徒然草(占い・岡山・東京・霊視)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    良い人。

    誰しも基本的には「良い人」であるし、誰も好んで「悪い人」でいたいと思うことはありません。 ただし、「良い人であり続ける」のは、とても苦しいことだし大変です。 人に嫌われたくないという気持ちは、自分に無理をさせるという側面があります。

    社会生活において好き勝手なことや、言いたい放題のことを言えば嫌われてしまうから、なるべく摩擦の少ないようにする。 これは社会生活における、ひとつの正解です。

    私はコレができなかったので、苦しい人生を送らざるを得なかったのですが悪いことばかりじゃなく、今はその経験が対人関係に役立ってきています。 それによりわかったのが、相手に迎合しなくても嫌われる時は嫌われるし、好かれる時は好かれると言う点です。

    「良い人」とは嫌われない~嫌がられない~同情してもらえる、書いていくと良いことばかりで、なんら困ることはないと言うのが表向きの「良い人」です。

    ところが争いもなく人にも嫌われていないのに、うつ病などストレスに囲まれて「えっ、あの人が?」 このように良い人がいきなり出社拒否や引きこもりなど、今までと正反対の行動をしてしまうのはどこかがおかしいと思うのです。

    人生を活き活きと過ごしている人や、毎日を楽しく過ごしている人に共通することがあるのですが、それは「自分を嫌わないこと」 コレに尽きるのです。 自分が好きなことをして自分が生きたいように生きる、コレができるようになるとストレスなんか溜まる筈がないのです。

    いくら他人に好かれても「自分が自分を嫌い」なら、それは心に嘘をついて生きていることになります。

    自分の本心を捻じ曲げてまで相手に合わせるのが大人、こういう考え方ができれば良い人になれて、少なくとも会社内で嫌われることが減ってきます。 ただし、嫌われることは少なくなるけれど、ストレスはドンドンと増えていくことに身体が悲鳴を上げているのに無視をするから「うつ病」など、心身に異常が発生してくるのです。

    社会生活において相手と摩擦を少なくすることは大切ですが、「良い人」と思われても相手の本心はわからないのです。

    ここで考えてみて欲しいのですが、会社内に自分のことを嫌いなAさんがいたとします。 あなたが平身低頭で何も逆らわない状態でいれば、Aさんはあなたの味方になってくれるかと言えば、そんなことはありません。

    Aさんは益々あなたのことをいじめたり悪く言ったりして、更に追い討ちを掛けてきます。 少し誇張表現ではありますが、コレが「良い人でいるだけ」の矛盾点なのです。 いい人でいるだけの人生では相手に利用されるという、「都合のいい状況を作っているだけではないのか?」

    こう言う疑問を持たなければ、自分が置かれた苦しい状況に気付けないのです。

    確かに良い人を演じなくなれば嫌われることが増えてくるのですが、それはあくまで「あなたに良い人」でいることを求めている人だけに嫌われるのです。 良い人でいろと言うのは、損得勘定だけで付き合ってくれているのと同じであり、それは仲間でも~同士でも~友人でもないのです。

    誘えば付き合ってくれた~愚痴を言えば聞いてくれた~頼みごとをすれば断らない、こういうことが下地にあったから、お互いの関係が上手くいっている。 それはお互いが良い人を演じているだけであり、本当の心の部分ではどう思っているのかわからないことになるのです。

    相手が急に不機嫌になると言うのは、実はこの部分においてなることが多いのです。 あなたが相手にとって良い人でないと~自分の思う通りの人でないと、気に入らないから不機嫌になる。 「良い人」でいる苦しさは、相手があなたの「良い人」の部分だけ好きだからなのです。

    相手の自分に対するイメージを守る、これは生き方として苦しいのが当たり前であり、社会生活において「良い人と言う仮面」をつけているのだから、息苦しくなるのが普通なのです。

    社会生活の中で生きている自分を褒めてあげるのはいいんですが、その裏側にある「何かを探して、もがいている自分」 コレも忘れずに持ち続けていかないといけないのです。 長い人生である以上は、なりたい自分を探し行くのが本当の人生です。 そしてそのなりたい自分=人に頼りにされたり喜ばれたりする自分なら、それはきっと幸せな人生になると思うのです。

    あなたは自分の中にある志を、忘れてはいませんか?

    ε=ε=ε=ε┏(。´Д`。)┛ 歩こうかなぁ~

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    占い会社事情。

    御覧になった方もいると思いますが2~3日前のニュースで、占い鑑定をして「あなたの先祖がぁ~!」と不安にさせて物品販売を含む御祓い詐欺が、またまたあったようです。 こんなことが繰り返されるようでは、占い業界は怪しまれても仕方がないですね…。

    人の心は何かにすがりたい時があるのは否めませんが、怪しげな御祓いなどにお金を使うのは少し考えた方がいいと思います。 アヤシイ?私が言うのもなんですが御祓いに百万円も出すくらいなら、盲導犬など色々な場所や団体へ百万円寄付した方が運命も味方してくれると思います。

    今回の事件は東京の方で起きたので何かの参考になるかもしれませんので、占い会社(所属占い師)の内情を少しお話ししたいと思います。 (ただし、これは架空のお話と言うことで…。)

    それでは占い会社事情ですが時は遡ること一年ほど前、場所は東京都内某所でのお話です。 これから書く話は私とは縁遠い話であり、今後一切関わることはないけれどお客様にとって参考になるかもしれません。 (また、この時に私が望んだわけではないのですが話の流れで、某有名スピリチュアルカウンセラーに視ていただきました。)

    私が東京出張する時に最初の関門は鑑定場所で、ホテル会議室などは都会だけあって1時間で4~6千円の使用料が普通でした。 そこで発想を変えて占い会社のブースを借りてやればイイと思い、そこで「商売としてする占いの世界」を覗き見ることが出来ました。 (ただし、結局はホテル会議室を使用することになりましたが…。)

    私が賃借交渉に行った占い会社は、スピリチュアルカウンセラーやヒーラーが100人以上在籍する占い会社です。 所属の先生方はTVや雑誌にも登場していて、オーナーは都内に6店舗以上持つ老舗です。 (この時は色々な先生方にお会いしましたが、この話はまた別な時に…?)

    基本的にこのような占い会社の場合、先生方はスペースを借りている一時所属であり終身雇用というわけではありません。 雑誌広告などを見ても、占い師のA先生が去年までX社にいたのに今年からY社に居ると言うのは、占いをする場所を変えただけであり移籍したと言うわけではありません。

    基本的にオーナーと言うのは場所を貸して占い師のスケジュールを組み、そのスペースが空かないようにすると言うのが仕事です。 ただし、オーナー自身が占いもする会社もあります。 また、会社規定にも寄りますが対面鑑定をした場合、占い師の取り分は鑑定料の40~50%です。 オーナーは場所を貸すだけで、売り上げの50~60%が自動的に入る仕組みになっています。

    この占い会社の場合は、所属したらすぐに女性向けの雑誌に「当たる占い師○○」みたいな架空記事(記事広告)を発注します。 オーナー曰く、某女性誌の記事広告は20万円だそうです。 また、私の場合は「所属せずに場所だけ貸してください」と言ったので、場所貸しのみは「1日=5万円」の賃借料でした。

    コレでお分かりかと思いますが、占い師の先生方が質問内容により細かに料金を決めたり、追加~追加で料金が上がるようにしているのは、利益追求で鑑定しているから仕方がないのです。 やはり、生活する為には「いかにして鑑定料を増やすか?」 自分の取り分を優先して鑑定するようになるのは仕方がないことです。

    また、私が事務所に言った時にTVカメラで鑑定場所を監視していたので、「これは?」とオーナーに尋ねると「いやぁ~、占い師が鑑定人数を誤魔化して、過少申告する場合があるから仕方ない。」と言うお返事でした。

    オーナーによると所属している先生方も、鑑定料の中から50~60%も取られるのは面白くないようで、10人鑑定したのに7人と申告して売り上げを誤魔化すので、それを防止する為にTVカメラをつけているのです。 コレを聞いた時には、「占い師もオーナーも、どっちもどっちやね~。」と思いました。

    注:全部とは言いませんが、皆様も注意しないと鑑定内容とか全部見られる&聞かれているかもしれません。 私も事務所で話し合いの最中、丸見え&丸聞こえでした。

    今でも覚えていますがオーナーに、「山崎さん、相手をもっと色々と不安にさせて、お金を取るように持って行かないと。」 こう言われた時には、もう苦笑いするしかないです。 私はお金儲けで霊視しているわけではないので、「お客様の笑顔が自分の喜び」と言う考えでイイと思っています。

    次に電話鑑定についてですが、組織としての占い会社ともなればメールや電話での鑑定も盛んに行われております。 ただし、電話鑑定に関しては実体を見て「やっぱりこんなもんかぁ?」と思いました。 これから書く内容は、電話鑑定が全部そうだと言うわけじゃないので、あくまでひとつの参考例です。

    この会社の電話鑑定の場合は、恋愛や仕事など相談内容別にマニュアルがあります。 このマニュアルを見ながら相談を受けていくので、電話鑑定は素人でもできるように研修があります。 この会社で言うと電話鑑定の場合はパートがほとんどで、時給1000円+能力給(指名料や売り上げなど)です。

    そして電話が掛かると、まず手の空いている人が電話に出て事務手続きをします。 そして指名の場合は指名された先生につなぎ、そうでないなら手の空いている先生や仲の良い先生に回します。 簡単に言うと電話鑑定と言うのは、事務で手の空いている人が電話鑑定の先生に変身すると言うことかなぁ~。

    さて、オーナーと話を続けているとTVや雑誌に出ておられる某先生が顔を出して、その時にオーナーが「○○さん、山崎さんのことをちょっと視て。」と言って、初めてスピリチュアルカウンセラーの人に私のことを視てもらったのです。 この時の体験談は、またいずれ書きたいと思います。 (○゜ε^○)~☆

    占いの裏側については、どこまでお話していいのかわかりませんが、最初は低料金なのに質問数や項目を次々と加算していくとか~霊視なのに名前や生年月日を聞くとか~鑑定終了間際に気になることを言って時間延長させるなど、これらは人として「やっていいことかどうか?」 少しだけ冷静になってくださいね。

    あなたは占いについて、どのような想いがありますか?

    L(@^▽^@)」 ワ~イ!

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    5年後。

    今日から倉敷駅前に天満屋がオープンするので、東ビルが空いていたままの状態が解消されます。 駅前におけるテナントビルの放置は全国的なものですが、決していいことではありません。 私は商店街を歩くこともないのでよくわかりませんが、話を聞いた限りでは三越が撤退した時には人通りに少し影響が出たようです。

    やはり駅前が寂しい感じがすると、その周辺にまで影響が出てくるのでよかったと思います。 コレが起爆剤になれば駅前周辺や商店街に、賑わいも戻ってくると思います。

    私が東ビル(三越)にいた時代を知っている人はご存知だと思いますが、喫茶店の前にある空きスペースを借りていました。 お客様が全然こない日々で掃除ばかりしていましたが、この時もヒマはヒマなりに楽しかったです。

    私がいたのは三越のテナント側、シティプラザと呼ばれる部分です。 イオンや伊勢丹や松坂屋など集合体の所は、必ず自社部分とテナント側に分けられています。 そしてテナント側はテナント側だけの、組合や事務局が存在します。

    私はヒマなので店内をぶらぶらしたり、事務局にNさんと言う事務局長がいたのですが、その人と話をしたりしていました。 ただし、事務局と言ってもひとりなので自動的に局長です。

    さて、三越が撤退した後は対策会議が度々あったのですが、この会議と言うのも地権を持っているオーナー会議と店子であるテナントオーナー会議など、会議だけでも色々ありました。

    アヤシイ?私は会議類には一切呼ばれなかったのですが、三越撤退後は歯が抜けるようにテナントが次々と出て行くので、Nさんに要請されて仕方なく出ていました。 また、喫茶店で会議をしていたので、前にいる私が知らん顔はできない事情もありました。

    私が会議に出ても仕方がないと思っていたのは、今更流れは変わらないからです。 ただ、Nさんは日頃から私の東ビル再建方法を聞いていたので、「その話しをしてくれ。」と恩義あるNさんに言われたら断れないのです。

    会議の中心は三越撤退後に、「どこのどんな企業やお店を呼んで来ればいいのか?」 これが一番の議題でしたが、私が呼んで来ればいいと出した企業名は、まずドンキホーテ~次にビックカメラ~最後に広島の福屋(デパート)でした。

    事務局のNさんは戦略も含めて、「そりゃ、面白いなぁ~。」と言ってくれていました。 しかし、会議での詳しい内容は伏せますが、私の意見は「即、却下」です。 私の言った話がアホな内容だったかどうかはドンキやビックが岡山に出店している以上、私の正当性を証明してくれています。

    「先見の明がない」と言うのは人生において損をすることが多いのですが、「人の意見を聞かない」と言うのも同じように損をするのです。

    最後に広島の福屋を呼んでくると言うのは、霊視以外でもいくつかの理由がありました。

    まず第一に広島の福屋の隣に天満屋があるのですが、地元の福屋としては気持ちが良いわけありません。 ならば、天満屋の近所に呼んでくる話は、福屋側も渡りに舟と言う感じです。 また、それ以外にも商店街にある天満屋が直線距離で150メートル先の駅前に移転しても余り代わり映えしません。

    しかし、広島など全く違う場所から来たら商品などを含めて、また違う感じがして活性化にもいいからです。

    それによって倉敷に目を向けてもらい、広島の福屋で倉敷の地場製品を取り扱いしてもらえるようになれば、商品や観光などの販路が広がり地元も潤うのです。 これ以外にも色々な理由はマダマダありますが、同じするなら「一石二鳥」と言うのは昔の考えであり、今は一石三鳥にも四鳥にもなるのが当たり前だと考えています。 (商売はアイディア次第であり、言い訳しているヒマはないのです。)

    この話は私が三越時代にNさんと会話したことや、会議の中でも発言した内容を簡略化したものです。

    今日から天満屋がオープンして駅前がにぎわうなら地域経済の活性化にもイイので、「5年後に寂れた状態」になって「売り上げが横ばい~もしくは下降気味」と言う事態にならないように繁栄して頂きたいです。 あの規模なら働いている人だけでも最低600人前後はいるでしょうから、雇用確保の為にも「人を寄せる」と言うアイディアを磨いて欲しいと思います。

    やはり、駅前が賑わうことで新たな雇用や需要など助かる人も大勢いるので、人々の色々な思いを受け止めるような駅前になって欲しいと思います。 ただし、今のままなら5年後にどうなっているのか、その状態を視てから私は「5年後」と言っています。

    あなたは未来における状況を、きちんと冷静に視ることができますか?

    ありがとさ~ん (*^ - ^*)ゞ ポリポリ

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    あなたに似合うお花。

    おはようございます。 3月14日のブログにも書いてありますが、13日の午後に買って来たお花達が枯れてきたので少し入れ替えました。 クマちゃん加湿器の横にはガーベラ~お客様の左手にはフリージア~私の机にはグラジオラスとオーニソガラム、有線の横にはユリとなっています。

    ガーベラはドイツの自然科学者ガーベルの名を記念してつけられた花で、元々はアフリカにある野生のタンポポから改良されてできた花です。 明治末に日本にきたのですが、花言葉は「神秘~悲しみ」と言う意味があります。

    フリージアは19世紀の始めにヨーロッパで紹介されたのですが、イギリスの植物学者フリーズにちなみ命名されています。 日本に来たのは明治時代で、この花には佳香があります。 今回は白色を飾っているので、花言葉は「あどけなさ」になります。

    グラジオラスは葉の形が剣に似ているのでラテン語の「剣=グラディウス」からつけられたようです。 江戸時代に短期的ですが日本に来ていましたが一時期廃れて、本格的に栽培されるようになったのは明治初期頃からで、 現在は夏咲きと春咲きの2系統に大別されております。

    ちなみに、グラジオラスは秘密の恋人に贈る花とも言われており、本数によって恋人達の密会の時刻が決まると言われています。 例えば、6本ならば、「6時に会いたい」と言う意味になります。

    オーニソガラムは、「イエス・キリスト生誕」の時に東方の三博士たちを導いた星(ベツレヘムの星)が、この花になったと言う伝説があります。 由緒と歴史を感じさせますが、この花言葉は「純潔~清純」と言う意味があります。

    私は元々お花が好きなのですが、お花があると部屋の中の気の流れみたいなものが違ってきます。 観葉植物もいいのですが、私はどちらかと言うと土系よりも水系の方が良いので、切花にしているのです。 花を飾る生活を望んでいて、それが現実になったのだから幸せだと思っています。

    会社勤めの人でもホンの一輪でいいから、お花を机においてあれば気分が違うのですが、それを許さない社風ならば悲しいことです。 しかし、そういう会社に夢や希望があるのかと言えば、ギスギスした状態で夢があるわけがないのです。

    こういうお話しをすると、「オマエは青いなぁ~」などと揶揄されることもありますが、口出しするだけの人よりも実際に花を飾っている人の方が素敵だと思うのです。

    今の季節、私がお客様にお花のことを聞かれたなら、どんなお花をチョイスするかと言えば…?

    あなたに似合うお花と言えば、まず出てくるのは蓮華草です。 花言葉は「幸せな気分」で、特に自然に咲いているものがお勧めです。 野や山に自分で咲いている蓮華草は、自然界の力を吸収しているものが多いからです。

    あなたが小学生の時に道を歩いていて、ふと蓮華草を見かけた時に名前はわからないのだけれど、嫌な気分が次々と消え去っていくことがあったかもしれません。 会社で嫌なことがあったり、生きていく上で辛いことがあったりしても、蓮華草を見るだけで幼い時の記憶がよみがえり、また元気が出てくる不思議なお花です。

    このお花を一輪でいいから、机の上に生けておいたら荒んだ心が癒されると思います。

    次にお勧めするのが三角草と言うお花なのですが、この花言葉は「大丈夫や安心」などの意味があります。 このお花は小さいのですが寒い季節に雪の中で耐えて、春の訪れと共に顔を出してくるパワーがあります。

    このお花が一生懸命に咲こうとする可憐な花姿が、毎日努力している素敵なあなたの姿と重なる花なのです。 あなたがビルの谷間を歩いて仕事に向かっている時にも、その一生懸命な姿を見てお花もちゃんと受け止めてくれているのです。

    白い冬を越えることができた三角草は、春の訪れにより綺麗に咲き誇ります。 これはまさに努力と言う冬を越えたあなたが、春と言う実力発揮で咲き誇るのと同じです。 そっと微笑んでいる素敵なあなたは、可憐に咲いている三角草のようです。

    最後にデイジーですが、花言葉は「明るい笑顔」です。 このお花はマイナスイオンを出すと言われているので、体内活性やのどや頭痛にも聞くらしいです。 しかし、なんと言っても「明るい笑顔」 これは素敵なあなたによく似合う言葉であり、あなたの未来はデイジーが暗示してくれているのです。

    花言葉の意味や解釈は人それぞれなので、これは私なりの解釈になるかもしれませんが、お花のある生活も少しはいいと思います。

    あなたが自分に贈るなら、どんなお花をチョイスしますか?

    ヾ(☆▽☆) ステキ~!

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    キラキラ。

    おはようございます。 この事務所の入り口のところの床がだいぶくすんできたので、今朝はペンキの塗り替え作業をしていました。 早朝よりしていたので、お客様がお越しになる頃には乾いて綺麗になっていると思います。 このような技術は建設現場時代に培ったものですが、私が次に転職するなら営業がいいかなぁ~と漠然と思っています。

    営業と言うお仕事の苦労については人により感覚は違うのでしょうが、私は営業のお仕事は非常にやりやすいと思います。 建設現場で働いていた時代のことを思えば~あの状態に比べれば、営業だけが辛い仕事とは余り思えないのです。 (営業の方、ごめんなさい。)

    もしも営業で苦しいと思うなら、それは自分が欲しくない物や売りたくない物を、お客様に対して売っている「心の悲鳴」だと思うのです。

    営業は辛いと言うけれど社会に存在する仕事を並べてみても、営業だけが苦しくて辛いわけじゃないと言う気がします。 ただし、これは楽だと言っているわけではなく、自分に嘘をつかないでやれると言う意味でイイ仕事だと思うのです。

    ある会社に入社7年目なのに朝9時頃にゆったりと出勤してきて、コーヒーを飲んだり新聞を読んだりして、ゴロゴロしている社員の人が居ます。 仮にAさんとしますが、上司である課長だろうが~更に上の部長だろうが、Aさんには一切何も言えません。

    これは縁故で入社したボンボンと言うわけではなく、実力がずば抜けているのです。 その実力とは人間性が素晴らしいと言うのもあるのですが、どうすごいのかと言えば…?

    この会社は広告代理店なのですが、色々な会社の役員や権限を持ったクラスの人たちが、「Aさんに会いたいから、必要ないけれど広告を出す。」と言わしめているのです。 つまり、Aさんと話をする為ならば広告出稿料なんて惜しくはないと言う気持ちにさせているのです。

    営業が楽だと言うのは、自分が好きなモノを売るのなら楽しいからです。 人と話をするのが好きな人が営業のトップになれると言うものでもなく、話下手でもドンドンと上に昇っていく人もいます。 この違いは何かと言えば「自分が本当に好きなモノ」を、お客様に勧めているのかどうかが一番重要なのです。

    車の営業をしているのなら、自分が買いたいと思う車なのか?
    宝石店に勤務しているなら、自分が宝石のある生活を望んでいるのか?
    マンション販売の営業なら、自分が住んで見たいと思う場所なのか?

    Aさんはクライアントにとって重要な部分を話すことが多いのですが、それは仕事だけではなく色々な話しができる知識と、相手の要求に答える知恵があるからなのです。 (ただし、Aさんの人間性が素晴らしいので、会いたくなる欲求を起こすのも要因のひとつです。)

    営業で成績が上がらないのは、自分が好きじゃない業界に入るからであり、自分が欲しいモノや好きなモノなら「熱(やる気)が入る」と思います。 就職する所がなかったから~タマタマ上司に言われたからと言う気持ちで営業されたら、話を聞いているお客様の「大切な時間を奪ってしまう」ことになります。

    今の時代に即する営業力と言うのは、「何を指して言うのか?」 コレを時代遅れの上司では、理解できていないのです。 訪問回数が足らないとか~電話の本数が足らないとか~粘りが足りないからなど、お客様のところへ度々足を運んで「押し売り営業」になっている現実に気が付いていないのです。

    本当に良い品物なら、お客様の欲しいと言う欲求を刺激して営業しなくても売れます。

    自社の製品を良いと言うのは勝手ですが、他社の製品も良いのです。 今の日本において、他社との差別化なんてあるわけもなく、TVひとつとっても値段が同じであれば、画質の差が極端に違うなんてことはありません。

    コンビニがイイ例で「売っているモノはどこもそんなに違わない」ですし、それがないと生きて行けないと言うものでもありません。 コンビニはたくさんあるけれど、実際に儲けているのは本部だけと言う例も珍しくないから、経営者がしょっちゅう変わるのです。 コンビニに手を出して、退職金を失ったり家を手放した人がどれだけいることやら…。

    私は経営者からの相談を受けた時には、他社との差別化と言う前に「自分の器と人材の差別化をしてください」と提案することが多いです。

    もし、私の言っている意味がわからないのなら~自分の会社やお店を今すぐに発展させたいのなら、直ちに「浜崎あゆみ」を雇用してください。 そうすれば、自社の製品がイイとか~ウチのお店は素晴らしいなど、ヤラセの宣伝や広告をしなくてもお店はお客様で溢れかえります。

    これからの時代の営業とは、「正直」と言うのがひとつのキーポイントになります。 嘘をつかない営業と言うのをしていれば、時間は掛かるかもしれないけれど「心に感動」を残すことができるのです。

    お金や物に焦点を置く、「ギラギラ」した時代は過ぎ去ったのです。
    心に響くような感動を求める、「キラキラ」した時代がこようとしているのです。

    あなたは自分の心に嘘をつかない、正直な表現をしていますか?

    ヽ(^^)(^^)ノ やっほー♪

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    ついてない。

    ついていない時と言うのは誰しもあるもので、何をやっても~どうしても~やっていくのが無理と言うくらい凹む時は、初心に戻るのも良いと思うのです。 一番手っ取り早いのは、「笑う門には福きたる」です。 この言葉を聞いたことがあると思いますが、それがまさに幸せを呼ぶ真理をついているかもしれないのです。

    私がこの場所に移転してから、私の動きが急に変わったとか~何か雰囲気が変わったとか、そう思っているお客様もいるかもしれません。 しかし、それは当たり前のことを当たり前にして、それに伴う当たり前の現象が起きているだけなのです。

    私は霊視カウンセリングと言う割には、占いに否定的な意見も言います。 それは「占いをするだけで、自分は動かずに寝ているだけ。」 コレでは運命も変わりようがありません。 占い師を例にとっても同じであり、宣伝や広告をしてお客様を引き寄せて、なおかつ物品販売や怪しげな祈祷なんてしたら信用されるわけがありません。 (注:怪しい点では、スピリチュアルも同罪です。)

    例えば、私が事務所を移転したのは一般的な占いで言う、「悪い時期に~悪い方角へ~悪い日」をわざと選んで移転したので、どんなことになるかと思っているのですが今のところ何も起こっていません。

    それどころか移転してから、東京出張は増えるし名古屋出張も決定して、次は広島出張の話も出ています。 さらにはHPのカウンターも以前よりもアクセスが増えて、おまけに本も出版できて10月には2冊目が出ます。 はっきり言って、今後も悪いことは起こらないと思います。

    これはひとえに「素敵なお客様」がお越しくださるからだと、とても感謝しているのです。

    お分かりだと思いますが、人類の生きる姿勢や行動は「占いやスピリチュアル」を簡単に超えることが出来るのです。 あくまで占いやスピリチュアルは刺身のつまであり、落語で言うイロモノでしかありえません。 私はお客様の人生にとって脇役であり~サプリメントであり、少しだけお力になれればいいんです。

    運が悪いとか~ツキがないと感じるのはあくまで一時的なものであり、自分の使命や生きる道に気が付いたなら、そこから先は何も不運なことは起こらなくなるか~もしくは起こることが減ってくるのです。 その手始めとして、些細なことでも「おもしろがる」&「幸せだと感じる」 コレができるだけでも明日から運命が変わり始めるのです。 

    雨が降れば「作物や植物が喜ぶなぁ!」
    雪が降れば「スキー場が助かるなぁ!」
    晴れたなら「今日は爽快な気分になれるなぁ!」

    このように天候ひとつ取ってみても、自分の感じ方ひとつで幸せだと思う日常を作り出すことは可能なのです。 明日と言う未来へ向かって歩き出すのは、自分の未来を明るいと信じてあげることができる人だけに許された、幸福への切符なのかもしれません。

    「笑う門には福きたる」に加えてもうひとつ大切なのは、「夢を持ち続ける」ことがあなたの生きがいを作り出すのです。 やる気と言うのは何もする必要がない人には無用のもので、困難や苦難に立ち向かう気のある人だけに与えられるものなのです。

    夢を叶えたい人は多いけれど夢が叶う人が少ないのは、そこに何かの差があるからです。

    夢を頭で考えると、「私利私欲」と言います。
    夢を心で考えると、「無我夢中」と言います。

    人は太古の昔より遺伝子学的にも変わり続けていますが、細胞分裂や新陳代謝があるが故に生きていられるのです。 それと同じで夢を持ち続けるのはいいのですが、その夢を叶える方法まで「同じことの繰り返し」では叶うモノも叶わなくなります。

    人には変わらない不変のモノがあると言うのは、世間と言う物事を知らないのか~もしくは自分だけと言う狭い世界で生きているのか、どちらかでしかありえないのです。 この世の中にあるものは全て変わり続けることにより、今まで脈々と受け継がれて~流れて、そうして生き残ってきたのが今の人類など生けるもの全ての生命体なのです。

    昔は歩くしかなかったのに、自転車やバイクができて~車や列車ができて~更にはスペースシャトルまでできているのです。 こうやって変わり続けて~進化し続けることで、今と言う時を刻んでいることなのです。

    あなたが今するべきことは「ついてない」と思うことではなく、これからどうすればやる気が出るかと言うことを考えて欲しいのです。 その為にも夢と言う存在が必要になり、その夢を叶える為には何をすればいいかと言う、その内容を考えるだけであなたは変わり始めているのです。

    あなたには、明日と言う時間があります。
    あなたの心には、夢を持つ権利があります。
    あなたを待つ未来には、幸せと言うハッピーエンドがあります。

    自分ができることをせずに、その夢を終わらせるのは「人生がもったいない」のです。

    あなたは自分ができることを、ちゃんと把握できていますか?

    ありがとうぉ~( -ω-)ノ~☆

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    尊敬の中身。

    このブログによく登場するN市のIさんのHPはリンク集にリンクしてありますが、現在はトップページだけではなくほぼ完成しております。

    その中に「オヤジ和尚」こと廣中邦充さんのことが出ていますが、3月に本を出されています。 廣中邦充著「子どもは悪くない!」と言う題名で、本の中にN市のIさんも出ています。 この和尚さんは「いじめ~不登校~引きこもり~家庭崩壊」などの問題を抱えた子供たちを無償で預かり、これまでに何百人も更生させてきました。

    本を出版する名目として「本の収益は寄付するとか~ホスピスを建てる」など、言うだけで実際には自分が贅沢な暮らしをしている、そんな人を私は数多く視ています。 しかし、この人は本や講演における収益を、「子供達の育成」の為に使っています。

    誠に無責任な話ですが、自分の子供の生活費も学費も全部和尚さんに出させておいて、知らん顔をする親がほとんどなのです。 しかし、ココに来た子供たちが和尚さんの生き方を見て、「尊敬」と言う言葉を胸に巣立つことができれば今後の人生に活かせると思うのです。 例え、親は尊敬できなくても和尚さんを尊敬してくれればいいんです。

    人間は「尊敬できる人」と言うのが心の中にいたなら、それはとても生きがいや目標が出来やすいのです。 尊敬と言う意味を考えていくと、ついつい過去の偉人とか功労者を思い浮かべてしまいますが、そんなに大げさにしなくても身の回りでも尊敬できる人はいます。

    私の場合はマザーテレサ、聖路加の日野原先生、斉藤茂太先生、寄付の神様○○さん、N市のIさんなど色々と尊敬できる人は大勢います。 ただし、その中でも一番尊敬できるのは、「お越しくださるお客様」なのです。 お越しくださるお客様の人生を拝見させていただくことで、自分の至らなさや悔いの残る部分を学ばせていただき過去の反省をしております。

    私にとって素敵なお客様の御相談を受け賜わっている時間は、自分の存在意義を感じられるとても大切な時間なのです。

    尊敬とは込み上げる気持ちに揺り動かされてするものであり、TVなどメディアに取り上げられたからと言って尊敬を始めるのでは、中身が追いつかない場合があります。 残念ながら私より年上の人に「マザーテレサとは?」 こう聞いてみても名前を知っているだけであり、「何をした人ですか?」「活動の拠点はどこですか?」 中身について答えられないのです。

    「最近の若い者は~」と言う前に、きちんと勉強してから説教をしないと説得力がないのです。 尊敬すると言うことは、どうして尊敬するのかと言う「尊敬の中身」がないと、尊敬していると言う掛け声だけで心が動くことはないのです。

    私がマザーテレサのことを知ったのは、小学校5年生の12月頃に読んだ本に出ていました。 当時はすでにいじめに遭っていた私は辛い日々の最中でしたが、マザーテレサが差別せずに人を救うと言う行為に助けを求めていたのかもしれません。 その当時は子供心に本気で、「マザーテレサが担任の先生だったら、自分を救ってくれたかもしれない。」 真面目にこう考えていました。

    ハンセン病患者を差別せずに、行き倒れの人も手厚く看護し、身寄りのない孤児を引き取り愛情を持って育てている。 親や先生や同級生などに「知恵遅れ」と言われていじめられていた日々の中で、マザーテレサの活動は衝撃的でした。

    この本に感動して小学5年生の冬休みに、読書感想文としてマザーテレサの話を書いて提出したら、担任のK先生(男性教諭)に「マザーテレサを尊敬するお前はアホじゃ!」と言って怒鳴られたのを覚えています。 (K先生、今はどこの小学校にいるのかな?)

    尊敬すると言うのは、どうしてその人を尊敬するのかと言う中身がなければ、尊敬していると言う掛け声だけで終わってしまうのです。 そうなると、名前は知っているけれど活動内容は知らないし、その活動を応援しようとも思わないのです。

    尊敬する人や尊敬できる人と言うのは、いきなり誰かを探さなくても最初は身近な存在でいいんです。 ただし、どうしてその人を尊敬しているのかを自問自答してみると、それに対して明確に答えが出せないなら、ただ単にな興味本位で知っているだけかもしれません。

    尊敬とは辞書で引くと、その人の人格を尊いものと認めて敬うことであり、その人の行為や業績などをすぐれたものと認めて、その人を敬うことと書いてあります。

    相手を認めると言うのは、生きている中では簡単にできません。 どんな人でも最初は謙虚ですが、偉くなると同時に人を認めなくなるのが「人格を維持する」難しさなのです。 自分の感情をコントロールして更に切磋琢磨できる人とは、すでに尊敬される状態になっているのです。

    人は生きていると色々な人に出会うのですが、それは何らかの縁があってのことです。 その縁を活かして、愛情や優しさが溢れる中で過ごしていけたら争いはなくなります。 まず自分の周りの人を大切にして、それから自分の幸せとは何かを考えるのもタマにはイイと思います。

    生きる意味とは何かを考えても答えは見つからないし、見つかったとしても答えはひとつじゃないかもしれない。 しかし、自分にとって尊敬できる人がいたなら、根底にある精神の揺らぎが減ると思うのです。 ただし、それを見つける為には常識にとらわれていると、「目の前にあるのに気が付かない」何てこともあります。

    確かに常識は大切ではありますが、絶対的なものではありません。 常識にとらわれていると、チャンスや希望~更には夢まで失ってしまうかもしれないのです。 ぜひとも、一方向からだけ見た常識ではなく、多方面から見た常識を見つけて欲しいと思います。

    あなたは自分の中に尊敬できる人が、どれぐらい存在していますか?

    \(*T▽T*)/ワーイ

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    カン。

    言葉は意外とモノを言わないのですが、それは言葉で語るよりも行動で示した方がわかりやすいし、話が早いと言うことだってあるのです。 口でいくら立派なことを言っても行動が伴わなければ意味はないし、周りの人もそれを良しとはしません。

    色々と言うけれど何もしない人と何も言わないけれど行動する人では、人生のカッコ好さが違うと思うのです。

    「親の背中を見て子供は育つ」と言う言葉があるように、後ろ姿がカッコワルイとみすぼらしく見えることがあります。 生き様と言うのは姿勢に現れるので背中が丸くなっている人よりは、背筋がピシッと通っている人の方が生き様はカッコイイと思うのです。

    これは見かけだけのことを言っているのではなく、背筋の伸びていない人が自分の発言や行動に自信を持っているとは思えないからです。 それは見た瞬間のオーラと言うか~雰囲気と言うか、その姿が素敵だと思える人は自信がみなぎっています。

    人間には古来よりカンというモノが備わっており、それは自然と身に付いた危機回避能力と言ってもいいものです。 学校や会社では、「カンで答えるんじゃない!」とか「カンでモノを言うな!」など、カンではなく説明できる内容を求めます。

    しかし、カンがどれだけ大事かと言えば、世の中のトップクラスを見ればよくわかります。 「何故かはわからないけれど、こちらへ行った方が良い。」 企業戦略でも企業方針でも内容の説明は出来ないけれど、これが正しいと言う「根拠のないカン」がモノを言っているのです。

    知識があるのはイイことだし、ものを知らないよりは知っている方がいいと思います。 それでも知識だけに頼りすぎると過去において出来たことだけが正解であり、未来へのチャレンジを認めないことが多くなるのです。

    以前失敗したんだからやっても無駄だと言うよりも、以前は失敗したけれど今度は上手く行くと言う方が、未来へ向けてのやる気が出てくると思うのです。

    「未知なる才能や可能性を、無駄にしてはいけない。」

    知識ではなく知恵と言うものでないと、頭を使ったと言うことではないのかもしれません。 知識と言うのは辞書やネットなどで調べればわかることであり、知恵と言うのはそれをどのように使えば有効なのかと考えることなのです。

    人はある程度の成功や安定が出来ると、ついつい守りに入ってしまいます。 それは人である以上は当然ですし、失敗したくないと言う気持ちが出てくるのは仕方がいのです。 ただし、守りに入ると言うのはあくまで守りであり、前進しているわけではありません。 休んでも後退しなければ良いと言う考え方では、周りが前進しているということを忘れている状態です。 いくら後退していないつもりでも、周りが進んでいたら後退しているのと同じです。

    人の心には怠けたい気持ちと努力したい気持ちと、相反する心があるものです。 物事には-があれば+があると言うように、片方だけでは成立しません。 つまり悪があるから善があると言うように、心だってひとつじゃないのです。

    良心とは良い言葉ですが、誰の心にも邪心が存在するのは否めません。 その邪心の部分を押さえ込んでいるだけなのか、それとも浄化できて邪心がなくなったのかは、その人の生き方によるものなので、誰かがどうこうできるわけではないのです。

    病気ひとつせず健康でばかりいたなら、健康の本当のありがたさがわかりません。
    お金に苦労したことがないのなら、お金の本当の大切さがわかりません。
    運の悪い時があるからこそ、運の良い時がわかるのです。

    このように、物事は両面を経験してこそ本当の意味がわかり、感謝の気持ちが生まれてくるのです。 できることなら、自分の良心に従って正しい道を歩んでいただきたいのですが、それをするには自分の生き方を探さなければできません。 自分はどう在るべきかを考えると言うのが、すなわち自分探しをしていると言ってもいいんです。

    もしも、何かはよくわからないと思うのなら、まずは健康であることに感謝してください。 そして身体を大切にして健康を維持して、いつでもやりたいことができるような準備はしていてください。

    心技体と言うけれど、本当は心の次は技術ではなく身体なのです。 健康でありさえすれば、それはひとつのチャンスなのです。 自分が自由に行動できることに感謝できない人は、心がいざという時に味方してくれないのです。

    小手先の技術はどうでもいいから、まず心と身体をキチンとすることから始めると、それはあなたにとって幸運を呼び込むスタートラインに立てたということなのです。

    あなたは自分が今と言う時間を、幸せに生きているという実感に感謝できていますか?

    ヤッタネ ♪(°▽^ *)ノ⌒☆

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    次世代エネルギー。

    おはようございます。 今日はどんよりした天気ですがせっかくの日曜日なので、素敵な感動や想いにより気持ちの好い時間の流れを感じてくださいね。

    さて、知らないがゆえに起こる誤解と言うのがありますが、それはいつどこで起こってもおかしくはないのです。 以前借りていた場所で私はトイレに行くとか~給湯室に行くなど、短時間の場合は部屋内の蛍光灯を消さずに行っていました。

    実は節電と言っても蛍光灯の場合は、「起動電力」と言って逆に電力を消費してしまう現象があるので、短時間なら消さない方がいいのです。 この為、私は給湯室やトイレに行くような短時間なら事務所内の蛍光灯を消さずにいたのですが、大家さんは気に入らなかったようで30分ほど注意を受けたことがあります。

    注:以前の場所では、常に電気を消した状態で暗い中でお客様をお迎えしていました。 他にも午後4時過ぎには鑑定終了していたのですが、その理由は電気代が勿体無いと怒られるからです。 (苦笑)

    地球環境の為に節電や節約をする気持ちは素晴らしいと思いますが、「起動電力」のことを知らない人には「こまめに消す=節電&節約」と言う誤解を受けてしまいます。 他にも、燃料電池車なら排気ガスを出さないと言うけれど、燃料電池の製造過程におけるエネルギー消費量は凄まじく、燃料電池の処分にもどれだけの労力と環境破壊があるのかという問題点があります。

    なお、白熱電球の場合はこまめに消す方が節電になりますが、蛍光灯の場合はこまめに消したら逆に消費電力が上がります。 電気製品は「起動電力」の有無により、こまめに消した方がいいのかどうか確認してから、「こまめに消す」と言うのを実行した方がいいです。

    それにエコと言うのは会社だけとか~決めた時間内だけとかしても、無駄ではありませんが有効とも言えません。

    今の日本ではよくあるのですが、ひとり暮らしの人が車を2台持っていても常に車が一台空いています。 これは無駄だという意見もあれば、消費することで経済が良くなると言う意見もあり、一概に良し悪しは断定できません。 ただ、エコロジーをうるさく言う人が、車を2台持ってもイイのかどうかは自分の良心が決めることです。

    基本的にエコをうるさく言うのなら、朝方の生活をして太陽と共に起きて太陽と共に寝る生活が一番であり、深夜まで起きているのは矛盾しています。 会社に例えるなら、「経営者が自分はプライベートで贅沢の極みをしておいて、会社にきたら口うるさく社員に節約を要求する。」 こんな感じだと思います。

    注:その他にもエネルギー関係とは違うのですが、毛皮をどうやって作るのかを知っていたら、良識ある人なら毛皮廃止を唱えるはずです。 私も毛皮の作り方を知った時には、愕然としました。 (ココではグロすぎて、とても書けません。)

    ようやく前振り終了ですが化石燃料である石油がなくなったら、次世代エネルギーはどうなると思いますか?

    石油が枯渇すると言われて久しいのですが、その代替エネルギーがナカナカ開発されないのにはいくつかの理由があり、第一の理由は石油が枯渇するのは相当先のことであり、実は枯渇すると言っているだけで未開発油田が世界各地に相当数残っているからです。

    次に利権の問題があり、もしも太陽電池などタダのエネルギーばかりになったらエネルギーで儲けている人達が生活できなくなります。 つまり、太陽の権利は誰の物でもないので、太陽電池の開発が進まないと言うのもあります。 もし、どこかの企業や機関が太陽の権利を持ったなら、その瞬間から太陽電池の開発は急激に進みます。

    最後に、エネルギーを極力減らさずに発電する技術が、もう確立されているからです。 実は空気中に存在する電磁波を吸収して、それにより発電すると言うシステムがもう完成しています。

    TVや携帯電話など現代社会では電磁波には事欠かないので、かなり有効活用できます。 電磁波を誰かが出せば~それを今度は誰かが吸収して発電、コレを繰り返せばエネルギー損失を限りなく減らせます。 (ただし、無限な永久エネルギーにはなりえません。)

    このシステムが実用化されると電力や石油などエネルギーで儲けている産業(電力会社など)が困るので、今のところはとりあえず封印しておこうと言うわけです。 (このシステムの原理や仕組みなどは、説明すると長くなるので省略します。)

    無限のエネルギーは無理でも、無限に限りなく近い状態を作り出すのは可能です。

    あなたは未来における地球のあり方を、どのように考えていますか?

    ( ̄。 ̄) ソウダナァ~?

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    恋をする。

    恋をするってことは会いたい気持ちが増えるということであり、会いたい気持ちがないのに恋を続けるのは無理なのです。

    「恋をしたら会う。」 コレがなければ始まらないし、電話やメールじゃ埋められない気持ちのハザマを揺ら揺らと揺れながら、お互いの気持ちを確認しあうのが恋だと思うのです。

    恋する女の子は心の中がハートマークで一杯であり、次々と増え続けていく間は好きと言う気持ちが収まることはないのです。

    あなたのためにひとり暮らしを始めて、これからもっともっと会える時間が増えると思ったのに、会えない時間だけが~さびしい時間だけが増えて行くなんて思いもよらなかった。 あなたに会えるからと借りたのに、ここにあなたが来たのは1ヶ月くらいだね。

    私が借りてから、もう3ヶ月経つのにひとりでいる時間の方が多くなった。 このままじゃ、借りた意味がないよ。

    「どうして、会いに来てくれないのかな?」 私は無性にあなたに会いたい時があるし、無性に声が聞きたい時だってある。 だけど、あなたにはそう言う時ってないんだね。

    いつだってそう、メールするのも~電話するのも~会いに行くのも、KISSする時でさえわたしからだった。 「今度連絡するから…。」 わかれる時にはいつもこういうくせに、いつだって私から連絡しないと捕まらないなんて、「ウ・ソ・ツ・キ…。」

    でも、ウソだってわかっていても、そのウソでさえ嬉しかった。

    もっとたくさん会いたいし、もっとたくさんそばにいたい。 ただ、そう思うだけなのに、その想いすら叶わないなんて、わたしって何かあなたに悪いことしたのかな…。 わたしがわたしじゃなくて、わたしがあの子だったら、あなたはもっと会いにきてくれた?

    あなたについて行きたいから頑張って歩いてきたけれど、もうこれ以上は歩けないかもしれない。 もっともっと頑張ってあなたのそばに行きたいけれど、見えないゴールに向かってこれ以上進むのは無理だと自分でわかってきた。

    あなたと、ただスレ違うだけ。
    あなたと、ただ目配せするだけ。
    あなたの、雰囲気を感じるだけ。

    ただコレだけのことで、わたしがどんなにドキドキしているのか、あなたは知っていますか?

    嬉しくて~悲しくて、楽しくて~辛くて、そして悲しい結末。 あなたにはわからないだろうけど、あなたがいることが「どんなに幸せなことか」わかりますか?

    あなたを見ているだけで嬉しくなってくるんだけど、わたしは見ていることしかできない自分が悲しい。 いつもあなたのことを見ているのに、目が合ったりしないのはどうしてなのかな。 今まで付き合ったということは、私の記憶にしか存在しない想い出。 あなたの写真は一杯あるのに、一緒に撮った写真は一枚もないよね。

    どこまで可愛くなったら、わたしの方へ振り向いてくれますか?
    どれだけ綺麗になったら、わたしのことを気づいてくれますか?

    あなたの背中を追いかけることはできるけれど、追いついた時に想いを伝えることができない。 それはわたしに勇気が無いせいもあるけれど、あなたが言わせない雰囲気を作ったのもある。

    わたしはあなたのものになれるのに、あなたはどうしてわたしのものじゃないの…。

    ただヒトコト伝えれば、この想いは伝わったのかもしれない。
    ただヒトコト伝えられないから、この想いは胸にしまったまま。

    もしも神様がこの世にいるのなら、勇気をください。 たった一度でいいから、チャンスをください。 あなたとあのコの間に割り込むスキマがないことくらいわかっている、だけど手を伸ばさずにいたまま、恋を捕まえられないと悔やむのは、もうたくさん…。

    わたしのことを好きになってくれる人だけ、わたしも好きになれたらいいのに。 いつだって「好きになった人からは、好きになってもらえない。」 そんなわたしがいます。

    もう、片思いのままでいい。

    この片思いのままでいいから、あなたのことをずっと好きでいていいですか?

    あなたと最後に会った時、わたしはあなたの前では泣かなかった。 だけど、あなたの姿が見えなくなってから、ずっとひとりで泣いていたんだよ…。

    彼とやり直す夢は、辛い別れや悲しい別れをした人ならば一度は見る夢です。

    「愛している。」 ただそのヒトコトを行って欲しい為に、いつまで経っても想いが消えない、それが本当に愛したと言う証拠なのかもしれません。

    あなたの前に見えない彼を、いつまで想い出の糧としてとどめておきたいですか?

    (*ノ-;*)シクシク4×9=36

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    挫折。

    おはようございます。 今日は朝から気持ちのいいくらいの太陽の光が差し込んできて、穏やかな気持ちになれるようです。 お客様の予約がないぃ~とヒマな私は凹んでいても、朝の事務所内の風景を見ると「まぁ、いいか。」と楽天的になれます。 私は挫折だらけの人生でしたので、今更凹んでも仕方がないのです。

    ただし、挫折を感じると言うのは素晴らしいことです。 何故なら挫折と言うのは自分の成長の糧にこそなりますが、無駄になることは一切ないからです。 余程の自信過剰で無い限り人間には学習能力と言うのがある為に、次はこうしようと改善できるのです。

    その為にも挫折を味わうのは無駄ではなく、頭を切り替えて自分の為にはイイことだと思うくらいでちょうど良いと思うのです。

    もしも、挫折したまま立ち直れないと言う人がいれば、それは自信過剰でありプライドが高すぎるのかもしれません。 人は神様ではないのだから、なんでもかんでもできるわけではありません。 できないことがあるから、挑戦と言う言葉が生まれるのです。

    挫折したままと言うのは、「自分ならできたはずなのに…?」とか、「この俺が失敗するなんて…?」と言う、驕りに近い感情を持つから立ち直れないのです。 最初からできないと割り切って練習や研究を重ねていく人は、地道ではありますが成功への近道を歩いています。 できない以上は失敗が当たり前と言う考えになれるので、次から次へとチャレンジできるようになるのです。

    傲慢や驕りは成長の妨げであり、自信満々と言うのはミスを招きやすいのです。 反対に何もできないと思って初心から始める人には、少しづつではありますが着実に前に進むと言うのが当たり前になってくるのです。

    人生には何をやってもウマク行かない時や、何をしても当てが外れてしまいどうにもならない時があります。 挫折を味わったことがある人は、そんな時でも慌てずに落ち着いて回避方法を探すのです。

    しかし、挫折を知らない人は自分のせいじゃなく、周りの環境が悪いとか~周りの協力が得られないからと言う思い違いのハザマですり抜けようとして、更なる深みにはまり込んでしまうのです。 そうなると、自分のことは眼中に無く人の行動ばかりが気になるので、「どうしてだぁ~?」と人のせいにしてしまうのです。

    人生には挫折がある方が良いとは言いませんが、少しでイイから挫折を味わうことで「心の痛み」が分かる人になれたら人生は明るいと思うのです。 それは、誰かのことを素直に見れる自分がいるから、自分のことも素直に見つめなおすことができるという、好循環の中に入った証拠なのです。 挫折と言うのは自分に足りないものを見つけ出す、未来へのツールと呼んでもいいかもしれません。

    確かに挫折を味わうのは、心が痛いことです。 しかし、心の痛みを味わうと言うのは自分がされたら嫌なことを身をもって知るという、知識としても重要なことなのです。

    「自分がされたら嫌なことを、人にしてはいけない。」 コレを言うのは簡単ですが、では自分がされたら嫌なことの基準とは何か? これは人により違うので、行き違いや感情のもつれができてしまうのです。

    基本的に痛みと言うのは、自分の痛みは重く感じて~人の痛みは軽く感じるものです。 だからこそ、「人に頼るな!」とか「人に甘えるな!」などの、相手の気持ちを考えない酷い言葉を浴びせる裸の王様が出てくるのです。

    辛い時や悲しい時~わからない時や迷いの時、そんな時には遠慮なく誰かに助けてもらうことで、愛や恩を感じて学べばいいのです。 そして、今度は自分が誰かを助けたり、誰かの人生を救ってあげるようになれたら、それでいいんです。 挫折を味わうことで心の痛みを知り、それから立ち上がることで人に対して優しさを持つことができるのです。

    心にある痛みを、無理に忘れようとしなくていいんです。
    心にある痛みを受け入れることで、いつのまにか消化することもできるんです。

    もしも、それでも心が痛いと言う時には誰かの心をケアしてあげることで、自分の心を救える場合があるのです。 自分のこともできないのに人のことをするのは、原則的にはお勧めできません。 ならばどういう時にはそれが良いのかと言えば、人の為になることをする場合には運命も許可してくれると思うのです。

    心が落ち着く場所が無く、帰ろうとしても帰る場所が無い人。 そういう人の為にできることは、心が寄り道できる場所を作ってあげることです。 それができたら、その人もあなたも、両方ともに幸せを感じられると思うのです。

    あなたが挫折を味わった時に、寄り道できる場所はありますか?

    (TωT)ブヒー

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    巌流島。

    おはようございます。 今日は祝日なのでお休みの人も多いと思いますが、素敵な1日が今日も始まると考えてくださいね。 幸せは素敵なあなたと、そっと手をつなぎたいと思っているはずです。

    祝日なので頭を休めるという意味で、軽いお話をして見たいと思います。 歴史と言うのは世界各国で新たな発見が次々となされるのですが、昔は正解だと思っていたことが今となっては違っていた、このことから急に考え方を変えなくてはいけない、そんなことが度々起こるから歴史は面白いのです。

    世間で知られている歴史でも、新たな事実と史実は考え方を変えてしまうほどなのです。

    例えば「巌流島~宮本武蔵~佐々木小次郎」 このキーワードで思い浮かべるのは、巌流島の決闘の話ですが、これはあくまで剣劇の中のことであり、実際にはかなり違っていました。 世間一般的に知られている「宮本武蔵」と言うのは、作家の吉川英治と言う人が作り上げたものなのです。

    宮本武蔵は「五輪の書」が有名ですが、人生の大部分は書画や文芸に勤しんでいたので、剣豪と言うよりは文化人と言ってもイイくらいです。 29歳以降は、ほとんど剣も握らず~戦いもせずと言う日々を過ごしていたのが、本当のところなのです。

    また幾多の勝負の目的は武蔵本人も記しているのですが、名前を挙げて「大名のお抱え」になる為だったのです。

    実際、他流試合で名前をあげた後は色々な大名の所へ出向いて、現在で言う就職試験と面接を受けていたのですが「連戦連敗」だったのです。 仕官したいのだけれど、どこにも雇ってもらえず苦悩の日々を過ごしていく中で書いていたのが、有名な「五輪の書」だったと言う顛末なのです。

    その後、武蔵の就職活動の結果はどうなったのかと言えば、晩年になってようやく熊本の細川家に客分として迎え入れてもらいました。

    さて、ココからはアヤシイ?霊視カウンセラー的な歴史解説に入りたいと思います。

    何故、剣の腕前も一流で名前も日本中に響き渡り~おまけに弟子も大勢いた武蔵が、全国の諸大名に相手にされなかったのか、この辺が運命はちゃんとバランスを取っていると私としては思うのです。

    昔は顔が似ている双子と言うだけでお城に出入りできたり、身体が大きくて土俵入りするだけの横綱がいたのですが、それは大名が面白いと思った人を「お抱え」にしていた現実があります。 それなら余計に宮本武蔵のような有名人なら大名は迎え入れるはずと思うでしょうが、この時代の考え方としては無理なことだったと思います。

    もしも宮本武蔵が20世紀に生まれていたなら、現在の会社社長には宮本武蔵と似た人(考え方や行動など)が多いので、受け入れられたかもしれません。 コレはどういう意味かと言うと、武蔵の名前を一躍有名にしたのは広く知られているように「巌流島の決闘」です。 しかし、この巌流島の決闘の真実こそが、この時代としては受け入れられない内容だったのです。

    世間で知られている巌流島の決闘は、武蔵がわざと遅刻してくるところから始まり、その遅刻に激怒した小次郎が波打ち際に駆け寄って武蔵をなじると、いきなり武蔵が「小次郎敗れたり」と言って動揺させて櫂で打ちのめして勝利します。

    しかし、コレは全て創作であり、史実は全然違います。 本当の巌流島の決闘は色々な碑文や古文書により、現在ではかなり正確なことがわかってきています。

    まず、後から到着したのは小次郎であり、武蔵は定刻よりもかなり早く巌流島についていました。 何をしていたのかと言えば、弟子達を連れて行って物陰に潜ませていたのです。 コレには二つの理由があり、もしも負けそうになったら加勢させる為と言うのがひとつめです。 二つ目の理由として、勝った場合でも小次郎に後で言い訳させないように証人とする為です。

    それに敗れた小次郎は巌流島で亡くなっていますが、小次郎は武蔵に剣で負けて死んだのではなく武蔵に負けた後で動けない所を、「武蔵の弟子達に集団暴行を受けて亡くなった」と言う文献が発見されています。 (渋谷のチーマーか暴走族みたいなもので、昔も今も集団暴行と言う弱い者いじめはありました。)

    それに、この決闘の時に、「宮本武蔵は18歳」で「佐々木小次郎は50歳」と言う事実も大きいです。 佐々木小次郎のイメージを壊して申し訳ないのですが、佐々木小次郎が「美形の剣士」と言うのは映画やTVの作り話です。

    何故なら昔と今では年齢の意味がものすごく違うのですが、昔は人生50年と言われており50歳と言えばかなりの老人と言う時代でした。 つまり、18歳の青年が50歳と言う隠居寸前の人に勝った。 (おまけに、集団暴行を加えて勝った。)

    これでは、いくら生涯無敗と言っても「卑怯」とか「ずるい」と言うイメージが付きまとい、仕官先がないのは仕方のないところです。 この時代は武士道と言うものがあり「正々堂々~潔い」などが重要な部分で、卑怯な方法で生き残った者を上位にすえるようなことはしなかったのです。

    大名も武士道に反する内容で生涯無敗だった者を、受けいれるなんてことはしません。 基本的にこういう勝負をする人が、「巌流島の決闘の時だけ」汚いことをしたと思いますか…。

    歴史の真実は、事実よりも奇なりと言うのが、本当のところなのかもしれません。

    あなたは歴史の真実に、どれくらい目を向けていますか?

    (?_?)(?_?)(?_?)

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    きれいごと。

    幸福とは何かを問えば、その答えは千差万別で一定の基準はありえません。 幸せの基準を愛に置く人もいれば~お金に置く人もいれば~健康に置く人もいます。 幸せとは人により違うものではありますが、追い求めるものとは少し違う感じもあります。

    私自身が煩悩の塊であり昔はロクデナシそのもので、人に顔向けできる人間とは言えません。 そんな私が言うのもなんですが、幸せとは「追い求めるモノ」ではなく「気付くモノ」ではないのかと、ふと考える時があります。

    例えば、自分の置かれた現状を見て不幸と思うのは間違いではありませんが、世界で一番不幸かと言えば違うんじゃないかと思う時間があっても…。

    昔の私がロクデナシと言うのは、まず対人関係においては「人の嫌がる言葉」を発していたからです。 揚げ足を取ったり皮肉を言ったり、果ては霊視で勝手に相手の傷を掘り返したりと散々でした。 次にお金お金とセコイことばかり言って、自分の得になることのみ追いかけていたのですから、過ごしてきた人生の3分の2以上が恥の塊と言っても過言ではありません。

    今までの私は何をしてきたのかと、思い返せば恥ずかしくなるようなことばかりです。 自分はどうしてこうなんだろうと悲観して嘆き悲しんだり、あの人は良い思いばかりすると妬んだりして、自分の現状を全然認識していないのが恥ずかしい限りでした。

    本当は、そんなに自分は不幸せじゃないのですが、人と比べた上での生活レベルだったり~親子関係や友人関係においてマズイ関係ばかりで、自分の思い通りにならないから不平不満の塊になっていたのだと思います。 マザーテレサを尊敬すると言っておきながら、マダマダ自分のことを中心に考えている反省も勉強もできていない、私はそんなヘタレです。

    それに比べて、どんなに辛いことがあっても暗い顔ではなく、ニコニコと笑顔で過ごせている人は自分の現状を見つめなおすことができ、「今のままでも充分幸せです。」と言える強さを身に付けているのです。

    本当はわかっている人が多いけれど、その恩恵を感じられないから不満に思うと言うのが幸せでないと思ってしまう基準のひとつだと思います。

    目が見えない人は一度でイイから、「親の顔が見たい」とか「彼の顔が見たい」と思います。 ところが目が見える人は、日常の中で普通に出来ることをありがたいとは思えないから、他の誰かと比較して自分は不幸だと考えてしまうのです。

    ここで少し見方や考え方を変えてみて欲しいのですが、誰かを幸せにしてあげることで感じる「幸福感の尊さ」をどう思うかです。 世界では貧困にあえぐ子供たちがいますが、それは大人達の行動に責任があります。 その子供たちを少しでも助けてあげることで笑顔になれるのなら、それはあなたに幸せを教えてくれるかもしれません。

    友達がいない人の友達になってあげるとか、目が見えない人の目となってお手伝いをするなど、誰かの為に少しでも援助や応援ができるなら、あなた自身に幸福感と言う目に見えない恩恵があると思うのです。

    「きれいごとを言うな!」 これは私が「先生や上司や父親」などの、自分より年上の人からよく言われた言葉です。

    「オマエが言うことはきれいごとで、世の中そんなに甘くないんじゃ!」 これは本当なのかと思います。 「きれいごとだけで生きていく」のは、そんなに大変なのかとも考えてしまいます。 私は基本的に「きれいごとだけで生きていける」と思っているのは、汚いことをしてお金を稼いだり~汚いことをして出世して、それがなんになると思っているからです。

    人を騙したり~ずるいことをしたり~卑怯なことをしたりてお金を稼ぐ、それで心がウキウキワクワクしてくるという人がいるのは否定しませんが、私には出来ませんし~したくもありません。

    人には純真無垢という言葉があるように、良心と言うものが心の中には備わっています。

    良い物を安く売ってお客様の為に役立ちたいとか、お客様の為に良い物を提供して喜んでもらいたいなど、最初の志は誰でも高いはずなのに利益が上がり生活が変わってくると、生活の維持や物欲の為に「見せ掛けの理念」が変わってきて「きれいごとだけでは生きていけない」と言いはじめるのです。

    例えば10億円の豪邸を建てたとして、それが自分の自慢だとします。 それを手放さない為に~それを維持管理費する為に、お金を稼ぐのは別に悪いことではありません。 心の張りになれば、逆に良いことだと思います。 しかし、そうする為に正直に生きられないなら、ずるいことや卑怯な生き方をしなければならないのなら、それは悲しいことだと思うのです。

    きれいごとだけでは生きていけないという本音の部分は、「きれいごとだけでは、自分が良い思いができる生活レベルが守れない」と言うことです。

    もしも、その考え方のいやらしさに気付いて反省できたなら、「卑怯&ずるい」と無縁の生き方ができるようになります。

    あなたは幸福の中身が、きれいな世界にだけ咲く花のようなものだと気付けていますか?

    ヘ(^0^)ヘ ☆爆笑☆ ヘ(^0^)ヘ

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    みなあたる。

    おはようございます。 昨日の午前中に倉敷へ帰ってきて、午後より鑑定を再開しております。 つたない私ですが、よろしくお願い申し上げます。

    今回のダイヤ改正に伴い岡山駅での乗り換えが30分待ちになりましたが、私がいるところは1時間に1本しか電車が走らないのでコレは仕方がありません。 ダイヤはさておき、NEW新幹線に乗ることができたのですが、それで感じたことは「これ、誰がデザインと設計したの?」です。

    化粧室やトイレの部分なんですが、流線型の壁と丸いデザインは素晴らしいと思いますが、使い勝手の面で誰も試さなかったのでしょうか?

    この化粧室やトイレを女性が使うのは、結構使い勝手が悪いかもしれません。 手を翳すだけで水が流れたり~便座が上げ下げできるのは良いアイディアだと思うのですが、この流線型の壁による狭さはキツイかも知れません。 また、化粧室が通路に出っ張った状態でむき出しなので、ココで手を洗ったり~髪をとかしたり~メイクチェックはやりづらいと思います。

    さて、東京出張が毎月になったので今回は皆中神社へと行って参りましたが、「皆中稲荷神社」と言うのが正式名称です。 1533年に創建されたのですが、場所は新宿の百人町にあります。 (新大久保駅より徒歩で2~3分で着きますから、行くのはお手軽です。)

    この神社は皆中(かいちゅう)と書いて「みなあたる」とも読むのですが、コレはゲンかつぎ風の読み方で、本当は「かいちゅういなりじんじゃ」と言います。 江戸時代の話になりますが、百人町(いわゆる大久保駅や新大久保駅界隈)には、甲州街道(内藤新宿)の防備の意味もあり、鉄砲百人組同心と言うのが駐屯していました。

    さて、ここでちょっと横道にそれますが、「鉄砲百人組同心」とは…?

    この当時の江戸は小田原北条の統治下にあったので、家康はその残党が江戸の西郊より攻めてくることを恐れていて、三河時代からの腹心であった内藤修理亮清成に鉄炮百人組を預けました。 現在の新宿1~2丁目周辺に駐屯させていたようで、その防備と警戒にあたらせたのが鉄砲百人組の始まりとなったようです。

    なお、百人組(ひゃくにんぐみ)とは江戸幕府における組織の一つですが、「鉄砲百人組同心」と言うのは単なる同心ではありません。 実はその正体は「服部半蔵ゆかりの忍者軍団」で、その鉄砲部門が鉄砲百人組でした。 つまりは家康を守る精鋭中の精鋭であり、日夜銃の腕を磨いていたというわけです。

    さて、家康が江戸城に入る時にも先陣を務めた鉄砲百人組同心が、この神社に参拝したところ命中の確立が大幅に向上しました。 その御利益の声を聞き、旗本などの参拝も多くなったらしいです。

    ただし、鉄砲を使わない現代では、宝くじの当選祈願(選挙やスポーツなど)などの勝敗を争うことに関しての祈願はもちろんのこと、商売繁盛の祈願所としても知る人ぞ知る存在になっています。 社務所には勝運や宝くじ当選祈願の授与品も揃っていて、訪れる人がアトをたたないと言われています。

    ちなみに弓道でも、射った矢が全部マトにあたることを「皆中」と云います

    さて、新大久保駅を出て左へ曲がりパチンコ店の前を通過して、徒歩で30秒も掛からないうちに着いてしまうほどあっけなく、皆中神社入り口に到着です。 鳥居と言うのか~門と言うのか、よくわかりませんが通り抜けて左手に建物がある状態で進んで行くと1分もしないうちに本殿に到着します。

    ここは都会の中の異空間みたいな感じで、早朝や夕方以降などの暗い状態で来るとなんとなく怖い感じがする人もいると思います。 ただし、そんなに心配しなくてもある意味安全な場所なのですが、実は入り口の横が交番です。 (神社の入り口周辺と参道には、警官の自転車が所狭しと置いてあります。)

    ちなみに、皆中神社の参道(入り口から本殿までの短い直線)の途中に犬小屋があり、そこにワンちゃんが寝ています。 そしてその犬小屋の上の方に読みにくいけれど張り紙がしてあるのですが、その内容とは…?

    「御参拝の方へ。 この犬を勝手に散歩へ連れて行かないでください。」

    このような感じの文面なのですが、簡単に言うと参拝に来た方々が勝手にワンちゃんを散歩に連れて行くので、宮司さんが張り紙で注意しているのです。 どうやらこのワンちゃん人気者のようで、参拝の人に愛想がイイのか? 散歩に連れて行ってもらっているようです。 ただし、あくまで無断で連れて行っているので、「プチ誘拐」となります。

    かく言う私もワンちゃんの頭をなでたりして、『ヨシヨシ』としばらく一緒に遊んでから本堂にお参りしたので人のことは言えません。 そして参拝も終わり、新大久保駅から一路ホテル会議室へ向かいました。

    アトはいつものように鑑定開始ですが、私のような無名のアヤシイ?霊視カウンセラーに予約を入れてくださるなんて感謝感激で、まさに奇跡だと考えています。 その奇跡に感謝して4月の出張は土日の2日間にしましたので、予約が入るかどうか心配でヘタレの私は夜も寝られない状況です。 o( _ _ )o...zzzzzZZ

    今後もお客様の勇気や元気が出るような霊視カウンセリングでありたいと思いますが、マダマダ未熟者の私では勉強不足&努力不足で御迷惑をお掛けしていると思います。 至らぬ私ではございますが、今後とも御愛顧いただければ幸いです。

    色々な方がお越しくださる幸せを、肝に銘じて歩んで行きたいと思います。

    クルクル(・_・)(_・ )(  )( ・_)(*°∇^V)⌒☆ありがとう!

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    自信を取り戻す。

    おはようございます。 朝、PCに向かいブログを更新していると左の方から光が差し込んできて、机の上の首振りプーさん(太陽電池)が首を動かし始めます。 今の事務所には首振りプーさんやクマちゃん加湿器などがいるので、占いの事務所には見えません。 それと言うのも「遊び心があった方が、いいかな?」と思い、事務所のインテリアを整えているからです。

    そういうものを見て心が和んで、それにより勇気や元気が出て「自信」を取り戻せたらイイことだと思うのです。 人が自分の夢に向かって進めない理由のひとつに、自信がないと言うのがあります。

    昔々の戦国時代には気の小さそうな人を選んで敵の内情視察、現代で言うスパイ活動に行かせていました。 それと言うのも気の強い人や気の大きい人では、「まぁ、こんなもんでいいか?」と言う感じでろくに調査もせずに引き上げてくることが多かったそうです。

    ところが気の小さい人だと、「質問されたらどうしよう?」と、何を聞かれても答えられるように、事細かに調べたという逸話が残っています。 TVドラマや映画じゃないので、実際には気の弱いコツコツタイプの人こそ、戦国時代には重宝されていたようです。

    誰でも才能と可能性はあり、英語がしゃべれるようになりたいとか~漫画家になりたいとか、自分の信念を確固たるモノに築き上げてしまえばできないことはありません。 ところが、実際には自分にコンプレックスを抱いてしまい、そこから先へ進めないことも多いのです。

    夢を叶えたいのなら最初のステップは、そのコンプレックスを取り除くことなのです。

    一芸に秀でるとか(専門馬鹿など)、色々な表現や言葉はあるけれど、その専門分野で自信を持つことが出来れば、それ以外のことでもなんら引けを取ることが少なくなるのです。 人間とは面白いものでひとつの分野を突き詰めて自分のものにしてしまえば、後は他の分野においても普通に接することができるようになるのです。

    コンプレックスとは自分の弱点と言うことですが、その弱点をさらけ出してしまえば「もう、怖くなくなる」という逆転の発想もあります。 私は学歴もなければ取り得もない、おまけに親は夜逃げしているし散々な状態ですが、それを最初から話していることであきらめの境地と言うか~無の境地と言うか、平常でいられるようになってきたのです。

    秘密と言うのは自分が持っているものではなく、「人がどう評価するのかと言う疑念」が持っているだけであり、自分がそれを秘密と思わなければなんでもないことです。

    話が下手で人と会うとどうしようと悩むくらい、赤面症だったり~上がり症だったりする人が、セールスマンや講師になり人前で話をすると言うのも逆転の発想です。 自分の弱点である人付き合いが苦手と言うところを、逆に人と向き合うことで解消しようと言う努力が実を結んだ瞬間です。

    簡単に言うならば、「自分が一番恐れていることを、最初に取り掛かりなさい。」と言うことなのです。 そうすれば~一番にしてしまえば~最初に取り掛かれば、もうそれ以上怖いものなどないのですから、後は自分が自信を持って取り組めるものばかりです。 (人類の歴史とは同じことの繰り返しであり、変わったことや違うことをいきなりできる人はいません。)

    人間にとって素晴らしい能力のひとつに、弱点を克服したなら更に素晴らしい能力や実力が身について花開くというのがあります。 弱い者いじめに遭っていた人が、それをバネにして出世するなんて話はよく聞く所です。 例えるなら、社長と言われる人の中には昔いじめられていた人は意外と多いのです。

    基本的に寝ているだけでは人生を変えることは無理なのですが、やはり偉大な何かを成し遂げようと思うのならば行動に加えて夢が必要です。 そしてその上を目指そうとするのならば、計画するだけではなく信念とそれに伴う行動が必要になるのです。

    自分は絶対に成功して見せるでもいいし、自分は絶対に漫画家になって見せるでもいいのです。 今はくすんだ石ころに見えていたとしても、磨き上げたあなたは光り輝くダイヤモンドになっているのです。 未来に何かを成し遂げたいとか~やり遂げたいと思うのならば、ホンの少しの勇気とわずかばかりの努力に加えて信念がちょっとだけでもあれば、鬼に金棒です。

    運の良い人は品格が伴っているのですが、「下品~卑怯~下劣」と言う言葉が似合う人で運が良いなんていませんし、仮にいても長続きしないのです。

    品格がない例と言えば、以前ある男性が「女の心は金で買える。」と言い切っていました。 その人の周りには、そういう女性がいたかもしれません。 しかし、知性と品格を求める女性ならば、あの発言は当てはまらないのです。 ただし、運命は悪戯好きであると共に皮肉屋でもある為、そんな有頂天の時期を長くは続かせてくれないのです。

    「真理と正義」を持たない者には、いかなる富もいかなる地位も長続きはしないと思うのです。 努力している人には「報われて欲しい」と言う、私の希望的観測も入っていますが、運命もそう考えてくれると信じています。

    姑息な手段で人を騙して成功したように見えても、それは一時的なものであり長続きはしないのです。 エゴや欲にかられて自分だけが得をすればいいと考えると、後に残るのは後悔か~大きなしっぺ返しだけになるかもしれません。

    あなたは自分に嘘をつかずに、自信を持って正直に生きていくことができますか?

    Ψ(・O・)Ψ ハッ!


    お知らせ:明日は東京出張鑑定の為、16&17日のブログ更新はお休みします。 倉敷での鑑定は17日午後より、ブログの更新は18日より再開いたします。 お手数をお掛けいたしますが、よろしくお願い申し上げます。 m(__)m

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    お札。

    おはようございます。 今の事務所にあるお花は、ラナンキュラス~ゆり~チューリップです。 ラナンキュラスの花言葉は名誉とか晴れやかな魅力で、ゆりの花言葉は純血とか無邪気ですが神と言う意味もあります。 お花のある生活ができるようになって、以前の事務所とは雰囲気がだいぶ変わっています。

    今週の日曜は東京出張ですが、その時に宿泊はどうしているかと言えば公園で寝ているわけではなく一応ホテルです。 ただでさえアヤシイ?私が野宿していると、ますます不審人物になってしまいます。 夏なら野宿できないことはありませんが、さすがにホームレス状態はもう「ごめんなさい」です。

    東京での鑑定が終わると部屋に向かうのですが、ココは東京23区内だと言う点&新幹線が止まる品川や東京駅に近いなどの利便性を考えると凄くリーズナブルです。 なにしろ倉敷や岡山の駅周辺のホテルよりもリーズナブルだし、広さも寝るだけなら充分なので出張や節約旅行ならココがお勧めです。

    ただし、この客室内でひとつ苦手なことがあるのですが、それはモニュメントなのか? それともインテリアなのか? よくわからないのですが、ベッド脇の壁に掛かっているモノが気になるのです。

    何かと言えば石板に顔が彫ってあり、まるで「真実の口」みたいで、暗い中で見ると妙に迫力があるのです。 (しかも立体的なので、本当に人間の顔に見えてくるのです。)

    ちなみに「真実の口」とは、ローマにある石の彫刻です。 ローマのサンタ・マリア・イン・コスメディン教会の外壁部分というのか、教会の正面柱廊の奥に飾られているものです。 今は教会にあるのですが、元々は下水溝のマンホールの蓋だったらしいです。 そのマンホールの蓋の部分に、海神トリトーネの顔が刻まれているモノを真実の口と言います。

    この彫刻にある顔の口の中に手を入れると、偽りの心がある者はその手首を切り落とされるとか、そのまま手が抜けなくなると言うような伝説があります。

    もしも見たければ映画の「ローマの休日」に登場するのですが、グレゴリー・ペック扮する新聞記者のジョーが真実の口に手を入れて、この伝説部分を再現して見せています。また、もしローマに行かれることがあれば教会まで行かなくても、この複製品がローマ三越店内にあるので三越内でも見ることができます。 (よくある風景ですが、日本からの観光客を中心に写真撮影をしている様子が見られるようです。)

    しかし、利便性や価格を考えると今度の出張も宿泊はココなので、この石板を見ることになりそうです。

    ホテルや旅館に泊まると付き物なのが、幽霊が出る部屋とか~○○があった部屋などの都市伝説的な話です。 コレは嘘ではないのですが、あまりに誇張しすぎるのもどうかと思います。 これから書く話は岡山県内のホテルのことなので、名前は絶対に出せませんのであしからずご了承ください。 m(__)m

    私が建設現場で働いていた時代ですが、ある時に某ホテルでクロスの張替えをしていました。 そしてある階に材料や道具を運び、取り掛かろうとした時に「あれっ、何か嫌な感じがするなぁ~?」と思いました。 作業しながら「気のせいかな?」と思いつつ次々と作業を終えて部屋を移動していると、エレベーター脇のある部屋に来た時に「コレは間違いない」と思いました。

    ホテルの従業員の方が作業を見に来た時に、「この部屋は、何か出ますよね。」 こう聞いたところ「えっ、知っているんですか?」と従業員の人が驚いた感じでした。 「知らないけれど、なんかこの部屋変ですよね?」と聞いたところ、従業員の人もヒマだったのか色々と教えてくれました。

    そこは和室で縦長に二間ある部屋で、窓側の部屋で寝ていると枕元に女性の霊が出るそうです。 ここは男性が出張にきて泊まることが多いのですが、上司と部下の場合は部下が泊まり、先輩後輩の場合は後輩が泊まるということらしいです。 だから上下関係がない時は「くじ引きかジャンケン」で決めるのですが、フロントの人もその真剣さには苦笑いらしいです。

    いい歳した大人が、フロントで真剣にジャンケンしているんですから…。

    なお、この部屋は従業員なら誰でもわかるように専用のある絵があり、その絵が掛けてある時は「昨晩、霊が出た」と言う暗号になっています。 ちなみに私が廊下部分のクロス張替えをしていると、某スポーツ選手が家族と一緒に泊まりにきていました。

    注:私はホテルの部屋に幽霊と言われても、正直言って余り気になりません。 それよりも寝ている時に「顔の上をゴキブリが這う」とか、「寝ている布団の上にムカデが落ちてくる」 この方が怖いので、霊がどうのこうのと言われても苦笑いです。

    ココでTVのヤラセによる誤解を解いておきたいのですが、TVなどでは「掛け軸の裏や絵画の裏」にお札(護符)が貼ってあるのは昔の話しで、今はもうそんなところには貼っていません。 それと言うのも、この話が出回ったのでホテルや旅館の方も対策を立てないと、噂がでることによるお客様の減少を防ぎたいからです。

    ちなみに旅館の場合は、今はどこに貼ってあるかと言えば、押入れの天井部分か花台の裏です。 押入れの天井なら布団が入っているので、それを出してまで確認する人はいません。 次に花台ですが、花を生けてあるので動かさないし素人が動かせないので、これまた確認できないのです。

    ホテルの場合はある場所の裏や下に貼ってあるのですが、また次の機会に書きたいと思います。

    あなたは部屋に泊まる時に、必要以上の心配をしていませんか?

    (((p(>v<)q)))!!

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    セコイ。

    私の個人的な意見ですが「セコイ」と言うのは、人間としての格を下げてしまうのではないのかと思います。 コレは人間関係においても言えるのですが、少しのことをケチったばかりにセコイと評判を下げてしまうのは勿体無いと思うのです。

    例えば、100円ケチったばかりに金額的には100円得したかもしれませんが、信用や人間性は100円では買えないと思うのです。

    セコイと言う面について男性を例にとって、私なりの考えを書いてみたいと思います。 セコイ男性と言うのは、ヒトコトで言うなら成功しづらいと思います。 コレはお金や地位だけを指して成功と言っているわけではありませんが、仮に女性と会う場合に一円でも出させるような男は駄目です。 もしも女性と食事に行ったなら、その場に何人いようと全額出すのが男性としては当たり前だと思います。

    元々「セコイ」と言う言葉は芸人の間で、下手とか~駄目だとか「芸ができていない人のこと」を言ったのですが、明治~大正~昭和となって行くに従い、「けちくさい~ずるい~料簡がみみっちい」などと言う意味で使われるようになりました。

    日本は男尊女卑の国なので同じ年数や同じ技術でも、男性の方が給料やボーナスが上と言う現実があります。 同じ仕事をしているのに、「どうして?」と思った人も多いかも知れません。 男性よりも女性の方が働きにくいと言う世の中の仕組みは、マダマダ改善されていないのです。

    私は基本的に男性の鑑定は受付したいと思いませんが、仮に男性の鑑定をする場合は女性よりも鑑定料金が高いです。 ただし、私だけが男性料金を高く設定しているわけではなくお見合いパーティでもなんでも、男性の方が女性より参加費や登録料などを高く設定してあると思います。 男尊女卑で有利な人生を送っている男性が、鑑定料が高いなんてセコイことを言ってはいけないと思いますが…?

    ここでひとつ例ですが、私のところへ定期的に来てくださる男性で、寄付の神様~N市のIさん~E県のMさん~台湾のKさんなどは、私のところへ来て高いと言ったことは一度もありません。 それどころか、私が男性の鑑定料については全額寄付していることを知っているので、「お釣りはいいよ」とか「じゃあ、ついでにコレも寄付して。」など、鑑定料金以外に色々してくださることが多いです。

    心にゆとりのある男性は、「セコイ」行動はしないのです。 セコイ男性と言うのはお金に関してだけではなく、精神や品格など生き様においてもセコイと言うのが問題の本質なのです。

    コレは恋愛や結婚にも言えることで、人生のパートナーを見つけるのならセコイ男性だけはお勧めできません。 私はカウンセリングタイプなので強制することはできませんが、自分の立場を利用してデカイ態度を取るような男性とは、一緒に居ても人生が楽しくないかもしれないのです。

    コレは仕方のない部分もあるのですが、一流企業など大きい会社に就職すると「自分が偉い」と勘違いして、下請け会社の自分より年上の人を呼び捨てにしたり~夕方になると呼び出して接待させるようなことを始めるのです。 最初のうちは気恥ずかしい感じがしていても、そのうち慣れが出てきて横柄な態度が当たり前になるのです。

    下請け会社の自分より地位や年齢が上の人が、頭を下げて丁寧にしてくれるのは会社の看板に対してのことなのに、自分にしていると勘違いするのが「セコイ」と言うのです。 タマタマ地位や立場が自分よりも下だと思ったら強気に出ると言うことは、逆の立場なら尻尾を振って相手に擦り寄るいやらしさがあるということです。

    「いつもお世話になります。」 下請けだろうが~自分より年下だろうが、相手の立場に関係なくキチンと頭を下げる男性を見た時に、何故かはわからないけど心地好さを感じると思うのです。

    コレは上の立場の、上司や社長と呼ばれる人も同じです。

    もしも、会社の社長が新年会や忘年会を食べ放題でやり過ごすようなら、それは社員の人達に足元を見られる(器の限界)と言うのに気が付かない裸の王様なのです。 自社の為に働いてくれている社員の方々を食事に連れていくのなら、毎日行くわけじゃないのだから「普段はとても入れない」クラスに連れて行くのが筋なのです。

    普段、社員の方々にデカイこと言っている二代目やボンボン社長などは、東京のリッツのスウィートに社員を泊めるくらいするのが当たり前です。 残念ながら2代目ボンボンクラスには、大きいことを言うだけ&口先だけで本当に行う勇気はないと思います。

    セコイ仕草は損をするのですが、それは目に見えてする損と目に見えない損と両方がダブルパンチでくるのが怖い所です。 目に見える方は信用を失うとか~次から相手にされなくなるなど、すぐには返ってきてわかりやすいのです。 しかし、目に見えない方は、いつ~どのような形で自分の身に降りかかるかわからないのが、運命のしっぺ返しの怖さなのです。

    恋愛中に相手がセコイと言うことに気が付いたら、それは恋の終焉~もしくは今後において苦労すると言うことを、運命があなたに予感させてくれているのです。

    あなたはセコイ男性を見抜く、そういう目をきちんと持っていますか?

    ( ^-^)ノ―∞∞∞∞∝⊂(-_-;グサリ

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    恋愛論。

    人の悩みは尽きることなく出てくるのですが、人の脳と言うのは1日に約3万回の事象や事柄を考えると言われています。 つまり、目に入るモノや耳に聞こえることなど、脳はそれらを全て処理しているのですから、どれだけ膨大な量を処理しているか考えるとすごいことです。

    ただし、そうは言っても人間関係において悩みがなければ、生きていくことがとても楽になります。

    私は色々な人を鑑定しているうちに、どうしても色々な認識と言うか~考え方の柔軟さや~色々な見方ができてきます。 しかし、それによってアヤシイ?霊視カウンセラーなりの、「いい男&いい女」の定義と言うか~生き方も視えてきます。

    いい男とはこうあるべきなのか?
    いい女とはこうあるべきなのか?

    魅力と言うのは人により定義が違うのですが、自然と「あぁ、素敵だな。」 こう思える人が人を引きつける魅力を備えているものだと思えてきます。 これは勘違いしている人が多いのですが、美人だとかイケメンだとか表面的なことが評価に作用するのは一部の人にだけです。

    姿や形と言うのは永遠ではなく、いつかは変わるものなのです。 目の前に25歳の女性がいたとしても、45歳の姿を見たら変わっています。 目の前に25歳のイケメン男性がいたとしても、45歳の時には変わり果てた姿になっている場合もあります。

    ところが25歳の時には「いけてない&ダサイ」と感じる人が、45歳の時には「魅力一杯」で憧れを持たれるように変貌することだってあるのです。 時の流れと言うのは残酷な面もありますが、人間の成長を促すと言う素晴らしい一面もあるのです。

    私は人を見る目と言うのは、とても難しいモノだと思います。 人の評価と言うのはまず見た目から入り、次に最初の印象を引きずることが多く評価の修正が難しいのです。 私は常々、人は見た目ではわからないし~人は成長するのだから、「未来を見て評価してください」と言います。 今と言う時点で評価を下すのは、それは個人の認識における「好き嫌い」と言う評価でしかないのです。

    「いい女~いい男」 これは探さなくても、ちゃんといます。 忘れている人が多いようですが、まずあなた自身が「いい女」だと言うことを思い出して欲しいのです。 あなたはとても素晴らしい、素敵ないい女だと自信を持って欲しいのです。

    ただ、ついでにホンの少しだけ思い出さないといけないのが、相手に対する気遣いです。

    自分がされて嬉しいことは、相手にもしてあげると言うのは誰でもわかることなのですが、そのやり方において間違いを犯しやすいのです。 ほとんどの人が、「自分がされたらお返しをする。」と言うことが基本になっていて、それをおかしいと思わないから幸運が逃げていくのです。

    「出入り口」と言う言葉がありますが、これを「入り出口」と表現したらかなり言いにくいと思います。 では、何故言いにくいのかと言えば、これが物事の本質を表す言葉だから「言い換えられないようになっている」と考えるのが筋なのです。

    「出入り口。」

    つまり、お金が欲しいと思えば、まず自分が相手にお金を出してあげると言うこと。 愛情が欲しいと思うのなら、まず自分が誰かに愛情を注いであげること。 出入り口と言うのは、まず先に出すと言うのが大原則であり、自分に入ってからと言うのは物事の本質および自然原則に逆らっているから、無理を言っているのと同じです。

    あなたが好きな人と親密になりたいと思うのなら、彼の人間性と意思を尊重してあげるのが先です。 「それが出来たら苦労はないよ~?」と言うかも知れませんが、とても簡単なことです。

    彼の下の名前(姓名で言うなら名の方)を、頻繁に使うだけでも違ってきます。 例えば「鈴木一郎」と言う名前の彼を好きになったのなら、「一郎さん」「一郎くん」などでいいんです。 これは言葉だけでなくメールも含まれるので、「Re:○○」なんて手抜きではなく、「一郎さんへ」と言う感じで送信して欲しいのです。

    そして、もっと親密な仲になれたなら、彼が小さい時に呼ばれていた名称を使えるようにするのです。 一郎ならば「いっちゃん」とか「イチローちゃん」など、子供時代を思い出すような懐かしさを呼び起こすようにするのです。 ただし、これは諸刃の剣で使い方を間違えると、彼が気に入らない怒る名称もあるので要注意です。

    彼が名前を呼ばれて嬉しそうにしていたら、それはあなたに心が一歩近づいたと言うことです。

    相手の気持ちを引き寄せると言うのは、実は自分の心を相手に近づけるということでもあるのです。 相手の領域にどれだけ自分の足跡を残して、良い思い出として~素敵な感動として、心の中を占領できるかが恋に落ちる条件なのです。

    あなたは相手の心の中を、どれだけ占めることができていますか?

    ☆⌒(*^∇゜)v ありがとう!

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    幕藩体制。

    おはようございます。 毎日生きていれば色々なことがありますが、幸せとは日常をつつがなく過ごすことであり、私は今日も素敵なお客様にお会いできると言うだけで幸せです。 あなたの笑顔があれば、それで心が潤うのです。 未熟者でヘタレの私ではお客様が満足いかないこともありますが、それは私の実力不足なので反省するより他ありません。

    ただし、実力不足の私ですが「間違った歴史認識」を史実として話すことは、学者や研究者に反論の余地を与えてしまうので、アヤシイ?霊視カウンセラーとしてはできないのです。 大学教授クラスがグウの音も出ないようにしておかないから、霊視の信用性がなくなるのです。

    例えば、日本史で必ず習う「幕藩体制」と言う言葉、コレには大いなる誤解が混じっているのです。 当然ですが幕府と言うのは、将軍様を頂点とした江戸幕府のことを言い、現在で言う中央政権(省庁など)を指します。 そして藩と言うのは地方政権のことであり、藩主は県知事みたいなものかもしれません。

    「藩主の参勤交代で~。」とか「藩主が年貢の取り立てを厳しく~。」など、コレを言うこと自体が霊視できていない&視えてないことになるのです。 多分、映画やTVの時代劇で言っている台詞などから前世を話される為に起こることですが、江戸時代など昔の生活は映画やTVとは大違いです。

    なぜなら江戸時代の人が「藩主」とか、「私は土佐藩の者です。」などと言うはずがないからです。 コレは現代の日本史に関する教科書や辞書などをしっかりと見ていただいても結構ですが、私が言うことが正解だと思います。

    江戸時代などの昔には藩と言う名称や呼称はなく、昔の人々は国や城下町の名や藩主の姓で呼んだと古文書に記されています。 つまり、江戸時代の人に「松山藩はどこですか?」とか「薩摩藩の人はどこにいますか?」などと聞いても、何のことやらチンプンカンプンなのです。

    もともと藩と言う名称は中国の言葉であり、古代中国の領主たちが「藩屏」と称していたのが始まりと言われています。 では、何故「藩」と言う言葉を耳にしたり~当たり前のように使っているのかと言えば、「藩」と言う言葉は明治時代になってから使われるようになった言葉だからです。

    実は明治政府が幕府から没収した土地を府や県に割り振りする為に、今までの土地に何らかの名称が必要でした。 土佐藩⇒高知県とか薩摩藩⇒鹿児島県など、名称がないと置き換える時に間違えたりしてしまう為、大名の領地とその支配権(機構)を「藩」と呼んでいたのが始まりなのです。

    つまり、「藩」と言う言葉は明治時代より始まった現代用語なのに、江戸時代より使われていたように定着しているのです。 たまたま、藩主や藩士などは物語で使いやすいから使っているだけであり、実際にはありえないことなのです。

    教科書でも最近は正しい歴史に徐々に移行してきているので、この辺の正しい解説がついた上で「藩」と言う言葉を習うようになるだろうと思います。

    ついでに言うと、立派な武家屋敷のシーンで表札が掛かっているのをドアップにして、○○家と言うのを強調していますが、あれも実際は無理なのです。 何故なら江戸時代に表札なんて掛けてなく、どこの武家か一見しただけではわからないようにしてあったのです。

    それに「鎖国」なんかもある意味で現代用語と言っていいのですが、江戸時代は自由自在に貿易をしていたので厳密に言うと鎖国はありえないのです。 強いて言うなら「海外渡航禁止」であり、「鎖国」と言う言葉は外国人のケンペルと言う人が書いた日本の話を、志筑忠雄が翻訳した時に作った造語なのです。

    それが証拠に江戸時代には海外のミイラが数多く輸入されており、薬としてミイラを粉にして飲んでいたのです。 何の薬かと言うと、胃腸炎や止血など抗生物質の変わりに使われていたようです。 実際ミイラの効用はかなり効き目があったようで、ミイラの粉入りと書けば薬の価値が上がったようです。

    教科書もそろそろ「鎖国」という言葉をやめて正直に、海外渡航が禁止だっただけで海外とは自由に貿易をしていたと言うのをおおやけにした方がいいと思います。 なお、「重力」「遠心力「加速」なども志筑忠雄が作り出した造語であり、もともとの日本語ではなかったようです。

    このように歴史における新事実が次々と明らかになっているので、タマには歴史や文化に触れてみるのも楽しいと思います。

    私が歴史に触れる部分を霊視した時には、TVや映画とはかなり違う状態で視えています。 以前に森蘭丸のことを書いたと思いますが、歴史学者の研究が進めば進むほど私の書いた森蘭丸像が正しいことが判明してきます。 近日中に書く予定ですが、宮本武蔵や佐々木小次郎に関しても、私が思うのと世間で知られているのでは相当違います。

    あなたは歴史における真実を、どれくらい理解していますか?

    アハハ (*^▽^*)

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    格差と深層。

    賃金格差と言う言葉がありますが、まず一番にでるのが地方と首都圏の大きな隔たりです。 次に出るのが正社員と契約社員で、同じ業務をしているのに給料やボーナスで大きな隔たりがあります。

    この格差と言う言葉の響きには二つの意味が隠されているのですが、それは心地好さと卑屈さです。

    まず格差ですが、辞書で引くと「資格や等級や価格などの違い」と書いてあり、格差とはどこか線引きされたような冷たい響きがあります。 そして、その言葉に心地好さが出るのは、自分が優位な立場にいる時です。

    上司と呼ばれるようになると急に言い始めるのが、「キミとは格が違う。」 こんな言葉を言うようになったら、歳を取ったか~頭が働かなくなってきているか、どちらにせよ人としての機能が退化していると考えた方がいいと思います。

    自分の立場をエライと勘違いして、相手を見下す発言は人としてマナー違反です。

    格差という言葉に哀愁や卑屈さを感じてしまうのは、自分が相手より劣っていないのに理不尽なことを言われるのが、一番の大きな理由です。 同じことをしているのに自分だけ非難されるとか、同じことをしているのに自分だけ賃金が低いとか、同じ状況や環境なのに扱いの差が大きいと、人は格差を感じてしまうのです。

    格差を感じた時に、心地好さなら現状維持をしたいと思い始めます。
    格差を感じた時に、卑屈さが出れば現状を変えたいと思い始めます。

    ただし、その状況や立場になったのは、「何故か?」 この意識を持ち続けない限りは自分が楽したいと言うだけであり、相手のことをとやかく言うことはできないのです。 正社員と契約社員の扱いの差は確かに大きいと思いますが、都会と地方の格差に比べたら幸せな部分があります。

    東京では時給が1300円でも安いと言う感覚だったりしますが、岡山なら時給800円でも高いと言う感覚があったりします。

    コレは色々な地方を調べてみればすぐにわかることですが、東京の超人気店が地方に出店しても、いつの間にか閉店しています。 来た時には大々的に~華やかに開店するのですが、あっと言う間に売り上げが落ち込んでいくのです。 ところが地方から東京へ進出したお店は大儲けはできなくても、どうにかこうにかやっていけているお店が多いです。

    これは予測範囲の差が現れていると思えるのですが、有利な状況にいる人が不利な状況になると、過去に築き上げた自分のノウハウが全然通用しない。 けれど、不利な状況にいる人が有利な状況になると、過去に苦労した分だけ自分のノウハウが予想を超えた働きをする。

    格差と言うのは決して良い言葉ではないのですが、不利な状況に置かれている人が格差を乗り越えた時には、どれだけすごいことができるか? それは未来が楽しみなくらい、素晴らしいことだと思うのです。

    心の中にあるモノ(夢や希望など)が、やぶれたり~ほつれたり~縫い目がぐちゃぐちゃになったり、大変な時があるかもしれない。 しかし、それはあなたの心の中に納まりきらないくらいのモノ(夢や希望など)になっているから、外へ飛び出そうとしている証拠なのです。

    「やれない~できない~むりだ」 こんな後ろ向きな発言は、自分の気持ちを押し殺して夢をあきらめることなのです。 格差の壁と言うのは果てしなく大きく見えるかもしれないけれど、乗り越えてみたら意外とそうでもなかったと言うことが多いのです。

    格差に驚いたり~怖気づいたりすると、その表面的な部分のみ見てしまうので、そうなると「できること」が「できないこと」に変身してしまうのです。 表面的なことは深層部分とは違うので、その奥底深いところを見ないといけないのです。

    例えば、携帯3社を見ればよくわかるのですが、auは若い人にユーザーが多いとか、ナンバーポータビリティ数が№1とか言っています。 しかし、それが実体と照らし合わせてどうかと言えば、意外とそうでもないと思います。 ライブドアの時に実体を見ずに勢いで株を買った人が多かったのですが、今はどうなのかは一目瞭然です。

    私は株式市場のことやナンピン買いとか、さっぱりわかりません。 しかし、自分がauの株を買えるかと言われれば、まず買いません。 詳しい分析は専門家の方が私よりも凄いのでお任せしておいて、アヤシイ?霊視カウンセラーとしては表面的な好調はどうでもいいのです。

    私が視ているのは「KDDIグループが、密かにリストラや賃金カットをしていませんか?」

    この部分を聞きたいのですが、いくら表面的には良く見えていても、トップは未来を悲観的に見ている証拠になると思います。 au~つまりKDDIグループは「内情では組合と問題を起こしていないのか?」 コレを視ると、深層部分が判明してくると思います。

    あなたは乗り越えられる格差の壁を、必要以上に大きく見据えていませんか?

    (^ー^* ) フフフフ

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    嘘も方便。

    私の大失敗の経験で、本当に私はヘタレだなぁ~と凹んでしまったことがあります。 人間社会には嘘も方便と言って、嘘を突き通さなければならない時もあります。 私のアヤシイ?霊視も、当たればイイとばかりに真実を言うだけが能じゃないと思っています

    これはタマにあるだけですが、親子関係が実際とは違うことがあります。 つまり、本人は親だと思っているのですが本当の親は別にいる、こんな時に私はそれについては何も言いません。 今と言う幸せな時間を過ごしているのに、本当のことを知る必要がないからです。

    私は戸籍に入っているかどうかなど書類上のことまでわからないので、男女が一緒に暮らしていれば「同棲&結婚」として、大人と子供が一緒に暮らしていれば「親子&親戚」などと判断します。 未来において「彼と結婚していますか?」と聞かれた場合は、最低でも一緒に暮らしているシーンがなければ、結婚しているとは言いがたいのです。

    この辺がアヤシイ?霊視カウンセラーはマダマダ未熟者なのですが、女性が赤ちゃんを抱っこしているシーンだけでは「実子」かどうかまでわかりません。 一緒に暮らしているシーンがあってから、初めて「親子」だと言う判断ができると思っています。 手をつないで歩いているだけで、親子かどうかの判断をしてはいけないと思っています。

    仮にAさんと言う人の親がB父とC母だったとして、それ以外にD男性とE女性が視えて、「あれっ?」と思う時があります。

    どう視ても小~中~高とBさん&Cさん夫妻が育てているシーンなのですが、生まれてしばらくのシーンを視るとDさん&Eさん夫妻しかいない場合などは何らかの事情があると判断します。

    こういう場合にAさんが両親の相談で来た場合は、BC夫妻とED夫妻のどちらを両親として指すかと言えば、BC夫妻の方です。 しかし、私が早合点してED夫妻の話をすると、Aさんは「?」となり「あの~、誰のことを言っているんですか?」となることが、以前はよくありました。

    一応霊視なので、私は目の前にいる本人を視る時には名前も生年月日も必要ありません。

    また、目の前にいる本人の「彼や御主人」を視る時もひとりだけなら写真も不要です。 ただし複数いる時や、深く~詳しく見て欲しいと言う時には写真が必要です。 親子兄弟の場合も本当は写真を見なくても霊視できるのですが、ある大失敗があってから親子兄弟でも一応写真を見るようにしました。

    それこそが、実子かどうかの判断の誤りでした。 ある親子に血縁関係はないのですが、書類上のことまでわからない私は「出産後のシーン」で、そこにいる男女を親子だと判断してお話したのですが、それは産みの親であり育ての親とは違ったのです。

    まだ男性を視ていた時代の話ですが、その男性は「なんなぁ、全然当たらんなぁ。 ワシの親はそんなんとは全然違うで?」 コレを言われて私の方も「?」となり、その時はそのまま終わったのですがアトからよく考えて見ました。

    すると「はっ!」と気が付いたのですが、この男性は生まれてしばらくは二つの家族の間を行き来していたようです。 親がいない時に、晩御飯などを食べに行き預かってもらっていた家の方を私は親と判断していたのですが、この男性からすると一緒に寝泊りしていた家の方が親だったのです。

    この2つの家族の間に何があったのかはわかりませんし、それを詮索するのは余計なお世話です。 ひょっとして、本当に御飯を食べたりなど面倒を見てもらっただけかもしれませんし、何らかの事情で子供を手放したのかもしれませんし、その辺の事情は当人同士以外が口を挟むことではありません。

    私がマダマダ未熟者だと言うのは、この時期はズケズケ言っていた時代であり、自分の判断に誤りはないと言う「傲慢さ」が出ていたのだと思います。 相手の家庭の事情について考慮しなければならないと言うのは、このアトに反省して考え始めたのです。

    このような事情の場合は「まさに、嘘も方便であり」 死ぬまで一生突き通せば、それが本当になるのだから、それもまた人生でイイことだと思うのです。 血縁関係があろうとなかろうと、それが愛情あふれる生活であれば細かいことにこだわらなくても幸せだと思うのです。

    実の親でも虐待や借金など子供に苦労させる親が一杯いるのだから、親子と言うのは心のつながりがあれば、それもまた真の親子でイイと思うのです。

    あなたの中にある親子像とは、どんなシーンを思い浮かべますか?

    Y(>_<、)Y ウ~ン

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    拍子抜け。

    おはようございます。 朝から気分好く過ごせたなら、今日と言う一日が素晴らしいと感じられます。 素敵なあなたの瞳には、今日も素晴らしい風景が広がっていると思います。

    さて、拍子抜けするという言葉がありますが、もしもあなたが会社や学校で意地悪や嫌がらせをされた時に、「反論も何も一切しない」と言う道を選べばどうなるのか?

    しばらくはうるさいでしょうが、何もしなければそのうち相手にされなくなるので、それまで辛抱する方が得策な場合もあります。 噂話とかいじめは永久に続くことはなく、時間の経過と共になくなってしまうもので、例えるなら蜂の巣をつついたようなものです。

    蜂の巣に近づいて棒でも手でもイイので突いてしまうと、蜂が攻撃してきます。 それを全部やっつけることができるのならいいのですが、無数に攻撃してくるのでそれは不可能に等しいです。 それよりも最初から近づかない方がイイし、もしも側を通るのなら触らないようにして、蜂を怒らせないようにするのが一番安全なのです。

    私はいじめられ歴が長いのですが、それでも小学校は6年間~中学は3年間~高校も3年間です。 社会人でも転職を繰り返していたので、同じ場所でいじめられると言っても最高6年間で、いじめた方はもう私のことなんか忘れています。

    拍子抜けと言うのは、「する張り合いがなくなること」と言う意味ですが、自分が楽しいから続けることができるだけであり、つまらない状態だと続けることはできなくなるのです。 (私はいじめにあった時に改善方法として自分でいくつか試したのですが、効果があったのは無視して相手にしないのが長い目で見ると一番効果があったと思います。)

    いじめる側はその時は楽しく感じているからいじめるのですが、運命はそれをずっと許すわけではありません。 運命が逆転する位置に来て変わり始めた時に後悔して、「どうして自分は不運なのか?」と悩み始めても過去の反省をしない限りは無理なのです。

    その人自身の生き方にもよりますが、いじめをしていた人の運勢が逆転するのは30代が一番多いようです。

    その辺から過去にいじめをしていた分のお釣りがくるようになり、何をしても上手く行かなかったり、上司や取引先からいじめられるようになります。 私は色々な人の過去を拝見させていただいた時に、「前世の反省」をするよりも「過去の反省」をしている人の方が、早く幸運な状態になれると感じています。

    運が良い人と言うのはどこにでもいるのですが、知らず知らずのうちに誰かを勇気付けたり、誰かを助けたりしてる人が多いのには驚きます。 未来においても人助けする運命の人は、余程の迷路に入り込まない限りは不運なことは余り起きないのです。

    「出る杭は、打たれる」と言いますが、「出すぎた杭は、もはや打たれない」のです。 運命は一部分だけ切り取ると損得勘定を見てしまいがちですが、人生は長い道程であり一部分だけでの勝ち負けは無意味なのです。

    会社に勤めた時に最初は仕事ができなくても、努力して一年後にはバリバリできるようになっていればそれで良い。 お店を出した当初はお客様がいなくても、一年後には人気店になっていればそれで良い。 今日は不運な状態でも明日は幸運が待っているかもしれないし、自分の人生は自分で変えることができる以上は、努力する価値がある素晴らしい人生なのです。

    私はいじめる側の心理が手に取るようにわかるだけに、「拍子抜けする状態」を作り出して相手に逆らわないのです。

    例えば、私は歴代の大家さんより退去の話が出た瞬間に「はい、わかりました。 ただちに移転します。 今までお世話になりました。」 一切逆らわず素直に言うことを聞くから、大家さんも振り上げた拳が下ろせなくなりました。

    心の中で「あれっ、どうして…?」 そう考えているのが手に取るようにわかりました。 家賃の未払いとか契約違反をしたのならともかく、何もしていないのに大家さんの自尊心を満たす為だけに、「何とかなりませんか?」とお願いする暇があれば、次の場所を探すだけです。 (空き店舗になり、家賃が入らなくて困るのは…?)

    ただし、どの場所もお世話になったのは事実なので、そのお礼と感謝の意味を込めて家賃は1か月分多めに払って退去しています。 今までお世話になったのですから、それくらいの誠意は見せないと大家さんに申し訳ないのです。 「どうして?」と思う人もいるでしょうが、これは人としての義理人情や恩義として当たり前だと思うのです。

    相手に逆らわない(相手の要求を丸呑みしている)のだから、相手が振り上げた拳を下ろせなくなるのは当たり前です。 その時は損したように感じても素直に相手の要求を呑んで従っているのだから、それ以上の過分な行いをしてくる相手の方に非ができてくるのです。

    もしも、私に非があるのなら運命は私にお仕置きをするでしょうが、大家さんの方が理不尽だと運命が判定すれば、お仕置きされるのは大家さんです。 それはまるでドクロベェのような、「オシオキダベェ~!」となるかもしれません。 (*,,・`ω´・*)v

    正直な生き方が強いと言うのは~真っ当な生き方が素晴らしいと言うのは、運命が味方に付くと言うことでもあるのです。

    あなたは相手が拍子抜けするくらい、運命を味方につけていますか?

    (。◇。)?

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    未来を語る。

    おはようございます。 昨日の今日と言うことで、まだ本の応募はゼロです。 明日くらいから届き始めるのではないかと、希望的観測で思っています。 今後、私の本は定期的に刊行される予定なので、HP上に私の書籍に関しての一覧を新たに作成してもらっています。 それができたら本の表紙と簡単な説明が、見れるようになると思います。

    昔から私は本を出したいと思っていたのですが、「オマエじゃ、無理!」 こう言われて蔑まれていましたが、どうにかこうにか出版できました。 次に出す本も決まっているわけではないのですが、10月には全国発売と自分に言い聞かせているのです。

    夢や希望と言うのはあきらめなければ叶うのですが、途中であきらめてしまうから大言壮語と言われて終わってしまうのです。 ただ、未来を語ると言うのは、まだ見ぬ出来事を語るのだから誇大妄想と言われたり、ホラフキ&ウソツキと言われることもあります。

    しかし、未来に夢や希望を語れないのなら、現実と向き合うだけで生きていくと言うことになります。 現実だけで生きていくと言うのは生活に追われて、お金の為だけに生きていくことでもあります。 それが悪いわけじゃないし、それで幸せなら良いと思います。

    ただし、何歳になろうとも夢を語り合うことができるのは、心の豊かさと言う目に見えない喜びがあると思うのです。

    名も無い花に名前をつけたのは最初の発見者ですが、それは心にゆとりがある人だから名付けることができました。 土から一生懸命に芽を出して伸びて行き、そして花を咲かせて短い命を精一杯使い切っている姿に感動できる。 そういう人こそが、夢や希望を叶えていける人だと思うのです。

    友人や知人など誰でもいいのですが、夢や希望を語り合うことができる人と言うのは、何人いてもいいし何歳であろうと付き合いが続いていくと思うのです。

    私はいじめや貧乏など過去の話はネタ(笑い)にしていて、いまさら深刻になっても仕方が無いと考えています。 それは同じ話をするにしても、噂話や思い出話だけに盛り上がったりして、それだけに時間を潰していくのならば、なんとなく寂しいのではないかと思うのです。

    思い出話だけに延々と花を咲かせると言うのは、語るべき未来が無いのだけれど相手と何か話をしていたいと言うような、物悲しさを感じてしまうのです。 それは過去にしがみついて「俺は昔、○○だったんだぜぇ~。」と自慢している、団塊の世代となんら変わらない気がするのです。

    いつもいつも未来を語れと言うわけじゃないけれど、ふと話し始めた時に「この人…すごいこと考えている。」 こう思った驚きは心に残ります。

    そういう瞬間は、なんとなく置いていかれたとか~認めたくはないけれど負けたとか、有形無形の何かが心に刻み込まれていくのです。 それは例えるならば、わずかな光なんだけれど自分で見つけた人と、真っ暗闇で人工の灯を求めるしかない人では、見据えているモノが違うのと同じです。

    また、未来を語る上で仕事は避けて通れないのですが、仕事を辞めること自体は決して悪くないのです。

    むやみやたらに頑張ってみても向いていないものは、いくら頑張ってみても成果が出にくいのは当たり前なのです。 向かないモノに対して粘るよりも、向くことに全力を注ぐ方が、幸せのために早道だと思うのですが、世の中には向かないことでも我慢して粘る方が「評価される」 これでは苦難の道を歩いている人だけが良くて、楽しく仕事をしている人は駄目だと勘違いされてしまいます。

    仕事は決して、苦行や苦難ではありません。

    ただし、仕事を辞める時とは出処進退を決めた時だから、その先にある未来を語れないのなら無意味な辞め方なのです。 現状における不平や不満をはっきりとさせて、どうのようになったら自分は幸せなのかが、一番の問題なのです。

    辞め方において、「たつ鳥、跡を濁さず」と言われるように、摩擦なくして辞めるのが一番いいのですが、イヤミや嫌がらせを受けていたらそうも行きません。 しかし、仕事を辞めていき成功している人は、ほとんどが「爽やか」に飛び出していった人達です。

    次にやるべきことを決めて、そして愚痴や不平不満を言わずに目標に向かって進んでいく。 それは見ていても「やられた」と思うくらい、輝きが増していく人達なのです。 今よりもっと輝いて、今よりもっと素敵に見える。 そんな人達は、周りには見えなくても「自分にだけは見える」 そういう夢や希望を掴もうとしているのです。

    私も経験したから、なおさら良くわかるのですが、周りの上司や先輩をよく見てくださいね。 不平不満や大口を叩く人に限って、目先の欲に走り会社にしがみ付いているのです。

    会社に頼らなければ生きていけないのに、その会社の不平不満を言いまくっている姿に、自分の未来を重ね合わせないようにしないと悲しい思いだけが残るのです。 「自分のポストだけを守る。」 つまり、自分のことだけ考えている上司や先輩の姿は、決して尊敬に値するものではないと思います。

    老いると言うのは、決して年齢のことではありません。 本当に老いたと感じる時は、語るべき未来がないことに気付いた時であり、それは「例え何歳であろうとも」老いている証拠なのです。

    あなたは自分が老いていると、どの辺で感じると思いますか?

    d(>_< )GOODだね!

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    お客様のおかげ。

    おはようございます。 ココの所いつも良い天気で事務所内も明るく、良い感じで空気が流れているのでウキウキしてきます。 私は毎日お客様にお会いできることが人生における心の張りとなるので、年中無休でも疲れるなんて思いません。 今日もコレを読んでいる方々が、素敵な一日となりますように願っております。

    人間の心には物欲があり、それを押さえるのには並大抵の努力ではできません。 人の心は移ろいやすいものであり、常に一定に保つのは無理に近いからこそ、修行や学びと言う言葉が出てくるのだと思います。

    私は元々、物欲など煩悩の塊であり、褒められるような人間ではありません。 過去を振り返ると恥ずかしい行いばかりで、穴があったら入りたいくらいです。 記憶と霊視を使うと細かいことまで思い出してしまうので、自分でも引いてしまうくらいです。

    ただ、偶然と言うか~幸いなことに運命がチャンスをくれて、更にはお客様の御支援や御愛顧があったおかげで、今と言う時間を過ごすことができております。

    幸せと言うのは目の前にあるホンの少し、一片の花びらのようなものだから見過ごしてしまうのかもしれません。 人の幸せとは現状に感謝することから始まり、未来を与えてもらうことにやりがいを感じなければ、ただ歳を重ねるだけになってしまいます。

    私はお客様のおかげで何とか生きている現状があるので、お客様への御恩返しと言うのを常に頭に入れているのです。 昨年の7月に10万カウンター記念にストラッププレゼントをしましたが、大したことはできないけれど「何か恩返しがしたい」と思い行ったことです。 (あの企画もお客様が喜んでくださったのなら、私としても嬉しいです。)

    今年に入ってからも、1月に新年会をしたのも~田宮神社での祈願も、お客様への恩返しのつもりでした企画です。 お客様が喜んでくれるのならば~心に希望の光が灯るのなら~勇気や元気が出るのならば、下手な企画をするのも悪いことじゃないと思うのです。

    今回も2月下旬に15万カウンターを刻むことができましたが、これもひとえにお客様がいつもアクセスしてくださるおかげです。 そこで「何かしたいなぁ~?」と考えていたところ、立て続けに色々なお客様より「昔のブログが見たい。」と言う御要望がありました。 (このHPになってからのブログではなく、以前のHPのブログです。)

    これもひとつの暗示だと思い、「ブログを本にしてみよう!」と決めました。 幸いなことに県外の出版社で話を聞いてくれるところがあり、トントン拍子で出版の運びとなりました。 コレも縁があるかどうかで、助けてくれる人のありがたさを感じる出来事でした。

    この本は売ってお金にしようと考えて出版するわけではなく、お読み頂いた方の心が元気になれたらと言う想いで出版する本です。 当然ですが、欲しいと言うお客様に無料でプレゼントします。

    ただし、これはプレデビューみたいなもので本番は11月に出す次回作の方です。 もしも、奇跡が起きて11月出版の本が売れた場合には、ホスピスを建てるなんて大きなことは言えませんが、本の収益は色々な場所に全額寄付します。


    ☆~「本のプレゼントは、終了しました。」~☆ (たくさんの御応募、ありがとうございます。)


    いつもアクセスしていただき、本当にありがとうございます。 今後もつたないブログですが、お読みいただければ幸いです。 m(__)m

    私はお客様の笑顔が一番嬉しいことで、お客様が元気になってお帰りいただければ、それが心の張りになるのです。

    あなたは自分の行動が、誰かを喜ばしていることに気が付いていますか?

    ♪♪♪~\(o⌒∇⌒o)/~♪♪♪

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    建設現場~鉄塔編。

    おはようございます。 小さい時から麒麟田村よりもビンボーな生活を送っていた、アヤシイ?霊視カウンセラーです。 いつも堅い話ばかりではなく、タマには私個人の日常を少しお話してみたいと思います。

    先日は車の免許更新の為に警察署に行きましたが、今は運転することもなく更新するだけのペーパードライバーです。 今は電車通勤で職種的にも車の運転は不要なので、免許は持っているだけですが車やバイクの大型免許なども一応持っています。

    更新に行くと次回更新は5年後で講習も30分でしたが、道交法が色々代わっているので少し勉強になりました。 私は交通取締りに捕まることなんてありえないので、ネズミ捕りなど取締りを見抜くなんて余裕です。 過去も現在も私を助手席に乗せていて、捕まった人なんていませんから人間レーダーみたいなものです。 (*'‐'*) ウフフフ♪

    ちょっと話が脱線しますが、今乗りたいのはヘリコプターです。 飛行機は東京に行く時とか乗ろうと思えば乗れるのですが、ヘリコプターには乗る機会がありません。 ただし、神様がいつかチャンスをくれるかもしれないので、「神様HELP!」という感じです。 (* ̄m ̄) ププッ

    話は戻りまして、私は同級生やその他から「山崎、お前は車の免許を取るな。 教習所に行ったらいじめてやる。」と言われていたので、運転免許試験場に行って取りました。

    今考えるとコレはラッキーで、当時は工場で三交替勤務をしていたので、教習所で免許を取るなら期間が長くて大変でした。 しかし、運転免許試験場なら朝行って仮免をまず取って、しばらく日を置いて本試験を受ければ夕方には免許がもらえます。 (三交替は、きつかったなぁ~。)

    考え方にもよるのですが、いじめられたおかげで免許を取る日数がものすごく短くて済んだのでラッキーです。 (これこそ、超ポジティブシンキングかな?)

    私はある意味、資格マニアなので色々と持ってはいるけれど、生きている間に使うことはないなぁ~と思える資格も多いです。 また、その中には持っているだけで、中身を理解しないまま持っている意味不明状態の資格もあります。

    建設現場で働いていたので、クレーンやホイスト、フォークリフトやユンボなども運転していたので、お客様にこの建設現場時代の話をすると「とても見えない!」と大抵は驚かれます。 まぁ、言っている本人も、「昔はよくあんなことしていたなぁ~。」と信じられないのですから、それは仕方がありません。

    ホントに建設現場時代はよく働けたと思うのですが、私は電柱にも度々昇っていました。 電柱の上で作業する時、一番大変なのは何かと言えば「足の裏が痛く」なることです。

    電柱に昇ると言えば、「暑い、寒い」とか「危険」など、色々と表面的には思うのでしょうが、実は足の裏が痛くなるのが一番困るのです。 細いパイプの上に長時間いるので、土踏まずの部分がものすごく痛くなるので、安全靴の底の固いのを履かないと電柱に長時間昇れないのです。

    ところがそれを履くと動きにくいので、ついつい軽くて動きやすいスポーツシューズを履いて上に昇るのです。 しかし、スポーツシューズの底は当然柔らかいので、足の裏が痛いの何の~涙が出てくるほどです。

    高圧配電用の鉄塔にも登っていましたが、山頂に建っている鉄塔の上は見晴らしがイイので、怖いと言うよりも景色が楽しめたので私は鉄塔の上に昇るのは嫌いじゃなかったです。

    ただし、鉄塔は山の上にあることがほとんどなので、夏は良いんですが冬は無茶苦茶寒いです。 冬のある時、山の鉄塔で作業している時に雪が降ったことがあるのですが、この時はタマタマ私が降りてきて、先輩と交代した時に吹雪になりました。 先輩は吹雪の中、鉄塔の一番上で作業していたのですが、降りてきた時には雪だるま状態でした。

    それを見た時には笑えてきたのですが、先輩なので笑うわけにも行かず「ご苦労様です。」と、コーヒーの用意をしたりタオルの準備をしていました。

    運転免許から建設現場へ話が飛びましたが、今となっては笑いのネタになるので建設現場時代も悪くはなかったと思えてきます。 ただし、もう2度と戻ろうとは思いません。 仮にN市のIさんが手伝ってくれと言っても、もう建設現場だけは「ごめんなさい!」です。 (Iさんは、建築が本業です。)

    あなたはこの話を笑えますか? それとも共感の方ですか?

    ( ̄_ ̄|||)どよ~ん

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    センスの差。

    成功とは人により中身が違うので、一概にどうこうは言えません。 しかし、成功する為のセンスの違いと言うのは存在しているので、成功しようとするのならセンスの良さが必要になります。 ただし、ここで言うセンスと言うのは後天的なモノであり、生まれつきのモノじゃないので何とかなるのです。

    例えばお店を出したいと思ったら何をしたいのかを決めて、まずは出してみる。 仮にお花が好きなら、お花屋さんでいいんです。 そして場所を決めてしまうと、次は店内レイアウトとなります。 そうやって次々としていると、止まっているのではなく進んでいるのだから開店してしまいます。

    このようにお店を出すのはそんなに難しくないので、やろうとする気持ちと実行できる行動力だけあれば、後は結果がどうなるかだけです。 上手く行って大繁盛する場合は何も言わなくても良しとなりますが、繁盛せずに失敗した時にはどうするかと言えば、それは次に成功する為の下準備なので落ち込む必要はありません。

    世の中には評論するだけで実行できない人がたくさんいるのだから、「お店を出すのは、簡単だ。」と言ってやらない人と、「お店を出すのは、簡単じゃないけれど…。」と言ってお店を出してしまう人では、その差は歴然としているのです。

    簡単に言うなら「作れる人」と「作った人」の差は埋めようがなく、いつの間にか別世界の住人となってしまうのです。 成功の為のセンスと言うのは、最近で言うと空気が読めるか?読めないか?です。

    あるお医者様は、自分の手に負えないと思ったならすぐに他の病院へ回してしまいますが、この病院は人気があります。 何故、自分では治療しないのに人気があるのかと言えば、「診断と判断」がスーパードクターだからです。

    このお医者様は患者様を診察して、すぐに何と言う病気で~どういう治療が適切かを見抜くことが出来るので、自分の手に負えないと判れば適切な病院へ紹介するからです。 適正な施設&治療法がない所でギリギリまで治療していると、間に合わなくなる可能性もあるのです。 この先生は、自分で治療することはできないかもしれないけれど、診断と判断においては素晴らしい実力の持ち主です。

    なんでもそうですが、10のことを10だけしていると、評価と言うのは変わりません。 頼まれたことや命じられたことを、そのままするのではなく少しだけ上乗せすると言う気配りをするとその差が出てくるんです。

    上司からタバコを買ってこいと言われたら、「タバコを買いに行くので、他にはいませんか?」と部署内に一声かけるとか、タバコにライターは付き物なので「ライターは大丈夫ですか?」と言う感じで、少しだけ相手に気配りをして見せるのもセンスの差です。

    ある会社で一番下っ端として働いていた人が、社長に買い物を命じられたのですが、命じられたものだけなく自分のお金でワインを買い足しました。 社長が買い物袋を開けてみるとワインが入っているので、「このワインは?」と聞くと、「社長はいつも残業の時はワインを飲みながらくつろいでいるので、お飲みになられるかと思いまして…。」 そう答えた人は、今その会社の専務として活躍しています。

    これもセンスの差が、モノを言って出世した人の話です。

    センスの差と言うのは「怒らない」と言う点でも発揮できるのですが、仮に仕事でもプライベートでも、予約や命令や指示などのあらゆる突然の変更に対処できるかどうかで、センスの差が出てきます。 何のお店でも、「キャンセル? それではキャンセル料をいただきます。」 なんてことを言ったなら、お客様は「感じワル~!」と思われてしまうかもしれません。

    そういう場合にはキャンセルされたのではなく、お客様にキャンセルしなければならない事情ができたのだと相手の立場になって考えれば、怒る気持ちになれるはずがないのです。 もしかして、急に子供が熱を出したのかもしれないし、車で事故したのかもしれないし、急に体調が悪くなったのかもしれないのです。 そんな事情も考えずにムッとして怒るなんて、今度は人としての態度に問題アリとなってしまうかもしれません。

    この世に絶対なんてないので、気配りすることはイイ結果を生むと思うのです。

    注:ただし、霊視の場合はキャンセルするかどうかは視れば済むことなので、キャンセル料は必要ありません。 私は自主的にキャンセル料を払われる人がいたなら、当然ですが全額寄付しています。

    自分のおかれた現状や立場において、センスの差を出すというのは簡単でもあり難しくもあります。 しかし、ホンの少しの違いを考えるだけで積み重ねがモノを言い始めるので、その時にはあなたの実力が認められたということなのです。

    あなたは自分のセンスに気がついて、磨くことができますか?

    ミ(ノ^^)ノ 着地 (o_ _)o コケッ (o- -)oムクッ ヽ(´▽`)/復活♪

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    好きな仕事。

    おはようございます。 今朝は事務所に以前より欲しかったモノがひとつ増えたので、朝から気分良く掃除ができています。 今日は月曜日なので仕事始めの人が多いと思いますが、毎日キチンと出勤するあなたは素敵に輝いています。

    お客様が仕事の相談で来られた時に、私はどちらかと言えば独立&開業や転職を進めるタイプです。 第一の理由として、どうせ同じ時間を過ごすのなら自分がしたいことをする方が幸せだからです。 やりたくない仕事をしながら日々を過ごしても、心に残るのは虚無感と言うか~やりきれない喪失感だけです。

    「どうして、こんなことをしているんだろう?」 この気持ちが起こり始めたら、それに対して嘘をついてはいけません。

    あなたが今の職場が嫌で嫌でしょうがないのに、5年間働いているとします。 嫌いでしょうがないことを5年間も続けられたのだから、それはすごいことだと思うのです。 嫌なことを我慢しながら5年間も働いてきたのだから、今度は好きなことを5年間したらどれだけすごいことになると思いますか?

    好きな仕事に付くチャンスはあるのだけれど、生活や状況の変化に対応する自信がない時には、そのチャンスに飛び込めないのです。

    人には力の差と言うのがあり、大企業に勤めているだけで信用を得ることができます。 代々続く家系の子孫ならば、それだけで特別扱いをしてもらえます。 親が社長や芸能人やスポーツ選手など特別な職業や地位なら、その子供と言うだけで実力以上の評価がしてもらえます。 それは生まれた条件の違いであり本人の責任ではありませんし、それが本当の実力でもありません。

    力と力で競う、お金とお金で競う、そのような物欲的なぶつかり合いでは、一般庶民では太刀打ちできません。 しかし、人間の本当の強さとは、そんなことでは在りません。 自分の中にある底力と言うのは、後ろ立てが無くなった時に始めてその真価が問われるものなのです。

    終わり良ければ全て良しと言う言葉がありますが、本当にそうなのかと言えば疑問です。 

    「他人に迷惑をかけてはいけません。」と言うのは小学校でも習うのに、大人になって実行できる人は余りいません。 それは先ほどの力やお金の世界で生きているから、強者の論理で行かざるをえないのです。

    メディアの良い所は色々な情報を画像や速報性を持って、自動的に色々と教えてくれる所です。 それにより、ニュース番組で力とお金で突っ走った人や企業がどのような末路なのかを教えてくれているのに、自分のこととなるとそうは思わないのです。

    最初は誰しも「正しいやり方や正しい行動」の元に仕事を遂行していこうとするのですが、途中から楽な方へ心が負けていくが故に変な方向へ進み始めるのです。 良い結果を出すのは大事かもしれませんが、卑怯なことやズルイことをしてまで「自分だけに良い結果」を出したいと言うのは精神的に弱い証拠なのです。

    お客様には正当な手段や正直なやり方で、明るい希望のある未来へ進んで欲しい。 誰もが心の中に真っ白なキャンバスを持ち、恋や仕事の色模様をさまざまに描いているはずだし、明るいイメージ以外は描けないはずなのです。 決して戻れないような方向へは進んで欲しくないし、消せない色模様は描いて欲しくないのです。

    好きな仕事を生涯現役でやれると言うのは幸せなことであり、そういう仕事を見つけることが出来たなら生涯の幸せを手に入れたようなものです。 お金じゃなく働けると言うのは、その仕事にやりがいがないとできません。

    労働の対価として賃金が発生して、その賃金がないと人は生活していけないのにお金以外のところで働けるのは、心の充実感や達成感がないと無理なのです。

    マニュアルどおりの人生ではなく、その場その場で臨機応変に変えていく人生も楽しいと思うのです。 結果のわかったことは安心できるけれど、いつかはつまらないと感じてしまいます。 いくら愛し合っている恋人同士でも、毎日会っているとラブラブ度が落ちていくのと同じです。

    それを防ぐ為にも、人で言うなら信念(企業で言うなら理念)がきちんとしていないといけないのです。 ただし、ここで言う信念や理念とは、理想だけが高い絵に書いた餅ではなく、自分が実行できて嘘ではない範囲でないとダメです。 できもしないことを掲げて進もうとしても、できもしないと自分が理解しているから本当にできなくなります。

    やるなら無理の無い範囲で、しかもキチンと遂行できる範囲内でないと嘘をついたままの生き方しかできない自分を、いつかの日にか許せなくなります。

    あなたは自分の心に正直であろうと、努力していますか?

    (- .-)ヾ ポリポリ

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    花言葉。

    昨日の続きですが、お花を生けた後に花言葉を見ると今の心境に通じたりして、「だから選んだのかな~?」と思う時もあります。 ただし、花言葉は同じ花でも意味が色々~その著者により解釈も別々と言う場合があるので、これと言うわけではありません。

    今のところ事務所に飾ってあるのは、お客様の斜め後ろが黄色のバラで、チューナー下が白いバラで、PC横がピンクのチューリップと沈丁花です。

    ちなみに「バラ」とは、しょうび&そうび~長春花(ちょうしゅんか)とも言われており、昔々の古今集に薔薇(そうび)が詠われています。 中国では四季を通じて花があることから、長春花と呼ばれているようです。

    ずっと昔には、刺のある植物を称して古くは「いばら(うばら)」と言われていましたが、歴史の流れと共に略されていたことから「バラ」となりました。 (バラの歴史は古く、紀元前2000年の頃から栽培されています。) イスラム教徒によりイベリア半島に持ち込まれた後に、ヨーロッパ中央部まで伝わっていったとされていますが、それによりイスラム圏で尊重されていたということです。

    なお、ヨーロッパでブームになったのはフランス革命前後で、その当時は「バラの下で」と言えば「内緒で、秘密に」と言う隠語(暗号)だったようです。

    バラはイギリスの国花であり、ペルシャの言い伝えではバラの花が咲くと、花への愛の告白をするためナイチンゲールが歌い始めると言われています。 アラーの神がバラを花の女王にしたと聞いて喜んだナイチンゲールは、芳香にひかれて飛んでいったのですが近づいた瞬間、その胸に棘がささりこぼれた血が花びらを赤く染めたのです。

    この時に、真紅のバラが生まれたと言われています。

    バラの花言葉ですが、基本的には「美~尊敬~恋愛~満足」などがあります。 色別で言うと、どうなるかと言えば…?

    白=純潔や尊敬
    赤=熱烈な恋
    黄=美
    ピンク=温かい心

    次にチューリップですが、鬱金香(うっこんこう)とも呼ばれており、その名称の語源はトルコ語のターバンを意味しています。 栽培されたはじめたの16世紀初めごろで、ヨーロッパに渡ったのは16世紀中頃のようです。 17~18世紀の二度にわたって「チューリップ狂時代」と呼ばれるほど異常人気を集めた時期があって、新品種の発表と言うか、品種改良や作出が盛んに行われていました。

    オランダのチューリップ産業を築いたのは、ライデン大学の植物学教授である「C・クルミウス」です。 文久3年頃(19世紀後半)にヨーロッパを経て渡来して、鬱金香と呼ばれていました。 1981年、オランダ王室球根協会から発表されたリストによると、約2000の品種が作られているようですが詳細は多すぎて不明です。

    ローマ神話では、プラトの神の娘であるチューリップは、秋の神ヴェルツーヌに追いかけられ、現代で言うストーカーに遭っていました。 ヴェルツーヌより、「どんな手段を使っても、お前を手に入れる!」と聞かされた時に、貞操の神ディアーナにお願いして、花のチューリップに変えてもらったと言われています。 (ローマ神話では、すでにストーカーが居たようです。)

    ペルシャの伝説では、恋人のシャーリンが死んだという知らせを聞いたファルハッドが、岩山から身を投げてしまったのですが彼女は生きていました。 そして彼から流れだした血液から、チューリップが咲き始めたと言われています。

    チューリップの花言葉は、「博愛、思いやり、華美、まじめな愛」などです。 色別で言うとどのような意味かと言えば…?

    白=失恋、つまり新しい恋です。
    赤=愛の宣告や美しい瞳
    黄=名声や愛の表示
    紫=永遠の愛情

    なお、恋人にこの花を贈る場合は「赤・白・黄」と束ねて送れば、「私は、あなたの美しさに夢中です」と言う意味になります。 そして「紫・黒」と束ねて送れば「私の心臓は、恋焦がれて炭になっています」と言う意味になります。 ちなみに紫は、プロポ-ズの意味もあります。

    あなたは花のある生活に、豊かさを感じることができますか?

    キャー q(≧∇≦*)(*≧∇≦)p キャー

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    お花のある生活。

    おはようございます。 今日は珍しく朝から予約が入っているので、ヒマではないかも知れないアヤシイ?霊視カウンセラーです。 ヒマな私は来週も掃除と読書の毎日になるかもしれないので、お客様のお越しを首を長~くしてお待ちいたしております。 m(__)m

    さて、私は事務所内にいつもお花を飾っているのですが、鑑定にお越しになったお客様は気付いていましたか?

    お花が身近にある生活は心癒されるものがあり、それ自体が食べるとか~薬とかの実用性がある&役に立つと言うわけではないけれど、お花がある生活と言うのは悪くないと思うのです。 私は前々から「花のある生活」と言うのをして見たいと思っていたのですが、花心のない人や現実的なお金大好き人間みたいな人が周りにいると、お花を生けるだけで文句を言われる為にできなかったのです。

    私は「酒~タバコ~○○~パチンコ~外食」など、普通の男性ならしているであろうことも全然する気にもなりません。 そういうことにお金を使うのなら、お花を一本買ってきて花瓶に挿している方が、自分の心に正直に生きていることになります。 車や家が欲しいとは思いませんが、事務所やお部屋にお花が欲しいとは思います。

    今の事務所はお花を飾っても文句を言われることもないので、お客様の斜め後ろにあるクマちゃん加湿器の横にバラやチューリップを一輪、花瓶に生けています。 私のPCの横にはチューリップやバラや沈丁花などをアレンジして、自分用に香りや目を楽しませる為に生けています。 そして風水的な意味ではなく、ただ飾る場所が鬼門方位になったと言うだけですが、有線のチューナー下に一輪挿し(バラ)を置いています。

    実は私はお花を生けるのは好きなのですが、バレンタイン前後にお客様より頂いたお花がマダマダ元気に咲いております。 切花として花瓶に挿しているだけですが、全然枯れずに綺麗な状態で過ごしています。 この事務所内の切花(花瓶挿し)は、今のところ最低で10日間、長い時には1ヶ月くらいは余裕で花が元気です。

    全然世話をしない割りには長持ちする方だと思いますが、花を見ていると心が豊かになれた気分になります。

    前の場所では花を飾る(生ける)と怒られたのですが、コレは自分の事務所ではないので仕方がないことです。 (お花を自由自在に飾りたければ出世して、早くあの場所を脱出しろと言う運命の暗示だったと思います。)

    アヤシイ?霊視カウンセラー的には花を飾る心の余裕と言うか~ゆとりは、生活の一部として必要ではないのかと思います。 何も贅沢に飾ると言うのではなく、一輪の花が綺麗に咲いているのが美しいと感じられるだけで良いと思うのです。

    生活するうえで花はなくても生きていけますが、お部屋に一輪の花があれば心に栄養を与える為にはイイことだと思うのです。

    世知辛い世の中を生きている人は、美しいものを美しいと言えなくなります。 そういう人生を送るのは寂しい人だなぁと思うけれど、その人の価値観に対しての強制はできないのです。 美しいということに興味がない人は美しいと言われても嬉しくないし、美しいと言われるよりも1万円札をもらう方が嬉しい人生なのです。

    欲の世界を生きている人にとっては、お花を飾る方がおかしいと言う考え方の差だけです。

    身の周りの見ていて「綺麗だなぁ~。」と思う感情に対して、何も難癖つける必要はないのです。 朝日が綺麗だとか~海が綺麗だとか、美しいものや綺麗なものを見た時に感じる心に、イチイチ否定語(文句)をつけなくてもいいのです。

    私はようやくお花を生けても文句を言われない生活を手に入れることができましたが、コレだけのことでも幸せで~幸せで、毎日よかったなぁ~と花に向かって話しかける気持ちになれるのです。

    心が平穏に豊かになった状態で霊視カウンセリングをする以上、以前の場所よりもっとすごい霊視カウンセリングができるようになっていると、自分的には思っています。 元々が当たらないしいい加減なので前よりはマシかなぁ~と言う程度なので、そんなに意気込んで言うほどじゃないのですが…。

    この事務所になってからお越しくださるお客様がよく言う台詞のひとつに、「前より顔が優しくなりましたね。」 こう言われるようになったのは、お花のある生活を手に入れたからかもしれません。 以前の場所は精神的にもハードでキツイ場所だったので、お客様に少なからず迷惑をかけたこともあったと思います。 ごめんなさい。 m(__)m

    私は花に関してはド素人ではありますが、綺麗だと思うものを自分流にアレンジして、波長が合うと言うか~見ていて飾りたいと思うようなものを買ってきて生けることが多いです。

    花言葉もあるのですが、それについては余り深く考えていません。

    飾った後で、「あぁ、この花の意味はこうだったのかぁ~?」と言うこともしばしばです。

    花言葉は色々あるのですが、長くなりそうなので明日へ続くです。

    ヾ(@^∇^@)ノ あしたも読んでね~☆

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