徒然草(占い・岡山・東京・霊視)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    デッドゾーン。

    おはようございます。 今日も暑い一日となりそうですが、素敵なあなたは良い日となって笑顔で過ごせると思います。 暗い顔をしていると不運を呼んでしまいますが、笑顔で居ると幸運を招き寄せることになります。 運(調子)の悪い時には、流行っているお店などに行って、運のおすそ分けをしてもらうのも効果的です。

    私はどちらかと言うと幸運を振りまいて行きたいと考えているので、私が立ち寄ったお店には人が来るようになると思っています。 お店や会社を経営している人は、私が立ち寄ると「ラッキー!」と思っていただけるように今後も努力したいと思います。

    さて、倉敷駅前のある場所を歩いていると完全に判断ミスと言うか、戦略ミスなんだろうなぁと感じる場所があります。 その場所は夕方の5時~7時の間に、余り人がいないのです。 (一応平日の話で、休日は別です。)

    私はこのフロアの奥にあるパン屋さんへ時々行くのですが、入り口からパン屋さんまで誰ともすれ違わないことがあるし、買った後に駅方面の出口へたどり着くまで誰ともすれ違わないこともあります。 夕方5時以降に誰ともすれ違わないことが1回でもあるのは、非常ベルが鳴り響いている状態です。

    しかし、そんな状態を招いているのに気が付かないで変更もできないのは、嗅覚やカンが働いていない証拠かもしれません。

    基本的にショッピングをする場所と言うのは「デッドゾーン」を作ってはいけないのですが、このフロアはデッドゾーンが多いので、その通路を通れば誰ともすれ違うことなく外へ出ることが可能です。 私はここを通る時に店員さんと目が合うと気の毒ですし、店員さんもすることがなくて大変だと思うのです。

    何故こうなったのかはデッドゾーンの位置関係や動線、さらにはお客様の心理状態を考えていないからです。 駅へ向かう道と言うのは人通りが多いから、その両脇へテナントを並べればいいだろうと考えるのは素人のすることです。

    駅へ向かう人の流れは通勤や通学など所用を秘めている状態で向かうので、余計なことをしている暇はないのです。 たまにはお店の品物に目を奪われることもあるでしょうが、それはパーセンテージが少ないと思います。

    しかし、買い物に来る人は通路脇だけではなく、取り合えず奥まで行って見極めてから買う人が多いのです。 このフロアを見ると一目瞭然なのですが、奥のテナントほど流行っていて通路側のテナントほど閑古鳥が鳴いています。

    注:なお、「デッドゾーン」とは「使われていない領域」と言う意味であり、デパートなどでは人が通らないとか寄り付かない状態を言います。

    実は、この「デッドゾーン」と言うのは人間の心の中にもあり、今まで一生懸命やってきたのに、もう何をやっても駄目だとか無理だなどと感じる時があります。 このことを心理学では「デッドゾーン」と呼ぶのですが、この状態になると義務と役割に縛られてしまい、燃え尽き感や達成感による抜け殻状態につながってしまうのです。

    デッドゾーンをわかり易く例えるなら、恋人関係における倦怠期と言うならわかりやすいと思います。 あれだけ好きだったのに、何か話もなく二人でいる意味もわからぬまま過ごしてしまう、なんとなく惰性で過ごしているむなしさを感じていることなどに思い当たるならば、それは心のデッドゾーンに突入していることを示しているのです。

    二人の間に愛を感じなくなりコミュニケーションも無くなったのに、「お別れしましょう。」とも言えずにズルズルと愛が死にかけているような関係は、デッドゾーンをますます広げてしまうのです。

    夫婦関係でも同じであり、お父さんとしてやお母さんとしての役割、さらには給料を持って帰る側と家事をする側の役割にはまりこんでしまい、愛を感じない夫婦になったりして、この先の夫婦関係に関してあきらめや絶望を感じてしまったりするのは、夫婦関係のデッドゾーンに入っているので、離婚したくなければ何とかしないといけないのです。

    仕事にも当然デッドゾーンはあり、今まで自分が一生懸命やってきた仕事だったはずなのに、急にやる気が無くなってしまい燃え尽きた感じがして、わけもわからず疲れと仕事への意味の無さを感じ始めるのです。

    「私はこの5年間を、なんで働いてきたんだろう?」と思い始めて、仕事に義務と役割を当てはめてただ従うだけの状態は、人生のデッドゾーンに入ってしまいます。

    こうなると人生におけるデッドゾーンを捉え始めた証拠であり、人生にあきらめや絶望を感じて、人生に意味のなさや疲ればかりを感じるのです。 そして、生きていく意味や生まれてきた意味を知りたくなり、 それがわからない時は生きることが辛くなったり投げやりになったりし始めます。

    誰しもデッドゾーンに入るまでには、なんとかしようと努力をしたりして余計に傷ついてしまうことの繰り返しです。

    これを防ぐ為に考えなければいけないのは、あなたはひとりきりで生きているわけじゃないと言うことです。 未来で出会う予定の人のことを、しっかりと思い浮かべていただきたいのです。 あなたに会うことで生きがいや人生の影響など、未来を作り上げるキッカケができる人も大勢いるのです。

    あなたが生きる道の先には素晴らしい人々が一杯いて、その人達と出会う為にも立ち止まるわけには行かないのです。

    あなたは自分のデッドゾーンの解消を、キチンと出来ていますか?

    ヾ(@^∇^@)ノ ダイジョウブ~!

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    結婚。

    おはようございます。 少し前にブログ上でダイエットについて書いたことがありますが、あの時の方法はどれもやりにくかったと思います。 ダイエットについてどうすれば効果的かと考えていたのですが、ナカナカ簡単な方法が見つかりませんでした。 しかし、偶然ですが、脂肪細胞の個体数と大きさの話をしていたところ思いついた方法があります。

    そこで某医学博士に確認を取って健康に害がないことを確認の上、4月下旬よりダイエットについて聞かれたお客様にはあるダイエット方法をお話していました。 3ヶ月経過した現在、どうやら1ヶ月に2~3キロ痩せるようなのでお知りになりたい方は遠慮なくお聞きくださいね。

    なお、ギャル曽根さんくらい食べるのは厳禁ですが、食べたい物は自由に食べてくださいね。 運動もしなくていいし費用も掛からないので、ダメモトで試す価値はあると思います。

    さて、今日の本題です。 結婚したいと思う人は数多くいるでしょうが、その結婚の意味を本当に知っている人は余りいないと思います。 結婚~結婚と気軽に口に出来る言葉があるけれど、その言葉には深い意味があるのです。

    そもそも「結婚」とは何と聞かれたら、男女が夫婦になること~あるいは夫婦間の結びつきのことが一般的です。 しかし、「結婚と言う言葉」は明治時代に作られたと言うのを御存知の方は、よほど英語に詳しいか歴史に詳しいかのどちらかです。 (通訳や翻訳を仕事としているのに、これを知らない人もいるくらいです。)

    普段使われている意味は、成人男女が夫婦になることを指しているのですが、英語の「Marry」を翻訳する際に対訳語としての日本語がなかったので、「結婚」と言う言葉が作られたのです。

    基本的に一神教の国々では、成人男女が夫婦になる場合は神の許しを得る儀式が必要となります。 「Marry」とは、神との誓約を行ったアトに認められたものが夫婦となることを言います。 昔の日本人は神との誓約をしないまま夫婦になっていたので、「Marry」ではありませんでした。 古い日本語として「婚姻や婚礼や祝言」など夫婦になることを示す言葉はあったが、「Marry」ではなかったのです。

    このような背景から「結婚」とは明治時代に作られた言葉であり、神の許しを得て成人男女が夫婦になると言う本来の「Marry」と言う意味に基づいたのです。 しかし、そのことを正確に記している辞書も言語学者もいなかったので、新しい言葉であるにもかかわらず由来も意味も曖昧なまま、現代社会に根付いているのです。

    日本における神前結婚式は以上のような経緯から近年作られたものであり、昔はあのような儀式は存在していなかったのです。 ただし、時代劇では婚礼のシーンがありますが、あれは自宅や料亭などでしている「婚礼や祝言」であり、「結婚」ではありません。 私は前世など過去を視た時に「結婚」のシーンは視たことがなく、「婚礼」のシーンがほとんどです。

    なお、結婚の定義は国により違っています。 例えば、フランスでは「結婚=契約」であり、きちんと契約書を取り交わす必要があり、挙式だけでは法的に結婚を行ったとは認められません。

    しかし、日本においては婚姻届を出して戸籍に記載される、「婚姻(籍を入れる)」を結婚と定義する場合もありますが、近年では様々な結婚の定義が出来ています。 社会的結びつき~経済的結びつき~人間的結びつき~ 法的正当性などですが、これらの根底にあるものは残念ながら、愛ではなく契約と言う概念かもしれません。

    親子と言うのはタテの関係で、生まれたら自動的に関係が発生して原則的に一生の間不変です。 しかし、結婚というのは男と女が結びつくヨコの関係であり、血縁関係にない男女が結ばれるので結び付きはどうしても契約関係のような状態になります。

    したがって、結婚があると言うことは~離婚もあると言うことになります。 また、結婚は必ずしも同居を指し示すモノではなく、単身赴任等で離れて暮らしていても婚姻関係は成立します。

    結婚する時は、制度上の種類としていくつかの形があります。

    日本で言うと「一夫一婦制」で、一人の男性に対して一人の女性という結婚形態です。 近代国家では、ほぼこの婚姻制度です。 以前の先進国では妻のみに貞操義務を要求されたが、男性による女性の支配だとして男女共に貞操義務が課されたのです。 ただし、日本人男性の浮気率はかなり高いので、霊視で見るのが辛い時があります。 (苦笑)

    次に「一夫多妻制」ですが、これは一人の男性が複数の女性と婚姻関係を持つ形態で、現在でも中東などのイスラム社会などで認められています。 ただし、中東諸国やイスラム教徒の全ての男性が複数の妻を持っているわけではありません。

    逆に「一妻多夫制」もあり、一人の女性が複数の男性と婚姻関係を持つ形態で、現在この結婚制度を正式に法的に採用している国はないのですが、チベットなど一部では妻が複数の兄弟を夫とする慣習があります。

    その他では、「集団婚」「同性結婚」「近親婚」「交叉いとこ婚」「事実婚」など、制度上正式な婚姻ではないのですが、同居や経済基盤を共にするなど結婚と同様の関係を指す「結婚形態」もあります。

    罪になるので言えば「重婚」と言って、既に配偶者が居るのに他の者とも結婚することがあります。 罪にならないので言えば「通い婚」と言って、男性が女性の元に、もしくは女性が男性の元に通う形態があります。 なお、源氏物語で見られるのは妻問婚と言うもので、かつての日本ではよく見られた形態です。

    最後に、世界の先進国の中でも日本は非常に一般的に平和に、結婚が行われています。 国際結婚ではことは簡単に運びませんし、海外の結婚事情は意外と大変です。 ちなみにアメリカの離婚率は46%を超えており、結婚しても2組に1組は離婚している離婚大国でもあります。

    2008年の日本で結婚がスムーズに行かない理由は、実は明確にあります。 それは厚生労働省もつかんでいるのですが、発表すると色々な問題が発生するので表に出せないと言う話しです。 簡単に言えば男性が○○だからと言うことでもあるのですが、女性が安心して結婚できる社会が離婚率を下げるのです。

    あなたは結婚に対するイメージを、どう考えていますか?

    ( ‘∇‘ )ノ” コンチワー

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    明るい未来。

    おはようございます。 昨日の午前中に帰ってきて、午後より鑑定を再開しています。 東京に着いたら余りにも暑かったので、もうキャラクターストリートに行くよりも会場へ行って涼んでいようと予定を変更して、会場周辺の商店街やデパートを少し歩いただけでした。 (暑さに負けてしまったので、トトロは次の機会にします…。)

    今回は一日に戻したのですが、夜まで連続で休みなしでしたので終了したらフラフラでした。 もう元気もなく食事して寝るだけと言う感じだったのですが、お客様が笑顔になっていただけるなら、この疲れは心地良いモノになるので予約が多いのは嬉しい悲鳴です。 (次回の東京出張は、8月24日を予定しています。)

    お客様の未来を視た時には色々な未来があるのですが、生まれつき暗い未来の人はいません。 自分で暗くしている人はいるけれど、それは解消できるのです。 誰しも未来は明るいのだから、自分で暗い未来を選択しないで欲しいと思います。

    努力は嘘をつかないので、やればやるだけ自分に技術や知識が身に付きます。 誰であろうとも同じ人間である以上は、何かをする時に「相手には超能力があるけれど、自分にはない。」と言うような、とんでもない不公平は起こりえないのです。

    未来へ向かう道は幾重にも別れているけれど、正解はありません。 今と言う時間を切り取れば正解と言うのはあるけれど、時間が経つにつれて正しかったのかと思い返すこともしばしばあります。

    私が未来における運命のことを聞かれても、Aと言う道を行けばBと言う結果になり、Cと言う道を行けばDと言う道になります。 しかし、これはAもしくはCを選ぶと言う決断が必要であり、決断したなら実行する勇気や行動力が必要になります。

    あるところに、会社でいじめられていた女性がいました。 その女性にも悪いところはあるので、必ずしもいじめる側が全面的に悪いわけではありません。 しかし、この女性はどうして自分はいじめられるのかと、仕事や人間関係で悩んでいました。

    このお客様が御相談に来たのは、自分の生き方がこのままではいけないと思いつつ、何をすればいいのかがわからなくなっていた時期です。 私は未来において働く環境を変えることを提案したのですが、その未来へ踏み切ることは出来ませんでした。

    生活の為には仕方が無いのですが、いじめられようがどうしようが辞めない限りは収入の道が断たれることはありません。 生活を優先するなら我慢して、その場に留まり続けるのも大事なことです。 この選択は生活を機軸にしたなら、世間的にはひとつの正解です。

    本人もわかってはいるけれど環境を変えることへの不安はあり、それを選択した結果どうなるだろうかと言う不安の方が大きかったのです。 環境を変えると言うことは未知なる世界へのチャレンジでもあるから、不安が無い方がおかしいのです。

    実はこの気持ち、ほとんどのお客様が抱くものです。

    私も親と離れて暮らせば~生まれ育った場所を離れれば、飛躍的に運勢が良くなるのはわかっていたのに実行できなかった、そういう当時の私がいました。

    だからこそ運命を変えるのは簡単だけれど、それを実行するのが難しいと言うのは人一倍わかっているのです。 お越しくださるお客様の中にある情熱や想いは揺るぎの無いものですが、「実行したらどうなるのか?」と言うお客様の不安も理解できるので迂闊なことは言えないのです。

    その女性も「どうにかしたいけど、できない…。」 苦悩の日々は続き決断まで1年かかりましたが、一念発起して東京へ行きました。 どうして東京かと言えば、同じ県外へ出るのなら近くても遠くても一緒と言うのが理由です。 同じ一人暮らしをするのなら、近くても遠くてもひとりでいるのは同じなので、どうせなら住んでみたいところと言うのが決断した理由です。

    ここまで思い切れば運命も後押ししてくれるのか、この女性の運命は会社を辞めて東京へ出てから大きく動き始めました。

    最初はアルバイトで時間を過ごしていましたが、働いている時に偶然にA社を受けるチャンスが巡ってきました。 人見知りしていた彼女が一人暮らしを始めてからは、やるしかないと言う気持ちで次々と自分を変えるようにしていたので、ここぞとばかりに履歴書を出して入社試験を受けました。

    「不合格かなぁ~?」 不安な日々を過ごしていましたが、なんと合格の知らせが届いてアルバイト生活は終わりを告げました。 そして、入社してからはある部署に配属されたのですが、その部署に配属されたことも彼女のチャンスのひとつでした。

    その女性は地方では燻っていたけれど、都会へ出てからは水を得た魚のように輝き始めました。 自分がやりたい仕事について、自分が体験できなかったかもしれない出来事を、次々と自分のキャリアに刻み始めています。 しかし、その結果はそれまでの行動と決断により、引き起こされた努力と決断による成果といってイイことなのです。

    彼女は今、HさんとかEさんなどと一緒に仕事をする立場にいます。 しかし、これは彼女が動いたからこその結果であり、寝ているだけではありえないミラクルが起こっているのです。

    私は未来のお話しをするけれど、それは寝ていて実現するわけではなく行動に伴うものなのです。 やればできると言うのは嘘ではないけれど、やらないとできないのも嘘ではないのです。

    やりたいことをやる人生と、やりたくないのに仕方なくやる人生。 どちらも現実であり、どちらも選択次第で自分に起こりうる状態なのです。

    あなたはやりたいことに向かって、決断と行動をすることができますか?

    キャッー (^ω^*))((*^ω^) キャッー

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    どうをこう。

    おはようございます。 今日も暑い日になりそうですが、紫外線対策や熱中症対策はきちんとして、体調管理には充分気をつけてくださいね。 私は今日も事務所にて鑑定をしておりますが、明日は東京なのでワクワクしています。 今回は東京駅のキャラクターストリートに時間があれば行ってみたいのですが、「どうしよう?」と思っています。

    人は人生の色々なことについて「どうしよう?」と思い悩みますが、私も以前はクヨクヨしまくりでした。 何をやるにも後ろ向きで失敗することばかりを考えてしまい、上手くいかないのは自分のせいだと言うことに気付かなかったのです。

    霊視カウンセラーになってからは素敵な自分でいようと決めているので、後ろ向きな発言は極力しないようにしています。 ネタで面白く言うことはありますが、何があろうとも楽天的に前向きに生きて行く方が人生は明るいと考えています。

    何があっても私は強運でラッキーだと思っていますし、仮にそう思えないような事態が起きたとしても、「水が飲めて御飯が食べられるから幸せだ!」と言う風に、当たり前が当たり前でないことを自分に認識させています。

    モノは考え方なのですが、財布を落とした時に「財布を落としたからこそ、新しい可愛いお財布を買えた!」と前向きに考えるようにするのです。

    人には守り続けていることが誰の胸の中にもあるのですが、それを言い訳により正当化してしまうことが未来へ進む障害となってしまうのです。 「あの時に、もしも…。」 これを考えてしまうのは正常な証拠であり、悪いことではないので気にする必要はありません。 しかし、それについて思い悩んでしまい、後へ後へと過去の記憶の中で生活してしまうのは悲しいことです。

    何故、悲しいかと言えば過去の栄光を話すのは、現在が行き詰っている証拠だからです。 「昔は甲子園で活躍した。」とか「昔は10人の部下がいた。」など、過去の話は過去の話であり未来へ向かう話ではありません。

    甲子園で活躍した人が、何故プロにならないのか?
    部下が10人もいた人が、何故役員にならないのか?

    現在に不満を持っている人ほど~現在に閉塞感を感じている人ほど、過去の自分が輝いていた時を思い出すしかないのです。 周りで輝いている人を見てみると、過去の自分に触れる暇はないはずです。 未来で何をするかが忙しくて、過去にかまっている暇は無いと行っても過言ではありません。

    いくら学生時代に勢いがあっても社会に出て燻っているようでは、過去の栄光の中で生きていかなければ自分が辛くなってしまうのです。

    運は公平なのですが、その公平さを自分にとって有利に働かす為には、+と-を上手く活用することです。 運の良い人は自然と実行しているのですが、運の配分を自分に有利に持っていくのです。

    これをわかりやすく説明すると、あなたの日常において午前と午後では午後の方を長く感じます。 同じ時間なのに朝の時間は忙しく感じてしまい、あっという間にお昼12時がきてしまいます。 ところがお昼の12時から夜の12時までは長いと思うのですが、これを運に置き換えれば自分の進むべき道が見えてくるのです。

    仮に人生が70年だとしたら、0~35歳が午前で36~70歳が午後になります。

    ならば、35歳までは苦しくても36歳から死ぬまで楽な方が幸せに感じる時間が長いのです。 私の過去を見ていただければ良くわかるのですが、つい最近までいじめや貧乏生活で悲惨そのものでしたが、今は正反対の生活になりつつあります。 同じことをしているのに評価が変わり始めて、人生が大きく変わり始めているのです。 この変わりはじめた時が、午前から午後へ切り替わった時なのです。

    例を出すと、浜崎あゆみさんが昔はモデルや女優をしていたのですが、本人はそのことにほとんど触れません。 過去のことは過去のことであり、現在の歌姫である自分を大事にしているからこそ彼女は光り輝いているのです。 (これこそが、今が輝いている人は過去に触れないと言う見本です。)

    また、午前と午後の関係にしても、彼女が産まれてからモデル&女優時代までは「午前」であり、今は歌手と言う「午後」を過ごしているのです。 この午後の中にいる以上は運勢の波があっても乗り越えられるし、未来において彼女が売れなくなることはありえないのです。 ただし、これについては運勢上で彼女の姿勢が関係しているので、また別な機会で書きたいと思います。

    人生とは「どうしよう?」ではなく「こうしよう!」と言う生き方こそが、幸運を招くと思うのです。 運が悪い人は後手~後手に回るのですが、運の良い人は先手~先手と先に手を打つのです。 「どう」を「こう」に変えるだけで、どれだけヒトコトの重みが違ってくるのかは、行動を起こすかどうかにもつながっているのです。

    あなたが「どうしよう?」と思わずに、「こうしよう!」と動き始めるだけで、あなたの運命は進み始めるのです。 あなたに起こることは自分が決めるから起こるだけであり、決めないのに起こることはありえないのです。

    あなたは「どう」を、「こう」に変えることができますか?

    ヾ(^^ゞ))..( シ^^)ツ フレーフレー


    お知らせ:出張の為、ブログの更新はお休みします。 29日(火)より再開いたしますので、よろしくお願い申し上げます。 なお、鑑定の方は28日(月)の午後より開始いたしますので、お客様の御予約と御来店をワクワクドキドキしながらお待ちいたしております。 m(__)m

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    サバイバル生活。

    おはようございます。 昨日は土用の丑の日でしたから、ウナギを食べた人も多いのではないかと思います。

    このウナギを食べるという習慣が定着したのは、江戸時代中後期になってからです。 ウナギを食べる始まりとは、売り上げ不振に悩むウナギ屋さんより相談を受けた平賀源内が、「今日は土用の丑の日」と書いた張り紙を出して宣伝して繁盛したのが始まりです。 (平賀源内とは、江戸時代の画家&学者&発明家です。)

    ウナギと言えば、名古屋出張の夜はN市のIさんと食事に行ったのですが、その時にもIさんがウナギを食べようと気を使ってくださいました。 名古屋には蓬莱軒と言う有名なお店があり、最初はそこへ行こうと言うお話だったのですが、超人気店らしく駐車場も順番待ちでした。

    しかし、私は今回の名古屋では味噌煮込みうどんになると思っていたので、Iさんに「無理しなくていいですよ。」と言ってうどん屋さんへ行きました。 私はウナギが苦手と言うわけではないのですが、余り欲しくないのです。 (注:好き嫌いで言っているわけではありません。)

    私は食事をしながらIさんに「実はこれこれこうで~。」と、山崎的サバイバル生活のお話しをすると私が生まれ育った場所のがどういうところなのか、理解していただけたようです。 受けを狙って言った訳ではなく、小さい時にしていたことをそのまま言ったら…?

    私がウナギを食べたいと余り思わないのは、貧乏なワリには小~中学生の時にウナギや鮎をよく食べていたので思い出すからです。 何で貧乏なのにウナギや鮎に不自由しなかったのかと言えば、私が住んでいた田舎の家は川のすぐ側だったので釣っていたからです。

    例えばウナギの場合は、タコ糸と針で仕掛けをこしらえて夜8~10時頃にポイントとなる場所へ沈めておくのです。 夜なので専用の釣り糸でなくても充分使えたのですが、翌朝の5~6時頃に引き上げに行くと、ウナギやナマズやギギが釣れていたのです。 (そして、たまにはスッポンも掛かっていました。)

    それを家に持ち帰り、さばいて夜のおかずになると言うわけです。 これは生活の為にしていただけで、趣味じゃないのです。 家の前に川がある為、さほど時間もかからず仕掛けを10個くらい仕掛けておけるし、翌朝に引き上げに行くのもそんなに時間が掛からないのです。

    今からでは考えられないのですが、夏が来れば天然のウナギを食べ放題とまでは言いませんが何回かは食べていたのです。 おまけに都会では高級食材になっているところもあるナマズやギギも、何回か食卓に並んでいたので余り食べたいとは思わないのです。 (見ると昔を思い出すので、ある意味トラウマかもしれません。)

    次に鮎釣りの方ですが、これはモロに借金の為と言う方が正しいです。 借金の為とはどう言うことなのかアトで意味を書きますが、小~中~高~工場時代と我ながらよくしていたと思います。

    私は鮎の友釣りと言うのをしていたのですが、掛けバリ等の仕掛けで武装したオトリの鮎を、天然の野鮎の縄張り内に進入させて、友鮎を攻撃してきた野鮎を掛けバリで引っかけると言う釣り方です。

    基本的に昔も今も鮎は高級食材なので、養殖も盛んに行われています。 ただし、養殖と天然では別物かと言うくらい違いがあり、まず第一に香りがないのです。 参考までに、天然物と養殖物の違いとしてあげてみると、最初に色の違いがあります。

    天然の鮎は黄色みが強くて、鰭も橙色に近い感じです。 頭部の後ろの方にある追星と呼ばれる紋も黄色ですが、養殖は全体的に黒い感じがして黄色の部分はほとんど目立たないのです。 実は養殖の場合、天然と違い鮎が日焼けしてしまう為、色が違って見えるのです。

    また、天然モノは後頭部に脂肪分が余りなく、養殖モノは脂肪が多く外観的に盛り上がったような感じがあります。 この脂肪分の差は何故起きるかと言えば、餌の違いによるのです。 養殖は餌がいいのでしっかりと脂肪分がつくのですが、天然物は自然にある藻類を食べるので、余計な脂肪分がつかないのです。 その上に養殖は運動量が少ないのですが、天然はしっかりと流れの中を泳いでいる差もあります。

    さて、借金の為に鮎釣りとはどういうことかと言えば、釣った鮎を魚屋さんへ持って行き買い取って貰い利益を出していたのです。 このように鮎は魚屋さんで引き取ってもらえるので、一生懸命に鮎釣りをする男性が多いのです。 鮎釣りで釣り人同士が言い合いになっているのは「ポイントの取り合い=お金=欲が絡む」 これがほとんどです。

    ウナギやスッポンは大量に取れるわけではないのですが、鮎の場合は自分の腕と時間次第で成果がでるからです。 ウナギが200~250円くらい~スッポンが1000~1500円くらい~そして鮎が70~150円くらいで引き取ってくれていたのですが、もしも200匹くらい釣り上げるとどうなると思いますか…。

    ただし、これは父親の借金があるがゆえに出来ていただけで、今はとてもあの当時と同じ釣果をあげることは出来ないと思います。

    今日の話はお客様には縁のない話であり、これを読んでいる人がすることもないサバイバル生活です。

    あなたはこの話を読んで、そういう生活もあるんだなぁと思えますか?

    ドモ~♪ヽ(^-^ )

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    今すぐに。

    自分が今すぐにするべきことと、今はしなくても困らないことの違いが、その人の未来を大きく変えてしまう時があります。 今しなくてもイイことほど楽であり、今やるべきことほど困難が待ち受けているから、何となく手を出しづらく後回しにしてしまいがちです。

    人のことは言えないのですが、私は「言い訳ばかりして努力もせずに人のせいにする」の繰り返しであり、何かができないのは今の自分が悪いわけじゃないと常に自分が正しいとの立場を取ってきました。 それにより得たのは、すぐに人のせいにすると言う評価でした。 仕事においてミスをすると言うのは自分のせいではなく、人のせいと言う姿勢でいた私は仲間外れになるのも当然です。

    それがわからずにいた私は、学生時代だけではなく社会に出てからも苦労したのですが、その苦労とは自分を省みることができないから、気が付くまで苦労し続けたのだと思います。

    運命とは誰にも一度や二度のチャンスはくれるのですが、そのチャンスが来たことがわからないから苦労するだけであり、そのチャンスが来た時に行動して~不遇な時は何もせずに耐えるという具合に、押す時と引く時のタイミングが絶妙ならば苦労は減るのです。

    私が男性を見ていた時代に、証券会社に勤めている方がお越しになられました。 その方は悩んでおられたのですが、悩みの中身がまるで昔の私そのものでした。

    証券会社と言うのは営業しないといけないのですが、自分は不利な条件ばかりで不公平だから成績が上がらないと言うのが、その男性の言い分でした。 「俺だって、事務所と部下と看板と取引先さえ与えてくれれば、必ず成績を上げてみせる。」 こう言われたのですが残念ながら、その条件でも成績は未達成のままだと思います。

    私はこの男性の言い分がわからないわけではなく、昔の私そのものだったので逆に親近感が沸いてきました。 上手くいかない時には何か理由があるのではないかと、探したくなるのは心理的に仕方がないのです。 特に不景気な中で営業を一生懸命にしている人は、成績が芳しくない時には愚痴のひとつも出ると思います。

    何の世界でも一生懸命にしたのに成果が出ない時は、筆舌しがたいくらい辛いことだと思います。 私も1ヶ月で15人以下とか~1週間に1人も来ない時がありましたし、次から次へと移転を余儀なくされて保証も何も無く放り出されてきました。

    しかし、あきらめると言うのは今までしてきた過去を否定することであり、やり続けることができないのならば目標でも夢でもないと自分に言い聞かせてきたのです。

    何事も始めた時の条件は、どんな人でもそんなに大差があるわけではありません。 その過程において努力することで運を掴み、より好条件な立場に行く人はいます。 しかし、始めた時と言うのは、そんなに違いがないのに違いがあるように錯覚してしまうのです。

    あの孫正義氏率いるソフトバンクでも、最初は小さな事務所から立ち上げて社員の方も2~3人だったのです。 そういう最初の部分を忘れてしまい、今のソフトバンクを見て「ウチは小さい会社だから…。」 こう言ってあきらめてしまうような社長では、社員の信頼すら失ってしまうのです。 「ソフトバンクなら相手に不足は無い」と言えるのが、社長が取るべき本来の態度です。

    基本的に営業と配達では品物などを、「取引する」という点では似ていますが、全然違う世界なのです。 それなのに、条件がよければ売って見せると言うのでは、まるで「釣堀なら釣って見せる」と言っているようなものです

    「配達」すると言うのは、お客様が受け取りを待っていてくれると言う事実があり、そのモノが来るのを待ち望んでいるからこそ受け取ってくれるのです。 しかし、「営業」と言うのは買う気がないお客様の意識を掘り起こしたり、どうしようか迷っている人の意識を一押ししてあげる、この作業ができるのが営業と言う部分なのです。

    いつも勝てるジャンケンはする気がなくなるし、いつも成功するゲームはすぐに飽きてしまうと思います。 何事も簡単にはいかないからこそクリアした時の喜びは大きいし、やりがいも出てきてモチベーションも上がると思うのです。

    夢や目標と言うのがあるけれど、前に進まないとか~思い通りに行かないと言う場合に、まずやらなければならないのは「できない理由を排除すること」 できない~無理だ~無駄だ、それを達成する為には乗り越えなければならないことはいくらでもあるのに、それを後回しにしているといつまでも変化することはないのです。

    目の前にドアがあるなら~ドアを開けないと進めないのに、自動ドアと思い込んで空くのを待っていたら、後から来た人がさっさと追い越してしまうかもしれないのです。

    もしも、自分がやろうと思うのなら苦しい方の道を選んでおけば、最初は苦労するかもしれないけれど、しばらく経った後で真の実力がついた自分に驚くと思います。

    あなたは真の実力を身につけて、どれだけ成長できるかを想像できますか?

    ○(^-^)oイエイ♪ o(^-^)○ イエイ♪

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    秋葉原の真実。

    おはようございます。 先日の午前中に帰ってきて、午後より鑑定を再開しております。 鑑定終了後はホテルでひとり寂しくコンビニ弁当で済ませましたぁ~と言いたいところですが、寄付の神様御一行と待ち合わせて夜の博多へ食事に行ったのでコンビニ弁当ではありませんでした。 ヾ(>y<;)ノ

    本当は博多を見て歩いたことなどを書こうと思ったのですが、先日東京にて刺殺事件があったので、そういうわけにも行かなくなりました。 同じようなことや同じような内容が起こったり耳に入ったりと言うのはひとつの暗示なのですが、寄付の神様と食事中に秋葉原の話が出ました。

    そして先日東京の八王子で刺殺事件が起きたのですが、これはある話をしろと言う暗示なのかもと思いました。 このような事件が起きた時に、どう対処すればいいのかを一方向からだけではなく色々な方向より見ていないと、その真実においては意外な事態を引き起こしかねないのです。

    例えば、マスコミなどメディアもわかってはいるけれど、言えないことのひとつに○○○ーや○○における犯罪件数があります。 世間的なイメージやニュースでは乗客が強盗になって、運転手さんが襲われると言うのが認識されていると思います。 ところが、逆に乗客の方が襲われる事件もかなりの頻度で起きているのですが、それを正直に発表してしまうと業界の冷え込み、ひいては経済にまで影響を与えかねないのです。

    ○○○ー会社や○○会社の交際費や使途不明金は、ほとんどが○○に支払われているのに誰もそれには目を向けないのです。 某大手では年間7~8件程度の事件が起きているにもかかわらず、ほとんどが○○にて平穏に済ませているのが現実です。

    このように一面だけから見てはいけない事件と言うのが、世の中にはたくさんあるのですが、それを危機感として持てないのは今の日本が平和(まぁまぁ安全)だからです。

    ココからが本題なのですが、東京都千代田区外神田のJR秋葉原駅前の路上で、6月8日午後0時半頃に起きた事件を御存知だと思います。 これは男性がナイフで通行人らに切りつけた事件で、東京消防庁の発表によると、警察官を含む男女18人がけがを負いました。 (警視庁の発表では、男性5人と女性1人の計6人が死亡。)

    これはTVのニュースなどで色々と報道されているので、犯人の生い立ちがどうのこうのと言うようなワイドショー的なことは任せておいて、霊視カウンセラー的な切り口でこの事件の本当の怖さを書いてみたいと思います。

    確かに歩行者天国に車が突っ込んでくるとか、ナイフを持った男性が振り回して暴れているとか、普通は予見も予知も出来ないと思うので近寄らないようにする以外は、対策の取りようがありません。 この犯行に及んだ男性に叙情酌量の余地はない身勝手な犯行ですが、被害がこれだけではすまない隠れた部分があるのが本当に怖いところなのです。

    この事件のもうひとつの面は、善意の気持ちを持った人が危険な目に遭っているので緊急に手を打たないと行けない部分です。 それは被害にあった方を助けようと救助活動をされた人が、血液を浴びたり触ったことによる被害がじわじわ出てくるかも知れないのです。

    実は秋葉原通り魔殺傷事件の被害者のおひとりが、B型肝炎患者でした。 この被害者の方を善意の気持ちで救護した方~もしくは血液を浴びたり触ったりした方は、感染防止の為にすぐに病院を受診していただきたいです。 B型肝炎にならない為に感染予防の免疫グロブリン注射を、何はともあれ急いで打たないと危険なのです。 (救助された方がこれを読んでいたなら、即病院へ行って検査してください。)

    せっかくの善意の気持ちが、このような二次被害や三次被害を巻き起こすのだから、善意の行為とは何なのかを改めて考えさせられるのです。 血液と言うのはものすごく怖い部分があるので、施術用手袋などがない時はむやみやたらと血液に触らないようにしてください。 治療や救護は善意の部分ではいいことなのですが、それにより二次被害を巻き起こしては何にもなりません。

    ウイルスと言うのは空気感染など色々な広がり方をするのですが、現実問題として一番危険なのは「ドアノブ」なのです。

    出入り口には必ず何らかの接点がある為に、保菌者がドアノブや半自動ドアのタッチセンサーに触れたとすれば、そこから次々とウイルスが広がっていくのです。 WCなどは手を洗うところもあるので意外と安全なのですが、公共の場やコンビニなどは広がりやすいのです。 (大げさに言うなら、立ち読みの本から広がることもあるのです。)

    秋葉原の事件が、いかに何も考えずに自分勝手な感情から引き起こした事件なのか、これから二次被害が拡大するにつれてより大きなモノになっていくのです。 (この被害が判明するのは、5年先か~10年先か誰にもわからないのです)

    人助けの為の救護活動は素晴らしいことなので、当然の心得として行っていただきたいのですが、あなたの身に危険が及ぶ状況においてまで救護活動に参加するのはお勧めできません。 認知~判断をきちんとして、救護活動をする前の準備を怠らないようにしてから、善意の気持ちを存分に発揮してくださいね。

    迂闊な行動は被害を広げてしまうと言う、「善意の矛盾」があることは残念な事実なのです。

    あなたは善意の行動を、どのように考えますか?

    アリガト♪(*'-^)‐☆パチン

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    支援。

    おはようございます。 三連休の2日目ですがお仕事の人も休日の人も、素敵な青空のごとく心が澄み渡るような日々で過ごせたら、あなたの心に一筋の光が見えてくると思います。 日本に生まれたと言うのはひとつのチャンスなのですが、そのチャンスの意味を理解できたら感謝すると同時に幸運が訪れるのです。

    日本以外の国では貧困や飢えや紛争が絶え間なく起こっているのですが、教科書に載っていない現実と言うのが世界にはたくさんあります。 紛争問題ひとつ取っても「神の名の下に人を○していいのか?」と言う声もあれば、「神の啓示だから○すんだ!」と言う声もあります。

    日本に暮らしていると平和なので、どうしても緊急に自分の立場として考えることが出来ません。 電気~水道~ガスに加えて水や食料もたくさんあるので、どうしても現実味が沸かないから愛を忘れてしまうのかもしれません。

    アフリカでは貧困が蔓延していて、親がいる子供でも満足に生活できるかどうかはわかりません。 アフリカでは「産むことはできるけれど、育てることが出来ない」 これが悲しい現実なんです。

    ある兄弟に両親がいたのですが、父親が死んですぐに母親が病気になって、学校にも行けずに畑仕事やゴミ拾いなどで生計を立てていたのですが、看病敢え無く母親は亡くなってしまいました。 それでも兄弟は生きていかなければならないのですが、8歳と3歳では生活といっても出来ることは多寡が知れています。

    この兄弟は親が死んで家も無くなり、野生林の中で雨をしのぐような生活をしていたのです。 8歳の兄が木の実を拾ってきたりして、3歳の弟と野生の中で2年間も生き抜いていたのです。 そしてある団体の人が巡回していたら林の中で偶然、この兄弟を発見して保護しました。 今はちゃんと学校にも通い始めて、親を病気で亡くしたことから医師を目指しているのです。

    ボランティアの正しいやり方として、お腹が空いている人に魚を与えるよりも魚の取り方を教えなければならないのです。 ただ与えるだけでは~ただ貰うだけになり、未来への発展にならないからです。 井戸を掘ってあげるのではなく井戸の掘り方を教えることで、自分達で水の安定供給が出来るようになるのです。

    私はアフリカの子供達の里親みたいなこともしていますが、出来れば支援する子供の人数を毎年1~2人は増やしていきたいと思います。 ただし、ヤンキースの松井選手や杉様(杉良太郎)などは桁違いの人数をしているので、これほどまでは出来ないかもしれません。 しかし、ひとりでも多くの子供の支援が出来れば、何もしない欲丸出しの大人よりはマシだと思っています。

    注:お客様のおかげで支援できるのですから、御希望のお客様にはどこの国のどの子供か写真などをお見せします。

    では、何故アフリカの子供の支援かと言えば、少しアフリカに関しての説明が必要になります。 今のアフリカで緊急に何とかしなければならないのが、HIV/ヒト免疫不全ウイルスです。 (HIVとエイズは混同されやすいのですが、発病した状態をエイズと言います。)

    HIVにおけるアフリカでの死者数は、東京都の人口の2倍以上の2500万人を軽く超えています。 これが生命にかかわるだけでなく、死者数が多くなることで農業に従事できる労働者数が減るので、食糧不足に拍車をかける悪循環なのです。

    そして母親からの母子感染が防げたとしても、その後に子供達は親戚に預けられたり~ストリートチルドレンになるしかなく、政府(国)からの援助を受けられる子供は10人に1人もいないのです。 10人に1人以下なんて、まるでどこかの国の未来における、年金受給者数と同じような比率ですね。 (苦笑)

    どこかで歯止めをかけなければいけないのですが、どうやればいいのか誰にもわかりません。 民族や風習の違いもあるのでありがた迷惑に感じる人もいたりして、HIVを防いだり~治療したりができないのです。

    例えば、マラウイでは7人に1人がHIVに感染していると言われるのですが、それを減らすことは難しいのが現状です。 では、たちまち何が出来るかと言えば現状維持、つまり増やさないで今の状態を維持することが最善の策です。 これにより自然に減ることを誘発できるので、現状維持は大切なことなのです。

    また、ウガンダではもう一歩先のことができていて、HIVにおける親の死亡があっても教育や生活が出来る支援が徐々に出来つつあります。

    しかし、これらのことですら地域住民との折衝を繰り返しながら、少しづつ進めていかなくてはなりません。 ボランティアの人達の努力は凄いと思うのですが、途上国には一筋縄ではいかない部族社会がまだまだ根強く残っているのです。

    どんなに良いことであっても、部族のトップ(酋長)が駄目だと言えば受け入れられないのです。 極端な例ですが注射を打てば治ることでも、「同部族以外は身体に触るな」と言う掟の為に亡くなる人もいるのです。

    先進国で暮らしているとわからないのですが、地球温暖化の影響により近年のジンバブエでは記録的な干ばつにより食糧危機が起こりました。 ケニアでは干ばつと洪水と言う両極端な災害を招いて、命を亡くす人が大勢でました。 それでも人があきらめずに支援を続けることで状況は少しづつ改善されているので、これからも継続した支援が求められているのです。

    最後にコンゴの小学生の言葉ですが、「椅子と机で勉強できるのが、とても嬉しい!」

    あなたはこの言葉の意味を、どのように考えますか?

    (* ̄∇ ̄*)フフッ


    お知らせ:出張の為、ブログの更新はお休みします。 23日(水)より再開いたしますので、よろしくお願い申し上げます。 私と縁がある素敵なあなたには、素晴らしいな幸せが星の数ほど降り注ぐと、私は信じています。 m (゜- ゜ ) カミサマHELP!

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    会議室。

    おはようございます。 世は三連休ですが、私は相変わらず事務所に出ております。 お休みの人もお仕事の人も、素敵な三連休になるといいですね。 ( ̄ー ̄)v ブイ!

    来週は東京出張に行きますが、2日間だと初日の午前中が倉敷で夕方から東京と言う予定で慌しいのと、2日目の午前中にすることが無くて時間がもったいないので、とりあえず1日に戻してみました。 その代わりに長時間となるので、精神集中や体力面でお客様に御迷惑をかけないようにと気合を入れています。

    お越しくださる全てのお客様には、感謝しきれないくらいの御愛顧と御支援をいただいて本当にありがとうございます。

    素敵なお客様がお越しくださらなければ、私は陸に上がった河童のよう~もしくはハチミツの無いプーさんのようです。 お客様のおかげで日々を過ごすことが出来ると感謝の毎日で、その御厚意に答える為にも寄付やボランティアにより一層の力を注いで行きたいと思います。 m(__)m

    なお、私は車を持っていないので新幹線を利用していますが、岡山⇔東京は飛行機の方がいいかもしれません。 天候や災害で飛ばない場合は払い戻ししてくれますし、寝坊や勘違いなどの自己都合による乗り遅れでも、空きがあれば次の便にしてくれるなど融通が利きます。 (JR西はサービスなどの対応に、少々問題ありかなぁ~。)

    さて、今回は私が東京のどんな場所で出張鑑定しているのか、少し御紹介したいと思います。 私が東京出張で使用している会議室は23区内の某所にあるのですが、実は倉敷駅周辺とよく似た雰囲気です。 (特に駅の西側周辺は、雰囲気がソックリです。)

    倉敷と言えば美観地区などを思い浮かべる人も多いでしょうが、美観地区は倉敷駅から徒歩で10~15分ほど歩かないといけないので、駅周辺と言うわけではありません。 美観地区へは倉敷駅より南に向かい真っ直ぐに歩けば、左手に美観地区入り口が見えてきます。

    話は戻りますが、東京で利用している会議室は交通の便がいいので新幹線が利用しやすく、月曜日の早朝の新幹線に乗るのが楽です。 おまけに会場使用料が東京23区内と言うことを考えれば、とてもリーズナブルなので鑑定料を抑えることができるからです。

    また、テ○○ンノートと言う番組のロケをすぐ側の商店街で度々しているので、鑑定終了後に歩いているとロケ中の現場に出くわすことがあります。

    私が見たのは、「クジで当たりが出たら、生きている羊でも人は持って帰るのか?」と言う内容で、商店街に生きている羊がいました。 なお、クジが当たった人はどうしたのかと言えば、ちゃんと羊を連れて帰っていました。 餌とかの飼い方を、ちゃんと知っているのかな? ププッ ( ̄m ̄*)

    駅の東側はオフィス街と言う感じがあり、テナントビルやマンションも多い感じです。 女性に人気の某会社も駅の東側のビルにテナントとして入居していますし、某音楽系会社の本社が以前はありました。 なお、西側と言っても二通りあって、駅から川までの間は飲食店やショップなどがありますが、橋を渡ると西と言っても雰囲気がガラリと変わります。

    夕食は、駅の東側にケンタッキーとCoCo壱番屋が並んであるので、初日の夜がケンタッキーなら2日目の夜はCoCo壱番屋と言う感じです。 何しろ今までケンタッキーに入ったことがなく、今年の2月に生まれて初めてケンタッキーに行ったのですから凄~く嬉しいです。 ただし、今月は一日に戻したのでCoCo壱番屋だけかな~?

    私は基本的に外食が苦手なのですが、それは注文の仕方がわからないこともあるし、一人でお店に入るのは恥ずかしいと言うこともあります。 その為、コンビニで済ませるのですが、最近はファミレスやケンタッキーなどに入れるようになった方です。 (N市のIさんや寄付の神様と外食する時は、お二人が注文してくれるので助かります。)

    ただし、原則的にひとりでいる時は東京でもコンビニ弁当のことが多かったです。 昔のことを思えば御飯が食べられるだけでもありがたいので、とても外食などの贅沢する気にはなれないのです。

    出張時には新たなお客様との出会いや、新鮮な気持ちで色々なモノが見れたりするので気分転換にはもってこいです。 何かが無ければ事務所から出ることは無いので、強制的に用事を作るのは気分転換の為にも良いことです。

    私は元々田舎で生まれ育ったので、都会に出るとかなり新鮮な感じです。 倉敷も最初はものすごい都会に思えていましたし、コンビニが駅前にあるなんて信じられないと言う感じで、私が小~中学時代を過ごした所にコンビニができたのは4~5年前の話です。

    今日は何となく長々と説明的な内容でしたが、今後も努力と精進を持って歩んで行きたいと思います。 多大なる御愛顧と御支援をいただき、お客様には感謝の念が絶えません。

    素敵なあなたにお会いできるから、私はいつも元気でいられるのです。

    いつも、ありがとうございます。

    Thanks ☆☆** v(o^▽^o)v**☆☆ Thanks

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    占い師事情。

    私は素敵な霊視カウンセラーを目指しているので、常日頃から勉強を怠るわけには行きません。 もしも、看護師さんから仕事に関することを聞かれて「医学は苦手です。」 なんて言葉で済ますわけには行きません。 医学に関して言えば、研修医の方よりは上でないと私の努力が足りない、こう考えて医学系のブログを書いたりしています。

    と言うわけで、少し占い師事情を書いてみたいと思います。 私は素敵なタイプを目指していますが、世の中には色々な先生方がいるので自分に合うタイプが一番だと思います。 心が元気になるとか前向きになれるなど、明日へ立ち向かう勇気が出たならそれでいいと思うのです。

    さて、占いへ行ったことがある人が一度は感じるかもしれないことのひとつに、「悲観的な意見を言う占い師さん」が意外と多いことです。 基本的に占い師さんは悩んでいるお客様に対して、前向きな明るさや元気さを求められる仕事です。 ところが、現実的には暗い人や悲観的な人が少なくないのですが、これにはいくつかの理由があります。

    過去の経験において失敗~失恋~家庭不和など、幾多の挫折をきっかけにして占い師になった人も意外と多いのです。 占い師と言う職業は世間から認められるわけでもなく、その上に収入が不安定で社会的地位も信用もない仕事なので、余程の事情や条件が無ければなることは無い職業のひとつです。

    挫折自体は決して悪くはないのですが、残念なことに挫折した時の悲観的な人生観を持ち続ける占い師さんもいます。 これは占い師を続けると変わる人もいるのでケース・バイ・ケースですが、それ以上に大勢を占めるのがお越しになるお客様の負のエネルギーに負けてしまう場合の方です。

    基本的に御相談に来るというのは悩みがあるから来るのであり、ウキウキしてくるわけではありません。 その負のエネルギーを浴び続けていると、余程精神的にしっかりした人でないと、気付かないうちに悲観的な考えに傾いてしまうのです。 私が良いことしか言わないと決めているのも、負のエネルギーをこちらが出してしまうとお客様に失礼だからです。

    占いと言うのは種類が何であれ、現代の科学で証明出来るものではないので根拠や証拠がありません。 その為、御相談に対しての質疑応答の部分で、信用したいけれど疑ってしまうと言うような部分が出てきても仕方がないのです。 その様な状態で何人も鑑定していると、知らず知らずのうちに影響を受けてしまうこともあります。

    本当は、どんな場合であろうと占い師は負のエネルギーに、負けたり感化されてはいけないのですが…。

    以上のような理由により、御相談内容を否定的な面や悲観的な面からしか見られなくなってくると、それが物品販売や霊感商法につながる危険性も出てくるのです。 私は良いことしか言わない~物品販売は一切しない~明るい場所で霊視する~お祓いや祈祷はしないなど、怪しい部分は出来るだけ排除している、占い業界では変わり者の珍しい部類に入ります。

    ただし、私もツイツイ悲観的な意見ばかり口にするかもしれないので、もしも悪いことを言ったなら「ごめんなさい」 気を付けてはいるのですが、ネガティブになっている時があるかもしれません。

    また、良いことの方が多い運命なのに悪い運命の方を強調してしまう占い師さんが多いので、悪いことだけ耳に残ると言う現象も起きてきます。 これは悪いことを協調していった方が、リピーターになりやすいとか物品を売りやすいなどの、打算的な考えから来るものなので聞く必要はありません。 悪いことを言ってあおりたてると言う霊感商法が、この類となります。

    なお、占い師と言う職業は誤解されやすい部分も多いですし、占い師さん&マネージャー&受付の人には、傲慢で態度がデカイ人も多いので、もう少し腰を低くして謙虚でないとお客様に失礼だと思うのです。 (相談内容を他の人にしゃべる、そんな受付さんもいるのが残念です。)

    私は基本的に当たる当たらないよりも、お客様の心が元気になれるかどうかの方が大切だと思っています。 当たると言う点を重視していた以前の私と、当たらなくても元気になれると言う現在の私と、どちらを穏やかに感じる人が多いかは一目瞭然です。 占い師は上からモノを言ってはいけないと思うのですが、これは私個人の考えです。

    長くなりましたが、占い師さんが悲観的な意見を言いやすい理由は以上のような点であり、どうしても大勢を占めるようになりがちです。 また、良いことを言って外すよりも、悪いことを言って外す方がましと考える人もいるので、その考え方にも一理ありです。

    私は良いことしか言わないようにして、悲観的意見に走らないよう常に注意はしているつもりですが、万が一にもそう言ったなら大変申し訳ないです。

    あなたの未来は明るいのですが、それをちゃんと信じられますか?

    ☆⌒(*^∇゜)v ヴイッ

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    欠点とは魅力。

    あなたの欠点とは「魅力を指して欠点」と言うのですが、その魅力に気付いていない人が大勢います。 自分が欠点だと思っているところも、見方を変えれば~場所を変えれば、活き活き出来る才能と言う呼び名に変わるのです。

    クレームを付ける人と言うのは、自分がクレームを付けられると烈火のごとく怒ります。 しかし、怒ると言うのは自分の欠点を突かれるからこそ怒るのであり、助言だと思えない体質になっているのです。 自分の未来の為に修正しなければならないことを、天に変わって教えてくれていると思えば、クレームではなく助言に変わるのです。

    例えば、丸いモノが欠けていたら「これは不良品だ!」とクレームを付ける人が多い世の中ですが、それはひとつの見方しか出来ないかわいそうな人だと思えばいいんです。 欠けていると言ったところで、欠けているからこそ味わいが深まるとか~利用価値が上がるなど、何故前向きに考えないのか不思議なのです。

    あなたが悲しい時には、ホンの少しでいいから夜空を見上げてください。 星空が見える人もいればお月様が見える人もいますが、少しだけお月様の方を見てくださいね。 よく見てみるとお月様は丸いはずなのに、実際には欠けた時の方が圧倒的に多いのです。

    だからこそ欠けた時の名前を、「三日月~上弦の月~十六夜~小望月~更待月~立待月」など、数多くの名前で呼んで味わいを深めているのです。 歌集や詩集などを読んでみても、欠けたお月様を見上げてヒトコト言う方が圧倒的に多く、満月を題材にしたモノが数少ないのは欠けた方が魅力的に写るからです。

    これこそが、あなたの欠点とは「魅力になる」と言う証拠なのです。

    人には色々な意見があるから仕方がないのかもしれませんが、逆に見方を変えると言うのも個性を伸ばす為には必要なのです。 もしも「仕事が遅い」と言われても、それは慎重なだけかもしれない~もしも「くだらない話しばかりする」と言われても、それは色々なアイディアを思いついているからかもしれない。

    適材適所と言う言葉があるように、才能とは目覚めなければ美しい行動は出来ません。 良いことをしようとしても自分が苦しければ人助けできないように、余裕を持った行動が出来ないのは悲しい自分を見つけてしまうだけかもしれないのです。

    では、欠点を魅力にする一番簡単な方法とは何かと言えば、「失敗できない」ようにすることです。

    「失敗しない」と言うのは、自分の力だけですることを言います。
    「失敗できない」と言うのは、周りの力添えがあることを言います。

    失敗しないようにするのは自分の責任ですることなので、自分だけが得すればイイと言う考えがほとんどです。 しかし、失敗できないと言うのは周りの協力が自然と巻き起こる状態を言うのです。 そうなると失敗したくても、周りがドンドン助けてくれるようになるので失敗したくても「できない」のです

    コツコツと真面目に自分がするべきことをしていると、周りの人はそれを応援したくなるのです。

    豊臣秀吉が幼少の頃に荷車を引いていると、坂道のところで登れなくなりました。 秀吉は周囲の大人達に「荷車を押してもらえませんか?」 こう言って頼んだところ、子供の言うことに耳を貸してくれる人はいませんでした。 仕方なく自分ひとりで荷車を引いていると、その一生懸命に引っ張る姿を見て周囲の大人達が力を貸してくれたのです。

    この時に秀吉は、自らが行動しないと助力は得られないことを悟ったと言われています。

    芸能界を見ても一目瞭然で、トップに登りつめる人は「応援よろしく~!」なんて言いません。 自分の一生懸命な姿を周りに見せて、向こうから応援したくなるようなオーラを纏っているのです。

    愚痴や不平不満を言わずに、コツコツと自分に出来ることを精一杯する。

    もしも、あなたが周りで努力している人を見た時に何か心が温まる感じがあるのなら、それは応援してあげなさいと言う運命の啓示だと思うのです。 そして応援することにより、あなたにも幸運のおすそ分けがあると言う、素敵なサイクルの始まりでもあるのです。

    欠点は努力や方向性によって魅力になり、その魅力が周りを引き付ける原動力となり、人を引き付けるだけのことをしているのならば、それは必ず自分の願望達成をしていることになるのです。

    あなたは自分の欠点を、いかにして魅力に変えることが出来ると思いますか?

    (・・)/◇ 白あげて(・ ・)/◆ 赤あげて

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    一緒にいる意味。

    おはようございます。 今日も素敵な一日の始まりで、今日はどんな素敵なお客様にお会いできるかとワクワクしています。 仕事や恋愛など色々な御相談の中で、少しでも笑顔になるきっかけを掴んでいただけたなら、私はとても嬉しいです。

    ただし、恋愛の御相談を受けた時に、どう考えていいのか判断に迷う霊視の風景があります。 お客様より御相談を受ける私が迷っていたらいけないと思いつつ、その情景が視える以上は真実であると言うより他ないのです。

    それはどんな風景かと言えば、女性と食事に行った時に男性がお金を払わずに「女性が支払う~もしくは割り勘にする。」 これは私の周りの男性でする人はひとりもいないので、何のことかさっぱり理解できないのです。

    私が霊視でお客様のデート風景を視た時に、「レジで女性が財布を出して支払う」 このシーンが視えてしまうのですが、これができる男性はどういう気持ちでいるのかを知りたいくらいです。 これはデートと言うシチュエーションに限らず、何かで集まり飲食をした時の支払いは男性がするモノ、私の周りにはそういう男性しかいないのです。 (特に寄付の神様は何十人いようと全額支払うので、ちょっと真似できないほどです。)

    仮にデートで考えると、好きな女性と食事に行って割り勘にすると言うのは、相手のことが好きじゃないからとしか思えないのです。 女性と食事に行った時に、ギャル曽根さんのように7~8万円分食べるのなら割り勘と言うのも仕方ないかもしれませんが、普通の女性なら食べても最高で5千円くらいまでです。 (注:高級フレンチでのワイン付きディナーなど、特殊な場合は除きます。)

    素敵な女性と食事をして~素敵な時間を過ごしているのに、その5千円と言うお金をケチるような男性は話にならないと思うのです。 なぜなら、5千円をケチると言うことは未来における2つのことが駄目だと自ら言っているのと同じだからです。

    まず、一つ目は「あなたに5千円使うのは惜しい」と言っているのと同じです。 好きな女性と食事に行く、それも毎日行くわけじゃなくてタマのデートで食事を楽しむのに、相手の分を支払うのが押しいと言うセコイ考えでは、自分が一番カワイイと言う証明なのです。

    つまり、あなたには5千円を使う価値もないと言っているに等しいので、「これが男性のすることか?」と、私は嘆かわしい気持ちになるのです。

    次に、二つ目として「今の日本で男性が5千円を準備できない」 これではお付き合いを継続しても~仮に結婚したとしても、金銭面での苦労が耐えないということの証明になるのです。

    「今日は給料日前だから~」とか「ちょっとおろしてくるのを忘れたから~」など、色々な言い分はあるとは思いますが、今の日本で男性が5千円を用意できないようでは、結婚後の生活をどうやって維持するのか、先が思いやられます。

    注:ただし、お金がないと言う男性の事情にもよるのですが、盲導犬に寄付しているとか~アフリカの子供の為に毎月寄付しているとか、そういう事情でお金がない場合があるのなら、その時は優しくて素敵なあなたが助けてあげて欲しいと思います。

    誰かと一緒に食事をするのなら、楽しい時間を過ごす方が有意義であり、そうなれば素敵な想い出にもなります。 時間を一緒に過ごすと言うのは、粋な計らいとか~センスのいい行いなど、少しの心遣いとマナーがあるだけで同じ時間が楽しくも~悲しくもなるのです。

    私が誰かと食事に行くのなら、その人と食事に行くことだけではなく~一緒に楽しい時間を過ごすことができるかどうかを考えます。 食通ぶって味のウンチクをたれるよりは、「これ何かわからないけれど、美味しいよね~。」と楽しい会話を相手と交わすのも、ひとつのグッドテイストだと思うのです。

    高級な場所で食事しても、楽しい会話がなければ意味がない。
    高級な場所で食事しなくても、楽しい会話があれば意味がある。

    時間と言うのは誰にも公平であり、その時間の中で遥かな記憶として残るのは「素敵だと思えるシーン」こそが二人の絆を深めると思うのです。

    お金の有無を言っているのではなく、時間の中における想い出の大切さを考えて欲しいと思うのです。 世界が終わる時が来たとしても、「あの時はよかったね!」 このような想いで終焉を迎えることができると言えるくらい、二人の強い絆が心にあれば幸せだと思うのです。

    一瞬に人生が変わると言うのは誰しもあるのですが、その中でも運命を感じさせるくらいの出会いをした瞬間から変わります。 この胸の高鳴りが~この鼓動の早さが止められない、そういう想いを感じた時には、あなたの運命が変わり始めた証拠なのです。

    あなたには映画のワンシーンのような出会いもあるし、「この人の為に何かしたい!」 そう思えるようなヒトトキが待っているのだから、見極める目があれば失敗はないのです。

    あなたは支えてあげたいような、素敵な男性との出会いを望んでいますか?

    \(o⌒∇⌒o)/ ワァイ♪♪♪

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    ありがとう。

    人は生きている限り悩みの数は数えられないほど、沸き起こってきます。 ひとつ片付けば次が沸き起こるので、生きている限りは悩みが尽きることはありません。

    しかし、悩みがあるのが悪いのかと言えば、そうでもないと思うのです。 悩みが全部良いこととは言いませんが、悩みがあるがゆえに成長できる場合もありますし、自分の至らない面や怠っている面が判明してくることだってあるのです。

    例えば、小さな子供が困っていると「カワイィ~、助けてあげたくなっちゃう!」
    例えば、パグが困った顔していると「カワイィ~、抱きしめたくなっちゃう!」

    悩んでいるはずなのに、それを見ている人は助けてあげたくなったり~抱きしめてあげたくなってしまう、これは悩んでいる人だけの特権なのです。 これは誰でも同じことなのですが、悩んでいる人を見て知らん顔したまま~ほっとける人は余りいません。

    例え、声を掛けなくても「○○さん、どうしたのかなぁ?」とか、「Aさん、今日は元気ないね?」などと、知らず知らずのうちに気に掛けてしまうものなのです。 あなたの好きな人(彼や御主人など)が悩んでいたら「助けてあげたい&力になりたい」と、その悩みを解決してあげたいと思い始めることはあっても、悩んでいることを馬鹿にしたり蔑んだりしないと思います。

    悩みと言うのは、苦しくて大変で~辛くて悲しい瞬間が連続するのですが、それが解決した時の安堵感や協力してくれた人への恩は、生涯忘れないくらい心に刻み込まれると思います。

    ひょっとして、悩みがあるからこそ魅力的に見えるのかもしれない。

    悩みがある時と言うのは、周りから素敵に見える瞬間なのです。 ならば、その瞬間に受け入れるだけの許容範囲を持たなければならないし、助けてあげようと言う気になるだけのことを、普段から周りにしておかなければならないのです。

    いくら魅力的に見えても、周りに対して反発したり~周りに対して嫌なことばかりしていたら、「助けてあげたいけど…。」 こう思われるだけで手出しをしてもらえなくなります。

    運と言うのは公平性があり、+と-は必ずバランスをとろうとします。 良いことばかりは続かないし、悪いことばかりも続かないのです。 つまり、「心の大きな人=運が良い人」と考えてもいいのですが、誰かを助けても見返りを求めてはいけませんと言うのは、その人から戻るわけではなく、いつか~どこかで~誰かからと言うのが基本なのです。

    お金に例えるのなら、余裕がある時には貯金しておいて~余裕が無い時には節約する。 これは同じことのように思えるけれど、ぜんぜん違う言葉なのです。

    余裕がある時には買わなくてもいい物まで目が行ってしまうのですが、それは本当に必要なのかと考えれば、必要じゃないけれど貯金せずに「ちょっと買ってみようかなぁ」と言う物なのです。 余裕が無い時は、必要最低限の物だけ買うようにするので、無駄な物には目が行かないので自動的に貯金できます。

    この考えを持っていれば、人を助けるのは相手の為でもあるけれど自分の為でもあると言うのが理解できてきます。 「情けは人のためならず」と言う言葉の意味が2通りあると言って、小難しい解説をしながら言葉遊びをするのもいいけれど、まず自分が悩んでいる人に対して「何かをしてあげたのか?」 この方が先なのです。

    「ありがとう」と言われるのは嬉しいものだけれど、「ありがとう」と言うのもまた楽しいモノです。 お互いに感謝の気持ちがなければ、「ありがとう」と言う言葉が飛び交うことは無いからです。 人にしてもらって「ありがとう」と言うのは当たり前ですが、人にしてあげて「ありがとう」と言えるようになるのも大切です。

    「えっ、それって普通は逆じゃないの?」 こう思うかもしれませんが、こちらがしてあげて「ありがとう」と言えるのは、実は本来とても幸せなことなのです。 あなたが誰かを助けてあげようとか~困っている人に寄付をしようとか思えるのは、どういう時かを考えてみれば答えは出るのです。

    あなたが悲しみの中、涙で虹を作るような状況では人助けできません。
    あなたが苦しみの中、もがいているような状況では寄付もできません。

    誰かの為に何かをしようと言う気持ちは、現在が満たされていること。 つまり、今の状況を幸せだと考えるようでないと、とても人のことまで気が回らないのです。

    人助けができると言うことは、今の現状に満足しているのか? それとも今の現状で幸せだと言うことに気が付いているのか? どちらにせよ、心の余裕があるからこそできるのだから、相手に感謝するのではなく今の状況に感謝する気持ちが必要なのです。

    誰かを助けることができるのなら、今は不幸ではないと言うことなのだから、してあげて「ありがとう!」 気持ちよくこう言えたなら、素敵だと思うのです。

    あなたは損得勘定を考えずに、心を癒されていますか?

    (*^O^*) ハ~イ

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    ボランティア。

    おはようございます。 昨日の午前中に帰ってきて、午後より鑑定を再開しております。 今回の名古屋も色々と勉強になることが多々ありまして、今後の自分の糧になればと考えております。 (次回の名古屋出張は、8月3日の日曜日です。)

    私はいつも思うのが、毎日素敵なお客様とお会いできるのは幸せだと言うことです。 素敵なお客様が笑顔で帰っていただける時は、本当に良かったと思える日々なのです。 私と縁がある人は、幸せになっていただきたいし~なれると信じております。

    ただ、素敵なお客様が未来で幸せになると言うのは確定事項なのですが、そこへ辿り着くまでに色々と道を間違えたり遠回りしたりして、未来を変えてしまうから「どうして?」と言う状態になってしまうのです。 道を間違えたり~変えてしまう要因としては環境もありますが、心の部分が一番大きいのではないかと思います。

    人は生まれついた時から善の心が備わっており、それを発動させてしまうと何かをしないといたたまれなくなります。 性善説とか性悪説とか色々言うけれど、必ず決まった運命や未来があるわけではなく、内に秘めた善の部分を使うかどうかだと思うのです。

    人は興味があるということが、ひとつの才能を示しています。 何故なら才能がないことに興味は持てないからです。 仮に足が速いと言う才能があったとしても、走ることではなく作家の道を目指したなら才能が開花することはありません。 自分が生きるべき道でなければ、才能が開花することなく不運を感じたまま過ごすことになるのです。

    私がブログでボランティアのことを書いていると、「私もしたい&私にも出来ますか」と言う質問が結構あります。 これはボランティアをするのが正解と言っているわけではなく、「何かをしたい」と言う心のスイッチが入った証拠だと思うのです。

    ボランティアとは強制されてするものではなく、自発的にしたくなる自然な行為が一番理想です。 貢献することが長く続いている人には、どういう共通点があるかと言えば人それぞれなのでありません。 ボランティアひとつとっても考え方には色々あるので、明確に説明するのは難しいです。

    例えば、私は盲導犬に寄付していますが、盲導犬の訓練士の人がいる現場と事務手続きをする協会内部では、かなり考え方が違います。 簡単に言うと、現場で働く人は「役に立ちたい」と言う理想を掲げて訓練や指導をしているので、本当に人間的にも素晴らしい人が多いです。

    ところが、事務に関する協会内部では「就職先として選んだ」人が多いので、ボランティアには関心も興味もないと言うのが現実です。 ただ、事務の対応が悪いからと言って、寄付しないのは相手と同じレベルになります。 現場で頑張っている人や目の見えない人の為に寄付しているだけであり、協会内部の人の言動にイチイチ腹を立てても仕方がないのです。

    私のところへ時々ですが、「寄付しようとしても、意外と電話応対や態度が…。」 このような話が聞こえてくるのですが、それは以上のようなことが理由です。 事務所の人はあくまで就職先と言う精神なので、「現場の人の為に寄付する」と言う大らかな気持ちになっていただきたいと思います。 m(__)m

    寄付やボランティアに関しては、N市のIさんと寄付の神様が、今後もずっと私の目標であり続けると思います。 私が目標としているお二人よりも寄付や貢献をしようと思えば、岡山県内のような小さな単位で考えていたのでは到底無理なので、それに対応しようと思えば自然とブログの内容が日本や世界となってしまうのです。

    この2人は行動もさることながら、人間的にも優れているので言葉の中からヒントをいただくことがよくあります。 先日の名古屋出張にて聞いた、N市のIさんこと井上さんの名言です。

    「ボランティアは、楽しくなければ続かない。」 by N市のIさん

    これを聞いた瞬間に、私は肩の力が抜けたようでした。 私は霊視(占い)に関わるものとして、寄付をするのが当たり前(義務)と言う感覚でした。 どちらかと言えばれ「楽しい」より「喜んでくれる」と言う部分で、誰かの役に立てたと言う充実感のみでした。

    しかし、井上さん曰く、「楽しんでいるからこそ永続的にできる」と言うようなお話をされたので、私の心にある疑問が解けたような感じがしました。

    ボランティアは良いことだからと言って、自分が苦しくなるようでは続けていくのは無理です。 良いことをしているのであれば、それによる喜びや楽しみが無ければ続かないのです。 志はあっても挫折した時に使われるのが「心が折れる」と言う言葉ですが、ボランティアを続けたいのなら自分なりの喜びや楽しみを見つけると、自然と長く継続できるようになります。

    また、寄付の神様が高校3年生の時に進路について父親と話しをした時、寄付の神様のお父様が言われた名言です。

    「○○。 大学に行きたいのなら、例え何があっても大学に行かせるから学費は心配しなくてもいい。 ただし、大学を卒業して社会に出た時に、人の役に立つ人間になりなさい。 大学を出ても、世の為人の為にならないような人生を送るのなら、大学に行く必要はない。」 by ○○ ○○

    私は寄付の神様から、この話しを聞いた時に生まれた環境の違いを感じた記憶があります。 寄付の神様のお父上は、これまた色々な場所に寄付をしたり講演に出かけたりしているので、社会貢献と言う点で凄いと言うか「アッパレ!」としか言えません。

    ボランティアをしたいと思うのは悪いことではなく、自分の心に何かをしたいと言う部分が芽生えたからこそだと思います。

    あなたは自分の内なる善意を、どれだけ綺麗に咲かせることが出来ますか?

    (V^-°)イエイ!

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    青い空。

    自信を持つとか自分のやりたいことをやるなど、人生で叶ったらいいと思うことは多々あります。 しかし、それはあくまでするべきことをしていたらの話しであり、何もしていないのに変化があるわけが無いのです。 ただし、体重の変化とか肌の老化とかの肉体的変化などは、何もしなくても生命体である以上は起こります。

    そうではなく未来へ向けた希望や夢などは、あらかじめ準備しておいたことや身に付けた知識や技術がモノを言うのです。

    お店を出したいのなら、それまでに経営の為の経理や経営していくうえでの知識など、ノウハウを身につけておかないとお店は潰れてしまいます。 これは受験勉強でも然り、勉強せずに大学に受かりたいとか~勉強せずに資格を取りたいなど、勉強と言う事前準備を怠った状態で物事をするのは、手抜きもいいとこです。

    基本的に「戦いに勝つ瞬間」と言うのは、戦いが始まる前に決まっているのです。

    思い出していただきたいのですが、小さい時には色々なことに感動できたり、色々なことに興味を持てたのに、いつの頃からか目先のことにしか目が行かなくなり、いつのまにか周りに流されてしまっていた自分がいる時に、このままでいいのかと考え始めるのです。

    幼き日々に一生懸命に打ち込めたのは、出来ることが楽しかったからです。 どんなに小さな成功体験であろうとも、「やったぁ~!」と言う喜びがそこにはあったと思うのです。 それをいつのまにか忘れてしまい、「今更出来ない。」「今からじゃ無理」 こう考え始めてしまうと、夢があったはずなのに知らず知らずにうちにあきらめている自分がいるのです。

    小さい時に頑張れたのは、自分がやりたいことに夢中になれたからだと言うのを、もう一度思い出しても悪くないんです。 今のままでも生活は出来るけれど、今のままでは何かが不完全燃焼だと言う気持ちがあるのは、心に嘘を吐いている自分が許せなくなっているからかもしれません。

    人生とは一度きりであり、30歳の人ならば20歳の時を振り返ってみると「あの時に、もしもしていたら…。」 こう考えている自分がいるはずです。 ならば、今行動を起こさないと40歳になった時に考えるのは、「30歳の時に、もしも行動していたら…。」 このように歴史は繰り返してしまうかもしれないのです。

    人は何歳になろうとも、希望や夢は捨ててはいけません。

    希望や夢を捨てるのは、自分の命が尽きた時だけで充分です。 生きている限りチャンスはあるし、生きている限り全力を尽くさないと自分の人生に対しても失礼です。 歳を取った時にする後悔は「やらなかった」と言う後悔であり、行動してする後悔は「後悔ではなく思い出」となることの方が多いのです。

    あなたにはするべきことがあるからこそ生まれてきたのに、何もしないまま時間を過ごしているのはもったいないと思うのです。 能力とは開花させて使うことに意味があり、使わずに大事にしまっておくのでは宝の持ち腐れになってしまうのです。

    もしも、人生に満足したいのなら、人生の終わりに「我が人生に悔いなし!」 こう言って旅立てるような人生の方が、同じ人生でも素晴らしいと思うのです。

    豪邸を建てたとか~ベンツを買ったとか~貯金が1千万円あるとか、それはそれで素晴らしいことではあります。

    しかし、モノに関することは死んだ瞬間から風化して忘れ去られてしまうだけで、その一番良い例が遺産争いです。 いい歳した大人たちが自分の取り分を増やそうと、あぁだこうだと喧嘩しているさまは故人が見たらどう思うのか、「みっともない&情けない」と言う言葉を少しは考えた方がいいと思います。

    人生は誰しも始まりと終わりがあり、同じ終わりを迎えるなら寂しい人生にならない方がいいと思うのです。 寂しい人生にならない為には、自分がどれだけ冒険できたかに尽きるのです。 あれもやった~これもやったと、人生においてやりたいことをしてきた人生が一番幸せです。

    ただし、自分のやりたいことと言っても人に迷惑を掛けずにするのが基本で、その上に誰かが喜ぶことが出来たら、悔いの残る人生なんかになるはずが無いのです。

    あなたが今、空を見上げてみたら青い空が無限に広がっていると思います。 その青い空は誰の上にも公平に、青く広がっているのです。 その青空が澄み渡るように生きていけたら、幸運はあなたの上にもきっとチャンスをくれるはず…。

    空はどんな人の上でも、青いままなのです。

    あなたは後悔しない人生を、喜びと共に迎えることが出来ますか?

    ~~~~~(/ ̄▽ ̄)/ ~ф""


    お知らせ:出張の為、ブログの更新はお休みいたします。 14日(月)より再開いたしますので、よろしくお願い申し上げます。 m(__)m

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    お茶くみ。

    おはようございます。 今日も明るく晴れた空の下を素敵な気分で出勤できたら、また素晴らしい一日になると思います。 あなたがお仕事に行く姿は、輝いていると思います。

    人は社会へ羽ばたいたアト、生きて行く為には仕事をしなくてはなりません。 その為には辛くても会社へ通い、自分のポジションを守らなくてはなりません。 毎日キチンと出勤するあなたは素晴らしいし、尊敬に値する努力をしているのです。

    社会に出てみると責めてみても仕方が無いと言うことが数多くあり、それにイチイチ気を回していると自分の神経の方が持たなくなります。 例えば、世の中には必要悪と言う言葉があります。 仮に駐車違反を厳罰にしすぎると、日本における小荷物の宅配業は成り立たなくなります。

    少しなら見逃そうと言う気持ちがあるから成り立つだけで、駐車違反は如何なる場合も駄目としたら、風が吹けば桶屋が儲かるの逆バージョンで、社会の物価上昇は避けられなくなるところまで行きます。

    それと同じように、イチイチ細かいところまで気にしていたら、社会で働きにくくなります。 言えば言うほど損をする現象が起きたり、自分の立場をはっきりさせればさせるほど、いづらくなってくる時だってあります。

    地球規模で考えても矛盾は存在して、今は地球温暖化を防がなければならないと言いつつ、ガソリンの重要を止めることはできません。 車が無ければ仕事にならない人もいるし、ガソリンを使用して二酸化炭素を排出することで生活できている現状があります。 利便性とエコロジーは相反するものであり、人が生きて行く為には環境破壊をすることでしか生きられないことを気付く必要があるのです。

    避けられないことのひとつに慣習と言うのがあり、悪いことやいけないことだとわかっているのに止められないことを言います。 会社組織で行われている慣習の中で、馬鹿馬鹿しいと思う慣習のひとつに、「お茶くみは女性社員の仕事」と言う認識があります。

    お茶くみは女性の仕事と言えるのは、実はお茶くみと言う仕事自体を馬鹿にしているから言えることなのです。 「お茶くれ!」 男性社員がこう言うのは勝手ですが、その根底にあるのは「お茶くみのような簡単なことは女性にやらせておけばいい。」 こう言う馬鹿にした考え方があるからなのです。

    もしも、男性社員が上司よりお茶くみを命じられたら、「何で俺が~。」 すぐにこう言う不満を持つと思います。 しかし、お茶くみを馬鹿にするのは仕事の出来ない男性社員であり、お茶のたしなみをわかっている人にお茶を出すのがどれだけ難しいことか…。

    今の日本社会で「女性にお茶くみをさせるな」と言ったところで、その言葉は大多数の会社では通りません。 それを言った女性にさせないだけで、他の女性の負担が増えていくだけであり、逆にその女性がしないと言う点で白い目で見られる可能性すらあります。 企業ぐるみの「お茶くみは女性社員の仕事」という風潮を崩すのは至難の業であり、それを簡単に打破できる企業は、「不景気だ」なんて弱音を吐いたりせず絶好調のはずです。

    男性社員が仕事をしていないとは言いませんが、男性社員は女性社員を下に見ることでストレス発散している部分があります。 しかし、女性は会社内では色々なモノと戦わなくてはならないのだから、ストレスがたまりやすいのは女性社員の方なのです。

    余計な一言が多い例として、「今年で、何歳?」 こうやって女性に歳を聞くオヤジ社員の多いことには呆れてしまうのですが、親しくもないのに公共の場で女性に歳を聞くのはマナー違反なので、セクハラオヤジと思われたくなければ自重しましょう。

    このようなストレスで精神をすり減らしているのに、男性社員は平気で「女はいいよなぁ、責任が無くて。」 このようなトンチンカンな言葉を吐いたりするのです。 このような戦いから自分の身を守る為にも、心構えの差が重要になってくるのです。

    この心構えとは、「お茶くみひとつ出来ないから、頼むんだなぁ。」とか「自分が老けて見られるから歳を聞くんだなぁ。」など、その言葉の裏にあるプライドを損なわないようにするだけでいいんです。 イチイチ反応していると馬鹿馬鹿しいし、相手にしなけりゃ陰で悪く言われたりします。 どちらにしても社会の風習を上手く乗りこなさないと、会社組織で働くことが辛くなってきます。

    男性社員が女性社員を低く見る風潮がすぐにはなくならないので、なくならないのであれば味方につけるか~利用させてもらうと言うのも、戦略としては必要な部分なのです。

    雨が降るのは嫌だとか~晴れが続くと暑くて嫌だなど、人の気持ちは今の状態を基準にして良し悪しを判断してしまいます。 その規準を色々と動かすことでストレスがなくなるのであれば、ドンドン動かしてリベラルな考え方を持った方が精神衛生上いいと思うのです。

    あなたが毎日お仕事に通う姿は美しいし、その生きて行く姿は素晴らしいものです。 毎日、一生懸命にお仕事に行っているあなただから、周りから見ても惚れてしまうような素敵な立ち振る舞いがあるのです。

    あなたは気にしなくてもいいことを、真面目に悩んでいませんが?

    o(≧∇≦o)(o≧∇≦)o

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    不倫。

    私のところには浮気の相談も数多くありますが、付き合っている段階で男性が言う台詞は決まっていて、「結婚しているわけじゃないから、どうこう言われる筋合いは無い。」 似たり寄ったりですが、これに準じた台詞がほとんどです。

    では、結婚している男性が浮気をしたらどうなるかと言えば、それは不倫と呼ばれます。 不倫とは本来の言葉の意味としては、倫理から外れたことや人の道から外れたことを意味しますが、近年では結婚制度から逸脱した男女関係の意味で使用されています。 不倫は配偶者のある男女が、配偶者以外の異性と恋愛したり関係を持つことを言います。 (配偶者のいない男女が、配偶者がいる異性とする場合も含まれます。)

    古くは姦通や不義密通と言う言葉があり、やわらかい表現が浮気と言います。 ただし、浮気に関しては恋人同士でも使われます。 なお、昔は「よろめき」と言う言葉が使われていたのですが、これは夫のある女性が他の男性に心を寄せるのが主体でした。 なお、「よろめき」は三島由紀夫が1957年に発表した、ベストセラー小説の「美徳のよろめき」からきたものらしいです。

    一般的に不倫の代償は非常に大きいようで、家庭や友人関係を一気に崩壊させる危険をはらんでいます。 経済的や精神的にも相当な打撃を受けて、社会的信用を失う可能性もあります。 不倫は民法第770条の離婚事由に当たり、家庭崩壊の場合は配偶者に訴訟を起こされることもあります。 子供が心身を激しく傷つけられた場合には、不倫をした本人の配偶者からだけでなく、子供からも訴訟を起こされることすらあります。

    芸能人やスポーツ選手はスキャンダルとしてバッシングを受けるし、政治家や文化人などはイメージ悪化で潔癖な人間からの支持を大幅に失います。 ただし、フランスなどお国柄によっては寛容で、ゆるゆるのところもあります。 また、関係の解消の際には今までの関係を暴露されたり、口止め料&手切れ金を要求されることも多く、こういうトラブルも代償となります。 不倫関係が子供に及ぼす影響として、子供を邪魔な存在と感じて児童虐待に及ぶケースがあります。

    しかし、驚くべきことですが、古代の日本においては一夫多妻制の上に「招婿婚(妻問婚)」という制度があり、夫が妻(正室)の家に常時いるわけではなく、夫が他の女性の家へ行っている時には、別の男性が家に来る事も普通にあったのです。

    また、男性が恋人の女性の家へと行くと、すでに他の男性が来ていたということも度々あったことが、「古今和歌集」にも歌として収録されているいます。 ただし、古代の日本では浮気や不倫に対して夫や恋人が訴えたり公にするなんてことはメンツもあり、ほとんどありませんでした。 平安時代には男性が多くの女性元へ通うのが常識であり、一人の女性しか愛さない男は真面目人間として軽く見られた時代なのです。

    ただし、暗黙のルールとして人の妻を奪うことは非常識とされ、不倫は所領半分没収の上に職務罷免とされて武家文化の中で厳しく処罰される端緒となりました。 御成敗式目は戦国時代や江戸時代を通じて武家法の基礎となったのですが、庶民の生活に関してはなんら明確な取り決めは見られず、江戸時代以前には配偶者以外と関係を持つことは珍しいことではありませんでした。

    さらに戦前の農村などではその風潮が残っていたので、村内では関係が入り乱れていたのです。 (場所は言えませんが、ある農村では今でもある風習が残っていますが、これに耐えられる人は現代では余りいないと思います。)

    日本の場合は「浮気は男の甲斐性」などと言って、既婚男性が未婚女性と不倫にいたる限り容認する風潮が長く続いているのです。 ただし、日本の面白いところは既婚男性が未婚女性を愛人に持つことは容認されるのですが、既婚女性が浮気をすることは容認されないのです。 歴史をさかのぼると、既婚女性が不倫に及んだ場合は「1947年までは男女とも姦通罪」という罪に問われたのです。

    さすがに近年では恋愛感情と結婚生活を一体のものと考える思想が男女双方に備わってきて、不倫を罪悪であると考える者は男女問わず多いです。 しかし、残念なことに年長の富裕な既婚男性が、年下の未婚女性との不倫に走ることが多いのが最近の傾向です。 (一番多いのが、団塊の世代がお金に物を言わせて不倫関係になるケースです。)

    また、恋愛と結婚は別物と言う割り切った考え方も一部にはあり、結婚とは別に恋愛をしたいという人もいます。 その傾向として「女性の不倫は男性の不倫とは違い、純愛であり美しいもの」と言う既婚女性の不倫擁護が一部に存在します。

    過去の歴史背景や種の保存を持ち出して「男とは元来そういうものだ」とする主張が多く、人間社会で暮している現実を度外視した主張をする男性も数多く見られます。 そのせいかどうかわかりませんが、「一度きりなら許してやれ」と言う意見が日本には根強く残り、何度も関係を持ってからが不倫とされる場合が多いです。

    なお、私は浮気や不倫に関しては当てることができると言うか、割とわかる方の霊視カウンセラーだと思います。 神様じゃないので何時何分何秒とか○○市○○町○番地と言うことまではわかりませんが、それ以外の大まかなこと(相手や状況など)は、まず外さないからです。 私が男性と言うこともありますが、男性の行動パターンや考え方や思考などは「つるっと、まるっと、お見通しだぁ~。」 ←少し古いかなぁ~?

    ただし、浮気や不倫は知らなければ~気付かなければ、平穏無事に暮らせるのも事実なのです。 今の生活を乱したくなければ、知らない方がイイ場合も多くあるので、私はどこまでお話してもいいのか、お客様はどこまでお聞きになりたいのか、これは永遠のテーマです。

    あなたは何かを失っても、本当のことが知りたいですか?

    ( ̄(エ) ̄)ゞ クマッタナー

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    夢を語る。

    人が生まれてきた時の条件は違うけれど、その後の人生では必ずしも生まれてきた条件のままに進んでいく人はいません。 お金持ちに生まれてもホームレスになったり、貧乏な家に生まれても大企業の社長になったり、生まれてきた時はどうであれ、人生とはいくらでも変えることが出来るのです。

    しかし、同じような条件が重なって同じような行動をしているのに、何故か人生が全然違ってきて最終的な人生の差が出てきます。

    では、どうしてそうなるのかと言えば、それは自分の夢を語れるかどうかの差でもあると思うのです。 恥ずかしいとか照れるなど理由はあるのでしょうが、自分の夢を活き活きと語れないようでは、その夢が実現するのは難しいと思います。

    学歴や家柄や収入などにかかわらず、いつでも夢を持ち続けて~その夢を語ることが運勢をよくする為には重要だと思うのです。 誰でも人に夢を語る時には本気でしゃべることが出来ますが、自分で自分に問いかける時には本気で言っているつもりでも、どこかに半信半疑の心が残ったままになります。

    自分の夢に自分で疑いを持ったなら、やはり夢が叶いづらくなってしまいます。 わかってはいるけれど~信じてはいるけれど、「大丈夫かな?」 こう考え始めるとつい思考がそちらを向いてしまうのです。

    ただし、夢を語るのは楽しいことですが、その時に重要なのは聞いてくれるべき人がいるかどうかです。 この聞いてくれると言う意味は、ただ聞くだけではなくお互いに語り合えるかどうかと言う意味が含まれています。 夢を語ると言っても自分だけの一方通行では相手もつまらないし、自分に夢を語ってくれる人がいないのは現実的過ぎて面白くなくなります。

    夢を持つのは誰でもできるし、夢にチャレンジする資格は情熱や努力以外は必要ないのです。

    言霊と言う言葉があるように、口から出た言葉は実現しやすいとよく言われますが、適当に言っていて叶うほど簡単なモノではありません。 誰かに用事を頼まれた時に、本気で頼まれた時は熱意や真剣度が伝わると思いますが、適当に言われたり軽く言われると余り良い感じはしません。

    自分が伝えたい言葉とは、自分が伝えられても納得できるだけのものでなくては、それは言葉が薄っぺらになってしまうのです。 人脈と言うほど大げさでなくてもいいので、夢を語り合える人を作ることが出来たなら、それは常に自分の夢を話すことにつながり夢が叶いやすくなります。

    私自身が経験したからこそ言えるのですが、私はお客様のおかげで今があります。 これは自分の力だけでは到底無理なことであり、私のつまらないようなお話でも真剣に聞いてくださる、素敵なお客様がいてくださるからこそなのです。

    私はお客様の夢を聞くのが大好きで、お客様が夢にドンドン近づいていくのが凄く嬉しいです。

    お客様が夢を語る姿は輝いているし、その思い描いた夢が叶っていくさまはシンデレラストーリーのようです。 私はお客様の夢や希望が叶うことが私自身の喜びであり、お客様が笑顔になるのはとても喜ばしいことだと思っているのです。 活き活きと夢について語るお客様には素晴らしい輝きがあり、それは夢に近づくと言うことも意味しているのです。

    せっかく生まれて来た以上、その人生には楽しいことや嬉しいことが一杯あるのだから、夢と言う名の宝探しに出発しないままでいるのはもったいないと思うのです。

    目の前に手に入りそうな夢があるけれど、その前にホンの少し苦しいことや悲しいことや辛いことがあります。 しかし、夢を手に入れる為には通過しないといけない関所であり、今後への通過儀礼でもあるから逃げるわけにはいかないのです。

    あなたは決して負けないし、やり遂げるだけの実力も運もあります。 ただ、ちょっとだけ勇気を出して決断すれば、その一歩は大きな道となってあなたの夢を叶え始めてくれると思うのです。

    夢を語りあう状態を作り出せば、常に自分の夢を真剣に話せる状況になります。 私のところへ御相談に来るお客様が夢を語る回数が増えれば増えるほど、それは実現に近づいていると言うことなのです。

    お店を出す人などは顕著に現れるのですが、それはお店を出す瞬間が近づけば近づくほど御相談に来られる回数が増えてきます。 それは語ることで夢に近づき~夢に近づくことで語るのが楽しくなる、この鶏と卵のような関係が起こると、後は自動的に実現へ向けて進み始めるので、アトは自然と夢は叶っていくのです。

    あなたは自分の夢を、どれだけ人に語ることが出来ますか?

    O(≧∇≦)O イエイ!!

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    七夕。

    おはようございます。 今日は七夕なので、これについて書いてみたいと思います。 あなたも素敵な伝説のパートナーに巡りあえる、そういう記念日になるかもしれません。

    七夕は、日本や中国などにおける節供の一つで、旧暦の7月7日の夜のことでした。 しかし、明治改暦以降は現代暦の7月7日か、月遅れの8月7日に七夕祭りが行われることが多くなりました。 昔は「棚機(たなばた)」と書いていたのですが、現代では一般的に「七夕」としています。

    元々は中国の行事でしたが奈良時代に日本へ伝わり、日本に存在した「棚織津女の伝説」と合体して出来た言葉です。 昔の日本では旧暦の7月7日~7月15日、旧暦のお盆前に行われる行事でした。

    なお、旧暦と現代暦の差についてですが、やはり旧暦の7月7日の方が夜空は綺麗なことが多いです。 現代暦では梅雨とまでは言いませんが、雨の日も多く月齢も安定しないので、晴れていても天の川が見えないことがよくあります。 旧暦では上弦の月となることが多く、晴れる確率も旧暦の方が高いです。 また、昔の人の洒落なのか、七夕に降る雨を催涙雨や洒涙雨と呼んで、織姫と彦星が会えない為に流す涙だと言われています。

    七夕のお祭り的な意味合いとしては、豊作祈願と針仕事の上達を願うのが合体したお祭りとしての意味合いもあります。 そして、笹は精霊(祖先の霊)が宿ると考えられていて、それに願い事を書いてぶら下げておけば、精霊が叶えてくれると信じられていました。

    ただし、七夕を特別な日とすることが、いつから起こったかは定かではありません。

    織女と牽牛の伝説が漢の時代に編纂された「古詩十九首」に文献としてありますが、7月7日との関わりは明確になっておりません。 南北朝時代の荊楚歳時記に牽牛と織姫が会合する夜であると明記されている上に、夜になると婦人たちが7本の針の穴に美しい彩りの糸を通して、捧げ物を庭に並べて針仕事の上達を祈ったと書かれているので、先ほどの祈願が合体したことの裏づけとなります。

    日本語の「たなばた」の語源は古事記にアメノワカヒコが死んでアヂスキタカヒコネが来た時に詠まれた歌の「淤登多那婆多」や、日本書紀葦原中国平定の「乙登多奈婆多」に由来しているようです。 (また、萬葉集にも七夕に纏わる歌が存在しています。)

    こと座の1等星ベガが織姫となる星ですが言い伝え(設定)として、織姫は天帝の娘で機織の上手な働き者の娘でした。 そして、わし座のアルタイルが彦星(夏彦)で、夏彦も働き者だったので天帝は二人の結婚を認めました。 めでたく夫婦となった二人でしたが、夫婦生活が楽しくて織姫は機を織らなくなり~夏彦は牛を追わなくなりました。 このような自堕落的な生き方に天帝は怒り、2人を天の川を隔てて引き離したのですが年に1度だけ、7月7日の夜に会うことを許されたのです。

    しかし、7月7日に雨が降ると天の川の水かさが増して、織姫は渡ることができず夏彦(牽牛)も彼女に会うことができない。 そういう場合は2人を哀れんで、いつのまにか無数のカササギがやってきて、天の川に自分の体で橋を架けてくれると言われます。 (星の逢引なので、七夕には星合いと言う別名もあります。)

    七夕の星の名称として正確なモノは過去の文献にも無く、織姫や彦星を正確に指す星については定かではありません。 以前の牽牛は牛宿のことであり、現在の牽牛すなわちアルタイルは河鼓(天の川の太鼓)と呼ばれる星座の一星なのですが、七夕伝説の発展によって相応しい位置に遷されたものとされています。

    近年では光害の影響によって月が沈んだ後でも、天の川を見ることができる場所は限られているのが現状です。 見ごろなのは午前1時頃で、天頂付近に主要な星が上って「天の川~牽牛星~織女星」の三つが最もイイ感じになります。

    肝心の短冊についてですが、短冊を笹に飾る風習は江戸時代から始まったモノで、日本以外では見られない風習です。 また、短冊に書いていいのは「芸事」が基本で、現代風に言うのなら、「仕事や技術」となります。 基本的に七夕は針仕事など技の上達を祈願する祭りであった為、恋愛ごとは書いてはいけないのです。 しかし、織姫と彦星の話しが一般的なので、恋愛系の願いを書いてしまうのは仕方の無いことです。

    願い事を叶えたければ、白黒青緑赤黄紫の糸を縒りあわせた糸で短冊をぶら下げる必要があります。 そして内容は、「商売繁盛」とか「出世したい」とか「資格を取りたい」など、「芸事」が基本になります。 (詳しいことが知りたい方は、お聞きくださいね。)

    七夕には、その地域だけという風習もあり、北海道では七夕の日に「ローソクもらい(ローソク出せ)」という子供たちの行事が行われています。 台湾ではバレンタインデーと同様に、男女がプレゼントを交換する日とされています。

    各地の「七夕祭り」で戦後に始まったものは、仙台七夕をモデルとしています。 第一次世界大戦後の不景気に歯止めをかける為、商店街の有志により大規模な飾りつけが行われたのです。 すると、大勢の見物客で商店街は賑わったので、これをきっかけに「七夕祭り」がイベントとして認知されています。 なお、飾り付けのくす玉も、仙台七夕が発祥です。

    あなたも七夕の夜に、彦星のような人と巡りあえると思いませんか?

    (- .-)ヾ ポリポリ

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    キャパシティ。

    おはようございます。 今日は日曜日ですが、良い天気なので素敵な休日を楽しんでくださいね。 お仕事の方も素敵な晴れ間の中、うきうきした気持ちで良い一日を過ごせると思います。 自分のキャパシティを超えるような時は、休息するのも大事な時間なのです。

    キャパシティと言うのは辞書で引くと、収容能力とか容量などを意味しています。 その他にも物事を受け入れる能力や受容力など、個人の能力を指し示すことが多いです。

    夢を可能にする為には、このキャパシティを広げないと始まらないのが痛し痒しです。 キャパシティ内での努力と言うのは花開くことが多いのですが、花が小さく開いてしまうので、これ以上は無理だと考えてしまうことがあります。

    わかりやすく例えると、1ヶ月のキャパシティが30人のお店があったとします。 1ヶ月で15日間の営業ならば、15日×2人=30人(つまり1日平均2人)となります。 ところが、毎日2人来てくれるから30日間営業すると60人になるかと言えば、そうはならないのです。

    キャパシティ自体が30人なのだから、1ヶ月間無休で営業すると、30人=30日×1人と言うことになり、1日の平均にすると毎日1人来てくれることになります。 つまり、30人と言う枠を広げない限りは何日営業しようとも、その実数は変わらないままなのです。

    自分の能力と言うのは自分が思い描いたこと以上にはならないので、夢は大きく持つというのは、能力を制限しない為にも必要なことなのです。 もしも、60人来て欲しいと思うのならば、90人来て欲しいと言うくらい上を目指して行動していないと、キャパシティ自体が広がらないのです。

    恋愛に例えると、彼が3人できる運命の女性がいたとします。 その3人の彼と18歳で1人目と付き合い、23歳で二人目と付き合い~28歳で3人目と付き合うと、そこで彼のキャパシティが終わってしまうのです。

    いつまでも昔の彼が忘れられないと言うことをしている人は、このキャパシティの中から出られないので次の恋が始められないのです。

    3人のキャパシティが現在の状況ならば、次の恋を始めるには2つの方法があります。 今まで付き合った人達との想い出を清算して、過去のことは過去のこととキレイに整理できるかどうかと言うことが一つ目です。 もうひとつは、自分にできる彼のキャパシティを4~5~6人と増やしていって、次の恋を始めることができるようにするのです。

    努力~努力と言うけれど、むやみやたらに努力しても方向性が間違っていたなら、それは無駄な努力に終わるかもしれないのです。

    もしも、お花屋さんを出したいと思うのならば、活け方やデザインをやりたいと言う気持ちを抑えて、まずは花の仕入れや扱い方を一から学ばないと、基礎となる部分がないからいつまで経ってもお花屋さんを出せないのです。 仕入れや扱いを勉強して~次に接客や包装など覚えて、それから満を持してデザインやディスプレイに取り掛かればいいのです。

    最初にコツコツと自分のキャパシティを広げる努力をしておいて、それから最後の部分に取り掛かるなら勘所を掴めるようになるので、失敗することがなくなるのです。

    私自身の近未来で言うと、現在東京出張を毎月2日間していますが、これは自分のキャパシティ内のことです。 ところがこれに加えて名古屋出張を定期的にしようと思えば、クリアしなければならないことがあります。 それは名古屋を増やせば東京が減るし、東京の日数を維持すれば名古屋が増えないと言うジレンマがあります。

    私の出張キャパシティが現時点で12人とすれば、東京のみなら土日の2日間で6人づつ鑑定できますが、これに名古屋が加われば3日間になるので4人×3日間=12人と言うことになり、結局合計すると12人鑑定すると言うのは変わらなくなるのです。

    身体はひとつしかないのでキャパシティ内で活動しながら、なおかつ自分のキャパシティを広げる工夫が必要になるのです。

    仕事をする場合でもそうですし、お店や会社を経営する場合でもそうですが、このキャパシティが低いと能力を持っていても動けなくなるのです。 これは勉強すれば身に付くモノではなく、カンによるモノが大きいかもしれません。

    言うなれば努力すれば増えると言うのではなく、努力していると気付かないうちに増えていたと言うのが正解なのかもしれません。 キャパシティが増えていると言うのは実感できるのではなく、増えていった後に「そう言えば…。」とシミジミ感じるのです。

    人の成長の速度は色々ですが、それを促すのも運命の仕事なのかもしれません。 何かしなければと急き立てられるのは、何かしなければいけないという焦燥感だけではなく、何かができる準備が整ったと言うことなのかもしれません。

    押せば引く~引けば押す、キャパシティを増やすのは、これが極意なのかも。

    あなたは自分のキャパシティを、どれくらいに考えていますか?

    マア\(~ ~\)(/~ ~)/マア

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    サービス。

    おはようございます。 今日は土曜日ですが、良い週末を迎えてくださいね。 遊びにいくもよし~休息するもよし~ショッピングにいくもよし、休みは有意義に使うならば、日頃の仕事や人間関係の疲れを取り去り、鋭気を養うことも可能です。

    誰しもひとりでは生きていけないからこそ、人とのつながりはホンの少しのキッカケにより良くも悪くもなるのです。 たったヒトコトにより人間関係にヒビが入ったり、ホンの少しの態度で人としての浅はかさが見えてしまったりと、油断が傲慢につながるのが人の心理の過ちなのです。

    例えば、お買い物に行った時にサービスの良いお店で買いたくなるのは人情ですが、そのサービスとは何を指してサービスになるのかは「永遠のテーマ」です。

    人によっては価格が安いのがサービスだったり、買った品物におまけが付いたらサービスに感じたり、はたまた接客態度が素晴らしいと言う扱いにおける満足がサービスだったり、サービスと言うのはエテシテ不透明でわかりづらいのです。

    ひとつ例を出すと、トヨタ自動車は円高~原材料高~米国市場の不振などにより、表向きは売り上げが厳しい感じがあります。 しかし、ロシアの国家予算に匹敵するほどの売上高を誇るトヨタが、これくらいで苦しいわけがありません。 それにもかかわらず、最近のトヨタ自動車は社内の意識改革や引き締めが急速に進んでいるのですが、その本当の狙いは「サービス」のヒトコトに尽きるのです。

    アメリカのゼネラルモーターズを抜いて、世界一の販売台数獲得がもう実現しようとしている世界のトヨタ自動車。

    そのトヨタ自動車内において最近目立つようになってきたのが、驕りと自惚れなのです。 下請けの取引業者さんにデカイ態度で接したり、役職を鼻にかけて部下をいじめるなど、傲慢な態度を取る人が増えてきたのが危惧されています。 その為に、いまこそ意識改革チャンスとばかりに社内通達や引き締めがあるようです。

    天下のトヨタ自動車でさえも、サービス(精神面)に関して引き締めをするのです。

    話は少しそれますが、どうもトヨタ自動車は愛知県から分散準備を進めている気がします。 名古屋出張をした時に違和感が少しあったのですが、「トヨタがいるから…。」と気を抜いていると10年後に名古屋市の成長は現状維持で終わるような気します。 (なんとなくですがトヨタの幹部クラスは、家を建てる時に県外を選ぶ人が多いような気がします。)

    さて、話はサービスに戻りますが、東京出張をした時にサービスに関する考え方の違いを感じたことがあります。 それは東京出張の時に銀座をぶらぶらしていて起きた、ある出来事です。 (あくまで架空の話として、御覧くださいね。)

    その日、私は事務所で使う赤色の小物入れや名刺立てを探していたので、○○屋という大きな文房具屋さんに入りました。 7階へ行って店員さんに「すみません、赤色の小物入れがありますか?」と聞くと、その店員さんは親切に案内してくれて一緒に探してくれました。

    すると、そこへ上司らしき男性が来て「そんな物は見たことがない。 お客さんの見間違いでしょう。」と言われたので「いえ、雑誌で見たのですが…。」と答えた瞬間に「○○屋にない物は日本にないと言うことですよ。 ウチにない物をどこのお店や雑誌で見るんですか。 ウチが提供しなければ日本にないんですから。」

    こういう考えの男性を相手にしても無駄なので、「すみません、もういいです。」と言って帰ろうとすると、その男性はもう一度「いいですか、○○屋にない物は日本にないと言うことですよ。」と念押しされました。

    この出来事については、「○○屋に入った、私がアホやったなぁ~」と自己反省するのと、一緒に探してくれた親切な店員さんがこの男性に怒られたことが申し訳なかったです。

    さて、○○屋を後にして並木通りを歩いているとスワロ○スキーがあったので、なんとなくキレイな店内へ惹かれて入りました。 そして色々なモニュメントやクリスタルを見ていると、店員さんが声を掛けてきたのですが質問にも丁寧に答えてくれて、おまけにある質問に対してわざわざ電話で本店に問い合わせてくれたのです。

    私は買い物をするわけじゃなく、ただちょっと質問しただけなのにものすごく丁寧に答えてくれたのです。 そして何も買わずにお店を出たのですが、見送りまでしてくれたのです。 この行為により○○屋でボロカスに言われたことが嘘のように消え去り、その日は一日中素敵な気持ちで過ごすことができたのです。

    目的があり買う気で行ったのに、ボロクソに言われた○○屋。
    目的もなく買う気もなく立ち寄っただけなのに、親切丁寧なスワロ○スキー。

    お店の違いもあるし~店員さんの違いもあるのかもしれませんが、サービスと言う点で○○屋よりもスワロ○スキーの方が何十倍も感じが良かったです。

    本当のサービスと言うのはスワロ○スキーの店員さんがしたような相手の心に残るのが本物であり、お店の威厳を保つとか~プライドを持ちすぎるのは本当のサービスとは言えないのです。 「ウチに無いものは、日本に無い!」 なんて言うのは、奢り高ぶった精神の持ち主が言うことです。

    ただし、ヘタレの私が貧乏タレに見えるので、足元を見られたのかもしれません。 (笑)

    あなたにとってのサービスとは、どんなことが記憶にありますか?

    ☆~ありがとう ヽ(#^ー゜#)v

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    配慮。

    人間関係は仕事でもプライベートでも、悩まないことなんて無いくらい生活の大部分を占めています。 ただ、人間関係からは逃れられない以上は、人間関係に配慮を持ってスムーズにことが運べば、衝突や摩擦は減ると思うのです。

    人の心は微妙に動くのだから、良いとか悪いとか言う前に配慮が必要です。 目の前にいる人に対しての「配慮~思いやり~気遣い」などがなければ、いくら良い言葉であっても単なる五月蝿い小言としてしか、相手は受け止められないのです。

    まずは相手に共感してもらうことで、相手が自分の行動や言葉を理解してくれるのです。

    占いを表す言葉として、「お金持ちは占いを信じないが、大富豪は占いを活用する。」とよく言われています。 お金持ちと言われるレベルの人は、自分の私利私欲だけの考え方の人も多いので、成金とか品性がないと言われても仕方がない部分もあります。

    しかし、大富豪の人は必ず援助(人材~お金~物資など)を惜しまないので、さらにお金が入ってくると言う好循環になります。

    ある一定レベル以上の人間性を持った方とお話しをすると、共通して出てくるのが「まずは自分の行動を正してから、さらに相手に対して奉仕せよ」と言うことです。 例えるのなら、「お金が欲しければ、まず寄付をしろ」と言うことなのですが、これは真理を付いていると思います。

    「求めよ、さらば与えられん!」 これは成金的&拝金的な考えであり、見習う必要はありません。 「与えよ、さらば求められてから、最後には与えられん!」と考えないと、一時的に良い思いをした後で支払うお釣りは大きく感じます。

    配慮と言うのは自分の考えと相手の考えの違いにより、良いことをしたのに誤解を生むと言うのが難しいところです。 誤解を生まない為にも、声掛けひとつでも配慮が必要です。

    「私に何かできることはありますか?」 困っていると感じたり~手助けが必要なのではないのかと感じた時に、このように声を掛ければ相手に選択肢を与えることになるので、無条件で相手の心に入り込むわけではありません。

    例えば? 盲導犬が町を歩いていると声を掛けたくなったり、頭をなでてやりたくなる気持ちはよくわかります。 そういう気持ちは素敵なのですが、盲導犬は散歩をしているのではなくお仕事中で、全方位に神経を張り巡らせているので話しかけたり触ったりすると気が散るのです。 それを防ぐ為にも、陰ながら応援する気持ちだけで充分素敵だと思います。

    その他にも、お年寄りの方が重そうな荷物を持っている時に「荷物を持ちましょうか?」とか、電車内で「どうぞお座りください。」などの声掛けはとても素晴らしい行為です。 しかし、声の掛け方ひとつで相手の機嫌を損ねてしまうようでは、本来の親切心が仇となってお互いが気まずい雰囲気になってしまうのです。

    お年寄りの方に声を掛けるのならば、「おじいちゃん&おばあちゃん」は禁句です。 「おばあちゃん、荷物を持ちましょうか?」と言うのは、相手からすると年寄り扱いされたと感じて、「わたしは、あなたのおばあちゃんじゃありません。」と言って憤慨するかもしれません。

    つまり、歳を取っていると言うのを見ず知らずの他人から言われたと感じて、親切心よりも馬鹿にされたと感じてしまうのです。

    せっかくの好意を無にしない為にも、声の掛け方ひとつで「相手の気分が変わる」と言うのを理解してから、どのように声を掛ければ素直に受け止めてもらえるのか、それを考えるのも親切になります。

    もしも、その判断がしにくければ前述した言葉、「何かできることがありますか?」「何かお手伝いすることがありますか?」 こうやって、相手に選択させるような感じの声掛けの方がいいと思うのです。 相手が触れて欲しくない部分に触れて怒らすよりは、まずは気持ちを確かめてからにした方が、お互い気持ちの良いことができると思うのです。

    本当に大変な状況ならば、「はい、お願いします。」
    助けが不要ならば、「いえ、結構です。」

    どちらの答えが返ってくるにせよ、善意の気持ちで話しかけたあなたに対して、当事者が自分の気持ちで言葉を返すのだから、裏読みせずに素直に受け取ればそれでいいのです。 相手があなたを拒否することで困ったとしても、それは相手が自分で選んだ選択肢の結果であり、あなたの気持ちが無になるわけではありません。

    配慮と言うのは自分が良いと思うことではなく、「相手が良いと思う」ことが本当の配慮になるのです。

    あなたが誰かの役に立ちたいと思うのは素晴らしいことであり、その優しさを持ち続けていれば運命はきっとあなたを助けてくれます。

    あなたは相手の立場で考えると言う、本当の配慮を考えていますか?

    ( ̄▽ ̄)”\(^-^ )ヨシヨシ~☆

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    伸びる人。

    誰しも恋する時には「この人でいいのかな?」 こう思う時が一度や二度はあると思います。 しかし、人である以上はこの気持ちになるのは当たり前であり、一度もそう思わない人は余程相手を信頼しているのか~逆に相手に無頓着なのか、このどちらかだと思います。

    まだ男性の鑑定をしていた時代ですが、私が男性から結婚の相談を受けた時に、聞かれると意気消沈していた質問があります。 それは「彼女と結婚したら、俺が幸せになれるか?」です。 こういう質問をする男性は、自分のことしか考えていないのかと悲しくなります。 何故、「俺は結婚して、彼女のことを幸せにできるか?」 こういう風に質問してくれないのかと思います。

    確かに女性でも「自分の幸せ」を中心とした質問をする場合もありますが、それは一部の人だけです。 御相談にお越しくださるほとんどの女性が、「彼の為に私ができることは何ですか?」 こういう相手に対しての想いを質問にしてくるので、「素敵な恋ができていますね。」と応援したくなるような感動をいただいて、思わずニッコリと微笑ましくなるのです。

    人は恋から愛へと移り変わり、そして愛から真理へと生活の形をも変えていくのです。 その恋愛から結婚へと移り変わっていく大切な想い出の中で、「人として見分けないといけない」のは愛情における考え方の部分なのです。

    愛がないのに結婚することを、「打算」と言います。
    欲がないのに結婚することを、「親愛」と言います。

    人と人が恋愛して結婚して同じ時を過ごしていくのならば、愛情だけでは続かないのです。 そこには親しみや尊敬がなければ、家庭内別居とか仮面夫婦などのように呼ばれる生活を送ることになるのです。 同じ結婚生活を送るのなら、相手のことを素晴らしいと感動できるのなら、それは充実した結婚生活になると思うのです。

    共に歩き~共に探していく、それが結婚生活における宝探しの秘訣だと思うのです。 かけがえのない瞬間と言うのは一瞬のことだから、虹や陽炎のように捉えようとしても捉えきれない、通り過ぎた後でわかるモノなのです。

    結婚するなら素敵な人がイイと言うのは万人が求めることですが、そのイイ人とはどうやって見抜けばいいのか、これが簡単に出来たら苦労はないと言う声が聞こえてきそうですが、日頃の人間観察力がモノを言う面もあります。

    基本的に、仕事に打ち込まない&仕事をせずにゴロゴロしている、こういう男性を基準にしているようでは見分けると言う以前の問題外です。 健康な成人男性が仕事もせずにゴロゴロしているなんて今の日本だからできるだけであり、世界の貧困の中ではありえないのです。 改まって説明するほどではないのですが、まず仕事をきちんとしている男性と言うのは大原則です。

    伸びる男性と伸びない男性。
    できる男性とできない男性。

    私自身がロクデナシなので人のことは言えないのですが、伸びる男性と言うのは存在するけれど~伸びない男性と言うのも存在します。

    厳しい言い方になるので申し訳ないのですが、伸びない男性が結婚するだけで急に伸びるわけではありません。 できない男性が何もせずにゴロゴロしていて、明日から急にできる男性に大変身することもありません。 日々の努力や行動が、命運を分けるのはいたし方の無いことです。

    男性の良し悪しにはちゃんと見分け方があるのですが、「恋は盲目」という言葉があるように目を曇らせてしまい見誤ることがあるのです。 例えば、優しいように見えても単なる優柔不断だったり、クールを気取っていても単なる強情なだけだったり、人は見かけに寄らないのを一番に理解しないといけないのです。

    もしも人を見る目に自信がないと言うのなら、相手の言葉と姿勢を見てください。 これは聞くのではなく見ると言うのがひとつのポイントなのですが、相手が言葉を言った後でそれに伴う行動ができているかどうかです。

    「俺は○○~」とか「僕は○○です。」など言った後で、その言葉通りのことができているかどうかで、その人の真実がわかるのです。

    ただし、愛情あふれるあなたならば、伸びない男性や出来ない男性を変えることも可能です。 結婚したと言う制度で変わることはなくても、愛によって彼の心の中にある感動の種が発芽すれば、伸びない(できない)男性も~伸びる(できる)男性に変わることができるのです。

    一番簡単な方法としては「褒めて自信をつけさせる」ということで、それができればあなたの愛により彼の心が氷解してくるのです。 ただし、それにより天狗になったり~調子に乗ったりするのは「褒めすぎ」なので要注意です。

    あなたは恋する段階から、結婚する段階へと歩を進めることができますか?

    ( - -)----C<T-T) ホカクッ!

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    プライド。

    よく聞く言葉のひとつに「プライドが高い」と言うのがありますが、それはどういう意味かと問われたら誰もよくわからないと思います。 基本的に、プライドとは誇りや自尊心のことを言います。 誇りや自尊心と言うのは自分の思想や行動に自信を持ち、他からの干渉を排除する状態と辞書には出ています。

    一般的には自分の考えを譲らずに相手の言い分を一切認めない人が、「プライドが高い」と揶揄されるのです。 社会生活においてプライドが高いとやりにくいのですが、実は地位や名誉などが上になればなるほど、プライドが高くなっていきます。

    お勤めをしていれば必ず上司や社長と言われる人たちが出てきて、やりたくないことや理不尽なことを言われるようになります。 しかし、それ自体は組織と言う点からは仕方のないことですし、自分も知らぬ間に言う側になっているかもしれません。

    ただ、プライドが高い人と一緒に仕事をしていたら、それは結構キツイです。 自分の意見は聞いてもらえないのに、相手の言うことは全部聞かないといけない。 これは毎日続くとなれば苦痛であり、大げさに言えば地獄だと感じてしまうかもしれません。

    コレが本社や支社があるとか~部署換えがある会社ならまだましですが、人数も少なく常に顔を合わせている状態なら、プライドの高い人と一緒にいるのを普通の人なら好みません。 ところが最近の研究で「プライドが高い」と言うのは、脳科学においては解明されつつあります。

    プライドが高い人と言うのは、実は脳の働きが普通の人とあきらかに違います。 脳と言うのは遺伝子Xと遺伝子Yが結合して、それが螺旋状に無限の情報として蓄積されています。 そして、その螺旋状の情報を取り出せる量が多い人や瞬時に探し出せる人が、言い方は色々ありますが「天才」と言われるのです。

    では、プライドが高い人の脳の動きとはどうなっているのか…。

    この脳の働きを理解する為に出てくる言葉が、「境界性人格障害(Borderline Personality Disorder略してBPD)」と呼ばれるモノです。 ドクターなど専門分野の人は「ボーダーライン」と呼ぶ方も多いようですが、「ボーダー」や「ボダ」などと言う人もいます。

    この「境界性人格障害(BPD)」は現在では日本の人口の約1~2%と言われていますから、単純計算すると日本では約250万人以上がBPDであることになります。

    なお、医学的なことを言わせていただくと「18歳以上」でないとBPDと診断を下すわけにいかないので、その場合ボ-ダ-ラインパーソナリティ傾向や適応障害と診断されます。  この症状の特徴としては、自分が何者なのかよくわからない~見捨てられる不安や恐怖心が強い~自己分析が良い自分と悪い自分の二つに分裂(スプリッティング)するなどの言動が見られます。

    その他の症状としては、常にイライラして他者を過大に評価していたかと思うと、急にこきおろしたりなどの激しい攻撃性を持っています。 これは経験された方も多いと思いますが、最初は褒めたり好意的に扱ってくれるのですが、自分よりも上の状態と判断したら急に掌を返すようになるのです。 (こういう人は相手にせず、柳のごとく受け流すのが得策です。)

    自分の思うままに操ろうとする為に他人と安定した関係が保てないとか、人と適度な距離感を保てずグレーゾーンのない好きか嫌いかの両極端な対人関係になりがちで物事を極端に受け止めて感情が不安定になります。

    これらの症状は「境界性人格障害」の特徴を書き記したものですが、コレを呼んでピンと来た方もいると思います。

    つまり、プライドが高いと言うのは「脳の情報伝達回路の動きが遅い」 もしくは「脳が正常に情報を探せない」為に起こることなのです。 自分に悪気がなく当たり前にしていることを周りが勝手に不愉快に思うなんて、「オカシイ!」と言うのがプライドの高い人の言い分(感情)になります。

    相手の言うことが瞬時に理解できている時は、通常は「話しやすい(話が早い)」と言われます。 ところが相手の言うことが瞬時に理解できない脳を持つ以上、カチンと来てしまうのがプライドの高い人です。

    これは自分の知らない&わからない情報を話されると脳の方で、それに応じた情報を取り出せなくなったり~情報を探せない「回線断裂」と言う現象が脳内部で起こる為です。

    プライドが高い人と言うのを目の前にすると、誰しも気持ちのイイモノではありません。 しかし、温かい目で見てあげることが出来るようになると、プライドが高い人の言動を許せるようになるのです。 ただし、プライドの高い人に好んで近づかなくてもいいし、相手にせず逃げると言うこともしないといけませんが…。

    あなたはプライドの高い人を、まともに相手にして悩んでいませんか?

    ヽ(~~~ )ノ ハテ?

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    環境の差。

    環境の差と言うのが、運命の差になることが往々にしてあります。 これは悲しいかな自分では選べないのですが、生まれた場所により才能を開花させずに終わってしまうことがあります。 子が親を選んで生まれてきたと言うのは、これはメルヘンとしてはいいのですが、遺伝子や生命体として考えるとありえない話です。

    スピリチュアルが批判にさらされるのは、なんでもかんでも「それは学びです。」とか「それはあなたの修行です。」と言って、回答を示さずに楽して矛先を変えようとするからです。 悩みに悩み抜いて~勇気を出してお越しくださるお客様に対して、学びや修行なんてヒトコトで済ませることはできません。 生まれてきた環境の差と言うのは、誰の上にも降りかかる可能性があるのです。

    もしもピアノの才能があったとしても、田舎の方ではピアノ教室自体がありません。 仮にあったとしても教室を選べず、現存する教室に通うしかないのです。 そうなると教える先生と「ウマが合う⇔合わない」の問題も出てきて、先生に嫌われてしまうと「もうピアノは嫌いだ!」となり、その子にはピアノの才能があるにもかかわらず、ピアノを弾くことすら拒否してしまうようになります。

    「子が親を選んで生まれてくる。」 こう思うのは勝手ですが、その考えを他人に押し付けないことです。 この考えを認めないのならば、それは魂のレベルが低いからと言う話に持っていって、「考え方が違うから回答は拒否します。」 こうやって逃げるような人生を送るのは寂しいことですし、修行とは選べずに生まれてくるからこそ魂を磨くことになるのです。

    生まれてきた環境の差は、本人の責任ではありません。 しかし、その場所にいることを選択して、それにより起こる出来事で辛い思いをするのは本人の責任です。

    私は小さい時からいじめられてきて、自閉症とか知恵遅れとか言われてきました。 これ自体は私が人に嫌われるようなことを言っていた、自己責任の部分もあるので仕方がありません。 しかし、私がもっと都会の方で生まれ育っていたなら、私はココまでいじめられなかったと思います。

    私はものすごい田舎の方で生まれ育ったので、小学校も30~35人で2クラスがやっとと言う状態なので、1グループに嫌われるとそれでもう修正は利きませんでした。 小学校~中学校と逃げることはできませんでしたが、高校は地元を離れたのでやっと一息つけました。

    田舎の高校なので人数が多いワケではありませんが、それでも地元に比べると少し都会の高校だったので、イジメはほとんどありませんでした。 私自身は何も変わっていなかったのですが、周りの環境が変わることによりイジメがなくなった。 これが環境の差における、ひとつの正解です。

    今と昔では、私の考え方や生き方はほとんど変わっていません。 寄付をしたいとか~人の役に立ちたい、この考え方は小~中学時代には馬鹿にされていたことです。 しかし、倉敷市や岡山市と言う県南、広島~大阪~名古屋~東京といった場所では、馬鹿にされるどころか褒められることも多いと言う現実を体験しています。

    悲しいかな、私が教育を受けた小~中学校には「マザー・テレサやヘレン・ケラー」といった偉人を知らない先生しかいなかったのです。 もしも私が倉敷市や岡山市の小~中学校に通っていたら、そういう人を尊敬しているのはイイことだと、先生も認めてくれていたかもしれないのです。

    環境の差と言うのは生まれてから、しばらくの間は変えることができません。 自分に与えられた環境で生き延びるしかないのですが、成人して自由に行動できるようになったのなら、自分の可能性を追い求めないのは悲しい結果になるかもしれないのです。

    歌手になれる可能性があるのに、カラオケで憂さを晴らすだけの毎日。
    ダンスで感動を与える可能性があるのに、大会にチャレンジしない毎日。
    漫画家になれる可能性があるのに、イラストを書いて貯めておくだけの毎日。

    このように才能があっても周りが認めてくれる環境でないのなら、そこに留まるのは人生の後退を意味するのです。 周りが認めないのなら選択肢は2つしかなく、ひとつはこれだけの人生だとあきらめておとなしくしている道で、もうひとつは人生の可能性はこれからだと外へ飛び出していく道とあるのです。

    このように、どれを選択するかで未来は変わるからこそ、自分の可能性を広げられるのです。

    ひとつ例を出すと、最近の地方TV局ではアナウンサーが次々と退社してフリーになったり、東京に移転したりと言うことが起きています。 これは山本モナさん(朝日放送)~青木さやかさん(中京ローカル)~友近さん(あいてれび)などの成功により、自分にもできると思ってチャレンジする人が増えたからです。 最近、地元TV局のアナウンサーで見ないなぁと思っていたら、いきなり在京のキー局で活躍していたと言うことが今後は増えてきます。

    何歳であろうとも挑戦する姿は美しいけれど、挑戦しないのなら美しさは一時の輝きで終わりを告げるのです。

    あなたは環境の差で、可能性をあきらめていませんか?

    d(>_< )ベリーGood!

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