
時間と言うのはとても大事なのですが普通に過ごしていると、その貴重なモノのありがたさに気付かないのです。
少し例を出すと、日本全国各地の県庁(公共施設含む)周辺で「15分」の攻防が起きています。
それは県庁の昼休みの問題なのですが、昨年の4月より総務省より全国の県庁へある通達が出たのが発端です。 県庁の昼休みは元々45分だったのですが、それに「有給休息時間15分」を加えて合計60分の昼休みだったのです。
県庁がするならと言うことで、市役所に加えて公共施設なども15分の有給休息時間を廃止して昼休みは45分とするところが増えました。 そうなると時間的に外食が出来なくなり、昼休みは配達弁当や注文した物がすぐに出てくるファーストフードやコンビニに切り替わりました。
たった15分ですが、その影響が県庁の近隣飲食店の「客足数の激減」と言う形で現れています。 これではやっていけないと言う声が飲食店よりあがりはじめ、それに伴いどうやって昼休みを60分に戻すのかを検討する県庁や施設が出始めました。
休息時間と言うのは、元々仕事の効率を上げる為に手休めと言う意味があり、人事院規則で規定されております。 (当然休みではあるけれど、賃金は払われています。)
しかし、人事院は「民間企業にはほとんどない」として、休息時間の廃止を定めた規則に改正しました。 そして総務省も、国家公務員と同等の勤務条件にする考慮が必要と定めた地方公務員法に基づき、全国の地方自治体に通知しました。
それにより休息時間廃止の動きが一気に広まり、今年中には60%以上の自治体で行われることになりそうでしたが…?
ナカナカ流れと言うのは一方向には行かない物で、職員が食べに来るのを当てにしている飲食店では経営が成り立たない為、署名活動や陳情により昼休みを60分に戻そうという動きが高まりつつあります。
そうなると市民の声を聞かないわけにも行かない自治体としては、職員の昼休みを60分に戻して終業を15分遅らそうという案や、法律そのものを変えて昼休み自体を60分にして就業時間は今までどおりと言う労働時間の短縮案など、色々な方向で調整中です。
ただし、昼休みが45分になっても影響のない飲食店もあるので、そういうお店は魅力があるとか、味がイイとか、午前中に注文を聞いて回るとか、何らかの努力をしているのだと思います。
15分と言えど日本全国で議論が出てくるくらいだから、されど15分なのです。
時間と言うのは誰にも公平ですが、それは大事に使う人と無駄に使う人では運命の歩みの差が出てくる為に、時間の不公平さを勘違いしてしまうのです。
元々人間は日が昇れば起きて~日が沈めば眠るという繰り返しで、時間と言う概念はありませんでした。 しかし、生活と進化を続けていくうちに一日のサイクルを掴み、そして日時計などで時間らしきものを見つけ、寒暖の差などで四季の移り変わりを感じていったのです。
時間とは元々万物の中でもっとも大事なモノですが、人はその大事さをわからずに時を過ごしてしまいます。 「タイム イズ マネー」と言った実業家がいましたが、それは真実であり誰も過ぎ去った時間をやり直すことは出来ないのです。
現代の医学の進歩や食糧事情などを考慮して人生が100年としても、その100年と言う時間を健康で生きているだけに終わらすのか、それとも何かを成し遂げて後世に伝えるのかでは、生きてきた充実感や達成感が旅立ちの時に迎える感動の深さを変えてしまうのです。
どんな人であろうとも赤ちゃんからスタートして10代~20代~中年~、そして最後には老人を経験して亡くなっていきます。 (不慮の事故や、不慮の病気などは除きます。)
産まれた時には泣いているあなたを見て、周りを取り囲んでいる大人たちがニコニコ笑っています。 あなたがこの世に誕生してきたことを、みんなで喜び祝福してくれています。 ならば、せっかく生まれてきた以上は人間としてなすべきことをなし、自分の使命を感じ取り実行して欲しいのです。
そして亡くなる時には大勢の人に囲まれている状態で、あなたは笑顔でベッドに横たわり周りを取り囲む人たちは泣いてくれる。 あなたがこの世から去っていくことを惜しんで、嘆き悲しんでくれる人たちがいる。 そういう人生を送れたら、とても気持ちの好い一生だと思うのです。
あなたは自分の未来において存在を必要としてくれる人を、どれだけ作ることができますか?
ε=ε=ε=(ノ^∇^)ノ
少し例を出すと、日本全国各地の県庁(公共施設含む)周辺で「15分」の攻防が起きています。
それは県庁の昼休みの問題なのですが、昨年の4月より総務省より全国の県庁へある通達が出たのが発端です。 県庁の昼休みは元々45分だったのですが、それに「有給休息時間15分」を加えて合計60分の昼休みだったのです。
県庁がするならと言うことで、市役所に加えて公共施設なども15分の有給休息時間を廃止して昼休みは45分とするところが増えました。 そうなると時間的に外食が出来なくなり、昼休みは配達弁当や注文した物がすぐに出てくるファーストフードやコンビニに切り替わりました。
たった15分ですが、その影響が県庁の近隣飲食店の「客足数の激減」と言う形で現れています。 これではやっていけないと言う声が飲食店よりあがりはじめ、それに伴いどうやって昼休みを60分に戻すのかを検討する県庁や施設が出始めました。
休息時間と言うのは、元々仕事の効率を上げる為に手休めと言う意味があり、人事院規則で規定されております。 (当然休みではあるけれど、賃金は払われています。)
しかし、人事院は「民間企業にはほとんどない」として、休息時間の廃止を定めた規則に改正しました。 そして総務省も、国家公務員と同等の勤務条件にする考慮が必要と定めた地方公務員法に基づき、全国の地方自治体に通知しました。
それにより休息時間廃止の動きが一気に広まり、今年中には60%以上の自治体で行われることになりそうでしたが…?
ナカナカ流れと言うのは一方向には行かない物で、職員が食べに来るのを当てにしている飲食店では経営が成り立たない為、署名活動や陳情により昼休みを60分に戻そうという動きが高まりつつあります。
そうなると市民の声を聞かないわけにも行かない自治体としては、職員の昼休みを60分に戻して終業を15分遅らそうという案や、法律そのものを変えて昼休み自体を60分にして就業時間は今までどおりと言う労働時間の短縮案など、色々な方向で調整中です。
ただし、昼休みが45分になっても影響のない飲食店もあるので、そういうお店は魅力があるとか、味がイイとか、午前中に注文を聞いて回るとか、何らかの努力をしているのだと思います。
15分と言えど日本全国で議論が出てくるくらいだから、されど15分なのです。
時間と言うのは誰にも公平ですが、それは大事に使う人と無駄に使う人では運命の歩みの差が出てくる為に、時間の不公平さを勘違いしてしまうのです。
元々人間は日が昇れば起きて~日が沈めば眠るという繰り返しで、時間と言う概念はありませんでした。 しかし、生活と進化を続けていくうちに一日のサイクルを掴み、そして日時計などで時間らしきものを見つけ、寒暖の差などで四季の移り変わりを感じていったのです。
時間とは元々万物の中でもっとも大事なモノですが、人はその大事さをわからずに時を過ごしてしまいます。 「タイム イズ マネー」と言った実業家がいましたが、それは真実であり誰も過ぎ去った時間をやり直すことは出来ないのです。
現代の医学の進歩や食糧事情などを考慮して人生が100年としても、その100年と言う時間を健康で生きているだけに終わらすのか、それとも何かを成し遂げて後世に伝えるのかでは、生きてきた充実感や達成感が旅立ちの時に迎える感動の深さを変えてしまうのです。
どんな人であろうとも赤ちゃんからスタートして10代~20代~中年~、そして最後には老人を経験して亡くなっていきます。 (不慮の事故や、不慮の病気などは除きます。)
産まれた時には泣いているあなたを見て、周りを取り囲んでいる大人たちがニコニコ笑っています。 あなたがこの世に誕生してきたことを、みんなで喜び祝福してくれています。 ならば、せっかく生まれてきた以上は人間としてなすべきことをなし、自分の使命を感じ取り実行して欲しいのです。
そして亡くなる時には大勢の人に囲まれている状態で、あなたは笑顔でベッドに横たわり周りを取り囲む人たちは泣いてくれる。 あなたがこの世から去っていくことを惜しんで、嘆き悲しんでくれる人たちがいる。 そういう人生を送れたら、とても気持ちの好い一生だと思うのです。
あなたは自分の未来において存在を必要としてくれる人を、どれだけ作ることができますか?
ε=ε=ε=(ノ^∇^)ノ

