徒然草(岡山・東京・山崎かずみ)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    フェアトレード。

    おはようございます。 お越しくださる素敵なお客様が笑顔でお帰りになる時は、私もウキウキしてきて「よかった」と思えてくるのです。 お客様の御愛顧のおかげで、マザーテレサの施設運営や盲導犬の育成、アフリカの子供たちがキレイな水を飲める状況のお手伝いができているので、とても感謝いたしております。

    全てのお客様にお礼と感謝の気持ちを込めて、本当にありがとうございます。 m(__)m

    私が時々アフリカの子供達のことを書いているのですが、日本でアフリカに関する会議が開かれています。 アフリカ地域の包括的な支援策を話し合う第四回アフリカ開発会議で、「TICAD」とも言われる会議が5月の28日より横浜市で開幕しています。 アフリカの各国首脳やトップクラスの人達が来て、今後のアフリカのおける開発や援助が話し合われているのです。

    TICADは1993年に第1回会合が開かれたのですが、もともとの狙いと言うのは冷戦終結による力関係の変化によって欧州諸国の援助疲れが見られるので、日本がアフリカへの援助外交で存在感を示すべく動いたと言うのが基本です。

    長い植民地支配によってできた負の遺産を数多く抱えるアフリカ諸国は、21世紀になる今もなお貧困や紛争~食糧難~感染症などの深刻な問題があります。 それと同時に2004年にアフリカ連合(AU)が創設されたり、国際政治におけるアフリカ諸国の存在感は日増しに大きくなっています。 単なる援助の対象としてではなく、各国の国益重視の観点からもアフリカ諸国との関係強化を進める動きが、年々国際社会で強まっているのが現状です。

    これからのアフリカと言うのはレアメタル(希少金属)や労働力など、物質的&人的にも資源の宝庫なのです。 しかし、この資源の宝庫を先進国が食い物にしているようでは、アフリカの人達が苦しい思いをしているのを見殺しにするのと同じです。 モノには適正価格と言うのがあり、無茶苦茶に高いとか~無茶苦茶に安いとか、常識外れの価格と言うのはどこかに歪を生んでしまうのです。

    例えば、今回のアフリカ会議で飲み物として某メーカー製のコーヒーが振舞われたのですが、これはある意味が隠されているのです。 私個人の感想として、今回のアフリカ会議を担当した外務省の人は「ナカナカやるね~!」と思いますが、先進国に対する人道的な戒めが込められているのです。 (これが、粋な計らいと言うのかも?)

    コーヒーと言えば誰でも飲んでいると思うかもしれないし、「コーヒーくらいでなんで?」と思うかもしれません。 日本の喫茶店やカフェでコーヒーを飲めば約300円くらいですし、缶コーヒーやスタバやマックだともっと安いと思います。

    しかし、アフリカの人たちが一生懸命働いても、自分達が作ったコーヒー豆でコーヒーを飲める日は来ないのです。 何故なら、朝から晩まで過酷な労働をして手に入れる1日の日当(賃金)は約50円だからです。 もしも、この人達が喫茶店でコーヒーを飲もうと思えば飲まず食わずで6日間働いて、それでやっと一杯のコーヒーが飲めるのです。

    コーヒーがブラジルと言うのは昔の話で、今後はアフリカの人達が栽培したコーヒー豆の方が多くなるのです。 (現在でも市場で取引されてることにより、ブラジルから仕入れたように見えるだけです。)

    これはひとえに先進国の人達が安く仕入れて高く売ると言う、商売の基本ではあるけれど「やりすぎの手法」があるからです。 例えるなら、10円で仕入れたものを1万円で売っておきながら「儲からない」と言って、更に安く仕入れようと途上国の人に「安くしろ」と言っているのが現状です。 つまり、「○○や□□は、アフリカの人達から搾取ばかりするな!」と言う抗議が含まれているので、今回のアフリカ会議を担当した人は世界の実情がよくわかっている人だと思います。

    また、先進国の中にも自浄作用と言うか、ボランティア精神のある人がいるので、これを改善しようという動きがあります。 それは「フェアトレード」と言うのですが、これが国際社会で確立されれば「一部の人のみが利益を得る」と言うのが是正されて、アフリカの人達が医療や教育を受けることが出来るようになるのです。

    「フェアトレード」とは公正取引を意味するのですが、発展途上国の原料や製品を適正な価格で継続的に購入することにより、立場の弱い途上国の生産者や労働者の生活改善と自立を目指すことを言います。 (別名、オルタナティブ・トレードとも言います。)

    実際問題として、仲買人や国際的な流通業者が不当な利益を得て、その為に途上国の生産者や労働者が搾取されている現状は、今のアフリカの生活状況を更に貧困にしています。 貿易と言う面で見ると「途上国の商品を先進国に輸出する」時には最高で400%以上の関税が掛かる国や分野があるので、途上国がこの関税障壁に費やす費用は年間1000億米ドル以上になるのです。 (これをアフリカに支払えと言うのは、一生貧乏でいろと言うのに等しいのです。)

    その上に商品価格の激しい価格変動により、途上国の生産者は生産の為にかかった経費~労働力~環境負荷~再生産コストを取り返すことが不可能なくらい、低価格で買い叩かれると言うことが繰り返されているのです。 途上国の人は足元を見られても売らざるを得ないので、赤字~赤字で借金が膨れ上がるか、生産者に生活に必要な賃金が払われないか、そのどちらかで貧困から抜け出せないのです。

    今は地球温暖化や水&食料不足など様々な問題が山積みですが、それを引き起こしているのは先進国なのに~ツケを払うのは発展途上国と言うのは矛盾しているのです。

    私は日本に生まれたと言うのはひとつのチャンスだと考えていますが、もしもアフリカに生まれていたら小学校に行くことすらなく、奴隷として一生を終えていたかもしれないのです。 それを思うと、私は今までの人生がひょっとして「とても恵まれていた」のかもしれないと、最近は考え直しているのです。 (少しだけですが…。)

    あなたは途上国の現状に対して、どういう考えがありますか?

    ( ̄~ ̄;)ウーン・・・

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    伝わる恋愛。

    恋愛と言うのは、大まかに言うと「出会い⇒知人&友人⇒彼⇒御主人」のような感じで進んでいきます。

    この出会いの瞬間から好きになる人もいれば、出会って知人や友人の段階でアトから好きになることもあります。 自分らしくいれば大丈夫なのに、つい気取ってしまったり~素直になれなかったりして、彼になる一歩手前で足踏み状態となっている人が多いと思います。

    コレは恋愛において誰もが経験することなのですが、好きなのに告白もできないし離れることもできないのは、付き合い方においてどこか道を間違えているからです。

    あなたが信号を渡る時には、そのシグナルを読み取り「進めか? 止まれか?」を判定しています。 それと同じで、自分に対する彼の気持ちを迎え入れるかどうかの判定もせずに、まず自分の想いを何とかしたいと考えていたら伝わるモノも伝わらなくなるのです。

    知り合った時には普通に話せたのに、意識し始めると急に上手く話せなくなる。 それでも忘れることなんてできないから、何気ない毎日でも相手のことが目に浮かぶような時間が過ぎていくのです。

    付き合い始めた時はイイ感じでも、よせては返す波のような話し方を続けていては、駄目になる為の恋なのかもしれません。 相手のことを知れば知るほど、心の中に踏み込み過ぎないように気を使う必要と言うか~マナーが大事だと思うのです。

    私は彼や御主人の相談を受けた時に、どうして上手く行かないのか不思議な時があります。 女性は男性を求め~男性は女性を求め、お互いがお互いを求めるのに上手く行かないなんて、どう考えても不思議なのです。

    例えば夫婦の在り方として、確かに喧嘩したりする時もあるけれど、お互い好き同士で一緒になったはず。 それなのにお互いのことを知りすぎた時から馴れ合いが始まって、今度はお互いに自分の理想とする人になって欲しいと考え始めます。

    しかし、それはちょっと待って欲しいのです。

    相手があなたの思うような人になるということは、あなたも相手の思うような人になる努力が必要だと言う、夫婦である以上の50:50の権利や義務や法則を忘れていることになるのです。

    私は男性が「結婚したら変わる」と言う現象が、とてもよく理解できます。 男性は結婚したらもう自分の物だと言う感覚が始まり、空気と一緒に感じて「必要だけれど、大切にはしない。」 自分がいるからキミがいるという感覚に陥り、愛してはいるのだけれど「言わなくてもわかるだろう」と言うことになるのです。

    世の中には才能に恵まれているのだけれど、不遇の時期をどう過ごすかで未来が変わってくると言う、ものすごく大事な時期の過ごし方があります。 そして、その時期を過ごす時に大切なのがパートナーと言うものであり、そのパートナーの力量により才能発揮の有無が変わる時も多いのです。

    恋とは二人で、お互いの作品を仕上げること。
    愛とは二人で、お互いの才能を磨き上げること。

    私はいくつもの恋の行方を、お客様を通して視ています。 お客様が私のところへ来た時点で、その恋の結末が決まっている時もあれば~決まっていない時もあります。 未来と言うのはいくつもあり、その未来においての分岐点を過ぎていなければ、恋の結末はいくらでも変えることができるのです。

    もしも、あなたが彼や御主人の気持ちがわからないと思うのならば、相手に対して投げかけるのは「自信をつけさすこと」 相手が何を考えているのかわからないと言うのなら、余計なことを考えて傷つけるよりはいいのです。

    やり方がわからないと言うかもしれませんが、一番簡単なのは「お世辞を言うこと」です。 コレはわかっていても効果があることであり、褒められて嫌な気分になる人は余程の変わり者です。 (もしも、彼や御主人がそれに当てはまるなら、それはもう運命だと思うしかありません。)

    自分と相手の関係をステップアップしていきたいのなら、それは相手に自分を頼らせると言うことが必要なのです。

    あなたは相手に頼られるくらいの、必要性を身に付けていますか?

    ?~(+O+)~!

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    義理と人情。

    会社やお店に勤めていると、ふと社長などトップの方針に疑問が出ることがあります。 それは給与面だけではなく、お客様に対するサービス面だったり~社内の待遇面だったり、不満や不安がとめどなく出てくる瞬間が実は運命の暗示だったりもします。

    トップに立つ人が危険な方向へ進み始める時と言うのは、実力主義とか~成果主義とか結果のみ求める出す時なのです。 これは社長とか役員と言う既得権益の部分の人達に関しては実力主義を当てはめればいいと思いますが、それは収入面や待遇面で従業員の方に比べて良い思いをしているのだから当たり前です。

    しかし、一般的に考えてみても社員の方々に全て実力主義を当てはめるのは、相当問題があると思うのです。

    例えば会社と言うのは、営業と事務の両輪がスムーズに回っていないと前に進みません。 それを片方が片方を非難しているなら、業績低下とか~酷い場合には倒産などと言う事態に陥ってしまうのです。

    営業の人は、「事務の人がいるから諸手続きや内部処理が上手く行っている。」
    事務の人は、「営業の人がいるから仕事が発生して会社の利益が出ている。」

    このようにお互いがお互いのことを認めていれば、実力主義や成果主義に持っていかなくなくても会社が上手く回っていくのです。

    年功序列や終身雇用と言うシステムを作り上げておきながら、自分たちが良い思いをする為に今度は実力主義にすると言うのは都合が好すぎるのです。 「不景気だから会社の業績が悪い」 このようなことを言う経営者は、才能がないのか~努力が足りないのか、どちらにせよ経営者の器ではないと言うことです。

    実力主義が悪いとまでは言いませんが、人には感情と言うモノがあります。 心に辛いことや悲しいことが刻み込まれると塞ぎ込んでしまうし、楽しいことや嬉しいことがあるとはしゃぎたくなります。 「この会社で働いていると、楽しい!」 こういう状況やシステムを作り上げるのが、今後の日本社会に求められるものだと思うのです。

    今の日本で言われている実力主義とは「利益のみ~お金のみ」と言う、拝金主儀になってしまっているのではないかと憂いを伴うのです。 実力~実力と言うけれど、適材適所で仕事をしやすい環境を作り上げることも大事だと思うのです。

    例えば、売り上げが多い営業マンは会社に直接的に利益を出しているから、実力と言う面ではあると思います。

    しかし、その営業マンが活躍できる為に、お客様からの電話応対を丁重に扱う受付の人~経費や切符などの準備をする事務の人~トイレや社内を綺麗にしてくれる掃除の人など、縁の下の力持ちとなる人たちのことを忘れてはいけないのです。 売り上げを出す人だけが偉いわけではなく、その手助けをしている人達の功績もあるからこそ、会社の利益と言うのは出ているのです。

    IT全盛の現代においても、義理と人情と言うのは悪くない言葉だと思うのです。 義理と人情を優先していれば、必ずしも業績が上がらないかもしれません。 しかし、一時的に見れば実力主義の方が業績は良くても、長い目で見れば義理と人情の方が業績はよくなると思います。

    なんとなくですが義理と人情はアナログで、実力主義はデジタルとも感じられます。 デジタルはてきぱきと何でも正確にこなしていき、そこに人間関係が入り込めずに希薄なモノになって行きます。 それに対してアナログは、大まかなことや不確かなこともあるけれど、ナントカなっていると言うことがあります。

    仕事において無駄と言うことはなく、それを「無駄だと認識する人」の方に問題があります。 お茶を入れる~コピーを取るなど、これを簡単な仕事だと馬鹿にする人は、出世していないと思います。 人に対してやるべき仕事の重要さの有無を強調する人は、ある程度までは成功できるのですが、足元をすくわれたり~足を引っ張られたりすると言う事態に陥るのです。

    千手観音様ではないので自分がナンデモカンデモできるわけではなく、仕事を分担して自分がするべきことと人に任せてもいいことを見極める。 それの判断ができない人ほど、簡単に思える仕事を馬鹿にして実力主義を高らかに歌うのです。

    人は機械ではなく、感情と言うモノがあります。 感情とは不確かではあるけれど、それをコントロールできずに人間社会が成り立たないくらい、肝心要の重要な部分なのです。

    あなたは実力主義と言う、人情を排除した世界で生きたいと思いますか?

    エヘ♪(*^・^)ノ ⌒☆(*^_^*)ポッ

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    涙の意味。

    私は男性に辛口のことが多いのですが、それは男尊女卑が日本にはあるので男性は楽に生きている現状があるからです。

    日本の会社の大多数は「同じ歳で同じキャリア」ならば、実力に関係なく男性の方が給料も役職も上と言うのが現実です。 出世の階段と言うのは、同じ段数ではなく同じ10段でも高さが違うと言うことになりかねません。 ひょっとしたら、階段とエスカレーターで競争している会社すらあるかもしれないのです。

    男性は軽く考えがちですが、女性が社内で出世した時や会社&お店を立ち上げる時の苦労と言うのは、男性とは比較にならないほどの重荷や足枷があるのです。

    女性が独立する場合に取引先を作ろうとしても、「女性は実績がないからね~。」と言って女性であることを不安の種にされてしまいます。 そして、どうにかこうにか契約まで漕ぎつけて、「さぁ、やるぞ!」と頑張っているのに、聞こえてくるのは「愛人になったんじゃないの?」とか「女の武器を使ったんだよ。」など、実力以外のありもしない噂話を撒き散らされるのです。

    それに引き換え、男性が独立する時には余程のことがない限りは銀行も資金援助してくれるし、取引先を見つけるのも少しばかりのお世辞とコネで「あいつはナカナカ見どころのある奴だ。」など、気に入られることが往々にしてあるので断然有利なのです。

    T○○○と言う会社がありますが、この会社で業績トップなのは20代後半の女性です。 彼女に契約を取らせてきたら、男性社員は軒並み返り討ちにあうくらいです。 これはT○○○の社内における風通しがいいのかもしれないのですが、彼女はお客様に対して「社に持ち帰って検討します」なんてことは言いません。

    まず、「わかりました。」と笑顔で言ってお客様にOKを出して、即会社に戻り上司や会社の方を説得すると言う即断即決の度胸があるのです。 これはまぎれもなく彼女の実力ですが、それは彼女がライバル会社に行けば地区の売り上げは40%減と言われるほどだからです。 しかし、それは男性社員の風当たりの強さや厳しさを乗り越えている、そういう実力があるからこその活躍だと思います。

    映画やドラマでリストラされた男性が立ち上がるというストーリーが多いのですが、ミジメな気持ちになるのは男性だけではないのです。 多くの働く女性も、ミジメな気持ちで仕事をしている時だってあるんです。 男性と女性が仕事をするスタンスは、明らかに違うのに同列に扱うから社会の歯車もおかしくなるのです。

    近年においては、女性が強くなったのではなく男性の理不尽な行動に耐えなくなっただけであり、我慢をするのが美徳なんて時代は過ぎているのに、いつまで経っても「女は我慢しろ」と言う考え方があるから人材を失うのです。

    わかりやすく例えるならば、結婚した夫婦が共働きの場合「家事をするのは女性」と言うのが当たり前のようになっています。 女性の場合は仕事でどんなに辛いことがあっても掃除や洗濯や料理をして、家庭内の仕事をきちんと果たさなければならないのです。

    男性の場合は「仕事が忙しい」と言うヒトコトでかなりのことが免除されるので、それだけでも生きていくのが楽です。 しかし、女性は仕事が忙しいから家事ができないと言ったなら、「じゃあ、仕事を辞めればイイ。」 いとも簡単に男性陣はおっしゃるけれど、それじゃ今の生活をどうやって維持していくのと言う計算もできていないのです。

    家のローンや車のローンに加えて子供の学費に旦那様のお小遣いと、次から次へと出て行く出費の中で、自分の働いた給料の中から野菜やお魚やお肉などを買って帰る。 そして帰れば帰ったで、風呂は? 飯は? あれはどこにある? まだやっていないのか? 次から次へと波状攻撃が来て、休むまもなく家事と言う名の二次労働に取り掛かるのです。 (彼&御主人は彼女や奥様に対する、日頃の感謝が足りないことに気付きましょうね。)

    ようやく1日の労働が全て終わり~ひと休みする時に何故かはわからないけれど、ひとしずくの涙がホオを伝わる時、女性がどういう感情なのかを男性はよく考えた方がいいです。

    男性の涙と女性の涙は意味が違うのですが、「男は泣いたらアカン!」と言うのは男性の甘えの構造からくる言葉でもあります。 それは、男性は泣かなくてもイイ場面が多いと言う恵まれた環境にいたかもしれないからです。

    しかし、女性が流す涙の中でも「1日の終わりに自然と涙がこぼれてくる」と言うのは、「絶望」を感じているからこぼれてしまう「絶望の涙」なんです。

    このままの生活が続くのかな?
    このまま年を取っていくのかな?
    このままわたしは…?

    こうやって未来が見えない時に悲しくなって自然と涙がこぼれてくると言うのを男性が気付かないままだから、「熟年離婚」とか「いきなり離婚届を突きつけられた」などと言うことになるのです。

    あなたが悲しい時には~涙がこぼれる時には、出尽くすまで流れるままにしておいていいんです。 ただ、涙が止まった時には悲しみの奥底にある、本当の意味を理解していないと自我が崩壊してしまうのです。

    「どうして涙が出てくるのかな?」と言うことを、心を落ち着けてから考え直してみると未来への希望が見つかるかもしれないのです。

    あなたは自然にこぼれる涙の意味を、自分の中できちんと理解していますか?

    (πдπ) シクシク

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    神田明神。

    おはようございます。 今日は月曜日なのでお仕事の人も多いと思いますが、素敵な笑顔で活き活きと過ごせる週の初めだから、あなたはきっと大丈夫だと信じています。

    昨日の午前中は個人向け出張の為、早朝出発~トンボ帰りで午後より鑑定を開始していました。 出張と言えば、5月の東京出張では神田明神へ行って見たのですが、私が宿泊している所からは山手線と総武中央線を乗り継ぎ、東京~秋葉原経由で神田明神のある御茶ノ水駅に到着です。

    なお、神田明神へ行くには駅の改札口側から直接はいけないので、一旦出てから左手にある聖橋を渡り反対側へ回るようになります。 実はこの橋を渡る時に進行方向左手にちょっとだけ森林があり、そのそばを通ると気持ち好い感じでした。 そして左手に東京医科歯科大学を見ながら真っ直ぐに進むのですが、ココで注意です。

    その直線道路を歩いていると、右手に立派な建物や神社らしい雰囲気の建物などがあるのですが、これは湯島聖堂&お茶の水公園なのでお間違えのないようにしてくださいね。 湯島聖堂は学問系の神社で、基本的に合格祈願向けの神社です。 ここは2006年に月9でリメイクされた、西遊記のロケが行われた場所でもあります。

    真っ直ぐに歩いているとひとつ目の大きな交差点を右に曲がりコンビニの前を通過すると、左手に神田明神が見えてきます。 明治神宫のように森林の間を歩くのではなく門をくぐるとすぐに本堂があるのですが、その最初に目に入る門構えが中国風?に思えました。 朱色に派手な模様や彫刻で遠くからでもひとめでわかり、なんか横浜中華街のような感じでした。

    神田明神は東京都千代田区外神田二丁目にある神社で、正式名称は神田神社と言います。 神の字が並ぶのですが、神田~日本橋~秋葉原~大手町~丸の内~旧神田市場&築地魚市場など百八の町からなる総氏神です。

    社伝によれば天平2年に武蔵国豊島郡芝崎村に入植した出雲系の氏族が、大己貴命を祖神として祀ったのに始まるとされています。 神田は元々、伊勢神宮の御田(おみた=神田)があった土地であり、神田の鎮めの為に創建されて神田ノ宮と称したようです。

    承平5年に敗死した平将門の首が京から持ち去られて当神社の近くに葬られて、将門の首塚は東国の平氏武将の崇敬を受けました。 嘉元年間に疫病が流行した時には将門の祟りであるとして供養が行われ、延慶2年に当神社の相殿神とされました。

    江戸時代に江戸城の増築に伴い現在地に遷座したのですが、それは江戸城の鬼門除け~江戸総鎮守として尊崇されていたからです。

    神田祭の山車は将軍上覧の為に江戸城の中に入ったので、別名「天下祭」とも言われていました。 ただし、当時は山車が中心だったのですが、明治に入ると電線の普及等により山車の数は大幅に減少したので、山車を使用していたのは当時の話です。

    江戸三大祭りの一つと言われ、現在の神田囃子は無形文化財に指定されています。 江戸初期に豪華な桃山風社殿が造営されたが、1923年に残念ながら関東大震災で焼失しました。 その後、再建されたのですが今度は1945年の東京大空襲がありました。 ただ、空襲では本殿や拝殿などの焼失を免れたので、一安心だったらしいです。

    明治元年に准勅祭社に指定されたが明治7年に明治天皇が行幸するにあたり、天皇が参拝する神社に逆臣である平将門が祀られているのはあるまじきこととされて、平将門は祭神から外されました。 (その代わりに、少彦名命が大洗磯前神社から勧請されました。)

    平将門の神霊は境内摂社に遷されたが、戦後になってから本社の祭神に復帰しました。 また、野村胡堂の代表作である銭形平次捕物控の主人公「銭形平次」が、当神田明神下の長屋に住居を構えていたと言う設定でした。 その為、敷地内に銭形平次の碑がありますが、銭形平次自体は架空の人物なので、江戸っ子の粋や洒落と考えた方がいいようです。

    祭神は3つの柱から成り、だいこく様~えびす様~まさかど様と言う三本柱です。

    なお、この神田明神を崇敬する者は、成田山新勝寺を参拝してはいけないと言われています。 これは当時の朝廷から見て東国(関東)において叛乱を起した平将門を討伐する為、僧寛朝を神護寺護摩堂の空海作と言われる不動明王像と供に現在の成田山新勝寺へ使わせて、平将門の乱鎮圧の為に動護摩の儀式を行わせたからです。

    即ち、成田山新勝寺を参拝することは平将門を苦しめることになるので、神田明神崇敬者は成田山の参詣をしてはならないとされています。

    なお、同じく平将門を祭神とする築土神社にも同様の言い伝えがあり、成田山へ参詣するならば道中に必ず災いが起こるとされています。 平将門に対する信仰心は祟りや厄災を鎮めることと密接に関わっていたので、昔からするなと言われていることに無理にチャレンジしないようにしてくださいね。

    神仏関係でよくある、女人禁制は女性不可~男子禁制は男性不可、このようなルールを守らずに運勢が悪くなるのは、本人の責任になってしまいます。 (ただし、これを読んでいる人で、神仏に挑戦なんて無茶をする人がいるとは思えませんが・・・。)

    あなたは神社同士のつながりや関係を、考えてみたことがありますか?

    ヘ(。□°)ヘ エッ??

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    価値観。

    時間だけが進んでいく中で「このまま老いて行くのかな?」と言うような先の見えない不安が出てきたら、それは自分の時間を見つめなおし始めた証拠です。

    人生には価値観と言うものがあり、その価値観とは自分の中の信念が作り上げるものです。 お金に重きを置く人は「貯金通帳のゼロが多い」と言うのが価値になり、自尊心に重きを置く人は「自分の言うことをみんなが聞く」と言うのが価値になります。

    人の人生において価値観と言うのは、考え方や年月により色々と変わるものであり不変ではないのです。

    昔の私はお金があれば幸せになれると思っていたし、いじめる人がいなければ自分は人付き合いが普通にできると思っていました。 しかし、それは大きな間違いであり、お金があっても健康でなければ幸せじゃないし、自分が誰かに必要とされる状態でなければ知人や友人は増えないのです。

    価値観と言うのは意外と人それぞれのこだわりがあり、これだけは譲れないと言う程ではないのだけれど、自分の価値観以外のことには興味を示せないのです。

    例えば、私はいじめや自閉症の件もあり友人や知人がひとりもいないので、小中高と同窓会にでたこともないし今後も出ることはありません。 おまけに親や兄弟には馬鹿にされて大きくなり、親族と呼べるような人はひとりも居ません。

    これだけを書くと私はとても不幸な感じがしますが、霊視カウンセラーになって以後に知り合った寄付の神様やN市のIさんなど、今までの不幸を挽回できる人たちと次々知り合えると言う幸運に感謝です。 (名古屋出張にしても、Iさんがいなければゼロに近い状態かもしれません。)

    それに何と言っても、毎日素敵なお客様と出会えると言うのは、人生において最大の幸運と呼べるのです。 誰にも相手にされない人生から~誰かの心に希望の光を灯せると言う道へ変更できて、自分の人生は意味のないものじゃなかったと言う幸せを感じることができるのです。

    笑ってくれたり~励ましてくれたり~元気が出たり、人と関わるというのはすばらしいことだと思えるのは、自分以外の誰かがこの世に存在しているからなのです。 自分にとっての価値観とは、誰かの心に希望の光を灯して元気や勇気が出るようにしてあげる、そのお手伝いができると言うのが「ものすごい価値あること」なのです。

    私は学歴もないし、頭も悪いし、何ひとつ取り得もありません。 お金もないし、車は持っていないし、住んでいる所は4畳半のアパートです。 外食なんてほとんどしないし、酒やタバコもしません。 しかし、「誰かと話ができる」と言う今の環境は、幸せじゃなくて「ものすごく幸せ!」なんです。

    人は生きる価値観を求めていると自分探しの旅にでたのと同じであり、少なくとも時間の無駄と感じている暇はありません。

    誰かと自分の距離感が遠くなるというのは、他の誰かとの距離感が近くなったということです。 時がいくら流れて行こうとも、自分の心の中の時間の経過は充実感が決めるものであり、タイムカードが決めるモノではないのです。

    価値観をどこにおくかで、色々な人との出会いが変わります。 自分はどういう人たちと出会いたいのかをキチンと決めておかないと、行き先が無いのに旅にでるようなものです。

    今の自分は岡山にいるのか、それとも東京にいるのか?

    出発点が決まったらゴールはどの辺かを決めて、それに向かってスタートすればたどり着けないことは無いのです。 どんなに離れていようとも、心の距離と言うのは一瞬で埋まることもあります。 自分がやりたいことに向かってスタートを切れば、その時間の経過を気にしている暇はありません。

    価値観の差とは人生の差でもあり、それによる満足とは自分だけのことであり、他の誰かにわかってもらおうとするモノでは在りません。 真っ白な雪や真っ青な空、これはどんな白色に見えているのかは人それぞれで、雪を楽しいと思う人がいれば~雪は大変だと思う人もいます。

    私は自分が豊かに生活するよりは、誰かの役に立つ人生を送りたいと思うから寄付するだけです。 他の占い師さんやスピリチュアルカウンセラーが寄付しなくても、それはそれでいいんです。 その人たちにとっての価値観とは自分の生活が価値観であり、それはそれで個人の自由だからいいんです。

    それと同じように私の価値観としては占い師は寄付をするのが当たり前であり、しないのなら言っていることとやっていることが違うと言われても仕方がないと言う思いがあります。 鑑定料は寄付(マザーテレサや盲導犬など)と言うのが私の価値観であり、更にお客様が笑顔になっていただければ嬉しいことなのです。

    お客様に対して占い師が上からモノを言うような、デカイ態度を取ってはいけないと思うのです。 (以上のことは、あくまで私の価値観であり、他の誰かに強制するものではありません。)

    あなたは自分の価値観を、どのあたりに向けていますか?

    ☆~あ(^ - ^) り(- ^ ) が(   ) と( ^ -) う\(^ 0 ^)/~☆


    お知らせ:出張の為、ブログの更新は26日(月)より再開いたします。 いつもお読みいただき、ありがとうございます。 m(__)m

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    あなたの翼。

    おはようございます。 素敵なあなたの笑顔で癒される人が大勢いる、人が生きていると言うことは誰かと関わりあいながら生きていると言うことなので、同じ生きるなら笑顔に包まれて生きている方が幸せだと思うのです。

    それは理想だと言われればそうかもしれないのですが、理想や志は高く持って夢に羽ばたいてもいいと思うのです。

    人が思う理想とは、考え方や性格により違うものだと感心するのですが、「年収5千万円以下の男はクズだ!」とTVで言い切る某女性タレントさんがいます。

    この女性タレントさんの場合はお金で買えない物はない~お金があって贅沢することが全てだと言う考え方なので、それはそれで悪いわけじゃありません。 個人の思想には自由があり、自分が責任を取るのならば発言してもいいと思います。 (自分の発言により、結局最後にはひとりで人生を終えることになっても、それは自分で選んだ道なのです。)

    ただし、「自分がお釣りを支払わなくてはいけない」時期がきた時に、過去の行いを忘れて「どうして自分は不運なのか」と思うのは虫がよすぎると思うのです。

    私自身が人の嫌がることを言って~揚げ足ばかり取っていたら、誰にも相手にされなかった。 こういう、誠に当たり前の現象が起きていたのに「どうして?」と考えていたのだから、今から思うと笑い話のようです。

    物事には+と-があり、それは同じようにやってくるからこそ公平感が保たれるのです。 苦労する人は苦労するばかり~楽しい時間を過ごす人は楽しい時ばかり、これでは不公平が是正されないと思うのです。

    しかし、マイナスの現象が起きなくても、誰かに喜びを与えるとか~誰かと喜びを分かち合うと言うような自分だけと言う考えがない人には、ちゃんと運命の御褒美があると思うのです。 それは、プラスは大きくマイナスは小さくと言う、ある意味公平なことが起き始めます。

    例えば、人には器があると言われますが器の大きさを決めるのは自分であり、その中身を満たすかどうかも自分が決めるだけなのです。

    仕事でも、派手な仕事や大きな仕事をしている人を見ると羨ましく思える時がありますが、それは仕事に対する冒涜なのかもしれません。 働いている人の位に上も下も無いと思うのですが、特権階級意識がある人は「自分の仕事が一番(自分が一番)」と言う考えの元に相手を馬鹿にすることが往々にしてあります。

    しかし、一生懸命に仕事をしている人に対して、このようなことを言う方が精神的未熟な中で生きていると思うのです。 別に通訳や翻訳など英語を扱う職業が人を見下していいほど偉いわけじゃないし、CMタレントと食事に行ったりすることが仕事のステータスになるわけでもないんです。

    コツコツと真面目にしている人の努力や生き様、私はそういう仕事も素敵だと思うのです。

    山村や農村で暮らす人に、きちんと手紙を届ける郵便配達の人。
    介護が必要な人の家を回り、色々なお世話をする介護士さん。
    夜中にみんなの生活の安全を監視する、警察官や消防士さん。

    このような職業は相手の幸せや奉仕の活動としても、充分にやりがいのある仕事だし~充分に誇れる素晴らしい仕事だと思うのです。

    人知れず誰かの役に立っている人たちのことを考えると、その人達がいるからこそ平和に生活できているだけであり、人間がひとりでなんでもかんでもできるわけじゃないのです。 私が思う仕事とは、しっかりと地に足をつけて~小さくても自分の手で抱きかかえていると言う方が大切だと思うのです。

    実現できない、大きな仕事の話。
    実現できる、小さな仕事の話。

    小さな仕事を馬鹿にする人が、大きな仕事を任せてもらうことはないし~大きな仕事を完成させたり成功させたりすることもないのです。 仕事をする上だけでなく人生においても重要なのが、「適当に色々なことをするよりも、少しづつでいいからきちんと成し遂げる」 この方が未来をきちんと作り上げることができると思うのです。

    自分を誰かと比べてしまうのは向上心があると言うことなので、それはとても良いことなのですが、比べることにより卑下したり~妬んだり落ち込んだりと、次から次へと考えてしまうようでは向上心が強すぎることになるのです。

    上を見てキリがなし~下を見てキリがなし、こういう言葉がありますが真をついた言葉かもしれません。 あなたより上がいても、あなたが向上心を持ち前に進んでいると言うことの方が、もっと大切だと思うのです。

    あなたには立派な翼(才能)があり、それにより空(夢)を自由自在に飛べるのです。

    ただ、翼を動かすのを躊躇っているだけなので、その気持ちさえ克服できたら過去を振り返ることなく、気持ちよく夢に向かって飛ぶことができると思うのです。 最初は怖いと思えた高さや景色も、慣れてしまえば素敵に気持ち好く感じ始めます。

    あなたに吹く風はそよぐ風であろうとも、向かい風よりは追い風の方が気持ちいいのと同じことであり、振り返っている暇はないのです。

    あなたの翼は、いつ羽ばたこうとするのでしょうか?

    o(^-^o)(o^-^)o ヤッター

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    モテル。

    おはようございます。 今日は良い天気なので、通路に置いているプーさんも光り輝いて御機嫌です。 お客様がお越しになるまでの間、事務所の掃除をするのは当然ですが空気を落ち着かせるのも必要だと思います。

    ココは占いの事務所にはとても見えないけれど、私は格式やミエはどうでもいいんです。 それよりもお越しくださるお客様が一歩踏み入れると、そこは心が落ち着く空間であると言う方が大事だと考えています。 ただし、人には考え方や言い分があるので、「そんなのおかしい、占いらしくない。」と言う人もいて当然です。

    人には「言い分」と言うものがありますが、お互い様と言うことも多いです。 自分が正しいと考えていることが相手にとっては正しくない、それはわかるのですが冷静になってみると、その逆も同じことなのです。 相手が正しいと思っていても、自分はその事象や出来事を認めるわけにいかないとなると、「正義」と言うのは100人いれば100通りになってしまいます。

    心理的に仕方ないのですが、頭に血が上るとつい自分の正義を振りかざしてしまい、人間関係が壊れてから「しまったぁ~?」と後悔することが多いのです。

    お店に例えるのなら「来店予約をキャンセル」された時に、その応対に人間としての深みが出ると思うのです。 何の職種でも業種でも同じですが、キャンセルすると言うのは「もしかして?」と言う相手の事情を考えてあげないといけないのです。

    ひょっとして、出かける前に子供が熱を出したかもしれないし、急に体調が悪くなったかもしれない。 予定通りに行く訳ではないのですから、「キャンセルされた」と怒る前に、「大丈夫かな?」とお客様の事情を考慮する方が先だと思うのです。

    キャンセルの電話があった時に、「いいですよ。 また、次に御都合の良い時にお越しくださいね。」

    こう言ったなら電話してきたお客様も、どれだけ心が救われるかと思うのです。 仮にキャンセルの電話が無くても、「電話しづらいのかな?」とか「電話できない事情があるんだろう?」と考えれば、キャンセルされたからと言って怒りは出てきません。 人の言い分と言うのは色々あるけれど、絶対にこれが正しいと言うのは無いのに、つい自分を中心で考えるから人との摩擦が起きてしまうのです。

    その摩擦を起こさない為にも、「モテル」と言うのがひとつのキーワードです。

    これは恋愛関係だけを言うのではなく、人間関係全体を見ても「モテル」と言うのはイイことだと思います。 男女の区別無く人付き合いが多ければ、人生を過ごす上で豊かになれる幅が広がります。 ただ、それを実行する為には面倒くさがらないことが必須条件です。

    例えば、恋愛をとっても恋に落ちるという瞬間には男女の差があるのですが、男性は女性の目を見て恋に落ちることが多いのです。 男性にモテヨウと思えば、まず相手の目を見ると言うのが出来るようになれば、「10人中10人」に無視されていた人が「10人中5人」と話しができるようになるというくらい、女性が男性の目を見るというのは効果的なのです。

    注:霊視で視ていると、この男性はこういう作戦で行けば落ちるな?とか、男性の恋愛に対する思考回路は、選択肢の幅がものすごく少ないのです。 電話やメールの有無~会う回数や彼の態度、解説していると30分では足りなくなります。 また、恋愛に対しては真実を言うのが正しいわけではなく、人として言わない方が良い場合もあるのです。

    世の中に恋愛指南本は数々あれど、効果があるのは一握りの人だけです。 実際に本の通りにして効果があるのならば、その本だけが売れてベストセラーになって以後の出版が止まる筈です。 しかし、次から次へと恋愛指南本が出ると言うことは、モテル為に~恋愛が上手く行く為に、更には結婚する為に「これ!」と言う定義や定番は無いのです。

    男性は同性の友達を作るのは簡単でも、異性の友達を作るのは難しい。
    女性は同姓の友達を作るのは難しいけれど、異性の友達を作るのは簡単。

    これはあくまでもひとつの例えであり、絶対の法則ではありません。 しかし、これに人付き合いをする為のキッカケ作りのヒントは隠されているのです。

    勇気を持つというのは、難しいことではなく挨拶をするように気軽なことです。 恋人関係と言うのではなく、知り合いになるというレベルであれば女性が男性と知り合いになるのはとても簡単です。 それは基本的に男性と言うのは女性に声を掛けられたら、表面的にはどう見えようとも嬉しくない男性はひとりもいません。

    女性に声をかけられると、つい嬉しくなるのが大部分の男性心理なのです。

    女性がちょっとだけ勇気を出して、「御飯を食べに行きませんか?」とヒトコト声を掛ければ、男性の10人中5人はOKします。 そうなると、その5人のうち1人はあなたをイイ人だなと思い始めて、あなたも相手をイイ人だなと思い始めます。 日本には1億2千万人以上の人がいて、そのうち6000万人以上は男性ですから、5人に1人の確立ならどれだけのチャンスがあると思いますか?

    恋の始まりは突然ですが、それは日頃の積み重ねが突然「花開く」だけです。

    素のままでいようと言うのはイイ言葉ですが、それと手抜きは別物です。 男女共に関係なく、髪型やメイクや服装に気を使い、更に清潔な状態にしておくのは当然のことであり、これをせずに「素のままの自分」と言っても、説得力はありません。

    もしも、モテタイと思うのなら~少なくとも人間関係を良くしたいと思うのなら、自分がされて嫌なことや自分が不快に思う人の真似はしないことです。 人は目から情報を得ることが多いので、嫌な人や不快な人を見ていると知らず知らずのうちに感化されてしまうのです。 運の悪い人やモテナイ人に近づかないのは、当たり前の防護策です。

    あなたは人間関係を良くする為の観察、そして行動がきちんとできていますか?

    ((( ^^)爻(^^ ))) ヨロシクネ~♪♪

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    由来。

    私は姓名判断をしろと言われればできますが、姓名判断が運命に直接かかわるかと言えば、関わるかもしれないし~関わらないかもしれないという程度です。

    それと言うのも、画数の数え方には流派により様々なので、これがそうだと言う規準がないからです。 それよりも素敵な名前をつけるのが一番であり、それは個人名でも社名でも店名でも、名前に関することなら共通する点なのです。

    ただし、余りにも変わった名前や国籍と言うのか~DNA上において変な名前はお勧めできません。

    実は名前により運命が変わると言うのは画数ではなく、発音においての方が重要なのです。 私が名前に関しての依頼を受けた場合は、画数ではなく響きの方が重要だと考えております。 (例えば、名前を書かれるのと名前を呼ばれるのでは、どちらが多いかと言えば明白です。)

    また、有名企業の社名を見ても画数から付けられたのは数えるほどしかなく、どちらかと言えば思想や信念や語呂合わせで付けられた方が多いのです。 有名企業をいくつか、社名に関する由来を書いてみたいと思います。

    「愛情(Affection)信頼(Confidence)節度(Moderation)の頭文字を合体させ、アコム(ACOM) になります。

    伊勢の「五十鈴川」からとって「いすゞ自動車」になり、京都市御室御所からとって「オムロン」です。

    折れるカッターナイフがヒット商品になり「折る刃⇒オルファ」で、高千穂光学は高千穂が神々のすむ山から取って名付けて~それを洋名のオリュンポス山にしてOLYMPUSとなりました。

    カキの煮汁から発見された「グリコーゲン」がもとになって「グリコ」で、セキュリティ(Security)とコミュニケーション(communication)の頭文字から「セコム」です。

    ラテン語の格言「Anima Sana InCorpore Sano」(健全な精神は健全な肉体に宿れかし)からアシックスとなり、創業者の田嶋一雄氏が作った田嶋光学機器の英語読みである、(M)achinery and (IN)struments (O)ptica(L) by (TA)shimaからミノルタです。 (稔る田の意味もあります。)

    「ぺんてる」はPAINTING+PASTELを合わせたものですし、「ソニー」はSONY SONUS(音)とSONNY(坊や)が合わさってSONYとなりました。

    美津濃は創業者である水野さんと出身地の美濃を合わせた造語ですし、サントリーは日の出ラベル「サン」に創業者名「鳥井伸治郎」を合体させてできました。 サンガリアは「国敗れて山河あり」がもとになる語呂合わせですし、サンリオはスペイン語のSanにRioを足して「聖なる河」と言う意味にして付けられました。

    ジャスコは(J)apan (U)nited (S)tores (Co)mpanyの頭文字を足したもので、シャチハタは名古屋城のシャチホコと旗を足した名前です。 バンダイは中国兵法書の萬代不易から取って~参天製薬は中国漢書の言葉から取り~資生堂は中国易経の言葉から名付けられました。

    ブリヂストンは創業者石橋正三郎さんの名前を英語読みにして、ブリッジ(橋)+ストーン(石)としました。 シャープはシャープペンシルがヒット商品になったから商品名が社名になり、ライオンも獅子印ライオン歯磨がヒットしたことから社名に、フマキラーは強力フマキラー液がヒットして~ハウス食品は即席ハウスカレーがヒットしたからです。

    ロート製薬は「信天堂薬房」時代に発売したロート目薬がヒットしたからですが、商品名の由来は目薬を開発したミュンヘン大学のロートムント博士から取りました。

    キヤノンは観音さまから取り「KWANON→CANON」になり正式名称はキヤノンで、ヤの字は大きい字で小さいャではありません。 花王は顔の石けんから取り顔→花王となり~テルモは体温計の英語thermometerをローマ字読みして付けられました。

    エドウィンはデニム(DENIM)のMをひっくり返してWにし、並べ替えをしてEDWIN となりました。 ちなみにボブソンは、アメリカの一般的な名前である「ボブにソン(損)」をさせるという意味からですが、これはアメリカの人が聞いたら洒落が効き過ぎかな?

    パイロット万年筆はセーラー万年筆のセーラー(水夫)に対抗してパイロット(水先案内人)と言うことですし、シチズンは世界の市民(CITIZEN)に良い製品とサービスを提供したいと言うことらしいです。

    以上の企業は全てそれなりに名前を知られている所ばかりですが、このように社名とは語呂合わせや感覚で付けた方がいいのかもしれません。 社名に限らず製品名でも同じで、モノは良いのにネーミングが好くないので売れないと言うのが往々にしてあり、ちょっと変えるだけでバカ売れなんてことは日常茶飯事です。 (商品名が変われば~システム名が変われば、相手の印象が全然違うのになぁ~と思うこともよくあります。)

    私が名付けるなら画数よりも、洒落が利いているとか~センスがイイと思われる社名や店名にすると思います。

    例えば、ヘアバンドや天然石のお店なら、「クリップストーン(留める+石の意味)」
    例えば、和風料理のお店なら、「和風 春夏冬(秋がないから商い中の意味)」
    例えば、ダイニングバーなら、「シックスグラディ(花言葉から6時に会いたいの意味)」

    すみません、センスがないのが丸わかりですね。 m(__)m

    あなたは社名の由来について、考えたことがありますか?

    ( ̄~ ̄;)??

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    コンプレックス。

    おはようございます。 昨日の午前中に東京より帰ってきて掃除などした後、午後より鑑定でした。 今回は神田明神などに行ってみたのですが、東京での話は日曜日にでも書こうと思います。 今回の東京出張は考えさせられることが多い実りのある出張で、私はまだまだ考え方や努力が甘いと思い知らされて、かなりコンプレックスを感じてしまいました。

    コンプレックスには色々な感じ方があるのですが、その中でも劣等感コンプレックスは誰も逃れられないのです。 どうして自分は駄目なんだろうとか~どうして自分はこんなことをしているんだろうなど、「どうして?」と考えはじめると次から次へと思い浮かんでくるのが、劣等感コンプレックスなのです。

    残念ながら社会においては、色々な差別が渦巻いています。

    その差別に意味はないし、根拠もなく人を蔑んで優越感に浸る。 それが人として良いことではないとわかっている人は、心を強く持ちさえすれば逆転の可能性大です。 同じ実力で~同じ年齢で~同じキャリアならば、出世するのは良い大学を出ている方と言うのが現実ではありますが、その現実と言うのも卒業証書に記されたことが通用する世界で生きているかどうかだけなのです。

    社会の良い面と悪い面~言い換えるなら長所と短所なのですが、学歴が優先されるのは事実ですが、実力もないのに天狗になっている人が優遇され続ける世の中でもないのです。

    人生のゴールは本人が作り上げたなら、いくらでも変えることができると言うのが私の考えです。 色褪せない情熱とともに、どんな道であろうとも進んでいくことができるなら、それはあなたの夢が叶うと言うことなのです。

    学歴がなくても成功した人は一杯いるし、学歴がなくても頭がイイ人は一杯いるのです。 私自身は学歴もないし、学校の先生や同級生にも知恵遅れと言われていました。 しかし、今はそんな風に見る人は余りいないですし、私の考えを「アホか!」と言う人も少なくなりました。

    学歴はなくても学問を続ける(大学には行かなくても独学を続ける)と言う、日頃の積み重ねを続けていく方が、人に認めてもらえると思うのです。 別に人に認めてもらう為にと言うのではなく、自分を裏切らない為に続けることが大事だと思うのです。 学問や勉強と言うのは、どれだけ真剣に向き合って続けているのかと言う部分だと思うのです。

    しかし、「頑張ったけれど、誰も認めてくれない…。」

    こう思う人もいるかもしれませんが、それにはひとつの例えがあります。 それはあなたに余裕がないから、褒めてもらえる部分を押し殺していると言うことです。 あなたが褒めて欲しいと思うのなら、まず相手のことや隣の人を褒めることが先決です。 あなたが認めて欲しいと思うのならば、まず隣人や知人を認めることなのです。

    最初はできないかもしれないけれど、いつもいつもそうしていれば癖や習慣になります。 良い習慣と言うのは自分の糧になり、いつのまにか自分の立つ位置を変えてくれているのです。

    人には能力(才能)と言うのが誰にでもあるので、時には「能力を出し切れていない」と思うことも多々あります。 いつも繰り返してしまう自問自答かもしれませんが、まず自分を振り返ることで今なすべきことを発見しないと、前に進めないまま年を重ねるのです。

    生きていると経験や体験はドンドンと積み重なりますが「謙虚~愛情~勉強」と、いくらでも自分の糧を増やすことができるのに、待ちきれずに飛び越えると後で後悔してしまうのです。 「どうして、誰も認めてくれないんだろう?」 こうなってしまうのは準備が足りないのに、実力以上のことをはじめてしまうからなのです。

    階段は一段づつしか登れないのに、飛ばしていったが故に必要なものを見落としていたかもしれないのです。

    周りの変化についていけないとか、自分の才能以上のことや力量以上のことを求められると言う場合は、自分を変える必要があります。 それは知識だったり~技術だったり~色々な面でのことですが、欠点は直せないのではなく「直さない」のです。

    「あぁする為には、コレコレが邪魔だ。」とか「こぅする為には、何々が足りない。」などと言い続けて直さない道を歩いていると、いつまで経っても同じ場所に留まることになります。 もしも自分の駄目な所を見つけて~それを認めることができたのなら、躊躇っているようでは進歩できないのです。

    迷ったなら、改善する。

    迷うと言うことは、このままでいいのかと言う自分への問いかけなのです。 その問いかけを無視していいわけがないのですが、人はついつい楽な方を選んでしまうのです。 ホンの些細なことであろうとも~ホンの少しの進歩であろうとも、何もしないままでいる人よりは前に進んでいるし、少しづつでも進んでいると言うことはいつかはゴールに到達できると言うことなのです。

    あなたは自分の欠点を見つめ直して、いつかはたどり着くゴールを創造できますか?

    (」゜ロ゜)」 ナント

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