徒然草(占い・岡山・東京・霊視)

    あなたを元気にしたい、それが私の願いです。

    使命。

    時間と言うのはとても大事なのですが普通に過ごしていると、その貴重なモノのありがたさに気付かないのです。

    少し例を出すと、日本全国各地の県庁(公共施設含む)周辺で「15分」の攻防が起きています。

    それは県庁の昼休みの問題なのですが、昨年の4月より総務省より全国の県庁へある通達が出たのが発端です。 県庁の昼休みは元々45分だったのですが、それに「有給休息時間15分」を加えて合計60分の昼休みだったのです。

    県庁がするならと言うことで、市役所に加えて公共施設なども15分の有給休息時間を廃止して昼休みは45分とするところが増えました。 そうなると時間的に外食が出来なくなり、昼休みは配達弁当や注文した物がすぐに出てくるファーストフードやコンビニに切り替わりました。

    たった15分ですが、その影響が県庁の近隣飲食店の「客足数の激減」と言う形で現れています。 これではやっていけないと言う声が飲食店よりあがりはじめ、それに伴いどうやって昼休みを60分に戻すのかを検討する県庁や施設が出始めました。

    休息時間と言うのは、元々仕事の効率を上げる為に手休めと言う意味があり、人事院規則で規定されております。 (当然休みではあるけれど、賃金は払われています。)

    しかし、人事院は「民間企業にはほとんどない」として、休息時間の廃止を定めた規則に改正しました。 そして総務省も、国家公務員と同等の勤務条件にする考慮が必要と定めた地方公務員法に基づき、全国の地方自治体に通知しました。

    それにより休息時間廃止の動きが一気に広まり、今年中には60%以上の自治体で行われることになりそうでしたが…?

    ナカナカ流れと言うのは一方向には行かない物で、職員が食べに来るのを当てにしている飲食店では経営が成り立たない為、署名活動や陳情により昼休みを60分に戻そうという動きが高まりつつあります。

    そうなると市民の声を聞かないわけにも行かない自治体としては、職員の昼休みを60分に戻して終業を15分遅らそうという案や、法律そのものを変えて昼休み自体を60分にして就業時間は今までどおりと言う労働時間の短縮案など、色々な方向で調整中です。

    ただし、昼休みが45分になっても影響のない飲食店もあるので、そういうお店は魅力があるとか、味がイイとか、午前中に注文を聞いて回るとか、何らかの努力をしているのだと思います。

    15分と言えど日本全国で議論が出てくるくらいだから、されど15分なのです。

    時間と言うのは誰にも公平ですが、それは大事に使う人と無駄に使う人では運命の歩みの差が出てくる為に、時間の不公平さを勘違いしてしまうのです。

    元々人間は日が昇れば起きて~日が沈めば眠るという繰り返しで、時間と言う概念はありませんでした。 しかし、生活と進化を続けていくうちに一日のサイクルを掴み、そして日時計などで時間らしきものを見つけ、寒暖の差などで四季の移り変わりを感じていったのです。

    時間とは元々万物の中でもっとも大事なモノですが、人はその大事さをわからずに時を過ごしてしまいます。 「タイム イズ マネー」と言った実業家がいましたが、それは真実であり誰も過ぎ去った時間をやり直すことは出来ないのです。

    現代の医学の進歩や食糧事情などを考慮して人生が100年としても、その100年と言う時間を健康で生きているだけに終わらすのか、それとも何かを成し遂げて後世に伝えるのかでは、生きてきた充実感や達成感が旅立ちの時に迎える感動の深さを変えてしまうのです。

    どんな人であろうとも赤ちゃんからスタートして10代~20代~中年~、そして最後には老人を経験して亡くなっていきます。 (不慮の事故や、不慮の病気などは除きます。)

    産まれた時には泣いているあなたを見て、周りを取り囲んでいる大人たちがニコニコ笑っています。 あなたがこの世に誕生してきたことを、みんなで喜び祝福してくれています。 ならば、せっかく生まれてきた以上は人間としてなすべきことをなし、自分の使命を感じ取り実行して欲しいのです。

    そして亡くなる時には大勢の人に囲まれている状態で、あなたは笑顔でベッドに横たわり周りを取り囲む人たちは泣いてくれる。 あなたがこの世から去っていくことを惜しんで、嘆き悲しんでくれる人たちがいる。 そういう人生を送れたら、とても気持ちの好い一生だと思うのです。

    あなたは自分の未来において存在を必要としてくれる人を、どれだけ作ることができますか?

    ε=ε=ε=(ノ^∇^)ノ

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    理不尽。

    理不尽とは、「道理を尽くさないこと&道理に合わないこと」と辞書には書いてありますが、お勤めをしていると理不尽なことは日常茶飯事です。

    上司や同僚や部下など立場は違えど、言われなくてもいいはずなのに言われたり、自分がしたことじゃないのに怒られたり、一緒に仕事をしている人が理不尽な場合は精神的に耐え難い事態になります。

    人には守らなければならない生活や守ろうとする生活があるので、「嫌なら辞める。」 この簡単なヒトコトが実行できずに悶々と不満を抱えたり、嫌々と仕事しながらストレスを抱えたりしています。 (ニートにならず一生懸命毎日お仕事に行っている人は、それだけで拍手を送りたいほど素晴らしいと私は思うのです。)

    こういう時には寝て起きたらスッキリしたと言う感じになればいいのですが、人には記憶能力があるので簡単には忘れられないのです。 聖人君子と言うのは、行いが正しいだけでなく「根に持たない。」 これも大事なのです。

    あなたにとって何か嫌なことを言われたり、あなたにとって苦痛となることをされた時、人間は感情があるので怒りに燃えるのは仕方のないことです。 ただし、人には理性と言うのがあり感情の赴くままに行動するわけではありません。

    嫌な上司の理不尽な命令でも聞くからこそ、会社が機能して給料が出て生活して行けると言う現実を、ちゃんと理解しているからこそ人間なのです。

    ところが、「言うは易く、行うは難し。」と言われるように、頭ではわかっていても気持ちの方で割り切れない部分が出てくるのです。 それがストレスと呼ばれるものになり、自分でも気が付かないうちに身体に異常を起こしてしまうのです。

    私は基本的に「許す」と言うのを心に覚えさせていて、何かを言われても反論しないようにしています。 ただし、私も人間ですから愚痴を言いたくなる時もあれば、嫌になる時だってあります。 しかし、1年間に100回くらい頭にきていたのを、1年間に5~6回程度に抑えるのは聖人君子でなくとも可能です。

    昔はすぐに頭にきていましたが、今は「怒るのもあほらしい」&「怒る暇があれば自分を見つめ直そう」としか思わないようにしています。

    これは基本的に人のことをどうこう言う前に、自分の反省をするようにして自分の行動を省みるのです。 何か言われた時には、「相手がそういうことを言うのは、気が付かないうちに相手が嫌に思う何かをしたのかも?」と考えて自分の記憶をたどってみると、意外と面白いかもしれません。 自分が納得いかないと言うのは、実は相手が納得いくと言うことであり、納得が「いく⇔いかない」は同じことなのです。

    恋愛に例えるなら、自分が振られるということは、誰かが彼と付き合うことができるようになると言うこと。 自分は悲しいけれど、誰かは嬉しい。 自分にとっては不都合でも、誰かにとっては都合がいいというのが、理不尽の元となるのです。

    他にも仕事場などで、机の配置の関係などで誰かと同じ場所で仕事をしていたとします。

    そして自分に来客があった時に、ペットボトルを凹ませたり掃除機をかけたりして騒がしくされたとします。 相手がそうくるならと、今度は相手にお客様が来ている時に掃除機をかけたり音をさせたとします。 そうなると相手はあなたに、「お客様が来ている時に掃除機をかけるなんて非常識だ。」と必ず文句を言ってきます。

    これを理不尽だと考えると、相手と喧嘩になりストレスが溜まってきます。

    このような場合にどう考えるのかと言えば、「相手はプライドの高い人だから、仕方がない。」 つまり、相手はこちらを一段低く見て自分の言うことのみ正当性があると考えているから、文句を言ってくることができるのです。 普通の考え方や理性があるなら、最初からお客様がいるのに騒がしくするなんてしないし、文句を言うような事態を引き起こさないのです。

    理不尽だと思う現象や行動を起こす人と言うのは、「話してもわからない人」と言う大原則があります。 話をしてわかるくらいであれば、最初から理不尽な事を言いません。 人の話を聞けないからこそ理不尽な行動ができるのであり、聞けるようなら物分りの良い人となり人と衝突なんかしないのです。

    ここで混同してはいけないのが、「話が難しい人」と言うのは順序よく筋道立てて話せばわかる人のことを言います。 「話がわからない人(理不尽)」と言うのは、自分が納得する(有利を含む)こと以外は認めない人のことを言います。

    世の中の時間の流れは公平であり、その公平である時間を無駄に使うのはもったいないのです。 わからない人に使う時間があれば、自分に使う時間の方が大切なのです。

    あなたは理不尽な人を相手に、真面目に話をしていませんか?

    YA~ \(@ ̄∇ ̄@)/ YA~

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    成功する為に。

    あなたが成功する為に必要なモノとは、なんだろうと考えた時に思い付くモノは何ですか?

    学歴~資金力~アイディアとか、目標や行動などと言う人もいると思いますが、私がこう問われた時に答えるのは、「人」もしくは「縁」と答えると思います。 人との出会いから全てが始まり、人との出会いから何かが生まれるのです。

    例えば、自営業をしている人の中で失敗した人限定で見ても、再び復活できているのは「人を財産」と考えている人がほとんどです。 会社やお店が倒産したからと言って、失うのはお金とか土地建物と言う物質的なものだけです。

    人との縁を大事にして、人との関係をしっかりと重要視しておけば、お金や物なんかはいくらでも増やしていけるのです。 ただ、ここで重要なのは「縁」と言っても「悪縁と良縁」のどちらをあなたが重要視しているかです。

    難しく考えなくても、いいんです。

    悪縁とは、一緒にいると悲しいことや辛いと思える出来事が増えていく人。
    良縁とは、一緒にいると楽しいことや嬉しいと思える出来事が増えていく人。

    単純明快に、「悪縁から遠ざかろうとする気持ち」が大切なのです。

    運命の人とは普通の考えで言うなら結婚する相手であり、異性のことを世間一般では言います。 しかし、運命の人とは本当はひとりではないのです。 仕事上や人生哲学上で影響を与えてくれる人も、運命の人と呼んでも差し支えないと思うのです。

    私がこういう人になれたらと思うのは、「会うだけで良いことがある。」「話すだけでヒントが得られる。」「そこにいるだけで幸せな気分になれる。」 こういう人になれたら、今よりも「人生って素敵だな。」と幸せに感じれる人を増やせるのではと思うのです。

    今の事務所は今まで居た場所とは比較にならないくらい雰囲気が良いと私は思うのですが、それはあくまで私が思うだけで他の人から見れば「暗い&汚い」と感じるかもしれません。 しかし、この事務所に来たら「来る前よりも元気になれた!」と、なってお帰りいただきたいと思うのです。

    話が横にそれましたが、ラッキーパーソンやメンターなど色々な言い方があるでしょうが、自分にとっての運命の人とはいつも重要な局面に入る前にはいるものです。 ただ、それに気が付くかどうかの違いや差があるだけなのです。

    「今までの上司の下では成績がさっぱりだったけれど、今度異動してきた上司の下では成績が見違えるようになった。」 「ある人と知り合いになったら、それをキッカケに友人が増えるようになった。」など、これも運命の人と読んでも差し支えないのです。 それらの出来事や言葉を、自分を変える為の暗示や使命と思える人なら運命が味方をするはずです。

    では、仕事や人生における運命の人とは、どうやって見つけるのかと言えば簡単なことです。 人の運命は人との縁によりできあがるのだから、「人と会う」と言うのが基本なのです。 部屋にひとりで閉じこもっていると、出会いも何も始まりようがないのです。

    運命の人を探す基準としては、「あの人はいつも同じ場所で出会うなぁ~。」とか、「あの人のアドバイスはいつも為になるなぁ~。」などホンの少しでいいから、何かのつながりを発見するのもイイと思います。

    それでも、「思いつかない。」とか「わからない。」などと前に進めないのなら、考え方を少し変えて欲しいと思うのです。

    運命の人とは自分から見ると「他の誰か」ですが、他の誰かから見ると「あなたが運命の人」と言う現実があります。 ならば、あなたが誰かに助言や勇気付けなど相手の心のよりどころになってあげることにより、縁の強さやつながりを実感できると思うのです。

    そうやってひとつづ縁の強さや縁の深め方を学ぶことにより、自分自身が運命の人との関わりを実感できると思うのです。

    それでも何をすればいいかわからないというなら、素直になることで見えないものが見えてきます。 水は上から下へ流れるし、雨が降れば傘をさすし、のどが渇けば水を飲むと言うように、難しく考えずに簡単明瞭でいいんです。

    仕事場においては上司の意見にむやみやたらに反発せずに素直に聞き入れて、「なるほど~!」「そうかな~?」など聞き分けるのもイイことです。 部下や同僚の頼みはなるべく聞き入れて面倒を見るようにして、自分の周りを感謝で一杯にするのも大切なことです。

    あなたは自分の運命の人を探す前に、自分が運命の人になれていますか?

    (。 ̄_ ̄。)ノ~~~ ドォモ~☆

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    座敷童子。

    おはようございます。 今朝も寒くて暖房が効き始めるまでは、事務所の中で震えながらログの更新をすることになりそうです。 今日は月曜なので仕事始めの人も多いと思いますが、元気に明るく素敵な週の始まりとなるはずです。 あなたは素晴らしい未来が待っているのですから、大丈夫です。

    さて、日本昔話も含めて座敷童子と言う精霊的な存在の名前を聞いたことがあると思いますが、基本的に座敷童子は日本全国どこでもいるものです。

    主に岩手県に伝えられるのですが、中でも金田一温泉の■■荘の座敷童子はTVや雑誌などでも取り上げられて有名ですが、ココに予約を入れて座敷童子が出る部屋を取ろうとすると1~2年待ちです。

    このログによく出てくるN市のIさんは、この旅館のことを知って泊まりに行ったことがあるのですが、当然のごとく座敷童子がでる部屋は人気があるので予約は取れませんでした。 しかし、Iさんは別の部屋でもいいからと■■荘へ泊まりに行った所、Iさんが泊まる日にキャンセルが出て急遽その部屋に泊まれることになったそうです。

    この辺が強運なところでもあり、日頃の行いが違うという証明でもあるのですが、N市のIさんに座敷童子が配慮してくれたのかも?

    TVのヤラセや雑誌の宣伝広告は別として、真面目に座敷童子に関してアヤシイ?霊視カウンセラー的な見解です。

    座敷童子とは、赤面垂髪の5~6歳くらいの小童子(童子と童女の両バージョンあり)で、豪商や旧家の奥座敷にいて、その存在が家の趨勢や繁栄にかかわると言われております。 その為、座敷童子を手厚く取り扱い毎日膳を供える家もあるほどです。

    座敷童子は悪戯好きで、夜になって家で寝ている人の布団の上に跨ったり、枕を返したりして遊んでいますが、座敷童子を見た人には幸運が訪れると言われています。 小さな足跡を灰の上や土間などに残したり、夜中に糸車を回す音を立てるとか、奥座敷で御神楽のような音を立てて遊ぶこともあります。

    なお、その姿は家の者以外には見えないとも言われるし、子供には見えても大人には見えないとも言われます。 お狐様や犬神様に類似した性質や構造を持つが、座敷童子の場合は住んでいることを迷惑がらずに神様としてきちんと保護して、畏敬の念を持つという点で若干の違いがあります。

    座敷童子も日本全国で言うと、座敷童~座敷童衆~座敷ぼっこ~蔵ぼっこ~座敷小僧など、色々な呼び名があるようです。 また、遠野物語など色々な本や小説でも存在を記してありますから、まんざら嘘と決め付けるわけには行かないと思います。

    これは知らない人もいるようですが、座敷童子にも色々なタイプがいるのですが、タイプ別に表記してみると…?

    家の土間の方に入るタイプを、こめつきわらし~のたばりこ~うすつきこなどと言います。
    奥座敷にいる色白の最も綺麗な座敷童子を、「ちょうびらこ」と呼んでいます。

    その他にも、災難(火事~洪水~津波)などを知らせる為に、細手とか長手と呼んでいる所もあるようです。

    では、ここから座敷童子の発祥と言うか、悲しい真実もお話したいと思います。

    座敷童子が何で岩手県などの東北の方で神話が語り継がれたかと言えば、中世から昭和初期までの東北地方では○○○○が行われていて○○○を間引いて屋内に○○○風習がありました。 (現代では行われていないし、その事実を知っている人も少なくなりました。)

    それが護法童子や心得童子となり、今日に伝わったものが座敷童子と考えられているようです。 扱いの位としては、東北地方の蚕神、竃神として祭られている「おくまいさま」や「おしらさま」と同様の扱いです。

    注:座敷童子は倉敷の美観地区や大原邸および周辺のお屋敷にもいるのですが、欲に塗れた心では誰にも微笑まないだけなのかもしれません。

    ■■荘(旅館)の話に戻りますが、座敷童子はあの部屋にだけいるのではなく、大浴場や玄関や庭などいたるところに移動しています。 「槐(えんじゅ)の間」にだけいるのではないのですが、たまたま「槐の間」に泊まった人に見たと言う声が多いだけです。

    松下幸之助や本田宗一郎など歴代の見たという人たちに共通点があるのですが、それは座敷童子の方から会いに来たと言う点です。 その当時、槐の間に泊まれるのはお金持ちやある程度出世した人が多く、その中でも世の中に貢献する人が多く見ています。 それは座敷童子がその人に興味を持って会いに来たと言うことであり、その部屋に泊まったから見たというわけではないと思います。

    欲に塗れた心で「会えたら幸運が訪れる。」と言う考えで行っても、出てきてくれるかどうかはわからないのです。

    私の考えとしては、「座敷童子に会いたい」と言うよりは、座敷童子の方が「山崎に会いたい。」と興味を持ってくれる方が嬉しいです。

    また、美観地区にも座敷童子はいるので、会いたければ美観地区のある場所に行けば居ます。 私は商店街時代はヒマだったので、しょっちゅう美観地区に暇つぶしに行っていたので座敷童子を珍しいとは思わないのです。 ただし、東北地方の座敷童子とは少し姿が違うようですし、「気のせいや!」と言われればそうかもしれません。

    興味のある人は、美観地区の地図を持ってきてくれれば出るポイントを何ヶ所かお教えしますが、出てきてくれるかどうかは保障できません。 (多分、大原邸などあの周辺のお屋敷にいる座敷童子だと思うのですが…?)

    あなたは座敷童子が会いたいと思う程の、素敵な魅力を身に付けようと思いますか?

    Σ( ̄ロ ̄lll) 

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    怒ると損。

    今朝は倉敷駅で2月17日分の東京出張の切符を買って、事務所までの道すがら思い出したのですが、私は生まれてから一度もケンタッキーに行ったことも食べたこともありません。 TVなどでケンタッキーフライドチキンの話が出ても実体験がないので、「一度は行ってみたい。」と思っていました。 (ただし、欲しくて欲しくてたまらないわけじゃないので、探してまで買いに行くほどじゃないです。)

    ところが前回の東京出張の時に時間が少しあったので、駅の周辺を歩いていると駅の反対側にケンタッキーを発見したので、2月の東京では買ってみようと思いました。 次回の東京では人生初のケンタッキーが実現するかもしれないので、これが楽しみの一つです。 (カーネルおじさんも、実物を見たのは初めてでした。)

    話は変わり…。 怒らないと言うのができれば、人生において人との衝突が少なくなるのに、やはりイライラしたり腹が立つことってあります。 世間でも隣人トラブルや仕事関係など、事件や事故の原因となることは多々あり、本当に現代はストレス社会だと思います。

    私はもともと自閉症と言う点もあり、すぐに怒ったりふて腐れたり、やる気を失くして手抜きをしたりと言うことの繰り返しでした。 今と言う時点で振り返ると、怒るのは損だし、自分に悪い点があると言うのもわかるのですが、その時には自分が正しいと思い込んでいるのですから不運だったのは仕方がないのです。 (運命が考え方や生き方の修正を命じていたのに、それを無視する行動だったのだと思います。)

    昔は怒ることの連続で情けない考え方や精神でしたが、今の私は怒ると言うのは損だなぁ~と言うのが、ようやく理解できて来ました。 今までは人のせいにしたり~怒りまくったりと自分中心の人生でしたが、怒るのは自分が悪いと考えるようになってからは、怒る回数が減ってきたのです。 (今頃気付くなんて、遅いと言えば遅いのですが…。)

    仮にAさんがBさんと言う人を嫌いだとしても、Bさんを好きな人も居るのですから、嫌いと言う感情はAさんだけのものであり、他の人から見るとそうではないのです。

    怒ると損だと言う例としてあげてみたいのですが、もしもあなたが会社を経営していたとして…?

    A:ある時、会社のPC用に「記録用ディスク5枚組み(3千円也)」を購入しました。
    B:ところが3枚使った所で、4枚目にデータを出し入れできなくなりました。
    C:そこで購入した所に携帯電話で電話を掛け、残り2枚の交換を要求しました。
    D:お店側の言い分も聞かずに「自分は正しい」とばかりに、約45分文句を言いました。
    E:そして部下に命じて記録用ディスクの交換の為、お店に行かせました。
    F:すると、お店で記録用ディスクのテストをすると意外な事実が判明しました。
    G:実は「記録用ディスクは正常」で、会社のPCの読み取り部分が壊れていたのです。

    ここまで読んで、この経営者のミスが多いということに気が付いたかもしれませんが、一番の問題は「怒る」と言う点です。 怒るのは損だと言うのが物理的にも~人として信用の部分でも、色々な面で作用してきます。

    まず、ディスク5枚の価格は3千円ですが、(1枚=600円)×2枚=1200円の為に、携帯電話で45分も文句を言ったのです。 ここで現実問題として携帯電話代が45分間分の料金として発生しています。 次に経営者としての45分と言う時間を、その為に使用しています。 次に部下に命じてお店に行かせると言うことは、往復の交通費と時間に加えて、部下に交換に行かせたと言う労働対価が掛かっています。

    ここまでお金に換算してみると、どれくらいの費用が掛かっているのか、普通に考えれば誰でも理解できることです。

    そしてお店の言い分も聞かずに怒鳴りまくり、自分が正しいと言い張った為にお店側としては、この経営者に対して良い感情は持てません。 やはり人間ですから、お店側の言い分として、「PCのディスク読み取り部分のチェックと清掃」をしていれば、ここまで大事にはならなかったと言う感情が残ります。

    つまり、このお店がこの経営者に対して抱く感情が、そのまま会社としての信用が無くなっていると言う損失だけがあるのです。 こんな経営者だったら、その会社が存続できるかどうかと言えば、いざと言う時に誰も助けないと思います。

    ここまで読んで、「そんな経営者いるの?」と思う人がいるかもしれませんが、あくまで例え話です。 (-^〇^-)

    それに怒ると言うのを続けると、その怒りを忘れさせる為にそれ以上の怒りの対象みたいなことが起こります。 これは私自身もよく経験しているのですが、ある事柄に対していつまでも言い続けて怒っていると、それを言わないようにさせる為の更なる怒りの対象が現れるのです。

    やられたらやり返すと言うのでは、連鎖反応がいつまで経っても収まらず、終わりのない争いを続ける原因にもなってしまいます。 注意したことが仇となり返って人間関係がギクシャクして、会社や学校で険悪な雰囲気になったと言うのもよくあります。

    怒らないようにするのは難しいと言うのはある意味真実であり、「明鏡止水の心境」と言う言葉もあるように、ナカナカ平穏な状態を作り出すのは難しいと思います。 それでも怒らないように努力するのは必要なので、人生とは修行や勉強の連続だと思います。

    あなたは怒ることで、目に見えない部分での損をしていませんか?

    \(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?

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    転ばぬ先の杖。

    今日の倉敷は昨日に引き続き良い天気で、事務所内も明るく光がとてもキレイです。 朝ココへ来てログの更新をしていると、心がすっきり浄化されるような感じなので朝の光が楽しみです。 これもひとえにお客様が私のところへ来てくださるおかげで今のようになれたと、過去を振り返ってみても感謝の念にたえません。 本当にお客様には、心よりお礼を申し上げます。

    私はお客様の心が元気に前向きになれるような、そういう人間になりたいと思いますが未熟者ゆえマダマダ不手際がありますが、今後もよろしくお願い申し上げます。

    さて、「転ばぬ先の杖」と言う言葉があるように、お客様の未来において無用な災難は、できれば避けて欲しいと思います。 今日は一般的な生活をしている人には余り関係のないお話ですが、自分がそういう目に遭ったことがある人には、「あるある」と言う感じの内容になります。

    このログを読んでいるお客様より、時々ですが「何で自分がした借金じゃないのに、払うことになるのか?」 こう聞かれます。

    普通の家庭に育ち~普通に生活して~普通に結婚して~普通に人生を送っていると、借金に遭遇することはありません。 ローンを組むと言っても、家を建てたりマンションを買ったり、後はせいぜい車を買ったりする程度です。 しかし、お金の観念がない人は形のないものにお金を使い、それを悪いことと思わないのが始末の悪い所です。

    私の父親が借金を作るのは、主には以下の3つがあげられます。

    ①,勤めるのが嫌だから自営業を立ち上げて経営難になり、資金繰りの為に借金。
    ②,車を次々と買い替え、毎晩飲み歩いて、お金を湯水のように使いまくり借金。
    ③,骨董品を買い捲り、100万円で買った物を60万円で売ると言う繰り返しで借金。

    こんな状態でも父の父母(私の祖父母)が生きている時には、まだ何とかやっていけていたのですが、祖父母が亡くなり遺産も無くなると借金するしかないのです。

    お金を借りると言っても担保が必要で、私の父は兄弟や親族に内緒で実家を売って、買い戻してもらったことが過去3回あります。 それでも懲りずに4回目をやった為、今度は誰にも相手にされず実家は競売に掛けられて売られてしまいました。 (仏の顔も三度までと言います。)

    私はその時に幼い時の思い出が無くなって悲しいと言うよりも、「これで父も借金できないだろう…。」 ほっとした気持ちになりました。 担保がなければ借金は出来ないので、最近回ってくる父親名義の借用書は小さい金額ばかりです。 (そのうちブラックリストに載り、完全に借りられなくなります。)

    では、何故父親の借金を私が代わりに払う羽目になるのかと言えば、「保証人」と言う制度の為です。 コレはやられたことがある人や金融業界で働く人はすぐにピンと来るでしょうが、普通の家族ならば無縁の話なのでわからないと思います。 (あくまで私の父親の話であり、普通の父親ならこんなことはしません。)

    まず、お金を借りるには銀行なり金融会社なりに借用書と言うのを書かないといけません。 ここには「借り主」と言うのに加えて「保証人」と言うのが必要になります。 (これは借り主が返せない時に、その代わりに払う人と言う意味です。)

    私の場合で言うと、以下のようになります。 借り主が「山崎治」で、保証人が「山崎かずみ」 もしくは 借り主と保証人の名義を逆にした状態で、銀行や金融会社より資金を引っ張ります。

    ここでひとつお断りしておきますが、私が父親の保証人になったことは一切ありませんし、私がお金を借りて父に保証人になってもらったことも一切ありません。 私は今後の人生において「親の世話になる&借金する」と言うことはありえないし、山崎家の歴史上において一番社会に役に立っている自負もあります。

    「じゃあ、なんで借金になるの?」もしくは「じゃあ、なんで借用書に名前が書いてあるの?」 こう思われるでしょうが、コレが「親子&兄弟&夫婦」の怖さなのです。 夫の借金を妻が払うとか、子供の借金を親が払うなんてのも、多分私と同じ目に遭っているのだと思います。

    親子や兄弟や夫婦の場合は、本人の了承がなくても書類審査が通るのです。 借用書を見ると「山崎かずみ」と書いてはありますが、この筆跡はどう見ても「父か母」が書いた筆跡で私の書いた字に似せてはあるけれど違う字です。

    つまり、保証人の欄を母(父)が本人に成りすまして「山崎かずみ」と書きハンコを押せば、それで銀行や金融会社でお金を借りることが出来ます。 本人不在でも、「親子&兄弟&夫婦」の場合は、「あとで本人に証明させるから~。」とか「あとで、本人に電話させるから~」など適当なことを言って、とにかくお金を借りるのです。 そうすれば、本人確認は有耶無耶になってしまうのです。

    このログを読んでいる人も気を付けないといけないのですが、「親子&兄弟&夫婦」の場合は本人に無断でお金を借りることが出来ます。 親子だから住民票も余裕で無断受領できるし、銀行や金融会社も親子&兄弟&夫婦だからすぐにOKを出します。

    書類の偽造を悪いことだと思うなら最初から借金なんかしないし、普通に生きていれば人生において借金することはありません。 借金する場合は、「してはいけないこと」をしていると言う認識が必要です。 私にとって親の存在は、「お金の前には親子の愛情なんか無い」と言う厳しさを教えてくれた先生なのです。 (野菜か?果物か?よくわからない名前の銀行は、父が偽造した書類を何度も何度もよく通してくれたなぁ~と感心します。)

    今日は薀蓄的な内容で申し訳ないのですが、私と同じような目に遭う人を少しでも防げればと思い参考までに書きました。 私のような立場に追い込まれる人は、余りいないと思うので今日の話は面白くなかったかもしれません。 ごめんなさい m(__)m

    あなたは「親子~兄弟~夫婦」だからと言って、油断していませんか?

    (°_°;)ハラハラ(; °_°)

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    基準。

    おはようございます。 今日の倉敷はイイ天気なので、事務所内は光のハーモニーが絶好調です。 ココに移転するのに不安はあったけれど、決断したことは良い方向へ進んでいると思います。

    運命とは決断の連続であり、それが良いか悪いかは時間の経過と共に色濃くなってくるのです。 人生とは100人いれば100通りであり、同じ人生や同じ運命はありません。 しかし、似たような状況や待遇と言うのはあるので、そこで他の誰かと違いを見い出すとかしないと同じような状況で終わってしまいます。

    私は未来における出来事をお話して選択肢や回避方法などを言うことはできますが、怪しげな水晶で念じたり~ナントカパワーで運命を自動的に変えることは出来ません。

    Aと言う道を行けばAと言うことになるので、Bと言う対処方法を取るか~もしくはCと言う前兆を察知して避けるようにしましょうと言うことが多いです。 それは未来を視る無力感のひとつでもあるのですが、どの未来を心地好いと考えるのかは本人次第で変わるということです。

    私が視てXと言う道が良いと思えても、お客様がZと言う道が良いと言うなら止めるわけにはいかないのです。 その先にあるのは本人が納得する道であり、他の誰かが口を挟める結果じゃないのです。

    色々なお客様を拝見させて頂いてると、「良い方へ行く人~変わらぬ人~悪い方へ行く人」と3パターンに分かれます。 この分かれ方を視ていると、人の選択肢とは基準により変わるものだと勉強になります。

    恋愛風に例えるなら、好きと言う気持ちだけを優先していると生活が滅茶苦茶になるかもしれない。 結婚したいと言う気持ちだけを優先すると、愛情の無い冷たい生活を送るかもしれない。 運命の差と言うのは、その人による考え方や理想が基準の差となるのかもしれません。

    周りから見てイイと思えなくても、本人が離れられない以上はイイ恋愛なのです。 結婚生活が周りから見て凄く良いように思えても、本人は地獄の苦しみを味わっているかもしれないし、基準とは人により個人差がものすごくあるモノなのです。

    お客様より相談を受けた時に私なりの基準としては、色濃く視えた方が「選ぶか? もしくは選んだ方が良いか?」 このどちらかなのです。 ところが人は感情の動物なので、感情や思惑の部分が選択肢の邪魔をするのです。

    わかりやすく仕事に例えてみると、営業系でバリバリ働いている時に「笑顔」で日々を過ごしていたとします。 そして事務系のお仕事の時には嫌々働いていて「沈んだ顔」で日々を過ごしていたとします。

    こういう未来が視えたなら進む道としてお勧めするのは「営業系」なのですが、その時に色濃く視えたのが「事務系」なら近未来で事務系のお仕事に就いているのです。 それは運命が選べと命令したモノではなく、自分で選んだ結果がそうなっているのです。

    営業系で働いた方が良いと本人もわかっているのだけれど、親や兄弟や恩師などに逆らえずに事務系に就職したなんてことはたくさんあります。 運命は営業系で働くチャンスをくれても、自分の判断で事務系に就職するなら仕方がないのです。

    これが夢や希望の道を進もうとしていても、近未来を見た時に結果が全然違う場合と言うことです。 仮に本人が東京で働く気があっても、近未来を見ると地元で働いているというのは、周りの意見や状況に流されてしまい決断できなかったということなのです。

    運命はチャンスだけはくれるけど、決断するお手伝いまではしてくれないというのがミソなのです。 重大な局面においてはホンの些細なことがものすごく大きな影響力を持って、運命を右と左に分けてしまうのです。

    その決断をする時に、私のところへ来ていただくと少しはお手伝いできるのかも知れません。 お客様の未来を視た時に、分岐点の前で来てくれたらと思うことがしばしばあります。

    例えるなら、結婚前に来ていただくと結婚をした後の生活状態と、結婚をしなかった時の状態をお話しすることが出来るのです。 最低でも2つの道をお話することが出来たなら、お客様も未来をわかってから行動できるという利点があります。

    仮に結婚前は品行方正でとても真面目な人だったとしても、3年後に仕事を辞めて引きこもり状態になっているかもしれません。 ところが事前にそういう風になるのを聞いていたなら、「よし、こうなったから~次はこうなるな?」 このように次々と対策を講じることが出来るので、未来における決断をすばやく出来ると思うのです。

    未来において発生する出来事を今と言う時間の中で止めることは出来ないけれど、その前兆や前触れを知っていたなら少しは落ち着けると思うのです。

    あなたは未来のことを決断できずに、運命を味方にするのを忘れていませんか?

    ヾ(@⌒ー⌒@)ノ おはよう~☆

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    聴覚。

    耳とはものすごく重要なのですが、意外とそれを大事にしていない人が多いと思います。

    耳が聞こえるからこそできることがあり、しゃべると言うのは耳が聞こえるから普通にしゃべれるのです。 もしも耳が聞こえないと、相手と会話をするのがとても難しくなりますが、それは相手の言うことが聞こえないだけでなく、自分が何を言っているのか聞こえないと脳が正しい発音を認識できずに混乱してしまうのです。

    赤ちゃんが生まれたらすぐに耳の検査をしないといけないのですが、それは耳が聞こえない為に脳の発達が遅れたりするのを防ぐ為です。 これは絶対に必要なことで、赤ちゃんの聴力検査をしない病院は技術的にも能力的にも怪しいです。

    一概に比較は出来ませんが脳が老化&退化して動きが悪くなると、耳から入る情報を理解しにくくなります。 その理解できないという現象のひとつが聴力であり、音楽の趣味などが変わるのはそのひとつです。

    私は脳の老化などを防ぐ意味でも、音楽を聴く時は色々なジャンルを聞くようにして好き嫌いを作らないようにしています。

    以前の事務所では大家さんの意向があり、自由に音楽をかけることが出来ませんでした。 ですから以前の事務所では洋楽ばかり流れていたと思いますが、あれは私の本意ではありません。

    今の事務所は私が聴きたい曲を自由自在に掛けることが出来るので、サザン桑田、浜崎あゆみ、山崎まさよし、大塚愛、EXILE、コブクロ、レミオロメン、KAT-TUNなど、何でもござれ状態です。

    ここで偏見をなくさないといけないのですが、10代の人が熱狂する音楽(J-POPなど)は「10代の人が聞いて心地好い」と言う現実があります。 耳から入る音は心地好いなら「素敵な音楽」として聞こえるのですが、気分が悪い音は「単なる雑音」として認識するのです。

    もしもあなたが30歳として、20歳の人が聞く音楽を気持ち好いと感じて聴けるのなら、それはあなたの脳が20歳と同じ状態を維持できているということなのです。 20歳の人が熱狂できる曲を、同じように受け入れることが出来るのは脳年齢が20歳かもしれません。

    脳と耳の関係は、探っていくと奥深いモノなのです。

    例えば? ある夫婦は自分達の家が欲しくて、静かな山間の村に居を構えようと家を下見に行きました。 住んでいる近隣住民の人の意見を聞いても素晴らしい自然環境でしたが、唯一の不安は家の横を通る小川でした。 絶え間なく流れる小川のせせらぎをどうだろうかと思いつつも、その家を購入しました。 予想通り素晴らしい環境でしたが、入居した時点では小川のせせらぎが少し気になりました。

    その後、何週間か経過して知人が遊びに来て泊まることになりました。 翌日の朝、みんなで朝食を取っていると知人が「あんなに小川が流れているのに、よく眠れるねぇ?」と言うと、「あぁ、そうなの? でも、慣れたらイイ感じの音楽みたいなもんだよ。」 こう答えたのです。

    さて、ここで質問ですが「彼らの聴力は衰えた&変わったのでしょうか?」

    答えは「いいえ」です。 実は脳がその音を生活の一部だと認識したので、音を不快に感じなくなったのです。 ここがポイントで、脳は不快な音はうるさく感じるのですが、好みの音は静かに感じる性質があるのです。

    F1マシンの爆音は興味の無い人にはうるさいだけですが、車好きにはたまらないマシンの鼓動なのです。

    これは勘違いしている人が多いのですが、音や声と言うのは脳が理解するのであって、耳は理解できません。 耳が聞いてから、その音を脳が「快か?不快か?」に聞き分けて認識して、初めて好き嫌いが出てくるのです。

    脳がこの作業を終えないうちは、耳は単なる集音機状態です。

    のべつ幕なしに色々と聞いてしまうので、「聴覚錯乱」という現象が起きはじめます。 今までは好いと思っていた音が不快に聞こえたり、気にならなかった音が気になり始めたりします。 (この現象、スピリチュアルカウンセラーに言わせると霊の仕業とか~神の声となるようですが、そんなことを言うから科学者や世間の人に相手にされないのです。)

    耳は重要なので大切にしないと気付かないうちに老化現象が起こっていて、いつの間にか自分だけの世界に入り込んでしまう危険があるのです。

    あなたは脳の衰えを誤魔化さずに、ちゃんとケアできていますか?

    (°д°;;) ナント!

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    運の良い人。

    運の良い人と交わっていると、知らず知らずのうちに良い運に恵まれるようになります。 今の自分の周りの人はどれぐらい運が良いかを見て、自分の運気レベルの確認をして見るといいかもしれません。 自分の周りに運の悪い人が多ければ運が悪いし、運の良い人が多ければ運が良い。 単純にこう考えても、あながち外れではないのです。

    以前の私の周りには嫌な人が多かったのは、自分自身が嫌な人だったからと納得しています。 しかし、素敵なお客様ばかりだと言い続けた結果、本当に良い人に出会う確率の方が多くなりました。 騙されたと思って「私の周りは良い人ばかりだ。」と言い続けて見るのも、手軽に出来る開運法ではないかと思います。

    私は自分の過去を反省する上に置いて一番悔やんでいるのは、人とのかかわりを持たなかった点です。 自分から声を掛けるとか掛けないとか、そういう問題ではなく「人のせいばかりにして、自分の言うことが通らないと文句を言う。」 こんな自分中心のことばかりで、人に嫌われていたのが悔やまれるのです。

    いじめられていた時代を考えても、それは小学生で終わらせることができたかも知れないし、高校生で終わらせることが出来たかもしれない。 それなのに社会人となり勤める先でも次々と嫌われて、いじめられ続けたのは私に問題があるからです。

    学生時代も含めて、もしかしたら社会人となり勤めていた会社の中に素晴らしい人がいたかもしれない。 かかわりを持たないだけで、ひょっとしたら話せば素敵な人が居たかもしれない。 そういう出会いの可能性を全部無にしてきた過去は取り戻せないし、もったいないことをしたと思えてきます。

    今は出会う人が「ステキだなぁ~。」と思える人が多いのですが、それは自分でもラッキーだと感謝できます。 そういう気持ちを常に持ち続けていれば、運命はもっと早く色々な人に出会わせてくれていたのにと、過去を悔やんでしまう時もあるのです。

    「人との出会いは素晴らしい」 それは本を読んで得る知識よりも、生きた相手から受ける影響の方が自分の可能性を広げるからです。 人の出会いと言うのは意外と限られた世界ですが、それを広げるには自分が誘われる立場にいるか? 誘う立場にいるか? どちらかでしか広がらないのです。 

    ただし、あなたも未来における出会いの可能性を広げることは出来るのですが、それを敏感に感じ取ることできるかどうかなのです。

    例えば、同窓会を企画して自分が率先して幹事をやれば、日常において大変かもしれないけれど、自分が会場を準備して同窓生たちに次々と連絡を取り、いざ始まってみれば疲れはするけど、やり遂げた充実感と旧交を温めるチャンスと両方を手に入れたことになるのです。

    まさに、気苦労が喜びに変化した瞬間を味わえるのです。

    親近感を抱くというのは身近な存在になりえないと無理なのですが、それはホンの少しのキッカケであり大げさなことではないのです。 同じ中学出身と言うことだったり、同じ美容院へ行っていたということだったり、同じ温泉旅館へ言ったことが判明したり、そういう共有する時間が取り持ってくれる人間関係もあるのです。

    暗いよりは、明るい方がいい。
    辛いよりは、楽しい方がいい。
    嫌いよりは、好きな方がいい。

    これは誰しも同じことで、自分が明るい毎日で~楽しく生きられて~好きになってもらえる人生、それを不愉快に思う人は余り居ないのです。

    辛いことや悲しいことがあるのも人生ですが、楽しいことや嬉しいことがあるのも人生です。 人生に運気の波があるのは避けられないのですが、周りに人が集まる状態でいれば運気の波の変化を補うことは出来るはずです。

    人が集まらない人生よりは、人が集まる人生の方が笑顔になれると思うのです。

    辛いことがあったなら、神様の前で思い切り泣けばいいんです。
    しかし、誰か人がいる前では常に笑顔でいてください。

    神様は泣き顔でも受け入れてくれますが、人は笑顔しか受け入れてくれない、そういう冷たい面があるのも人の一面と言う真実なのです。

    人はつい感情を顔に出してしまいがちですが、感情が顔に出やすいと良いことも悪いことも両方が満遍なくやってきます。 しかし、辛くても悲しくても常に笑顔でいて、感情を表情でコントロールできるようにすれば、知らず知らずのうちに楽しいことばかりになると思うのです。

    おかしくなくても笑っていると、「なんかわかんないけど、笑えてきた。」 こういう経験は誰でも一度はあると思いますが、表情で感情を作るのは誰でも出来ることなのです。

    幸運の女神は笑顔が大好きで、楽しく生きている人はもっと楽しくしてあげようと思うのです。

    あなたも自分の周りに、笑顔で人が集まるようにしてみたいと思いませんか?

    ヤアヤア (/・ω・)(/・ω・) "ヽ(´▽`)ノ" ハイハイ~

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    つながり。

    おはようございます。 東京出張の為2日間ログをお休みしましたが、私がいない時に雪などで交通機関に少し影響があったようで、お客様はいかがお過ごしになったのか心配です。

    さて、先日の昼前に倉敷へ戻ってきましたが、東京の方が暖かったので厚着をして行かなくて正解でした。 出る時は少し肌寒い感じがしましたが向こうへ着いてから歩いていると、そうでもなく良い位だったので岡山の方が気温は低かったようです。 (20日の岡山は雪が降ったようですが、私は結局雨にも雪にもあわずにスムーズな出張でした。)

    今年最初の東京出張なので初詣を兼ねて田宮神社へ行きましたが、私は基本的に余り雨にあわないので傘は必要ないことが多いです。 雨が降る時は屋内にいるか~行く先が晴れてくることが多いので、晴れ男とまでは言いませんがそれに近いです。 (案の定、東京へ着いても雨や雪にあわずに済みました。)

    今回も品川で新幹線を降りて山の手線に乗り換えて代々木まで行き、そこで中央本線に乗り換えてJR信濃町駅まで行き下車して、田宮神社へ真っ直ぐに向かいました。

    今回はログを読んで頂いているお客様のお願いも一緒に祈願してもらう予定なので、時間の関係もあり私にしては珍しくタクシーで田宮神社へ直行です。 (前回の出張で話し込んでしまい、おまけに時間を勘違いしていたので、今日は遅刻しないようにと気合を入れていました。)

    ここでひとつ注意点ですが、これを見てお岩稲荷(田宮神社)へ行こうと思った人は「地図」を持って行った方がイイです。

    タクシーの運転手さんにお岩稲荷(田宮神社)と言っても知らない人が多いので、地図を見せるか~もしくは口で説明しないとたどり着けないと思います。 地元でもお岩稲荷の真実を知っている人は余りいないので、お参りしない人や場所を知らないと言う人の方が多いのです。 (左門町交差点を右に入り、最初の角を左と言う方がイイかも?)

    さて、前回ここへ来た時にお岩さんの子孫に会ったのですが、その時にお参りや祈願の仕方を教えてもらいました。 ただし、聞いていても少し気が引けるのですが、それと言うのも田宮神社は賽銭箱に向かって右横に靴を脱ぐ所があるのですが、一応民家なので勝手に人の家に上がるようで「いいんかな~?」と思ってしまいます。

    気を取り直して靴を脱いで通路へ上がり、右へ進むとすぐに左へ曲がり、その先の左側に入り口があるので中へ入りました。 まず、引き戸を開けると部屋が2間あり、入って右手に御神体と言うのか? 色々と祭ってあります。 祭壇やお願い事を置く場所(白い布をかけてあります。)があり、そこへ皆様のお願い事祈願の神とお布施を置いて祈願開始です。 (この辺は長くなるので、内容は省略します。)

    「今日は…。」と言うより、いつも遅刻をしてはいけないのですが早々に済ませて信濃町駅に戻り会場へ向かいました。 前回は時間を間違えるのと話し込んだせいで大幅に遅刻をしてしまい冷や汗モノでしたが、今日はさっさと行動したのに加えて時間をキチンと確認して中央本線から山手線に乗り継いで一路某駅へ…。

    降りてからホテル会議室へ向かう前に、前回東京へ来た時に見つけたラーメン屋さんへ行き食事です。 (いつもは昼食無しでしていたのですが今年から会議室の予約を大幅に増やしている為、長時間会議室に缶詰状態になるので食事をしておかないとキツイかな?)

    私が利用している場所はフロントの前に会議室があるので、手続きしてすぐに準備に掛かれるので時間短縮になり便利で助かります。 また、必ずフロントの人が入り口を見ていてくれるので、精神的にも鑑定に集中できるので助かります。

    この会議室は東京と言うことを考えるとリーズナブルですし、駅から近いということも考えると利用しやすい方だと思います。 ここより良いホテルやオフィスを使用するならば、鑑定料を今の金額で行うことは物理的にも無理です。 ここなら会議室使用料が1時間4千円もあれば充分ですが、ヒルトンやプリンスの会議室を使うなら1時間の使用料が3~4万円となり、とても払える金額ではありません。

    不手際などによりお客様には御迷惑をお掛けするかもしれませんが、利便性や鑑定料を抑えるなどお客様の為にも良い場所だと思います。 (お手数をお掛けするかもしれませんが、御理解と御協力をお願いいたします。)

    私としては窓の外に通る電車の風景もナカナカ良いモノで、結構この場所を気に入っています。 ただし、最近会議室の一部をPCルームに改装したので、一番風景の良い場所は関係者しか入れなくなったので、それが残念と言えば残念です。

    今回は偶然と言うか~不思議だなぁと思うお話をお聞きしたので、御紹介したいと思います。

    ある女性が岡山より東京へ出て就職しましたが、なれない都会での生活に期待と不安が一杯でした。 出勤してもしばらくは先輩や同僚など人間関係や仕事に悪戦苦闘でしたが、ある日の休憩時間に先輩より「あなた、岡山だったよね。 それなら倉敷の…?」と、このHPの話になったそうです。 その女性は、「わたし、そこへ行ったことがあります。」と言う感じで話がつながり、その先輩と打ち解けることをキッカケに次々と職場の人間関係が作れたそうです。

    偶然ではありますがログを読んでいる人が岡山と東京でつながっていたなんて、ログを続けているのも無駄ではなく誰かの役に立っているのかなと少し思えました。 (注:今年の東京出張は最初から大爆笑の出来事や銀座のH・Wの話など、ログには書けない内容がたくさんあるのでオフレコ会や忘年会を開催した時に話したいと思います。)

    今日からログを再開いたしますので、拙い文章ではありますが読むだけで、お客様が笑顔になるような~心が元気になれるような、そういう内容を目指していきたいと思います。

    あなたがこのログを読むことで、少しは心がウキウキ出来ているのでしょうか?

    ☆~ありがとう~☆ ヽ(#^ー゜#)v

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    磨きをかける。

    京都に女性2人(仮にAさん&Bさんとします。)で、恋愛祈願の旅行に行ったとします。 恋愛に御利益があると評判の神社やお寺を巡って、お守りを同じ数だけ買って同じ時間を過ごしました。 ところがしばらく時間が経過すると、同じ日程で同じ時間で同じ行動をしたはずなのに、AさんとBさんの運命には明らかに違いが出てきます。

    それはどんな違いかと言えば、Aさんには彼ができて順調に結婚へ進むのに、もう片方のBさんには今までと変わりない日常が訪れるという具合に、同じ旅行をしたのに効果の差が出てくるのは不思議です。

    しかも、女性2人で京都と言うのがひとつのポイントなのですが、このパターンで恋愛祈願の旅行をすると何故か? 一方の女性だけに恋愛運が集中してしまうのです。 これは大袈裟に書いた部分もありますが、なんとなく「あるある」と頷いた人もいると思います。

    確かに色々と原因はあるのでしょうが、AさんにBさんの分まで恋愛運が集中したと言っても過言ではないのです。 もしも恋愛祈願の旅行をするのなら、自分の運気を全部吐き出してしまう覚悟も必要です。

    恋愛と言えば出会いが必要ですが、出会いとは待っていても向こうから来ることは余り無く、自分から色々と種を蒔いておいたからチャンスが来たというのがほとんどです。 (良い人と出会う為には、やはり自分の見る目の確かさも必要です。)

    ただし、これは勘違いしないで欲しいのですが、「優しい人=良い人」ではないのです。 優しいから良い人だと思って付き合い始めたはいいけれど、実際はとんでもない男だったなんてよくあることと流す方がいいくらいです。

    運命と言うのは上り坂の時は何も考えずに突き進んでいくのですが、下り坂の時は余計なことばかり考えて益々ドツボに嵌っていくのです。

    自分をよく魅せようとして、実は背伸びしていただけで相手に見抜かれてしまった。 こんなことになるのは下り坂の恋愛と言うことであり、その先にあるのは腐れ縁としてズルズル付き合う恋愛になるか、さっさと別れてしまうのか、どちらかなのです。

    ちゃんとした相手ならば、キチンと物事を見抜ける人ならば、あなたと出会ってからあなたのことをよく見ていますし、どんな女性なのかをちゃんと考えています。

    出会いの大原則として、自分に応じた運気や波長の人としか出会えないと言うのがあります。 あなたと出会うと言うことは、あなたと同じような運気や波長レベルなので、この出会いをキッカケにして更に上を目指していく方がイイと思うのです。

    よく考えて見ないといけないのですが、出会いと言うのは自分と同じ運気や波長の人と出会うのが原則と言うのなら、「何もせずに出会える人」と言うのは現時点で「同じ運気や波長」と言うことです。 何もせずに出会える人と言うのは楽ですが、それでは成長になりません。

    今の日本のプロ野球からメジャーへ行く人が多いのは、この部分でもあります。 このままやっていても同じことの繰り返しだけど、もうワンランク上の世界へ足を踏み入れたならどうなるのだろうかという、未知の領域に対する恍惚と不安が存在するからです。

    恋愛において「良い人との出会い」を常に追い求めるのは、もしかしたら?次に出会う人はもっと自分に合った人かもしれないという期待と不安があるからです。

    そこで考え方を少し変えてみて、「良い人との出会い」ではなく、「自分が成長できる相手」とはどんな人なんだろうと、恋愛対象者の選び方を変えてみるのもひとつの手なのです。

    癒されるという恋愛も悪くはないし、成長する恋愛も悪くはありません。

    しかし、男性と女性では恋愛に対する時間が違うので、その時間を共有しようとするなら、「一生独身でいる」だけの覚悟を持ってしないといけないのです。 男性は35歳で独身でいても、まだ周りに何も言われず大丈夫かもしれない。 しかし、女性の場合は35歳で独身でいると「周りの人」が余計なことでうるさいのが日本社会なのです。 

    男性と女性が恋愛において同じ時間を共有しようとするのなら、それは時間の無駄使いになるかもしれません。 男性の場合は恋愛における時間の進み具合はゆっくりですが、女性の場合はそうじゃないのを頭に入れておかないと、トレンディドラマのような恋愛はTVの中だけなのです。

    なぐさめる恋愛が好きなら、それでいいんです。
    成長していく恋愛が好きなら、それでいいんです。

    恋愛は自由であり、形は無限大で決まった法則はないので、選ぶのは自分自身です。

    ただし、アヤシイ?霊視カウンセラーとしては、同じ恋をするなら恋するたびに魅力的になる恋愛を選んで欲しいと思うのです。 時には友人であり~時には師匠と弟子であり~時には女と男であると言うような、あなたの魅力に磨きをかけるような恋愛をした方が、素敵だと思うのです。

    あなたは自分を魅力的にする相手と、どれだけ良い恋愛ができていますか?

    (/ω\) ハジカシ~ (〃⌒ー⌒〃)∫゛テレルナァ~


    お知らせ:東京出張の為PCが使えないので20日と21日のログはお休みして、22日(火)よりログの更新を再開いたします。 倉敷での鑑定は21日(月)午後より再開いたしますので、皆様のお越しをお待ち致しております。 m(__)m

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    万事塞翁が馬。

    運命とは逆転の連続で良い時期と悪い時期の繰り返しが多く、それを自分にとって必要なことだと納得させられるかどうかが、その後の人生に影響するのかもしれません。 運命はあなたを応援はするけれど邪魔することはないので、運命の教えてくれることを感じ取れたら幸せになれると思うのです。

    乗り越えられない試練はこないというけれど、それは本当だと思います。 私は自分に起きたことを時々検証することがあるのですが、「あの時はこうだったなぁ~?」などとひとり納得せざるを得ない時もあります。

    あなたの住んでいる世界は当然ですが、「あなたがいる場所。」
    他の誰かが住んでいる世界は、これも当然ですが「誰かの場所。」

    人生とは自分が主人公の代わりに、台本を自分で書くという作業が必要です。 自分の世界を変える唯一の方法は、自分の考え方を変えるのが最善の方法です。 ただし、この方法はとても難しく誰でもすぐにできるわけではありませんが、慣れてしまえば簡単に感じれるようになります。

    自分のプライドを捨てて自然体になり、物事を聞き入れて受け入れるという、素直な気持ちが自分を磨き上げるのです。

    「ネアカとネクラ」 両極端なこの言葉ですが、これが運の良し悪しを分ける一つのポイントにもなります。 それは考え方ひとつで~見方ひとつで、大きく差が出るというのを表しています。

    人は元々、生まれた瞬間は純真無垢で「笑顔と泣き顔」の2つしか知りません。 (生まれた赤ちゃんを見て、怒った赤ちゃんがいますか?)

    親が子供に怒ると言うことを教えるから怒る子供になるのが良い例で、誰かに教えられたり影響を受けたりして成長していくのです。 その時に受け入れたことが基本的な性格を作り上げるのですが、あくまで基本的と言うことであり性格は変えられるのです。 この世に誕生した時からそのままの性格の人もいれば、次々と変えながら成長していく人もいます。

    私は依然とは大きく違ってきていますが、それは人に対する信頼感や人と接していることは悪くないものだと、一期一会の精神がものすごく響いているからです。 根本的な部分ではまだまだ変わったとは言いがたく、自閉症で対人恐怖症の部分はかなり残っています。 (お客様がお越し下さった時には、今でも緊張してしまうのです…。)

    昔の私は、「どうしていじめに遭うんだろう?」「どうして嫌な人にばかり会うんだろう?」 こんなことばかり考えていました。 しかし、相手に対する見方を変えることで「自分に非があるのでは?」 このように自分の至らない点を素直に認めるようになり、自分はマダマダと反省するようになってからは、嫌な人と出会うことも減って楽になりました。

    運の良い人は、いつも美しい空や草木を見て心和ませ、そして素晴らしい人々に出会います。 運の悪い人は、いつもどんよりとした空を見て落ち込み、そして嫌な人ばかり出会って更に落ち込んでしまうのです。

    同じ人生を歩んでいるはずなのに、どうして運の良い悪いが発生するのかと言えば、細かい部分まで説明するには神様と同じ力が必要です。 ただ、人に必要とされることが多い人ほど、幸せな人生を送ることになると思います。 そして人に必要とされる人は笑顔が素晴らしいと言うのが共通点であり、怒った顔や暗い顔で素敵だと思われる人は余りいないのです。

    誰かに何かを言われると傷つくでしょうが、それは言われたことに傷つくのではなく、言われたことにより「周りの人がどう見るか」で傷つく度合いが変わってきます。 つまり、言われた内容よりも言われたことによる評価の変動の方を、人は気にしてしまうのです。 どんなに酷いことを言われて傷ついても、当事者間だけで他の誰も知らなければ、怒りは一時的なもので収まります。

    しかし、当事者だけでなく大勢の人が知るようになれば、それは継続する怒りとなり相手を許せなくなるのです。 (注:これが「褒める時は人前で、叱る時は影でこっそりと…。」 こう言われる所以なのです。)

    人生とは、たったひとつのことでも、明るくなったり暗くなったりするのです。

    大切なのは、あなた自身がどちらを選択するかと言うことです。 嫌なことが起きた時に嫌なこととして捉えるのか、それとも未来への経験値として次へ活かそうと思うのかで違ってきます。

    「人間、万事塞翁が馬」の例えのごとく、不幸を不幸と考えるから暗い気分になります。 ピンチはチャンスと考えれば、不幸と言うのは運命が軌道修正しろと教えてくれている、幸運へのナビゲーションだと考えるのがポジティブシンキングなのです。

    アヤシイ?霊視カウンセラーとしては、運命の導きと言うのはそんなに悪いことばかりじゃないと考えます。

    もしも、あなたが行き詰まりを感じてしまい、もうこれ以上一歩も前に進めないと思った時や、生きていく目標や術を見失ってしまった時は大いなるチャンスだと思って欲しいのです。 何故なら、それは今と言う現実をリセットしてもう一度やり直そうという暗示で、人生そのものを新しくして新たな1ページをめくる為の、素晴らしいチャンスだと捉えて欲しいのです。

    トラブルなんていうものは、幸福が仮の姿で目の前に現れてあなたを試しているだけのこと。 そんな子供だましには引っ掛からずに、うちなる使命を見抜いてやり遂げましょう。

    あなたの人生には、どんな使命と出会いが待っていると思いますか?

    ゝ(^.^) 君がいて σ(^_^ )僕がいる

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    逆転の発想。

    逆転の発想とよく言いますが、これはナカナカ出来ないのです。 それは周りの状況や人間関係などで、自分がいくら良いアイディアを持っていても認められなければ「絵に書いた餅」なのです。

    相手と同じことをしていたら、その相手と同じレベルにしか到達できません。 しかし、違うことをしたなら到達できない可能性もあるけれど、追い抜く可能性もあるのです。 相手と同じ道を辿っていたら、追いつくことは出来ても追い抜くことは出来ないのです。

    同じ方向ばかりから考えずに、少し違う面より考えたり~見方を変えれば解決することは意外と多いのですが、やろうとしても昔の考え方や見栄などに阻まれてできないだけだと思います。

    例えば、医療費の高騰による国の財源圧迫の解決に四苦八苦していますが、これを解決する為に健康でいようと特定検診など、更に病院へ行かないといけないような制度を作ったりしています。 確かに健康体を維持すれば病院へ行く回数は減るという発想も素晴らしいのですが、アヤシイ?霊視カウンセラーとしてはこんなに手間はかけません。

    医療費を減らすには病院へ行く人を減らせばいいのだから、自発的に健康に注意して病院へ行きたがらない人を増やせばいい。 これはとても簡単ですが、1年間保険証を1回も使わなかった人には100万円出して表彰すればいいんです。 そうすれば、4人家族の場合「年間400万円もらえる」ことになり、保険証を使わず病院へ行かない人が続出します。

    今の年間医療費の高騰なら、ひとりに100万円と言うのは無茶苦茶でもなんでもなく順当だと思います。 これなら年間で言うと、病院へ行く人が30%以上減ると思いますが、すぐに減るというのがミソなのです。

    健康体になって病院へ行く人を減らしましょうなんてしていると、病院へ行く人が減り始めるのに何年掛かるかわかりませんが、1年間病院へ行かないと100万円としたら「今日から健康に自ら注意するようになる」と言う人が一気に増えると思います。 特に今の医療費高騰の原因は団塊の世代に原因があるので、この年代をナントカしないといけないのですが団塊の世代はお金に敏感なので、今日から絶対に病院へいかないと決める人が続出します。

    これは乱暴な案だとは思いますが、これくらいしないと日本は転覆しかねないのです。 今の日本の現状を、だめんずうぉーかー的に説明してみると…?

    あるところにダメ男さんが彼女と暮らしていましたが、ダメ男さんは彼女の収入に頼りっぱなしで働きません。 彼女の収入が毎月50万円なのですが、ダメ男さんは毎月80万円を使っています。 それだけでも家計は火の車なのに、ダメ男さんは借金を800万円も抱えていて返済が全然出来ていません。 しかし、彼女もついに身体にガタが来て働けなくなってきた…。

    これが今の日本の財政状況なのですが、ようは毎月30万円の赤字を出しているのに借金が800万円も隠れているというのが本当のところなのです。 政治家の中でもこれをキチンとわかっているのは、TVなどで話を聞く限りでは○垣代議士くらいだと思います。 (人間性ではなく、理解できているという意味です。)

    一般的なお店や会社に目を向けても、目の付け所と言うか~商売のやり方と言うのは色々あります。 (注:今はある公園が色々と話題になっていますが、赤字解消なんて簡単すぎて面白くないし、名前の問題なんてどうにでもなるのに、どこが困るのか不思議です。)

    最近は回転寿司などが増えてきて、お寿司を食べるのは昔ほど高級ではなくなりましたが、この「お寿司屋さんで一番食べられている」のはなんだと思いますか?

    この質問は経営相談に来たお客様にはよくするのですが、答えられた人はひとりもいません。 普通の発想で言うのなら「トロ~エビ~ウニ~イクラetc~。」などが一般的ですが、私は変わり者なのでこういうところには目が行っていないのです。

    答えは「醤油と御飯」です。

    お寿司屋さんで一番食べられているのは、醤油と御飯が当然だと考えています。 わさびは子供だとサビ抜きかもしれないし、お茶を飲まずにビールやジュースの人もいるかもしれないけれど、醤油と御飯はお寿司屋さんに来る以上は食べると思います。

    お寿司屋さんを経営していて流行らせたいなら、ネタに凝るなんてせずに「醤油と御飯」に心血を注いで、すっごく美味しいと思わせる「醤油と御飯」を出すのが先決なのです。 新鮮なネタがどうのと言っても大手に抑えられているかもしれないし、良いネタを手に入れてもそのせいで価格の上昇を招いて、お客様の財布を直撃してしまうかもしれないのです。

    醤油と御飯が美味しいお寿司屋さんは、接客態度を間違えない限り流行ると思います。

    商売と言うのはやり方次第であり、会社経営が上手くいかないのはオーナーに責任があると言うのを認めないと、いつまで経っても変わらないのです。 私は商売を流行らすなんて簡単なことだと言っていますが、宣伝や広告をする前にするべきことがあると言うのを理解できれば、運命があなたを見捨てるわけが無いのです。

    物事は一方向からだけ見ていると解決できないけれど、違う方向から見ると悩んでいるのが馬鹿らしくなることもあります。

    あなたは逆転の発想で、ピンチをチャンスに変えることが出来ますか?

    ???(-“-)??? ウ~ン

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    チャンス。

    「チャンスを逃す。」 これはたったヒトコトではありますが、逃した魚は大きいの例え通り、大きいチャンスほど逃がしやすいのです。 誰しもチャンスが来ればモノにしたいと思うのでしょうが、そのチャンス自体が来たことに気が付かない&チャンスに対して行動しないというのが多いのです。

    レストランなどを例に取るとよくわかると思うのですが、貸切パーティをよくしているところは一見すると人気店に見えるのですが、それで長続きしたり第2店舗~第3店舗と増やして言ったところは少ないと思います。

    オーナーの考えとして、貸切パーティや結婚式の2次会は「美味しい商売」と言うのは、経営としては当然の戦略です。 貸切パーティやレストランウェディングは確実に利益が見込めるし、それにだけ専念して入ればいいのでお店としてはとても楽なのです。 大々的に「貸切OK」としているところは、そのうま味がわかっているからだと思います。

    普通の考え方としては、貸切やウェディングの方が確実に人数と利益を見込めるからなのですが、それをやり始めると「常連のお客様や新規のお客様」を失っているのに気が付いていないのです。

    日曜日に友達と歩いていておしゃれなレストランを発見したのに、入れてもらえなかった。 「えぇ~、日曜なのになんで?」と思っていたら、レストランウェディングをしていた。 「それじゃ、仕方ないなあ。」と一度は納得してくれますが、次に行った時も同じことがあるなら二度と行かなくなるのです。

    常連の人でも同じことで「良いお店があるから行こう。」と友人を連れて行ったら、入れてもらえなかった。 友人達と行っているのに面目丸つぶれであり、いくら良いお店でも二度とは行かないと心に刻み込んでしまうのです。 そうでなくても、「あぁ、あそこはまた貸切だから別の所にしよう。」 もしくは「あそこはよく貸切にするから、行っても無駄かも?」 友人や知人との会話でこういう話になっていくのです。

    ここでプライドの高いオーナーや世間知らずの二代目オーナーなんかが言うことは決まりきっていて、「電話で確認してから来ればいい。」 こう言い放つオーナーがほとんどですが、それは余りにも冷たいし杓子定規すぎると思うのです。

    「常連のお客様の顔を立てたり、新規のお客様を大切に扱うことが出来ない。」 そんなお店が延びていくことはないし、人の気持ちがわかるお店にはなりえないのです。 ちなみにそういうことしか出来ないお店のオーナーが、同じ立場になるとムッと来て「二度と来るか!」 こう言って怒って帰るのが関の山です。 つまり、自分がお客様の立場なら、「電話して聞くなんてイチイチ面倒くさい。」 自分ならこう思うのに相手にやるのは平気なんて裸の王様もいいところです。

    販売店でよくあるのが、「今日は買わなくても、別な日に来て買う。」 この経験がある人は多いと思いますが、今日は見に来るだけで買うのは別な日(決めてから)と言う人もいるのです。 それなのにぞんざいな扱いをした日には、次と言う機会を自分で失っているのです。

    貸切にして入り口でお客様を追い返している現実に気が付かずに、「今日は売り上げが立っているからいいぞ!」 なんて喜んでいるオーナーでは情けないのです。

    注:なお、売り上げが立つとは業界の隠語で、「今日は儲かったぞ」ということです。

    入り口に案内板を立てているだけではダメで、どうすればお客様を怒らせずに気持ちよく返すことができるか? それ以外に考える必要はないし、それの為に利益が上がらないなんて言い訳も必要ないのです。

    例えるなら、貸切の時には必ず入り口に特別サービス券を置いておき、次に来た時にそれを出してもらえば、「貸切の時にがっかりさせたから、その分お詫びも含めてサービスさせていただきます。」 オーナー自らがヒトコトでいいから、「そのお客様に謝罪する」 この行いだけでどれだけ心に感動が残るかは自分がされたらわかるのです。

    お客様に、「私って運が悪いんだな…。」 こう思わせるようでは、そのお店は生き残れないと思うのです。 何故なら、お客様をがっかりさせるということ=必要とされていないということだからです。

    流行らないお店や伸びないお店では、応対(電話応対含む)が下手なのが共通点です。

    これは流暢にしゃべれとか、立て板に水のごとく相手をしろと言うのではなく、心のこもった応対ができるのかと言うことなのです。 予約の電話が掛かった時に、「その日は一杯」では無く、すぐに他の開いている日を見れるようにして、他の希望日時でもお伺いするようでなければ予約電話の意味がないのです。

    私は予約電話を受けた時に、その日がダメでも次の日をお伺いするようにしているので、お客様がその日以外を考えていない時は縁がなかったと言うことですが、それ以外は第一希望~第二希望~第三希望と次々予約表を見る準備をして予約を受けています。

    注:キャンセルする未来や遅刻する未来がある場合は、日程や時間の変更をお願いしています。 予約の電話の時に「変なこと言うなぁ~?」と思われたお客様、そういう事情なので御理解くださいね。 m(__)m

    あなたはチャンスを逃がしているのに、チャンスが来ないと思っていませんか?

    ( -_-)ノ ---===≡≡≡ 卍

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    魅力。

    今年は衆議院の解散がある予定なので、政治家の人は選挙対策に忙しいと思います。 そういう時も含めてよく出るフレーズのひとつに、「日本を元気に~。」とか「日本の元気の元は~。」など、日本をどうにかしようと言うフレーズがあります。

    しかし、すぐに日本をどうにかできるわけではないので、私はそれに関しては無力に近いです。 そんなできもしない大義名分よりも目の前にある小さな幸せ、個人個人が元気になり~ひとりひとりが明るく毎日を過ごせるようになる、その方が先だと思っています。

    仮にあなたの職場に10人がいたとして、その10人全員がウキウキ楽しく仕事をしていたら、その職場に笑顔が絶えることはありません。 また、あなたの知人や友人が全員笑顔で豊かに暮らしていたなら、運のおすそ分けや相性の原理であなた自身も笑顔になれます。

    そうなる為にも、人間的魅力と言うのが必要になります。 運が良い人と悪い人の違いに人間関係の豊かさがあります。 芸能人を例にとっても、人気があるタレントや売れている俳優の周りには、人が集まっていると思います。 「人が集まる=何か魅力がある」と言うことになります。

    人には才能や可能性があると共にもうひとつ、必ず魅力と言うのが備わっています。 ただし、それは何かと聞かれても人それぞれであり簡単に答えられるような代物ではありません。

    しかし、魅力を発揮して人生を過ごすことができたなら、それはあなたにとって充実を手に入れたに等しいことです。 人と会ってもつい話が弾んで長話になる、仕事をしていてもウキウキしてはかどるなど、魅力を発揮している人は素晴らしいと思うのです。

    まずは自然体で嫌味にならない程度の、魅力発揮を目指すのが良いと思います。 派手な振る舞いは魅力といえどマイナスに働くことがあるので、余りお勧めできません。

    例えば、いくら気品溢れる魅力的な人であろうとも、派手に振舞えば○姉妹のお姉さんのようになり~自然に振舞えば紀子様のようになると言えば、比喩表現として適切かどうかはわかりませんが理解はしてもらえると思います。

    食通(美食家)の人が薀蓄をたれる時に、「この薄味はさすがだ。」とか「この隠し味は絶妙だ。」などの台詞で一流の味とはどういうものかを表現することがありますが、これが魅力発揮のひとつのポイントです。

    抽象的かもしれませんが魅力全開ではなく、「秘すれば花」と言う言葉のごとく半分だけ魅力を出すと言うのが、相手の心にいつまでも残っている自分を作るヒントだと思います。

    人との出会いにおいては「第一印象で決まる」と言われますが、第一印象ばかりでもないのが本当のところです。 もしも第一印象ばかりで決まるのなら、人との出会いにおいて相手を見誤るということもなくなり、人間関係における争いはなくなるからです。 ただし、人との出会いにおいて「第一印象が重要」と言うなら当てはまると思います。

    あなたが一流フレンチレストランでフルコースを食べたとして、最初から濃い味が出てきたらそれから後は食べるのが大変になります。 最初のひと口が良い味ならば、実はその後が濃すぎるようになります。 だからこそ、一流のシェフは薄味だけれど印象に残るような味を日夜工夫しているのです。

    人に例えるなら、一度に自分の全てをアピールしようとすれば「でしゃばり」とか、「目立ちたがり屋」というレッテルを貼られてしまい、魅力発揮と言う点では逆効果です。 魅力と言うのは必ず持っているものだけど、「持ち味を殺す。」という言葉に表されるように、発揮できなければ持っていないのと同じことなのです。

    自分で魅力について調整できるのは露出の度合いがありますが、これは半分前後が最適ではないのかと、アヤシイ?霊視カウンセラー的には考えています。

    目立ちたがりだと自分で思う人は、45%くらいの露出を考える。
    引っ込み思案だと自分で思う人は、55%くらいの露出を考える。

    人とのかかわりにおいて露出の計算をして、自分の立場を考えるようにすればうっとおしいと言われず、目立たないような調整ができるようになります。

    親しき仲にも礼儀ありと言う言葉通りに、初対面でなくとも自分のアピール度を抑えておけば、心地好い距離感が保てると思うのです。 服装やメイクや持ち物などの外見的なことはすぐに調整できるし、浮いているかどうかの判断はしやすいです。 しかし、雰囲気に関しては、自分ではなく人が判断することだから難しいのです。

    素の自分と言うのはメイクもしないしお洒落もしないという外見的なことではなく、ありのままの自分でいて周りの人が受け入れてくれて心地好さを感じてくれる、それが一番の理想なのです。

    人は生きている以上は誰であろうとも、コンプレックスと付き合い続けます。 そして、そこにはプラスにできる人とマイナスにしてしまう人と、どちらかに分かれてしまいます。 では、その違いはなんなのかと言えば、「逃げるか~逃げないか」の違いだけだと思います。

    コンプレックスをばねにして、大きく羽ばたいた人は大勢います。 自分の欠点を改善したり、それを生かす道を探したりできるのが人類の知恵と言うのです。 コンプレックスから逃げずに、自分の個性として上手に付き合うようにすれば、財産にもなりうるのです。

    人は誰でも常に誰かと~何かと比べてしまいますが、あくまで自分より上の物や良い条件と比べて、自分は不運だと嘆いてしまいます。 しかし、自分より不幸な人がいないのかと言えば、そうではないと思います。

    もしも自分が一番不幸だと言うのなら考えて見て欲しいのですが、この豊かな現代の日本で生活している人と、エチオピアで奴隷として金の採掘現場でこき使われている8~9歳の子供たち、どちらが苦しい立場だと考えますか…。

    あなたの現状は改善に努めたなら、決して不幸ではなくチャンスの塊だと思いませんか?

    (ノ' 0 ')ノ~♪魅力 v(^ O ^)v 発揮♪~ヘ(' 0 'ヘ)

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    体調管理。

    おはようございます。 成人の日と言うことで、昨日と今日は全国各地で成人式が行われているようですが、成人になったからには自分の身体をもっと大切にして欲しいと思います。 自分の身体は自分で管理しないと、代わりと言うのはないのです。

    ある人気歌手の方が、耳が聞こえないというのを告白しましたが、あの症状は医学的に言うと初期段階なら治っていた可能性が高いのです。 ただし、その当時の立場が治療する方向へ向かわせないし、本人も歌手デビュー2年目くらいでこれからと言う時期なので休めないし休まない為、治癒できなかったのです。 ちょうど20~21歳くらいだと思いますから、成人の人も含めて体調には充分気をつける必要があります。

    あの当時、耳を使わず休ませていれば治っていた可能性が大ですが、コンサートでの大音量を避けることはできませんし、レコーディングなど耳を使うことを避けられません。 ましてや人気歌手ともなるとプロジェクトの関係で、自分の都合で休養を取るなんてことも出来ません。

    会社や自分を取り巻く環境のことを考えたなら歌い続ける必要があり、1~2年と言う休養を取るなんてできなかったことにより、今の事態を招いたのだと思います。 今から治癒する可能性は低いのですが、もう一方の耳に同じ症状が現れて完全に聞こえなくなるのを防ぐ術はあります。 それが、「体調の自己管理」ができるかどうかと言う部分なのです。

    歌手などの特別な職業でなくとも、一般でも色々な防げる病気があります。 例えば、くも膜下出血と言う言葉を聞いたことがあると思いますが、くも膜とは脳を保護する膜のうちのひとつです。

    脳は基本的に頭蓋骨と3層の膜で脳を保護しており、外側より硬膜⇒くも膜⇒軟膜と順に呼ばれています。 くも膜と脳との空間をくも膜下と言い、そこには脳の栄養血管が走り、脳の保護液でもある脳脊髄液(無色透明の液体)も循環しています。

    内臓と言う意味での脳は重さの割合に対して大変多くの血管を貰っており、多く流れて働きを維持している面もあります。 脳の表面と言うか、くも膜下には比較的太い血管があるのが特徴で、他の多くの臓器と異なっている点です。

    当然ですが、その一部は表面だけでなく、脳の内部へとつながっており、脳の深部へも栄養を送る働きをしています。 これらの血管が破裂や亀裂など、なんらかの異常が起きた時には脳内出血と大いに関係があります。

    このくも膜と脳との空間に張り巡らされた血管が痛んで切れると、くも膜下出血が起こります。 その結果、くも膜下に流れている脳脊髄液に血液が混ざりこんでしまいます。 くも膜下の症状としては、ほとんどの方が「頭痛」を感じます。

    ただし、頭痛と言っても色々な種類があり、突然の頭痛~瞬間的な頭痛~未体験の痛み~バットで殴られたような頭痛~激しい頭痛など、さまざまな表現で表されます。

    くも膜下出血の原因は、くも膜下に張り巡らされた脳栄養血管の一部が切れることですが、多くの場合は特徴的な病気が隠れています。 日本人の80~90%はくも膜下出血を発症した場合、脳動脈瘤と呼ばれる動脈瘤のコブからの出血と考えられています。

    脳動脈瘤は通常栄養血管の一部で、大きくなりすぎて周りの神経や脳の働きを妨害する症状で発見されることも多く、 切れる瞬間まで無症状であることがほとんどです。 脳動脈瘤ができる部分の多くは血管の枝分かれ部分で、脳全体を覆うように広がる栄養血管の始まりである脳底部によく見られます。

    その他の原因としては、脳栄養血管の奇形である脳動静脈奇形や血液や内臓の病気に合併したもの、他には原因が突き止められないものなどがあることも知られています。

    発症した場合の検査方法としては、まずCTスキャンがあります。 症状で判断して、くも膜下が疑われた場合はCTスキャンで検査します。 くも膜下出血の場合は、必ず脳脊髄液が血液に混ざる為、特徴的な検査結果がCTスキャンで確認することができます。 病気が軽症でCT上でも特徴的な所見不可能の場合は、腰から注射をして脳脊髄液が血液に混入しているかどうかを見ます。

    次に、くも膜下出血と一度診断された場合は、切れた血管(多くは脳動脈瘤)がどこに隠れているかを調べる必要があります。 一番精度が高い検査はカテーテルを用いた脳血管撮影検査です。

    脳を栄養とする血管にカテーテルを経由して造影剤を注射して、その造影剤ではっきりと見える血液の流れ(血管の形)を連続的に観察して原因と場所(多くは脳動脈瘤の部位と形状)を突き止める方法です。 できれば3次元撮影が可能な撮影装置があればベストですが、無くても発見できます。 今はMRIなどもあり、そんなに精度の差は出ません。

    やはり、最後にものを言うのは「技術の差」です。

    注:余談ですが、医師の世界の都市伝説的なものとして西高東低があり、大まかに分けると東日本より西日本の方が技術的に上の先生が多いという説です。 過去に遡ると、東京の某大病院の院長に岡山のある先生がなりました。 ところが東京では神業と言われていたのですが、岡山にいた当時は普通と言われていたそうです。 研修で人気のあるのは症例の多い東京の病院ですが、その後の技術を学ぶのは関西や中国地方の病院が多いのはその為らしいです。

    そしてくも膜下出血の患者様にとって一番怖いのは再発で、24時間以内に再破裂する危険性はよく知られています。 この場合は更にダメージが深くなるので、生命の危険性が高くなります。 それを防ぐには手術が必要ですが、主に開頭手術と血管内手術の2通りがあります。

    まず、開頭の方ですが「開頭クリッピング」手術と言うのがあります。 これは、頭蓋骨を開けて破裂した動脈瘤を直接観察して、本来の脳栄養血管から遮断することです。 読んで字のごとく、合金やチタンのクリップで血流を遮断します。

    もうひとつの方法は、「脳動脈コイル塞栓」と言う術式です。 やわらかい金属製のコイルを破裂した動脈瘤内に充満させて、本来の脳栄養血管から遮断する方式です。

    病気と言うのはいつ襲ってくるかわかりませんが、その前兆や起きた時の迅速な対応と言うのは、本人の自覚である程度はできるようになります。

    あなたは自分の身体を大切にして、未来の自分へきちんとした体調で会うことができますか?

    ヽ(  ̄д ̄;)ノ オテアゲー

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    所有物。

    この世に生まれたのは自分の意思なのか~そうでないのか、意見は人により分かれるところですが、地球は誰のものでもないというのは否定できないと思います。 地球はAさんの所有物とか、Bさんの所有物とか言うわけではありません。

    人は何故生まれて、何故生きるのかは永遠のテーマであり答えは出ないし、出たとしてもそれはその人の考え方だという意見が必ず出てきます。

    人には物欲があり欲しい物は欲しいとなって、色々な物に自分の欲を反映させてしまいます。 しかし、それは悪いことではなく、生きていく上での考え方や思想がそれを招いているのだから、人がとやかく言うことではありません。 ただ、それをすることにより、誰か他の人に迷惑をかけるのが問題だと言うだけなのです。

    人は物欲がなければ争いはなくなりますが、物欲がなければ発展もなくなるので痛し痒しです。

    地球上にあるモノで完全に自分のモノだと言い切れるモノは存在しないのですが、そういう観念にとらわれていると人生における視野が狭くなるのかもしれません。 まず、空気や水は誰かの所有物ではなく地球や自然が作り出した物であり、個人が生産しているわけではありません。

    ましてや、家や土地などは生きている間だけ一時的に所有させてもらっている、地球からの贈り物だと思うのです。 自分の身体だって大切にしなければ、病気という名の故障が起きて動かなくなるのです。 +があれば-があるように~火があれば水があるように、どこかとどこかはつながっているし裏表の関係は永遠に交わらないけれど離れることもないのです。

    人間にとって欲と言うのは良い方に使えば良い結果が起きますが、悪い方へ使えば奪い合いやいがみ合いなど、喧嘩や争いの元となります。 「これは、自分のもの。」 一時的には正しいのですが、いつまでも個人所有できるわけではなく、いつかは自分の手を離れて誰かの物になっていくという繰り返しなのです。

    価値観の差と言うのは心のゆとりや人間的大きさになって、品格や精神の部分に現れるのです。

    例え話ですが、会社に勤めている上司が食事に連れていってくれた時に、会社の経費で奢ってくれるA上司と、自分のお金で奢ってくれるB上司とどちらが魅力的に見えるかと言う質問で、個人の考え方や個人の価値観がわかると思います。 これは正解や不正解を問うものではなく、考え方の差だからどちらでもいいんです。

    私は個人的にはB上司の方が好きですし、好感を持ってしまいます。 会社の経費で大盤振る舞いするのは、人の金と言う意識の上でしか出来ない行為です。 しかし、自分のお金で部下に奢れる人は、キチンとその月の生活費や自分が奢れるのはどの辺までかと言う、自分の立ち位置を考えて行動できる人なのです。 役職の特権だからといって、会社の経費をむやみやたらに使いまくるのは、自分で勝負できない男なのだと思われても仕方ありません。

    ○天と言うIT企業がありますが、ここの社員食堂は一流シェフを揃えて、いつでも食べられるし社員は無料で利用できます。 これをしたおかげで社員にはとても好評ですが、私には違うモノが見えています。

    まず、外へ食べに出ないで社内にしかいないから外のことがわからなくなり、タダだからと朝昼晩の三食をここで済ませる社員が出てきています。 完全に会社に飼いならされて、○木谷社長や役員を超えようとする社員の牙を抜いているというようにしか見えていません。 (タダだからと言って朝昼晩と社員食堂で済ませる男性が、女性に限らず人を引き付ける魅力がありますか?)

    考え方によるので、これは単なるひとつの意見であり正しいわけではありません。 モノに対する個人的な考え方を言っているだけであり、○天に勤めている社員からすれば大きなお世話だと思うので、御容赦くださいね。

    私はログに関しても連絡さえくれたら、「どうぞ、ご自由にお使いください」としているのも、人の言葉と言うのは昔々~はるか太古の昔まで遡れば、いつか誰かが言ったことだと思うからです。 このログに書いている内容だって、ひょっとしてマルクスやルソーが言ったことかもしれません。 もしかして、ダ・ヴィンチやゲーテやピカソが弟子達に向かって言った言葉かもしれないし、コクトーやトーマスが演説の中で言った言葉かもしれないのです。

    ただし、ダ・ヴィンチやゲーテに会ったことがないのでわかりませんが…?

    少々ログの内容を使われたからと言って目くじら立てて言うほどのことではないし、誰かの目に触れて読んだ人の心が元気になれたらいいと思うのです。 自分の所有物だと目くじら立てるよりも、心に余裕を持つ方が素敵だと思うのです。

    あなたはモノに対する感謝を、広い視野で考えられますか?

    \(∇⌒\)☆ア☆リ☆ガ☆ト☆ウ☆(/⌒∇)/

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    運命。

    おはようございます。 今日から三連休ですが、倉敷は雨が降っています。 朝7時前に事務所前の道路を掃除をしている時は雨がやんでいたのですが、ログを書いている今現在は再び降り始めました。 でも、これは運命が決めたとか、必然とか、そういうわけではありません。

    運命とはあなたについて回るものであり、離れることは出来ません。 それなのに運命に逆らって自分を追い込んでいる人が多いのは、自分の思い通りにならないことを無理にしようとする人が多いからなのかもしれません。

    未来を視ると言うのは結果がわかってから動くということに他ならないのですが、結果がわからないと動けない人に運命が味方しないのも事実なのです。

    もしも本を出したいと思ったなら自費出版でも何でもいいから、まず本を出すことが先決です。 売れ残ったらどうしようとか、損したらどうしようなど考えていると、いつまで経っても本を出すことなど無理なのです。

    「が○いばあちゃん。」 この本は最初自費出版だったのですが、徐々に人の目に触れ始めていつの間にか大ブレークです。 しかし、これも原稿を書いて出版して、それからが始まりだったのです。 「依頼が来れば原稿を書く。」 こういう気持ちもわからないではありませんが、デビューしていない無名の作家、しかも卵の状態で孵化していない作家に原稿依頼をする出版社はないのです。

    結果がわかっていなくても、とりあえず前進してみること。
    そして前進できたなら、結果はおのずと付いてくるのです。

    霊視で未来を視た時に2本~3本の道筋をお話しするのですが、それを聞いてその中でも自分に合った未来を選択して動く人と、それを聞いても動かずに今までと同じ道しか歩かない人では結果に差が付いても仕方がありません。 運命に逆らわないというのは、運命を味方につけることでもあります。

    運命がレモンをくれたなら、レモネードを作るのがあなたの使命。
    運命がリンゴをくれたなら、アップルパイを作るのがあなたの使命。
    運命がチャンスをくれたなら、チャレンジをするのがあなたの使命。

    運命の後押しがある時に努力するというのは、追い風の時に前進するような推進力を得るのと同じなのです。

    残念ながら自信が欠落している時と言うのは運命がチャンスをくれても、ナカナカそのツキをモノにできないのです。 本人にはそんなつもりがなくても、ついつい消極的になってしまい、みすみすチャンスを逃してしまう&潰してしまうと言うことにもなりかねないのです。

    自信を持つというのは人生成功への第一歩であり、成功への扉を開ける前にその扉にたどり着くと言うことの方が先決なのです。

    基本的に運の良い人と言うのはあきらめない人、つまり粘り強く色々な角度からチャレンジしてしまう人のことなのです。 何事によらず途中で止めてしまうとそこで終わりですが、成功するまで続けたらそれは成功としか言えないのです。

    何でもいいから最後までやり遂げることで、自分は何かをなしえたという実感をじぶんのモノとできます。 そうして少しづつやり遂げる楽しさや満足感を大きなモノに変えていけば、最後にたどり着くのはとてつもなく大きなモノになっています。

    運命の指示はあなたの未来をより良いものにしてくれるのですが、その暗示を間違えて読み取ると結果はイイとは言えない状態になります。

    「絶対に成功してみせる。」と言うくらいの強い気持ちでするのと、「どうせダメだろう。」と言うあきらめの気持ちでするのでは、力の入れようが真摯に現れてくるのです。 逆境にあると言うのはひとつのチャンスなのですが、その逆境が新たなヒントとなり違う道を模索する為のチャンスだからです。

    もしも私がいじめられずに裕福な家に育っていれば、私の知識や技術や能力は存在していません。 そうなると人に対しての思いやりや奉仕の精神もなく、傲慢で酷い人間になっていたと思います。

    また、大家さんより次々と追い出されるようになるから、宣伝や広告よりも地道なクチコミで実力を身に付けようと思うのです。 おかげ様で今はどこへ言っても何とかなるかなぁ~と思えるようになったので、次々と追い出してくれた今までの大家さん達に感謝しないといけません。

    注:そう言えば、大晦日の男性鑑定日に来た中のひとりが、「山崎は大口叩いているけど絶対に目立つようにして、大きな看板も出しているはず。」と思ってきたらしいのですが、余りにも目立たないようにして看板が小さいので、「ログに書いていることが本当なので驚いた。」と言われました。

    運命から紐解いてみると私がリンクしている人たちと言うのは、寄付をしたり誰かの役に立つという運命を背負っている(理解&実践)人たちです。

    N市のIさんは当然ですが、このHPを作った白石さんの勤務する会社の社長も人情と優しさがあり、同じようにボランティアができる人です。 ただし、その運命に目を向けない時はうまく行かなかったり、不遇な時期があったりして目を覚ますようにしてくれるのが運命です。 ところが「よし、やろう!」と自分本来の運命に戻った時から、運命は近未来でチャンスをくれることが多いのです。

    見返りを求めるわけではなく心から寄付やボランティアが出来るのなら、それから後の運命は安泰ではありますが油断は禁物です。 (ボランティアや寄付という行為を実践している人たちを中心に、リンクして行こうと考えております。)

    運命はそんなにあなたを苦境に追い込むものではないのですが、運命に逆らって自分から苦境に入り込む人はいます。

    あなたは自分の運命に逆らって、しなくていい苦労をしていませんか?

    。。。。。。。((( ・Θ・) ♪☆♪

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    本気。

    人の持つ力と言うのは無限大なのですが、自分で自分の邪魔をしてしまい力が出せなかったと言うのがよくあります。 緊張して何もわからなくなったとか、硬くなり身体が動かなかったとか、自分の意識下における制限により本来持つべき才能を出せなかったら、それは惜しい話だと思うのです。

    音楽だとドレミファソラシの7つと半音の5つを足して、「12」
    日本語だとあいうえおの「50」
    英語なら「26」

    このようにわずかな限られたものを使用して、感動する音楽や小説などをいくらでも生み出すのが人間の凄い所です。 今までに作られた曲や物語の数は凄い数なのに、「もう、これ以上は無理だ!」と誰も宣言しません。

    恋愛小説はいくらでも新刊が出てくるし、J-POPでも次々にヒット曲がでてきます。

    宇宙単位で考えると人はちっぽけな存在かもしれないけれど、ちっぽけだから宇宙を一杯にするだけの可能性を秘めているのです。 星空を眺めていると「私って無力だなぁ~。」とか、「わたしには、何ができるんだろう?」と、自分のことを否定する考えを持ってしまうかもしれません。

    できないと悩む気持ちは、よくわかります。 私自身ができないと言い続けてどん底生活を送っていたからこそ、あなたが悩む姿は共感できるのです。 しかし、あなたには可能性があるのだから、できないのではなく「したくない」のではないかと、自問自答してみるのもいいと思うのです。

    「できない」と言い続けるのは、何もしなくていいので「楽」です。
    「できる」と言って行動を起こすのは、自分が動くので「苦しい」です。

    「楽」を選んだ人は、楽なままだから何も変わることはありません。 何もしない以上は変わりようがないし、楽な状態を変えようという気持ちにはなりません。 しかし、「苦しい」を選んだ人は今のままでは苦しいだけのように思えますが、ゴールした瞬間にそれは「苦しい」から「喜び」へと変わっていきます。

    夢が叶わないのを他の何かのせいにして、自分の可能性を否定しないこと。 夢を叶えるのは人ではなく自分ですが、それは自分の夢なのだから当たり前のことです。 もしも、これから行動を起こそうとしても力が湧き出ないと思うのなら、自分自身に問いかけて欲しい言葉があります。

    自分に向かって、「何ができないの?」~「本当にできないの?」 この言葉を常に自分に問いかけて、出てくる答えが苦しく感じる時は自分に嘘をついているからです。

    本気になれば、余りにむちゃくちゃじゃないこと以外はできるのが人間の凄い所です。 「新システムのプレゼンをスワヒリ語で今すぐやれ。」とか「今すぐに100M10秒を切って走れ。」とか、これらはとてもできない相談です。 しかし、英語をしゃべれるようになろうとか、お店を出したいとか、資格を取ろうというのは、自分の努力でどうにでもなることです。

    本気になった時の人間の能力と言うのは信じられないレベルに到達して、無理だと思えたことを実現してしまうのです。

    あなたが進学したいと思えば、進学できないはずがない。
    あなたが就職したいと思えば、就職できないはずがない。
    あなたがお店を出したいのなら、出せないはずがない。

    私は以前の事務所を、いきなり出て行くように言われました。 しかし、お金も無いのに事務所移転はとても無理で、一時は廃業の危機でした。 ここであきらめずに内装工事を自分でやれば何とかなると決めて、朝から晩まで鑑定の合間に内装工事をやり続けて今の新事務所が完成しました。

    新事務所に来たお客様の感想は、「素人がしたとは思えない。」 お世辞で言ってくれているのだとは思いますが、「やってよかった。」と心がウキウキしています。 N市のIさんが新事務所にきたら、プロの眼から見てどう映るか楽しみです。 (Iさんの本業は建築です。)

    この本気になると言う精神状態は、個人の能力を引き出すのにとても有効です。 一生懸命になると熱さや寒さを感じなくなったり、トイレに行くのも忘れるくらいになったりした経験があるかもしれません。 それぐらい本気になれば他のことは目に入らないし、他人がどうこう言っても気にならないのです。

    本気になって何かにチャレンジするというのは、裸のままの~ありのままの、素顔の自分に戻れるということでもあります。 本気になると言うのは、ゴールにたどり着くまで、何度でもチャレンジできるピュアな気持ちを持つということなのです。

    あなたの本気とは、どれくらいのものだと思いますか?

    ヾ(*^。^*)ノ いえぇ~い

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    決断。

    自分が進む道に迷った時には誰でも、人に相談したり体験談を読んだりと決断する為の助走をしています。 決めたいけれど決められない時に、何かそれを決める為の法則やルールがあれば簡単なのですが、人により人生は違うので決断の差は必ず出てきます。

    ただし、ここで間違えやすいのが良い決断と言うのは「人から見て良い」決断ではありません。 自分が良い決断だと感じて、その結果に満足を得るのが一番いい決断なのです。 いくら人から見て良いと思えても、本人が納得も満足も出来ない決断ではどうにもならないのです。

    あるドクターは大学病院に10年以上勤務して、そこそこの地位と収入を得ていましたが、突然辞表を出して医師のいない孤島に行って生活を始めます。 今までの大学病院と違い施設も整っていないし助手や看護師もいない、孤島だけあって定期連絡船以外は交通手段もありません。

    しかし、大学病院でぬくぬくと生活していた時よりも医療技術は数段上がりましたし、自分以外は誰も助けられる人がいないという、島の人に必要とされる生活に喜びを感じています。

    元々は外科医だったのですが、今は小児科~内科~外科と何でもござれ状態で出来ない科はありません。 24時間勤務で365日ドクターでいればイイと言う考えで、患者様が来れば何をしていても診療所に飛んで行くと言う生活ですが苦にならないそうです。

    人から見ると大学病院でそこそこの地位まで行き、これから更に上の教授とかを狙うはずだったのに、今は看護師と自分だけの2人で24時間365日勤務しているなんて、馬鹿だと思うかもしれません。

    確かに地位や名誉や収入などを基準に考えれば、このドクターの進んだ道は馬鹿な道程かもしれませんが、それはあくまで人から見た考え方なのです。 本人は必要とされていることに生きている喜びを感じているのだから、余計なお世話なのです。 おまけに薬も施設も人手も全て足りない状態で命を救っているのだから、本当にスーパードクターです。

    「人から見れば馬鹿なことでも、本人にとっては重要なこと。」 この差は心の問題であり、周りの人がとやかく言うことではないのです。 大学病院で人の命を救うのも大切ですが、今ここにある緊急事態をナントカするのも大切なのです。 このドクターは、まさに今と言う時間の中で人の命を救っているのだから、間違いなく人の為に生きている充実感を得ているのです。

    決断すると言うのは本当の意味で相手の立場に立つと、出来ないことではないしやらなければならないことでもあります。 自分が大変なことや面倒なことは、相手にとって助かることや嬉しいことだと言う一面を考えればできるはずです。

    仮に、あなたが素敵なお花屋さんで、毎日色々なお客様の相手をしているとします。

    その時に笑顔を絶やさずに接客して、お買い上げいただいたお花をキレイにラッピングしてお金を受け取り、お店の外までお見送りしたら次のお客様へ目を向けていると思います。 しかし、それでは普通の接客であり相手の立場に立ったことにはならないのです。

    お客様の立場になると言うのは、「お花をキレイなまま家に持ち帰り、ラッピングをほどいて花瓶に生けて後片付けをする。 そしてそのお花が枯れて処分するまでの間を考える。」と言うのが本当の意味で相手の立場になっているということなのです。

    キレイなまま持ち帰る為には、型崩れしないようにラッピングしよう⇒ラッピングをほどいて後片付けが楽なようにしよう⇒生けたお花が長持ちするように薬を付けよう。 このように、相手の立場になれば次から次へとアイディアが湧き出てくるはずなのですが、自分がそこまでする必要はないと思うのならありきたりの接客で終わっても仕方がないのです。

    「お客様の視点に立って考えよう。」 これを言うオーナーや社長は多いけれど、通り一遍に言うだけで実行力がある台詞ではないのです。 トコトンお客様の立場になって考えれば、相手が何をすれば喜ぶのかがわかる筈です。

    先ほどのお花を例にとると、「お花を買ったお客様は、そのお花が枯れて処分されて、次のお花を買う気になる。」 ここまでが本当に相手の立場になることができる、お花屋さんの仕事なのです。

    「お花を売るのではなく、お花があるという楽しい生活を売る。」 これこそが、相手の立場(視点)と言うことへの、近道だと思います。

    物事の決断と言うのは、視点を返れば相手の立場になるということの裏返しでもあるのです。 相手の立場になれば自分がどう決断すれば、自分にも相手にも良いことになるのかと言う、素敵な決断になると思います。

    あなたは自分の決断が、未来に与える影響を考えたことがありますか?

    ☆⌒(@^-゜@)v ヨロシクデス

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    有利な考え方。

    今日の倉敷は良い天気なので、事務所の中の光が最高にキレイです。 こんな時は「何か良いことありそう~。」とウキウキして前向きになれます。 毎日ラッキーな気分でいられたら幸せなのですが、ラッキーな気分ばかりに浸れないのが人生です。

    ラッキーを引き寄せるのに有効な決め手とは、これと言ってあるようでない~無いようであるという具合に、完全にこうすればこうなるという方程式が無いのが辛い所です。

    運の良い人と一緒に居るとか、神社やお寺などでゲン担ぎとか、人は古来より運勢を変える為の方法と言うか人生の転換を求めてきました。 しかし、必ずしも効果があるわけでもないし、かと言って全くの迷信でもないので決め手にかけるのです。

    私は出来ることなら物事は公平になって欲しいと思うのですが、一部分だけ切り取ると全然そうはならないのが世の中なのです。 品行方正で真面目に生きていてもダメな時もあれば、デタラメに生きているのに良いことばかりと言う人も居るのです。 ただし、これこそが死後の世界が有る証明とも考えられる&思えるのです。

    生きている時にですら良いことと悪いことがあるのですが、生きている時と死後の世界でバランスを取らなければ運命の良し悪しの公平さが保たれないのです。 悪いことをしているのに何もなく平穏に過ごせているのなら、死後や来世で何か無ければ運命の公平さが保たれないと希望するのです。

    生きていると腹の立つことや悔しい思いをすることもあるでしょうが、運は公平さを保つ為のバランスを取るのだから、いつまでも不公平なことばかりがまかり通るとは思えないのです。 ラッキーな出来事を引き寄せる為にも、悪いことがあったらその分の良いことがいつか返ってくるだろうと忘れるのが一番いいのかもしれません。

    先日の出来事ですが、鑑定中に近所の男性がいきなり事務所に入ってきました。 「おいこら、ウチの駐車場に勝手に車を止めるな!」 確かめもせずにいきなりこの言葉ですが、車を止めたのは隣のお店の人でした。 それが判明した後、この男性が私にどう言うのかと思えば「今回は許してやるけど、次から注意せえよ。」 って…、吉本新喜劇か~い! ( ̄□ ̄;)

    普通は自分が間違えたのだから、私に謝る方が先だと思います。

    この男性の近未来を視ても、今は何も起こらず普通です。 しかし、もっと先の未来ではちゃんと苦しいことが起こるので、このような礼儀知らずを相手に本気で怒るなんて馬鹿らしいです。

    やはりラッキーとアンラッキーは交互に来る、もしくは公平に起こるものだと感心します。 ただし、すぐにバランスを取るわけではないので、待ちきれない人が悔しい思いや悲しい思いをするのです。 生きていると色々あるので、会社などでも腹の立つこともあると思いますが、運命が必ずバランスを取ってくれると思って真理の状態を待つ方がイイのです。

    私の事務所はなるべく運の悪いことを避けるようにできていますが、100%完全に避けられるわけではありません。 しかし、色々な人がこの事務所に近づきたくて仕方がないのだから、誰も近寄らない事務所よりも良いことだと思っています。 これは考え方(個人差)にもよるので、必ずこう考えた方が良いとは言いません。

    先ほどの苦情を言ってきた男性も親の力とは言え、現時点ではお金持ちで裕福な生活をしています。 そういう男性がこの事務所に入るのですから、それなりの運や雰囲気を運んできてくれていると考えます。 (ただし、成金と真のお金持ちはレベルが違います。)

    それなりの生活ができている男性が事務所に近づきたくて仕方がないから、何か口実を付けてココへわざわざ足を運んできたと言う考え方もあるのです。

    ここまで読んで気が付いたかもしれませんが、自分に起こる出来事を全て良い方に考えるのもラッキーを引き寄せるひとつの手なのです。 成功している人や出世している人の傾向として、全員とは言いませんが明るい人や前向きな人が多いのも事実です。

    最初は難しいかもしれませんが、無理やりにでも自分の成功している姿や自分にとって楽しい状況を想像して見てください。 そして、それが実現したかのように思えてきたなら、あなたの願いが叶いやすくなり始めているということです。

    同じ事柄や現象が起きた時に、自分にとって不利だと怒る方を選ぶのか? それとも如何に自分に有利なことだと考え直すのか? その積み重ねが大きな差を未来でつけるかもしれないのです。

    実際の所、社会で生きていくというのは辛いことや悲しいことが一杯あります。 嬉しいことや楽しいことはホンの少しだから、その時がきたらワクワクするのです。 いつもいつも楽しいことばかりなら、ありがたみがわからなくなってしまうかもしれません。

    会社や日常生活で怒りたい気持ちや許せない気持ちは充分にわかりますが、おおらかな気持ちで幸運を迎え入れる方が幸せだと思います。

    注:私はまだまだ未熟なのですが、寄付の神様やN市のIさんは怒らないですよ~。 私も人間ですから、一瞬くらいはカチンとくる時もあるので情けないです。

    あなたは何があっても、自分に取って有利に運んでいると考えることができますか?

    (-^〇^-) ラッキ~☆

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    人魚姫。

    一途な恋をしたことがありますか?

    本当に好きで好きでたまらない、目の前が白くなるくらい恋い焦がれたことがありますか?

    ひとりで居ても目の前に彼が居るような、幻のように見えてしまう儚い恋をしたことがありますか?

    「人魚姫」と言う物語があるのですが、嵐に遭い遭難した王子様を助けた人魚姫が、人間の王子様を好きになってしまうという恋物語です。

    この物語の最初では、恋する乙女は一途と言うのを表しています。 それは人間の王子様に会いたい一心で魔女の所へ行って、声と引き換えに下半身を魚の尾ひれから人間の2本足に変えてもらうのです。

    そのうえ、元々は魚であるがゆえに歩くたびに、身体をナイフで切られるような痛みが襲うのです。 そうまでして想いを遂げる努力をした人魚姫は、王子と御殿で一緒に暮らす夢は叶いましたが結婚する夢は叶いませんでした。

    失意の人魚姫を見かねた人魚姫の姉達が、王子を殺すことを条件に人魚の世界に戻れるチャンスを作ってくれたのですが、「王子を殺すくらいなら、わたしが死にます。」と天国へ旅立っていきました。

    愛するがゆえに起こした行動が実を結びかけたけれど、最後はダメだった。 しかし、愛すること、愛した人の幸せを願うこと、それを体験できた人魚姫は幸せかもしれないし、想いを遂げることが出来ないという部分では不幸だったかもしれない。

    「好きな人に想いを伝えたいなら、言葉に出して言わないと伝わらない。」

    人魚姫は声が出ないのに~想いを伝えられないのに、それでも王子のそばにいたかった。 一緒に居るだけで、同じ場所に居るだけで、嬉しくて楽しくて~そして切ない恋。

    人魚姫と違い、すぐにでも声が出せるあなたがいます。 好きと言わないなら、失いたくないとか~離れたくないとか、想うだけの気持ちは伝わらないかもしれません。

    幸せを守りたいなら、その幸せを壊さないように想いを声に出して伝えないと、手の平にある愛が指のスキマからこぼれてしまうかもしれない。

    恋は楽しいけれど、それは好きでいる間だけかもしれません。

    想いを伝えるまでは結果がわからない為に、嬉しい時間が心の中で生き続けています。 しかし、想いを伝えようと決心したなら、それは苦しい恋に変わるかもしれません。 本当に好きなら~本当に愛しているなら、その好きと言う気持ちと愛と言う心の分だけ、苦しい想いをしないと手に入らないのが、恋なのかもしれないのです。

    想う気持ちと言うのは、自分と相手ではすれ違うかもしれないのが、簡単にはいかない部分。 いくら相手のことを想っていても、相手が自分を想ってくれるとは限らないのが、恋する気持ちを苦しくさせるのです。

    好きだけれど、どうにもならない。
    どうにもならないけれど、愛している。

    こんな時にはいっそのこと忘れられたらイイのにって思うかもしれませんが、本当に忘れてしまったらどうなると思いますか?

    ひとりで歩いた道に思えているかもしれないけれど、本当にひとりで歩いた道ばかりじゃないのです。 あなたが彼のことを頭や心で考えながら歩いた道は、彼と一緒に歩いた道なのです。 それが片思いだとしても、喜びも悲しみも全てあなたと彼の間にだけ存在する「二人だけの道」なのです。

    好きな人への想いが届かずに泣いて過ごした夜が何日続いても、涙が枯れないと気付いた時には大人への階段をひとつだけ、上がった瞬間なのかもしれない…。

    今、あなたは誰かと一緒に過ごしているんですね。
    今、あなたは誰かと楽しい時間を過ごしているんですね。
    今、あなたは悲しませている女の子がいることすら忘れているんですね。

    あなたからの今年最初の電話は、「さよなら」だった。 わかっていたけれど、わたしとあなたは一緒に過ごす時間が余りにもずれていた。

    初夢のような恋がしたかったけれど、夢は夢のまま終わってしまった。 もしかしたら上手く行くかもと思っていたけれど、「もしかしたら…。」は「もしか」のままだった。

    あなたの為なら何でもできると思ったけれど、彼女になることだけはできなかったね。

    あなたにとって一途な恋とは、どんな恋ですか?

    (*_*、)ヾ(-ω- ) ヨシヨシ

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    性格。

    おはようございます。 今日は月曜日なので、ほとんどの人が新年の仕事を開始されていると思います。 仕事は楽しい時ばかりではなく辛い時もありますが、それと引き換えに何かを手に入れるのですから、元気な笑顔で過ごせたら素敵だと思います。

    ただ、それは性格によるところも多くて、楽天的な人と悲観的な人ではものの見方が違います。 前向きな人と後ろ向きな人でも違うので、人生を変える為には性格改善と叫ばれるのも自然の流れかもしれません。

    性格の良し悪しとは何を基準に言うのか、今一度考えて見ると違う発見があると思います。 気が強いとか弱いとか、人が良いとか悪いとか、色々な言い方でさまざまな性格を指し示します。 しかし、性格と言うのはその人自身が選んで作り上げていくだけで、生まれつきで一生変えようがないというわけではありません。

    言いたいことを言って、引くことを知らない人を「気が強い。」
    言いたいことも言えずに、相手に合わせるばかりの人を「気が弱い。」

    こう言ってしまうのは簡単ですが、本当はこれは自分が選んでいるだけなのです。 つまり、自分が心地好くて楽な状態でいられることを指し示して「性格」と呼んでいるだけなのです。

    相手と口論をするのが好きだから、ヒトコト何か言われたら言い返さないと気が済まないから「気が強い」と言われるだけです。 人と争うのが嫌で、何かを言われても受け流して逆らわない人は「気が弱い」という風に言われるだけで、その状態や状況が自分にとってはベストだと言うことなのです。

    もしも、あなたが周りの人から「キミは気が弱いなぁ~。」とか「キミは気が小さいなぁ~。」などと言われても、それは自分が我慢しているだけであり、人として弱いわけではないのです。

    それに「気が弱いとか~気が小さい」などと言って蔑む割りには、問題を起こすのは「気が強いとが~気が大きい」人の方が圧倒的に多いのです。 世の中の人が気が小さくて譲り合いの精神の人ばかりなら、争いごとが起きるはずがありません。 お互い譲り合うのが心地好いのだから、それこそ「与え合えば余りある」と言う言葉の通りです。

    それに比べて気が強い人の集まりになると、負けず嫌いとか~プライドが高いとか、すぐに相手と競争や闘いをしたがります。 気が強い人は自分がやりたいことはなんとしてもやり遂げようと、周りの迷惑も省みずに自分のことだけ考えて突き進んでしまいます。 これが悪いとは言いませんが「周りに迷惑をかけてもやり遂げる」という点では、褒められたことではありません。

    確かに気の強い人は気が弱い人に比べると、新たに手に入れる物は多いかもしれませんが、それと引き換えに大切な何かを失っていることに気が付かないのです。

    気の弱い人は少しづつとか~ゆっくりとしか歩を前に進めることはできませんが、今の状況を守りつつ、新たなことも吸収しているのだから「ウサギとカメ」のように、最後に逆転すればいいのです。

    「人のふり見て我がふり直せ。」ということわざの通り、性格はいくらでも変えられます。

    人は通常、歳を重ねるごとに人の話を聞かずに自分の考えで凝り固まってしまいます。 そして自分が絶対と思い込んで、周りの人に迷惑を掛けていると言う意識すらなくなってきます。 ちっとも融通が利かず、まるで心をセメントで固めてカチカチにしてしまったようです。

    しかし、歳を重ねるごとに人の意見に耳を傾けて、いつでも他人の言うことを素直に受け入れられる人がいるのも確かです。 私は自分が50歳~60歳と進んでいく過程で、歳を重ねるだけでなく反省も重ねることができる人生を送りたいのです。

    自分の考えが絶対であり、相手の話を聞くことが嫌で嫌で仕方がない。
    自分がしたことは全て正しいことで、何か間違ったことは全て人のせいである。
    自分が言うことに逆らう人間は全てダメ人間で、自分の言うことを聞く人間は全て一流。

    こんな考え方になっていると、歳を重ねれば重ねるほど誰にも相手にされなくなります。 残念ながら「自分は一流。」と自分が言っているだけであり、周りに誰も居なくなってから初めて気が付く裸の王様では悲しいと思うのです。

    ただし、性格と生き方はいくらでも変えることが出来るので、人生のゴールを決め付けるのは早すぎると思います。 いくら頑固だと言っても、誰にも相手にされなくなれば自分の生き方の過ちに気が付きます。 その気が付く時が20歳で気が付くのか?60歳で気が付くのか? それにより残りの人生の充実度が違ってくるので、できるなら早めに人生が豊かになる道を進んで欲しいと思うのです。

    素敵だと思える人やカッコイイ生き方だと思える人、自分の周りにお手本となる人は大勢いるのですが、それをキチンと見習えるかどうかで人生が開眼するかどうかの域まで差がつきます。

    若いうちに気が付けば、人に囲まれて「楽しい未来」があることを知ります。
    歳を取って気が付けば、人に囲まれて「楽しい過去」があったことを知ります。

    あなたは自分の未来と過去、どちらを楽しいと思いたいですか?

    ワーイ♪\(^ω^\)( /^ω^)/ワーイ♪

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    お釣り。

    運命には良い時もあれば悪い時もあり、いつも同じ調子と言うわけには行きませんが、良い時の反動を少なくすることは出来ます。 簡単に言えば、お釣りをもらいすぎないようにと言えばわかりやすいかもしれません。

    女性でも男性でも~会社でも学校でも~20代でも30代でも、性別や年齢も関係なく嫌なことや辛いことはあると思います。 上司からの命令や先生からの威圧的な言葉など、人生を過ごしていると色々な場面に遭遇します。 ましてや、いじめられて悪口を言われたなら、その時はとても辛いと思います。

    しかし、私は色々な人の過去~現在~未来を見ていると、運勢の良し悪しは一部分を切り取っただけではわからないと思っています。 「現在は良いと思えても、未来では悪くなる。」と言うのもあれば、「今は悪い状態でも、未来では良くなっている。」など、いつの時代でもどんな場所でも運命は意外と公平です。

    昔の日本で呉服と言えば、どこのお店でも繁盛していて、黙っていても着物が売れるという時代でした。 しかし、文明開化の足音ともに日本全国の人が洋服を着始めると、今度は潰れてしまう呉服屋さんが後を絶ちません。 昔は勢いがあって肩で風切って歩いていたのが、今は風前の灯と言うことになりかねません。

    その他にも、今から2~3年前にTVなどのメディアで時代の寵児と言われていた人が、今はどこへ消えてしまったのかわからない時もあります。 岡山県内でもR○K~O○K~タウン情報○○などのメディアが、行列の出来る人気店として取り上げていた飲食店が何店舗もあります。 しかし、1年経過した時点で生き残っているのが何店舗あるのかと言えば、少しは報道に責任を持って欲しいと思えるくらい姿を消しています。

    調子付いて周りが見えなくなり自信過剰や横暴な行動を取ると、運勢はきちんとその分のお釣りをくれます。 それは金銭面だったり体調面だったりしますし、どんな形でいつ起こるかわからないのが逆に怖いのです。 「今日悪いことをしたら、明日天罰が起こる。」 こんな簡単なことではなく、その人が一番ダメージを受ける場面にてお釣りが来るので、自分のことだけ考えて私利私欲に走っていると、後でくるお釣りが怖いのです。

    私はいじめられっ子で酷い目に遭いましたが、それは自分が人に対して思いやりを持っていないとか、人に対して傲慢になる未来を押さえる為にあったのかもしれません。 今はいじめに遭ったことは良い経験として捉えて、今後の人生において人の為になることをしようと言う指針となっています。

    いじめとは不運の先払いで、後で幸運を払い戻してくれる準備期間でもあるのです。 いじめられていた時は私の方が悲惨でも、これから先の人生を考えるといじめていた方が悲惨です。

    いじめをしていると後で反動が来るのですが、すぐには来ないのがミソなのです。 私自身も気が付かないうちに誰かをいじめていたり、誰かに嫌な思いをさせていたのかもしれません。 それに気が付くまで何度でも不幸のお釣りを払い続けてくれて、それに気が付き反省したら止めてくれるのだと思うこともしばしばあります。

    未来におけるお釣りの怖さがわかっていると、誰に対しても失礼なことが出来なくなるのです。 失礼な人は相手の気持ちではなく、自分のことのみ優先させる人なのです。 思い上がった傲慢な態度では、言われた方の人の気持ちを考えることはできないのです。

    ただし、ここで腹を立てたり怒って言い返したら、気分は晴れるかもしれない。 けれど、運を味方に付けることはできないのです。 以前も書きましたが、私は悪口を言われても理不尽なことをされても、相手にせずニコニコしているだけでやり返しません。

    私のことを悪く言って気分が良くなるなら、とても良いことだと思います。 私の悪口を言うことでその人の気分が晴れやかになると言う、ひとつの徳を積むことができたのですからそれでいいんです。 私に嫌がらせをすることでストレスが取れて良い気分になるのなら、それは私がその人に対して良い行いをして功徳を積んだことになります。

    当の本人は嫌がらせや悪口を言って、「山崎をいじめてやった。」とか「山崎より私は上だ。」などと自己満足をされているのだから、それでいいと思うのです。 やり返したりして相手と同じ人間性やレベルにならないようにして、運命は必要とされる方の応援をすると考えて深く悩まないことが幸運の秘訣です。

    お客様より言われて、「そりゃ、そうだなぁ~。 でもね…。」と思ったことがひとつあります。

    「先生は相手の未来が視えるから、受け流したり我慢したり出来るんじゃないんですか?」 確かに私はいじめられたり~罵倒されている間にも、相手のことが視えています。 その中で相手に起こる悲惨で不幸な出来事が視えてくると可哀相になり、「許す気持ち」がすぐに芽生えてくるという点ではそうかもしれません。

    しかし、それは私が今すぐに視れるというだけであり、時間が経過したら相手の不運な状況を知るのは誰でも可能になります。

    例えば、ある会社は08年8月より経営が傾き始め、11月以降は売り上げが前年比30%減となり、今後の上昇は見込めず経営を維持するのがやっとになります。

    私はこうなる未来を視て「許せる気持ち」がすぐに芽生えますが、普通は08年の11月を過ぎて風の便りに会社が傾いたのを聞いて、それから「許せる気持ち」になります。 これは時間差があるだけで、先に知って穏やかでいるのか⇔後で知って許せるようになるのか、どちらにしても結果は同じことなのです。

    時間が薬と言うのは、「相手と自分」の「環境と立場」の変化により許せる場合もあるのです。

    あなたは運命のお釣りがくる怖さを、考えてみたことがありますか?

    (  ̄ ̄∇ ̄ ̄; )ナヌ?

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    ある男性。

    おはようございます。 今日の倉敷はどんよりして、朝の光のハーモニーが見れなくて残念です。 先日お越しいただいたお客様より、「先生、待っている場所でもわりと光がキレイですよ。」と言われたのですが、天気が良ければ待つ場所でも光がイイ感じになるようです。

    土曜日や日曜日は軽めのお話になることが多いのですが、今日は大晦日にあった話をしてみたいと思います。

    ある時、マザーテレサにひとりの男の子が近づきました。

    歳で言うと5~6歳くらいの男の子ですが、「マザー、これあげる。」とひとつの角砂糖を差し出しました。 マザーは「どうして? あなたもお腹が空いているでしょう。」 すると男の子は続けて言いました。 「僕は今日我慢しても、明日になるとまた食べられるからいいの。」 そう言って、マザーの手に角砂糖をひとつ渡したことがありました。

    マザーは年端も行かぬその子の気持ちを、とても素晴らしいと思ったそうです。

    自分が食べられなくても誰かを助けたいと言うその気持ちは、やろうと思っても出来ません。 心に普段から優しさを染み込ませていないと、とても難しいことなのです。

    ある夫婦は結婚式や新婚旅行を取りやめて、その費用を全額マザーに差し出したそうです。 マザーは「あなた達の新しい出発なんだから、自分達の為に使ってください。」と言って返そうとすると、「いいえ、わたし達が話し合って決めたことなので、恵まれない人達に使ってください。 わたし達はそれがなくても生きていけるのですから、それがないと生きていけない人たちの為に使ってください。」 マザーはとても感動したそうです。

    この奉仕の精神と言うのか、慈愛の精神と言うのか、この夫婦の気持ちは素晴らしいことだと思います。

    何故、唐突にこんな話をしたのかと言うと、昨年の31日(大晦日)にある男性が鑑定希望でお越しになられました。 私は基本的に男性の鑑定を受け付けておりませんし、再開したいと言う気持ちも余りないのです。

    有名な占い師さんでも現在の傾向として、「男性の鑑定はお断り」と言う先生方が着実に増えつつあります。 お金儲けが目的でなんでもかんでも見る人は知りませんが、江原さんや鏡リュウジさんやその他の先生方も、「紹介がある人」「カップルでくる人」など、条件付きで鑑定OKにしている先生方が多いのが実情です。

    私は「男性鑑定はしていません」とHPに明記してあるにもかかわらず、何故か男性の鑑定希望が多いのでむげに断るのも申し訳ない気持ちです。 その為、彼女や奥様による代理の写真鑑定をした人など、諸条件をクリアした人を対象に男性鑑定日を設けてしております。

    12月31日は男性鑑定日として男性ばかり鑑定していたのですが、そのうちのひとりが「素晴らしい!」と、ちょっと感動してしまいました。 そのお客様の人生は、昔は別ですが今はイイ人だなぁ~と思える人生を送っていらっしゃいます。

    その方が勤務している会社は昼食と言うか食事の負担金が出るそうなのですが、ある時ふと思ったそうです。

    「僕は今御飯を食べているけれど、世界には食べられない人が大勢いる。 僕は今生活に困っているわけじゃないし、何かできることがあるはず。 この食事は会社が負担してくれているからタダだけど、外で食べたら400~500円はする。 だったら、食事代を自分で出したと思って1か月分を恵まれない人に寄付しよう。」

    この男性は思い立ってすぐに実行して、ある恵まれない場所に場所に寄付したそうです。

    すると、その施設の人からすぐにお礼の電話が掛かってきて、その代表者と電話でお話をしたそうです。 後日お礼の手紙と領収書が送られてきたそうですが、その施設に寄付する人が如何に少ないかを知って、その男性は心になんとも言えない気持ちがしたそうです。

    その男性は自分でできる範囲内ではありますが、今後も世の為&人の為にできることを実行して行かれると思います。

    人にはそれぞれ好みや考え方があるので、絶対にこうだとは言えません。

    しかし、こういう行いの出来る男性と結婚した人は、セレブ生活は出来ないかもしれないけれど心に充実感や満足感を得る生活が出来ると思います。

    人と人の結びつきと言うのは、損得勘定を越えたところに真実があると思えます。

    あなたは生涯のパートナーとするなら、どんな人を伴侶にしたいですか?

    ^(ノ゜ー゜)ノ☆パチパチ

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    意識の差。

    おはようございます。 今日から仕事始めの人も多いと思いますが、年の始まりから小さな積み重ねをすることにより、年末に笑顔でいられるのかどうか決まります。 運勢と言うのは、「いきなり良くなるという考え方と徐々に良くなって行くと言う考え方」と両方あるのですが、どちらに当てはまるのかはその人の考え方にもよると思います。

    ただし、どちらにしても日頃の積み重ねがないのならば、今まで歩いてきた人生とそんなに変わりはないのです。 意識の持ち方で自分の行動範囲や可能性はものすごく広がりますが、日頃の積み重ねとは本人の意識の持ち方が行動を決定しているのです。

    人には隠された能力がありますが、使わなければ持っていないのと同じことです。 自分を過大評価したり過小評価したりするのは、その時にどういう意識の持ち方をしているのかで成功の可否が違ってくるのです。

    わかりやすくプロ野球を例に取ると、今は日本のプロ野球がメジャーに選手を取られて、衰退していくと言う危機を唱える人がいますがそれは関係ありません。 日本のプロ野球は3~4年前に球団を減らそうとして、それに反対する選手が9月にストライキをしてまで野球を愛する気持ちを訴えていました。

    「給料が半分になってもいいから、球団を減らさないで欲しい。」
    「野球が出来るなら、お金なんてどうでもいい。」

    このように言って近鉄とオリックスが合併して11球団になるところ急展開があり、楽天が誕生して12球団となった経緯があります。 しかし、私はこんなしおらしい台詞を言うのは一時的なモノであり、プロ意識の低さから元に戻ると思っていました。

    あの当時は、子供たちが選手にサインをねだっても快くしていたと思いますが、今プロ野球選手にサインをねだっても追い払われるだけです。 おまけに「お金じゃないんだぁ! 俺達は野球がやりたいんだぁ!」と言っていたわりには、昨年の秋から年末にかけて「年棒が安い、もっと金をよこせ!」と「カネ~カネ~カネ」のオンパレードでした。

    私はプロ野球選手よりも、毎日キチンと会社に行く一般の人々の方が偉くて凄いと思っています。 コレは嘘偽りのない真実で、熱が出ようと~いじめに遭おうと~、がんばって会社に行く皆様の方が何十倍も凄いと尊敬しています。 プロ野球選手は痛いと言っていれば休めるし、結果が出なくても許してもらえます。 しかし、世間の人は痛くても会社に行かなければならないし、不調だからと言って結果が出ないのを許してはもらえません。

    意識の差と言うのは辛い時や苦しい時には必死で訴えていても、「喉元過ぎれば、熱さ忘れる。」のことわざ通り、危機が過ぎれば楽な自分に甘んじてしまうのです。

    プロ野球選手を例に出して申し訳ありませんが、プロである以上練習することは当たり前だし、試合に休まず出場するのも当たり前のことであり、連続試合出場なんか表彰するほどのことじゃありません。

    3億円も4億円も貰っている人が、365日のうちの140日程度、しかも2~3時間ほどの試合を休まないからと言って当たり前です。 もしもコレを自慢するなら、そんなことを自慢しなければ他に言うことがないからです。

    私の知り合いのスーパードクターは昨年末(12月)に休みゼロでフル出勤して、28~29~30日の3日間は緊急手術や救急外来などで72時間連続勤務をして31日を休んだ後、元旦から患者様の容態を見たりしてもう仕事を始めています。 はっきり言って、本当のスーパードクターはTVのバラエティなんかに出ている暇はありません。 (医師と医師免許を持っているだけの人では、意味が全然違います。)

    「今ここで患者様が苦しんでいるのだから、自分もできることは全てやる。」 私は常日頃から、こういう台詞をこのスーパードクター達より聞いているので、私なんか休みすぎじゃないのかと凹んでしまいます。

    こういう人達に追いつく為に私が出来ることと言えば、休まないことくらいしかありません。 365日鑑定してスキマ時間を作り、東京出張やイベント出演や原稿執筆など入ってくる仕事は全部引き受けてやれることは全部やる。 しかし、それでも倒れていない現実があるので、私はまだ全力を出していないということです。 (注:私自身に対して言っていることであり、他の人にしろと言っているわけではありません。)

    365日働く&365日出勤する。 コレに関して今の私の周りでは珍しくないので、自慢することでも特別なことでもありません。

    意識レベルの差と言うのは知らず知らずのうちにでてくるのですが、その良い例がイチロー選手です。 日本人メジャーリーガー全部とイチロー選手1人では、イチロー選手1人の方が存在意義が比べものにならないくらい圧倒的に上です。

    わかりやすく言うと、イチロー選手以外の日本人メジャーリーガー全員が日本球界に復帰しても、TV視聴率や観客動員数が多少は上がりますが、一時的なもので余り変化がないと思います。 ところがイチロー選手が日本に復帰して巨人のユニフォームを着たら、TV視聴率や観客動員数は大幅にアップすると思います。

    大きな時代のうねりを作り出せる選手と、私利私欲でお金など目先のことだけに集中している選手では、その存在意義において誰かの心に感動を与えることなど不可能なのです。

    イチロー選手は常日頃言っているのですが、「お客様が見に来てくれなきゃ、僕らの存在価値なんてないから。 わざわざ足を運んで見に来てくれているんだから、僕らの給料だったり生活だったりが手に入る。 だから、試合に出るなんて当たり前のことだし、最高のパフォーマンスを見せるなんて当たり前のこと。 練習して最高の準備をして試合に備えるのは日常のことであり、それが出来ないならグラウンドに立つべきではないしプロとは言えない。」

    コレだけの意識を持って野球をしている選手が日本に何人いるかは、今の日本のプロ野球のTV視聴率やメディアの注目度や日常における世間話が示してくれています。

    毎日お仕事をがんばっているあなたを視て、感動している人間がここに一人います。 私はあなたから感動をいただいているのだから、あなたは胸を張ってお仕事をしていると言っていいと思うのです。

    あなたのがんばっている姿を視ると、惚れ惚れするくらいカッコイイと思います。

    あなたの意識レベルは、日本レベルとメジャーレベルのどちらですか?

    (=^ェ^=) すてきだにゃ~ん♪

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    視え方。

    おはようございます。 今日も良い天気なので事務所内は明るい光が美しく、朝から気分上々で気力が充満しています。 今日はお客様より時々聞かれる質問にお答えしたいと思いますが、それは霊視における視え方についてです。 コレは人により違うので、少し解説してみたいと思います。

    N市のIさんの霊視に於ける解説を聞いていると、「なるほどなぁ~?」と思ったのですが、 前世が得意な人もいれば、守護霊と話しができる人もいれば、神様と自由自在に交信できる人もいる。 このように能力は千差万別であり視え方には個人差があるので、凄いと言うのはその対象と基準によると言うお話は納得です。

    私の場合は霊視カウンセリングと言っても、他の先生方より意味合いが少し違うようです。

    アヤシイ?霊視なんですが、どうにかやれているのは名前も生年月日も聞かずに始めると言うスタイルが珍しいと言うのもあるかと思います。 岡山県内だけでなく東京の方でも名前や生年月日を聞いてから答える霊視がほとんどで、聞かずにできる人は余りいないからです。 (注:先生本人は聞かなくても、助手やマネージャーや受付の人が聞いて伝えるスタイルも多いです。)

    元々は三越時代に前の喫茶店のオーナーとお客様より「そりゃ、霊視と言った方がいいんじゃないの?」と言うような言葉から始まり、以前の西ビルの大家さんが「山崎さんはカウンセリングタイプの占い師だ。」と言ったことなど組み合わせて、「霊視カウンセリング」となったのが始まりです。

    商店街時代は「霊視禁止」をきつく申し渡されていたので、表向きは「手相&姓名判断」をしていたのですが、手相だけで30分は長いので霊視で視ていることが多かったです。 一応手相ではありましたが彼や御主人や家族のことなど、本人以外のことも答えていました。 その為、商店街時代に私のところへ来たお客様は「手相で他の人のこともわかるんだ!?」と思っていた人もいるのですが、手相で他の人のことは無理です。 m(__)m

    では、視え方の説明です。 まず、入り口にお迎えに出た瞬間にオーラを視ています。 次にお席まで案内してお客様が着席されるまでに、性格や人柄などを視ています。 そして、鑑定前の簡単な説明をしている時に、何を聞かれるのか本日の質問内容を視ています。 (何であらかじめ質問内容を視るのかと言えば、ある理由があるのですがオフレコです。)

    そして相談(質問)をお伺いするのですが、そのお話の最中にも相談(質問)内容に当たる部分を探しながらお話を伺っております。 (お客様が話し終わった瞬間から、答え始めることができるのはこの為です。)

    私は通常の占い師さんに比べて受け答えが早い方ですが、それは相談内容を聞きながらその内容を探しているからです。 印を結んだり~ダンスをしたり~お経を唱えたり~水晶を覗き込んだり、そういう怪しげな行為は一切しません。 服装にしても怪しげな格好をしてマントや黒装束を身に付けるよりも、Yシャツにスラックスで普通の格好をしている方がいいと思っています。

    結婚を例にとり、もう少し詳しく説明してみます。

    占いを好きか嫌いかは別にして、結婚前に彼との未来を相談に行く人は多いと思います。 しかし、わざわざ鑑定してもらっているのに、結婚後に離婚の道を選んだり~不幸せな結婚生活になる人が多いのは、何故だと思いますか?

    コレこそが、占いと霊視の差と言ってもいい特徴なのです。

    占いと言うのは名前や生年月日など相手の情報を手に入れて、何かを基準にしてする統計学的な面があるのは仕方がありません。 しかし、それでは現在の彼を見て占う為に、結婚後にどうなっているかを見ることが出来ません。 本当の霊視と言うのは、結婚後にどういう生活をしているかを視て、それにより結婚生活の内容を判定しないといけないのです。

    私はお客様が結婚後に笑顔で素晴らしい生活をしているかどうかを視て、彼との結婚が良いか悪いかをお話しています。 結婚前にはわからなかった面が、結婚後には出てくることがあるのです。 付き合うのと結婚するのでは、一緒にいる時間やその生活における癖や習慣が出てくるので、その彼の行動を見た時に嫌と感じたりして少しづつ少しづつ不満(ストレス)が溜まっていくのです。

    浮気~借金~暴力など、致命的な癖や習慣があっても、それが出てくるのは結婚して2~3年と言う時間が経過してからがほとんどです。 結婚後に暴力を振るっているシーンが見えると、今現在がいくら優しくてもお勧めできないのです。

    霊視で未来を視る矛盾と言うのが、まさにココなのです。

    仮に未来で浮気をすると言うのがわかっていても、今現在は品行方正で真面目だと言う点です。 2年後に浮気をするとしても、今注意するわけには行かないと言う現実があります。 ただし、そういう未来を聞いて信じられない人も大勢いるのは仕方のないことです。 そして時間の経過とともに「浮気や暴力」などの未来が現実化となり、私のところへ再度相談にお越しくださるという場合が多いです。

    霊視にも色々な視え方があるので、私はまだまだ視えていないしわからない方の部類です。 日本全国には私より凄い先生方ばかりなので、全然修行が足りないので反省の毎日でお恥ずかしいです。

    あなたにとって私の霊視は、少しでもお役に立てているのでしょうか?

    (* ̄(エ) ̄)/°・:*【祝】*:・°\( ̄(エ) ̄*)

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    取り返し。

    おはようございます。 今日は良い天気なので、事務所内の光は見ていて心が和んできます。 本日も営業いたしておりますが、お客様の素敵なオーラや笑顔を見るだけで私の方も嬉しくなり、新年より心弾む良いスタートが切れたと思います。 今年も一年、お客様が笑顔になるお手伝いが出来れば、私はとても嬉しいです。

    私自身のことを昨年だけに限定して振り返ってみても、「あぁ~、しまったぁ~?」と悔やむことが多くてお恥ずかしい限りです。 人間関係と言うのは日頃の積み重ねであり、今日からいきなりナントカできると言うものではありません。 残念ながら言葉と言うのは一度言ってしまうと取り消せません。

    良いことも悪いことも、なるべく相手に気を使って言うようにしないと「取り返しがつかない。」 後悔しても過去には戻れないのです。 (特に、人間関係は壊れやすいのです。)

    日常生活では色々とあるのだけれど、「取り返しがつかない程のことは、余りしていない」と自分の行動に関して人は思いがちです。 しかし、冷静に考えてみると些細なことではあるけれど、取り返しのつかないことは気付かないうちにしてしまっているのです。

    人には、理性や知覚や感情と言った自分で意識できる範囲は約10%程度で、残りの90%は本能や習慣をつかさどる「潜在意識」の部分です。

    例えば、本能の最たるものは「異性を慕う気持ち」であり、習慣の最たるものは「禁煙や禁酒が上手くできない状態」で表すことができます。 他にも浮気や借金などもありますが、このような自分ではどうにも押さえがたい行動を取らせる意識がこれにあたります。 (心理学者のフロイトが、潜在意識の存在を証明しました。)

    私が基本的に良いことしか言わないのは、この潜在意識に余計なことを染み込ませてはならないと思うからです。 占いは信じる信じないは別にして、悪いことを言われたら気になってしまいます。

    根拠があるわけではなく証明もできない世界なので、目の前にいる先生方が自信満々で言うと人間心理として「そうなのかな?」と、心に不安が芽生えてしまいます。

    潜在意識と言うのは上手く使えば、夢や希望を実現させる力がありますが、逆に言うと悪いことも実現させてしまうのです。 潜在意識には冗談や嘘は通用しないので、取り消しはできないと考えておいた方が良さそうです。 この潜在意識の存在がある以上、無理やりにでも良いことを考えるようにしないと、不幸が自分の手元に舞い降りてくる確率を自分であげてしまいます。

    取り返しがつかないこととは大げさなことばかり示すのではなく、ほんの些細なことから起こると言うのも、自分が気付かないうちに幸運に亀裂を入れてしまうことがあるからです。

    人間関係を例にとると、自分は冗談で言ったつもりでも相手が怒ったという経験が誰しもあると思いますが、これが良い例です。

    自分の感情や思考では、「これを言っても大丈夫。」とか「これを言ったら受けるだろう。」と自分の感覚のみで言ってしまうこともあります。 相手がどれだけ傷つくかは相手の気持ちの部分なのでわかりえないし、自分はスッキリしても相手の気持ちはモヤモヤしたままなのです。

    「相手を言い負かすと言うことは、自分が勝つということ。」 自分は言いたいことを言って感情を吐き出してスッキリして良いかもしれませんが、相手は言われっぱなしでどこにそのストレスをぶつければいいのでしょうか…。

    言葉は言ってしまった以上は取り戻せないのですが、これこそが「取り返しのつかない」最たるものなのです。 日常的に良い言葉を使っていれば、いつのまにか良い言葉に恵まれるようになります。 普段から美しい言葉使いをしていれば、周りから美しい考えや行動を取れる人に出会うようになります。

    日頃の行動で取り返しのつかないことばかりしていたら、そのお釣りは未来で利息をつけて返ってくるかもしれません。 未来を視ているとそのお釣りの部分の怖さがあるので、私はうかつなことは言えないと思うし、誰に対してもデカイ態度を取ってはいけないと痛切に感じてしまいます。

    ひとつ例を出すと、占い業界があります。

    この業界は変わっていると感じるのが、お客様に態度がデカイ先生の方が信頼性があるように感じてしまう点です。 私はある方から、「山崎さんはお客様に頭を下げすぎ、占い師がお客様に頭を下げるな!」と言われていました。 コレはこの方が「自分が一番」だというプライドで他の人を見下しているから出る言葉であり、常識ある大人の言うべき言葉ではありません。

    しかし、占い業界では、この方が言うように占い師が頭を下げたり~腰が低いなんてとんでもないと言う風潮です。

    これは私の個人的意見ですが、日本全国からわざわざお越しくださるお客様に対して感謝の気持ちをあらわして、「ありがとうございます。」と言って頭を下げるのは普通のことだと思います。 お客様が日本全国から来てくださることは、ナニモノにも変えがたいくらい尊い大切なことです。 その行為に対して感謝の気持ちが尽きることはなく、いつまでもお礼を言い続けたいくらいです。

    その他にも、もしも一時の感情で相手に怒りをぶつけてしまった場合は、素直に自分から謝るのが運気を壊さない為には一番です。

    過ぎ去った以上は取り返しがつかないことであり、もう過去の時間を取り戻すことはできません。 しかし、未来において過去の反省と共にやり直すことはできるのです。

    恋愛においては、「サヨナラの言い方」が運命の良否を決める。
    行いにおいては、「ゴメンナサイの言い方」が運命の良否を決める。

    新年を迎えて今年一年の過ごし方を、少しだけ考えてもいいと思います。

    あなたは自分の未来に対し、過去の過ちと共に「ごめんなさい」のヒトコトが素直に言えますか?

    。・:*:・°'★( ^Θ^ )オメデトピヨピヨ♪★'°・:*:・。

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    新年。

    あけまして、おめでとうございます。

    未熟な私ではございますが、本年もよろしくお願い申し上げます。

    旧年中は、色々と御迷惑をおかけすることも多々ありましたが、今後も努力と精進を持って歩んで行きたいと考えております。

    今年も一年、皆様に山のような大きな幸運が訪れるように、素敵で充実した日常が送れるように、少しでもお手伝いができれば嬉しい限りです。

    一年の始まりに見る夢が正夢となるように、あなたの希望や目標が叶うように、運命はきっとあなたの後押しをしてくれると思います。

    私は今年は例年以上のボランティアができればイイナと思いますが、それはお客様の生きる姿勢や努力に心打たれているからです。 お客様の未来を視るたびに、心の中にある誠意と優しさが感動と共に響いてきて、私は今のままではダメだと反省させられることも度々です。

    私は、いざボランティアをしているかと問われれば胸を張って言えるほどではありません。 私以上に活躍しておられる方や、私以上に真摯に物事を考えておられる方が大勢います。 それに対して負けないようにしないと、自分の中で心が負けたり折れてしまうかもしれません。

    時間は有限であり無駄にはできないのですが、行動できずに終わることもあり自己嫌悪に陥ることもあります。 そんな時には遠くに見える道程の中で、想いが途切れてしまうこともありますが、それはお客様の笑顔がキッカケとなり感動として蘇り、また自分の活力とできるのです。

    いじめられていた時代には「何が楽しくて生きているの?」と、上司や同僚やその他の方に問われたことがよくありました。

    昔の私ではそれに対して明確な答えはありませんでしたが、それはデタラメで自堕落的な生き方をしていたから仕方のないことです。 しかし、今は「お客様の笑顔」が生きがいの元となり、寄付行為で少しでも過去の償いができればと考えております。

    よって、その答えは、「誰かに必要とされて力になれれば、それでイイ。」

    私も人間ですから、家や車が欲しいかと言われれば、欲しいと思う時がいつかあるかもしれない。 しかし、自分は霊視カウンセラーとして御飯を食べたりお風呂に入ったり、日常生活ができているのだから、その欲しいと言う欲求は一瞬のことでしかありえないのです。 今の私は御飯が食べられるけれど、世界には御飯が食べれず飢え死にする人が数多くいます。

    そんな世界の現実があるのだから家や車が欲しいと言うよりも、今そこにある現実と危機をクリアしてあげないといけないと思うだけです。

    私にとって物欲と言うのは一瞬のことであり、余り欲しいものはないのです。 ただし、コレは私の個人的な生き方や考え方なので、他の誰かに強制したりすることではありませんし、これが一番いいんだというほどのことじゃないのです。

    私は一歩間違えば自殺したかもしれないし、ホームレスとして生活していたかもしれない。 最近で言うと事務所移転を迫られて廃業か休業しないといけない危機もありましたが、それでも何とかやっていけて、今日もログの更新ができていると言う現実があります。

    今年の目標として、出来なくて公約違反になるかもしれないけれど、いくつか書いてみたいと思います。

    ①,今4ヶ所にしている寄付を、全て昨年の2倍~3倍の金額にする。 これは、焼け石に水だとは思うのですが、何もしないよりはイイかなと考えています。 また、事務所移転も出来ましたし、御飯を食べて生活できる以上はやれるはずだと思っています。 (N市のIさんや、寄付の神様にもう少し近づきたいです。)

    ②,昨年は2ヶ月に1回のペースで東京出張していましたが、今年は毎月したいと思います。 お客様の心に感動を呼ぶことが出来れば、充分可能だと思います。 (実は、もう会議室の予約を入れているのでやるしかありません。)

    ③,お越しくださる全てのお客様が、満足してお帰りになることが出来る霊視カウンセリング。 コレは毎年のことですが、まだまだ未熟な私では永遠の目標です。 今年も自分の力の限りやっていきたいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。

    以上、簡単に今年の目標を書きましたが出来ないこともありますが、出来るように努力することはいくらでも可能です。 もしも出来ないのなら、それは全て私の責任であり誰のせいでもありません。 あるカウンセラーの方は「私は国会議員じゃないから、公約違反してもイイ。」と言っておられます。 しかし、私個人の意見として、こんないい加減なことを人として言ってはいけないのでは?と思うだけです。

    お客様の今年は、きっと素敵な一年になります。 未来はいくらでも変えることが出来るので、素敵な一年になると設定してその筋書き通りに行くようにすれば簡単です。

    あなたの今年は、どんな素敵な一年になると思いますか?

    ☆⌒(*^∇゜)v  おめでとう~!

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