴らしいものとなるのです。

    人に迷惑を掛けるような行動ではハタ迷惑なだけですが、自分がやって自分が責任をとるのであればチャレンジは必要だと思うのです。

    その成功確率と言うのは自分の為だけで、邪道なことばかりしていると残念ながら難しいです。

    しかし、周りの人が喜ぶとか助かるなどに加えて正しい道を歩いているのであれば、運命はあなたの後押しを必ずしてくれるはずです。 関係ないように見えても、誰かを喜ばせて夢を叶える場合と誰かを泣かせて夢を叶える場合では、自分が気付かないところで払いきれないお釣りがきてしまうのです。

    今は不景気と言われていますが、それでも忙しくて仕方がない企業やお店はあります。 何故?ヒマなところと忙しいところの差が出てくるのかと言えば、正しい道を歩いていないから運命の後押しも途中で終わってしまうのです。

    お店を出す場合を考えてみても、大企業が次々と店舗閉鎖など撤退している飲食業界を、単なる個人が小回りを利かせて上手く行っているのは面白い現象です。 昔なら分かりませんが、多種多様な業態が次々とできる現状では大手でも個人に負けてしまうのは可能なことです。

    落ち目の状態だからと言って、いつまでも落ち目かどうかは分かりません。

    同じように大手だからと言って、いつまでも安泰で殿様商売ができるかどうかは別なんです。 確かに「何もかも揃った状態」で商売や経営をできる人と言うのは、運がソコソコあると言ってイイと思います。 2代目や3代目でも、その状態に生まれることができたと言うだけで、少なくとも運が悪いとは言えません。

    しかし、「本物」と言うのは何もない瀕死の状態から、V字回復させる才能や運がある人のことを言います。

    頭は使いようと言う言葉があるように、アイディアと言うのはタダで手に入れることができる無限の宝に等しいです。 見せ掛けに惑わされないでいれば、大手と言うのは単なる物流に過ぎません。

    どんなに大きなメーカーであっても、アイディアを発注して~それに伴う試作品を発注して~更に量産の為の部品を発注して、最後に組み立てだけして自社製品として発表するのがメーカーです。

    それに比べると、いくら小さくても失敗を恐れずにチャレンジし続けると言うのは、「素晴らしいアーティスト」だと思うのです。 リスクを覚悟の上で恐れない素敵なお客様が、輝けるアーティストとして押しも押されぬ一流として君臨するのは嬉しい出来事です。

    あなたはアーティストとして、人生を歩んで行きたいと思いませんか?

    (@^∇^@) わぁーい

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    後悔のない人生。

    おはようございます。 今日は土曜日なので、週末をゆっくりと過ごしている人も多いと思います。 週明けのお仕事の為にも、リラックスなど休養は必要です。

    私は年中無休でしてはいますが、休まないことが美徳と思っているわけではありません。 人間は機械ではないのだから壊れたら部品交換と言うわけには行かないし、休むことで精神や肉体のリフレッシュができることもあります。 そうなればまたやる気が湧き上がってくるでしょうし、新たな考えもできて色々なことに目が向くと思います。

    では、何故年中無休で私が営業しているのかと言えば、素敵なお客様にお会いできる毎日が楽しいから休むなんてもったいないので、やらされているのではなく自分からしているのです。

    コレは仕方がない面もあるのですが、私は霊視カウンセラーになる前にはほとんど人と話ができない状態でした。 自閉症で対人恐怖症で知恵遅れと言われていた過去において、いじめの対象にこそなっても友人はひとりもできなくて当然です。

    以前の私が一番欲しかったモノとは今だから気付くのですが、お金でも車でも家でもありません。 一番欲しかったモノとは「理解者」で、私の話していることを認めてくれるとか~理解して呼応してくれると言うのが、私の人生において一番大きなことだったのです。

    鑑定と鑑定の合間の休憩時間や出張鑑定の時にひとりでボォ~としている時間に、昔のことを思い出して涙が出そうになることもあります。 それは後悔の涙でもあり「何故、早く霊視カウンセラーにならなかったのか?」と言う、自責の念に駆られて焦る気持ちが沸き起こるのです。

    早く動いていればその分もっと違った人生が有ったのではないかと言う気持ちで一杯になり、怠けている時間がもったいないから早くしなければと焦る気持ちが止められなくなります。

    今までの私は間違った旅をしていたのかもしれないし、いじめなどは人生経験として必要な旅だったのかもしれないけれど、取り戻せない時間と後悔は私の心の中に常にあります。 更にはボランティアや寄付をすればするほど、世界の現状や足りていないモノが判明してくるので心苦しくなってきます。

    この息苦しさや心苦しさを跳ね除けるには、自分で自分を納得させるだけのことをしていかないと無理なんです。 自分で「もう少しやれた」とか「怠け心が出たな」と言うのを知っている自分を見ていながら、「精一杯やった」と自分に嘘を付いて生きているのは耐えられないです。

    人の運と言うのは天運と人運の二つ、言い換えるならば宿命と運命の二つがあります。 コレは変えられるものと変えられないものと言ってもいいのですが、天に逆らっても無駄な抵抗で終わります。 時間は遡れないし~起きてしまったことは元へ戻せないから、未来でどうかと言うことに向けて今を生きるしか人の運命は変えられないのです。

    宿命は変えられないけれど運命はいくらでも変えられる、だけど変えようとしない人には無理なままで、変えようとする人には人生はいくらでも楽しい道が用意されています。

    人には向き不向きがありますが、向いていると感じたならしなければなりません。 また後ですればイイヤと言うのは、今しなくても我慢できると言うレベルだから本当にしたいことではありません。

    「できなかった」のではなく「しなかった」と言うのは、嘘や後悔しか生まないのです。

    何をしていいのか分からない時や、どう動いていいのか判断に迷ったなら「愚痴を言わない」とか「不平不満を言わない」 コレだけでもいいから試してみると人生が少し変わり始めます。

    愚痴や不平不満を言ってはいけないとモノの本にはよく書いてありますが、どうしていけないのかがイマイチ解説できていない本もあります。 人はたまには愚痴りたくなるし、悪口を言うことでストレスを発散できることだってあると思います。

    それでも「悪口や不平不満を言ってはいけない」と言うのは、相手と同じ位置に立つことを拒否しないと巻き込まれる現実があるからです。

    悪口を言われたらムッと来たり怒ったりしたくなるけれど、それは相手と同じ位置に立っているから相手にしたくなるだけです。 考え方のレベルが違ってくると、それすら浄化できて精神を平穏に保てるようになってきます。 子供同士の喧嘩を本気で止めなくてもいつの間にか仲直りしているし、子犬同士が噛み合っているのもじゃれているだけです。

    それを大人同士の争いにも当てはめると、「馬鹿なことに首を突っ込まない」と言う原理原則が出来上がります。 そうなるともう運が良い人の仲間入りで、「金持ち喧嘩せず」と言う諺通りの行動が取れるようになるのです。

    あなたは後悔のない人生を、思い切り生きていますか?

    ( ;; ̄3 ̄) ドウカナァ~?



    お知らせ:出張の為、ブログの更新は24日(火)より再開いたします。 いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    期待。

    今の自分が関わるべきことの大切さを見分ける力が、自分の運命を分けてしまうことに人はナカナカ気付けません。 コレは私以外ではできないとか~コレは私がやるべきことなどのように、自分が本来やるべきことを見失ってはできるものもできなくなってしまいます。

    人は誰でも他人の目が気になるのモノですが、人の目を気にしていてはできないことが世の中にはたくさんあります。

    世間では師匠と呼ばれる立場の人を心に持っていれば、いざと言う時に迷える道からゴールへたどり着けることがよくあります。 相手にとって自分がメンターであり、自分にとって相手がメンターなど、お互いがそういう立場になることもあります。

    仕方が無いことですが他人の目を意識し始めると、自分の力が出せなくなることもよくあります。

    そういう時に一言アドバイスがあれば、後ろ向きな自分から前向きな自分へと変えることが出来ます。 夢は語り合う人がいれば叶いやすくなるのですが、それは怠ける自分を抑制したり~休みたい時に気持ちを入れ替えることができるからです。

    自分で自分に厳しく出来ればいいのですが、それは人間である以上は無理です。 筋肉でも最大で50%までしか力は出せませんし、脳でも30%以下の使用量です。 そうやって体の組織を壊さないように、人は自動的にセーブする自己保全の状態を身に付けています。

    では、どうやればハードルを上げてそれに立ち向かえるのかと言えば、そこでメンターと呼ばれる人の出番です。 いざ自分が怠けようとか休もうとしている時に、それを抑制してくれたなら更なる上のレベルに到達できます。

    私は人の能力に向き不向きはあるけれど限界と言うのはないと考えていますが、限界とは周りの人が寄ってたかって作り上げるものです。 余計なことを言わなければ素晴らしい才能が開花するのに、邪魔ばかりする人がいると残念な結果に終わってしまいます。

    夢を追いかける重要性や必要とされる立場になって満足感や充実感を得ることにより、達成感が生まれてくるのを邪魔しないことです。 仕事上でも上司の頭が固いと部下は苦労するのですが、前例がないとか実績がないから無理だとか、頭が固い人は保身ばかり考えてチャレンジする楽しさを忘れているのです。

    最初は誰でも実績がないけれど、頭の中にある何かを生み出す力は無限にあるのです。

    私は知恵遅れとか馬鹿だとか言われ続けて期待も何もされていませんでしたし、「山崎なんかにできるはずがない。」と言う前提で、誰も私の言葉に耳を傾ける人はいませんでした。 しかし、紆余曲折を得た今の私を見てそんなことを言う人はいませんから、あきらめなくて良かったとしみじみ思うのです。

    上司や社長と呼ばれる人たちは、自由にやらせるという人間的な大きさを見せていただきたいと思うのです。

    よく考えてみて欲しいのですが、前例がないと言うことは新たな発見ができるということで、実績がないと言うことはコレからが期待できるということ、そういう頭の柔軟性さえあるならば可能性は無限なんです。

    人が才能に比例するほど素晴らしい仕事ができないのは、そのように期待されていないから力が発揮できないのです。

    できないという前提で仕事に入る人は、能力以下の力しか発揮できません。
    できるという前提で仕事に入る人は、能力以上の力を発揮できます。

    今の日本は不景気風が吹いていますが、コレこそが前例がないとか実績がないと言い続けたツケが回ってきているのです。

    そろそろ本当の胸のうちを吐露してもいいと思うのですが、上司やリーダーや社長などと呼ばれる立場の人が規制をかけて何事もやらせない方向へ持っていくのは、実は自分に無い能力を発揮されることに嫉妬しているからです。

    自分に出来ないことを部下にされるのは腹が立つ、こんな考えでいるからいつまで経っても発展できないし従業員を解雇するような事態になるのです。 強い人とは「成功は周りのおかげ」で「失敗は自分のせい」と認める人のことであり、今の日本の経営者とは大違いだと思います。

    あなたは自分の可能性を、むげに封印していませんか?

    どうもです (' - ' *)ゞカキカキ

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    人生の休憩。

    休憩するのは精神的にも肉体的にもいいことなんですが、人生まで休憩してしまうと生きている張り合いや意味が無くなってしまうかもしれません。 楽しいことやワクワクすることが人生には必要なんですが、それをモノやお金に換算してしまうと途端につまらなくなるのです。

    人生の休憩とは生き方が反れたりズレることも含まれますので、お金を例にとってもよくわかります。 お金を儲けることは決して悪いことではありませんが、それの使い方に問題がある人は不幸せになってしまうと思います。

    イチイチ説明しなくても本来は分からないといけないことなのですが、お坊さん~つまり僧侶がベンツに乗って何が悪いと開き直るのなんてとんでもないことで、人に道を説くような人がベンツに乗っていいわけがありません。 コレを言うと「どうして僧侶や占い師が贅沢して悪いのか?」と、反論される方が多いのには驚いてしまいます。

    人々の悩みを聞いてお答えする立場にある人が贅沢していては、本当に困っている人の気持ちなどわかるはずがありません。 水が無くて喉が渇いて死にそうになったら水のありがたみが分かるのと同じで、贅沢に慣れてしまうと困っている人の気持ちがわからなくなります。

    普段から質素に倹約しながら過ごしているからこそ、お金や物や食べ物などのありがたみに心の底から気付けるのです。

    よくあることですが、占い師さんでも贅沢し始めると当たらなくなったり~お坊さんでも欲に目が行くと適当なことを言い始めたりと変化します。 コレは何の職業でも同じですがアロマの先生が家を建てたら急にオーラや雰囲気が変わったり、極めつけは占い師本人や御家族が病気で倒れたりなんてこともあるのです。

    人生を休憩すると言うのは二つの意味があり、ひとつ目はまさに「欲の塊」のことを言うのです。

    何の職業でも最初は「お客様の為に!」と言うのですが、それがドンドンと欲の方に走り始めます。 例えばアロマテラピーでも、最初は丁寧に教えたり~キチンとしたアロマテラピーだったのに、欲が出ると時間制限を始めたり料金を上げたりオイルの中身を替えたりと儲けに走り始めるのです。

    家を建てたり~車を買ったりと生活レベルを上げてしまうと、今までと同じようにできなくなるのが人間の欲の部分なのです。 残念ながら周りに注意してくれる人がいなくなる~社長とか先生などと呼ばれる人は特にそうなのですが、自分の立場の変化を受け止めきれずに図に乗ってしまうのです。

    私は自分の立場として思うのは、「立って半畳、寝て一畳」と言う考えです。

    私は家を建てようとか良いマンションに住みたいと言う気持ちは無いので、普通に生活できればどこでもいいと思っているのです。 事務所などの必要経費以外は寄付にしておけば、誰かの役に立つから私が持っておくよりも相当いいと思うのです。

    自堕落的な生き方だった私でも、誰かの役に立っているかと思えばワクワクしてきます。 それに素敵なお客様と一期一会の機会を持てるなんて、人生を休憩しているヒマなんか無いくらい充実しています。

    そして人生の休憩のふたつ目の意味は「満足すること」で、自分の未来やしていることに満足してしまうと、もうソコから先への成長が望めないか~もしくは成長が鈍くなってくるのです。 私も自分が図に乗らないように、そして満足してコレでいいと思わないように、いつも自分に自問自答して心が落ち着いてしまうことを避けようと思っています。

    人はどうしても楽な方へ目が向いてしまうのですが、ここで困難な道を選んで苦労しておかないとお客様に顔向けできないと、自分の甘えを排除しようと心に誓っているのです。

    ゴールと言うのはスタートと同義語と言う考えで動いていると、一つの成功と言うのはあくまで到達点から通過点へと変貌していくのです。 通過点であれば改良や改善など次から次へと色々なことに目が向きますし、コレでいいとは考えなくなり「もっと何かできるはず…。」 こう思い始めたら自動的に前に進むようになってしまうのです。

    いつか見えてくるであろう夢のような日々の中でも、信じ続ける気持ちを疑ってはいけないのです。

    あなたの日々の中で身体や精神を休める為の休憩は必要ですが、人生そのものまで休憩してしまうとつまらない未来に自分から足を踏み入れてしまうのです。

    あなたは自分の人生を、休憩状態にしていませんか?

    (=^_^=) エヘッ!

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    天麩羅。

    私が小さい時に本を読んでいると、「アイスクリームの天ぷら」と言うのが出ていて、「面白いなぁ~!」と思いました。 しかし、当時の私は天麩羅と言っても家が貧乏だったので、写真や絵でしか見ることはできませんでした。

    天麩羅とは魚介類~野菜~山菜等に小麦粉に卵をあわせた衣をつけて、油で揚げた日本料理ですが、戦国時代の16世紀頃にキリスト教の宣教師達によって伝来されたと言われています。 宣教師達は水で溶いた小麦粉の衣で魚をまとい、熱い油で揚げて食べたとされています。

    当時は「南蛮焼き」と呼ばれていたのですが、当初伝えられた調理法は現代のフリッターの原型と思われます。 フリッターはふんわりした衣であるのに対して、天ぷらの衣はサクサクしているので別物です。 元々は外国から伝承されたかもしれませんが、日本料理としての天麩羅は日本独自の料理と言えます。

    江戸時代の天ぷらは屋台などで売られた庶民の手軽な食事だったのですが、それが江戸前は炒り胡麻油で~京都などは綿実油を使用して徐々に高級料理へと変貌して、料亭で出されるようになり現代のような高級料理になったのです。

    天麩羅の語源については諸説色々あるのですが、いずれも南蛮渡来の語としています。 おもに語形からの類推によって、ポルトガル語の「 temperar(調味料を加える)」とか「油を使用して硬くする」の意味があります。 ちなみに「天麩羅」とは後世の当て字であり、一説によると江戸時代の戯作者山東京伝の創出らしいです。

    当初の天麩羅とは海外から九州や沖縄方面に入ってきた油料理の総称でしたが、後には薩摩揚げ等の以前より日本にあった油料理も含めた名称となりました。 しかし江戸時代に入ると江戸では魚介類を原材料とした物のみを天麩羅と呼ぶ様になり、野菜類を揚げたものを「精進揚げ」として区別する様になります。

    また、衣に卵黄を多く使ったものを「金麩羅」、卵白を使ったものを「銀麩羅」と呼び分けられていました。 現在はすべて天ぷらと言う名称に変えられており、このような呼び方は現代では一部でのみ使用されています。

    そして細かく切り刻んだり~元から細かい野菜類や魚介類を、衣と混ぜ合わせて揚げたものを「掻き揚げ」と言い、青海苔を混ぜた衣を使ったもの~板海苔をタネに巻いたものや板海苔に衣を付けて揚げたものは「磯辺揚げ」と呼ばれます。 天麩羅の個別の呼び方としては、タネの食材名に「天」を付け足して海老天やナス天等と呼ばれます。

    天麩羅の代表的なタネとして、海老~イカ~茄子~ししとう~さつまいも~かぼちゃ等がありますが、特に種類は限定されず季節折々の食材を楽しむのが最大の醍醐味です。 ただし、肉類は基本的にタネとはならないようです。

    天麩羅は日本人にとっては立ち食いから高級料亭までと食べる機会が多く、非常に馴染み深い料理ですし、海外においても寿司やすきやきと並ぶ代表的な日本料理とされます。 サクっとした衣の食感と旬の食材を楽しむ料理で、和食の華の1つと位置付けられることが多く、単純な調理方法ながら料理人の技術が如実に味に表れる難しい料理のひとつです。

    技術が無い人がやると衣がモッタリした感じとなり、油が切れず非常に食感が悪い物が出来上がります。 また衣に華を咲かせると呼ばれる、衣を大きく見せてよりサクッとした食感にさせる技法があります。 麺類の種物等に使われるのですが、美しく見栄えのする華を咲かせるには熟練した技が必要になります。

    なお、天丼にする場合やかき揚げの場合は衣を厚めにして、タレが染み込むけれど崩れないように作られます。

    天麩羅を作るときのコツとして「よく冷やす&混ぜすぎない」と言われますが、これらはさくっとした食感には邪魔な小麦粉のグルテン生成を抑える為です。 グルテン生成の少ない古くなった小麦粉を使うことも有効な手段で、新品であればあるほど小麦粉は良質の天麩羅には向きません。

    また、揚げ油は天麩羅の香りを決定付ける重要な要素で、専門店等ではごま油や綿実油等を独自に配合して使っています。 高級店や産地では椿油を用いる場合もあるし、家庭ではサラダ油が用いられることが多いのですが、ここへ少量のごま油を足すだけで仕上がりは大幅に良くなります。 (一般に関東では香りの良い胡麻油、関西ではクセのない植物油を使う傾向が見られます。)

    なお、東京で老舗の天麩羅屋さんが「日本橋~銀座~新橋」に集中しているのは、築地から魚を運ぶのに鮮度が落ちない間に店に着けると言うのが一番の大きな理由です。 昔は冷凍技術や保存技術が無かったので、魚の鮮度が保たれるのは3里(約12キロ)までと言われていました。

    あなたは歴史を知ることで、天麩羅の味わいを深めてみたいと思いませんか?

    イラッシャーイ (°ー°)ゞ

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    危機回避。

    運が良いとは基本的に日常を普通に過ごしていくことであり、お金やモノで決まるのが幸せではありません。 危機的状況にならないと言うのもひとつの幸せであり、平穏無事に過ごせたらそれだけで幸せです。

    ただし、危機と言うのは回避できたらイイと思いがちですが、残念ながら時と場合により危機回避が悪い方向へ行く時もあります。

    本来ならば危機回避ができれば「あぁ~よかった」と安堵するところですが、それは頭で危機を理解しているだけで本当の痛みを感じていません。 そうなると危機回避できたことで現実の痛みがない為に、同じ過ちや同じことの繰り返しとなってしまう場合もあります。

    そのイイ例が借金問題で「親が子供に~子供が親に」のどちらでもいいのですが、代わりに支払うと言うのは一番最悪の解決方法です。 (注:御主人の借金を奥様が支払う、これも同じことです。)

    例えば、親が子供の借金を支払った場合は、確かに取り立ても利息の加算もありません。 親からすれば少しづつ返してくれたらイイと言う気持ちでしょうが、お金を使う時は自分で返済は親と言うのではありがたみも感じないのです。

    使う時は目の前にお金があるから実感がわきますが、返済は紙切れ一枚なので気持ち的には「あっ、そう。 ありがと。」 これくらいの感謝しかありません。 感謝も泣く痛みも感じないと言うことは、また次の借金を平気ですると言うことです。 何回借金しても反省せずに同じことを繰り返すのは、痛みを感じないのが一番の原因です。

    親としては子供に苦労をさせたくないと言う気持ちでしょうが、それをしてしまうと次は周りに迷惑をかけてしまいます。 仮に男性(息子)の場合であれば、奥様や彼女に多大なる迷惑をかけてしまいます。 つまり、最後に泣くのは親ではなく伴侶(奥様&彼女)や子供(孫)となるのです。

    安易な危機回避は傷口を大きくして、次々と負の連鎖を生み出してしまうのです。 その傷口は決して治らないまま、いつまでも周りに膿を出して迷惑をかけ続けるのです。 治療しようとしても本人は痛くないと言いますし、親も治すのを邪魔するから迷惑をかけていることすらわからなくなります。

    霊視で未来を視ることにより危機回避しても、それを実質的な痛みとして受け入れることができないのであれば、それは霊視をしない方が良かったと言う場合もあります。 それは恋愛と結婚に関する御相談の中でよくあるのですが、特によくあるのが結婚後の未来を視た時です。

    誰しも不幸になりたくて結婚する人はいませんから、最初は努力しようとか前向きにと言う気持ちになります。 しかし、結婚相手が自分のことだけ考えて、「浮気~借金~暴力~etc」となれば、「この結婚は間違いだったの?」と考え始めてもおかしくありません。

    私が霊視で未来を視る時は10~5~3年後と逆から視ることが多いのですが、結婚に関しては2~3年後から視ることがほとんどです。 なぜなら、結婚当初はラブラブで当たり前で、不協和音が始まるのは2~3年経ってからのことが多いからです。

    ただし、3年後に浮気しますとか3年後に暴力が始まりますなど、霊視で視たことは未来で起こるので今は注意できないのが残念です。 未来のことは今ではなくこれからなので努力次第で変わりますが、その変わる方向が良い方なのか悪い方なのかが問題です。

    仮に霊視で未来のことを知り結婚を取りやめたとしても、それは痛みを伴わないので「ある疑問」が必ず出てきます。 それは「もしも、結婚していたら…?」と言う、別れずに結婚していたらと言う心の不安が出てくるのです。

    「ひょっとして、別れなければ幸せな家庭になっていたかも知れない。」 こう考え始めるのは仕方がないのですが、結婚して痛い思いをしていたら「早く別れたい」と言う気持ちが一杯になり霊視の内容が正しいと理解できます。

    危機回避をするのは悪くはないのですが、回避できたら危機が起こらないと言うことにもなるので、「もしも…。」と言う気持ちになるのは防げません。

    できることなら痛い思いはして欲しくないのですが、痛い思いをしなければ理解できない時もあります。 私が結婚後のことを言った時にお勧めできない相手と結婚して、「今、幸せです。」と言った人はひとりもいません。 ほぼ、「結婚しなければよかった…。」と言う離婚に向けての御相談にお越しになります。

    危機回避と言うのは痛みが発生しない為に、「頭では分かっているけれど…。」と言う状態になりやすいのです。

    あなたは危機回避を、できた方がいいですか?

    ( ̄(エ) ̄)ゞ クマッタナー

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    生涯の宝物。

    運命や人生と言うのは自分に応じた人が近寄ってくるので、同じ運気やレベルの人が集まることが多くなります。 昔の私と違って今の私の周りには素敵なお客様ばかりお越し頂けるので、いつも心に感動を頂いております。

    素敵な人の実話には、心に感動を呼ぶ力があります。

    私がブログを更新することで素敵なあなたが人生を生きていく意味を探す時に、少しでもお役に立てるのなら嬉しいです。 今日の話は人生をかける恋愛とは、どんな相手が理想なのかのヒントになればと思います。

    ボランティア活動と言うのは恥じることではないし、誰かの役に立つ上に必要とされているのは素晴らしいことだと思います。 しかし、それを優先する余りに目の前にいる人の気持ちがわからないとすれ違うかもしれませんが、ボランティア精神を持っている男性とお付き合いしたら充実感や心に感動が残る素敵な恋ができると思います。

    東京出張の時にMさんと言う女性がお越しになったのは、遠距離恋愛を「待つか?別れるか?」と言う瀬戸際での恋の御相談でした。

    Mさんは遠距離恋愛中なのですが、Kさんと言うボランティアサークルで知り合った彼がいます。 Kさんは幼い時に親が亡くなったので身寄りがないこともあり、人の役に立ちたいという気持ちがものすごく強い好青年です。 親がいない寂しさがある分、海外の親がいないストリートチルドレンの親代わりになりたいと、Mさんによく話していたそうです。

    Mさんは、そんなKさんを素敵だと思っていましたが、本当に海外ボランティアに参加するとまでは思っていませんでした。 ところが付き合い始めて2年目の春にKさんより、「海外ボランティアに行くことにしたから。」とMさんは告げられました。

    Mさんは「なんで~? ボランティアなら、日本でもできるじゃない。」と引き止めたのですがKさんの意志は固いようです。 Mさんもボランティアサークルに入るくらいですからKさんの気持ちがわからないことも無いのですが、いざ自分が遠距離恋愛の立場になると嫌だという思いがでてきたのです。

    しかし、Kさんが決めたことだから3年間だけと言う約束で、Mさんは寂しい気持ちを押し殺してKさんを気持ちよく海外へ送り出したのです。

    ストリートチルドレンの親代わりになるボランティアと言うことは、日本の生活とは大違いの地域なので携帯やメールも自由に使えません。 通信手段としては唯一手紙があるのですが、これも度々書けるわけでもありません。 Kさんも忙しくて段々と手紙が減ってきたのは海外へ行ってから2年目の春、そういう状態にMさんは待つことができずに心が折れそうでしだ。

    そんな時にMさんの前に現れたのは、大学の先輩であるTさんです。 MさんはTさんに愚痴をこぼしたり相談に乗ってもらっているうちに、自然とKさんよりもTさんの方を意識し始めてしまいました。

    そしてクリスマスにMさんはTさんより「結婚を前提に付き合って欲しい」と言われて、海外にいるKさんを待つべきなのか~それともTさんの愛を受け入れるべきなのか、分からなくなって私のところへお越しになったのです。

    私はMさんに「今のままの未来を進むなら、あなたはTさんと結婚する未来です。 Tさんは悪い人じゃないから幸せな家庭になるでしょうし、あなたも寂しさから逃れられると思います。 でも、Kさんとの恋はあなたにとって生涯の宝物、手放すと後悔することになるかもしれません。 一時の寂しさと引き換えにするほど、簡単に手放せるものじゃないと思いますよ。」とお話したのです。

    それでもMさんは、「私、Tさんと結婚します。 Kさんが帰国したら、キチンと話そうと思います。」 私の話を聞いてもMさんは待たない未来を選んで、新たな未来へと踏み出すことにしたのです。 私はKさんとの未来を選んで欲しかったのですが強制できる立場ではないし、一度選んでしまうと運命の分かれ道は引き返せないのです。

    そしてKさんと別れたMさんはTさんと結婚して幸せな生活を送っていたのですが、1年が経過した頃にMさんへ海外より一通の手紙が届きました。 それは「Kさんが亡くなった」と言う知らせで、洪水で川に流された子供を救う為に飛び込んで一緒に流されてしまったそうです。

    それを読んだMさんは呆然となり、しばらくは何も考えられませんでした。 そしてKさんの遺品が日本に送られてきた時に、Mさんのことが書かれた日記が出てきました。

    その日記には、「M、待たせた俺が悪いんだよな。 オマエが別の奴と結婚するのも、俺がオマエを待たせたからしょうがないよな。 でも、俺と結婚するよりも幸せかもしれない。 いや、絶対俺よりも幸せになると思う。 だから、俺のことなんか早く忘れて幸せになって欲しい。 俺は子供達の笑顔を宝物として、過ごして行きたいと思う。」 このようにMさんへの想いが、次々と書いてあったそうです。

    日記を読み続けるうちにMさんは、Kさんの「こういう純粋で正義感が強いところ」に惹かれて付き合い始めたこと~こういうところを好きになった過去の想い、コレこそが「生涯の宝物」だったことに気が付いたのです。

    KさんはMさんが幸せになるなら結婚相手が自分じゃなくても仕方がない、それを遠く離れた異国の地で自分に言い聞かせていたのです。 KさんはMさんのことを本当に愛していたからこそ、Mさんが結婚しても幸せになることを切に願っていたのです。

    あなたは生涯の宝物、それが何なのかに気が付いていますか?

    (。>_<。) えーん

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