徒然草(占い・岡山・東京・霊視)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    オーラの正体。

    おはようございます。 先日は出張の為、ブログをお休みしましたが今日から再開です。 月曜日なので仕事始めのお客様も多いと思いますが、今日もあなたは素敵なオーラが輝いているので、きっと素敵な週の始まりになると思います。

    さて、私もたまには霊視カウンセラー的なことを書いてみたいと思うのですが、「オーラ」と言うのをTVや雑誌などでもよく目にしますが、オーラ (aura)とは、物体(特に人間)が放出すると言われる雰囲気や霊気に属するモノのことを言います。

    「息」を意味するギリシア語の「アウラー (αύρα / aura)」に由来しており、英語としてはやや文語的な表現になっているようです。 一般的には、オーラは生命活動や精神活動をつかさどる超自然的なエネルギーである生体エネルギーが、体から放出されて体を取り巻いたものだとされているのですが、それに科学的根拠はないのが実情です。

    中国の気やインドのプラナなどと同一視することが多く、宗教画などに描かれる後光(ハロー)をオーラとみなすこともあります。

    科学的な用語を使うなら、微弱な電気エネルギーとか電磁場や光のエネルギーなどとされているようです。 私はオーラについて自分なりの見解を持っており、物理学者や大学教授に聞かれても説明できますが、それについては後半で説明したいと思います。

    なお、最近はエステやヒーリングサロンなど一部の店舗にてオーラ撮影と称するサービスが行われています。 全部が全部ではないのですが、アメリカの○○社製のオーラビデオステーションという機材が使われていることが多く、この機械は撮影に際して電極に触れて、人体内を流れる微弱な電気信号をコンピュータグラフィック処理しているのです。  簡単に言うと、「0.1Aなら赤~0.2Aなら緑~0.3Aなら青」と計算して合成写真を映し出す仕組みになっています。

    この写真に写る色は体内の電気抵抗により計算されたものであり、脂肪の量や細胞核の個人差などにより変わるので、すぐには変わりませんが体重が変化したり生活状態が変われば、体内の細胞が変わるので電気抵抗などが変わり色も変化してきますが、オーラが写るわけではありません。

    CCDカメラが付属しているので、いかにも人間の表面から発光しているように写るのですが、これはCGと実写の合成写真であり、人間の目に見えないオーラが撮影できるわけではありません。 実際問題として、CCDカメラにそのような性能があるはずもなく、その機械を製造している会社自体が明確にオーラ撮影できるとは説明していないのが微妙なところです。

    では、私が考えるオーラの正体は何なのかと問われれば、「バイオフォトン」ではないのかと考えています。 バイオフォトン(biophoton)とは、生命を意味するバイオ(bio)と光子を意味するフォトン(photon)を組み合わせた造語で厳密な定義はありません。 生物発光(bioluminescence)の中でも、非常に小さくて微弱な発光のことを指し示します。

    基本的に光は量子力学が教えるように、波の性質と粒子の性質を持っています。 人間が普通に光として認識する範囲内では電磁波としての性質が顕著だが、その強度が小さくなるにしたがって粒子(フォトン)としての性質が顕わになります。

    このように弱い光に対して高感度光検出器である光電子増倍管を用いると、フォトン1個に対応した電流パルスが観測され、それによってフォトンの数として光の強度が測定されるもので、この光計測法はフォトンカウンティング法と呼ばれて、現時点では最も高感度な光計測法です。

    このように、バイオフォトンは粒子として観測されるほど光の強度が小さいということを意味する用語で、通常は冷却された光電子増倍管やCCDイメージセンサなどの超高感度測定器を必要として、肉眼で観測することは出来ません。 

    一般的な生物発光では、肉眼で観測できるホタルや夜光虫などがいて、その強度はフォトンとして観測される場合より数桁も大きく、強すぎるのでバイオフォトンとは呼べません。

    今の時点でバイオフォトンと呼ばれている発光が確認されたのは、1960年代の光電子増倍管の発明以降で、光電子増倍管によりあらゆる生物のあらゆる器官からフォトンとして観測されるほど弱い光が恒常的に観測されることが知られるようになったのです。

    その後はヨーロッパや日本の研究グループが多くの研究を行っており、日本では当時の科学技術庁特殊法人である新技術事業団が、稲場文男東北大教授を中心として行った稲場生物フォトンプロジェクト(1986年~1991年)が有名です。

    現在でも世界中で数十の研究グループが研究を行っていて、バイオフォトンは細胞呼吸の酸化還元反応など、生体の基礎的代謝に関わっているので医療や生命科学や農業分野などで利用が可能だと考えられています。

    バイオフォトンに関与する生化学反応は、主にミトコンドリアにおける細胞呼吸などの酸化還元反応と言われており、そこで生じるエネルギーの中でフォトンとして放出されるのはごく僅かです。 これは関与する分子のうち比較的高いエネルギーを持った後に、そのエネルギーを光として放出する分子が確率的に少なくて、ほとんどの分子は生化学反応を通して生理活動を行った後に熱となってエネルギーを放出するからです。

    また、バイオフォトンと呼べるほど強度が小さくない場合、一般的な意味で「生物発光」と言う方が正しいかもしれません。 (ホタルや夜光虫など)

    つまり、非常に弱い生物発光と呼べないバイオフォトンがいくつも重なることにより、色をかもし出すのではないのかと考えております。

    これが私なりのオーラに対する見解で、私がお客様のオーラを見てもまぶしいほどの光ではありません。 肉体から5センチ~15センチくらいであり、身体の表面をわずかにおおっている状態がほとんどです。 映画やTVのようにオーラが出ていたら、オーラが見えると言う人は街を歩くことも出来ないし、人が大勢いるところでは余りにも多くの色彩情報が脳に伝達されてしまい、異常反応を起こして脳が破壊されてしまいます。

    あなたはオーラについて、どのように感じていましたか?

    ( ^o^)ノ"☆ノ^-^)ノ ヒカッテルゥ~!

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    稲穂。

    いつであろうとも~誰であろうとも、心が叫ぶ時と言うのは「結果が出なかった時」 これが一番色々なことを叫びたい瞬間だと思います。 どうして~なんで~せっかくしたのに、言い方は色々あるでしょうが、自分がしたことに対して結果が伴わないのが、一番悔しかったり辛かったりすると思います。

    最後までやり遂げたのに結果が出ないと言うのは、苦しみを倍増させるかもしれないけれど、それであきらめるようではそれだけのことだったんです。 努力は無駄にはならないと言うのは嘘ではなく、あることについては出来なかったけれど、他のことについてはその時の経験や知識や技術を生かすことが出来た。 その時がくるまでホンの少しだけ貯めておくだけであり、いつかは使うことになるのです。

    稲を見てみるとよくわかるのですが、小さな種から苗になり~そこから大きく成長して稲になります。 しかし、お米が出来るのはその先にホンの少しだけであり、地中から地面までの根~地面から穂先までのワラとなる部分、これらは穂先のお米が出来る為にあるのです。

    お米を収穫してしまえば、もうワラの部分は使うことはありません。 昔であれば草履や畳に使っていたのですが、現代ではそれに使うことも少なくなりました。 しかし、利用できないからと言って~捨てる部分だからと言って、それが無ければお米は出来ません。

    これは、夢を追いかける時の努力に似ていると思うのですが、地中の根っこの時には暗くて先も見えず腐ったり、やる気をなくしてしまうかもしれない。 そしてようやく地面に出ることが出来ても長い時間を掛けて実がなるまでの間、水を吸い上げて穂先に水分を届けるだけの毎日です。 しかし、同じことの繰り返しだと思っていたことが、いつのまにか立派なお米になっているのですが、それは気付かない日々の動きが立派な稲穂になるのです。

    どうせ台風で倒れるから~どうせ害虫にやられてしまうから、こうやってあきらめてしまうのは人間だけで、稲はそんなことはお構いなしに自分がするべきことをして、実をならせるのです。

    多大なる努力をしても、ホンの少しにしかならないかもしれない。 しかし、目に見えるホンの少しの為には、見えない部分がものすごく必要なのです。 途中であきらめると言うのは、目に見えない部分において疑いを持つことになり、それは自分の考えを否定することになるのです。

    お米が古代より品種改良しながらも延々と続いてきたのは、ホンの一粒の為に全身全霊をかけるからこそ美味しいお米になると思うのです。

    あなたの見えない努力は、あなたの見える成功を支えているのです。 あなたがくれた奇跡は私の心にいつでも届いていますし、あなたの奇跡の始まりに立ち会える私は幸せだと思います。

    奇跡を起こせる人と言うのは、必ずある現象が起きます。 それは、奇跡を起こせる人の前に道は無くて、奇跡を起こせる人の後ろにしか道は無いのです。 これは当たり前のことですが、奇跡を起こせるあなたがするべきことは他の誰もできません。 つまり、あなた以外は出来ないのだから、道を作るのはあなたがやるべきことなのです。

    あなたが先駆者として、後ろに続く人達の為に道を作り上げると言う行為が、奇跡を起こせる人の絶対条件なのです。

    誰しも最初の一歩を踏み出すのは勇気がいることだし、その一歩の為に色々な物を犠牲にしなくてはいけない場合もあると思います。 しかし、あなたがその一歩を踏み出さなければ、今までと同じ場所にいるしかないのです。 同じ場所にいると言うことは、過去の繰り返しが未来で待つだけであり、何かが出来るのに~何も出来ない状態で過ごす人生になるのです。

    あなたは運が良い人であり、才能や実力も備わっています。 ただ、その活かし方を知らなかったり、使う勇気が無いだけなのかもしれないのです。 優しいあなたにはいつでも幸運が微笑んでいるのですが、幸運に対して人見知りする必要はないのです。

    私は運が良いあなたの才能が開花する瞬間に立ち会えることが、人生においての喜びになっています。 あなたが運が良い人生で笑顔のままで過ごしていけるのは、あなた自身がコントロールできることなのです。

    私は良いことしか言わないのが基本ですが、それは悪いことを言ってしまうのが人の守りの部分であり自然な本能だからです。 上手くいかない時の為に悪いことを想定してしまうので、それを止めることは脳の動きを止めるに等しいので不可能です。 ならば、少しでも前向きなことをお話しするようにしておかないと、いつの間にか暗い話ばかりになるかもしれないのです。

    ピンチはチャンスであり、ピンチはきっかけを与えてくれる運命の後押しでもあるのです。

    あなたは自分の才能を開花させる為に、前向きになることができますか?

    ヽ(^0^)/ワーイ((^。^)) エム ((^ε^)/シー


    お知らせ:出張の為PCが使えないので、ブログの更新は30日(月)より再開いたします。 いつも御覧いただき、本当にありがとうございます。 m(__)m

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    満点を目指さない。

    満点を目指さない生き方、これができれば人生の重荷は少し減るのですが、人はつい誰かと張り合ってしまうのです。 神仏や教えと言う点で例えられるのに、無の境地と言う言葉が多いのは、人の心に渦巻く欲望(煩悩)を消し去るのが難しいからです。

    そういう私自身も人のことは言えないくらいミエを張りたかったし、人に対して優越感を持ちたかったという思いがありました。

    人に対して有利なことがあればいじめられないと言う点もあったのでしょうが、ようは自慢したかっただけなのかもしれません。 私自身も昔は欲の塊で、欲しい~欲しいの連続だったのかもしれません。 情けないけれど、昔の私の周りにいる人達は、私自身の行いが引き寄せていただけだと反省しています。

    いくら満点を目指した所で、自分だけと言う狭い世界で生きていれば別ですが、この広い世間(地球上)ではいくらでも上がいるのです。 上には上がいるなぁ~と言うのを自然に理解して受け入れることが出来れば、素直に相手のことを称えることができます。

    称えると言うのは相手を認めることであり、例えばN市のIさんのボランティアに関する考え方や行動力、これは素晴らしいと思います。 寄付の神様がしている慈善活動にいたっては、ちょっとレベルが違いすぎて目標にすることすら難しいです。

    このお二人と同じことは無理にしても、満点を目指さずにできる範囲で少しづつと言うのが長くできる秘訣だと思うのです。 満点を目指す生き方では、いつもいつも上を目指すと言うことになります。 しかし、常に満点と言うのは不可能であり、満点でない時に築き上げて来た何かが、音を立てて崩れてしまうと緊張の糸が切れてしまうかもしれないのです。

    完璧な自分を作り上げるのはいいけれど、その完璧さが仇になり自分を追い詰めるのはよくありません。 仕事をする上で重要なのは自分ひとりで仕事をこなすことができることではなく、仕事をきちんと完了させることなのです。

    いくら仕事ができてもひとりでできることはタカが知れていて、周りの協力と言うのが必要になります。 その時に助けてくれる人が多ければ多いほど、仕事はスムーズにできるのです。 仕事がスムーズに流れると言うことは余裕が生まれることであり、余裕が生まれると言うことは仕事が完璧に近付くと言うことなのです。

    その為にも等身大の自分を周りに表現することができれば、それだけのことで次々に協力を得られる運命に足を踏み入れることになります。

    等身大の自分と言うのは、難しく考えなくても弱みを相手に見せることと考えてもいいんです。 弱みを見せると言うのは秘密を全部さらけ出せと言うのではなく、自分の中で直したいと思う部分をさらけ出せばいいのです。 人にはなくて七癖と言うことわざがあるくらい、自分で直したいけれど直せない部分があります。

    そんなに大袈裟なことは言わなくてもいいので、「気が弱い」「ヒトコト多い」など、日頃から思っている悪い癖、それを「どうも私は気が弱いので、思ったことが言えなくて…。」 このように表現して使えば、相手も「じゃあ、いじめてやろう」なんてことは思いません。 (仮に~万が一にも思うような人がいれば、そんな人を相手にしてはいけません。)

    弱みをさらけ出すと言うのは「相手を信頼していると言うこと」であり、信頼されて気分の悪くなる人はいないのです。 そのような弱みを相談されていると言うことは、相手を特別に信頼していることでもあり、そう思われて粋に感じないような人は余りいないのです。

    打ち明けられて~信頼されて~特別扱いされて、それで相手のことを助けたいと思わないようでは、心に何かが足りないのかもしれません。 親しい間柄や親友と呼べるのならば、お互いのことが理解できて弱い部分をわかりあえていると言うことになるのです。 ただし、いくつか注意しないと人間関係が逆に壊れかねない点があります。

    それは、他の人に言わないと言うのがひとつめです。 せっかく自分だけに打ち明けてくれた話を他の誰かに話すようでは、相手の信頼を裏切ることに他ならないのです。

    そして最も注意すべき点は、自分がその弱みを利用しないと言うことです。 相手が打ち明けてくれた弱みを逆手に取り、「あなたの弱い部分を知っているのよ」というそぶりを見せない配慮が必要です。 以前と変わらぬ知らないフリができてこそ、品格(気品)溢れる行動ができるのです。

    満点を目指していると自分のことしか考えられなくなり、それがやがて私利私欲の範疇に入ってくると自己保身だけを考えて一人ぼっちになってしまうのです。 しかし、満点を目指さずに協力を得ながら、誰かと共にやり遂げることを目指したなら、人生は楽しくなると思うのです。

    あなたは満点を目指す余りに、周りが見えなくなっていませんか?

    ( ̄。 ̄)ボーーォ

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    根拠。

    おはようございます。 今日は曇り空ですが、それはあくまで天気のことであり、あなたの心は晴天のごとく晴れ晴れとした素敵な気分で、今日も素晴らしい一日になると、私は信じています。

    「じゃあ、その根拠は?」と聞かれても、根拠はありません。 しかし、私と縁がある人が不幸せになるなんてありえないし、私と縁がある人は成功や幸運を手に入れる道を歩き続けていただきたいと、私は毎日そう願っているのです。

    これは誰しも同じことですが、自分の未来を思い描く時に根拠は必要ないのです。 それは逆説的な意味もありますが、未来における行動に根拠があるならそれはもう叶っていると言う、過去の出来事でしかありえないのです。

    冷静に考えてみると「未来でこうなったらイイなぁ~?」と、夢を思い描いている時と夢が叶った時の満足度では、差が歴然としています。 夢が叶った時の方が喜びが大きいと思うでしょうが、夢に向かって努力している時の方が断然楽しいし、ワクワク感やドキドキ感が発生してきます。

    そして夢を叶えた時点で、次は何をするかと言う夢探しが楽しくなってきます。 つまり、本当に楽しいのは夢を持っているけれど叶っていなくて、それを叶える為には何をすればいいのかと言う、夢探しが一番ドキドキしてくるのです。

    この日本とか世界などの単位で一番と言うのは、何かを制限しない限りは難しいです。

    私が霊視で一番かと言えばそんなことは無く、やはりTVや雑誌にバンバン出ているような人には知名度で負けています。 無制限の状態で一番と言うのはかなり難しいのですが、制限したなら即一番になれます。 しかし、制限を加えた時点で自己満足の世界に入るので、自分が一番と言うのは根拠も自信もないのが普通なのです。

    同じ根拠がないことならば「自分の夢に疑いを持つ」のも止めにすれば、叶う可能性が常に残ります。

    あなたの未来と言うのは、例えるものが無いくらい大きなものです。 それは何故かと言えば、可能性と言うのは常に広がり続けるので、箱に収まるような固定されたものではないからです。 自分がやりたいと思えばできるし~自分ができないと思えばできない、これが夢の本質なのです。

    あなたが楽しまなければ、その夢はもう夢ではなく単なる惰性になっているかもしれません。

    運の良い人に聞いてみると、ほぼ同じ答えが返ってくる質問があります。 それは運の良い人に、今のようになれたことや未来の夢を叶える為の「状況や手順や手法」などを聞いた時の答えです。 返ってくる答えは、「たまたま~」とか「ついているから~」などと、根拠の無い答えばかりです。 しかし、これは根拠は無いけれど、自然とそうなるのです。

    逆に言うならば、根拠なんか無くても「多分、こうなる!」と、根拠無しに夢を思い描いておけばいいのです。 物事が起きるのをイチイチ解説付きで、「ああなれば~こうなるから~こうしておけば~」などと計算していても、思い通りに行かないのが人生なのです。

    私も根拠無しに行動しているのですが、その根底にあるのは「運命がそんなことをするはずが無い」と言う根拠の無い考え方だけです。 例を出すと、「私が乗る飛行機は落ちない」とか、「私が東京にいる時に地震は起きない」などと根拠は無いけれど、不幸な出来事の方が私を避けていくのを当たり前だと思っています。

    最近で言うと、6月15日の日曜日は東京出張の為に東京にいたのですが、この日程を決めたのは理由も何も無いのです。 ところが、もしも8日の日曜日だったら「東北地震と秋葉原の事件」がダブルでありました。 霊視がどうのこうのと言うのではなく、運命が私を危険な目には遭わせないと思っているのです。

    だからこそ私が行く場所や時間には災害や事件は起きないと言う、根拠のない運命の後押しがあると思っています。 (笑)

    もうひとつ運の良い人に共通しているのは、助けてくれると言うか~支えてくれる人がいると言う点です。

    人は誰しもひとりでは生きていけないのですが、調子の良い時にはツイツイひとりでも生きていけるくらいに、天狗になってしまうことが多々あります。 いつでもどこでも「○○さんのおかげです。」と頭や心に刻み込んでおけば、人の心に記憶として残るのではなく感動として残るのです。

    もしもあなたが誰かに感動を受けたなら、それは何かをしてあげたいと思うかもしれません。 記憶としてなら「しないかもしれない」ことを、感動ならば「してあげたく」なるのです。

    愚痴を言わずに自分が楽しいと思えることを、わき目も振らず一生懸命にしている。 こんな人がいたなら魅力的に見えるし、自分がそういう状態ならばワクワクドキドキしながら人生を過ごせていると思うのです。

    根拠や自信はなくてもいいから、まずは夢物語を創作してみることです。 根拠や自信を探していたら、人生は短すぎて時間が足りなくなってしまいます。

    あなたは根拠を求めて、限りある時間を失っていませんか?

    ドモ~♪ヽ(^-^ )

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    タイミング。

    人が生きている意味と言うのはよくある質問ですが、その前に何故?今と言う時代に生きているのかを考えるのも必要だと思うのです。 何故2008年の時点で「25歳なのか?」とか「32歳なのか?」など、生きているタイミングのことは誰も考えないのです。

    あなたが生きているのは、あなたがこの世に生まれるべきタイミングで~生まれるべき場所に、ちょうど良いからこそ誕生したと考えると人生が楽しくなります。

    人類の歴史は地球誕生に比べると数万年しかないので短いですが、人類の誕生から現代までの歴史を考えるとそんなに短くもないのです。 しかし、アダムとイブが林檎を食べた太古の昔から現代までに、何度生まれるチャンスがあったかわからないのに21世紀と言う時間の流れに身を任せています。

    もしかしたら、江戸時代の飢饉の真っ最中に生まれていたかもしれない。
    もしかしたら、21世紀だけどエチオピアで奴隷として生まれていたかもしれない。
    もしかしたら、いつどこで生まれても何かが足りないと満足できないかもしれない

    移ろい行く心の中にある悩みと言うのは自分が作り出すだけであり、それは不幸せなことではなく転機だと考えることが、より素晴らしい未来への架け橋として存在しているのかもしれないのです。

    あなたが今このブログを読めると言うことは、あなたがこの時代に何かの必要性があって生まれてきたからこそなのです。

    お腹が一杯の時に「食事に行く気」には、なりません。
    疲れている時に「スポーツをする気」には、なりません。
    結婚している時に「恋愛をする気」には、なるかもしれない…。←It is a Joke !!

    あなたが今と言う時の流れにかかわっていると言うのは、何かできることがあるからなのです。 神様じゃないので、それがわからなくてもいいんですが、わからないからと言って何もしないのが一番問題です。

    日本に生まれてきたのはチャンスですが、その中でもPCや携帯など文明の利器が使い放題の時代で何もできないと言うのは、自分が行動していないことの裏返しにもなるのです。

    例えば、ジュエリーショップを覘いてみると、そこには光り輝くダイヤモンドが展示してあります。 しかし、輝くダイヤモンドであっても、原石のままでは見向きもされません。 磨き上げることで光り輝き、そしてそれに伴うカットや装飾が施されているからこそ、人はその輝きに目を奪われるのです。

    あなたはダイヤモンドの原石ですが、まず原石の状態から磨かれるべき位置に来て、そして色々な形に磨かれていかなければならないのです。 当然のことですが磨かれている間は辛かったり苦しかったりするのですが、その先にある輝きの為には通り抜けないといけない時間なのです。

    そして磨き終わっても、今度はそれに似合う装飾を施されないとダイヤモンドだけの単体では、リングにもネックレスにもピアスにもならないのです。 輝ける準備が整っていても然るべき場所に留まれないようでは、その輝きは一瞬で終わってしまうのです。

    今の日本に生まれてきて幸せだと感じ取れないのなら、どのような状態になれば幸せだと感じれるのかと言えば、「目の前に次々と出てくることが全て叶うなら幸せ」と言う結論に落ち着くと思います。

    団塊の世代の人を例に取ると一目瞭然で、腰が痛いとか~肩が痛いなどのからだの不調がなくなれば幸せと言いつつ、それが無くなれば「子供が○○になれば~」とか「孫が□□になれば~」などと、次から次へと欲求が出てきてキリが無いと思います。

    お年寄りの方は少し考えないといけないのですが、もしもあなたが老眼鏡を掛けるようになったとします。 今までメガネが不要だったのに、老眼鏡を掛けないと近くの物が見えにくくなったと不満を口にするかもしれません。 しかし、それは私利私欲の考え方だから、老眼鏡を掛けることについてアレヤ~コレヤと文句を言うのです。

    何故、老眼鏡を掛けるような歳まで元気で健康で生きてこられたと、「感謝をしないのですか?」と私は聞きたいのです。

    人生には色々な出来事があり、交通事故や病気や災害など森羅万象を乗り越えてきて今と言う時間を過ごしているのを、いつまで経っても気付かずに不平不満を言っているのが日本の現実なのです。 日本にいるから当たり前に感じているかもしれませんが、歳を取ると言うのは日本では当たり前でも、世界では当たり前どころか奇跡に近いのです。

    歳を取るのは健康でありさえすればいいのですが、歳を重ねるのは知識と経験を活かすことができる人のみが味わえる、極上の美酒と言うことに気付けないのは悲しいことなのです。

    あなたは今と言うベストタイミングで生まれてきたことを、活かせていますか?

    o(@^‐^@)O ワクワク

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    国際結婚。

    おはようございます。 日曜日は名古屋出張だったので、ここ2日間はブログをお休みさせていただきました。 鑑定の方は昨日の午後より再開しておりますので、素敵なお客様にお会いできることをワクワクしながらお待ちいたしております。

    なお、日曜日の名古屋駅では何故か外国の人が大勢いましたが~警察官の方も大勢いたので、秋葉原の余波か~もしくは何かあったのかと思うくらいでした。 日本も外国の人が増えてきたせいか国際結婚の御相談も増えてきたので、少し国際結婚について書いてみたいと思います。

    基本的に国際結婚とは異なった出身国の人同士での結婚を言います。 日本人を中心に解説しますが、国際結婚をした外国人は外国籍を有し続ける場合と帰化する場合の選択をします。 結婚によって特別帰化(簡易帰化)が許可されれば、居住要件の緩和や20歳未満での帰化などが可能になります。

    国際結婚は明治時代からあって、作家の小泉八雲などがそうです。 近年で言うと1980年代以後のバブル期に円高の追い風で海外に出かける日本人が急増して、その結果~外国人との結婚に対して心理的な障壁を感じない日本人が多くなった感じです。 また、同時期に結婚を望むが適わない男性が多数生じるという、男性過剰現象が起きたことも原因として挙げられています。

    特に東北地方などで農業を営む独身男性に取って深刻な事態となり、結婚相手の不足がマスメディアで報じられるようになって嫁不足と言われました。 この時に結婚相手を日本よりも経済的に低い状態にある他国へ求める動きが活発となり、主に中国やフィリピンなどでお見合いツアーが開かれました。 1990年代以後はバブルも収まりましたが国際結婚は日本社会に定着しており、近年も増加しているようです。

    なお、国際結婚の相手となる国を順番に言うと、夫が日本人の場合は、フィリピン~中国~韓国&北朝鮮~タイ~ブラジル~アメリカ~ペルー~イギリスとなっています。 妻が日本人の場合は、韓国&北朝鮮~アメリカ~中国~イギリス~ブラジル~フィリピン~ペルー~タイとなっています。

    国際結婚の日本における現状として、日本人と外国人が結婚した場合は住民票に外国籍の配偶者や子ども(日本国籍との重国籍の場合を除く)が記載されません。 簡単に言うと同一世帯に属することを証する書類が存在しない、と言うような問題があります。

    また、手続きの複雑さや面倒さは日本とは比較になりません。 相手の国の役所や~相手国の在日大使館や総領事館との手続き、それに加えて日本と相手国の発行&証明する各種書類(婚姻要件具備証明書など)の準備、さらには地方入国管理局への在留資格の変更手続きなど、煩雑かつ多くの手続き作業が必要となります。 手続き完了までに数ヶ月以上要するケースも多いので、仲が悪いと手続き終了までに離婚するケースもあります。

    日本人の国際結婚の特徴として夫が日本人であるカップルの絶対数が非常に多く、国際的にも妻が夫の国籍に入ることが多いようです。

    レディファーストは人間性の問題であり、国や人種によるものではないと私はここで度々取り上げていますが、外国人男性と結婚した日本人女性は収入以外にも色々なものと戦わなくてはなりません。 DVや習慣や風習の違いや言語に人付き合いと、さまざまなことに自分が合わせる努力が必要です。

    それに合わせられないことにより起こる国際結婚における離婚率の高さは、近年で言うと約43%くらいの離婚率です。

    国際結婚は上手くいかないわけではなく仲良く過ごしている方もいるので、一概に国際結婚が難しいと言わなくてもいいのですが、上手くいっているケースは日本で暮らしてどちらも経済力があると言うような、両方が似た状態にある夫婦と言う場合が多いようです。

    余りに生活条件や環境が違うと、それはお互いに無理をするようになるので上手くいきようがないのです。 最初は耐えられるのですが、永遠に耐えられるわけではなく破綻する時が結婚生活の終わりになります。

    日本人は日本人と結婚するのが一番などと言うつもりはなく、国際結婚に関しての認識を深めておいてから結婚しないと、離婚してしまう可能性が高いということを知っておいて欲しいのです。

    外国人男性に対しての幻想と言うのは、あくまで映画やドラマが作ったものであり、日本人男性より酷い面もあることを充分わかった上で結婚しないと、「こんなはずじゃ…?」と言うような事態に陥ってしまいます。 先進国であろうと途上国であろうと、国際結婚の場合は相手だけを見るのではなく、その国の風習や言語などの歴史を学ばないと、結婚のヒトコトでは済まされない、奥深い部分があるのです。

    結婚とは自分自身がするものであり、国籍や収入や学歴や家柄などとするモノではありません。

    あなたは好きな人と結婚したい、心からそう願っていますか?

    ☆⌒(*^∇゜)v ありがとう!

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    好きな人。

    好きな人。

    言葉で書くとヒトコトだけれど、心に残る忘れられない人と言うのは大切な想い出でもあります。 しかし、想い出である以上は後戻りするわけには行かないのが、想い出たる所以でもあるのです。

    好きだった時には、いつも一緒にいるのが当たり前。 当たり前だから相手に対して気遣うことがなくなり、付き合う期間が長くなればなるほどおもいやりが忘れ去られていくようになります。 忘れていくということは、相手の気持ちが理解できていないのにわかっているつもりになることです。

    愛する気持ちの時は、ナニモノにも変えられなくらい大切な人。 それが、やがて愛されるのが当たり前になって、相手が自分を好きなのは当たり前だし~いつも一緒にいるのは当たり前と言う当たり前の積み重ねが、自分勝手と言う当たり前の行為に気が付かなくなっていくのです。

    いつも愛されていると感じられた時には、相手に対して愛するということを忘れている時だと、本当は気付かないといけないのです。

    恋愛が上手くいかない人には、何故か不思議な共通点があるのです。 しかし、その共通点を改善できる人は、最初からそれに対して気が付いている。 だけど、改善できない人には、それが駄目な恋だと言うことすらわからないのが残念な所なのです。

    最初に好きになった時は、どうしても付き合いたいと思った。
    付き合い始めたら、自分の言うことは何でも受け入れられると思った。
    別れを言われたら、何で別れなきゃいけないのと思った。

    人の心は移ろいやすいものだけれど、それは自分の心だけじゃなく相手の心も移ろいやすいと言うことに、人はいつしか気付かなくなっていくのです。 どうして~どうして~どうして、どうしてを言い続けていると、いつの間にか彼の気持ちは離れていくし、別れと言う最初で最後に瞬間に反省しても時の流れは戻らないのです。

    愛されている幸せを感じているだけならいいのだけれど、愛することを忘れてしまいひとりよがりな恋になってしまうと、それはもはや大人の恋ではないのです。

    恋愛とは二つの文字からできているのですが、この意味を考えてみたことがある人は余りいないと思うのです。

    恋とは、気付いてもらうことに意味があります。
    愛とは、気付いてもらわなくても意味があるのです。

    恋する気持ちは相手にも気付いてもらい、それを相手に受け止めてもらうことで自分の気持ちがより一層の盛り上がりを見せるのです。 いつも一緒にいたいとか、メールや電話を欠かさないでとか、休みの日にはどこへ行こうかなど、自分と彼の行動や付き合いを考えるのが恋なのです。

    しかし、恋は常に自分が主体であり、相手の存在は後から付いてくるのを忘れがちです。

    愛する気持ちは誰にも気付いてもらえずに自分が見つめるだけで終わる時もあるし、伝えても成就せずに無理な場合だってあります。 それでも好きな人の幸せを願い、自分だけの気持ちではなく相手のことを想い続けることで、自分の気持ちを再確認できると言うのも素敵な愛だと思うのです。

    恋とは、キャッチボールのように投げた想いを受け止めて~投げ返してくれたら、そこで初めて満足すると言う部分があります。 しかし、愛する気持ちと言うのは、投げた想いを受け止めてもらえなくても~投げ返してもらえなくても、決して忘れずに絆があるのだと信じ続けることだと思うのです。

    雨が降ったら気持ちが沈んでしまう人でも、雨上がりに虹が出たら「キレイ・・・。」 そう思える気持ちこそが、あなたの未来を素敵にしてくれると思うのです。 好きな人に振られたり、好きな人に別れを告げられたら、それはとても悲しい気持ちになると思います。

    しかし、それはもう戻れない道に足を踏み入れた瞬間なのだから、迷いこんでしまった自分がどう進めばいいのか、早く気持ちを取り戻さないと辛い思いをする人が増えていくのです。

    ヨリを戻したいと考えた時に、そのヨリが戻ることで誰かを不幸にするのなら、それは良い答えではないのかもしれません。 好きな人と一緒にいたいと言う気持ちに嘘はなくても、今度こそはずっと好きでいると言う気持ちに嘘はないのかと、自分自身に質問してみて出た答えこそが、これからの未来を暗示してくれると思うのです。

    あなたにとって好きな人とは、本当に心から好きな人ですか?

    (’_’、)ホロリ


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    ひとりでも。

    心の中で思い描くことは、やりたいことやできたらいいなと言う夢や希望に他なりません。

    しかし、自分が期待していた状態にならない時には、誰であろうと凹んでしまうのは仕方がありません。 好きな人にふられてしまった時や営業の当てが外れて断られた時など、自分の頭の中で思い描いていたことが起こらない時に人は落胆してしまうのです。

    ただし、このイメージと言うのは自分が作り出したものであり、うまくいくと言う前提で物事をするから落胆するだけなのかもしれません。

    自分の頭の中にある固定観念を覆すのは難しいのですが、それは自分がどうするかと言う点で楽な方へ進もうとする意識があるからです。 人の行動と言うのは、まず頭の中でイメージしてからでないと動けません。 これは人が人である証明なので、脳の働きから起こりうる行動としては正解です。

    人間である以上は、知らず知らずのうちに自分なりの規準や固定観念を作り上げていて、それに従い行動していることを「殻を打ち破れない」と言うのです。 自分の世界から飛び出せずに、今まで通りの行動をしていると過去の人生をトレースするだけになります。

    昔に比べると生活が向上したのに、それに満足できないで不平を言うのも、頭の中にある理想ができていないからになります。

    例えば、飛行機で旅行する時に、飛ばなくて中止になるとか~日程に狂いが生じると、この旅行は最悪だったと言う点にしか目が行かなくなります。 しかし、飛行機と言うのは空中に浮かぶモノである以上、天候などの理由で飛ばなくなるのは当たり前であり、無理して飛んで事故を起こしたりすると、きちんと運行したばかりに事故になったと言う逆の現象すら起きてきます。

    評価と事実は似ているけれど別モノなのに比べてしまうから、目の前のことに考え違いを起こしやすいのです。

    飛行機が飛ばないというのは事実であるけれど、そのために事故を起こさずに全員が無事だったと言うのは評価に値するのです。 難しい言葉で言うなら、「前提条件における再評価」と言う言葉が、これに当てはまるのです。 自分の日程や時間を優先するから飛ばない飛行機にイライラするのですが、事故を起こさない方が大切だと思えば飛ばないで生きていられることに感謝するようになります。

    私自身も反省しなければならないのですが、人は有利な立場や満たされた状態になると、恵まれた環境を当たり前に思い、今の状態が維持できないことに不満を感じ始めるのです。 今まではできるだけでありがたく感じていたことができて当たり前になると、今をキープしつつ更に良い状態で無いと不満に思い始めるのが私利私欲の部分なのです。

    私が霊視カウンセリングを始めた時には、お客様が来ない日々がずっと続きました。 来る日も来る日もゼロ更新で、月曜の朝から翌週の火曜の朝まで8日間誰一人来ない時だってありました。 しかし、無名の私のところへお客様が最初からそんなに来るわけがないので、凹むよりも自分磨きをする方が先なのです。

    私はお客様が来てくださること自体が奇跡だと思っているので、一人でも感謝感激であり~嬉しくて嬉しくて仕方がないくらいです。

    この日本には数多くの占い師の方がいて、有名で人気のある先生方も大勢いるのに、名も無き私に予約を入れてくださる、これは奇跡に等しいので人数なんて関係ないのです。 お越しくださる全てのお客様が心晴れ晴れとなるのならば、それだけで私はとても嬉しくなるのです。

    色々と不平不満を言う人もいるかもしれませんが、私にとっては「一人でも来て下さると言うミラクル」は、涙が出るくらいありがたいことなのです。

    利益がどうのこうのと言う占い師さんなら「赤字なことはやらない」と言うのが基本ですが、損得勘定ではなく心で動いていればやれるはずなのです。 倉敷事務所でもそうですが出張鑑定も同じであり、東京でも~名古屋でも~広島でも~福岡でも、一人しか来ないではなく「一人も来て下さった!」と言う気持ちで、お客様がお越しくださるのをドキドキワクワクしながらお迎えしているのです。

    人生にはホンの少しのことで色々な場面における姿勢の差が出てくるのですが、「一人でも」と「一人しか」のどちらが最後につくかで言い方や思い方にも差が出てきます。

    お客様が来てくれるのが当たり前とか~企画が成功すれば評価されるのが当たり前など、何か行動を起こした時には自分の思い描いた通りになると言う部分を少し押さえて、
    上手くいかなくても次があるとか~評価されなくてもチャンスはもらえたなど、今の状態をプラスに転じるように考える方が運命も味方してくれると思うのです。

    悪いことを考えないと言うのは幸運を招き入れるひとつの方法ですが、悪いことばかり考えていると悪いことが起こるのを当たり前に感じてしまいます。 そうなると悪いことが起こるのが普通になり、どうして運が悪いんだろうと嘆いてしまうようになります。

    運命と向き合った時にお互い沈黙してしまうのではなく、雄弁に語り合うことができるようにしておかなければ、運命の方もあなたの気持ちがわからないと思うのです。

    あなたは悪いイメージを作り出して、それを受け入れて不運だと感じていませんか?

    どうもです (' - ' *)ゞカキカキ

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    キャンバス。

    仕事だけではないのですが、人生においても欲を出すと失敗することがあります。 つい、気を抜いてしまったりとか~手を抜いてしまったりとか、思わないところでミスをしでかしてしまうことにより、事態が取り返しのつかないことなったりします。

    人である以上はミスをするのは仕方がないのですが、そのミスを補うとか~次はミスしないようにとか、自分のしたことを省みるのは大切だと思うのです。 損して得取れということわざがあるように、目の前にあることを100%ではなく120%することにより戻ってくるのは、「+20%」だけのことではなくもっと尊いモノなのです。

    欲を出したばかりに損してしまったと言うのは誰しもあるのですが、一番大事なのは繰り返さないことなのです。 私自身も昔は欲の塊でしたから、目先のことばかり言っていたのでお恥ずかしい限りです。 そんな自己反省を含めて、欲を出せば損をすると言うお話をしてみたいと思います。

    ある男性のお話ですが、仮にAさんとします。

    Aさんはバンドを組んでいて、大学を卒業しても就職せずにバンド活動をしていました。 しかし、すぐに売れるわけではないし食べてもいけなくなったので、卒業して3年ほどしてガソリンスタンド(GS)でアルバイトを始めました。 個人経営のお店なので大手に比べると、そんなに時給は出せないけれどAさんが来てくれたことを社長は喜んでいました。

    そしてアルバイトを始めて半年ほど経った時に、バンドのメンバーと居酒屋で飲んでいたAさんは仲間よりある話を聞きました。 それは「アルバイトでも残業の時には、時給を割り増ししないと労働基準法に違反している。」と言う話です。

    Aさんは自宅に帰ってから、すぐに自分の過去半年分の給料明細を見て計算しました。 Aさんの勤務は基本的には「週に5日間勤務で労働時間は朝9時から5時まで」なのですが、毎日2時間の残業がありました。 そして計算してみると、残業の2時間分に関しては割り増ししておらず、通常と同じ時給で計算してありました。

    Aさんは早速、「社長、俺の給料は~。」と仲間より聞いた話を元に、残業代の割り増し分を支払ってくれと言いました。 社長は寝耳に水だったのですが、Aさんの要求通りに支払いました。 ただし、社長も支払う代わりに、Aさんにはもうこなくていいと言う解雇通知をしました。 Aさんは「いきなり辞めろなんて、なんてひどい社長だ!」と、今度は不当解雇で社長を告訴したのです。

    なお、Aさんは26歳の男性で資格を何ひとつ持っておらず、車の免許もないので配達は無しでGS内における給油と洗車のみが仕事でした。 社長の言い分としては、そんなに大変な仕事を押し付けていたわけでもなく、しっかりと給料は出していたつもりだったのですが、割り増しをしていなかったのは確かに違反行為です。

    ただ、Aさんの給料は「毎月の手取りが約28万円」と言う支給額なので、Aさんが主張する「安い給料でこき使われた」と言うのは理不尽だと思います。 社長側の言い分としては、せっかく縁あって来てくれたんだから精一杯出そうと言う気持ちで、この金額だったのですが~その思いがAさんには伝わらなかったのです。

    Aさんは今も社長を告訴したまま、裁判所の和解案も拒否して自分の権利を主張しています。 Aさんが怒る気持ちも少しはわからないでもありませんが、資格も何もないのにこの金額をすぐに支払ってくれていた社長に対して、自分の権利のみ主張しているなんて悲しい話です。

    この話はどっちもどっちだと言う人もいれば、社長が悪いと言う人もいれば、Aさんが悪いと言う人もいるので三者三様です。

    優しい気持ちや思いやりと言うのがわからない人に、気持ちの部分を伝えようと言うのには無理があります。 自分の得する権利のみ主張する人は、その時は良いかも知れません。 しかし、後でお釣りが来る時に、初めて痛みを感じるようになるのです。 それまでは何を言っても水と油であり、かかわると言うこと自体が間違いなのです。

    仕事でも何でも与えてくれた以上のことをきちんとしていれば、そんなに理不尽なことばかりが続くわけがないのですが、つい自分のしていることはすべて正しいと思ってしまうのが人の心の弱い部分なのです。

    私も以前は損得勘定ばかりで生きてきたので、お恥ずかしいばかりです。 もう少し周りの人に対する恩返しや、自分以外の人のことを考えて行動していれば、今は違った人生になっていたのかもしれません。 お客様に対しても、果たして本当に力になれているのかと、自問自答する毎日があり~私は努力を怠るわけにはいかないのです。

    自分の人生と言うキャンバスに、山を描くのか~海を描くのか~好きと描くのか~愛してると描くのか、描く内容は人それぞれなので誰も口出しはできません。

    ただし、誰の心にあるキャンバスも、最初はすべて真っ白です。

    あなたの心のキャンバスには、何が描かれていくと思いますか?

    ( ̄△ ̄;)エッ・・?

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    世界の常識。

    最近は海外へ行くのは当たり前の時代になってきましたし、国際結婚の相談も増えてきましたので、世界の常識と日本の非常識~もしくはその逆について少し書いてみたいと思います。

    まず、日本の常識は世界の非常識とか~日本人は流儀をわきまえないなど、世界各国から言われることが多いのですが、本当に日本は世界の非常識人なのかと言えばそうでもないと思います。

    よく、日本人男性はしないけれど外国人男性がする礼儀としてレディファーストが挙げられますし、愛をささやく言葉でも情熱的だと言われています。 しかし、これが本当かどうかは国際結婚した人に聞いてみれば、意外とレディファーストでない男性も多く、その男性~つまり個人により違うと言う答えが返ってくると思います。 また、ささやく言葉も情熱的ではないのですが、喋りかたや態度によりそのように感じさせると言うのもあります。

    日本でDV(ようは男性の暴力)が問題になるけれど、海外でのDVは洒落にならないくらい凄いのです。 お嫁さんの立場にいる人は地面で御飯を食べなければいけないとか、家事を男性にさせるようでは殴られても文句は言えないとか、自分勝手な流儀がまかり通っていることも知らずに国際結婚をすると、「こんなはずじゃなかった?」とばかりに後悔が始まります。

    人間性と言うのはどこの国でも同じであり、そこにあるのは学歴や収入や地位ではなく、品格と言うモノが必要なのです。

    以前の日本人を指してよく言われていたのが、メガネをかけて~カメラをぶら下げて~スーツを着た小男がいれば日本人だとか、「生の魚を食べている(刺身のこと)」や「御飯に黒い紙を巻いて食べている(おにぎりのこと)」などなど、世界から見た日本人は奇妙奇天烈な存在でした。

    実際問題として日本人のイメージが各国により違うし、その国の中でも知識として持っているイメージだけの人と、日本に来たことがあるとか~日本人と付き合いがある人ではかなり違うので、ここでも個人個人の問題が発生します。 いまだにちょんまげに刀で、おまけにお城に住んでいると言うようなことを真面目に話す人もいるくらいです。

    ただし、日本人だけが変わり者と言う考えはおかしいと思うのですが、郷に入りては郷に従えと言うように、相手国に言った場合は相手国の流儀に合わすのがマナーなのです。 しかし、日本人の場合は相手国に行った場合は英語も話せないのかと馬鹿にされて、逆に日本にいる場合でも英語で話さないと「お客様に失礼だ」と、文句を言われることすらあるのです。 そういう時には自信を持って、「相手国に対するマナーをわきまえなさい」と注意すればいいのですが言えない人が多いようです。

    日本人は世界の中でも親切な国柄だと思うのですが、外国の人と接することに慣れていないから、とりあえず争わない為に親切にしているのかもしれません。 しかし、日本人は世界の中でも常識的と言うか~親切で優しい方だと思うので、そんなに日本が悪く言われる筋合いもないのです。 ただ、交渉事に疎い為に、相手の条件をドンドンと突きつけられている現状があるのです。

    例えば、○○○では車が故障しても道の真ん中に止めたままで、昼寝をしたり知らん顔をしたまま、大渋滞を引き起こしても「ノ-プロブレム(心配ない)」と言って平気です。 日本人が道路の真ん中で車が故障したりしたら、すぐにレッカー移動させたり~後続の車に頭を下げたりして申し訳ないと言う態度や姿勢になってしまい、その状態が解消されるまで本人は気が気ではないと思います。

    また、○○○式計算術と言う本が出ているくらいだし、九九だって日本と違い99×99まであるくらいだから計算能力が高いと思われがちです。 しかし、いくら計算能力が高くても商取引におけるルールを守ると言う気持ちがなければ宝の持ち腐れです。

    ○○○のレストランであなたがお友達と食事をして、帰りにレジでお金を払おうとするなら日本式を期待してはいけません。 確かに○○○式計算術により、何人分を何品であろうと間違いのない計算をするのですが、そこから後が日本人の感覚としては問題です。

    なぜなら、小銭などのお釣りがない時や数えるのが面倒くさい時には、レジの小銭を入れる場所にあるキャンデーを、お釣りの代わりとして渡してくれるのです。 日本ならば必ず受け取ったお金に対して、計算された通りのお釣りをきちんと返すのですが、○○○では「あぁ~、キャンデー渡しただろ?」と言われて終わりになります。 (ひどい時にはキャンデー1個が、千円の代わりになる時すらあります。)

    つまり、細かいことを気にしている日本人はおかしいと言われてしまい、正しいことをしているはずなのに非常識だと言われてしまうのです。

    約束を守ると言う点において、日本人の感覚は捨てたもんじゃないと私は思うのです。 待ち合わせの時間に遅れた時に謝る人もいれば~言い訳する人もいますが、言い訳する人も悪いと言う気持ちがあるから取り繕おうとするのです。 もし仮に遅れた人があなたに向かって「遅れたけど、何か悪いのか?」と言ったら、その方が問題だと思います。 つまり、日本人は世界でもマナーが良い方だとも考えられるのです。

    あなたは世界の常識と日本の常識の違いを、どれくらい知っていますか?

    ヘ(^0^)ヘ ☆爆笑☆ ヘ(^0^)ヘ

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