徒然草(占い・岡山・東京・霊視)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    地下鉄。

    私は通常の移動(通勤や出張など)は電車を利用しているので、車に乗ることはほとんどありません。 車の免許は持っていますが、今後も車を買うことや運転することは余りないと思います。 ただし、台風や積雪の時は動かなくなるので、そういう時は車がイイ場合もあります。

    先日の東京出張をした時に鉄道関係で岡山と感じた違いを言えば、地下鉄があるかどうかです。 もしも岡山に地下鉄があれば、積雪や台風の時でも関係なく動いているでしょうから利用者に影響が出ることも少なくなります。

    東京で地下鉄に乗ると、ふと思い出したのが地下鉄の始まりです。 地下鉄などは公共的な面から国や地方自治体が建設や運営を行うのが筋ではありますが、日本の場合は個人が開業したのが始まりです。

    地下鉄事業は東京で始まったのですが、早川徳次と言う人が自分の身を粉にして動いたおかげで東京の地下鉄網は出来上がったのです。 地下鉄と言うのは早川徳次がイギリスに行った時に、ロンドンの地下鉄と乗車風景を見て感銘を受けたのが地下鉄事業をするキッカケです。

    早川徳次がイギリスに滞在した時、地下鉄に乗ろうとして駅員に止められました。 早川徳次は、「ガラガラなのに、どうして?」と聞いたところ駅員さんは、「椅子に座りゆったりとした状態で会社や家に向かうのなら、それは心にゆとりが出来て落ち着いた生活が出来るから、周りの人や家族に優しくできるようになります。」 このように答えたのです。

    当時のロンドン地下鉄では、椅子に間を空けて座るとか~車内で立つことができるのは4人までという、暗黙のルールみたいなモノがありました。 その為に車内はガラガラに見えるのですが、ゆとりの生活と言うルールに従えばそれ以上の乗車はできないのです。

    その時に早川の中に天啓のようなものが走り、自分のするべきことはこれだと思いました。そして日本に帰ってからは地下鉄建設を、当時の鉄道省や東京都に働きかけたのですが、まったく相手にされず「そんなもの誰が乗るんだ?」 こう言って馬鹿にされていました。

    早川徳次の先見性は全然理解されず、仕方なく私営で建設することにしました。

    色々な企業に打診したり投資家や金融機関などに融資を頼んだりして、なんとか「東京地下鉄道株式会社」を設立して1925年9月27日に浅草~上野間の地下鉄工事を始めました。 そして1927年12月30日に浅草駅⇒上野駅までを開業させたのが、日本の地下鉄の始まりです。 (現在でも東京地下鉄銀座線として、運行されています。)

    開業当初はモノ珍しさもあり、お客様が長蛇の列となり投資家や金融機関への返済も順調でしたが、しばらくすると客足が落ちてきたので次なる手を考えました。

    それは路線の延長で、次から次へと延長していくのですが早川徳次がアイディアマンなのは、これらの建設費用を打診したのが今度はデパートだったのです。 三越や高島屋など都心の主要デパートに掛け合い、「デパートの前に地下鉄駅を作る」から費用を出してくれと言ったのです。 東京の地下鉄は主要デパートの前か、もしくはすぐそばに駅があることが多いのはその為です。

    それ以外でも、通勤客の為に定期券利用の人は駅入場時に朝刊を受け取れるというサービスを開始したり、資金繰りが悪化していた時でも難燃性の車両やホームの利便性には手を抜かないなど、現代の企業が見習わないといけないこともたくさんしています。

    ただし、その後の早川徳次はどうなったかと言えば…?

    地下鉄事業に旨味があるとわかった人たちが次々と市営地下鉄の免許申請を行い、次々と地下鉄網を広げて行きました。 そして五島慶太と言う実業家が乗り出してきたのが、運命の分かれ道になりました。

    五島慶太とは実業家でありワンマン&傲慢で鳴らした頭の切れる人で、企業買収や乗っ取りなど功罪合わせて多種多様な手腕を発揮した人です。 強盗慶太という異名があるくらい情け容赦ない切り口や手口も使ったようです。 ただし、本人も「白昼札片を切って、堂々と強盗を働く。」と自ら豪語していました。

    新橋駅の地下鉄乗り入れに関してぶつかった2人ですが、利益優先の五島氏とお客様サービス優先の早川氏では、水と油で混ざることはなかったのです。

    注:新橋駅には、隠されたもうひとつの新橋駅があります。 この争いの時に作られたのですが、その存在は一般的には知られていませんし、今後使われることもないと思います。 新橋駅の某通路横に大きなシルバーの鉄製ドアがあり「関係者以外立ち入り禁止」となってるのが、幻の駅への出入り口です。 (今はどうかわかりませんが、昔は希望すれば見学できたようです。)

    そしてこの2人の争いは熾烈を極めて、とうとう鉄道省(当時)が介入してきました。 しかし、鉄道省はこの争いを待っていたような節もあるのですが、当時の地下鉄事業の許認可書類には、「国の買収要求を拒めない。」と言う一文が必ず掲示してありました。 鉄道省は早川徳次に「取締役を退陣しろ」との要求を突きつけてきて、早川徳次は失意のまま地下鉄事業より一切手を引きました。

    そして、地下鉄事業から手を引いた翌年、故郷の山梨で死去されました。(享年61歳)

    海のものとも山のものともわからない時には手を出さずに、儲かるとわかれば自分の物にする。 (最後に一番得をしたのは誰かと言えば、早川でも五島でも利用するお客様でもありませんね。)

    そして地下鉄事業は営団地下鉄からメトロになり、色々な人を乗せて~色々な想いを運んでいます。 東京出張の際に地下鉄に乗っていると、ふとこんな話を思い出してしまいましたが、まさに「人に歴史あり」です。

    あなたの中にある想い出には、どのような1ページを刻んでありますか?

    (?O?) ナルホドォ~?

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    ウマが合う。

    おはようございます。 今朝の事務所内は陽の光が綺麗に差し込んできて、素敵なお客様の運命を表しているようです。 人生を歩んでいると辛い時や悲しい時もあるけれど、それは楽しい時や嬉しい時に感動を味わう為のスパイスなのかもしれません。

    朝起きて「今日もあの人の顔を見るのかぁ~?」と、会社に行くのが嫌な時もあると思いますが、人間関係においてウマが合わない人とは無理に関係修復しない方がいいのです。

    ウマが合うとか~合わないとか人間関係の中でよく耳にする言葉ですが、ウマが合うとはどういうことかとあらたまって聞かれると明確には答えられないと思います。 ひとつの答えとして、「意気投合するとか、気が合うとか、相性が良いとか」 そんな関係を指してウマが合うと言います。

    辞書で引くと、「ウマが合う=気が合う」であり、気が合うの意味は考え方や感じ方などが同じと書いてあります。

    人間関係においてウマが合うと言うのは、少なくともマイナスにはなりません。 嫌いな人と一緒に仕事をするよりも、好きな人と一緒に仕事をする方が気持ち好くできます。 しかし、社会生活においては全部が全部そういうわけにも行かず、ウマが合わない人と同じ部署やチームに所属させられることもあります。

    そうしてウマが合わない人同士が同じ場所や世界に居ると、気付かないうちにお互いを傷つけあってしまうのです。

    アヤシイ?霊視カウンセラー的に考察すると、ウマが合う⇔合わないと言うのは理解度の差じゃないかと思います。 一緒の場所に居る人がどういう考えや思いでいるのかを、キチンと理解してあげることができるかどうかで、ウマが合うレベルも変わってくると思います。

    例えば仕事上でも、色々世話を焼いてくれることをお節介と思うのか、親切でしてくれていると思うのかで、相手に対する印象は違ってきます。 自分からするとお節介でも相手は親切のつもりだとしたら、そこには感情の行き違いが出てきます。 そして片方は「余計なことを…。」 もう片方は「してあげているのに…。」 こうなるとどちらも自分が正しいと考えてしまいます。

    そこには当然、人である以上は好き嫌いの感情が入ります。 そして嫌いとなると、もうその人がすることが全て嫌いに見えてきて、どうにもならない状態に気持ちが陥ります。

    ウマの合う人でも感情の行き違いが起こり、口論になることもあります。 気分が悪いとか~カチンときたとか、お互いが反目しあうことだってあります。 しかし、ウマが合うと言うのは、その時は不愉快であろうとも時間がすぐに解決してくれて、明日か明後日にはまた普通に話ができるようになっています。

    ウマが合わない状態と言うのは、気に入らない部分を探して許さない方へ進んでいきます。
    ウマが合う状態と言うのは、相手の良い部分を見つめて許す方へ進んでいきます。

    人には有限なものがたくさんあり、無理なことや無駄なことに有限なことを使うのはもったいないのです。 話のわからない人に理解を得る為に時間を費やすのなら、話を理解してくれる人に更なる理解を深めてもらう方が良い場合だってあります。

    どんなに社交性が豊かでも~どんなに人当たりがよくても、苦手な人と言うのは必ずできてきます。 自分がどんなに上手くやろうとしても、上手く付き合えない人は存在するのです。

    それは不思議なことですが、実は不思議でもなんでもないかもしれない。 何故なら、あなたが苦手だと思う人は、相手もあなたを苦手に思っていることがほとんどです。

    では、何故お互い苦手かと言えば、もうそこにあるのは理解しあえない「何かがある」としか説明できないのです。

    一方の人達からすると自慢ばかりする嫌味な人に見えても、もう一方の人達から見ると物知りで色々教えてくれる人となるかもしれないのです。 自分ではなんでもないことを、相手はものすごく嫌がり怒ってしまう。 そういう経験は誰しもあるのですが、それは生まれた時からの生活習慣とか考え方とか、お互いが相容れない溝のようなものです。

    もしも、同じ職場に10人の人がいたとして、その10人が思う理想像になるなんて無理です。 10人いれば10通りのあなたを求めてくるので、カメレオンのようには変身できないのです。 ですから、苦手な人や嫌な人には近づかないというのが原則で、ここまでと言う一定の距離感を持つのが大事なのです。

    同じ時間を共有できたり、同じ感動を共に共感できるなら、それは素晴らしい親友とか、素晴らしい彼(御主人)となりえるでしょう。 ですから、ウマが合わない人や苦手な人と無理に近づいて、同じように上手くやろうと考えないのがベストなのです。

    PCが得意な人もいれば話しが上手な人もいますし、国語が好きな人もいれば数学が好きな人もいます。

    このように人には向き不向きがあるので苦手な人と思わずに、タマタマ「自分には向かない人」と思うだけでもいいのです。 一度話したぐらいではわからないと思うのであれば、何度でもチャレンジしてみればいいのですが、一度ウマが合わない人と時間の経過やその他の何かでウマが合うようになるということはありません。

    そんな気苦労をする前に~相手が不愉快になる前に、相手との関係に距離を保ち早々にオイトマするのが一番平穏無事なのです。

    あなたは自分に無理してまで、人付き合いを上手く行かせようとしていませんか?

    (・_・?) ハテ? (;_;?) ワケワカメ・・・?

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    花色。

    好きな人の気持ちを手に入れたいと思うのならば、それは表面的なものなのか~中にある本当の部分なのか、それを見極めないと始まらないのです。

    氷の中にあるハートマークは、見ることはできるけれど触ることはできない。 暖かな光で溶かしていくことで周りにある氷が無くなり、ようやく触れることができるのです。 彼の心が氷に包まれている時には、いくら問いかけても返事はありません。

    彼の返事を聞きたいのなら、氷を溶かす努力が必要なのです。 例えるならば…。

    今年のバレンタイン、チョコって甘くないと感じる時もあると初めて知った。 愛の告白の日にお別れを言われるなんて思ってもいなかったし、この日は仕事だって言う言葉を信じていた。

    アナタと過ごす時間の中で、どれだけ愛せるかと言うくらい短い時間しかアナタを愛することを許してもらえなかった。 手をつないでアナタと歩くのがとても嬉しくて、寒くても手袋せずに手をつないでいたの、わかってくれてたのかな?

    初めて手をつないだ時に、「キミの手を握ると、暖かいね…。」 彼が言ってくれたヒトコトが、わたしの心に響いてくる。 決して変わらない筈なのに、どうして心が彼の方を見てしまうのかな…。

    アナタには彼女がいると、ずっと思っていた。
    好きになっちゃいけない人だと、思っていた。

    でも、「えっ、今は彼女いないよ。」

    この言葉で、気持ちが揺れ動き始めた。 夢に見たアナタのシャツがまぶしく見えるのは、アナタへの気持ちを正直に出してイイってことなのかな。 本音の部分ではわからないけれど、わたしの前で彼女がいないと話してくれるのは、わたしにチャンスがあると教えてくれているの。

    彼の気持ちがわからない、いつだって迷わすことばかりで、正直言ってどうすればイイのかわからない。

    初めてつないだ手を離した時に、彼は反対側のホームで手を振っていた。 わたしも精一杯の笑顔で手を振っていたけれど、好きな気持ちをうまく伝えられなくてホントは泣いてたんだよ。

    一緒にいるだけで楽しいと感じてたんだけど、いつの頃からか一緒にいることが辛くなり始めた。 愛してるというヒトコトの意味が、ずっと胸の中を貫き続けたから、出会ったことさえ間違いなのかと考えたことすらあったの。

    アナタの横で、アナタのそばで、ずっとずぅ~っと、笑っていたかったんだけど、それはもう無理です。 苦しくて苦しくて、本当に好きだった分だけ苦しさが増していく。 この気持ちは、冬が終わり春がくる今でも雪と共に消えてしまいたいくらい切ないの。

    いくらわたしがあなたのことを想っていても、あなたはわたしのことを思うことすらしてくれないんですね。

    もっとしてあげたいことが一杯あったし、もっとして欲しいことだってあった。 もっと話しをしたいこともあったし、もっともっとアナタの話が聞きたかった。 わたしは欲張りだから、アナタをわたしだけのものにしたかったんだけど、アナタはわたしだけのものになりたくなかったんだね。

    どうしても、わたしじゃ駄目ですか?
    どうして、わたしじゃ駄目なんですか?

    わたしが悲しくて泣いている今、アナタの隣で誰かが笑っているなんて考えると、アナタが誰かの横で微笑んでいるなんて思うと、とても心が苦しくなるのです。

    もしかしたら、間違い電話のふりして「やり直そう」と言ってくれるかもなんて、淡い期待をしていたけれど掛かってこないTEL。 夢のような儚い期待だったけれど、夢は夢のままで終わりそうだから、この気持ちのやるせなさが夢であったならと思った。

    付き合い始めた頃は、アナタの為なら何でもできると思っていた。 本当に何でもしてあげようと思ったけれど、彼女のままでいることはできなかった。 アナタに似合う女性になろうと努力したけど、アナタが好きになる女性はわたしがなれない人ばかりだった。

    神様、お願いだから彼にとっての一番にしてください。 毎日毎日こうやってお願いしていたけれど、アナタの一番になることはできなかった。

    雪解けの水の流れのように、あなたの思いは儚く流れていったのかもしれない。 けれど、わたしは春になると花が開くように、恋に対する想いが素敵に咲き誇る日を持ちわびている。

    どんな素敵な想い出も心にしまっているうちに、いつの間にか消化できていると思うのです。

    あなたの恋は、どんな花色に咲き誇ると思いますか?

    グスグス (><。)。。

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    決断。

    運命において「今が勝負のしどころ」とか「ここで決断の時」など、運命の分かれ道にどちらを選ぶのかで大きな差が出てしまいます。 運命や人生において悩み悩みと言うけれど、本当に悩んでいるのは何を悩んでいるのかを掴んでいないと、余計に悩みを増やしてしまいます。

    例えば、食事が美味しいと言うのはヒトコトでは表せないくらい、多種多様な理由があります。

    食事の素材が、美味しいのか?
    食事を作った人の腕が良いから、美味しいのか?
    お腹が空いているから、美味しいのか?

    このように美味しいと言う現象の元はいくらでもあり、その中身はまるで別物なのにヒトコトで表そうとするから無理があるのです。 悩みの本質を掴まずに解決しようと言うのには無理があり、その無理と言うことすらわからない場合は、堂々巡りで解決できない道をひたすら歩いてしまうのです。

    つまり、病名もわからずに薬を飲んでいるようなものであり、ひょっとして風邪なのに腹痛の薬を飲んでいるのかもしれません。

    私はダメなら方向転換や方針変更は悪いことじゃなく、むしろ良いことだと思います。 悪いとわかっていながら、突き進むのは勇気ではなく無謀と言うのです。

    例え話ですが、あるお金持ちが愛娘の彼を婿として、自分の家に迎え入れたとします。 そして、家柄やメンツがあるので彼が勤めたいた会社を辞めさせ、そしてお店を出させて「自営業者の奥様」と言うブランドを作り上げたとします。 しかしコレは、彼が歩むべき元々の道ではなく相手の家が資産により作り上げた道です。

    お店に対しての初期投資が5千万円で開店後も毎月赤字を50万円づつ出しながら、それでも「経営者の奥様」と言うブランドを大事にしていくのは、お金があるからできることであり無謀と言うより他ないのです。

    これは例え話で実際にココマデする人はいないと思いますが、「家柄やメンツを大事にする」ことと「二人の幸せな結婚生活」と言うのは別物なのに、ひとくくりにしてしまうからこうなると言う例え話です。

    先ほどの話は「ここが決断の時」と言うお話ですが、もうひとつ「今が勝負のしどころ」と言う例え話もして見たいと思います。

    ある女性が女性服販売店に勤めていて、店長や同僚にいじめられながら一番下の雑用係として働いていました。 しかし、彼女はいじめられるうちに「自分でお店を出せば、もういじめられなくなる。」 こう考えて、経営の勉強と資金作りの為に貯金を始めました。

    そして、2年間の勉強と貯金により知識とお金の元手を作り、いよいよお店を出すことを決めました。 彼女がお店を出すと決めている候補地は2つあり、岡山県と六本木のどちらに出そうかと思案していました。

    岡山県に出せば友人や知人もいるし、知っている場所(土地)だから不安も少ない。
    六本木に出せば誰も知らないし、知らない場所(土地)だから不安が一杯。

    岡山県なら知り合いが来てくれるかも知れないし、もし困っても誰かが助けてくれるかもしれない。 六本木なら店長について仕入れに行ったことはあるけれど、問屋さんに行ったことがあるだけで全然知らないから、もしもの時には誰も助けてくれない。 このように迷いに迷った末に六本木へお店を出すことに決めて、住んでいる所も引き払い~家具や車など全て売りはらい背水の陣で臨みました。

    誰の知らない場所(土地)で誰にも頼れないという道を、彼女は何故選んだのかと言えば「自分を変える為には、全部リセットしないと何も変わらない。」 

    この女性曰く、「岡山県でも六本木でも、小さなお店しか出せないのは同じこと。 同じようなお店なら、自分が住んでみたいと思えるところにお店を出してみたい。」 それ以外にも、六本木にお店を出すと言うのはいじめられていた過去や雑用係だった過去に、お別れする為には必要なことだったのかもしれません。

    東京に出て2年が経過した今、最初はひとりで始めたお店も今は従業員の人が1人増えて、悠々自適の生活をしています。 確かに「タマタマうまく行っただけ」と言う人がいるかもしれませんが、この女性が岡山県にお店を出していても成功していた保障はないのです。 ただ、チャレンジする勇気があったからこそ、運命が応援してくれたと思うのです。

    「ここが勝負のしどころ」 これは誰にもあるのですが、その勝負のしどころを見逃して、後から「しておけばよかった」と思うのが人生の悔いとして心に残るものなのです。

    人生をかけた勝負と言うのは勇気がいることですが、乗り越えたならそれはハイリターンがあると言うことでもあります。 リスクが少なくリターンが多いというのは、夢物語であり勝負できないなら、その戻りが少なくても仕方がないのです。

    あなたは人生において、勝負のしどころを見極めていますか?

    (°_°;)ハラハラ(; °_°)

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    初恋。

    今日は月曜日なので仕事始めの方も多いと思いますが、素敵な週の始まりなので良いことがあると思って楽しい週にしてくださいね。

    人には好みと言うものがありますが、「コレが決まり」と言う好みは誰にもありえないと思います。 それは好みとは変化する不確かなものであり、いつまでも続くものでもないからです。 例えるなら、子供の時はピーマンが苦手でも~大人になって焼肉に行くようになれば逆に必要とする感じです。

    恋に落ちる時だってそうで、「好みじゃないのに、何で好きになったのかな?」と言うのが恋の本質だと思うのです。

    恋とは頭でするものじゃなく、理屈でするものでもないと言うのが「恋」なんです。

    人を好きになるというのは、ひとつのことだけ好きになれたらいい。 100ヶ所のうち99ヶ所は嫌いでも、たったひとつだけ好きな部分があれば充分なのです。 そのひとつが99の部分を凌駕しているのならば、それは恋に落ちるのに充分な理由になるのです。

    恋愛においてテクニックとは小手先のことであり、中身を好きになってくれるわけじゃないのです。 人が人を好きになるというのは、自分側から見るのか~相手側から見るのかで、その恋の中身も違ってくるのです。

    初恋とヒトコトで言うけれど、初恋とは心に残る想い出であり~現在進行形の恋でもあります。

    「たった一度の初恋。」 確かに初恋は一度かもしれないけれど、それは自分側から見たことだけであり、私にとって恋とは「いつも初恋」であると考えています。

    それは、「恋する相手」が違うからです。

    Aさんのことが気になり始めたら、それはAさんとの「初恋」が始まったと言うこと。
    Bさんのことが気になり始めたら、それはBさんとの「初恋」が始まったと言うこと。

    恋する相手が違う以上は「常に初恋」であると考えるのが、相手の側に立った恋愛だと思うのです。

    自分の人生において最初に好きになった人が初恋と言うのは自分の人生だけ見ている状態であり、相手の人生を見て好きになれるのならば「目の前にいる相手が初恋」でいいと思うのです。

    過去において誰を好きだったのかと言うのは関係なく、今の目の前にいる相手を好きになれないのであれば、それは相手に失礼な恋をしているのです。

    出会いがないと言うのは行動していないというのと同じであり、自由に動くことができて誰とでも接点が持てるのは日本の良い部分だと思います。 隣の県に行くのに報告がいるとか、男性と会うのに許認可がいるとか、そんなことはないのだから出会いはあります。

    ここで言う出会いとは合コンやナンパやお見合いを言うのではなく、自分に応じた人と出会う為のことです。

    例えば、イイ男と言うのはゴロゴロいますし、そういう人に彼女がいないと言う場合もちゃんとあります。 人は生まれた時から考えてみても、全て「独身から始まり~相手と出会い~結婚する」と言う過程を踏んでいるのです。

    つまり、どんなに良い男性でも~どんなに良い女性でも、最初は独身でフリーであると言う現実に目を背けてはいけないのです。

    良い恋愛の基本とは、「他人との出会いを面倒くさがらない。」 これ一点に尽きるのです。 誘いがあっても気が乗らない~遊びに行くのも興味がない、お金と時間がないから旅行に行けない、このようにやらない為の理由はいくらでも見つけられるのですが、やる為の理由を見つけない=良い恋ができないと言う同義語でもあるのです。

    一度に色々なことはできないと思いますが、もしも良い恋がしたいとか~素敵な人に出会いたいと思うのならば、ひとつだけでも守ってほしいことがあります。

    それは異性と言うものを、キチンと意識することです。 恋愛モードに入ると言うのは、自分が男性とか女性とかをキチンと認識すると言うのができていないと無理です。 これをするのは簡単ですが、気付くのは難しいのです。

    しかし、一度でいいから幸せな恋愛モードに入ってしまうと、次から次へとイイ出会いしか起こらなくなります。 そうなると恋ができないと言うのが不思議なくらいになるのですが、その域に達するのは自分の努力以外にはありえないのです。

    あなたは恋をするのが、面倒くさいと敬遠していませんか?

    ○┼< ○卍クルッ ミ(ノ^^)ノ スチャッ!受身成功

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    未来で。

    おはようございます。 先ほどまで雪が降っていたのですが、光が差し込んできたので良い天気になるようです。 私はお店や会社にお客様がいない辛さや寂しさは、誰よりもわかっているので、今日もお客様が来てくださることにものすごく感謝しています。

    実の親よりもお越しくださるお客様の方が、支援や助けになってくださっていると言う実感もあります。 私の親子関係は別として、普通は親が子供に愛情を持って育てていきます。 そして高校や大学や専門学校など、進学や進路においてお金を出してくれて邪魔することもありません。 (普通に感じることが、実は幸せなことでもあります。)

    高齢化社会における老人の孤独死などが社会問題としてよく取り上げられますが、「どうしてそうなったのか?」 その理由が個人別にあるのです。 (親と子供の関係は、その成長過程において親の教育と子供の感性と両方が関係しています。)

    普通の感覚ならば親に大切に育ててもらったのだから、その親が認知症など何らかの病気や障害が起こった時にお世話をするのは、今までの育ててもらった愛情に報いる為にも当たり前だと思うのです。

    私自身は人にどうこう言えるようなことをしていないので、「山崎、オマエは親を大切にしていない!」と言われたなら、そうかもしれません。 ただ、私は親が作った借金を返し続けているので、親が贅沢な生活を続けるのを維持はしていると思います。 私の親は反省の色もなく今でも借金を作り続けていますが、コレはもう宿命かなぁ~? (もうネタにして、笑い飛ばすしかないですね。)

    そして一応は育ててもらった恩があるので、借金に対して何も文句を言わずに黙って払い続けています。 ただし、時々思うのは「父が馬鹿な借金を作らなければ、その分を寄付に回せるのになぁ~。」 これだけは残念です。

    ところが世間には、親に大切に育ててもらいお金を使い放題で使い、挙句の果てには親の家業を継いでいきなり社長など役員待遇になり、楽な道ばかり歩いている人がいます。 それだけ親の保護と支援があるにもかかわらず、親が年老いてくると足蹴にしたり追い出したりと酷いことをする子供(息子)がいるのですが、それもまた人生の縮図だと思います。

    こういうことを見聞きしても、人には色々な見方があるので、「なんて酷い息子だ!」と言う人もいれば、「そりゃ仕方がない、自分が育てた息子だ。」と言う人もいるので、どちらも正論かもしれません。

    ただし、自分の親が認知症だからといって、怒鳴りつけて蹴ったり殴ったりして、挙句の果てには夜だというのに外へ追い出してしまうような息子が、人として正しいとは言えないと思います。 認知症の親で苦労しているのは、自分が幼い頃に受けた愛情の恩返しだと思わないと、それは人としての道を外れている&迷っていると言うことです。

    色々な思いはあるでしょうが「許す」と言う行為が出来るかどうかで、人間の器が決まってくると思うのです。 誰かに対して「怒る」よりも「許す」という行為が出来たなら、それはあなたが運命の祝福を受ける準備が整ったということです。

    親についてのことをコマゴマ書いているのは、このブログを読んでいる人に自分の御主人の行いを見て欲しいと思ったからです。 自分の御主人が親にしていることが、未来で奥様に跳ね返ってくる可能性があるからです。

    例えばの話ですが、自分の母親に酷い言葉を浴びせたり~蹴ったり殴ったりする御主人がいたとします。 そういう御主人と暮らしている奥様の未来は、同じ目に遭うと思っておいた方がイイです。 「私は愛されている。」とか「私にはしないだろう?」と思うのは早計で、そんな思いやりのない御主人が奥様を大事にするとは思えません。

    御主人が実の親にする行いを、今一度よく見て下さい。

    もしも、怒鳴りつけているのなら、未来で怒鳴られるのは奥様(子供)です。
    もしも、殴る蹴るの暴行を働くなら、未来で殴る蹴るをされるのは奥様(子供)です。
    もしも、家から追い出したなら、未来で追い出されるのは奥様(子供)です。

    注:これはあくまで普通に親の恩恵を受けて育った人のことであり、親に虐待を受けたり私のような目に遭っていた人は別です。

    私は色々な夫婦や恋人の人生模様を見ていますが、今取っている態度は今の時点でのことです。 状況が変わればどうなるかわからないし、未来でどのような変化を起こすのかは、その人の心理状態や本質部分にもよるのです。 先祖の怒りや前世のカルマなんて、一切関係ありません。

    ところが本性と言う言葉があるように、その人の本質の部分において変わるということはありません。 心が真っ黒で私利私欲に走る人が品行方正で真面目になるの難しく、心が真っ白で世の為人の為に役立っている人が急に悪くなるなんてことも難しいのです。

    あなたは自分の未来において、自分がどうなっているのかを考えたことがありますか?

    (;-_-;) ウーム

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    山口県光市。

    おはようございます。 今日は街路樹の剪定作業の為、事務所前にトラックや作業車がいるので蟹歩きでないと、事務所にたどり着けません。 普通に歩けると言うのはとてもありがたいことであり、普段はナカナカ気付かないものです。

    このように何かが起これば異変に気が付き不条理を感じる、当たり前のことが当たり前にできないとか~明らかにおかしいことがおかしくないとか、世の中に理不尽なタネはつきません。

    私は法律の専門家ではないので、法律上や裁判の手続き上ではどうなのかと言う点ではわかりません。 しかし、山口県光市で起きた事件について、自分が本村さんの立場になったらどうするのかと言えば、同じことを言ったりするかもしれません。 (検察や警察にお客様がいるから、検事の味方と言うわけではありません。)

    残念ながらこの事件に関して私に依頼がないので、直接的な手助けができません。 しかし、本村さんの気持ちを考えるなら無罪にしようとか~明らかに罪を軽くしようと言う動きがあること自体が、本村さんの心を傷つける行為だと思わないのでしょうか?

    注:社会には賛否両論が存在するのはわかりますが、自分が本村さんと同じ目にあったとしても許せるのか…。

    なんで唐突にこんな話をするのかと言えば、幸せと言うのは今まさに目の前にあるのを感じ取れないから、それが逆に不幸を招いていることもあるからです。 何故?今の日本に生まれたことを幸せに思えないのか…。

    もしもあなたが日本以外の国に産まれていたなら、どうなっているかを考えてみると「どれだけ幸運なのか?」 よくわかると思います。

    あなたは今、水を飲むことができると思います。
    あなたは今、食事を取ることができると思います。
    あなたは今、携帯電話を使うことが出来ると思います。

    この3つが出来るだけでも、地球上の66億人の中ではものすごく幸せな方です。

    これに加えて住居があるとか、車や電車に乗ることが出来るとか、PCやTVを見たり使ったり出来るというのまで含めたなら、6%の幸運を手に入れていることになるのです。

    この地球上で自由に水を飲めて~御飯を食べられて~携帯を使うなど、文明生活を楽しめるのは地球上における全人口の6%未満なのです。

    もしもあなたが○○○に産まれていたなら20歳まで生きるということ自体が難しいし、エチオピアに生まれていたら奴隷として生活していたかもしれない。 他の未開発国に産まれていたなら、人身売買などで教育も受けさせてもらえなかったかもしれない。

    不平不満と言うのは「満たされた中」で、更にと言う部分があるからこそ不平不満になるのです。

    人は衣食住で満たされたなら次はTVや宝石など、生活の為には必要ないけれどあったら嬉しいという物が欲しくなります。 そして、それを通り過ぎると今度は自己顕示欲が出てくるのです。 人である以上は仕方がないのですが虎の意を借る狐になると、相手の気持ちを考えずに「私は偉い」と言い始めるのです。

    法人にしている大きな会社だけが偉いワケじゃなく、ひとりでしている居酒屋さんや喫茶店のオーナー、ひとりでしている美容院やブティック経営者、こういう小さなお店や会社も偉くて立派で「尊敬に値する」と思います。

    時間の流れの中で日々を無駄にせず、一生懸命に何かに打ち込んでいる姿や取り組んでいる努力の姿勢は、何ものにも変えがたいくらい素敵に輝いていると思うのです。

    私は素敵なお客様に恵まれていると言うのは真実であり、それに対してなんらの疑問もありません。 お客様がしてくれることは、全て私にとってはありがたいことであり、目の前のことはありがたい幸せなのです。

    不幸なことは自分が起こしているだけであり、誰かが起こした不幸なんて余りないのです。 他人の人生を操れないように、自分の人生を誰かが操作するなんてできないのです。 ならば、今の自分に起きていることを当たり前ではなく、幸せなことだと考えられたなら…。

    私自身を例に取ると、毎日幸せなことが一回はあると思います。

    今の私は予約の電話が掛かるのですから、それ自体がとても幸せです。
    今の私はキャンセルが少ないので、お客様が来てくださるのはすごく幸せです。
    今の私はお金をキチンと支払ってもらえるので、本当にありがとうございます。

    このように、当たり前のことでも当たり前ではなく幸せなことと考えたら、毎日幸せに囲まれて生きることになるのです。

    「当たり前ではなく、ありがたいこと。」 同じしてもらうなら~同じ起きる出来事なら、楽しんで面白がる方が幸せになれます。 基本的に運は良い悪いがどちらかに偏るなんてないので、イチイチ腹を立てたり怒ったりしない方が運を味方に出来ると思うのです。

    あなたは幸せの意味を、どのように理解していますか?

    ( ̄~ ̄;)ウーン・・・

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    無理。

    当然ではありますが人は社会生活を過ごして行き、上司や先輩など周りの人から「無理なことは無理」と言われたことがあると思います。 しかし、人の道に反することでなければ無理と言わずに、できると思い込んで~それを実現させるにはどうすればいいのかと、実現を前提に物事を進めるのも悪くはないのです。

    人の脳と言うのは夢を実現させる万能の道具、ドラえもんのポケットみたいな部分があります。

    例えば、机や椅子やベッドなどは誰かの頭の中にあったものです。 最初は「あったらいいなぁ~?」と思うところから始まって、今度は製作に取り掛かり作ってしまったからこそ、この世に存在するのです。

    人間の知恵と力はすごいものがあり、朝が苦手な人でも恋をした瞬間から「好きな人にお弁当を作る為なら早起きできる」と言うくらい、自分の行動を変えてしまうのです。 夢の続きは誰でも見れるのですが、夢を見ようとしない人には続きどころは始まりすらないのです。

    できないと思うから、できない。
    できると思うから、できる。

    単純なことですが、自分の夢に対して自分が疑いを持っていたなら、叶うはずが無いのです。

    ある自動車工場では生産ライン初期の頃、160人でしていたのですが、社長より「120人でやれないか?」と言われて、当時の工場長は「無理です。」と即答しました。 しかし、社長は一歩も引かずに「いや、やれないようでは他所の会社に勝てない。 このままでは、ジリ貧になってしまう。」

    社長の本気の熱意に動かされた工場長はみんなを集めて、160人体制を120人体制にすると宣言して2年後、40人減でも同じ生産ができるようにしました。 ところがしばらくして再び社長より言明されたのは、「120人を80人でやれないか?」と言うことです。 工場長はやるしかないと心に決めて、再び創意工夫の毎日を過ごすようになりました。

    そして2年後にようやく80人で同じことができるようにした工場長は、社長の元へ報告に行きました。 社長は満足して、「ありがとう。 君達のおかげで会社は何とか生き残れそうだ。 本当にありがとう。」と労をねぎらいました。

    すると、工場長は「社長。 80人体制を40人体制にする為の、プロジェクトの許可をお願いします。」 今度は工場長の方から、更なる効率化の申し出がありました。 そして工場長と現場の人たちは全員が一丸となり更なる効率化を目指し、40人体制も達成しました。

    現在、その会社では同じ作業を「2人」でしています。 会社を設立した時には160人でしていた作業を2人にまで減らせたのは、無理だと言われていたことを次々と打ち破って実現し続けたからです。

    無理だと思えば脳は「無理と言うお願い」を聞き入れてくれて、無理だと言う限界を作ってくれます。 心から思えば夢は叶うと言う、その思いに対して嘘をつくから叶わないだけなのです。

    漫画家になりたいとか、俳優になりたいとか、お店を出したいとか、誰しも夢は色々と持っています。 しかし、その夢を持ち続けることができないから、夢の実現一歩手前であきらめてしまう人が続出して、最後まで思い続けた人だけが夢を叶えてしまうのです。

    私は運勢の良し悪しは、「あるけれども、無い!」と思います。 それは、今日よりも明日~明日よりも明後日と、運勢を変えていい状態を保ち続けて欲しいからです。 少なくとも運の悪い時期が短くて、運の良い時期が長ければ幸せだと思うのです。

    嘘でもいいから「今日はイイことがある!」とか「チャンスが来る!」と、言い続けて欲しいのです。

    嫌なことは先生であり、ダメな時は学びの時間なのです。

    健康体は幸せなことですが、健康しか知らない人は病気の人の苦しみがわからないから、蔑んだ言動になってしまうかもしれません。 しかし、自分が病気になれば健康のありがたさがわかり、なおかつ病気の人に対して優しくできると思うのです。

    表裏一体と言う言葉があるように、いやだと言う出来事は裏返せば「チャンス」と言うことなのです。 病気になるから健康がありがたいと言うように、嫌なことがあるからこそ幸せな状態を再認識できるのです。

    私は勝ち負けに意味は無いと思っているのですが、それはどこの部分で勝ち負けを言うのかだけで、永久に勝ちとか~永久に負けとかではないからです。 人生は山あり谷ありで、一時的には勝ち負けが存在しますが、永久的なものではないからです。

    あなたは無理だと、自分で限界を作っていませんか?

    ヽ(^◇^*)/ デキタヨ~☆

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    ジコチュウ。

    おはようございます。 今日は良い天気なので、朝からすがすがしい気分でブログを更新しております。 コレを読んでいる人がウキウキワクワクした気分で、今日も素敵な一日になるようにお祈りいたしております。

    たまには枠の中から飛び出して、自分のことだけ考えてみるのも良いと思います。 ジコチュウの勧めと言うわけではないのですが、時には自分の夢や希望を優先しても良いと思うのです。

    一般的にも道徳的にも「ジコチュウ(自己中心的)な考え方はダメだ」と言うのは、正論であり間違いではないと思います。 ただし、あくまでも他人に迷惑をかけるという意味での自己中心的な考え方はダメですが、自分を奮い立たせたり前向きにしてくれる自己中心的な考え方と言うのは良いと思うのです。

    それは自分が一番偉いと言うようなプライドが高いジコチュウではなく、モノの見方を変えてみると言う意味なのです。 人には色々と発想する頭脳や知識がありますが、それでもどうしていいかわからないと言う袋小路に入り込んでしまう時もあるのです。

    そんな時には、「もうどうでもいいから、とにかく何でもいいから自分に都合のいいように考えてみる。」 物事が上手く行かない時には、早めに割り切り違う道を行くのも大切なのです。

    合格できなければ、○○大学には行くなと言うこと?
    就職できなければ、○○会社には行くなと言うこと?
    彼と別れたならば、カレとは結婚するなと言うこと?

    自分の希望通りに行かない時は、「あぁ、これはするなと言うことなんだ?」と言うくらい「発想の転換」が必要なのです。

    もしも家を買う&建てる予定があったとして、土地や家を探して銀行からお金を借りて契約寸前まで行ったとします。 そんな時にウキウキしていると、契約1週間前に銀行より「融資が出来なくなった。」と言う連絡がありました。 あなたは「そんなぁ~、それじゃ家が買えないよ~!」と嘆いたり困ったりするかもしれません。

    しかし、これは運命か何かの目に見えない力があなたに、「この家を買うな!」と言ってくれていると考えた方が幸せです。 この家を買ったばかりに何かあるかも知れないところを買わないおかげで防げたのかもしれないのです。

    これぐらい自己中心的に考えた方がポジティブに生きていけるし、自分のことに関して自己中心的なのですから人に迷惑をかけるわけじゃないのです。 これなら何かホンのちょっとのことが起きても、へこたれたりしょげたりしなくなっていくと思います。 そしてそれを自分の未来に活かそうとするのなら、きっと素晴らしい未来へと変換していけると思うのです。

    何も苦しい道を行かなくても楽な道を行けばいいのに、他人に迷惑をかけないジコチュウになれず、イライラしてストレスを溜めて周りに不機嫌を撒き散らすようでは逆効果だと思うのです。

    自分に対してだけ素直になるのではなく、相手や周りの人に対しても素直になるのも良いと思います。 それは相手を認めるということであり、相手の意見をまず肯定する所から始めてみるのもひとつの手です。

    子供の時にはピーマンが嫌いでも、大人になり焼肉を食べに行くようになれば、ピーマンがないと肉ばかり食べられないということにもなります。 それ以外にも調理方法や嗜好の変化により好き嫌いが逆転しているかもしれません。 10年前には大嫌いでも10年という月日の流れが、今度は大好きという風に変化させているかもしれません。

    仮に喫茶店やレストランで注文した品物以外が来たとしても、「あぁ、これを食べる運命かなぁ~?」と闇鍋のごとく楽しんでしまうのもひとつの手です。 その楽しむ心が余裕を作り出して、自分の心の豊かさをより強固なものにしてしまうのです。 そして強い自分を作り上げたら、少々のことでは動じない明るい笑顔に自分を鏡の中に発見できると思うのです。

    そうなるとしめたもので、人と会ったり話をしたりするのが楽しくなります。 人と話をして友好関係を深めて、自分の活動範囲を広げて行くのもいいと思うのです。

    私はプライドや自意識の高さなんか一文の得にもならないと思っていますが、そんな物が自分の成長に役立ったこと&役立つことなんかないからです。 人とまず会って話をしたり、食わず嫌いを治して何でも食べてみるというように、行動しなければ本当の幸せなんか手に入らないと思うのです。

    人に見られたら恥ずかしいとか、人にどう思われるかが気になるとか、その気持ちはよくわかります。 私はいじめられていた時に、人からどう思われているのかで行動を間違えることが多々ありました。 「あぁすれば、よかったのに…。」 悔やんでも悔やみきれないけれど、過去の時間に戻ることは出来ないのです。

    人に見られることや、人にどう思われるかは、「どうでもいいこと。」

    社員旅行の集合写真でもいいし、友達との旅行で撮った写真でもいいのですが、その写真を手に取り一番に捜すのは、誰の姿ですか?

    あなたがまず最初に捜す&見るのは、自分自身のはずです。 まず、自分がどんな顔や姿で映っているかを確認して、それから友達や同僚の姿を見るはずです。

    あなたは考えなくてもいい悩みで、自分を追い込んでいませんか?

    ☆⌒(*^-°)v Thanks!!

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    良い人。

    良い人に出会う為の秘訣とは、「在るようで無い」と言うのが本当のところです。

    世の中には数々の雑誌で恋愛特集が出たり、恋愛ハウツー本が出たりしていますが、実際の中身はバラバラであり、正反対の内容も多い為に迷い始めてしまうのです。 例えば、「メールはすぐに送れ」とか「メールは焦らして送れ」とか、何が正しいのかはわからないと言うのが正解です。

    恋愛とは計算してするものではなく想いで行動するものであり、計算してできるようなものじゃありません。 恋する瞬間と言うのは夢の途中だから楽しくやれるのですが、夢から覚めてしまうと成就しないということです。

    誰でも良い人に出会うチャンスはありますが、それを判らないようでは会っても通り過ぎてしまうものです。 出会いの条件に固定化されたものは在りませんが、なんとなく注意する見抜き方のようなものはあります。

    その見抜き方(要注意部分&危険領域)というほどではないのですが、主なものを少し書いてみたいと思います。

    まず、一番にあげられるのは「その人だけという、独自の世界がある。」が危険です。

    これは本当に危険なのですが、その人だけが持っている独自の世界と言うのは一見するとカッコヨク思えます。 しかし、独自の世界に浸っていると言うのは、「周りが見えていない人」と言うことにもつながります。

    お店や会社を立ちあげて夢を語るのはいいけれど、失敗しても失敗しても無計画で「次こそは!」と言う人や、熱い思いを語るのだけれど自分では何もしていない人などは、何故か?その内容はデタラメなのに口が達者なのですごく思えるのです。

    独自の世界を持っている人とお付き合いするなら、それは世の為人の為になるようなことをしているのか、それとも自分だけのことなのかをキチンと見分ける必要があるのです。

    独自の世界を持っている男性と言うのは、一歩間違えれば空想の中しか生きられない「夢を追い続けて完結しない人」なのです。

    そして次に危険なのは、「目に力がある。」という幻想です。

    これがまた曖昧な基準なのですが、目に力があると言うのはすごく危険です。

    例えば、パチンコやパチスロが大好きな男性は、勝った時には目が輝いているから素敵に見えます。 そして、車が好きで新車を次々と買い換えたり、改造してローンを組みまくっていても車が好きだから目が輝いています。

    しかし、目が輝いていて素敵には見えますが、結婚したら借金が発覚したり~家にお金を入れないなど、トラブルが次々とでてくるのです。 「目に力がある。」なんて幻想に巻き込まれたら、とんでもない人との一生が待っているのですが、それでも目に力があるなんて曖昧なことを信じられますか?

    最後に要注意なのが、「親と仲が良い。」と言う部分です。

    色々な恋愛本には、家族と仲がいい男性は素敵な家庭を築いてくれると書いてありますが、もしもそれが本当ならば「どうして離婚率が高いのですか?」 こう聞きたくなるくらい、今の日本の離婚率は高いのです。

    父親との関係が上司や先生など目上の人との付き合い方の基本になり、母親との関係が彼女や奥様との付き合い方の基本になると言われていますが、これは一方向からだけ見たとんでもなく決め付けた話です。

    真面目に働かない父親を見て育った人は、当然ですが父親を尊敬できません。
    お金や物に執着している母親を見て育った人は、当然ながら母親を尊敬できません。

    確かに生まれてからそばにいる家族と言うのは身近な学びではありますが、その学びとは教師なのか? 反面教師なのか? これにより学びの内容が違うので、両親や家族と仲が良いと言うのが、素敵な男性を見つける手段にはなりえないのです。

    自分の両親と仲が良いと言うのは、奥様の両親は大事にしないと言う裏返しでもあります。 自分の親にだけ優しいのは、本当の優しさとは言えないのです。

    私は両親や学校の先生や先祖などを尊敬できない生活でしたが、借金して夜逃げする親とか~知恵遅れと言って差別した学校の先生、これらの方々を尊敬しろと言うのは少し無理があります。 (先祖や両親や学校の先生を尊敬せずに成長したら、今のような私になったのですが私はダメ男ですか?)

    良い人と言うのは、本当の優しさや自分が生きている喜びを素直に表現して、あなたにも他の人にも愛を示すことが出来る人のことを「良い人」と言うのです。

    あなたは自分の良い人を見極める基準を、キチンと認識していますか?

    ==((( (/* ^^)/ ハロ~~

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    平将門。

    おはようございます。 昨日の午前中に東京より帰ってきて、午後から鑑定を再開しております。 京都~名古屋間は大雪の為、新幹線が徐行運転をしたので約15分遅れで東京へ着きました。 ただし、私としては雪景色が楽しめたので、それもまた良い風情でした。

    さて、東京駅に着いて皇居の方へ歩いていくと道路が封鎖されて車が少なく、「えらい静かやなぁ~?」と思いながら皇居の方へ向かうと大勢の人が走っています。 「あっ、今日は東京マラソンの日か?」と気が付きました。

    何で私が皇居のそばを歩いているかと言えば、毎月東京出張するようになったので同じ神社に行くのも芸がないと思い、今回は「平将門の首塚」に行ってまいりました。

    では、平将門の首塚とは…?

    平将門(平將門)は「たいらのまさかど」と読み、平安時代中期の武将です。 通称は相馬小次郎とか滝口小次郎とも言われたようです。

    言い伝えによると、平将門の首は平安京まで送られて東の市~都大路で晒されたが、3日目に夜空に舞い上がり故郷に向かって飛んでいって、数カ所にちらばり落ちたと言われます。 昔話にはいくつもの真実があるのですが、この話も多分に洩れず伝承地は数ヶ所あり、いずれの場所も平将門の首塚とされているようです。

    その中でも最も著名なのが、「東京都千代田区大手町1―2―1」にある首塚です。 かつてはマウンドと内部に、石室ないし石廓とみられるものがあったので古墳とも考えられるようです。

    ただし、首塚そのものは関東大震災によって倒壊してしまい、その後は周辺跡地に旧大蔵省が建てられることとなりました。 その為に石室など、首塚の大規模な発掘調査が行われました。 そして工事が始まったのですが大蔵省を建設中に、その工事関係者や大蔵省職員の相次ぐ不審死が次々と起こり始めて、将門の祟りが大蔵省内で噂されることになりました。

    「これではいけない」と噂を打ち消す為(大蔵省内の動揺を押さえる為)に、昭和2年に将門鎮魂碑が建立されて、神田明神の宮司が祭主となって盛大な将門鎮魂祭が執り行われたようです。

    この将門鎮魂碑には、日輪寺にある他阿真教上人の直筆の石版から「南無阿弥陀仏」が拓本されました。

    この地は東京駅に近く皇居の間近に位置するため、周辺にはオフィスビルが林立しているにもかかわらず、何故か?この一角だけはそれ程広い敷地ではないにも拘らず鬱蒼とした木が茂り、平成の世になった今でも一種異様な雰囲気を醸し出しています。 (その他にも、敷地内に入っていくと、石碑の周囲に置かれる巨大な作り物のガマにびっくりするかも?)

    誰かするのかわからないのですが、線香の匂いが絶えることがなく物静かであり、そこに表通りの車の音がする、都市伝説のような場所と言えるのかもしれません。

    その他にも祟り伝説のような逸話にこと欠かないようであり、築土神社や神田明神などと同様に昔から東京(江戸)における霊地として、尊崇と畏怖とが入り混じったような崇敬を脈々と受け続けてきました。

    この地に対して不敬な行為に及べば、祟りがあるという伝承が出来たのも頷ける話は一杯ありますが、そのことを最も象徴的に表すのが第二次世界大戦後にあったGHQの話です。

    その当時、GHQが周辺の区画整理にとって邪魔となる首塚を造成しようとしたのですが、相次ぐ不審な事故があり造成計画を取り止めたという事件です。 また、隣接するビルディングも決して失礼の無いように~首塚に対して見下ろすことのないように、窓は設けられていないと言う話です。

    番外編としては、爆笑問題の太田光がTVなどで活躍し始める前に、この首塚にドロップキックをしたことがあるのですが、その後どうなったかと言えば「しばらくの間、まったく仕事が舞い込んでこなかった。」という不遇の時期があったらしいです。 ただし、これは罰当たりもいいところで「お墓や神様に向かってキックする人がいるか!」と言う常識外の問題であり、祟りと言うより当然のことなのかもしれません。

    その他の小ネタとしては、過去数十年にわたり地元のボランティア団体が浄財を元に周辺の清掃や整備を行っているのですが、その資金は隣接する三菱東京UFJ銀行に「平将門」名義で口座が開かれていました。 (個人でもなんでもないのに、貯金通帳が作れたと言うのは凄いことです。)

    私は東京駅から徒歩で行ったのですが、ぶらぶらと歩きながら周りの景色を眺めているのも悪くないです。 ただし、この首塚は霊験あらたかと言うか、すごく神聖な雰囲気のする場所でした。 私も色々な所にお参りに行っていますが、過去最強の怖さを感じました。 なんと表現したらイイのか? 周りに人がいるのに空気が重たいと言うか、触れてはならない場所と言うか、個人的には一番怖いと思いました。

    注:今回の東京出張では、人生初のケンタッキーに行ってきました。 「美味しいぃ~!」と言いたいところですが、初めて食べたので比べるモノがありません。 (ノ◇≦。) ビェーン!!

    今日から倉敷事務所にてログを再開しますので、つたない文章ですがよろしくお願い申し上げます。

    「素敵なあなたに会えるから、前向きになれる!」 毎日、そういう気持ちで鑑定しております。

    ヽ(*^。^*)ノ ワ~イ

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    時期。

    生きていると言うのは、自分の人生を歩んでいるということであり、それは自己責任と切っても切り離せません。 私は過去の自分を見た時に、「あぁ~、あの時にあぁしとけばなぁ~?」と思うことはしばしばありますが、それは自分がしなかっただけであり出来ないわけじゃなかったのです。

    工場勤務していた時代は、嫌われるようなことばかりしていた自分を何とかしたいと思い、みんなの話に合わせるように努力していましたが、話の内容に付いていけなかったのも事実です。 しかし、自分の話について来れない人を、「魂の位が低いからだ。」なんて言うのは考え方が奢りすぎです。

    私は今考えてみても、自分がいるべき位置にいなかったとか~いるべき場所に居なかったと言うのが、一番のミスであり自分の努力不足だと反省しています。

    美容室へ魚を買いに行ってもありませんし、家具屋さんへ本を買いに行ってもありません。 それと同じで、自分だけが得をすればイイと言う考えで弱い者いじめばかりする人が集まっている場所で、マザーテレサの話をする「私があほやねん」と言う感じです。

    自分の考え方を理解してもらえない時は辛いと思いますし、「どうにかならないの?」と考え込んでしまうかもしれません。 どうにもならない時って言うのは我慢できないくらい辛い時期ですが、それは誰にもありうることなのです。 どんなに運の良い人であっても「待つ時期&耐える時期」と言うのは確実にあります。

    ところが、その時期をどう過ごしていくのかと言うので、その後の運命が変わってくるのです。 本当に成功する人と言うのは「待つ以外は何も出来ない」と言うのを、理屈ではなく本能的にわかっているのです。

    ただし、この待つと言う時期に待ちきれずにあきらめたり放棄してしまうのが、一番残念なことです。 (あきらめと言うのは、日常的な後退と同じだと考えてくださいね。)

    運命とは自分のしたことが自分に返ってくるだけであり、何もしていないことが自分に跳ね返ってくることはありえないのです。 

    あなたが誰かに尽くす未来を選んだとしたなら、それは誰かがあなたに尽くしてくれる未来を選んだのと同じであり、運命があなたのことを忘れてしまうなんてありえないと言う未来を選んだのと同じです。

    物事とは、人の為にしていることが自分の為になっていたと言うことが多いので、自分の為になると言う私利私欲を捨てていると、返って自分の為になったりします。

    私がログに医学系のことを書く時には、ログで発表した後に必ず某医学博士に確認をお願いしています。 医学的なことについては間違いは許されないし、間違った治療方法やアドバイスでは薬ではなく毒になるかもしれません。

    では、なぜ某医学博士は気持ちよく監修してくれるかと言えば、「山崎さんのログを見ていると、患者様&一般の人に説明するのにはこう言えば良いのかと言う発見がある。」 こう言われたことがあります。 つまり、この方にとっては専門用語をなるべく排除してわかりやすく説明するという点で、「人の為に監修しているのですが、自分の知識にもなる。」と言うことになります。

    マイクロソフトのビル・ゲイツ氏は、「こんないいものは、全世界に広めたい。」と言う考えで今までやってきました。 結果としてお金持ちにはなりましたが、自分の為にお金を使うことは余りなく、稼いだお金も寄付したり会社の資金として使ったりしています。 (さすがのビル・ゲイツ氏でも、誰にも相手にされずにあきらめかけた時期だってあるのです。)

    辛い時期と言うのは誰でもあるのだから、今はタマタマその順番が自分に回ってきただけで、いつまでも辛い時期は続かないと思っていただきたいのです。 辛い順番がきたと言うことは、今度は幸せになる時期がくる番だと言うことであり、楽しい想像ができる人は「もうすぐ幸運が回ってくる!」と思ってくださいね。

    注:私はヒマでヒマですることが無いけれど、あきらめずに事務所に出ています。 予約の電話がゼロでも~予約のお客様がゼロでも、どうにかこうにか生きています。(笑)

    もしも、「待っているけれど、全然来ない!」と思うのであれば、次に打つ手はひとつだけです。

    チャンスが見つからなければ、自分から見つけに行く。
    チャンスが来なければ、自分から出迎えに行く。

    恋するチャンスがないと思うのであれば、まず友人知人を増やしてから恋の話を進めるようにする。 誰も知らないし誰とも話をしないという状態で、恋をしようと言うのは無理だと思います。 しかし、誰かと話したり会ったりするようになれば、そこから運命の糸がどこへつながっているかわからないのです。

    あなたは待つ時期の過ごし方を、どのように考えていますか?

    (・_・?)アレッ?


    お知らせ:明日は東京出張の為、17&18日のログはお休みします。 鑑定は18日(月)の午後より~ログの更新は19日(火)より再開いたします。 いつも御覧いただき、ありがとうございます。 m(__)m

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    損得。

    人間の顔の存在とは考えてみると実に不思議なのですが、直径で言うと約24~35cmの輪郭に目~鼻~口~耳と言うパーツが全て収まり、しかも大きさの大小や形の違いはあれど機能は全て同じで、存在する場所もそんなに違いません。 (目が足の裏にある、なんて人はいませんから。)

    いくら顔が似ていると言っても、そんなにたくさんのソックリさんはいないし、世界の人口は60億人以上いるのに、すぐに判別できるなんてすごいことです。

    それと同じく、モノの考え方と言うのは色々あるけれど、実際に良い考えを実践できる人は少なくて、実践できたら「人格者」と呼ばれるほど難しいことなのです。 しかし、それを今すぐに実践しようと思うなら、一番簡単なのは相手のことを「認める」 このヒトコトにつきます。

    自分の意見を引っ込めろと言うのではなく、相手の意見も尊重して自分の意見も尊重する。 そして自分の考えとして「まず、相手を尊敬してみる」と言う所から入れば、少なくとも秩序は保てると思うのです。 相手が言いたいことを言って~自分も言いたいことを言う、これを繰り返して最後に残るのは「争い」と言うことしかないのです。

    相手のことを認めてあげれば、少なくとも摩擦は減ってきます。

    そうなると相手の方にも聞くと言う余裕ができるかもしれないので、そこで話し合いの余地ができるかもしれません。 ただし、聞く耳を持たないと言う言葉があるように、いくら言っても無理な人は無理なので、「ソコソコで付き合いを辞める」というのもひとつの真実です。

    素直な心と言うのがあれば人はいくらでも吸収と成長ができるのですが、人の揚げ足を取ったり自分の要求ばかり言っていると、誰にも相手にされない裸の王様が出来上がるのです。 私自身が人の嫌がることばかり言っていたので、誰にも相手にされない辛さはわかるし、嫌なことを言ったお釣りの怖さも判るのです。

    素直な心と言うのは非常に尊いモノだと言っていいのですが、それは簡単には手に出来ない宝物だからです。 それを手に入れることが出来たなら、自然と毎日「今日は素直に…。」や「今日も素直に…。」とか「」今日こそは素直に…。」と、自然に思い始めている自分がいるはずです。

    人生において損得は余り関係なく、最後の方では意外と辻褄が合ってくるのです。 損したとか、得したとか、そういう視点で見ていると一部分のことしか見えなくなり、もう損得勘定の世界に思考が入ってしまうのです。

    例えば、5年前にプラズマTVを100万円で買ったとします。 それが2年経ち~3年経ちとするうちに、80万円~50万円~30万円と値下がりしてきたとします。 これを「損した。」と考えているようでは、先に買った人は損と言う視点でしかモノを見ていないことになります。

    何の世界でも分野でも先駆者と言うのはいるもので、最初に買う人がいることにより利益が出て、そのおかげで大量生産の体制が出来てくるのです。 車の場合でも、最初に買った人が不具合を報告して、それをメーカーが改良していくことにより品質向上するのです。

    つまり、最初に買った人は社会の貢献者としての意味合いがあり、決して損をしたなどと考える必要は無いのです。

    逆に胸を張って「自分が買ったから品質改良ができて、更には価格を下げることが出来た。」と言っていいと思うのです。 世の中と言うのは発展し続けると言う幻想があり、それがいつまで続くかは誰も想像できません。 しかし、品質の改良や便利さの追求と言う流れは、人類がいる以上は留まる所を知りません。

    先にやる人がいるから後続が出ると言うのは、プロ野球を見ればよくわかります。 メジャーに挑戦する勇気のない選手でも、自分より実績の無い選手がメジャーで成功したら「俺にも出来る」と直ちに方針転換します。 「私はメジャーに行かず、この球団で選手生活を終えます。」と言った選手が、舌の根も乾かないうちにメジャーに行ってしまう。 それが男の生き方としてカッコいいかどうか?は、ファンが決めることです。

    素直な心があれば自然体で生きていけるから、幸福とは普通であると言うことが理解できるようになり、ますます幸せを感じるようになるのです。

    物事には近道と言うのが余り無く、正直に生きると言うのが一番の早道だったりします。 雨が降れば傘を差すように、のどが渇けば水を飲むように、自然とする行為と言うのが人間の本能と共に、自然の流れと言うことにも気が付かないと、別な意味で損をするかもしれません。

    カレーの写真をいくら見たところで、その辛さはわかりません。 しかし、一口食べてみれば、すぐにどれくらい「辛いか?」はわかるのです。 いくら想像したところで結果はわかりませんが、実際に行動してみるとすぐに結果はでます。

    あなたは素直な心で、自然の流れを受け入れることが出来ますか?

    ( ・◇・)~?~(・◇・ )

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    バレンタイン。

    今日は女性から男性へ愛を告白する日と言われていますが、勇気を出して告白する準備は整っていますか?

    バレンタインデー(セントバレンタインデー)は2月14日に祝われる行事で、世界各地で愛の誓いの日とされています。 もともとは、269年にローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ウァレンティヌス(テルニのバレンタイン)に由来する記念日であるとされています。

    ここで、バレンタインの歴史を少々振り返ってみると、ローマ時代まで遡る必要があります。 その当時のローマで2月14日と言うのは、女神ユノの祝日でした。 ユノとは全ての神の女王であり、家庭と結婚の神でもあります。 そして翌日2月15日は豊作を祈願する、ルペルウカリア祭の始まる日でした。

    この時代は男性と女性の生活は別々だったのですが、祭りの前日に女性が紙に名前を書いてお札を作り、それを桶の中に入れておくことになっていました。

    翌日に男性が桶の中からそのお札を1枚引いて、祭りの期間中一緒に居る男女のペアを決めていったのです。 当然のことですが、祭りの間中一緒に居ることで親密になり恋に落ちて、そのまま恋人~結婚と言う道を辿るカップルが多かったのです。

    ただし、これは表向きの良い方の話であり、バレンタインデーに刻まれた裏の話もあります。

    ローマ帝国皇帝のクラウディウス2世は故郷に恋人がいると兵士の士気が下がるという理由で、ローマ兵士の婚姻を禁止しておりました。

    ところがキリスト司教だったウァレンティヌス(バレンタイン)は秘密裏に兵士を結婚させたのですが、それがわかって捕まり処刑されました。 その処刑の日こそユノの祝日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれたのです。

    このように、ウァレンティヌスはルペルカリア祭に捧げる生贄とされてしまったのです。

    ただし、この話には更に裏があり、ルペルカリア祭により男女の仲が親密になるのを防ぎたい人たちが、裏で糸を引いて処刑されるようにしたと言う説もあります。 この辺に纏わる話をすると、スピリチュアル系の愛に関する話の矛盾を突くようになるし、宗教などの話もしないといけなくなり長くなるので、また次の機会に書きます。

    さて、2月14日はバレンタインデーですが、このイベントを面倒くさいと思う人は恋愛を面倒くさいと思う人なのかもしれません。 実は某国では、人との出会いや記念日に意味付けをすることが多いので、面倒くさがり屋の人はとても出来ないと思います。

    まず、2月14日がバレンタインデーで3月14日がホワイトデーと言うのは一般的なので、誰でも知っているとは思いますが某国ではこれだけではありません。

    4月14日はブラックデー
    5月14日はイエローデー
    6月14日はキスデー
    7月14日はシルバーデー
    8月14日はグリーンデー
    9月14日はミュージックデー
    10月14日はワインデー
    11月14日はオレンジデー
    12月14日はハグデー
    1月14日はダイアリーデー

    これに年末年始のイベントを加え、勿論のことですがクリスマスもあります。 某国では人との出会いを大切にする意味で、100日記念と言って出会って100日目を記念とするのもあります。 これだけあると、面倒くさがりの人では恋愛できないし忘れることもありますから、お互い大変かもしれません。

    なお、全部の意味を書いていると長くなりすぎるので省きますが、ひとつだけ書くと「ブラックデー」と言うのはバレンタインやホワイトデーなど記念日に関して一切縁のない人が残念会としてする日と考えてもいいと思います。

    不思議な法則みたいなものですが、「マメな人はモテル」 これは性別に関係なく、相手のことを気遣い&敬いと言う感じでいるから、少なくとも悪い印象を与えることは無いのです。 日本は資本主義社会だから企業の戦略と言う声があるのも否めないのですが、バレンタインは「好きな人に告白するチャンス」を作ってくれたと前向きに考えるのもいいと思うのです。

    私は年間通じて色々な人を拝見させていただいておりますが、男性が貰った瞬間を視ると60~70%くらいの男性は単純に嬉しいと感じているようです。 たとえ義理チョコと言えど喜んでいる姿の男性を視ると、人間関係の潤滑油として考えればいいのかもしれません。

    あなたはチャンスをものにして、好きな人に気持ちを伝えられていますか?

    (=´∇`=)ツタワルニャ~ン♪

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    場所。

    占いが嫌いな人でも意識していない人でもラッキーと言う、運の良し悪しを感じることはあると思います。 人は自分の思い通りに行かないからこそ、人生を悪戦苦闘しながら生きているのであり、そこに努力のしがいもあると思うのです。

    人間関係でもそうですが、暗い顔をしている人と明るい顔をしている人では、どちらが良い雰囲気かと言えば明るい顔の方です。 暗い顔をしていると雰囲気まで暗くなり、運の方もナントカしてあげたいと言う気が失せてしまうのかもしれません。

    運の良い人や調子の良い人を見ると、「何であの人だけ?」と思うかもしれませんが、基本的に「ツキ」とは悲観的な人には行かずに楽観的な人に行くものです。 くよくよしても始まらないから、自分にできることをして天命に任せようと、ある程度は気楽にしていた方が好結果がでることが多いと思います。

    ただし、これは誰しも判っているのだけれど簡単にできないと言うジレンマもあります。 ポジティブにとか、前向きにとか、掛け声をかけるのは簡単だけれども、実行できないからこそ人は悩むのです。

    確信と妄想は紙一重と言うように、「自分はこうなる!」と思い込んでいてもそうなるとは限らないのです。 しかし、あきらめずにその方向へ向かって進んでいける人は、途中投げをしない以上は完成もしくは成功しかありえなくなります。

    もしも100の実力があっても発揮できずに50の力でやり終えてしまうと、実力があるにもかかわらずダメと言う烙印を押されてしまうかもしれません。 ところが、最初はその実力が無くても、やり続けているうちにいつの間にかその実力の域にまで達していることさえあるのです。

    あなたの周りにマイナス思考の人とプラス思考の人がいたなら、どちらが魅力的に見えるかと言えばよほど変な人でない限りはプラス思考の人です。 プラス思考でいるからこそ、「人や運」など良いことがドンドンと寄っていくのです。

    私は365日年中無休ですが実際には予約ゼロの日も多いので、休みと明記してはいないけれど事務所にいるだけでほぼ休みに近い状態があります。 しかし、それは意図的な休みではなく運命が自然と休みをくれているのだと解釈して、それに従い掃除をしたりログを書いたり~それでもすることがなければ早めに家に帰り身体を休めるようにしているのです。

    例え嫌なことがあっても、それを良い方に解釈できればそれは幸せにつながるかもしれないのです。 もっと毎日起きる出来事を楽しんで過ごせるように、努力するのも必要ではないのかと思います。

    人の心は複雑であり、自分にイイことがあったなら祝福してもらいたいけれど、人にイイことがあったなら「おめでとう」と素直に言えないかもしれない。 本当はおめでとうと言ってあげるのがイイことだとわかっていても、実際にそれを言う場面では自分が不幸な時であることが多いので、懐の深さや慈愛の精神がなければ難しいのです。

    多くの場合、何かイイことがあっても「いつまでもラッキーは続かない」とつい思ってしまうかもしれない。 それは人の心理としては仕方がないのですが、自分の利益につながらないことを素直に祝福できる人の方が確かに少数派です。

    しかし、ここで考え方を少し変えてみて欲しいのですが、「朱に交われば赤くなる」と言うことわざがあるように、幸運なことが起こった人やラッキーな人の側にいられるからこそ、祝福してあげるような場面に遭遇するのです。 と言うことは、次にラッキーなことや祝福されるべきことが起こるのは、あなたかもしれないのです。

    よく考えてみると祝福されるべき人が出たと言うことは、そういう環境が整っていたり~そういうチャンスが巡ってくる場所に、あなた自身がにいると言うことです。 だったら、次は自分の番だとばかりに努力してみるのも、あながち外れではないのです。

    わかりやすく言うと「宝くじ売り場」が、その最たる場所のひとつです。 年末ジャンボなどで一等前後賞3億円が出た売り場と言う看板が出ていたり、その売り場が紹介されたりすると買いに行く人が多いと思いますが、それこそ幸運があった場所だからと後追いをしていることに他ならないのです。

    では、3億円当たった売り場だからとあやかろうとするのなら、身の回りで良いことがあった人を素直に祝福してあげるのも、それと同じことになるのです。 イイことがあった人を素直に祝福すると、その幸運が次はあなたを指名するかもしれないのに、その指名のチャンスを辞退しているようでは損だと思うのです。

    準備の無い所に幸運は来ないのですが、それはパーティの準備をしていないのに誰も来ないのと同じです。 あなたがパーティをするのなら会場や料理やイベントなどをキチンと準備して、さらに案内状を出してお客様が来るのを迎えると思いますが、それが幸運を招くひとつの方法です。

    準備もせずに「幸運の女神」を待っていても、通り過ぎるだけなのです。

    あなたは幸運を迎え入れる準備が、キチンと出来ていますか?

    ハニャフニャ? (’▽‘;;)

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    長。

    おはようございます。 今日から連休明けで体が本調子でない人もいると思いますが、元気で素敵な一日になれたら幸せですね。 人間関係で悩んでいる人は、「あぁ~、また今日もあの人の顔を見なきゃいけない…。」と考えずに、自分のペースを守って欲しいと思います。

    自分だけではなく社会生活の中で人間関係を悩む人は多く、その中でも自分は嫌われているのではないのかと言う、疑心暗鬼が心の中に渦巻いていると不安で仕方がなくなります。 特に仕事と恋愛においては常に人間関係と言うものが間にあって、それが摩擦を起こしたり潤滑油になったりして毎日の日々を形成しています。

    私はいつも思うのですが、恋愛に関しては「プライベートだから本人次第」と言われても仕方がありません。 しかし、会社やお店など仕事における人間関係に関しては、上に立つ人が「ナントカしないといけない」 そういう場面で逃げているから会社やお店の中はごたついて、荒んだ状況になりダメになることも多いのです。

    「長」と言う言葉を辞書で引くと「おさ」とか「ちょう」と読み、多くの人の上に立って統率する人で、頭(かしら)とも呼ばれると書いてあります。 言われてみれば「店長~課長~部長~社長など」 役職名に長と漢字が付く人は何らかの責任の所在を表す為によく使われています。

    人の上に立つと言うことは腰を低くしなさいと言われる場合が多く、「実るほど頭をたれる稲穂かな」とことわざになるくらいです。 しかし、人の心理はそんなに簡単ではなく、自分が特別扱いされることに優越感を感じてしまうのも、またひとつの真実なのです。

    私がサラリーマン時代に経験したことのひとつに、同じ部署で働いていた上司が「リーダー」と言う役職から「班長」と言う役職に上がりました。 そしてその時に今まで「○○さん」と名前で呼んでいたのに、全員が「班長」と役職名で呼び始めました。 そして、自分より下の者が知らずに「○○さん」と名前で呼ぼうモノなら、「班長だ。」とイチイチ説教していました。

    注:これは男性によく起こる現象なのですが自分の役職が上がると、いつでもどこでも偉くなったように思い込むのです。 役職名で呼ばれて優越感を感じている男性のどこに魅力があるのか、私にはよくわかりません。 私は役職名ではなく、自分と言う人間を見て欲しいと思いますが、人にはそれぞれ考え方があるので正解⇔不正解はありません。

    私は経営者の人が相談に来たなら、「従業員の人を大切にしてください」と言います。 これは当たり前ですが、自分が社長と言えるのは従業員の人がいてくれるからであり、自分ひとりじゃ何も出来ないからです。

    TVなんかでもヤラセかどうかは別にして、従業員を怒ったり~怒鳴ったりしているシーンがありますが、そういう行為をしている傍若無人な社長に聞きたいことがあります。

    「従業員の方は、怒鳴られたり~怒られたり~八つ当たりされたりしますが、それはちゃんと追加賃金を出しているんですね?」 これは当たり前の話で、社長が従業員を怒ると言うのは、「怒り賃」や「怒鳴り賃」や「八つ当たり賃」などを支払っていないなら怒ってはいけません。

    こう言うと「仕事を覚えない」とか「何回教えてもミスをする」など、色々と筋が通ったようなことを言います。 しかし、それを言った本人に「雇用したのは誰ですか?」と聞いたら、初めて責任の所在が自分にあるというのに気付くようです。

    従業員の人は一生懸命に働いて社長の命令に限らず上司の言うことを聞いて、ちゃんと仕事をしようとしているのに、やる気をそぐようなことをしてはいけません。 「長」と付く場合は、その部署や立場においてトップと言うことです。 ならば、社の長である「社長」が怒ったり怒鳴ったりしていたら、会社内が上手く回るわけはないのです。

    どんな会社~どんなお店の社長(トップ)でも、当然ですが給料は従業員より高く設定してあるのが普通であり、それは別に悪いわけじゃありません。

    ただし、社長の中で万が一にも「ワシの給料は安い」と言う人がいるのなら、そりゃ「忍耐料や我慢料」が賃金として入っていないからです。 社長の給料が高いのは「忍耐料、もしくは我慢料」が、「目に見えない賃金」として入っているから高いのです。

    仮にも社長と言うのなら、自分の給料が安いのは自分の能力不足であると認める度量が必要です。 そして、その能力とは「技術なのか~人身掌握なのか~経営方針なのか~?」 その足りない部分に気が付くのも、社長の仕事のひとつです。

    これは経営者だけなく、人として生きていく上でも通じることですが、相手に好かれようと意気込んでも、無理な時は無理だし~上手く行く時は上手く行きます。 しかし、何もしなくていいわけではなく、人間関係の潤滑油は常に注いでおかないとすぐに切れてしまいます。 全部は出来なくてもいいので、とりあえず3つだけでもして欲しいことがあります。

    ①:相手の良いところを見つけて、褒めてあげる。
    ②:何かしてくれたら、「ありがとう」と感謝の気持ちを示す。
    ③:相手が自分の頼みごと(依頼)を出来なくても、怒らず平常心でいる。

    この3つだけでもできたら、人間関係で悩むことは3割は減ると思うのです。

    あなたは「長」たる立場にいるべき実力を、キチンと身につけていますか?

    ~m( --)m (/;°ロ°)/ アリャー

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    お金考~③。

    おはようございます。 今日は連休最終日なので、身体を休めたり満喫したりと使い方はさまざまですが、今日も素敵な一日となりますようにお祈りいたしております。 先日は昼から広島のお客様のところへ出張カウンセリングに行って参りましたが、もしかしたら次は広島出張が増えるかもしれません…。 (?O?)

    さて、お金考もいよいよラストのお話ですが、「お金で苦労するのは自分のせいであり、誰のせいでもない。」と言うのが、今まで私が生きてきた中で感じたことです。

    金運があるとか~金運がないとか言う前に、日本に生まれて目が見えて耳が聞こえて話が出来て、五体満足で自由に動けると言うこと自体がすばらしい幸運なのですが、それに対して恩恵を感じないのは現状が恵まれているからです。

    今を幸せと思えず幸福を追い求めるのは、運命のイタズラがあっても仕方がないのです。 運命が良いようにしてくれているのに感謝しないでいると、今と言う現状ですらありがたいと思えるような状態にして「感謝の気持ちを思い出させる」ような出来事を起こすのではないのかと感じる時があります。

    「お金を儲けたいなら、他の誰かを喜ばせる。」

    自分ではない他の誰かの心に感動を齎すことが出来たなら、それはあなたの幸せにもなるのです。 レストランでもいいし~洋服販売でもいいし~エステでも職種は問わず、利益優先のお店とサービス優先のお店では、一時的には利益優先が勝ちますが最後に笑うのはサービス優先のお店だと思います。

    確かに「利益が出なけりゃ、お店はやっていけない。」と言うのは真実であり、経営者としては当然の考えと言うか戦略だと思います。 しかし、どうやれば儲かるかとか~どうやれば売れるかなんて考えているようでは、どこかに手抜きが出てきてしまうものです。

    お金とは基本的に労働対価であり、努力報酬だと思います。

    つまり、稼ごうとか儲けようと思わなくても、良い品物や良いサービスにはお金を支払いたくなるのです。 お金のことを考える時に儲かったという結果を重視して、誰かの笑顔があるというプロセスをほっとくようでは、お金の方も相手にしてくれなくなるのです。

    損得勘定を抜きにしてサービスを考えて、お金は後からついてくるという姿勢でいるのなら、運命が見捨てるはずがないのです。 人の役に立ち~誰かを笑顔にすると言うことを繰り返していたら「お客様に必要」とされるのだから、その会社やお店が潰れるはずがないのです。

    もしも、お金考(①~②~③)に書いてきたようなことをしているのに、お金がなくて貧乏だと言うのならば、それは職業選択のやり方を間違っているからです。 営業向きの人が事務職についても、才能的には活き活きできないで燻ることになるかもしれません。

    例えば、浜崎あゆみにメジャーリーグに行って200本安打を達成しろと言ってもできないし、イチロー選手にドームツアーをするくらいの歌手になれと言っても無理です。

    浜崎あゆみは歌手だからこそ、人に感動を与えたり喜びを与えることができる。
    イチロー選手はメジャーリーガーだからこそ、人を引き付ける魅力を発揮できる。

    自分に応じた場所にいるのなら、それは運命が後押しをしないはずはないのですが、自分でこれが正しいと思い込んで運命を無視していると、いつまで経っても浮かばれないかもしれません。

    私自身が良い例ですが、昔の私が工場や建設現場で働いていたと言うのを「信じられない!」と言う人が多いですが、それは紛れもない真実です。 しかし、建設現場時代はいじめは勿論のこと、収入面でも生きていくのが精一杯と言う状態でよくやれたと言うのが実感です。 (建設現場時代の私は、スキンヘッドにマユ無しでした。)

    注:私が関わった建設現場のひとつが、「県庁の星」と言う映画のロケに使われました。 あの建物の型枠~鉄筋~電気など~その他をしていたのですが、柴崎コウが倉庫で脚立に乗っているシーンや、織田裕二が1F厨房にいるシーンを見ると、あの時代のことを思い出して悲しくなります。 だから、あの映画を見ると自然に泣けてきます。 (T_T)

    苦労するのは自分が間違った道を行くからと言うのは、私自身が間違いだらけで人生の修正をできない苦労があったからです。 お客様には、そんな苦労はして欲しくないし、できることなら毎日を楽しく過ごして欲しいと願うのです。

    すごい才能を持ちながら、その才能を発揮できないのでは勿体無いし、才能が活かせさえすれば人生はバラ色になる可能性が残されています。

    お金と言うのは「あぶく銭」と言う言葉があるように、宝くじで1億円当たった人はお金持ちにはなれるけれど、品格(マナーや行ない)までは身に付きません。 一夜明けたら札束を持っていたというような人生では、「身に付く」と言う学びの部分がない為に人間的魅力に乏しいのです。

    しかし、額に汗して自ら稼いだお金を持つ人は、自分の力で作り上げた無限のストーリーを持っています。 そのストーリーを聞くだけでも人の心に感動が芽生えたり、勇気や元気の原動力になるかもしれません。 お金を手に入れる上で、そのお金にまつわる感動があるならば、人はあなたを応援すると思います。

    あなたはお金に好かれて、誰かの役に立つような物語を築いていけますか?

    アリガト(・Θ・)ピヨピヨ♪

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    お金考~②。

    さて、昨日の続きですが、お金が欲しいですか?と聞かれたら、「欲しい。」と答える人が多いと思います。 (ただし、お金を手に入れてから何に使うかと言うのは、人により欲しい対象が違うので千差万別だと思います。)

    ところが、1億円持っていても病気で起きることすら出来ない状態ならば、楽しいとも嬉しいとも思えない人が多いはずです。 お金を持っているだけで自由に使えない状態では、人の心は満たされないのです。 お金を使うと言う行為が出来て初めて心に喜びが出るのですが、いざ使うとなると「やっぱり、やめておこう。」と惜しんでしまうのです。

    お金は回した方が良いと言うことをよく耳にするのですが、自分のこととなると貯める方に気が向いてしまうが故に、逆にお金に嫌われてしまうと言うことの繰り返しなのです。 お金を貯めるのはいいけれど、ある程度貯まって生活にも困らないのなら、自分への御褒美と共に「誰かの為に使う」と言う考え方や行為も必要になってきます。

    少なくとも働けば労働報酬としてお金がもらえると言うのは、日本だからこそです。 海外の国では労働の対価として払ってもらえないとか、払ってくれてもスズメの涙と言うことが多いので注意が必要です。 (エチオピアの奴隷として働いている子供は、給料なんか貰っていません。)

    私は親子でも人生は別と言う話をよくしますが、親子&姉妹(兄弟)でも本人次第で運命は次々と変化していくので、戸籍上は親子&姉妹(兄弟)だけれど運命共同体ではありません。

    私の父を例にとると、父は親の金(遺産や年金など)を当てにして借金しまくりで何にも考えずに湯水のように使いたい放題に使い、いまだに借金生活です。 ところが伯父さん(父の兄)は堅実にお金を貯めて、お金には一切苦労せずに某県にて余生を過ごしています。 同じ兄弟でもこれだけ差があるのですから、運命は自分で切り開けるという良い例です。

    父親が「お金が無い。」とか「お金が必要だ。」とか、祖母や母に当り散らしているのを小学生など物心付いた時から見ているので、今の私が過去に戻れるのなら父に聞いてみたいことがあります。

    「何でお金がないの?」
    「何でお金が必要なの?」
    「何で健康なのに、働かないの?」

    何故こんな質問をして見たいのかと言えば、今の日本で50歳以上の人がお金がないと言うのは「生き方」において、どこかで道を間違えていると思うからです。

    私の父が「お金がいる」と言う時は、飲みに行って見栄を張って散財したり~車を次々と買い替えてローンの借り換えをしたり~仕事せずに家で遊んでいたり、そういうツケを払う時なのです。 (ここまで読んだら、お金が無いのは当たり前だと思う人がほとんどでは?)

    先ほどの3つの質問は、お金を稼いでいる人やお金に苦労していない人なら、すぐに答えられる質問ばかりです。

    まず、「何でお金がないの?」と言う質問ですが、お金が無いと言うことは「収入が少ないか? 支出が多いか?」 このどちらか以外はありえません。 月給10万円の収入がある人が9万円以内の生活水準を保っていたら、毎月1万円貯金できるので年間12万円貯金できます。 しかし、月給20万円でも20万円全部使っていたらお金は貯まりません。 これは子供でもわかる話ですが、大人でも実行できる人が少ないのです。

    次に「何でお金が必要なの?」と言う質問ですが、更に詳しく言うのなら、「それは必要なんですか?」と言う問いに置き換えてもいいくらいです。 買いたいと言う物欲は悪いことではありませんし、それを原動力にできるかもしれないのでイイことです。 しかし、今すぐにそれが必要かと言えば、そうでもないことが多いかもしれないのです。

    私の父に例えるなら「毎晩飲みに出る必要があるの?」「車を買い替える必要があるの?」と言う感じで、今は必要ないのに買うという行いが一番の問題なのです。

    最後に「何で健康なのに、働かないの?」と言う質問は、私が父にしたい質問の中で一番重要な部分です。 父は「あぁ痛い。」「あぁ疲れた。」など、都合がいい時は怠けていたのに遊びに行くとなれば元気に動いていたので、健康で自由に動けるなら何で働かないのといつも思っていました。 それを父に言うと「わしは~。」とすぐに言い訳をするか、「子供は黙っとれ!」と怒られるかのどちらかでした。

    今の私は父と同じように大人になって、更に年を重ねていくと言う時間の流れの中で、すごく感じることがあります。

    長くなるので、今日はここまでにします。 またまた、ごめんなさい。

    m(__)m スミマセン…。

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    お金考~①。

    今日の倉敷は、雪が振っています。 雪が降る中、わざわざお越しくださるお客様には大変感謝しております。 いつもありがとうと感謝するのですが、予約の電話をして~時間を作り~足を運んでいただける、これは奇跡に近い状態です。 日本には1億2千万人以上の人がいるのだから、常に「1億2千万分の①」が起こっているなんて奇跡だと思いませんか?

    私はアヤシイ?霊視カウンセラーなので、そんなに有名でもないし当たるわけでもない。 それでも何とか生きていけるのは、お越しくださるお客様が優しい心の持ち主ばかりで、そのおかげでやっていけるとしか言いようがないのです。 ちょっと仕事ができたり~人気が出たりして謙虚さを忘れた人には、後でお釣りが来る怖さがわからないから出来るだけなのかもしれません。

    さて、話は変わりますが、一般的には今日から3連休です。 いつものことですが、私は連休やイベント(お正月やバレンタインやGWやお盆など)の時期はものすごくヒマになります…、と言うわけで普段書かない話題を書いてみたいと思います。

    私は色々な御相談をお伺いするのが基本ではありますが、苦手な質問と言うか分野もあります。 「あなたの後ろには黒いカゲがぁ~!」とか「あなたの前世はお姫様だから、ブランド物に目が行くのよぉ~!」などと言うような話には付いていけないので、とても苦手です。 TVや雑誌でしていることを基準にするならスピリチュアルと私では、野球とテニスくらい違う内容と考えられます。

    では、ここから真面目なお話しですが、苦手と言えばお金儲けの話が苦手です。 それは何故かと言うと、「自分だけが儲かればイイ。」と言う考えでお越しになられると、予約を入れていただいている以上は全力を尽くしますが、何か割り切れないモノが心に残るのです。 この「自分だけ良ければイイ!」と言う考え方は悪くはないけれど、私は余り好きじゃないです。

    お金と言うのはあれば便利だし、貧乏が辛いと言うのは事実です。 お金が無くて心に傷を負うことだってあるし、お金が無くて大学や専門学校に行けないことだってあります。 お金はあれば便利だから、それは否定するものではありません。 しかし、お金があれば人生が絶対に幸せなのかと考えてみる時間を持てば、その意味や深みや味わいが違ってくるのではないかと思うのです。

    注:麒麟田村のホームレス中学生が貧乏なんて言われたら、私はどうなるのと言う感じです。 借金取りがきたら子供である私に応対させる父親と母親ですから、あんな笑える貧乏ならイイ方です。 (苦笑)

    お金お金とお金が欲しいと言う前に「お金が何で欲しいのか?」を考えて見ないと、お金に好かれないと思います。 お金で苦労する人と言うのは、お金が無くて当たり前と言う日常を送りながら、お金が無いと言う矛盾する言葉を発しているのです。

    例えば、あなたがアルバイトをしていたとします。 アルバイトは基本的に時給がいくらと言う契約になっているので、1時間が700円ならば~10時間働けば7000円になります。 そして5時間働いたなら3500円ですが、10時間働いた人と5時間働いた人に3500円の賃金格差がでるのは、誰も疑問をさしはさまないと思います。

    逆に、10時間働いても5時間働いても、一律で5000円ですと言う契約だったら、自分が5時間で5000円の部署で仕事をしたら得した気分になりますが、10時間で5000円の部署に回されたら損した気分になります。

    お金と言うのは不平等の上に成り立つものだと言うのが理解できていないと、自分はお金に縁がないと勘違いしてしまいます。 お金に縁がないのではなく、「お金を得ることに縁がない」のです。

    今の日本でお金を稼ぐのはそんなに難しいことではないのですが、楽してお金を稼ぎたいと言う考えだから難しく感じるのです。 「じゃあ、どうやってお金を稼いだらいいの?」と思うかもしれませんが、本業に加えてアルバイトをすれば自動的にお金は貯まります。

    例えば、朝5時から8時までコンビニでアルバイト。 9時から6時まで本業にて勤務して、夜7時から10時までファミレスでアルバイトすると言うのを1年間だけしたら、どれだけ貯金できるか普通に考えればわかります。 (これだけ仕事をしていたら、お金を使う暇がないので貯金は貯まる一方です。)

    特に男性でお金がないと言うのを口に出すのは話にならないと思いますが、それは日本が男尊女卑の国だからです。 男性は基本給や昇給や特別手当などが、どの会社でも女性より高く設定されていると思います。 ならば男性でお金が無いと言うのは、仕事をしていない~もしくは働いていないと自分で言っているようなものです。

    注:食事代を女性に払わすような男性が、未来で出世するかどうかは冷静に考えればわかることです。 おまけに別れたら今までのプレゼント代やデート代を請求してくる男性も、問題外で話になりません。 お金にケチをつける男性は、想いにもケチをつける人と思った方がいいです。

    よく考えてみればわかることですが、お金と言うのはそれ自体は何の価値も持っていないのですが、お金に対する意識が価値を生み出しているのです。 一万円札を見て一万円だと認識するから使用できるだけであり、単なる紙だと思われたら誰も受け取ってくれないし使用できないのです。

    つまり、お金と言うのはそれを持つ人間が、価値を決めているだけです

    人の心は欲深いものであり、お金が欲しいと言っても実は本心ではありません。 心の中にある本当の意味とは、健康で動けて年齢も若いと言う条件があって「それでお金があれば良い&お金が欲しい。」と言う部分が人の心には存在しているのです。

    長くなりそうなので、「明日へ続く。」です。

    ゴメンナサイ m(__)m あしたもよろしく~☆

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    チャンス。

    おはようございます。 今日は朝から気持ちの好いくらい日が射してきて、事務所内はとても明るいです。 この気持ち好さを感じていると、今日も良いことがありそうだとワクワクしてきます。

    人は出来ないことには二の足を踏むのですが、本当は出来ないことに無理を承知でする方が、経験を積むという点でもイイ思うのです。 挑戦する気持ちと言うのは何歳になっても持ち続けていただきたいし、新たなモノに目を向ける好奇心も大切にして欲しいのです。

    ただし、仕事でも何でも上を目指すのはいいことですが、人を蹴落としてまでやるものではないし、ズルイことや卑怯なことをしてまで上を目指すのは、アヤシイ?霊視カウンセラーとしてはお勧めできません。

    人には色々な考え方があるので「どんなことをしても…。」とか「どんな手を使っててでも…。」など自分のことしか考えずに突き進む人がいるのですが、それはそれでイイと思います。 自分がしたことは自分に返ってくるのが自然の流れであり、それに対して責任を取るのは自分であり、反省するとかしないとかは本人の考えです。 後で何が起ころうとも、不満を言うのは筋違いと言う覚悟があるはずです。

    話は戻りますが、何の分野においても「任せてください」と言って、自分の力を限界まで引き出そうとするなら、それは新しい世界に飛び込んだのと同じです。 誰しも自分の力を試してみたいと思うのですが、その後に起こる出来事を見てしまうと不安になるのは当たり前であり、当たり前のことなら心配しても仕方がないと割り切るのも必要です。

    国境なき医師団や海外青年協力隊など色々な場所へ行き、自分の力を試したいと思うのは素晴らしいことです。 人には才能や可能性があるのだから、その力を眠らせているのは勿体無いです。 運命は眠らせている才能がある人にはひとつの暗示をしてくれるのですが、その暗示とは「自分はもっと何かできることがあるのでは?」 自分の未来において何かやらなければならないことがあると、心が落ち着かなくなるのです。

    過去を振り返って後悔するような生き方をせず、未来に希望の光を灯せる生き方ができたなら、それは幸福を感じて知らない誰かに祝福されている気持ち好さがあると思います。

    その為にも「好奇心」を、自分の枠の中に収めてしまわずに解き放ってあげて欲しいのです。 医学や文学や科学など、何の分野でもいいから知りたい欲求を抑えることなく、興味のあることは調べると言う姿勢でいれば勉強が苦にならなくなります。

    好奇心の原動力と言うのは凄いものがあり、自分が興味のある対象について「知りたい」と言う欲求があるから人類は発展してきました。 好奇心とは形を変えても現れるモノであり、目標達成と言うのもひとつの好奇心の作用なのです。 それは「自分の力がどこまで通用するのか?」 これを知りたくなったら挑戦せずにはいられないのです。

    ただし、人がやって大まかな見当をつけてからするタイプと自分が先駆者となるタイプとに分かれるので、どちらを選ぶのかは本人次第です。

    「とにかくやってみよう!」と思ったなら、それは挑戦する機会を作れたと言うことであり、やらずに評論するよりも素晴らしいと思うのです。 取り掛かってしまえば意外と簡単に出来たりして拍子抜けすることがあるように、頭の中で壁を作っていると進めないだけなのです。

    任せてくださいと言えるようになるには自信が必要ですが、その自信とは何かをしていないと身に付かないのです。 何でもいいから成し遂げる、大きい小さいと言うことではなく毎週掃除をしようと決めたら続けるなど、ホンの些細なことでいいんです。

    チャンスが欲しいと思っている人は多いのですが、いざチャンスが巡ってきた時に回避したり拒絶したりと二の足を踏むのは損だと思います。 チャンスが来ても掴まないのは簡単ですが、通り過ぎた後に残るのは後悔でしかありえないのです。

    「もしも、あの時にやっていれば…?」 これだとチャンスを掴むことはできないのです。

    いざという時に、「自分はどれだけのことができるのだろう?」と好奇心を持ち、自発的に「任せてください!」と積極的に言える自分になって欲しいのです。 確かに自分が言った以上は途中で投げ出すことはできないし、チャンスを手にする以上は責任と結果が求められますが命まで取られるわけじゃないのです。

    そのプレッシャーを受け止めて、成し遂げたあなたは一段と成長できているはずです。

    今でもやる事が多くてこれ以上は仕事を増やせないとか、これ以上のことは自分ひとりでは無理だとか、やらない理由はいくらでもでてくるのです。 しかし、チャンスと言うのは暇な時には回ってこず、忙しい時こそ巡ってくるのです。 (繁盛しているお店はますます繁盛するけれど、ヒマなお店はますます暇になるのと同じです。)

    チャンスがきたら二の足を踏まずに、「いつでもどうぞ!」と言えるようでないと、次の展開が変わりようがないのです。 

    あなたは目の前にあるチャンスに対して、二の足を踏まずにモノにできますか?

    ~( ^▽^)∠※☆ 大丈夫でちゅ~☆

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    ごめんなさい。

    人間関係と言うのは不思議なもので、どんなに仲たがいしていても仲直りが出来たり、逆に仲が良く見えても表面だけの付き合いだったりと、裏表の意味はいざという場面が来ないとわからないのです。

    誰かと仲良くしたくても、怒らせてしまえば距離は遠のきます。 「言わなきゃよかった。」と思ってみたところで、もう言ってしまった以上は無理です。

    言葉は消せないので相手とイザコザになったなら、素直にごめんなさいと言って相手にボールを投げてしまう方が楽になれます。 ごめんなさいと言う相手を更に追い詰めるのは普通の神経では出来ませんが、それは良心の呵責が心に重く圧し掛かるからです。

    この「ごめんなさい」のヒトコトが言えたなら、どんなに楽だろうと思うことが人生においてはよくあります。 つい怒らせてしまったとか、つい気まずい関係になってしまったとか、心は謝りたいのに行動が伴わないばかりに辛い思いをしてしまうのです。

    人はひとりでは生きていけないのですが、プライドやその他の関係でついつい相手と対立してしまうのです。

    例えば、会社やお店が社長やオーナーの力で成功しているとか、維持できていると言うのは真実であり、否定するものではありません。 しかし、自分ひとりで何でも出来ているのかと言えばそうではなく、誰かの力のおかげで助かっている部分がどんな人でもあるのです。

    確かに努力や才能と言った自力があるのは誰も否定しないと思いますが、援助や協力といった他力の応援があるからこそ飛躍できると思うのです。 ならば、自分ひとりの力だと天狗にならず、良好な人間関係を作り上げる方が成功への早道だと思うのです。

    どんなに偉くなっても、人間はひとりでは生きていけないようになっています。

    お米を作る人がいるから御飯が食べられるし、電気を作る人がいるからPCだって使えるのです。 自分がどんなに偉いと言っても、地球上に自分ひとりしかいなければ話し相手すらいないのです。

    反省と言うのは人に言われてするものではなく、自分が気付いて自らすることに意味があるのです。 人に言われて嫌々反省するのなら、それは遺恨や怨恨など逆恨みにつながる場合もあります。

    おごり高ぶる裸の王様は別として、人間の成長と言うのは気付きにより起こるのが一番成長できます。 何かの優れたことを成し遂げようと思った時に、自分ひとりでやるよりも他人の力を借りてやる方が良いと判った時には、あなた自身の素晴らしい成長を同時に成し遂げているのです。

    「頼るな」と言う人は自分の生き方を貫けばイイだけなので横へ置いといて、本当に成功したいとか~人に囲まれた人生を送りたいと思うのならば、誰かに頼るとか~力を借りると言うことを気持ちよくできるようになってくださいね。

    あなたが誰かを頼ると言うのは、その人の力が必要だということです。 しかし、誰かにあなたが頼られるということは、あなたの力がその人にとって必要だということです。

    必要とされているのに「嫌だ~嫌だ」と言っていると、「じゃあ、いいよ。」と相手にされなくなります。 人との行き違いは必ず怒りと言うものを間に入れてしまい、片方が怒りを秘めていたなら以心伝心で伝わってしまいます。

    激怒している時と言うのは、冷静な判断が下せない時でもあるので要注意です。

    それは嵐の夜に船を沖に向けて漕ぎ出すようなものであり、無謀と言うよりほかない行為です。 ラブレターを夜書いたなら、朝起きてから読んで見て出せという言葉があるように、舞い上がったり~頭に血が上っている時には冷静な判断が下せないのです。

    どんな人であろうとも、心根に良心と言うものを持ってこの世に生まれてきたはずですが、その良心をどこかに置き忘れてきた人が私利私欲の道に走ることになります。 誠に持って、怒りと言うのは無謀なことから始まって、後悔を経験してから終わりを告げるのです。

    いつの世も人類の発展と言うのは摩擦から起きるものですが、それは天才が天才を~ダイヤモンドがダイヤモンドを磨くと言う感じで、お互いが同じ土俵でないとできないことなのです。

    ならば、怒りの人達よりも楽天的で友好的な人達との絆を深める方が、イイと思うのです。

    あなたは怒りのコントロールがキチンとできて、素直にごめんなさいと言えますか?

    ( ̄◇ ̄)ゞ スンマソーン

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    好きな人。

    恋する感覚は人により違いがあるのですが、好きな人が出来た時も同じです。 運命と感じるショックも一人一人違いますし、相手の好きと自分の好きはその中身が違うかも知れないのです。

    ただし、好きな人と会えないのが「辛い」と言えるのは、「好きな人がいる」からこそ言える言葉です。

    あなたと会えない日々が続くと、辛い気持ちや悲しい気持ちが交差して、「いつ会えるのかな?」と思い続けて1ヶ月が経つ。 ようやく会えたら嬉しくて、その想いも一日で解決しちゃった。 心の元気は言葉じゃなくて、目の前に好きな人がいるだけで解決することもあります。

    恋するあなたは素敵に輝いているのですが、恋をしていない時は現実しか見れない時期かもしれない。 しかし、恋に苦しんでいる時は悲しいけれど、至福の時でもあるので一概に悪いとは言えません。

    それよりもっと悲しいのは、好きな人がいないと言うこと。
    好きな人がいないのは、心に誰も住み着いていないと言うこと。
    心の中に誰もいないと言うのは、視野が狭くなっているのに気が付いていないと言うこと。

    恋する女性の中にある気持ちは、「あきらめと期待」がせわしく往復しているのです。 行ったり来たりしているのに気が付かない、そんな男性は鈍感な自分にすら気付いていないのです。

    時には、「好きな気持ちが、どっかに行ってくれたらいいのになぁ~。」と思うことがあるし、「あなたがいるから、寂しい想いをするんだよっ。」なんて愚痴のひとつもこぼれたりもする。

    もしかしたら、彼はわたしのことを好きじゃないのかな。
    もしかしたら、彼はわたし以外の誰かとデートしているのかな。
    もしかしたら、彼はわたしじゃなくても生きていけるのかな。

    つい、なんでもかんでも悪い方へ考えてしまうのは、あなたのことが好きで好きでたまらないから、わたしのことをもっと見て欲しいから、そう思うんだよ。 あなたがわたしのこと好きだと信じたいし、わたしのこと好きだからキスしてくれたと信じているの。

    でもね、言葉が少なくなると不安になるの。

    探し続けているのは、あなたの影じゃなくてあなたの想い。 ハッピーな気分になれるのは宝探しと同じくらいで、見つけた時の嬉しさは言葉で言い表せないくらい。 あなたが思い浮かべる幸せの中にわたしの姿があって、わたしが思い浮かべる幸せの中にもあなたの姿があって、お互いが笑顔でいられるのが一番イイ!

    女の子がね、誰でもいいからそばにいて欲しいって台詞を言う時は、いつだって特定の人がいる時なの。 本当に誰でもいいわけじゃなくて、彼に会いたい~彼に声をかけられたい~彼に抱きしめられたい。 彼への想いが一杯だからこそ、逆にそう想ってしまうの。

    奇跡が起こってくれたら…。
    偶然が起こってくれたら…。

    友達との話の中で「運命の人」の話がでるのね、そんな時にみんなは「どこにいるのかな?」と探しているけれど、わたしは胸を張ってあなただと言えるから。 あなたにもそういうことを聞かれる時が来たなら、わたしのことを運命の人だって言ってくれると信じているの。

    見上げた時の爽快な青空、いつも行くコンビニや待ち合わせに使う駅前。 何気ない景色だけれど、あなたがいると考えるだけで~あなたと一緒に行くと考えるだけで、いつも特別な場所に変身する。 あなたがいると言うのは、私の人生に魔法をかけてくれることだから、わたしの幸せの基準て言うのは「あなた」のこと。

    恋って言うのは、ふるよりもふられる方が辛いって言うから、もしもわたしとはもう駄目だと思ったなら、遠慮なくふってね。 あなたが辛い思いをするくらいなら、私がふられる方がよかったと思える人だから。

    わたしがあなたと別れるなんて想像もできないけれど、別れた後のことは簡単に想像できてしまう…。

    もしも、他の人と付き合ったとしても、話し方やちょっとした仕草や癖なんかが気になって仕方がないし、多分抱きしめられた時に違うって想ってしまう。 そんな違和感を抱くくらいなら、次の人とは付き合えないなって考えてしまうわたしがいる。

    恋が上手く行く人と言うのは優しい人だと思うけれど、優しい人と言うのは勇気がある人で、キチンと向き合うことができる人なんだ。 ゴマカしたりそっぽ向いたりせずに、わたしの方をちゃんと見てくれる人だから、そんなあなたを好きになれるし~好きなままでいられるんです。

    どんな素敵な想い出でもあなたと一緒じゃないのなら、心にしまっておく方がいいのかも知れない…。

    あなたの運命の人は、あなたを見つけ出してくれると思いますか?

    (TεT) イイサ… ρ(。。)イジイジ

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    アグネス。

    ある仲の好い夫婦(ニコラとドラナ)に、ひとりの女の子が授かりました。 その女の子はアグネス・ゴンジャ・ボヤジューと名づけられ、長女アガタや長男ラザロにもかわいがられてすくすくと育ちました。 父親は実業家(建設業など)なので裕福でしたし、母親はボランティア活動にも熱心で人に対する愛情も豊かな家族でした。

    ところが9歳の時に朝は元気だった父ニコラが、その日の夕方に血を吐いて亡くなってしまいます。 余りの急変ぶりに周囲の人々は毒殺の疑いさえ持つほどでしたが、それと言うのも一夜にしてボヤジュー家の財産は共同経営者に取り上げられてしまったからです。

    アグネスは生まれてから裕福で何不自由しない生活だったのに、9歳の時に父の急死により一夜にして何も持たない者へと変わってしまいました。 幼いアグネスが心の中で何を思ったのかは誰にも計り知れませんが、幸福とは儚いモノであり永遠ではないと知ったと思います。

    夫二コラを失った妻ドラナは悲しみにくれて、しばらくの間は長女アガタが生活における家事全般をしていたようです。 しかし、神様と言うのか~運命と言うのか、捨てる神あれば拾う神ありです。 母親のドラナは精神が落ち着いた後は主婦で働いたこともなかったのに、刺繍製品の取り扱いを始めて眠っていた商才を発揮し始めるのです。

    この時にアグネスはどん底だった母親が失意の底から、雄雄しく立ち上がっていく様子を目の当たりにしています。

    そしてアグネスは姉や兄と同じ聖心系小学校へ通っていた為に、自然と神父様や修道女と仲良くなっていき聖職者と言うものに目が向いていきました。 12歳になったアグネスは神父様より、インドには貧しい人が大勢いて苦しんでいる実態を聞きました。

    この時に初めてアグネスは、インドの貧しい人を救うということを意識し始めました。 自分も貧しい人たちの力になりたいと考えましたが、幸福で何不自由のない生活を捨ててまで行く決心はナカナカつきませんでした。

    アグネスは18歳でようやく決心して「修道女になりたい」と言ったら、当然ですが家族は猛反対でした。 それを聞いた母ドラナは寝込んでしまうし、日本で言う高級官僚になっていた兄ラザロは「なんて馬鹿なことを言うんだ。」と驚きと怒りの手紙を送ってよこしたほどです。

    修道女になると言うのは、もう家族に生涯会うことはできないということです。 世間一般の考えで言うと、「修道女になり結婚をしないで、一生を神に仕える。」と言うのは「何でそんなことを、しなけりゃならないの?」と言うのが本音かも知れません。

    しかし、「誰かの役に立ちたい」と熱き志に燃える18歳の秋、アグネスは母に別れを告げて旅立ちます。 そして修練期を終えてインドに到着したアグネスは、ついに修道女となり修道名を名乗ることになります。

    彼女が選んだ修道名は「マリア・テレジア」で、テレジアとは2人の聖人と言う意味です。 大きなテレジアと小さなテレジアの2人からなるのですが、アグネス自身は「私は、小さきテレジアよ。」と常々公言していました。

    そしてシスターテレジアは、修道会女子高校の地理と歴史の教師として20年間を過ごします。 最後には校長にまでなりましたが、心には何か物足りないものがありました。 それは修道院の外にいる、貧困にあえぐ人や身寄りのない子供、飢饉や怪我や病気の人々をを助けることが出来ない自分に対する苛立ちです。 そして彼女は大司教に相談して教皇の許可を得て、たった一人で修道院の外へ出て活動を始めるのです。

    外へ出るということは保護してくれるものが無くなるということであり、その時に彼女が持っていたお金は5ルピー、当時の日本円で言うと150円程度です。 その日を境にそれまで来ていた修道服ではなく、白いサリーを着ることになるのです。

    注:現在でも使用されている白地に青色のストライプの入ったサリーは、市場で彼女が買ったものです。 何故そのデザインを選んだかと言うと、その市場で一番安い布だったからです。

    修道院の外へ出た彼女は一番に医療看護の勉強を始めたのですが、それは周りの人々の助言でもある「教育だけでは救えないから、医療の勉強もしなさい。」と言う言葉にあります。 (日本なら校長にまでなった人が、その立場を投げ捨て看護学校に入り直すなんて、まずしないと思います。)

    そして青空教室から初めて一人~また一人と仲間が増えていき、あっという間に助けてくれる人々で溢れかえるようになりました。 そしてシスターテレジアの元へ、昔の仲間も一人~また一人と訪れるようになり、12人のシスターが揃いました。

    そして1950年10月7日に、12人の共同体はローマ教皇より「神の愛の宣教者会」として認められるようになり、創立者であるシスターテレジアは、この日より「マザーテレサ」と呼ばれるようになりました。

    人の一生は歩み方でその後の人生が違いますが、それは小さな一歩から始まるのです。 アグネスからテレジアになり、やがてはマザーと呼ばれるようになるまでの軌跡は、簡単ではありません。

    しかし、誰にでも可能な道程でもあると思います。

    私が鑑定をしたお客様で看護師をしていた女性が一人、家族の猛反対を押し切りシスターになりました。 コルカタ(カルカッタ)に行く前に最後の挨拶に来てくれて、「もう会えませんが、お元気で。」と言った最後の言葉が今でも耳に残っています。

    霊視で未来を言うのは、「良いことなのか? それとも悪いことなのか?」を考えさせられました。 彼女自身にすれば自分の人生を貧しい人に捧げるという想いに正直でありたいと行動しただけですが、家族からすれば「娘と2度と会えなくなる」と言うとんでもない話です。

    霊視で未来を視るのが「怖い」と思った初めての出来事ですが、霊視とは「相手の人生を大幅に変えてしまう可能性がある」と強く心に刻み込んだ思い出です。 TVのヤラセと一緒にして欲しくないなぁと思うのは、こういう色々な方々への想いや自己反省があるからです。

    あなたは自分の想いの強さと行動、これに対してどんな考えがありますか?

    ヾ(@^∇^@)ノ ダイジョウブ~♪

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    負け惜しみ。

    おはようございます。 今日は月曜日なので、週の初めを元気よくスタートできたら素敵ですね。 ただし、スタートに失敗しても挽回はいくらでもできるのですから、人生は何度目であろうと「これから」です。

    私自身を振り返ってみても、自分の中にある負け惜しみの部分を抑えることが出来ない為に、つまらない見栄を張って損をしていることが過去にはたくさんありました。 お勤めをしている時代にも余計な事を言わなくてもいいのに、つい言ってしまい相手を不愉快な気分にさせるというのは日常茶飯事でした。

    学生時代にも相手が良い気分でいるのに、それを損ねるようなことばかり言って自分の世界を狭くしていたのが、今となっては悔やまれるのです。 常に穏やかな心でいることが出来ればいいのですが、競争心やプライドや見栄など他人を意識した部分で失敗を招いてしまうことが多々あります。

    私が損な生き方をしていたからこそわかるのですが、誰かの言葉に耳を傾けるというのは大事です。 相手の言うことを全部聞けというのではなく、AさんにはAと言う意見や見方があり、BさんにはBと言う意見や見方があると言う、他人の意見や見方の存在を認めるというのが大事なのです。

    人の意見を聞き入れた上で自分がするのは、その意見や見方が自分に適切かどうか~自分に合っていて有効な手立てなのかと言う、咀嚼取り捨ての部分なのです。

    人の意見は毒にも薬にもなるので全部が全部良いと言うわけではないのですが、人の意見も聞けないようでは心が狭い裸の王様と言わざるをえません。 悲しいかな、人の上に立つ人ほど心が狭く猜疑心が強くなるのが人間社会なのです。 役職が上がれば上がるほど自分の地位やプライドを優先してしまい、昔の熱い思いを捨ててしまっている自分に気付かないのです。

    昔の自分を思い出してみると色々な夢や希望があり、生意気かもしれないけれど上司のやり方にたいして色々な見方や意見があったと思います。 それなのに、いつの間にか自分のことしか考えられなくなり、同僚や部下の意見を聞き入れなくなってる自分を恥じなくなっているのです。

    過去の自分が蔑み憤慨していた姿に、自分自身がなっているという現実を見失っているのです。

    私は常々、「人に頼るな!」なんてことを言う人は「裸の王様」であり、自分の狭い世界でしか生きられない人だと寂しい思いになります。 このような人が上司でいたなら、それはもうどうしようもなく不運な時期を迎えるかもしれません。 人に頼るなと言う人に限って、他人のしたことを一切認めないと言う自信過剰がワンセットなことが多いのです。

    逆に言うなら自分のしたこと以外は一切認めないと言うのが、負け惜しみの特徴でもあります。

    例えば、椅子を片付けろと指示されて片付けたら、「片付け方が悪い。」と怒られる。 それじゃあと片付けずにほっといたら、「何で片付けないんだ!」と、またまた怒られる。 片付けても怒られるし、片付けなくても怒られる。 どっちにしろ怒られるのだから、こういう時は何もせずに自分の仕事を優先して、「やらずに怒られる道」を選択した方が無難です。

    以前とは違い、この事務所では電気~水道~クロス~ペンキとなんでもかんでも自分ですぐにするのは、私自身のことだから誰にも気兼ねしない為にできるのです。

    昔の私は周りから、「山崎は自分では何もせず、人に頼るばかりする。」と怒られていました。 何故?これだけのことができる私が以前は「何もしなかったのか?」と言えば、何をしてもその対象者よりクレームが付くので、「やらずに怒られる」方を選んでいただけです。 家具の配置をすれば「かっこ悪い」 掃除をすれば「やり方が悪い」 ようは何をしても文句を言うのだから、いじめのマトみたいなものです。

    負け惜しみとは本当に負けている人が言うことであり、負けていない人は負け惜しみを言う前に自分がするべきことをちゃんとできる人なのです。

    倉敷事務所や東京会場へ来るという「行動を起こす人は素晴らしい」と、いつも絶賛しているように思うかもしれませんが、それは本当に素敵な真実だからです。 何かで悩んだりして、それを解決しようとか~何とか別な道を探したいという欲求などがあるからこそ、行動するのだと思います。

    私の所へ足を運ぶ人は、その時点で問題の半分は解決して、後はどうやってそれをしようかと言う行動の一歩手前。 少し背中を押してもらえたら、悩みは解決に向かうことが多いのですが、それはお客様が素晴らしい実力を持っているからなのです。

    負け惜しみを言う人は、自分では何もしないのに「したような気分」でいることが多いのです。 自分は一流だから一流の取引先ばかりと思い込んでいるけど、実際は次々と取引を切られているのに手を打たないでいる、沈没寸前のタイタニックみたいなものです。

    素直に相手の幸運を祝福できる人は、幸運の方が祝福を運んできたくなると思うのです。 私はアヤシイ?霊視カウンセラーではあるけれど、ここに来た人は全員が幸せの道を歩いていただけたらと願うのです。

    富や幸福や祝福、このような言葉に囲まれて生きていけるのなら、それは充実した人生になると思うのです。

    あなたは自分だけでなく、他の誰かの幸せを願うことが出来ますか?

    \(゜・ ゜)神様~☆

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    裏と表。

    おはようございます。 今日は少しお知らせですが、ここによく出てくるボランティアの神様ことN市のIさんのリンクを「ブログ」から「フレサポ」というHPに変更しております。 それと言うのもN市のIさんが、いよいよ自分の団体を立ち上げて活動することになりました。

    Iさんが今まで色々な団体(6つ)に参加していたのも、短期間で色々なことを吸収したいと言う気持ちの現れでしたが、最近は色々な壁や諸事情などもあり限界を感じておられたようです。 しかし、私は他団体に所属して活動と言うのは終焉があると思っており、「いずれ立ち上げるようになる。」と言ってた未来が来たということです。

    人はひとりでは生きていけないから、誰かに頼るのは決して悪いことじゃないんです。 N市のIさんは江原さんにも会えるし私にも会えると言う感じで、両極端な人脈を持つ人なんですが、ボランティア系でもカチカチの石頭の人とも知り合いだし、柔軟で臨機応変な考え方の人とも知り合いと幅広いのです。

    実はIさんはオヤジ和尚こと廣中邦充さんと言う方とも知り合いなんですが、その方とお話しているうちに次々と思わないくらい話が進んで行き、自分で活動を始めることになったようです。

    ただし、昨日の今日と言う慌しさなので、まだトップページだけですが…。 (*^^*)

    このように人生とはわからないものですが、「裏と表、+と-」 このように両方が存在するからこそ比較が出来るのだと思います。 映画やドラマなどでも正義のヒーローが魅力的に見えるのは、悪役が際立っているからこそ言えることなのです。

    この新事務所は長屋状態で、大家さんの母屋~ジュエリーショップ~私~自転車屋さんなど、色々なお店があるのですが、どこもそれぞれ特徴があり比較対象ができます。 皆さんそれぞれ個性があるので、私としてはとても勉強になるので学びの姿勢でいたいと思います。

    ジュエリー工房のオーナーは、職人気質でとっつきにくい感じがするけれど、慣れれば悪い人ではありません。 オーナーに惚れこんだお客様もかなりいらっしゃるので、商店街に入らなくても充分やっていける実力です。 それに隣の自転車屋さんは商売の勉強になるので、ちょくちょくお伺いしてお話をさせていただいております。

    この自転車屋さんとお話をする時に目標としているのが、この自転車屋さんより腰の低い応対をしたいと思っております。 このお店の人は腰が低い方なので、私が頭を下げてお礼を言っても更に頭を低くされるので、知らない人が見たら「この2人、何してるの?」と言う感じです。

    東京出張から帰って来て、お店を見ていてもらったお礼を兼ねてお土産を持って行った時にお互い頭を下げていると、そこへ来たお客様が「(*○*;) ギョッ」と言う顔をして立っていました。 「今度こそは…。」と考えながらお伺いしているのですが、丁寧な挨拶をした分だけ更に丁寧に応対されるのでこちらが恐縮します。

    注:東京出張中はお隣の自転車屋さんに管理などをお願いしているので、行く前と帰った時に御挨拶に行っているのです。

    自転車屋さんの経営方針は聞いていて、とても為になります。 あれだけ腰が低くて丁寧に一生懸命お話しているからこそ、わざわざ車に乗ってまで倉敷市以外から買いに来るお客様が多いのだと思います。

    人間社会は広くても狭くても~大きくても小さくても、同じような縮図や人間模様なのですが、このわずかな店舗でも全員別々な経営方針や考え方なので、これが会社となって30~40~50人と増えていけば色々あるのは仕方がないことなのです。

    この長屋系店舗でも、ジュエリーショップのこだわりと職人気質、自転車屋さんの丁寧さと営業努力、そしてアヤシイ?霊視と面白い店舗が揃っています。 ただし、私だけは霊視で社会的信用がない為、3年契約で更新はできないかな?

    今から言うのも気が早すぎますが、3年後は移転予定です。 正式にはアト2年と10ヶ月ですが、流れに逆らっても仕方がないし~なるようになると思います。 (*^m^*) ムフッ

    注:私がここにいる以上は、他の店舗(自転車屋さんやジュエリーショップ)が全て大繁盛して欲しいと思いますし、この事務所に来る人は全員が「幸せへのパスポートを手に入れたのと同じ」だと言えるように努力したいです。

    自分に起きる出来事を不幸だと思えば不幸に感じますが、面白がったり楽しんだり出来れば、「今日も話のネタができた~?」と前向きに考えられるのです。 未来で起こる変えられない出来事には抵抗するだけ無駄&損ですから、それを楽しむくらいでないと辛くなってきます。

    私は契約更新してもらえないと考えるのではなく、不動産屋さんが3年と言う時間を作ってくれたことに感謝しています。 また違う場所で鑑定できると思えば、それもワクワクしてきます。 不幸と幸福は交互に両方がやってきますが、不幸なことが多ければ多いほど幸せの時をありがたく感じることができます。

    あなたは自分に起きることを、どんなことでも面白がることが出来ますか?

    ヽ( ´ー`)ノ セノビ~

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    恋と霊。

    おはようございます。 今日は朝からどんよりとしていて、なんだか雨が降りそうです。 しかし、これを読んでいる人は、明るく元気な一日が待っているから大丈夫です。 あなたに会いたいと思う人が、未来で一杯待っているのですから笑顔でいてくださいね。

    今日は恋と霊を絡めたお話になりますが、この2つは関係があると言えばあり~ないと言えばないと言う、そんな程度です。 残念ながら前世で親子だったから~夫婦だったから、「今のあなたたちは仲が良いのよ~!」なんて言うのはお話としてはいいのですが、実際は前世で出会っている二人が現世で出会う確率は天文学的数字です。

    もしも、それが本当ならば、死ぬ時期⇒生まれ変わる期間⇒生まれ変わる場所⇒生まれかわって誕生する時期、これらが全部同じか~もしくは似たような状態でないと無理です。 生まれ変わる地が岡山とブラジルでも、同じ地球上である以上は出会えるかもしれませんが無理に近いです。 おまけに片方が10歳で~もう片方が50歳では恋愛には発展しないし、この年齢差で恋愛に発展したらその方が問題です。 (*´ー`)

    さて、真面目な話に戻りますが、あなたが恋をしている時、良い恋をしているなら周りに対して優しくなれるし、知らず知らずのうちにウキウキしてくると思います。 しかし、辛い恋や苦しい恋をしていると、なんだか好きになれば好きになるほど切なくなり、どうして恋をしているのに苦しくなるのかと考えた経験があるかもしれません。

    出会うべき人と、出会う。
    恋するべき人と、恋をする。
    人生を共に過ごす人と、同じ時間を共有する。

    人はひとりでは生きていけないが故に、男性は女性を~女性は男性を求めてしまうのです。 不器用な生き方だけど、たった一人の女性の前で輝いている。 そんな男性とお付き合いできたらその後の人生も変わりますが、出会うのを拒否する人が意外といます。

    誰しも運命上で見ると素敵な恋は存在するのですが、その恋の多くは始まる前に終わりを告げてしまうのです。

    お越しになったお客様の恋愛運を見ていくと女性でも男性でも性別に関係なく、良いと悪いのどちらかしかありえません。 ここで注意しないといけないのですが、恋愛運の良し悪しが「前世や守護霊、および先祖や生き霊」などと関係はありませんので、霊のせいにするようでは良い恋はできないと思っておいた方がいいです。

    まず前世ですが、前世と現世につながりがあるのはごく一部の人だけです。 良い恋ができないのは前世のせいだと言う考え方でいる限りは、素敵な相手にめぐり合えない可能性があります。

    次に守護霊がどうのこうのと言うのもTVの功罪で、守護霊が見ず知らずの人にいきなり大事なことを言うわけがありません。 冷静に考えてみてくださいね、あなたなら本当に大切なことや大切な想いを、見ず知らずの人にいきなりお話できますか?

    注:最近は暗黙のルールが守られないと思うのですが、某番組出演者が台本の存在を明らかにしました。 しかし、TVは台本があるのが当たり前だし、俳優さんが演じているのを見て「あれは嘘」だと言う人はいません。 余り突っ込むと可哀相なので、バッシングはやめてあげて欲しいですね。

    また、先祖が怒っているとか~嘆いているとか、この辺になると馬鹿馬鹿しくなってくるのですが、先祖が子孫に対していちゃもんをつけるはずがありません。 もしもそれを言うなら、前世の子孫を覚えている人が言うべきであり、時間の流れや歴史を無視した無茶苦茶なことを言わないようにしないと、怪しげな○○に引っ掛かってしまうかもしれません。

    私自身がアヤシイ?霊視カウンセラーなので人のことはどうこう言えませんが…?

    最後に生き霊ですが、これもキッカケはTVの某台本作家(構成作家)が考えついたものであり、それをある人がTVや講演で言い出したというのがホントの所です。 実際に生き霊なんて出してしまうと自分が倒れてしまうくらいのエネルギーなので、生き霊を出すということは死を意味すると思います。 死んでしまうということは、もはや生き霊ではなく単なる霊なので、生き霊と言う言葉自体が存在しなくなるのです。

    良い恋ができないのは霊のせいではなく、自分の魅力やマナーに問題があると考えた方が運命の後押しもあると思います。

    服やバッグを買いに行った時に、「すみません、見せてくださいね。」とヒトコト添えるなら、お店の人も気持ち好いと思います。 食事に行った時でも、食事を運んでくれる~お水を注いでくれるなど、お店の人が何かしてくれたら「ありがとう!」とヒトコト言えばお互い気持ち好いと思います。

    気持ちの好い行動や美しい言葉を発していれば、自然とそれに見合った人しか近寄らなくなります。 人として美しい生き方をしているのなら、それは美しい行いをしている人とめぐり合わせてくれるのが運命なのです。

    「あなたはわたしにとって、ただひとつのブランドです。」

    あなたにこう言ってプロポーズする男性が、運命上で存在しています。
    ならば、それに見合う自分になるのも、イイ恋を引き寄せる為の努力なのです。

    あなたは自分磨きの為に、何をしていますか?

    "( `  ▽  ´ )"  アハッ~♪♪

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    相関図。

    生きている以上は人間関係に悩んでしまうのが人としての宿命なのですが、自分にとって運命の人「相関図」と言うようなものを作ってみれば、もつれた糸がほどけるかもしれません。 (書き方は後半で…?)

    運命の人と言う言葉はよく使われますが、「じゃあ、運命の人とは何ぞや?」 こう思ったり考えた時に、「それは○○さんだ。」と答えられる人は少ないと思います。 何故なら、運命の人やラッキーパーソンと言われるような人は、後になってからその転機やチャンスに気付くからなのです。 (時間が通り過ぎた後にチャンスに気付く、そんな場合が多いのです。)

    現在進行形の状態で、「○○さんのおかげで、これから伸びていける。」 こんな風には思えないのが、運命の人やメンターの特徴でもあります。

    実際には過去を振り返った時にポイントとなる出来事や出会いがわかるだけであり、今と言う時点で気付ける人はそうはいないのです。 おまけに上司や部下~友人知人など身近な人間関係まで絡んでくると、そう簡単に近づいたり離れたり出来ないのが余計に運命の人との出会いを遠ざけているのです。

    私は西ビルから出れば、何事もトントン拍子で物事が進むようになるのはわかっていました。 ただし、移転しようとしても「無理に出ていかんでもいいよ。」と引き止められていたので、「早く出たいなぁ~。」と言う気持ちに反して行動できなかったのが人間関係の作用なのです。

    東京出張にしても、岡山でのラッキーパーソンと東京方面でのラッキーパーソンと、両方の出会いを大切にしないと、今後日数を増やしていくのは難しいのです。 しかし、それに気付いてラッキーパーソンと早く出会って次の出会いを更に早めることで、次々と幸運を招き入れることになるのです。

    注:例えば、N市におけるラッキーパーソンはIさんであり、Iさんの依頼ならば飛んで行きますが、他の人が企画したイベントや出張鑑定に私が出ることはありません。 元々、Iさんがいなければそういう声が掛かることすらないのですから、Iさんを中心に考えるのは礼儀として当たり前だと思うのです。

    運命の人と言えば、イチロー選手にとっての運命の人は仰木彬監督であり、もしも出会わなければ今はもう野球をしていないと思います。 才能を見抜いて、なおかつその才能を伸ばしてやると言うのが運命の人の役割でもあります。 野球を例に取ると名監督と言われる人は多いけれど、私は仰木監督こそ人としての名将だと思います。

    私は野球には全く興味がありませんが、仰木監督と関わった選手を見て凄いと思えるのです。 野茂~吉井~長谷川~イチローなど上げていけばキリがありませんが、これらを見てピンと来る人はカンが鋭いです。 仰木監督と関わっている選手は、「メジャーに行って活躍している」 そういう選手が多いと言うことなのです。

    何故か仰木監督と関わる人は、野球で言うならメジャーを目指して~なおかつ活躍している。 それ以外の野球を辞めた選手でも、パンチ佐藤氏や金村氏など監督に相談していた人はそれなりに生き抜いているのが不思議な所です。

    仰木監督は野球人(選手や監督)としては、その他の選手や監督に負けている部分があるかもしれないけれど、人間としてや人生と言う面においては素晴らしい一生だったと思うのです。

    私はアヤシイ?霊視カウンセラーではあるけれど、お越しくださるお客様にとっての運命の人になれたら幸せです。 ココに来ることで勇気や元気が出てきて、「まだ、やれるぞ!」「まだ、あきらめない!」 こういう気持ちで前向きに進んでいただけたなら、それは私にとっても嬉しいことなのです。

    運命の人を見つけることが出来なくても、それを見つける為の努力は出来るのですが、ココで運命の人を見つける為の相関図の書き方をお話したいと思います。 ただし、これはあくまで参考程度であり、運命を変え始めたら次々と人間関係も変わり始めるので、書き換えないと追いつかなくなります。 そして、できることなら次々と書き換えていける人生、つまり人間関係をドンドンと「変える&増やせる」と言う人生を送っていただければ幸いです。

    まず、A4くらいの紙(チラシの裏でもコピー用紙でも何でもいいのです。)を準備していただき、その中央部分に自分の名前を書いてください。 次にあなたを取り囲むようにして紙の端の方に、あなたと関わる人の名前をすべて書き出します。 (名前がわからなければ、メガネを掛けている痩せた人とか~丸顔の背の高い人でもOKです。)

    親子~姉妹~上司~友人~同級生~彼などなど、ホントに少しの知り合い、例えば電車でよく乗り合わせる人やショップでよく出会う人なども含めて、何でもいいから関わる全ての人を書き出してみると、意外に多くの人と関わっているのがわかると思います。

    それが出来たら、自分と相手の間に直線を引いていきます。 その引いた線の横や上に、「好き、嫌い」「仲が良い、仲が悪い」など、あなたの感情の部分を書き込んでいきます。 それが終わったら、「その人がいたらこうなるけれど、その人がいなければああなるかも?」ともうひとりの自分になって冷静に書き込んでください。 それが出来たら、その人が言った言葉や行動により自分がどうなったかを書きこんで終了です。

    よく見てみると、これが現時点での運命の人を捜索する相関図なのです。

    例①:「好き&仲が良い」と書いてあるけれど、自分にとっては何の影響も与えない。
    例②:「嫌い&仲が悪い」と書いてあるけれど、自分の仕事に影響を与えた。
    例③:「普通&関係ない」と書いてあるけれど、時々言葉にヒントがあるなど…。

    相関図を見ていくと、自分に影響を与えた人が必ずしも良い人じゃなかったり、好きな人じゃないのに言葉が響いたりと言うことが理解できたのなら、自分にとってのラッキーパーソンを冷静に判断できるようになります。

    私の場合は嫌いな人やいじめてくれた人の方が、自分を鍛えるのにはよかったと思える人が多いので逆説的な意味ではあるけれど、ある意味では「運命の人」になると思います。

    あなたにとって運命の人とは、誰なのかを気付くことが出来ますか?

    どうもです (' - ' *)ゞカキカキ

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