徒然草(岡山・東京・山崎かずみ)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    立ち上がる勇気。

    おはようございます。 毎日寒い日が続いていますが、体調などにお気を付けて楽しい週末を迎えてくださいね。 冷たい空気が吹く中でも~辛いことがあった場合でも、ちゃんと前向きになって生きていく、笑顔でいるあなたの輝きは益々増していくことと信じています。

    寒いと冷たいは本来別な言葉なのですが、空気を冷たく感じる時は周りが冷たいのではなく自分の心が冷たく感じている時なんです。 自分が楽しく感じていると冷たい空気でも平気なのですが、心が冷たいと少しの寒さでも身に沁みてしまうのです。

    そんな時に自分の心を温かくしてくれる人がいたなら、その人のことを良い人だと感じ始めます。 しかし、温かくしてもらう為には、そういう人と知り合いにならなければなりません。 そういう人と知り合う為には、そういうレベルに自分の身をおかないと出会うことすらできません。

    自分が温かい心でいれば、自然と温かい心に包まれる人生になります。

    私は色々なお客様の人生を見ているとつくづく感じるのが、「自分がしたことは自分に返ってくる」です。 周りの人に怒るばかり&嫌がらせばかりしていた人が、人生の後半で良い状態になっているのを見たことがありません。 そんなことをしていたら周りからドンドン人がいなくなるのは当たり前で、自分が人に囲まれて暮らしたいなら人に対して嫌なことをしないのは当たり前のことです。

    誰かが必要としてくれると言うのは、短くても長くても人生にはかけがえのない運命の指針です。 大切な人、かけがえのない人、色々な人があなたの心に残っているでしょうが、あなたのことが心に残っている人も同じようにいるんです。

    人は生きている以上は、必ず誰かと関わって生きていくようになります。 かかわると言うことは相手に自分のことを認識させてしまうから、記憶に残ってしまいます。 その記憶に残る状態が「良い人」と「嫌な人」のどちらで残ってしまうかで、その人の評価が自然と決まってしまうのです。

    誰かがあなたのことを覚えてくれるのは、とても嬉しいと思います。 あなたのことを覚えてくれると言うのは、あなたのことをちゃんと認識して心に留めておいてくれるからです。 ただし、心に留めてくれるのが「感動」としてならいいけれど、「嫌な気持ち」で覚えていられたら、その思いは決してイイことではありません。

    PCや携帯のメモリーは消せてしまうでしょうが、人の心のメモリーは消せないのです。 いじめた方は忘れるけれど、いじめられた方は決して忘れない。 嫌な記憶と言うのは絶対に消せないから嫌な記憶を残して生きていると、歳を取れば取るほど嫌なメモリーがあなたの人生に圧し掛かってくるのです。

    運勢を良くしたいなら前世の反省よりも、まずは過去の反省と言うのはこの部分を言います。

    過去で嫌なメモリーを色々な場所や時間に残している人は、いくら努力しても実らないことが多いし歯車が狂ってしまうことも多いです。 イイところまでは行くけれど、最後の最後でいつも上手く行かないと言うのは、過去において自分が歩いてきた道が間違っていたからとしか言えないのです。

    現在していることが上手く行かないのが過去と繋がっているとは思えないから、どうしても認められないし反省もできないと思います。 人の心は自分を中心に考えてしまうので、上手く行かないのは何かがあるからだと思いがちになります。 しかし、現実に生きているのは自分の人生で、誰かが代わりに生きてくれるわけじゃないのです。

    目の前に起きた出来事を受け入れて、その出来事がどうして起きたかを考えるよりも、どうやって解決しようかと考える方が、未来へ進むあなたにとって有効な手段です。 起きたことは仕方がないけれど、同じミスを繰り返さないとか何度も失敗を重ねて迷惑を掛け続けないなど、自分の努力でできる範囲のことは全力でしないといけないのです。

    そうやって過去の反省をしつつ現状を受け入れる姿勢を続けていると、未来において困ることが起きる方がおかしいのです。 あくまで困る状態や現象が起きるのは、自分がしてきたことの総決算が起きているだけです。

    その総決算とも言うべき答えが、歳を取るほどに人脈や仕事が減る一方で増えることがないと言う、孤独や憔悴だけの人生になると言うことです。 そうなりたくなければ、いつでもどこでも人間関係を豊かにしておく必要があります。

    一緒にいて、楽しい人。
    一緒にいて、喜びを共有してくれる人。
    一緒にいて、悲しみを分かち合える人。

    これらは人生を豊かにしてくれる人なのですが、最後にもっとも大切なことがあります。

    それは「誠実さを尊敬とともに共有できる人」 コレが一番大切なことです。

    あなたは現状を受け入れて、それから立ちあがる勇気がありますか?

    (/-\)いやーん



    お知らせ:出張の為、ブログの更新はお休みいたします。 ブログの更新は2日(火)より~鑑定は1日(月)の午後より再開となります。 お手数をお掛けいたしますが、よろしくお願い申し上げます。 いつも御利用いただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    やりたいこと。

    自分が本当にやりたいことって「何なんだろう?」と考えるのは、人であるなら誰しも一度や二度はあると思います。 生きていると最初はお金が欲しいとか家が欲しいなど、物欲に走るのは仕方が無いことです。 アレ欲しいコレ欲しいと言うのは子供じゃなくて、イイ歳した大人の方がよっぽどアレ欲しいと言っています。

    夢を追いかけている人が凄いのは、失敗することなんて考えもせずに突っ走れるところです。 普通なら会社を辞めて独立したなら、全責任が自分に来るから不安が一杯です。 しかし、成功する人は失敗する不安を溜め込まずに、成功する夢~この夢を一杯にして突き進んで行きます。

    そういう人は「あの人は強いから…。」とよく言われるのですが、夢を追いかけて成功する人は強いんじゃなくて他を見ないだけです。 失敗は成功の元だとか夜明け前が一番暗いなど、明るいことへしか眼が行っていないポジティブシンキングこそが凄いのです。

    人は誰だって初めてのことや大きなことをするときは、不安が一杯で当たり前です。 それでも不安だ~不安だと不安なことばかり考えていたら、それは不安なことが起きて欲しいと願っているようなものです。 思考は現実化するので「余計なことは考えない」を合言葉に、夢を実現することだけ考えていればいいんです。

    人生は半端じゃなく苦しいことや悲しいことが一杯あるのは事実ですが、嬉しいことや楽しいことが一杯あるのも事実なんです。

    なんと言っても日本人に生まれてきたと言うのは大きなチャンスですが、それにあれこれ文句を言う人は成功するのが難しいと思います。 日本がダメなら海外があると言うのは世界が視野に入っていない場合が多く、日本で成功するのは努力と比例することが多いので簡単な部類に入るのです。

    ただし、だからと言ってお金を稼ぐ為に何してもいいわけじゃないし、稼いだお金の使い道は自分ひとりが決めるもんじゃありません。 お金をいくらたくさん持っていても死んでしまえば、あの世まで持って行くことはできません。 どうにもならないのに、そのどうにもならないモノを追い求めるのは悲しいことだと思うのです。

    死んだ時に持っていけるのは、ヒトコトで言うなら「想い」だけです。 亡くなった時に、どれだけ大勢の人が悲しんでくれるか。 それを決めることができるのは今までの生き方だけで、生きている間にどれだけの想いを色々な人の心に刻み込んでいるのか、それがわかっていない人は50歳を過ぎてから急激に人付き合いが減っているはずです。

    何故かはわかりませんが50歳前後&近辺で転機が訪れる人は意外と多く、それは運命がくれた気付きのラストチャンスなのかもしれません。 50歳前後&近辺の人は仕事が増えたり減ったり~人間関係が豊かになったり貧相になったり、運命が生き方指南をしてくれているのに気付かずに通り過ぎてしまう人が多いのです。

    芸能人や自営業や会社社長など自称「顔が広い」と言う人は多いけれど、それはあくまで利害関係があるから繋がっているだけで、人間的魅力で繋がっているわけじゃありません。 落ち目になったり利益を生まなくなったりした場合は、途端に周りにいる人々が掌を返していなくなってしまいます。

    やりたいことがあって実現させることが出来ても、ひとりだけじゃつまらないモノです。 人生は自分に応じた人や状態を引き付けるのですが、切磋琢磨がない人生は張り合いがなくなります。 競う相手や同じ価値観を分かち合える人がいるからこそ、夢は実現させるのが楽しいのです。

    仮にボランティアに燃えていても、それを理解してくれる人がいなければ長続きしません。 「やっていることを認めてもらう」と言うのは、人のやる気を保つ為にはとても重要なことですが、褒められて怒る人はいません。 褒めると言うのは相手を認めることであり、認められて辛いとか苦しい人などいないと思います。

    私は幸運なことに、やっていることを認めてくださる素敵なお客様がいます。 素敵なお客様の笑顔を見ることができたら、コレは人生にとって凄い価値があることで「感極まる」ことが多いです。 お客様の人生は努力次第でいくらでも変わるのですから、ドンドンと良い方へ変えて行ってもらい、幸せだと思える人生を歩んでいただきたいと思います。

    胸に思い描いたことは実現するからこそ、その夢を叶える為の宿題はたくさんでます。 夢が叶った時のリターンが多ければ多いほど、そのリスクだって高くなるのは当たり前です。 困難や障害を不遇だと思う人と、コレを乗り越えたらもう大丈夫と思う人、成功するのはどちらか考えなくても一目瞭然です。

    あなたがあなたである為には、何をすればいいのかの答えはちゃんと胸の中にあります。 ただ、それを思い出すのに時間が掛かっているだけで、余計なものを取り払ってキチンと片付けて、さらに整理整頓できたら大切なモノは簡単に見つかるはずです。

    あなたはやりたいことの為に、何をどうすればイイと思いますか?

    ノ(´д`) ウ~ン?

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    モラルハラスメント。

    おはようございます。 著書の経過報告ですが、今週よりアマゾンやセブンアンドワイなどオンライン書店~および都市部の主要書店に並び始めました。 また、予約の方も次々と入っているようなので、コレもひとえにお客様のご支援とご愛顧のおかげで、本当にありがとうございました。 m(__)m

    さて、今日の本題はモラルハラスメント&DVについてです。

    恋愛&結婚は誰しも夢見るものですが、その後の結婚生活となれば急に現実が襲ってきます。 その生活の中で目立つのが自己中心的な御主人ですが、残念ながら岡山県はDVでは47都道府県でも上位に入ります。 これは単なるわがままと言うレベルではなく、相手を過剰に束縛&支配をしたがり、怒ると過剰な暴言を吐く極端な人も多いのです。

    人は誰かを好きになるから心が磨かれるとは思いますが、好きになった人が暴力を振るう人であればお勧めすることは出来ません。 暴力を振るう人は一生治ることはなく、ほぼ半永久的に暴力を振るい続けるのです。 本人の自制心により一時的に抑えることはできますが、それも本人のブレーキがいつまで掛かっているかと言うだけです。

    DVやモラルハラスメントについて危険信号の例を出すと、家事の細かい部分から始まり買い物や服装などにイチイチこだわりを持った強制を始めます。 (この時点では、イエローカードです。)

    服を買えるのは許可がある時だけとか、化粧や髪型などを自分の考え通りにしないと怒鳴り散らす。 しかし、自分のこととなると自由気ままでバイクや車に加えて、スキーやゴルフなど色々とするのです。

    また、喧嘩になると「俺がしんどいのはお前のせいだ」とか「家事育児はみんなしてるんだから、当たり前のことに感謝はしない。」など、自分が偉いかのように命令し始めます。 化粧をすれば「主婦を忘れるな」と言い、意見を言おうものなら「お前の意見は聞いてない。 俺が嫌な思いをするから駄目なんだ。」と言い始め、最後には「俺に言わせれば○○だぁ。」と締めくくる。

    こう言う御主人に限り、「自分は働いている」と威張るのが特徴です。

    世の中ではDVと言えば肉体的な暴力を思いますが、「無視する~怒る~脅す」なども言葉や態度による精神的な暴力なので、程度の差はあれ立派なDVになるのです。 モラルハラスメント夫やDV夫などは、医学的には人格障害の一種である「自己愛性人格障害」であることが多いとされています。

    自己愛性人格障害には一応の規準がありますが、専門用語で言うと難しくなるので、わかりやすくいうと以下のようになります。

    「極端にプライドが高い~自分以外を愛せない~他人への共感がもてない~自分がいつも正しいと思っている~他人を貶めることをしても自分が一番でありたいと思う」などです。これらに当てはまる男性は、モラハラやDVになる可能性大です。

    こうなる可能性が高い人は幼少期に極端に過保護で王様のようにわがままいっぱいに育てられたり、逆に全てを管理された状態で抑圧されて育った場合に多いです。 その他で言うと虐待や育児放棄など、愛情の不足している状態で育った場合になるという説もあります。 いずれにしても周囲~特に親との関係がうまく築けないと、極端な自己愛に走るとされています。

    残念ながら多くの場合は、本人の行動に自覚はありません。 周囲の人が本人に言っても本人に自覚が無いのでカウンセリング等の治療を受けない為に、この障害を直す方法は今のところありません。 第一にカウンセリングを受けたとしても、本人は相手を決して認めようとしないので無理なのです。

    この病気のやっかいなところは近親の人以外には表れにくく、周囲に対して自分がよく見られたいという欲求があるので外面が良いと言う二面性を持っています。 その為、妻が夫の暴言などを周囲に訴えても「えぇ~、まさか? それはあなたが悪いからじゃないのぉ?」と取り合ってもらえないことがあります。 この「気付かれにくい」というのが、奥様を追い詰めていくのです。

    この二面性は「暴言を吐いたら相手が去ろうとする⇒引き止める為に優しい夫になる」の繰り返しで、この一瞬の優しさに「やっぱりこの人はいい人なんだ。」と思ってしまうのです。 また、夫から常に否定や暴言を受けて恐怖にさらされることで、「夫が怒るのは私が至らないから。」と自己暗示にかかってしまい、うつ病などの精神的に病んでしまうケースもあります。

    では、治療の仕様が無いのならば、どういう解決方法があるのかと言えば…?

    その回避方法として、まずは相手を上手に立ててあげて、感謝の意を表してプライドを満足させるのです。 普段からちょっとしたことを褒めたり感謝したりすることで、相手の殿様気分を引き出して「よきにはからえ」とばかりに優しくなります。 また、暴言を吐かれたら「この人はこういう人なんだ」と冷静に受け止めて、相手にしないのが一番です。

    解決方法として一番悪いのは、夫婦だけで話しあって第三者に相談しないことです。 話し合いをするなら、必ず第三者がいる場所ですることが鉄則です。

    本来の夫婦とは、お互いが助け合い尊敬しあいながら一緒に暮らすものです。 もしも、こんなモラハラやDVで楽しいはずの結婚生活が苦しい生活になるのはおかしいのです。 モラハラやDVで苦しんでいるのなら回避方法を試してみて、それでも治癒しないようならば潔く「離婚する」と言う道を選ばなければ、自分だけの被害ではすまなくなる危険性もあるのです。

    あなたは結婚生活を、どのように過ごしていきたいですか?

    ε=ε=ε=ε=┏(; ̄▽ ̄)┛

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    移り行く街。

    おはようございます。 昨日の午前中に帰ってきて、午後より鑑定を再開しております。 久しぶりに正式なブログを更新する感じがしますが、東京出張の時だけ更新した東京徒然草は好評であれば、次回の出張時にもしたいと思います。 (12月東京出張分の予約受付は、11月28日(金)の夜8時より開始です。)

    さて、私は車を持っていないので、移動はもっぱら公共交通機関です。 特に都会へ出て行くと交通機関が発達しているので、電車移動(地下鉄含む)で充分に事足りてしまいます。 電車に乗っていると流れる景色が映し出す風景があり、それを眺めていると新しい発見があったりもします。

    新しい発見と言うのは細かく見ていると気付くと言うものでもなく、大雑把でも記憶していることが大切です。 私は出張時の新幹線では、必ず座席指定をします。 簡単に言うと富士山が見える側を取るのですが、座席表で言うとD席やE席となります。 号車と席番は指定しませんが富士山が見える側の窓側と言うのは、新幹線に乗る時に必須条件です。

    何で必ず座席指定してまで同じ側を取るのかと言えば、移り行く風景を見ていると楽しいからです。 私が自閉症で知恵遅れと言われていたのは度々ブログで書いているのですが、この自閉症と言うのは可能性の扉を一つ持っています。 (その能力とは記憶で、世界で記憶力ベスト3の実力を持つ人は3人ともサヴァン症候群と言う自閉症の一種です。)

    私は東京や名古屋へ出張する時に流れる風景を記憶していくのですが、コレをしておくと次に新幹線に乗った時に前回との差が分かるからです。

    例えば、道路工事を姫路~新神戸駅の間でしていたとします。 それを10月の東京出張では3番目の電柱のところまでだったのに、11月の東京出張では15番目の電柱まで工事が進んでいる。 こうやって先月との差を見ていくと、風景と言うのは常に変化しているのがわかります。

    今年記憶して楽しんでいた具体例ですが、浜松~熱海間にある山は今年の1月頃には木を切っていました。 

    しかし、3月頃にはブルドーザーやユンボで採掘して造成工事をしていて、6月頃には更地にして杭を打って各住宅会社ごとの区画割りをしていました。 9月頃には区画割りも済んで側溝やノボリやモデルルームなどが完成していました。 10月に見た時には何棟か上棟してありましたし、11月には生活している人に加えて更に棟を上げている場所が増えていました。

    また、姫路~相生間では橋を架けていたのですが、9月では基礎工事中で~10月には柱が何本か立って~11月には柱の上に道の部分ができて、徐々に橋が架かりつつあります。 (他にも色々と記憶していますが、長くなるのでこの辺で…。)

    新幹線で同じ場所を取ると言う定置定点、こうしておくとコレだけの変化を感じ取れるのです。

    私は本を読みながら景色も同時に見て、風景の移り変わりを楽しんでいるのです。 なお、コレは新幹線だけではなく、山手線や中央線など地下鉄以外で外の風景が見える場所ではできます。 だから移動する時には、極力地下鉄は使いたくないのです。 地下鉄は外の景色が見えないから面白くないので、やはり風景が流れる方が面白いです。

    私はこの移り行く街の顔と言うのが大好きで、景色を眺めているとほのぼのしてきます。 知らない場所へ行くワクワク感が未知の世界の扉をノックしているようで、流れて行く景色と共にやってくる風景が心をときめかせます。

    東京出張などでは特に感じるのですが、ひとつの駅が街を作って~生活を支えていくのですが、この駅がひとつ隣になるだけでも街の顔は変わってくるので新鮮な感じがあります。

    東京で私が利用している会議室がある駅の西側は繁華街なのですが、反対の東側はオフィス街で街の顔が違います。 そしてJRでひとつ隣の駅はおしゃれな感じがある街で全然違いますし、そこから別な路線に乗り換えて二~三駅ほど行くと、桑田佳祐さんや哀川翔さんの家があったりします。

    会議室がある場所と直線距離で2キロほどしか離れていないのに、繁華街やオフィス街の顔から閑静な住宅街の顔へと移り変わっています。 このように東京散策をしていると田舎の出身の私には新鮮に感じられることが多いので、東京出張の度に新しい発見や感動があります。

    田舎の山間の路線も楽しいのですが、それは小さい時にしっかり見ているので私はもう充分です。 (苦笑)

    街の顔と言うのは不思議なもので、その場にいるだけで雰囲気を感じ取れてしまいます。 築地にいると「あぁ、活気があるなぁ~。」と思いますし、代官山にいるとシックなお洒落感が漂います。 原宿にいると若い活力を感じますし、青山にいると知的なセンスを感じたりもします。

    こうやって街の顔の移り変わりを感じていると、飽きることのない散策ができるので楽しいです。

    あなたは移り行く街の顔を、じっくりと感じたことはありますか?

    "ヽ(´▽`)ノ" ハァ~イ!

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    オンリーワン。

    ナンバーワンと言えば響きはいいのですが、私はオンリーワンの方が良いと思っています。 これは人により考え方が違うかもしれませんが、ナンバーワンの辛さや悲しさを辿ってみるとすぐに理解できます。

    ナンバーワンと言えばプライドが関係してくるのですが、このプライドが高いと自分らしさを失ってしまうのです。 地位や役職がどんなに高くても、「果たして自分は何者なのか?」と言うのをきちんと答えられるのは、日頃から生き方をはっきりとさせていないと難しいと思います。

    また、プライドが高くなると必ずミエを張るとか~格好つけるなど、あの人には負けたくないとかあの人よりも良い生活がしたいなど、自意識がドンドン拡大していき取り返しが付かないほど他人と競走を始めてしまいます。 しなくてもいい競争で、ならなくてもいいナンバーワンを目指してしまうのです。

    しかし、自分の人生なのに人と比べても状況や環境が違うから、全く同じと言うことはありえないのです。 この思いが更に大きくなってくると、今度は「一番でいたい。」と思い始めてしまうのです。 この一番でいると言うのは、いつかは誰かに抜かれると言うことなので、いつも後ろを気にしてしまい大げさに言うと辛いだけかもしれません。

    例えば、前回のオリンピックで金メダルを取った人はと聞かれても、そんなに答えられる人はいません。 競技を絞りマラソン~100Mなど、知名度の高い分ならかろうじて答えられますが、マイナー競技ではまず答えられません。 知名度があっても前々回の金メダルはと聞かれたら、もう答えられない人が続出すると思います。

    一番~一番と言うけれど、ナンバーワンと言うのは忘れられる為にあるのかと言うくらい、人の記憶に残らないものなのです。

    残念ながら自分の意識の中でナンバーワンになる為の時間は、目の前の結果にだけ一喜一憂するだけの無駄な時間でしかありえません。 そんなものに時間を掛けるのならば、もっと有意義なものに時間を掛けた方が素晴らしいと思います。

    私はオンリーワンであればいいと思うのは、人生においてほぼ全てに通じるからであり、何の世界でも状況でもオンリーワンは強く生きられるからです。 オンリーワンは「ただひとつだけ」と言う部分こそが最大の特徴であり、他に取って代わるものが無いからオンリーワンになれるのです。

    ナンバーワンはいつか他の人に取って代わられるけれど、オンリーワンでいられたら代わりはいない強みがあるのです。

    分かりやすくスポーツ界で見てもオンリーワンの凄さがありますが、10~11月頃になると日米野球と称してメジャーリーガーが来日します。 今は日本人もメジャーリーグに行くから珍しくありませんが、以前は日本人選手がメジャーリーガーにサインやユニフォームを貰いに行くシーンがよくTVに映っていました。

    しかし、その光景の中でただ一人だけ、メジャーリーガーがサインを貰いにきている日本人がいました。 それは王貞治監督で、メジャーリーガーがキチンと並んでサインを貰っている姿はオンリーワンの強みそのものです。 ホームランの世界記録を持ち、人格も人並み以上である王監督は、メジャーリーガーの尊敬を一身に受けているからです。

    Jリーグに目を移しても同じで、海外で活躍して実績も素晴らしい選手は多いけれど、いつまで経ってもキングカズこと三浦和良選手のオーラには誰も適わないのと同じです

    そうは言うけれど、「そんなに簡単にオンリーワンにはなれない」と思っているかもしれませんが、それは自分を卑下したり欠点を見たりするからです。 人である以上は欠点があって当たり前で、完璧な人など存在しません。 しかも欠点は時として有利に働くことだってあるのですから、欠点を深く考え込んでも仕方がないのです。

    仕事が遅いと文句を言われていた人が、他の会社へ転職したら「仕事が丁寧だね。」と褒められることだってあります。 人には適材適所と言う言葉があるように、勉強が苦手でもスポーツは得意とか車の運転は下手でも絵は得意など、駄目なところがあっても良い所を活かせたなら、それは自分をちゃんと認めてあげることになるのです。

    欠点があって嫌いでも得意な分野で目立つことが出来れば、その欠点は隠れてしまうので気にならなくなります。 それでも得意なことが思い浮かばないとなれば、今度は隠し事の無い丸裸の自分をさらけ出すことで、周りの人が欠点でも個性と見てくれるようになれば、それもひとつの生き方として正解なのです。

    あなたはこれからドンドンと活躍していけるし、未来であなたに期待している人が大勢います。 今は経験や実績を作る時であり、その成果が花開いた時には誰かの力となる、そういう素晴らしい人生を送ることが出来るのが、あなたの素敵な人生なんです。

    未来とは作り上げるものであり、未来が来るのを待つだけでは何も変わりません。 未来がくれる課題をクリアして、そしてそれに対する答えを受け取るのが夢を叶えると言うことかもしれません。

    私はアフリカの子供達の里親になっているので、時々子供達よりお手紙が来るので返事を書いています。 その時に書く言葉のひとつに、「It is hope in the future」と言う言葉があります。 手紙を書く時に小さな子供だと、難しい言い回し表現は理解できません。 それでも未来が明るいと言うことを理解してもらいたいから、手紙の最後やバースデーカードなどに書く言葉です。

    しかし、この言葉はあなたにも通じる言葉だと、私は信じています。 あなたには自分だけの才能や個性があり、それを活かせたなら素晴らしい未来に繋がるはずだからです。

    あなたはオンリーワンの自分、それをキチンと認めてあげていますか?

    o(T△T=T△T)oハラハラ



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    恋愛貧乏性。

    おはようございます。 今日も素敵な青空が広がっているので、朝から気持ちが良いくらいです。 何気ない幸せに気付いて、心が貧しくなければ~気持ちが負けなければ、人生はいつも明るく楽しく過ごせると思います。

    世の中には器用貧乏とか貧乏性など、お金に例えて人間性を表す言葉があります。 これは恋愛にも活かせるのですが、男性を見る時にお金の支払い方で人間性が意外と良く分かるものです。 お金の使い方には人柄が出るので、それを恋愛に当てはめて判断すると男性の心の内を簡単に見抜けるようになります。 それは恋愛貧乏性とでも呼ぶべき、見抜き方でもあります。

    例えば、よくプレゼントをくれたり~よく食事に連れて行ってくれる男性がいますが、これは色々なタイプ別の思惑があるからしてくれていると言うのを見抜かないといけません。

    基本的に気前が良い男性と言うのは、それ自体は悪い人ではありません。 自分だけがよければ良いと言う私利私欲の男性よりはよっぽどOKです。 その中でも一般的なことから言うと、食事に誘ってくれる(ご馳走してくれる)男性のタイプ別の判別法です。

    まずは、本当にお金に余裕があるマナーの良いダンディーでカッコイイタイプ。 次にお金は無いんだけれど女性の前ではカッコイイ状態をしたくて、毎回カードなど借金してでも払おうとするタイプ。 最後に口説く自信も無いんだけれど、お金をだせばなんとか気を引けると思い込んでいるタイプ。 (以上、簡単ですが3タイプいます。)

    このうち、最初のカッコイイタイプは心配ないのですが、問題は2番目以降のタイプからです。

    借金タイプの場合の本音は、「次のボーナス&給料で埋め合わせを出来るから、見栄を張れるだけ張っとこう!」という考えで動いています。 その為、借金して女性に奢っているというのを計算している為、どこかで「投資した金額を回収しなきゃ!」という損得勘定で見ているのです。

    実はこのタイプがニュースなどを騒がせるタイプなのですが、とにかく「元を取る!」と言う考えしかないので、態度が急変して交際を迫ろうとしたりするのがこのタイプです。 貯金がゼロになっても口説こうとしているので見栄を買う習慣が身についてしまい、何とか元を取ると言う「本気の貧乏性」になっています。

    この「元を取る!」と言う考え方があるから、セクハラや痴漢や援交などに走ってしまい人生を台無しにしてしまうのです。

    ところが、自分に自信がないから食事やプレゼントで気を引こうとするタイプは、「心の貧乏性」なので人畜無害とまでは言いませんがほぼ安全です。 使い込みをしてまでお店に通うなど、嘘にコロッと引っかかり結婚詐欺などあってしまうのはこのタイプです。

    男性は通常、20代くらいでは血気盛んな思いがあるものです。 例えば、「オッサンがお金の力で女性をはべらしたりするけど、あれはカネの力でしているんだ!」と言うような「金の力に頼らなくても、俺は口説ける!」という信念や思いを抱くものです。

    そしてモテナイ理由を徐々に金銭面に移行していき、お金があればモテルようになるだろうとか~お金さえあれば女性なんてどうにでもなるなど、間違った考えに進み始めるのです。

    この「俺にもお金さえあれば…。」と考える男性が、実際にお金を持つと大変です。 モテル男性と言うのはモテル理由があるからで、お金があるからモテているわけじゃありません。 お金が出来て気が大きくなる男性は「話がつまらない~センスも無い~夢や信念も無い」など、魅力自体が無いことに気が付いていないのです。

    これは「心の貧乏性」であり、会話やセンスに乏しい男性であることが多いです。 「本気の貧乏性」よりは害が無いのですが、お金がなくなった時の悲壮感は哀愁漂う辛いものがあります。

    基本的に貧乏性の男性は不要なモノをなかなか捨てない特徴があり、新しく入手するという意思や計画がないのでセンスがドンドン無くなっていくのです。 同じように心の中も不要なモノで一杯になり、過去の自分と決別できなかったり~殻に閉じこることが多くなります。

    そして、この貧乏性は恋愛関係にもあてはまり、自分に少しでも好意をもってくれた女性を「なんとなくキープ」をしたくなるのです。 恋愛遍歴と言えるモノもなく「そこそこ、ほどほど、なんとなく」と言う感じで過ごした日常からの恋が多いことが特徴です。

    この性格は女性を選ぶ場合にも発揮されて、すぐに結論を出す女性を探し求めているので「愛」が存在しないのです。 夢を求めて努力している「物質的貧乏」の男性ならいいのですが、精神的にガツガツしている「精神的貧乏性」の男性ではあなたの恋は辛く悲しいものになります。

    あなたは精神的貧乏と物質的貧乏を、ちゃんと見分けることが出来ますか?

    o(+_+。)(。+_+)o ドッチカナァ?

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    ピカソ展。

    今週の土曜日から東京出張なので金曜日の更新後、倉敷へ帰ってくるまでブログの更新がしばらくできなくなりますがご了承くださいね。 ホテルの共有PCも他のお客様の御迷惑になるので、長時間の使用は難しいです。 (短時間なら利用可能なので、東京徒然草を書きたいとは思いますが難しいかなぁ…?)

    さて、東京出張では、ぜひ行ってみたいと待ち遠しいのが「ピカソ展」です。 この10月4日~12月14日までの約2カ月間、六本木界隈にある国立新美術館とサントリー美術館の2館が会期を合わせて「巨匠ピカソ」展を同時開催しているのです。

    国立新美術館では「愛と創造の軌跡展」で、「青の時代」から「キュビスム~新古典主義~シュルレアリスム」と、生涯の間に変化し続けた作風を絵画と彫刻約170点で振り返ってあります。 サントリー美術館では「魂のポートレート展」で、主に自画像に焦点をあてて約60点の作品が揃っています。

    私はピカソだけではなくシャガール~ダリ~フェルメールなども好きなのですが、芸術に関する話をしていて小~中学生の時によく怒られていました。 特に小学校の先生達はピカソの名前くらいは知っていましたが、フェルメールになると全然わからなかったようです。

    今回六本木へ見に行きたい「パブロ・ピカソ(1881~1973年)」はスペインのマラガに生まれて、フランスで制作活動をした画家(彫刻家~芸術家)です。 キュビスムの創始者のひとりで、生涯におよそ13,500点の油絵と素描に加えて100,000点の版画~34,000点の挿絵~300点の彫刻と陶器を制作しているので、最も多作な画家であるとギネスブックに掲載されているほど才能に溢れかえっています。

    先ほどの話で小学5年生の時に、何故ピカソの話をしていて先生に怒られたのかと言う理由ですが、私が「ピカソの名前は落語の寿限無と同じくらい長い」と言ったからです。 「嘘をつくな!」と怒られたのですが、大学教授か美術大学出身の人なら嘘ではないと理解してくれたと思います。 しかし、当時の私は自閉症の知恵遅れと言われていたので、正しい話でも嘘だと思われていたのです。

    ピカソの正式な名前は「パブロ、ディエーゴ、ホセー、フランシスコ・デ・パウラ、ホアン・ネポムセーノ、マリーア・デ・ロス・レメディオス、クリスピーン、クリスピアーノ、デ・ラ・サンティシマ・トリニダード、ルイス・イ・ピカソ」です。 あくまで画家として活動を始めた初期の頃から「パブロ・ルイス・ピカソ」と名乗り始めて、その後でルイスを省いて「パブロ・ピカソ」と名乗るようになっただけです。

    ちなみに、ピカソは作風がめまぐるしく変化した画家としても有名なのですが、それぞれの時期が「◯◯の時代」と称されるほど変化しています。 まずは「青の時代(1901~1904)」ですが、親友であるカサヘマスの自殺にショックを受けて、プロシア青(青色無機顔料)をベースとする暗青色を基調として、「軽業師~アルルカン~売春婦~乞食~芸術家」などを描いています。

    なお、自殺したカサヘマスですが、ピカソ達とパリを訪れた時にジュルネーヌという女性を好きになったのですが振られてしまいました。 心配したピカソは一度スペインに連れて帰るのですがカサヘマスは再びパリへ舞い戻り、カフェで談笑するジュルネーヌをピストルで撃った後でこめかみに弾を撃ちこんで自殺しました。 ただし、ジュルネーヌは死んでおらず、その後も長生きして幸せな家庭を築いています。

    長くなるので、以下の時代は簡単に書いていきます。 「バラ色の時代(1904~1907)」ですが、この時期にはフェルナンド・オリヴィエという恋人がいて、明るい色調を使用して「サーカスの芸人」など楽しい感じの絵が多いです。 「アフリカ彫刻の時代(1907~1908)」は、アフリカ彫刻の影響を強く受けた時期で、この時期にキュビスムの端緒となる「アビニヨンの娘たち」が描かれました。

    「セザンヌ的キュビズムの時代(1908年後半)」では有名な画家セザンヌの描き方を、ピカソがアフリカ彫刻のキュビズムで描いた時期です。 「分析的キュビスムの時代(1909~1912)」は物体を分解するような、分析キュビスムを突きつめていった時期です。 「総合的キュビスムの時代(1912~1918)」は、コラージュ技法を発明した時期です。

    更に駆け足で説明していきますが、「新古典主義の時代(1918~1925)」は、古典的かつ量感のある母子像を描いていた時期で、「シュアレアシスムの時代(1926年)」はキャンバスの中を怪物のような絵が動き回る「ダンスや磔刑」などが描かれています。 「ゲルニカの時代(1937年)」はゲルニカ爆撃を見て怒りに震えたピカソが、ゲルニカの為の「泣く女」などを描いた時代です。

    そして「戦後の時代」は子供のような絵を子供のように自由に描いて、まるで絵を描くことがピカソに命を与えるかのようにキラキラしています。

    晩年のピカソは、過去の巨匠の作品をアレンジして新たな作品を描くという仕事を始めました。 有名なのはディエゴ・ベラスケスの「ラス・メニーナス」をベースとした連作ですが、他にもゴヤ、プッサン、マネ、クールベ、ドラクロワで同様の作品を仕上げています。

    最晩年の作風は今まで経てきたスタイルの混合となり、最後のエネルギーを制作に注入して、より大胆にカラフルで激しい絵を描きました。 晩年のピカソの作風は新表現主義に大きな影響を与えたと考えられていて、ピカソは死ぬまで時代を先取りする画家であったのです。

    なお、ピカソが亡くなったのは昭和48年なので、2008年の時点で35歳以上の人ならピカソが生きていた同じ時代を経験しているのです。 TVなどで「あなたの前世はピカソです。」なんて発言していますが、あれはバラエティなので聞き流してくださいね。 (苦笑)

    あなたは芸術の秋を、堪能していますか?

    (〃∇〃) あはっ~☆

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    受け入れる。

    おはようございます。 今日もあなたの心には素敵な青空が広がっていると思いますが、天使のように素敵なあなたにはシャワーのごとく幸せが降り注ぐはずです。 まるで未来を祝福してくれているようにイメージできたら、それはあなたの未来が明るい証拠です。

    ただし、人の気持ちは機械ではないから、いつも明るくいられるわけではありません。 受け入れるのが辛い時には、ちゃんと悲しい気持ちや辛い気持ちを抑えずに表しても良いと思います。 人は辛い時でも我慢するとか耐えると言うのが美徳みたいに言いますが、他人に迷惑をかけないのであれば我慢するのもおかしい話です。

    人に迷惑をかけずに自己責任ですることや自分に降りかかることを、関係のない他人が我慢しろと言うのはもっと変です。 自意識過剰でプライドの塊のような人なら、自分のことには触れて欲しくないのに他人のことにはアレヤコレヤと口を出すかもしれません。 こんなことを理不尽と言うのであり、そう言う意見は聞く必要はありません。

    生きていると必ず出会うことがあり仕事だけでも入社や退社~転職や独立、人間関係でも友人知人との関係に留まらず親との死別や恋人との別れなど、人生で味わうことの中で辛いや悲しいことは一杯あります。

    そんな時に受け入れると言うのは本当に苦しいかもしれませんが、それを受け入れないといけない状態の時には受け入れること自体が人生だと思うのです。

    人類は66億人以上いるのですから、同じ人生と言うのはありえません。 しかも、生きている条件は人それぞれで、成長過程も違うのですから今の状態だけ切り取って公平かどうかの判断はできません。

    生まれてきた以上は出会いと別れは避けられず、その別れの時に人は辛いとか悲しいと感じます。 出会う時は楽しい時が多いので、それ自体を考える人はいません。 しかし、別れとなると途端に「どうして?」と考え込んでしまうのです。

    出会いと別れはコインで言う表と裏なので、それを誰もコントロールはできません。 出会いがある以上は、その次に必ず別れが待っています。 それが早ければ人情や愛情も沸かない為、そんなに苦しいとも悲しいとも思いません。 しかし、ある一定期間以上を一緒に過ごす、親や恋人や友人との別れは悲しくて辛いものです。

    その想い出がホロリとするのは、あなたが愛されていた証拠です。

    愛が深ければ深いほど、別れの時に起こる悲しみや苦しみは大きくなります。 嫌な相手や憎い相手と別れるならば、別れることが嬉しくて悲しみも苦しみも存在しません。 せいせいしたと言う言葉があるように、別れが待ち遠しいかもしれません。 つまり、嫌な相手と別れる時には苦しくもないし悲しくもないのです。

    愛の大きさを感じると言うのは、誰かがあなたのことを見つめているから安心できるのです。

    巡り会うと言うのは何かが繋がっているからであり、それを人は縁と呼びます。 その縁があるのは家族としてだったり~恋人とだったり友人だったり、こぼれるほどの思いは一緒にいることに意味があるから起こるのです。

    忘れてしまうと言うのは勝負の世界では後を引きずらない為にも必要なことですが、人間関係においては紙を燃やしてしまうようなわけには行かないのです。

    人生において最も悲しいのは近親者など近くにいる存在を失うことですが、それは生きている以上は誰もが通らないといけない道です。 祖父母だったり父母だったり、兄弟や恋人や夫なんて場合だってあるかも知れません。

    人には寿命があるので、いつかは別れの時が来てしまいます。 それを止めることは誰にもできませんが、その人との思い出があると言うのは幸せです。 別れを悲しむと言うのは、お互いの間に愛が存在しないと無理だからです。

    あなたが100の愛を受けたなら、その100の愛をどのようにすれば返せるのか。 それは愛を受けた相手にだけ返したのでは、返しきれるものではありません。 愛の形とはひとつではなく、相手の気持ちに答えると言うのは誇れる自分でいることも必要なんです。

    もしも仮に、親などの近親者が亡くなると言う事態を受け入れないといけない時が来たなら、親があなたを見て尊敬できる「誇れる娘」でいて欲しいと思うのです。

    それこそが「一緒にいられる時間を大切にしておくこと」であり、別れを迎える前にできる精一杯のことなんです。 時間の流れを止めることはできないし、人の寿命を操れるなんてできません。 しかし、素晴らしい記憶や思い出はいくらでも作れるし、それは誰かの力を借りなくても自分でやれることなんです。

    誇れる娘でいたなら、親が悔いを残すことはありません。 自分の思いを受け継ぐだけの安心を胸に抱いて旅立てるようにしておくのが、生きている人ができることであり~やらなければならないことでもあります。

    あなたは目の前にあることを、キチンと受け入れることができますか?

    。。。ρ(-ω- )ソウダネ~。

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    膠原病。

    おはようございます。 今日は日曜日ですが、あなたにとって素晴らしい一日となり、輝ける情熱を胸に抱いて過ごせる日となる、私はそう信じています。 あなたが持っている健康と言う財産は、目には見えないけれど素晴らしい可能性を秘めた財産なんです。

    健康とは、それだけで財産であり素晴らしい幸運だと私は考えています。 自由自在に動くことが出来て自分の意思で何でも出来る、おまけに痛みもなく身体の調子を気にすることすらないと言うのは、とんでもなく幸せなことだと思うのです。

    私はお客様の未来を視ると言うことが主体ではあるけれど、返事が出来ないことも多々あります。 私が未熟と言うのもありますが~手も足も出ない未来に対しては、どうにも出来ない無力感が常に付きまとうのです。

    生きる道を模索する上で希望の光りは失ってはいけないけれど、どれだけ進めば光りに辿りつくのかの答えを私は持っていないのです。

    私は生まれつき難病と戦っている人を拝見させていただく時には、自分の無力感との戦いでもあります。 目の前にいる人に対して何も言えないし~言えるはずがない自分が情けないです。 病気における痛みや苦しみと言うのは個人だけのものであり、誰も真に理解することができません。

    一般的に難病とは治りにくい病気や不治の病を指し示す言葉であり、医学的に明確に定義された用語でありません。 特定疾患は基本的に「難病」と言われる病気のうちでも、治療や療養に関して行政の特別な対策が必要であるとする範囲を指定したモノです。

    難病とされる疾病を定義したモノはありませんが、行政や医療の現場では特定疾患を難病と俗称することがあるだけで、その中でも女性が避けて通れない難病のひとつに「膠原病」があります。

    膠原病を少し説明すると、人体は細菌やウイルスなどの病原体や正常な細胞がガン細胞に変化する時に、異物を排除しようと免疫機能が働きます。 この免疫機能に異常が起きると正常な細胞や細胞の隙間をうめている結合組織が、自分自身の免疫機能により間違って破壊されることがあります。

    この様に自分自身の正常な組織がターゲットになり破壊されてしまう病気を「自己免疫疾患」と言い、特に結合組織や血管を中心に慢性的な炎症と破壊が繰り返される自己免疫疾患を「膠原病」と言います。 人の体は結合組織や血管に囲まれているので、膠原病はほとんどの臓器に起こりうる病気で、どの臓器が主に侵されているかによっても特徴的な症状が現れます。

    関節リウマチは関節を中心に炎症と破壊が起きる膠原病の代表的な疾患で、膠原病は女性の方が圧倒的に多く妊娠や分娩を契機に発症したり悪化したりする事があります。

    膠原病の由来とは、全身のコラーゲン(膠)にフィブリノイド変性(病理組織学的に強い好酸性と屈折性を示す均一な構造物)が見られる一連の疾患群の総称として、1942年に定義されたのですが、研究が進むにつれてコラーゲンの変性が病態の本質ではないことが判明しました。

    それに伴い膠原病という名称が不適切であるとなって、結合組織病とも言われるようになりましたが、日本では膠原病の名称で呼ばれることが多いようです。

    主な症状として、発熱~倦怠感~関節痛~レイノー現象などがあり、痛みなどが慢性的に経過して寛解と再燃を繰り返しながら進行することもあります。 多くの場合に自己免疫疾患としての機序が関与していると考えられているが、完全な病態の解明はなされていないのが現状です。

    膠原病の有効な治療法は現代医学でも見つかっていない為、最新医療技術をもってしても完全に治すことは不可能だと言われています。 ただし、ステロイドや消炎剤などを使用することにより炎症がある程度は抑制されるので、日常生活に支障のない程度にコントロールすることは可能と言われています。

    最近では漢方薬などを用いた治療法もあるので、ステロイドだけでは制御できない症状に対する追加療法などとして、もちいられているようです。

    なお、欧米には膠原病学に関する名前の学問区分に値する言葉はないので、日本では膠原病を扱う病院の診療科として、「リウマチ科」と「膠原病内科」などの名称が混在していますが扱う分野に差はありません。 (注:膠原病に関して中四国であればS病院のM先生が良いと思っているのですが、こればっかりは相性の問題もあるので一概には言えないのが辛いところです。)

    私は自分をしばしば無力だと思うのは、難病に対する答えを何一つ持っていない為に難病の方を前にした時に何もできないからです。 何か言葉をかけられたなら良いのですが、中途半端なことは言える訳がありません。 「それは学びです。」なんて言葉は、難病と戦っている人の人生を冒涜する言葉であり、決して気軽に言ってはいけない言葉です。

    私は難病に対して無力であり~何も言えない霊視カウンセラーであると言うことを肝に銘じて、今後も努力と精進を持って歩んで行きたいと思います。 もしも、私のヒトコトで勇気や元気が出るのならば、それは私にとって何より嬉しい瞬間です。

    私の言葉はあなたにとって、少しでもお役に立てているのでしょうか?

    σ(TεT;)・・・?



    お知らせ:出張の為、ブログの更新はお休みいたします。 ブログの更新は18日(火)より~鑑定は17日(月)の午後より再開となります。 お手数をお掛けいたしますが、よろしくお願い申し上げます。 いつも御利用いただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    知らない世界。

    おはようございます。 今日は土曜日ですが、どんな素敵な週末を迎えることができるかとワクワクドキドキしてくださいね。 ワクワクする期待感は幸運を呼んで、更に良いことが起こる予感を強めます。 それが自分の知らない世界ならば、知識や経験の引き出しが増えるので相乗効果が更にアップします。

    この自分が知らない世界と言うのは何の分野でもあるし、いつでもどこでも意識の持ち方で見えてくる場合だってあります。

    これが絶対と言うのはほとんどありえないと言っても過言ではなく、トップとか一番というのだって一瞬の輝きでしかありえません。 地位やポジションにしても、いつかは誰かに取って代わられるし~栄枯盛衰の例えのごとく、うかうかしていると繁栄するのは今だけと言う厳しい現実があります。

    仏教に限らず宗教思想の中で「俗世間」と言う言葉がよく出てきますが、これは欲が存在する世界を指しています。 人の心の欲望が無ければ争いは起こらないのですが、欲がなければ発展しないのも事実であり、その辺のさじ加減は永遠のテーマです。

    ただし、余りにも自分が一番だと言う強烈な自意識過剰で生きていると、相手を認められなくなるので辛い現実に足を踏み入れる場面が多くなります。

    私は田舎者だし学歴もなく自閉症で知恵遅れと言われてきて、精神的に辛いとかどうとか言う前に、スタートラインに立つことが認められないのだからあきらめるしか術がありませんでした。 しかし、今から思い返せば自分の悪い面や直さなければならない面など、人生の修正と言う点では良かったのかもしれません。

    自然体で過ごしていくのはとても楽な生き方になりますが、自意識過剰でプライドの高い裸の王様でいると周りが見えなくなり、誰にも相手にされない悲しい人生が待っているのだけは確定です。

    過去の話しですが「山崎さんは六本木ヒルズに行ったことないの? あぁいう場所のお店に行かないからダメなんです。 私はヒルズでしか買い物はしない。」と、言われていた時期があります。 私はヒルズで買い物をするのが「そんなに偉いのか?」と思っていましたが、その人はヒルズのお店だけが一流と言う価値観だったのです。

    その後、寄付の神様に「ヒルズで買い物をすることがあるんですか?」と聞きました。 すると、「いいや、ヒルズでは買わない。 食事の時や会議の合間にお店を覗くことはあるけど買わない。 そりゃ、銀座の三越などデパートか、並木通りに行って買う。」と言う返事でした。

    このように価値観とは人によって違うので、決め付けることはよくないと思うのです。 自分が知らない世界を認めることができないと、自分より上の人に出会った時にプライドが酷く傷ついてしまいます。 そうなるとイライラして遠ざけるので、ますます世界が狭くなり誰にも相手にされなくなります。

    そういう狭い考えではなく、誰とでも話をしてみて価値観を認め合う。 こういう出会いから学ぶことは多く、その学びを自分に取り入れていけば、人は何歳でも成長できると思うのです。 自分が行くお店だけが一流だと言う考えでいると、最後には裸の王様になってしまいます。

    私にはトンと縁がない話しですが、10月18日&19日に福岡県で大丸デパート主催による一泊二日の展示会が行われました。

    この展示会は○○会と言う大丸デパートの外商部が作っている会で、毎年日本各地のホテルで展示会をしています。 今年はヤフードーム隣のシーホークホテルであったのですが、世界中のブランドがこの為に作った特別仕様のバッグ~服~ジュエリーなどあらゆるモノが並んでいます。

    ジュエリーなら1千万から1億クラスまであり、780万のコーヒーカップとか250万の万年筆など、まず一般には出回らない商品が並べてあります。 グッチの店員さんが知らないグッチ製品とかシャネルの店員さんが見たことないシャネル製品など、特別仕様のモノも並べてあったそうです。

    なお、この時にロ○○○コレクション2008と言う表紙が金色のカタログが約500部配布されて、一般では販売されていないモノばかりが掲載されています。 (このカタログは寄付の神様に譲ってもらい、倉敷事務所に置いてあるのでご自由に御覧くださいね。)

    そして展示会終了後はディナーと千住兄弟のコンサートがあり、翌日は朝から太宰府天満宮に行って、お昼より博多大丸にて外商部の人が専属に付いて買い物をして解散と言う日程でした。 (なお、一般と違う特別割引券が、最後に渡されたようです。)

    私は話を聞いただけですが、世の中には桁外れのお金持ちがいるんだなぁ~と感心します。 こう言う世界もあるのですから、何もヒルズのお店だけが一流と言うわけじゃありません。

    あなたは自分が知らない世界、それをどこまで見てみたいと思いますか?

    (」゜ロ゜)」 ナントォ~?

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