徒然草(岡山・東京・山崎かずみ)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    大晦日。

    おはようございます。 月曜日の朝に名古屋より帰ってきたのですが、ニュースでも報道されたように月曜日の朝はJR東のシステムトラブル発生により始発から新幹線が5路線がストップしました。 ただし、私が乗った名古屋~岡山間の新幹線は動いていたので、無事に帰ってくることができました。

    「私が乗った新幹線は止まらない」と言いつつ止まったら「恥ずかしい~!」となるところでしたが、今年も最後まで本当にラッキーでした。 しかし、この幸運もひとえに素敵なお客様のご支援とご愛顧のおかげで、コレは私の力ではなく素敵なお客様にお会いできるからこそだと思います。

    なお、昨日は逆に東海道新幹線が止まったようですが、年末の帰省の方は大変だと思います。

    さて、月曜日に帰って来れていたのに、何故昨日はブログを更新しなかったのかと言う理由ですが、この年末はおかげさまで忙しくて事務所の大掃除などができない為、昨日の早朝は整理整頓や大掃除などの時間に充てさせていただきました。 元旦より予約が入っているので、今のうちに掃除をしてお客様をキレイなところへお迎えしたいと思います。

    今日は大晦日ですが、今年はどのような一年だとか振り返る人も多いと思います。 私はとても幸せな一年でしたが、コレもひとえに素敵なお客様のおかげで大変お世話になりました。 素敵なお客様に次々とお越しいただけるなんて、事務所を構えてからの今年一年の私はとても幸せです。

    幸せと言うのは素敵なお客様のおかげであり、私はお客様のおかげで生きていけるのです。 私の力ではなく素敵なお客様のご支援とご愛顧により、盲導犬などへの支援もできています。 その気持ちを裏切らないように占い師や霊視カウンセラーとしても、恥ずかしくない生き方を今後も続けていきたいと思います。

    人は上手く行き始めるとつい調子に乗ったりして、自分の足元を見失ってしまうものです。 しかし、私は今後どのような立場になろうとも、素敵なお客様と共に歩んでいきたいと思います。 有名になったからと言って一般の人を相手にしないようなことはできませんし、お金を払って雑誌に乗せてもらうようなヤラセもしたくはありません。

    人の人生は儚いものですが、今と言う時間を未来へ向かって歩いていける喜びはお客様と共にあるのです。

    人には色々な人生があり、それはヒトコトでは言い表せません。 あなたの人生には辛いことや悲しいことがあるかもしれませんが、その先にはきっと嬉しいことや楽しいことが一杯あるのです。

    何もできないと思うかもしれないけれど、私のところへくると言うのはちゃんと一歩が踏み出せている証拠です。 あなたの人生や未来にどんな辛いことがあっても受け止めて、あなたと一緒になって悲しんだり喜んだりできる、そんな霊視カウンセラーでありたいと思います。

    注:予約は大晦日でも元日でも受け付けておりますので、元日よりお越しくださるお客様をワクワクドキドキしながらお待ちいたしております。 いつもご予約いただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

    今年も一年と言う時間を過ごしてみて、良いことも悪いこともあったと思います。 来年は「どんな年になるのか?」と言うのではなく、「来年はどんな良い年になるのか?」と言う気持ちで新年をお迎えしていただきたいと思います。

    あなたの未来はきっと明るいからこそ、今と言う時を生きているのだと思います。

    あなたの来年は、どんな良い年になると思いますか?

    (*^m^*) ムフッ

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    恩返し。

    誰かに助けてもらったと言うのは心に残るものですが、誰かを助けたと言うのは意外と忘れてしまいます。 いじめた方は忘れるけれどいじめられた方は覚えているのと同じで、してもらったことの恩義と言うのは心に深く残るものです。 その恩義を返すことは自分の中に心残りを作らないことで、それが残っている時は胸にモヤモヤしたものが残ると思うのです。

    あるところにEさんと言う女性がいて、同じ部署の上司であるKさんのことをずっと好きでした。 しかし、Kさんには奥様がいるので、その思いは秘かに胸に秘めたままでした。

    同じ部署で働いている以上は目に入るKさんの姿、Eさんはつい目で追いかけてしまうのですが奥様がいる人に告白するなんてできない。 残業して帰りが一緒の時は「食事に行きませんか?」 こうヒトコト言えたらいいのに、言えないEさんでした。

    そんなある日のこと、給湯室でお茶の準備をしていると「あれっ、ひょっとしてEちゃん?」と言う声が聞こえました。 視線を移すと目の前にいるのはキレイでスラッとした女性が立っていて、Eさんは「素敵な人だけど、誰…?」とわかりませんでした。

    すると、「分からない? 昔あなたと家が近所だったHよ。」 Eさんは「あっ、Hちゃん!」と急に記憶がよみがえって懐かしさも手伝ったのか話も弾み、また連絡を取る約束をしました。

    Eさんは少し気分が良くなって、その日の残業は何故か苦になりませんでした。 おまけに次々と人が帰っていく中、最後まで残っているのは気が付くとEさんとKさんのふたりだけで、Kさんが「Eさん、そろそろ帰ろう。」と声を掛けてくれました。 EさんはKさんとふたりなんて夢見たいと、ウキウキしながら駅まで歩いていると突然Hさんが現れました。

    「あっ、Eちゃん。」 Eさんはびっくりして、「Hちゃん、どうしたの?」 「うん、今帰るとこなんだけど、ご飯食べに行こう。 あっ、そちらの方もご一緒にいかが?」 Hさんはテキパキと話を勧めていき、あっという間に3人で食事することになりました。 EさんはアレほどKさんと食事したいと願っていたのが、いきなり叶ってしまい呆気に取られていました。

    Eさんは食事と会話を楽しみながら、「なんだかHちゃん、昔とはずいぶん変わったなぁ~。」 Hさんは小さい時は病弱で入院を繰り返していて、Eさんはよくお見舞いに行っていました。 ふたりはとても仲が良かったのですが、Hちゃんの病気療養の為に中学の時に引っ越してしまいました。 しばらくは手紙のやり取りをしていたのですが、いつの頃からかそれも無くなっていました。 それが偶然再会して~グイグイ引っ張られて、いつのまにかKさんと食事しているなんて…。

    するといきなりHさんが「Kさん、あなた一人暮らしでしょ?」 Eさんは慌てて「Kさんは奥様がいるのよ。」と打ち消すとHさんが「いいえ、女のカンは鋭いのよ。 Kさん、あなた今一人暮らしじゃないの?」 更に突っ込むとKさんは苦笑いしながら、何故か自分のことを話し始めました。

    普段は自分のことを言わないKさんが妙に饒舌で、奥様とは離婚協議中とか実家を継ぐかもしれないなど、今まで知らなかったKさんのプライベートをEさんは知ることができました。

    食事の後、Kさんと別れてEさんとHさんはふたりで場所を変えて、飲むことになりました。 そこで何故かHさんはEさんに「好きなんでしょ、だったら告白しなさい。」と、心を見透かされたようなことを言われて、「積極的に行かなきゃ、恋は終わってからじゃ遅いのよ。」 何故かEさんはHさんの話に聞き入ってしまい、「今、告白しなきゃ。」 急に胸がドキドキして、言わなければいけないような気がしはじめたそうです。

    翌日EさんはKさんが帰る時間まで待って、ふたりきりになった時に脈絡もなく突然だったのに「Kさん、Kさんのことが好きです。」 突然の告白にKさんは驚いたそうですが、「妻と離婚が成立したら、キミとのことをちゃんと考えたいと思う。 前から気になっていたんだ。」 いきなりだったのに、Kさんも私のことを…。

    EさんはKさんの言葉を聞いた瞬間に嬉しくて嬉しくて、「Hちゃんのおかげかな、連絡してお礼言わなくちゃ。」 Hさんと再開してから2日しか経っていないのに、なんだか全然違う自分がいるような気がして何かが変わり始めているような気がしたEさんです。

    Eさんは嬉しくて家で母親に、「お母さん、Hちゃんと再会してから何だか良いことばっかり!」 ニコニコして話すと母親は「E、何を言ってるの? Hちゃんは引っ越ししてから亡くなったのよ、思春期のオマエに伝えるのは酷だと思って言わなかったけど。」 Eさんは驚いて「ウソ、だって私昨日会ったもん。 Hちゃんとご飯食べに行ったもん。」

    しかし、Hさんの実家に問い合わせてみると確かにHさんは亡くなっていて、ワケがわからなくなったEさんは私のところへ御相談に来られたのです。 Eさんを霊視してみると何故かHさんらしき女性も一緒に事務所へきていて、Hさんの方も伝えたいことがあったようです。 HさんがEさんに伝えたかったメッセージとは…?

    HさんはEさんにものすごく恩を感じていたのですが、それはEさんだけがいじめずに仲良くしてくれたからだそうです。 Hさんは退院しても「病気が移る!」などいじめられていたので、いつも話し相手になって助けてくれていたEさんのことを親友だと思っていたのです。

    「たったそれだけのことで?」 Eさんからすると普通に接していただけなのに、Hさんは嬉しくて嬉しくてずっと覚えていたそうです。 Hさんはいつも優しくしてくれていたEさんにいつか恩返しをしたいと思っていて、その恩返しの機会が「Kさんの恋を実らせること」 それが自分に出来ることだと、Hさんは思っていたようです。

    メッセージを聞いたEさんは、涙が止まりませんでした。 Hさんの実家へ行ってお線香を上げてお墓参りもしたいと、EさんはHさんへの思いを胸に秘めてお帰りになりました。

    人の心を喜ばせると必ずあなたの心も喜ぶような出来事があり、見返りを求めてはいけないけれど知らない間に恩返しはあるのです。

    あなたは誰かの心に残る、素敵な思い出を刻んでいますか?

    (。>_<。) ウンウン!



    お知らせ:出張の為ブログの更新はお休みして、31日(水)より更新再開となります。 お手数をお掛けいたしますが、よろしくお願い申し上げます。 なお、予約受付と鑑定は大晦日も元日もしておりますので、お客様のお越しをお待ちいたしております。 m(__)m

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    成功。

    成功への道は自分が思った範囲で決まるものなので、何を持って成功と言うのかにも寄ります。 ただし、お金やモノがあるのが成功とは呼べないのですが、どうしてもそれを成功と考えてしまうのは人と比べるからです。

    会社の同僚が家を建てたとか学生時代の同級生が結婚したなど、人と自分の人生を比べて同じようになりたいと思うのが成功を遠ざける理由のひとつです。

    基本的に人間は空気と水と食料があって、アトは雨露凌いで健康であるなら幸せです。 「立って半畳、寝て一畳」と言う言葉があるように、人間の占有する部分はたかが知れています。 大きな宮殿のような家を作っても誰も尋ねてこないし、一人ぼっちでいる裸の王様では悲しいだけです。

    同じ成功すると言うのなら、いつでもどこでも声を掛けられたり~声を掛けたり、人とのかかわりを持ち自分の信念を貫き通す方が、本当の成功と言えるのではないかと思うのです。 自分ひとりが幸福でいて周りに誰もいないよりも、自分も周りも幸福で色々な交流がある方が寂しい思いをしないと思います。

    しかし、この考えになる前の私は親の借金とか田舎の見栄っ張り根性もあって、やはり家を建てたり~車を買ったりと言うのが幸せだと信じていた時代もありました。

    周りが損得勘定ばかりしていて、車を買ったとか家を建てたなどが休み時間における会話の中心でした。 マザーテレサや寄付の話をしたら「アホか、何で自分が稼いだ金を人にやらにゃいけんのんなら。」と言われて「寄付するなんて、山崎は頭がおかしい」と言われていた時代です。

    今から考えると周りに迎合していた自分を思うとお恥ずかしい限りですが、周りの考えに同調しないとイジメに遭うと言うのが社会の仕組みです。 これを変えることは出来ないのですが、自分がそういう環境から抜け出して信念を貫ける位置に行くことは可能です。

    私が地元で工場や建設現場で働いていた時の考えと、倉敷で霊視カウンセリングを始めてからでは、生きている価値と言うか人生の重さが全然違ってきた感じがしています。 もしも、私が今のようになっていなければ、アフリカの子供は小学校に行けていないし~盲導犬育成の協力もできていません。

    これは周りの環境が変わったからできることですが、もしも私が途中でくじけていたら今頃はどうなっていたか恐ろしいくらいです。 あのまま地元の工場に勤めていたらひょっとしてイジメに耐え切れずに自殺していたかもしれないし、建設現場時代にはもしかしてブレーキが利かず○○○に入っていたかもしれない。

    お金やモノと言う面で成功と感じる人と相手の幸せを喜んで満足を得る人では、水と油のように混ざることはありません。

    どちらが正解とか不正解と言う問題ではなく、生きてきた人生が未来への考え方を作る以上、歩んできた人生が違うから考え方も違うとしか言えないのです。 成功とは100人いれば100通りの成功があり、どれを持って成功かと言えば本人が満足したら成功となります。

    ただし、成功の規準をお金やモノにおいている人は満足を得ることはできません。

    家を建てることができても、知り合いが自分以上の家を建てたら途端にテンションが下がります。 ベンツを買ってウキウキしていても、知り合いがベンツに加えてロールスロイスやフェラーリを乗り回していたら悔しいかもしれない。

    お金にしても同じことですが、仮に1000万円貯めて喜んでいたとします。 しかし、会社の同僚が1500万円貯めていることがわかると、自分もお金を持っているのに満足から不満足へ気持ちが急降下するかもしれません。 このようにお金やモノはいくら追いかけても、いつまで経っても上には上がいます。

    ところが、幸せの規準を人が喜ぶことにおいていると、いくらでも楽しめるようになります。

    あなたが笑顔でいることで元気になれる人がいるとか、あなたと話をすることで生きる目標ができたなど、誰かの人生に関わると言うことは心のアルバムが一つ増えることになります。 お金や物は増えたり減ったりするものですが、信頼や信用と言うのは積み重なっていくのです。

    心に元気を与えると言うのは目に見えない貯金を自分と相手にしているのだから、2倍の速度で貯金できます。

    今の自分の顔を鏡に映してみて「疲れているなぁ」と思ったら、自分がやりたいことができていない証拠です。 今日だけと言うかもしれませんが、やりたいことをしている人は1年中どんな時でも疲れなんて無縁です。 本当にやりたいことであればやればやるほど元気になれるから、やっている過程自体が成功と言っていいと思うのです。

    あなたは自分の成功と言う規準を、どの辺においていますか?

    (=´∇`=) ニャン♪

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    お金の使い方。

    おはようございます。 いよいよ年末となってきましたが、年末と言えば小さい時の記憶がよみがえります。 年末になると父親が無計画に見栄を張って色々な買い物ばかりしていたので、その借金の取立てが次々と家に来ていたから年末が嫌で嫌で仕方がありませんでした。

    年末はお金の使い方の総決算がでるのですが、年末にお金が無いと言うのは自分の過去を振り返ってみると原因がよくわかります。 キチンと働いて計画的にお金を貯めている人が、年末にお金に困ることはありません。

    お金の使い方が上手くできている人は、運が良いと言うのはある意味真実です。 寄付の神様やN市のIさんなどは、活きたお金の使い方をしているのでちゃんと運が味方をしてくれています。 この二人がお金に困ることもなければ、寄付しなくなる未来もありません。

    最近で言うと、このHPの管理運営をしてくれているフォアサイトシステムも、何故か分からないほど調子が良いのは利益還元に意識が行き始めたからです。 発展すればするほど寄付やボランティアをするのだから、途中投げしない限りは未来のソフトバンクになっても不思議ではありません。

    仁や儀があるならば、お金はいくら儲けてもいいんです。 ただし、お金を儲けたら使う内容も考えないと、自分のことにだけ使うのでは儲けた意味がありません。 (ただし、私利私欲に走る人は私のところへ来る気にもならないし、このブログを読むこともないと思います。)

    人には色々な考え方があるので仕方がない部分ではありますが、自分が儲けたのに何で他人に出さないといけないのかと言う気持ちがある人は、小金持ちと言うか~成金レベルで終わってしまいます。 しかし、大金持ちと呼ばれるレベルの人は自分のところに集まる富を分配して、それにより喜ぶ人がいるのを自然と理解しているのです。

    コレは口で説明するのは難しいのですが、仕組み作りと言うのが一番効果的なのです。 言うなればトップセールスマンがいる会社はトップセールスマンが会社を辞めてしまうと、もうそこで手も足も出なくなります。

    ところがトップセールスの仕組み作りができていると、誰でも仕組みを理解できたらトップセールスができるようになるのです。

    コレと同じように「会社が儲かれば寄付」と言う仕組み作りができていると、運命の方も寄付しない会社よりは寄付する会社の方を自然と応援するようになります。 自分が儲けることにより助かる人がいるとか、自分が儲かることで笑顔になる人が増えると言うのを喜びにしていると運が悪くなるなんて考えなくなります。

    このお金の使い方と言うのは性格や思想が滲み出るので、意識的に変えない限りは難しいのです。 その中でもセコイ人と言うのがドコにでもいるモノですが、このセコイと言うのはどうにもならないので関わることすら止めた方がいいです。

    セコイ例として11月の東京出張中に起きた出来事ですが、朝食(2日目)を食べている時にある男性が9割方食べてから席を立ってどこかへ行ってしまいました。 10分ほどして返ってきたのですが、9割方食べていて10分も返ってこなければ食堂の人も片付けます。

    片付けたのを見た男性は「食べてる途中なのに、何で片付けたんだ!」と、食堂の人に文句を言い始めたのです。 ホテル側もトラブルを防ぐ為に再び食事を用意して男性の怒りは収まったのですが、その男性は9割方食べると再び席を外しました。

    10分ほど経過したところで食堂の人も片付けたのですが、朝は誰でも忙しいし9割方食べているのだから席を立って戻ってこなければ片付けるのは当たり前です。

    しかし、その男性はマタマタ帰って来て文句を付けようとしたので私ともう一人の男性が注意しようと立ち上がると、その雰囲気を察知して「おい、コーヒーは飲んでもいいのか!」と今度は飲み物を要求し始めました。 食堂の人は「はい、ご自由にどうぞ。」と言うと、何とその男性は私が見ていた間だけでコーヒーを5杯飲んだのです。

    この男性の年齢は60歳くらいでしたが、「お金を払えば何をしてもいい。」とか「俺は金を払っている客だぞ。」などと言う態度がありありと滲み出ていて情けなくなります。 (しかし、朝から2食も食べてコーヒーを5杯以上飲んで、まだお腹が減ったと言うなんてある意味凄い男性です。)

    その次の日(3日目)の朝も情けない男性の姿を見てしまったのですが、今度は何度も何度も御飯と味噌汁のオカワリを要求する男性がいて、「朝からナンボ食うねん!」と呆れてしまいました。 何度もオカワリと言うから食堂の人も最後には、「日本昔話のような山盛り」を丼についでいました。 (笑)

    ちなみにその男性はチェックアウトの時にフロントで、「俺は来月も泊まるんだから、割引しろ!」とフロントの人に要求していました。 「俺は慶応大学出身でOB会で利用してやっているんだぞ!」と大声でうるさいことですが、冗談で言っているにしても品が無い男性だからフロントの方も大変です。

    私はお金を支払う時に「お金を払えば何をしても許される」と言う考えは、経済成長における日本の悪い文化だと思います。 団塊の世代を責めたくはありませんが、年配の方のマナーの悪さは目に余るモノがあります。

    お金を出すと言っても支払うマナーと言うのもあり、お金を投げて渡すとか暴言を吐くなどと言うのは、お金に使われている人がすることだと思うのです。 お金をキチンと正しく使うことが大切であり、お金によって不幸ではなく幸せを感じる人が増えていくことが理想だと思うのです。

    占い師を例に取ってみても寄付もしない人間性や思想で他人の未来を占うなんて、良い結果になるわけがありません。 人に道を説くのであれば、まず自分が正しく清い道を歩まなければ、その資格がありません。 (ただし、コレは私の個人的意見です。)

    あなたはお金の使い方について、どのように考えていましたか?

    ヾ(@^▽^@)ノ アルアル~!

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    上品。

    おはようございます。 昨日の午前中に帰って来て、午後より鑑定を再開しています。 今回の東京出張も素晴らしい方々ばかりで、本当にありがとうございます。 1月の東京出張の予約受付は12月26日(金)の夜8時より開始となりますので、素敵なお客様の御予約をお待ちいたしております。

    閑話休題…。

    お勤めをしていれば上司やオーナーに不満が出てくることもあるでしょうが、私もお勤めをしていたのでよく理解できます。 ただし、私は転職を勧めるタイプですし~独立を進めるタイプでもあるので、我慢のしすぎはよくないと思っています。

    石の上にも3年とか言って「若い人は我慢が足りない」と言うような話を、学校の先生や上司の立場にある人はされますが、3年も座られたら迷惑するのは石の方です。 確かに技術や知識の習得の為には我慢も必要ですが、自分の才能に合っていない道で我慢を強いるのは余りよくないと思うのです。

    私は例え話でよくするのですが、尊敬できる上司や社長の下で働いたなら得る物は大きいし会社を辞めたいとは思わないのです。 オーナーや社長の立場にある人は自分の行いを振り返らないといけないのですが、会社やお店を辞めたいと言う人が社員や従業員の中にいたなら2つの反省をしないといけないのです。

    ひとつめは会社に合わない人を雇用したことで、その社員の大切な時間(未来)を無駄にしてしまったという反省です。 これは人を見抜く目がないのが一番の反省点なのですが、雇用すると言うことは相手の人生に責任を持つと言うことなので、その人生を狂わせてしまった自分の見る目の無さを反省しないといけないのです。

    ふたつめは会社や社長自身に魅力がないと言うことで、会社に残りたいと言う気持ちにならないから辞めて行くのです。 もしも社長に魅力があれば、辞めたいなんて気持ちにはならないからです。 人間関係が悪くなるのも社長の目が行き届かないなんて言い訳をする前に、社長の理念や信念を尊敬してくれる人がいないから箍が緩んでくると言うのを反省しないといけないのです。

    上品と下品と言う言葉がありますが、まさにこれがひととなりを表すのです。

    下品と言うのは、品格がないこと。
    上品と言うのは、品格があること。

    品格とは言葉で表すのは難しいけれど、物事をしていやらしさが目立つのは品格や品位がないから起こりうることなのです。 その人やその物に感じられる気高さや上品さがあれば、人は敬意を払ったり~納得せざるを得なくなるのです。

    寄付を例にとってわかりやすく言えば、年末になると県庁にTVカメラを呼んで寄付するところをニュースで放映してもらう会社や団体が次々出てきます。 普段は寄付も何もしていないのに、年末になればTVカメラの前で企業名や団体名を言って自社のイメージアップに努めるのが正しいのかどうかは意見の分かれるところです。

    私はまだまだ未熟者ゆえ、こう言うことをするのは真のボランティアではなく売名行為にしか視えないのです。 ところが上品な人や品格の素晴らしい人は、それすらも浄化してしまう懐の豊かさがあります。

    この件について私は未熟だと気付かされたのは、寄付の神様の懐の深さを思い知らされたからです。 寄付の神様の自宅にお邪魔していた時に、年末好例の「TVカメラの前では寄付をする会社や団体」をニュースで放映していました。

    その時に「TVカメラの前でないと寄付できないのは、本物じゃないですよね。」と私が言ったところ、「山崎さん、TVカメラの前だろうと売名行為だろうと、寄付するだけマシと考えなさい。 もしかして、それをすることにより本当に寄付する気持ちが生まれるかもしれない。 寄付の中身はどうであれ、行動するだけマシです。」 こう言われたのです。

    「やらない善より、やる偽善。」 この時に私は自分の考えを恥じたのですが、売名行為でも何でも寄付すると言う一歩を記したのだからマシだと考えなければならないし、寄付される側は「どのような形であれ助かる」と言う現実があるのを感じた瞬間でした。

    人は自分が苦しい時には腰を低くするけれど、自分が楽になると天狗になって相手の気持ちを考えなくなります。 自分が少し有利になったから~自分が大手企業と取引しているから、それだけで他の誰かを馬鹿にしていいわけじゃないのです。

    あのトヨタ自動車が良い例ですが、「トヨタ自動車が初の赤字!」などと言ってマスコミが騒いでいます。 しかし、来年トヨタ自動車が倒産していると思う人はいませんし、トヨタ自動車は無借金経営に加えて預金残高が国家予算の何十倍もあることをマスコミは忘れています。 (トヨタ自動車がバブルの時に、どれだけ稼いだと思いますか?)

    それよりも赤字になったのを、「どうして、わざわざ年末に発表したのか?」 この理由に気が付かない人は、トヨタ自動車の戦略にいいようにやられてしまうのです。 トヨタ自動車はさすが上手い戦略を立てるもんだと感心しますが、この赤字は「帳面上の作られた赤字」です。

    この発表の狙いは「派遣切りの非難を交わす&賃金アップの抑制」に加えて、日本は殿様の国だから血筋や系列を大事にする為、「いまこそ創業家を旗印に一丸となって~!」と言うような雰囲気作りをしているのです。 トップ企業は儲ける為にはなりふり構わない戦略が次々生まれる土壌があるのですが、コレを上品と思うかどうかは個人差により違ってきます。

    あなたは自分の中にある品格に、心意気と気高さを持ち合わせていますか?

    (☆゜o゜)ハッ トシテ d(>_・ )グッ!

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    意志。

    よく言われることですが思うと言うことにより、あなたの素敵な未来を作り出すことが多々あります。 お店を出したい~資格を取りたい~○○したいなど、思うだけなら力もお金も技術も~何もいらないんです。

    人は行動する前には、必ず思考状態を経て行動に移ります。 熱い物に触ったなどの反射的な行動は別として、自分がこれからすることはどうやればいいかをまず考えます。 そこで成功と失敗に分かれるのは、気持ちに思いを込められるかどうかなんです。 思うだけなら何もいらないのは事実ですが、思わなければ始まらないのです。

    何かを強く思う気持ちとお願い事を念じる、これは似て異なるモノです。 お願い事を念じると言うのは、自分は何もせずに叶えばいいと言う他力本願です。 ところが、何かを強く思う気持ちと言うのは、自然と体が動き始めて何かをしなければ落ち着かない、つまり自力本願なんです。

    素敵なあなたには素晴らしい未来があると言うのはウソではなく、あなたが叶える楽しいワクワクした未来なんです。

    確かに世の中には可能なことと不可能なことがありますが、不可能と言うのは神様が決めることです。 そして、その神様が決めた不可能を打ち破り、可能にすることが人としての生き様だと思うのです。

    ある女性は指が欠損していて7本しかありませんが、将来の夢はピアニストです。 そしてコンクールで賞が取れない時には、指が無いからではなく自分の努力が足りないからだと考えて練習を増やしています。 これは神様が与えた試練を人間の努力が乗り越えようとしているからこそ、彼女の心は折れずに前に進んでいけるのです。

    オリンピック(五輪)を例に取ると、「五輪へ行けたら良いなぁ。」と考えるのは他力本願で、「五輪へ行く。」と言うのは自力本願になります。 これは意識の問題なのですが、日本代表になれたらと思うようでは五輪で勝つことは難しいと思います。

    五輪に出るのは当たり前だから、当たり前のことを手抜きせずにして勝つべき時は何があろうとも勝つ。 こう考えることができて、初めて金メダルを取る資格が出来るのです。 金メダルを取る選手は、勝ち負け以前に取るのは当たり前だからどういう取り方をするのか、そこまでイメージできるほどに自分を鍛えながらも追い込んでいるのです。

    これは「オリンピック級の選手だから…。」と思うかもしれませんが、ひとつのことに専念しようと思う気持ちがあれば何でも出来ると思うのです。 誰でも最初は初心者なのですから、上手くできなくても当たり前です。 その出来なくても当たり前の時からどれだけ専念できるか、それがその後の運命を決めてしまうのです。

    何の世界でも、ひとつのことに専念して続ける意志の強さは素晴らしいです。 意志の力こそが未来を招くのであり、その意志の強さは「好き」だからこそ出てくるのです。 この好きと言う気持ちを常に持ち続けて、未来における自分を好きになればいいんです。

    どこであろうとも自分が今いる場所で精一杯出来ないのに、いざと言う時に本領発揮とは行かないモノです。 スポーツではよくある話ですが、強いチームに行けば優勝できるとか強いチームに行けば勝ち続けるなど、最初から価値を計算していく選手は余り大成しません。 それよりも弱いチームに行って、自分の力で上に引き上げようと言う選手の方が意識も実力も相当上です。

    何をやるにしても強い意志と言うものさえあれば、それが運を呼び込み実力をアップしてくれるのです。 お店を出したいと思うならば、ボロボロになるほどの努力をして「もう動けない、何も出来ない…。」と思うところから本当の努力が始まるのです。

    何かを本気でしているのなら、動けないなんて考えないし出来ないとも考えません。 もう出来ないとかもう駄目だと思えるのは、余裕があるから思えるだけなんです。 本当に苦しいほどしていれば、苦しいから余計なことを考えることなんて出来ないのです。

    意志とは自分で意識して、初めて育てることができます。 その強い意志を身につけたなら、意志は必ずあなたの前に成果となって現れます。

    物事を進めようとするならば、良い時もあれば悪い時もあります。 しかし、そこであきらめたら終わりですが、成功するまでやれば成功でしかないのです。 成功でないと言うのは失敗したところで止めるから失敗であり、止めなければしている途中になるのです。

    まずは心が天高く舞い上がることが重要で、肉体は後からついてくるのです。 意志の強さが目標を高く設定して、その目標が叶う時は次の成長への道を歩く準備が出来たことになるのです。

    あなたは自分の意志の強さを、どのように活かしたいと思いますか?

    (* ̄∇ ̄*)エヘヘ



    お知らせ:出張の為、ブログの更新はお休みいたします。 ブログの更新は24日(水)より~鑑定は23日(火)の午後より再開となります。 お手数をお掛けいたしますが、よろしくお願い申し上げます。 いつも御利用いただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    運の流れ。

    運が良いとか悪いとかは自分がしたことが返ってきてから感じることが多いのですが、残念ながら今日したことが明日すぐに効果があるわけではないので実感しづらいです。 おまけに寄付やボランティアをしたからと言って、過去の行いが悪い人は少しマイナスが減るだけで帳消しになるわけではありません。

    今まで好き放題にやってきて、急にしおらしくしたからと言って運が良くなるわけがありません。 地道に活動して積み重ねていくことが、いつの間にか返ってくるのが本当です。

    ただし、これだと待ちきれないから、「や~めた。」となってしまうのです。 ボランティアや寄付は「したから戻りがある」というわけではなく、過去の清算をしているだけと言う場合だってあります。

    そういう時は過去のマズイ行いを減らしていっているだけで、まずはマイナスではなくゼロにするのです。 それでゼロの位置からようやくプラスに転じるのですが、このプラスになるのも最初は少しづつなので続かないで止める人が多いのです。 しかし、ココで息切れせずに続けていると自然と正しい行いが出来るようになる時期くらいに、次々と有形無形の状態で戻りが始まります。

    これは経験しないとナカナカ口で説明するのは難しいのですが、自分がしたことはいつか必ず返ってきます。 悪いことをしてそのままでいられることは無いし、正しいことをして不運が連続することもありません。

    こう言う時に「じゃあ、政治家は?」と聞く人がいますが、政治家が悪いことをしているイメージが強いのは仕方がありません。

    だからと言って全員が悪いことをしているわけでもなく、二世議員や利益誘導議員も悪く見える裏側で良いことをしています。 その良いことと言うのが自分に関係ある人達で占められているから、その中に入れなかったことにより不満が募るのです。 (偏る良いことは公平ではないので、もはや良いことではないと言う考え方もあります。)

    これを会社組織に当てはめると、自分が出世コースの派閥にいるとドンドン引き立てられるから周りを気にしません。 しかし、反主流派に入ると「あいつらばかり良い思いをしている。」と感じます。 つまり、その対照となる人をどちら側から見るかで、良い悪いの見方が変わってくるのです。

    簡単に言うと、Aさんと言う政治家が50人に悪い人と見られたら、その裏で50人の人が仕事など利益を分配されて良い人だと思います。 会社内でポストを次々もらえる人達は「うちの上司は良い人だ!」と思いますが、コースから外れていると「うちの上司はダメだ。」と思い始めます。

    運の良し悪しを見極めたいのなら、この「+と-がバランスをとる点」を理解して「人には色々な見方がある」を頭に入れておけば、そんなに間違えた道は歩かないと思うのです。 近道しようとすればするほど遠回りになるので、間違えた道を歩くのは程々にしておかないと息切れしてしまいます。

    近道しようとして私が失敗した、過去のトンでもなくお恥ずかしい例です。 昔の私は毎日お客様がゼロの開店休業状態で焦る気持ちから雑誌に一度だけ広告を出したのですが、今でも忘れられない記事広告の結果は「お越しくださったお客様は3人」です。 広告掲載料から考えると信じられない位の大赤字でしたが、近道を選んだ私の大失敗でした。

    雑誌の1月号などは年末年始特集で必ず占い師さんが登場しますが、今から考えると人気のある本物は忙しいのに年末の取材なんか受けているヒマはありません。 私もバカだったから雑誌に出れば人気が出る、そう安易に考えていたのですがお客様の目はごまかせません。

    もしも私が当時と同じ位ヒマだったら、年末は間違いなくタウン情報おかやまなどの情報系雑誌や女性向け雑誌に取材してもらえるように掲載の手続きをします。 ただし、私が今後の人生において、雑誌のヤラセ記事に加担することは絶対にありえません。 (素敵なお客様に嘘を吐くような人生は、人として恥ずかしくて歩めません。)

    なお、コレは内緒のお話ですが、雑誌の最後の方に掲載してある今週の運勢や今月の運勢ですが、アレって実は広告です。 雑誌の規模にもよりますが広告料として5~15万円くらいを占い師さんが支払って、名前と連絡先を雑誌に掲載してもらうのです。 (連絡先が出ていない~つまり広告枠じゃない場合は、編集部の人が適当に書いています。)

    今の私はヤラセの記事広告に30万円出して宣伝してもらうくらいなら、その30万円を盲導犬やアフリカの子供たちへ全額寄付します。 一時的には宣伝や広告をした方が効果があるかもしれませんが、長い目で見ると明らかに寄付した方が運勢は良くなります。 ただし、すぐに戻るわけではないのが、ナカナカ理解してもらえない要因です。 (苦笑)

    運はバランスを取るので、そのバランスの取り方に気付いていないといつまで経っても不運を感じてしまいます。 まずは自分が何をしているのかを考えて、人が喜ぶことや相手が助かることをするのが先決です。

    「人の幸せが自分の幸せ」と言う流れを作ると、失敗したくてもできません。 何をどうやろうと良い流れになってしまうので、失敗したくてもできなくなるのです。

    あなたは自分の運の流れが、どう流れているかを把握していますか?

    (^ー^* ) ウフッ!

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    メール。

    現代社会では携帯電話を持っている人が大半を占めるようになり、中でも手軽にメールをすることは日常でも珍しくありません。 仕事でもPCのメールを活用しなければ、もはや仕事にならない状態の人だっているかもしれません。

    それほど生活に密着しているメールですが、コレを活用すると恋が上手く行くことに気が付いている人は余りいません。 嫌われるメールと好かれるメール、この間には深くて暗い溝があるのですが、その溝に嵌まり込んでしまうとせっかくのメールが台無しになってしまいます。

    もうすぐクリスマスなので、好きな人と近づきたいとか~相手にもう一押ししたいなど、メールで心を近づけることについて、素敵な霊視カウンセラー的に少々解説してみたいと思います。

    近代社会では恋愛の行方を左右すると言っても過言ではないメール、このメールの作法が恋の始まりはもちろんのこと、ちょっとしたイザコザの元やピンチを切り抜けることができるようになります。 このメールを送るタイミングや内容によっては、2人の距離が縮まったり~大きな溝を作ってしまうこともあるのです。

    メールは便利ですし、いつでもどこでも自分の思ったことを伝えられるからこそ、使い方によっては自己中とか面倒などと嫌われるきっかけを作ってしまうことになります。

    男性で「メール自体が嫌いな人」の条件をいくつか挙げてみたいと思いますが、ストレスやプレッシャ-を感じやすい~仕事中心の毎日で疲れ気味~メールが届いたら即レスする~携帯電話を2つ以上持っている~愚痴が多いなど、これらに当てはまる男性はメールをすること自体が好きではない場合が多いです。

    このような男性にメールの使い方を誤ると亀裂が入りやすくなるのですが、メールを送信する時には「時間に余裕を持つ」とか「ストレスやプレッシャーが無い時」など、相手の気持ちを深く考えないで送信ボタンを押してしまうような状況を作らないことです。

    メールは気軽に思ったことを伝えられるからこそ、相手と自分の距離感や温度差を意識しないと自己中心的な印象を与えてしまうかもしれません。 メールで愛されるようになる為にも、悪気がないのに嫌われてしまうような NGメールを送信するのは絶対に避けましょう。 自分に悪気が無くても相手を不快な気分にさせてしまうメール、そんなメールがあります。

    例えば、タイミングが悪い~つまり空気が読めないような一人時間差で、「え、何のこと?」みたいなメールはアウトです。 その他にも送るタイミングや内容も相手のことを考えて、「ごめんね」とか「すみません」など謝ってばかりに見えるメールもアウトです。 悪いこともしていないのに卑屈になっている印象を与えてしまうのはマイナスなので、「ありがとう」や「嬉しい」など、前向きな感謝の言葉に変えると印象が変わります。

    また、相手に自分を過剰にアピールするメールもダメで、気持ちはわかるのですが相手が対応できるか堂かも見極めてから出ないと、動画などを喜ぶタイプ~冷めた反応をするタイプ~絵文字が好きなタイプなど、よく考えてからする必要があります。

    長文メールも内容によりけりで、気持ちが沈むような深刻な内容だと返事に困るし、メールでそんなことを伝えられても困る男性は多いです。 相談に乗ってもらいたいというメールを送り、詳しいことはその時に話すという内容にとどめておかないと引かれてしまいます。

    最後になりますが、意外と男性が嫌うのはメールの時間です。 電話じゃなくてメールだから、いつ送信しても大丈夫と思うかもしれませんが、深夜とか仕事中などに関係なくメールを送りつける女性は、知らず知らずのうちに嫌いになってきます。 基本的に恋愛と言うのは、「自分の気持ちを効果的に伝える」ことが最大のポイントになります。

    では、愛されるメールや好かれるメールとは、どんなものかと言えば…?

    男性に必要な情報~褒め言葉(嬉しい言葉)~読むと元気がでる(励まされる)~共感できる~優しさや思いやりが感じられるなど、男性が思わず微笑んでしまう楽しい内容が一番です。 仕事や恋愛に限らず1日にメールを何通もやりとりするのが当たり前になってきているので、どんな言葉が相手を喜ばせるのか~どんなメールが面白いのかなど、受け取る相手の気持ちを想像してから送信する気遣いが必要なのです。

    人は誰でも「愛されたい&必要とされたい」と言う気持ちがあります。 近年では「癒し系」と呼ばれるタイプの女性が男性に人気があるのも、仕事や日常のストレスで疲れた男性が安らぎを求めたいからです。

    しかし、「癒す」と言うだけではライバルに差をつけられないので、裏技としては「テンションを上げてくれる女性」に魅力を感じる男性が意外と多いのです。 つまり、メールを見る度にやる気が起こるとかメールを見る度に大切にしようと思わせる、そんな内容が求められるのです。

    例を出すと、元気にする言葉~嬉しい言葉などのテンションが上がる言葉を意識してメールに入れると、男性は女性のメールを心待ちにするようになるので、男性の心はあなたに夢中になり始めるきっかけとなるのです。

    もっと単純に言えば、メールの最後にハートマークがあるだけで「よしっ!」と思う男性は非常に多いです。 「ハートマークだけで?」と思うかもしれませんが、男性の場合はメールの最後にあるハートマークをみると、「コレは俺だけだぁ~!」と思ってしまうのです。

    あなたはメールに、気配りをしている自信がありますか?

    (^~^;)ゞ イヤァ~

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    数値と感覚。

    可能性は誰でも持っているから不安に思わなくても大丈夫、開花させるかどうかの差はあるけれど、きっとあなたは大輪の花を開かせることができます。 その花が開いた時に「自分の為」ではなく「誰かの為」に開花させていたなら喜びの種が次々と発芽を始めて、いつの間にか多くの花に囲まれる人生になっていると思います。

    想いが留まることなく光が一筋の道を射している中を前に進んでいくことができたなら、ためらわずに色々な出会いを受け入れる幸せな日々になるはずだと思うのです。 その為に一番重要なことは自分がしていることがキチンと説明できるかどうかなのですが、自分がしていることをキチンと説明できないようでは周りの人も応援できないと思います。

    分かりやすく言うと、「自分の名前は○○で~自分の職業は○○で~自分の将来の夢は○○です。」と言うくらいの説明は、目の前にいる人が誰であってもできないと、相手に自分の思いなどの意思が伝わらないのです。

    あなたが何かをしたいと思った時に「それは無理だ!」と言われたなら、それはその人の頭の中にある現実であり、あなたの頭の中にある現実とは違うのだから悲観することはありません。

    夢は夢のままではなく~夢は可能性の塊だからこそ可能性と言う扉を開けたなら、そこに広がる風景はあなたが待ち望んだものなのかもしれないのです。

    誰でもが感じるのですが、いつだってチャンスが巡ってきたなら力が入るものです。 それが良い意味での緊張となって実力を発揮できるのか、それとも萎縮してしまうような緊張で力を出し切れないまま、努力が陽の目を見ない道を行くのかは個人の思いの強さに比例すると思うのです。

    コレだけやってもできないんだから、叶わなくても仕方がない。
    コレだけやっても足りないのであれば、まだやることが残っているはずだ。
    コレだけやっても叶わないのであれば、考え方を変えれば違う道もあるはずだ。

    人の考え方はそれぞれなので色々な思いが頭の中を駆け巡るでしょうが、夢を叶えたいのか~叶わなくても努力したことに満足するのか、どちらが心にあるのかが夢に到達できるかどうかの差なのかもしれません。

    過去の思い出は時に足枷や手枷となって成長を妨げることがあるのですが、それは自分の変化を見失うからなんです。

    「初心忘れるべからず」とは良い言葉ですが、それはあくまで最初はどんな気持ちで始めたのかと言う部分が大切なんです。 初心に返ると言うのは自分の気持ちの為にはいいのですが、技術や知識など身につけたモノまで初心に帰っては成長の意味がないのです。

    初心を忘れずにと言うのは「熱い気持ち」を忘れないようにするだけで、初心に返ると言うのも「冷静に見直す」と言うブレーキの意味の方が重要なのです。 あくまで精神力の方で初心をキープしつつ、知識や技術や経験などは成長した自分を発揮できるようになるのがベストです。

    それでも、もしも進むべき夢がわからなくなったなら、数値目標と感覚目標の二つを準備すればクリアできます。

    このうち数値目標と言うのは簡単に設定できるのですが、日時で言うと何年何月にはお店を出したいとか~売り上げをいくらにしたいと言う、数値が結果に直接現れるものを言います。 コレは単純明快に結果が出るのでごまかしが効かない代わりに、達成できたかどうかが分かりやすく満足感も多いです。

    しかし、数値目標だけだと結果が出ない時にイライラしてくるかもしれないし、いつまで経っても達成できないと言うような焦燥感やあきらめが出てくるかもしれません。 ここで感覚目標と言うのが必要になってくるのですが、それは目には見えないけれど心にやる気を与えてくれるようなモノです。

    例えば、私は自分の著書を素敵なお客様が読むことで、「心に勇気や元気が出ているかもしれない」と想像するだけで努力する元気や勇気がものすごく湧いてきます。 誰かの笑顔の為に自分が役に立っているかも知れないと言うのは、極上の喜びとなって心に刺激を与えると思うのです。

    更に空想や想像を広げていけば、私の本を持っているかもしれない押切もえさんやSBIホールディングスの北尾吉考さんが、もしかして万が一にも手紙や電話で感想を伝えてくれるかもしれないなどと想像できたら、誰でも心に張りができて勇気や元気が自然と湧き出てくると思うのです。 (注:北尾吉孝さんは福祉に情熱のある方で、相当な金額を色々と寄付しています。)

    「数値目標と感覚目標」 この二つをキチンと構築できて走り続けることができたなら、夢が叶う確率はグンと上がると思うのです。

    あなたは数値と感覚、どちらの目標も立てていますか?

    (°θ°;) エッ、ホントダッタノ…!

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    一円の価値。

    おはようございます。 今日は土曜日ですが、どんな素敵な週末になるのかとワクワクドキドキ過ごせたら期待感が自然と膨らみます。 想像するだけでなんでもないようなモノの価値が膨らんでいくので、幸せが訪れると言うのは自分の心のありようかもしれません。

    それに自分の価値と言うのを考える人は、責任感が強い証拠だと思うのです。 鬱病になる人と言うのは、基本的にきちんとした人しかなりません。 いい加減な人や適当な人はストレスを溜め込む以前に、気にしないので溜まらないのです。 周りに何を言われても傷つかない人は鬱病になる前に、自動的にブレーキがかかるのです。

    鬱病にかかると言うのはナイーブな証拠で、周りに迷惑を掛けられないとか~自分はどうしてこうなんだろうなど、周りに対してきちんとしていたいと言う気持ちが重なり起こるものなのです。

    私も昔はどうしていいか分からずに、迷走状態で自分が何者なのかすら分からない状態でした。 いじめに遭うから不幸と感じていたのですが、いじめに遭う理由を考えないのが私の悪いところです。 (反省しないのだから運が好転するわけもなく、同じことの繰り返しでいたことも気付きが遅れた理由ですが、これも私の言い訳です。)

    この世に天才だけと言う人はいなくて、天才と言うのは努力する天才と言うことだと思うのです。

    野球のイチロー選手やサッカーの中田選手などは、周りから天才と言う評価を受けているのですが、本人はそう呼ばれることを嫌っています。 何故、そう呼ばれることを嫌うのかと言えば、「何もせずにできる」と思われるのは心外だからです。

    誰でも練習などの地道な努力はつまらないとか苦手と感じてしまうのですが、その怠け心を克服して練習を続けることができるから、その積み重ねの差が天才と言われる人の実績の差となって現れるのです。

    練習と言うのは、「もう、駄目だ…。」 こう思った時からが本当の練習であり、余裕で練習プログラムがこなせるうちは何も身に付くことはありません。 自分で限界と思った時からが本当の練習であり、それを続けようと言う意思を持ち続けることができるから天才と呼ばれる位置へ到達できるのです。

    あの人は天才だからとか~あの人は頭が良いからなど、そういうヒトコトで済ませてしまうと、その人が陰でしている努力は一切認めずに楽していると指摘していることになります。

    人の価値と言うのはお金などの物質的なものではなく、その人の生き様と言う内面にこそ惹かれるものがあります。 それは目には見えないけれど、オーラなどの人間的魅力として輝いているからです。

    その輝きと言うのは、誰もが認めるしかないと言う点から発生するのですが、誰もが認めると言うのは数限りない無限の努力や意志の強さでしか発揮できません。 ただし、天才でなくとも誰でもができる、そう言う平等な輝きでもあります。

    よく言われる言葉の一つに「一円を笑う者は一円に泣く」と言いますが、この言葉の意味を理解していれば努力の意味も理解できていると思うのです。

    今の日本では一円あげると言っても「たった一円?」と言われるだけで、一円のありがたみは余り感じません。 自己啓発の本などでは例え話として、「一円足りなくても買い物ができない」などと書いてあります。

    しかし、コレは一円の物質的な面だけで、一円と言う通貨としての価値しか認めていない例え話です。 この一円硬貨の本当の価値と言うのは、そんな単純なことでは表せないくらい素晴らしいと思うのです。

    何故なら、一円は日本全国どこへ行っても「一円」として通用するからです。

    この全国どこへ行っても通用すると言うのは、ものすごく価値のあることなんです。 美容師さんや看護師さんは資格制度なので、日本全国どこへ行っても免状を提示すれば通用します。 車の運転免許だって立派な全国通用であり、岡山県で取得しても大阪や北海道で運転可能です。

    私は自分がまだまだ未熟者だと思うのは、私が自称霊視カウンセラーと言っても全国通用ではありません。 今の私は知っている人は知っているかもしれないと言うレベルであり、日本全国どこへ行っても霊視カウンセラーとして認められているわけではありません。

    ところが、一円硬貨は日本全国どこへ行っても「一円」として誰もが認識しているのです。 つまり、現状では私の霊視カウンセラーとしての認知度は、一円の認知度に遠く及ばないので埋めようのない差があります。

    私はお客様の未来を視ていると微笑ましく感動をいただけると断言しているのは、お客様の可能性や未来は全国通用と言う素晴らしいレベルだからです。 あなたの未来の価値と言うのは、誰かが待っていてくれると言う「頼られがい」のある立派で輝かしいものなんです。

    私はお客様に教えていただけることに尊敬の気持ちを持って、今後もお客様の想いを大切にしていきたいと思うのです。

    あなたは自分の未来の輝き、その価値に気付いていますか?

    (@^_^)ゞ ポリポリ



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