徒然草(岡山・東京・山崎かずみ)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    モチベーション。

    さて、昨日の続きですが、良い人材を得る為に必要な社長の条件とは「人材に対する考え方を変える」 つまり、人材観がものすごく重要になってくるのです。

    伸びない会社の社長が作る雰囲気とは決まっていて、「誰が飯を食わしているんだ」 コレに尽きるのですが、会社が給料を出してやっている~ウチの会社があるから社員は助かっているなど、こちらが選んでやっていると言う社長がいる会社は、社員の方々にとって辛くて苦しい居場所になります。

    某社長いわく、社員の側にも黒字社員と赤字社員の2種類が居ると発言したことがありますが、確かにそれは正論です。 たくさん働く人とサボる人が同じ給料ではおかしいし、会社に利益を齎す人と会社の経費を使いまくる人では、黒字と赤字の差が大きいと言うのもわかります。

    社長の言い分としてはわかる面もあるのですが、残念ながらホンのちょっとだけしかわかりません。

    会社が伸びる要因としては社長の戦略や力量もあるでしょうが、基本的に良い人材が社員とならなければ無理です。 現状のレベルをぶち壊してくれる人が入ることで、会社内のレベルが上がり~更にまたその上の人材が寄って来ると言う正のスパイラルにならなければ、会社が伸びることは決してないのです。

    しかし、鶏と卵の関係と似た所があり、会社に魅力があるから良い人材がくるのか~良い人材がいるから会社に魅力があるのか、その部分において人材に関する目を養わなければ社長としては失格です。

    口先だけの社長がよく言う言葉に「力のあるヤツには、ナンボでも金は出す!」 カッコヨク言った所で実力のある人は黙っていても高収入になっていくし、その上のクラスになるとお金では動かなくなります。 社長たる者、キチンと給料を支払った上でモチベーションを維持するようにするのは当たり前であり、目先のことしか考えないような人が何を言っても絵に描いた餅です。

    そのモチベーションを作る(保つ)為には、最低でも「環境と報酬」が必要です。

    まず環境と言うのは、働きやすい状態にしているのかと言う部分です。 コレは会社内にバーを作れとか、会社内にサウナやスポーツジムを設置と言うわけではなく、快適に働けるようにオフィスの内装に気を配りなさいと言うことです。 単なる事務机よりも、デザイン性豊かなイギリス製の机で仕事をしたら、働く人の心がどれだけ和むのかを考えないといけないのです。 ちょっと休憩するのでも、ペルシャ製のフカフカじゅうたんでフランス製の高級ソファに座って、しばらく目を閉じることができるだけでも、空間の豊かさに伴う心の充電が違ってくるのです。

    次に報酬と言うのは、労働したらキチンと評価しろと言うことです。 仕事をしても報酬が払われないのでは、いくら雇用されている立場とは言え頑張れるはずがないのです。 こういう話をすると「給料を出したいけれど、ウチも苦しいから…。」 必ずこう言い返してくるのが、できない社長の常套文句と考え方です。

    会社が社員に投資しないのなら、どうやって未来を作り上げることができるのか? (長期的視野がないから、目先の欲ばかり追いかけるのです。)

    私も色々な社長の「先立つものがない(お金がない)」と言う台詞を聞いてきましたが、そのわりには「社長室を持っているのは、どう言うことやねん?」 社長室を構える余裕があるなら、その分を社員への報酬に当てればいいだけであり、お金がないと言うのは「自分の取り分を減らしてまで、社員に払うのは嫌だ!」と言う考えが根底にあるからです。

    お金がないと言う社長を霊視すると、お金がないわりには「車や家にお金をかけている」のがとても不思議です。 そんな物にお金を出す余裕があるのなら、「ボロ家に住んで軽四に乗って」お金を回せばいいだけです。

    はっきり言ってモチベーションを高める内容(投資)と言うのは社員の為にすることであり、社長のモチベーションを高めるお金は一円もいらないのです。

    社長と言うのは会社のトップであり、自分の会社だからそれだけでモチベーションが高いのです。 自分のことだから当然一生懸命にするし、自分の会社だから愛着もあるのです。 しかし、それは自分のことだから必死でやるだけであり、自分の会社でもないし社長より給料の低い従業員の方にうるさく言うのは、社長の考え方自体が間違っているのです。

    社長の給料や財産はゼロで結構~ついでに社長こそ休みはゼロで結構ですし、その分を社員の為に投資をして未来へ未来へと道先案内をするのが社長の役目です。

    あなたは未来における自分の姿を、どんな社長に道先案内してもらいたいですか?

    ( ̄ー ̄)v ブイ!

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    社長論。

    先日マスコミを賑わした某社長の暴言「休みたいなら辞めろ」 これは経営者や役員と言う立場にある人に対しての言葉であり、社員や従業員の方に言う言葉ではありません。 社長と言うのは給料が高いのだから~自分の会社なのだから、自分自身は休むくらいなら辞めると言う考えでいいと思います。

    しかし、それを一律に当てはめて全員にそうしろと言うのは、能のない社長が言う話です。

    私は学生時代のバイトから社会生活における就職と言うものを含めて、こういう上司や社長の元なら楽しく働けると言う理想があります。 自分がされて嫌なことや自分が認められない悔しさや辛さを、「相手にさせてはいけない」と常に考えていました。

    経営者の人が相談に来たら、まず「従業員の待遇改善」と「お客様に対する姿勢」を一番に言うのですが、理解できずに怒って帰る経営者もいます。 しかし、コレが理解できない経営者は遅かれ~早かれの違いはあるにせよ、いずれは淘汰されていく運命です。

    今まで生きてきた経験だけでなく霊視的な側面から見ても、「社長とはこうあるべき」と言う私なりの社長論があります。

    このブログ上で会社経営に関しての話を時々していますが、会社が儲からないのは~会社が発展しないのは「社長の責任」 これ以外に原因はひとつもないのに「社員が~」「行政が~」「運が~」 言い訳させるとキリがないくらい色々言う社長(経営者)がいます。 しかし、こういう言葉しか出ないのを「できない社長」と言うのです。

    社長にとってまず一番に考えなければならないのは、会社を作ることではなく「存続させること」 会社を存続させられるなら、売り上げ規模や取引先の大きさなんかはどうでもいいことであり、社名でも制服でも戦略でも変えられることは全部変える姿勢でないといけないのです。

    さすがにITソフト提供会社を明日から魚屋さんに変更しようと言うのは無謀ですが、ITソフト提供会社からそれに加えて企業戦略の提供もする、ソフト+戦略の会社に変更するのは無理ではありません。 今までコレでやってきたから、今後もコレで行こうと言うのは時代遅れもはなはだしいのです。

    次に多い勘違いが「雇っている方が偉い。」 実力もないのに社長に君臨している、石頭社長&二代目社長に多い勘違いです。

    こんな考え方の社長では、会社の未来は暗いと言ってもいいのです。 会社と言うのは社長だけではやれませんが、「総務~営業~現場など」 色々な部署にいる人のおかげで会社が維持できているのです。 自分ひとりで何ができるかと言えば、何もできないのが社長と言う存在なのです。 社長は偉いと言う感覚と意識を捨てなければ、会社の維持はできても伸びることはありません。

    残念ながら「企業は人なり」とは掛け声だけなので、社長や経営者が偉いという勘違いに付き合う人が21世紀においては少ないのです。 この時代の変化についていけない社長が、いつまで経っても「良い人材がいない」と嘆いているのです。

    人材がいないと言う社長の頭の中を見てみたいのですが、コレだけ人材が溢れかえっている時代の中で人材がいないと言うのは、「私には社長としても器がありません。」と言っているのと同じです。

    今の日本では「高校~大学~専門学校~大学院」 これらの最終学歴がずらりと並び、海外のように小学校も出ていないとか、字の読み書きができないと言う人を探す方が難しいです。 つまり、今の日本では良い人材はいくらでもいるのに、その人材と巡り合えないレベルだと自分で言っているようなものです。

    できない社長が言うことは決まっていて、人材と言う名目において一番に希望するのが「ワシより仕事のできる人間を採用してくれ(探してくれ)!」 こういう馬鹿な話をする人が社長になっているから、転職する20代~30代の人が後を立たないのです。

    人を採用する時の基本原理として「その会社の社長よりも優れた人材は取れない」と言うのが大原則なのです。 こう言われるとワンマン社長や2~3代目のボンボン社長は、「いやぁ~、そう言われると参ったなぁ~(笑)」などとニヤケル人が多いのですが、コレは別に褒めているわけではありません。

    冷静に考えればわかるのですが、社長より実力や能力のある人が「おとなしく付いてくる&会社内に収まる」 なんてわけがないのです。 それにできる人と言うのは使いにくいものであり、仕事のできる人は「できない社長」には使いこなせないのです。

    わが社には良い人材がいないとか~ワシのところにはレベルの低いヤツしか来ないなどと言っているのは、社長自らのレベルが低いから当たり前だと言うのが全然わかっていません。 まさに「休みたいなら辞めろ」と言うような考えの社長が、それに当てはまるのです。

    会社の空気と言うのは、社長の日頃の言動や行動が社員に対して有形無形のプレッシャーとなり、作り上げてしまってカチカチに硬くなっているのです。 会社の文化とは社長の意識レベルが作るもので、会社内の文化レベルが低いのは100%社長の責任です。

    良い人材が集まる~もしくは集めたいと思うのなら、これからの社長に求められるのは…?

    長くなりそうなので、明日へ続くです。

    ごめんなさい。 m(__)m

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    記録より記憶。

    自分が将来どのようになっていたいのかと言うのは、心の中にある自分像だけが描くものであり、それは漠然とした未来もあれば~はっきりとした未来もあります。 将来の自分を考えてみた時に、サザエさんやちびまる子ちゃんのような家族像を思い描く人もいれば、セレブ生活で非日常的な生活をイメージする人もいます。

    なりたい自分に人は成っていくものですが、なりたい自分が無ければ未来が無いのと同じです。 歳を取るだけなら健康でいれば歳を取れますが、どうなっていたいかという自分像がなければ、やりがいや生きがいなどの充実感と言う部分で、心に空洞ができてしまうのです。

    スポーツ界では度々使われる言葉ですが、「記録に残る選手よりも、記憶に残る選手になりたい。」 これはひとつの正解だと思うのですが、成し遂げた功績は評価としては価値がありますが、それが人の脳に刻み込まれるかと言えば必ずしもそうではありません。

    記憶に残ろうとすれば、数字的なものでは残れません。 数字だけでは凄いことはわかっていても、記憶に残るのではなく記録と言う情報がPCや本などにストックされるだけなのです。

    記憶と記録のことを言えば野球における野村監督と長島監督、もしくは新庄選手とイチロー選手などの言い回しになります。 実績を言えば野村監督の方が上でも、マスコミが取り上げるのは長島監督の方です。 大リーグでも実績ではイチロー選手の方がはるかに上なのに、新庄選手は記憶に残るようなことをして成績と実力の差を埋めていました。

    サッカーでも同じことであり、中田選手など今の選手の方がはるかに海外実績や選手実績が上なのに、いつまでもキングカズと呼ばれる三浦選手がいるのです。

    自分の持ち味を活かして、その持ち味により評価されるにはどうすればいいのか。 コレを日夜考えている人は努力を努力とも思わないで、自分がやりたいことをして輝けるようになるのが自分自身に対する評価なのです。

    一流の証明と言うのは、「勝って騒がれるよりも、負けて騒がれる」 これなのです。

    スポーツ選手だろうと企業戦士だろうと同じことなのですが、勝負に勝ったり~好成績をあげて騒がれるようでは、それは実力がないと言うことなのです。 スポーツにおいて連戦連勝ならば、負けたらその瞬間に「あぁ、ついに負けたのか…。」とマスコミで騒がれます。 企業戦士でも次々とヒット企画を飛ばしている人が失敗すれば、「あいつも、もう駄目か…。」 今まで積み上げてきた実績や功績が一瞬にして忘れ去られて、失敗したことが大きく噂されてしまうのです。

    つまり、勝って騒がれたり~営業成績が良くて評価されると言うのは、その実力がフロックであると言う裏返しの評価なのです。

    あなたには実力も才能もあるし、その上に運の後押しもあるのに前に進まないのは勿体無いと思うのです。 社会通念上のことを言えば、良い大学を出て~良い会社に入って~良い家庭を持ってなどと、延々と良い○○と言うのが続いていきます。 それはそれでひとつの生き方だし、悪いわけじゃなく安定と言う意味ではとても正しい道だと思います。

    それに比べて、漫画家になりたい~ロック歌手になりたい~ダンス教室を開きたい、こういう未来を描いている人は、世間的には不安定な道を歩んでいるように思えます。 しかし、安定と言う言葉ほど不安定なものは無いのです。

    確かに漫画家やロック歌手というような自分が夢とする道は、不安定で不確かなものかもしれません。 ただし、その不安定な道の先には「夢」と言う宝箱が待ち受けています。 たどり着けないかもしれないし、たどり着けたところで宝箱を開けることができないかもしれません。 例え、開けることができたとしても中身は空っぽかもしれません。

    だけど、溢れるほどの宝が入っていて、開けた途端に幸せになれるかもしれないのです。

    先行き不透明だとか~将来への不安だとか、そういう気持ちはわからないでもありません。 人はお金が無いと生活できないし、食物や水分を取り新陳代謝を繰り返していかなければ、生物としても生きていけません。

    ここでよく考えないといけないのですが、社会通念上の安定と言うのは「とりあえず」ということでしかありません。 先行き透明な時代や絶対に潰れない会社と言うのが過去を振り返ってみても、人類発祥よりありえないのです。 どんなに大企業でも倒産する可能性はあるし、どんなに良い大学を出ても良い人生を送れるとは限らないのです。

    あなたには可能性があるからこそ、夢へとチャレンジしていただきたいです。 生活の不安や将来への不安はあると思いますが、チャレンジせずに行動していれば安全というわけじゃないのです。

    あなたは記録と記憶、どちらを大切にしたいですか?

    ?(ロ_ロ)?

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    明治神宫。

    先週の今頃は東京出張でしたが、ノートPCを持っていない私は事務所以外では更新ができないので、先週の日曜と月曜はブログ更新をお休みしていました。 今後も東京など各地に出張した時には、ブログの更新ができないと思いますので申し訳ありません。 m(__)m

    4月より東京出張は2日間にしているのですが、土曜日の午前中は倉敷事務所にて鑑定していました。 その後すぐにお昼の新幹線で東京へ行って到着後、今度は東京会場での初日鑑定と言うスケジュールでした。 さすがに掛け持ちでやると時間もあっと言う間で、終了後はコンビニでお弁当を買ってきて1日目は終わりました。

    事務所と違うので掃除もブログ更新も出来ないので、2日目の午前中は完全にフリーな時間ができたので久々に明治神宮に行ってみました。 私は元々、明治神宮がラッキースポットだったのですが人込みの多さに嫌気が差してしばらく行かなかったのです。 しかし、今回は2泊するので日曜日の午前7時頃に行ってみると、さすがに人は少ないのでゆっくりとお参りできました。

    明治神宮とは渋谷にある神社で、初詣では例年日本一の参拝者数を集めると言われ、明治天皇と昭憲皇太后を祭神としています。 なお、正式な表記は「宮」の「呂」の中間の線が入らない「明治神宫」です。

    明治45年に明治天皇が崩御されて立憲君主国家としては、初の君主の大葬でした。 しかし、その死に関する法律はまだないので、なんらかの記念&紀念とする為の行事が計画されました。 続いて大正3年に皇后であった昭憲皇太后が亡くなると、その遺徳を偲ぶ国民から夫妻を祭る神社を求める機運が高まりました。

    これを受けて政府は神社奉祀調査会を設置して審議を始め、大正天皇の裁可を受けて大正4年5月1日、官幣大社明治神宮を創建することが内務省告示で発表されました。 明治天皇が「うつせみの 代々木の里は しづかにて 都のほかの ここちこそすれ」と詠んだ、代々木の南豊島世伝御料地を境内地として造営が行われ、大正9年11月1日に鎮座祭が行われました。

    ちなみに、この御料地は以前近江彦根藩井伊家の下屋敷で維新後に召し上げられた土地です。 面積約70万平方メートルの境内は、ほぼ全てが全国青年団の勤労奉仕により造苑整備され、現在の深い杜の木々は全国よりの献木を青年団が植樹したものです。

    また、本殿を中心に厄除や七五三などを祈願を行う神楽殿、明治の宮廷文化を偲ぶ宝物殿、御祭神の大御心を通じて健全なる日本精神を育成する至誠館などがあります。 明治神宮外苑は明治天皇と昭憲皇太后の御遺徳を永く後世に伝える為、民間有志により結成された明治神宮奉賛会が広く国民より募った寄付と全国青年団の勤労奉仕によって造営されました。

    昭和20年の空襲の際に社殿のほとんどが消失したのですが、昭和33年に再建されました。 第二次世界大戦後は宗教法人神社本庁の被包括宗教法人となっていましたが、平成16年に神社本庁との包括関係を解消し単立神社となったようです。 近年の初詣では大晦日から正月三が日の間で、約300万人前後にものぼる日本一の参拝者を集めています。

    敷地は内苑と外苑に分かれており、内苑には日本各地や朝鮮半島&台湾からの献木365種約12万本が計画的に植えられています。 昭和45年の調査時には247種17万本となっていて都心部の貴重な緑地として親しまれているだけでなく、人工林が自然化したものとして注目されています。

    明治神宮造営局の技師らは大正10年に明治神宮境内林苑計画を作成して、現在の生態学でいう植生遷移(サクセッション)が、このとき構想され林苑計画に応用されています。 当初多様な樹種を多層に植栽することで、年月を経て極相林(クライマックス)に到達すると言う手入れや施肥など皆無で、永遠の森が形成されることを科学的に予測され実行されたのです。

    これが日本における近代造園学の創始とされているほか、大相撲の横綱推挙式(横綱昇進時)が行われる場所でもあります。

    久しぶり(約一年ぶり)に行きましたが、森林の間を歩いている感じは他にはない部分なので、身体的にも精神的にも気持ち好かったです。 この広大な面積の森林があれば都会の中のオアシスとなり、人々の憩いの場にもなるし観光の名所にもなるはずだと思いました。

    その後はデパートなど(高島屋~伊勢丹~松坂屋など)を見て歩いたのですが、色々な面で勉強になります。 私は物を買うわけじゃないけれど、ウインドーショッピングは結構好きなのです。 流行のデザインはどうなのか以外にもサービス体制(接客など)や展示方法や品揃えなど、歩いているだけでも自然と見るべきところや勉強になる部分はものすごくあります。

    歩いていてふと気が付いたのですが、銀座にお店を出そうと考えている人がいるなら私のお勧めは、JR新橋駅に程近い「銀座7丁目から8丁目にかけての中央通り近辺」がイイと思います。 和光や三越がある銀座3丁目から4丁目付近は2~3年先を視た時に寂れることはないけれど発展しないと思います。 また、並木通りは発展どころか、ひょっとして衰退する可能性が…。

    私がココに書いている地域は、2~3年先を視た時に買いだと思います。 ただし、アヤシイ?霊視カウンセラーの単なる独り言ですが…。

    なお、東京出張は交通費や宿泊費や会場経費などで約1~2万円の赤字ですが、1~2万円で新幹線に乗ることができて~おまけに東京へ2泊できた、こう考えれば金銭面では赤字だけれど~体験したことが私自身の黒字になると思っています。

    あなたは目先の赤字ではなく、将来の黒字に目が向いていますか?

    ☆⌒(*^-°)v Thanks!!

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    嫉妬。

    おはようございます。 先月末に入れ替えたお花達が枯れてきたので昨日の午後、事務所内にあるお花達の模様替えを行いました。 今回チョイスしたのは、アルストロメリア~黄色のバラ~シンビジュウム~スプレー菊~カラーの5種類です。

    簡単に花言葉を書くと「アルストロメリア=幸福な日々」「黄色のバラ=美」「シンビジュウム=誠実な愛情」「スプレー菊=真実」「カラー=清らかな愛」 全部の意味を書いていると長くなるので、抜粋して一部分の意味だけ書いてあります。

    このようにお花を生けるのも心の平穏を保つひとつの方法ですが、人は生きている以上はどうしても感情に左右されてしまいます。 例えば、嫌いな人と一緒に仕事をする場合と好きな人と一緒に仕事をする場合では、心の張りが全然違ってくると言うのも人間としての証しです。

    人は自分のことを弱いと思ったり~自分のことを嫌になったり、何故か自分が正しくても自己反省をしてしまうものです。 しかし、成長する人ほど自分の人生を振り返り過去の反省や償いをして、どうすれば自分はもっと良いようにできるのだろうと考えます。 自分勝手な生き方をしたりプライド高くて相手のことを考えない人は、過去の反省なんかしないので自分を嫌になったりしません。

    人の心とは、壊れやすい小船で大海を航海しているようなもので、嵐がきたり凪になったり~追い風や向かい風など、さまざまなことがふりかかってきます。 ところが、いかに小船と言えども舵は与えられているので、右に行ったり左に行ったり進行方向は自分で決めることができます。

    神様が意外と公平なのは、波のまにまに流されないようなチャンスはキチンと与えてくれているからです。 強い人ほど波にあらがい舵をそちらに取るのですが辛いのは一瞬で、そこを過ぎると凪の海で太陽の光と共に青空が澄み渡っているかもしれません。

    真に生きると言うことは、どんなに辛くても自分の手で舵を取り続けるということかもしれません。

    命には限りがあり、同じ生きていくなら自由な生き方が理想だと思います。 人は自由を求めるものですが、自由とは規則の上に成り立つものであり無限ではなく有限です。 限りある命が持つ最高の自由とは何かを考えると、人により答えは違います。 家や車やお金などの物欲を示す人もいれば、健康など人間が持つ本来の機能を求める人もいるでしょう。

    この世に生まれてきてから死んでいくまで、人には基本的に自由が与えられています。 どこへ行こうと何をしようと人に迷惑をかけるようなことをしない限りは、誰もあなたの行動に制限は掛けません。

    学生時代の気にいらないと言うのは、卒業と言う儀式と共にお別れになります。 会社で気に入らない人が居ても転職や独立により、その人と一緒に居なくてもイイ状況を作り出すことができます。 このように自分で自分の行動にブレーキをかけることはあっても、誰かが明らかにあなたの人生を邪魔すると言うのは、余りありえないのです。

    人が動物と違うのは言語や感情など色々な所で違いを見出すことができるのですが、「自分自身の状況によるつながりを大切にしないのなら、それはもはや人である資格はない。」 知の巨人ゲーテの言葉に、このように書いてある一説があります。

    この言葉の意味は、もしも自分が自由であろうとするならば様々な感情と向き合うことで苦しみや悩みを堪能して、危機は自らの力で乗り越えてこそ真実があると教えてくれています。

    また、もうひとつの隠れた意味として人はひとりで生きているわけではないので、いつどこで誰とどうなるかわからないのだから、むやみやたらと人とぶつかり敵を多くするなと言う意味でもあり、自分が誰と関わることでどうなるかわからないと言う未来の不確定さも表しています。

    人は人を愛することで、争いやいざこざは避けられます。 人は誰かを愛している最中に、他の誰かを憎む気持ちにはなれないのです。 別に周りの人を今すぐに好きになれとは言いませんが、心に好きな人を存在させるだけで誰かに対して怒る気持ちは減るのです。

    例えば、表面的な愛しか知らない人は嫉妬心が燃え上がりやすく、恋人が自分以外と口を利いたら許せなくなるかもしれません。 しかし、相手を信じて深い愛を持っている人は、恋人が他の異性と挨拶したくらいで怒ることはありません。

    注:男性を例に取ると、自分の奥様&彼女のケイタイ(メールやメモリーなど)を全て確認の上、友人や知人と縁を切るように命令するような男性と結婚したなら辛い人生になるかもしれません。

    愛するが余り嫉妬が沸き、相手を傷つけるというのは、心が成長していないがゆえに起こることで、成熟するに従い相手に対する真の深い愛情と言うものを理解できるようになるのです。 本当に相手を愛する気持ちは、憎んだり嫉妬したりする心とは相容れないのです。

    あなたは相手を愛する余りに、疑いや嫉妬の部分を持ったことはありませんか?

    ヽ(~~~ )ノ ハテ?サテ?

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    シンデレラ。

    「シンデレラ(Cinderella)」と言えば童話のひとつで、この話や名前や題名を聞いたことがある人も多いと思います。 もうひとつの呼び名として「灰かぶり姫(はいかぶりひめ)」とか「サンドリヨン(フランス語でCendrillon)」 とも言われています。

    この童話は、実は2通りあります。 ひとつは「グリム兄弟」によるストーリーで、もうひとつは「シャルル・ペロー」によるものが知られています。 ところが、○○にも「掃灰娘」というほぼ全てが○○○の話があるのですが、どちらかと言えば古くから広い地域に伝わる民間伝承系の童話です。

    日本で有名なのは、実は「シャルル・ペロー」が作ったシンデレラの方です。

    簡単にストーリーをお話しすると、シンデレラは継母とその連れ子である姉達に日々虐められていました。 ある夜に城で舞踏会が開かれ姉たちは着飾って出ていくが、シンデレラにはドレスがありません。 舞踏会に行きたがるシンデレラを「魔法使い~ネズミ~母親の形見の木」などが助けて準備を整えますが、12時には魔法が解けるので帰ってくるようにと警告されます。

    シンデレラは城で王子に見初められますが、12時の鐘の音に焦ったシンデレラは階段に靴を落としたまま姿を消します。 王子は靴を手がかりにシンデレラを捜しましたが、シンデレラの落とした靴はシンデレラ以外には誰にも合いません。

    そして、ついに靴の合う本物のシンデレラは王子に見い出されて、お后として迎えられて幸せになるのです。 このガラスの靴を履かせてカボチャの馬車に乗せると言うモチーフを考えたのが、フランスの文学者「シャルル・ペロー」なのです。

    ちなみに、グリム兄弟が作ったシンデレラの方はどうかと言えば、魔法使いもカボチャの馬車も登場せず、白鳩が主人公を助ける話です。 美しいドレスと靴を持ってくるのは白い小鳥で、ガラスの靴ではなく最初の夜は銀の靴~次の夜は金の靴です。

    また、シンデレラの靴が階段で脱げたのは偶然ではなく、王子が階段にあらかじめ接着剤のようなものを塗っておいたからです。 そして靴に足を合わす為に姉たちは、ナイフで足(長女が爪先、次女は踵)を切り落としますが、ストッキングに血が滲んで見破られます。 シンデレラの結婚式に出席した姉二人は両脇に座りますが、シンデレラの両肩に止まった白鳩に復讐として目潰しされて物語が終わります。

    注:グリム版は改定を繰り返しているので大まかなストーリーを書いていますが、グリム童話の原作を子供達に見せるのはちょっときついかもしれません。

    なお、シンデレラの話を基にして惨めな境遇から、ちょっとしたことがきっかけで成功をつかんだ人(特に女性)を、「シンデレラストーリー」と言うようになりました。 このようなシンデレラストーリーと言われる嘘のような誠の話、これは意外と世間では多く溢れているのです。

    これは私のお客様の身の上に起こった、笑顔でいる正直者には運命が後押ししてくれると言うお話です。

    ある会社で働くA子さんは某企業の総務部にて、毎日真面目に働いている笑顔の素敵な女性です。 生まれは普通の家庭で育ち、学歴やその他が特に優れているわけでもありません。 しかし、仕事は真面目に取り組んで、常に笑顔でいることを心がけていました。

    入社して3年を過ぎる頃より総務と言う部署のせいもあり、ちょくちょくB社長と顔を合わせるようになりました。 ただし、B社長にはちゃんとCさんと言う彼女がいるので、A子さんは恋愛感情を抱くことなく社内業務としての関わりを続けていました。

    しかし、人と人と言うのは度々顔を合わせていると愚痴のひとつもこぼすようになったり、
    プライベートなことを言うようにもなります。 B社長もA子さんに会う度に、Cさんのことや家族のことなどを少し話すようになりました。

    しばらくするとB社長から「キミは○○についてどう思う?」などと、時々ですが社内外のことについて相談されるようになりました。 A子さんは社長のようなお金持ちではなく普通の家庭に生まれ育ったので、気取らず自分なりの答えやアドバイスをしていました。

    例えば、ポイントカードはこういう感じで使えばお得とか、旅行はこうやって割引すれば安く上がるなど、お金持ちのB社長が関わりの無い世界の話もしました。 このような節約術はA子さんには普通ですが、お金持ちのB社長にはとても新鮮に感じられていました。 それと言うのもB社長の彼女Cさんは、「あれ欲しい~これ欲しい」ということが多く、プレゼントや記念日には仕事の合間を縫って用意しないといけないので、結構大変だったのです。

    そしてクリスマスが近づいたある日の午後に、B社長はA子さんに「Cさんへのプレゼント、何がイイかな?」と相談すると、A子さんは「社長の心がこもっていれば、物の値段でありがたみが増すわけではありません。 本当に社長のことが好きなら、プレゼントは必要ないと思います。」 ニッコリと笑顔で、こう答えました。

    はっきりとそう言われたB社長は面食らって、「キミは面白いこと言うね…。 ところで話は変わるけれど、キミは私のことを会ってみてどう思う?」 A子さんは「社長とは会社でしかお会いできませんが、お話しするのはとても勉強になります。 また女性としても、社長のような男性とお会いできるのは嬉しいです。」 再び笑顔で、こう答えたのです。

    B社長も会社を自分で立ち上げたくらいですから、自分が付き合っているCさんとA子さんの違い、言うなれば心の中で何か感じる大きな違いに気付いたのだと思います。 その後、Cさんと別れたB社長はA子さんに正式に交際を申し込んでA子さんは今、B社長の奥様として公私共に支える存在になっています。

    あなたはシンデレラストーリーが、現実にあることを知っていますか?

    o(^-^o)(o^-^)o ホントだよ~

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    夢の糸。

    人生とは一筋縄ではいかないモノですが、その入り組んだ中から一筋の細~い夢の糸を見つけて、それを途中で切れないように引き寄せていくのが難しいのです。 その糸が切れてしまうと最初からやり直さなければならないし、切れないように弱く引っ張っているといつまで経っても手元に来ないのです。

    夢と自分の関係は、この糸を引っ張るのと同じことです。 強く引っ張ると切れてしまうから恐々として、いつまで経っても掴むことができずに悶々としてしまうのです。 あなたが何か行動をしようとした時、本当に敵となるのは自分の中にいる「もう一人の弱気な自分」だと思うのです。

    「出る杭は打たれる」と言う言葉の意味を、少し考えてみてくださいね。 出る杭が打たれるというのは周りから見て「邪魔になる~目立つ」など、あくまでも周りの都合で叩かれるのです。 叩かれたくないと思っていると、それは周りに迎合してしまっていると言うことです。

    残念ながら、「杭になる人」と「杭を叩く人」では、杭になる人の方が出世したり~成功したりする可能性が大きいのです。 杭になる人と言うのは、実は何かをしたから叩かれるわけではなく、その存在自体が疎ましく思われていることが多いのです。 疎ましく思われると言うことは、もうすでに充分な輝きを放っているということなのです。

    基本的に杭となる人は集中砲火で常に攻撃の手にさらされているのですが、それは大多数の意見に流されないからです。 杭を叩く方の人にはいくらでも代わりはいるけれど、杭となる人の代わりはいないから、「叩いておけば、もう出て来ないだろう」と言う、寄らば大樹の陰みたいな考えになるのです。

    杭となるのは敵を作ることでもありますが、味方を作ることでもあります。 それは自分の考えを鮮明にしておけば、敵ばかりじゃなくて認める人もひとりくらいは出てくるからです。 つまり、杭は杭と仲良くなり~打ち手は打ち手と仲良くなるのです。

    杭となって誰かに嫌われたらしょうがない、それは元から考え方が合わないのだとあきらめた方が早道です。 自分が何かしたから嫌われたわけじゃなく、元々嫌いなのだからどうしようもないのです。 むやみに敵を作らなくてもいいけれど、自動的に敵となる人が存在するのも事実なのです。

    それでは、叩かれた時や嫌われた時の対処法はどうすればいいのかと言えば、基本的に逆らわないが最善で、逆らってくれないと困るのは相手の方なのです。

    コレは不思議なのですが、無抵抗の相手にしつこく攻撃を加えると逆のことが起きてきます。 簡単に言えば、「謝る~逃げる~認める」 心の中ではどう考えてもいいから、表面的にでもしておけば相手はやり場がなくなります。 このような状況になると「負けた…。」 こう思う人もいるかもしれませんが、それはあくまで他人の評価であり、当事者間でどう思うかではないのです。

    逆らえば敵とみなされるけれど、「謝る~逃げる~認める」をされると、とりあえず敵ではないと認識させられるのです。 コレで打ち手のプライドは満足して、「俺が正しい」とか「俺が勝った」と勝手に自己満足してくれるので、大いに勘違いさせておけばいいのです。 あくまで「敵ではない」と言う意思表示はしてあるけれど、「味方です」と言う意思表示も一切していないからです。

    実は打ち手となる人は「非常に扱いやすい」のですが、それは自己満足とプライド以外に自己表現がないから「俺は偉いだろう」と言う部分だけ注意すればいいからです。 そこで今度は自分に置き換えてみると、コレが勉強や学びとしておおいに反面教師になるのです。

    自分の立場としては迎合してくる人の意見ではなく、敵対する人の意見を聞いておけば「自分の至らない点」を自然と修正できるようになるからです。

    難癖をつけてくる人と言うのは、相手のミスを見つけようと言う考えで毎日生きています。 人の揚げ足を取ることに全力を注いでいるのだから、自分のいたらないところやミステークの部分を自動的に探してくれると考えればいいのです。 人のアラ探しが上手い人は足りない部分を見つけてくれる、授業料の要らない先生です。

    敵となる人を「教師」として見るくらいの度量ができれば、あなたの成長の度合いはものすごく早くなると思います。 このように学ぶ人と学ばない人では成長の速度が倍ではなく、二乗~二乗と言う速度で進みはじめるのです。 目の前にある夢の糸を早く見つけないと、周りがどんどん進んでいく中で自分だけが取り残されてしまうかもしれないのです。

    あなたは夢の糸を今と言う時の中で、どれだけたぐり寄せていますか?

    ?\(。・_・。)/?わーいっ?

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    人を見る目。

    昨日は光市母子殺害事件の判決が出ましたが、本村さんの気持ちを考えればこれでいいと思います。 正義とは人により違うので色々な意見はあるでしょうが、これは本村さん一家に起きた事件であり、被害を受けていない他人がとやかく言うことではありません。 自分が同じことをされても相手を無罪および減刑にしてくださいと言えるのなら、その人は神の領域にある人格者だと思います。

    根底にある「他人事だから気軽に言える」と言う深層心理で相手の気持ちも考えずに、あぁだこぅだと言うような人生を送りたいと思わないのです。 私のお客様の中に警察や検察の方がいるから言っているのではなく、本村さんが過ごした9年と言う時間の中で受けた心のダメージの深さを考えてみて欲しいのです。 これも考えずに自分の頭の中にある正義を中心にして、勝手に論じていいことではないのです。

    こう言う時には人を見る目と言うのが必要だと実感するのですが、人を見る目と言うのは鍛えられると言うのが私の見解です。 人を見る目と言うのは厳しい世間や人生を生き抜いてきた人の場合は、かなり的確で鋭いモノがあります。 しかし、学校の先生とか会社の人事部など、特定の守られた場所にいる人にはほとんどありません。

    残念ながら書類で人の価値を決めるのが会社や学校という場所なので、良い大学を出ていたら優秀と判断します。 しかし、本当の人間の価値や才能はそれだけで決まるわけではなく、相手の良い所を見つけると言う意識があれば隠れた素晴らしいモノを見つけ出せるのです。

    私は自分がいじめられたり~差別されていたので、人を見かけで決め付けてはいけないと言う気持ちがものすごくあります。 それに加えて人の成長と言うのは、本人の努力次第でスピードが全然違うので、人として成長した時の素晴らしさをわかっているからです。

    注;私は建設現場時代に約半年間、○○や○○をして○○○から出てきた人達と現場が一緒でした。 私が担当した某ビル建設の某場所に約30人いて、全員が○○帰りで話し合いなんか通用しないし毎日~毎日すぐに手が出るのですから、格闘技はスポーツだと感じた日々でした。 この話は、また別な機会に…。

    話は戻りますが基本的に「学歴や地位や家柄」など、このようなモノで人を判断するようでは相手の本質は見抜けません。

    学歴が高くても、引きこもりで働いていない人がどれだけいると思いますか?
    地位が高くても、失脚や定年で何もしないし~できない状態の人がどれだけいますか?
    家柄が良くても、家柄以外は人生において何もないと言う人がどれだけいますか?

    人を見る目と言うのは、何か基準があって見るモノではないのです。 しかし、現実には履歴書に書いてあることが素晴らしいと、その中身も素晴らしいと判断するのが人事部です。 人を見て判断せずに書類で審査するから、企業倫理に反することを平気でする人がでてくるのです。

    長年連れ添った夫婦でもわからないことだらけなのに、なんで書類を見ただけでわかるのか不思議です。 ところが世間と言う大海に飛び出せば、人を見抜く目を持った凄い人は星の数より多いです。 世間は広いので常に自らを戒めておかないと、世の中には人を見る目がずば抜けた人が実在するものなのです。

    私は石の上にも3年と言うのは昔のことであり、火星に人類が行こうと言う現代では通用しないと思っています。 転職したいと言う相談があれば、さっさと次の可能性への話をするのは「できない社長」の元で働くよりも、「できる社長」の元で働いた方が幸せだからです。

    会社を作って社長になるだけなら誰でもできるのですが、会社を続けていくのは難しいのです。 友人や知人、親子や姉妹(兄弟)、果てには奥様や親戚など、あるとあらゆる手助けの元に維持している会社の多いことには驚くほどです。

    「会社の経営は、楽じゃない。」

    この言葉はある意味正しいのですが、いつも口癖のように言っている人には「社長の器(資格)」はありません。 会社を経営していくのは社長の使命ではありますが、「社長の器」を維持してくれているのは「社員の方々」なのです。 社長の仕事とは、社員の力量を見抜いて適材適所にて才能を伸ばしてやり、顧客満足によりお客様を喜ばせて、そして最後に会社の利益を上げることです。

    もしも会社の利益が年間で100万円出るのなら、50万円はお客様の為に使い~45万円は社員の為に使い~4万円は会社の利益であり~最後に残った1万円が社長の取り分と言う気持ちがないのであれば、その会社の社長は毎日悩みごとが出てきて苦しいはずです。

    「人を見る目は難しい」と言う言葉の本当の意味は、これからの時代においては社員の方が社長を見る目を養わないといけない時代になっていくからです。 働くと言うのは、その会社にお世話になるということではありますが、自分の人生を賭けて付いて行きたいと言うような社長と、顔を見るのも嫌で早く転職したいと思う社長では、働く意味や意義が違ってくるのです。

    あなたが会社を選ぶ時に面接を受けると思いますが、それはあなただけが試されるのではなくあなたも会社をキチンと面接しないといけないのです。

    あなたは人を見る目を、ちゃんと磨いていますか?

    ( ̄(エ) ̄)ゞ クマッタナー

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    なりたい自分。

    おはようございます。 先日の午前中に帰ってきて、午後より鑑定を再開しております。 ベイビープーの風船はなかったのですが目に付いた物があったので、昨日から事務所に新メンバーがちょこんといます。 入り口から鑑定場所までの間の置いてありますが、小さいのでわからずに通り過ぎる人もいると思います。 (ナカナカ、可愛らしいキャラです。)

    さて、人の運命には必ず選択肢があり誰にでもチャンスはあるのですが、そのチャンスを活かせるかどうかが分かれ目です。 ただし、人には脳が備わっているので基本的にココでなりたい自分と言うものを描けなければ、いつまで経ってもなりたい自分にはなれないのです。

    頭の中にある自分像と言うのが今現在の自分を作り上げるのですが、その自分像が理想と現実で逆転してしまうことがあります。 それにより、イイ恋をしたいのにできない~夢を叶える自分のはずなのに叶わない、このように上手く行かない自分を気付かないうちにリクエストしてしまっているのです。

    例えるなら「やたらと調子の良い営業マン」と「できるできないがはっきりしている営業マン」 このような営業の方が2人いたら、調子の良い方は余り信用できない感じがして、できるできないをはっきりとさせる方が信用できる感じがすると思います。

    このようなことは頭の中ではわかっているけれど、いざ自分がその立場になるとお客様に話しを合わせて調子の良い営業マンになってしまうのです。 第三者的に見れば冷静に考えられるのですが、自分がその場に立つと失敗できないなどの余計な指令が脳から出てしまうのです。

    頭の中には自分がなりたい自分像があるはずなのに、現実で行動する時には自分が魅力を感じない人になってしまう。 これは脳の中の誤認識が働いて、逆のことを心地好いと感じてしまうのを避けないといけないのです。

    人の脳は良いことと悪いことの区別は簡単に付くのですが、それを心の部分が「やってもいい⇔やってはいけない」 こうやってせめぎあってしまい、最後に勝った方の心の行動を取ってしまうのです。 それが良いか悪いかの話は別な機会にしたいと思いますが、この自分の中にある理想像が何故実現できないかと言えば周りの人の意見を、無防備&単純に聞きすぎる(過去の経験値)からです。

    人の言葉には良い意見もあれば悪い意見もあるのですが、自分が相手に相談したり~上司(先生)から指摘された場合、脳はその意見を無条件で良いと判断してしまうので自分の理想像が狂い始めるのです。 この修正はとても簡単なので、今すぐに実行して欲しいです、 (ただし、社会生活では敵を作る可能性もあるので、やりすぎは禁物です。)

    その方法とは、「自分が理想とする人はどんな人か?」を想像する所から始まるのです。

    もしも彼が欲しいと思うのならば、自分が男性ならどういう女性を素敵だと思うのか…。
    もしも彼女が欲しいと思うのならば、自分が女性ならどういう男性を素敵だと思うのか…。

    以上のことが「なりたい自分の正体」なのですが、もう少しわかりやすく説明します。 私は一応アヤシイ?霊視カウンセラーですが、私が占いやカウンセリングを受けるなら「どういう人に視てもらいたいか?」 コレを頭に入れて行動しているのです。

    私ならば、「悪いことを言わない人がイイ」「お祓いや物品販売をしない人がイイ」「予約を取るのが難しいくらい人気のある人がイイ」「日本中からお客様が来るような人がイイ」 書き出してみるといくらでも挙がるのですが、このように自分ならどういう人に鑑定して欲しいかを頭に描いているのです。

    人気がなくて~厳しいことばかり言って~お払いや印鑑などを売ろうとする、こういう占い師さんに見て貰いたいと思う人は余りいないと思います。

    自分がなりたい自分とは「自分が逆の立場ならどうするか」を規準にすると、意外とすぐにはじきだせるのです。 男性なら女性になりきって考え~女性なら男性になりきって考え~経営者ならお客様になりきって考えてみるのです。

    そうすればおのずと自分がなりたい自分に気付くはずで、自分が「こういう人ならイイなぁ~」と思う人物をまず見つけるのもいいことです。 その人のするままに行動して~その人のやっているレベルに自分の身をおいてみる。 いつでもそれが当たり前という状態になれば、努力を苦しいではなく楽しいと感じられるはずなのです。

    あどけないあなたの笑顔が輝き始めるのは、脳の中の自分と現実がリンクし始めた時であり、仮想現実の中では「普通の笑顔」にはなれるけれど「輝く笑顔」にはなれないのです。 夢が叶うと言うのは、頭の中の自分と現実の自分が重なることであり、それが重ならないままに歳を取っていくのは、いつしかあきらめという人生を送ることになるのです。

    あなたの夢は叶うし、あなたのなりたい自分にきっとなれる。 私はその未来を視ることであなたの未来についてお話できて、それによりいくばくかのお手伝いができたなら私自身の心も潤うのです。

    あなたは頭の中に、なりたい自分が本当に描けていますか?

    (≧∇≦)ъ ナイス!

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    ありがとうの意味。

    おはようございます。 今日は土曜日でお休みの会社も多いので、通勤電車の中も少し空気が違いますが私は変わらず事務所に出ています。 素敵なお客様に会えるかと思えば、休んでなんかいられず気持ちがウキウキしてきます。 私は毎日お客様に感謝して、ありがとうの言葉を大切にしていきたいと思います。

    ありがとうの本当の意味、それは受け取る側の意識にあるので簡単に決め付けることはできませんが、ありがとうのヒトコトを言われて気分が悪くなることはありません。 「あなたのおかげで助かりました。 ありがとう。」 こう言われたなら、普通ならば誰しも嬉しいと思うのです。

    朝、会社に行く時も道すがら挨拶したとか、電車でちょっと席を譲ってあげた。 それに対して「ありがとう」 こう言われたあなたは少し良い気分がして、何かわからない幸せがあふれ出すはず。 ホンの少しの言葉だけれど、あなたに届いた「ありがとう」のヒトコトは心のサプリメントとして効き目アリだと思います。

    人と人の間に感謝の気持ちがあれば諍いは起きないのですが、相手と自分の考え方の違いばかりを強調して、相手の意見が参考になると言うことを忘れてしまうのが人の悲しいところです。 自分でなければできないこともあるし、相手でなければわからないこともあり、全知全能の人間がこの世に存在しない以上は助け合いの精神の方が気持ち良いと思うのです。

    私はお客様に助けていただいたからこそ、今の自分があるのです。 こんなはずじゃなかったということは一切無く、お客様がお越しくださることに対して感謝以外はありえません。

    私の生い立ちは普通であり家柄や学歴があるわけでもないけれど、日本に生まれたからこそ普通と言えるだけであり、もしもエチオピアなどの発展途上国に生まれていたら、日本に来ることを夢見ていたかもしれないのです。

    自分の生まれた立場において、「もしも、あぁだったら…。」 こう思わないわけではありませんが、コレを言い出したらキリがないし~今の自分より不幸な人は大勢いるのですから、贅沢を言い始めるとキリがなくなるのです。

    ありがとうの言葉をよく言う人と、ありがとうとよく言われる人。 これは片方だけに偏ることは無くて「言う人=言われる人」でもあり、自然に「ありがとう」と言う言葉に囲まれるようになっているのです。

    私はお客様に頭を下げて「ありがとうございます」と言うのは、当たり前だと思っています。 素敵なお客様がお越しくださるおかげで生きていけて~寄付もできるのだから、「ありがとうございます」と言うのは自然な言葉なのです。

    人は立場が変わると、ついつい気が大きくなったり~偉そうなデカイ態度を取ってしまうのですが、これは人間心理においては仕方がないのです。 買い物に行って、そのお店の人に腰を低くするのはストレスが溜まるかもしれないし、お金を出す方がありがとうなんて変だと言う人もいると思います。 それはそれで考え方の違いだけであり、ありがとうと言うのが悪いわけじゃないのです。

    私が今のような状態になれたのは全てお客様のおかげであり、私自身は才能も実力も無いと思います。 過去を振り返ってみても評価と言う部分、学校なら学力と成績であり~会社で言うなら成果と実績、これは常に最低評価が私の全てでした。 場合によってはマイナス評価であり、底割れ状態で誰にも相手にされていませんでした。

    そんな私ができることと言えば、お越しいただいたお客様に「ありがとうございます」 これしかないのです。 ありがとうと言って感謝の気持ちを示すことにより、お客様が情けをかけてくれて、実績も実力もない私を支えてくださったのだと感謝しているのです。

    「あなたのおかげでありがとう」と言う感謝の気持ちがあるだけで、私自身はごく当たり前のことしか言わないアヤシイ?霊視カウンセラーなのです。 「あなたには龍神様がぁ~&妖精さんがぁ~」となどと言うような話をするわけじゃなく、ごく自然な道理に基づいたお話をするだけなのですが、お客様の御支援や御好意によりナントカ生きていけるのです。

    お帰りになる時には、あなたの笑顔がキレイに咲き誇る花のように素敵になっていただけたら、お越しいただいた甲斐もあるのです。

    あなたは自分に自信を持っていいのですが、その自信の基となるものに気が付いていないだけなのです。 誰しも生きていることに意味はありますが、それは誰かの役に立つことと笑顔でいることです。

    私のところへ来るということは、意識せずに自然と寄付しているのと同じことです。 お客様のおかげで寄付できているのであり、私が寄付しているわけじゃないのです。 私はあくまでお客様の代理として寄付しているだけであり、盲導犬やマザーテレサの施設に貢献できているのはお客様のおかげなのです。

    「ありがとう」と、どれだけ言えばいいのかわからないくらい、お客様にはお世話になっています。 あなたに対しての感謝の気持ちは、私が生きている限り尽きることはないのです。 私はお客様が思うような霊視カウンセラーなのか、至らぬ点も多い為に未熟者の私にはわかりません。 しかし、それをどう判定するかの評価部分はお客様がすることで、私自身がどうこうできる部分ではないのです。

    今後も私がお客様に対してできることは、心を込めて「ありがとうございます。」と言う精一杯の感謝の言葉と姿勢をお見せしないといけないと考えています。

    あなたはありがとうのヒトコトを、普段からどれだけ使っていますか?

    ☆あ(^ - ^) り(- ^ ) が(   ) と( ^ -) う\(^ 0 ^)/☆


    お知らせ:出張の為、ブログの更新は22日(火)より再開いたします。 お手数をお掛けいたしますが、よろしくお願い申し上げます。 m(__)m

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