徒然草(占い・岡山・東京・霊視)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    大晦日。

    おはようございます。 月曜日の朝に名古屋より帰ってきたのですが、ニュースでも報道されたように月曜日の朝はJR東のシステムトラブル発生により始発から新幹線が5路線がストップしました。 ただし、私が乗った名古屋~岡山間の新幹線は動いていたので、無事に帰ってくることができました。

    「私が乗った新幹線は止まらない」と言いつつ止まったら「恥ずかしい~!」となるところでしたが、今年も最後まで本当にラッキーでした。 しかし、この幸運もひとえに素敵なお客様のご支援とご愛顧のおかげで、コレは私の力ではなく素敵なお客様にお会いできるからこそだと思います。

    なお、昨日は逆に東海道新幹線が止まったようですが、年末の帰省の方は大変だと思います。

    さて、月曜日に帰って来れていたのに、何故昨日はブログを更新しなかったのかと言う理由ですが、この年末はおかげさまで忙しくて事務所の大掃除などができない為、昨日の早朝は整理整頓や大掃除などの時間に充てさせていただきました。 元旦より予約が入っているので、今のうちに掃除をしてお客様をキレイなところへお迎えしたいと思います。

    今日は大晦日ですが、今年はどのような一年だとか振り返る人も多いと思います。 私はとても幸せな一年でしたが、コレもひとえに素敵なお客様のおかげで大変お世話になりました。 素敵なお客様に次々とお越しいただけるなんて、事務所を構えてからの今年一年の私はとても幸せです。

    幸せと言うのは素敵なお客様のおかげであり、私はお客様のおかげで生きていけるのです。 私の力ではなく素敵なお客様のご支援とご愛顧により、盲導犬などへの支援もできています。 その気持ちを裏切らないように占い師や霊視カウンセラーとしても、恥ずかしくない生き方を今後も続けていきたいと思います。

    人は上手く行き始めるとつい調子に乗ったりして、自分の足元を見失ってしまうものです。 しかし、私は今後どのような立場になろうとも、素敵なお客様と共に歩んでいきたいと思います。 有名になったからと言って一般の人を相手にしないようなことはできませんし、お金を払って雑誌に乗せてもらうようなヤラセもしたくはありません。

    人の人生は儚いものですが、今と言う時間を未来へ向かって歩いていける喜びはお客様と共にあるのです。

    人には色々な人生があり、それはヒトコトでは言い表せません。 あなたの人生には辛いことや悲しいことがあるかもしれませんが、その先にはきっと嬉しいことや楽しいことが一杯あるのです。

    何もできないと思うかもしれないけれど、私のところへくると言うのはちゃんと一歩が踏み出せている証拠です。 あなたの人生や未来にどんな辛いことがあっても受け止めて、あなたと一緒になって悲しんだり喜んだりできる、そんな霊視カウンセラーでありたいと思います。

    注:予約は大晦日でも元日でも受け付けておりますので、元日よりお越しくださるお客様をワクワクドキドキしながらお待ちいたしております。 いつもご予約いただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

    今年も一年と言う時間を過ごしてみて、良いことも悪いこともあったと思います。 来年は「どんな年になるのか?」と言うのではなく、「来年はどんな良い年になるのか?」と言う気持ちで新年をお迎えしていただきたいと思います。

    あなたの未来はきっと明るいからこそ、今と言う時を生きているのだと思います。

    あなたの来年は、どんな良い年になると思いますか?

    (*^m^*) ムフッ

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    恩返し。

    誰かに助けてもらったと言うのは心に残るものですが、誰かを助けたと言うのは意外と忘れてしまいます。 いじめた方は忘れるけれどいじめられた方は覚えているのと同じで、してもらったことの恩義と言うのは心に深く残るものです。 その恩義を返すことは自分の中に心残りを作らないことで、それが残っている時は胸にモヤモヤしたものが残ると思うのです。

    あるところにEさんと言う女性がいて、同じ部署の上司であるKさんのことをずっと好きでした。 しかし、Kさんには奥様がいるので、その思いは秘かに胸に秘めたままでした。

    同じ部署で働いている以上は目に入るKさんの姿、Eさんはつい目で追いかけてしまうのですが奥様がいる人に告白するなんてできない。 残業して帰りが一緒の時は「食事に行きませんか?」 こうヒトコト言えたらいいのに、言えないEさんでした。

    そんなある日のこと、給湯室でお茶の準備をしていると「あれっ、ひょっとしてEちゃん?」と言う声が聞こえました。 視線を移すと目の前にいるのはキレイでスラッとした女性が立っていて、Eさんは「素敵な人だけど、誰…?」とわかりませんでした。

    すると、「分からない? 昔あなたと家が近所だったHよ。」 Eさんは「あっ、Hちゃん!」と急に記憶がよみがえって懐かしさも手伝ったのか話も弾み、また連絡を取る約束をしました。

    Eさんは少し気分が良くなって、その日の残業は何故か苦になりませんでした。 おまけに次々と人が帰っていく中、最後まで残っているのは気が付くとEさんとKさんのふたりだけで、Kさんが「Eさん、そろそろ帰ろう。」と声を掛けてくれました。 EさんはKさんとふたりなんて夢見たいと、ウキウキしながら駅まで歩いていると突然Hさんが現れました。

    「あっ、Eちゃん。」 Eさんはびっくりして、「Hちゃん、どうしたの?」 「うん、今帰るとこなんだけど、ご飯食べに行こう。 あっ、そちらの方もご一緒にいかが?」 Hさんはテキパキと話を勧めていき、あっという間に3人で食事することになりました。 EさんはアレほどKさんと食事したいと願っていたのが、いきなり叶ってしまい呆気に取られていました。

    Eさんは食事と会話を楽しみながら、「なんだかHちゃん、昔とはずいぶん変わったなぁ~。」 Hさんは小さい時は病弱で入院を繰り返していて、Eさんはよくお見舞いに行っていました。 ふたりはとても仲が良かったのですが、Hちゃんの病気療養の為に中学の時に引っ越してしまいました。 しばらくは手紙のやり取りをしていたのですが、いつの頃からかそれも無くなっていました。 それが偶然再会して~グイグイ引っ張られて、いつのまにかKさんと食事しているなんて…。

    するといきなりHさんが「Kさん、あなた一人暮らしでしょ?」 Eさんは慌てて「Kさんは奥様がいるのよ。」と打ち消すとHさんが「いいえ、女のカンは鋭いのよ。 Kさん、あなた今一人暮らしじゃないの?」 更に突っ込むとKさんは苦笑いしながら、何故か自分のことを話し始めました。

    普段は自分のことを言わないKさんが妙に饒舌で、奥様とは離婚協議中とか実家を継ぐかもしれないなど、今まで知らなかったKさんのプライベートをEさんは知ることができました。

    食事の後、Kさんと別れてEさんとHさんはふたりで場所を変えて、飲むことになりました。 そこで何故かHさんはEさんに「好きなんでしょ、だったら告白しなさい。」と、心を見透かされたようなことを言われて、「積極的に行かなきゃ、恋は終わってからじゃ遅いのよ。」 何故かEさんはHさんの話に聞き入ってしまい、「今、告白しなきゃ。」 急に胸がドキドキして、言わなければいけないような気がしはじめたそうです。

    翌日EさんはKさんが帰る時間まで待って、ふたりきりになった時に脈絡もなく突然だったのに「Kさん、Kさんのことが好きです。」 突然の告白にKさんは驚いたそうですが、「妻と離婚が成立したら、キミとのことをちゃんと考えたいと思う。 前から気になっていたんだ。」 いきなりだったのに、Kさんも私のことを…。

    EさんはKさんの言葉を聞いた瞬間に嬉しくて嬉しくて、「Hちゃんのおかげかな、連絡してお礼言わなくちゃ。」 Hさんと再開してから2日しか経っていないのに、なんだか全然違う自分がいるような気がして何かが変わり始めているような気がしたEさんです。

    Eさんは嬉しくて家で母親に、「お母さん、Hちゃんと再会してから何だか良いことばっかり!」 ニコニコして話すと母親は「E、何を言ってるの? Hちゃんは引っ越ししてから亡くなったのよ、思春期のオマエに伝えるのは酷だと思って言わなかったけど。」 Eさんは驚いて「ウソ、だって私昨日会ったもん。 Hちゃんとご飯食べに行ったもん。」

    しかし、Hさんの実家に問い合わせてみると確かにHさんは亡くなっていて、ワケがわからなくなったEさんは私のところへ御相談に来られたのです。 Eさんを霊視してみると何故かHさんらしき女性も一緒に事務所へきていて、Hさんの方も伝えたいことがあったようです。 HさんがEさんに伝えたかったメッセージとは…?

    HさんはEさんにものすごく恩を感じていたのですが、それはEさんだけがいじめずに仲良くしてくれたからだそうです。 Hさんは退院しても「病気が移る!」などいじめられていたので、いつも話し相手になって助けてくれていたEさんのことを親友だと思っていたのです。

    「たったそれだけのことで?」 Eさんからすると普通に接していただけなのに、Hさんは嬉しくて嬉しくてずっと覚えていたそうです。 Hさんはいつも優しくしてくれていたEさんにいつか恩返しをしたいと思っていて、その恩返しの機会が「Kさんの恋を実らせること」 それが自分に出来ることだと、Hさんは思っていたようです。

    メッセージを聞いたEさんは、涙が止まりませんでした。 Hさんの実家へ行ってお線香を上げてお墓参りもしたいと、EさんはHさんへの思いを胸に秘めてお帰りになりました。

    人の心を喜ばせると必ずあなたの心も喜ぶような出来事があり、見返りを求めてはいけないけれど知らない間に恩返しはあるのです。

    あなたは誰かの心に残る、素敵な思い出を刻んでいますか?

    (。>_<。) ウンウン!



    お知らせ:出張の為ブログの更新はお休みして、31日(水)より更新再開となります。 お手数をお掛けいたしますが、よろしくお願い申し上げます。 なお、予約受付と鑑定は大晦日も元日もしておりますので、お客様のお越しをお待ちいたしております。 m(__)m

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    成功。

    成功への道は自分が思った範囲で決まるものなので、何を持って成功と言うのかにも寄ります。 ただし、お金やモノがあるのが成功とは呼べないのですが、どうしてもそれを成功と考えてしまうのは人と比べるからです。

    会社の同僚が家を建てたとか学生時代の同級生が結婚したなど、人と自分の人生を比べて同じようになりたいと思うのが成功を遠ざける理由のひとつです。

    基本的に人間は空気と水と食料があって、アトは雨露凌いで健康であるなら幸せです。 「立って半畳、寝て一畳」と言う言葉があるように、人間の占有する部分はたかが知れています。 大きな宮殿のような家を作っても誰も尋ねてこないし、一人ぼっちでいる裸の王様では悲しいだけです。

    同じ成功すると言うのなら、いつでもどこでも声を掛けられたり~声を掛けたり、人とのかかわりを持ち自分の信念を貫き通す方が、本当の成功と言えるのではないかと思うのです。 自分ひとりが幸福でいて周りに誰もいないよりも、自分も周りも幸福で色々な交流がある方が寂しい思いをしないと思います。

    しかし、この考えになる前の私は親の借金とか田舎の見栄っ張り根性もあって、やはり家を建てたり~車を買ったりと言うのが幸せだと信じていた時代もありました。

    周りが損得勘定ばかりしていて、車を買ったとか家を建てたなどが休み時間における会話の中心でした。 マザーテレサや寄付の話をしたら「アホか、何で自分が稼いだ金を人にやらにゃいけんのんなら。」と言われて「寄付するなんて、山崎は頭がおかしい」と言われていた時代です。

    今から考えると周りに迎合していた自分を思うとお恥ずかしい限りですが、周りの考えに同調しないとイジメに遭うと言うのが社会の仕組みです。 これを変えることは出来ないのですが、自分がそういう環境から抜け出して信念を貫ける位置に行くことは可能です。

    私が地元で工場や建設現場で働いていた時の考えと、倉敷で霊視カウンセリングを始めてからでは、生きている価値と言うか人生の重さが全然違ってきた感じがしています。 もしも、私が今のようになっていなければ、アフリカの子供は小学校に行けていないし~盲導犬育成の協力もできていません。

    これは周りの環境が変わったからできることですが、もしも私が途中でくじけていたら今頃はどうなっていたか恐ろしいくらいです。 あのまま地元の工場に勤めていたらひょっとしてイジメに耐え切れずに自殺していたかもしれないし、建設現場時代にはもしかしてブレーキが利かず○○○に入っていたかもしれない。

    お金やモノと言う面で成功と感じる人と相手の幸せを喜んで満足を得る人では、水と油のように混ざることはありません。

    どちらが正解とか不正解と言う問題ではなく、生きてきた人生が未来への考え方を作る以上、歩んできた人生が違うから考え方も違うとしか言えないのです。 成功とは100人いれば100通りの成功があり、どれを持って成功かと言えば本人が満足したら成功となります。

    ただし、成功の規準をお金やモノにおいている人は満足を得ることはできません。

    家を建てることができても、知り合いが自分以上の家を建てたら途端にテンションが下がります。 ベンツを買ってウキウキしていても、知り合いがベンツに加えてロールスロイスやフェラーリを乗り回していたら悔しいかもしれない。

    お金にしても同じことですが、仮に1000万円貯めて喜んでいたとします。 しかし、会社の同僚が1500万円貯めていることがわかると、自分もお金を持っているのに満足から不満足へ気持ちが急降下するかもしれません。 このようにお金やモノはいくら追いかけても、いつまで経っても上には上がいます。

    ところが、幸せの規準を人が喜ぶことにおいていると、いくらでも楽しめるようになります。

    あなたが笑顔でいることで元気になれる人がいるとか、あなたと話をすることで生きる目標ができたなど、誰かの人生に関わると言うことは心のアルバムが一つ増えることになります。 お金や物は増えたり減ったりするものですが、信頼や信用と言うのは積み重なっていくのです。

    心に元気を与えると言うのは目に見えない貯金を自分と相手にしているのだから、2倍の速度で貯金できます。

    今の自分の顔を鏡に映してみて「疲れているなぁ」と思ったら、自分がやりたいことができていない証拠です。 今日だけと言うかもしれませんが、やりたいことをしている人は1年中どんな時でも疲れなんて無縁です。 本当にやりたいことであればやればやるほど元気になれるから、やっている過程自体が成功と言っていいと思うのです。

    あなたは自分の成功と言う規準を、どの辺においていますか?

    (=´∇`=) ニャン♪

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    お金の使い方。

    おはようございます。 いよいよ年末となってきましたが、年末と言えば小さい時の記憶がよみがえります。 年末になると父親が無計画に見栄を張って色々な買い物ばかりしていたので、その借金の取立てが次々と家に来ていたから年末が嫌で嫌で仕方がありませんでした。

    年末はお金の使い方の総決算がでるのですが、年末にお金が無いと言うのは自分の過去を振り返ってみると原因がよくわかります。 キチンと働いて計画的にお金を貯めている人が、年末にお金に困ることはありません。

    お金の使い方が上手くできている人は、運が良いと言うのはある意味真実です。 寄付の神様やN市のIさんなどは、活きたお金の使い方をしているのでちゃんと運が味方をしてくれています。 この二人がお金に困ることもなければ、寄付しなくなる未来もありません。

    最近で言うと、このHPの管理運営をしてくれているフォアサイトシステムも、何故か分からないほど調子が良いのは利益還元に意識が行き始めたからです。 発展すればするほど寄付やボランティアをするのだから、途中投げしない限りは未来のソフトバンクになっても不思議ではありません。

    仁や儀があるならば、お金はいくら儲けてもいいんです。 ただし、お金を儲けたら使う内容も考えないと、自分のことにだけ使うのでは儲けた意味がありません。 (ただし、私利私欲に走る人は私のところへ来る気にもならないし、このブログを読むこともないと思います。)

    人には色々な考え方があるので仕方がない部分ではありますが、自分が儲けたのに何で他人に出さないといけないのかと言う気持ちがある人は、小金持ちと言うか~成金レベルで終わってしまいます。 しかし、大金持ちと呼ばれるレベルの人は自分のところに集まる富を分配して、それにより喜ぶ人がいるのを自然と理解しているのです。

    コレは口で説明するのは難しいのですが、仕組み作りと言うのが一番効果的なのです。 言うなればトップセールスマンがいる会社はトップセールスマンが会社を辞めてしまうと、もうそこで手も足も出なくなります。

    ところがトップセールスの仕組み作りができていると、誰でも仕組みを理解できたらトップセールスができるようになるのです。

    コレと同じように「会社が儲かれば寄付」と言う仕組み作りができていると、運命の方も寄付しない会社よりは寄付する会社の方を自然と応援するようになります。 自分が儲けることにより助かる人がいるとか、自分が儲かることで笑顔になる人が増えると言うのを喜びにしていると運が悪くなるなんて考えなくなります。

    このお金の使い方と言うのは性格や思想が滲み出るので、意識的に変えない限りは難しいのです。 その中でもセコイ人と言うのがドコにでもいるモノですが、このセコイと言うのはどうにもならないので関わることすら止めた方がいいです。

    セコイ例として11月の東京出張中に起きた出来事ですが、朝食(2日目)を食べている時にある男性が9割方食べてから席を立ってどこかへ行ってしまいました。 10分ほどして返ってきたのですが、9割方食べていて10分も返ってこなければ食堂の人も片付けます。

    片付けたのを見た男性は「食べてる途中なのに、何で片付けたんだ!」と、食堂の人に文句を言い始めたのです。 ホテル側もトラブルを防ぐ為に再び食事を用意して男性の怒りは収まったのですが、その男性は9割方食べると再び席を外しました。

    10分ほど経過したところで食堂の人も片付けたのですが、朝は誰でも忙しいし9割方食べているのだから席を立って戻ってこなければ片付けるのは当たり前です。

    しかし、その男性はマタマタ帰って来て文句を付けようとしたので私ともう一人の男性が注意しようと立ち上がると、その雰囲気を察知して「おい、コーヒーは飲んでもいいのか!」と今度は飲み物を要求し始めました。 食堂の人は「はい、ご自由にどうぞ。」と言うと、何とその男性は私が見ていた間だけでコーヒーを5杯飲んだのです。

    この男性の年齢は60歳くらいでしたが、「お金を払えば何をしてもいい。」とか「俺は金を払っている客だぞ。」などと言う態度がありありと滲み出ていて情けなくなります。 (しかし、朝から2食も食べてコーヒーを5杯以上飲んで、まだお腹が減ったと言うなんてある意味凄い男性です。)

    その次の日(3日目)の朝も情けない男性の姿を見てしまったのですが、今度は何度も何度も御飯と味噌汁のオカワリを要求する男性がいて、「朝からナンボ食うねん!」と呆れてしまいました。 何度もオカワリと言うから食堂の人も最後には、「日本昔話のような山盛り」を丼についでいました。 (笑)

    ちなみにその男性はチェックアウトの時にフロントで、「俺は来月も泊まるんだから、割引しろ!」とフロントの人に要求していました。 「俺は慶応大学出身でOB会で利用してやっているんだぞ!」と大声でうるさいことですが、冗談で言っているにしても品が無い男性だからフロントの方も大変です。

    私はお金を支払う時に「お金を払えば何をしても許される」と言う考えは、経済成長における日本の悪い文化だと思います。 団塊の世代を責めたくはありませんが、年配の方のマナーの悪さは目に余るモノがあります。

    お金を出すと言っても支払うマナーと言うのもあり、お金を投げて渡すとか暴言を吐くなどと言うのは、お金に使われている人がすることだと思うのです。 お金をキチンと正しく使うことが大切であり、お金によって不幸ではなく幸せを感じる人が増えていくことが理想だと思うのです。

    占い師を例に取ってみても寄付もしない人間性や思想で他人の未来を占うなんて、良い結果になるわけがありません。 人に道を説くのであれば、まず自分が正しく清い道を歩まなければ、その資格がありません。 (ただし、コレは私の個人的意見です。)

    あなたはお金の使い方について、どのように考えていましたか?

    ヾ(@^▽^@)ノ アルアル~!

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    上品。

    おはようございます。 昨日の午前中に帰って来て、午後より鑑定を再開しています。 今回の東京出張も素晴らしい方々ばかりで、本当にありがとうございます。 1月の東京出張の予約受付は12月26日(金)の夜8時より開始となりますので、素敵なお客様の御予約をお待ちいたしております。

    閑話休題…。

    お勤めをしていれば上司やオーナーに不満が出てくることもあるでしょうが、私もお勤めをしていたのでよく理解できます。 ただし、私は転職を勧めるタイプですし~独立を進めるタイプでもあるので、我慢のしすぎはよくないと思っています。

    石の上にも3年とか言って「若い人は我慢が足りない」と言うような話を、学校の先生や上司の立場にある人はされますが、3年も座られたら迷惑するのは石の方です。 確かに技術や知識の習得の為には我慢も必要ですが、自分の才能に合っていない道で我慢を強いるのは余りよくないと思うのです。

    私は例え話でよくするのですが、尊敬できる上司や社長の下で働いたなら得る物は大きいし会社を辞めたいとは思わないのです。 オーナーや社長の立場にある人は自分の行いを振り返らないといけないのですが、会社やお店を辞めたいと言う人が社員や従業員の中にいたなら2つの反省をしないといけないのです。

    ひとつめは会社に合わない人を雇用したことで、その社員の大切な時間(未来)を無駄にしてしまったという反省です。 これは人を見抜く目がないのが一番の反省点なのですが、雇用すると言うことは相手の人生に責任を持つと言うことなので、その人生を狂わせてしまった自分の見る目の無さを反省しないといけないのです。

    ふたつめは会社や社長自身に魅力がないと言うことで、会社に残りたいと言う気持ちにならないから辞めて行くのです。 もしも社長に魅力があれば、辞めたいなんて気持ちにはならないからです。 人間関係が悪くなるのも社長の目が行き届かないなんて言い訳をする前に、社長の理念や信念を尊敬してくれる人がいないから箍が緩んでくると言うのを反省しないといけないのです。

    上品と下品と言う言葉がありますが、まさにこれがひととなりを表すのです。

    下品と言うのは、品格がないこと。
    上品と言うのは、品格があること。

    品格とは言葉で表すのは難しいけれど、物事をしていやらしさが目立つのは品格や品位がないから起こりうることなのです。 その人やその物に感じられる気高さや上品さがあれば、人は敬意を払ったり~納得せざるを得なくなるのです。

    寄付を例にとってわかりやすく言えば、年末になると県庁にTVカメラを呼んで寄付するところをニュースで放映してもらう会社や団体が次々出てきます。 普段は寄付も何もしていないのに、年末になればTVカメラの前で企業名や団体名を言って自社のイメージアップに努めるのが正しいのかどうかは意見の分かれるところです。

    私はまだまだ未熟者ゆえ、こう言うことをするのは真のボランティアではなく売名行為にしか視えないのです。 ところが上品な人や品格の素晴らしい人は、それすらも浄化してしまう懐の豊かさがあります。

    この件について私は未熟だと気付かされたのは、寄付の神様の懐の深さを思い知らされたからです。 寄付の神様の自宅にお邪魔していた時に、年末好例の「TVカメラの前では寄付をする会社や団体」をニュースで放映していました。

    その時に「TVカメラの前でないと寄付できないのは、本物じゃないですよね。」と私が言ったところ、「山崎さん、TVカメラの前だろうと売名行為だろうと、寄付するだけマシと考えなさい。 もしかして、それをすることにより本当に寄付する気持ちが生まれるかもしれない。 寄付の中身はどうであれ、行動するだけマシです。」 こう言われたのです。

    「やらない善より、やる偽善。」 この時に私は自分の考えを恥じたのですが、売名行為でも何でも寄付すると言う一歩を記したのだからマシだと考えなければならないし、寄付される側は「どのような形であれ助かる」と言う現実があるのを感じた瞬間でした。

    人は自分が苦しい時には腰を低くするけれど、自分が楽になると天狗になって相手の気持ちを考えなくなります。 自分が少し有利になったから~自分が大手企業と取引しているから、それだけで他の誰かを馬鹿にしていいわけじゃないのです。

    あのトヨタ自動車が良い例ですが、「トヨタ自動車が初の赤字!」などと言ってマスコミが騒いでいます。 しかし、来年トヨタ自動車が倒産していると思う人はいませんし、トヨタ自動車は無借金経営に加えて預金残高が国家予算の何十倍もあることをマスコミは忘れています。 (トヨタ自動車がバブルの時に、どれだけ稼いだと思いますか?)

    それよりも赤字になったのを、「どうして、わざわざ年末に発表したのか?」 この理由に気が付かない人は、トヨタ自動車の戦略にいいようにやられてしまうのです。 トヨタ自動車はさすが上手い戦略を立てるもんだと感心しますが、この赤字は「帳面上の作られた赤字」です。

    この発表の狙いは「派遣切りの非難を交わす&賃金アップの抑制」に加えて、日本は殿様の国だから血筋や系列を大事にする為、「いまこそ創業家を旗印に一丸となって~!」と言うような雰囲気作りをしているのです。 トップ企業は儲ける為にはなりふり構わない戦略が次々生まれる土壌があるのですが、コレを上品と思うかどうかは個人差により違ってきます。

    あなたは自分の中にある品格に、心意気と気高さを持ち合わせていますか?

    (☆゜o゜)ハッ トシテ d(>_・ )グッ!

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    意志。

    よく言われることですが思うと言うことにより、あなたの素敵な未来を作り出すことが多々あります。 お店を出したい~資格を取りたい~○○したいなど、思うだけなら力もお金も技術も~何もいらないんです。

    人は行動する前には、必ず思考状態を経て行動に移ります。 熱い物に触ったなどの反射的な行動は別として、自分がこれからすることはどうやればいいかをまず考えます。 そこで成功と失敗に分かれるのは、気持ちに思いを込められるかどうかなんです。 思うだけなら何もいらないのは事実ですが、思わなければ始まらないのです。

    何かを強く思う気持ちとお願い事を念じる、これは似て異なるモノです。 お願い事を念じると言うのは、自分は何もせずに叶えばいいと言う他力本願です。 ところが、何かを強く思う気持ちと言うのは、自然と体が動き始めて何かをしなければ落ち着かない、つまり自力本願なんです。

    素敵なあなたには素晴らしい未来があると言うのはウソではなく、あなたが叶える楽しいワクワクした未来なんです。

    確かに世の中には可能なことと不可能なことがありますが、不可能と言うのは神様が決めることです。 そして、その神様が決めた不可能を打ち破り、可能にすることが人としての生き様だと思うのです。

    ある女性は指が欠損していて7本しかありませんが、将来の夢はピアニストです。 そしてコンクールで賞が取れない時には、指が無いからではなく自分の努力が足りないからだと考えて練習を増やしています。 これは神様が与えた試練を人間の努力が乗り越えようとしているからこそ、彼女の心は折れずに前に進んでいけるのです。

    オリンピック(五輪)を例に取ると、「五輪へ行けたら良いなぁ。」と考えるのは他力本願で、「五輪へ行く。」と言うのは自力本願になります。 これは意識の問題なのですが、日本代表になれたらと思うようでは五輪で勝つことは難しいと思います。

    五輪に出るのは当たり前だから、当たり前のことを手抜きせずにして勝つべき時は何があろうとも勝つ。 こう考えることができて、初めて金メダルを取る資格が出来るのです。 金メダルを取る選手は、勝ち負け以前に取るのは当たり前だからどういう取り方をするのか、そこまでイメージできるほどに自分を鍛えながらも追い込んでいるのです。

    これは「オリンピック級の選手だから…。」と思うかもしれませんが、ひとつのことに専念しようと思う気持ちがあれば何でも出来ると思うのです。 誰でも最初は初心者なのですから、上手くできなくても当たり前です。 その出来なくても当たり前の時からどれだけ専念できるか、それがその後の運命を決めてしまうのです。

    何の世界でも、ひとつのことに専念して続ける意志の強さは素晴らしいです。 意志の力こそが未来を招くのであり、その意志の強さは「好き」だからこそ出てくるのです。 この好きと言う気持ちを常に持ち続けて、未来における自分を好きになればいいんです。

    どこであろうとも自分が今いる場所で精一杯出来ないのに、いざと言う時に本領発揮とは行かないモノです。 スポーツではよくある話ですが、強いチームに行けば優勝できるとか強いチームに行けば勝ち続けるなど、最初から価値を計算していく選手は余り大成しません。 それよりも弱いチームに行って、自分の力で上に引き上げようと言う選手の方が意識も実力も相当上です。

    何をやるにしても強い意志と言うものさえあれば、それが運を呼び込み実力をアップしてくれるのです。 お店を出したいと思うならば、ボロボロになるほどの努力をして「もう動けない、何も出来ない…。」と思うところから本当の努力が始まるのです。

    何かを本気でしているのなら、動けないなんて考えないし出来ないとも考えません。 もう出来ないとかもう駄目だと思えるのは、余裕があるから思えるだけなんです。 本当に苦しいほどしていれば、苦しいから余計なことを考えることなんて出来ないのです。

    意志とは自分で意識して、初めて育てることができます。 その強い意志を身につけたなら、意志は必ずあなたの前に成果となって現れます。

    物事を進めようとするならば、良い時もあれば悪い時もあります。 しかし、そこであきらめたら終わりですが、成功するまでやれば成功でしかないのです。 成功でないと言うのは失敗したところで止めるから失敗であり、止めなければしている途中になるのです。

    まずは心が天高く舞い上がることが重要で、肉体は後からついてくるのです。 意志の強さが目標を高く設定して、その目標が叶う時は次の成長への道を歩く準備が出来たことになるのです。

    あなたは自分の意志の強さを、どのように活かしたいと思いますか?

    (* ̄∇ ̄*)エヘヘ



    お知らせ:出張の為、ブログの更新はお休みいたします。 ブログの更新は24日(水)より~鑑定は23日(火)の午後より再開となります。 お手数をお掛けいたしますが、よろしくお願い申し上げます。 いつも御利用いただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    運の流れ。

    運が良いとか悪いとかは自分がしたことが返ってきてから感じることが多いのですが、残念ながら今日したことが明日すぐに効果があるわけではないので実感しづらいです。 おまけに寄付やボランティアをしたからと言って、過去の行いが悪い人は少しマイナスが減るだけで帳消しになるわけではありません。

    今まで好き放題にやってきて、急にしおらしくしたからと言って運が良くなるわけがありません。 地道に活動して積み重ねていくことが、いつの間にか返ってくるのが本当です。

    ただし、これだと待ちきれないから、「や~めた。」となってしまうのです。 ボランティアや寄付は「したから戻りがある」というわけではなく、過去の清算をしているだけと言う場合だってあります。

    そういう時は過去のマズイ行いを減らしていっているだけで、まずはマイナスではなくゼロにするのです。 それでゼロの位置からようやくプラスに転じるのですが、このプラスになるのも最初は少しづつなので続かないで止める人が多いのです。 しかし、ココで息切れせずに続けていると自然と正しい行いが出来るようになる時期くらいに、次々と有形無形の状態で戻りが始まります。

    これは経験しないとナカナカ口で説明するのは難しいのですが、自分がしたことはいつか必ず返ってきます。 悪いことをしてそのままでいられることは無いし、正しいことをして不運が連続することもありません。

    こう言う時に「じゃあ、政治家は?」と聞く人がいますが、政治家が悪いことをしているイメージが強いのは仕方がありません。

    だからと言って全員が悪いことをしているわけでもなく、二世議員や利益誘導議員も悪く見える裏側で良いことをしています。 その良いことと言うのが自分に関係ある人達で占められているから、その中に入れなかったことにより不満が募るのです。 (偏る良いことは公平ではないので、もはや良いことではないと言う考え方もあります。)

    これを会社組織に当てはめると、自分が出世コースの派閥にいるとドンドン引き立てられるから周りを気にしません。 しかし、反主流派に入ると「あいつらばかり良い思いをしている。」と感じます。 つまり、その対照となる人をどちら側から見るかで、良い悪いの見方が変わってくるのです。

    簡単に言うと、Aさんと言う政治家が50人に悪い人と見られたら、その裏で50人の人が仕事など利益を分配されて良い人だと思います。 会社内でポストを次々もらえる人達は「うちの上司は良い人だ!」と思いますが、コースから外れていると「うちの上司はダメだ。」と思い始めます。

    運の良し悪しを見極めたいのなら、この「+と-がバランスをとる点」を理解して「人には色々な見方がある」を頭に入れておけば、そんなに間違えた道は歩かないと思うのです。 近道しようとすればするほど遠回りになるので、間違えた道を歩くのは程々にしておかないと息切れしてしまいます。

    近道しようとして私が失敗した、過去のトンでもなくお恥ずかしい例です。 昔の私は毎日お客様がゼロの開店休業状態で焦る気持ちから雑誌に一度だけ広告を出したのですが、今でも忘れられない記事広告の結果は「お越しくださったお客様は3人」です。 広告掲載料から考えると信じられない位の大赤字でしたが、近道を選んだ私の大失敗でした。

    雑誌の1月号などは年末年始特集で必ず占い師さんが登場しますが、今から考えると人気のある本物は忙しいのに年末の取材なんか受けているヒマはありません。 私もバカだったから雑誌に出れば人気が出る、そう安易に考えていたのですがお客様の目はごまかせません。

    もしも私が当時と同じ位ヒマだったら、年末は間違いなくタウン情報おかやまなどの情報系雑誌や女性向け雑誌に取材してもらえるように掲載の手続きをします。 ただし、私が今後の人生において、雑誌のヤラセ記事に加担することは絶対にありえません。 (素敵なお客様に嘘を吐くような人生は、人として恥ずかしくて歩めません。)

    なお、コレは内緒のお話ですが、雑誌の最後の方に掲載してある今週の運勢や今月の運勢ですが、アレって実は広告です。 雑誌の規模にもよりますが広告料として5~15万円くらいを占い師さんが支払って、名前と連絡先を雑誌に掲載してもらうのです。 (連絡先が出ていない~つまり広告枠じゃない場合は、編集部の人が適当に書いています。)

    今の私はヤラセの記事広告に30万円出して宣伝してもらうくらいなら、その30万円を盲導犬やアフリカの子供たちへ全額寄付します。 一時的には宣伝や広告をした方が効果があるかもしれませんが、長い目で見ると明らかに寄付した方が運勢は良くなります。 ただし、すぐに戻るわけではないのが、ナカナカ理解してもらえない要因です。 (苦笑)

    運はバランスを取るので、そのバランスの取り方に気付いていないといつまで経っても不運を感じてしまいます。 まずは自分が何をしているのかを考えて、人が喜ぶことや相手が助かることをするのが先決です。

    「人の幸せが自分の幸せ」と言う流れを作ると、失敗したくてもできません。 何をどうやろうと良い流れになってしまうので、失敗したくてもできなくなるのです。

    あなたは自分の運の流れが、どう流れているかを把握していますか?

    (^ー^* ) ウフッ!

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    メール。

    現代社会では携帯電話を持っている人が大半を占めるようになり、中でも手軽にメールをすることは日常でも珍しくありません。 仕事でもPCのメールを活用しなければ、もはや仕事にならない状態の人だっているかもしれません。

    それほど生活に密着しているメールですが、コレを活用すると恋が上手く行くことに気が付いている人は余りいません。 嫌われるメールと好かれるメール、この間には深くて暗い溝があるのですが、その溝に嵌まり込んでしまうとせっかくのメールが台無しになってしまいます。

    もうすぐクリスマスなので、好きな人と近づきたいとか~相手にもう一押ししたいなど、メールで心を近づけることについて、素敵な霊視カウンセラー的に少々解説してみたいと思います。

    近代社会では恋愛の行方を左右すると言っても過言ではないメール、このメールの作法が恋の始まりはもちろんのこと、ちょっとしたイザコザの元やピンチを切り抜けることができるようになります。 このメールを送るタイミングや内容によっては、2人の距離が縮まったり~大きな溝を作ってしまうこともあるのです。

    メールは便利ですし、いつでもどこでも自分の思ったことを伝えられるからこそ、使い方によっては自己中とか面倒などと嫌われるきっかけを作ってしまうことになります。

    男性で「メール自体が嫌いな人」の条件をいくつか挙げてみたいと思いますが、ストレスやプレッシャ-を感じやすい~仕事中心の毎日で疲れ気味~メールが届いたら即レスする~携帯電話を2つ以上持っている~愚痴が多いなど、これらに当てはまる男性はメールをすること自体が好きではない場合が多いです。

    このような男性にメールの使い方を誤ると亀裂が入りやすくなるのですが、メールを送信する時には「時間に余裕を持つ」とか「ストレスやプレッシャーが無い時」など、相手の気持ちを深く考えないで送信ボタンを押してしまうような状況を作らないことです。

    メールは気軽に思ったことを伝えられるからこそ、相手と自分の距離感や温度差を意識しないと自己中心的な印象を与えてしまうかもしれません。 メールで愛されるようになる為にも、悪気がないのに嫌われてしまうような NGメールを送信するのは絶対に避けましょう。 自分に悪気が無くても相手を不快な気分にさせてしまうメール、そんなメールがあります。

    例えば、タイミングが悪い~つまり空気が読めないような一人時間差で、「え、何のこと?」みたいなメールはアウトです。 その他にも送るタイミングや内容も相手のことを考えて、「ごめんね」とか「すみません」など謝ってばかりに見えるメールもアウトです。 悪いこともしていないのに卑屈になっている印象を与えてしまうのはマイナスなので、「ありがとう」や「嬉しい」など、前向きな感謝の言葉に変えると印象が変わります。

    また、相手に自分を過剰にアピールするメールもダメで、気持ちはわかるのですが相手が対応できるか堂かも見極めてから出ないと、動画などを喜ぶタイプ~冷めた反応をするタイプ~絵文字が好きなタイプなど、よく考えてからする必要があります。

    長文メールも内容によりけりで、気持ちが沈むような深刻な内容だと返事に困るし、メールでそんなことを伝えられても困る男性は多いです。 相談に乗ってもらいたいというメールを送り、詳しいことはその時に話すという内容にとどめておかないと引かれてしまいます。

    最後になりますが、意外と男性が嫌うのはメールの時間です。 電話じゃなくてメールだから、いつ送信しても大丈夫と思うかもしれませんが、深夜とか仕事中などに関係なくメールを送りつける女性は、知らず知らずのうちに嫌いになってきます。 基本的に恋愛と言うのは、「自分の気持ちを効果的に伝える」ことが最大のポイントになります。

    では、愛されるメールや好かれるメールとは、どんなものかと言えば…?

    男性に必要な情報~褒め言葉(嬉しい言葉)~読むと元気がでる(励まされる)~共感できる~優しさや思いやりが感じられるなど、男性が思わず微笑んでしまう楽しい内容が一番です。 仕事や恋愛に限らず1日にメールを何通もやりとりするのが当たり前になってきているので、どんな言葉が相手を喜ばせるのか~どんなメールが面白いのかなど、受け取る相手の気持ちを想像してから送信する気遣いが必要なのです。

    人は誰でも「愛されたい&必要とされたい」と言う気持ちがあります。 近年では「癒し系」と呼ばれるタイプの女性が男性に人気があるのも、仕事や日常のストレスで疲れた男性が安らぎを求めたいからです。

    しかし、「癒す」と言うだけではライバルに差をつけられないので、裏技としては「テンションを上げてくれる女性」に魅力を感じる男性が意外と多いのです。 つまり、メールを見る度にやる気が起こるとかメールを見る度に大切にしようと思わせる、そんな内容が求められるのです。

    例を出すと、元気にする言葉~嬉しい言葉などのテンションが上がる言葉を意識してメールに入れると、男性は女性のメールを心待ちにするようになるので、男性の心はあなたに夢中になり始めるきっかけとなるのです。

    もっと単純に言えば、メールの最後にハートマークがあるだけで「よしっ!」と思う男性は非常に多いです。 「ハートマークだけで?」と思うかもしれませんが、男性の場合はメールの最後にあるハートマークをみると、「コレは俺だけだぁ~!」と思ってしまうのです。

    あなたはメールに、気配りをしている自信がありますか?

    (^~^;)ゞ イヤァ~

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    数値と感覚。

    可能性は誰でも持っているから不安に思わなくても大丈夫、開花させるかどうかの差はあるけれど、きっとあなたは大輪の花を開かせることができます。 その花が開いた時に「自分の為」ではなく「誰かの為」に開花させていたなら喜びの種が次々と発芽を始めて、いつの間にか多くの花に囲まれる人生になっていると思います。

    想いが留まることなく光が一筋の道を射している中を前に進んでいくことができたなら、ためらわずに色々な出会いを受け入れる幸せな日々になるはずだと思うのです。 その為に一番重要なことは自分がしていることがキチンと説明できるかどうかなのですが、自分がしていることをキチンと説明できないようでは周りの人も応援できないと思います。

    分かりやすく言うと、「自分の名前は○○で~自分の職業は○○で~自分の将来の夢は○○です。」と言うくらいの説明は、目の前にいる人が誰であってもできないと、相手に自分の思いなどの意思が伝わらないのです。

    あなたが何かをしたいと思った時に「それは無理だ!」と言われたなら、それはその人の頭の中にある現実であり、あなたの頭の中にある現実とは違うのだから悲観することはありません。

    夢は夢のままではなく~夢は可能性の塊だからこそ可能性と言う扉を開けたなら、そこに広がる風景はあなたが待ち望んだものなのかもしれないのです。

    誰でもが感じるのですが、いつだってチャンスが巡ってきたなら力が入るものです。 それが良い意味での緊張となって実力を発揮できるのか、それとも萎縮してしまうような緊張で力を出し切れないまま、努力が陽の目を見ない道を行くのかは個人の思いの強さに比例すると思うのです。

    コレだけやってもできないんだから、叶わなくても仕方がない。
    コレだけやっても足りないのであれば、まだやることが残っているはずだ。
    コレだけやっても叶わないのであれば、考え方を変えれば違う道もあるはずだ。

    人の考え方はそれぞれなので色々な思いが頭の中を駆け巡るでしょうが、夢を叶えたいのか~叶わなくても努力したことに満足するのか、どちらが心にあるのかが夢に到達できるかどうかの差なのかもしれません。

    過去の思い出は時に足枷や手枷となって成長を妨げることがあるのですが、それは自分の変化を見失うからなんです。

    「初心忘れるべからず」とは良い言葉ですが、それはあくまで最初はどんな気持ちで始めたのかと言う部分が大切なんです。 初心に返ると言うのは自分の気持ちの為にはいいのですが、技術や知識など身につけたモノまで初心に帰っては成長の意味がないのです。

    初心を忘れずにと言うのは「熱い気持ち」を忘れないようにするだけで、初心に返ると言うのも「冷静に見直す」と言うブレーキの意味の方が重要なのです。 あくまで精神力の方で初心をキープしつつ、知識や技術や経験などは成長した自分を発揮できるようになるのがベストです。

    それでも、もしも進むべき夢がわからなくなったなら、数値目標と感覚目標の二つを準備すればクリアできます。

    このうち数値目標と言うのは簡単に設定できるのですが、日時で言うと何年何月にはお店を出したいとか~売り上げをいくらにしたいと言う、数値が結果に直接現れるものを言います。 コレは単純明快に結果が出るのでごまかしが効かない代わりに、達成できたかどうかが分かりやすく満足感も多いです。

    しかし、数値目標だけだと結果が出ない時にイライラしてくるかもしれないし、いつまで経っても達成できないと言うような焦燥感やあきらめが出てくるかもしれません。 ここで感覚目標と言うのが必要になってくるのですが、それは目には見えないけれど心にやる気を与えてくれるようなモノです。

    例えば、私は自分の著書を素敵なお客様が読むことで、「心に勇気や元気が出ているかもしれない」と想像するだけで努力する元気や勇気がものすごく湧いてきます。 誰かの笑顔の為に自分が役に立っているかも知れないと言うのは、極上の喜びとなって心に刺激を与えると思うのです。

    更に空想や想像を広げていけば、私の本を持っているかもしれない押切もえさんやSBIホールディングスの北尾吉考さんが、もしかして万が一にも手紙や電話で感想を伝えてくれるかもしれないなどと想像できたら、誰でも心に張りができて勇気や元気が自然と湧き出てくると思うのです。 (注:北尾吉孝さんは福祉に情熱のある方で、相当な金額を色々と寄付しています。)

    「数値目標と感覚目標」 この二つをキチンと構築できて走り続けることができたなら、夢が叶う確率はグンと上がると思うのです。

    あなたは数値と感覚、どちらの目標も立てていますか?

    (°θ°;) エッ、ホントダッタノ…!

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    一円の価値。

    おはようございます。 今日は土曜日ですが、どんな素敵な週末になるのかとワクワクドキドキ過ごせたら期待感が自然と膨らみます。 想像するだけでなんでもないようなモノの価値が膨らんでいくので、幸せが訪れると言うのは自分の心のありようかもしれません。

    それに自分の価値と言うのを考える人は、責任感が強い証拠だと思うのです。 鬱病になる人と言うのは、基本的にきちんとした人しかなりません。 いい加減な人や適当な人はストレスを溜め込む以前に、気にしないので溜まらないのです。 周りに何を言われても傷つかない人は鬱病になる前に、自動的にブレーキがかかるのです。

    鬱病にかかると言うのはナイーブな証拠で、周りに迷惑を掛けられないとか~自分はどうしてこうなんだろうなど、周りに対してきちんとしていたいと言う気持ちが重なり起こるものなのです。

    私も昔はどうしていいか分からずに、迷走状態で自分が何者なのかすら分からない状態でした。 いじめに遭うから不幸と感じていたのですが、いじめに遭う理由を考えないのが私の悪いところです。 (反省しないのだから運が好転するわけもなく、同じことの繰り返しでいたことも気付きが遅れた理由ですが、これも私の言い訳です。)

    この世に天才だけと言う人はいなくて、天才と言うのは努力する天才と言うことだと思うのです。

    野球のイチロー選手やサッカーの中田選手などは、周りから天才と言う評価を受けているのですが、本人はそう呼ばれることを嫌っています。 何故、そう呼ばれることを嫌うのかと言えば、「何もせずにできる」と思われるのは心外だからです。

    誰でも練習などの地道な努力はつまらないとか苦手と感じてしまうのですが、その怠け心を克服して練習を続けることができるから、その積み重ねの差が天才と言われる人の実績の差となって現れるのです。

    練習と言うのは、「もう、駄目だ…。」 こう思った時からが本当の練習であり、余裕で練習プログラムがこなせるうちは何も身に付くことはありません。 自分で限界と思った時からが本当の練習であり、それを続けようと言う意思を持ち続けることができるから天才と呼ばれる位置へ到達できるのです。

    あの人は天才だからとか~あの人は頭が良いからなど、そういうヒトコトで済ませてしまうと、その人が陰でしている努力は一切認めずに楽していると指摘していることになります。

    人の価値と言うのはお金などの物質的なものではなく、その人の生き様と言う内面にこそ惹かれるものがあります。 それは目には見えないけれど、オーラなどの人間的魅力として輝いているからです。

    その輝きと言うのは、誰もが認めるしかないと言う点から発生するのですが、誰もが認めると言うのは数限りない無限の努力や意志の強さでしか発揮できません。 ただし、天才でなくとも誰でもができる、そう言う平等な輝きでもあります。

    よく言われる言葉の一つに「一円を笑う者は一円に泣く」と言いますが、この言葉の意味を理解していれば努力の意味も理解できていると思うのです。

    今の日本では一円あげると言っても「たった一円?」と言われるだけで、一円のありがたみは余り感じません。 自己啓発の本などでは例え話として、「一円足りなくても買い物ができない」などと書いてあります。

    しかし、コレは一円の物質的な面だけで、一円と言う通貨としての価値しか認めていない例え話です。 この一円硬貨の本当の価値と言うのは、そんな単純なことでは表せないくらい素晴らしいと思うのです。

    何故なら、一円は日本全国どこへ行っても「一円」として通用するからです。

    この全国どこへ行っても通用すると言うのは、ものすごく価値のあることなんです。 美容師さんや看護師さんは資格制度なので、日本全国どこへ行っても免状を提示すれば通用します。 車の運転免許だって立派な全国通用であり、岡山県で取得しても大阪や北海道で運転可能です。

    私は自分がまだまだ未熟者だと思うのは、私が自称霊視カウンセラーと言っても全国通用ではありません。 今の私は知っている人は知っているかもしれないと言うレベルであり、日本全国どこへ行っても霊視カウンセラーとして認められているわけではありません。

    ところが、一円硬貨は日本全国どこへ行っても「一円」として誰もが認識しているのです。 つまり、現状では私の霊視カウンセラーとしての認知度は、一円の認知度に遠く及ばないので埋めようのない差があります。

    私はお客様の未来を視ていると微笑ましく感動をいただけると断言しているのは、お客様の可能性や未来は全国通用と言う素晴らしいレベルだからです。 あなたの未来の価値と言うのは、誰かが待っていてくれると言う「頼られがい」のある立派で輝かしいものなんです。

    私はお客様に教えていただけることに尊敬の気持ちを持って、今後もお客様の想いを大切にしていきたいと思うのです。

    あなたは自分の未来の輝き、その価値に気付いていますか?

    (@^_^)ゞ ポリポリ



    お知らせ:出張の為、ブログの更新はお休みいたします。 ブログの更新は16日(火)より~鑑定は15日(月)の午後より再開となります。 お手数をお掛けいたしますが、よろしくお願い申し上げます。 いつも御利用いただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    止められない。

    芳しくない結果が出た時に言い訳する人を見て、「気持ち良い」とか「カッコイイ」と思う人がいるかと言えば、ほとんどの人が「NO!」となります。 自分がミスをしたり周りに迷惑をかけたらキチンと謝ることが必要ですが、プライドが高い人はそれができずに信頼を失ってしまいます。

    一昔前の日本ではプロ野球が盛んでしたが、今はJリーグやVリーグなども出来て野球だけがメジャースポーツでは無くなりました。 コレも時代の変化と言うか流れなので、多種多様の時代で選べると言う裏返しです。

    しかし、昔と変わらぬことがひとつだけあるのですが、それはスポーツ選手の言い訳です。 試合で負けたら「実は怪我していた」とか「あそこでアレさえなければ」など、負けた言い訳が見苦しいのに本人は気が付いていません。 実力じゃなくタマタマ運が悪かった的な言い方ばかりで、自分の努力や練習が足りないとはヒトコトも言いません。

    私はプロスポーツ選手よりも、社会で一生懸命に働いている人や夢を追いかけている人の方が尊敬に値すると思っています。 損得勘定抜きで夢を追いかけて自分のやりたいことをしている姿は、輝いているから眩しく映って素晴らしいと思います。

    お勤めをしている人が毎日キチンと出勤していく姿は素晴らしく、雨が降ろうと風が吹こうとちゃんと出勤するのは本当に尊敬に値します。 少々のことでは休まずに風邪気味で熱があっても~体調が悪くても笑顔でいるなど、素敵なあなたの方が素晴らしい日々を過ごしていることに気付けたら毎日が輝き始めます。

    華々しいスポーツ選手だけが凄いわけではなく、言い訳せずに毎日働いている人の方が何倍も凄いのです。

    プロスポーツ選手は成績が残せなければクビになると言う人もいるかもしれませんが、サラリーマンの年収をはるかに超える金額を手にするのですから、それだけの責任と義務が発生するのは当たり前です。

    特にプロ野球選手はマグレで1年だけ良い成績が残せたら急激な年棒アップがありますが、一般社会では何年も平均して成績が良くても「ご苦労さん」のヒトコトで終わりです。 シーズンが終われば「年棒を上げろ」と言い始めて、野球がやりたいとか野球が好きなど言っていたのは何なのか、子供達の前で恥ずかしくないのかと思います。

    1年間に5億円も貰っている人が休まず試合に出ても、そりゃ当たり前で褒め称えるほどのことではありません。 (メジャーリーグでは試合を休まないことは、当たり前と取られています。)

    プロ野球選手を例に取りましたが、夢を追いかけている人や商売をしている人はクビになることすらできません。

    商売は自分ひとりではなく関わっている人、その全てに迷惑が掛かるのでクビになって楽になることすら出来ません。 従業員の方々や下請けさんや問屋さんなど、迷惑をかける人がいると思えばあっさりあきらめるわけにも行きません。 倒産するのですら、苦しみ抜いてからでないと出来ないのです。

    夢を追いかけている人だって、やりかけた夢を途中で投げ出すと言うことは自分の人生をあきらめることに繋がるから、いまさら止めるわけには行かないと言う状況だって出てきます。 夢を追いかける為に犠牲にしたモノの大きさを考えると、「何で今更引き下がれるのか?」という思いはとてもよく理解できるのです。

    以上のような厳しい世界を生きている人と、見かけは良いけれど中身が伴っていないプロ野球選手、どちらを尊敬するかと言えば「一生懸命、生きている素敵なあなた」で当たり前です。 私は素敵なあなたを信じているし、あなたの素晴らしい思いを大切にしたいのです。

    いくら努力しても結果が出ないとか~いくら頑張っても認めてもらえないなど、社会生活では苦しいことだらけで~楽しいことはホンの一瞬かも知れない、それでも一生懸命にしている人を見て感動も尊敬もできないような人間にはなりたくありません。

    好きで始めた「夢」
    好きで始めた「仕事」
    好きで始めた「商売」

    好きで始めたことなら~好きと言う言葉が主語につくのなら、夢を持って始めた証拠だから途中投げするわけにはいかないのです。 あなたが追いかける夢は途中投げしていいほど軽いものじゃなく、未来を明るく輝かせると言う使命や素晴らしい価値があるのです。

    あなたは夢を追いかけること、それを中途半端に考えていませんか?

    (。-_-。)ポッ

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    救急医療。

    おはようございます。 今月のUSENマンスリーはEXILEなので、曲に合わせてダンベル体操がしやすいです。 どうしても事務所内では座っていることが多いので、運動不足解消や健康の為にも何かしたいと思っていたのですが、ダンベル体操なら空いた時間にできるのでナカナカ快調です。

    健康と言えば医療や病院などが切り離せませんが、今日は私が個人的に感じている救急医療について書いてみたいと思います。 医療の現場で働く方は、最低でもこれ以上の知識や経験を積んでいただいて、生命の危機を救う道を歩んでいただけたらと思うのです。 (生意気言って、ごめんなさい。)

    救急医療とは、疾患~外傷~中毒などに対して緊急の処置、および対応の必要があるものに行われる医療体制を言います。 救急医療に重要なのは覚知⇒搬送⇒診療の3つで、心肺停止などの重症例では蘇生処置も加り、「素早い通報~素早い蘇生処置~素早い搬送~素早い診療」を救命の連鎖と呼ぶばあいもあります。

    急性期&超急性期への対応は慢性期と全然違うのですが、急性期は症状が時間の経過と共に変化して、その間の適切な処置によって大きく変化する余地が大きいのです。 特に心肺停止状態では、救急車到着までの間の蘇生処置が転帰に大きく関わっていて、来院時に心肺停止(CPAOA)していた場合の予後は非常に悪いようです。

    このように救急医療に関しては、プレホスピタルでの処置が蘇生率に非常に大きく関わっているのです。 症状軽減&救命の優先により対象である患者が救急医療を利用することとなった場合は、耐え難い苦痛があるか~もしくは生命の危機が迫っているかなどの緊急性があることを意味しています。

    緊急事態の場合は、正確な診断よりも緊急性に対する処置が優先され、複数傷病者の場合には重症の患者を最優先にするなどのトリアージも行われ、更に複数の重症者がいる場合には「救命できる可能性が高く、より重症な患者」が最優先とされます。

    日本における救急医療体制は都道府県が作成する医療計画に基づいており、二次医療圏までで対応させるとしているようです。 その重症度に応じて3段階で対応することとされていて、救急指定病院もどの段階まで対応するか想定した上で患者受け入れ体制をとっています。 しかし、こうした重傷度に応じた体制には限界があり、初期から三次救急までの独歩来院を包括して診療する、北米タイプERシステムを採用する病院も出てきています。

    初期救急では、医療入院治療の必要がなく外来で対処しうる帰宅可能な患者への対応機関として、主に内科&外科を診療科目としていますが近年では小児科を加える自治体もあります。 二次救急医療では、入院治療を必要とする重症患者に対応する機関として、市町村の垣根を越えた環境や整備が必要な場合が多いようです。

    そして三次救急医療は二次救急医療では対応できない、複数診療科にわたる特に高度な処置が必要~または重篤な患者への対応機関としてあります。

    最近では高度医療を求める傾向から軽症の患者が二次救急に行き、救急が本来の機能を果たせないという現象が生じていて、軽症での救急隊要請が増加の為に救急車が常に出動中となる問題も生じています。

    ここで患者となる側も考えないといけないのですが、「水虫が痒いから」「コンタクトが外れないから」「救急車を呼べば、待たずに診てもらえるから」などの身勝手な理由で救急車を使用する人が多い為に、本当に必要としている人に救急車が間に合わないのです。 こう言う真実を明らかにせず「盥回し」と言うのはお門違いもはなはだしく、自分勝手な人のせいで救急車やベッドや医師の数が足りなくなっているのです。

    現在の救急医療に携わる人(当直医)の負担は想像以上で、連続で36時間以上働き続けることも珍しくないのです。 これらの現象により燃え尽きて退職する医師や過労死をする医師も増えていて、自治体による小児医療の無料化に伴い無料である気軽さから病院のコンビニ化が顕著となり、小児科医の疲弊もすさまじく小児科医の減少へつながっています。

    また、非常識なケースとして出産取り扱いの予約をしていない病院の救急外来に、いきなり押しかけて強引に出産する人が増えています。 そういう人に限って分娩費用等を払わずに知らん顔をしている人も多く、そういう人達の為に病院経営を圧迫しているのが現実です。

    医療における「盥回し」はマスコミ用語であり、本来は「受け入れ不可能」の言い換えです。 救急車でかけつけた救急隊員が病院へ受け入れ可能かを問い合わせて、「受け入れの人手や物資が足りない」などの理由で断られることが本当の意味です。

    救急受け入れ要請は、救急隊が現場で患者をケアしつつ複数の病院に要請を行うのが普通であり、患者の身柄があちこちへ回されている訳ではありません。 むしろ、受け入れ困難な病院に無理矢理押し込めば、その後の急変などに対応できずに助かる命が助からなくなるケースもあるのです。

    仮に出産で運ばれる場合を考えてみると、産婦人科の医師だけでは受け入れできないのですが、そこの所を理解できていないと公平な判断ができないのです。 救急車で運ばれる出産と言うことは緊急事態であり、母体だけではなく胎児にも何らかのことがあるかもしれません。

    つまり、今の救急医療の現場で受け入れる側には「出産の為に産婦人科医」と「出産した赤ちゃんの為に小児科医」と「産後の急変に備える婦人科医」の3人体制が必要となります。

    ひとりに付き3人はいないと、もしもの時に「助ける努力をしたのに訴えられる」と言うことになります。 この為、訴訟を起こされるくらいなら受け入れない方が、リスクも少ないと言う結論になってしまうのです。 (これは最低人数であり、本当は耳鼻咽喉科と整形外科も必要です。)

    医師や病院を叩くのは勝手ですが、ナンデモカンデモ叩いていたら今後はスーパードクターに見てもらえるのは紹介がある人とか~懇意にしている人など、特定に絞られても仕方がないと思います。

    あなたは救急医療の現場での、医師や看護師の努力をどう思いますか?

    (。 ̄_ ̄。)ノ~~~ ドモ

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    運転資金。

    運転資金と言う言葉があるのですが、年末が近づくと毎年恒例の貸し渋りとか~借金を返せないから倒産したなどの話が飛び交うようになります。 経営者は年末が近づくと辛いような感じを受けますが、はっきり言って貸し渋りで会社やお店が困ると言うのは銀行や行政のせいではありません。

    自分が良い生活をしたいとかお金を儲けたいと言う気持ちでお店や会社を始めておきながら、経営が上手くいかずに「損をしたから、何とかしてくれ」と言うのは都合がよすぎるのです。

    資金繰りがどうのこうのと言っている経営者は、行政や銀行のせいにする前に「人のお金を当てにする自分」を反省する必要があります。 経営者の方が運転資金と口にする度に「何でお金を借りる必要があるのか?」と、その理由が全然理解できません。

    商売と言うものは、10円で仕入れたものを100円で売っていたら90円の利益が出るので、そこから店舗や電気ガス水道などの経費を払い、残りは人件費と会社の利益としてストックしておけば、お金を借りると言う発想になるはずがないのです。 自分が贅沢をして資金を減らしておきながら、困った時には何とかしてくれと言うのは虫が良すぎるのです。

    年末になるとTVや新聞に「貸し渋りによる倒産」なんて見出しが出るのですが、年末に資金繰りが悪化してお金を借りないといけない経営者は年を越しても自転車操業で、一時的に危機を先延ばししただけです。

    年末に金策へ走る経営者がよく言うのが「運転資金」と言う言葉なんですが、コレはカッコつけて言っているだけで、本当のことを言えば「借金」です。 材料費や人件費などを一時的に銀行から借りて支払い、とにかく年を越せば次の仕事の支払いがあるから、それで返せば大丈夫なんて危ない綱渡りをしているのです。

    中小企業など経営者の方々の気持ちや言い分も分からないこともありませんが、経営者と呼ばれる方々が支払いを今か今かと待っている姿は情けないと思います。 集金日が来てもほっといて「払いたければ、そちらからどうぞ。」と言うくらいの余裕がないと、いつまで経っても悪循環から抜け出せないのです。

    「運転資金が必要」と言う言葉を使う経営者~もしくは一度でも使ったことがある経営者は、自分の何かが足りないとか間違っていると言う過去の反省こそが必要です。

    私は経営者の人には厳しいことを言うのですが、それは家族や従業員の生活を守って欲しいからこそ言うのです。 私のところへ御相談に来て厳しい意見を聞き入れて反省できる経営者の方は、一時的には苦境に陥るかもしれませんがおおむね脱出しています。 そして脱出した後は売り上げや取引の増加が著しいから、今度は寄付やボランティアに力を注ぎ始めるので、そうなると売り上げや取引が増えると言う好循環に入っていくのです。

    好例としてですが、ココによく登場するN市のIさんは会社経営者ですが、自己資金のみで運転資金を借りるなんてことはありえないし、この不景気な時に社員を増やそうと言う忙しさです。 ボランティア活動は休日無しでしているし、寄付も普通ではありえない金額をしているので、とても31歳とは思えない度胸~行動力~器量~才能です。

    N市のIさんは酒&タバコ&ギャンブルは一切しませんし、車や贅沢品も買わないと言う質素な生活です。 更には捨て猫を5匹保護して自宅で飼っていると言う心優しき男性で、女性にも男性にも人気があり自然体でボランティアの出来る聖人君子なので、私はお手本として尊敬しています。 (もしもこう言う男性を見つけたら、付き合っても間違いはないと思います。)

    N市のIさんの人間性を如実に現しているのが、忘年会の時にN市のIさんへ「3億円当たったらどうしますか?」と言う質問が参加した方よりありました。 その時にN市のIさんは、「3億円が当たったと言うことに感謝して、僕は3億円に自分のお金を5百万円足して3億5百万円を寄付します。」と言うお答えでした。 ( ̄□ ̄;)ス、スゴイ~!

    N市のIさんは損得のレベルではなく心からボランティアや寄付に全力を注いでいるので、難病の子供や動物の保護など多岐にわたる活動が無欲の状態でやれるのだと思います。 コレだけボランティアや人助けをしていると営業活動をする暇がないし、広告や宣伝などにお金をかけるなんてことも考えません。

    それでも仕事に困ることはないし取引先が減るなんてこともなく、いつの間にか縁が縁を呼んで人が人と繋がり~人の輪ができているのです。 もうこのレベルになると運命がN市のIさんを良い方へ後押しするしかないという、運命が味方と言う徳のレベルです。

    ただし、誤解しないで頂きたいのですが、私はN市のIさんが絶対と言っているわけではありません。 世の中には「運転資金」と言う名前の借金をして銀行や行政のせいにしなければやれない人がいる一方で、一切借金もせずに知らない間に仕事が次々と舞い込んで来る人がいる、そういう好対照の例として取り上げただけです。

    占いが好きか嫌いかは別にして、運が良いとか悪いと言う不思議な巡り合わせは認めざるを得ないと思います。 その不思議な巡り会わせを如何にして自分の方へ引き寄せるのかと言えば、もう「行いの正しさ」と言うより他はないのです。

    あなたは巡り合わせの好対照を、感じることがありますか?

    (〃_ 〃)ゞ ン~?

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    落とし方。

    恋の相談と言うのは男女が要る限り尽きないものですが、恋愛や結婚に関することは永遠のテーマだと思います。 先日の忘年会(名古屋~倉敷)ではお話したのですが、私は「男性を口説くのは簡単。」だと思います。

    その内容を説明するまでは「何故?」と思う人が意外と多いのですが、「男性を口説く」のはタイミングさえ間違えなければ「間違いなく落とす」ことだけはできます。

    ただし、「口説く&落とす」のと「付き合う&彼になる」と言うのは別物です。 落とすことはできても、付き合い始めると色々と考え方の違いや思ってもみなかったことなどが出てくるので、落とすことができるのと恋愛&結婚は違うと考えてくださいね。

    では、その説明ですが、初対面とか知り合って間もないなど、お互いが知らない状態であればあるほど「男性を落とす&口説く。」のは簡単です。 知り合って時間が経てば経つほど「落とす&口説く」のは難しくなりますし、別れた後でヨリを戻すのも時間が経てば経つほど難しくなります。

    借金返済と謝罪は早い方がイイと言う言葉があるのですが、素敵な霊視カウンセラーを目指す私としては、「男性を口説く&ヨリを戻す。」のは「先手必勝」だと思うのです。

    私は霊視ではあるけれど、素敵なお客様の仮想現実のお手伝いをすることもあります。 どういうことかと言えば、デートやお見合いや合コンの前に作戦を立てて実行へ移す為の予行演習をするのです。 彼があぁ言ったらこう言いましょうとか、こう言う質問をぶつけて~こう言う方向へ話を進めましょうなど、バーチャルな予行演習はかなり効き目があります。

    別れ話の前にお越しいただいた場合は、ヨリを戻したいなら「死んだフリ作戦」と言うのを使いますし、別れたいのであれば相手から別れを言われる作戦で行きます。 ただし、コレは実行できたら成功確率は上がりますが、ナカナカ踏ん切りが付かず実行できない場合も多いのが難点です。

    さて、今日の本題である「男性の落とし方&口説き方」ですが、初対面とか知り合って間もない男性を落とす方法です。

    私は「エスカレーター作戦」と名付けているのですが、気になる人~好きな人~合コン相手などと上層階のレストランへ行く予定を作ります。 6階とか7階くらいのレストランで結構ですが、待ち合わせは必ず1階に設定しておきます。

    そして上層階のレストランへ昇りのエスカレーターで行き、その時に彼を先に乗せて女性は後からエスカレーターに乗ります。 ココからが作戦の本番開始ですが、エスカレーターであれば彼が一段上で女性が一段下になるので、そこですかさず彼の肩を優しく叩いて振り向かせます。

    その時に彼の体制は見下ろすようになりますし、女性は約45度の角度で彼を見上げるようになります。

    実はこの45度の角度で見上げると言うのは、女性が一番かわいらしく見える角度なんです。 モデルやグラビアアイドルなどは、必ずこの角度をマスターしています。 その時に彼の視線は女性の見上げる目と唇へ行き、次に胸へ視線を落とします。 できれば、この時に胸の前で両手を組んで、かわいらしさをアピールしていればなお「Good!」です。

    ココまでで第一の仕掛けは終了となり、彼と楽しくレストランで食事をします。 食事中は楽しくフランクな雰囲気を作るようにして、なるべく女性を感じさせず友達のような雰囲気作りをしてください。

    次に第二の仕掛けですが、帰りもエスカレーターに乗ります。 この時も彼を先に乗せるのがポイントで、今度は彼が一段下で女性が一段上となります。 ココで再び彼の肩を優しく叩いて振り向かせるのですが、今度は逆に彼が女性を見上げるようになります。

    そこで女性はすかさず~少し前かがみの状態になって彼の顔の前に女性の顔を持っていきます。 すると彼の顔と女性の顔の距離が15cm~30cmになりますが、実はこの距離と体制はキスを感じさせる距離と体制なんです。

    先ほどまで女性を感じさせなかったのに、急にキスの距離と体制に入ったことで第一で仕掛けた45度の表情と食事中にフランクだったギャップが頭を駆け巡り、男性は胸がドキドキしはじめます。

    この時に彼の体が少しでも「ピクッ!」とか「ハッ!」という感じで動いたら、この作戦は成功です。 この状態になれば釣り針にかかった魚と同じで、後は針が外れないように~糸が切れないように釣り上げるだけです。

    ただし、コレはあくまで「男性を落とす方法」であり、付き合うとか結婚と言う話とは別物だと言うことを認識してから実行してくださいね。

    更に詳しい方法が知りたいなら、お越しいただければタイプ別や場所別の口説き方&落とし方があります。 エレベーター編~映画館編~雨の傘作戦など、シチュエーション別にあります。 私が女性になりきって男性を口説き落とすのであれば、あの手この手と色々な方法を考えるので落とせない男性はいない、なぁ~んてのは冗談です。 (苦笑)

    あなたは男性がドキッとする瞬間、それを作り出すことができますか?

    チュッ! (* ^)(◎o◎)オヨヨ

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    偉いの意味。

    おはようございます。 寒さが一段と厳しくなってきていますが、素敵なお客様は今日も元気に笑顔で出勤できていると信じています。 あなたがいるから未来で喜ぶ人が大勢いるし、元気や勇気をもらえる人も大勢いる、そんな大切な人生を送ることができたらとても幸せだと思います。

    私はお客様にどうやって感謝すればいいのか分からないくらい、ものすごい大きな御恩があると思っているのですが、素敵なお客様がお越し下さるからこそ今の自分があると心より感謝しています。

    嘘偽りのない真面目な話ですが、昔の私はニートと言ってもいいくらいでしたし~いじめられて引きこもり状態で未来は真っ暗でした。 しかし、私の話に耳を傾けてくださる素敵なお客様がいることで、人生が180度変わってしまったと言ってもいいくらいです。

    私が占い師は謙虚に生きなければダメだと思うのは、占いと言うのは人の未来を見ることではあるけれど人生の指導者ではないからです。 お手伝いはできるかも知れないけれど、人に命令していいわけじゃありません。 しかし、世の中にはちょっと良い状態になると、急に態度がデカクなる人がいます。

    会社でもお店でも役職名で呼ばなければ怒る人は、自分の名前で勝負できない人と言うことの裏返しであり、役職名は認めてもらっていても個人では認めてもらっていないことに気が付いていないのです。

    経営者になってお金持ちになったり~会社で出世して役員や社長と名が付いたり、そうなると世間では偉くなったと言われることがあります。 周りが持ち上げてくれるようになると人はついつい偉くなったと勘違いしてしまうのですが、偉いというのは何を持って偉いと言うのを考えてみると、その人の個性が浮き彫りになって偉いの中身が決まってしまいます。

    お金を規準に考えている人は、「お金持ち」が偉い。
    出世を規準に考えている人は、「地位」が偉い。
    喜びを規準に考えている人は、「徳」が偉い。

    こうやって偉いと思う規準を考えてみると、人それぞれで個性があると思います。 ただし、これは良い悪いとか~正解不正解と言うことを言っているのではなく、人生において重要なことは何かを暗示しているのです。

    一番多いのがお金が急に入ってくることで舞い上がってしまい、自分は何でもできると思い込んでいる人で、男性がこうなると手が付けられなくなります。 親の会社だから跡を継いで自動的に社長になったのに、なんでも自分の命令を聞くと思っている二代目や三代目が多いことには驚きます。

    そういう場合は「ありがたみ」を感じないので、飲みに行くとか車を買うとか浮気をするなど、仕事以外に時間とお金を使ってしまうのです。

    コレはひとえに自分が偉くなったと勘違いする元、つまり見栄があるから自分が偉いと強調したくなってくるから余計に始末が悪いのです。 うまく行っている時は資金も回転して利益も出て問題なく行くのですが、一度躓くともう対処できずに「どうしよう?」となってしまい、そうなるとちやほやしてくれていた周りは途端に離れていきます。

    見栄を張って自分を良く見せようとするのは自分の私利私欲、誰も偉いとは思ってくれないのに、身につけているものや地位や役職で自分を大きく見せようとするから、張り子の虎や舞台セットのように裏へ回ると「中身がない」となってしまうのです。

    本当は社長なんか全然偉くないのですが、社長~社長と言われているうちに「周りが頭を下げてくれる」と勘違いしてしまうのです。 情けない社長と言うのは分かっていない社長と置き換えてもいいのですが、もしも給料を貰わずに働いてくれると言う従業員の人がいるなら、その社長は個人で勝負できるだけの魅力と実力があると言うことです。

    自分に自信のある社長は試してみればいいのですが、給料日当日に従業員の人を集めて「給料を払わないけど、嫌なら辞めてくれてもいい。」と言ってみれば自分の人間力が分かると思います。

    従業員の方々の思いを繋ぎとめて置けるだけの魅力を持っている社長と言うのは、100人にひとりいるかどうかのレベルで余り見かけません。 当たり前と言われれば当たり前なのですが、従業員の方々や取引先の方々が「社長~!、社長~!」と言って持ち上げてくれるのは、社長の魅力ではなく給料や売り上げと言うお金に対して言っているだけです。

    名古屋のある会社の社長は取引先が激減して、従業員を解雇せざるを得ないところまで来てしまい、従業員の方々を集めてちゃんと謝罪しました。 「すまない、俺がダメなばかりにウチはもう倒産する。 今月の給料も払えないから、みんなも生活があるから辞めてもらっていい。」と頭を下げました。

    ところが従業員はひとりも辞めず「社長、俺達の貯金を使ってください。」と言って、従業員の方々が自分の貯金を集めて資金提供してくれたおかげで倒産は免れたのです。 更に半年間は給料無しで働いたから、会社は立ち直ったのです。 後日談ですが、この社長は従業員の行動に感謝して会社が立ち直った後、従業員全員に「ベンツと家をプレゼント」すると約束して本当に実行しています。

    偉いと言っても、自分で言うのか~周りが認めてくれるのかでは、大きな差があります。

    あなたは自分なりの偉いの意味を、キチンと把握できていますか?

    (´~`ヾ) ぽりぽり・・・

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    田舎暮らし。

    おはようございます。 今日は朝から眩しい位の日差しが差し込む良い天気で、素敵な日曜日になると思います。 昨日は倉敷での忘年会を倉敷市昭和にある「お家ごはん」にて開催しましたが、サプライズゲストとしてボランティアの神様(N市のIさん)こと井上さんが名古屋より登場となりました。

    2次会も盛り上がりお客様も楽しんでいただけたようなので、来年も名古屋~倉敷~東京の3会場にて忘年会を開催したいと思います。 また、その席上にて私の生まれ育った環境など田舎についての話が出たので、今日の本題は「田舎」をキーワードに書いてみたいと思います。

    私はお客様が想像する以上の田舎で生まれ育ったので、当然のことながら都会に憧れます。 人は自分に無いモノを求めるので、自分が黒なら白と言う反対に興味が出るのは人として自然なことです。 都会で生まれ育った人が「田舎で暮らしたい」と思うのはよくわかるのですが、それはあくまで「快適な田舎暮らし」のことだと思います。

    田舎とは、農村~漁村~山村のように人口や住宅が少なく辺鄙な地域を言う言葉と、定義されています。 村落とは学術的な言葉であり、田舎や村などと言うのは少しくだけた言葉となります。

    実は田舎と言う言葉は、人口密集に伴い都市が発生するにしたがって登場したのです。 日本では飛鳥時代から奈良時代にかけて平城京などの大規模な都市が建設され、これらの都市の住民の中に都市住民としてのプライド(貴族層など)が生まれて、都市以外の地域や住民に対する優越意識が生んだ言葉なんです。 (万葉集にも書いてあります。)

    昔は平安京の外側は全部田舎と呼ばれ、鎌倉時代には「叡山、園城、高野」など重要な地域以外はすべて田舎と言われていました。 その後も近畿地方以外は全て田舎だった時代もあるし、田舎の概念は京都や江戸の都市住民により受け継がれていきました。

    明治維新に伴い京都から東京に首都機能が遷されると、高度経済成長期以降は東京への激しい一極集中が進んだせいで、東京と地方との間に大きな格差が起きました。 それもあって1970年頃までは、東京以外は全て「田舎」としてとらえる意識も見られました。

    しかし、1980年代以後は価値観の多様化や交通手段などの整備も進み、田舎と区別する意識は以前よりも弱まって、1990年代以後は田舎と都市を性格が異なるだけで同等の存在とする考えが次第に一般的となりました。 そして、都市住民の間に田舎に住んでみたいと言う動きが出始めて、自然の中でとか田舎暮らしなどの言葉が出始めたのです。

    基本的に田舎と言うことの定義は個人の主観による所が大きくて、田や畑が点在する地域は田舎と呼ばれますが、人口が多くても人間の営みが感じられない山岳森林地帯などは田舎と呼ばれます。 しかし、人口が少なくても交通網が発達してビルなどが多ければ都会と呼ばれているので、田舎に対する定義は主観と言ってもいいと思います。

    文字が示す通りであるならば、田舎は「田の舎」であるから農耕を営む建物とか農家などを意味するから、農村を田舎と言うのが本当になります。

    ただし、「いなか」という言葉の語源については、稲を作るの家と言う意味もあり~すなわちこれを「稲家(いなか)」とも呼んだ説もあります。 その他にも田や住居が混在する有様を「田居(たい)」と呼んで、田居が広がる地域を「田居中(たいなか)」と呼んでいたことから、頭の「田(た)」が略されて「いなか」と言う説もあります

    どれが本当かはわかりませんが、現代社会で使われている田舎と言う言葉は比較的新しい言葉としての意味となります。

    ただし、世界共通として「国(民族)」の文化(思考様式や行動様式、食生活など)が残っているのは、都市よりも田舎である場合が多いことも事実です。 田舎は閉鎖的で変化が少ないことから、伝統的な思考や行動がよく保存されています。 その為、都会に住む人は田舎暮らしを憬れとして見るかもしれません。

    しかし、ここでよく考えていただきたいのが田舎生活をしていて都会へ来た人が、都市から田舎へ回帰するUターン現象を起さずUターンの動きがあってもごく一部にとどまっています。 これが何を意味するのか…?

    おまけに現在では都会に流れた人口を移住という形ではなく、観光という形で田舎へ呼び返そうとしているのは田舎で生活することの難しさを表しているし、観光で引き付けないと来てくれないと言う裏返しでもあります。

    押入れを開けると蛇が居たとか寝ているとムカデが天井から落ちてきたなど、虫や爬虫類などに自分で対処できないと本当の田舎暮らしは無理です。 窓一面に蛾やヤモリなどが張り付いているのを見て驚いているようでも駄目ですし、トンネルを通る時に蝙蝠が壁一面に居るとか軒下に蜂の巣ができたりなど、こう言う部分がおのずと出てくるのです。

    私は田舎の出身なので我田引水がとてもよく理解できますが、この我田引水と言う言葉を理解しないままでの田舎暮らしは、理想と現実の落差にがっかりするかもしれません。

    あなたは理想と現実、その違いを理解できていますか?

    Σ(ノ°▽°)ノハウッ!

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    未来を変える。

    おはようございます。 今日が師走になって初めての週末ですが、今日のあなたも素敵な週末になる運命です。 あなたはきっと運が良いから素晴らしい週末になる、私はそう信じています。

    土曜日と言うこともあるので、たまには霊視関係の話もいいかなと思いまして、霊視に対することを少し書いてみたいと思います。 霊視と言っても視え方は千差万別であり、どれが正解とか言う問題では無いと思います。

    名前や生年月日を聞く霊視やスピリチュアルでも、それは方法(やり方)の違いであり霊視やスピリチュアルに代わりは無いのかもしれません。 霊視やスピリチュアルであるならば、何を持って霊視やスピリチュアルと言うのかが人により規準が違うだけです。 霊視は万能ではありませんし、ナンデモカンデモわかるわけではありません。

    また、霊視とかスピリチュアルの場合は何かが視えていると言うのがポイントで、視えているから直ぐに質疑応答へ入れるのです。 お客様よりお聞きした範囲内で言うと、私の霊視カウンセリングは他の先生方とは違う感じです。 何も聞かず直ぐに質疑応答へ入るので、御相談いただいた内容に対して「どうして?」と聞かれても説明が難しいです。

    私はお越しくださるお客様に恥をかかせるような真似は出来ないと思っているのですが、一流と言われている人達と同じ位置で霊視が出来ないようであれば、それはプロとしてのレベルに達していないことになってしまいます。

    東京で霊視カウンセリングをしていると、鏡リュウジさん~江原啓之さん~細木先生~銀座の母など、トップクラスの方々に鑑定してもらった経験のあるお客様に時々お会いします。 そうなると自動的にこの先生方と比べられるので、霊視の内容や占いのレベルが負けていると次から来ていただけません。 東京ですると言うのは、常に一流と比べられていることになります。

    そういうトップクラスに鑑定してもらったことがある人が私のところへ来て、「なぁ~んだ。 大したこと無いなぁ~。」と言われるようでは駄目だと思っています。 今のところは知名度においてトップクラスの先生方には遠く及ばないかもしれませんが、内容で遜色ないと思っていただけるようにしたいです。

    また、霊視で未来を視ることができることと~未来を変えることができること、これはお互いが別物で少し意味が違います。

    霊視にお越しくださるお客様の未来を視た時に、変えられる未来と変えられない未来があります。 変えられる未来の時にはいくらでもお話が出来るのですが、変えられない未来の時には余りお話しすることがありません。 それはひとつの道しかない~選択肢がない以上は選ぶしかないから、自動的に答えが出てしまうのです。

    人生において多大な影響があるなら別ですが、そうでない時には人は真剣になれません。 生きるか死ぬかの時なら真面目にできても、そうでない時は適当にして力をセーブしてしまいます。 しかし、いつもいつも真剣にしていると、精神も肉体も両方が無理をしすぎて取り返しがつかなくなるかもしれません。

    例えば、御結婚の相談であれば「結婚前にお越しくださる」と言うのが、ひとつのポイントです。 結婚前ならば「結婚する⇔しない」の二つの未来で選択が可能ですが、結婚が決まってからお越しくださる場合には、結婚後の未来しかお話できません。 結婚が決まっているのに、それ以外の未来の選択は無いからです。

    また、未来がわかっても無駄な時と言うのがたまにあります。 これは未来が分かっているけれど、今は何も出来ない場合を言います。

    例えば、「今は平穏無事だけれど、3年後にご主人が浮気します。」 こう言う場合には3年後には浮気をしているけれど、今は何もしていないから注意できないと言うことになります。 何もしていないのに「浮気しちゃ駄目よ。」と言ったら、逆に夫婦関係がギクシャクしてしまいます。

    霊視で未来を視れるのと未来を変えることが出来るのが別物なのは、自分のことなのか~相手のことなのかで中身が変わるからです。 自分の未来ならば努力によりナントカできることが多いのですが、相手のことは手も足も出ないのです。 相手の気持ちがどう変化するか、それは相手の心の問題であり自分は何も出来ないのです。

    未来は変えられる、これは嘘ではなく本当です。 自分の未来はいくらでも変えることが出来ますが、そこに誰かが絡んできて相手の気持ちを変えようとするなら「変わらない未来」へ突き進むことになるのです。

    誰でも自分の未来を知りたいと言う欲求はあるのですが、未来が確定していたらがっかりすると思います。 未来で起こることがわからないからワクワクするだけで、どうなるんだろうと言う期待感は必要です。

    あなたの未来はあなた自身でいくらでも変えられるけれど、選択肢を選ぶのは自分の決断です。

    あなたの未来は、あなた自身が作ることを気付いていますか?

    (。>。<。)ウッー

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    尊敬される。

    普通の人生を送っていると気付かないし、自分がされないと実感もわかないことのひとつに幼児虐待があります。 通常の親子であれば虐待されるところまでは行かないのですが、残念ながら虐待と思わずに虐待をする親が後を絶ちません。 しかし、いじめた方は忘れてもいじめられた方は忘れないの例え通りに、虐待された子供の方は一生消えない傷を心に負わされたことになるのです。

    いつまで経っても幼児虐待と言うのは無くならないのですが、どうして無くならないのかと言ったところで親として色々な人がいるからとしか言えないのが悲しいです。

    もう一度会いたいからと言っても、それが真夜中のごとく暗闇であればいつまで経っても夜があけない、心の扉が閉じたままになってしまうのです。 ひとりでは愛されないかもしれないけれど、ふたりでいるなら耐えられる、それが愛と言うものなんです。 愛があれば親子でも上手く行くはずで、親が子供を所有物のように扱うから子育てが難しくなるのです。

    結婚した時を思い出してみると「子供が欲しい」と言う状態から、「無事に子供が産まれて欲しい」と考えや想いが変化したはずです。

    それなのに産まれてからは、自分の思い通りの子供にならないと「何で出来ないんだ」とか「どうしてこうなのかしら?」など、自分が押し付けられたら嫌なはずなのに子供には押し付けると言う矛盾の中で、子育てを続けてしまうから親子のコミニュケーションが上手く行かなくなるのです。

    会えなければ辛くて悲しいと言う恋愛モードの時、会えるだけで幸せだったと言うのを思い出してください。

    それが親として目を覚ますと言うことでもあるのですが、親の思い通りの子供にはならないと言うのが前提で、それを親が理解していればいさかいが起こるはずなどありません。 親は子供より長く生きているのですから、経験が少ない子供の方に譲歩したり我慢したりすることが親として~人間として、成長していくと言うことに繋がるのです。

    自分の都合で子供を枠にはめてしまうのであれば、自分は親の思う通りの子供だったのかと言うのを自問自答してみてくださいね。

    自分の背中を子供に見せて恥かしくない教育が出来るのであれば、それだけで充分なんです。 それを他の誰かと比べることで自分の子供を評価するのは大間違いで、自分の子供が6歳の時に他の6歳の子供と同じことができなければ慌てる親が多いです。

    しかし、子供の成長と言うのは100人いれば100通りなので、全員が同じと言うことはありえないのです。 ありえないのに比べて自分の子供を成長が遅いなどと言うのは、子供の尊厳を傷つけているのに気付いていない親がすることです。

    6歳の時に6歳のことができなくても、20歳の時に40歳の人と同じことができれば、それでいいと思うのです。 私は知恵遅れとかバカなどと学校でも家でも言われ放題でしたが、今の私を見て自閉症とか知恵遅れなどと言う人はゼロです。 コレもひとえに素敵なお客様のおかげであり、富士山よりも大きな感謝の気持ちで一杯です。

    親がするべき教育と言うものは人それぞれなので、どれが正解で~どれが不正解と言うのはありませんが、「健康で他人に迷惑をかけない」 コレができていたら勉強がどうのとか~運動神経がどうだなど、余計なことを考えなくてもきちんと成長していくのです。

    人は誰しも押し付けられるとか命令されるのは嫌なのですが、自分が有利な立場になると気付かないうちにしてしまいます。

    学生時代に先輩から用事を押し付けられて嫌な思いをして、「自分が上級生になったらしない!」と思っていたのに、自分が上級生になったら自然と同じことをしていた、そういう時に矛盾を感じてむなしさを覚えた人は皆無だから歴史は繰り返されると言うのです。

    交わす言葉が足りないばかりに行き違いや誤解を生むのであれば、そばにいて支えてあげるだけと言う寄り添う愛もあるのです。

    彼と一緒に歩きたいと思った気持ちを守り続けて、それと同じく子供と一緒に自分も反省と成長を繰り返しながら人生を歩んでいけたなら、真実の親子愛が育つと思うのです。 嘘を吐かないで生きると言うのは苦しいもので、社会生活をしていると嘘やごまかしをしないといけない場合だってあります。

    それならそれで、自分の子供の前では嘘やごまかしのない姿を見せるのが親の責任と義務なんです。 思いと言うのは永遠に続くものであり、どこかで途切れてしまうと言うのは「忘れてもいい」と言うことです。 忘れてもいいと言うような思いではなく、忘れられない~もしくは忘れてはいけないと言う、心に残る記憶でなければ尊敬には昇格し得ないのです。

    親がキチンと生きていたら子供は自然と親を尊敬し始めるので、子供に尊敬される母親であるなら子供が道を間違えるはずはないし、間違えたところで元へ戻すのも簡単なんです。

    あなたは子供が目を輝かして尊敬する、そういう親になりたいと思いますか?

    エヘ(*^ ^)'-'*)ウフ

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    雇用の維持。

    私はいつも考えてしまうのですが、企業の人事担当者は人を見る目がないし~経営者は近未来の経済事情の予測すらできないのはとても不思議です。 昨今の雇用状況を見ていると呆れてしまうのですが、経営者は何を考えて会社の経営をしているのか、結局のところは自分の儲けとしか思えません。

    最近の派遣イジメや従業員の足切りによる失業者の増加は、目に余るものがあります。 雇用を維持できないのは経営者の才能が無いからで、従業員の人を自分達の都合の良いようにコキ使っておきながら、いらなくなれば保障も無しに「ハイ、さようなら~。」では酷すぎます。

    経営者たるもの言われなくても一番給料が高いのですが、何故給料が高いのかと言えば社員の雇用を維持する義務があるからです。 (他にも給料のUPとか社会への貢献なども、大切な義務がいくつもあります。)

    いくら不景気になろうとも会社の為に一生懸命に働いてくれているのだから、「社員が困っていれば助ける&従業員の方々の未来を明るく前向きになれるようにする」 それが経営者の本来とるべき行動ですが、今の雇用状況による失業者の増加を見ていると「経営者の方々は、何を考えているんですか?」と聞きたくなってしまいます。

    私は10月04日のブログに「サブプライム」と言う題で、近未来に起こることを書いています。 この時に書いてある内容は寄付の神様やN市のIさんと今年の4月頃に話していた内容なんですが、経営者は自動車産業の勢いが落ちてくると言うのを見抜けていなかったとしたら考えが甘すぎます。

    ココ1年ほどマスコミがサブプライム問題を取り上げていたので、それの尻馬に乗ってもっともらしい薀蓄を言う経営者が多かったのは結構ですが、日本の経済を支えているのは誰かと言うのを考えればサブプライム問題よりも、自動車産業が不景気になる方が大変なのは火を見るよりも明らかです。

    サブプライム問題は一部の投資家や汗水流さずお金を動かすだけで利益を得ている会社が「損した!」と騒いでいるだけで、実はサブプライム問題で儲けた人々が一杯いるのをマスコミは誰も報道しないのが不思議です。 コツコツと金融商品に手を出さずに地道に歩いている人は、アブク銭を儲けることも無い代わりに痛い目にも遭わないのです。

    サブプライムローンで儲けた人々と言うのは誰かと言えば、まずは建設会社なんですが住宅建設が一気に増えて景気が良くなりました。 この需要増加の利益を貯蓄の回しておいた建設会社は、今も悠々自適な生活をしています。 そして建設会社で働いている人々は給料なども上がり、生活レベルがアップして日常で使うお金も増えています。

    そして、ここぞとばかりに不動産会社は家や土地の流通が増加して、取引額や利益がうなぎ上りの状態でした。

    このようにサブプライムローンで恩恵を受けた人々や業種が一杯いるのに、「損した!」と言う報道ばかりがなされるのを間に受けている経営者が多いのです。 どうして間に受けるかと言えば、残念ながら目先のことしか見ていないから今になって慌てるのです。

    もしも冷静に経営判断できているならサブプライムなんかで大騒ぎもしないし、雇用も維持できずに従業員の方々を解雇するなんてこともしません。

    例えば、私の周りでも寄付の神様~N市のIさん~このHPの運営管理をしてくれているフォアサイトシステムなどは、雇用に関してでも人を減らすどころか増やそうと思案中だったりするので、今の日本で雇用を維持できない会社や首切りする会社の経営者はダメにも程があります。

    日本は侍の国とか武士道なんて言われているはずなのですが、その肝心のトップとも言うべきお殿様&大将である経営者が一番に助かろうとするのは、はなはだ疑問を感じてしまいます。 外国では船が沈む時に船長は最後まで残って、船と共に沈んでいく義務があると考えられています。 しかし、日本では船長が助かって船員やお客様が犠牲になることが多いです。

    コレはまさに今の状況に似ているのですが、雇用を守れないと言うのは経営者が一番に逃げ出しているのと同じです。

    景気が悪いと言う前に景気が悪くてもやっていける体制作りが重要ですが、そんなことは無理だとか~できないとか言う前に経営者たるもの世間を見ないといけないのです。 今の日本では景気が悪くても流行っているお店や忙しくて仕方がないと言う会社が一杯あり、そのお店や会社がどうやって存続しているのかの勉強をしないといけないのです。

    経営者と言うのは社員や従業員を守れないくらいであれば、さっさとその座を降りて後進に道を譲るべきです。 努力した人や一生懸命した人の苦労が報われる、そんな社会であって欲しいし~そんな人生であって欲しいと切に願うのです。

    あなたは自分の未来をかけるべき会社、それを見抜くことができますか?

    m (゜- ゜ ) カミサマHELP!

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    恋は不思議。

    おはようございます。 朝、事務所の掃除などをしてお客様をお迎えする準備をしていると、今日はどんな素敵なお客様なのかとワクワクドキドキしています。 それは恋する感じに似ているのかもしれませんが、私は毎日色々なお客様と出会える奇跡に感謝しています。

    そんな奇跡が起こると言うことを考えていると、いつも思うのは恋って不思議だと言うことです。 それは何故かと言えば、恋とはひとりではできないのに、悩むのはひとりで悩まないといけないのが不思議です。 恋はふたりでするものなのに、両思いよりも片思いの方が圧倒的に多いんです。

    「彼は私のこと、どう思っているのかな?」

    こう思い始めたら彼のことが頭から離れないようになり、彼のことで胸が締め付けられるような感じになり、そしてひとりで思い悩んでしまうのです。 思い悩んでも答えは出ないけれど、答えが出た時には良いか悪いかの結論が出ている時でもあるのです。

    答えを求めるのだけれど~出て欲しくない答え、恋とは不思議な感情が作り上げる心の中にある自分だけの世界なんです。

    しかし、恋とは罪作りだけれど~恋が勇気や元気を与えることもあるので、恋とは摩訶不思議な力を持っていると思うのです。 お越しになったお客様の思いを霊視していると、「素敵な恋をしていますね。」とか「辛い恋だけど、未来にチャンスがありますよ。」など、恋をしている女性は輝いています。

    恋をするとキレイになると言うのは、見た目だけではなく内面の変化もあるから素敵に見えるのです。 メイクや髪型だけでは光り輝く状態が続かず、一時的なもので終わってしまいます。 しかし、恋をして内面が輝き始めると活き活きしたオーラに変わり、見た目は変わらないけれど何かが違うと言う状態になり始めます。

    瞳の輝きも違うし~顔の表情も違うし、何かが違うと言う部分が輝きのほとんどを決めてしまうのです。 恋をしている女性が素敵と言うのは疑いの無いところですが、何故その後の運命が違ってきてしまうのでしょうか?

    ある女性は幸せになり~ある女性は不幸のどん底に落ちてしまう、この違いは何故起こるのかと言えば過去の行いがモノを言う場合がほとんどです。

    過去の行いと言うのは自分がしたことが自分に返ってくると言う基本ラインの部分でしたことなんですが、好きな人に断られるのは自分が過去に断ったことがあるか~もしくは自分が断る可能性があるか、このどちらかの人は辛い恋をすることになるかもしれません。

    好きは好きで~嫌いは嫌い、同じことが同じように返ってくるだけなので、恋は自分が作り出す結果から逆算して始まると言っても過言ではありません。 私は未来を逆算してみることが多いのですが、恋が上手く行かない人は暗い顔をしている未来からの道を視ることになるケースがほとんどです。

    暗い未来を選んで恋をしていたら、その恋は辛くて暗い恋になっても自分の選択した通りになっていっているのだから、誰にも止められないのです。 トキメク恋はトキメク未来を~悲しい恋は悲しい未来を、選択してから恋を始めているのです。

    私はお客様の恋愛相談に対して助言はできるけれど強制はできないので、苦しい恋や成就しない恋とわかっていても、想いの強さを留めることはできないのです。

    運命は変えられると言うのは、世の中には偶然とも言うべき奇跡が起こることがよくあります。 そして、その奇跡と言うのは一見するとピンチのような顔をしているのに、その仮面の下には恵比寿様のような微笑が待っているのです。

    恋に関する努力と言うのは、実るかどうか計算して行うものではなく、幾千の夜を越えるか分からないような想いの強さに比例するのです。

    残念ながら想うだけでは何も変わらないのですが、想いの強さが引き起こす行動と言うのは奇跡を起こすことが多いのです。 未来を作るのは時間かもしれませんが、想いを作るのは人だと思うし~人であって欲しいと願うのです。

    心を解き放つことができるのは恋に対する想いだけであり、それにブレーキをかけることは自分の想いに嘘を付くことになるのです。

    何もかも嫌になることがあるかもしれないけれど、あなたはひとりじゃないから恋ができているのです。 好きな人に対して何も出来ないでいる自分を責めなくても、好きと言う気持ちを持ち続けることはできているのだから、あなたは素敵な恋をしているのです。

    どんな辛いことがあっても恋をしているあなたは乗り越えられるし、その乗り越えた先に辿り着く未来は[FOR  YOU] つまり、あなたがいるからこそなんです。

    あなたが恋をしている姿は、あなただけが放つオーラと共にあるのです。 恋の答えを探していく~思う通りにならなくても探し続ける、解き放つ答えの中にあるのはあなたの素敵な想いだけなんです。

    あなたは抱きしめたくなるような、そんな素敵な恋をしていますか?

    (〃⊃ω⊂〃)キャイーン

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    忘年会。

    おはようございます。 日曜日は名古屋出張でしたが、昨日の午前中に帰ってきて午後より鑑定を再開しております。 名古屋での鑑定終了後は午後6時より忘年会で、ボランティアの神様ことN市のIさんも参加してくださいました。

    さて、この忘年会とは基本的に組織や集団が一年の終わりに、その一年間を振り返って労をねぎらう(嫌なことは忘れる)と共に、新たな一年に向けて気持ちを新たにする為に行われる年中行事のようなものです。 組織や集団と名がつけば成人以上の場合が多いので酒を酌み交わす宴会形式で行われることが多く、居酒屋や宴会場などでは新年会と並んで大きな需要を喚起する、早い話が儲け時でもあります。

    この忘年会の歴史ですが、日本に限定すると鎌倉時代~もしくは室町時代頃に始まったとされているのですが、そのころは和歌を詠むなど静かで厳かな内容だったといわれています。 江戸時代には特権階級の人々が、表(世間)にバレナイようにドンチャン騒ぎをして一年の憂さを晴らす行事になったようです。

    また、近代の忘年会がお祭りムードに変化してきたのは明治時代からで、無礼講などのキャッチフレーズで広まったのです。

    ここで無礼講に触れてみたいと思いますが、「ぶれいこう」とは忘年会~新年会を始めとする飲み会などの席において、上役の者や先輩などが「身分に関係なく酒を楽しもう」という趣旨で発言する言葉です。 基本的に目上の者が目下に向かって発する言葉で、その言葉が発せられた飲み会そのものを指すばあいもあります。

    ただし、「楽しんで欲しい」という意図から形式的に述べられるだけの場合もあり、その場合は気をつけないと行動や立ち振る舞い方によっては上司~部下~先輩~後輩、さらに同期社員との人間関係に影響を及ぼす恐れもあります。

    無礼講とは形式的に述べられる「お約束の言葉」で、必ずしも無礼講とは限らないので宴会の席では状況を把握した上で、過剰にならない程度にマナーや礼儀はキチンと振舞うことが求められるのが社会人として当たり前です。 しかし、過密スケジュールなど高負荷がかかるような部署ではストレスを解消させて効率の回復を狙う必要もあるので、行き過ぎた態度があっても不快に思わない程度の上司の器量と言うのは必要となります。

    忘年会で「一年の憂さを晴らす」と言う意味合いが加わるのは、先ほど書いたように江戸時代からです。 それを示す文献があるのですが「忠臣蔵の討ち入りが成功したのは、吉良家の忘年会後の寝込みを襲ったから」と書かれているからです。

    ただし、当時はあくまで特権階級の儀式なので、無礼講や無茶苦茶主義と言うような現代の様式になってくるのは、やはり明治時代からです。 明治時代に書かれた坪内逍遙の小説「忘年会」に、学生たちの忘年会の様子が「声高な議論と沸くような笑い声、歌舞音曲に、お酌をする芸妓、そして何よりも大酒」と描かれているのです。

    昭和になると、企業忘年会が中心となって大きな盛り上がりを見せ始めます。 特に戦後は温泉地まで足を延ばして行うなど、規模も予算も拡大傾向にあります。 そして忘年会フィーバーは70年代半ばにピークを迎えて、男性社員だけではなく女子社員の参加も徐々に進み始めました。

    実はこの企業忘年会が栄えると同時に「お座敷離れ」が始まり、伝統的な芸者宴会の衰退へ繋がっているのです。 なお、忘年会というのは日本独特の行事のようですが、江戸時代の武士は忘れると言う言葉を嫌ったので、「新年会」の方を大事にして主君への忠誠を誓うものとしていたようです。

    また、明治時代にいち早く忘年会を度々開催していたのは誰かと言えば、政府の官僚がにぎやかに開いていたのです。 当時から官僚はボーナスが出た頃に集まって、会を開いていたと言う記録があるのです。

    「忘年会」と言う言葉が一般的になったのは明治時代後半で、夏目漱石が明治後半に書いた「我輩は猫である」に、特に注釈もなく「忘年会」という言葉が普通に使われているので、この時には忘年会もかなり普及していたと思われます。

    ついでに「新年会」の補足ですが、「新年会」は一年の最初に行われる学校や職場などの団体行事を言います。 一般的に一年の始まりを祝う行事で、酒を酌み交わしたりして、新年の挨拶を交わすことが多いです。 企業などでは仕事始めに臨んで、経営方針や目標などを定める場にすることが多いようです。

    最後に…、11月1日のブログで募集した時に「開催場所によっては会費が2~3千円かかります。」とありましたが、アレはいたずら防止の為に書いていただけで実際は無料招待です。 このたびは3会場ともご応募いただき、本当にありがとうございました。 m(__)m

    あなたは忘年会の始まりを、どんな風に考えていましたか?

    (_´ω`) アイーン

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