徒然草(占い・岡山・東京・霊視)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    モチベーション。

    さて、昨日の続きですが、良い人材を得る為に必要な社長の条件とは「人材に対する考え方を変える」 つまり、人材観がものすごく重要になってくるのです。

    伸びない会社の社長が作る雰囲気とは決まっていて、「誰が飯を食わしているんだ」 コレに尽きるのですが、会社が給料を出してやっている~ウチの会社があるから社員は助かっているなど、こちらが選んでやっていると言う社長がいる会社は、社員の方々にとって辛くて苦しい居場所になります。

    某社長いわく、社員の側にも黒字社員と赤字社員の2種類が居ると発言したことがありますが、確かにそれは正論です。 たくさん働く人とサボる人が同じ給料ではおかしいし、会社に利益を齎す人と会社の経費を使いまくる人では、黒字と赤字の差が大きいと言うのもわかります。

    社長の言い分としてはわかる面もあるのですが、残念ながらホンのちょっとだけしかわかりません。

    会社が伸びる要因としては社長の戦略や力量もあるでしょうが、基本的に良い人材が社員とならなければ無理です。 現状のレベルをぶち壊してくれる人が入ることで、会社内のレベルが上がり~更にまたその上の人材が寄って来ると言う正のスパイラルにならなければ、会社が伸びることは決してないのです。

    しかし、鶏と卵の関係と似た所があり、会社に魅力があるから良い人材がくるのか~良い人材がいるから会社に魅力があるのか、その部分において人材に関する目を養わなければ社長としては失格です。

    口先だけの社長がよく言う言葉に「力のあるヤツには、ナンボでも金は出す!」 カッコヨク言った所で実力のある人は黙っていても高収入になっていくし、その上のクラスになるとお金では動かなくなります。 社長たる者、キチンと給料を支払った上でモチベーションを維持するようにするのは当たり前であり、目先のことしか考えないような人が何を言っても絵に描いた餅です。

    そのモチベーションを作る(保つ)為には、最低でも「環境と報酬」が必要です。

    まず環境と言うのは、働きやすい状態にしているのかと言う部分です。 コレは会社内にバーを作れとか、会社内にサウナやスポーツジムを設置と言うわけではなく、快適に働けるようにオフィスの内装に気を配りなさいと言うことです。 単なる事務机よりも、デザイン性豊かなイギリス製の机で仕事をしたら、働く人の心がどれだけ和むのかを考えないといけないのです。 ちょっと休憩するのでも、ペルシャ製のフカフカじゅうたんでフランス製の高級ソファに座って、しばらく目を閉じることができるだけでも、空間の豊かさに伴う心の充電が違ってくるのです。

    次に報酬と言うのは、労働したらキチンと評価しろと言うことです。 仕事をしても報酬が払われないのでは、いくら雇用されている立場とは言え頑張れるはずがないのです。 こういう話をすると「給料を出したいけれど、ウチも苦しいから…。」 必ずこう言い返してくるのが、できない社長の常套文句と考え方です。

    会社が社員に投資しないのなら、どうやって未来を作り上げることができるのか? (長期的視野がないから、目先の欲ばかり追いかけるのです。)

    私も色々な社長の「先立つものがない(お金がない)」と言う台詞を聞いてきましたが、そのわりには「社長室を持っているのは、どう言うことやねん?」 社長室を構える余裕があるなら、その分を社員への報酬に当てればいいだけであり、お金がないと言うのは「自分の取り分を減らしてまで、社員に払うのは嫌だ!」と言う考えが根底にあるからです。

    お金がないと言う社長を霊視すると、お金がないわりには「車や家にお金をかけている」のがとても不思議です。 そんな物にお金を出す余裕があるのなら、「ボロ家に住んで軽四に乗って」お金を回せばいいだけです。

    はっきり言ってモチベーションを高める内容(投資)と言うのは社員の為にすることであり、社長のモチベーションを高めるお金は一円もいらないのです。

    社長と言うのは会社のトップであり、自分の会社だからそれだけでモチベーションが高いのです。 自分のことだから当然一生懸命にするし、自分の会社だから愛着もあるのです。 しかし、それは自分のことだから必死でやるだけであり、自分の会社でもないし社長より給料の低い従業員の方にうるさく言うのは、社長の考え方自体が間違っているのです。

    社長の給料や財産はゼロで結構~ついでに社長こそ休みはゼロで結構ですし、その分を社員の為に投資をして未来へ未来へと道先案内をするのが社長の役目です。

    あなたは未来における自分の姿を、どんな社長に道先案内してもらいたいですか?

    ( ̄ー ̄)v ブイ!

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    社長論。

    先日マスコミを賑わした某社長の暴言「休みたいなら辞めろ」 これは経営者や役員と言う立場にある人に対しての言葉であり、社員や従業員の方に言う言葉ではありません。 社長と言うのは給料が高いのだから~自分の会社なのだから、自分自身は休むくらいなら辞めると言う考えでいいと思います。

    しかし、それを一律に当てはめて全員にそうしろと言うのは、能のない社長が言う話です。

    私は学生時代のバイトから社会生活における就職と言うものを含めて、こういう上司や社長の元なら楽しく働けると言う理想があります。 自分がされて嫌なことや自分が認められない悔しさや辛さを、「相手にさせてはいけない」と常に考えていました。

    経営者の人が相談に来たら、まず「従業員の待遇改善」と「お客様に対する姿勢」を一番に言うのですが、理解できずに怒って帰る経営者もいます。 しかし、コレが理解できない経営者は遅かれ~早かれの違いはあるにせよ、いずれは淘汰されていく運命です。

    今まで生きてきた経験だけでなく霊視的な側面から見ても、「社長とはこうあるべき」と言う私なりの社長論があります。

    このブログ上で会社経営に関しての話を時々していますが、会社が儲からないのは~会社が発展しないのは「社長の責任」 これ以外に原因はひとつもないのに「社員が~」「行政が~」「運が~」 言い訳させるとキリがないくらい色々言う社長(経営者)がいます。 しかし、こういう言葉しか出ないのを「できない社長」と言うのです。

    社長にとってまず一番に考えなければならないのは、会社を作ることではなく「存続させること」 会社を存続させられるなら、売り上げ規模や取引先の大きさなんかはどうでもいいことであり、社名でも制服でも戦略でも変えられることは全部変える姿勢でないといけないのです。

    さすがにITソフト提供会社を明日から魚屋さんに変更しようと言うのは無謀ですが、ITソフト提供会社からそれに加えて企業戦略の提供もする、ソフト+戦略の会社に変更するのは無理ではありません。 今までコレでやってきたから、今後もコレで行こうと言うのは時代遅れもはなはだしいのです。

    次に多い勘違いが「雇っている方が偉い。」 実力もないのに社長に君臨している、石頭社長&二代目社長に多い勘違いです。

    こんな考え方の社長では、会社の未来は暗いと言ってもいいのです。 会社と言うのは社長だけではやれませんが、「総務~営業~現場など」 色々な部署にいる人のおかげで会社が維持できているのです。 自分ひとりで何ができるかと言えば、何もできないのが社長と言う存在なのです。 社長は偉いと言う感覚と意識を捨てなければ、会社の維持はできても伸びることはありません。

    残念ながら「企業は人なり」とは掛け声だけなので、社長や経営者が偉いという勘違いに付き合う人が21世紀においては少ないのです。 この時代の変化についていけない社長が、いつまで経っても「良い人材がいない」と嘆いているのです。

    人材がいないと言う社長の頭の中を見てみたいのですが、コレだけ人材が溢れかえっている時代の中で人材がいないと言うのは、「私には社長としても器がありません。」と言っているのと同じです。

    今の日本では「高校~大学~専門学校~大学院」 これらの最終学歴がずらりと並び、海外のように小学校も出ていないとか、字の読み書きができないと言う人を探す方が難しいです。 つまり、今の日本では良い人材はいくらでもいるのに、その人材と巡り合えないレベルだと自分で言っているようなものです。

    できない社長が言うことは決まっていて、人材と言う名目において一番に希望するのが「ワシより仕事のできる人間を採用してくれ(探してくれ)!」 こういう馬鹿な話をする人が社長になっているから、転職する20代~30代の人が後を立たないのです。

    人を採用する時の基本原理として「その会社の社長よりも優れた人材は取れない」と言うのが大原則なのです。 こう言われるとワンマン社長や2~3代目のボンボン社長は、「いやぁ~、そう言われると参ったなぁ~(笑)」などとニヤケル人が多いのですが、コレは別に褒めているわけではありません。

    冷静に考えればわかるのですが、社長より実力や能力のある人が「おとなしく付いてくる&会社内に収まる」 なんてわけがないのです。 それにできる人と言うのは使いにくいものであり、仕事のできる人は「できない社長」には使いこなせないのです。

    わが社には良い人材がいないとか~ワシのところにはレベルの低いヤツしか来ないなどと言っているのは、社長自らのレベルが低いから当たり前だと言うのが全然わかっていません。 まさに「休みたいなら辞めろ」と言うような考えの社長が、それに当てはまるのです。

    会社の空気と言うのは、社長の日頃の言動や行動が社員に対して有形無形のプレッシャーとなり、作り上げてしまってカチカチに硬くなっているのです。 会社の文化とは社長の意識レベルが作るもので、会社内の文化レベルが低いのは100%社長の責任です。

    良い人材が集まる~もしくは集めたいと思うのなら、これからの社長に求められるのは…?

    長くなりそうなので、明日へ続くです。

    ごめんなさい。 m(__)m

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    記録より記憶。

    自分が将来どのようになっていたいのかと言うのは、心の中にある自分像だけが描くものであり、それは漠然とした未来もあれば~はっきりとした未来もあります。 将来の自分を考えてみた時に、サザエさんやちびまる子ちゃんのような家族像を思い描く人もいれば、セレブ生活で非日常的な生活をイメージする人もいます。

    なりたい自分に人は成っていくものですが、なりたい自分が無ければ未来が無いのと同じです。 歳を取るだけなら健康でいれば歳を取れますが、どうなっていたいかという自分像がなければ、やりがいや生きがいなどの充実感と言う部分で、心に空洞ができてしまうのです。

    スポーツ界では度々使われる言葉ですが、「記録に残る選手よりも、記憶に残る選手になりたい。」 これはひとつの正解だと思うのですが、成し遂げた功績は評価としては価値がありますが、それが人の脳に刻み込まれるかと言えば必ずしもそうではありません。

    記憶に残ろうとすれば、数字的なものでは残れません。 数字だけでは凄いことはわかっていても、記憶に残るのではなく記録と言う情報がPCや本などにストックされるだけなのです。

    記憶と記録のことを言えば野球における野村監督と長島監督、もしくは新庄選手とイチロー選手などの言い回しになります。 実績を言えば野村監督の方が上でも、マスコミが取り上げるのは長島監督の方です。 大リーグでも実績ではイチロー選手の方がはるかに上なのに、新庄選手は記憶に残るようなことをして成績と実力の差を埋めていました。

    サッカーでも同じことであり、中田選手など今の選手の方がはるかに海外実績や選手実績が上なのに、いつまでもキングカズと呼ばれる三浦選手がいるのです。

    自分の持ち味を活かして、その持ち味により評価されるにはどうすればいいのか。 コレを日夜考えている人は努力を努力とも思わないで、自分がやりたいことをして輝けるようになるのが自分自身に対する評価なのです。

    一流の証明と言うのは、「勝って騒がれるよりも、負けて騒がれる」 これなのです。

    スポーツ選手だろうと企業戦士だろうと同じことなのですが、勝負に勝ったり~好成績をあげて騒がれるようでは、それは実力がないと言うことなのです。 スポーツにおいて連戦連勝ならば、負けたらその瞬間に「あぁ、ついに負けたのか…。」とマスコミで騒がれます。 企業戦士でも次々とヒット企画を飛ばしている人が失敗すれば、「あいつも、もう駄目か…。」 今まで積み上げてきた実績や功績が一瞬にして忘れ去られて、失敗したことが大きく噂されてしまうのです。

    つまり、勝って騒がれたり~営業成績が良くて評価されると言うのは、その実力がフロックであると言う裏返しの評価なのです。

    あなたには実力も才能もあるし、その上に運の後押しもあるのに前に進まないのは勿体無いと思うのです。 社会通念上のことを言えば、良い大学を出て~良い会社に入って~良い家庭を持ってなどと、延々と良い○○と言うのが続いていきます。 それはそれでひとつの生き方だし、悪いわけじゃなく安定と言う意味ではとても正しい道だと思います。

    それに比べて、漫画家になりたい~ロック歌手になりたい~ダンス教室を開きたい、こういう未来を描いている人は、世間的には不安定な道を歩んでいるように思えます。 しかし、安定と言う言葉ほど不安定なものは無いのです。

    確かに漫画家やロック歌手というような自分が夢とする道は、不安定で不確かなものかもしれません。 ただし、その不安定な道の先には「夢」と言う宝箱が待ち受けています。 たどり着けないかもしれないし、たどり着けたところで宝箱を開けることができないかもしれません。 例え、開けることができたとしても中身は空っぽかもしれません。

    だけど、溢れるほどの宝が入っていて、開けた途端に幸せになれるかもしれないのです。

    先行き不透明だとか~将来への不安だとか、そういう気持ちはわからないでもありません。 人はお金が無いと生活できないし、食物や水分を取り新陳代謝を繰り返していかなければ、生物としても生きていけません。

    ここでよく考えないといけないのですが、社会通念上の安定と言うのは「とりあえず」ということでしかありません。 先行き透明な時代や絶対に潰れない会社と言うのが過去を振り返ってみても、人類発祥よりありえないのです。 どんなに大企業でも倒産する可能性はあるし、どんなに良い大学を出ても良い人生を送れるとは限らないのです。

    あなたには可能性があるからこそ、夢へとチャレンジしていただきたいです。 生活の不安や将来への不安はあると思いますが、チャレンジせずに行動していれば安全というわけじゃないのです。

    あなたは記録と記憶、どちらを大切にしたいですか?

    ?(ロ_ロ)?

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    明治神宫。

    先週の今頃は東京出張でしたが、ノートPCを持っていない私は事務所以外では更新ができないので、先週の日曜と月曜はブログ更新をお休みしていました。 今後も東京など各地に出張した時には、ブログの更新ができないと思いますので申し訳ありません。 m(__)m

    4月より東京出張は2日間にしているのですが、土曜日の午前中は倉敷事務所にて鑑定していました。 その後すぐにお昼の新幹線で東京へ行って到着後、今度は東京会場での初日鑑定と言うスケジュールでした。 さすがに掛け持ちでやると時間もあっと言う間で、終了後はコンビニでお弁当を買ってきて1日目は終わりました。

    事務所と違うので掃除もブログ更新も出来ないので、2日目の午前中は完全にフリーな時間ができたので久々に明治神宮に行ってみました。 私は元々、明治神宮がラッキースポットだったのですが人込みの多さに嫌気が差してしばらく行かなかったのです。 しかし、今回は2泊するので日曜日の午前7時頃に行ってみると、さすがに人は少ないのでゆっくりとお参りできました。

    明治神宮とは渋谷にある神社で、初詣では例年日本一の参拝者数を集めると言われ、明治天皇と昭憲皇太后を祭神としています。 なお、正式な表記は「宮」の「呂」の中間の線が入らない「明治神宫」です。

    明治45年に明治天皇が崩御されて立憲君主国家としては、初の君主の大葬でした。 しかし、その死に関する法律はまだないので、なんらかの記念&紀念とする為の行事が計画されました。 続いて大正3年に皇后であった昭憲皇太后が亡くなると、その遺徳を偲ぶ国民から夫妻を祭る神社を求める機運が高まりました。

    これを受けて政府は神社奉祀調査会を設置して審議を始め、大正天皇の裁可を受けて大正4年5月1日、官幣大社明治神宮を創建することが内務省告示で発表されました。 明治天皇が「うつせみの 代々木の里は しづかにて 都のほかの ここちこそすれ」と詠んだ、代々木の南豊島世伝御料地を境内地として造営が行われ、大正9年11月1日に鎮座祭が行われました。

    ちなみに、この御料地は以前近江彦根藩井伊家の下屋敷で維新後に召し上げられた土地です。 面積約70万平方メートルの境内は、ほぼ全てが全国青年団の勤労奉仕により造苑整備され、現在の深い杜の木々は全国よりの献木を青年団が植樹したものです。

    また、本殿を中心に厄除や七五三などを祈願を行う神楽殿、明治の宮廷文化を偲ぶ宝物殿、御祭神の大御心を通じて健全なる日本精神を育成する至誠館などがあります。 明治神宮外苑は明治天皇と昭憲皇太后の御遺徳を永く後世に伝える為、民間有志により結成された明治神宮奉賛会が広く国民より募った寄付と全国青年団の勤労奉仕によって造営されました。

    昭和20年の空襲の際に社殿のほとんどが消失したのですが、昭和33年に再建されました。 第二次世界大戦後は宗教法人神社本庁の被包括宗教法人となっていましたが、平成16年に神社本庁との包括関係を解消し単立神社となったようです。 近年の初詣では大晦日から正月三が日の間で、約300万人前後にものぼる日本一の参拝者を集めています。

    敷地は内苑と外苑に分かれており、内苑には日本各地や朝鮮半島&台湾からの献木365種約12万本が計画的に植えられています。 昭和45年の調査時には247種17万本となっていて都心部の貴重な緑地として親しまれているだけでなく、人工林が自然化したものとして注目されています。

    明治神宮造営局の技師らは大正10年に明治神宮境内林苑計画を作成して、現在の生態学でいう植生遷移(サクセッション)が、このとき構想され林苑計画に応用されています。 当初多様な樹種を多層に植栽することで、年月を経て極相林(クライマックス)に到達すると言う手入れや施肥など皆無で、永遠の森が形成されることを科学的に予測され実行されたのです。

    これが日本における近代造園学の創始とされているほか、大相撲の横綱推挙式(横綱昇進時)が行われる場所でもあります。

    久しぶり(約一年ぶり)に行きましたが、森林の間を歩いている感じは他にはない部分なので、身体的にも精神的にも気持ち好かったです。 この広大な面積の森林があれば都会の中のオアシスとなり、人々の憩いの場にもなるし観光の名所にもなるはずだと思いました。

    その後はデパートなど(高島屋~伊勢丹~松坂屋など)を見て歩いたのですが、色々な面で勉強になります。 私は物を買うわけじゃないけれど、ウインドーショッピングは結構好きなのです。 流行のデザインはどうなのか以外にもサービス体制(接客など)や展示方法や品揃えなど、歩いているだけでも自然と見るべきところや勉強になる部分はものすごくあります。

    歩いていてふと気が付いたのですが、銀座にお店を出そうと考えている人がいるなら私のお勧めは、JR新橋駅に程近い「銀座7丁目から8丁目にかけての中央通り近辺」がイイと思います。 和光や三越がある銀座3丁目から4丁目付近は2~3年先を視た時に寂れることはないけれど発展しないと思います。 また、並木通りは発展どころか、ひょっとして衰退する可能性が…。

    私がココに書いている地域は、2~3年先を視た時に買いだと思います。 ただし、アヤシイ?霊視カウンセラーの単なる独り言ですが…。

    なお、東京出張は交通費や宿泊費や会場経費などで約1~2万円の赤字ですが、1~2万円で新幹線に乗ることができて~おまけに東京へ2泊できた、こう考えれば金銭面では赤字だけれど~体験したことが私自身の黒字になると思っています。

    あなたは目先の赤字ではなく、将来の黒字に目が向いていますか?

    ☆⌒(*^-°)v Thanks!!

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    嫉妬。

    おはようございます。 先月末に入れ替えたお花達が枯れてきたので昨日の午後、事務所内にあるお花達の模様替えを行いました。 今回チョイスしたのは、アルストロメリア~黄色のバラ~シンビジュウム~スプレー菊~カラーの5種類です。

    簡単に花言葉を書くと「アルストロメリア=幸福な日々」「黄色のバラ=美」「シンビジュウム=誠実な愛情」「スプレー菊=真実」「カラー=清らかな愛」 全部の意味を書いていると長くなるので、抜粋して一部分の意味だけ書いてあります。

    このようにお花を生けるのも心の平穏を保つひとつの方法ですが、人は生きている以上はどうしても感情に左右されてしまいます。 例えば、嫌いな人と一緒に仕事をする場合と好きな人と一緒に仕事をする場合では、心の張りが全然違ってくると言うのも人間としての証しです。

    人は自分のことを弱いと思ったり~自分のことを嫌になったり、何故か自分が正しくても自己反省をしてしまうものです。 しかし、成長する人ほど自分の人生を振り返り過去の反省や償いをして、どうすれば自分はもっと良いようにできるのだろうと考えます。 自分勝手な生き方をしたりプライド高くて相手のことを考えない人は、過去の反省なんかしないので自分を嫌になったりしません。

    人の心とは、壊れやすい小船で大海を航海しているようなもので、嵐がきたり凪になったり~追い風や向かい風など、さまざまなことがふりかかってきます。 ところが、いかに小船と言えども舵は与えられているので、右に行ったり左に行ったり進行方向は自分で決めることができます。

    神様が意外と公平なのは、波のまにまに流されないようなチャンスはキチンと与えてくれているからです。 強い人ほど波にあらがい舵をそちらに取るのですが辛いのは一瞬で、そこを過ぎると凪の海で太陽の光と共に青空が澄み渡っているかもしれません。

    真に生きると言うことは、どんなに辛くても自分の手で舵を取り続けるということかもしれません。

    命には限りがあり、同じ生きていくなら自由な生き方が理想だと思います。 人は自由を求めるものですが、自由とは規則の上に成り立つものであり無限ではなく有限です。 限りある命が持つ最高の自由とは何かを考えると、人により答えは違います。 家や車やお金などの物欲を示す人もいれば、健康など人間が持つ本来の機能を求める人もいるでしょう。

    この世に生まれてきてから死んでいくまで、人には基本的に自由が与えられています。 どこへ行こうと何をしようと人に迷惑をかけるようなことをしない限りは、誰もあなたの行動に制限は掛けません。

    学生時代の気にいらないと言うのは、卒業と言う儀式と共にお別れになります。 会社で気に入らない人が居ても転職や独立により、その人と一緒に居なくてもイイ状況を作り出すことができます。 このように自分で自分の行動にブレーキをかけることはあっても、誰かが明らかにあなたの人生を邪魔すると言うのは、余りありえないのです。

    人が動物と違うのは言語や感情など色々な所で違いを見出すことができるのですが、「自分自身の状況によるつながりを大切にしないのなら、それはもはや人である資格はない。」 知の巨人ゲーテの言葉に、このように書いてある一説があります。

    この言葉の意味は、もしも自分が自由であろうとするならば様々な感情と向き合うことで苦しみや悩みを堪能して、危機は自らの力で乗り越えてこそ真実があると教えてくれています。

    また、もうひとつの隠れた意味として人はひとりで生きているわけではないので、いつどこで誰とどうなるかわからないのだから、むやみやたらと人とぶつかり敵を多くするなと言う意味でもあり、自分が誰と関わることでどうなるかわからないと言う未来の不確定さも表しています。

    人は人を愛することで、争いやいざこざは避けられます。 人は誰かを愛している最中に、他の誰かを憎む気持ちにはなれないのです。 別に周りの人を今すぐに好きになれとは言いませんが、心に好きな人を存在させるだけで誰かに対して怒る気持ちは減るのです。

    例えば、表面的な愛しか知らない人は嫉妬心が燃え上がりやすく、恋人が自分以外と口を利いたら許せなくなるかもしれません。 しかし、相手を信じて深い愛を持っている人は、恋人が他の異性と挨拶したくらいで怒ることはありません。

    注:男性を例に取ると、自分の奥様&彼女のケイタイ(メールやメモリーなど)を全て確認の上、友人や知人と縁を切るように命令するような男性と結婚したなら辛い人生になるかもしれません。

    愛するが余り嫉妬が沸き、相手を傷つけるというのは、心が成長していないがゆえに起こることで、成熟するに従い相手に対する真の深い愛情と言うものを理解できるようになるのです。 本当に相手を愛する気持ちは、憎んだり嫉妬したりする心とは相容れないのです。

    あなたは相手を愛する余りに、疑いや嫉妬の部分を持ったことはありませんか?

    ヽ(~~~ )ノ ハテ?サテ?

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    シンデレラ。

    「シンデレラ(Cinderella)」と言えば童話のひとつで、この話や名前や題名を聞いたことがある人も多いと思います。 もうひとつの呼び名として「灰かぶり姫(はいかぶりひめ)」とか「サンドリヨン(フランス語でCendrillon)」 とも言われています。

    この童話は、実は2通りあります。 ひとつは「グリム兄弟」によるストーリーで、もうひとつは「シャルル・ペロー」によるものが知られています。 ところが、○○にも「掃灰娘」というほぼ全てが○○○の話があるのですが、どちらかと言えば古くから広い地域に伝わる民間伝承系の童話です。

    日本で有名なのは、実は「シャルル・ペロー」が作ったシンデレラの方です。

    簡単にストーリーをお話しすると、シンデレラは継母とその連れ子である姉達に日々虐められていました。 ある夜に城で舞踏会が開かれ姉たちは着飾って出ていくが、シンデレラにはドレスがありません。 舞踏会に行きたがるシンデレラを「魔法使い~ネズミ~母親の形見の木」などが助けて準備を整えますが、12時には魔法が解けるので帰ってくるようにと警告されます。

    シンデレラは城で王子に見初められますが、12時の鐘の音に焦ったシンデレラは階段に靴を落としたまま姿を消します。 王子は靴を手がかりにシンデレラを捜しましたが、シンデレラの落とした靴はシンデレラ以外には誰にも合いません。

    そして、ついに靴の合う本物のシンデレラは王子に見い出されて、お后として迎えられて幸せになるのです。 このガラスの靴を履かせてカボチャの馬車に乗せると言うモチーフを考えたのが、フランスの文学者「シャルル・ペロー」なのです。

    ちなみに、グリム兄弟が作ったシンデレラの方はどうかと言えば、魔法使いもカボチャの馬車も登場せず、白鳩が主人公を助ける話です。 美しいドレスと靴を持ってくるのは白い小鳥で、ガラスの靴ではなく最初の夜は銀の靴~次の夜は金の靴です。

    また、シンデレラの靴が階段で脱げたのは偶然ではなく、王子が階段にあらかじめ接着剤のようなものを塗っておいたからです。 そして靴に足を合わす為に姉たちは、ナイフで足(長女が爪先、次女は踵)を切り落としますが、ストッキングに血が滲んで見破られます。 シンデレラの結婚式に出席した姉二人は両脇に座りますが、シンデレラの両肩に止まった白鳩に復讐として目潰しされて物語が終わります。

    注:グリム版は改定を繰り返しているので大まかなストーリーを書いていますが、グリム童話の原作を子供達に見せるのはちょっときついかもしれません。

    なお、シンデレラの話を基にして惨めな境遇から、ちょっとしたことがきっかけで成功をつかんだ人(特に女性)を、「シンデレラストーリー」と言うようになりました。 このようなシンデレラストーリーと言われる嘘のような誠の話、これは意外と世間では多く溢れているのです。

    これは私のお客様の身の上に起こった、笑顔でいる正直者には運命が後押ししてくれると言うお話です。

    ある会社で働くA子さんは某企業の総務部にて、毎日真面目に働いている笑顔の素敵な女性です。 生まれは普通の家庭で育ち、学歴やその他が特に優れているわけでもありません。 しかし、仕事は真面目に取り組んで、常に笑顔でいることを心がけていました。

    入社して3年を過ぎる頃より総務と言う部署のせいもあり、ちょくちょくB社長と顔を合わせるようになりました。 ただし、B社長にはちゃんとCさんと言う彼女がいるので、A子さんは恋愛感情を抱くことなく社内業務としての関わりを続けていました。

    しかし、人と人と言うのは度々顔を合わせていると愚痴のひとつもこぼすようになったり、
    プライベートなことを言うようにもなります。 B社長もA子さんに会う度に、Cさんのことや家族のことなどを少し話すようになりました。

    しばらくするとB社長から「キミは○○についてどう思う?」などと、時々ですが社内外のことについて相談されるようになりました。 A子さんは社長のようなお金持ちではなく普通の家庭に生まれ育ったので、気取らず自分なりの答えやアドバイスをしていました。

    例えば、ポイントカードはこういう感じで使えばお得とか、旅行はこうやって割引すれば安く上がるなど、お金持ちのB社長が関わりの無い世界の話もしました。 このような節約術はA子さんには普通ですが、お金持ちのB社長にはとても新鮮に感じられていました。 それと言うのもB社長の彼女Cさんは、「あれ欲しい~これ欲しい」ということが多く、プレゼントや記念日には仕事の合間を縫って用意しないといけないので、結構大変だったのです。

    そしてクリスマスが近づいたある日の午後に、B社長はA子さんに「Cさんへのプレゼント、何がイイかな?」と相談すると、A子さんは「社長の心がこもっていれば、物の値段でありがたみが増すわけではありません。 本当に社長のことが好きなら、プレゼントは必要ないと思います。」 ニッコリと笑顔で、こう答えました。

    はっきりとそう言われたB社長は面食らって、「キミは面白いこと言うね…。 ところで話は変わるけれど、キミは私のことを会ってみてどう思う?」 A子さんは「社長とは会社でしかお会いできませんが、お話しするのはとても勉強になります。 また女性としても、社長のような男性とお会いできるのは嬉しいです。」 再び笑顔で、こう答えたのです。

    B社長も会社を自分で立ち上げたくらいですから、自分が付き合っているCさんとA子さんの違い、言うなれば心の中で何か感じる大きな違いに気付いたのだと思います。 その後、Cさんと別れたB社長はA子さんに正式に交際を申し込んでA子さんは今、B社長の奥様として公私共に支える存在になっています。

    あなたはシンデレラストーリーが、現実にあることを知っていますか?

    o(^-^o)(o^-^)o ホントだよ~

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    夢の糸。

    人生とは一筋縄ではいかないモノですが、その入り組んだ中から一筋の細~い夢の糸を見つけて、それを途中で切れないように引き寄せていくのが難しいのです。 その糸が切れてしまうと最初からやり直さなければならないし、切れないように弱く引っ張っているといつまで経っても手元に来ないのです。

    夢と自分の関係は、この糸を引っ張るのと同じことです。 強く引っ張ると切れてしまうから恐々として、いつまで経っても掴むことができずに悶々としてしまうのです。 あなたが何か行動をしようとした時、本当に敵となるのは自分の中にいる「もう一人の弱気な自分」だと思うのです。

    「出る杭は打たれる」と言う言葉の意味を、少し考えてみてくださいね。 出る杭が打たれるというのは周りから見て「邪魔になる~目立つ」など、あくまでも周りの都合で叩かれるのです。 叩かれたくないと思っていると、それは周りに迎合してしまっていると言うことです。

    残念ながら、「杭になる人」と「杭を叩く人」では、杭になる人の方が出世したり~成功したりする可能性が大きいのです。 杭になる人と言うのは、実は何かをしたから叩かれるわけではなく、その存在自体が疎ましく思われていることが多いのです。 疎ましく思われると言うことは、もうすでに充分な輝きを放っているということなのです。

    基本的に杭となる人は集中砲火で常に攻撃の手にさらされているのですが、それは大多数の意見に流されないからです。 杭を叩く方の人にはいくらでも代わりはいるけれど、杭となる人の代わりはいないから、「叩いておけば、もう出て来ないだろう」と言う、寄らば大樹の陰みたいな考えになるのです。

    杭となるのは敵を作ることでもありますが、味方を作ることでもあります。 それは自分の考えを鮮明にしておけば、敵ばかりじゃなくて認める人もひとりくらいは出てくるからです。 つまり、杭は杭と仲良くなり~打ち手は打ち手と仲良くなるのです。

    杭となって誰かに嫌われたらしょうがない、それは元から考え方が合わないのだとあきらめた方が早道です。 自分が何かしたから嫌われたわけじゃなく、元々嫌いなのだからどうしようもないのです。 むやみに敵を作らなくてもいいけれど、自動的に敵となる人が存在するのも事実なのです。

    それでは、叩かれた時や嫌われた時の対処法はどうすればいいのかと言えば、基本的に逆らわないが最善で、逆らってくれないと困るのは相手の方なのです。

    コレは不思議なのですが、無抵抗の相手にしつこく攻撃を加えると逆のことが起きてきます。 簡単に言えば、「謝る~逃げる~認める」 心の中ではどう考えてもいいから、表面的にでもしておけば相手はやり場がなくなります。 このような状況になると「負けた…。」 こう思う人もいるかもしれませんが、それはあくまで他人の評価であり、当事者間でどう思うかではないのです。

    逆らえば敵とみなされるけれど、「謝る~逃げる~認める」をされると、とりあえず敵ではないと認識させられるのです。 コレで打ち手のプライドは満足して、「俺が正しい」とか「俺が勝った」と勝手に自己満足してくれるので、大いに勘違いさせておけばいいのです。 あくまで「敵ではない」と言う意思表示はしてあるけれど、「味方です」と言う意思表示も一切していないからです。

    実は打ち手となる人は「非常に扱いやすい」のですが、それは自己満足とプライド以外に自己表現がないから「俺は偉いだろう」と言う部分だけ注意すればいいからです。 そこで今度は自分に置き換えてみると、コレが勉強や学びとしておおいに反面教師になるのです。

    自分の立場としては迎合してくる人の意見ではなく、敵対する人の意見を聞いておけば「自分の至らない点」を自然と修正できるようになるからです。

    難癖をつけてくる人と言うのは、相手のミスを見つけようと言う考えで毎日生きています。 人の揚げ足を取ることに全力を注いでいるのだから、自分のいたらないところやミステークの部分を自動的に探してくれると考えればいいのです。 人のアラ探しが上手い人は足りない部分を見つけてくれる、授業料の要らない先生です。

    敵となる人を「教師」として見るくらいの度量ができれば、あなたの成長の度合いはものすごく早くなると思います。 このように学ぶ人と学ばない人では成長の速度が倍ではなく、二乗~二乗と言う速度で進みはじめるのです。 目の前にある夢の糸を早く見つけないと、周りがどんどん進んでいく中で自分だけが取り残されてしまうかもしれないのです。

    あなたは夢の糸を今と言う時の中で、どれだけたぐり寄せていますか?

    ?\(。・_・。)/?わーいっ?

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    人を見る目。

    昨日は光市母子殺害事件の判決が出ましたが、本村さんの気持ちを考えればこれでいいと思います。 正義とは人により違うので色々な意見はあるでしょうが、これは本村さん一家に起きた事件であり、被害を受けていない他人がとやかく言うことではありません。 自分が同じことをされても相手を無罪および減刑にしてくださいと言えるのなら、その人は神の領域にある人格者だと思います。

    根底にある「他人事だから気軽に言える」と言う深層心理で相手の気持ちも考えずに、あぁだこぅだと言うような人生を送りたいと思わないのです。 私のお客様の中に警察や検察の方がいるから言っているのではなく、本村さんが過ごした9年と言う時間の中で受けた心のダメージの深さを考えてみて欲しいのです。 これも考えずに自分の頭の中にある正義を中心にして、勝手に論じていいことではないのです。

    こう言う時には人を見る目と言うのが必要だと実感するのですが、人を見る目と言うのは鍛えられると言うのが私の見解です。 人を見る目と言うのは厳しい世間や人生を生き抜いてきた人の場合は、かなり的確で鋭いモノがあります。 しかし、学校の先生とか会社の人事部など、特定の守られた場所にいる人にはほとんどありません。

    残念ながら書類で人の価値を決めるのが会社や学校という場所なので、良い大学を出ていたら優秀と判断します。 しかし、本当の人間の価値や才能はそれだけで決まるわけではなく、相手の良い所を見つけると言う意識があれば隠れた素晴らしいモノを見つけ出せるのです。

    私は自分がいじめられたり~差別されていたので、人を見かけで決め付けてはいけないと言う気持ちがものすごくあります。 それに加えて人の成長と言うのは、本人の努力次第でスピードが全然違うので、人として成長した時の素晴らしさをわかっているからです。

    注;私は建設現場時代に約半年間、○○や○○をして○○○から出てきた人達と現場が一緒でした。 私が担当した某ビル建設の某場所に約30人いて、全員が○○帰りで話し合いなんか通用しないし毎日~毎日すぐに手が出るのですから、格闘技はスポーツだと感じた日々でした。 この話は、また別な機会に…。

    話は戻りますが基本的に「学歴や地位や家柄」など、このようなモノで人を判断するようでは相手の本質は見抜けません。

    学歴が高くても、引きこもりで働いていない人がどれだけいると思いますか?
    地位が高くても、失脚や定年で何もしないし~できない状態の人がどれだけいますか?
    家柄が良くても、家柄以外は人生において何もないと言う人がどれだけいますか?

    人を見る目と言うのは、何か基準があって見るモノではないのです。 しかし、現実には履歴書に書いてあることが素晴らしいと、その中身も素晴らしいと判断するのが人事部です。 人を見て判断せずに書類で審査するから、企業倫理に反することを平気でする人がでてくるのです。

    長年連れ添った夫婦でもわからないことだらけなのに、なんで書類を見ただけでわかるのか不思議です。 ところが世間と言う大海に飛び出せば、人を見抜く目を持った凄い人は星の数より多いです。 世間は広いので常に自らを戒めておかないと、世の中には人を見る目がずば抜けた人が実在するものなのです。

    私は石の上にも3年と言うのは昔のことであり、火星に人類が行こうと言う現代では通用しないと思っています。 転職したいと言う相談があれば、さっさと次の可能性への話をするのは「できない社長」の元で働くよりも、「できる社長」の元で働いた方が幸せだからです。

    会社を作って社長になるだけなら誰でもできるのですが、会社を続けていくのは難しいのです。 友人や知人、親子や姉妹(兄弟)、果てには奥様や親戚など、あるとあらゆる手助けの元に維持している会社の多いことには驚くほどです。

    「会社の経営は、楽じゃない。」

    この言葉はある意味正しいのですが、いつも口癖のように言っている人には「社長の器(資格)」はありません。 会社を経営していくのは社長の使命ではありますが、「社長の器」を維持してくれているのは「社員の方々」なのです。 社長の仕事とは、社員の力量を見抜いて適材適所にて才能を伸ばしてやり、顧客満足によりお客様を喜ばせて、そして最後に会社の利益を上げることです。

    もしも会社の利益が年間で100万円出るのなら、50万円はお客様の為に使い~45万円は社員の為に使い~4万円は会社の利益であり~最後に残った1万円が社長の取り分と言う気持ちがないのであれば、その会社の社長は毎日悩みごとが出てきて苦しいはずです。

    「人を見る目は難しい」と言う言葉の本当の意味は、これからの時代においては社員の方が社長を見る目を養わないといけない時代になっていくからです。 働くと言うのは、その会社にお世話になるということではありますが、自分の人生を賭けて付いて行きたいと言うような社長と、顔を見るのも嫌で早く転職したいと思う社長では、働く意味や意義が違ってくるのです。

    あなたが会社を選ぶ時に面接を受けると思いますが、それはあなただけが試されるのではなくあなたも会社をキチンと面接しないといけないのです。

    あなたは人を見る目を、ちゃんと磨いていますか?

    ( ̄(エ) ̄)ゞ クマッタナー

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    なりたい自分。

    おはようございます。 先日の午前中に帰ってきて、午後より鑑定を再開しております。 ベイビープーの風船はなかったのですが目に付いた物があったので、昨日から事務所に新メンバーがちょこんといます。 入り口から鑑定場所までの間の置いてありますが、小さいのでわからずに通り過ぎる人もいると思います。 (ナカナカ、可愛らしいキャラです。)

    さて、人の運命には必ず選択肢があり誰にでもチャンスはあるのですが、そのチャンスを活かせるかどうかが分かれ目です。 ただし、人には脳が備わっているので基本的にココでなりたい自分と言うものを描けなければ、いつまで経ってもなりたい自分にはなれないのです。

    頭の中にある自分像と言うのが今現在の自分を作り上げるのですが、その自分像が理想と現実で逆転してしまうことがあります。 それにより、イイ恋をしたいのにできない~夢を叶える自分のはずなのに叶わない、このように上手く行かない自分を気付かないうちにリクエストしてしまっているのです。

    例えるなら「やたらと調子の良い営業マン」と「できるできないがはっきりしている営業マン」 このような営業の方が2人いたら、調子の良い方は余り信用できない感じがして、できるできないをはっきりとさせる方が信用できる感じがすると思います。

    このようなことは頭の中ではわかっているけれど、いざ自分がその立場になるとお客様に話しを合わせて調子の良い営業マンになってしまうのです。 第三者的に見れば冷静に考えられるのですが、自分がその場に立つと失敗できないなどの余計な指令が脳から出てしまうのです。

    頭の中には自分がなりたい自分像があるはずなのに、現実で行動する時には自分が魅力を感じない人になってしまう。 これは脳の中の誤認識が働いて、逆のことを心地好いと感じてしまうのを避けないといけないのです。

    人の脳は良いことと悪いことの区別は簡単に付くのですが、それを心の部分が「やってもいい⇔やってはいけない」 こうやってせめぎあってしまい、最後に勝った方の心の行動を取ってしまうのです。 それが良いか悪いかの話は別な機会にしたいと思いますが、この自分の中にある理想像が何故実現できないかと言えば周りの人の意見を、無防備&単純に聞きすぎる(過去の経験値)からです。

    人の言葉には良い意見もあれば悪い意見もあるのですが、自分が相手に相談したり~上司(先生)から指摘された場合、脳はその意見を無条件で良いと判断してしまうので自分の理想像が狂い始めるのです。 この修正はとても簡単なので、今すぐに実行して欲しいです、 (ただし、社会生活では敵を作る可能性もあるので、やりすぎは禁物です。)

    その方法とは、「自分が理想とする人はどんな人か?」を想像する所から始まるのです。

    もしも彼が欲しいと思うのならば、自分が男性ならどういう女性を素敵だと思うのか…。
    もしも彼女が欲しいと思うのならば、自分が女性ならどういう男性を素敵だと思うのか…。

    以上のことが「なりたい自分の正体」なのですが、もう少しわかりやすく説明します。 私は一応アヤシイ?霊視カウンセラーですが、私が占いやカウンセリングを受けるなら「どういう人に視てもらいたいか?」 コレを頭に入れて行動しているのです。

    私ならば、「悪いことを言わない人がイイ」「お祓いや物品販売をしない人がイイ」「予約を取るのが難しいくらい人気のある人がイイ」「日本中からお客様が来るような人がイイ」 書き出してみるといくらでも挙がるのですが、このように自分ならどういう人に鑑定して欲しいかを頭に描いているのです。

    人気がなくて~厳しいことばかり言って~お払いや印鑑などを売ろうとする、こういう占い師さんに見て貰いたいと思う人は余りいないと思います。

    自分がなりたい自分とは「自分が逆の立場ならどうするか」を規準にすると、意外とすぐにはじきだせるのです。 男性なら女性になりきって考え~女性なら男性になりきって考え~経営者ならお客様になりきって考えてみるのです。

    そうすればおのずと自分がなりたい自分に気付くはずで、自分が「こういう人ならイイなぁ~」と思う人物をまず見つけるのもいいことです。 その人のするままに行動して~その人のやっているレベルに自分の身をおいてみる。 いつでもそれが当たり前という状態になれば、努力を苦しいではなく楽しいと感じられるはずなのです。

    あどけないあなたの笑顔が輝き始めるのは、脳の中の自分と現実がリンクし始めた時であり、仮想現実の中では「普通の笑顔」にはなれるけれど「輝く笑顔」にはなれないのです。 夢が叶うと言うのは、頭の中の自分と現実の自分が重なることであり、それが重ならないままに歳を取っていくのは、いつしかあきらめという人生を送ることになるのです。

    あなたの夢は叶うし、あなたのなりたい自分にきっとなれる。 私はその未来を視ることであなたの未来についてお話できて、それによりいくばくかのお手伝いができたなら私自身の心も潤うのです。

    あなたは頭の中に、なりたい自分が本当に描けていますか?

    (≧∇≦)ъ ナイス!

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    ありがとうの意味。

    おはようございます。 今日は土曜日でお休みの会社も多いので、通勤電車の中も少し空気が違いますが私は変わらず事務所に出ています。 素敵なお客様に会えるかと思えば、休んでなんかいられず気持ちがウキウキしてきます。 私は毎日お客様に感謝して、ありがとうの言葉を大切にしていきたいと思います。

    ありがとうの本当の意味、それは受け取る側の意識にあるので簡単に決め付けることはできませんが、ありがとうのヒトコトを言われて気分が悪くなることはありません。 「あなたのおかげで助かりました。 ありがとう。」 こう言われたなら、普通ならば誰しも嬉しいと思うのです。

    朝、会社に行く時も道すがら挨拶したとか、電車でちょっと席を譲ってあげた。 それに対して「ありがとう」 こう言われたあなたは少し良い気分がして、何かわからない幸せがあふれ出すはず。 ホンの少しの言葉だけれど、あなたに届いた「ありがとう」のヒトコトは心のサプリメントとして効き目アリだと思います。

    人と人の間に感謝の気持ちがあれば諍いは起きないのですが、相手と自分の考え方の違いばかりを強調して、相手の意見が参考になると言うことを忘れてしまうのが人の悲しいところです。 自分でなければできないこともあるし、相手でなければわからないこともあり、全知全能の人間がこの世に存在しない以上は助け合いの精神の方が気持ち良いと思うのです。

    私はお客様に助けていただいたからこそ、今の自分があるのです。 こんなはずじゃなかったということは一切無く、お客様がお越しくださることに対して感謝以外はありえません。

    私の生い立ちは普通であり家柄や学歴があるわけでもないけれど、日本に生まれたからこそ普通と言えるだけであり、もしもエチオピアなどの発展途上国に生まれていたら、日本に来ることを夢見ていたかもしれないのです。

    自分の生まれた立場において、「もしも、あぁだったら…。」 こう思わないわけではありませんが、コレを言い出したらキリがないし~今の自分より不幸な人は大勢いるのですから、贅沢を言い始めるとキリがなくなるのです。

    ありがとうの言葉をよく言う人と、ありがとうとよく言われる人。 これは片方だけに偏ることは無くて「言う人=言われる人」でもあり、自然に「ありがとう」と言う言葉に囲まれるようになっているのです。

    私はお客様に頭を下げて「ありがとうございます」と言うのは、当たり前だと思っています。 素敵なお客様がお越しくださるおかげで生きていけて~寄付もできるのだから、「ありがとうございます」と言うのは自然な言葉なのです。

    人は立場が変わると、ついつい気が大きくなったり~偉そうなデカイ態度を取ってしまうのですが、これは人間心理においては仕方がないのです。 買い物に行って、そのお店の人に腰を低くするのはストレスが溜まるかもしれないし、お金を出す方がありがとうなんて変だと言う人もいると思います。 それはそれで考え方の違いだけであり、ありがとうと言うのが悪いわけじゃないのです。

    私が今のような状態になれたのは全てお客様のおかげであり、私自身は才能も実力も無いと思います。 過去を振り返ってみても評価と言う部分、学校なら学力と成績であり~会社で言うなら成果と実績、これは常に最低評価が私の全てでした。 場合によってはマイナス評価であり、底割れ状態で誰にも相手にされていませんでした。

    そんな私ができることと言えば、お越しいただいたお客様に「ありがとうございます」 これしかないのです。 ありがとうと言って感謝の気持ちを示すことにより、お客様が情けをかけてくれて、実績も実力もない私を支えてくださったのだと感謝しているのです。

    「あなたのおかげでありがとう」と言う感謝の気持ちがあるだけで、私自身はごく当たり前のことしか言わないアヤシイ?霊視カウンセラーなのです。 「あなたには龍神様がぁ~&妖精さんがぁ~」となどと言うような話をするわけじゃなく、ごく自然な道理に基づいたお話をするだけなのですが、お客様の御支援や御好意によりナントカ生きていけるのです。

    お帰りになる時には、あなたの笑顔がキレイに咲き誇る花のように素敵になっていただけたら、お越しいただいた甲斐もあるのです。

    あなたは自分に自信を持っていいのですが、その自信の基となるものに気が付いていないだけなのです。 誰しも生きていることに意味はありますが、それは誰かの役に立つことと笑顔でいることです。

    私のところへ来るということは、意識せずに自然と寄付しているのと同じことです。 お客様のおかげで寄付できているのであり、私が寄付しているわけじゃないのです。 私はあくまでお客様の代理として寄付しているだけであり、盲導犬やマザーテレサの施設に貢献できているのはお客様のおかげなのです。

    「ありがとう」と、どれだけ言えばいいのかわからないくらい、お客様にはお世話になっています。 あなたに対しての感謝の気持ちは、私が生きている限り尽きることはないのです。 私はお客様が思うような霊視カウンセラーなのか、至らぬ点も多い為に未熟者の私にはわかりません。 しかし、それをどう判定するかの評価部分はお客様がすることで、私自身がどうこうできる部分ではないのです。

    今後も私がお客様に対してできることは、心を込めて「ありがとうございます。」と言う精一杯の感謝の言葉と姿勢をお見せしないといけないと考えています。

    あなたはありがとうのヒトコトを、普段からどれだけ使っていますか?

    ☆あ(^ - ^) り(- ^ ) が(   ) と( ^ -) う\(^ 0 ^)/☆


    お知らせ:出張の為、ブログの更新は22日(火)より再開いたします。 お手数をお掛けいたしますが、よろしくお願い申し上げます。 m(__)m

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    スタンダード。

    スタンダード(standard)と言う言葉を辞書で引くと、標準や規準~または標準的であるさまと書いてあります。

    唐突にこんな話をするのは、幸せや幸福に対しての規準と言うのは明確ではないからです。 昔の私はお金があれば幸せだと考えていましたし、周りにいじめる人がいなければ幸せになれると考えていました。

    しかし、それは大間違いでした。 お金があればあったで父親がいつのまにか貯金を引き出して使っていましたし、いつのまにか借金が回ってきます。 お金があっても、その元である父親が借金するという部分を断たないのに、いつまで経ってもお金が貯まるわけがないのです。

    いじめに関しても同じで、私をいじめる人が居なくなっても友達ができるわけじゃありません。 いじめられる原因となる私の性格や人間性の部分を改善しないと、いじめられないけれど相手にされないと言うのは、いつまで経っても変わらないのです。

    スタンダードとは自分の中にあるものを基準にして決まり、それについては他人がとやかく言える部分ではありません。 人生において幸せと言う意味は、その人個人が感じることであり、誰かが命令して感じることじゃないのです。

    もしも、アルバイトをしながら漫画を描いていたとしても、本人が幸せと感じていたなら周りが口出しする方がおかしいのです。 元気で健康で好きな漫画を描いて暮らせて、贅沢はできなくても日々生活できている。 これを自分の考えに押しはめて、「もっと、将来のことを考えた方が良い。」と言うのは、小さな親切~大きなお世話かもしれません。

    幸せの基準を考える時に人として何を基準にするかの違いが出やすいのが、モノとボランティアに関してです。

    神戸の震災や新潟&富山の水害~果てはイランやアフガニスタンなど「支援物資&救援物資」について、ボランティアの人が憤慨したことがあります。 それは毛布や衣類などがボロボロで、ゴミ同然のものが含まれていることがあるからです。 こういうことについてお話しすると、「タダで貰うくせに贅沢言うな」と言う声が聞こえてきそうですが、それは違います。

    いくら困っているからと言って、着れたらなんでもイイだろうなんて考えでは、恵んでやっていると言う驕りに他ならないのです。 寄付すると言う善意の行いが、「捨てるよりはまし」と言うような、自分に都合のいい勝手なリサイクルになってはいけないのです。

    自分が着ない服と言うのは、自分が購入した~もしくは欲しくて手に入れたはずなのに着ない。 つまり、自分が行動して自ら手に入れたにもかかわらず着ない、そんな物を相手に送っておいて、「さぁ、着なさい」というのは押し付けもいいところです。 自分が着ないと言うのは、そこに着たくない理由があるのだから相手だって着たくないかもしれません。

    もしもあなたが救援物資として、下着を送るのならば新品を送ってくださいね。

    衣服ならまだいいのですが、下着の使い古しを被災地に送るなんていうのは無神経にも程があります。 自分が身に付けたいと思うものを送るからこそ、本当の善意として気持ちが一緒に届くのです。 物だけ届けておいて気持ちが伝わらないと憤慨する前に、心も一緒に届けているだろうかと考えないといけないのです。

    救援物資と廃品処理を混同するのが、悲しいけれど物質欲に塗れた人の行動です。 仮に私が児童養護施設などへ慰問に行く時は、ミッキーやプーさんの新品のぬいぐるみや新品のタオルを持って行くと思います。 使い古しを子供たちに渡すなんて、私にはできません。

    送る側の礼儀。
    受け取る側の礼儀。

    これはどちらが欠けても悲しい行き違いができてきますし、それによりボランティアの意識レベルの低下が起これば、支援や奉仕の精神が育たなくなってしまいます。

    せっかく良いことをするのなら、自分が考える良いことではなく相手がありがとうと言ってくれる良いことをしたなら、それは嬉しくも楽しくもある感動と言うのが心に残るのです。

    スタンダードは人により違うのですが、押し付けにならないように相手のスタンダードを考えてあげるのも必要なのです。 正しい行いと言うのは片方から見ていると、独りよがりになりがちです。 しかし、相手の側から見てみると、本当のするべきことが見えてくるのです。

    あなたにとってのスタンダードとは、どのように考えられますか?

    ┤o( ̄ー ̄ )オカタヅケ(  ̄ー ̄)o┰

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    雑用。

    誰しも夢はあるのですが、その夢が叶わない時には失望や方針変換をします。 しかし、できることなら夢は大きい方が良いですし、その可能性に賭けてみるのは悪いことじゃないのです。

    ただし、夢は大きく持っていいのですが、一足飛びに叶えようとするから無理が出ます。 どんなに長い旅路でも、最初の一歩が無ければ歩むことはできないのです。

    マザーテレサが、「私はたったひとりの人しか助けられない。」 こう言ったことがありますが、それは目の前にいる人をひとり助けて~それからまた次の人と言う風に順番に少しづつしていくしか、物事は片付かないと言う比喩表現でもあります。

    これは会社でもよくあることですが、本来は自分でするべきことを地位や立場が変わることによりしなくなる。 この状態は自分の立場や役職は上がったとしても、能力は低下していると言うことに気が付かないといけないのです。

    例えば、「コピーを取る。」 これは誰でもできるように感じますが、最近のコピー機を自由自在に使える人は素晴らしいと思います。 PCだって自由自在とまでは行かなくても、ごく普通に~当たり前に使える人は素晴らしいと思います。 自分でやらないと言うのは退化を招いて、いざと言う時に自分で出来なくなると言うことなのです。

    私はわからないことはすぐに聞きますが、それが「人に頼る」と非難されるゆえんでもあります。 しかし、聞くは一時の恥なので今と言う瞬間に聞いて勉強しとかないと、後で困るのは自分なのです。 目の前で教師となるべきことをしてくれているのだから、学ばないなんて勿体無くてしょうがないです。

    人の上に立つようになっても雑用と馬鹿にせず、時には自分でやる癖をつけておく必要があります。 自分ひとりで残業や休日出勤をしている時に、わからないことが出てきたら部下も誰もいないのだから、そのままでは何も出来ない裸の王様になってしまいます。 日頃から学びは必要なのですが、自分の奢りや高ぶりが自ら破滅を招いているのと同じです。

    また、立場が代わり上司から言われる場合でも、その内容を雑用と感じることがあるかもしれません。 しかし、それは「雑に思うから雑用と感じる」だけであり、その仕事内容に生きがい&やりがいを見い出すのは自分の仕事なのです。

    仮に私がコピー取りの仕事を命じられても、「つまらない」と感じることはありません。 私は会社員時代はコピー取りが楽しいと思っていましたが、それにはいくつか理由があります。

    まず、自分の席を離れてコピー機の側に行くということは違う景色を見ることになるし、コピー機は大抵入り口や通り口近辺にあるので色々な人に会える言う利点があります。 しかし、私が一番重要視していたのはコピーする内容です。 上司からコピーを命じられた書類の中には、「本来は上司しか見ることができない内容」と言うのが含まれています。

    例えば、会議用の書類ならば「会議に出ることを許された人」しか見ることができない、そういう書類を会議の前に見て内容を把握することが出来るのです。

    目の前にある仕事にやりがいを見つけて、それを自分のものにしていくことを繰り返していれば、先輩や上司を抜くことなんてあっという間です。 雑用と感じることを自らしたがる人は余りいませんから、雑用ばかりしていた人がいきなり伸びていくなんてのは、積み重ねの差があるからできるのです。

    雑用と言えば、最近はトイレ掃除をしたら運が良くなるなんて本が出回っていますが、トイレ掃除をするだけで運は良くなりません。 掃除など身の周りを綺麗にしようと、自分の意思でする気になれるかどうかであり、言われてするのでは余り意味がないのです。

    トイレ掃除をすることに対して薀蓄をたれると言うのは、普段していないから「タマにしたら」 それについてアレヤコレヤと言いたくなるのです。 普段から掃除がキチンと出来ている人は掃除についての薀蓄なんか言いませんし、人に言う前に自分が自らの行動で示すだけです。

    掃除を口うるさく言う社長や上司は、普段していないから言うだけです。 例えて言うなら、某女優さんは掃除で開運と言っているけれど、実際には全部お手伝いさん任せで自分は何もしていないのと同じです。

    私は何処の場所に居た時も、「山崎は掃除のしすぎだ。 そんなにされたらこっちもしなけりゃいけなくなる。」と、近隣のお店や商店街の会長からクレームが来ていたので、少なくとも掃除が足りないことは無いと思います。 (人通りが多いとか駅が近いなどの立地条件で商売が上手く行っているお店と、真の実力があるお店は違うのです。)

    注:掃除以外でも、今の事務所は香りに関して消臭プラグ4ヶ所と3種類のお香を駆使しています。 お客様に不快な感じを与えないような工夫はしているのですが、それでもまだ心配です。

    雑用~雑用と言わずに、雑用をキチンとこなせる人は夢が叶いやすい人なのです。 夢を叶える為には目の前にあることを、ひとつづつ片付けることができないと無理なので、いかに雑用を自分に生かす工夫ができるかが大切なのです。

    あなたは雑用だからと言って、やる気を失くしていませんか?

    (‐^▽^‐) ヤッホー!

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    プーさん。

    私は事務所内にぬいぐるみのプーさんと首振りプーさんを置いていますが、このプーさんについての認識は「ディ○ニーのキャラクター」と言うイメージが強いと思います。 私はこの愛らしいキャラクターを見ていると心が和むのですが、今の事務所ではプーさんを置いても文句を言われないので本当に幸せです。

    考え方や好みにもよると思うのですが、世界中の人が可愛いと思うキャラクターを貶すと言うのは、悪いことじゃないけれど~良いことでもないと思います。 愛らしいキャラクターを、わざわざ貶す必要はないと思うのです。

    クマのプーさんは原題が「Winnie-the-Pooh」と言いまして、1926年に発表されたミルンの童話です。 元々は、その童話の主人公のクマのぬいぐるみ~テディベアの名前でした。 この童話の挿絵は「E・H・シェパード」によって描かれ、本作を原作としたディ○ニー社のアニメーション作品が存在しています。

    ディ○ニー版のタイトルは「くまのプーさん」で英語の原題は「Winnie the Pooh」です。 主人公はしばしば「プーさん&プー」と呼ばれていて、表記には一応の基準があります。

    原作の童話を指す場合は、「クマのプーさん」
    ディ○ニー版を指す場合は、「くまのプーさん」
    キャラクターを指す場合は、「プーさん」

    注:コレが正しい使い分けなのですが、私が事務所にいるプーさんを「プーさん」とブログに表記するのはぬいぐるみなどキャラクターだからです。

    「クマのプーさん」は世界中に翻訳されていて、作者の本国であるイギリスのみならず多くの読者に愛され親しまれています。 クマのプーさんの歴史は原作の発表から翻訳を経て世界各地に広まった時期と、ディ○ニー社によるアニメーション化された後からによる時期との2つに分けられます。

    基本的に「Winnie-the-Pooh」とはミルンの息子が持っていたテディベアの名前であるWinnipegとミルン親子が休日に見た白鳥の名前Poohからヒントを受け名付けました。 「クマのプーさん」に登場するプーさん以外のキャラクターもクリストファーが所有していたテディベアがモデルとなっていて、これらのテディベアはニューヨーク公共図書館の2階に展示されています。

    ただし、ルーのテディベアはクリストファーが紛失したため展示されていないし、クリストファー自身も登場キャラクターであるクリストファー・ロビンのモデルとなっているようです。 クマのプーさんの舞台である100エーカーの森は、ミルンの故郷であるイギリスのイースト・サセックス州にある森林のアッシュダウンフォレストをモデルにしており、作中にも同じような名称がいくつも登場しています。

    ちなみに第1作目は「クマのプーさん」で、1928年に2作目の「プー横丁に建った家」が発表されました。  日本では石井桃子さんの訳によって、1940年に岩波書店から出版されました。

    そして、ミルンの没後「クマのプーさん」に関する権利は、ウェストミンスター・スクールや王立文学基金やミルンの家族などに分割されて相続されました。 「クマのプーさん」の著作権はベルヌ条約に基づき、カナダやニュージーランドではミルンの没年から50年後の2006年に失効。 ただし、日本は戦時加算のため2016年5月末、イギリス本国を始めEU域内やオーストラリアでは2026年まで有効。 E・H・シェパードの挿絵に関する著作権については2026年~2046年(国・地域により異なる)まで有効のようです。

    「くまのプーさん」 つまり、ディ○ニーの作品では、初期の頃は原作を元にしたストーリーでしたが、後にディ○ニーオリジナルのストーリーが使われるようになりました。 オリジナルキャラクターである「ゴーファーやケシーやランピー」も後から登場したもので、絵に関しても徐々に本のイラストに近いものから現代的なものへと変わっていきました。

    1977年に「くまのプーさん(The Many Adventures of Winnie the Pooh)」が劇場公開されゴーファー(Gopher)が始めて登場しますが、この映画は1966年から1974年の間に制作されていた3作品から作られています。

    なお、1998年にはアメリカでのプーさんのキャラクター商品の売上がミッキーマウスを上回り、ディ○ニーキャラクターで1位となりました。 2005年度のディ○ニー社の「くまのプーさん」関連商品の小売市場は年間60億ドルで、ディ○ニー社ではミッキーマウスに次いで第2位です。

    日本における「プーさん」のキャラクター商品としての立場は、子供だけではなく女子高生や大人世代にも人気があり「癒し系キャラクター」と呼ばれる位置づけらしいです。 今、私が欲しいなぁと思うのは「ベイビープー」のキャラクター風船で、東京出張の時にあったら買いたいと思います。 事務所の入り口に浮かんでいたら、中へ入った瞬間にお客様も微笑ましいかと思います。

    あなたは自分なりに、心が和む何かを持っていますか?

    クマ ヽ(´(工)`)ノ です…。

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    時代の変化。

    時代の変化についていけないから会社が倒産するとか、時代に乗り遅れたから出世できないとか、時代と言うものを意識するのがそんなに大変なことなのかと思ってしまいます。

    例えば、この科学万能で文明の利器も多い21世紀でも、天候を自由自在には操れません。 しかし、晴れたり曇ったり~雨や嵐が来たとしても、人類は生きているし何とかなっています。 天候のことをあれこれ心配しても、なるようになるしどうにもできないのです。 それで困るかと言えば、実際に困ったことになった人はいません。

    雨で服が濡れて困るとか、逆に雨が降らず作物が育たないとか、側面だけで困る人はいますが、全面的に困る人はいません。 天候は自然の領域なので人間が触れることはできないし、それに触れると言うことはしっぺ返しがくることを意味します。 

    それに比べたら、恋愛~仕事~商売などの先を予測するのは簡単ですし、そんなに難しく考える必要がないのかもしれません。 それはあくまで人間が作ったモノや人間が関与することだから、同じ人間同士でそんなに差があるわけじゃないのです。

    例えば、IT企業の成功は「技術力があったから」など、PCのハードおよびソフトに精通しているから大きくなれたと思っている人は、何をやっても成功確率が低いと思います。 その理由は、おもいっきり考え違いをしているからです。

    IT企業で成功している人たちは作り上げたプログラムが素晴らしいのではなく、世間は何を必要としているのかと言う「人々が求めるモノを提供できた。」 この一点に尽きるのです。 別にプログラムが凄いわけでも~技術が突出していたわけでもなく、世間の人々はどういうものを求めているのかと言う、マーケティング能力が優れていたからなのです。

    方程式の通りにすれば答えはおのずと出るのですが、わかっていると後で言っても仕方がないのです。 1+1は「2」であり1-1は「0」なのですが、コレを簡単だと言うのは後で言うからであり、最初に考えた人は凄いと思うのです。

    「こうやれば~こうなる。」とか「あぁやれば、きっとあぁなる。」 こう言って結論付けてしまうのは、何もやらない人か~もしくは2番手の人が言う台詞なのです。

    特に上司と呼ばれる人に多いのですが、これこそが若い芽を摘んでしまう原因なので困りモノです。 なんで年配の人は言い訳ばかりするようになったのか、その原因のひとつに「粋と野暮」の2つの言葉があります。 今の上司と呼ばれる人たちは野暮なことしか言わず、粋と言う計らいができないから尊敬されないのです。 若い人に苦言を呈するのなら、まず自分を律せよです。

    辞書で引くと「野暮」とは人情の機微に通じない人のことを言い、わからず屋で融通のきかないことを言います。 無粋とも言い、世間や人情~特に男女間の微妙な情のやりとりに通じていない人のことでもあります。 洒落や遊びのわからない、面白みのない人のことなどにも使われます。

    反対に「粋」とは、性格や立ち振る舞いやマナーなどがさっぱりとあかぬけしていて、しかも人間的魅力や色気がある人のことを言います。 また、人情の機微に鋭く、特に男女関係についてよく理解していて、スマートな行いができる人にも使われます。

    仕事の成功は、部下の手柄。
    仕事の失敗は、上司の責任。

    粋な上司と言うのはカッコヨク見えますが、それは自分が責任を取ると言う潔さと心の中に芯の強さがあるからです。 簡単に言うと、売り上げがよくないのも~社内の人間関係がよくないのも~誰かがミスをしてうまくいかなくなるのも、全て上に立つ人(社長やリーダーなど)の資質なのです。

    責任を取るというのは言い訳せずに、全部自分のせいだと認めて対処することなのです。 部下がやったことだとか~私は知らなかったとか、そんな責任回避としているようでは情けないと言うものです。

    確かに全ての責任を取ると言うのは大変なことですが、それができたら下の者はついてきます。 自分達の為に逃げずに戦ってくれる人を、頼もしいと思っても卑怯と思うことはありません。 しかし、責任回避を一度でもすれば、もうリーダーとしての信用は回復できないのです。

    ただし、責任を取ると言うのは大変ではありますが、全てかぶる気でいれば意外と大丈夫になってきます。 誰かにミスを押し付けたとか~上手く逃げることができたなら、一時的には楽なのですが、後で良心に苛まれることになります。 そうなると嘘をついた苦しさは一生残り、忘れたように思えても心のどこかに違和感が残るのです。

    時代の変化に対応すると言うのは、人々が求めることを提供すると同時に自分が責任を取ると言う覚悟がある人なら、苦にすることはないのです。

    あなたは時代の変化に、キチンと対応できていますか?

    「(≧ロ≦) アイター

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    天は二物を。

    おはようございます。 今日は月曜日なので仕事始めの人も多いと思いますが、今と言う時の流れにおいてあなたの足跡は重要で、暗い闇であろうとも明るい光の足跡を残せたら、それは自分の自信や喜びとなります。

    今と言う時間をそのままにして過ぎ去るに任せるのか、それとも旅立ちの時として充実感を得るのかは、その人の生き様によると思うのです。 「天は二物を与えず」と言う言葉を引き合いに出して、自分は不運だと嘆かなくてもいいんです。

    何故なら、それは逆に一物を与えてくれていることを自ら認めているのです。 天は二物は与えないかもしれないけれど、必ず一物=その人だけの利点や才能と言うものを、ちゃんと授けてくれているのです。

    じゃ、その才能とは何かと問われたなら、今のあなたが幸せであると言うことがまずひとつ目の才能です。 目が見えるとか~手足が動くとか、チャレンジできる体制があると言うのは、ものすごい幸せなことです。

    例えば、知識があっても知恵のない人は、自分の判断で行動できないのです。 また、徳のない人は何をしても尊敬されないので、良いことをしてもそれが良いことにならないのです。 その為にも経験を積む必要があるのですが、「自分は最高の人間だ。」と言うようなプライドばかりが高いと、誰にも相手にされないままで裸の王様になってしまうのです。

    手探りの状態でいいし、完全なる準備が整わなくてもいいんです。

    自分の足で動き回り~自分の頭で考えていたならば、いつのまにか本当に自立した強い生き方を手に入れることになるのです。 経験を積み重ねていくうちに、知識を知恵として使えるようになり、その行動の評価が尊敬となって得を積み重ねていくのです。

    ただし、ひとつだけ注意しなければならないのは、今までのやり方が通用しない時がきたなら、今までの自分を捨て去り新しい自分に変えていく作業が必要になります。 不死鳥は何度でもよみがえるのですが、蘇る度に新しい状態になっているからこそ霊鳥と呼ばれるのです。

    昨日できたことが一番すごいことだったとしても、今日と言う日になってみれば2番手ということだってあるのです。

    そうやって迷いながら人生は歩んでいくものですが、わからなくなった時に必要なのは勇気を持って休むことです。 働くとか行動するとか良いことではありますが、意識の方がそれについていけなくなるのは、精神や身体などに無理をさせているからなのです。 勇気を持って休むと言うのは、休息は快適な時間であり~鋭気を養うには良いことなのです。

    私は人生や未来を道に例えて言いますが、それは選択次第でゴールが変わると言うことです。 しかも、それはやり直しのできない一筆書きであり、その一筆書きに修正が聞かない時、それを「悩み」と言うのです。

    20代には20代の~30代には30代の、年代別でも悩みはあるし個人別でも悩みは発生します。 では、その悩みを解決するにはどうすればいいかと言う時に、人は成長のキッカケを掴むものなのです。 平和ボケと言う言葉があるように、人は背水の陣のように逃げ場がない時にこそ、火事場の馬鹿力の様な奇跡を起こすのです。

    人はお金や物だけでは生きていけないから、夢と言う形にならない自分だけの宝物が必要になるのです。

    なんでもかんでも手に入る人は、一見羨ましく感じるかもしれませんが、なんでもかんでも叶うということは、幸福に飽きるという人生の墓場でもあります。 欲しい物が手に入らないからこそ「いつかは…。」と思い、それが手に入った時の充実感や達成感はナニモノにも代えがたいのです。

    「夢が、色褪せる。」

    これは人生を楽しむ為に避けなければならないことのひとつですが、自分のことだけ考えて夢を失ってしまった人が多いのは残念です。 人は誰しも善人であり最初は良いことを言うのですが、お金ができたり~地位や名誉が手に入ってくると、当初の理念が崩れてきて裸の王様になってしまうのです。

    自分が言うことが絶対であり、自分の話を認めない者に対して「魂のレベルが低い」と言って馬鹿にするのは、自分の勉強不足が露呈して相手を納得させられない証拠なのです。

    例えるなら、お金がない時には夢を語るのだけれど、お金がある時には欲を語り始めるのが人間の悲しい性なのです。

    朝起きた時に素晴らしい目覚めだと感じるのは、心の痛みがない時です。 心が痛み始めると、それが気になり忘れられなくなるからこそ、悪夢のように考え続けてしまうのです。 人の脳と言うのは「最も忘れなければならないこと」を「最も覚えている」のが、弱点のひとつなのです。

    あなたはなすべきことをなして、自分の才能を大切にしていますか?

    w(☆o◎)wガーン

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    言葉の誤解。

    言葉と言うのは形があってないようなもので、一度出してしまうと取り戻せません。 取り戻せない以上は、新たな何かで補わないと言葉による損失は埋められないのです。 言葉は使い方によっては相手を勇気付けたり~元気付けたりしますが、逆に言うと傷つけてしまうことも度々起こりうるのです。

    人と人との会話の中において「言ってはいけないこと」と言うのが、どんな場面や場所でもあります。

    例えば、相手の身体的特徴を揶揄するようなことは、人として絶対に言ってはいけないことなのです。 ところが注意する側の大人がしている以上は、子供が真似をしても仕方がないのです。 もしも、自分が身体的コンプレックスで悩んでいるのならば、相手にそのようなことを言ってはいけないのです。

    その他にも、英語がしゃべれるからと言って英語がしゃべれない人を馬鹿にするのは、それしか自慢がない人がすることです。 英語がしゃべれなくても立派な行いの人は大勢いるのだから、自分の基準により人を馬鹿にするのは人間としての尊厳がないからです。

    私はいじめられていた過去を消化できつつある今は、何を言われても気にする必要がないと感じることが多くなったのは、怒り~つまり怒るだけ損(時間や労力など)だと思えるようになったからです。 しかし、なんでもかんでも直ぐにできるかと言われれば、それは無理です。 人には怒りや嫉妬や妬みなどの感情があるのは当たり前で、それを完全に失くせば神の領域になってしまいます。

    ただし、人と人は話し合いで理解を得るのは難しく、生きる姿勢を見せてこそ本物です。 人生とは、言葉だけでは行動が変わらないからです。

    誰もが幼い時から教育課程の中で「話し合い」と言う言葉の元に、「話せばわかる」と教えられていますが大嘘です。 教師は嘘を教えてはいけないのですが、話し合いや議論で答えが出ることなんてありません。 会議でもなんでもベースとなる資料や証拠を元に、詰め将棋のように筋道立てて相手が反論出来ない状態でないと、話し合いは平行線のままでお互いが納得することなどありません。

    話せばわかると言う言葉に何の効力もないのは、国会中継を見ればよくわかることです。 学歴も高くて国を動かしている政治家の方々が、いくら話し合いをしてみても「反対VS賛成」もしくは「野党VS与党」で議論するだけで半永久的に水と油です。

    一応、日本の最高峰に位置付けられる国会の話し合いでさえ決着がつかないのに、一般社会が話し合いで分かり合えることなんか無理なのです。

    心の底から分かり合えると言うのは、言葉ではなく態度が理解された時だけです。 言葉と言うのはものすごく誤解されやすい対人ツールであり、相手の取りようでどうにでも理解や講釈が生まれてしまうのです。

    言葉で相手を納得させようと言うのは、相手が自分と同じ思考と知識量がある場合は有効ですが、そうでない場合は誤解を招くだけなのです。 しかし、人類が発祥した瞬間よりまったく同じ人間と言うのは現れたことがないので、単純な言葉だけでわかりあえることはありません。

    チョコレートを知らない人に、チョコレートは美味しいと言っても理解できません。 チョコレートを見て~触って~味わって、それで初めてチョコレートが美味しいかどうかの判断に入れるのです。 見たことも聞いたこともない、そういう状態では理解の仕様がないから説明しても誤解を生むだけなのです。

    私は以前、ある人と世間話をしていて意見を求められたので「塩沢ときさんみたいですね。」と言ったら、「人を馬鹿にするな!」と物凄く怒られたことがあります。 実はこの時にとてもイイ学びになったのですが、塩沢ときさんに対する世間一般のイメージとしては、お笑いの人とか~奇抜な格好をするとか~ビシビシモノを言うとか、そう映るのかもしれません。

    しかし、塩沢ときさんは自らが乳癌になったら潔く全摘手術をして、「癌は治る」と仕事復帰して乳癌女性の為に講演会なども精力的にこなしていました。 おまけに本当はお洒落でこだわりもあり社会的な活動もしている、とても素敵な女性なのです。

    残念ながら、塩沢ときさんのこういう側面を知らない人からすると「馬鹿にされた」と思っても仕方がないのです。 コレこそが知る人と知らない人との差であり、知らない人は人生において損をすると言う例えなのです。 もしも、この人が素直に「塩沢ときさんみたいって、どういうこと?」 こう聞いてくれていたなら、私は塩沢ときさんのことを説明していました。

    聞くは一時の恥であり、知らないことは素直に聞いておけば自分の成長の糧となるのです。 ただし、理解できない人にわからない例え話をした私が一番悪いので、怒られた責任は全て私にあります。

    あなたは言葉における誤解の怖さを、どれだけ理解できていますか?

    \(☆^〇^☆)/ オバンデス~☆

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    ダライ・ラマの決め方。

    おはようございます。 今日は素敵な日差しの差し込む中で、ブログを更新しています。 先日TVを見ていると、ダライ・ラマ14世が来日して記者会見を行っていました。 チベットに関してのことが色々と揺れているようですが、これは今に始まったことではありません。

    古代のチベットは独立国家だったのですが、清による支配を受けていた期間が在りました。 そして清の滅亡後に再び独立国家になったのですが、1950年に中国人民解放軍の侵略を受けてチベットが軍事制圧をされました。 その後に起きた中国人民解放軍によりなされたことは、ココに書くのは心苦しいばかりの○○と大量○○でした。

    そしてチベット自治区が設置されたりしていますが、動乱~暴動~○○など武力弾圧の結果、十万人以上のチベット難民が発生することとなりました。 チベットに関することを書いていると、余りにも多くのことを書かないといけなくなるくらい、政治~宗教~民族などの諸問題でわけがわからなくなるほどです。

    民族間の思想については当事者でない限り軽々しい意見は言えないのですが、チベットに起きていることに関しては各国首脳の開会式ボイコットがひとつの暗示です。

    さて、チベットと言えば、「ダライ・ラマ」と言う言葉が度々出てきますが、この「ダライ・ラマ」とはチベット仏教の最高指導者のことで称号でもあり、人物のことを指すけれど個人名ではありません。 ダライとはモンゴル語で大海を意味しており、ラマはチベット語で師を意味しているようです。

    注:実は寄付の神様の家に行った時、○○駅の新幹線乗り場でダライ・ラマ14世に会ったことがあります。 まぁ、会ったと言ってもお付きの人が大勢いたので、同じ新幹線で同じ場所にいたと言うだけですが…。 (^-^ ) ニコッ

    チベットの御本尊様は観音菩薩とされていますが、ダライ・ラマはこの観音菩薩の化身だと信じられています。 菩薩とは悟りを得ているにもかかわらず、涅槃(永遠に平和な世界)に入らずに、あえてこの世に生まれてきて「生きとし生けるものたち」を救済する人物のことを言います。

    ラサにあるポタラ宮は歴代ダライ・ラマの居城であり、チベット仏教における聖地となっています。 チベット仏教の信者の方々は、その居城がある聖地までに一生に一度は巡礼することを目標としていて、最も聖なる巡礼方法は五体投地とされるようです。

    五体投地(ごたいとうち)とは聞きなれない言葉ですが、五体(両手~両膝~額)を地面に投げ伏した状態で、仏や高僧などを礼拝することを言います。 仏教における最も丁寧で正しいとされ、また最上の礼拝方法とされているようです。

    古代インドでは尊者の元にヒザまずいて頭の先を地面につけることが、最高の敬礼方法と言われています。 これは仏教においても同様であり、仏足頂礼と言い両手両足を全部地面につけることです。

    インドやチベットの仏教とは、五体投地を行い礼拝をしながら少しづつ前に進み、聖地へ巡礼するスタイルが一般的です。 日本でも同じように一定期間の修行に入り修行僧が、御本尊様の前で五体投地で礼拝するようです。 また、この回数は所作により異なりますが、一般的には煩悩の数とも言われる108回がメジャーかも?

    話が脱線しましたが「ダライ・ラマ」はどうやって決まるのかと言えば、日本のような政党が決めるわけでもなく、アメリカのような選挙により決まるものでもありません。

    日本的感覚で言うと信じられないかもしれませんが、実は「予言」により決まるのです。 何故このような決定方法かと言えば輪廻転生に基づき、死んであの世に行った霊魂がこの世に何度でも生まれ変わってくる。 この考えを元にしているので、ダライ・ラマは何世であろうと同じ人物なのです。

    「ダライ・ラマ」が没した後にシャーマンと呼ばれる人や僧などにより、次の「ダライ・ラマ」が生まれる地方などいくつかの特徴が予言されるのです。

    日本風に言えば、「2008年4月以降に、岡山県の県南にある駅周辺の川が流れる地域で、○○な輪郭で□□な体型で~etc…。」 このように誕生時の特徴や幼少時の癖などを予言して、その予言どおりの子供を捜してきて、合致する子供を時期ダライ・ラマ候補として選びます。 当然ですがひとりしか見つからないなんてことはなく、複数見つかる場合もあります。

    選ばれた子供達は候補ではあるけれど決定ではなく、その候補となる子供が本物の化身であるかどうかのテストがちゃんとあります。 テスト方法は前世の記憶が主体であり、先代ゆかりの品物と全然関係ない品物を同時に見せて、先代ダライ・ラマの持ち物を指し示したり手に取ったりするかを見ます。

    それをパスすると、今度は先代と同じ癖があるかどうかも見るのですが、品物を手にした時にどうするかの仕草~耳に触るとか頭をかくとか、先代同様の癖や行動を示した時に「ダライ・ラマ」の生まれ変わりと認定されるのです。

    これはある意味公平な思想で、仮に貧乏な家に生まれたとしても「ある日突然」最高指導者になれると言うことになります。

    あなたはチベット問題を、どのように思いますか?

    (*ω*?…。

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    星空。

    将来への不安と言うのは、漠然としていようが~現実としてであろうが、誰しもあるものです。 私自身も自分の未来を視た時には色々な道があるが故に、思い悩むこともあります。 それは自分の将来と言うよりも、「このままでいいのか?」と言うような、自分の能力と努力不足に対してのやりきれない思いがあるのです。

    自分の過去を振り返ってみても、「あの時の判断は、間違っていた…。」 こう思うこともしばしばありますし、それに対してのフォローと言ったらいいのかどうかわかりませんが、何もできていないのではないのかと言う、全力を出し切っていない不完全燃焼のような燻りはあります。

    私も過去を振り返ってみて、「もう10年早ければ~。」 こう思う時もありますが、10年早かったらできていなかったかも知れず、今だからこそ私の能力や知恵はあるのかもしれません。 お客様の人生を拝見させていただいていると、私自身の甘さや情けなさが浮き彫りになり自分が辛くなる時もあります。

    「この手で何かができていたはず…?」 コレを感じ始めると、人はそこに留まっていることはできないのです。

    私は小さい時の体験があるが故に、今と言う自分を形成できているのは否めないのですが、もうちょっと違っていたらと思わないわけじゃないのです。 「もしも…?」 と言う世界を想像しても仕方ないのですが、「もしも、あの時に…。」 これは過去のことであり、その時の判断においては正しいと思ったのだから、その時点では正解だったとしか言えません。

    人の判断は、その時点で切り取ったなら正解だと言い切れるのですが、時の流れと共に正解と思えた道が不正解に思えてくるのが運命の不思議なところです。

    私のところには占い師さんも大勢お越しくださいますが、占い師さんもタマには誰かに相談したくなるのも当たり前だと思うのです。 その中でも特に、お客様の相談に真面目な応対をしている占い師さんほど、誰かに自分の生き方を正して欲しくなるのです。 私はお客様によって、人生と言うか~生き方の修正をしていただいているので、お客様の想いを真摯に受け止めないといけないのです。

    あなたの心に響く言葉を発してくれる人が「どれくらい居るか」で、人生の道筋が変わってくるのですが、そういう人に出会えたなら大切にしておかないといけないのです。 そういう人にドンドン出会えていることは、本当はものすごく幸せです。 しかし、それに対して聞く耳を持っていないと~聞き分ける能力を稼動させないと、時間の無駄と言う消費するだけの人生になってしまうのです。

    私自身も常に反省しておかなければならないのですが、目の前に起きた現象を前向きに捉えるのが、幸運を呼ぶ秘訣だと思うのです。 同じ会社に居ても~同じ部署に居ても、その生き方と言うのは千差万別であり、気が付いた時には歩む道が大きく違ってきてしまうのです。

    抜け殻のような人生はある意味においては幸せですが、それは風化と共に幻想だと認めざるを得ないのです。

    あなたの周りで、あなたが見て「成功している人」や「羨ましいと思える人」を思い浮かべて欲しいのですが、そういう人達はあなたとスタート地点はそう変わらないのです。 学校で同級生だったとか~会社で同期入社だったなど、最初の時点ではそう変わりないのですが、その後の歩み方において輝く度合いが違ってきています。

    それをヒトコトで表すのは難しいのですが、強いて言うなら視点の違いなのです。

    二人の人が同じ場所に立っていたとしても、片方の人は地面を見て「草しか生えてない。」と愚痴をこぼしているかもしれません。 しかし、もう片方の人は同じ場所にいるはずなのに「星空が綺麗だなぁ。」と、地面に目を向けずに燦然と輝く星に目を向けている。 この地面を見るか~星空を見るかの違いが、人生における取り捨ての違いでもあると思うのです。

    私はお客様が燦然と輝く星になっていただけたら、わずかではあるけれどお手伝いできたと言う喜びをいただけるのです。 (お客様の美しい心やオーラを視ていると、私の心は洗われるような感じになるのです。)

    価値観や生き方の違いもあるのでしょうが、お金が欲しいと言う感覚は私にはありません。 お金があれば寄付に回せると言う気持ちはありますが、それは寄付することにより助かる人がいると言う「人助けの地図」が描ける喜びによってです。 寄付するのがエライと思っているわけじゃなく、寄付を続けていくことにより笑顔になれる人達が増えるというのが私の原動力なのです。

    私は4畳半のアパートで生活しているし、TVは10年前の物だしビデオは壊れたまま、おまけに車も持っていません。 しかし、だからと言って何かが欲しいかと言われても、誰かと話ができる今の状態が幸せで、その上に健康で居られたなら欲しい物はないのです。

    まぁ、欲しいと言えば「忙しい日々が欲しい」のですが、お客様がきてくださり予定が一杯と言う状態が一番欲しいです。 (ヒマでヒマで、凹み気味の私です…。)

    あなたは自分がいる場所から、星空を見上げることができますか?

    ヾ( ̄ー ̄)X(^∇^)ゞ ナカマ~

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    やりたいこと。

    物事についての発想と言うのは、頭が固い人ほど一面しか見られないのです。

    例えば、摩擦があるから物を動かすのが大変と言えますが、摩擦があるから歩いたり前に進む力が生まれるなど、正反対のことが利点となることもあります。 仕事をしている時間は長く感じても、好きな人とデートをしている時間は短く感じるなんて言うのも、時の流れは同じだけ存在しているのに感じる自分の中でだけ変化があります。

    人類は食料や医療や生活環境を整えることにより、寿命を延ばすことができています。 本来の人間の寿命は、身体の質量や遺伝子から計算すると32歳くらいが限界であり、自然環境のみで生きようとすると今のように70~80~90歳と生きていくことは難しいのです。 (動物や植物のように生まれた時から自然環境に投げ出されたら、人は生きていけません。)

    では、他の生命体に比べて本来の寿命を延ばして死ななくなったと言うことは、ただ生きているだけではなく「生活設計や人生設計」と言うのが必要になってくるのです。 それがなく、ただ生きているだけの状態でいると「死にたくはないけれど、生きていてもすることがない。」 これが人間が老いて行く上でよくない状態を作り出しているのです。

    人生設計はアトで変えることになってもいいから、必ず必要なのです。 別に細かくあぁしてこぅしてと描かなくても漠然とした状態でいいので、人生における自分の生き方としての設計図がないと、ただ歳を取るだけの人生で何もすることがないのに生きているのは辛いと思います。

    ココで仕事を例に取って考えて見たいのですが、「やりたい仕事」とは自分の中で本当はなんだと思いますか?

    基本的に事務とか営業とか大まかな区分はあるのですが、今の時代は何でもできなければ許されない面もあります。 しかし、専門馬鹿では駄目かと言えばそうでもなく、ずば抜けた専門馬鹿ならば誰も文句は言えません。

    仕事を探す時にやりたい仕事は心の中になんとなくあるのですが、それに就く為の努力の前であきらめてしまうのは勿体無いと思うのです。 あなたのポケットの中にある夢や希望はホコリやゴミとして捨てる為にあるのではなく、いつかはポケットの中から取り出して陽の目を見る為に取って置いたと思うのです。

    夢や希望をかなえる為には、「やりたくないこと」 必ずコレに出会うのですが、そのやりたくないことがどれだけあるかで「本当のやりたいこと」が見えてくるのです。

    人と話をするのが苦手とか~PCを使うのは苦手などのやりたくないことが出てきたなら、それはものすごいチャンスなのです。 心の中にある真実を映し出す鏡のように、自動的に本当の自分を映し出してくれるからです。

    やりたくないことが多いのに、その仕事をやってみたくてしょうがない。

    これはもう、心がGOサインを出しているのです。 心の中にあるページに現在進行形で書いてあることが、自分がその仕事をして楽しい状態なのに「できない」と思い込もうとしても、心が拒否反応を出して無理なのです。

    仕事を例に取りましたが、人生にはできないと思い込んでいるだけで、「本当にできない」 そんな難しいことは、余り存在しないのです。 確かに人生に悩みは付き物ですが、悩まないのは鈍感だから悩まないだけなのです。 あなたは敏感で繊細なのだから、人生について悩むのは当たり前であり、問題について悩むのは解決方法が見つかる前兆でもあるのです。

    春が来る度に花が咲くのは、あなたが今日まで歩いていたことが間違いではないように自然なことなのです。 あなたが歩いてきた道が間違いならば花は咲かないのですが、あなたという大輪は綺麗に咲き誇るのだから、あなたの未来はきっと大丈夫なのです。

    悩み始めたら「死んでしまいたい」とか「死んだ方がまし」など、死を例に出して嘆く場合があります。 しかし、本当に死んだ方がましかと言えば、死ぬ苦しさに比べれば悩みの方がましということに「気付ける」のが人なのです。

    やりたいことは、してみればいいんです
    やりたくないことは、しなくてもいいんです。

    ただし、どちらの道を選んでも、後悔するのも満足するのも自分なのです。 自分の中で満足や納得が行くこと、それが本当に自分の進むべき道なのです。

    あなたは悩めるうちが花だと言うことに、ちゃんと気がついていますか?

    (*^◇^)/°・:*【祝】*:・°\(^◇^*)

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    ジェンダー。

    私が時々ですが、「ジェンダーバイアス」と言う言葉をココに書いているのを目にされると思うのですが、コレを理解している男性に出会ったなら「それは買い!」です。 株じゃないので「買い!」と言うのも変ですが、「買い!」と言うくらい素晴らしい出会いだと思った方がいいです。

    それと言うのも男女共同参画や男女平等などと、威勢だけはいいのですが実体はないと言うのが社会(会社内含む)の壁となっているからです。

    キャリアと言う言葉は基本的に経験や経歴を言いますが、人は職業的にも職種的にも年数が経てば自動的に経歴や経験は増えていきます。 ところが、そのキャリアに対してすら偏見の言葉があるのですが、キャリアウーマンと言う言葉は「女性は家事をしていれば良い」と言う前提で考えるから発生するのです。

    キャリアを積むのはイイことですが、その中身に対する評価をもう少し考えないといけないのです。 (それこそが、人材育成や確保につながるのです。)

    ただ漠然とミスをしないようにして年功序列に従い勤続10年の男性社員と、ヒット企画を飛ばすけれど失敗もしている勤続15年の女性社員。 この2人を比べたら「ミスをしない勤続10年の男性社員」の方が、今の日本社会では役職も給料も上になります。

    例えば、ケイタイの「Iモード」を企画立案したのは某女性社員ですが、あれだけ「反対していた男性社員」が今や「Iモード」におんぶに抱っこです。 反対していたくせに、成功したら「じゃあ、こう改良すればいい」とか「今度は、こうしよう」などと、勝ち馬に乗っているのが現状です。

    注:今ドコモは新規契約やナンバーポータビリティでひとり負け状態ですが、実はIモードを企画立案した某女性社員の方は、もうドコモではなく○○社に転職しています。

    もう少し社会が成熟しないと普通に話ができないと思うのですが、女性が理路整然と論理的に話しをすれば「かわいげがない」と言われます。 それじゃあと家庭的な話をすれば、「所詮、家の中の事や」と言われてしまいます。 ならばとばかりに世界情勢や政治について話をしようとすれば、「一丁前に、生意気なことを」と、あしらわれてしまうのです。

    結婚しない女性が増えたと言って、「女性の責任」に重きを置くのはもう止めないと、男性がひとり負け状態になってしまうのです。 周りを見渡してもわかると思いますが、モテル男性はひとり勝ち状態で、常に人の輪が出来ていると思います。

    そう言う男性は見る目の厳しくなった現代社会を、きちんと生き抜いているからです。 やはり、きちんと生きている人は最後の最後で人格や品格の部分が、きらりと違う何かを見せるのです。

    これをサービスに置き換えてみればよくわかるのですが、自分が良いと思うサービスを押し付けるような真似をするから相手に理解されないのです。

    例えば、会社にお越しになったお客様を応接室に通して、上司が来るまで相手をすると言うのはごく当たり前に感じます。 しかし、ここで選択肢をよく考えておかないと、相手がどう思うかと言うのを考えない接客になるのです。

    疲れていたら~書類に目を通したかったら~自社に携帯で連絡したかったら~WCにいきたかったらなど、自分が応接室にいること自体が相手の邪魔になるかもしれない。 この部分がどうかと言う点を見抜いて、気を利かす必要があるのです。 接客と言うのは「話し相手」となるばかりが能じゃなく、相手を一人にしてあげると言うのも「大切な接客術」なのです。

    そうしないと、もしも上司が応接室に来るのが1時間後だとすれば、下手すれば相手に対して「苦痛の1時間」を提供してしまう危険性があるのです。

    派遣でも正社員でも女性の場合は、男性社員がつまらない話をしても付き合わないといけないけれど、自分がつまらない話をすれば馬鹿にされると言う苦行が待っています。 上司が変わらないとか~夫が変わらないとか~彼が変わってくれないなど、女性がいくら一生懸命に話をしてみても、聞き入れてもらえないことが多いのは、女性が発する言葉の重みを軽んじている「ジェンダーバイアス」なのです。

    私はお客様に「夢や希望」の話をして、ドンドンと自分の人生を変えていただきたいと思います。

    変わらない人を相手にするには、人生は短すぎるのです。

    変わる自分の未来を作り上げる気になれば、変わらない人の相手をするエネルギーが無駄だと悟り、次のステップへサッサと進んだ方が自分の為にもなるのです。

    あなたは自分の人生を変えないまま、相手に言いなりで進んで行きたいですか?

    (≧ ≦)Ω ヨッシャ!

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    大須演芸場。

    おはようございます。 4月6日はブログをお休みしましたが、名古屋出張に行っていました。 事務所の中にばかりいるとタマには外へ出てみたくなるので、チャンスを作って外へ出てみると気分転換にもなります。

    今回はN市のIさんこと井上さんともお会いできたし、倉敷出身で名古屋在住の方や名古屋から倉敷に来ていた方など素敵な方々との出会いにより元気もいただけて、「また、行こう!」と言う気になる有意義な一日でした。 (次回の名古屋出張も、密かにカレンダーに載せていると思います。)

    名古屋での出張鑑定は初めてなので様子がわからず、かなり早めに名古屋に着いてしまいました。 開始まで約1時間半くらいあるので「どこに行こうかなぁ?」と思いましたが、いつも神社では芸がないので「大須演芸場」に行ってみましたが、今日は公演を行っていないようで入り口を見ただけです。

    なんで行ったかと言えばある意味ゲン担ぎもありますが、ココはお客様がいないのに潰れない不思議な演芸場なのです。 ただし、「大須演芸場」と言っても聞きなれない人が多く、正直言って誰も知らないと思います。(苦笑)

    大須演芸場(おおすえんげいじょう)とは、愛知県名古屋市中区の大須にある演芸場のことです。 大須観音のすぐそばにあり、1962年に木造2階建ての建物としてつくられて、その3年後に演芸場になりました。 当時は大須二十館と言われるほど演芸場が存在したのですが、現在残るのはここだけです。

    名古屋地区に限らず中京地区唯一の寄席で、落語~漫才~手品などの演芸や年2回のロック歌舞伎スーパー一座による公演が行われています。 (TVで言う、笑点のような感じです。)

    過去何度も閉鎖の危機に直面しながらも、その度に支援者達から救いの手が差し伸べられるので「奇跡の寄席」と呼ばれています。 席亭は1973年より足立秀夫氏で専属芸人の営業斡旋や席亭自らの講演料等によって、興行収入の減少を補っている。 足立秀夫席亭の著書「え~泣き笑いを一席… -- 大須演芸場涙の20年」に、その辺の事情が詳しく語られています。

    2007年6月にTVの企画で、その窮状を知った落語家の笑福亭鶴瓶師匠(過去、大須演芸場への出演経験有り)が無報酬で公演を引き受けて、その売り上げ金は施設の改修などに使われました。 また、楽屋通路の壁には1975年に明石家さんま師匠によってかかれた落書き(サイン)があり、そこには「今日も客なし 明日は? 明石家さんま」と書かれていて伝説にもなっています。

    ただし、そのサインがTVに映し出される局面では、必ずその上にモザイクが入るのですが、そのモザイクで消されている部分には何が書かれているのか、これは名古屋の人でも知らないと思います。

    実は明石家さんま師匠のサインの上側に、某芸人さんが「天下取ったる! 某○○」と自分のサイン入りで書いたからです。 その為、TV局もさんま師匠のサインの価値が下がるので、そのまま映せない為にモザイク処理をしているのです。 当然ですが、その芸人さんはさんま師匠より売れてないと言うか、名古屋市民以外は知らない可能性大の○○さんです…。

    なお、大須演芸場らしいのですが客入り具合(ようはお客様ゼロ)で、途中打ち切りになることもしばしばです。 また、三回公演の場合は三回目に全員が出ない、二回半公演というアバウトさもあります。

    ちなみにどういう芸人さんが出ているか、少しだけ紹介します。 (故人は除きます。)

    「かつら竜鶴」三味線漫談や民謡をする人で、警察官でもありカメラ店経営者でもあります。

    「名古屋のばたやん」バタやんこと田端義夫公認の、ものまねをする人です。

    「雷門小福」名古屋出身&在住の江戸噺家で、雷門の一党ではあるがデビュー以来ずっと名古屋で活動する落語家の方です。

    「桂福若」上方落語家なのですが、犬山市在住の為「名古屋の落語家」としてカウントされないようです。 桂福團治は師匠で実父、従姉の泉ピン子も大須演芸場に出ていたことがあります。 この人は阪神優勝時に、初めて道頓堀川に飛び込んだ人物でもあります。

    「桂ぽんぽ娘」元々落語家なのですが、以前は東京で女流漫談家のおさなぎ色として活動していました。 (2007年に桂文福の正式な弟子となって、『ぽんぽ娘(ぽんぽこ)』と命名される。)

    「ひとみちゃん」艶歌シャンソニエ家元で、無慈悲なパイプ所属。 本来は芸名の「み」の字の上にはフランス語の発音記号トレマがついているが、ウェブ上では再現しにくいので省略されたり、「ひと:みちゃん」などと表記されています。

    ここまで読んで「(?O?)…?」となった人がほとんどだと思いますが、知らない芸人さんばかりに思えても名古屋地区では有名人ばかりです。 (書いている私も自信ないんですが、多分有名人のはず…。)

    名古屋鑑定なのに奇跡の寄席「大須演芸場」の話しばかりでしたが、お後がよろしいようで…?

    (シ_ _)シ  ハハァーー ( ̄◇ ̄)ゞ スンマソーン

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    10年目の想い。

    彼と上手く行かない時には、上手く行かない理由があります。 その理由が自分のせいなのか、それとも彼のせいなのか、心の中にある理由探しはいつまで経っても堂々巡りで答えは見つからないのです。

    運命は常に動き続けて~変わり続けていくものなので、それに対して何もしない時には決定権を放棄したようなモノなのです。

    恋をするのに理由はないはずなのに、恋を続ける為には理由が必要になる時があるのです。 それは「好き」と言うヒトコトでいいのに、何も言ってくれないから不安になってくる。 そんな些細な理由から、お互いの行き違いが始まるのは悲しいことだと思うのです。

    ある女性はとてもラブラブな毎日を送っていて、彼との関係も何もおかしなところはなかったのですが、会いたいと言う気持ちが強すぎたばかりに行き違いが始まりました。 (仮に、A子さんとB男さんとします。)

    A子さんはB男さんと付き合い始めて半年になりますが、彼がバイトと友人関係を優先させる生活なので、徐々に会える時間が減り続けてメールと電話が精一杯でした。 それでも彼女はB男さんのことが大好きなので連絡を取るようにしていましたが、彼の方は好きなのかどうかわからないような返事ばかりでした。

    A子さんはついに怒りを爆発させて、「わたしより、友達やバイトの方が大切なんだ!」と言って、彼とケンカして電話を切ってしまいました。 電話を切った後、彼から連絡はないし~A子さんからも電話はしませんでした。

    「やっぱり、いつも会える人でないと上手く行かないのかな?」

    そう考えていた時に友達に合コンに誘われて、行こうかどうしようか迷った末に「うん、いく。」と返事してしまいました。 合コンはそれなりに楽しくて、A子さんはその中にいた、なんとなくイイナと思うCさんと度々会うようになりました。

    彼にはいくら連絡しても、会うことはできない。
    だけど、Cさんには連絡ひとつで会うことができる。

    A子さんは連絡の取れない彼に黙ったまま、Cさんとお付き合いをはじめるようになりました。 しかし、神様はこのような恋を許さないのか、いくら会えると言っても付き合い始めてみると全然気が合わないのです。 会うたびに「違う…。」と感じてしまうCさんとの恋は、長続きはせずに儚い恋は終わりを告げました。

    そしてA子さんは会社と家の往復と言う日常の生活のまま、時は流れて行きました。

    ある日、帰宅してみると一通の手紙が届いていました。 「あっ、彼からだ。」 その手紙はB男さんからのモノで、中にあったのは手紙ではなくMDが入っていました。 A子さんは「手紙じゃなくMD?」 こう思いながら聞いて見ると、A子さんが好きな曲ばかりで編集されていました。

    しかし、A子さんはB男さんに連絡を取りませんでした。 今さらと言う思いがあり、それが許せなかったのかもしれません。 それでも、寂しい夜には彼のMDを聴いて過ごしていました。

    そして月日は流れて行き、その後もA子さんは何人かの男性とお付き合いをしましたが、B男さんと同じくらい好きになれる人はいませんでした。 「B男は、今頃何しているのかなぁ?」 辛い時や悲しい時に思い出すのは、優しくて素敵だったB男さんのことばかり…。

    それから10年経ったある日の夜、いつものようにMDを聴いていたA子さんの耳に、無音のまま動き続けるMDから何かごそごそと音が聞こえてきました。

    「ん?」 いつもは聴き終わるとすぐにMDを止めていたのですが、今日は止めずにほったらかしにしていたので、何かが聞こえてくるのです。 そのまま止めずに聞いていると、ごそごそした音が変わり、彼の言葉が聞こえてきました。

    「あ~、あっ。 え~っと。 あの~…A子、いつもごめんな。 会えないけど俺はオマエのことが大好きだ。 いつも一緒にいたいと思っているけど、バイトがあるからいつもすまないと思っている。 だから、オマエにきちんと俺の気持ちを伝えたいと思うから、今週の日曜日にいつもの場所に来てくれ。 今度の日曜日は俺たちが付き合い始めて、一年になる記念日だからな。 じゃあ、待ってるから…。」 それは、B男からのメッセージでした。

    なんと10年経った今、A子さんは10年遅れで彼のメッセージを受け取ったのです。 A子さんはすぐに彼へと電話したのですが、その電話はもう使われていませんでした。 10年と言う月日は彼の住む場所や彼女の立場など、色々な物を変えるには充分過ぎる時間なのです。

    もしもA子さんが、あの時にヒトコトでイイから彼に「MD、ありがとう。」 このお礼のヒトコトを言っておけば、彼女の人生はまた違ったモノになっていたのかもしれません。

    「10年目の想い。」

    彼の想いは伝わったけれども、彼女が受け取らなかった以上は伝わらないのと同じであり、その後悔の想いを前にしてA子さんは涙が止まりませんでした。

    あなたは誰かの想いを無にせずに、きちんと受け取ってあげていますか?

    .・゜゜・(/。\)・゜゜・.

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    自分探し。

    今日は土曜日ですが、今日のあなたはどんな素敵な一日になると思いますか?

    自分は何者なのかとか、自分の使命は何なのかとか、自分は何の為に生まれてきたのかなど、自分探しを時に人はしたくなるものなのです。

    自分探しとはものすごくイイ言葉なのですが、本当に自分探しができているならOKです。 しかし、言葉や雰囲気に流されて「自分探しのフリ」だけしていると、いつまで経っても同じことの繰り返しで前に進めないから、どうして抜け出せないのかと迷い始めるのです。

    自分探しの旅と言うのは、実は人に嫌われてしまうかもしれない覚悟が必要です。 上司や先輩や同僚など、周りにいる人達の顔色や考え方を伺い続けていると「良い人」ではあるけれど、それだけに終わってしまうのです。

    平凡な生き方は悪くないし、安定した生活を求めるのも善であると思います。 ただし、その生き方をつまらないと感じるなら両手に持っている荷物を下ろして、新たな荷物を持つ準備をしなければならないのです。

    人は「パン」だけでは生きていけない。
    人は「夢」だけでは生きていけない。

    コレが両立するのが一番いいのですが、ナカナカすぐに両立することはないのです。 漫画家や作家など夢の道を進み始めた時に、収入を考えている人は途中投げしてしまいがちです。 それは芽が出ない時に「自分はなにをしているんだろう?」と思い始めて、その部分だけが頭の中で大きくなっていくからです。

    しかし、漫画を描くのが好き~ダンスを踊るのが好きなど、それをすること自体が好きな人は、夢の方から近づいてきてくれるのです。 思いは叶うと言うのも、その思いの対象が純粋な気持ちなのか、それとも「それによる効果を狙う不純なもの」なのか、運命はよく見ているものなのです。

    本当に自分探しをしたいのならば、自分探しとはどういうものなのかを見つめなおして欲しいのです。

    ココで気付かないといけないのが、あなたが夢中になれるものがあれば自分探しはしないと言う点です。 今のあなたが何かに夢中ならば、「自分探し」と言う言葉は不要のはずなのです。 今のあなたが悶々として何もできないでいる自分をどうにかしたい、その気持ちがあるから自分探しをするのだと言う点を忘れていると、自分探しの掛け声だけで終わってしまうのです。

    10年後の自分を想像してみて、幸せな自分が想像できるのならそれでいいんです。
    10年後の自分を想像してみて、活き活きした自分が見えてくるのならそれでいいんです。

    しかし、10年後の自分が想像できないし、10年後に何をしているかも見えない。 これは今と言う時間に何も行動していないことになるのです。 自分探しは見かけのことを言うのではなく、自分の心の中にあることを言うのです。

    会社内で出世して、課長とか部長とか~はたまた社長と呼ばれる位置になったとしても、夢中で仕事をできていないのなら、それは本当の自分じゃないと言うことなのです。

    ココで自分探しの難しさについてお話したいのですが、良い人である間は自分探しは無理です。 良い人と言うのは社会生活においては問題ないのですが、あくまで良い人と言うのは他人や周りの評価なのです。

    子供の時を思い出して欲しいのですが、夢中になった時には親に怒られたり~先生に叱られたり、友達と喧嘩になったりとトラブルだらけだったはずなのです。 しかし、そのトラブルがあってもやりたいことはやりたいと、自分の意思を最優先させてきたと思うのです。

    あなたが希望の花を咲かせるというのは、「夢中になれる時。」 夢中になれない人生ではいくら気取っても砂上の楼閣にいるようなものであり、初恋が叶わないことを「本当は好きじゃなかった」と言い訳するようなものです。

    あなたの心が捕らわれたことは、それはやりたいことに他ならないのです。 振り子時計がきちんと時を刻めるのは、向こうへ言ったら帰ってくると言う地道なことを飽きずに繰り返しているからです。 本当に好きなことならば、飽きずに何度でもチャレンジできるはずなのです。 途中で止めてしまうと言うのは、本当はそこで止めてもいいくらいの内容でしかなかったと言うことなのです。

    あなたがもう一度、「あの頃に戻りたい」 そう思ってみたところで、時間の流れは誰に求められないのです。 時間は流れていくだけであり、その終着駅は誰にも見えないままなのです。

    あなたは「もう一度…。」と後悔するのではなく、「もう一度!」と再チャレンジにおいて「もう一度」と言う言葉を使って欲しいのです。

    あなたは自分探しを、もう一度チャレンジできますか?

    (ToT )( ToT) ウルウル


    お知らせ:明日は出張の為ブログの更新はお休みして、7日(月)から再開します。 m(__)m

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    成功への道。

    おはようございます。 今日は金曜なのでヒマな私ですが、何故か金曜はヒマな時ばかりなので掃除と読書の日々です。 今日の予定としては午前中に業務用エアコンの分解掃除をして、午後からは10月に出す本の内容を考える予定です。 何もせずに運命が変わるわけじゃないので、ヒマな時間には何かをしろと言うことでもあるのです。

    成功への道は考え方にもよりますが、当たり前のことを当たり前にするだけでいいのですが、それが本来はとても難しいことなのです。

    私は霊視と言う名称ではありますが、とんでもない話をすることはありません。 ごく当たり前のことや内容をお話しするだけであり、「日の出と共に東を向いて、妖精さんにお願いすれば望みは叶う」なんてことは言わないです。

    人生において「成功」と言う言葉から連想する内容は100人いれば100通りであり、それに対する幻想は誰しも持つものです。 しかし、その成功と言う名の幻想に対して楽な部分を見るのは簡単ですが、苦労する部分に焦点を当てないことにより「失敗」に終わってしまうのです。

    これを雑誌に例えてみると、固定ファンを持つ専門誌など一部の雑誌を除いて、部数を伸ばすことは難しい時代になっています。 それは当たり前ですが、その雑誌を読まなくてもネットやTVがあれば事足りると言う状態を作り出しているから、その雑誌を買わなくても間に合ってしまうし、仮に読む必要があっても立ち読みで充分補えてしまうのです。

    今の雑誌作りは難しいのですが、それは共通性やターゲットの特定化ができないからです。 誰しもが同じで満足するのなら、そのコンセプトだけに絞っていれば大丈夫なのですが、少数向けや多様化によりコレをしておけばイイと言うものがないのです。

    私が載っている雑誌や原稿を書いた雑誌は「部数が出る」と言う自負はありますが、それは自分が言っているだけで実際はそうでもないかもしれません。 それと同じことで今の雑誌作りは誰もがわからない状態なのに、「自分の中で行けると言う企画しか手がかりがない」と言うのが本当のところなのです。

    だから最近の雑誌作りは、食べ物に関する内容を主体にしてお店の紹介ばかりになったり、成功者の体験談や秘訣を載せるインタビューが多くなってしまうのです。

    しかし、ここで間違えやすいのですがお店の紹介にはちゃんとその理由があります。 編集部の人がよく行くお店だったり、たまたま広告代理店から売込みがあったりなどの関連性があるから掲載されているだけなのです。 (それを掲載することにより、何らかの利益や利害関係があるから掲載されるのです。)

    次に成功者へのインタビューでも読者の目を引き付ける内容にしないといけないので、何か人と違ったキッカケの部分を強調して、「○○だから、□□社長は成功した!」と言うような小見出しになってしまうのです。

    楽天の三木谷社長でもユニクロの柳井社長でもいいから、「成功の秘訣」を聞いてみればヒトコトでは言い表せない内容なのに、その中で派手な部分だけを載せてしまうから世の中を不公平に感じてしまうのです。

    三木谷社長が楽天市場をスタートさせた時には、わずか6店舗しか三木谷社長に賛同してくれず日々営業に回る生活だったのですが、その地道な苦労の部分には誰も焦点を当てません。 棚井社長が押し付け経営をしたことにより従業員の反乱にあって、お店が倒産かもしれない状況になったことも掲載されません。

    商売に限らず人生には楽する為の魔法はないので、コツコツと同じことの繰り返しや数限りない失敗の中から蓄積したノウハウ、このような小さな積み重ねがあるからこそ、頂点に君臨することができるのです。

    言ってしまえばなんでもないこと、そんな小さな積み重ねや努力が今を築き上げているのですが、「それを言っちゃあ、お終いよ」とばかりに掲載していないだけなのです。 インタビューの中ではちゃんと地道な努力の部分も話しているのに、それを掲載するかどうかの編集部分でカットされているだけです。 雑誌を売る為には派手な部分を強調しないといけない、これは雑誌を売る立場からするとごく当たり前の戦略なのです。

    私はお客様に「誰にでもチャンスはある」と言うお話をしますが、これは嘘でも誇張でもありません。 ちゃんとチャンスはあるのですが、「戦略と行動」がない為に人生にあきらめを感じてしまうのです。

    私がお客様に「夢や希望を持ってください」と言うのは、この部分を指して言います。

    お店を出したいとか~漫画家になりたいとか~ダンス教室を出したいとか、これらは全て叶う夢なのですが、「その為に何をすればいいかの戦略とその戦略を実行すること。」 この2つがきちんとかみ合っていなければ、夢や希望に対してやる気が出るはずはないのです。

    あなたは成功できるのですが、成功への戦略と行動が伴っていないだけなのかもしれません。 しかし、それは自分の意識改革により手に入れる部分なので、自分には夢があると思うのならば、それを叶える為の戦略部分が大事なのです。

    あなたは成功への道を自分の中で、どのように描いていますか?

    ρ(..、)ヾ(^ー^;) ヨシヨシ

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    犬型と猫型。

    「どうして、わたしは恋愛が上手く行かないのかなぁ~?」

    こう思う人は、自分の過去の恋愛を振り返ってみて、どのような恋をしてきたのかの再検証をしてみるのもいいと思います。 恋には色々な形があり、奥様や彼女がいる人を好きになる時もあれば、遠距離でナカナカ会えないような恋もあります。

    例えば、恋愛には「犬型と猫型」の両方があるのですが、自分はどちらか把握していないと辛い恋愛になるのです。

    「犬型(ワンちゃんタイプ)」の恋愛と言うのは、好きになった相手のことをいつまでも忘れず、優しかったことや想い出のプレゼントなど、2人の間にある素敵な想い出を抱えてする恋愛です。 こうなると、相手に酷いことをされても「自分が悪いからだ…。」 このように相手の理不尽な行動を受け入れてしまい、耐えて~耐えて~耐え忍ぶ恋愛に突入してしまいます。

    「猫型(ネコちゃんタイプ)」の恋愛と言うのは、好きになったそぶりを見せて甘えたりするんだけど、肝心な所でスット引いてしまい相手を引き寄せるようにする恋愛です。 好きなのかどうか思わせぶりなことをして気を引き付けるのだけれど、少しづつ遠ざかり~決して相手との距離を縮めさせないように保ちます。

    恋の駆け引きと言うけれど、それが簡単にできれば苦労はないのです。 ならば、駆け引きを使うよりも、正直な気持ちで美しい恋愛をする方が気分がイイと思うのです。 幸せな恋とは、何を持って幸せかと言う答えの先にあるものなのです。

    顔を気にするなら、イケメンの人との恋が幸せ。
    お金を気にするなら、高収入の人との恋が幸せ。
    愛を気にするなら、相思相愛になれる人との恋が幸せ。

    幸せの基準とは自分が作り~勝手に相手をその基準に当てはめて、達しないからと言って自分が切り捨てているから、いつまで経っても本当の恋にめぐり合えないのです。 恋とは計算してできるものではなく、準備できていない時にいきなり好きになるから恋なのです。

    素の自分で勝負できるようにしておかないと、イイ恋ができない理由のひとつがコレです。 いつ恋に落ちるかわからないから、準備は常にしておかないといけない。 しかし、いつも恋のことばかりに集中していられないから、素の自分で勝負できるようにしておく必要があるのです。

    それはまさに、鶏と卵の関係です。 どちらが先かと言う前に、その起源がしっかりしていないと無理なのです。

    占い師でもそうですが、お客様が来ないお店ほど~流行らないお店ほど、派手に宣伝広告してお客様を寄せようとしなければなりません。 しかし、正しいことをしている正直なお店なら、クチコミで自然と流行ってくるのです。 ベース(基)がしっかりしていると言うのは、見せ掛けの理念ではなく本質が正しいと言うことに他ならないのです。

    料理店でも同じことで、自分では何もしない薀蓄たらたらの料理人は横へ置いといて、真の料理人がするべきことはひとつだけです。

    それは「素材の良さを最大限に引き出す。」 これ以外に料理の基本はないのです。

    素のままの自分を見て欲しいと言うのはイイことですが、何もしない自分を見せるのは恋以前に人としてのマナー違反です。

    かわいくなろうと努力したり、かっこよくなろうとお洒落したり、今の自分ができる最大限の努力をして、その評価や判断は相手に任せると言うのが「素のままの自分」だと思うのです。

    イイ恋ができないと悩む前に、周りを少しだけ見渡してくださいね。

    あなたの周りには独身やフリーの人もいれば、彼がいる人や旦那様がいる人などさまざまです。 しかし、ここで少し見方を変えてみて、あなたの上司や同僚~友人~知人などの人間関係の中で嫌いな人を見てください。 独身の人もいるでしょうが、彼や旦那様がいる人もいます。

    つまり、あなたがいくら嫌いだと思っている人でも、その反面には「キミのことが好きだ」と言ってくれる異性が、その嫌いな人にはいると言うことなのです。 見方と言うのは自分から見た側と相手から見た側では、全然違って見えることもあるのです。

    心配しなくても、あなたはイイ恋ができるのです。 余計な心配をするヒマがあるのなら、自分が素のままでいるのかどうか、そちらを気にした方が前に進める勇気となるのです。

    あなたの恋愛はワンちゃんとネコちゃん、どちらのタイプですか?

    どうもです (' - ' *)ゞカキカキ

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    ライオンにまたがる。

    2008年4月1日、早く言えば昨日なんですが百貨店大手の三越と伊勢丹は、持ち株会社「三越伊勢丹ホールディングス」の下で経営統合しました。 デパートの中でも三越と言えば、延宝元年(1673)に「三井高利」が江戸本町1丁目に「越後屋呉服店」を開いたことが始まりになります。

    三井高利は当時としては商法をくつがえす、「店舗前にて現金売り」 現代で言うバーゲンセールみたいなもので、庶民の心をとらえて大繁盛しました。 そして延宝6年(1678)には駿河町に移転して、両替店も同時に設置したのです。

    しかし、明治に入ると呉服店は、時代の流れに沿わなくなってきたのです。 明治維新により数々あった武家の得意先を失ってしまい、それに加えて文明開化の足音と共に洋服も出てきたからです。

    三井は「三井銀行~三井物産~三井鉱山」など目覚ましく発展しましたが、呉服店だけは取り残されてしまったのです。 そして明治5年に呉服店は三井の基本路線からはじき出されてしまい、三井の「三」と越後屋の「越」を取った三越家をたちあげ、「三越得右衛門」たちの経営となりました。 (ただし、明治26年に三越得右衛門は三井に復姓して、三井得右衛門となりました。)

    その後の流れとしては、明治28年に慶應義塾出身で三井銀行大阪支店長の高橋義雄氏が、三井呉服店の理事に就任しました。 高橋義雄氏は三井銀行の改革に力を尽くした中上川彦次郎氏を通じて人材確保に当たり、まずは三井銀行本店副支配人で慶応義塾出身の「日比翁助氏」に三井呉服店入りを頼みました。

    この人事は高橋義雄氏が日比翁助氏の人格を見込んで、建て直しの為の旗手として任命したのです。 日比翁助氏は明治31年に三井呉服店副支配人に就任して、高橋義雄氏と共に改革を進めました。 時は流れて明治37年12月6日に、株式会社三越呉服店が設立されました。 その時に日比々翁助氏は、三越呉服店の専務取締役となりました。

    改革派の日比翁助氏は「デパートメントストア宣言」をして、ここで日本初の百貨店としての道を三越呉服店は歩み始めたのです。 明治39年に日比翁助は視察の為に欧米に飛びましたが、そこでイギリスの「ハロッズ百貨店」を目標にしようと決意しました。

    帰国後に洋服部(明治29年以後休業)を復活させて、明治40年には靴や洋傘なども揃えました。 次に輸入品を取り入れて三越ならではの商品を販売して、次々と品揃えの幅を広げていきました。 そして、明治41年に三越呉服店は新店舗となり、従来の呉服店の雰囲気を一新しました。 大正3年には三越呉服店はルネッサンス式鉄筋5階建ての新店舗となり、日本初のエスカレーターが設置されて、全館暖房設備が整い時代をリードする百貨店となっていきました。

    ココまでが三越の歴史なのですが、今日の本題はライオン像による伝説です。 (ライオン像は三越のシンボルです。)

    日本橋三越本店の正面玄関にあるライオン像は、待ち合わせ場所として多くの人に利用されていますが、これは日比翁助氏のアイデアで二頭のライオン像が設置されたのが始まりです。 日比翁助氏はライオンが大好きで、自分の息子に「雷音」と名前を付けたほどでした。 もちろん、三越がライオンのような王者になることを願ったのはいうまでもありません。

    このライオン像はうずくまる形で、前足から尾まで269cmで高さは120cmの青銅製です。 モデルとなったのはロンドンのトラファルガー広場にあるネルソン提督像を囲むライオン像で、動物画家で彫刻家でもあるランドシィーアの作品です。 ちなみに日本橋三越本店のライオン像は、それを模して彫刻家のメリフィールトの模型を鋳造家のバルトンが作りあげたものです。

    昭和16年太平洋戦争開戦後に金属回収の為に海軍省に供出しましたが、幸運にも溶解を免れて東郷神社に奉納されているのを社員が発見して昭和21年に本店に戻りました。 三越本店には天女像やパイプオルガンなど歴史あるシンボルがありますが、ライオン像は本店だけでなく全国の三越の支店にも設置されており、三越のシンボルとして愛され続けています。

    ライオン像にはいくつか伝説があるのですが、ひとつは「ライオン像にまたがると願い事が叶う」と言われております。

    ただし諸条件がいくつかあり、まず三越本店のライオン像のみで正面に向かって右側のライオン像です。 次にハイヒールにスカートと言うある程度の正装で行き、誰にも見られないようにまたがってライオン像にお願い事を唱えるのです。 効果はテキメンらしいのですが残念ながら女性だけ?らしいので、男性は意味がないかもしれません。 (詳しいことは、鑑定の時にお聞きくださいね。)

    もうひとつ不思議な話しですが、日比翁助氏は亡くなる時に「三越本店以外は、ライオンを1頭にしてくれ」と言い残して亡くなっているのですが、それを守らず正面玄関に2頭設置した店舗があります。 実は倉敷三越も、「2頭いる」店舗だったのです…。

    全国にある三越の支店のうち日比翁助氏の言いつけを守らずに、「玄関に2頭」飾っている店舗は次々と閉鎖や撤退になっています。 これは偶然と言われれば偶然かもしれませんが、アヤシイ?霊視カウンセラーとしては、日比翁助氏の言い付け通りに「ライオンを2頭飾ることができるのは三越本店のみ」としていれば、各地の三越撤退はなかったと思います。

    調べればすぐにわかりますが、今現存する三越の支店は言い付け通りにライオンを1頭飾っているお店だけです。

    「なんで日比翁助の遺言を知っているんだ?」と言われても困るのですが、コレに関してはアヤシイ?霊視カウンセラーということでご勘弁くださいね。 コレを読んでいる日本橋三越本店の方は、この話しを上司など日比翁助氏と仕事をしていた人に聞いてみれば、真実かどうかすぐにわかると思います。

    あなたはライオンにまたがると願いが叶う伝説に、チャレンジしてみたいと思いますか?

    \(゜・ ゜)お願いしまぁす~☆

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    捧げる価値。

    今日は4月1日なので、仕事始めとなる人や会社も多いと思います。 仕事をしないと人は生きていけないのですが、生きていけない内容が「金銭面や生活面」と「充実感や達成感」のどちらになるか、それは個人個人の考え方によるのです。

    今日と言う一日を歩み始めたあなたには、新規一転できる希望の日となっていただければと思います。 その為にも「人生を捧げる価値があるもの」を、見つけださないといけないのです。

    それを人は、「夢や希望」と呼びます。

    大部分の人は真面目に仕事に行ってお勤めを果たしていますが、その会社に勤めるという部分で自分の夢や希望を失って行くのは悲しいと思うのです。 会社に勤めると言うのは安定を求めることが基本ラインなので、異分子は弾き出されてしまうことになります。 不思議なことに人は安定を求めると同時に危険な一面、安定の後には冒険を求めるものなのです。

    ただし、理性や状況がそれを許さない為に、今度は耐える生活に突入することになるのです。

    会社と言うのは不思議なもので、オーナー以外は誰も楽しくないと思いながら働いているのです。 「うちの会社は~」 こう言いつつ、会社に対しての愛着と言うのはそれほど沸いてきません。 しかし、愛着は沸かないけれど生活の為の収入を得るという面で、自分自身を納得させているのです。

    基本的に会社と言うのは責任や業務内容を分離してあり、それぞれが独立しているのだけれど、お互いがなければ成り立たないという「心のない」不思議空間なのです。 そして、この中身や心のないモノに、命を掛けるなんて馬鹿なことをしてはいけません。 上司のイジメに耐え切れずにうつ病になるなんて言う、自分の身体を壊してまで勤める場所ではありません。

    人の心には正義感や、自分なりの信念と言うものがあります。 強く生きたい~誰かの役に立ちたい、色々な思いが頭の中を駆け巡り葛藤することで可能性を見い出すのです。

    では、会社に勤めている中で「どうして、嫌気が差してくるのか?」 コレの答えは簡単で会社における利益至上主義が見えてきたからであり、それ以外の価値が何もないことに気が付いたからです。 残念ながら会社と言うのは利益を出してお金を儲けること以外に、存在できている理由がない架空の存在なのです。

    会社が潰れたら困ると言う考えの人もいますが、会社が潰れて困る人はこの世に存在しないのです。

    会社が潰れて収入の道がなくなり、今の生活が維持できなくなるのが困るだけです。 会社が潰れても、次に行く所が決まっている人は余裕で居られるはずです。 会社が潰れていく所がない、会社が潰れてローンが払えなくなる、このように会社が潰れることにより発生する、個人的事情で困る度合いが違ってくるのです。

    ただし、潰れる会社と言うのは逆に考えると存在意義がなくなったと捉えることもできます。 必要とされていたら潰れるわけがないし、必要とされている会社が赤字になるわけがないのです。

    会社と言うのは利益を得るためには手段を選びませんが、これは人間の本質と似ています。

    自分が助かる為には人を犠牲にしてもイイと言う教育、コレの最たるものが団塊の世代というモンスターペアレントやモンスターペーシェントの基礎となる大人達です。 団塊の世代がもっとしっかりしていれば、日本社会におけるモラルやマナーが違っていたと言う意見が多いのは歴史が証明しているのです。

    会社組織は利益の為なら、消費者を騙すとか~下請け企業を泣かすとか、はたまた社員を抑圧するなんてこともするのです。 これは小さい会社では余り酷くないかもしれませんが、会社が大きくなればなるほど酷くなってきます。 そういう中で良心がある人ほど、思い悩んでしまうのです。

    「こんなことで、いいのか!」

    この思いは人としての良心の叫びなので押さえ込んでいると、自分も悪に手を染めてしまうという葛藤の中で、日々の生活を過ごしていくようになるのです。 そうこうするうちに会社にいる間は自分を殺して生きることを覚えてしまい、気が乗らないけれど仕事をしなくてはいけない。 コレの繰り返しで夢を失ってしまい、いつのまにか感動するという心の喜びを忘れてしまうのです。

    こんなことをしていて、人生が楽しいと思えるはずがありません。

    会社の本質とはこの程度で、生活を支える為の基盤としての意味はあるかもしれませんが、人生を捧げるという意味はないのです。 人生を捧げるというのは、自分の心が前向きになれることでなければ嘘になるのです。 嘘になるということは、自分で自分を騙すことになるのだから、やりきれないのは当然なのです。

    私はお客様が活き活きとした「夢や希望」を持ち続けながら、日々の生活を過ごしていただきたいと思うのです。

    あなたは自分が捧げる人生の重みを、どれだけ感じていますか?

    ( ̄~ ̄;)ウーン・・・

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