徒然草(岡山・東京・山崎かずみ)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    平将門。

    おはようございます。 昨日の午前中に東京より帰ってきて、午後から鑑定を再開しております。 京都~名古屋間は大雪の為、新幹線が徐行運転をしたので約15分遅れで東京へ着きました。 ただし、私としては雪景色が楽しめたので、それもまた良い風情でした。

    さて、東京駅に着いて皇居の方へ歩いていくと道路が封鎖されて車が少なく、「えらい静かやなぁ~?」と思いながら皇居の方へ向かうと大勢の人が走っています。 「あっ、今日は東京マラソンの日か?」と気が付きました。

    何で私が皇居のそばを歩いているかと言えば、毎月東京出張するようになったので同じ神社に行くのも芸がないと思い、今回は「平将門の首塚」に行ってまいりました。

    では、平将門の首塚とは…?

    平将門(平將門)は「たいらのまさかど」と読み、平安時代中期の武将です。 通称は相馬小次郎とか滝口小次郎とも言われたようです。

    言い伝えによると、平将門の首は平安京まで送られて東の市~都大路で晒されたが、3日目に夜空に舞い上がり故郷に向かって飛んでいって、数カ所にちらばり落ちたと言われます。 昔話にはいくつもの真実があるのですが、この話も多分に洩れず伝承地は数ヶ所あり、いずれの場所も平将門の首塚とされているようです。

    その中でも最も著名なのが、「東京都千代田区大手町1―2―1」にある首塚です。 かつてはマウンドと内部に、石室ないし石廓とみられるものがあったので古墳とも考えられるようです。

    ただし、首塚そのものは関東大震災によって倒壊してしまい、その後は周辺跡地に旧大蔵省が建てられることとなりました。 その為に石室など、首塚の大規模な発掘調査が行われました。 そして工事が始まったのですが大蔵省を建設中に、その工事関係者や大蔵省職員の相次ぐ不審死が次々と起こり始めて、将門の祟りが大蔵省内で噂されることになりました。

    「これではいけない」と噂を打ち消す為(大蔵省内の動揺を押さえる為)に、昭和2年に将門鎮魂碑が建立されて、神田明神の宮司が祭主となって盛大な将門鎮魂祭が執り行われたようです。

    この将門鎮魂碑には、日輪寺にある他阿真教上人の直筆の石版から「南無阿弥陀仏」が拓本されました。

    この地は東京駅に近く皇居の間近に位置するため、周辺にはオフィスビルが林立しているにもかかわらず、何故か?この一角だけはそれ程広い敷地ではないにも拘らず鬱蒼とした木が茂り、平成の世になった今でも一種異様な雰囲気を醸し出しています。 (その他にも、敷地内に入っていくと、石碑の周囲に置かれる巨大な作り物のガマにびっくりするかも?)

    誰かするのかわからないのですが、線香の匂いが絶えることがなく物静かであり、そこに表通りの車の音がする、都市伝説のような場所と言えるのかもしれません。

    その他にも祟り伝説のような逸話にこと欠かないようであり、築土神社や神田明神などと同様に昔から東京(江戸)における霊地として、尊崇と畏怖とが入り混じったような崇敬を脈々と受け続けてきました。

    この地に対して不敬な行為に及べば、祟りがあるという伝承が出来たのも頷ける話は一杯ありますが、そのことを最も象徴的に表すのが第二次世界大戦後にあったGHQの話です。

    その当時、GHQが周辺の区画整理にとって邪魔となる首塚を造成しようとしたのですが、相次ぐ不審な事故があり造成計画を取り止めたという事件です。 また、隣接するビルディングも決して失礼の無いように~首塚に対して見下ろすことのないように、窓は設けられていないと言う話です。

    番外編としては、爆笑問題の太田光がTVなどで活躍し始める前に、この首塚にドロップキックをしたことがあるのですが、その後どうなったかと言えば「しばらくの間、まったく仕事が舞い込んでこなかった。」という不遇の時期があったらしいです。 ただし、これは罰当たりもいいところで「お墓や神様に向かってキックする人がいるか!」と言う常識外の問題であり、祟りと言うより当然のことなのかもしれません。

    その他の小ネタとしては、過去数十年にわたり地元のボランティア団体が浄財を元に周辺の清掃や整備を行っているのですが、その資金は隣接する三菱東京UFJ銀行に「平将門」名義で口座が開かれていました。 (個人でもなんでもないのに、貯金通帳が作れたと言うのは凄いことです。)

    私は東京駅から徒歩で行ったのですが、ぶらぶらと歩きながら周りの景色を眺めているのも悪くないです。 ただし、この首塚は霊験あらたかと言うか、すごく神聖な雰囲気のする場所でした。 私も色々な所にお参りに行っていますが、過去最強の怖さを感じました。 なんと表現したらイイのか? 周りに人がいるのに空気が重たいと言うか、触れてはならない場所と言うか、個人的には一番怖いと思いました。

    注:今回の東京出張では、人生初のケンタッキーに行ってきました。 「美味しいぃ~!」と言いたいところですが、初めて食べたので比べるモノがありません。 (ノ◇≦。) ビェーン!!

    今日から倉敷事務所にてログを再開しますので、つたない文章ですがよろしくお願い申し上げます。

    「素敵なあなたに会えるから、前向きになれる!」 毎日、そういう気持ちで鑑定しております。

    ヽ(*^。^*)ノ ワ~イ

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    時期。

    生きていると言うのは、自分の人生を歩んでいるということであり、それは自己責任と切っても切り離せません。 私は過去の自分を見た時に、「あぁ~、あの時にあぁしとけばなぁ~?」と思うことはしばしばありますが、それは自分がしなかっただけであり出来ないわけじゃなかったのです。

    工場勤務していた時代は、嫌われるようなことばかりしていた自分を何とかしたいと思い、みんなの話に合わせるように努力していましたが、話の内容に付いていけなかったのも事実です。 しかし、自分の話について来れない人を、「魂の位が低いからだ。」なんて言うのは考え方が奢りすぎです。

    私は今考えてみても、自分がいるべき位置にいなかったとか~いるべき場所に居なかったと言うのが、一番のミスであり自分の努力不足だと反省しています。

    美容室へ魚を買いに行ってもありませんし、家具屋さんへ本を買いに行ってもありません。 それと同じで、自分だけが得をすればイイと言う考えで弱い者いじめばかりする人が集まっている場所で、マザーテレサの話をする「私があほやねん」と言う感じです。

    自分の考え方を理解してもらえない時は辛いと思いますし、「どうにかならないの?」と考え込んでしまうかもしれません。 どうにもならない時って言うのは我慢できないくらい辛い時期ですが、それは誰にもありうることなのです。 どんなに運の良い人であっても「待つ時期&耐える時期」と言うのは確実にあります。

    ところが、その時期をどう過ごしていくのかと言うので、その後の運命が変わってくるのです。 本当に成功する人と言うのは「待つ以外は何も出来ない」と言うのを、理屈ではなく本能的にわかっているのです。

    ただし、この待つと言う時期に待ちきれずにあきらめたり放棄してしまうのが、一番残念なことです。 (あきらめと言うのは、日常的な後退と同じだと考えてくださいね。)

    運命とは自分のしたことが自分に返ってくるだけであり、何もしていないことが自分に跳ね返ってくることはありえないのです。 

    あなたが誰かに尽くす未来を選んだとしたなら、それは誰かがあなたに尽くしてくれる未来を選んだのと同じであり、運命があなたのことを忘れてしまうなんてありえないと言う未来を選んだのと同じです。

    物事とは、人の為にしていることが自分の為になっていたと言うことが多いので、自分の為になると言う私利私欲を捨てていると、返って自分の為になったりします。

    私がログに医学系のことを書く時には、ログで発表した後に必ず某医学博士に確認をお願いしています。 医学的なことについては間違いは許されないし、間違った治療方法やアドバイスでは薬ではなく毒になるかもしれません。

    では、なぜ某医学博士は気持ちよく監修してくれるかと言えば、「山崎さんのログを見ていると、患者様&一般の人に説明するのにはこう言えば良いのかと言う発見がある。」 こう言われたことがあります。 つまり、この方にとっては専門用語をなるべく排除してわかりやすく説明するという点で、「人の為に監修しているのですが、自分の知識にもなる。」と言うことになります。

    マイクロソフトのビル・ゲイツ氏は、「こんないいものは、全世界に広めたい。」と言う考えで今までやってきました。 結果としてお金持ちにはなりましたが、自分の為にお金を使うことは余りなく、稼いだお金も寄付したり会社の資金として使ったりしています。 (さすがのビル・ゲイツ氏でも、誰にも相手にされずにあきらめかけた時期だってあるのです。)

    辛い時期と言うのは誰でもあるのだから、今はタマタマその順番が自分に回ってきただけで、いつまでも辛い時期は続かないと思っていただきたいのです。 辛い順番がきたと言うことは、今度は幸せになる時期がくる番だと言うことであり、楽しい想像ができる人は「もうすぐ幸運が回ってくる!」と思ってくださいね。

    注:私はヒマでヒマですることが無いけれど、あきらめずに事務所に出ています。 予約の電話がゼロでも~予約のお客様がゼロでも、どうにかこうにか生きています。(笑)

    もしも、「待っているけれど、全然来ない!」と思うのであれば、次に打つ手はひとつだけです。

    チャンスが見つからなければ、自分から見つけに行く。
    チャンスが来なければ、自分から出迎えに行く。

    恋するチャンスがないと思うのであれば、まず友人知人を増やしてから恋の話を進めるようにする。 誰も知らないし誰とも話をしないという状態で、恋をしようと言うのは無理だと思います。 しかし、誰かと話したり会ったりするようになれば、そこから運命の糸がどこへつながっているかわからないのです。

    あなたは待つ時期の過ごし方を、どのように考えていますか?

    (・_・?)アレッ?


    お知らせ:明日は東京出張の為、17&18日のログはお休みします。 鑑定は18日(月)の午後より~ログの更新は19日(火)より再開いたします。 いつも御覧いただき、ありがとうございます。 m(__)m

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    損得。

    人間の顔の存在とは考えてみると実に不思議なのですが、直径で言うと約24~35cmの輪郭に目~鼻~口~耳と言うパーツが全て収まり、しかも大きさの大小や形の違いはあれど機能は全て同じで、存在する場所もそんなに違いません。 (目が足の裏にある、なんて人はいませんから。)

    いくら顔が似ていると言っても、そんなにたくさんのソックリさんはいないし、世界の人口は60億人以上いるのに、すぐに判別できるなんてすごいことです。

    それと同じく、モノの考え方と言うのは色々あるけれど、実際に良い考えを実践できる人は少なくて、実践できたら「人格者」と呼ばれるほど難しいことなのです。 しかし、それを今すぐに実践しようと思うなら、一番簡単なのは相手のことを「認める」 このヒトコトにつきます。

    自分の意見を引っ込めろと言うのではなく、相手の意見も尊重して自分の意見も尊重する。 そして自分の考えとして「まず、相手を尊敬してみる」と言う所から入れば、少なくとも秩序は保てると思うのです。 相手が言いたいことを言って~自分も言いたいことを言う、これを繰り返して最後に残るのは「争い」と言うことしかないのです。

    相手のことを認めてあげれば、少なくとも摩擦は減ってきます。

    そうなると相手の方にも聞くと言う余裕ができるかもしれないので、そこで話し合いの余地ができるかもしれません。 ただし、聞く耳を持たないと言う言葉があるように、いくら言っても無理な人は無理なので、「ソコソコで付き合いを辞める」というのもひとつの真実です。

    素直な心と言うのがあれば人はいくらでも吸収と成長ができるのですが、人の揚げ足を取ったり自分の要求ばかり言っていると、誰にも相手にされない裸の王様が出来上がるのです。 私自身が人の嫌がることばかり言っていたので、誰にも相手にされない辛さはわかるし、嫌なことを言ったお釣りの怖さも判るのです。

    素直な心と言うのは非常に尊いモノだと言っていいのですが、それは簡単には手に出来ない宝物だからです。 それを手に入れることが出来たなら、自然と毎日「今日は素直に…。」や「今日も素直に…。」とか「」今日こそは素直に…。」と、自然に思い始めている自分がいるはずです。

    人生において損得は余り関係なく、最後の方では意外と辻褄が合ってくるのです。 損したとか、得したとか、そういう視点で見ていると一部分のことしか見えなくなり、もう損得勘定の世界に思考が入ってしまうのです。

    例えば、5年前にプラズマTVを100万円で買ったとします。 それが2年経ち~3年経ちとするうちに、80万円~50万円~30万円と値下がりしてきたとします。 これを「損した。」と考えているようでは、先に買った人は損と言う視点でしかモノを見ていないことになります。

    何の世界でも分野でも先駆者と言うのはいるもので、最初に買う人がいることにより利益が出て、そのおかげで大量生産の体制が出来てくるのです。 車の場合でも、最初に買った人が不具合を報告して、それをメーカーが改良していくことにより品質向上するのです。

    つまり、最初に買った人は社会の貢献者としての意味合いがあり、決して損をしたなどと考える必要は無いのです。

    逆に胸を張って「自分が買ったから品質改良ができて、更には価格を下げることが出来た。」と言っていいと思うのです。 世の中と言うのは発展し続けると言う幻想があり、それがいつまで続くかは誰も想像できません。 しかし、品質の改良や便利さの追求と言う流れは、人類がいる以上は留まる所を知りません。

    先にやる人がいるから後続が出ると言うのは、プロ野球を見ればよくわかります。 メジャーに挑戦する勇気のない選手でも、自分より実績の無い選手がメジャーで成功したら「俺にも出来る」と直ちに方針転換します。 「私はメジャーに行かず、この球団で選手生活を終えます。」と言った選手が、舌の根も乾かないうちにメジャーに行ってしまう。 それが男の生き方としてカッコいいかどうか?は、ファンが決めることです。

    素直な心があれば自然体で生きていけるから、幸福とは普通であると言うことが理解できるようになり、ますます幸せを感じるようになるのです。

    物事には近道と言うのが余り無く、正直に生きると言うのが一番の早道だったりします。 雨が降れば傘を差すように、のどが渇けば水を飲むように、自然とする行為と言うのが人間の本能と共に、自然の流れと言うことにも気が付かないと、別な意味で損をするかもしれません。

    カレーの写真をいくら見たところで、その辛さはわかりません。 しかし、一口食べてみれば、すぐにどれくらい「辛いか?」はわかるのです。 いくら想像したところで結果はわかりませんが、実際に行動してみるとすぐに結果はでます。

    あなたは素直な心で、自然の流れを受け入れることが出来ますか?

    ( ・◇・)~?~(・◇・ )

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    バレンタイン。

    今日は女性から男性へ愛を告白する日と言われていますが、勇気を出して告白する準備は整っていますか?

    バレンタインデー(セントバレンタインデー)は2月14日に祝われる行事で、世界各地で愛の誓いの日とされています。 もともとは、269年にローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ウァレンティヌス(テルニのバレンタイン)に由来する記念日であるとされています。

    ここで、バレンタインの歴史を少々振り返ってみると、ローマ時代まで遡る必要があります。 その当時のローマで2月14日と言うのは、女神ユノの祝日でした。 ユノとは全ての神の女王であり、家庭と結婚の神でもあります。 そして翌日2月15日は豊作を祈願する、ルペルウカリア祭の始まる日でした。

    この時代は男性と女性の生活は別々だったのですが、祭りの前日に女性が紙に名前を書いてお札を作り、それを桶の中に入れておくことになっていました。

    翌日に男性が桶の中からそのお札を1枚引いて、祭りの期間中一緒に居る男女のペアを決めていったのです。 当然のことですが、祭りの間中一緒に居ることで親密になり恋に落ちて、そのまま恋人~結婚と言う道を辿るカップルが多かったのです。

    ただし、これは表向きの良い方の話であり、バレンタインデーに刻まれた裏の話もあります。

    ローマ帝国皇帝のクラウディウス2世は故郷に恋人がいると兵士の士気が下がるという理由で、ローマ兵士の婚姻を禁止しておりました。

    ところがキリスト司教だったウァレンティヌス(バレンタイン)は秘密裏に兵士を結婚させたのですが、それがわかって捕まり処刑されました。 その処刑の日こそユノの祝日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれたのです。

    このように、ウァレンティヌスはルペルカリア祭に捧げる生贄とされてしまったのです。

    ただし、この話には更に裏があり、ルペルカリア祭により男女の仲が親密になるのを防ぎたい人たちが、裏で糸を引いて処刑されるようにしたと言う説もあります。 この辺に纏わる話をすると、スピリチュアル系の愛に関する話の矛盾を突くようになるし、宗教などの話もしないといけなくなり長くなるので、また次の機会に書きます。

    さて、2月14日はバレンタインデーですが、このイベントを面倒くさいと思う人は恋愛を面倒くさいと思う人なのかもしれません。 実は某国では、人との出会いや記念日に意味付けをすることが多いので、面倒くさがり屋の人はとても出来ないと思います。

    まず、2月14日がバレンタインデーで3月14日がホワイトデーと言うのは一般的なので、誰でも知っているとは思いますが某国ではこれだけではありません。

    4月14日はブラックデー
    5月14日はイエローデー
    6月14日はキスデー
    7月14日はシルバーデー
    8月14日はグリーンデー
    9月14日はミュージックデー
    10月14日はワインデー
    11月14日はオレンジデー
    12月14日はハグデー
    1月14日はダイアリーデー

    これに年末年始のイベントを加え、勿論のことですがクリスマスもあります。 某国では人との出会いを大切にする意味で、100日記念と言って出会って100日目を記念とするのもあります。 これだけあると、面倒くさがりの人では恋愛できないし忘れることもありますから、お互い大変かもしれません。

    なお、全部の意味を書いていると長くなりすぎるので省きますが、ひとつだけ書くと「ブラックデー」と言うのはバレンタインやホワイトデーなど記念日に関して一切縁のない人が残念会としてする日と考えてもいいと思います。

    不思議な法則みたいなものですが、「マメな人はモテル」 これは性別に関係なく、相手のことを気遣い&敬いと言う感じでいるから、少なくとも悪い印象を与えることは無いのです。 日本は資本主義社会だから企業の戦略と言う声があるのも否めないのですが、バレンタインは「好きな人に告白するチャンス」を作ってくれたと前向きに考えるのもいいと思うのです。

    私は年間通じて色々な人を拝見させていただいておりますが、男性が貰った瞬間を視ると60~70%くらいの男性は単純に嬉しいと感じているようです。 たとえ義理チョコと言えど喜んでいる姿の男性を視ると、人間関係の潤滑油として考えればいいのかもしれません。

    あなたはチャンスをものにして、好きな人に気持ちを伝えられていますか?

    (=´∇`=)ツタワルニャ~ン♪

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    場所。

    占いが嫌いな人でも意識していない人でもラッキーと言う、運の良し悪しを感じることはあると思います。 人は自分の思い通りに行かないからこそ、人生を悪戦苦闘しながら生きているのであり、そこに努力のしがいもあると思うのです。

    人間関係でもそうですが、暗い顔をしている人と明るい顔をしている人では、どちらが良い雰囲気かと言えば明るい顔の方です。 暗い顔をしていると雰囲気まで暗くなり、運の方もナントカしてあげたいと言う気が失せてしまうのかもしれません。

    運の良い人や調子の良い人を見ると、「何であの人だけ?」と思うかもしれませんが、基本的に「ツキ」とは悲観的な人には行かずに楽観的な人に行くものです。 くよくよしても始まらないから、自分にできることをして天命に任せようと、ある程度は気楽にしていた方が好結果がでることが多いと思います。

    ただし、これは誰しも判っているのだけれど簡単にできないと言うジレンマもあります。 ポジティブにとか、前向きにとか、掛け声をかけるのは簡単だけれども、実行できないからこそ人は悩むのです。

    確信と妄想は紙一重と言うように、「自分はこうなる!」と思い込んでいてもそうなるとは限らないのです。 しかし、あきらめずにその方向へ向かって進んでいける人は、途中投げをしない以上は完成もしくは成功しかありえなくなります。

    もしも100の実力があっても発揮できずに50の力でやり終えてしまうと、実力があるにもかかわらずダメと言う烙印を押されてしまうかもしれません。 ところが、最初はその実力が無くても、やり続けているうちにいつの間にかその実力の域にまで達していることさえあるのです。

    あなたの周りにマイナス思考の人とプラス思考の人がいたなら、どちらが魅力的に見えるかと言えばよほど変な人でない限りはプラス思考の人です。 プラス思考でいるからこそ、「人や運」など良いことがドンドンと寄っていくのです。

    私は365日年中無休ですが実際には予約ゼロの日も多いので、休みと明記してはいないけれど事務所にいるだけでほぼ休みに近い状態があります。 しかし、それは意図的な休みではなく運命が自然と休みをくれているのだと解釈して、それに従い掃除をしたりログを書いたり~それでもすることがなければ早めに家に帰り身体を休めるようにしているのです。

    例え嫌なことがあっても、それを良い方に解釈できればそれは幸せにつながるかもしれないのです。 もっと毎日起きる出来事を楽しんで過ごせるように、努力するのも必要ではないのかと思います。

    人の心は複雑であり、自分にイイことがあったなら祝福してもらいたいけれど、人にイイことがあったなら「おめでとう」と素直に言えないかもしれない。 本当はおめでとうと言ってあげるのがイイことだとわかっていても、実際にそれを言う場面では自分が不幸な時であることが多いので、懐の深さや慈愛の精神がなければ難しいのです。

    多くの場合、何かイイことがあっても「いつまでもラッキーは続かない」とつい思ってしまうかもしれない。 それは人の心理としては仕方がないのですが、自分の利益につながらないことを素直に祝福できる人の方が確かに少数派です。

    しかし、ここで考え方を少し変えてみて欲しいのですが、「朱に交われば赤くなる」と言うことわざがあるように、幸運なことが起こった人やラッキーな人の側にいられるからこそ、祝福してあげるような場面に遭遇するのです。 と言うことは、次にラッキーなことや祝福されるべきことが起こるのは、あなたかもしれないのです。

    よく考えてみると祝福されるべき人が出たと言うことは、そういう環境が整っていたり~そういうチャンスが巡ってくる場所に、あなた自身がにいると言うことです。 だったら、次は自分の番だとばかりに努力してみるのも、あながち外れではないのです。

    わかりやすく言うと「宝くじ売り場」が、その最たる場所のひとつです。 年末ジャンボなどで一等前後賞3億円が出た売り場と言う看板が出ていたり、その売り場が紹介されたりすると買いに行く人が多いと思いますが、それこそ幸運があった場所だからと後追いをしていることに他ならないのです。

    では、3億円当たった売り場だからとあやかろうとするのなら、身の回りで良いことがあった人を素直に祝福してあげるのも、それと同じことになるのです。 イイことがあった人を素直に祝福すると、その幸運が次はあなたを指名するかもしれないのに、その指名のチャンスを辞退しているようでは損だと思うのです。

    準備の無い所に幸運は来ないのですが、それはパーティの準備をしていないのに誰も来ないのと同じです。 あなたがパーティをするのなら会場や料理やイベントなどをキチンと準備して、さらに案内状を出してお客様が来るのを迎えると思いますが、それが幸運を招くひとつの方法です。

    準備もせずに「幸運の女神」を待っていても、通り過ぎるだけなのです。

    あなたは幸運を迎え入れる準備が、キチンと出来ていますか?

    ハニャフニャ? (’▽‘;;)

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    長。

    おはようございます。 今日から連休明けで体が本調子でない人もいると思いますが、元気で素敵な一日になれたら幸せですね。 人間関係で悩んでいる人は、「あぁ~、また今日もあの人の顔を見なきゃいけない…。」と考えずに、自分のペースを守って欲しいと思います。

    自分だけではなく社会生活の中で人間関係を悩む人は多く、その中でも自分は嫌われているのではないのかと言う、疑心暗鬼が心の中に渦巻いていると不安で仕方がなくなります。 特に仕事と恋愛においては常に人間関係と言うものが間にあって、それが摩擦を起こしたり潤滑油になったりして毎日の日々を形成しています。

    私はいつも思うのですが、恋愛に関しては「プライベートだから本人次第」と言われても仕方がありません。 しかし、会社やお店など仕事における人間関係に関しては、上に立つ人が「ナントカしないといけない」 そういう場面で逃げているから会社やお店の中はごたついて、荒んだ状況になりダメになることも多いのです。

    「長」と言う言葉を辞書で引くと「おさ」とか「ちょう」と読み、多くの人の上に立って統率する人で、頭(かしら)とも呼ばれると書いてあります。 言われてみれば「店長~課長~部長~社長など」 役職名に長と漢字が付く人は何らかの責任の所在を表す為によく使われています。

    人の上に立つと言うことは腰を低くしなさいと言われる場合が多く、「実るほど頭をたれる稲穂かな」とことわざになるくらいです。 しかし、人の心理はそんなに簡単ではなく、自分が特別扱いされることに優越感を感じてしまうのも、またひとつの真実なのです。

    私がサラリーマン時代に経験したことのひとつに、同じ部署で働いていた上司が「リーダー」と言う役職から「班長」と言う役職に上がりました。 そしてその時に今まで「○○さん」と名前で呼んでいたのに、全員が「班長」と役職名で呼び始めました。 そして、自分より下の者が知らずに「○○さん」と名前で呼ぼうモノなら、「班長だ。」とイチイチ説教していました。

    注:これは男性によく起こる現象なのですが自分の役職が上がると、いつでもどこでも偉くなったように思い込むのです。 役職名で呼ばれて優越感を感じている男性のどこに魅力があるのか、私にはよくわかりません。 私は役職名ではなく、自分と言う人間を見て欲しいと思いますが、人にはそれぞれ考え方があるので正解⇔不正解はありません。

    私は経営者の人が相談に来たなら、「従業員の人を大切にしてください」と言います。 これは当たり前ですが、自分が社長と言えるのは従業員の人がいてくれるからであり、自分ひとりじゃ何も出来ないからです。

    TVなんかでもヤラセかどうかは別にして、従業員を怒ったり~怒鳴ったりしているシーンがありますが、そういう行為をしている傍若無人な社長に聞きたいことがあります。

    「従業員の方は、怒鳴られたり~怒られたり~八つ当たりされたりしますが、それはちゃんと追加賃金を出しているんですね?」 これは当たり前の話で、社長が従業員を怒ると言うのは、「怒り賃」や「怒鳴り賃」や「八つ当たり賃」などを支払っていないなら怒ってはいけません。

    こう言うと「仕事を覚えない」とか「何回教えてもミスをする」など、色々と筋が通ったようなことを言います。 しかし、それを言った本人に「雇用したのは誰ですか?」と聞いたら、初めて責任の所在が自分にあるというのに気付くようです。

    従業員の人は一生懸命に働いて社長の命令に限らず上司の言うことを聞いて、ちゃんと仕事をしようとしているのに、やる気をそぐようなことをしてはいけません。 「長」と付く場合は、その部署や立場においてトップと言うことです。 ならば、社の長である「社長」が怒ったり怒鳴ったりしていたら、会社内が上手く回るわけはないのです。

    どんな会社~どんなお店の社長(トップ)でも、当然ですが給料は従業員より高く設定してあるのが普通であり、それは別に悪いわけじゃありません。

    ただし、社長の中で万が一にも「ワシの給料は安い」と言う人がいるのなら、そりゃ「忍耐料や我慢料」が賃金として入っていないからです。 社長の給料が高いのは「忍耐料、もしくは我慢料」が、「目に見えない賃金」として入っているから高いのです。

    仮にも社長と言うのなら、自分の給料が安いのは自分の能力不足であると認める度量が必要です。 そして、その能力とは「技術なのか~人身掌握なのか~経営方針なのか~?」 その足りない部分に気が付くのも、社長の仕事のひとつです。

    これは経営者だけなく、人として生きていく上でも通じることですが、相手に好かれようと意気込んでも、無理な時は無理だし~上手く行く時は上手く行きます。 しかし、何もしなくていいわけではなく、人間関係の潤滑油は常に注いでおかないとすぐに切れてしまいます。 全部は出来なくてもいいので、とりあえず3つだけでもして欲しいことがあります。

    ①:相手の良いところを見つけて、褒めてあげる。
    ②:何かしてくれたら、「ありがとう」と感謝の気持ちを示す。
    ③:相手が自分の頼みごと(依頼)を出来なくても、怒らず平常心でいる。

    この3つだけでもできたら、人間関係で悩むことは3割は減ると思うのです。

    あなたは「長」たる立場にいるべき実力を、キチンと身につけていますか?

    ~m( --)m (/;°ロ°)/ アリャー

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    お金考~③。

    おはようございます。 今日は連休最終日なので、身体を休めたり満喫したりと使い方はさまざまですが、今日も素敵な一日となりますようにお祈りいたしております。 先日は昼から広島のお客様のところへ出張カウンセリングに行って参りましたが、もしかしたら次は広島出張が増えるかもしれません…。 (?O?)

    さて、お金考もいよいよラストのお話ですが、「お金で苦労するのは自分のせいであり、誰のせいでもない。」と言うのが、今まで私が生きてきた中で感じたことです。

    金運があるとか~金運がないとか言う前に、日本に生まれて目が見えて耳が聞こえて話が出来て、五体満足で自由に動けると言うこと自体がすばらしい幸運なのですが、それに対して恩恵を感じないのは現状が恵まれているからです。

    今を幸せと思えず幸福を追い求めるのは、運命のイタズラがあっても仕方がないのです。 運命が良いようにしてくれているのに感謝しないでいると、今と言う現状ですらありがたいと思えるような状態にして「感謝の気持ちを思い出させる」ような出来事を起こすのではないのかと感じる時があります。

    「お金を儲けたいなら、他の誰かを喜ばせる。」

    自分ではない他の誰かの心に感動を齎すことが出来たなら、それはあなたの幸せにもなるのです。 レストランでもいいし~洋服販売でもいいし~エステでも職種は問わず、利益優先のお店とサービス優先のお店では、一時的には利益優先が勝ちますが最後に笑うのはサービス優先のお店だと思います。

    確かに「利益が出なけりゃ、お店はやっていけない。」と言うのは真実であり、経営者としては当然の考えと言うか戦略だと思います。 しかし、どうやれば儲かるかとか~どうやれば売れるかなんて考えているようでは、どこかに手抜きが出てきてしまうものです。

    お金とは基本的に労働対価であり、努力報酬だと思います。

    つまり、稼ごうとか儲けようと思わなくても、良い品物や良いサービスにはお金を支払いたくなるのです。 お金のことを考える時に儲かったという結果を重視して、誰かの笑顔があるというプロセスをほっとくようでは、お金の方も相手にしてくれなくなるのです。

    損得勘定を抜きにしてサービスを考えて、お金は後からついてくるという姿勢でいるのなら、運命が見捨てるはずがないのです。 人の役に立ち~誰かを笑顔にすると言うことを繰り返していたら「お客様に必要」とされるのだから、その会社やお店が潰れるはずがないのです。

    もしも、お金考(①~②~③)に書いてきたようなことをしているのに、お金がなくて貧乏だと言うのならば、それは職業選択のやり方を間違っているからです。 営業向きの人が事務職についても、才能的には活き活きできないで燻ることになるかもしれません。

    例えば、浜崎あゆみにメジャーリーグに行って200本安打を達成しろと言ってもできないし、イチロー選手にドームツアーをするくらいの歌手になれと言っても無理です。

    浜崎あゆみは歌手だからこそ、人に感動を与えたり喜びを与えることができる。
    イチロー選手はメジャーリーガーだからこそ、人を引き付ける魅力を発揮できる。

    自分に応じた場所にいるのなら、それは運命が後押しをしないはずはないのですが、自分でこれが正しいと思い込んで運命を無視していると、いつまで経っても浮かばれないかもしれません。

    私自身が良い例ですが、昔の私が工場や建設現場で働いていたと言うのを「信じられない!」と言う人が多いですが、それは紛れもない真実です。 しかし、建設現場時代はいじめは勿論のこと、収入面でも生きていくのが精一杯と言う状態でよくやれたと言うのが実感です。 (建設現場時代の私は、スキンヘッドにマユ無しでした。)

    注:私が関わった建設現場のひとつが、「県庁の星」と言う映画のロケに使われました。 あの建物の型枠~鉄筋~電気など~その他をしていたのですが、柴崎コウが倉庫で脚立に乗っているシーンや、織田裕二が1F厨房にいるシーンを見ると、あの時代のことを思い出して悲しくなります。 だから、あの映画を見ると自然に泣けてきます。 (T_T)

    苦労するのは自分が間違った道を行くからと言うのは、私自身が間違いだらけで人生の修正をできない苦労があったからです。 お客様には、そんな苦労はして欲しくないし、できることなら毎日を楽しく過ごして欲しいと願うのです。

    すごい才能を持ちながら、その才能を発揮できないのでは勿体無いし、才能が活かせさえすれば人生はバラ色になる可能性が残されています。

    お金と言うのは「あぶく銭」と言う言葉があるように、宝くじで1億円当たった人はお金持ちにはなれるけれど、品格(マナーや行ない)までは身に付きません。 一夜明けたら札束を持っていたというような人生では、「身に付く」と言う学びの部分がない為に人間的魅力に乏しいのです。

    しかし、額に汗して自ら稼いだお金を持つ人は、自分の力で作り上げた無限のストーリーを持っています。 そのストーリーを聞くだけでも人の心に感動が芽生えたり、勇気や元気の原動力になるかもしれません。 お金を手に入れる上で、そのお金にまつわる感動があるならば、人はあなたを応援すると思います。

    あなたはお金に好かれて、誰かの役に立つような物語を築いていけますか?

    アリガト(・Θ・)ピヨピヨ♪

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    お金考~②。

    さて、昨日の続きですが、お金が欲しいですか?と聞かれたら、「欲しい。」と答える人が多いと思います。 (ただし、お金を手に入れてから何に使うかと言うのは、人により欲しい対象が違うので千差万別だと思います。)

    ところが、1億円持っていても病気で起きることすら出来ない状態ならば、楽しいとも嬉しいとも思えない人が多いはずです。 お金を持っているだけで自由に使えない状態では、人の心は満たされないのです。 お金を使うと言う行為が出来て初めて心に喜びが出るのですが、いざ使うとなると「やっぱり、やめておこう。」と惜しんでしまうのです。

    お金は回した方が良いと言うことをよく耳にするのですが、自分のこととなると貯める方に気が向いてしまうが故に、逆にお金に嫌われてしまうと言うことの繰り返しなのです。 お金を貯めるのはいいけれど、ある程度貯まって生活にも困らないのなら、自分への御褒美と共に「誰かの為に使う」と言う考え方や行為も必要になってきます。

    少なくとも働けば労働報酬としてお金がもらえると言うのは、日本だからこそです。 海外の国では労働の対価として払ってもらえないとか、払ってくれてもスズメの涙と言うことが多いので注意が必要です。 (エチオピアの奴隷として働いている子供は、給料なんか貰っていません。)

    私は親子でも人生は別と言う話をよくしますが、親子&姉妹(兄弟)でも本人次第で運命は次々と変化していくので、戸籍上は親子&姉妹(兄弟)だけれど運命共同体ではありません。

    私の父を例にとると、父は親の金(遺産や年金など)を当てにして借金しまくりで何にも考えずに湯水のように使いたい放題に使い、いまだに借金生活です。 ところが伯父さん(父の兄)は堅実にお金を貯めて、お金には一切苦労せずに某県にて余生を過ごしています。 同じ兄弟でもこれだけ差があるのですから、運命は自分で切り開けるという良い例です。

    父親が「お金が無い。」とか「お金が必要だ。」とか、祖母や母に当り散らしているのを小学生など物心付いた時から見ているので、今の私が過去に戻れるのなら父に聞いてみたいことがあります。

    「何でお金がないの?」
    「何でお金が必要なの?」
    「何で健康なのに、働かないの?」

    何故こんな質問をして見たいのかと言えば、今の日本で50歳以上の人がお金がないと言うのは「生き方」において、どこかで道を間違えていると思うからです。

    私の父が「お金がいる」と言う時は、飲みに行って見栄を張って散財したり~車を次々と買い替えてローンの借り換えをしたり~仕事せずに家で遊んでいたり、そういうツケを払う時なのです。 (ここまで読んだら、お金が無いのは当たり前だと思う人がほとんどでは?)

    先ほどの3つの質問は、お金を稼いでいる人やお金に苦労していない人なら、すぐに答えられる質問ばかりです。

    まず、「何でお金がないの?」と言う質問ですが、お金が無いと言うことは「収入が少ないか? 支出が多いか?」 このどちらか以外はありえません。 月給10万円の収入がある人が9万円以内の生活水準を保っていたら、毎月1万円貯金できるので年間12万円貯金できます。 しかし、月給20万円でも20万円全部使っていたらお金は貯まりません。 これは子供でもわかる話ですが、大人でも実行できる人が少ないのです。

    次に「何でお金が必要なの?」と言う質問ですが、更に詳しく言うのなら、「それは必要なんですか?」と言う問いに置き換えてもいいくらいです。 買いたいと言う物欲は悪いことではありませんし、それを原動力にできるかもしれないのでイイことです。 しかし、今すぐにそれが必要かと言えば、そうでもないことが多いかもしれないのです。

    私の父に例えるなら「毎晩飲みに出る必要があるの?」「車を買い替える必要があるの?」と言う感じで、今は必要ないのに買うという行いが一番の問題なのです。

    最後に「何で健康なのに、働かないの?」と言う質問は、私が父にしたい質問の中で一番重要な部分です。 父は「あぁ痛い。」「あぁ疲れた。」など、都合がいい時は怠けていたのに遊びに行くとなれば元気に動いていたので、健康で自由に動けるなら何で働かないのといつも思っていました。 それを父に言うと「わしは~。」とすぐに言い訳をするか、「子供は黙っとれ!」と怒られるかのどちらかでした。

    今の私は父と同じように大人になって、更に年を重ねていくと言う時間の流れの中で、すごく感じることがあります。

    長くなるので、今日はここまでにします。 またまた、ごめんなさい。

    m(__)m スミマセン…。

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    お金考~①。

    今日の倉敷は、雪が振っています。 雪が降る中、わざわざお越しくださるお客様には大変感謝しております。 いつもありがとうと感謝するのですが、予約の電話をして~時間を作り~足を運んでいただける、これは奇跡に近い状態です。 日本には1億2千万人以上の人がいるのだから、常に「1億2千万分の①」が起こっているなんて奇跡だと思いませんか?

    私はアヤシイ?霊視カウンセラーなので、そんなに有名でもないし当たるわけでもない。 それでも何とか生きていけるのは、お越しくださるお客様が優しい心の持ち主ばかりで、そのおかげでやっていけるとしか言いようがないのです。 ちょっと仕事ができたり~人気が出たりして謙虚さを忘れた人には、後でお釣りが来る怖さがわからないから出来るだけなのかもしれません。

    さて、話は変わりますが、一般的には今日から3連休です。 いつものことですが、私は連休やイベント(お正月やバレンタインやGWやお盆など)の時期はものすごくヒマになります…、と言うわけで普段書かない話題を書いてみたいと思います。

    私は色々な御相談をお伺いするのが基本ではありますが、苦手な質問と言うか分野もあります。 「あなたの後ろには黒いカゲがぁ~!」とか「あなたの前世はお姫様だから、ブランド物に目が行くのよぉ~!」などと言うような話には付いていけないので、とても苦手です。 TVや雑誌でしていることを基準にするならスピリチュアルと私では、野球とテニスくらい違う内容と考えられます。

    では、ここから真面目なお話しですが、苦手と言えばお金儲けの話が苦手です。 それは何故かと言うと、「自分だけが儲かればイイ。」と言う考えでお越しになられると、予約を入れていただいている以上は全力を尽くしますが、何か割り切れないモノが心に残るのです。 この「自分だけ良ければイイ!」と言う考え方は悪くはないけれど、私は余り好きじゃないです。

    お金と言うのはあれば便利だし、貧乏が辛いと言うのは事実です。 お金が無くて心に傷を負うことだってあるし、お金が無くて大学や専門学校に行けないことだってあります。 お金はあれば便利だから、それは否定するものではありません。 しかし、お金があれば人生が絶対に幸せなのかと考えてみる時間を持てば、その意味や深みや味わいが違ってくるのではないかと思うのです。

    注:麒麟田村のホームレス中学生が貧乏なんて言われたら、私はどうなるのと言う感じです。 借金取りがきたら子供である私に応対させる父親と母親ですから、あんな笑える貧乏ならイイ方です。 (苦笑)

    お金お金とお金が欲しいと言う前に「お金が何で欲しいのか?」を考えて見ないと、お金に好かれないと思います。 お金で苦労する人と言うのは、お金が無くて当たり前と言う日常を送りながら、お金が無いと言う矛盾する言葉を発しているのです。

    例えば、あなたがアルバイトをしていたとします。 アルバイトは基本的に時給がいくらと言う契約になっているので、1時間が700円ならば~10時間働けば7000円になります。 そして5時間働いたなら3500円ですが、10時間働いた人と5時間働いた人に3500円の賃金格差がでるのは、誰も疑問をさしはさまないと思います。

    逆に、10時間働いても5時間働いても、一律で5000円ですと言う契約だったら、自分が5時間で5000円の部署で仕事をしたら得した気分になりますが、10時間で5000円の部署に回されたら損した気分になります。

    お金と言うのは不平等の上に成り立つものだと言うのが理解できていないと、自分はお金に縁がないと勘違いしてしまいます。 お金に縁がないのではなく、「お金を得ることに縁がない」のです。

    今の日本でお金を稼ぐのはそんなに難しいことではないのですが、楽してお金を稼ぎたいと言う考えだから難しく感じるのです。 「じゃあ、どうやってお金を稼いだらいいの?」と思うかもしれませんが、本業に加えてアルバイトをすれば自動的にお金は貯まります。

    例えば、朝5時から8時までコンビニでアルバイト。 9時から6時まで本業にて勤務して、夜7時から10時までファミレスでアルバイトすると言うのを1年間だけしたら、どれだけ貯金できるか普通に考えればわかります。 (これだけ仕事をしていたら、お金を使う暇がないので貯金は貯まる一方です。)

    特に男性でお金がないと言うのを口に出すのは話にならないと思いますが、それは日本が男尊女卑の国だからです。 男性は基本給や昇給や特別手当などが、どの会社でも女性より高く設定されていると思います。 ならば男性でお金が無いと言うのは、仕事をしていない~もしくは働いていないと自分で言っているようなものです。

    注:食事代を女性に払わすような男性が、未来で出世するかどうかは冷静に考えればわかることです。 おまけに別れたら今までのプレゼント代やデート代を請求してくる男性も、問題外で話になりません。 お金にケチをつける男性は、想いにもケチをつける人と思った方がいいです。

    よく考えてみればわかることですが、お金と言うのはそれ自体は何の価値も持っていないのですが、お金に対する意識が価値を生み出しているのです。 一万円札を見て一万円だと認識するから使用できるだけであり、単なる紙だと思われたら誰も受け取ってくれないし使用できないのです。

    つまり、お金と言うのはそれを持つ人間が、価値を決めているだけです

    人の心は欲深いものであり、お金が欲しいと言っても実は本心ではありません。 心の中にある本当の意味とは、健康で動けて年齢も若いと言う条件があって「それでお金があれば良い&お金が欲しい。」と言う部分が人の心には存在しているのです。

    長くなりそうなので、「明日へ続く。」です。

    ゴメンナサイ m(__)m あしたもよろしく~☆

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    チャンス。

    おはようございます。 今日は朝から気持ちの好いくらい日が射してきて、事務所内はとても明るいです。 この気持ち好さを感じていると、今日も良いことがありそうだとワクワクしてきます。

    人は出来ないことには二の足を踏むのですが、本当は出来ないことに無理を承知でする方が、経験を積むという点でもイイ思うのです。 挑戦する気持ちと言うのは何歳になっても持ち続けていただきたいし、新たなモノに目を向ける好奇心も大切にして欲しいのです。

    ただし、仕事でも何でも上を目指すのはいいことですが、人を蹴落としてまでやるものではないし、ズルイことや卑怯なことをしてまで上を目指すのは、アヤシイ?霊視カウンセラーとしてはお勧めできません。

    人には色々な考え方があるので「どんなことをしても…。」とか「どんな手を使っててでも…。」など自分のことしか考えずに突き進む人がいるのですが、それはそれでイイと思います。 自分がしたことは自分に返ってくるのが自然の流れであり、それに対して責任を取るのは自分であり、反省するとかしないとかは本人の考えです。 後で何が起ころうとも、不満を言うのは筋違いと言う覚悟があるはずです。

    話は戻りますが、何の分野においても「任せてください」と言って、自分の力を限界まで引き出そうとするなら、それは新しい世界に飛び込んだのと同じです。 誰しも自分の力を試してみたいと思うのですが、その後に起こる出来事を見てしまうと不安になるのは当たり前であり、当たり前のことなら心配しても仕方がないと割り切るのも必要です。

    国境なき医師団や海外青年協力隊など色々な場所へ行き、自分の力を試したいと思うのは素晴らしいことです。 人には才能や可能性があるのだから、その力を眠らせているのは勿体無いです。 運命は眠らせている才能がある人にはひとつの暗示をしてくれるのですが、その暗示とは「自分はもっと何かできることがあるのでは?」 自分の未来において何かやらなければならないことがあると、心が落ち着かなくなるのです。

    過去を振り返って後悔するような生き方をせず、未来に希望の光を灯せる生き方ができたなら、それは幸福を感じて知らない誰かに祝福されている気持ち好さがあると思います。

    その為にも「好奇心」を、自分の枠の中に収めてしまわずに解き放ってあげて欲しいのです。 医学や文学や科学など、何の分野でもいいから知りたい欲求を抑えることなく、興味のあることは調べると言う姿勢でいれば勉強が苦にならなくなります。

    好奇心の原動力と言うのは凄いものがあり、自分が興味のある対象について「知りたい」と言う欲求があるから人類は発展してきました。 好奇心とは形を変えても現れるモノであり、目標達成と言うのもひとつの好奇心の作用なのです。 それは「自分の力がどこまで通用するのか?」 これを知りたくなったら挑戦せずにはいられないのです。

    ただし、人がやって大まかな見当をつけてからするタイプと自分が先駆者となるタイプとに分かれるので、どちらを選ぶのかは本人次第です。

    「とにかくやってみよう!」と思ったなら、それは挑戦する機会を作れたと言うことであり、やらずに評論するよりも素晴らしいと思うのです。 取り掛かってしまえば意外と簡単に出来たりして拍子抜けすることがあるように、頭の中で壁を作っていると進めないだけなのです。

    任せてくださいと言えるようになるには自信が必要ですが、その自信とは何かをしていないと身に付かないのです。 何でもいいから成し遂げる、大きい小さいと言うことではなく毎週掃除をしようと決めたら続けるなど、ホンの些細なことでいいんです。

    チャンスが欲しいと思っている人は多いのですが、いざチャンスが巡ってきた時に回避したり拒絶したりと二の足を踏むのは損だと思います。 チャンスが来ても掴まないのは簡単ですが、通り過ぎた後に残るのは後悔でしかありえないのです。

    「もしも、あの時にやっていれば…?」 これだとチャンスを掴むことはできないのです。

    いざという時に、「自分はどれだけのことができるのだろう?」と好奇心を持ち、自発的に「任せてください!」と積極的に言える自分になって欲しいのです。 確かに自分が言った以上は途中で投げ出すことはできないし、チャンスを手にする以上は責任と結果が求められますが命まで取られるわけじゃないのです。

    そのプレッシャーを受け止めて、成し遂げたあなたは一段と成長できているはずです。

    今でもやる事が多くてこれ以上は仕事を増やせないとか、これ以上のことは自分ひとりでは無理だとか、やらない理由はいくらでもでてくるのです。 しかし、チャンスと言うのは暇な時には回ってこず、忙しい時こそ巡ってくるのです。 (繁盛しているお店はますます繁盛するけれど、ヒマなお店はますます暇になるのと同じです。)

    チャンスがきたら二の足を踏まずに、「いつでもどうぞ!」と言えるようでないと、次の展開が変わりようがないのです。 

    あなたは目の前にあるチャンスに対して、二の足を踏まずにモノにできますか?

    ~( ^▽^)∠※☆ 大丈夫でちゅ~☆

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