徒然草(占い・岡山・東京・霊視)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    フェアトレード。

    おはようございます。 お越しくださる素敵なお客様が笑顔でお帰りになる時は、私もウキウキしてきて「よかった」と思えてくるのです。 お客様の御愛顧のおかげで、マザーテレサの施設運営や盲導犬の育成、アフリカの子供たちがキレイな水を飲める状況のお手伝いができているので、とても感謝いたしております。

    全てのお客様にお礼と感謝の気持ちを込めて、本当にありがとうございます。 m(__)m

    私が時々アフリカの子供達のことを書いているのですが、日本でアフリカに関する会議が開かれています。 アフリカ地域の包括的な支援策を話し合う第四回アフリカ開発会議で、「TICAD」とも言われる会議が5月の28日より横浜市で開幕しています。 アフリカの各国首脳やトップクラスの人達が来て、今後のアフリカのおける開発や援助が話し合われているのです。

    TICADは1993年に第1回会合が開かれたのですが、もともとの狙いと言うのは冷戦終結による力関係の変化によって欧州諸国の援助疲れが見られるので、日本がアフリカへの援助外交で存在感を示すべく動いたと言うのが基本です。

    長い植民地支配によってできた負の遺産を数多く抱えるアフリカ諸国は、21世紀になる今もなお貧困や紛争~食糧難~感染症などの深刻な問題があります。 それと同時に2004年にアフリカ連合(AU)が創設されたり、国際政治におけるアフリカ諸国の存在感は日増しに大きくなっています。 単なる援助の対象としてではなく、各国の国益重視の観点からもアフリカ諸国との関係強化を進める動きが、年々国際社会で強まっているのが現状です。

    これからのアフリカと言うのはレアメタル(希少金属)や労働力など、物質的&人的にも資源の宝庫なのです。 しかし、この資源の宝庫を先進国が食い物にしているようでは、アフリカの人達が苦しい思いをしているのを見殺しにするのと同じです。 モノには適正価格と言うのがあり、無茶苦茶に高いとか~無茶苦茶に安いとか、常識外れの価格と言うのはどこかに歪を生んでしまうのです。

    例えば、今回のアフリカ会議で飲み物として某メーカー製のコーヒーが振舞われたのですが、これはある意味が隠されているのです。 私個人の感想として、今回のアフリカ会議を担当した外務省の人は「ナカナカやるね~!」と思いますが、先進国に対する人道的な戒めが込められているのです。 (これが、粋な計らいと言うのかも?)

    コーヒーと言えば誰でも飲んでいると思うかもしれないし、「コーヒーくらいでなんで?」と思うかもしれません。 日本の喫茶店やカフェでコーヒーを飲めば約300円くらいですし、缶コーヒーやスタバやマックだともっと安いと思います。

    しかし、アフリカの人たちが一生懸命働いても、自分達が作ったコーヒー豆でコーヒーを飲める日は来ないのです。 何故なら、朝から晩まで過酷な労働をして手に入れる1日の日当(賃金)は約50円だからです。 もしも、この人達が喫茶店でコーヒーを飲もうと思えば飲まず食わずで6日間働いて、それでやっと一杯のコーヒーが飲めるのです。

    コーヒーがブラジルと言うのは昔の話で、今後はアフリカの人達が栽培したコーヒー豆の方が多くなるのです。 (現在でも市場で取引されてることにより、ブラジルから仕入れたように見えるだけです。)

    これはひとえに先進国の人達が安く仕入れて高く売ると言う、商売の基本ではあるけれど「やりすぎの手法」があるからです。 例えるなら、10円で仕入れたものを1万円で売っておきながら「儲からない」と言って、更に安く仕入れようと途上国の人に「安くしろ」と言っているのが現状です。 つまり、「○○や□□は、アフリカの人達から搾取ばかりするな!」と言う抗議が含まれているので、今回のアフリカ会議を担当した人は世界の実情がよくわかっている人だと思います。

    また、先進国の中にも自浄作用と言うか、ボランティア精神のある人がいるので、これを改善しようという動きがあります。 それは「フェアトレード」と言うのですが、これが国際社会で確立されれば「一部の人のみが利益を得る」と言うのが是正されて、アフリカの人達が医療や教育を受けることが出来るようになるのです。

    「フェアトレード」とは公正取引を意味するのですが、発展途上国の原料や製品を適正な価格で継続的に購入することにより、立場の弱い途上国の生産者や労働者の生活改善と自立を目指すことを言います。 (別名、オルタナティブ・トレードとも言います。)

    実際問題として、仲買人や国際的な流通業者が不当な利益を得て、その為に途上国の生産者や労働者が搾取されている現状は、今のアフリカの生活状況を更に貧困にしています。 貿易と言う面で見ると「途上国の商品を先進国に輸出する」時には最高で400%以上の関税が掛かる国や分野があるので、途上国がこの関税障壁に費やす費用は年間1000億米ドル以上になるのです。 (これをアフリカに支払えと言うのは、一生貧乏でいろと言うのに等しいのです。)

    その上に商品価格の激しい価格変動により、途上国の生産者は生産の為にかかった経費~労働力~環境負荷~再生産コストを取り返すことが不可能なくらい、低価格で買い叩かれると言うことが繰り返されているのです。 途上国の人は足元を見られても売らざるを得ないので、赤字~赤字で借金が膨れ上がるか、生産者に生活に必要な賃金が払われないか、そのどちらかで貧困から抜け出せないのです。

    今は地球温暖化や水&食料不足など様々な問題が山積みですが、それを引き起こしているのは先進国なのに~ツケを払うのは発展途上国と言うのは矛盾しているのです。

    私は日本に生まれたと言うのはひとつのチャンスだと考えていますが、もしもアフリカに生まれていたら小学校に行くことすらなく、奴隷として一生を終えていたかもしれないのです。 それを思うと、私は今までの人生がひょっとして「とても恵まれていた」のかもしれないと、最近は考え直しているのです。 (少しだけですが…。)

    あなたは途上国の現状に対して、どういう考えがありますか?

    ( ̄~ ̄;)ウーン・・・

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    伝わる恋愛。

    恋愛と言うのは、大まかに言うと「出会い⇒知人&友人⇒彼⇒御主人」のような感じで進んでいきます。

    この出会いの瞬間から好きになる人もいれば、出会って知人や友人の段階でアトから好きになることもあります。 自分らしくいれば大丈夫なのに、つい気取ってしまったり~素直になれなかったりして、彼になる一歩手前で足踏み状態となっている人が多いと思います。

    コレは恋愛において誰もが経験することなのですが、好きなのに告白もできないし離れることもできないのは、付き合い方においてどこか道を間違えているからです。

    あなたが信号を渡る時には、そのシグナルを読み取り「進めか? 止まれか?」を判定しています。 それと同じで、自分に対する彼の気持ちを迎え入れるかどうかの判定もせずに、まず自分の想いを何とかしたいと考えていたら伝わるモノも伝わらなくなるのです。

    知り合った時には普通に話せたのに、意識し始めると急に上手く話せなくなる。 それでも忘れることなんてできないから、何気ない毎日でも相手のことが目に浮かぶような時間が過ぎていくのです。

    付き合い始めた時はイイ感じでも、よせては返す波のような話し方を続けていては、駄目になる為の恋なのかもしれません。 相手のことを知れば知るほど、心の中に踏み込み過ぎないように気を使う必要と言うか~マナーが大事だと思うのです。

    私は彼や御主人の相談を受けた時に、どうして上手く行かないのか不思議な時があります。 女性は男性を求め~男性は女性を求め、お互いがお互いを求めるのに上手く行かないなんて、どう考えても不思議なのです。

    例えば夫婦の在り方として、確かに喧嘩したりする時もあるけれど、お互い好き同士で一緒になったはず。 それなのにお互いのことを知りすぎた時から馴れ合いが始まって、今度はお互いに自分の理想とする人になって欲しいと考え始めます。

    しかし、それはちょっと待って欲しいのです。

    相手があなたの思うような人になるということは、あなたも相手の思うような人になる努力が必要だと言う、夫婦である以上の50:50の権利や義務や法則を忘れていることになるのです。

    私は男性が「結婚したら変わる」と言う現象が、とてもよく理解できます。 男性は結婚したらもう自分の物だと言う感覚が始まり、空気と一緒に感じて「必要だけれど、大切にはしない。」 自分がいるからキミがいるという感覚に陥り、愛してはいるのだけれど「言わなくてもわかるだろう」と言うことになるのです。

    世の中には才能に恵まれているのだけれど、不遇の時期をどう過ごすかで未来が変わってくると言う、ものすごく大事な時期の過ごし方があります。 そして、その時期を過ごす時に大切なのがパートナーと言うものであり、そのパートナーの力量により才能発揮の有無が変わる時も多いのです。

    恋とは二人で、お互いの作品を仕上げること。
    愛とは二人で、お互いの才能を磨き上げること。

    私はいくつもの恋の行方を、お客様を通して視ています。 お客様が私のところへ来た時点で、その恋の結末が決まっている時もあれば~決まっていない時もあります。 未来と言うのはいくつもあり、その未来においての分岐点を過ぎていなければ、恋の結末はいくらでも変えることができるのです。

    もしも、あなたが彼や御主人の気持ちがわからないと思うのならば、相手に対して投げかけるのは「自信をつけさすこと」 相手が何を考えているのかわからないと言うのなら、余計なことを考えて傷つけるよりはいいのです。

    やり方がわからないと言うかもしれませんが、一番簡単なのは「お世辞を言うこと」です。 コレはわかっていても効果があることであり、褒められて嫌な気分になる人は余程の変わり者です。 (もしも、彼や御主人がそれに当てはまるなら、それはもう運命だと思うしかありません。)

    自分と相手の関係をステップアップしていきたいのなら、それは相手に自分を頼らせると言うことが必要なのです。

    あなたは相手に頼られるくらいの、必要性を身に付けていますか?

    ?~(+O+)~!

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    義理と人情。

    会社やお店に勤めていると、ふと社長などトップの方針に疑問が出ることがあります。 それは給与面だけではなく、お客様に対するサービス面だったり~社内の待遇面だったり、不満や不安がとめどなく出てくる瞬間が実は運命の暗示だったりもします。

    トップに立つ人が危険な方向へ進み始める時と言うのは、実力主義とか~成果主義とか結果のみ求める出す時なのです。 これは社長とか役員と言う既得権益の部分の人達に関しては実力主義を当てはめればいいと思いますが、それは収入面や待遇面で従業員の方に比べて良い思いをしているのだから当たり前です。

    しかし、一般的に考えてみても社員の方々に全て実力主義を当てはめるのは、相当問題があると思うのです。

    例えば会社と言うのは、営業と事務の両輪がスムーズに回っていないと前に進みません。 それを片方が片方を非難しているなら、業績低下とか~酷い場合には倒産などと言う事態に陥ってしまうのです。

    営業の人は、「事務の人がいるから諸手続きや内部処理が上手く行っている。」
    事務の人は、「営業の人がいるから仕事が発生して会社の利益が出ている。」

    このようにお互いがお互いのことを認めていれば、実力主義や成果主義に持っていかなくなくても会社が上手く回っていくのです。

    年功序列や終身雇用と言うシステムを作り上げておきながら、自分たちが良い思いをする為に今度は実力主義にすると言うのは都合が好すぎるのです。 「不景気だから会社の業績が悪い」 このようなことを言う経営者は、才能がないのか~努力が足りないのか、どちらにせよ経営者の器ではないと言うことです。

    実力主義が悪いとまでは言いませんが、人には感情と言うモノがあります。 心に辛いことや悲しいことが刻み込まれると塞ぎ込んでしまうし、楽しいことや嬉しいことがあるとはしゃぎたくなります。 「この会社で働いていると、楽しい!」 こういう状況やシステムを作り上げるのが、今後の日本社会に求められるものだと思うのです。

    今の日本で言われている実力主義とは「利益のみ~お金のみ」と言う、拝金主儀になってしまっているのではないかと憂いを伴うのです。 実力~実力と言うけれど、適材適所で仕事をしやすい環境を作り上げることも大事だと思うのです。

    例えば、売り上げが多い営業マンは会社に直接的に利益を出しているから、実力と言う面ではあると思います。

    しかし、その営業マンが活躍できる為に、お客様からの電話応対を丁重に扱う受付の人~経費や切符などの準備をする事務の人~トイレや社内を綺麗にしてくれる掃除の人など、縁の下の力持ちとなる人たちのことを忘れてはいけないのです。 売り上げを出す人だけが偉いわけではなく、その手助けをしている人達の功績もあるからこそ、会社の利益と言うのは出ているのです。

    IT全盛の現代においても、義理と人情と言うのは悪くない言葉だと思うのです。 義理と人情を優先していれば、必ずしも業績が上がらないかもしれません。 しかし、一時的に見れば実力主義の方が業績は良くても、長い目で見れば義理と人情の方が業績はよくなると思います。

    なんとなくですが義理と人情はアナログで、実力主義はデジタルとも感じられます。 デジタルはてきぱきと何でも正確にこなしていき、そこに人間関係が入り込めずに希薄なモノになって行きます。 それに対してアナログは、大まかなことや不確かなこともあるけれど、ナントカなっていると言うことがあります。

    仕事において無駄と言うことはなく、それを「無駄だと認識する人」の方に問題があります。 お茶を入れる~コピーを取るなど、これを簡単な仕事だと馬鹿にする人は、出世していないと思います。 人に対してやるべき仕事の重要さの有無を強調する人は、ある程度までは成功できるのですが、足元をすくわれたり~足を引っ張られたりすると言う事態に陥るのです。

    千手観音様ではないので自分がナンデモカンデモできるわけではなく、仕事を分担して自分がするべきことと人に任せてもいいことを見極める。 それの判断ができない人ほど、簡単に思える仕事を馬鹿にして実力主義を高らかに歌うのです。

    人は機械ではなく、感情と言うモノがあります。 感情とは不確かではあるけれど、それをコントロールできずに人間社会が成り立たないくらい、肝心要の重要な部分なのです。

    あなたは実力主義と言う、人情を排除した世界で生きたいと思いますか?

    エヘ♪(*^・^)ノ ⌒☆(*^_^*)ポッ

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    涙の意味。

    私は男性に辛口のことが多いのですが、それは男尊女卑が日本にはあるので男性は楽に生きている現状があるからです。

    日本の会社の大多数は「同じ歳で同じキャリア」ならば、実力に関係なく男性の方が給料も役職も上と言うのが現実です。 出世の階段と言うのは、同じ段数ではなく同じ10段でも高さが違うと言うことになりかねません。 ひょっとしたら、階段とエスカレーターで競争している会社すらあるかもしれないのです。

    男性は軽く考えがちですが、女性が社内で出世した時や会社&お店を立ち上げる時の苦労と言うのは、男性とは比較にならないほどの重荷や足枷があるのです。

    女性が独立する場合に取引先を作ろうとしても、「女性は実績がないからね~。」と言って女性であることを不安の種にされてしまいます。 そして、どうにかこうにか契約まで漕ぎつけて、「さぁ、やるぞ!」と頑張っているのに、聞こえてくるのは「愛人になったんじゃないの?」とか「女の武器を使ったんだよ。」など、実力以外のありもしない噂話を撒き散らされるのです。

    それに引き換え、男性が独立する時には余程のことがない限りは銀行も資金援助してくれるし、取引先を見つけるのも少しばかりのお世辞とコネで「あいつはナカナカ見どころのある奴だ。」など、気に入られることが往々にしてあるので断然有利なのです。

    T○○○と言う会社がありますが、この会社で業績トップなのは20代後半の女性です。 彼女に契約を取らせてきたら、男性社員は軒並み返り討ちにあうくらいです。 これはT○○○の社内における風通しがいいのかもしれないのですが、彼女はお客様に対して「社に持ち帰って検討します」なんてことは言いません。

    まず、「わかりました。」と笑顔で言ってお客様にOKを出して、即会社に戻り上司や会社の方を説得すると言う即断即決の度胸があるのです。 これはまぎれもなく彼女の実力ですが、それは彼女がライバル会社に行けば地区の売り上げは40%減と言われるほどだからです。 しかし、それは男性社員の風当たりの強さや厳しさを乗り越えている、そういう実力があるからこその活躍だと思います。

    映画やドラマでリストラされた男性が立ち上がるというストーリーが多いのですが、ミジメな気持ちになるのは男性だけではないのです。 多くの働く女性も、ミジメな気持ちで仕事をしている時だってあるんです。 男性と女性が仕事をするスタンスは、明らかに違うのに同列に扱うから社会の歯車もおかしくなるのです。

    近年においては、女性が強くなったのではなく男性の理不尽な行動に耐えなくなっただけであり、我慢をするのが美徳なんて時代は過ぎているのに、いつまで経っても「女は我慢しろ」と言う考え方があるから人材を失うのです。

    わかりやすく例えるならば、結婚した夫婦が共働きの場合「家事をするのは女性」と言うのが当たり前のようになっています。 女性の場合は仕事でどんなに辛いことがあっても掃除や洗濯や料理をして、家庭内の仕事をきちんと果たさなければならないのです。

    男性の場合は「仕事が忙しい」と言うヒトコトでかなりのことが免除されるので、それだけでも生きていくのが楽です。 しかし、女性は仕事が忙しいから家事ができないと言ったなら、「じゃあ、仕事を辞めればイイ。」 いとも簡単に男性陣はおっしゃるけれど、それじゃ今の生活をどうやって維持していくのと言う計算もできていないのです。

    家のローンや車のローンに加えて子供の学費に旦那様のお小遣いと、次から次へと出て行く出費の中で、自分の働いた給料の中から野菜やお魚やお肉などを買って帰る。 そして帰れば帰ったで、風呂は? 飯は? あれはどこにある? まだやっていないのか? 次から次へと波状攻撃が来て、休むまもなく家事と言う名の二次労働に取り掛かるのです。 (彼&御主人は彼女や奥様に対する、日頃の感謝が足りないことに気付きましょうね。)

    ようやく1日の労働が全て終わり~ひと休みする時に何故かはわからないけれど、ひとしずくの涙がホオを伝わる時、女性がどういう感情なのかを男性はよく考えた方がいいです。

    男性の涙と女性の涙は意味が違うのですが、「男は泣いたらアカン!」と言うのは男性の甘えの構造からくる言葉でもあります。 それは、男性は泣かなくてもイイ場面が多いと言う恵まれた環境にいたかもしれないからです。

    しかし、女性が流す涙の中でも「1日の終わりに自然と涙がこぼれてくる」と言うのは、「絶望」を感じているからこぼれてしまう「絶望の涙」なんです。

    このままの生活が続くのかな?
    このまま年を取っていくのかな?
    このままわたしは…?

    こうやって未来が見えない時に悲しくなって自然と涙がこぼれてくると言うのを男性が気付かないままだから、「熟年離婚」とか「いきなり離婚届を突きつけられた」などと言うことになるのです。

    あなたが悲しい時には~涙がこぼれる時には、出尽くすまで流れるままにしておいていいんです。 ただ、涙が止まった時には悲しみの奥底にある、本当の意味を理解していないと自我が崩壊してしまうのです。

    「どうして涙が出てくるのかな?」と言うことを、心を落ち着けてから考え直してみると未来への希望が見つかるかもしれないのです。

    あなたは自然にこぼれる涙の意味を、自分の中できちんと理解していますか?

    (πдπ) シクシク

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    神田明神。

    おはようございます。 今日は月曜日なのでお仕事の人も多いと思いますが、素敵な笑顔で活き活きと過ごせる週の初めだから、あなたはきっと大丈夫だと信じています。

    昨日の午前中は個人向け出張の為、早朝出発~トンボ帰りで午後より鑑定を開始していました。 出張と言えば、5月の東京出張では神田明神へ行って見たのですが、私が宿泊している所からは山手線と総武中央線を乗り継ぎ、東京~秋葉原経由で神田明神のある御茶ノ水駅に到着です。

    なお、神田明神へ行くには駅の改札口側から直接はいけないので、一旦出てから左手にある聖橋を渡り反対側へ回るようになります。 実はこの橋を渡る時に進行方向左手にちょっとだけ森林があり、そのそばを通ると気持ち好い感じでした。 そして左手に東京医科歯科大学を見ながら真っ直ぐに進むのですが、ココで注意です。

    その直線道路を歩いていると、右手に立派な建物や神社らしい雰囲気の建物などがあるのですが、これは湯島聖堂&お茶の水公園なのでお間違えのないようにしてくださいね。 湯島聖堂は学問系の神社で、基本的に合格祈願向けの神社です。 ここは2006年に月9でリメイクされた、西遊記のロケが行われた場所でもあります。

    真っ直ぐに歩いているとひとつ目の大きな交差点を右に曲がりコンビニの前を通過すると、左手に神田明神が見えてきます。 明治神宫のように森林の間を歩くのではなく門をくぐるとすぐに本堂があるのですが、その最初に目に入る門構えが中国風?に思えました。 朱色に派手な模様や彫刻で遠くからでもひとめでわかり、なんか横浜中華街のような感じでした。

    神田明神は東京都千代田区外神田二丁目にある神社で、正式名称は神田神社と言います。 神の字が並ぶのですが、神田~日本橋~秋葉原~大手町~丸の内~旧神田市場&築地魚市場など百八の町からなる総氏神です。

    社伝によれば天平2年に武蔵国豊島郡芝崎村に入植した出雲系の氏族が、大己貴命を祖神として祀ったのに始まるとされています。 神田は元々、伊勢神宮の御田(おみた=神田)があった土地であり、神田の鎮めの為に創建されて神田ノ宮と称したようです。

    承平5年に敗死した平将門の首が京から持ち去られて当神社の近くに葬られて、将門の首塚は東国の平氏武将の崇敬を受けました。 嘉元年間に疫病が流行した時には将門の祟りであるとして供養が行われ、延慶2年に当神社の相殿神とされました。

    江戸時代に江戸城の増築に伴い現在地に遷座したのですが、それは江戸城の鬼門除け~江戸総鎮守として尊崇されていたからです。

    神田祭の山車は将軍上覧の為に江戸城の中に入ったので、別名「天下祭」とも言われていました。 ただし、当時は山車が中心だったのですが、明治に入ると電線の普及等により山車の数は大幅に減少したので、山車を使用していたのは当時の話です。

    江戸三大祭りの一つと言われ、現在の神田囃子は無形文化財に指定されています。 江戸初期に豪華な桃山風社殿が造営されたが、1923年に残念ながら関東大震災で焼失しました。 その後、再建されたのですが今度は1945年の東京大空襲がありました。 ただ、空襲では本殿や拝殿などの焼失を免れたので、一安心だったらしいです。

    明治元年に准勅祭社に指定されたが明治7年に明治天皇が行幸するにあたり、天皇が参拝する神社に逆臣である平将門が祀られているのはあるまじきこととされて、平将門は祭神から外されました。 (その代わりに、少彦名命が大洗磯前神社から勧請されました。)

    平将門の神霊は境内摂社に遷されたが、戦後になってから本社の祭神に復帰しました。 また、野村胡堂の代表作である銭形平次捕物控の主人公「銭形平次」が、当神田明神下の長屋に住居を構えていたと言う設定でした。 その為、敷地内に銭形平次の碑がありますが、銭形平次自体は架空の人物なので、江戸っ子の粋や洒落と考えた方がいいようです。

    祭神は3つの柱から成り、だいこく様~えびす様~まさかど様と言う三本柱です。

    なお、この神田明神を崇敬する者は、成田山新勝寺を参拝してはいけないと言われています。 これは当時の朝廷から見て東国(関東)において叛乱を起した平将門を討伐する為、僧寛朝を神護寺護摩堂の空海作と言われる不動明王像と供に現在の成田山新勝寺へ使わせて、平将門の乱鎮圧の為に動護摩の儀式を行わせたからです。

    即ち、成田山新勝寺を参拝することは平将門を苦しめることになるので、神田明神崇敬者は成田山の参詣をしてはならないとされています。

    なお、同じく平将門を祭神とする築土神社にも同様の言い伝えがあり、成田山へ参詣するならば道中に必ず災いが起こるとされています。 平将門に対する信仰心は祟りや厄災を鎮めることと密接に関わっていたので、昔からするなと言われていることに無理にチャレンジしないようにしてくださいね。

    神仏関係でよくある、女人禁制は女性不可~男子禁制は男性不可、このようなルールを守らずに運勢が悪くなるのは、本人の責任になってしまいます。 (ただし、これを読んでいる人で、神仏に挑戦なんて無茶をする人がいるとは思えませんが・・・。)

    あなたは神社同士のつながりや関係を、考えてみたことがありますか?

    ヘ(。□°)ヘ エッ??

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    価値観。

    時間だけが進んでいく中で「このまま老いて行くのかな?」と言うような先の見えない不安が出てきたら、それは自分の時間を見つめなおし始めた証拠です。

    人生には価値観と言うものがあり、その価値観とは自分の中の信念が作り上げるものです。 お金に重きを置く人は「貯金通帳のゼロが多い」と言うのが価値になり、自尊心に重きを置く人は「自分の言うことをみんなが聞く」と言うのが価値になります。

    人の人生において価値観と言うのは、考え方や年月により色々と変わるものであり不変ではないのです。

    昔の私はお金があれば幸せになれると思っていたし、いじめる人がいなければ自分は人付き合いが普通にできると思っていました。 しかし、それは大きな間違いであり、お金があっても健康でなければ幸せじゃないし、自分が誰かに必要とされる状態でなければ知人や友人は増えないのです。

    価値観と言うのは意外と人それぞれのこだわりがあり、これだけは譲れないと言う程ではないのだけれど、自分の価値観以外のことには興味を示せないのです。

    例えば、私はいじめや自閉症の件もあり友人や知人がひとりもいないので、小中高と同窓会にでたこともないし今後も出ることはありません。 おまけに親や兄弟には馬鹿にされて大きくなり、親族と呼べるような人はひとりも居ません。

    これだけを書くと私はとても不幸な感じがしますが、霊視カウンセラーになって以後に知り合った寄付の神様やN市のIさんなど、今までの不幸を挽回できる人たちと次々知り合えると言う幸運に感謝です。 (名古屋出張にしても、Iさんがいなければゼロに近い状態かもしれません。)

    それに何と言っても、毎日素敵なお客様と出会えると言うのは、人生において最大の幸運と呼べるのです。 誰にも相手にされない人生から~誰かの心に希望の光を灯せると言う道へ変更できて、自分の人生は意味のないものじゃなかったと言う幸せを感じることができるのです。

    笑ってくれたり~励ましてくれたり~元気が出たり、人と関わるというのはすばらしいことだと思えるのは、自分以外の誰かがこの世に存在しているからなのです。 自分にとっての価値観とは、誰かの心に希望の光を灯して元気や勇気が出るようにしてあげる、そのお手伝いができると言うのが「ものすごい価値あること」なのです。

    私は学歴もないし、頭も悪いし、何ひとつ取り得もありません。 お金もないし、車は持っていないし、住んでいる所は4畳半のアパートです。 外食なんてほとんどしないし、酒やタバコもしません。 しかし、「誰かと話ができる」と言う今の環境は、幸せじゃなくて「ものすごく幸せ!」なんです。

    人は生きる価値観を求めていると自分探しの旅にでたのと同じであり、少なくとも時間の無駄と感じている暇はありません。

    誰かと自分の距離感が遠くなるというのは、他の誰かとの距離感が近くなったということです。 時がいくら流れて行こうとも、自分の心の中の時間の経過は充実感が決めるものであり、タイムカードが決めるモノではないのです。

    価値観をどこにおくかで、色々な人との出会いが変わります。 自分はどういう人たちと出会いたいのかをキチンと決めておかないと、行き先が無いのに旅にでるようなものです。

    今の自分は岡山にいるのか、それとも東京にいるのか?

    出発点が決まったらゴールはどの辺かを決めて、それに向かってスタートすればたどり着けないことは無いのです。 どんなに離れていようとも、心の距離と言うのは一瞬で埋まることもあります。 自分がやりたいことに向かってスタートを切れば、その時間の経過を気にしている暇はありません。

    価値観の差とは人生の差でもあり、それによる満足とは自分だけのことであり、他の誰かにわかってもらおうとするモノでは在りません。 真っ白な雪や真っ青な空、これはどんな白色に見えているのかは人それぞれで、雪を楽しいと思う人がいれば~雪は大変だと思う人もいます。

    私は自分が豊かに生活するよりは、誰かの役に立つ人生を送りたいと思うから寄付するだけです。 他の占い師さんやスピリチュアルカウンセラーが寄付しなくても、それはそれでいいんです。 その人たちにとっての価値観とは自分の生活が価値観であり、それはそれで個人の自由だからいいんです。

    それと同じように私の価値観としては占い師は寄付をするのが当たり前であり、しないのなら言っていることとやっていることが違うと言われても仕方がないと言う思いがあります。 鑑定料は寄付(マザーテレサや盲導犬など)と言うのが私の価値観であり、更にお客様が笑顔になっていただければ嬉しいことなのです。

    お客様に対して占い師が上からモノを言うような、デカイ態度を取ってはいけないと思うのです。 (以上のことは、あくまで私の価値観であり、他の誰かに強制するものではありません。)

    あなたは自分の価値観を、どのあたりに向けていますか?

    ☆~あ(^ - ^) り(- ^ ) が(   ) と( ^ -) う\(^ 0 ^)/~☆


    お知らせ:出張の為、ブログの更新は26日(月)より再開いたします。 いつもお読みいただき、ありがとうございます。 m(__)m

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    あなたの翼。

    おはようございます。 素敵なあなたの笑顔で癒される人が大勢いる、人が生きていると言うことは誰かと関わりあいながら生きていると言うことなので、同じ生きるなら笑顔に包まれて生きている方が幸せだと思うのです。

    それは理想だと言われればそうかもしれないのですが、理想や志は高く持って夢に羽ばたいてもいいと思うのです。

    人が思う理想とは、考え方や性格により違うものだと感心するのですが、「年収5千万円以下の男はクズだ!」とTVで言い切る某女性タレントさんがいます。

    この女性タレントさんの場合はお金で買えない物はない~お金があって贅沢することが全てだと言う考え方なので、それはそれで悪いわけじゃありません。 個人の思想には自由があり、自分が責任を取るのならば発言してもいいと思います。 (自分の発言により、結局最後にはひとりで人生を終えることになっても、それは自分で選んだ道なのです。)

    ただし、「自分がお釣りを支払わなくてはいけない」時期がきた時に、過去の行いを忘れて「どうして自分は不運なのか」と思うのは虫がよすぎると思うのです。

    私自身が人の嫌がることを言って~揚げ足ばかり取っていたら、誰にも相手にされなかった。 こういう、誠に当たり前の現象が起きていたのに「どうして?」と考えていたのだから、今から思うと笑い話のようです。

    物事には+と-があり、それは同じようにやってくるからこそ公平感が保たれるのです。 苦労する人は苦労するばかり~楽しい時間を過ごす人は楽しい時ばかり、これでは不公平が是正されないと思うのです。

    しかし、マイナスの現象が起きなくても、誰かに喜びを与えるとか~誰かと喜びを分かち合うと言うような自分だけと言う考えがない人には、ちゃんと運命の御褒美があると思うのです。 それは、プラスは大きくマイナスは小さくと言う、ある意味公平なことが起き始めます。

    例えば、人には器があると言われますが器の大きさを決めるのは自分であり、その中身を満たすかどうかも自分が決めるだけなのです。

    仕事でも、派手な仕事や大きな仕事をしている人を見ると羨ましく思える時がありますが、それは仕事に対する冒涜なのかもしれません。 働いている人の位に上も下も無いと思うのですが、特権階級意識がある人は「自分の仕事が一番(自分が一番)」と言う考えの元に相手を馬鹿にすることが往々にしてあります。

    しかし、一生懸命に仕事をしている人に対して、このようなことを言う方が精神的未熟な中で生きていると思うのです。 別に通訳や翻訳など英語を扱う職業が人を見下していいほど偉いわけじゃないし、CMタレントと食事に行ったりすることが仕事のステータスになるわけでもないんです。

    コツコツと真面目にしている人の努力や生き様、私はそういう仕事も素敵だと思うのです。

    山村や農村で暮らす人に、きちんと手紙を届ける郵便配達の人。
    介護が必要な人の家を回り、色々なお世話をする介護士さん。
    夜中にみんなの生活の安全を監視する、警察官や消防士さん。

    このような職業は相手の幸せや奉仕の活動としても、充分にやりがいのある仕事だし~充分に誇れる素晴らしい仕事だと思うのです。

    人知れず誰かの役に立っている人たちのことを考えると、その人達がいるからこそ平和に生活できているだけであり、人間がひとりでなんでもかんでもできるわけじゃないのです。 私が思う仕事とは、しっかりと地に足をつけて~小さくても自分の手で抱きかかえていると言う方が大切だと思うのです。

    実現できない、大きな仕事の話。
    実現できる、小さな仕事の話。

    小さな仕事を馬鹿にする人が、大きな仕事を任せてもらうことはないし~大きな仕事を完成させたり成功させたりすることもないのです。 仕事をする上だけでなく人生においても重要なのが、「適当に色々なことをするよりも、少しづつでいいからきちんと成し遂げる」 この方が未来をきちんと作り上げることができると思うのです。

    自分を誰かと比べてしまうのは向上心があると言うことなので、それはとても良いことなのですが、比べることにより卑下したり~妬んだり落ち込んだりと、次から次へと考えてしまうようでは向上心が強すぎることになるのです。

    上を見てキリがなし~下を見てキリがなし、こういう言葉がありますが真をついた言葉かもしれません。 あなたより上がいても、あなたが向上心を持ち前に進んでいると言うことの方が、もっと大切だと思うのです。

    あなたには立派な翼(才能)があり、それにより空(夢)を自由自在に飛べるのです。

    ただ、翼を動かすのを躊躇っているだけなので、その気持ちさえ克服できたら過去を振り返ることなく、気持ちよく夢に向かって飛ぶことができると思うのです。 最初は怖いと思えた高さや景色も、慣れてしまえば素敵に気持ち好く感じ始めます。

    あなたに吹く風はそよぐ風であろうとも、向かい風よりは追い風の方が気持ちいいのと同じことであり、振り返っている暇はないのです。

    あなたの翼は、いつ羽ばたこうとするのでしょうか?

    o(^-^o)(o^-^)o ヤッター

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    モテル。

    おはようございます。 今日は良い天気なので、通路に置いているプーさんも光り輝いて御機嫌です。 お客様がお越しになるまでの間、事務所の掃除をするのは当然ですが空気を落ち着かせるのも必要だと思います。

    ココは占いの事務所にはとても見えないけれど、私は格式やミエはどうでもいいんです。 それよりもお越しくださるお客様が一歩踏み入れると、そこは心が落ち着く空間であると言う方が大事だと考えています。 ただし、人には考え方や言い分があるので、「そんなのおかしい、占いらしくない。」と言う人もいて当然です。

    人には「言い分」と言うものがありますが、お互い様と言うことも多いです。 自分が正しいと考えていることが相手にとっては正しくない、それはわかるのですが冷静になってみると、その逆も同じことなのです。 相手が正しいと思っていても、自分はその事象や出来事を認めるわけにいかないとなると、「正義」と言うのは100人いれば100通りになってしまいます。

    心理的に仕方ないのですが、頭に血が上るとつい自分の正義を振りかざしてしまい、人間関係が壊れてから「しまったぁ~?」と後悔することが多いのです。

    お店に例えるのなら「来店予約をキャンセル」された時に、その応対に人間としての深みが出ると思うのです。 何の職種でも業種でも同じですが、キャンセルすると言うのは「もしかして?」と言う相手の事情を考えてあげないといけないのです。

    ひょっとして、出かける前に子供が熱を出したかもしれないし、急に体調が悪くなったかもしれない。 予定通りに行く訳ではないのですから、「キャンセルされた」と怒る前に、「大丈夫かな?」とお客様の事情を考慮する方が先だと思うのです。

    キャンセルの電話があった時に、「いいですよ。 また、次に御都合の良い時にお越しくださいね。」

    こう言ったなら電話してきたお客様も、どれだけ心が救われるかと思うのです。 仮にキャンセルの電話が無くても、「電話しづらいのかな?」とか「電話できない事情があるんだろう?」と考えれば、キャンセルされたからと言って怒りは出てきません。 人の言い分と言うのは色々あるけれど、絶対にこれが正しいと言うのは無いのに、つい自分を中心で考えるから人との摩擦が起きてしまうのです。

    その摩擦を起こさない為にも、「モテル」と言うのがひとつのキーワードです。

    これは恋愛関係だけを言うのではなく、人間関係全体を見ても「モテル」と言うのはイイことだと思います。 男女の区別無く人付き合いが多ければ、人生を過ごす上で豊かになれる幅が広がります。 ただ、それを実行する為には面倒くさがらないことが必須条件です。

    例えば、恋愛をとっても恋に落ちるという瞬間には男女の差があるのですが、男性は女性の目を見て恋に落ちることが多いのです。 男性にモテヨウと思えば、まず相手の目を見ると言うのが出来るようになれば、「10人中10人」に無視されていた人が「10人中5人」と話しができるようになるというくらい、女性が男性の目を見るというのは効果的なのです。

    注:霊視で視ていると、この男性はこういう作戦で行けば落ちるな?とか、男性の恋愛に対する思考回路は、選択肢の幅がものすごく少ないのです。 電話やメールの有無~会う回数や彼の態度、解説していると30分では足りなくなります。 また、恋愛に対しては真実を言うのが正しいわけではなく、人として言わない方が良い場合もあるのです。

    世の中に恋愛指南本は数々あれど、効果があるのは一握りの人だけです。 実際に本の通りにして効果があるのならば、その本だけが売れてベストセラーになって以後の出版が止まる筈です。 しかし、次から次へと恋愛指南本が出ると言うことは、モテル為に~恋愛が上手く行く為に、更には結婚する為に「これ!」と言う定義や定番は無いのです。

    男性は同性の友達を作るのは簡単でも、異性の友達を作るのは難しい。
    女性は同姓の友達を作るのは難しいけれど、異性の友達を作るのは簡単。

    これはあくまでもひとつの例えであり、絶対の法則ではありません。 しかし、これに人付き合いをする為のキッカケ作りのヒントは隠されているのです。

    勇気を持つというのは、難しいことではなく挨拶をするように気軽なことです。 恋人関係と言うのではなく、知り合いになるというレベルであれば女性が男性と知り合いになるのはとても簡単です。 それは基本的に男性と言うのは女性に声を掛けられたら、表面的にはどう見えようとも嬉しくない男性はひとりもいません。

    女性に声をかけられると、つい嬉しくなるのが大部分の男性心理なのです。

    女性がちょっとだけ勇気を出して、「御飯を食べに行きませんか?」とヒトコト声を掛ければ、男性の10人中5人はOKします。 そうなると、その5人のうち1人はあなたをイイ人だなと思い始めて、あなたも相手をイイ人だなと思い始めます。 日本には1億2千万人以上の人がいて、そのうち6000万人以上は男性ですから、5人に1人の確立ならどれだけのチャンスがあると思いますか?

    恋の始まりは突然ですが、それは日頃の積み重ねが突然「花開く」だけです。

    素のままでいようと言うのはイイ言葉ですが、それと手抜きは別物です。 男女共に関係なく、髪型やメイクや服装に気を使い、更に清潔な状態にしておくのは当然のことであり、これをせずに「素のままの自分」と言っても、説得力はありません。

    もしも、モテタイと思うのなら~少なくとも人間関係を良くしたいと思うのなら、自分がされて嫌なことや自分が不快に思う人の真似はしないことです。 人は目から情報を得ることが多いので、嫌な人や不快な人を見ていると知らず知らずのうちに感化されてしまうのです。 運の悪い人やモテナイ人に近づかないのは、当たり前の防護策です。

    あなたは人間関係を良くする為の観察、そして行動がきちんとできていますか?

    ((( ^^)爻(^^ ))) ヨロシクネ~♪♪

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    由来。

    私は姓名判断をしろと言われればできますが、姓名判断が運命に直接かかわるかと言えば、関わるかもしれないし~関わらないかもしれないという程度です。

    それと言うのも、画数の数え方には流派により様々なので、これがそうだと言う規準がないからです。 それよりも素敵な名前をつけるのが一番であり、それは個人名でも社名でも店名でも、名前に関することなら共通する点なのです。

    ただし、余りにも変わった名前や国籍と言うのか~DNA上において変な名前はお勧めできません。

    実は名前により運命が変わると言うのは画数ではなく、発音においての方が重要なのです。 私が名前に関しての依頼を受けた場合は、画数ではなく響きの方が重要だと考えております。 (例えば、名前を書かれるのと名前を呼ばれるのでは、どちらが多いかと言えば明白です。)

    また、有名企業の社名を見ても画数から付けられたのは数えるほどしかなく、どちらかと言えば思想や信念や語呂合わせで付けられた方が多いのです。 有名企業をいくつか、社名に関する由来を書いてみたいと思います。

    「愛情(Affection)信頼(Confidence)節度(Moderation)の頭文字を合体させ、アコム(ACOM) になります。

    伊勢の「五十鈴川」からとって「いすゞ自動車」になり、京都市御室御所からとって「オムロン」です。

    折れるカッターナイフがヒット商品になり「折る刃⇒オルファ」で、高千穂光学は高千穂が神々のすむ山から取って名付けて~それを洋名のオリュンポス山にしてOLYMPUSとなりました。

    カキの煮汁から発見された「グリコーゲン」がもとになって「グリコ」で、セキュリティ(Security)とコミュニケーション(communication)の頭文字から「セコム」です。

    ラテン語の格言「Anima Sana InCorpore Sano」(健全な精神は健全な肉体に宿れかし)からアシックスとなり、創業者の田嶋一雄氏が作った田嶋光学機器の英語読みである、(M)achinery and (IN)struments (O)ptica(L) by (TA)shimaからミノルタです。 (稔る田の意味もあります。)

    「ぺんてる」はPAINTING+PASTELを合わせたものですし、「ソニー」はSONY SONUS(音)とSONNY(坊や)が合わさってSONYとなりました。

    美津濃は創業者である水野さんと出身地の美濃を合わせた造語ですし、サントリーは日の出ラベル「サン」に創業者名「鳥井伸治郎」を合体させてできました。 サンガリアは「国敗れて山河あり」がもとになる語呂合わせですし、サンリオはスペイン語のSanにRioを足して「聖なる河」と言う意味にして付けられました。

    ジャスコは(J)apan (U)nited (S)tores (Co)mpanyの頭文字を足したもので、シャチハタは名古屋城のシャチホコと旗を足した名前です。 バンダイは中国兵法書の萬代不易から取って~参天製薬は中国漢書の言葉から取り~資生堂は中国易経の言葉から名付けられました。

    ブリヂストンは創業者石橋正三郎さんの名前を英語読みにして、ブリッジ(橋)+ストーン(石)としました。 シャープはシャープペンシルがヒット商品になったから商品名が社名になり、ライオンも獅子印ライオン歯磨がヒットしたことから社名に、フマキラーは強力フマキラー液がヒットして~ハウス食品は即席ハウスカレーがヒットしたからです。

    ロート製薬は「信天堂薬房」時代に発売したロート目薬がヒットしたからですが、商品名の由来は目薬を開発したミュンヘン大学のロートムント博士から取りました。

    キヤノンは観音さまから取り「KWANON→CANON」になり正式名称はキヤノンで、ヤの字は大きい字で小さいャではありません。 花王は顔の石けんから取り顔→花王となり~テルモは体温計の英語thermometerをローマ字読みして付けられました。

    エドウィンはデニム(DENIM)のMをひっくり返してWにし、並べ替えをしてEDWIN となりました。 ちなみにボブソンは、アメリカの一般的な名前である「ボブにソン(損)」をさせるという意味からですが、これはアメリカの人が聞いたら洒落が効き過ぎかな?

    パイロット万年筆はセーラー万年筆のセーラー(水夫)に対抗してパイロット(水先案内人)と言うことですし、シチズンは世界の市民(CITIZEN)に良い製品とサービスを提供したいと言うことらしいです。

    以上の企業は全てそれなりに名前を知られている所ばかりですが、このように社名とは語呂合わせや感覚で付けた方がいいのかもしれません。 社名に限らず製品名でも同じで、モノは良いのにネーミングが好くないので売れないと言うのが往々にしてあり、ちょっと変えるだけでバカ売れなんてことは日常茶飯事です。 (商品名が変われば~システム名が変われば、相手の印象が全然違うのになぁ~と思うこともよくあります。)

    私が名付けるなら画数よりも、洒落が利いているとか~センスがイイと思われる社名や店名にすると思います。

    例えば、ヘアバンドや天然石のお店なら、「クリップストーン(留める+石の意味)」
    例えば、和風料理のお店なら、「和風 春夏冬(秋がないから商い中の意味)」
    例えば、ダイニングバーなら、「シックスグラディ(花言葉から6時に会いたいの意味)」

    すみません、センスがないのが丸わかりですね。 m(__)m

    あなたは社名の由来について、考えたことがありますか?

    ( ̄~ ̄;)??

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    コンプレックス。

    おはようございます。 昨日の午前中に東京より帰ってきて掃除などした後、午後より鑑定でした。 今回は神田明神などに行ってみたのですが、東京での話は日曜日にでも書こうと思います。 今回の東京出張は考えさせられることが多い実りのある出張で、私はまだまだ考え方や努力が甘いと思い知らされて、かなりコンプレックスを感じてしまいました。

    コンプレックスには色々な感じ方があるのですが、その中でも劣等感コンプレックスは誰も逃れられないのです。 どうして自分は駄目なんだろうとか~どうして自分はこんなことをしているんだろうなど、「どうして?」と考えはじめると次から次へと思い浮かんでくるのが、劣等感コンプレックスなのです。

    残念ながら社会においては、色々な差別が渦巻いています。

    その差別に意味はないし、根拠もなく人を蔑んで優越感に浸る。 それが人として良いことではないとわかっている人は、心を強く持ちさえすれば逆転の可能性大です。 同じ実力で~同じ年齢で~同じキャリアならば、出世するのは良い大学を出ている方と言うのが現実ではありますが、その現実と言うのも卒業証書に記されたことが通用する世界で生きているかどうかだけなのです。

    社会の良い面と悪い面~言い換えるなら長所と短所なのですが、学歴が優先されるのは事実ですが、実力もないのに天狗になっている人が優遇され続ける世の中でもないのです。

    人生のゴールは本人が作り上げたなら、いくらでも変えることができると言うのが私の考えです。 色褪せない情熱とともに、どんな道であろうとも進んでいくことができるなら、それはあなたの夢が叶うと言うことなのです。

    学歴がなくても成功した人は一杯いるし、学歴がなくても頭がイイ人は一杯いるのです。 私自身は学歴もないし、学校の先生や同級生にも知恵遅れと言われていました。 しかし、今はそんな風に見る人は余りいないですし、私の考えを「アホか!」と言う人も少なくなりました。

    学歴はなくても学問を続ける(大学には行かなくても独学を続ける)と言う、日頃の積み重ねを続けていく方が、人に認めてもらえると思うのです。 別に人に認めてもらう為にと言うのではなく、自分を裏切らない為に続けることが大事だと思うのです。 学問や勉強と言うのは、どれだけ真剣に向き合って続けているのかと言う部分だと思うのです。

    しかし、「頑張ったけれど、誰も認めてくれない…。」

    こう思う人もいるかもしれませんが、それにはひとつの例えがあります。 それはあなたに余裕がないから、褒めてもらえる部分を押し殺していると言うことです。 あなたが褒めて欲しいと思うのなら、まず相手のことや隣の人を褒めることが先決です。 あなたが認めて欲しいと思うのならば、まず隣人や知人を認めることなのです。

    最初はできないかもしれないけれど、いつもいつもそうしていれば癖や習慣になります。 良い習慣と言うのは自分の糧になり、いつのまにか自分の立つ位置を変えてくれているのです。

    人には能力(才能)と言うのが誰にでもあるので、時には「能力を出し切れていない」と思うことも多々あります。 いつも繰り返してしまう自問自答かもしれませんが、まず自分を振り返ることで今なすべきことを発見しないと、前に進めないまま年を重ねるのです。

    生きていると経験や体験はドンドンと積み重なりますが「謙虚~愛情~勉強」と、いくらでも自分の糧を増やすことができるのに、待ちきれずに飛び越えると後で後悔してしまうのです。 「どうして、誰も認めてくれないんだろう?」 こうなってしまうのは準備が足りないのに、実力以上のことをはじめてしまうからなのです。

    階段は一段づつしか登れないのに、飛ばしていったが故に必要なものを見落としていたかもしれないのです。

    周りの変化についていけないとか、自分の才能以上のことや力量以上のことを求められると言う場合は、自分を変える必要があります。 それは知識だったり~技術だったり~色々な面でのことですが、欠点は直せないのではなく「直さない」のです。

    「あぁする為には、コレコレが邪魔だ。」とか「こぅする為には、何々が足りない。」などと言い続けて直さない道を歩いていると、いつまで経っても同じ場所に留まることになります。 もしも自分の駄目な所を見つけて~それを認めることができたのなら、躊躇っているようでは進歩できないのです。

    迷ったなら、改善する。

    迷うと言うことは、このままでいいのかと言う自分への問いかけなのです。 その問いかけを無視していいわけがないのですが、人はついつい楽な方を選んでしまうのです。 ホンの些細なことであろうとも~ホンの少しの進歩であろうとも、何もしないままでいる人よりは前に進んでいるし、少しづつでも進んでいると言うことはいつかはゴールに到達できると言うことなのです。

    あなたは自分の欠点を見つめ直して、いつかはたどり着くゴールを創造できますか?

    (」゜ロ゜)」 ナント

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    雲。

    空に雲が浮かんでいるのを見ると、その雲に包まれて一緒にどこかへ連れて行って欲しいと思う時があるかもしれません。 それはあなたが包まれることのない愛を持ち続けて、いつまで経っても忘れることのない恋の想い出が心の中に存在しているからです。

    偶然会ったけれど偶然に思えない、恋の始まりは突然だけれど恋の終わりは予感から始まるのです。 「もう、この恋は終わりかな…。」と思ったら、それは運命が予感となってあなたに終わりを教えてくれているのです。

    わたしのことを、あなたは気付いてくれていますか?
    わたしがそばにいることを、あなたは気付いてくれていますか?
    わたしがあなたを好きだと言う気持ちにも、ちゃんと気付いてくれていますか?

    あなたのことをそばで見ているだけのわたしは、意気地なしかもしれない。 だけどね、あなたを好きだとう気持ちだけは持ち続けていたいのです。 この身体も想いも全てあなたに集中しているから、朝起きて空を見上げた時もあなたも今頃この空を見ているのかなと想像してしまうの。

    いつもあなたと会う度にドキドキしながら話しているんだけど、あなたは普通に話しかけてくるから期待と不安が両方あるの。 「ねぇ、わたしはあなたにとって、単なる話し相手ですか?」 こう聞きたくなる時があるけれど、聞いてしまうと関係が壊れそうで言い出せない。

    嘘で隠し通した心は、いつかは全部あなたにわかってしまう。 いつかはさらけ出してしまわないと、わたし自身もこの恋する気持ちをいつまで押さえていられるかわからない。 上手に立ち回れる人が羨ましくなる時があるし、自分もあぁできたらいいなぁと思ってしまう時もある。

    わたしは単純だから、あなたに会えただけで嬉しくて隠せない瞳の輝き。

    あなたに会えた時は、一日中ハッピー。
    あなたに会えなかったら、その日はブルー。
    この浮き沈みする心は全て、あなたが起こしたこと。

    あなたに振り向いて欲しいけれど、積極的には行動できないわたし。 だから、すれ違う時にホンの少しでも気付いて欲しいから、香水を買ってみたんだけど気付いてくれてたら嬉しい。 会うチャンスはあるんだけれど、伝えるチャンスがない。 胸に秘めた想いは伝えないと伝わらない、伝えたいけど伝えてしまうと終わってしまう恋だったらイヤ…。

    毎日~毎日、会えるかなと想いながら歩いていると、ついつい目であなたを探してしまう。 いるはずのない場所でも、目であなたのことを捜してしまうのは、この恋が切なくて苦しいけれど本物だと言う証。 こんなに苦しいのなら、いっそのこと思いを伝えて決着をつけてしまいたくなるけれど、それをしたからと言ってあなたが振り向いてくれる保障はないのが、わたしの今一番の悩みです。

    愛して~愛されて、何もかも上手く行って花が咲き誇る日を夢見ているけれど、あなたの名前を呼んでも何も答えが返ってこない日を過ごしている方が多い。 夜空を見上げると星が一杯見える、その星の中に私の星とあなたの星があって、いつか出会えたなら輝きが増すだろうなって思ったりもしているの。

    あなたのことを好きでいるって言うのは苦しいけれど、あきらめる為に好きじゃないって思い込もうとするのは、もっともっと苦しい気持ちで一杯になります。

    あなたのことを、あきらめる。
    あなたのことを、忘れたくない。

    いつもいつもこの2つが心の中でせめぎあい、そしていつも忘れたくないと言う方が勝ってしまうの。 あなたのことを好きな気持ちがなくなってくれたら、どれだけ楽になれるだろうと考えてしまうのは、いつもこんな時なの。

    スキ~キライ~スキ~キライ、やっぱりスキ。

    愛しているだけじゃ駄目で、愛されないと付き合っているとは言えない。 この指が震えてしまうくらい切ない電話、その電話の向こうにいるあなたはそっけなくて冷たい。 一日の終わりくらいは温かい言葉で慰めて欲しいのに、何でいつもそっけないんですか…。

    お越しくださるお客様の素敵な恋の行方を視ていると悲しくもあり~微笑ましくもあり、その未来は千差万別で幾重にも絡まった糸のようです。 恋する気持ちと言うのは女性でも男性でも、全ての人の心の中にあるのです。

    その恋する気持ちを大切にできる人が、本当に優しい人と言えるのかもしれません。

    あなたは恋する気持ちを大切にする人と、素敵な時間を過ごしていますか?

    (+_ q ))グスン


    お知らせ:出張の為、ブログの更新は20日(火)より再開いたします。 お手数をお掛けいたしますが、よろしくお願い申し上げます。 m(__)m

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    言葉。

    人が生きていく上で、何気ないヒトコトが心に元気を与える源になる時があります。 それは有名だとか~偉い人だとか、そういうわけじゃなくてもそうです。 知人や友人のヒトコトや、上司や先輩の温かい言葉だったりもします。

    心に響く言葉と言うのは、あなたの心と波長が合ったが故に「共感」するのです。

    残念ながら、成功している人の言葉は賞賛に値しますが余り参考にはなりません。 しかし、成功しようとしている人の言葉は、今はまだ誰も知らないけれど可能性がある言葉なのです。

    人生には、悔やむこともあるし~凹むこともあります。

    涙が出るのは心を洗い流している時だから、思い切り泣いておいてください。 そして、自分を強く見せたり~自分を上手く見せようとする心がなくなれば、人の目を気にした苦しい生き方をしなくて済むようになっています。

    あなたの心が風の中をまい躍るように、芝生の中で軽やかにステップを踏むように、誰にも教わらなくても心がウキウキとしてくる。 誰もいなくても叫びたくなるような、楽しい気分になる時こそが、自分を取り戻して迷路の中から抜け出す瞬間なのです。

    この世の中に永遠と言う言葉は存在するけれど、永遠と言う現象は存在しないのです。

    物事に対する答え(仕事や恋愛など)は常にいくつもあり、その時はこうだけれど~状況が変わればあぁなると言う風に、常に答えは変わり続けるのです。

    誰もが色々な理由で「できないと言う言葉」を口にするけれど、できない~できないと言う言葉を繰り返していると、それは癖になってしまうのです。 何かをしようとしてチャレンジする、しかしできなくても「まぁ、仕方ないか…。」 コレで終わらせていると、いつまで経っても先へ進めないのです。

    私はお客様に「素敵な未来」と言う言葉をよく使いますが、それは真実であり誰しも手にする可能性があるからです。 それを手にできないのはチャンスを生かせないだけであり、チャンスが来なかったわけではないのです。

    色々なことにチャレンジしてできないのは別に構わないのですが、どんな小さなことでもいいし、たったひとつでもいいので「やり遂げる」と言うのが可能性の扉を開ける鍵なのです。

    あなたが人生を進んでいくうちには色々な障害となる扉がいくつも存在するのですが、その扉を開けるのは自分であり、夢が出てくるのか~希望が出てくるのか、それは開けてみないとわからないのです。 しかし、小さなことでもいいから「やり遂げた」ことのある人は、扉を開ける時に躊躇はするけれど「開けないまま」でやりすごすことはないのです

    あなたの心に刻み込んだ経験は、例えどんなに小さくても「大きな自信」につながるものなのです。

    あなたがやりたいことに対して、「こんなことをしていても無駄ではないのか?」と思ったとしても、成し遂げると言うことは無駄の繰り返しや蓄積の上に見えてくるものなのです。 人の心は弱いものであり、ついつい「どうせ時間の無駄になるから…。」と、途中で止めてしまうことが一番の時間の無駄になるのです。

    失敗と言うのは、あくまで自分が止めた時点で失敗となるだけであり、やり続けている間は失敗ではなく経験と言う名の下に、経験を積み上げ続けているのです。

    周りの意見を聞くと言うのは、確かに大切なことです。 人の意見に耳を貸さない人はプライドが高いだけの裸の王様になってしまい、気が付いたら誰も相手にしてくれなくなっていたと言うことになります。 しかし、周りの人が言う一度や二度の「止めた方がいい」との言葉に耳を貸してしまうと、途中投げと言うことを学ぶだけです。

    世の中にはサジ加減と言う言葉があり、周りの意見は聞くけれど~周りの意見を尊重する時期を間違えない。 言われた言葉を聞くのは大事だけれど、それをすぐにしなければならないかどうかの判断において、間違えてしまうと未来が大幅に変わってしまうのです。

    成果がどうであるかと言うのは重要ではありますが、やり遂げたかどうかの方がもっと重要なのです。

    言葉と言うのは大事ですが、その言葉の重みを感じるのは自分に活かせる時なのです。

    あなたは成功への言葉について、過去と未来のどちらを重視しますか?

    く( ̄△ ̄)ノ ファイトダァ~!

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    思い込み。

    私は運命は変えられると言っていますし、未来はいくらでも変えられると言う考え方でもあります。 アカシックレコードやスピリチュアルとは、水と油で交わることのない考え方です。

    故松下幸之助氏は、「あなたは運が良い方ですか? 悪い方ですか?」と言うような質問を入社試験の時にしたと言われます。 色々な考え方があるので自己暗示の世界かもしれませんが、ついてないなぁ~と思えば「ついてない」 ついてるなぁ~と思えば「ついてる」 これが運の良し悪しの本質だと思います。

    運が良いとか悪いとかは本人が作る世界であり、それが必ずしも他人など外の世界から持ち込まれるわけじゃないのです。

    先ほどの試験の話ですが「運が良い方です。」と答えたなら、優先的に採用されたようです。 これは適当に選んでいるようで理に適っている方法だと思うのですが、自分で自分のことを運が良いと思えないようでは、ツキも回ってこないのです。

    恋愛に例えるならば、自分が自分のことを嫌いなのに~自分を好きになってくれる誰かが「現れる」はずが無いのです。 自分可愛さのジコチュウになれと言うわけじゃなく、自分を好きになってくれる誰かの為にも「素敵な自分」でいないと駄目なのです。

    運が良い(ツイテル)と思える人は、少なくとも後ろ向きな考えにはなりません。 前に進むことしか考えないから、ある意味で楽天的なところもあります。 しかし、それだけじゃなく発想や行動自体が周りを巻き込む、言い知れぬ雰囲気やオーラもあるのです。

    思い込みと言うのは怖いものがありますが、その思い込みにより素晴らしい功績を残す人もいます。 脳は自分が考えたことは実現しないと落ち着かないのですが、落ち着かないとどうなるかと言えば、それを肯定するか⇔否定するかのどちらかへ急激に進み始めるのです。

    私はお客様の可能性について言及する時は、お世辞でもなんでもなく真実を言うだけです。 それは誰しも才能があるけれど、才能自体に気付かないから悩むだけなのです。 悩むことは自分の為にもいいのですが、悩み続けることは余りお勧めできないのです。

    永遠と言う「言葉」はあるけれど、永遠と言う「時間」はないのです。

    ここで若さを例に出してみると、若さ=年齢を思い浮かべる人が多いと思いますが、私は若さ=柔軟性とか~若さ=自発性と考えてもいいと思います。 いくら年齢が若くても考え方が退化していれば行動できないので、残念ながら若さがないと言うより他ありません。

    思い込みは怖いと言うのは、「できない」と思い込むことで才能や可能性を殺してしまうからです。 人には好奇心と言うものがあり、それを解明してみたいとか~それをして見たいなどの、心の叫びが始まるともう止まらなくなるのです。

    それではどうするのかと言えば、行動して心の叫びを静めるより他ないのです。 誰にも言えることですが才能開花のひとつの方法として、できないことでも無理やり引き受けると言う方法があります。

    自分にはできないだろうなと思いつつ引き受けてみると、意外とこなせたりする時があります。 それはできないと言う思い込みがあっただけで、実はそれだけの実力も才能もあるから、その仕事や出来事が起きるだけなのです。

    チャンスが来るというのは、あなたができるからと言う暗示でもあるのです。 しかし、まだできないとか~まだ無理だなぁなどと考えてしまうと、そのチャンスは他の人に振り返られてしまうのです。

    チャンスと言う名の電車は、今乗らなければ停車時間は短いのです。 定期運行ならば、また次の電車が来たら今度こそ「乗る」と決心できます。 しかし、見逃したのが臨時電車で、次はいつ来るかわからないと言う状態ならば「後悔」しか残らないのです。

    私はいつも思うのですが幸運を「追い求めるのも~待つのも」どちらも時期があると思うのです。 ワインが最も熟成した最高の時期に栓を抜かれるからこそ、原料が持つ最高の味になるのです。 この栓を抜く時期を間違えると、美味しいけれど「ソコソコだった」となりかねないのです。

    人間関係が幸運と密接につながっているのは、自分では熟成の時期がわからなかったり~栓を抜くことができなかったとしても、人生の師匠やキーパーソンとなる人が補ってくれるからです。

    人は与えられた立場や仕事をきちんとしないと、それ以外のことに自ら巻き込まれる道を選んでいるのと同じことなのです。 自分はどうして災難が降りかかるのかと言う前に、どうして災難が降りかかるような道を選んだのかと言う反省も、タマには必要だと思うのです。

    あなたは成長の道を、自分の手で妨げていませんか?

    ( =o=)~~♪~~♪ステキダヨー

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    若さの特権。

    おはようございます。 今日は昨日とは打って変り、イイ天気で朝から気持ち好いです。 こういう日は若返るような感じがあるのですが、人の年齢とは心と身体ではかなり違いがあります。 同級生を見ても老けていたり若々しかったり、歳の取り方は人により様々です。

    齢を取ると言うのは簡単ですが、人として年齢を重ねると言うのは難しい人と簡単な人と両方あると思います。 ただ齢を取るだけなら健康でありさえすれば生きていけるので、齢を取るだけならばとても簡単です。

    しかし、「年齢を重ねる」と言うのは何かを成し遂げないとできないことなので、人は年齢を重ねるほどに「自分は何の為に生まれてきたのか?」 このように生きる意味を問う人が出てくるのです。 曲がりくねった道の先にあるのは光か?闇か? わからないからこそ人は悩むのです。

    世間でアンチエイジングと使われているのは、あくまで見た目だけのことであり~見た目で人は判断できないのです。

    人が老けていくのは生命体である以上は仕方がないことであり、誰もその流れを止めることは出来ません。 しかし、老いていくと言うのは自分の行き方が正しかったかどうかが如実に現れてくるので、自分の行き方に不安のない人ほど老いることを恐れないのです。

    私は10代より20代、20代より30代と歳を重ねていくのが楽しくて、歳を取ったとか~もう若くないという言葉が気になりません。 時間の流れが気にならないので、早く色々な人に会いたい、その為にも休んでなんかいられない、こう思う気持ちの方が強いのです。

    私は毎日素敵なお客様に会えると言う喜びもありますが、時が進むにつれて昔の私が言っていたことが正しいと立証されてくるのだから、自分は間違っていないと思える人生が楽しくてしょうがないのです。

    マザーテレサは素晴らしい人だし、誰かを勇気付けたり~元気付けたりする人生は素晴らしい。 昔から私はこう言っていたのですが、私の実力不足や人間性の低さもあり認められませんでした。 しかし、私が霊視カウンセリングを始めて以降は、こういう話をしても否定する人は余りいません。 (注:時々ですが若干名、「盲導犬に寄付するなんて、オマエはアホじゃ!」と言う方がいますが…。) (≧∇≦)

    それどころか内容に納得して「わたしもそうなりたい!」 こういう感じでボランティアに目覚めたり、少しでも寄付をしようと行動を始めたりするのは、少なくとも私の言っていることが悪いことじゃないという証明になると思います。

    年齢と言うことについて語る時に、避けては通れないのが「若さの特権」と言う言葉です。 私個人の意見ですが、若さの特権という言葉を隠れ蓑にして、暴れたり人をいじめたりするのがイイことだとは思えないのです。

    私が工場勤務の時代に一度だけ参加した社員旅行で、こんなことがありました。 某温泉旅館に一泊旅行に行った時、宴会も終盤になった時にいきなり怒鳴り声が聞こえてきました。 私よりひとつ上の先輩が、旅館の従業員の人を捕まえて接客態度がなっていないと怒っているのです。

    先輩は酔っ払っていたのですが「土下座して、ワシに謝れ!」と、旅館の従業員の人に言っているのです。 そして、旅館のマネジャーの方が来られて、「部下にそんなことはさせられないので、私が代わりに謝ります。」と言ったら「じゃあ、クビにしろ!」 今度はこう言いはじめてゴネまくっているのです。 結局30分ほどゴネタあと、先輩の所属部署の係長や課長が先輩を部屋に連れて行き、その場は収まりました。

    宴会場へ戻ってきた係長や課長が「まぁ、たまにはええんじゃ。 こういうことができるのも若さの特権じゃからのぉ~。」と酒を飲みながらニヤニヤして言っているのです。 私は旅館の従業員の人に暴言を吐いておいて謝罪もせず、こんなことを言って幕引きとするような会社にいられないので、社員旅行から帰ってすぐに辞表を出しましたが後悔はありません。

    「金を払えばなんでも許される~自分たちはお客だ」 こういう考えの人達と同じ場所や環境にいるのは、私の精神衛生上において我慢できなかったのです。 (迎合すると言う意味で私は我慢が足りない人間ですが、正義やマナーが通らない会社にいるよりマシです。)

    若さの特権と言うヒトコトを隠れ蓑にして、相手に何をしても許されると思うのは大間違いです。 若さの特権と言う言葉を使う人は、老いてから何もすることがない~もしくは何もできない未来が待つ人が使う言葉なのです。 もしも、自分の未来において何もすることがないのならば、若さの特権と言う言葉を使えばイイと思います。

    基本的に年齢がすべてを決定するわけではなく、自分の歩んできた過去が未来における自分の姿を構築していくのです。 例えるなら、若くても素晴らしい考え方や行動の人はいるし、老いていても全然トンチンカンな考え方や行動の人もいます。

    あなたは特権意識を持たずに、きちんと素晴らしい未来を築いていけますか?

    (・ε・)ノ おっー!

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    お寿司。

    おはようございます。 今日は雨が降っていて少し肌寒いので、体調管理にはお気をつけくださいね。 科学がいくら発達しても天候ひとつ自由に操れないのですから、昔と今は違うと言っても文明の中における便利さが違うだけであり、昔と今で代わらぬものも多くあります。

    例えば、外食産業は昔からあるのですが現代とでは、その中身に少し違いがあります。 そして、西日本(上方=大阪や京都)と東日本(主に江戸)でも違いがあります。 京都の祇園などでは「豆腐田楽」を食べさせるお店が始まりと言われているし、江戸で一番最初の外食産業は「お茶漬け屋さん」でした。 何故お茶漬け屋さんかと言えば、火事がその要因です。

    昔の江戸と言えば「火事とケンカ」が名物と言われるくらいなのですが、それは密集した建物ばかりなので、一度火がつくと次々と燃え移る為でした。 1657年に明暦の大火が発生して、約10万人が犠牲となりました。 焼け出された人もかなりの人数でしたが、この火事は真冬に起きたので被災者は悲惨な状況でした。

    しかし、江戸っ子は元々商売が上手いので、金龍山浅草寺の門前で温かい奈良茶漬けを食べさせたのが外食の始まりなのです。 コレに示されるように大阪は商人の町と言われていますが、本当に商売上手なのは江戸の方かもしれません。

    そして、焼け出された人がお店に行列になっているのを見た人が、今で言う品川や目黒で次々と真似をして行ったのです。 これが江戸における外食産業の走りであり、今のファミレスにまでつながっているのです。

    ついでにお寿司の始まりも書いてみたいと思いますが、私は食通と呼ばれる人が「握り寿司は高級な食べ物」と位置づけているのが不思議です。 また、職人さんやお店の人も「ウチの味がわからないようじゃあ?」とか「素人みたいな注文をするんじゃねぇ!」など、いかにも自分達のことを高級だと位置づけるのも不思議です。

    「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず。」 by 福沢諭吉

    基本的に誰であろうとも人が人を差別してはいけませんし、高級寿司屋さんで注文の仕方がわからない時も職人さんが丁寧に教えたらイイと思うのです。 誰でも最初はわからないのに、「いきなりトロを頼むなんて素人が!」 なんてことを口には出さなくても、「心で思う」なんてのは接客業として最低です。

    さて、握り寿司の始まりですが文政年間(1818~)より始まったのですが、冷静に考えるとまだ200年も経っていないのです。 厳密に言うと寿司自体の歴史はあるのですが、握りずしとなると200年と言う歴史に収まってしまうのです。 そして、寿司の変換史としては「なれずし~生なれずし~はやずし~握りずし」と言う順番です。

    まず、「なれずし」とは魚介類を自然発酵させたクサヤの干物みたいなものの、乳酸発酵速度を速める為に御飯を周りに入れたものを言います。 ただし、魚介類の周りに入れると言うことは、漬物で言う糠床みたいなものです。 約1年くらいは漬け込んでいたようなので、もう御飯粒としての原形はとどめておらず食べられるものではないと思います。

    次に「生なれずし」とは、漬け込む期間を数週間程度に短縮して、御飯粒の原型をとどめた状態のものを言います。 これは戦国時代に必要に迫られて開発されたのですが、現代で言うと滋賀県の鮒寿司が一番近いと思います。

    そして時は流れて、江戸時代中期頃になると「もっと早く食べたい」となり、箱の中に御飯と酢を入れて、その上に魚介類をのせてから箱の蓋を閉めて重石をして、数日間で食べるようになったのが「はやずし」です。

    ところが人の感覚は恐ろしいもので、1年が数週間になり~数週間が数日になり、それでも待ちきれないとなって始まったのが「握りずし」なのです。 つまり、取れたての魚を握った御飯の上にのせて食べたのが「握りずし」です。 ちなみに、握りずしを始めたのは華屋与兵衛(はなやよへえ)で、この方が始めた握り寿司屋さんは大繁盛したそうです。

    ただし、店舗を構えていたわけではなく、屋台でするのが寿司屋の起源です。 寿司は元々屋台で食べるもので、現代で言うフリマの飲食店やガード下の赤ちょうちんと同じなのです。 店舗を構えてするような食べ物ではなく、「立ち食い」と言うのが握り寿司に対する感覚だったのです。

    現代ではお寿司を食べに行くと2貫出てきますが、アレも昔の名残です。 昔の握り寿司はとても大きくて、今の倍はある大きさを握っていました。 それと言うのも、昔は立ち食い寿司屋台で通りすがりに2~3個、握り寿司を食べて立ち去るのが粋とされていたからです。 (大きすぎて食べにくいから、今のような2貫になりました。)

    なお、ネタの好みで言うと昔はマグロの人気がなくて、コハダなどの光ものが一番人気でした。 食感や味などがさっぱりしているのが好みだったようで、マグロは取れても捨てる部分が多い雑魚としての扱いでした。 握り寿司は食通の食べ物&高級なんて言うのは、歴史認識ができていないだけかもしれません。

    食事をすると言うのは、楽しい気持ちで食べることです。 同じ食事をするのなら楽しい会話と楽しい雰囲気で、ワクワクしながら笑顔で食事できたら素晴らしいと思うのです。 贅沢な食事ではなくても、心が楽しい食事なら素敵です。

    あなたは食事をする時に、笑顔で食事できていますか?

    タタタタタ ・・・((((ノ~ 〓~)ノ 食べたいぃ~☆

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    苦楽。

    おはようございます。 今日はGW明け最初の月曜日ですが、素敵なあなたは笑顔で出勤できて、素敵な一日を過ごすことになると思います。 ただし、いつも頑張らなくても時には弱音を吐いてもいいし、有る無しは別としてあなたを宝物と思ってくれるような人との出会いを期待してもいいんです。

    人生を歩んで行く上で、心に張りのある出来事は必要不可欠です。 楽しいことがあると思うから、目の前にある楽しくないことがやれるだけなのです。 しかし、自分の本来の道を歩いていると、ふとした瞬間から面白くないことが面白くなると言う現象が起きてくるのですが、それは自分が目の前のことに夢中になった瞬間です。

    自分が無我夢中になれる物事は、最初はつまらなく感じても夢中になるだけの内容がある~もしくは夢中になれる方法や意義を見い出すことができたと言うことなのです。

    ゲームでも勝ち負けがあるから熱中できますが、なんでも最初から上手くできてしまうと飽きが来てすぐにやらなくなってしまいます。 釣りでもボウズの日があったり~釣果が優れている日があったり、色々な日があるからこそ出かけていくのです。

    苦楽を共にすると言う言葉がありますが、一般的には夫婦など男女が共に人生の苦労を味わうことや、会社を設立してから一緒に歩んできたことなど、誰かと誰かが一緒に行動したことを言う場合が多いです。 しかし、本当の意味は一緒に歩んでいくことだけを、示した言葉ではありません。

    苦楽と言う言葉は元々、苦しみと楽しみが合体してできた言葉で、苦しみの後には楽しみが待っていると言うのが本来の意味なのです。 仕事をしていて成果が出るのは嬉しいと思いますが、何をやっても上手くいくとそうでもなくなります。 失敗したり~ナカナカ上手く行かない、こういうワンクッションをおいてからだと喜びは倍増するかもしれないのです。

    伊勢海老は美味しいと言っても最初に食べた人は勇気があったと思いますし、ナマコを一番初めに食べた人も勇気があったと思います。 河豚にいたっては命がけで、食べたことにより死んだ人もいるからこそ、現代の人が安全に美味しく食べられるのです。

    物事は苦労があって~更にもうひとつ苦労があって、それから成功したり~上手く行った方が感動や充実があると思うのです。

    ただし、コレを味わう為には一度や二度の失敗であきらめていては、手に入ることや成功することでも無理になります。 コツコツと努力を積み重ねていたり、あきらめずにやり続けると言う部分がないと、それは可能なことでも不可能になってしまうのです。

    午前0時になると日付が変わり、また次の日が始まります。 一日は24時間と決まっているので1時~2時~3時と時間は流れて行き、21時~22時~23時となり次は24時ですが同時に0時でもあるので瞬間的にリセットされています。 しかし、それでも時間の流れは飽きることなく、再び0時より時を刻み始めているのです。

    努力することや行動することには、無駄と言うことはないのです。 それをするからこそ得られる知識や経験と言うのがあり、それを活かせた時に初めて経験が財産となるのです。 ただし、真面目に生きるのはイイことですが真面目すぎてしまうと、息が詰まるので骨休みが必要です。 真面目はいいけれど、真面目すぎると自分で自分の可能性を否定することになります。

    私が個人的に思うだけですが、この「真面目」に変わる言葉として「正直」と言う言葉がいいと思います。 真面目と言うのはソコソコ真面目で、自分の精神衛生上にイイ程度にしておけばいいんです。 それよりも正直に生きる、嘘をつかずに相手のことを考えて行動する。 これだけでも、人生の歩み方がだいぶ違うと思うのです。

    これも大袈裟なことではなく身近なことでいいのですが、きちんと正直に生きている人は運勢が強い場合が多いと思います。 恋人と待ち合わせたら時間を守るとか、雑誌のプレゼントの応募〆切を守るとか、人として相手に不快なことを思わせないようにしようとすれば、それだけでいいんです。

    真面目に生きると言うのは、人の視線が気になります。
    正直に生きると言うのは、自分の心が気になります。

    正直に生きると言うのは、真面目に生きるよりも人の視線を気にせずに生きていけるのです。 社会において人の視線と言うのが、どれだけ精神を圧迫するかと言えば想像以上です。 対人関係が辛いと言うのは嫌いな人と話をするどころか、本当は会うだけでも苦痛になります。 この会うだけで苦痛と言う部分が、実は最もダメージがあるのです。

    正直に生きていれば当然ですが、自分がやりたくないことや嫌なことも受け止めないといけません。 しかし、正面から苦労を受け入れる気持ちがある以上は、運命がその後に楽しみも準備してくれているのです。

    苦楽とは正直に生きていくことであり、苦労をきちんと受け入れる代わりに楽しみも待っていると言うことです。 心配しなくても大丈夫、あなたの人生は甘い香りと共にあるのです。 ただ、その前にちょっとだけ辛いことがあるだけで、苦労が先で楽が後だから「苦楽」と言うのです。

    あなたは正直に生きることで苦労の後に、素晴らしい楽を味わう未来を想像できますか?

    _(;-_-)乂(-_-;)_

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    心意気。

    人生において人の集まるところには、必ずグループや派閥と呼ぶべきモノができます。 会社でも学校でもサークルでも同じことであり、やはりウマが合わない人と一緒にいるよりも、ウマが合う人といる方が気を楽に持てるのは当然です。

    プライベートではそれでもいいと思うのですが、仕事となるとそれだけではいけないのです。 仕事において自分が話しやすい人と言うのは、自分を擁護してくれる人であり敵ではありません。 それはいいことなのですが、派閥にいるから~仲間だから仲良くしているだけと言うのでは、本当の間柄とは言えないのです。

    仕事において一目置かれている人は、良い人ではあるけれど「人と違う部分」 コレが何かあるはずなのです。 人と同じことをして~人と同じ方向を見ているだけでは、人と同じ人生になってしまうのです。

    ただし、むやみやたらと独立しろとか言っているわけではなく、「お勤めを一生懸命にする~真面目に勤務する」などは凄いことです。 働けないのではなく働かない人よりも、辛くても前を向いて会社に出勤するあなたは素晴らしいと思います。

    そんな素敵なあなただから、アヤシイ?霊視カウンセラーは応援したくなるのですが、私だけじゃなく「運命~幸運の女神~守護霊」なども、きっとあなたの応援をしたいと思うのです。 しかし、ある程度の自分を会社内で作り上げたなら、そこから先の人生は会社ではなく自分の為に使うのもいいと思うのです。

    ヒトコトで言うのなら、「気持ちの良い人生」を送る必要があるのです。

    気持ちの良い人生を送るには夢や希望がないと、目先の物欲的なものだけでは虚しくなってきます。 お金があれば便利ではあるけれど、「じゃあ、それで?」と聞かれた時には終結しているのが自分の為に使うお金(物欲)なのです。

    何かに向かって努力する時に、誰かに褒めてもらうと嬉しいのは誰でも同じです。 褒めてもらっているのに、それを皮肉に受け止めたり~それに対してありがとうと言えない人、これは個人個人の考え方なので否定はできませんが、周りの協力や応援がない人生になると思います。

    相手に気持ちのイイ人だと思ってもらいたいのなら、判りやすい行動をしてください。 気持ちの良い状態と言うのは、わかりやすくないと無理なのです。 TVや小説では「自分を見せないヒーロー」と言うのが出てくるのですが、それでは実社会で相手に共感を得ることができないのです。

    人は誰でも相手が夢を語る時に、その夢に共感しやすいなら応援したくなってきます。 あなたの彼や御主人が、「会社を出したいとか~お店を出したいとか~○○になりたい」と言う言葉を聞いて、好きな人のことならば応援したいと思ったはずです。 (^_^)

    このように単純な思いや行動と言うのは、小難しい理屈をこねるよりも心に響いて何かを変えてくれると思うのです。 相手の行動がわかりやすいと言うのは、嘘がないと言う部分で心の奥底にかすかな信頼が芽生えてくるのもポイントです。 他人に見せる為や相手に対して誇示する部分においてのプライドは、邪魔になるだけなので持つ必要はありません。

    例えば、お店にきてくれたお客様に頭を下げて「ありがとうございます」 コレを言うのは当たり前であり、カッコ悪いことではありません。 しかし、お客様に頭を下げるのは嫌だと言うようなプライドは、どこに行っても通用しないのです。

    こんなプライドは持つ必要がないのですが、そうではなく自分の中で成長させる為の心意気は少しだけ持っていないと、周りが見えなくなり成長が止まるのです。

    単純比較ですが、宣伝や広告をして50人鑑定するのとクチコミで50人鑑定するのでは、同じ50人でも雲泥の差があります。 現在活躍しているトップクラスの先生方は、最初から宣伝や広告もせずクチコミのみ~そして女性中心(男性不可)でしているのだから、同じ条件でやれないのなら負けていることになります。

    お客様が多いと言いつつHPのカウンターが進まないとか、日本全国から来ていると言いつつ東京出張もできないなど、言っていることとやっていることが違うようではお越しくださるお客様に申しわけが立たないのです。

    注:なお、トップクラスと言えば以前、鏡リュウジさんと私ともう一人の3人で占いのイベントに出たことがあります。 ココで小ネタですが鏡さんは丁寧かつ几帳面な方なので、公式HPに活動情報としてイベント等の出演履歴を掲載&告知してあります。 ところが岡山のイベントに関しては消去されているのですが、その理由とは…。 (鏡さんは占い師だけではなく、人間的にも素晴らしい方だと思います。)

    相手に対してや自分の自己満足の為にあるプライドは必要ありませんが、自分を鍛える為の心意気は必要なのです。

    あなたは自分を鍛える為の心意気を、どのように考えていますか?

    あ(^○^)り(^。^)が(^∇^)と(^O^)う(^ー^)ノ

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    端午の節句。

    おはようございます。 今日は土曜日で電車内も人が少ない感じでしたが、私は事務所にて通常通りです。 雨が降っているせいもあり肌寒いかもしれないので、体調管理には気をつけてくださいね。 その他にも五月病と言う言葉もあるように、この次期は少し精神的に不安定なバイオリズムになりやすいので、張り詰めないようにするのもひとつの手です。

    いつも小難しい話ばかりではなく、たまには違う話を書いてみたいと思います。

    私のところへは彼や御主人に限らず息子~兄~弟と、男性に纏わる御相談もかなりあります。 その御相談を受けているからこそ幸せの道はひとつではなく、本人が幸せだと思えば周りが余計な口を出せないという部分が理解できるのです。

    今は5月なので男性に関する話には、ちょうど端午の節句の時期でいいと思います。 なんとなくではありますが、5月は端午の節句がある為に男性の月と言う雰囲気や感じがあります。 商戦も鯉のぼりとか兜とか武者人形のチラシやCMがあるので、嫌でも目にすると思います。

    端午とは5月5日に男の子の健やかな成長を祝ったり、願ったりする日本の風習のひとつです。 五節句の一つであり、そもそもは旧暦5月5日に祝われていました。 しかし、今の日本ではグレゴリオ暦(新暦)の5月5日に行われており、地方や田舎など一部ではありますが旧暦や月遅れの6月5日に少ないながらも行なわれているようです。

    古来の日本においては男性が戸外に出払って、女性だけが家の中に閉じこもって田植えの前に穢れを祓い、身を清める儀式を行う五月忌み(さつきいみ)という風習がありました。 実は端午とは、元々女性の為の節句だったのです。

    宮中では菖蒲を髪飾りにした人々が、武徳殿に集い天皇から薬玉を享け賜わりました。 鎌倉時代ごろから「菖蒲が尚武」と同じ読みであることや、菖蒲の葉が剣を形を連想させることなどから端午は男の子の節句とされて、男の子の成長を祝い健康を祈るようになったのです。

    鎧~兜~刀~武者人形や金太郎を模した五月人形などを室内の飾り段に飾り、庭前に鯉のぼりを立てるのが典型的な祝い方です。 鎧兜には男子の身体を守るという意味合いが込められていて、こいのぼりには立身出世を祈願しているのです。 基本的なこいのぼりは5色の吹き流しと3匹以上の鯉のぼりからなり、吹き流しの5色は五行説に由来しています。 (風水や占いと考えてもいいです。)

    端午の日には粽や柏餅を食べる風習があり、粽を食べるのは中国の屈原の命日である5月5日に、彼を慕う人々が彼が身を投げた汨羅江に粽を投げ入れて供養したことや、屈原の亡骸を魚が食らわないよう魚の餌とした物が粽の由来とされています。 なお、柏餅を食べる風習は日本独自のものであり、柏は新芽が出るまで古い葉が落ちないことから「家系が絶えない」と言う意味の縁起物として広まっていったのです。

    この柏餅の話からもわかるように、日本は男尊女卑の思想が古くより作り上げられている為に、どうしても男系思想や長男思想が絶えないのです。 しかし、それの歪が出ているのがニートやヒキコモリとなっているのですが、男性と女性では圧倒的に男性で働いていない人の方が多いです。

    世間的なイメージはどうか知りませんが、男性は働かなくても親に守られて家でゴロゴロすることが許される場合が多いのです。 冷静に考えれば仕事もせずに家にいて、気が向いたら親から小遣いをもらい外へ遊びに行く。 しかし、働くとなれば理屈をつけて働かない、それでも親は長男だからとか~息子だからと言うヒトコトで、ついつい面倒を見てしまうのが今の日本なのです。

    私は自分がロクデナシみたいな生活をしていたので、人のことは言えないし大きなことも言えません。 しかし、毎日~毎日、色々な方の御相談を受けているうちに、どうしても理想の男性像ができてしまい、それをお話しすることが増えてしまうのです。

    「そんな人はいない」と言わずに、当てはまる男性を見つけて幸せになって頂きたいと思います。 自分のことを棚にあげて言うのは心苦しいのですが、少しだけ良い男性について記してみたいと思います。 m(__)m

    できることなら夢や希望を持って人生を歩み、ボランティアなど世の為に人の為に役立つ男性が理想です。 しかし、逆に付き合うのは危険と言う、最悪で改善の余地がないのが「浮気~借金~暴力」です。 このうちひとつでもする男性は、未来においての見込みはありません。

    何故言い切れるかと言えば、この3つに関しては一時的に収まることはあっても治ることはないからです。 (ただし、不幸の度合いで言うと浮気⇒借金⇒暴力になり、やはりDVは最悪です。)

    よくある話かもしれませんが、自分の彼女や奥様と食事に行ってお金を出させる男性は、もうお話しになりません。 男性たるもの女性と食事に行ってお金を出さないなんて、言語道断で同じ男性として恥ずかしいです。 楽しいヒトトキを過ごして~素敵な笑顔を見れて~会話と食事を楽しむ、これに対して気持ちよくお金を支払えないような男性は、先が思いやられるのです。

    自分だけ良ければいいと言う考えの男性は、すなわちセコイからそういう考えになるのです。 彼女とデートするのにお金がないと言うのなら、節約するか~もしくはアルバイトすればいいだけの話であり、その努力を怠るようでは男性として芯がないのです。 (女性と食事に行っておごってもらう、そんな男性を私の周りで見つけるのは難しいので、正直言って余り実感が沸きません…。)

    お金を例にとり説明しましたが、それ以外の浮気や暴力も褒められることではないのです。 そういう男性とお付き合いしても、余り明るい未来があるとは言えません。 ただし、本人が希望して好きで好きで仕方がないと言うのなら、それはある意味幸せなので周りが口を出すことではありません。

    これらのことを認識して、素敵な出会いから素敵な恋が始まり~素晴らしい結婚へとつながれば、私はとても微笑ましく思います。

    あなたは素敵な男性と過ごす未来が、どのように映っていますか?

    -*-*-☆-\(☆o◎)/-☆-*-*-

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    失敗だらけ。

    過去を振り返った時に私の人生は失敗だらけであり、「あの時にこうしていたら~。」 これの繰り返しで後悔や不平不満の塊でした。 自分が何もせずに「何も良いことが起こらない」と言う考えだったことに気が付いたのは、つい最近のことです。

    私の人生最大の失敗は、「何もしなかったこと。」 ヒトコトで言い表すなら、これに尽きるのです。

    人の運命は面白いもので、自分が望まないことをしていると望む現象が起きはじめると言うような、不思議な逆転現象が運命の分かれ道なのです。 会社が倒産したから仕方なく転職したら、実はそれこそが自分のやりたい仕事だった。 失恋して辛くて死にたいくらいだったのに、それを支えてくれた友人こそが最良のパートナーだった。 このように不遇なことが逆転して幸運な状況になることがあります。

    では、上手く行く人と上手く行かない人の違いは何かと言えば、「失敗した後の行動」です。 失敗したら人は心理的にも辞めたいとか~次はミスしないようになど、心の中で「失敗=悪いこと」だと思い込みすぎてしまうのです。

    書類の書き損じだろうと~料理の調味料の間違いだろうと、世の中は失敗だらけの上に成り立っているのです。 成功とは失敗がなければ成立しないのですから成功と失敗はワンセットで、失敗したら次は成功の番と言うくらいの気持ちでいる方がいいのです。

    過去を思い出だして欲しいのですが、この世に生まれてきてから一度も失敗せずにトントン拍子でしたと言う人がどれくらいいるかと言えばゼロです。 誰しも失敗や挫折を味わうことにより反省と成長を繰り返すのですから、やろうとしたことがすぐに上手く行く方がアトでおかしな状態になるのです。

    人は辛い立場になると悩みや苦しみが軽減するように祈ってしまうのですが、そこで真の強さの意味がわかると思うのです。 私は人生に悩みや苦しみは発生してしまうのだから、軽減するようにではなく「乗り越えられる強さが身に付くように」 こう考えた方が、その後の人生において対処ができると思うのです。

    楽な道を選んでしまうと、後でおつりが来るのは自然の摂理です。 では、楽をしたらどうなるのかを、お店を例に説明して見たいと思います。

    あるお店が情報雑誌に編集スタッフおすすめとして、駅前の人気店特集と言うヤラセ記事により掲載されたとします。 ヤラセ記事なので行列のできる人気店と言うのは編集者の創作で、実際は閑古鳥が鳴いているお店だとします。 仮に4月号にお店が掲載されたとして、本が発売された後に流行るかと言えば取りあえずは流行ると思います。

    しかし、安易で楽な道を選んでいる以上、お店にお客様が来るのは一時的なモノです。 それどころか反動として、運命が未来における幸運を前倒しして使いきることになります。 つまり、本来の実力ではないのに一時的に繁盛してしまった以上、その後は再び今まで以上に閑古鳥が鳴くようになります。 こうなると幸運を前借り~前借りの繰り返しで、最後にお釣りを払うのは誰かと言えば自分自身に他ならないのです。

    お店を例に出しましたが、本当に自分の才能や夢だと言う意識があるのなら、最初は苦労してもいいんです。 最初に苦労すればするほど、未来で大輪の花を咲かせる真の実力を身に付けることになり、あなた自身の花が咲き誇る時には真の美しさが際立つと思うのです。

    注:なお、運の良い人気のあるお店は行くことで運が好くなりますが、運の悪いお店に入ると逆に運が悪くなってしまうので要注意です。 ランチやカフェに限らず服などの買い物も、運の良いお店で素敵な運気を分けてもらえたら良いですね。(=^_^=)

    あなたが未来へ夢を馳せるのならば、失敗は恐れなくてもいいんです。 恐れるべきなのは、失敗することであきらめてしまうことです。 もう無理なんだとか~もうやっても無駄だなどと、夢自体をあきらめてしまうことの方が失敗になるのです。

    自分の心の窓に映る景色の中にあるのは、どのような景色なのかを描ききれないならばあきらめてしまうのです。 しかし、心の窓に映る景色が色とりどりで鮮やかに描けていたなら、いつの日にかそれは現実化するのです。

    失敗したからと言ってあきらめていたら、成長できないのではなく~自らが成長しようとしないことになるのです。 「いや、99回もやってからあきらめた」と言うかもしれないけれど、「では、100回はしていないのですね?」 もしも運命にこう聞き返されたら、何も言えなくなってしまうのです。

    努力とはすることに意義があるのではなく、努力を続けることに意義があります。 一度や二度の失敗であきらめるのなら、それは自分がすぐに何でもできると言うことが大前提です。 確かに人の能力と言うのは無限ではありますが、誰でも努力すれば100Mを9秒で走れるかと言えばできません。

    では、何故能力は無限だと言えるのかの答えは、「興味がないことは、元々興味がないのだから、できなくても悔しくもないし~辛くもない。」 これが一番の答えです。

    自分がやりたいと思うことは叶える能力がある人にだけ沸き起こる感情であり、スポーツに興味のない人にスポーツの才能~小説に興味のない人に文才、このように興味のないところに才能はないのです。 真の才能とは「興味のあるところ=やりたいこと」であり、やりたいことにこそ自分の才能が隠れているのです。

    一度や二度の失敗であきらめると言うことは、本当は叶わなくても大丈夫だと考えているのか、もしくは元々好きじゃなかったと言うことになってしまうのです。

    あなたがあきらめきれない夢、それはどれだけ語ることができますか?

    チャウネン! (≧∇≦)/☆(.. )

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    活きる。

    人はついつい目の前のことだけに捕らわれてしまい、それ以外が見えなくなることがあります。 人間としてわかってはいるけれど、右の物は右にあるのが良い~左の物は左にあるのが良いという感じで、それ以外は許せないと言う感覚が世間を狭くするのです。

    「右に行ってダメなら、左に行ってみればいい。」 これで何も不都合はないのに、一度決めたらそれしかダメだと言う狭い了見では、成長も前進もなく過ごす日々があるだけです。

    ただ生きていると言うのは、そんなに難しい人生じゃありません。 健康で生きていれさえすれば、それで生きているということです。 実際問題、毎日を惰性で過ごしたり、長いものに巻かれて自分を押し殺して生きるというのは、人生を無駄に過ごしていると言ってもいいかもしれないのです。

    それは才能を使わずに、可能性を殺しているのと同じです。

    例えば、魚だって「活き魚」と書くのであり「生き魚」とは書きません。 ワインだって熟成して寝かせることにより味わいを深めますが、何もしていないのではなく熟成と言う積み重ねがあります。 何もしていないように見えても、水面下で動いている人は伸びが違うのです。

    生きているだけではなく「活きている状態」でなければ人生において、やり残したことがあると後悔を持ちながら老いていくかもしれません。 活きようと思えば活動しなければ、何も始まらないのです。

    世の中で強い弱いと言うのを言いますが、それは一時的なものであり不変ではありません。 強く見える人だって、たまには弱音を吐きたくなるかもしれません。 弱く見える人だって、いざとなればすごく頑張る人かもしれません。

    人の行動に左右されず~自分の私利私欲も関係なく、純粋にその想いに対して行動することができるなら、本当に強いと言えるのではないのかと思います。

    ただし、人間には好調な時と不調な時があるので、それに対して無茶苦茶に頑張る必要はないのです。 なんでもかんでも努力したらいいと言うわけではなく、時には待つとか耐えるとか何もしない時期が必要です。

    道を進んでいる時には、進むだけではなく止まって地図を見ると言う作業も必要になりますが、走りながら正確に迷わず地図を見れる人はそんなにいません。 カーナビがあっても道に迷う人は迷いますし、地図やカーナビを持たなくてもスイスイ行く人もいます。 人には自分に応じた状況と言うのがあり、何も人と比べる必要はないのです。

    潮にも満潮と干潮があるように~月にも満ち欠けがあるように、不運な時期ばかりではないのだから、チャンスが回ってきた時の為にも待機するのは悪いことじゃないのです。 それでも迷う時はありますが、迷うのは自分だけの目標だと迷いやすいのです。

    夢や目標と言うのは自分のものであり、それは確かです。 しかし、それだけで終わらせるのなら寂しい話で、誰かと一緒に喜びを分かち合うと言うのが抜け落ちていると思うのです。 思い出して欲しいのですが、ひとりでやることよりも誰かと共同作業した方が親密になれるし、より記憶に残りやすいと思うのです。

    誰かと一緒にいると言うのは、悲しみを半分にしてくれるし~喜びを倍にしてくれると思うのです。

    私は就職など仕事の相談を受けた時に、「無理して頑張らなくても、転職していいんです。」と言うことがあります。 人である以上は精神の耐える限界と言うのはあり、嫌々ながら仕事をしていても、それは自分の未来において気持ちイイ経験とは言えないのです。

    御年配の方より、「今の若い人はハングリー精神がない。」 こう御教授いただくことがありますが、今の日本でハングリー精神と言う方が難しいです。

    自分が勝手に行かないのは別として、学校に通えるし~御飯も食べられるし~トイレやお風呂もあると言うのが当たり前です。 携帯電話やインターネットも日常の風景であり、この恵まれた世の中でハングリー精神と言うのは無理に近いです。

    ただし、なんでもかんでも「若い人」と限定されるのはどうかと思うのですが、お年寄りで傍若無人な振る舞いをする人と若い人でマナーの悪い礼儀知らずの割合は同じくらいであり、若い人だけが悪いのではないのです。

    例えば、つい3~4年前まで私のことを「知恵遅れ」と差別していた人は、現在50歳以上の人が圧倒的に多いです。 私からすると、「50歳以上に虐げられて、20代~30代~40代の人に助けられた」と言っても過言ではありません。 もしも20代~30代~40代の人がお客様としてお越しいただけなかったら、今頃私はホームレスか~自殺していたか、どちらにしても幸せではなかったと思います。

    「ありがとうございます。」

    お客様に対する感謝の気持ちは、私が生きている限り未来永劫~いつまで経っても消えることなく思い続けていくことになります。 お越しいただいた奇跡に対して、私は大いなる感動と感謝をいただいております。 日本だけでも一億二千万人以上いるのだから、素晴らしいあなたと言うひとりの人間とお会いできたことは、人生における奇跡のひとつなのです。

    この奇跡を起こす力を持つあなたは、自分に自信を持って正直に活きることができる人なのです。

    あなたは自信を失わずに、自分の未来を見つめることができますか?

    y(^ー°)yピース!

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    ダイヤモンド。

    世の中には似てはいるけれど、全然違う物があります。 例えば「ガラスとダイヤモンド」 この2つは遠目には似ているけれど、材質といい輝きといい中身がまるで違う別世界の品物です。

    ガラスとは基本的に主成分となる二酸化ケイ素を主原料として、それに副成分となる種々の金属化合物を粉末として混合したモノを高温で溶融して、それを液体状態したものを急冷することで製造されます。 ガラスには多くの種類があり、その多くは可視光線に対して透明です。 また、硬くて薬品にも侵されにくく表面が滑らかで汚れを落としやすいなどの利点もあります。

    このような特性を利用して窓ガラスや鏡~レンズ~食器~グラスなど市民生活や、産業分野において広く利用されています。

    ダイヤモンドとは金剛石とも呼ばれるのですが、結晶構造を持つ炭素の同素体の一つであり、天然で最も硬い物質と言われています。 結晶構造は多くが8面体ですが、その他にも12面体や6面体もあるようです。 宝石や研磨剤としてよく利用されていて、ダイヤモンドの結晶の原子に不対電子が存在しないので、基本的に電気を通しません。

    なお、ダイヤモンドという名前はギリシア語の「征服できない」と言う言語に由来しているようです。

    何故このような比喩表現をしたのかと言えば、あなたはダイヤモンドなのにガラスのままで人生を終えようとするのは勿体無いからです。 生まれ持った才能と言うのは、誰しも持っているのに使えない、もしくは使わないまま人生を終えている人がどれだけ多いのか、それは歳を取ってから老いを後悔している人の数と比例するのです。

    成功への近道は誰もが持っているのですが、それは自分の才能を活かすこと。

    いくら優れた才能であったとしても、それを使う場所やタイミングにより発揮できるかどうかなども関係して、埋もれたままになっている金脈なのです。 それを宝の持ち腐れと言うのですが、「うっかり」ではなく「しっかり」という言葉に置き換えて自分を見なければいけないのです。

    自分に自信を持つのは簡単でもあり~難しくもあるのですが、まず大事なのは必要以上に自分を卑下してはならないのです。 自分には才能がないと卑下していると、いつのまにかそれが本当の自分になってしまうのです。 自分は平凡だ~自分は何もできないなど、自分と言う人間の価値を自分で押し下げたままにしておくのは、眠っている才能が目を出したがっているのを留めるだけの人生に終わってしまうのです。

    才能は磨かれるのを今か今かと待っているのに、あなたがそれを拒んでいては開花できないのです。 弱気な部分が顔を覗かせると人は知らず知らずのうちに行動を止めてしまうのですが、それは自分の弱点を知るのが怖いと言う心の中にある深層部分に触れてしまうからなのです。

    しかし、人の成長と言うのは自分の欠けているところや足りない部分を発見して、なおかつそれを修正していくからこそ成長できるのです。 自分の身の上に起こることは必ず克服できるのですが、それはその人の器量以上のことは起こらないからです。 反省と工夫と言う言葉がありますが、この2つのことさえできればいくらでも未来へ進んでいけるのです。

    教養を身につければ教養が溢れる人~知識を身に付ければ知識のある人~マナーや優雅さを身に付ければ、それは紳士や淑女と呼ばれるようになるのです。

    何もしないままでいると何も変わりませんが、少しづつでも勉強していると少なくとも後退することはないのです。 後退とは下がることだけなく、置いて行かれることも後退を意味します。 周りがどんどんと前に進んでいくのに、自分がそこに立ち止まっていたなら後退しているのと同じなのです。

    ただし、置いていかれても本人の努力により挽回することは可能です。

    置いていかれたと感じたらどうやって挽回するかと言えば、狭い世界でイイから一番になると言うのもひとつの方法です。 受験勉強などでは「広く浅く」と言う言葉がでてきますが、これを「狭く深く」にしていくのです。 狭い世界であれば一番になることは意外と簡単なので、まず自分が一番になる分野や地域を見つけて、自分の心に一番を植えつけるのです。

    私自身を例に取っても、日本の霊視占いの中で○○で~△△で~□□でと言う感じで条件や制約をつけて、世界を狭くしていけば日本一になっていきます。 ただし、こんなに色々と条件をつけたなら、競う相手がいないので一番は当たり前ですが…。

    閑話休題。 とりあえずココまでやれば、いちおう一番と言うのが心に刻み込まれることになります。 それが自信につながれば次の行動がしやすくなり、あなたの才能が開花するキッカケになるかもしれないのです。 何事も自信を失うような言動ではなく、夢を持てるような言動で日々を過ごして欲しいと思います。

    あなたの中にあるダイヤモンド、それを輝かせないのは勿体無いと思いませんか?

    ハロー (/・ω・)(/・ω・)ハロ~

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    運命を感じる。

    おはようございます。 昨日の午前中は広島に行って来たのですが、意外と新幹線が込んでなかったです。 早朝に行ってお昼までに帰ってくるスケジュールだったので、それも空いている要因だったと思います。 午後からは通常通り事務所にて鑑定を再開と言いたい所ですが、GW中は予約がほとんどないのでヒマです。 これも運命…?

    「運命を感じる。」 人はどういう時に運命を感じるのか、その答えはひとつではありません。 人は出会った瞬間を色で感じたり、見えないオーラで引き寄せられたと感じたり、その瞬間の感じ方は色々です。

    人間の人生とは偶然出会ったことにより、さまざまな人間模様を描いて次から次へと色や形が変わって行き、人間関係で困る時というのは解けなくなった糸と似ています。 一生懸命にその結び目をどうにかしようとして、ますます絡ませてしまう時だと思うのです

    扱いにくい人と仕事をするのは最悪だと思うのは人の常であり、おかしいことでも変なことでもないのです。 人には好みがあり、好きな人と嫌いな人ができるのは当たり前であり、それを全部好かれるようにしようと思うから人間模様が複雑になり、一本の糸のはずが余計にもつれるのです。

    私は工場時代や建設現場時代に、上司の話に合わせるのが一苦労でした。 それは車の話やゴルフに行く話や飲みに行く話しなど俗世間的な話ばかりであり、その話を聞いていると自慢話にしか聞こえないのです。

    会社の忘年会や社員旅行などでも、食事がマズイとか~汚い風呂だとか~接客態度が悪いとか、会社のお金で温泉旅行に来ているのに自分が出したような顔で、従業員の人にデカイ態度を取るのに付いていけなかったです。 いくらお客様として行っているにしてもお互いさまであり、「この人はどうして腰を低くできないのか?」と私は思っていました。

    しかし、コレは私の大いなる考え違いであり、反省しなければならないのは「そんな人(上司)がいる会社に就職した」 この私自身なのです。 上司の人間性や態度(行い)に対して不信感を持つ前に、そんな会社に就職した自分を恥ずかしいと反省しています。

    今もですが、あの当時も父親が借金しまくりなので、働かないといけない。 この気持ちが一杯であり、田舎には就職する所もないので我慢するしかなかったのです。 しかし、それは単なる言い訳であり、さっさと都会の方に出て就職すればよかったのに、ふんぎれなかった私が悪いのです。

    「長い物には巻かれろ」と言うことわざがありますが、それはある意味真実です。

    会社員時代に上司のプライドや見栄を満足させるようなことばかり言っていたら、いじめが次第に緩くなってきて、たまには褒められるようになりました。 このことから意識レベルの低い上司と言うのは扱いようで、どうにでもなると言うのを学んだのだと思います。

    このように、起きた出来事をどう捕らえるか? 時間と言うのは限りがあるので少しも無駄にはできないのですが、考え方や思い方により時間の活かし方が変わり時間を有効利用したことなるのです。

    「知恵遅れとも言われないし、マザーテレサの話をしても馬鹿にされない。」 コレは私にとって幸せな毎日です。

    素敵なお客様が起こし下さり、心の平穏が保てて毎日生きがいを感じることができる。 このような状況になってから私は運命を感じることは多々ありますが、本当はいじめられていた時や馬鹿にされていた時にも運命を感じられたはずなのです。 ただ、その当時は私のアンテナが錆びていただけだと思います。

    運命を感じる時や瞬間と言うのは、いつでもどこでもあるのです。

    それを感じ取れない人は不運を感じたり、運命がどうしてこんな目に遭わすのかと嘆いたりするのです。 私も昔は同じことを考えていたので、その気持ちはよくわかります。 しかし、運命は意外と公平であり、努力した人には見返りが多く~努力しない人には見返りが少ない。 コレは歴然とした差があり、誰も覆せないと思うのです。

    「待ってください。」 こう声を掛けたくても運命が来たことにすら気付かない人には、チャンスの有無さえわからないのです。 昔の私を振り返っても思うのは、信じられないのは運命ではなく自分のアンテナ、それに気が付かないばかりにアンテナの感度不足がわからないままだったのです。

    運命の応援やチャンスを察知するアンテナは、常に磨いておかないといけない。 しかし、その前にきちんと動作しているかどうかの確認、つまり自分の感性を鈍らせないようにしなければならないのです。

    同じ行動や同じ仕草に見えても、運命の女神から見たその内容は天と地ほどの差があるかもしれないのです。 あなたの心が白色に思えても、純白もあればベージュに近い白色もあります。 色は同じでも、その色の濃さまでは違うので、時が過ぎる流れの速度は同じでも、その時間の中で何をしたのかは違う結果となって現れるのです。

    あなたが染められているのは、何色でどんな濃さだと思いますか?

    ウーン /(-_-)\

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    GW後半。

    GWも後半ですが、私は今日も事務所にて細々活動しております。 連休中は予約もほとんどなく、日頃できないインテリアの掃除や外回りのペンキ塗り、エアコンの掃除などをして過ごしております。 大須演芸場並に、お客様がいない私です…。 (4月8日のブログ参照)

    ヘタレの私としては暇な状況も勉強になるイイ経験ですが、経験とは活かすことができて初めて財産と呼べるのですが、聞くだけとか見るだけでは活かすことはできないのです。

    学び~学びと言うけれど、どれが本当の学びかと言われたら誰も答えられないのです。 自分の中にあるゴールではなく未来においてのゴールにより、今の自分が正しいのかどうかがわかるのと同じで現時点での正解⇔不正解は決められないのです。

    結婚することが夢ならば今と言う時間を恋愛に割くのが正解ですが、漫画家や経営者を夢見るなら今と言う時間を勉強に当てるのが正解です。 これはゴール地点において幸せな家庭を築いていればOKと言う人と、独立してお店を大繁盛させていればOKと言う人の違いでもあります。

    このようにゴール地点、すなわち未来の自分がどうなっていれば幸せかで、現時点での行動が決まってくるのです。

    学びとはお仕着せではなく「自ら学ぶ」 これによることでしか、本当に学ぶことはできません。 自分がどんなに自信のある分野であっても~どんなにその道のプロだとしても、何気ないヒトコトにより復活したり閃いたりできるのです。

    しかし、残念ながら人は往々にして相手が自分より年下だとか~素人などと言うような、偏った偏見により見下してしまうことがあります。 それでは自分にとって有益なことと不利益なこととの区別が付かずに、先入観により学びの取り捨てをしてしまうことになるのです。

    もしも大きくなりたいとか~成長したいと思うのならば、小さなことやつまらないことに惑わされず、身の回り全てが教師であり~反面教師であると考えておく、それが人生を豊かにするコツなのかもしれません。

    自分の中にある信念、これが時として邪魔をすることがあるのですが、それは高いプライドを安売りしてしまうことです。 人の成長は「もっと上手くなりたい」とか「もっと上に昇りたい」などという、もっと~もっとと言う上昇志向によるのですが、その姿勢を失ってしまうのがプライドの怖い所です。

    駄目な例として出すなら、「プロの俺が、素人のオマエに注意されたくない」 このようなヒトコトに表されます。 プライドが高いと人の意見を素直に聞けなくなるのですが、素直に聞けないのは相手を馬鹿にしているからです。 「こんな人から、何で私が言われないといけないの?」 これは悪いことじゃないけれど、自分の足りない所を教えていただいていると考えれば、反面教師としても良いことに変換できます。

    成功する人と失敗する人の差は、聞き分ける能力の差でもあります。 自分にとってイイことなのか、それとも関係ない内容なのか、その判断する部分が財産になりうるのです。 相手がプロだろうと素人だろうと、ヒントになればなんでも吸収しますと言う人は、やる気の差もあるのだと思います。

    才能よりは「やる気」 このやる気がなければ、何をしても成功の可能性は少ないと思います。

    何の分野でも才能や資質はある程度は必要かもしれませんが、やる気のない天才がやる気のある普通の人に負ける。 これはウサギとカメの童話でも例え話として書かれていて、カメさんは足が遅いかもしれないけれどコツコツと進んでいたら、寝ているウサギさんを逆転した。 これはあきらめずに地道な努力をしていたら、勝てないように思えた相手でも勝利することができると言う話なのです。

    いつの世でも努力する人~やる気のある人、こういう自らの姿勢を示す人には勝てないのです。 正確に言うと「その人」以上のことをすれば勝てるのですが、肝心の「その人」が怠ける可能性は少ないので、今度は自分が追い続けることができるかどうかの問題になってしまうのです。

    スポーツの世界でも、練習が必要な二流の選手はソコソコ練習して実力の維持に努めます。 しかし、一流の選手になると「そこまでしなくても、いいのに…?」 周りがこう思うくらい練習して、更に納得が行かないと引き続き練習するの繰り返しです。

    これでわかるように、練習が必要な選手ほど練習せずに~練習しなくてもいい人ほど練習する。 これでは二流の人が一流の人を逆転するのは、それこそ飛行機から砂漠に落とした針を見つけるのと同じくらいの可能性になってしまいます。

    今のあなたがしていることや進んでいる道の正否に関しては、未来におけるゴールの描き方で変わるから心配しなくていいんです。 未来で起こることが良ければ、過去で起こった嫌なことはいつのまにか消化できるのです。

    あなたは自分の描く未来が、素敵だと感じながら行動していますか?

    v( ̄∇ ̄)v ビクトリ~!


    お知らせ:5月5日(月)の午前中は広島方面に出張鑑定の為、ブログの更新ができません。 ブログの更新は5月6日(火)より再開となりますので、ごめんなさい。 m(__)m

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    アガスティアの葉。

    私は「UFOはいてくれたらイイなぁ~」などの、メルヘン的な部分は大事にしていいと思うので、なんでもかんでも解明するのはロマンがないし大人気ないと思うのです。

    例えばTVの「HERO」で木村拓哉氏は検事役だし、映画の「M・I」シリーズでトム・クルーズ氏はスパイ役を演じています。 だからと言って本当に検事やスパイだと思う人はいませんから、TVに台本は必要不可欠です。 スピリチュアルも同じで、「○○さんは視えてるの?」なんて質問は野暮と言うもんです

    やはり、夢やロマンの為には余り追求しないのが、「オトナの事情」だと思います。

    さて、占い系でロマンと言えばインドにある「アガスティアの葉」と言うのがあります。 この「アガスティアの葉」とは紀元前3000年頃に実在したと伝えられる、インドの聖者アガスティアが残した予言を書いてある「葉」のことです。

    この「葉」には聖者アガスティアが個人の運命を書き記しているので、「葉」を見るだけでたちどころに個人の誕生から死ぬまでのことがわかると言われています。 主に南インドのタミル語文化圏に保管されているはずなのですが、最近は偽物も多く出回っており騙される人が後を絶たないと言う噂です。

    この葉には古代タミル語で運命が書かれており「ナディ・リーダー」と呼ばれる人のみが現代タミル語に翻訳できます。

    この葉を読む為には10歳前後から6年以上かけて訓練を受けるのですが、ナディ・リーダーとして運命づけられた人だけがなれるらしいです。 リーダーの数は約800人前後と言われていますが、読むレベルに個人差があるのでアガスティアの予言が曲解される可能性がよくあります。 (タロットの解釈が、占い師さんによって違うのと同じです。)

    このアガスティアの葉は、まず最初に指紋の形態によって108種類に分類されるのですが、男性は右手の親指~女性は左手の親指の指紋を見せることで葉の検索がスタートです。

    同じタイプの指紋を持つ人は日本人だけで100万人以上いるので、探しに来た人の葉が見つかる可能性は限りなくゼロに近いが不思議にほとんどの人の葉が見つかります。 しかし、必ず見つかるわけではなく平均で20%は見つからないようです。 また、依頼者本人の葉を探すのに質問をしまくるので、ここでかかる時間は「早い人で10分~遅い人だと90分」くらいかかります。

    正直言ってあまりに多くの質問をするので、ここで個人情報を引き出しているのではないかという疑問を持つのですが、最終的には決して知りようのない個人情報が出てくるという話です。 アガスティアの葉は通常は一人に14枚存在しますが特別な葉もあり、第1の葉に人生全般が記載されていて、まずこの葉を開くことから運命を知る作業が始まります。

    内容には個人差がありますが指紋の名前や特徴、生まれた時の星の配置から今生の基本的性格が述べられ、これまでの人生の過去~現在~未来と解説が始まります。 アガスティアの葉は現地では安価で読むことができ、南インド人は結婚相手や進路などで迷いがあると気軽に活用されています。 (日本人の場合は葉に出会っても、タミル語から日本語に通訳できる人が必要です。)

    肝心の真偽の程ですが、夢は夢のままで大切にして楽しめばいいと思います。 ただし、高額な費用(ツアーにもよりますが、約50~80万円程度)が掛かることなので、一応アヤシイ?霊視カウンセラー的な解釈もお伝えします。

    まず、生年月日~職業~家族関係など個人情報を約50~100問くらい聞かれるのですが、コレだけ聞いたら過去のことは誰でも当てられます。 「ナディ・リーダー」が語る個人の運命はもっともらしいことを言いますが、コレだけ質問攻めなら普通は相手のことがわかると思います。

    また、商売の匂いがしてくる部分としてナディ・リーダーの解説の為に、「葉の検索料金や翻訳料」などを払う上に外国人が行った場合は通訳料まで加わります。 こうやって次々と料金を加算していくのですが、ここまででもかなり高額なのに「葉」に書かれている運命は先ほど言った質問の中から答えられています。

    おまけに指紋により個人を特定するというワリには、旅費節約の為に「アガスティアの葉検索代行サービス」があり、現地に行かなくても「運命」がわかるなんてのは商売根性丸出しなので、どう感じるのかは本人次第です。

    はっきり言うと「アガスティアの葉」の仕組みは、数学により簡単に解明できます。 よく親の名前や結婚する人の名前が「葉」に書いてあったと言って驚く人がいますが、この仕組み(トリック)も簡単なのですが、詳しく言うと夢が壊れるので少しだけヒントです。

    例えば「山崎かずみ」の頭文字を当てる場合は、「あいうえお~かきくけこ~」と和音で探していくのなら50分の1です。 しかし、イニシャルになると「K・Y」なので26分の1の中から探すようになり、次に「K・Y」のどちらかを当てればいいので、ある方法を繰り返していくと最後には確立2分の1になるのですが、解説が長くなりすぎるので別な機会に…。

    もしも、あなたがアガスティアの葉を見に行くのならば、日本から出発して色々と旅をする過程や、その中で出会った人々や感じた体験はかけがえのない宝物です。 本当のアガスティアの葉とは、日本からインドまで旅をしてあなた自身が体験して得たモノや感じたモノ、それが真にあなただけのアガスティアの葉になると思うのです。

    あなたはどんなことに、ロマンを感じますか?

    ☆彡 (-人-;) 願い事~叶えぇぇ~!

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    逃げ切り。

    昨日はメーデーだったのですが働くと言うことは金銭面だけではなく、未来を見据えた精神面でも必要なことです。 ただ、20代~30代のバリバリに若い世代であれば、まだ未来について考えられないかもしれません。 しかし、自分が50歳を過ぎた時にどうしているのか、それを認識しなければ辛い未来と楽しい未来、どちらか両極端になるかもしれません。

    生きていれば条件面は別として普通は働いているものですが、会社やお店など勤務先の未来が暗ければ勤めている人の未来も暗くなります。 そうならない為にも社長やオーナーなどのトップの人達の行動に、よく目を凝らせていなければならないのです。

    それについてヒトコトで言うなら「逃げ切らせてはいけない。」 大いなる諸先輩である50代以上の人は逃げ切るような人生を歩むなんて、「後に残る人のことを考えない人生」だと気付いて欲しいです。

    私がお勤めをしていた時代に浴びせられた言葉のうち、2008年の時点で50~70歳になるであろうと思われる人、つまり上司と呼ばれる人々の言葉の中で記憶に残る言葉があります。

    「オイ、山崎。 世の中には楽できる方といじめられる方がいるのは当たり前で、お前はいじめられる方、そしてワシは楽できる方でこれは一生変わらないんだ。 だからオマエは惨めな一生を送って、ずっといじめられていろ。」

    こんなことを言う上司も上司ですが、コレに対して言い返せなかった私も情けない人間です。 きちんとした言葉を持っていない上に、この時には「ココをクビになったら親の借金が払えないし、生活できない。」 この悲壮な思いで我慢するしかない状況でした。

    TVなどのメディアで若い社長が取り上げられていますが、実際にはあんなスマートな人はそういません。 若手社長と言っても親の基盤を受け継いだ二代目や三代目であり、そういう立場で社長になっているからリストラなどは平気でして、人の心の痛みがわからないのです。 しかし、これらは全て50代~70代の人達がしてきたことを、真似しているだけなのかもしれません。

    私個人の考えではありますが、今の20代~30代には素晴らしい人が大勢います。 「最近の若い者は~」と言う前に御年配の方々は、私利私欲における自己保身をしている自分の姿を振り返った方がいいと思います。

    今は会社勤めをしている人達が独立や起業をしようと思っても、よってたかって潰してしまうことが多いです。 別に独立ほど大げさじゃなくても、社内において企画やアイディアを出した社員のやる気をそぐような、「前例がない~やっても無駄だ」など余計な台詞は言わないで欲しいのです。

    今20代~30代の人に考えてみて欲しいのが50歳になった時に、「何をしている自分が想像できるのか」と言う点です。 残念ながら50歳になった時点で何もない人は、もう人生において変化はできないのです。

    50歳まで美容師をしていた人が、いきなり陶芸の人間国宝になるのは無理です。
    50歳までガーデニング一筋の人が、いきなり癌の特効薬を発見するのは無理です。

    50歳になった時点で何もないという人は、今まで何をしていたのかがわからない人なのです。 50歳と言えば20歳で社会に出たとしても、30年間社会で生き抜いてきていることになります。 30年間生きてきて何もないと言うのは、残りの人生が辛いと言うことを暗示しているのです。

    50歳以上の人が若手の意見を採用しないのは、実はここに最大の理由があります。

    逃げ切りと言う言葉は、これは自分だけが助かればいいと言う考えの象徴みたいなものです。 50歳を過ぎてしまえば、もう後は問題を起こさずに定年まで勤めて退職金をもらって、残りは嘱託や天下りで生きていこうとする「ずるさ」なのです。

    本来の上司たる者がすることは、「可能性を伸ばす=後進の育成」

    これが主体でないといけないのですが、これをやると失敗した時の責任の取り方で自分に被害が及ぶと考えるセコサがあるのです。 確かに合理的と言えば合理的なのですが、何もせずに段々と業績が落ちていく状態でも、「自分の定年まで会社が持てばいい」と考えてリスクが少ないことしかやらなくなるのです。

    昔は若手芸人をいじめまくっていたのに今や運転手付きの立派な立場になった人が、「日本を元気に!」と言っていますが、そんなのはとても簡単なことです。 今の日本に存在する全ての業界トップにいる人々、俗に言う既得権益を持つ人々を排除してしまえば日本の問題は半分以上が解決してしまいます。

    自分のメンツが立たないという理由で、相手の意見に反対する。 どこの会社でもあるのですが、本来会議と言うのは「素晴らしい考えが出たら」それを実現する為にはどうすればいいかという、前向きなものでないといけないのです。 会議とは議論する場ではなく、物事を決定して推し進める場なのです。

    しかし、今の日本社会では「根回し」をしておかないと、どんなに素晴らしいアイディアでも通らないと言うおかしな現象が起きてきます。 コレでは若手の人が伸びるはずがないのですが、御年配の人々は自分の保身の為に認めたくないのです。 会議とは説明の場ではなく決定の場であり、可能性を潰す場ではなく可能性を見い出す場なのです。

    物事を難しくしているのは既得権益にいる人のメンツや利益が全てであり、それさえ取り除けば癌が完治するかのように元気になれるのです。 元気になる日本とは、「頭の固い私利私欲だけの人々に退陣していただく」 コレだけでいいのに、言っている本人が既得権益を守ろうとしている場合すらあるのです。

    あなたは50歳になった時に、自分がどうなっていると思いますか?

    ( ̄◇ ̄;) ハゥー

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    パートナー。

    お休みの時にひとりでいると、ふと未来の自分の姿を思い浮かべてしまうことがあります。 その時にひとりでいるとなれば、とても不安になってしまいます。 人はひとりでは生きていけないのですから、やはり誰かがそばにいてくれる安心感と言うものは、ナニモノにも代え難いのです。

    GWの真っ只中にいる今、お休みの合間に自分が未来でどうなっているのかを、未来のパートナーの姿と共に考えてみるのもいいと思うのです。 いつかは一緒に~いつまでも一緒に、離れたくないと言う切ない心があなたと彼の恋が始まったと言うことなのです。 恋愛において一緒にいる幸せを感じることができるのは、人生のパートナーとして心がウキウキできるから…。

    ある女性が歩んだ恋の想い出の中に、あなたにとって恋のヒントや未来のパートナーへの想いがあるかもしれません。

    電話が掛かる度に「オマエの声が聞きたい、オマエに会いたい。」 こんな風に言われるのが嬉しい。 だから電話が掛かるとね、わたしの声がどんな風に届いているのか気になるし、あなたの心の中がハートマークで一杯になっているのかな、何てことも気にしてしまうのです。

    わたしの胸の中で鼓動が激しくなるのが、あなたを好きだと言う証拠。

    わたしはね、最初アナタの方から付き合って欲しいと言われた時は、「えっ?」 夢じゃないかと信じられないくらいだった。 その日は嬉しくて嬉しくて、何をするにも弾む気分が抑えられなくくらいで、周りにも「何かイイことあった?」とまるわかりだったくらい。

    でもね、アナタから「俺たち、もう会わない方がイイような気がする。」 こういわれた時は「えっ?」 夢であって欲しいと思った。

    これからは別々の人と別々の道を歩くことを、アナタは決めているけれどわたしは決められない。 どうしてって言おうとしたけれど、うつむくアナタをみて本気なんだとわかったの。 これから、隣にアナタがいない人生を送ることになるんだけれど、それがアナタの為になるなら…。

    アナタから「付き合って欲しい」と言われた時、わたしと一緒にいることがアナタの幸せだと感じていたから、それはわたしにとって嬉しい言葉であり~忘れられないありがとうの気持ちだった。

    それがいつのまにか、わたしと別れることでアナタが幸せを感じるようになるなんて、わたしと離れることでアナタが自由になれると感じるなんて、思いもしなかったし~信じたくもなかった。

    アナタが一生懸命に言ったんだと思ったから、わたしも笑顔で受け入れるしかなかった。 でもね、笑顔でさよなら言えたのは、あなたの前では最後までイイ女でいたかったからなの。 どんな素敵な恋愛でも最後まで良い想い出でなければ、素敵なまましまって置くことできないと思うから。

    明日からまたいつもの日常が始まり、電車に乗って会社へ行き~仕事をして帰ってくる。 そして御飯を食べたり~お風呂に入ったり~TVを見たりして眠りにつくの。 ただ、同じ生活が始まるだけなんだけど、そこにアナタがいないと言うだけ。 そんなに生活が変わるわけじゃなく、「ただ、アナタがいないと言うだけ」 ただ、それだけで生活としては大きな変化は余りないの。

    でもね、ココロの中には埋めようがないくらい、大きな穴が開いたままでどうしていいかわからない。 アナタの声を聞かないのが、アナタと連絡取らないのが、アナタと会わないのが、こんなに心の中身を変えてしまうなんて想像してはいたけれど、辛さは想像以上だった。

    アナタと会えた奇跡と言うのを、別れてから初めて知りました。

    一緒に言った場所へひとりで行くと、こんなに広かったんだと気付いてしまう。
    一緒に歩いた道をひとりで歩くと、こんなに長いと感じてしまう。
    一緒に見た映画もひとりで見ると、全然面白くなかったとわかってしまう。

    ケータイが鳴らないと、ついアナタの番号を押してしまいそうになる。 もう消してしまったはずなのに指はいつまでも番号を覚えているから、アナタのことは頭だけじゃなく身体の色々な部分が覚えているんだなって思った。

    一番近くにいたから、一番アナタの熱い思いを聞いていた。 それはわたしにとって楽しいことであり、嬉しいことであり、そしてアナタがわたしに心を許していることをかんじられる瞬間でもあった。

    最後にアナタが買ってくれた雑誌、単なる雑誌なんだけど今でも捨てられない。 読むわけじゃないし、そんなに気になることが出ているわけでもないけれど、捨ててしまうとアナタとの最後の想い出まで無くなって、本当に離れ離れになってしまうような気がする。

    今頃になって、とめどなくあふれ出してくる想い出と涙。

    人生のパートナーと言うのはジグソーパズルのようなもので、形が似ていてもピッタリ合うのはひとつだけ。 いくら似ていても形が違うと重なるだけであり、当てはまることはないのです。

    あなたにとってたったひとりのパートナーとは、どんな素敵な人だと思いますか?

    (;゜0゜) なんとぉ~

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