徒然草(岡山・東京・山崎かずみ)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    デッドゾーン。

    おはようございます。 今日も暑い一日となりそうですが、素敵なあなたは良い日となって笑顔で過ごせると思います。 暗い顔をしていると不運を呼んでしまいますが、笑顔で居ると幸運を招き寄せることになります。 運(調子)の悪い時には、流行っているお店などに行って、運のおすそ分けをしてもらうのも効果的です。

    私はどちらかと言うと幸運を振りまいて行きたいと考えているので、私が立ち寄ったお店には人が来るようになると思っています。 お店や会社を経営している人は、私が立ち寄ると「ラッキー!」と思っていただけるように今後も努力したいと思います。

    さて、倉敷駅前のある場所を歩いていると完全に判断ミスと言うか、戦略ミスなんだろうなぁと感じる場所があります。 その場所は夕方の5時~7時の間に、余り人がいないのです。 (一応平日の話で、休日は別です。)

    私はこのフロアの奥にあるパン屋さんへ時々行くのですが、入り口からパン屋さんまで誰ともすれ違わないことがあるし、買った後に駅方面の出口へたどり着くまで誰ともすれ違わないこともあります。 夕方5時以降に誰ともすれ違わないことが1回でもあるのは、非常ベルが鳴り響いている状態です。

    しかし、そんな状態を招いているのに気が付かないで変更もできないのは、嗅覚やカンが働いていない証拠かもしれません。

    基本的にショッピングをする場所と言うのは「デッドゾーン」を作ってはいけないのですが、このフロアはデッドゾーンが多いので、その通路を通れば誰ともすれ違うことなく外へ出ることが可能です。 私はここを通る時に店員さんと目が合うと気の毒ですし、店員さんもすることがなくて大変だと思うのです。

    何故こうなったのかはデッドゾーンの位置関係や動線、さらにはお客様の心理状態を考えていないからです。 駅へ向かう道と言うのは人通りが多いから、その両脇へテナントを並べればいいだろうと考えるのは素人のすることです。

    駅へ向かう人の流れは通勤や通学など所用を秘めている状態で向かうので、余計なことをしている暇はないのです。 たまにはお店の品物に目を奪われることもあるでしょうが、それはパーセンテージが少ないと思います。

    しかし、買い物に来る人は通路脇だけではなく、取り合えず奥まで行って見極めてから買う人が多いのです。 このフロアを見ると一目瞭然なのですが、奥のテナントほど流行っていて通路側のテナントほど閑古鳥が鳴いています。

    注:なお、「デッドゾーン」とは「使われていない領域」と言う意味であり、デパートなどでは人が通らないとか寄り付かない状態を言います。

    実は、この「デッドゾーン」と言うのは人間の心の中にもあり、今まで一生懸命やってきたのに、もう何をやっても駄目だとか無理だなどと感じる時があります。 このことを心理学では「デッドゾーン」と呼ぶのですが、この状態になると義務と役割に縛られてしまい、燃え尽き感や達成感による抜け殻状態につながってしまうのです。

    デッドゾーンをわかり易く例えるなら、恋人関係における倦怠期と言うならわかりやすいと思います。 あれだけ好きだったのに、何か話もなく二人でいる意味もわからぬまま過ごしてしまう、なんとなく惰性で過ごしているむなしさを感じていることなどに思い当たるならば、それは心のデッドゾーンに突入していることを示しているのです。

    二人の間に愛を感じなくなりコミュニケーションも無くなったのに、「お別れしましょう。」とも言えずにズルズルと愛が死にかけているような関係は、デッドゾーンをますます広げてしまうのです。

    夫婦関係でも同じであり、お父さんとしてやお母さんとしての役割、さらには給料を持って帰る側と家事をする側の役割にはまりこんでしまい、愛を感じない夫婦になったりして、この先の夫婦関係に関してあきらめや絶望を感じてしまったりするのは、夫婦関係のデッドゾーンに入っているので、離婚したくなければ何とかしないといけないのです。

    仕事にも当然デッドゾーンはあり、今まで自分が一生懸命やってきた仕事だったはずなのに、急にやる気が無くなってしまい燃え尽きた感じがして、わけもわからず疲れと仕事への意味の無さを感じ始めるのです。

    「私はこの5年間を、なんで働いてきたんだろう?」と思い始めて、仕事に義務と役割を当てはめてただ従うだけの状態は、人生のデッドゾーンに入ってしまいます。

    こうなると人生におけるデッドゾーンを捉え始めた証拠であり、人生にあきらめや絶望を感じて、人生に意味のなさや疲ればかりを感じるのです。 そして、生きていく意味や生まれてきた意味を知りたくなり、 それがわからない時は生きることが辛くなったり投げやりになったりし始めます。

    誰しもデッドゾーンに入るまでには、なんとかしようと努力をしたりして余計に傷ついてしまうことの繰り返しです。

    これを防ぐ為に考えなければいけないのは、あなたはひとりきりで生きているわけじゃないと言うことです。 未来で出会う予定の人のことを、しっかりと思い浮かべていただきたいのです。 あなたに会うことで生きがいや人生の影響など、未来を作り上げるキッカケができる人も大勢いるのです。

    あなたが生きる道の先には素晴らしい人々が一杯いて、その人達と出会う為にも立ち止まるわけには行かないのです。

    あなたは自分のデッドゾーンの解消を、キチンと出来ていますか?

    ヾ(@^∇^@)ノ ダイジョウブ~!

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    結婚。

    おはようございます。 少し前にブログ上でダイエットについて書いたことがありますが、あの時の方法はどれもやりにくかったと思います。 ダイエットについてどうすれば効果的かと考えていたのですが、ナカナカ簡単な方法が見つかりませんでした。 しかし、偶然ですが、脂肪細胞の個体数と大きさの話をしていたところ思いついた方法があります。

    そこで某医学博士に確認を取って健康に害がないことを確認の上、4月下旬よりダイエットについて聞かれたお客様にはあるダイエット方法をお話していました。 3ヶ月経過した現在、どうやら1ヶ月に2~3キロ痩せるようなのでお知りになりたい方は遠慮なくお聞きくださいね。

    なお、ギャル曽根さんくらい食べるのは厳禁ですが、食べたい物は自由に食べてくださいね。 運動もしなくていいし費用も掛からないので、ダメモトで試す価値はあると思います。

    さて、今日の本題です。 結婚したいと思う人は数多くいるでしょうが、その結婚の意味を本当に知っている人は余りいないと思います。 結婚~結婚と気軽に口に出来る言葉があるけれど、その言葉には深い意味があるのです。

    そもそも「結婚」とは何と聞かれたら、男女が夫婦になること~あるいは夫婦間の結びつきのことが一般的です。 しかし、「結婚と言う言葉」は明治時代に作られたと言うのを御存知の方は、よほど英語に詳しいか歴史に詳しいかのどちらかです。 (通訳や翻訳を仕事としているのに、これを知らない人もいるくらいです。)

    普段使われている意味は、成人男女が夫婦になることを指しているのですが、英語の「Marry」を翻訳する際に対訳語としての日本語がなかったので、「結婚」と言う言葉が作られたのです。

    基本的に一神教の国々では、成人男女が夫婦になる場合は神の許しを得る儀式が必要となります。 「Marry」とは、神との誓約を行ったアトに認められたものが夫婦となることを言います。 昔の日本人は神との誓約をしないまま夫婦になっていたので、「Marry」ではありませんでした。 古い日本語として「婚姻や婚礼や祝言」など夫婦になることを示す言葉はあったが、「Marry」ではなかったのです。

    このような背景から「結婚」とは明治時代に作られた言葉であり、神の許しを得て成人男女が夫婦になると言う本来の「Marry」と言う意味に基づいたのです。 しかし、そのことを正確に記している辞書も言語学者もいなかったので、新しい言葉であるにもかかわらず由来も意味も曖昧なまま、現代社会に根付いているのです。

    日本における神前結婚式は以上のような経緯から近年作られたものであり、昔はあのような儀式は存在していなかったのです。 ただし、時代劇では婚礼のシーンがありますが、あれは自宅や料亭などでしている「婚礼や祝言」であり、「結婚」ではありません。 私は前世など過去を視た時に「結婚」のシーンは視たことがなく、「婚礼」のシーンがほとんどです。

    なお、結婚の定義は国により違っています。 例えば、フランスでは「結婚=契約」であり、きちんと契約書を取り交わす必要があり、挙式だけでは法的に結婚を行ったとは認められません。

    しかし、日本においては婚姻届を出して戸籍に記載される、「婚姻(籍を入れる)」を結婚と定義する場合もありますが、近年では様々な結婚の定義が出来ています。 社会的結びつき~経済的結びつき~人間的結びつき~ 法的正当性などですが、これらの根底にあるものは残念ながら、愛ではなく契約と言う概念かもしれません。

    親子と言うのはタテの関係で、生まれたら自動的に関係が発生して原則的に一生の間不変です。 しかし、結婚というのは男と女が結びつくヨコの関係であり、血縁関係にない男女が結ばれるので結び付きはどうしても契約関係のような状態になります。

    したがって、結婚があると言うことは~離婚もあると言うことになります。 また、結婚は必ずしも同居を指し示すモノではなく、単身赴任等で離れて暮らしていても婚姻関係は成立します。

    結婚する時は、制度上の種類としていくつかの形があります。

    日本で言うと「一夫一婦制」で、一人の男性に対して一人の女性という結婚形態です。 近代国家では、ほぼこの婚姻制度です。 以前の先進国では妻のみに貞操義務を要求されたが、男性による女性の支配だとして男女共に貞操義務が課されたのです。 ただし、日本人男性の浮気率はかなり高いので、霊視で見るのが辛い時があります。 (苦笑)

    次に「一夫多妻制」ですが、これは一人の男性が複数の女性と婚姻関係を持つ形態で、現在でも中東などのイスラム社会などで認められています。 ただし、中東諸国やイスラム教徒の全ての男性が複数の妻を持っているわけではありません。

    逆に「一妻多夫制」もあり、一人の女性が複数の男性と婚姻関係を持つ形態で、現在この結婚制度を正式に法的に採用している国はないのですが、チベットなど一部では妻が複数の兄弟を夫とする慣習があります。

    その他では、「集団婚」「同性結婚」「近親婚」「交叉いとこ婚」「事実婚」など、制度上正式な婚姻ではないのですが、同居や経済基盤を共にするなど結婚と同様の関係を指す「結婚形態」もあります。

    罪になるので言えば「重婚」と言って、既に配偶者が居るのに他の者とも結婚することがあります。 罪にならないので言えば「通い婚」と言って、男性が女性の元に、もしくは女性が男性の元に通う形態があります。 なお、源氏物語で見られるのは妻問婚と言うもので、かつての日本ではよく見られた形態です。

    最後に、世界の先進国の中でも日本は非常に一般的に平和に、結婚が行われています。 国際結婚ではことは簡単に運びませんし、海外の結婚事情は意外と大変です。 ちなみにアメリカの離婚率は46%を超えており、結婚しても2組に1組は離婚している離婚大国でもあります。

    2008年の日本で結婚がスムーズに行かない理由は、実は明確にあります。 それは厚生労働省もつかんでいるのですが、発表すると色々な問題が発生するので表に出せないと言う話しです。 簡単に言えば男性が○○だからと言うことでもあるのですが、女性が安心して結婚できる社会が離婚率を下げるのです。

    あなたは結婚に対するイメージを、どう考えていますか?

    ( ‘∇‘ )ノ” コンチワー

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    明るい未来。

    おはようございます。 昨日の午前中に帰ってきて、午後より鑑定を再開しています。 東京に着いたら余りにも暑かったので、もうキャラクターストリートに行くよりも会場へ行って涼んでいようと予定を変更して、会場周辺の商店街やデパートを少し歩いただけでした。 (暑さに負けてしまったので、トトロは次の機会にします…。)

    今回は一日に戻したのですが、夜まで連続で休みなしでしたので終了したらフラフラでした。 もう元気もなく食事して寝るだけと言う感じだったのですが、お客様が笑顔になっていただけるなら、この疲れは心地良いモノになるので予約が多いのは嬉しい悲鳴です。 (次回の東京出張は、8月24日を予定しています。)

    お客様の未来を視た時には色々な未来があるのですが、生まれつき暗い未来の人はいません。 自分で暗くしている人はいるけれど、それは解消できるのです。 誰しも未来は明るいのだから、自分で暗い未来を選択しないで欲しいと思います。

    努力は嘘をつかないので、やればやるだけ自分に技術や知識が身に付きます。 誰であろうとも同じ人間である以上は、何かをする時に「相手には超能力があるけれど、自分にはない。」と言うような、とんでもない不公平は起こりえないのです。

    未来へ向かう道は幾重にも別れているけれど、正解はありません。 今と言う時間を切り取れば正解と言うのはあるけれど、時間が経つにつれて正しかったのかと思い返すこともしばしばあります。

    私が未来における運命のことを聞かれても、Aと言う道を行けばBと言う結果になり、Cと言う道を行けばDと言う道になります。 しかし、これはAもしくはCを選ぶと言う決断が必要であり、決断したなら実行する勇気や行動力が必要になります。

    あるところに、会社でいじめられていた女性がいました。 その女性にも悪いところはあるので、必ずしもいじめる側が全面的に悪いわけではありません。 しかし、この女性はどうして自分はいじめられるのかと、仕事や人間関係で悩んでいました。

    このお客様が御相談に来たのは、自分の生き方がこのままではいけないと思いつつ、何をすればいいのかがわからなくなっていた時期です。 私は未来において働く環境を変えることを提案したのですが、その未来へ踏み切ることは出来ませんでした。

    生活の為には仕方が無いのですが、いじめられようがどうしようが辞めない限りは収入の道が断たれることはありません。 生活を優先するなら我慢して、その場に留まり続けるのも大事なことです。 この選択は生活を機軸にしたなら、世間的にはひとつの正解です。

    本人もわかってはいるけれど環境を変えることへの不安はあり、それを選択した結果どうなるだろうかと言う不安の方が大きかったのです。 環境を変えると言うことは未知なる世界へのチャレンジでもあるから、不安が無い方がおかしいのです。

    実はこの気持ち、ほとんどのお客様が抱くものです。

    私も親と離れて暮らせば~生まれ育った場所を離れれば、飛躍的に運勢が良くなるのはわかっていたのに実行できなかった、そういう当時の私がいました。

    だからこそ運命を変えるのは簡単だけれど、それを実行するのが難しいと言うのは人一倍わかっているのです。 お越しくださるお客様の中にある情熱や想いは揺るぎの無いものですが、「実行したらどうなるのか?」と言うお客様の不安も理解できるので迂闊なことは言えないのです。

    その女性も「どうにかしたいけど、できない…。」 苦悩の日々は続き決断まで1年かかりましたが、一念発起して東京へ行きました。 どうして東京かと言えば、同じ県外へ出るのなら近くても遠くても一緒と言うのが理由です。 同じ一人暮らしをするのなら、近くても遠くてもひとりでいるのは同じなので、どうせなら住んでみたいところと言うのが決断した理由です。

    ここまで思い切れば運命も後押ししてくれるのか、この女性の運命は会社を辞めて東京へ出てから大きく動き始めました。

    最初はアルバイトで時間を過ごしていましたが、働いている時に偶然にA社を受けるチャンスが巡ってきました。 人見知りしていた彼女が一人暮らしを始めてからは、やるしかないと言う気持ちで次々と自分を変えるようにしていたので、ここぞとばかりに履歴書を出して入社試験を受けました。

    「不合格かなぁ~?」 不安な日々を過ごしていましたが、なんと合格の知らせが届いてアルバイト生活は終わりを告げました。 そして、入社してからはある部署に配属されたのですが、その部署に配属されたことも彼女のチャンスのひとつでした。

    その女性は地方では燻っていたけれど、都会へ出てからは水を得た魚のように輝き始めました。 自分がやりたい仕事について、自分が体験できなかったかもしれない出来事を、次々と自分のキャリアに刻み始めています。 しかし、その結果はそれまでの行動と決断により、引き起こされた努力と決断による成果といってイイことなのです。

    彼女は今、HさんとかEさんなどと一緒に仕事をする立場にいます。 しかし、これは彼女が動いたからこその結果であり、寝ているだけではありえないミラクルが起こっているのです。

    私は未来のお話しをするけれど、それは寝ていて実現するわけではなく行動に伴うものなのです。 やればできると言うのは嘘ではないけれど、やらないとできないのも嘘ではないのです。

    やりたいことをやる人生と、やりたくないのに仕方なくやる人生。 どちらも現実であり、どちらも選択次第で自分に起こりうる状態なのです。

    あなたはやりたいことに向かって、決断と行動をすることができますか?

    キャッー (^ω^*))((*^ω^) キャッー

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    どうをこう。

    おはようございます。 今日も暑い日になりそうですが、紫外線対策や熱中症対策はきちんとして、体調管理には充分気をつけてくださいね。 私は今日も事務所にて鑑定をしておりますが、明日は東京なのでワクワクしています。 今回は東京駅のキャラクターストリートに時間があれば行ってみたいのですが、「どうしよう?」と思っています。

    人は人生の色々なことについて「どうしよう?」と思い悩みますが、私も以前はクヨクヨしまくりでした。 何をやるにも後ろ向きで失敗することばかりを考えてしまい、上手くいかないのは自分のせいだと言うことに気付かなかったのです。

    霊視カウンセラーになってからは素敵な自分でいようと決めているので、後ろ向きな発言は極力しないようにしています。 ネタで面白く言うことはありますが、何があろうとも楽天的に前向きに生きて行く方が人生は明るいと考えています。

    何があっても私は強運でラッキーだと思っていますし、仮にそう思えないような事態が起きたとしても、「水が飲めて御飯が食べられるから幸せだ!」と言う風に、当たり前が当たり前でないことを自分に認識させています。

    モノは考え方なのですが、財布を落とした時に「財布を落としたからこそ、新しい可愛いお財布を買えた!」と前向きに考えるようにするのです。

    人には守り続けていることが誰の胸の中にもあるのですが、それを言い訳により正当化してしまうことが未来へ進む障害となってしまうのです。 「あの時に、もしも…。」 これを考えてしまうのは正常な証拠であり、悪いことではないので気にする必要はありません。 しかし、それについて思い悩んでしまい、後へ後へと過去の記憶の中で生活してしまうのは悲しいことです。

    何故、悲しいかと言えば過去の栄光を話すのは、現在が行き詰っている証拠だからです。 「昔は甲子園で活躍した。」とか「昔は10人の部下がいた。」など、過去の話は過去の話であり未来へ向かう話ではありません。

    甲子園で活躍した人が、何故プロにならないのか?
    部下が10人もいた人が、何故役員にならないのか?

    現在に不満を持っている人ほど~現在に閉塞感を感じている人ほど、過去の自分が輝いていた時を思い出すしかないのです。 周りで輝いている人を見てみると、過去の自分に触れる暇はないはずです。 未来で何をするかが忙しくて、過去にかまっている暇は無いと行っても過言ではありません。

    いくら学生時代に勢いがあっても社会に出て燻っているようでは、過去の栄光の中で生きていかなければ自分が辛くなってしまうのです。

    運は公平なのですが、その公平さを自分にとって有利に働かす為には、+と-を上手く活用することです。 運の良い人は自然と実行しているのですが、運の配分を自分に有利に持っていくのです。

    これをわかりやすく説明すると、あなたの日常において午前と午後では午後の方を長く感じます。 同じ時間なのに朝の時間は忙しく感じてしまい、あっという間にお昼12時がきてしまいます。 ところがお昼の12時から夜の12時までは長いと思うのですが、これを運に置き換えれば自分の進むべき道が見えてくるのです。

    仮に人生が70年だとしたら、0~35歳が午前で36~70歳が午後になります。

    ならば、35歳までは苦しくても36歳から死ぬまで楽な方が幸せに感じる時間が長いのです。 私の過去を見ていただければ良くわかるのですが、つい最近までいじめや貧乏生活で悲惨そのものでしたが、今は正反対の生活になりつつあります。 同じことをしているのに評価が変わり始めて、人生が大きく変わり始めているのです。 この変わりはじめた時が、午前から午後へ切り替わった時なのです。

    例を出すと、浜崎あゆみさんが昔はモデルや女優をしていたのですが、本人はそのことにほとんど触れません。 過去のことは過去のことであり、現在の歌姫である自分を大事にしているからこそ彼女は光り輝いているのです。 (これこそが、今が輝いている人は過去に触れないと言う見本です。)

    また、午前と午後の関係にしても、彼女が産まれてからモデル&女優時代までは「午前」であり、今は歌手と言う「午後」を過ごしているのです。 この午後の中にいる以上は運勢の波があっても乗り越えられるし、未来において彼女が売れなくなることはありえないのです。 ただし、これについては運勢上で彼女の姿勢が関係しているので、また別な機会で書きたいと思います。

    人生とは「どうしよう?」ではなく「こうしよう!」と言う生き方こそが、幸運を招くと思うのです。 運が悪い人は後手~後手に回るのですが、運の良い人は先手~先手と先に手を打つのです。 「どう」を「こう」に変えるだけで、どれだけヒトコトの重みが違ってくるのかは、行動を起こすかどうかにもつながっているのです。

    あなたが「どうしよう?」と思わずに、「こうしよう!」と動き始めるだけで、あなたの運命は進み始めるのです。 あなたに起こることは自分が決めるから起こるだけであり、決めないのに起こることはありえないのです。

    あなたは「どう」を、「こう」に変えることができますか?

    ヾ(^^ゞ))..( シ^^)ツ フレーフレー


    お知らせ:出張の為、ブログの更新はお休みします。 29日(火)より再開いたしますので、よろしくお願い申し上げます。 なお、鑑定の方は28日(月)の午後より開始いたしますので、お客様の御予約と御来店をワクワクドキドキしながらお待ちいたしております。 m(__)m

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    サバイバル生活。

    おはようございます。 昨日は土用の丑の日でしたから、ウナギを食べた人も多いのではないかと思います。

    このウナギを食べるという習慣が定着したのは、江戸時代中後期になってからです。 ウナギを食べる始まりとは、売り上げ不振に悩むウナギ屋さんより相談を受けた平賀源内が、「今日は土用の丑の日」と書いた張り紙を出して宣伝して繁盛したのが始まりです。 (平賀源内とは、江戸時代の画家&学者&発明家です。)

    ウナギと言えば、名古屋出張の夜はN市のIさんと食事に行ったのですが、その時にもIさんがウナギを食べようと気を使ってくださいました。 名古屋には蓬莱軒と言う有名なお店があり、最初はそこへ行こうと言うお話だったのですが、超人気店らしく駐車場も順番待ちでした。

    しかし、私は今回の名古屋では味噌煮込みうどんになると思っていたので、Iさんに「無理しなくていいですよ。」と言ってうどん屋さんへ行きました。 私はウナギが苦手と言うわけではないのですが、余り欲しくないのです。 (注:好き嫌いで言っているわけではありません。)

    私は食事をしながらIさんに「実はこれこれこうで~。」と、山崎的サバイバル生活のお話しをすると私が生まれ育った場所のがどういうところなのか、理解していただけたようです。 受けを狙って言った訳ではなく、小さい時にしていたことをそのまま言ったら…?

    私がウナギを食べたいと余り思わないのは、貧乏なワリには小~中学生の時にウナギや鮎をよく食べていたので思い出すからです。 何で貧乏なのにウナギや鮎に不自由しなかったのかと言えば、私が住んでいた田舎の家は川のすぐ側だったので釣っていたからです。

    例えばウナギの場合は、タコ糸と針で仕掛けをこしらえて夜8~10時頃にポイントとなる場所へ沈めておくのです。 夜なので専用の釣り糸でなくても充分使えたのですが、翌朝の5~6時頃に引き上げに行くと、ウナギやナマズやギギが釣れていたのです。 (そして、たまにはスッポンも掛かっていました。)

    それを家に持ち帰り、さばいて夜のおかずになると言うわけです。 これは生活の為にしていただけで、趣味じゃないのです。 家の前に川がある為、さほど時間もかからず仕掛けを10個くらい仕掛けておけるし、翌朝に引き上げに行くのもそんなに時間が掛からないのです。

    今からでは考えられないのですが、夏が来れば天然のウナギを食べ放題とまでは言いませんが何回かは食べていたのです。 おまけに都会では高級食材になっているところもあるナマズやギギも、何回か食卓に並んでいたので余り食べたいとは思わないのです。 (見ると昔を思い出すので、ある意味トラウマかもしれません。)

    次に鮎釣りの方ですが、これはモロに借金の為と言う方が正しいです。 借金の為とはどう言うことなのかアトで意味を書きますが、小~中~高~工場時代と我ながらよくしていたと思います。

    私は鮎の友釣りと言うのをしていたのですが、掛けバリ等の仕掛けで武装したオトリの鮎を、天然の野鮎の縄張り内に進入させて、友鮎を攻撃してきた野鮎を掛けバリで引っかけると言う釣り方です。

    基本的に昔も今も鮎は高級食材なので、養殖も盛んに行われています。 ただし、養殖と天然では別物かと言うくらい違いがあり、まず第一に香りがないのです。 参考までに、天然物と養殖物の違いとしてあげてみると、最初に色の違いがあります。

    天然の鮎は黄色みが強くて、鰭も橙色に近い感じです。 頭部の後ろの方にある追星と呼ばれる紋も黄色ですが、養殖は全体的に黒い感じがして黄色の部分はほとんど目立たないのです。 実は養殖の場合、天然と違い鮎が日焼けしてしまう為、色が違って見えるのです。

    また、天然モノは後頭部に脂肪分が余りなく、養殖モノは脂肪が多く外観的に盛り上がったような感じがあります。 この脂肪分の差は何故起きるかと言えば、餌の違いによるのです。 養殖は餌がいいのでしっかりと脂肪分がつくのですが、天然物は自然にある藻類を食べるので、余計な脂肪分がつかないのです。 その上に養殖は運動量が少ないのですが、天然はしっかりと流れの中を泳いでいる差もあります。

    さて、借金の為に鮎釣りとはどういうことかと言えば、釣った鮎を魚屋さんへ持って行き買い取って貰い利益を出していたのです。 このように鮎は魚屋さんで引き取ってもらえるので、一生懸命に鮎釣りをする男性が多いのです。 鮎釣りで釣り人同士が言い合いになっているのは「ポイントの取り合い=お金=欲が絡む」 これがほとんどです。

    ウナギやスッポンは大量に取れるわけではないのですが、鮎の場合は自分の腕と時間次第で成果がでるからです。 ウナギが200~250円くらい~スッポンが1000~1500円くらい~そして鮎が70~150円くらいで引き取ってくれていたのですが、もしも200匹くらい釣り上げるとどうなると思いますか…。

    ただし、これは父親の借金があるがゆえに出来ていただけで、今はとてもあの当時と同じ釣果をあげることは出来ないと思います。

    今日の話はお客様には縁のない話であり、これを読んでいる人がすることもないサバイバル生活です。

    あなたはこの話を読んで、そういう生活もあるんだなぁと思えますか?

    ドモ~♪ヽ(^-^ )

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    今すぐに。

    自分が今すぐにするべきことと、今はしなくても困らないことの違いが、その人の未来を大きく変えてしまう時があります。 今しなくてもイイことほど楽であり、今やるべきことほど困難が待ち受けているから、何となく手を出しづらく後回しにしてしまいがちです。

    人のことは言えないのですが、私は「言い訳ばかりして努力もせずに人のせいにする」の繰り返しであり、何かができないのは今の自分が悪いわけじゃないと常に自分が正しいとの立場を取ってきました。 それにより得たのは、すぐに人のせいにすると言う評価でした。 仕事においてミスをすると言うのは自分のせいではなく、人のせいと言う姿勢でいた私は仲間外れになるのも当然です。

    それがわからずにいた私は、学生時代だけではなく社会に出てからも苦労したのですが、その苦労とは自分を省みることができないから、気が付くまで苦労し続けたのだと思います。

    運命とは誰にも一度や二度のチャンスはくれるのですが、そのチャンスが来たことがわからないから苦労するだけであり、そのチャンスが来た時に行動して~不遇な時は何もせずに耐えるという具合に、押す時と引く時のタイミングが絶妙ならば苦労は減るのです。

    私が男性を見ていた時代に、証券会社に勤めている方がお越しになられました。 その方は悩んでおられたのですが、悩みの中身がまるで昔の私そのものでした。

    証券会社と言うのは営業しないといけないのですが、自分は不利な条件ばかりで不公平だから成績が上がらないと言うのが、その男性の言い分でした。 「俺だって、事務所と部下と看板と取引先さえ与えてくれれば、必ず成績を上げてみせる。」 こう言われたのですが残念ながら、その条件でも成績は未達成のままだと思います。

    私はこの男性の言い分がわからないわけではなく、昔の私そのものだったので逆に親近感が沸いてきました。 上手くいかない時には何か理由があるのではないかと、探したくなるのは心理的に仕方がないのです。 特に不景気な中で営業を一生懸命にしている人は、成績が芳しくない時には愚痴のひとつも出ると思います。

    何の世界でも一生懸命にしたのに成果が出ない時は、筆舌しがたいくらい辛いことだと思います。 私も1ヶ月で15人以下とか~1週間に1人も来ない時がありましたし、次から次へと移転を余儀なくされて保証も何も無く放り出されてきました。

    しかし、あきらめると言うのは今までしてきた過去を否定することであり、やり続けることができないのならば目標でも夢でもないと自分に言い聞かせてきたのです。

    何事も始めた時の条件は、どんな人でもそんなに大差があるわけではありません。 その過程において努力することで運を掴み、より好条件な立場に行く人はいます。 しかし、始めた時と言うのは、そんなに違いがないのに違いがあるように錯覚してしまうのです。

    あの孫正義氏率いるソフトバンクでも、最初は小さな事務所から立ち上げて社員の方も2~3人だったのです。 そういう最初の部分を忘れてしまい、今のソフトバンクを見て「ウチは小さい会社だから…。」 こう言ってあきらめてしまうような社長では、社員の信頼すら失ってしまうのです。 「ソフトバンクなら相手に不足は無い」と言えるのが、社長が取るべき本来の態度です。

    基本的に営業と配達では品物などを、「取引する」という点では似ていますが、全然違う世界なのです。 それなのに、条件がよければ売って見せると言うのでは、まるで「釣堀なら釣って見せる」と言っているようなものです

    「配達」すると言うのは、お客様が受け取りを待っていてくれると言う事実があり、そのモノが来るのを待ち望んでいるからこそ受け取ってくれるのです。 しかし、「営業」と言うのは買う気がないお客様の意識を掘り起こしたり、どうしようか迷っている人の意識を一押ししてあげる、この作業ができるのが営業と言う部分なのです。

    いつも勝てるジャンケンはする気がなくなるし、いつも成功するゲームはすぐに飽きてしまうと思います。 何事も簡単にはいかないからこそクリアした時の喜びは大きいし、やりがいも出てきてモチベーションも上がると思うのです。

    夢や目標と言うのがあるけれど、前に進まないとか~思い通りに行かないと言う場合に、まずやらなければならないのは「できない理由を排除すること」 できない~無理だ~無駄だ、それを達成する為には乗り越えなければならないことはいくらでもあるのに、それを後回しにしているといつまでも変化することはないのです。

    目の前にドアがあるなら~ドアを開けないと進めないのに、自動ドアと思い込んで空くのを待っていたら、後から来た人がさっさと追い越してしまうかもしれないのです。

    もしも、自分がやろうと思うのなら苦しい方の道を選んでおけば、最初は苦労するかもしれないけれど、しばらく経った後で真の実力がついた自分に驚くと思います。

    あなたは真の実力を身につけて、どれだけ成長できるかを想像できますか?

    ○(^-^)oイエイ♪ o(^-^)○ イエイ♪

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    秋葉原の真実。

    おはようございます。 先日の午前中に帰ってきて、午後より鑑定を再開しております。 鑑定終了後はホテルでひとり寂しくコンビニ弁当で済ませましたぁ~と言いたいところですが、寄付の神様御一行と待ち合わせて夜の博多へ食事に行ったのでコンビニ弁当ではありませんでした。 ヾ(>y<;)ノ

    本当は博多を見て歩いたことなどを書こうと思ったのですが、先日東京にて刺殺事件があったので、そういうわけにも行かなくなりました。 同じようなことや同じような内容が起こったり耳に入ったりと言うのはひとつの暗示なのですが、寄付の神様と食事中に秋葉原の話が出ました。

    そして先日東京の八王子で刺殺事件が起きたのですが、これはある話をしろと言う暗示なのかもと思いました。 このような事件が起きた時に、どう対処すればいいのかを一方向からだけではなく色々な方向より見ていないと、その真実においては意外な事態を引き起こしかねないのです。

    例えば、マスコミなどメディアもわかってはいるけれど、言えないことのひとつに○○○ーや○○における犯罪件数があります。 世間的なイメージやニュースでは乗客が強盗になって、運転手さんが襲われると言うのが認識されていると思います。 ところが、逆に乗客の方が襲われる事件もかなりの頻度で起きているのですが、それを正直に発表してしまうと業界の冷え込み、ひいては経済にまで影響を与えかねないのです。

    ○○○ー会社や○○会社の交際費や使途不明金は、ほとんどが○○に支払われているのに誰もそれには目を向けないのです。 某大手では年間7~8件程度の事件が起きているにもかかわらず、ほとんどが○○にて平穏に済ませているのが現実です。

    このように一面だけから見てはいけない事件と言うのが、世の中にはたくさんあるのですが、それを危機感として持てないのは今の日本が平和(まぁまぁ安全)だからです。

    ココからが本題なのですが、東京都千代田区外神田のJR秋葉原駅前の路上で、6月8日午後0時半頃に起きた事件を御存知だと思います。 これは男性がナイフで通行人らに切りつけた事件で、東京消防庁の発表によると、警察官を含む男女18人がけがを負いました。 (警視庁の発表では、男性5人と女性1人の計6人が死亡。)

    これはTVのニュースなどで色々と報道されているので、犯人の生い立ちがどうのこうのと言うようなワイドショー的なことは任せておいて、霊視カウンセラー的な切り口でこの事件の本当の怖さを書いてみたいと思います。

    確かに歩行者天国に車が突っ込んでくるとか、ナイフを持った男性が振り回して暴れているとか、普通は予見も予知も出来ないと思うので近寄らないようにする以外は、対策の取りようがありません。 この犯行に及んだ男性に叙情酌量の余地はない身勝手な犯行ですが、被害がこれだけではすまない隠れた部分があるのが本当に怖いところなのです。

    この事件のもうひとつの面は、善意の気持ちを持った人が危険な目に遭っているので緊急に手を打たないと行けない部分です。 それは被害にあった方を助けようと救助活動をされた人が、血液を浴びたり触ったことによる被害がじわじわ出てくるかも知れないのです。

    実は秋葉原通り魔殺傷事件の被害者のおひとりが、B型肝炎患者でした。 この被害者の方を善意の気持ちで救護した方~もしくは血液を浴びたり触ったりした方は、感染防止の為にすぐに病院を受診していただきたいです。 B型肝炎にならない為に感染予防の免疫グロブリン注射を、何はともあれ急いで打たないと危険なのです。 (救助された方がこれを読んでいたなら、即病院へ行って検査してください。)

    せっかくの善意の気持ちが、このような二次被害や三次被害を巻き起こすのだから、善意の行為とは何なのかを改めて考えさせられるのです。 血液と言うのはものすごく怖い部分があるので、施術用手袋などがない時はむやみやたらと血液に触らないようにしてください。 治療や救護は善意の部分ではいいことなのですが、それにより二次被害を巻き起こしては何にもなりません。

    ウイルスと言うのは空気感染など色々な広がり方をするのですが、現実問題として一番危険なのは「ドアノブ」なのです。

    出入り口には必ず何らかの接点がある為に、保菌者がドアノブや半自動ドアのタッチセンサーに触れたとすれば、そこから次々とウイルスが広がっていくのです。 WCなどは手を洗うところもあるので意外と安全なのですが、公共の場やコンビニなどは広がりやすいのです。 (大げさに言うなら、立ち読みの本から広がることもあるのです。)

    秋葉原の事件が、いかに何も考えずに自分勝手な感情から引き起こした事件なのか、これから二次被害が拡大するにつれてより大きなモノになっていくのです。 (この被害が判明するのは、5年先か~10年先か誰にもわからないのです)

    人助けの為の救護活動は素晴らしいことなので、当然の心得として行っていただきたいのですが、あなたの身に危険が及ぶ状況においてまで救護活動に参加するのはお勧めできません。 認知~判断をきちんとして、救護活動をする前の準備を怠らないようにしてから、善意の気持ちを存分に発揮してくださいね。

    迂闊な行動は被害を広げてしまうと言う、「善意の矛盾」があることは残念な事実なのです。

    あなたは善意の行動を、どのように考えますか?

    アリガト♪(*'-^)‐☆パチン

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    支援。

    おはようございます。 三連休の2日目ですがお仕事の人も休日の人も、素敵な青空のごとく心が澄み渡るような日々で過ごせたら、あなたの心に一筋の光が見えてくると思います。 日本に生まれたと言うのはひとつのチャンスなのですが、そのチャンスの意味を理解できたら感謝すると同時に幸運が訪れるのです。

    日本以外の国では貧困や飢えや紛争が絶え間なく起こっているのですが、教科書に載っていない現実と言うのが世界にはたくさんあります。 紛争問題ひとつ取っても「神の名の下に人を○していいのか?」と言う声もあれば、「神の啓示だから○すんだ!」と言う声もあります。

    日本に暮らしていると平和なので、どうしても緊急に自分の立場として考えることが出来ません。 電気~水道~ガスに加えて水や食料もたくさんあるので、どうしても現実味が沸かないから愛を忘れてしまうのかもしれません。

    アフリカでは貧困が蔓延していて、親がいる子供でも満足に生活できるかどうかはわかりません。 アフリカでは「産むことはできるけれど、育てることが出来ない」 これが悲しい現実なんです。

    ある兄弟に両親がいたのですが、父親が死んですぐに母親が病気になって、学校にも行けずに畑仕事やゴミ拾いなどで生計を立てていたのですが、看病敢え無く母親は亡くなってしまいました。 それでも兄弟は生きていかなければならないのですが、8歳と3歳では生活といっても出来ることは多寡が知れています。

    この兄弟は親が死んで家も無くなり、野生林の中で雨をしのぐような生活をしていたのです。 8歳の兄が木の実を拾ってきたりして、3歳の弟と野生の中で2年間も生き抜いていたのです。 そしてある団体の人が巡回していたら林の中で偶然、この兄弟を発見して保護しました。 今はちゃんと学校にも通い始めて、親を病気で亡くしたことから医師を目指しているのです。

    ボランティアの正しいやり方として、お腹が空いている人に魚を与えるよりも魚の取り方を教えなければならないのです。 ただ与えるだけでは~ただ貰うだけになり、未来への発展にならないからです。 井戸を掘ってあげるのではなく井戸の掘り方を教えることで、自分達で水の安定供給が出来るようになるのです。

    私はアフリカの子供達の里親みたいなこともしていますが、出来れば支援する子供の人数を毎年1~2人は増やしていきたいと思います。 ただし、ヤンキースの松井選手や杉様(杉良太郎)などは桁違いの人数をしているので、これほどまでは出来ないかもしれません。 しかし、ひとりでも多くの子供の支援が出来れば、何もしない欲丸出しの大人よりはマシだと思っています。

    注:お客様のおかげで支援できるのですから、御希望のお客様にはどこの国のどの子供か写真などをお見せします。

    では、何故アフリカの子供の支援かと言えば、少しアフリカに関しての説明が必要になります。 今のアフリカで緊急に何とかしなければならないのが、HIV/ヒト免疫不全ウイルスです。 (HIVとエイズは混同されやすいのですが、発病した状態をエイズと言います。)

    HIVにおけるアフリカでの死者数は、東京都の人口の2倍以上の2500万人を軽く超えています。 これが生命にかかわるだけでなく、死者数が多くなることで農業に従事できる労働者数が減るので、食糧不足に拍車をかける悪循環なのです。

    そして母親からの母子感染が防げたとしても、その後に子供達は親戚に預けられたり~ストリートチルドレンになるしかなく、政府(国)からの援助を受けられる子供は10人に1人もいないのです。 10人に1人以下なんて、まるでどこかの国の未来における、年金受給者数と同じような比率ですね。 (苦笑)

    どこかで歯止めをかけなければいけないのですが、どうやればいいのか誰にもわかりません。 民族や風習の違いもあるのでありがた迷惑に感じる人もいたりして、HIVを防いだり~治療したりができないのです。

    例えば、マラウイでは7人に1人がHIVに感染していると言われるのですが、それを減らすことは難しいのが現状です。 では、たちまち何が出来るかと言えば現状維持、つまり増やさないで今の状態を維持することが最善の策です。 これにより自然に減ることを誘発できるので、現状維持は大切なことなのです。

    また、ウガンダではもう一歩先のことができていて、HIVにおける親の死亡があっても教育や生活が出来る支援が徐々に出来つつあります。

    しかし、これらのことですら地域住民との折衝を繰り返しながら、少しづつ進めていかなくてはなりません。 ボランティアの人達の努力は凄いと思うのですが、途上国には一筋縄ではいかない部族社会がまだまだ根強く残っているのです。

    どんなに良いことであっても、部族のトップ(酋長)が駄目だと言えば受け入れられないのです。 極端な例ですが注射を打てば治ることでも、「同部族以外は身体に触るな」と言う掟の為に亡くなる人もいるのです。

    先進国で暮らしているとわからないのですが、地球温暖化の影響により近年のジンバブエでは記録的な干ばつにより食糧危機が起こりました。 ケニアでは干ばつと洪水と言う両極端な災害を招いて、命を亡くす人が大勢でました。 それでも人があきらめずに支援を続けることで状況は少しづつ改善されているので、これからも継続した支援が求められているのです。

    最後にコンゴの小学生の言葉ですが、「椅子と机で勉強できるのが、とても嬉しい!」

    あなたはこの言葉の意味を、どのように考えますか?

    (* ̄∇ ̄*)フフッ


    お知らせ:出張の為、ブログの更新はお休みします。 23日(水)より再開いたしますので、よろしくお願い申し上げます。 私と縁がある素敵なあなたには、素晴らしいな幸せが星の数ほど降り注ぐと、私は信じています。 m (゜- ゜ ) カミサマHELP!

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    会議室。

    おはようございます。 世は三連休ですが、私は相変わらず事務所に出ております。 お休みの人もお仕事の人も、素敵な三連休になるといいですね。 ( ̄ー ̄)v ブイ!

    来週は東京出張に行きますが、2日間だと初日の午前中が倉敷で夕方から東京と言う予定で慌しいのと、2日目の午前中にすることが無くて時間がもったいないので、とりあえず1日に戻してみました。 その代わりに長時間となるので、精神集中や体力面でお客様に御迷惑をかけないようにと気合を入れています。

    お越しくださる全てのお客様には、感謝しきれないくらいの御愛顧と御支援をいただいて本当にありがとうございます。

    素敵なお客様がお越しくださらなければ、私は陸に上がった河童のよう~もしくはハチミツの無いプーさんのようです。 お客様のおかげで日々を過ごすことが出来ると感謝の毎日で、その御厚意に答える為にも寄付やボランティアにより一層の力を注いで行きたいと思います。 m(__)m

    なお、私は車を持っていないので新幹線を利用していますが、岡山⇔東京は飛行機の方がいいかもしれません。 天候や災害で飛ばない場合は払い戻ししてくれますし、寝坊や勘違いなどの自己都合による乗り遅れでも、空きがあれば次の便にしてくれるなど融通が利きます。 (JR西はサービスなどの対応に、少々問題ありかなぁ~。)

    さて、今回は私が東京のどんな場所で出張鑑定しているのか、少し御紹介したいと思います。 私が東京出張で使用している会議室は23区内の某所にあるのですが、実は倉敷駅周辺とよく似た雰囲気です。 (特に駅の西側周辺は、雰囲気がソックリです。)

    倉敷と言えば美観地区などを思い浮かべる人も多いでしょうが、美観地区は倉敷駅から徒歩で10~15分ほど歩かないといけないので、駅周辺と言うわけではありません。 美観地区へは倉敷駅より南に向かい真っ直ぐに歩けば、左手に美観地区入り口が見えてきます。

    話は戻りますが、東京で利用している会議室は交通の便がいいので新幹線が利用しやすく、月曜日の早朝の新幹線に乗るのが楽です。 おまけに会場使用料が東京23区内と言うことを考えれば、とてもリーズナブルなので鑑定料を抑えることができるからです。

    また、テ○○ンノートと言う番組のロケをすぐ側の商店街で度々しているので、鑑定終了後に歩いているとロケ中の現場に出くわすことがあります。

    私が見たのは、「クジで当たりが出たら、生きている羊でも人は持って帰るのか?」と言う内容で、商店街に生きている羊がいました。 なお、クジが当たった人はどうしたのかと言えば、ちゃんと羊を連れて帰っていました。 餌とかの飼い方を、ちゃんと知っているのかな? ププッ ( ̄m ̄*)

    駅の東側はオフィス街と言う感じがあり、テナントビルやマンションも多い感じです。 女性に人気の某会社も駅の東側のビルにテナントとして入居していますし、某音楽系会社の本社が以前はありました。 なお、西側と言っても二通りあって、駅から川までの間は飲食店やショップなどがありますが、橋を渡ると西と言っても雰囲気がガラリと変わります。

    夕食は、駅の東側にケンタッキーとCoCo壱番屋が並んであるので、初日の夜がケンタッキーなら2日目の夜はCoCo壱番屋と言う感じです。 何しろ今までケンタッキーに入ったことがなく、今年の2月に生まれて初めてケンタッキーに行ったのですから凄~く嬉しいです。 ただし、今月は一日に戻したのでCoCo壱番屋だけかな~?

    私は基本的に外食が苦手なのですが、それは注文の仕方がわからないこともあるし、一人でお店に入るのは恥ずかしいと言うこともあります。 その為、コンビニで済ませるのですが、最近はファミレスやケンタッキーなどに入れるようになった方です。 (N市のIさんや寄付の神様と外食する時は、お二人が注文してくれるので助かります。)

    ただし、原則的にひとりでいる時は東京でもコンビニ弁当のことが多かったです。 昔のことを思えば御飯が食べられるだけでもありがたいので、とても外食などの贅沢する気にはなれないのです。

    出張時には新たなお客様との出会いや、新鮮な気持ちで色々なモノが見れたりするので気分転換にはもってこいです。 何かが無ければ事務所から出ることは無いので、強制的に用事を作るのは気分転換の為にも良いことです。

    私は元々田舎で生まれ育ったので、都会に出るとかなり新鮮な感じです。 倉敷も最初はものすごい都会に思えていましたし、コンビニが駅前にあるなんて信じられないと言う感じで、私が小~中学時代を過ごした所にコンビニができたのは4~5年前の話です。

    今日は何となく長々と説明的な内容でしたが、今後も努力と精進を持って歩んで行きたいと思います。 多大なる御愛顧と御支援をいただき、お客様には感謝の念が絶えません。

    素敵なあなたにお会いできるから、私はいつも元気でいられるのです。

    いつも、ありがとうございます。

    Thanks ☆☆** v(o^▽^o)v**☆☆ Thanks

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    占い師事情。

    私は素敵な霊視カウンセラーを目指しているので、常日頃から勉強を怠るわけには行きません。 もしも、看護師さんから仕事に関することを聞かれて「医学は苦手です。」 なんて言葉で済ますわけには行きません。 医学に関して言えば、研修医の方よりは上でないと私の努力が足りない、こう考えて医学系のブログを書いたりしています。

    と言うわけで、少し占い師事情を書いてみたいと思います。 私は素敵なタイプを目指していますが、世の中には色々な先生方がいるので自分に合うタイプが一番だと思います。 心が元気になるとか前向きになれるなど、明日へ立ち向かう勇気が出たならそれでいいと思うのです。

    さて、占いへ行ったことがある人が一度は感じるかもしれないことのひとつに、「悲観的な意見を言う占い師さん」が意外と多いことです。 基本的に占い師さんは悩んでいるお客様に対して、前向きな明るさや元気さを求められる仕事です。 ところが、現実的には暗い人や悲観的な人が少なくないのですが、これにはいくつかの理由があります。

    過去の経験において失敗~失恋~家庭不和など、幾多の挫折をきっかけにして占い師になった人も意外と多いのです。 占い師と言う職業は世間から認められるわけでもなく、その上に収入が不安定で社会的地位も信用もない仕事なので、余程の事情や条件が無ければなることは無い職業のひとつです。

    挫折自体は決して悪くはないのですが、残念なことに挫折した時の悲観的な人生観を持ち続ける占い師さんもいます。 これは占い師を続けると変わる人もいるのでケース・バイ・ケースですが、それ以上に大勢を占めるのがお越しになるお客様の負のエネルギーに負けてしまう場合の方です。

    基本的に御相談に来るというのは悩みがあるから来るのであり、ウキウキしてくるわけではありません。 その負のエネルギーを浴び続けていると、余程精神的にしっかりした人でないと、気付かないうちに悲観的な考えに傾いてしまうのです。 私が良いことしか言わないと決めているのも、負のエネルギーをこちらが出してしまうとお客様に失礼だからです。

    占いと言うのは種類が何であれ、現代の科学で証明出来るものではないので根拠や証拠がありません。 その為、御相談に対しての質疑応答の部分で、信用したいけれど疑ってしまうと言うような部分が出てきても仕方がないのです。 その様な状態で何人も鑑定していると、知らず知らずのうちに影響を受けてしまうこともあります。

    本当は、どんな場合であろうと占い師は負のエネルギーに、負けたり感化されてはいけないのですが…。

    以上のような理由により、御相談内容を否定的な面や悲観的な面からしか見られなくなってくると、それが物品販売や霊感商法につながる危険性も出てくるのです。 私は良いことしか言わない~物品販売は一切しない~明るい場所で霊視する~お祓いや祈祷はしないなど、怪しい部分は出来るだけ排除している、占い業界では変わり者の珍しい部類に入ります。

    ただし、私もツイツイ悲観的な意見ばかり口にするかもしれないので、もしも悪いことを言ったなら「ごめんなさい」 気を付けてはいるのですが、ネガティブになっている時があるかもしれません。

    また、良いことの方が多い運命なのに悪い運命の方を強調してしまう占い師さんが多いので、悪いことだけ耳に残ると言う現象も起きてきます。 これは悪いことを協調していった方が、リピーターになりやすいとか物品を売りやすいなどの、打算的な考えから来るものなので聞く必要はありません。 悪いことを言ってあおりたてると言う霊感商法が、この類となります。

    なお、占い師と言う職業は誤解されやすい部分も多いですし、占い師さん&マネージャー&受付の人には、傲慢で態度がデカイ人も多いので、もう少し腰を低くして謙虚でないとお客様に失礼だと思うのです。 (相談内容を他の人にしゃべる、そんな受付さんもいるのが残念です。)

    私は基本的に当たる当たらないよりも、お客様の心が元気になれるかどうかの方が大切だと思っています。 当たると言う点を重視していた以前の私と、当たらなくても元気になれると言う現在の私と、どちらを穏やかに感じる人が多いかは一目瞭然です。 占い師は上からモノを言ってはいけないと思うのですが、これは私個人の考えです。

    長くなりましたが、占い師さんが悲観的な意見を言いやすい理由は以上のような点であり、どうしても大勢を占めるようになりがちです。 また、良いことを言って外すよりも、悪いことを言って外す方がましと考える人もいるので、その考え方にも一理ありです。

    私は良いことしか言わないようにして、悲観的意見に走らないよう常に注意はしているつもりですが、万が一にもそう言ったなら大変申し訳ないです。

    あなたの未来は明るいのですが、それをちゃんと信じられますか?

    ☆⌒(*^∇゜)v ヴイッ

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