
誰しも基本的には「良い人」であるし、誰も好んで「悪い人」でいたいと思うことはありません。 ただし、「良い人であり続ける」のは、とても苦しいことだし大変です。 人に嫌われたくないという気持ちは、自分に無理をさせるという側面があります。
社会生活において好き勝手なことや、言いたい放題のことを言えば嫌われてしまうから、なるべく摩擦の少ないようにする。 これは社会生活における、ひとつの正解です。
私はコレができなかったので、苦しい人生を送らざるを得なかったのですが悪いことばかりじゃなく、今はその経験が対人関係に役立ってきています。 それによりわかったのが、相手に迎合しなくても嫌われる時は嫌われるし、好かれる時は好かれると言う点です。
「良い人」とは嫌われない~嫌がられない~同情してもらえる、書いていくと良いことばかりで、なんら困ることはないと言うのが表向きの「良い人」です。
ところが争いもなく人にも嫌われていないのに、うつ病などストレスに囲まれて「えっ、あの人が?」 このように良い人がいきなり出社拒否や引きこもりなど、今までと正反対の行動をしてしまうのはどこかがおかしいと思うのです。
人生を活き活きと過ごしている人や、毎日を楽しく過ごしている人に共通することがあるのですが、それは「自分を嫌わないこと」 コレに尽きるのです。 自分が好きなことをして自分が生きたいように生きる、コレができるようになるとストレスなんか溜まる筈がないのです。
いくら他人に好かれても「自分が自分を嫌い」なら、それは心に嘘をついて生きていることになります。
自分の本心を捻じ曲げてまで相手に合わせるのが大人、こういう考え方ができれば良い人になれて、少なくとも会社内で嫌われることが減ってきます。 ただし、嫌われることは少なくなるけれど、ストレスはドンドンと増えていくことに身体が悲鳴を上げているのに無視をするから「うつ病」など、心身に異常が発生してくるのです。
社会生活において相手と摩擦を少なくすることは大切ですが、「良い人」と思われても相手の本心はわからないのです。
ここで考えてみて欲しいのですが、会社内に自分のことを嫌いなAさんがいたとします。 あなたが平身低頭で何も逆らわない状態でいれば、Aさんはあなたの味方になってくれるかと言えば、そんなことはありません。
Aさんは益々あなたのことをいじめたり悪く言ったりして、更に追い討ちを掛けてきます。 少し誇張表現ではありますが、コレが「良い人でいるだけ」の矛盾点なのです。 いい人でいるだけの人生では相手に利用されるという、「都合のいい状況を作っているだけではないのか?」
こう言う疑問を持たなければ、自分が置かれた苦しい状況に気付けないのです。
確かに良い人を演じなくなれば嫌われることが増えてくるのですが、それはあくまで「あなたに良い人」でいることを求めている人だけに嫌われるのです。 良い人でいろと言うのは、損得勘定だけで付き合ってくれているのと同じであり、それは仲間でも~同士でも~友人でもないのです。
誘えば付き合ってくれた~愚痴を言えば聞いてくれた~頼みごとをすれば断らない、こういうことが下地にあったから、お互いの関係が上手くいっている。 それはお互いが良い人を演じているだけであり、本当の心の部分ではどう思っているのかわからないことになるのです。
相手が急に不機嫌になると言うのは、実はこの部分においてなることが多いのです。 あなたが相手にとって良い人でないと~自分の思う通りの人でないと、気に入らないから不機嫌になる。 「良い人」でいる苦しさは、相手があなたの「良い人」の部分だけ好きだからなのです。
相手の自分に対するイメージを守る、これは生き方として苦しいのが当たり前であり、社会生活において「良い人と言う仮面」をつけているのだから、息苦しくなるのが普通なのです。
社会生活の中で生きている自分を褒めてあげるのはいいんですが、その裏側にある「何かを探して、もがいている自分」 コレも忘れずに持ち続けていかないといけないのです。 長い人生である以上は、なりたい自分を探し行くのが本当の人生です。 そしてそのなりたい自分=人に頼りにされたり喜ばれたりする自分なら、それはきっと幸せな人生になると思うのです。
あなたは自分の中にある志を、忘れてはいませんか?
ε=ε=ε=ε┏(。´Д`。)┛ 歩こうかなぁ~
社会生活において好き勝手なことや、言いたい放題のことを言えば嫌われてしまうから、なるべく摩擦の少ないようにする。 これは社会生活における、ひとつの正解です。
私はコレができなかったので、苦しい人生を送らざるを得なかったのですが悪いことばかりじゃなく、今はその経験が対人関係に役立ってきています。 それによりわかったのが、相手に迎合しなくても嫌われる時は嫌われるし、好かれる時は好かれると言う点です。
「良い人」とは嫌われない~嫌がられない~同情してもらえる、書いていくと良いことばかりで、なんら困ることはないと言うのが表向きの「良い人」です。
ところが争いもなく人にも嫌われていないのに、うつ病などストレスに囲まれて「えっ、あの人が?」 このように良い人がいきなり出社拒否や引きこもりなど、今までと正反対の行動をしてしまうのはどこかがおかしいと思うのです。
人生を活き活きと過ごしている人や、毎日を楽しく過ごしている人に共通することがあるのですが、それは「自分を嫌わないこと」 コレに尽きるのです。 自分が好きなことをして自分が生きたいように生きる、コレができるようになるとストレスなんか溜まる筈がないのです。
いくら他人に好かれても「自分が自分を嫌い」なら、それは心に嘘をついて生きていることになります。
自分の本心を捻じ曲げてまで相手に合わせるのが大人、こういう考え方ができれば良い人になれて、少なくとも会社内で嫌われることが減ってきます。 ただし、嫌われることは少なくなるけれど、ストレスはドンドンと増えていくことに身体が悲鳴を上げているのに無視をするから「うつ病」など、心身に異常が発生してくるのです。
社会生活において相手と摩擦を少なくすることは大切ですが、「良い人」と思われても相手の本心はわからないのです。
ここで考えてみて欲しいのですが、会社内に自分のことを嫌いなAさんがいたとします。 あなたが平身低頭で何も逆らわない状態でいれば、Aさんはあなたの味方になってくれるかと言えば、そんなことはありません。
Aさんは益々あなたのことをいじめたり悪く言ったりして、更に追い討ちを掛けてきます。 少し誇張表現ではありますが、コレが「良い人でいるだけ」の矛盾点なのです。 いい人でいるだけの人生では相手に利用されるという、「都合のいい状況を作っているだけではないのか?」
こう言う疑問を持たなければ、自分が置かれた苦しい状況に気付けないのです。
確かに良い人を演じなくなれば嫌われることが増えてくるのですが、それはあくまで「あなたに良い人」でいることを求めている人だけに嫌われるのです。 良い人でいろと言うのは、損得勘定だけで付き合ってくれているのと同じであり、それは仲間でも~同士でも~友人でもないのです。
誘えば付き合ってくれた~愚痴を言えば聞いてくれた~頼みごとをすれば断らない、こういうことが下地にあったから、お互いの関係が上手くいっている。 それはお互いが良い人を演じているだけであり、本当の心の部分ではどう思っているのかわからないことになるのです。
相手が急に不機嫌になると言うのは、実はこの部分においてなることが多いのです。 あなたが相手にとって良い人でないと~自分の思う通りの人でないと、気に入らないから不機嫌になる。 「良い人」でいる苦しさは、相手があなたの「良い人」の部分だけ好きだからなのです。
相手の自分に対するイメージを守る、これは生き方として苦しいのが当たり前であり、社会生活において「良い人と言う仮面」をつけているのだから、息苦しくなるのが普通なのです。
社会生活の中で生きている自分を褒めてあげるのはいいんですが、その裏側にある「何かを探して、もがいている自分」 コレも忘れずに持ち続けていかないといけないのです。 長い人生である以上は、なりたい自分を探し行くのが本当の人生です。 そしてそのなりたい自分=人に頼りにされたり喜ばれたりする自分なら、それはきっと幸せな人生になると思うのです。
あなたは自分の中にある志を、忘れてはいませんか?
ε=ε=ε=ε┏(。´Д`。)┛ 歩こうかなぁ~

